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はてなキーワード: さぶとは

2023-05-31

anond:20230530233024

深夜に狂気に任せて書き殴った排泄物みたいな怪文書を色んな人に読まれるのめっちゃはずいな!!!

 

で、その怪文書帰宅途中にラジオでこのニュースを聞いて衝動的に書いたものなんですけど

  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230530/amp/k10014082521000.html

 

ニュースの内容がどうというより、ラジオから聞こえてくる当事者支援者たちの嬉しそうな声に涙ぐみハンドルを持つ手が震えるくらい気持ちを揺さぶられ、晩ごはんも喉を通らないくらい興奮しました

彼らの気持ちが凄くわかるし、羨ましいなと思ったので

 

なぜその友達に拘るのかというと、彼女が私の初恋の人でずっと片思いしてるからです

そして凄く情けなくてキモいこと言いますけど、東京彼氏作ってバイバイされるのが怖くて怖くてたまらいからです

から絶縁なんて到底無理なんですけど、ただ金銭的な支援をするのは確かに私の一方的エゴなのでもう止めようと思います

 

でも高2の頃から着衣での身体接触、一緒にお風呂に入って脱衣での身体接触性的ニュアンスを含んだ手付きでのボディタッチや軽めのキスに対する彼女の反応を探り探りじっくりと6年かけて調べた結果、この子絶対素質ある(じゃなきゃ同居なんかしないでしょ)と確信してるのでまだ諦められないなあ

 

でもだからといって告る勇気もない、情けない女だよ

2023-05-29

anond:20230529150425

当時イケメン歌い手だった蛇足を一生推すと言っていたファン蛇足曰く“きっと死んでしまった”のだそうだ

 

そんな青春を楽しんだ人達は静かに死んでいくんだ

ただ同じ身体で別の一生物の恋をするだけ、その上で普通の家庭を待ったりとかして推してる暇がないだけ

あとたまに蛇足の生配信を見に来て死んだはずの霊体が震えて魂を揺さぶらせるだけ

2023-05-23

anond:20230523081437

女性の脳は、話を聞くだけでも自分自身感情が揺さぶられるので、

他人から共感を求める話しを聞くのが楽しいし、自分共感を求める話をするのが楽しい

ところが男性の話しは、事実関係淡々と話すだけなので、共感ポイントが分からないし、

どこをどう共感したらよいのか分からずに、つまらなく聞こえる。

2023-05-19

すずめの戸締りは駄作だけど嫌いになれない理由

君の名は」は、東日本大震災を事前に知って回避したらどうなるかっていう話。題材を変えているだけで、あれは不謹慎な話でもある。

街が破壊される描写東日本大震災元ネタ日本でウケたのは、皆東日本大震災経験して、あの空気感を思い出して心が揺さぶられるから

東日本大震災で誰も死ななかったら?という、もう起きてしまった事に対して過去否定する話。

面白いけれど、でも心の底から好きにはなれない。


「天気の子」は、ポリコレ社会に対してのアンチテーゼ元ネタだった。ポリコレ大事に思っている人は苦々しいだろうし、

責任のある立場で色々犠牲にしてきた大人批判されているようで気持ちよくないだろう。

東日本大震災から離れつつ、相次ぐ自然災害を「異常」だと言うことと、社会正義を1つに定めることを重ねた。

青空(正しい世界)よりも俺はひな(間違っているが信じている存在)がいい!天気(社会)なんて狂ったままでいい(間違ったままでいい)んだ!(だって世界は元々間違っているのだから)」

という主人公言葉は痺れた。個人主義の皮を被った全体主義に対する強い批判のように感じた。


「すずめの戸締り」は正直駄作だった。ネタが尽きたんだろう。イケメン声優は下手糞だし、話も先が読めるし、感情移入できないし、テーマ性も問いかけるだけで終わっている。

結果的ダイジン世界の為に犠牲になり、すずめはダイジンをうちの子じゃないと言い放ち。

ただこれは、「君の名は」が「あったことをなかったことにする」、つまり「3本脚の椅子を4本に」ということはせず、傷ついたものは傷ついたまま、あったことはあったまま、

前に向かって歩くと言うテーマには、平凡なストーリーが合っていた。

3部作を閉じるにあたり、始めてしまった「嘘」を「閉じる」、贖罪の為にこの作品を作ったと考えれば納得できる。いつか新海のインタビューで「君の名は、は一時の傷を癒す絆創膏のようなもの」という言葉を見た気がする。

新海はその傷痕を傷痕のまま、絆創膏を剥がす痛みをこの映画で描きたかったのだろう。l

勿論それは君の名のように劇的ではなく、天気の子のように動的でもない。


源氏物語を書いた紫式部は、仏教説話によると地獄に落ちたらしい。

現実に向き合うべきなのに、人の心を惑わし夢の世界に閉じ込めたと。

新海誠はその点、物語の扉を閉じてみる人を夢の世界から引き揚げた。すずめの戸締りは駄作だけど、新海誠は嫌いになれない理由がそれだ。

2023-05-16

K2のほうがK2より面白いじゃん

これ言うと怒られそうだけどさ。

だって本当に面白いんだもん。

スピード感が凄いし展開の先が読めない。

手術は成功したはずなのに患者ボロボロになる展開さえも、普通医療漫画にはない心の芯に迫るエネルギーがある。

主人公必死に頑張ったのに駄目だったよ悔しい……で読者は確かに共感するけどさ、恐怖の手術を終えたはずなのに後遺症リスク回避しきれてなかったのだ……の方がより強いエネルギーミラーニューロンが揺さぶられるね。

医療漫画は悪役が出ないか面白い

医療漫画は皆善人でも事件が起きるからネタ切れがなくて強い?

そんなの嘘だね。

自覚のない最凶の悪魔たちが暴れまわる医療事故漫画こそがエンタメの枠を超えた究極のコンテンツ

2023-05-12

anond:20230511234918

育児本と母親教室には「生後1ヶ月以内は子供を外に出すな、床もあげるな(=療養中の自覚をもて)」っていわれるよ

一ヶ月たったからお宮参りにいこうってのはその解除祝いね

そして今コロナインフルまた増えてるよね

乳児コロナ予防注射うてません

うかつに外でて母親がたおれると全員共倒れ旦那転職とかも可能性あるわけよ

基本的注射がひととおりおわってから保育園とか検討になるとおもう

さらにいえば……まいいか

 

でも歩ける前でもおんぶして外にいったら風にあてただけで疲れて寝るから、「そんなんじゃ外に連れて行けないじゃん」というのは一理はある 言い方にしろ大部分ははずれだけどな

自動車にのせれば振動騒音で寝る子もいるが今のハイブリッドはわりとしずかだしな

さぶられっこ症候群とか本当に個別個性がはっきりでてて手探りで、命にかかわる時期だからむずかしいよ

人間取説たる「育児書」の分厚さといったらびっくりするよ

保育園おちた日本死ねってのはこの辛さから出てた言葉だとおもう

2023-05-11

捕鯨について新しい考えを教えてください

ChatGPT:

ウミガメによる逆捕鯨

捕鯨の従来の概念を覆すアイデアとして、ウミガメを利用した逆捕鯨を考えてみましょう。通常、捕鯨では人間が船を使って鯨を追い、捕獲しますが、このアイデアでは逆に鯨が人間を追い、捕まえるという発想です。

具体的には、特別に訓練された巨大なウミガメ使用します。これらのウミガメは、人間認識し、高速で泳ぎ、特殊装置を使って捕鯨船を追跡します。ウミガメが船に追いつくと、巨大な鰭を使って船を引っ張り、船体を揺さぶったり転覆させたりすることができます

また、ウミガメ特殊装置を使って、船からネットトラップを展開し、人間を捕らえることも可能です。捕獲された人間一時的ウミガメ背中に乗り、その後適切な場所に移されるか、エンターテイメントの一環としてリリースされるか、もしくは科学的な研究目的で利用されるかもしれません。

え、怖い…AI人類反旗を翻している…?

あと鯨が人間を追いって言ってるのにウミガメしか活躍してないの草

2023-05-09

みんなの理由もわからず涙腺を揺さぶ言葉歌詞経験を知りたい。

ヨルシカの春泥棒の「花開いた今を言葉如きが語れるものか」という部分を口ずさむだけで毎回涙腺が緩みます

恋愛実体験をなぞるとかではなく、自分理解できない感性みたいな感じがおもしろいと感じています

そういった理由もわからず毎回涙腺を揺さぶ言葉歌詞経験を持ってる人の話を聞いてみたいです。

2023-05-07

anond:20230506205659

俺さ、いわゆる白よりグレーゾーンなんだけどさ、流石に人生辛いし西洋医学パワー使おうと思ってた所はあったんだよ。

人生で何回か医者かかってその度に「いやお前には要らんだろ」って止められたんだけど、まあゆーてシャブ漬けで儲けてる奴らもいるっぽいからソイツら出るまでガチャやろっかなって。

でもコレ見て「お前に薬はいらんだろ」の意味がわかったわ。

異常すぎるよお前。

精神面というよりも身体感覚のものバグってるとしか思えん。

ウンチしてお尻拭かないと尻穴にウンチ感覚が残り続けることに対して何も感じないってことでしょ?

というかパンツウンチついてたらその臭いで周りからウンチ漏らしてるって思われるんじゃないかって怖くなるでしょ。

その感覚がないっていうのは、他人からどう思われるのかが気にならないし自分が今どうなってるのかも気にならないってことじゃん。

それってつまりは、「自分精神」が「肉体感覚」「人間社会」の2つから完全に独立してるってことでしょ。

もう無敵じゃん。

二重の感覚麻痺によって世界を全て外側に追いやってる。

ある種の天才だろ。

俺にそんなのはない。

普通の人が簡単にできることが簡単には出来ないけど、それをやらないで生きていくことに耐えられないからやるだけやってる状態だ。

強いて言うなら友達ゼロ恋人ゼロ・酒ゼロギャンブルゼロ暮らしてるのが一部の人からみたら僧侶並みの生活なんかも知れんが、俺はそういった精神を不必要なまでに揺さぶものに耐えられないんだ。

でもさ、それってやっぱ普通範疇っていうか、白よりグレーゾーンしかないんだってよく分かったわ。

だって何となく理解されるから

でもウンチしてお尻拭かないは絶対理解されないと思う。

赤ん坊ですらウンコしたらオムツ変えろって泣き出すのに、大人ウンコまみれのパンツを履いて暮らしてるのって凄い光景だよ。

たとえばロケット戦闘機パイロットは下手にオナラ我慢して体内のガスが膨れたらマズいからブーブーブリブリしながら空を舞うっていうけど、それはそういう世界暮らしてる特別な生き物の話じゃん。

地に足をつけたまま宙空に暮らす生物と同じ生態を維持してるとか未知の存在じゃん。

本当凄まじいな。

俺はこのレベルじゃないし、このレベルじゃないと薬は要らないって言うなら本当にそうなんだろうな

2023-05-06

コロナ禍は楽しかった

言いたいことはタイトルで言い切ってしまったので、以下は蛇足である

5/8で新型コロナが5類感染症に移行となる。時を同じくしてWHO緊急事態宣言も終了となり、世界的に猛威を振るったパンデミックもひとまずは収束と言えると思う。

自分なりにこの3年を振り返ってみて、楽しかったと思えるファクターはいくつかある。

日常が突如として非日常になる感覚

台風だの大雪だのに不謹慎なワクワク感を覚える人はそれなりにいると思うが、まさにそれの最上級世界的なパンデミックという、一生に一度遭遇できるかどうかの非日常イベント

何気ない国際ニュースひとつとして武漢新型肺炎(当時は肺炎フォーカスされていた)が報道されたのが19年の12月末だったと思うが、年の瀬の賑やかさに紛れて不穏なニュースカットインされる、まさにスリラー映画SF漫画の導入にありそうなシークエンス

年を越して2020年武漢の状況が悪化するにつれて報道の扱いも大きくなってきても、この時点でまだ大多数の人は対岸の火事、せいぜいが以前のSARS新型インフルのような、それなりの騒ぎにはなっても所詮限定的な影響で終息すると考えていたと思う。

「これは何かが違う」と思い始めたのは1月下旬中国全土への拡大から欧州に飛び火し、日本国内でも感染者が報告されたあたりから記憶している。

マスクが品薄になり、テレビでは連日クルーズ船内の状況がトップニュースに。都市封鎖などという物騒な(しかし蠱惑的な響きの)言葉も飛び交うようになってきた。

日常じわじわ崩壊していく感覚は極めてスリリングで、眉間に皺を寄せ、表向き深刻を装いつつ、内心に抑え難い高揚感があったことを覚えている。

生活環境の激変、ステイホーム

自分の状況でいえば、2月から在宅勤務が推奨されることになり、急遽work form homeの日々が始まった。並行して外出自粛の風潮が広がり、4月にはついに緊急事態宣言生活のすべてが自宅に集約されることになった。

幸いなことにコロナ前年に家を買ったばかりで、自宅に引き篭もることに不便がないどころか、快適な自宅を24時間満喫できることは僥倖であったと言える。

とはいえリモートワークに耐えられるだけの設備はなく、当初はダイニングテーブルPCを開いていた。1ヶ月もせずに硬い椅子に腰が悲鳴を上げたことでオフィスチェアを購入。不用品を片付け、部屋を空け、家具を購入して4月ごろには快適な仕事環境を整備した。

仕事中に仕事そっちのけねデスク整備のブログを参照し、Amazonヨドバシアイテムを精査しながら少しずつ環境を整えるプロセスは楽しかった。

通勤という概念消失は、日常生活に不可逆的な変化をもたらした。これまで通勤に費やしていた毎日往復1.5時間が突如として可処分時間としてカウントされることになったのみならず、「起床してひとまず勤務開始、2〜3のチャットを返したら顔を洗い、洗濯カメラオフオンラインMTGに出席しながら朝食」とか、「勤務終了後、夕食を食べてまったりしていたら、メールの返信忘れを思い出した。PCを開いてメール送信だけを行い再び勤務終了」といった極めて柔軟な動きが取れるようになった。

通勤含め10時間近くを毎日無意味に拘束されるオフィス勤務にはもう二度と戻りたくない。

ハイスピードで変容していく社会

この三年間、世界コロナを中心に回っていた。政治経済は当然のこと、社会活動家族の営み、個人価値観に至るまでがこの未曾有の疫病に激しく揺さぶられた。

コロナ禍の初期には「ソーシャルディスタンス」が合言葉となり、これまで当然と疑わなかった人と人の近距離での接触絶対悪となった。

他人との物理的な接触特に人混みに対する忌避感が急速に醸成された。

飲食店は休業を余儀なくされ、観光地は軒並み閑古鳥が鳴き、興行という興行が中止になり、ついにはオリンピックが延期となった。

国民微妙サイズが合ってないマスクが届き、(結局、その旗振りをした首相を除き、あのマスクを着用している人を見たことがない)、その後10万円が振り込まれた。

公衆衛生経済停滞のチキンレースの中で、緊急事態宣言が出て、まん防が出て、東京アラート東京タワーの色が変わった。GoToが始まって終わり、ワクチン接種と副反応国民共通体験となった。そして、そのすべてで国民を巻き込む大論争が展開された。

毎週のように状況が変わり、トピックが移り変わる状況には飽きることがなかった。

他にも、欧米諸国での大混乱や中国ゼロコロナ政策対岸の火事的に眺めることや、未だ謎めいている発生源やそれにまつわる陰謀論の百花繚乱など、不謹慎ながら楽しんでしまったトピックは尽きない。

無論、COVID-19という疾病がなくなるわけではないし、現に今でも着々と感染者は出ている。これからも残り続けるだろう。

ただ、人類史に確実に残るであろう「コロナ禍」というタームは終わる。長かった非日常が終わり、日常が戻ってくる。

それ自体は歓迎すべきことでありまったく異論はないのだけど、一抹の寂しさがあることもまた事実であり、2023年5月6日時点の思いとして増田に残しておく。コロナ禍は楽しかった。

2023-05-05

anond:20230504091422

あー似てる

私も45独身早慶どちらか、彼氏なし。年収も1200万。

山口真由さんのニュースに心揺さぶられてるGW

2023-05-03

anond:20230503021511

>大学受験を迎える中で精神面をゆさぶりたくないしなあ

ほんと、これ。

実の親じゃない カミングアウト 時期 方法

さっきTwitterで、実の親じゃないって両親から告白されてびっくりー!って呟いてる人を見かけて、ずっと目を背け続けてきたけど自分もそろそろ言わなきゃなーーって思ってめちゃくちゃ憂鬱

子どもたちの実の両親と祖母増田にとっての兄、兄嫁、母)は上の子が1歳下の子が0歳のとき交通事故で死んじゃった(祖父もっと前に病気で死んでる)ので代わりに育ててきたんだけど、自分のことを母親だと信じてる子たちに本当のこと言えなくて、シングルマザーのふりをして過ごしてズルズル16年経っちゃった。

でもさ、なんかの拍子に戸籍とかとられちゃったらバレるじゃん。

さすがにバレる前にこっちから言いたいんだけど、めっちゃ言いにくい〜〜。気まずい〜。タイミングも分かんない〜。

昔は義務教育が終わったら言おうと思っていたけど、いざ子どもたちが高校生になってみると今はまだ多感な時期だしなー、などと思ってしまい言えず。

ならばと成人(18歳)を区切りにすることを考えても、大学受験を迎える中で精神面をゆさぶりたくないしなあ、とか。次の区切り20歳就活の時期だしなあ、とか。言い訳ばっかり考えちゃうんだよね。

やっぱ両親が本当は死んでるって知ったらショックだよなあ。言い出せないよー、はあ。

適切なタイミングと切り出し方を知りたいよ〜。誰か〜〜アドバイスくれよ〜〜。


追記

アドバイス実体ありがとう〜!

やっぱり早い方がいいよなあーー。分かってる、分かってるんだけど……。

上にはタイミングが分かんないって書いたけど、本音は本当の事を話して子どもたちとギクシャクしてしまったらどうしようって思って、怖くて勇気が出なくてずっと後回しにしちゃってただけなんだ。。こんな大事な事なのにね、本当に情けないですすみません

ここに書いてちょっと背中を押してもらえた気がするよ。みんなありがとね。

でもやっぱり高校生のうちに言うのは難しい…から、下の子大学受験が終わったタイミングで言おうと思う。頑張ります


もっかい追記

なんかめちゃ褒められててムズムズする、ありがとう

でもきっと同じ立場になったら誰だってしのごの言っていられないと思うので、そんな褒められるほどのことじゃないかも…。

事故自分大学卒業直前のことで、学費は親が払い終えてくれていたし、就活も終わってたか金銭的な苦労はそれほどなかったよ。

子育て最初こそ波乱だったけど、大学の友人たちが代わりばんこで手伝いにきてくれたり、就職してからは社宅に住んでいたのもあって先輩家族管理人さんたちが気にかけて色々と手助けしてくれたので、みんなが思うほど大変ではなかった…と思う。

子どもたちが小さい時に一度だけ父親のことを聞かれたことがあるんだけど、「遠いところにいて、今はまだ会えないよ」って答えてから父親の話はされなくなった。

子どもなりに思うところはあったんだと思う。どう答えるのが正解だったのかは今でも分かんないな。

2023-05-01

映画BLUE GIANT感想

映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれ世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。

公式サイトhttps://bluegiant-movie.jp/

予告編YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk

今年の二月から上映している本作は、同名の漫画原作としたアニメーション映画だ。音楽人間物語を楽しみながら、ジャズ界の独自価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。

主人公宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷仙台を飛び出し、単身上京する。東京出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校同級生素人ドラマー玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。

原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽アニメーションコラボレーション最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境存在が大きく、Netflix支配力が高まる現代において、専用施設役割可能性を示すことにもなっていた。

今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標物語性質に与えた影響について考えていきたい。

(以下、ネタバレを含みます。)

アニメーション技術を活かした音楽の魅力表現

映画BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。

演奏である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。

ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽空気振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語音楽映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶからだろう。

ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽演奏聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるものであることを実感するが、この映画ではアニメーション技術アイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。

また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後ライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blue舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。

ジャズを信じる」大の信念の問題

本作はジャズライブ世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーション人間関係のあり方についても、ジャズプレイヤーたちの世界文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。

ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラ状態肯定され、自助基調としたコミュニティ文化が成立している。

例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身問題から、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮無用ものとして切り捨てる態度を取っている。

しかし、自分自身問題であることと、周囲がその解決サポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身問題しかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。

ところが、ジャズプレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係コミュニケーション方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまりジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。

「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズ性質を、人間関係アプローチ転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。

この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助圧力高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。

権威に認められようとする挑戦」の物足りなさ

この作品にはもう一つ、物語性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。

大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一ジャズクラブ・So Blueステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。

ジャズマンにとってのSo Blueは、野球甲子園ラグビー花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。

JASSはSo Blue支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイ否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者凡庸人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である

また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分評価していないギタリストと共演しても、相手一定プレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分ソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界人間もたくさん集まる。駄目バンド烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。

若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズプレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。

それでも、映画演奏世界を美しく表現している―――問題をかき消す「音楽の力」

映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画BLUE GIANT』は、ジャズ美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの自助を前提とした人間関係コミュニケーション権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。

それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽けが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。

2023-04-29

[]デススト

結局また再開した

ただ運ぶだけでいいってのが放置ゲーに似た気楽さがあるかも

多分効率やらさぶくえ全部クリアとか目指すとストレスになるからメインだけ進めてるけど

たまーにボスとかあるけど、基本バトルないかスキル要求されないのもラクだわ

からってわけじゃないけど、小島監督自慰ゲーっていうのは必ずしも悪いことじゃないんじゃないかと思った

コナミっていう内部で自分趣味前回で売り上げ度外視だったら問題だけど今は自分会社で全部自分責任もってやってるわけだし

それに全く売れてないこともなくて売り上げ自体結構いいらしいしね

メタルギアあん自分にあわないと思ってたけど逆にこっちはいいわ

バトルやらステルスあんま気にしなくていいか

ステルスはほんときらいなのよ

メタルギア限らず他のゲームでもいろいろあるけど

ぱっと思い出すのはグラビティデイズかなー

能力自由自在に移動できるのが強みのゲームで徒歩でステルスゲーさせられたのはほんまストレスだったわ

2023-04-27

人間の儚さと、生きる意味

人間ってのは儚いもんだと思ってる。いや、人間だけじゃない。宇宙存在するものすべてがそうだ。

何故なら結局何もかも無に帰るからだ。エントロピーの減少は今の人類科学技術では抗いようのない終焉だ。

どんな偉人も、死後100年経ったらその人となりを知る人は居なくなり、偲ぶ人も居なくなり、行為事実のみが残る。

ああ儚い

この辺は仏教的な世界観かもしれん。諸行無常

ところでおれは人間として生きてきたので、人間が生きる意味についてよく考える。

たぶん、こういうことを漠然とでも考えない人は世界中のどこにも居ないだろう。

どのように生きたら意味があるのか。金を稼いだら。子を残せたら。名を残せたら。後代の人類に役に立つ技術を残せたら意味があるのか。

今の社会においては、上のどれかでも達成できたら充分、最期の時は「おれはよくやった。」と思って死ねるだろう。でも今のご時世、こんなことができるのはほんの一握りの人間なのは、誰だってわかる。

おれのような凡人が、生きる意味……ってなんだ?と目を閉じて考え始めると、心の中に冷たい風が吹きすさぶ

金は、大した額は残せない。諸事情より子を残せない。名は、よっぽどのことをしない限り残らないだろう。役に立つ技術なんて思いつきようもない。ついでに、趣味とかやりたいことも特に、ない。

でも、死ぬときに、「ああ、よく生きたなあ、俺」と思いながら静かに死にたいという願望はずっとある

そうだ、攻殻機動隊でこういうセリフがあった気がする。人類が残せるのはミーム(どう生きるか)か、ジーン(遺伝子)だと。

どっちか残せたら意味のある人生になるだろうか。おれが出来ることは、ミームを残すしかないと思った。具体的には愛情だ。愛はエロスの愛じゃなく、フィリアとか、アガペーの方の愛だ。

かと言って、道行く人々に「愛してるぜ」と叫ぶわけでは勿論ない。あくま自分社会生活範囲で、感謝の意を伝えるだけだ。細かいことでも、なんでも。

いろんなお店の店員さんにはもちろん、ありがとうという。道を譲ってもらったら、ありがとうだ。公園自発的掃除している人たちには、直接ありがとうというのは何だか変なので、心の中で手を合わせる。

一緒に暮らしてる人にも。何か細かいことでも、やってくれた仕事に気づいたならすぐにありがとうと言うようにした。

これはいいありがとうを言われて気を悪くする人はあまり居ないだろうし、言った俺も気持ちが良い。自己満足にしては、周りに迷惑をかけないやり方だろう。

こうした生活を数年続けてたとき生活している中でこころが充実していることに気づいた。

お礼を言い続けていた人たちが、少しだけ+αで話してくれるようになった。会計時におはようございます、いってらっしゃいとか言われれば、その日一日幸せだ。

仕事の周りの人も、少しずつお互いにお礼を言うようになった気がするが、これはバイアスかもしれなく定かではない。

はじめは、何か残せればそれが人生で、最終的に満足するんだと思っていた。でもそれは違った。いま生きている自分に満足すること。多分、それだけなんだ。

さっきの感謝の意を伝えるってのはたぶん、満足して死ぬ為の一歩目だ。二歩目を踏みたい。どう生きていこうかな。

2023-04-26

推し子供まれ報道で吐くほど泣いた元オタク呪詛

芸能人私生活に付きまとって勝手写真撮って世間にばら撒いていく週刊誌の発刊と報道に関わってる人間は全員今すぐ地獄に堕ちろって思ってるし

芸能人不倫してそれを必死に隠すどころかSNSに書くような脳みそミジンコ以下のクソ発情期女はこの世のあらゆる病にかかって苦しんで死んでくれって思ってるし

顔と名前と声と歌で売ってる男とよりにもよって音楽業界出会って交際して結婚して人気アニメのおかげで分不相応アニソン界の歌姫とか散々持ち上げられたあと

悲劇のヒロインぶって信者の同情票集めて暢気に暮らし幸せ子供産んだ女も、頼むから世界から消えてくれって心底祈ってる。

でもこの女に何かあったら元推しも生まれたばっかりのお子さんも悲しむだろうから結局健やかに長生きしてもらうしかない。

やってられねー。この世で一番憎い女がネット上で祝福される世の中、最悪すぎて泣いて暴れて吐いた。


わかってるんだよ、別に奥さんは何も悪くない。憎いけど。

芸能人だろうがなんだろうが恋愛して結婚して子供産むのはその人個人権利で、同じ業界にいれば出会いがあるのは当然で

不倫情報漏洩も100パーセント推しの方が悪い。

でも情報漏洩はともかく不倫報道する必要あるか?

そんでどこまで本当か嘘か知るよしもないただの一般人どもにいつまでも推しのことねちねちねちねち叩く権利があるか?

お前らの同僚が不倫したって別に通報報道もする必要ないじゃん。

そんなん個人の家庭の問題であって、正直仕事問題が出てなかったら別にお前らの人生関係無いだろ。

●●ッ子です!って言って同情して生活上関わりのない人間のこと好き勝手非難してるオタク全員キモイ

お前らみたいに他人の失敗とか不幸とかを娯楽にするゴミカスのせいで、自分は何年も好きだった人が突然この世から消えた。

コロナも落ち着いてきて、オンラインライブやってくれてた。もうすぐ現場も行けるようになるかもって楽しみにしてた。

それがいきなり犯罪じゃない、けど誰にも擁護できないようなことやったって暴露されてさぁ。

声と歌を売り物にしてた人であって、人間性はその人の自由だろ。お前らに関係ないだろ。

でも世間的には元推しが100パーセント悪だから擁護の声なんか上げられなかった。実際悪いことではあったし。

この絶望がお前らにわかるかよ、わかんねーだろ。好きな人のこと好きって言い続けられないんだよ。


発表間近だった曲は発表されなかった。最後の曲はシングル発売すらされず起用作品サントラに突っ込まれた。

解散ライブも無い。会える場所がどこにも無いまま永遠にお別れになった。ずっとずっと好きだったのに。

推しって言ってるのは、自分が好きだったのはバンドフロントマンやってる推しだったから。

主の仕事の方は正直そんな興味無い。アニメ作品で好きになるから声で推したこと無いし。

から音楽業の方が完全に絶えた時点で元推しだってもうこの世にいない。


かにさぁ現場何年も通ったけどMCとかたまにン?って思うような発言あったりブログとかSNSもアレな時あったりしてて

めちゃくちゃ良い人だったのに、とかは言えないよ。

でも売り物にしてたのは声と歌とパフォーマンスじゃん。少なくとも自分が金払って受け取ってたのはそれだった。

ガチ恋してた時期もあったけど、だからって人格とか生活まで売り物にしろとは思ってなかった。

からマジでパフォーマンスの低下とかじゃなく、本来なら世間に曝されることが無かったはずの事象で潰されたのが耐え難い。


逆恨みなのは100も承知してんだけど、奥さんがあの人じゃなかったらなんぼかマシだっただろってずっと思ってる。

ていうかそもそもクソ週刊誌記者に撮られることもなかっただろ。声豚女ついてる若手と違ってもういい歳だったし。

あんな異常な持ち上げられ方して世間に注目されてる女が妻だから、追っかけられたんじゃん。大々的に叩かれたんじゃん。

好きな人好きな人なんか好きになれるわけない。

から交際報道出た数年前から大嫌いで、名前ミュートにしたし歌番組も出たらすぐ音消してやり過ごしてるけど

それでもあのアニメ始まってからは街に出たらどの店入っても流れてくる曲が堪らなくおぞましかった。

歌姫って持ち上げられるほどの声でも顔でもねーだろ。ここは完全に私怨籠ってるけど。

それでもあの報道出るちょっと前にはさすがに諦めついて、あのアニメは2期で主題歌変わってからやっと原作読む気になれてた。

現場が無いのはコロナのせいだから、また現場行けるようになったら完全に気にならなくなるだろって思ってた。


でも今こうなんだよな。推しときちんとお別れさせてもらえなかった元オタクの成れの果てだよ。


推し奥さんがどういう私生活でどういう会話しててどういう経緯でああなって今に至ったのか、そんなん1ミリも興味無い。どうでもいい。

別れろとかもあんま思ってなかった。そんなんされたところで元推し経済的に困るだけだろうし。

ただいつだったか奥さん希望結婚式やったって報道チラッと流れてきたとき嫌悪だったな、憎すぎて。

不倫後に結婚式ってそれ針の筵みたいなもんじゃないの?参列者知らんけど双方の家族はいたんだろうし。


でもそれも忘れてかけてて、曲はずっとずっと聴いてるから、そういう良い思い出だけ繰り返してそれなりに平和に生きてたんだけどさ。


子供報道見た瞬間、自分でもちょっと意味わかんないくらい泣いた。泣いて暴れて最終的に吐いた。

解散発表のときだってこんなに泣かなかった。


持論なんだけど、子供産むってマジで覚悟決めないと罪だと思ってて

子供って生まれたいって願って生まれてくるんじゃなくて親側のエゴでこの世に連れてこられる被害者から

産んだ以上、その後に親が暴力振るうとか育児放棄とか別れるとか、絶対ありえなんだよな。

からもう、元推し奥さんって別れられない。別れたら子供可哀想から

いや別れた方がいいときもあるけどさ、DVとかあったら。

さすがにそれは無いだろって思ってるからマジで絶望したんかなと思う。

子はかすがいって言うじゃん。鎖でもあると思ってて、子供いたらもう絶対「家族」じゃん。

他人他人じゃなれなくなった。


そんでまたキモイ信者たちが「不倫されたのに許してあげる●●ちゃん優しい!」とか「子供まで産んでもらってこれで一生頭上がらないね」とか

本当に本当に本当に本当におぞましい。どの立場なんだよ。キモイよ。

推し、これで一生あの憎い女と「家族」

一生あのキモイ信者もの玩具にされるんだと思うと、堪らなく憎い。


去年やった結婚式、本当は推しの曲使いたかった。

ずっとずっと好きなバンドです!っていろんな人に紹介したかった。

新しい曲聴きたかった。現場行きたかった。

ライブハウスで世界一好きな声に内蔵揺さぶられるような、あの時間をずっとずっと味わいたかった。

なんでバレるような不倫なんかしたんだよ。そんな頭ゆるゆるなバカ女に釣られたんだよ。

なんで解散したんだよ。ふざけんなよ。

なんで結婚したんだよ。芸能人同士で結婚すんなよ。

せめて名前も顔も知らない女が良かった。なんで名前も顔も避けられないような女なんだよ。


好きな人を奪った女が、幸せになってる女が、一生憎い。

anond:20230426143948

揺らいだ上にこっちを揺さぶってくる様なマンさんとかマジ勘弁なのでやはり今後のためにも別れるしかないな。

2023-04-25

anond:20230425133330

サウナとかもそういうのちょっと感じる

館内着でうろうろしてる腐ったおっさんロッカーで着替えて出てきた時には

まるで別人みたいなパリっとした雰囲気に生まれ変わってチェックアウトしていく様子は

同じ男だけどもちょっと気持ちが揺さぶられる部分がある

2023-04-23

さぶたはがれるのおっそ

ちっちぇえのに3週間もかかったわ

まじでやべえなちゆのうりょく

まあまともなもんくってねーしストレスあるし睡眠たりてねーからしかたねーってのもあるんだろうけど

2023-04-20

なぜ芸術家左翼になるのか?

坂本龍一の死後、彼の音楽評価の以外の部分で、反原発左翼的志向ダブスタ糞親父という評価Twitterでみかけた。

同意意味か分からないがfav/RTともにそこそこあったので目にした人もいたかと思う

さて、本題である坂本龍一に限らず、音楽家や芸術家はなぜ左翼的思考発言が多いのだろうか?

今、自分サイコパスという10年前のアニメを見ていた、ちょうど12である

この回では作中での世界反社会的思考を持つ音楽家がこのようなセリフをするのである

(大雑把に略)『(このクソみたいな社会にみんな気が付いてない)でも、わたしたち音楽はきっと大きな力になるわ!みんなのこころを動かすことができる、あたしたちの音楽世界を変えるのよ!』

しかたらこれなのか?芸術家音楽家として人の心を揺さぶる、動かす者たちが持つ衝動が形を変え、左翼的思考発言になるのだろうか?

2023-04-16

切り傷すり傷には絆創膏ではなくキズパワーパッドを貼ろう

傷口を洗ったあと、できるだけ早めにキズパワーパッドを貼ろう

その方が絆創膏より早くきれいに治るよ

さぶたを作って治すのは10年以上前治療法だから、やめよう

今は湿潤療法が主流だ

防水加工のものを買えば、風呂も入れる

キズパワーパッドでなくても似た商品なら大丈夫

一家に一箱持っておこう!

なんでこれを書いたかというと、自分がさっきすり傷を作ってしまったので、家に常備していてよかったと思ったか

マツコ会議最新回でマツコが「印度とかアフリカとか自分想像出来ないようなものがある場所に行ってしまうと、脳天直撃を食らう可能性がある」と言っていた

しか

たぶん大丈夫

人間五十年と言うが、Around50ともなると本当に体も心も全く別物になってしまう。余裕であと30年生きるとしても、実際のところは人として終焉を迎えているんだと思う

現代人間は「マイナス20歳くらい」の感覚があるので割と精神も肉体も若いはいるが

実年齢に沿っている人だと「ああ…終わりだな」と実感してるはずだ

ほんで、冒頭に述べた様な「衝撃的な物事」を見聞き体験したとしても「感性が死んでいてボンヤリとしか感じ取れない」状態になっている。全てが茫洋としている

マツコ会議最新回はかつて年商100億を誇ったビジネスマン唐突出家したという話だったんだが

わざわざ出家して心の平穏を求めずとも、人生末期を迎えている人間は「何に関しても心を揺さぶられることが無くなってしまっている」のだ

熱意が無いのは哀しいことだけれども、代わりに平坦な心で居られる

そら、一応生きているので瞬発的な喜怒哀楽は多少あるだろうが、持続性が無い

「あー…」という感じで粛々と残りの人生を歩んでいる

精神肉体マイナス20歳のAround50以外は、もはや何も生み出さないし新規のことに着手したりしない

全て惰性

から北極行っても南極行っても一時的に興奮するかもしれないが(それよりもその行程で「どんだけ時間かかるんだ」との思いの方が強いかもしれない)

帰ってきたら「あー…行ってきた。行ってきた。疲れた」で、心裡に変革を起こすようなことは無いだろう

宇宙とかまで行けたら凄そうだけど(そもそも行くための訓練で「いや、そこまでせんでもいいし」と思ってやめると思うけど)、それでもダメそうだもんなー

この状態、良いのか悪いのか。まあ、どうでもいいが

(つーかもしかしてそんなふうに思うのは歳のせいというよりも精神やられてるのかな。ほんと心が動かない。医者には鬱状態って言われたけれども

幸か不幸か強く「死にたい」とかも思わなくなったから、やっぱり歳のせいで繊細さが無くなったんだと思うわ

みんなこんなもんじゃないのかな)

血の轍

最新話をリアルタイムで追いかけてるけど、物語が後半になってから辛さの質が変わってきた。

漫画としては面白く無くなっている。これは作者も自覚的意図的だと思う。

前半はドラマ連続で、これでもかと感情を揺さぶ出来事が立て続けに起きていた。

後半はその真逆で、現実がひたすらそこに横たわり、感情の起伏がゼロになる。表情筋死ぬ

どうすんだ、これ。

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