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2021-05-05

鼻の傷が治らない

冬にホテルに泊まる用事があったのだが、乾燥で鼻の中が切れた。それ以来、ずっとじわじわ血が出る。

去年もあったのでもうこれは治りきるまで鼻をかまないようにしないと治らないのかもしれない。でも鼻の中に固まりがあると気になる…そもそも何ヶ月も鼻をかまないなんてことが可能なのだろうか。

ずっとすごいにおいがする。なぜか口の中がオロナイン味になる。できれば避けたいが去年はこれで一発で治った

最終手段に頼らないならこれが一番なのだろう。でもも乾燥はしていないから、新たに乾燥を防ぐ必要は無さそうだ。買ったものの躊躇している

  • 鼻をかまない

二日までは我慢できた。もう大丈夫かと思ったが、鼻をかむと血がついてくる。その後も固まりが生じる

  • さぶたをそっと取り除く

耐え難いものを感じながら指を突っ込んだり、綿棒で取り除いたりした。しかしどれだけ慎重に行っても、粘膜を傷つけずに取り出すのは難しいようだ

オロナイン塗りは今年二回目を実行したところだが、なんか駄目そうな気がする。象印加湿器って販売いつからっすか…もうだいぶ湿気の多い時期なのになんで治らないんだ…

2021-05-04

母をコロナで亡くした

去年の年末に、大阪市内暮らしていた母が突然倒れた。原因はコロナだった。

母が倒れてから亡くなるまでの経過を、当時つけていた自分日記から転載していく。

日記の部分は長いので、時間のない方は最後の所感だけでも目を通してほしい。)


============


2020/12/17(木)

夕方17時頃、仕事中だった。叔母から私の携帯に連絡があり、実家で母が倒れたということを知らされる。

この時点で、電話からは「母はコロナ感染していて、心肺停止状態だ。救急搬送されて今は病院にいる。」という情報が耳に入ってきた。

いきなりだったので何のことか理解が追いつかずにうろたえていると、とりあえず搬送先の病院に連絡してほしいと言われる。

母がコロナ感染しているということもショックだったが、心肺停止ってどういうことだ?感染が判明して、いきなり重症化したってこと?

とりあえず病院電話をかけると、担当医師から、母の現在状態説明するのですぐに病院まで来てほしいと言われる。

慌てて職場を飛び出して病院にかけつけた。母はコロナ感染の疑いがあるということで、面会は禁止されていた。

遅れて病院にかけつけてきた姉と共に、ICUの前で医師から説明を受ける。

今日のお昼前に、実家で母が突然倒れた。側にいた父が気づいて、すぐに救急要請し、救急隊員がかけつけてくれた。

その時点ですでに心肺停止状態だったので、病院まで搬送される間に心臓マッサージ等の蘇生処置が取られた。

すると、止まっていた心臓が動き出した。その状態病院ICUに運び込まれた。

精密検査をしてみると、膝に血栓ができていることがわかり、それが肺に飛んで、肺がつまって呼吸ができなくなり、それに伴い心臓も停止したらしい。

現在意識はなく、心臓を動かす薬を最大限に投入して、さら心臓を動かす装置を取り付けて、無理やり動かしている状態だという。

蘇生処置の時に折れた肋骨が肺に突き刺さっていて、身体に大きなダメージが出ている。

心肺停止中に脳に酸素が届いていない時間が長かった為、脳にも大きなダメージが出ている可能性が高い。

今夜間か翌日中には、また心停止する可能性が高く、そうなったときにはおそらくもう助からないとはっきり言われた。

コロナ検査も行われていて、2種類ある検査の内の1つ目では陽性と判定が出ている。もう1つの検査で陽性と出れば確定らしいのだが、それは明日に結果が出るとのこと。

そしてここで、医師から重要決断を迫られることになる。

次に心停止した場合には、心臓マッサージ等の蘇生処置を取るかどうか確認されたのだ。

姉と二人でしばらく悩んだが、心停止した場合には、もう蘇生処置は取らずに自然に任せてくださいと回答した。しんどい

コロナ陽性の疑いがあるので母とは面会することはできないのだが、看護師さんのご厚意でリモートで面会させてもらえることになった。

姉のスマホと私のスマホラインビデオ通話でつなげておき、その状態看護師さんが防護服を着て、母の病室に姉のスマホを持ち込んでもらい、私のスマホから母の様子を見せてもらったり、話しかけたりさせてもらえた。

母の意識はないし、当然反応もないのだが、様子は大体わかった。口に管をつながれてつらそうな感じだった。気の毒で涙が出そうになる。

その後は、ICUの前で待機することもできないので、一旦帰宅することにする。

看護師さんから、次に病院から連絡をもらうタイミングをいつにするか確認された。母が心停止した時に連絡してもらうことにする。しんどい

しんどい決断ばかり次々と求められる。

帰り道のタクシーの中で姉と少し話をしたのだが、どうもよくわからない。

同居していた父から少し話を聞いた感じでは、母は一週間くらい前から喉が痛かったり咳が出たりして、具合が悪そうだったらしい。

母は今年で73歳。基礎疾患などはなく、最近まで健康のものだった。

コロナ感染すると、風邪に似た症状が続いて、その後いきなり重症化するというのは知識としてあったが、膝の血栓が肺に飛ぶとはどういうことなのだろう。コロナと何の関係があるのだろうか。血栓ができやすくなるというのは聞いたことがあるような気がするが、それのことなのだろうか。

コロナ 血栓」でネット検索して色々調べると、やはり血栓ができる可能性が高くなることが最近わかってきつつあるというニュース記事トップにあがっていた。


2020/12/18(金)

から仕事に行く。急ぎの仕事を手っ取り早く片付けておく。

日中いつでも病院からの呼び出しに応じれるように身構えていたが、結局連絡はなかった。

一日ハラハラして気がかりで落ち着かない。

気を抜くと涙が出てくるので、気持ちを抑え込むのに精一杯だった。

まり頭が回っていないので、頭を使わない単純作業を中心にこなしていた。

昼過ぎに姉から連絡があって、母のコロナの残りの検査の結果がわかった。母はコロナ陽性で確定らしい。

同時に、同居していた父が濃厚接触者になってしまうとのことで、思わず頭を抱えてしまった。

母だけではなく、父まで感染したとなっては目も当てられない。


2020/12/19(土)

保健所から実家に連絡があって、父のPCR検査の日程が決まったらしい。次の月曜日だ。

もし陽性だったらどうしようと思いながらも、その可能性は高そうだと覚悟を決める。

とりあえず、保健所から要請で、当面は父は自宅から外出することは禁止されているので、その間の食料品などの物資供給を、私がサポートすることになった。実家とは電車で15分ほど離れた場所に住んでいる私が、姉と比べると比較的近所だということで、私の担当になった。

午前中に父から必要ものの注文をメールで聞いて、午後から実家近くのスーパーに行って買い物した。それを実家玄関先に置いておく。父と顔を合わせることは絶対にしてはいけないので、ピンポンダッシュした。


2020/12/20(日)

今日も父から注文が入ったので、救援物資を届けに行く。昨日は食料がメインだったが、今日日用品が多かった。

父のPCR検査だが、タクシーで来るように指示されているらしく、お金を払う時に手間取らないように千円札10枚を封筒にいれて、それも救援物資と一緒に届けておいた。

帰宅後、姉とラインで、母の感染経路が本当にわからないという話をした。

からの話では、最近の母は普段から買い物や銀行くらいしか行っていなかったそうなのだが、どこで感染したのかが本当にわからない。

不織布ではなく、自作した布マスクをしていたから、それで防御力が弱かったのだろうかとか、そのくらいしか要因が思いつかない。


2020/12/21(月)

から普通に仕事に行く。

昼過ぎに、姉から連絡あり。病院から電話があって、母が元気になってきているらしい。

一時は危なかったが、今は心臓ちゃんと動いてきた。血圧も元に戻ってきたとのこと。

父のPCR検査も無事に終わったらしい。

検査は市内の大学に併設の病院でやっていたのだが、大学建物の中ではなく、小さなテントの中でやっていたらしい。

テントの中には小さなヒーターが置いてあって、他にも何人か来ていたが、間隔を開けて並んでいたそうだ。もちろんお互い会話はなし。

検査は一瞬で、「上を向いてください、チクっとしますよ」って言われて、鼻から管みたいなものを入れられてすぐ終わったらしい。

検査費用はかからなかった。保健所からの指示で受ける分には無料らしい。


2020/12/22(火)

昼頃に父からメールが入り、検査の結果は陰性だとわかった。

ひとまずほっとした。

これから2週間の間はまだ外出禁止で、保健所から2日に一回連絡があって、健康状態を聞かれることになるらしい。

どうして一緒に暮らしていても、感染しないのかが不思議だった。

そのことをラインで姉と話し合ったが、よくわからないという結論で終わってしまった。

最近コロナ変異して感染力が上がっている?母はそれで感染したのか?

でも、父には移っていないのが謎。かかりにくい人とそうでない人がいる?


2020/12/23(水)

から電話で連絡があった。

保健所から勧告書」が届いたとのこと。

どうも母に対する勧告書のようで、コロナから回復した際には、他人接触する仕事をしたら罰則があるとかそういうことが書かれているらしい。

母が回復することはあるのだろうか。なんとか意識が戻るところまでいってくれないだろうか、そんなことばかり考えてしまう。


2020/12/24(木)

母が倒れて今日でちょうど一週間。病院からの連絡は特に何もない。

どうなっているのかが気になる。


2020/12/25(金)

今日仕事納めだが、明日から休みになるという開放感がまるでない。

頭の中は母のことでいっぱいだ。


2020/12/26(土)

父に救援物資を届けに行った。

母が倒れてから実家に帰る頻度が上がっているが、家の中には絶対に入れないので、あまり帰宅した感触がない。


2020/12/28(月)

家でぼんやりしていると、夕方16時頃に、母の担当医師から連絡があった。

母の症状は横ばいで、もう睡眠薬は与えていないが、ゆさぶったりしても反応はなく、意識が戻らない状態であるということ。

そして、12/24(木)に2度目のPCR検査を行ったが、結果は陰性に変わっていたとのこと。

意識を失っている間にコロナから回復したのだ。

1/4(月)から一般病棟に移ることになるので、そのタイミングで面会できる機会を設けると言われた。

一般病棟であっても原則面会は禁止なのだが、今回だけ特別に認めると言われた。

そこからは、今後の治療方針の話になった。

もし今後、血圧が下がっていったり、酸素の取り込み状態が悪くなるなどした時に、心臓マッサージ血圧を上げる薬の投与をするかということを尋ねられた。

どちらも体に負担をかける行為になってしまうが、どうしますかと訊かれた。

「今後、母の意識が戻ることはあるんですか?」

心停止していた時間が長く、脳に酸素が届いていない時間が長かった為に、再起不能なまでにダメージがきているので、回復は難しい」

とはっきり言われた。

じゃぁ、と思った。

今の母は、死ぬのを待っているだけの状態ということなのか。

徐々に死に向かっていくのを、ただ見送ることしか私達にはできないのか。

そのことを踏まえたうえでの選択だ。

姉と電話小一時間相談した結果、母の容態が悪化した際には積極的回復処置は取らずに、自然に任せる方針でいくことにする。

肉親の生死に関わる方針を、こんなに短時間決断していかないといけない残酷さに打ちのめされた。しんどい


2020/12/29(火)

今日病院から姉に連絡があったらしい。

母の症状は横ばいとはいえ、高熱が出ていたり、少しずつ呼吸が弱くなっていったりと、厳しい状態であるらしい。

それを聞いて、またしんどくなってくる。

実家へ、四度目の救援物資配達に行った。今日は姉にもついてきてもらった。

保健所によると、明日で父の外出禁止は解除になるらしい。なので、配達するのも今日最後になるだろうとのこと。

墓参りのことを父が気にしていたので、それもあわせて行ってきた。

姉はお金を触ったり、玄関ベルに触ったりするたびに、逐一手をアルコール消毒していて、結構神経過敏になっているみたい。

でも、大阪市内に入ったら、そこまでしないと今は危ないのかもしれない。


2020/12/31(木)

父によると、母の友人から、自宅に電話がかかってきたりしているらしい。

携帯がつながらず、音信不通になっているので、母のことを心配しているのだろう。

ちょっと家の用事で忙しくしているということにして、父が適当ごまかしているようだ。


2021/1/1(金)

元旦だが、一日家でじっとしている。

何もする気になれない。


2021/1/3(日)

姉とラインで少し話しをした。

父の生活をこれからどうサポートしていくか?

いままで母がやってあげていたことが全部抜け落ちてしまうので、それをどう拾い上げていくか?

ごはん生協のお弁当配達を使うとか、家事も最低限やりやすいような形を模索していくとか、色々とそんなことを相談した。


2021/1/4(月)

今日仕事初めだったが、なかなか集中して仕事に取り組めなかった。休憩多めでなんとか乗り切った。

今日から母が一般病棟に移る。でも、コロナの影響で、一般病棟であっても面会は全面禁止らしい。

でも、この間医師から連絡があったように、条件付き(一度に二人までの入室、事前に検温すること)で一度だけ面会が許可されるとのこと。

今日は、父と姉が二人で面会に行くことになった。

面会に行った時の様子を姉からラインで聞いた。

人工呼吸器が繋がれているので、口の周りは痛々しいけど、それ以外はそんなに変化はなかったらしい。

しかけたり、手をさすったりしたけど、反応はない。手はすごくむくんでいて、結婚指輪が入らないので外されていたらしい。

母が救急搬送を受けた時に身に着けていた衣服が返却されてきたけど、ビニール袋でぐるぐる巻にされていたらしい。ウィルスはもう消えていると思われるけど、空ける場合洗濯して欲しいと看護師さんから言われたとのこと。なんか怖いからそのままゴミの日に出すことにしたらしい。

私は、明日一人で面会に行くことになる。


2021/1/5(火)

仕事を途中で抜けて、お昼すぎに母の病院へ面会に行った。

ところが事前の検温で37.4度が出てしまい、病室には入れてもらえなかった。また後日来てくださいとのこと。

もよりの駅から病院まで20分くらい歩いたので、体が温まっていたのかもしれない。

また金曜日あたりに行こうと思う。

次は駅から病院までタクシーで行って、コートは脱いで、事前に一階で体温を何度か測って安全なのを確認してから挑むことにする。


2021/1/6(水)

病院からの連絡がないので、母の様子に変わりはないのだろう。

毎日しんどいのが少し薄れてきたような気がする。

もう母が倒れてから三週間近く経つからだろうか。この異常な状態にも、体が徐々に慣れてきているのかもしれない。


2021/1/7(木)

東京で2500人くらい感染者が出ているらしい。

首都圏緊急事態宣言が出たが、大阪ももうすぐ出ることになるようだ。


2021/1/8(金)

母の面会に行ってきた。

仕事を抜けて、最寄り駅まで電車で移動し、そこからタクシー病院まで行った。

1階ロビー腰掛けて、自分で持ってきた体温計で検温してみたら36.5度だったので、今日大丈夫であることを確認して7階へ。

「お待ちしてました。お熱どうですか?」と看護師さんから言われ、「さっき測ったら36.5度でした」と応えると「じゃぁ、入ってください」と言われる。

母は口に管を入れられていて、そこだけ痛々しかったが、鼻から上は顔色もよく、穏やかな表情だった。

10年ほど前に咽頭がんで亡くなった義父が、亡くなる直前、意識を失った状態でとても苦しそうな表情をしていたのを覚えていたので、そのイメージで予想していたのだが、ぜんぜん違った。まるで眠っているみたいに見えた。

姉が言っていたように、手はむくんでぱんぱんだった。手と二の腕を握りながら何度も話しかけてみたが、反応はない。

いまにも目を開けて起き上がってきてもよさそうな感じがするのに、そうはならなかった。

時々、母がつながっている機器からピコピコーン!」というアラート音が鳴るので、それが母にとってうるさくないのかなと気になった。

面会する時には、看護師立ち会いで、時間は5分だけだと事前に聞いていたのだが、看護師さんはすぐ病室からいなくなって、その後も一切呼びにこなかったので、結局一時間くらい母の側にいた。

時間くらいたって、「ちょっとお体拭きますねー」と言いながら看護師さんが病室に入ってきたので、そのタイミングで帰ることにした。

職場の私の席の2つ後ろの島(5メートルくらい離れている)に座っている人が、コロナ感染の疑いがあって、今PCR検査を受けていて、結果が出るのが明後日らしい。

その島の人たちは全員帰宅していた。多分、当面はリモートになるのだろうか。

もし検査が陽性ならば、保健所が消毒しに来るし、その間はオフィス立ち入り禁止になるのだろうか。


2021/1/11(月)

今日母親状態に変化はなし。

私の方は相変わらず時々、しゃくりあげるような呼吸と涙が出てくる。不意に母親のことが頭をよぎって、それに引きずられるようにして乱暴に心が揺さぶられるような感じだ。


2021/1/12(火)

連休明けて今日仕事

仕事してると不意にしんどくなってくる。どこまで行ってもしんどいタイプのしんどさ、絶望感。

大阪明日から緊急事態宣言が出るらしい。


2021/1/13(水)

明後日から毎週金曜日リモートワークをすることになった。

出勤率を下げるような圧力職場全体的にかかっているようだ。


2021/1/14(木)

今日で母が倒れてからちょうど4週間。

もうどうしたらいいのかわからない。どうしようもないのだけど。


2021/1/15(金)

今日は初めてリモートワークをした。

出社してる時と特に変わりなく、集中力途切れずに仕事できたと思う。

今は週イチだが、これならフルリモートでもやっていけそうな気がする。

できるだけ出社時と同じ環境に自室を揃えることがコツだと思った。

仕事終わりの疲労感は、出社時とあまり変わらない。けど、通勤時間の2時間有効活用できるのがいい。


2021/1/17(日)

一日家でぼんやりしているだけだった。何もする気がしない。


2021/1/18(月)

仕事に行っていたが、夕方病院から私の携帯電話があって、母の酸素の取り込み量が低下していて、今夜にも亡くなるかもしれないと告げられる。

慌てて姉と父に連絡し、病院へ向かう。

病室に入る前の事前の検温で、また37度が出た。いい加減にして欲しいこの体温計。体温計をリセットして、「熱はなかったです」って嘘の申告をして突破する。

二人づつしか面会できないとのことなので、はじめに父と二人で病室に入る。

母は苦しそうな感じもなく、穏やかな感じだった。今日髪型に乱れもなく、きれいに見えた。

酸素取り込み量の数値が90を切るとまずくて、一時は70くらいまで低下していたが、持ち直して80くらいまで戻してきていると看護師さんから説明される。

母の意識はないが、それでも苦しかったりの感覚はあるのだろうか。

一旦、全員帰宅することにした。また容態が急変するようなことがあれば、連絡が貰えることになっている。


2021/1/19(火)

病院からの連絡はなかった。

またすぐに連絡が来る可能性が高いので、それを待っているようで心身が疲弊していく。


2021/1/20(水)

今日病院からの連絡はない。

ずっと非日常が続いているようで、そういう緊張状態いつまでも心身が慣れていかずに悲鳴を上げている。


続き

https://anond.hatelabo.jp/20210504175800

2021-04-27

anond:20210425153302

自分大卒から

それだけ

高卒だったら大卒使えないとか言って東大旧帝大以外は落とすか今みたいな不景気だったら大卒はもれなく落とすだろうな

そうやって自分立場を強化する

余裕がある場合大卒の中から選別しているふりをして揺さぶりや分断を図る

2021-04-25

売れない俳優をしている親戚をSNS監視している話

その親戚の話は祖母から聞いた。

血は繋がっていないが名字は同じ。

少し興味をもって、名前検索したらすぐにTwitterアカウントが出てきた。

彼はとにかく売れていなかった。

やっていることと言えばエキストラレベルcm出演が年に二~三本と今にもつぶれそうな劇団活動のみ。常識的に考えて、大丈夫かこいつ?と思ってしまうような売れなさぶりだ。

けれど何故か興味が湧いて、遡れるだけ遡ってツイートを読んだ。誰がどう考えても売れてないのに、一瞬しか映ってないcmを心底嬉しそうに宣伝したり、劇団員との楽しそうな練習風景をアップしたりしている姿が、見ていてとにかく痛々しくて、惨めで、こっちまで不安を煽られるような気分になって、何故だか目が離せなくなった。

コロナになってからさらに目が離せなくなった。零細劇団日常コロナによって現実に飲み込まれていき、一人また一人と劇団員が減っていったのだ。

あれから一年。苦境にたたされるエンタメ業界の中で、彼はまだ演劇を続けていた。

私は時々思い出したように彼のTwitterを覗いてしまう。会ったこともない親戚の夢破れる瞬間を見届けたいという私は相当性格が悪いだろうとは思うが、予定調和ストーリーを追いかけている楽しさは何にも代えがたい。

廃業する前に一度だけ彼の演技が観たいと思う。

2021-04-22

上司殿

東京に来て一番お世話になった方だった。

10年前、寒風吹きすさぶリーマンショックの中で、

出来たてほやほやのITスタートアップに流れ着いた小汚い無職を1から育ててくれた。

それから時間がたって、貴方社長になって、私も古株に数えられるようになって、

なんとか一端になって仕事で恩を返せれるようになって、

会社移転してこれからって時に・・・旅立ってしまわれた。

保健所パンクしてるとか、病床が埋まってるとか、ワクチンはいつ普及するとか

最近ではそういう世間話を一緒によくしていたけれど、

どこか私達は一線引いた所にいて、

質の悪いB級パニック映画が終わるのを静かに鑑賞してるような、そんな感覚だった。

私も貴方絶対に死なない人間だと思ってた。

から、急すぎる訃報を聞いた時、頭が真っ白になって、

ガツガツンと何度も何度も鉄パイプで頭を殴られている感覚と一緒に思考が停止した。

脳がキャパ超えのショックを受けるとこういう状態になるの思い出した。

・・・本当に峻烈な方だった。

フレックスの癖に朝8時くらいから夜は24時過ぎくらいまで毎日毎日働いて(たぶん土日も仕事関連の情報収集とか、他の事と並行しながら仕事してたんだと思う)、

休暇も全くとらず、すべてのタスクを恐ろしい速度で捌き、顧客には素晴らしいプレゼンを続け信頼を得て会社を大きくし、隙をみてはコーディングしたり、インフラ関連の仕事したり、

社長になってからは、癖の強い開発部メンバーだけでなく、会社全体まで束ねだして、従業員には道を示し、たまの息抜き?に私にちょっかいを出しに来る。

本当に忙しくなると土日も潰して、何徹もして、かといって下の人間には「程々でいいよ。」って言ってくれて。責任も一人で全て背負ってくれて。

午前1-2時くらいに一緒に会社を出た日、翌日に出社すると必ず社長はもう仕事始めてたり。

私がたまに休日出社した時はわざわざ差し入れもってきてくれたりもした。

いつも忙しい忙しいと口癖のようにいっていたけど、絶対に弱音は吐かず、

他人に当たらず、私たちピンチの時に「仕方ねーなーー」って悪態ついて笑いながら助けてくれるその姿は、

働く前から社会絶望しきってた私には衝撃的で、本当に物語ヒーローのようだった。

きっと私が記述できないだけで、他にも膨大な細かい業務、凡人なら1日で壊れるストレスと戦っていたんだろうと思います

その上、陰キャな私以上に旬のアニメ漫画ラノベゲームなどサブカル全般に詳しくて、「一体どこにそんな時間があるんですか!?」っていつも突っ込んでた。

(1日3、4時間程度(1時間おきにアラームかけて熟睡しないようにしてる)しか寝てないっていってたかな。) 

よく冗談まじりで「xxくん、寝なくてもよくなる薬ない?」とか「疲れが一瞬で吹き飛ぶ薬ないかな?」とか笑いながら尋ねられた。

健康診断も私の知ってる限り10年以上行っておらず、体調が悪くなっても絶対病院に行かず、ハードコンタクトも目の中に入れ続け、不摂生を続けていた(誰が諭しても治らない・・・!)。

必死仕事を覚えて少しでも楽になってもらおうとしたけれど、そうしたらすーぐ別の新しい仕事を入れて抱え込んで、

忙しい忙しいって言い続けるので、もうこういう方なんだなって皆諦めていた。

みんなから頼られて恐れられて、そしてそれ以上に慕われていた。まだお若い40代の方でした。

激務の合間にご指導頂く中で、深夜帯にたくさん他愛もない話をさせて頂きました。

思い返せば皆が帰った深夜帯、社長と私が趣味ゲームの話をしてる時、

そこには独特の間があったように思えます

お互い大昔に長くプレイしてきたMMO(私はRO社長FF11)や当時のネットワーク環境(テレ放題、ADSL)の話題で盛り上がったり、

「終わりかけの世界必死にもがく、厳しい世界観が好きなんですよねー」と言うと とても同意してくれて、

PSP本体と一緒に頂いたゴッドイーターバーストを夜通し遊んだり(世界観やシナリオキャラOPも本当に良かった!)。

これまた「絵柄とBGMはいいよねー」って意見が一致したグラブルでは、社長の背水編成の繰り出すダメージ見てたまげたり、推しキャラ談義したり、一緒にガチャやって爆死したり。

シェアハウスに住んでて毎年引っ越してるんですよー」っていったら、偶然にも社長の通ってた大学と私が過去に住んでた所が近くて、谷根千トークしたり。

最近は新しい趣味スチームパンク装にハマってるんです!」と言えば、昔出張フランスに行った時に、朝早くから見にいったという「マシーン・ド・リル」の話をしてくれたり。

来年バイク免許とって、そのまま遊びに行くんですよ」っていったら、「xx君はいいなー、ずっと好きな事ができて。」なんて珍しい反応してくれたり。

他にも家族の話や兄弟の話、無人島で独りで生き抜くための話なんか、いろんな事を話せたっけ。

何でも知ってる知識の広さ、その深い内容にはいつも驚かされっぱなしだった。

・・・夜中から深夜帯にかけて誰も居ない職場で、仕事とは関係ない話をするのが楽しかった。

会話を阻害する邪魔が入らない、この優しく流れる時間幸せだった。

会社で一番仲の良かったxxさんが手伝ってくれるなら、社長もきっと喜びますよ。」

せめて何かできる事はないか葬儀の手伝いを申し出た時に、他部署の方から言われた言葉。 

そのまま泣き崩れた。もう年甲斐もなくわんわん泣いた。

もっと会社を率いて欲しかった。色んな事を教えて欲しかった。夜中にたわいもない話がしたかった!

亡くなった実感なんて全くわかないし、いたずらっぽく笑う顔が離れない!

今でも何かの冗談で、彼の机の上にmacおいときゃカタカタ勝手に動きだすんでしょって思ってる! 

・・・でも少し疲れちまったんですかね。 

・・・東京にきて貴方の下で働けたことが私の誇りです。 

最高の社長であり、最高の師であり、最高の悪友であり、 

子供の頃近所にいた、何でも知ってる頼れるお兄ちゃんみたいな存在でした。 

本当に貴方の事が大好きでした。

これから10年は貴方の影を追いかけて、走ろうと思います

師なんて言葉を使いましたが、私の能力が低すぎて消化できた技術も、仕事に対する姿勢も半人前だからです。

自分の命を叩き直す時期がきたのだと、今はそう思っています

まだまだ春風に傷は沁み、悲しみで涙も溢れますが、

残りの人生貴方生き方に恥じない生き様にして見せます

今まで本当にありがとうございました

また向こう側で会う日まで、お元気で。

2021-04-16

PlayStation5の10年前から進歩してなさぶりに驚く

スペックは大幅に上がっているはずだけど2009年Crysisとそんな変わらない画質だなあと率直に思ふ

YoutuberがPS5素晴らしい連呼しているけど白々しい

風景は一部一部が実写に見えなくもないけどアイテムを拾うときや車に乗るときに明らかにゲームだと感じる部分は変わってない

2021-04-12

はてな疲れたのでしばらく離れることにする

はてなだけではなく、色んな情報の受信感度を敢えて数段下げてみようと思う。

元々は、騙されたくない、遅れたくないという思いから、出来る限り多くの意見情報を見て、現状を把握しておける様にしたかった。

だけども最近目につくのは、如何に日本ダメになりつつあるのか、希望などない、対外対内問わず遅れている、衰退していく一途の最悪の国家に成り下がってしまったということばかりだ。そうでなかったとしても、何かショックを受けるような…ギョッとするような情報に直面して、感情を大きく揺さぶられたり、憤りを強く感じることが増えたように思える。

ニュースや論説、ブログ記事などが集約され濃縮還元されるはてなでは、特にその傾向が顕著なように思える。賛否両論様々なコメントが各記事につくことも、そのことに拍車をかけている。

憤りを感じるなら、それを是正する活動につなげる、というのが本来正しいのだろうけど…今は日々を生きることに精一杯で、何とかしたいけどできないというもどかしさと、行き場なない憤りばかり積み重なっていく。

もちろん選挙に行ったり、出来る限りの行動は取る。しかし、だからといって突然何かが大きく変わるということは望めないだろう。この国はこの国の延長線上でしか生きられないのだと思う。

最近はどうしたらグレートリセットが起こるのだろうか、という極端な思考をするようになってきており、加えて憤りや無力感に苛まれて、日々が苦しくて仕方がない。ニュースを見れば、自分投票していない議員政党やらかしたというニュースばかり、SNSをみればそれに対する憤りばかり、しかしそれでも小手先改善先延ばしで済ます政府コロナ前は、この国は、たとえ衰退するとしても、もう少しマシな形で落ちぶれていくのだと思っていたけれど、こんなにもみっともなく、年寄りどもや一部の寄合が食い散らかし、一般市民が損をする、憤る気力も失われる様な国になると思っていなかった。

そんな極端な思考に疲れてしまったし、このままだとどうにかなってしまいそうなので、敢えて目を閉じ耳を塞ぐことにする。はてなから離れ、SNSも最低限にしてみる。自分の生き延びる、冷静に物事を見て立ち向かえる気力をつけられる様になるまで。

今の自分には憤りの種火も、凄惨事実も、受け止められる自信はないから…。

はてなを見ても大丈夫なくらい元に戻ったら、また見に来れるといいな…そして、その時は希望を感じさせる記事出来事が人気になっているといいな…。

以上、深夜の戯言でした。

2021-04-11

俺は自分から出てきたものはだいたい食べてしま

【食べないもの

排泄物

ゲロ

・精液

【食べるもの

・目垢(しょっぱくてカリカリしてる)

・耳垢(無味でもろいスルメって感じ?)

鼻くそ(言わずもがな)

歯垢(爪でこそぐ)

・痰(しばらく舌で転がして粒々した感触を楽しもう)

・爪(ゆっくりふやかしながら咀嚼)

・皮膚(風呂上がりとか長距離歩いた日は足の皮がたるむのでそれをペリペリいく)

臭い玉(たまに喉から出るとちょっと得した気持ちになる)

・かさぶた(もちろん!)

鼻毛(なんか肉厚だよね)

・硬めのヒゲ(毛抜きで抜くと気持ちいいし肉厚)

眉毛(やりすぎると薄くなって不気味がられるので滅多に抜かない)

・血(かさぶたの食後のデザート)

毛穴角栓(やりすぎると皮膚が荒れるので注意)

・皮膚の垢(入浴中に全身をかきむしると爪に溜まっていくのをしゃぶる)

みんなは自分の何を食べるのかな?

2021-04-09

フケを集める癖

フケっていうか乾燥する時期になると、頭皮がかさぶたみたいに剥れ落ちてくるんです。

それらをすぐに捨てずに集めてしまう癖がある。

そんな自分の身から出たものを集めてしまう癖ってありませんか?

2021-04-08

反省のやり方なんてわからない。

ついこの前まで、私は自尊心が地の底に落ちていた。

理由は明白で、自分否定してくるタイプ人間の下で働いていたからだ。

その人曰く、私は「アップデートしてもすぐにバックアップに戻るパソコン」だったそうだ。また「積み上げたジェンガをすぐに崩される」とも言われた。

いくら指導しても改善しない、進歩しない、だから指導しているのがだんだん辛くなり、仕事も振れなくなり、結果的に何の指導もしないまま放置することになった。指導するリソースを割く暇も惜しい、だそうだ。

事実、最終的にはほとんど仕事がない状態になり、挙げ句の果てにクビを言い渡された。(表向きは自己都合退職だけど)

彼らの下で働くことに疲れ切っていた私は、ごくあっさりとそれを受け入れ、荷物まとめて脱兎の如く逃げ出した。幸か不幸か、引き継ぐような仕事殆ど無かったので辞めるのは簡単だった。

スペックパソコンなりに一生懸命やってきたつもりだったが、こうして私の会社員生活は幕を閉じた。

さて、彼らから離れてしばらく経って、自尊心いくら回復してくるうちに、私は随分彼らに「飼い慣らされて」いたんだなぁと思うことしきりだ。今冷静に振り返ればどう考えてもパワハラであるような人格能力否定発言の数々、一方的理不尽評価、あまりに目にあまる印象操作に異を唱えようものなら「生意気」「このやり取りで双方(上司と私)の勤務時間無駄にしている」と恫喝まがいの口調で言われ、何か一つ間違えれば百の小言が襲ってくるという日々。

こんな人間のことも、「部下思いのいい上司」と懸命について行こうとしていた過去自分は、本当に人を見る目がなかったんだなぁと呆れるばかりだ。

退職勧奨をされた当初は、このまま黙って辞めるのは悔しいからと一矢報いてやろうとも考えたのだが、何より相手は「無能な部下にスポイルされた自分達の方が被害者」という理論完璧に固めているので、まるで話が通じない。交渉したとしても勝ち取れるものは微々たるものだろうし、何やり彼らとこれ以上関わることで疲弊する心身の方が大事だと判断し、さっさと縁を切ってしまう道を選んだ。

人はこれを「泣き寝入り」と呼ぶのだろうが、本当に壊れたら泣くことも寝ることもできなくなる。そうなる前に自分を守ることは、自分の溜飲を下げることより余程大切だ。

そういうパワハラ上司の下にいた日々を振り返るに、私はこの頃よく考える。

反省ってどうやればいいんだろう?」

と。

この上司にもよく言われたことだが、「自分被害者である」という気持ちでいると、何も反省せず、何も改善できない人間になって危険だよ、という。世の中では割とありふれた戒めの言葉である

から私は、あの日々が100%完全に上司が悪かった訳ではない、自分にも原因があり、反省すべき点があるからそれをよく踏まえて、次はそうならないように心がけよう、と、そう考えるようにしている。

しかしそうやって振り返ってみる度に、上司によって傷つき、踏みつけられた過去自分ゾンビのように蘇って、群れとなって襲いかかってくる。ゾンビたちは口々に「悔しい」「腹立たしい」「悲しい」と呪詛言葉を吐いては、過去を糧にして未来に活かそうと努める光属性の私を揺さぶる。こいつらはどうやったら鎮まるのだろう。

何よりも、「私を傷つけた上司はのうのうと生きているのに、なんで傷つけられて職まで奪われた私が反省しなきゃならないのか」という悔しさが、ゾンビを活発にしている。そう、結局私は脱兎の如く逃げ出して、さっさと縁を切って、さあ立ち直ったぞと言いながら、実は全然克服出来ていないのだ。自尊心を損なうということの後遺症は、つまるところ時間との戦いになる。

本当に、反省ってどうやったらいいんだろう。

それは、トラウマを克服した果てにあるのか、それともトラウマを生じるような出来事では、反省することは難しいのか、はたまた、反省することがトラウマを克服することになるのか。

だんだん面倒になったので、いまはこの恨みつらみゾンビたちと踊ることにする。スリラーPVみたいに。

anond:20210408003201

かに謎やな。

弱者男性なんて社会の屑のことをまともに考えようなんて普通の男は思いもせんわな

よほど自分に自信のない男が弱者男性って言葉にちっぽけな自尊心を揺さぶられてわけのわからんことを喚いとるんだろう

2021-04-03

自分の想いを話すと悲しくもないのに涙が出る

この前卒業制作テーマについて先生と話していた時、「わたしはこうしたい」といったことを話すだけで何故か涙が出た。

本当に自分でも予想外のことで、なぜ涙が出るのか分からなかった。

今までの人生でこんなことはなかったから、もしかたらこれまでのわたしは、無意識に思ったことを隠してきたのだろうかと思った。

卒業制作テーマ必然的思想に深く踏み込んだものになるから自分思想他人に伝えるのが怖くて恥ずかしいのだろうか?

それとも普段確認しない自身思想言葉にすることで、それに再度心を揺さぶられているのだろうか?

ともかく、それが自分の根っこのところに近づけば近づくほど想いが熱くなって、涙が止まらない。

就活生だから面接自分のやりたいことを話す場面が多くなるだろうし、その度に泣いてしまわないか不安しょうがない。

2021-04-02

anond:20210402112834

女性には妊娠機能という肉体的痂皮があります

痂皮:俗に「かさぶた」と言われる、皮膚の表面にできる乾燥した赤黒色の血栓のこと。

肉体的かさぶた?

2021-03-25

anond:20210325044148

それはそうと「ケツから手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタいわせる」って、エロいことして奥歯が合わないくらいヒイヒイ言わせるのか、物理的に肛門から腸や胃を通って奥歯まで到達して揺さぶるのか、どっち?

2021-03-22

おまたせ

多分それは一種精神病ででもあったのでしょう。郷田三郎ごうださぶろうは、どんな遊びも、どんな職業も、何をやって見ても、一向この世が面白くないのでした。

 学校を出てから――その学校とても一年に何日と勘定の出来る程しか出席しなかったのですが――彼に出来相そうな職業は、片端かたっぱしからやって見たのです、けれど、これこそ一生を捧げるに足ると思う様なものには、まだ一つも出でっくわさないのです。恐らく、彼を満足させる職業などは、この世に存在しないのかも知れません。長くて一年、短いのは一月位で、彼は職業から職業へと転々しました。そして、とうとう見切りをつけたのか、今では、もう次の職業を探すでもなく、文字通り何もしないで、面白くもない其日そのひ其日を送っているのでした。

 遊びの方もその通りでした。かるた、球突き、テニス水泳山登り、碁、将棊しょうぎ、さては各種の賭博とばくに至るまで、迚とてもここには書き切れない程の、遊戯という遊戯は一つ残らず、娯楽百科全書という様な本まで買込んで、探し廻っては試みたのですが、職業同様、これはというものもなく、彼はいつも失望させられていました。だが、この世には「女」と「酒」という、どんな人間だって一生涯飽きることのない、すばらしい快楽があるではないか諸君はきっとそう仰有おっしゃるでしょうね。ところが、我が郷田三郎は、不思議とその二つのものに対しても興味を感じないのでした。酒は体質に適しないのか、一滴も飲めませんし、女の方は、無論むろんその慾望がない訳ではなく、相当遊びなどもやっているのですが、そうかと云いって、これあるが為ために生いき甲斐がいを感じるという程には、どうしても思えないのです。

「こんな面白くない世の中に生き長ながらえているよりは、いっそ死んで了しまった方がましだ」

 ともすれば、彼はそんなことを考えました。併しかし、そんな彼にも、生命いのちを惜おしむ本能丈だけは具そなわっていたと見えて、二十五歳の今日が日まで「死ぬ死ぬ」といいながら、つい死切れずに生き長えているのでした。

 親許おやもとから月々いくらかの仕送りを受けることの出来る彼は、職業を離れても別に生活には困らないのです。一つはそういう安心が、彼をこんな気まま者にして了ったのかも知れません。そこで彼は、その仕送り金によって、せめていくらかでも面白く暮すことに腐心しました。例えば、職業遊戯と同じ様に、頻繁ひんぱんに宿所を換えて歩くことなどもその一つでした。彼は、少し大げさに云えば、東京中の下宿屋を、一軒残らず知っていました。一月か半月もいると、すぐに次の別の下宿屋へと住みかえるのです。無論その間には、放浪者の様に旅をして歩いたこともあります。或あるいは又、仙人の様に山奥へ引込んで見たこともあります。でも、都会にすみなれた彼には、迚も淋しい田舎に長くいることは出来ません。一寸ちょっと旅に出たかと思うと、いつのまにか、都会の燈火に、雑沓ざっとうに、引寄せられる様に、彼は東京へ帰ってくるのでした。そして、その度毎たびごとに下宿を換えたことは云うまでもありません。

 さて、彼が今度移ったうちは、東栄館とうえいかんという、新築したばかりの、まだ壁に湿り気のある様な、まっさら下宿屋でしたが、ここで、彼は一つのすばらしい楽たのしみを発見しました。そして、この一篇の物語は、その彼の新発見に関聯かんれんしたある殺人事件主題とするのです。が、お話をその方に進める前に、主人公郷田三郎が、素人探偵明智小五郎あけちこごろう――この名前は多分御承知の事と思います。――と知り合いになり、今まで一向気附かないでいた「犯罪」という事柄に、新しい興味を覚える様になったいきさつについて、少しばかりお話して置かねばなりません。

 二人が知り合いになったきっかけは、あるカフェで彼等が偶然一緒になり、その時同伴していた三郎の友達が、明智を知っていて紹介したことからでしたが、三郎はその時、明智の聰明そうめいらしい容貌や、話しっぷりや、身のこなしなどに、すっかり引きつけられて了って、それから屡々しばしば彼を訪ねる様になり、又時には彼の方からも三郎の下宿へ遊びにやって来る様な仲になったのです。明智の方では、ひょっとしたら、三郎の病的な性格に――一種研究材料として――興味を見出していたのかも知れませんが、三郎は明智から様々の魅力に富んだ犯罪談を聞くことを、他意なく喜んでいるのでした。

 同僚を殺害して、その死体実験室の竈かまどで灰にして了おうとした、ウェブスター博士の話、数ヶ国の言葉通暁つうぎょうし、言語学上の大発見までしたユージン・エアラム殺人罪所謂いわゆる保険魔で、同時に優れた文芸批評家であったウエーンライトの話、小児しょうにの臀肉でんにくを煎せんじて義父の癩病を治そうとした野口男三郎の話、さては、数多あまたの女を女房にしては殺して行った所謂ブルーベヤドのランドルーだとか、アームストロングなどの残虐な犯罪談、それらが退屈し切っていた郷田三郎をどんなに喜ばせたことでしょう。明智の雄弁な話しぶりを聞いていますと、それらの犯罪物語は、まるで、けばけばしい極彩色ごくさいしきの絵巻物の様に、底知れぬ魅力を以もって、三郎の眼前にまざまざと浮んで来るのでした。

 明智を知ってから二三ヶ月というものは、三郎は殆どこの世の味気なさを忘れたかと見えました。彼は様々の犯罪に関する書物を買込んで、毎日毎日それに読み耽ふけるのでした。それらの書物の中には、ポオだとかホフマンだとか、或はガボリオだとかボアゴベだとか、その外ほか色々な探偵小説なども混っていました。「アア世の中には、まだこんな面白いことがあったのか」彼は書物の最終の頁ページをとじる度毎に、ホッとため息をつきながら、そう思うのでした。そして、出来ることなら、自分も、それらの犯罪物語主人公の様な、目ざましい、けばけばしい遊戯(?)をやって見たいものだと、大それたことまで考える様になりました。

 併し、いかな三郎も、流石さすがに法律上の罪人になること丈けは、どう考えてもいやでした。彼はまだ、両親や、兄弟や、親戚知己ちきなどの悲歎や侮辱ぶじょくを無視してまで、楽しみに耽る勇気はないのです。それらの書物によりますと、どの様な巧妙な犯罪でも、必ずどっかに破綻はたんがあって、それが犯罪発覚のいと口になり、一生涯警察の眼を逃れているということは、極ごく僅わずかの例外を除いては、全く不可能の様に見えます。彼にはただそれが恐しいのでした。彼の不幸は、世の中の凡すべての事柄に興味を感じないで、事もあろうに「犯罪」に丈け、いい知れぬ魅力を覚えることでした。そして、一層の不幸は、発覚を恐れる為にその「犯罪」を行い得ないということでした。

 そこで彼は、一通り手に入る丈けの書物を読んで了うと、今度は、「犯罪」の真似事を始めました。真似事ですから無論処罰を恐れる必要はないのです。それは例えばこんなことを。

 彼はもうとっくに飽き果てていた、あの浅草あさくさに再び興味を覚える様になりました。おもちゃ箱をぶちまけて、その上から色々のあくどい絵具をたらしかけた様な浅草遊園地は、犯罪嗜好者しこうしゃに取っては、こよなき舞台でした。彼はそこへ出かけては、活動小屋活動小屋の間の、人一人漸ようやく通れる位の細い暗い路地や、共同便所の背後うしろなどにある、浅草にもこんな余裕があるのかと思われる様な、妙にガランとした空地を好んでさ迷いました。そして、犯罪者が同類通信する為ででもあるかの様に、白墨はくぼくでその辺の壁に矢の印を書いて廻まわったり、金持らしい通行人を見かけると、自分が掏摸すりにでもなった気で、どこまでもどこまでもそのあとを尾行して見たり、妙な暗号文を書いた紙切れを――それにはいつも恐ろしい殺人に関する事柄などを認したためてあるのです――公園のベンチの板の間へ挟んで置いて、樹蔭こかげに隠れて、誰かがそれを発見するのを待構えていたり、其外そのほかこれに類した様々の遊戯を行っては、独り楽むのでした。

 彼は又、屡々変装をして、町から町をさ迷い歩きました。労働者になって見たり、乞食になって見たり、学生になって見たり、色々の変装をした中でも、女装をすることが、最も彼の病癖を喜ばせました。その為には、彼は着物時計などを売り飛ばして金を作り、高価な鬘かつらだとか、女の古着だとかを買い集め、長い時間かかって好みの女姿になりますと、頭の上からすっぽりと外套がいとうを被って、夜更よふけに下宿屋の入口を出るのです。そして、適当場所外套を脱ぐと、或時あるときは淋しい公園をぶらついて見たり、或時はもうはねる時分の活動小屋へ這入はいって、態わざと男子席の方へまぎれ込んで見たり、はては、きわどい悪戯いたずらまでやって見るのです。そして、服装による一種錯覚から、さも自分が妲妃のお百だとか蟒蛇お由よしだとかいう毒婦にでもなった気持で、色々な男達を自由自在に飜弄ほんろうする有様を想像しては、喜んでいるのです。

 併し、これらの「犯罪」の真似事は、ある程度まで彼の慾望を満足させては呉れましたけれど、そして、時には一寸面白事件惹起ひきおこしなぞして、その当座は十分慰めにもなったのですけれど、真似事はどこまでも真似事で、危険がないだけに――「犯罪」の魅力は見方によってはその危険にこそあるのですから――興味も乏しく、そういつまでも彼を有頂天にさせる力はありませんでした。ものの三ヶ月もたちますと、いつとなく彼はこの楽みから遠ざかる様になりました。そして、あんなにもひきつけられていた明智との交際も、段々とうとうとしくなって行きました。

又三郎

風の又三郎

宮沢賢治


どっどど どどうど どどうど どどう

青いくるみも吹きとばせ

すっぱいかりんも吹きとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう

 谷川の岸に小さな学校がありました。

 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。

 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室なかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。

 もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき川上から

「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。

「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛おかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。

 みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。

 赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、

「何なにした。」とききました。

 みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。

 みんなもすっかり元気になってついて行きました。

「だれだ、時間にならないに教室はいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。

「お天気のいい時教室はいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。

しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。

「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。

 ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。

 それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。

あいづは外国人だな。」

学校はいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、

「ああ三年生さはいるのだ。」と叫びましたので、

「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。

 変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています

 そのとき風がどうと吹いて来て教室ガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。

 すると嘉助がすぐ叫びました。

「ああわかった。あいつは風の又三郎またさぶろうだぞ。」

 そうだっとみんなもおもったときにわかにうしろのほうで五郎が、

「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。

 みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、

「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。

 五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。

「わあい、けんかするなったら、先生ちゃん職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。

 たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。

 風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。

「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。

 みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。

「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」

二百十日で来たのだな。」

「靴くつはいでだたぞ。」

「服も着でだたぞ。」

「髪赤くておかしやづだったな。」

「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。

「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」

「そだないでああいづあ休み前に嘉助石ぶっつけだのだな。」

「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。

 みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、

先生お早うございます。」と言っただけでした。

「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。

 すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。

 二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。

 するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。

 みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。

 先生はまた玄関の前に戻って、

「前へならえ。」と号令をかけました。

 みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子ちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。

「直れ。」先生がまた号令をかけました。

一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手下駄箱げたばこのある入り口はいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。

 まもなくみんなははきもの下駄箱げたばこに入れて教室はいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。

「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」

「わあ、おらの机代わってるぞ。」

「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」

「わあい、さの、木ペン借せ、木ペン借せったら。」

「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」

 そのとき先生はいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんしろで、

「礼。」と言いました。

 みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。

「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。

「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんしろからまりさわぐものを一人ずつしかりました。

 みんなはしんとなりました。

 先生が言いました。

「みなさん、長い夏のお休みおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校勉強ときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」

 すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、

「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。

 ところが嘉助がすぐ、

先生。」といってまた手をあげました。

はい。」先生は嘉助を指さしました。

高田さん名はなんて言うべな。」

高田三郎さぶろうさんです。」

「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。

 先生はまた言いました。

「きょうはみなさんは通信簿宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」

 みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿宿題を机の上に出しました。そして先生一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。

 ところが先生別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。

「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しまから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたかちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」

 一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろ大人おとなも扇を下にさげて立ちました。

「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろ大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。

 すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。

「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。

「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。

「何ぶんどうかよろしくねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。

 運動場を出るときの子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。

先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。

「そうです。」

「なんの用で来たべ。」

「上の野原の入り口モリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」

「どこらあだりだべな。」

「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」

モリブデン何にするべな。」

「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」

「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。

又三郎だない。高田三郎だぢゃ。」佐太郎が言いました。

又三郎又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。

「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。

「わあい。やんたぢゃ。きょう四年生ど六年生だな。」

 嘉助は大急ぎで教室をはねだして逃げてしまいました。

 風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。

 次の日一郎はあのおかし子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除ときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。

「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。

「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。

 一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。

 嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。

「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、

お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。

 それは返事をしないのではなくて、みんなは先生はいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。

 ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。

 それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。

 そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。

 みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。

 その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。

 すると嘉助が突然高く言いました。

「そうだ。やっぱりあい又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」

「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます

 そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。

お早うございます。」小さな子どもらはみんな集まりました。

お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。

 みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています

 先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室はいりました。そして礼がすむと先生は、

「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」

 さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆ひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、

「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、

「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、

「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かに化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。

 すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。

 すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、

「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。

 先生は向こうで一年の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんしろちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。

「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生

風の

どっどど どどうど どどうど どどう

青いくるみも吹きとばせ

すっぱいかりんも吹きとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう

 谷川の岸に小さな学校がありました。

 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。

 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室なかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。

 もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき川上から

「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。

「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛おかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。

 みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。

 赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、

「何なにした。」とききました。

 みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。

 みんなもすっかり元気になってついて行きました。

「だれだ、時間にならないに教室はいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。

「お天気のいい時教室はいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。

しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。

「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。

 ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。

 それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。

あいづは外国人だな。」

学校はいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、

「ああ三年生さはいるのだ。」と叫びましたので、

「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。

 変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています

 そのとき風がどうと吹いて来て教室ガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。

 すると嘉助がすぐ叫びました。

「ああわかった。あいつは風の又三郎またさぶろうだぞ。」

 そうだっとみんなもおもったときにわかにうしろのほうで五郎が、

「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。

 みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、

「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。

 五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。

「わあい、けんかするなったら、先生ちゃん職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。

 たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。

 風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。

「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。

 みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。

「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」

二百十日で来たのだな。」

「靴くつはいでだたぞ。」

「服も着でだたぞ。」

「髪赤くておかしやづだったな。」

「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。

「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」

「そだないでああいづあ休み前に嘉助石ぶっつけだのだな。」

「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。

 みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、

先生お早うございます。」と言っただけでした。

「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。

 すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。

 二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。

 するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。

 みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。

 先生はまた玄関の前に戻って、

「前へならえ。」と号令をかけました。

 みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子ちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。

「直れ。」先生がまた号令をかけました。

一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手下駄箱げたばこのある入り口はいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。

 まもなくみんなははきもの下駄箱げたばこに入れて教室はいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。

「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」

「わあ、おらの机代わってるぞ。」

「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」

「わあい、さの、木ペン借せ、木ペン借せったら。」

「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」

 そのとき先生はいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんしろで、

「礼。」と言いました。

 みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。

「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。

「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんしろからまりさわぐものを一人ずつしかりました。

 みんなはしんとなりました。

 先生が言いました。

「みなさん、長い夏のお休みおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校勉強ときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」

 すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、

「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。

 ところが嘉助がすぐ、

先生。」といってまた手をあげました。

はい。」先生は嘉助を指さしました。

高田さん名はなんて言うべな。」

高田三郎さぶろうさんです。」

「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。

 先生はまた言いました。

「きょうはみなさんは通信簿宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」

 みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿宿題を机の上に出しました。そして先生一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。

 ところが先生別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。

「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しまから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたかちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」

 一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろ大人おとなも扇を下にさげて立ちました。

「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろ大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。

 すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。

「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。

「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。

「何ぶんどうかよろしくねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。

 運動場を出るときの子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。

先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。

「そうです。」

「なんの用で来たべ。」

「上の野原の入り口モリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」

「どこらあだりだべな。」

「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」

モリブデン何にするべな。」

「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」

「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。

又三郎だない。高田三郎だぢゃ。」佐太郎が言いました。

又三郎又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。

「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。

「わあい。やんたぢゃ。きょう四年生ど六年生だな。」

 嘉助は大急ぎで教室をはねだして逃げてしまいました。

 風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。

anond:20210322115552

ホッテントリになってる早稲田の人研のインタビューで書いてるように、

エヴァラストTV版も旧劇も「鏡」って書いてるけど、

鏡を見ても「現実自分理想自分乖離」みたいなのを感じない人は問題ないんだよ

それは毎日ちゃんと鏡を見ている人

というか、リアルの鏡もそうだけど、心の鏡を見てる人、

自分の身の丈を自覚している人とも言えるかも

でも、その身の丈を自覚してないというか、山月記肥大した自尊心というか、

そういうカテゴリーに含まれオタクに対して、

現実を見ろ」「俺が用意した鏡を見ろ」

とは言ってるんじゃないかと思うし、それはそれで自戒を込めてだったり、

庵野氏の天の邪鬼な面が出てるのではないかなあ、と思ったり

ちょっと嫉妬というか、悪い言い方をするなら、庵野氏は優れすぎてたんだよ

それは「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の前からすでにそうだったと思う

から庵野氏は「周囲を見下していた」と思うんだよ、内心は

なんというか、はしゃいでるオタクとか、若い世代とか眺めては、

そこは俺がとっくに通過した地点であって、おまえら甘いなあ、

みたいに思ってたと思うし、

シンエヴァは知らんけど、旧劇とホッテントリインタビューを読んで、

非常に面白いと思うんだけど、どこか自惚れというか、そういうのも感じられる

謙遜しているけど、庵野自身としては最善を尽くして出し切った感があっただろうし、

内容に対して、BBSなどで「庵野○ね」みたいに書かれて腹立ちもあっただろうけど、

内心は「勝ったな…」「ああ…」だったと思うんだよなあ

少なくとも、自分庵野氏だったらそう思う

ちょっと話が脱線するけど、Amazonなりネットレビューを見ていて面白いのは、

視聴者や読者があまりにも話しにのめり込み過ぎていいて、

例えば「主人公が酷い目に逢いすぎるので☆1つです」みたいな評価を下す人がいて、

自分はそういうのを読んで、内心笑ってしまうと同時に、

視聴者や読者の感情作品操作できてる時点で「作者の勝ち」だと自分は思っていて、

まあ、それは炎上マーケティング似て非なるものだとも思うんだけど、

似ている点は、客の感情を揺さぶることには成功している、

これは作品として最低限必要ものだと自分は思っている

まり、毒にも薬にもならないぐらいなら、猛毒を盛った方が作品としては面白い

というか、不愉快であれ、胸くそいであれ、印象には残るわけだ

印象に残らない作品よりはよっぽどいいと思う

もちろん、その胸くそ悪い不愉快さにも許容範囲はあって、

あるレベルを越えるとマスの客は単に不愉快なので逃げてしまって、露悪趣味の客だけ残ってしまうわけだけど、

それはそれでニッチを狙ってるともいえるわけだけど、売れる作品ではなくなってしま

から、そのさじ加減の問題なんだと思う

話を戻すと、現実を見ろ云々だけじゃなくて、庵野氏としては天然か意図的かは知らないけど、

から作品意図的に毒を混ぜている、

それは上述したように、毒を混ぜないとつまらない作品しかならないか

から、「現実を見ろ」という主張をエヴァには混ぜたけど、他の作品には混ぜてないかもしれない

それは庵野氏にとっては主張自体もどうでもいいというか、それも作品を盛り上げるためのスパイスしかない

庵野自身は「現実を見ろ」と昔から深くは考えていないのかもしれないけど、

エヴァに「現実を見ろ」という主張を混ぜたら、観客はどう思うかな?炎上するかな?

寧ろ炎上してくれるぐらいの方が面白いけど、

そういう作中に作者が込めた意図的挑発に単にのる人は、作品にのめり込み過ぎてる人、つまり現実を見ろの対象であって、

そうではなくて、作り手側の立場で考えられる人はエヴァラストもそんなに怒らないと思うんだよね

自分で言うのもなんだけど、自分エヴァラストには怒らなかった

というか、TVの25、26は作画崩壊ネタにも思えたし、エヴァループしてラブコメになってるのも良かった

「え?ここまで視聴者を引っ張り回して、なんの謎も解決しないまま、全部夢オチというか冗談でしたで終わっちゃうの?」

と怒る人は怒るんだろうけど、

なんかそれがガイナックスらしさというか、DAICONフィルムらしさというか、まあ、無責任だとは思うんだけどw

結論としては、庵野自身に「現実を見ろ」という信念みたいなものは多分ないんだと思うんだけど、

エヴァに敢えて「現実を見ろ」という演出を込めたら、BBSに「庵野○ね」とか書いてる奴らは顔真っ赤にするかなあ、

みたいに本音では庵野氏は考えてそうではある

から、そこを楽しめる人でないと怒るんだと思うんだよなあ

あと、自主制作帰りマン庵野氏がウルトラマンやっちゃってるけど、あれは自主制作から許されるんであって、

流石の庵野氏も円谷プロからも依頼されたシンゴジラでは、そういうことはやらんわけだよ、当たり前だけど

でも、自分としては円谷プロは今の東京オリンピックと同じように、お家騒動とかでゴタゴタして会社は傾かせるし、

子供の夢を食い物に裏では醜態晒してきたように思うので、

インタビューで、今のウルトラマン過去ウルトラマンメタファーしかない、みたいに言ってるように、

ゴジラをぶっ壊してしまっても良かった気もするんだけど、

あの辺が限界だったんだろうなあとか、庵野氏は大人になった、丸くなったんだなあ、とか思って、

それがちょっとまらない一因でもあったんだけど、まあ仕方がないとは思うんだよね

なんかパンクバンドみたいなのがあったとして、

インディーズで売れない時代ライブで負傷者を出すようなステージパフォーマンスがあってもいいけど、

というか良くはないけどw

売れて日本でいうならミュージックステーション?に頻繁に出るぐらいの知名度を得たのに、

インディーズ時代のノリでステージパフォーマンスで負傷者出したら、マスコミかに叩かれて消えてしまうだけだと思う

から、シンウルトラマン庵野氏がウルトラマンになることは絶対ないんだろうけどw

インタビューで語ってたように、初代ウルトラマンって沖縄問題とかイデオロギーとかのメタファーだった、

どっちかというと左翼的というか、学生運動的な臭いもあったと思うのだけど、

庵野氏が自分でああ言っているのだから

彼なりの初代ウルトラマンのようなイデオロギーメタファーウルトラマンが観れるんだろうなあと期待はしてる

ただ、自分としては上述したように、初代ウルトラマンイデオロギー左翼的とも言える面は面白いんだけど、

それはあの時代だったか面白かったというか、

そういう社会問題に対する認識が元からあったり、

プロ市民とまではいわないけど、普段から少しはそういうことをぼけっとでも考えている人なら、

初代ウルトラマンみたときに、あー、難民問題みたいなもんだよな、バルタン星人、とか思ったりするわけなんだけど、

当然、子供はそんなこと考えないで構わない、正義が悪を倒すのを観て消費してくれればいいし、

大人になって改めて観て、初代ウルトラマンを作る側が何を考えていたのか、意図してたのかを考えてみるのもいい

というか、そういうイデオロギー作品スパイスとして込めておくことで、そういう奥深さが演出できる

でも、だからといってそこにあまり意味はなくても良くて、

そこに意味を持たせすぎると、「〜するべき」みたいなべき論を伝える説教臭い作品になるわけで、

あくまスパイスでいいんだと思う

そこから視聴者それぞれが自分勝手に自分人生と重ねたり色々自由に考えて自由感想を持ってくれて構わないと思うんだよね

から現実を見ろ」も庵野氏のスパイスあくまで一つであって、それは昔から使っていたのかもしれない

使ってても視聴する側が気が付かないだけということもあるし、それはそれで構わないんだと思う

2021-03-20

ウマ娘が怖い。

ウマ娘流行り始めて、TLで馬ネタを見ない日はなくなった。

厳密に言えば、アプリリリースが延期になってからも、アニメが放映されていたり、メディアミックスがあったりと

ウマ娘」というコンテンツは走っていたとおもうが、スマホアプリリリースされて、加速度的に火がついたと思う。

かくいう自分も、インストールして、ストーリーを読んで、楽しんだ。

魅力的でかわいくて、それだけじゃないーーー闘争心を持ち合わせた、かっこよさのある少女たち。

史実を踏まえた絶妙な設定は、悔しいほど巧妙にプレイヤー心を揺さぶる。

ウマ娘は、最新の技術と、既存美少女ゲームに無い斬新さと、安心感のある”お約束”、すべてが入った、間違いなく完成度の高いコンテンツだ。

それでも。

「その馬たちは、本当にそれを望んでいたか?」

こんなことを、脳内で自問してしまうたび、自分はこのコンテンツを、心のどこかで全く肯定できなくなっていった。

ウマ娘」の世界においては、彼女たちは「自分意思で」トレセン学園に入り、自分意思レースに出走している。一位を望んで、毎日過酷トレーニングをこなし、栄光へと走っている。

けれど、現実の馬は、そうじゃない。

競走馬は、生まれときから脚質や血統を重視され、競走に適しているか否かで選別される。

出走して脚を駄目にすれば、良くて種馬、最悪の場合文字通り潰される。

そういう世界だ。彼らに道を選択する余地なんてない。

ウマ娘の綺羅綺羅しい脚色は、この、必ずしも「美しくもない」競馬の背景を、砂糖コーティングしている。

実際、「本人たちが一位のために頑張って走ってる」と思えば、競馬は倍楽しく見れるようになってしまうのも事実だ。

からこそ、すごく怖い。

「負けたら怒られる」「怪我したら潰される」のに、走る以外の道がないなんて、剣を持たされて闘技場に立たされるのと同じなのに。

(※馬をこっぴどく叱る調教師さんは少ないが、馬は繊細な動物なので、会場の空気調教師・厩務員・身近な人間感情はとても敏感に察知する)

そのうち、ウマ娘関連で、現実競走馬の「物語」が拡散されるのを見るたび、苦々しい気持ちでいっぱいになった。

どうするんだ?ゲートで暴れていたゴールドシップが、「俺ァレースなんか出たくねえ!野山を駆け回りてぇんだよ!ド畜生!!」って言ってたら。

どうするんだ?「楽しそうに」走っていると言われてた馬たちが、本当は微塵も楽しんでいなかったら。

僕たちはそれを「レース前にゲートインをボイコットする馬w」なんてコンテンツ化して、ネタにしている。

それで、人間経済が動いてる。

それで、競馬産業は、美少女ゲームは、成り立っている。

そのうちのどれだけのお金が、馬が本当に望むものを得るために使われるんだろう。

それとも、「あの子栄光を望んで、それを手にしたんだから幸せなはずだ」って皆に思われて終わるんだろうか。

きっと僕が知らなかっただけで、競馬業界には元々あったいびつさなんだろうが、

ウマ娘を通して、認識は、どんどん一般に広がっている。

一般化した認識は、そのうち「常識」になる。

「苦手なコンテンツなら距離おけよw」派の僕がこういう文章を書いてしまったのは、多分、僕一人が距離を置いてもどうしようもないと思ったからだと思う。

馬たちは、自分意志自分を売り物にしてる芸能人とも、擬人化された無機物とも、想像上のアイドルとも違って、今も生きてる。

もし、誰かの心に響いたなら、物語見出してるのは人間であって、馬たち自身じゃないことを、覚えててください。

お願いします。

====

追記しました。

https://anond.hatelabo.jp/20210321095112

2021-03-16

"無意味" で終わる。可能にする手段が知りたいんだよ!!!なら それこそAIディープラーニングのお時間じゃないですか?

これ同じ内容の投稿が何回もされているけど "無意味" で終わるんだよな

 

マンガに限らず世界中元増田に刺さる・心揺さぶコンテンツは星の数ほど存在している

けれど神じゃないからそれらすべてを認知することは不可能

仮に引っ張って来れても増田が生き物である限り時間的に全てに目を通すのは無理だぞ

タイミングに任せろよ。自分に刺さるコンテンツ存在に気づかず、

完結してた・閲覧不可能になってた時の悔しさは理解するが

本気で望めば・金積めば意外となんとかなるモンだ

 

無意味である理由じゃなくてあくまお題目可能にする手段が知りたいんだよ!!!なら

それこそAIディープラーニングのお時間じゃないですか?

趣味実益を兼ねられて良かったね。まずは論文を読むところからだな

Webクローラー作るのはそのあとでいいよ

 

そこまで手間掛けたくないなら何度も言われているように

マンガアプリ複数入れる、マンガ雑誌・アプリを買う これしかいね

 

anond:20210317171544 anond:20210316171909

2021-03-15

ネットニュースとどう付き合うのか

今のネット上でのコミュニケーションニュースを通じて行われている。

世界のどこかで感情を揺さぶられるような事件を見つけてきてニュースとして報じ、そのニュースについての意見を発信しろと迫るのだ。

沈黙肯定であり、意見を言わないのは罪だと迫られる。

同意」か「反対」か、「右」か「左」か、「○○支持者」か、迫るのだ。


毎日、悲しくなったり、怒ったり、憎んだりしているが、数年後どうなるのだろう。

それが仕事になっている人はいいと思う。

ネットの反応はこんなのだったとメディア報道するのを仕事としている人は、それで食っているのだから

けど、自分人生にどれくらい影響があるだろう。

2021-03-14

男だがコスプレにハマった

ラブライブの音乃木坂学院制服を購入して

矢澤にこウィッグを付けて

ブラジャーショーツを着用して

そこそこ長い靴下ローファーを履いて

この声優の徳井青空ボイスを編集して

「にっこにっこにー」の部分を

「にぃーにぃーにぃー」って聞こえるようにした

すると自分をお兄ちゃんと慕う矢澤にこに大興奮してはぁはぁ言いながらアレコレするようになった

スカート簡単自分でめくれるが完全に合法

ブラジャーには柔らかい布とかを詰め込んで乳を作りそれを揉めば合法で揉めて

自分の大腿を触ろうが誰にも咎められない

コクヨ学校の机と椅子を購入してから

教室でいけないことをイメージするようになった

引き出しの中には可愛い文房具適当教科書やらカバンやらを置いておき

ブルマー体操着の袋も用意した

そしていい匂いのする香水を撒き散らし

これが合法JK匂いということでヤバい気持ちがどんどん強くなる

制服ポケットからリップクリームを取り出し

それを唇に塗れば矢澤にこ間接キスしてるという妄想がはかどり

股間部にペットボトルの水を染み込ませれば

にこにーが濡れちゃってることを彷彿とさせるのでさら脳内が激しく揺さぶられる

机にお弁当箱を広げてみればあぁ矢澤にこと一緒にお昼食べてるというイメージが出てくる

それをカメラを設置して撮影しても決して盗撮でもなんでもなく合法

好きだぁああ!という気持ちを爆発させて

ラブライブダンスをひたすらしまくり

デブだった体重は標準体重マイナス13kgまで下げた

ムダ毛処理も徹底的にしたし食事内容も徹底的に改善した

肌がとても綺麗になった

食事制限をした時も矢澤にこの家は貧乏から

その時をイメージして矢澤にこと同一化していることに興奮したので苦になるどころかご褒美になった

矢澤にこの媚びる時の声を聞けば

あぁぁああ可愛いいあぁあああってなって

その自分矢澤にこになっているということで

全身全霊で身体が火照り

最後絶頂に達する

やっぱりコスプレは最高だ

2021-03-13

おじさんについて

仕事で関わりのある30〜40歳上のおじさんは女性に興味津々で気持ち悪い。

ニヤニヤ笑いかけないで。

プライベートなことを根掘り葉掘り聞かないで。

距離を詰めてこないで。

休みの日に電話をかけないで。

冷たい態度をとれば、途端に機嫌が悪くなって「もうお前の仕事は受けない」と揺さぶりをかけてくる。

そこにしか頼めない業務もあるから避けたくても避けられない。

角を立てずにニッコリ笑ってかわすしかない。

書いていてなんでこの仕事続けてるのか分からなくなってきた。

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