はてなキーワード: 煮詰まとは
動機としては、新宿のカレー屋の裏メニューにブラックペッパーカレーがあるのだが、それを再現したかった。
ネット上のどこにも、あのカレーのレシピは近い物すらないんですよね。
また、増田は以前スパイスカレー作りをしたことがあり、基本的なスパイスが使われないままキッチンの片隅に眠っているのでそれを使いたかった。
レシピの構造としては、お手軽なスパイスカレーとだいたい同じ。
の三種類を用意しておいて、
【A】 → 炒める → 【B】 → 煮込む → 【C】 → 完成
という流れ。
このあたりは一度作ったことがあるのでざっくり把握できている。
ガチインド料理の食材なんてそうそう手に入らないので、いろいろ考えた。
見つからなかった。
このあたりを調子に乗って購入すると絶対にもてあますので買わない。
とりあえずすべて以前使ったパウダーがあるのでそれで代用することにする。
青唐辛子は省略。
自分の皿にだけ一味唐辛子を追加することで辛さを補うことにする。
こんなの見たこともないよ。
調べてみるとローレルの香りに近いらしいので昔買ったローレルを探したら妻に捨てられていた。
枯れ葉に見えてたらしい。
こういうとき言いたいことはいろいろあってもグッと堪えるのがオトナの男である。
また、ロングペッパーの粉があり、確か原産地がインドっぽかったしインドの香りに近づきそうなので小匙1/2追加する。
なお、あとでパッケージを見てみたらインドじゃなくてインドネシアだった。
まずスパイス用の皿を3つ用意し、あらかじめスパイスを測り分けておく。
涙を流しながらタマネギを刻んで電子レンジに放り込み下処理。換気扇必須。
鶏肉をぶつ切りにして、先に脂味と皮をフライパンに投入して火にかけ、脂を作っておく。
【A】とタマネギを投入し炒める。
十分に香りが出たら【B】とトマト缶と鶏肉、にんにく、しょうがを加えて煮込む。
10分くらい煮込もうと思ったけど思いのほか煮詰まるのが早いので5分くらいであきらめる。
煮込んでる時間にパクチーを洗って刻み、フェンネルシードをすりばちでごりごりと摺る。
ここまででだいたい一時間くらい。
増田としては最後にカルダモンのパウダーを振り入れるアレンジを足すと美味しかった。
日本三大もんといえば、ドラえもん、ずんだもん、カルダモンである。
生トマトを使ったほうがオリジナルレシピに近い味になると思う。
もうさ
スプラトゥーン3のバンカラマッチイライラしながらプレイするのしんどいわって思いながら、
ぜんぜんまた勝てない、
何が悪いのか徹底的に見て自分で分析しなくてはいけない領域なのかしら?
そんなにSからS+って上がるの難しいのかしら?
これはもしかして他のルールのバンカラマッチも行うべきなのかしら?
また気分を切り替えてスプラトゥーン2をやったりするんだけど
こっちの方がほのぼのプレイな感じがして
なんかすごく気分転換になるのよね。
でもさ
これ勝てない理由って
なんなのかしら?
自分がどう立ち回ったらいいのか?
正直よく分からないわ。
とりあえず
スタート直後ダッシュして塗りに行く!ってのはレギュラーマッチの最初エリアの戦線を確保するためでしょ?
それは分かるの。
あとどのブキが一番適しているのか?
試合内容にもよるけど
マップによってもみんな使い分けてんのかしら?
このマップならこのブキって最適解、
あと載せるギアね。
最近私が落ち着いてきて使って載せているのが
復活時間短縮のやつ。
3つ載せたらキルできなかったときのキルされた際の復活時間がおおよそ体感半分ぐらいの速さで復活するから、
うーん、
煮詰まってるわよね。
まだいち早く私はおでんを開始しなくてはいけない準備に備えなければいけないの。
こんなバンカラマッチのガチエリアで苦戦しているようじゃ先行きがいかないわ。
でもみんなS+のランクってどうやって到達してんの?
ほんの一握りの世界の人たちが動かしているエックスマッチなの?
謎だわー。
これだと全米も泣いている暇が無いわ!
全米ってぜんべいのアメリカの国民が泣いたってことじゃなくて、
秋刀魚定食に一緒についてくる定食のご飯の一膳分のご飯全部の全米って言う意味よ。
もう全米が!って言っている場合じゃないわ。
その秋刀魚の記録を伸ばすより、
170ポイント支払って6戦やってゲットしたポイントが176ポイントとか6ポイントしか増えてなくない?って
頑張っても240ポイントとか。
これ昇格戦に挑戦できる挑戦権を獲得するまでに遙かなるオーガスタの道のりよ。
これが本当の前途多難の
前途であり多難であり
昇格戦ポイント挑戦権獲得まで遠い道のりなのよ。
先が長いわ。
はぁ
秋の夜風と同時に出てくるため息も秋の色だわ。
うふふ。
いや!うふふっていっている場合じゃないわ。
ちょっと塩っぱいわね。
鍛錬が足りないのかしら。
ヒーコーだけにしました。
まだ冷たいので大丈夫だけど
あたたたかいのとおのののかなのの切替の時の時期の境目が関が原って言うぐらいだから
天下分け目よね。
ってそれっておのののかさん!
そのぐらいの境目よ。
あ!
と思い出す秋口の
これもまだ朝若干エアコンを夜切っているので
ちょっと汗ばんだ感じにはちょうどいい飲み応えよ。
昼間はまだ暑いもんね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
色々と情報が錯綜しているプロジェクトKV関連について、内情に関する不確定な情報に関しては正直何とも言えない。
ただ一連の話の中でクリエイターは良い物さえ作ってくれれば構わない、という意見を見ることがある。これに関しては問題の内容にもよると思うのだが、出された物で評価するのであればライターの方が最後に携わった対策委員会編三章に関しても作った物であるし、アニメやテキストの差し替えがあったイベント等への影響等も同様に評価するべきではないか。
ストーリーの根幹部分は本当に良かったとは思う。クジラのように息を止めていた=本音を吐露できないでいたホシノ(アニメ版水族館回のシロコとの会話より)が先輩に弱音を吐いた上でこれからも進んでいく覚悟をしたし、シロコ*テラーやプラナは自分たちが元いた世界では守れなかった人たちを守ることができた。最終編の続編的なストーリーとしては本当によかったと思う。
ただ、気になる箇所がいくつかある。これが単に尺や締切の問題ならまあ仕方ないとは思う(明らかに話数が多く、可能な限り設定にケリをつけようとしたことは分かるので)。ただ退社と新プロジェクト立ち上げの一連の流れを見ていると、その描写に関して何か含みがあるような気がしてしまう。
私募ファンド、ネフティスの執事さん、プレジデントの対立のくだり
この辺りに関しては敵対者がコロコロ変わるし執事は心変わりしたかと思うと反省してフェードアウトするし、プレジデントは大人のやり方というわりに子供の癇癪めいた方法で話を反故にする。
この辺りは直近のイベント等でちゃんと説明すれば協力してくれるアクアパークのオーナー、反省してサオリを気遣ってくれるようになるDJ等が出てきていたのもあって、アビドス関係だけこうなの?となってしまう(エデン条約編三章〜四章のトリニティモブもトラブル担当にされていたので、モブやNPCの性格が悪いのはライターの手癖なのかもしれないが)し、エピローグにも居たこともありコレがアビドスの生徒にとっての今後の隣人かぁ…と思うとなんとも言えない。
アニメや最終編でノノミの描写から、実家問題の掘り下げを期待していたので肩透かしを喰らったのが正直なところだ。シナリオ単体だとそのくらいなのだが、退社の件と合わせて考えるとプレジデントとのやり取りは退社のきっかけとなる社内でのトラブルが元になっているのではないか…?という疑念が湧いてしまう。もちろんそんな明言はされていないし、退社の経緯に関しては知る由もないのだが。
スチルを見た時の第一印象は捨て方が雑すぎないか…?というところで、ホシノがユメと言葉を交わして前に進む=きちんとお別れをする、大切な人を弔うというのがこの章の話であるなら、尚更砂漠に打ち捨てるのではなく、綺麗に埋めるとか溶かして別の武器にするとか、やりようはあったと思う。
果たして乱雑に打ち捨てる必要性があったのか、古巣を離れることに対する表現だとすると切り捨てられた感があるし、お話のコアになるキャラクターの大事なシーンに変な文脈が乗ってくるのは正直かなり嫌な気持ちになる。
地下生活者に関して
今回の章での先生の結論は、本当にざっくりした纏め方をすると大人として自分が今やれることをやる、というものだった。それに敵対する存在が、子供のように癇癪を起こし、無敵の空間から一方的に何の責任も負わずに干渉し、チートめいた現実干渉で本来あり得ない現象を起こすというのは対比がバッチリと決まっていたと思う。
だがその上で、どこまでが地下生活者の仕業で、どこまでがそれぞれのキャラクターの動きなのかがハッキリ説明されておらず、よく分からない。先述の私募ファンドと執事とプレジデントに関して、心変わりが早すぎるのもあり、この辺りは操作されていたんじゃないか?と予想することはできる。朝霧スオウの挙動も、プレジデントを裏切って以降はホシノの強さ(キヴォトス最高の神秘としての、ゲマトリア視点のホシノの解釈)しか見ていない様子で、地下生活者の台詞に呼応して動いているので何かしら干渉されているのは間違いない。ホシノへの精神干渉がどの程度なのかは分からない。テラー化直前かもしれないし、三章の合間に頻繁にホシノの回想が挿入されるのはこの時点で干渉を受けていて夢と現実の認識が曖昧になっていたのかもしれない。
しかし実際どこからどこまでがキャラクター本人の挙動なのかは明言されない。自己顕示欲の塊ゆえに全部説明してくれたベアトリーチェや暗躍しているシーンをキッチリ映している申谷カイなど、方向性の違う黒幕でもどこからどこまでが黒幕の仕業でどこが本人の問題なのかはわかりやすかったのだが、単純に説明不足だ。
先生の爆破というファンコミュニティではさんざんアロナバリアで無効化されてきた手段を意気揚々と繰り出してきたり(よりにもよってそこで一旦シナリオの更新がストップするし)、先生の指揮の人数制限問題に関しても制約解除決戦以前からストーリー戦闘内で操作不可の味方が援護してくれる演出なんかもあったわけで、先生が打倒するにあたってのカタルシスが異様に弱かったように思う。対比構造とかモチーフにこだわるあまり動かし方が稚拙ではないだろうか。
メタ的な攻めをするわりに解釈が雑ですぐ癇癪を起こす大人なのに子供みたいなキャラクター、というとファンコミュニティでたまに見かける過激なユーザーを揶揄しているようにも思える。先生への攻撃に関してもファンコミュニティでたまに発生する死ネタ・負傷ネタの風刺であるがゆえこういう手段になったのかもしれない。二次創作へのお気持ちで作られたキャラ造形、と言ってしまうのはさすがに邪推が過ぎるだろうが、ゲマトリアというメタ的な属性を与えられている立ち位置を考えればプレイヤーが元ネタになるのも自然な話だし、それ自体は別に良いと思う。しかしユーザーの層を考えると、ある種の「チー牛」的な属性のキャラを繰り出すのは不用意すぎるし、最後に関わったシナリオでそのキャラを地下へと追い返して退社というのはちょっと危険なメッセージ性が生まれてこないだろうか。
ただ問題はキャラクター設定よりもむしろシナリオ上での動かし方で、地下生活者が三章においてもたらしたものは説明不足なゴチャついた展開と列車砲やセトなどの扱いに困って途中で流れでサクッと処理した設定ばかりで、ホシノやシロコ*テラーの苦悩と決断など、三章の良かった部分とは関りが薄い。シロコ*テラーとプラナとは元の世界の悲劇に関して因縁があるわけだし、アビドスの問題を一段落させたうえでプレナパテスの関係者メインできちんと対決するお話を用意してあげてもよかったのではないか。
表現したいことがあるならそれでいいと思う。けれど実際何がしたかったか、そもそもどこまでやらかしてるのかが分かりにくいし、ユーザーへの不快感の表明だけが文脈としてハッキリしてしまうのだとしたら、ちょっとさすがにどうなんだという感じだ。
朝霧スオウに関して
よくわからないといえば朝霧スオウだ。エピローグでの出番を見る限り確実に何か彼女は彼女で設定がある筈なのだが、ホシノの台詞の通り本当に何だったのかよくわからないまま終わってしまった。最初は対立関係にあると言われてたノゾミとヒカリを対策委員会との交渉時には遠ざけようとしていたり、ノノミの誘拐時には思うところがありそうだったり、なんやかんやノゾミとヒカリが助けているあたりホシノへの執着だけのキャラではないのは確かだろう。
ただ結局地下生活者がどこからどこまで操っていたのかわからないので、対策委員会編三章の動向だけでは本当によく分からないとしか言いようがない。雷帝関連が今後掘り下げられることもあり、シェマタ建造ぐらいの時期の話に関わってくるのかもしれないが……。
ただまあ思い返せばエデン条約編三章でも先の話を知らないとアツコを傷つけられて激怒するサオリのシーンなどはどの口で言っているんだ、と捉えられても仕方のない描写だったりするし、先のシナリオで裏事情を明かすキャラに関して事前には特にフォローが無い描き方をしているだけなのかもしれない。
セトに関して
ホシノのテラー化のついでに副産物のような形で出てきて、ホシノが復帰した後は何故か地下生活者の切り札のような扱いになって、なんか凄いらしいけどそのまま倒されたのでよくわからなかった。
セトに関しては戦闘フィールドや名前の元ネタから明らかにアビドスに関係するボスとしてデザインされているし、新規コンテンツとして無から生まれたボスではなく三章実装にあたってデザインされたボスだろう。
それが新規コンテンツのボスとしてはあまり歓迎された仕様ではなく、シナリオ的にもホシノの復活ついでに処理されているのは単に要素が渋滞したせいなのか、それともわざとなのだろうか。どちらにしろ無茶振り的な実装で調整不足なボスだと思う。
ホシノとヒナの対決に関して
スチルもアニメーションも潤沢な頂上決戦……の割には直前でホシノがシロコに一度競り負けているし、決着としても列車破壊による無効試合なので、演出は凄いのに脚本上の盛り上がりからは妙にズラされている。
ホシノの話に終始すると暗くなってしまうので派手なバトルでバランスを取ろうとしたのかもしれないが、心情的にそれどころではないタイミングで熱いバトルをされても集中できないというのが正直なところだし、その本人を巻き込んでるとなると尚更だ。
ヒナに関してはホシノのテラー化直前の台詞回しに関して、事実に即した言葉を淡々と提示して諭そうとしている。これは単にシナリオ上の都合の台詞ではなく、水着衣装のボイス等から推定するとヒナというキャラクターが確かな事実を礎にして動いており、不確定なものが苦手であるがゆえ、こういう台詞回しになっているわけだ。
事実と真実に関する話はクライマックスでも再度言及されるわけだが、今回の章を経てホシノが辿り着いたのが真実であり、ヒナが重要視しているのは事実である。おそらくはこの対比関係を前提にした上でホシノとヒナをぶつけたかったのだろうが、戦闘時のホシノは絶賛迷走中で、ヒナはゲヘナ編のシナリオがまだ来ていないので、関係が煮詰まってないけどスケジュール的に不可能なのでとりあえずノルマでバトらせたようなバトルだ。正直なところ現状の描写だけではアニメで謎に往年のライバルキャラみたいな扱いをされていたシロコとアルと大差無い関係性だと思う。
頑張っていることを認めてくれると嬉しい、人助けが生きがい、確固たるものが心の拠り所……という、今は先生が適切な距離感で接しているので安定しているものの、ヒナの精神性はもともとコミュニケーションに不安を覚えやすい子のそれだ。そういう部分でヒナの人柄を見て仲良くしてるキラキラ部の二人やまあ……偏愛を向けてるアコちゃんあたりの、頑張りとかが関係ない人間関係が大事になってくる気がするのだが、その辺りは来たるゲヘナ編に期待したい。
後輩の成長に関して
ホシノを止めるために雨雲号を持ち出したり生徒会長に立候補したりと、アヤネの凄さを感じさせるシーンが幾つかあったわりに、普通にそのまま撃退されたりプレジデントには発言を無効にされたり結局会長職は返上したりとなんというか不憫な描写が多かったように思う。
セリカに関してはあまりにも派手でスケールの大きいシナリオと相性が悪かったように思う。アニオリの水族館回でのノノミへのフォローなど、日常パートだといい立ち回りができるだけにもう少しなんとかしてあげてほしい。
今回の章で後輩メンバーたちがしっかり成長してしまうと、ホシノの未練が無くなってしまうので後輩の力で助ける・問題を解決するというストーリーにしにくかったのだろうという推測はできる。だが見せ場を作った上でそれに水を差す形で否定する、という見せ方をする必要はあったのだろうか?
ユメに関して
ホシノの物語の登場人物としては特に文句は無いのだが、プレイヤーの視点としては先生として世界を観測するゲームで、生徒には無限の可能性があると示したのと同じ口でどうすることもできないと言うのは果たしてどうなのか。
全てを許してくれる聖母のような立ち位置に先生として庇護すべき生徒を配置した上で、先生には責任がないと許してもらう(しかも先生と会話したユメは本編の状況を何も知らず、先生とホシノと三人でアビドスにいるパラレルの存在だ)のは些かグロテスクな構図に思える。ヒナの件も後出しで列車砲の件で招集した、という描写で「先生は地下生活者と違って自分の生徒同士を将棋の駒みたくぶつけるようなことはしませんよ」と説明してるわけだが、そこを説明するより地下生活者の干渉範囲のネタばらしとかもっと描写するところがあったんじゃないかと思う。
どうも三章は生徒に対する先生よりも「シャーレの先生」という立ち位置で世界の命運を左右する存在としての在り方に寄った描写が多く感じた。描きたいお話と相性が悪かったんだろうか。でもまあ確かに最終編でアリスが命を賭けるシーンとかもプレイヤーとしては分かった上で生徒を送り出してるわけだし、セカイ系と先生概念が相性悪いという話なのかもしれない。
ユメの死因に関してはそんなに明確に言及する必要があるか? と思うのだが、動いてないのに暑いよのミームへのカウンターとして描写したという説がどうもあるらしい。眉唾な話ではあるが仮にそういう意図だとすると三章完結後の現在、露悪要素のない二次創作に対して面白がってユメの死因をネタにしたコメントを書き込んで不謹慎な大喜利をする風潮がミームの代わりに蔓延っているのだが、果たしてこれが望んだ光景だったのだろうか。結局ネタバレや不謹慎な内容を避ける流れでホシノサクサクが代替としてバズったりしていたし、ミームは変わらず蔓延り、残ったのは悪ノリでキャラを愚弄して面白がる空気感だけ。
しかしギャグパートとシリアスパートで同じ台詞がぜんぜん違う文脈になる、というのはブルーアーカイブのお家芸なので何かしらの目的でわざとやってるのはそうなのかなぁとは思う。
ミームの件も合わせて考えると自分のシナリオ以外で動かされるのが嫌だったから完全に死人として扱ってるんじゃないかと思わないでもない。そういう都合でキャラクターの結末が歪められたとしたら、三章の根幹部分のお話の受け取り方も変わってくる。
対策委員会編に関しては正直初期のストーリーということもあるし、ホシノをメインに据えた話をするにあたってストーリーラインが似通ってしまうのは仕方ないのかもしれない。そこはおそらく三章の問題ではなく一章二章の方が未来でやる話と被ってしまった、というのが正しいのだろう。
ただ、先生の負傷による一時的退場でその間に加速する情勢、精神的に不安定な強い生徒が暴れてるけどそれとは別に対処しなきゃいけない問題がある、という構図はエデン条約編三章と四章そのままの構造だ。対策委員会編だけならまあホシノの問題は二章では何も解決していないから…と言えるのだが、これに関しては単に話のレパートリーが少ないだけではないだろうか。
本筋以外の部分はスケールが大きいが列車砲+スオウやカイザーの軍勢は裏で片付けられているのもあり、ワンパターンを外そうとして派手な設定を入れ、結局扱い切れずに諦めた感もある。頻繁に挿入されてるスチルもこの後負けて即落ちするんだよな…とかカッコつけてるけど後輩の静止振り切って突っ走ってるだけなんだよな…と、シナリオを合わせて見ると微妙な感想になるものが多く、手間と内容が釣り合っていない。
細部が気になるのは退社とプロジェクトの件だけが原因ではない。直近のイベントストーリーでは出来ている部分が出来ていないからだ。
ーve Alive!ではアイリの意図を勘違いしながらもがむしゃらに手を伸ばすメンバーの姿が見られたが、このイベントでのアイリがいなければスイーツ部が存続する意味がない、という言葉こそ対策委員会編三章でユメの意思を継ぎアビドスの為に自分を犠牲にしようとしていたホシノに対して、目的の否定より何より先に掛ける言葉であったのではないか。
say-bing!ではコノカ副局長の立ち回りがブルーアーカイブの根幹となるコミュニケーションであったように思う。カンナにとって大事なものを本人の意図は関係なく尊重し、しかしアクアパークから帰ってきたカンナが楽しそうだった理由はよく分かっていない、というのは他人はどこまでいっても他人である、だけどそれでも、という古則への回答そのものだ。
seaside outsideでは、人殺しの教育しか受けてこなかったような生徒に居場所はあるのかという問いに対してアリウススクワッドのメンバーがそれぞれのやり方で他人と関わる様が見られ、彼女たちにも居場所はあるのだということが示唆されていた。栗浜アケミとそれを慕うスケバンが出てきたのが象徴的で、道を外れた生徒でも受け入れてくれる人がいるというお話を立体的に表現していたように思う。
月下夢騒に関しては続きがある以上結論は出せないし、実質的な卒業済みの生徒=大人であるカイの処遇に関しては大きな不安が残る。しかし、黒幕であるカイが何を仕組んでいるかは明白であり、カグヤの暴走もキサキの門主就任初仕事が手順を無視してのカイの追放だという部分を加味すると山海経の生徒がキサキを Permalink | 記事への反応(1) | 19:52
学生時代から4年前までは毎日1枚描くとか即売会に出てたりしてたんだけど、PCゲーム始めたらあっという間に絵を描く時間がエイム練習の時間に変換された。
ゲームジャンルあるある、ゲーム中は絵が描けない、両立が難しい、ゲーム本家が楽しすぎる。
Xも鍵つけてゲームの技術向上に勤しんでたんだけど、そろそろ自分みたいな凡人の限界かなと感じる境地までは至れた。
配信中のプロゲーマーやVと味方になったり敵になったりできたのはいい経験だった。配信コメントで私を褒めてくれた人もありがとう。
ゲームはクリアした感があって(まだやるけど)心に余裕ができて、そしたら久々に絵が描きたくなった。
オタクから足を洗ったわけではないのでゲームを中心にしながら漫画は手広く読んでた。
色んな作品に触れる中で「うわ~~いいな~~イイ!!」って気持ちが沸き上がることや、頭の中が情景でいっぱいになるってことはたくさんあったけど、出力するだけの気力がゲームに取られてた。
この4年間は完全にインプット(見る専)だけで、イラストソフトの更新やらで技術的なことは相当遅れてる。
流行の絵柄や塗りも分からない。見る専になると完全受け身になるから意識しないんだよね。
まあ描くだけ描くかと思って埃だらけになってた液タブを拭いて電源をいれた。
4年分下手になっただろうな、自分にがっかりするんだろうなと思いながら、とりあえず今好きな作品のイラストを描いた。
自分の絵、最高すぎる。
描いてる最中って絵に盲目になってるから、しばらくしたら正気に戻るかもしれないけど。
元から自画自賛しながら描くタイプだったけどこんなに上手かった?って思って4年前の絵と見比べたけど明らかに今の方が上手い。
上手いというか、自分の理想の90%くらいを出力できてる。変な癖が抜けたのか。エイムみたいな話だ。まあ元から線画はほぼエイム力だけど。
粗も見えてて、顔と髪に全力すぎて身体の構造が貧弱。体に興味がなさすぎる。
今になってもまだ成長できるところがあるってことだし、目標を見つけられたのはいいことだ。
フォロワー0。気分は新しいゲームを買った時のわくわく感に近い。
やっぱり、自分の思ってることを形にするのってすごくいい。
やっぱり考えてることは定期的に出力しておかないと頭の回転が落ちる気がする。
「これが好きだ」って気持ちを難なく出力できるくらいには戻して、さらにもう一段階レベルを引き上げたいな。
対戦ゲームは他人と比べられてランク付けされるから、それがストレスでもあり刺激でもあり、上に立つ達成感がある。
絵は自分で自分を褒めていくだけのすごい趣味だ。好きなもの以外描かないし。だから体が貧弱な絵ばっかりなんだけどさ…。
楽しみ。
https://blog.nagutabby.uk/qiita-is-dead
はじめに
私は数年前にQiitaを使うのをやめました。なぜならQiitaがクソだからです。この記事では、Qiitaの黒歴史を振り返りながら、Qiitaが如何にクソであるかを説明します。
お前、歴史を振り返るとか言っときながら時系列で書くわけでもなく文章も下手で同じスタンス側として読んでてつれぇわ。読んでガッカリ。
あとお前のQiitaの使い方が気になるわ。
新着を懸命に全件チェックしとったんか?
たたき方が雑すぎる。俺が気持ちよく乗っかってQiitaをたたけるまともな記事を書いてくれ。
しかし、多くの方がご存知の通り、Qiitaは「他のWebサイトにある情報をほぼ丸パクリした記事」と「内輪ノリで書かれた下らないポエム」の墓場であり、決して知識共有サービスではありません。最近ではChatGPTが出力した文章をそのまま投稿する人々も現れ、事態がさらに悪化しています。
まあ俺も死んでるとは思うが、まだまだ新規な知見がある記事はある。なのにパクリだとかスクール課題だとかのたいしていいねもつかないクズな記事を見つけてほらクズだ!っつってもね。
書くなら「いかに知識共有を謳いながら巧妙にいいねハックされてきたか」とか具体例を書いてくれ。
内輪ノリもそういうハック、Qiitaの利益化のための企業・Organization重視とかの経緯を振り返ってくれ。
私はこのような記事を見かけるとひどく共感性羞恥を感じ、萎えてしまうのですが、私と同じような方がきっといらっしゃるのではないかと思います。
まともな言葉を使えないやつがエンジニアをしないでくれ。エンジニアか知らんけど。技術文章しかり公開文書なら古いほうの言葉の定義をちゃんと使うか、別の表現を使え。お前、会社で煮詰まるとか使ってないよな?
ウケ狙いは宿命であり流行ることは避けられない。レコメンドやランキングを好みの記事に絞れるようにしない運営を叩け。
いくら「技術ブログ」と謳っていても、技術との関連性が低い記事が投稿されることがあります。私はこのような記事を「ポエム」と呼んでいますが、Qiitaにポエムが投稿された場合はどうなるでしょうか?実は数年前まではQiitaに投稿された記事は運営によってその内容がチェックされ、ポエムに該当すると運営に判断された場合は勝手に記事が非公開にされていました。しかし、よく考えてみてください。ポエムとは何でしょうか?この記事のような愚痴を書き連ねた文章のことでしょうか?人間がそれを判断できるはずがありません。結局このルールは廃止され、今に至ります。
知らん。俺が知る限りここ数年はポエムはずっと寛容だった。お前が定義するポエムは知らんが、技術の関連性が低い記事も沢山あったしポエムタグもずっと盛況だった。
さくらとか、毛の壁…はどうだったか。質の低さをQiitaが検閲してた感触はないし、質の低い記事にユーザーが沢山通報して非公開化に追いやるムーブメントが盛況だった記憶もない。
愚痴を連ねるやべーヤツは対処されてた記憶はあるが。どうだったかな。
https://blog.qiita.com/account-suspension-in-qiita/
Qiitaでは「技術的にレベルが低い」「技術的に間違っている」「Qiitaというサービスや運営に批判的である」といった理由で記事の非公開化やアカウント停止という措置を取ることはございません。
過去にも何度か事例がありますが、アカウント停止措置の実施理由は殆どの場合、他のユーザーに対して攻撃的な発言や誹謗中傷を繰り返すなど、コミュニティガイドラインや利用規約に沿わないというものです。
ああ、上記の件の@administrator1974の今後必要になるプログラム言語もあったか。こういうのも確かにあったが、こういう人間が出てくるのはレアのレアのレアだったな。そういう事件は時たま起こるもんだ。最悪手をとらなければ非公開にそこまで強い非難はおきんだろう。
お前が運営のどういった運用を非難しているのかわからん。新着を全部チェックして見返してポエムが非公開になっていたことを観測してきたのか?詳細を書いてくれ。ぼんやりとしすぎている。
調べなおして思い出したが、もしかして2017年のこと言ってる?
それならたしかにmatzの記事が非公開になったりしてたな。でも2024年公開の記事で数年前っつって2017年を出すのはちと古い。もっとしっかり書いてくれ。あのときらへんはQiitaがどっちに舵をとるかどうかで揺れ動いていた気がする。結果、ガバガバの今に至るわけだが。
これについてもまあ突発的な行動で反発が出たわけだが
「実は数年前まではQiitaに投稿された記事は運営によってその内容がチェックされ、ポエムに該当すると運営に判断された場合は勝手に記事が非公開にされていました」
でずっとそのような運営がされていたように誘導しているが、実際はずっとゆるゆるでここで厳しくしてみて騒動になったという話。
俺もだいぶ記憶があやふやだが、それにしてもお前の文章からは悪意を感じるので信用できない語り手だ。まともな情報を時系列とソース付きで騙ってくれ。
https://yro.srad.jp/story/17/05/12/067229/
なお2016年のやつでもこういうのは残っててゆるゆる
「口やかましい少数派」に翻弄されるQiitaサポートは無能である
https://qiita.com/richmikan@github/items/8831c97598cc095e2b95
数年前に大幅なアップデートが行われ、ユーザーが読んだ記事が第三者に公開されていた時期がありました。これはWebブラウザーのアクセス履歴が第三者に公開されるようなものであり、個人が特定されるリスクがあります。また、業務で生じた問題を解決するためにQiitaを利用していた場合は、他者に業務内容を推測されるリスクがあります。このようなアップデートは避けるべきであり、社内で十分な議論がなされないまま機能が実装されたことは明らかでした。
うそでーす。
今のユーザーページにある投稿した記事のanalyzeみたいに見た記事の中で多いタグトップ5の割りあいが表示されてました。
何を見たのかはわかりませーん。特定できませーん。見た記事より書いた記事の方がよっぽど業務内容に繋がるわ。タグの割りあいだけで個人や業務が推測できたらそれはもうホームズレベルで超能力だから許そう!降参だ。
まあ俺もこれでJobsのほうにはいろいろ黙って渡してんじゃねーの?見た記事も企業側は見れてたんじゃねーの?と思って愛想が尽きた。実際には棲んでいる地域やワードとかも提供されてたわけだし。
だけど正確ではない情報を書いてんじゃねーよ。
https://blog.qiita.com/about-user-page-renewal-20200331/
掲示板やToDoリストのような、お決まりの題材を使ったアプリの制作過程の情報を日常的に目にするようになりました。これはいわゆるポートフォリオとしてQiitaを利用している例であり、シニアエンジニアの間でQiitaがオワコンになり始めたことや、プログラミングスクールに通う多くの人々がQiitaを使い始めたことを示すものでした。その状況を理解するや否や、Qiitaの価値の低下は避けられないと感じました。
これも人が増えた場所の宿命だ。Qiitaがするべきはレコメンド・フィルターの拡充であってそこを叩け。そもそもそんな記事はランキングに上がらないんだから新着汚染にしかならん。検索はストック数とかでフィルターしろ。
お前はどういうQiitaの使い方をしてるんだ?新着チェックしてた猛者なのか?エッジケースだよそれ。
とかくお前の切り口が雑すぎて悲しい。もっと刃を尖らせろ。
お前、Zennもこうならんって言えるのか?言えるならその理由を書いて比較して叩いてくれ。
Qiitaにポエムを投稿できるようになった一方で、Qiitaに投稿される記事の質が低下したことにより、Xやはてな匿名ダイアリーに表示されるような短文投稿が増えました。記事の文章は長ければ長いほどいいとは限りませんが、あまりにも文章が短く、それぞれの文の文字数が少ないので記事の内容が理解しにくいです。この段階に入ると、Qiitaはブログというよりもメモ帳と呼んだ方がいいのではないかと感じ始めました。少なくとも技術ブログのような目新しさや正確さはほとんど感じられなくなりました。
まあ、そもそもQiitaの出発(中盤かな。Q&Aから転換以降)はメモ帳共有でもあったがな。
Qiitaは、エンジニアに関する知識を記録・共有するためのサービスです。 プログラミングに関するTips、ノウハウ、メモを簡単に記録 & 公開することができます。
記事の文章は長ければ長いほどいいとは限りませんが、あまりにも文章が短く、それぞれの文の文字数が少ないので記事の内容が理解しにくいです。
そもそも俺はメモの共有が気に入って使い始めて「人に見せる記事」にしましょうって流れで居心地悪くなったから見えてるサイトが違うっすね。
だから人が増えたサイトで石を除いて玉を多く見せるのはQiitaの技術的な使命であってそこが現状のトレンドで不十分つーならそこを叩けよ。石の量が増えたことを嘆いたってなんの生産性もないし批判たりえんのだわ。
あと再度書くけど俺の認識ではポエムはずっと書かれてきたしジャンルとして排斥を試みたのはとても短い期間だったからな。
俺は今のQiitaが嫌いだしQiitaはいろいろやらかしすぎたしQiitaには俺が好むような記事だけを視界に入れさせろと思ってるわけだが、とはいえこんな文章に乗っかる気にもなれん。
お前が目新しい技術記事を書いてる姿がまったく想像できんのや。
話が抽象的すぎて正確さはほとんど感じられなくなりました。ってブーメランをわざと狙ってたのなら脱帽。
私はこのような記事を読んで共感性羞恥を感じ、萎えてしまうのですが、私と同じような方がきっといらっしゃるのではないかと思います。
憶測なんで、違うかも知れんが。
弟君は自分の不安を相談する相手がいないんだろうな。弟君自身の不安やコンプレックスが姉へのけなし文句に表れてる。
問題児だと思われて腫れ物に触るように扱われることでさらにへそが曲がる。
あと、弟君、案外シスコンかもしれん。姉ちゃんに対してブスと言いつつ夜職以外できないとも言うあたり、姉ちゃん美人だなと思ってる可能性が…
他の暴言や暴力も、姉ちゃんになら言ってもいい、やってもいいと甘えてんだよ。
弟君は13歳で図体はでかくなったかもしれないが、中身はまさしく小学生に毛が生えたようなもんで、優しく話を聞いてくれて相談に乗ってくれる大人の存在が重要。
増田については、弟が一目置くような、格好よく包容力のある姉として一皮むけるのが解決策かもね。1~2年先見据えてじっくりと。
勉強、読書、部活、バイト等がんばって、弟とは別次元の活動範囲と視野を持ったら良い。そしたらipadくらいで喧嘩しなくなるよ。ipadなんてどうでも良くなるし、なんなら姉ちゃんが買ってやろうかみたいな立場になるかもしれない。
で、自分のやりたいことで忙しくして、あんまり家にいないほうが良いね。家族以外にも自分の居心地のいいコミュニティをいくつか持つと、家族関係だけで煮詰まらなくなるからメンタルにも良い。
それが効果的だと思うなら続ければいいと思うんだけどさ
インターネッツ上でパヨクが連帯する為のミームにしかなってないんよな
煮えすぎて水分がなくなるの意味もある
朝は必ず生温かい飯に、煮詰つた汁と極つて居たのが、
其日にかぎつては、飯も焚きたての気の立つやつで、
汁は又、煮立つたばかりの赤味噌のにほひが甘さうに
鼻の端へ来るのであつた
熱気があって面白そうだなーと思って特に後先考えずに入った職場がわりとカルトだった。トップが有名人でメディアにもよく引っ張られてるんだけども、それは聴衆を心地よくさせる夢物語を語るのが上手いからで、本人の技能はたいしたことない。それだけなら良いんだが、当人は自分がすごく賢いと思っていて、社内のいろんな業務にいっちょ噛みしてくる。能力がないもんだから指摘は的外れかつ理不尽で、でも組織が彼の対外的プレゼンスに依存している以上、表立って「お前は馬鹿だ」とも言いづらい。で、心理的矛盾に耐えかねた人たちの一部が、防衛機制によってさらにトップを神格化するというループが発生してしまっている。ひどい境遇に置かれている人ほど自分の境遇に意味を見出すというやつである。自分がいま理不尽に詰められている(ように思われる)のは、彼の偉大な考えを自分が理解できていないからに違いない!みたいな感じ。みんながみんなってわけじゃないんだけど、トップに近いマネジメント層ほどそうなりがちで、影響を受けて組織全体がなんか気持ち悪い熱気に包まれている。それを最初自分は活気だと思ってしまったわけだけど、どっちかというとカルトの煮詰まった高揚感というか酩酊感というかそんな感じである。社員の一人なんて最近周知された意味不明な企業理念の独自解説をチャットアプリに延々と書くようなっちゃったし、とにかく気持ち悪い。正気を保っている人たちはみな疲れている。というわけで自分はさくっと逃げることにした。素敵な同僚も何人かいたので残念だが、自分の精神のほうが大事である。それはそれとして、組織のカルト化パターンとして興味深かったので、今後あの場所がどう変化していくのか、いつ崩壊するのか、そのまま行くところまで行くのか、外から眺めていようと思う。
現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論や交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法は誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである。
注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである。
調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたことである。そして同じく白樺派の有島武郎や長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生・木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブな意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。
心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。
牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報の文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである。
もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブな用法も多かったようだ。
この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。
もとは『The Scarlet Empire』というタイトルのアメリカの小説である。原文は「It looks as if religion may correctly be said to have gone to seed, in this country.」となっており、「gone to seed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。
私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ
こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in my heart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。
真夏の暑い日に遠く法華宗のお題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。ものが煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。
「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。
議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写。結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか。
かるが故に自己の生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級の城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度を採用することは一に権力者に反抗する意志を学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護の有為なる人材を作ることになる。
この式場隆三郎も白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか。
勿論コチコチ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所を認識する感服癖さえある。
昭和10年 ギュスターヴ・フローベール『ジョルジュ・サンドへの書簡』
では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。
翻訳書。英文は「Adieu, it is late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。
戦前は武者小路実篤を中心に、小説・詩歌・戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論や交渉が煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。
それに関してわかりやすいのは「国会会議録検索」で、戦前の「帝国議会会議録検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉の文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。
となると次に気になるのは「議論が煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブな文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。
しかし日本側は表面上は「朝鮮総連を相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤が相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから、問題は煮詰ってしまった。
やはり人間は災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのときの判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。
ハイ・スクールからジュニア・カレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジ・ライフで煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである。
ああいう自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。
「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まっちゃう」「煮詰まっちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」
昭和60年 毛利子来・岡島治夫・末永蒼生『「体」発、宇宙へ』
「結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法は議論や交渉の文脈でしか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか。
ちなみに、この「行き詰まる」用法が誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰まる 誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。
といったところか。
「煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。
それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブなイメージを適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブなイメージを適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。
もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然な感覚である。当初から「煮詰まる」は多義的な比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。
えれぇものを見た気分になったので感想を書かずにいられませんでした。
ひとつめ、「チー牛」は成り立ちからしても差別用語ととらえて差し支えないので、旦那さんの懸念はすごくわかる。概念を受け入れてしまったので、たぶんあとあと奥様がもっとやばくなっていくとおもう。ご友人LINEがエコーチャンバーになるとおもうので。
ふたつめ、息子さんが同級生の友達なりと遊んでいる(オンラインであれなんであれ)なら、親が変な横やりを入れない限りそうおかしなことにはならないとおもう。
友達の人数は問題じゃなくて、日常的に話ができる相手がいるかどうか。
友達がいて、親が過剰に干渉しない場合、だいたいの子供はおかしなことにはならない。
これは旦那さんの文面からして、理路整然としているし心配している様子がわかるので、いままでは問題なかったのではないだろうか。
みっつめ、奥さんが変な心配をして息子さんの生き方に口出しし始めたらたぶんだめ。なぜなら、基本的には人間にほかの人間を変えることはできないので。
残念ながらこれは、奥さんと旦那さんの間でもそうだし、おふたりと息子さんの間でもそう。血がつながっていようがなんだろうが、あなた自身以外はあなたではなく他人です。「変わってほしい」はいつか「変えてやる」になり、状況が煮詰まったあとの最終到達地点は我々がニュースでみるたぐいの事件になる。
奥さんが心配しているのはおそらく、「息子さんに積極的な社会性がみられない気がする」ということで、これはあくまで奥さんからみた息子さんへの感想でしかないことを忘れてはいけない。そして今回運悪く、ご友人から ”奥様本人としては” 息子さんへの感想にぴったりくる概念を仕入れてしまった、受け入れてしまったのが不幸の始まりですね。