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「取り戻す時が来た」反転攻勢開始か “大けが”ウクライナ軍総司令官
ウクライナ軍の総司令官がSNSに「我々のものを取り戻す時が来た」と投稿しました。反転攻勢の開始を宣言した可能性もあります。
ウクライナ軍のザルジニー総司令官は27日、ロシア軍との戦闘に臨む兵士の動画とともに「我々のものを取り戻す時が来た」とSNSに投稿しました。
ザルジニー氏については、ロシアメディアがロシア軍によるミサイル攻撃を受け負傷し、職務の継続が困難になったと伝えていました。
反転攻勢を巡っては、ポドリャク大統領府顧問が25日、「特定の日時に始まる“ひとつの出来事”ではない」と述べています。
ウクライナメディアによりますと、ロシアが併合を宣言したウクライナ南部ザポリージャ州のベルジャンシクで27日、複数回爆発があったということです。
Прийшов час повертати своє.
@CinCAFU
これはテレグラムだ。
英訳すると
@CinCAFU
一旦退却して背後に残したものを掴む時
タイトルもコピーライターを入れましたそのもの。中身が全くない。中2病レベル。
ウクナチはどこに金をつっこんでいるんや。
こんな動画を作る暇はない。
というプロパガンダ。
つまり諸葛亮と同じならザルジニーは死んでいる。日テレはうそ。
頭の片隅には常に仕事のことがこびりつき、週末であっても業務内容について考えてしまう。
考えない時間を強制的に作り、精神を休めるためには寝るしかない。そして寝るだけの週末ばかりを過ごす。
心の底から楽しい休暇を過ごすためには、日本から時差のある国に行かないと休めない。
自己責任だ。それは知ってる。
社畜だな、その通り。
今の状況が好きなんだろう?そうだね、とドヤ顔で答えられる。
海外旅行に行けるほど給料もらってるんだろう?と言われたら、まあ。というところ。
多分な事件事案解決への祭り感に乗りたい欲を満たし、自己犠牲精神を捧げ、外資企業に所属をするか業務として請け負っている時は
時差を乗り越えないとならない業務にどっぷり浸かりながらいわゆるWeb/IT業界を中心に転々としもう20年以上。
その間、9.11、2018年には初回のドットコム・バブル崩壊、3.11、コロナのパンデミック、ウクライナ紛争、日本元首相の銃撃事件
雇用体系や所属企業が変わっても一貫して24時間365日正常に動いて当たり前のサービスまたは製品を担当しているので
世情にも社内政治にも社内の状況にも全力で振り回される。
気分的にはジェットコースターに乗っているというより、一分一秒途切れず水もなしに高速で脱水している洗濯槽に生身のまま放り込まれている気分。
単なる憶測にすぎないが、田舎でそれなりに立場のある親の子どもは、ガキのころに天狗になりやすい。
しかし都市部の大学に出たときに自分の実力を思い知る。今まで見えていたものは単なる幻想で、自分など大したことはなかったと。ここで非常な挫折を経験する。
「私がいちばん馬鹿」のようなポジションになってしまうとその中でもより挫折しやすい。これは都市部の私立高校でも発生する。
昨今では、地方と東京の断絶が進み、学歴差も大きくなっている。田舎しか見たことがない子どもは、東京の強大さを全く知らないのに「自分がナンバーワン。少なくともだいぶ優れている」と思っている。自分の田舎を100倍したものが日本のすべてだと感じるのだろう。だから、位置的にもそのようになるのだと感じるのは自然なことだ。「日本」と「アメリカ」の関係もあるが似たようなものだ。
こうした子どもが首都圏に行くと自分が味噌っかすであることを全身全霊・魂レベルで経験することになる。そこらへんのどこにでもいる凡愚とされる。準備などしていなかった衝撃である。年々、この落差がどんどん激しくなっているように思う。
彼らは「地元の名士」の子どもでもなかったりする。地元の名士は何かと東京と繋がっているものだからそういう情報が入ってきやすいが、彼らはそういう情報がなく、表面的な文化の部分でのみ都会を理解しているのである。これはしかし原理上どうしようもないことになっている。
彼らのほとんどは挫折によって苦しみながらも自分の立場をなんとか確保して成長していく。とくに、若いころから苦い経験を飲み込んで努力を積み重ねてきた人間は、問題を抱えつつも人格的にも能力的にも徐々に成長していく。こうした人間は適応し、確固たる居場所を獲得する。そういう人々が家臣団として東京周辺にザッと住んでいるのだ。城下町のように、家来として東京の中心地を囲んでいる。そして主君のお望みの通りに馳せ参じるのである。また、各々の人生を歩む。よく成功しようとしたい者は海外に出る。海外というのは「アメリカ・イギリス・EU」などのことだ。ここ最近は主君をアメリカとみなしているのである。長いものには巻かれろということだ。
しかし、大した努力や積み重ねもなく、今まで1番を獲得し続けてきた子や、親から1番になること、1番でなくともある程度優位な立場を得ることを強いられ続けてきた子、強制的にレール上を歩かされてきた子は、ここで強烈に挫折を味わい、脱落していく。「挫折」と表現されたくすらないかもしれない。ちっぽけなプライドゆえに「挫折」と捉えられない。「挫折した」のではなく、「今も挫折し続けている」のだ。立ち直る術を知らない。
「本気を出してないだけ」「時代が悪かった」「環境が悪かった」と、なんとかして知性化という合理化を図り、自分の心が折れていることを観測できない。もう耐えきれない。心を捻じ曲げようとする。「お前ぐらい勉強ができるものは無限にいるぞ」と受け入れられない。そのような「田舎」など、全国で見ればほとんど無限にあるのだ。足軽にもなれないような実力なのに、身分は家老ぐらいあると感じている。穢多・非人程度の扱いをされるのは、到底受け入れられない。
自分を知らないし、他人のことも知らない。ただただ軽視されることに耐えられないのである。第一、もはや身分が違うからといって人を軽んじていい世の中ではない。ますます生きにくくなる一方だ。ポリティカルコレクトネスとはそういう流れだろう。
生きている意味とは何かわからない。親もまた、その挫折を真剣に受け止められない。立場が違いすぎるがゆえに、わかってあげることができないのだ。わかってくれるような親ならば、初めから違った教育をしている。
彼らは、性格も歪んでいるために、友人関係を結べない。「バカで無能で愚図でおまけに性格も悪く、カッコよくも可愛くもなく、一人で生きる力も無いし、人のために何かすることができず、依存性が高く、他の周りの人たちよりも恵まれた環境なのに文句ばかり言う割に、他人の助言を聞き入れもしない」という、どうしようもない子どものできあがりである。何者かになろうとしていると表現されている。アイデンティティの崩壊がある。すぐそこに救いはあるのに、自らが軽んじている相手に頭を下げて敬意を払うことができない。この私が。屈辱だ。なぜ私がこんな目に。私は軽蔑などされるべき対象ではなく、人を一方的に軽蔑しても良いはずなのに、なぜ人は私を軽蔑してくるのだろうか。なぜ人は精神を蝕んでくるのか。
わかっている人でも、これを鋭く指摘してはくれない。下手に関わって逆恨みされたくはない。全く無関係の嫌な奴の精神の奥深くを抉ってもメリットなどないのだ。すぐに離れていくことだろう。そもそもあまりに距離が遠すぎて、そういう人に出会うことがない。ただ運のみである。そういう運命の人がたまたま自分の近くに来ることは少ない。理解のある彼くん、私の王子様、ぼくの女神さま、オタクに優しいギャルなど。
大抵、こうした子の親は両親とも毒親であり、子どもはアダルトチルドレンである。
そして親にそこそこの金があれば、脱落しても引きこもりをすることができる。
自分がゴミクズであることを受け入れて、セルフネグレクトに邁進する日常を選択できる。幸福だ。絶望という名前はついているが、幸福で穏やかな毎日を送ることができる。
何をやっても無駄なのだという学習性無力感と精神の麻痺。突然湧き上がってくる希死念慮。荒廃した生活。死ぬという選択が取れない優柔不断さ。他責的・他罰的な発言。努力をしようと「学問」に活路を見出すも、それをどう活かせるのかは未知数であり、どうすれば生きることができるのかはわからないのだ。学問は決して救わない。機械的人間を大量生産する教育システムそのものが時代遅れなのである。経済の硬直化と後進性と長老支配。学問の民主化により、昭和初期の三流エリートぐらいの知識があるだけでは、生存には足りないのだ。自分の力での生き方はわからないのに、生存自体はし続けることができるという矛盾。欲が無い。欲を持つことができない。
そして、そうした努力も長くは続かない。学校の勉強ぐらいしか知らないのだ。狭い価値観ゆえにそれしか道がないと勝手に思い込んでいる。やがて意味がないと気付くのであろう。容易にやめてしまう。簡単にたどり着けるところまでやったあとはすぐにやめてしまう。見下していた賤業には就きたくないという都落ちを拒否する愚かなプライド。山月記で何を学んだのだろうか。そしてある日、その「賤業」にすら就けなくなる。精神は子どもなのに、体だけはしっかり老化していく。虎にすらなれないのだ。
親に中途半端に金があるのが厄介である。親は、償おうとする。子もときには努力しようとする。それでもうまくいかないし、近所は理解しない。何か精神的に異常なのであろうという、全く異なる価値観によって蔑まれる。それが村社会というものだ。
親に金がなければ、生きていくために自力で仕事につく他ない。首都圏で揉まれ続ければ、やがては苦しみながらも自分の生きる場所を確保できるだろう。
しかし、ただ親元で小さな世界で何年も何年も閉じた生活を送っていると、そうした道も閉ざされる。貴族的な生活。放蕩、放縦。嫌悪している相手に依存しているという忌避感。
年齢の数値は淡々と増えていく。やがて手遅れそうなことに気付くのであろう。
なんなのだこの人生は。なんなのだこの世の中は。許しがたい。テロリストたちへの深い共感。
人は言う。「自分が招いたことだ」「自己責任だ」と言う。この世には悪しかいないように見える。悪辣な社会の中で自分だけが虐げられている。他人に「自己責任だ」と言う者もまたコンプレックスを抱えている。「お前が悪いのだろう」と言いたいのだ。「お前の自己責任だ」という言葉は、「俺が悪いとでも言いたいのか?」の裏返しだ。
他人は楽しんでいるではないか。どうして私が苦しまなければならないのか。
異世界かもしれない。異世界に行けば、愚かな民たちを嘲笑い、自分が正しく認められる世界に行けるのではないかと、光を見出す。
更に狩られているだけなのだ。その精神は看破しているぞ。ただの餌だ。空想の世界へようこそ。現実を直視できない。現実はどうしてこう苦しいのか。
しかし、現実は「そんなどうしようもないものではない」ということをまだ知らない、という点が彼らにとっての最大の不幸である。価値観そのものがどうしようもなく古いのである。
自分がどうしようもないダメ人間だという真実をすべて受容して、それを打ち払おうと一歩一歩踏み出すことでしか道は開かれない。外に出て、本を読むなど世界を広げれば良い。また、生活パターンを変える。思考を広げる。それが本来の学問というものだ。
人材は不足している。別に自分はそういう人物なのだから仕方がないのだ。でもそれを、自分で変えようと進み続けることで自分の人生が拓かれる。ニートのままでも別にいい。全然変わらなくてもそれはそれで仕方がない。
本来、絶望する必要はないはずなのに、どうしても絶望したいのだ。能動的に幸福になるために受動的に絶望を選択している。
絶望することで、「ハンデを負っているのにここまでできる自分はすごいのだ」と思いたいのだ。セルフ・ハンディキャッピングという。
そうではない。より強い絶望を選ぶべきなのだ。能動的に絶望を選ぶことで、受動的に幸福になれるのだ。自ら絶望しなければならない。今より苦しめば、今より苦しまなくなる。
苦しみからずっと逃れようとして「楽な苦しみ」を選び続けているだけなのだ。世間はそれを看破して「楽でいいね」と言っている。世間側のイラつきもある。
もしくは、やはり目を閉ざして、元の穏やかで苦しいメルヘンワールドに戻るかだ。知らぬが仏という。こんな偏見にまみれた文章などくそったれだ。せいぜい凡人たちは、社畜を頑張れば良いさ。
教育ママも、また、気をつけなければならない。教育ママのコンプレックスは、子どもを愛玩動物のように扱おうとすることで子どもに伝染し、子どもを生涯苦しめることになる。愛と呼ばれるものではない。
頑張ってほしい。
その疑問にお答えするよ。
先ず、社会の趨勢が「ネトウヨが多数」みたいな世の中になったらヤバイとわたしは思っている。
あんな愚か者たちの声が政治を動かして司法/立法/行政に影響が出るなんてヤバいとしか言いようがない。そう思ってる。
だから批判するんだよ。ネトウヨが理想とする世の中なんてクソだって言うんだよ。
何もされてないんだろ?何でそんなに憎んでるん?
私怨はないよ。
ネトウヨから直接害を受けたことはない。せいぜいTwitterでウザ絡みされたくらい。
でも社会が悪い方向に向かうということは自分にも影響があるんだよね。
差別は肯定され男女の平等は実現せず軍事大国化して福祉はおざなり
国会は保守独裁の支配体制で行政文書は開示されず、あげくのはてに改竄されている
権力者に忠誠を誓う者は優遇されるけれど少しでも批判すれば非国民だと罵られる
老いた政治家がいつまでも権力の座に居座って若い者の声は届かない
そんな国になっていいと思う?
わたしは思わない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1f2f09d00ac48a424675fe884834f2437dc595ed?page=2
横だけど
空いてる席に座らない結果として幸福度が高いんだから自己責任もクソもないって話じゃないの
統計だけ見れば「より多くのリスクや責任を負うことになっても社会的な立場を向上させたい」という人間は男女ともに少数派でしょ
by-king 日本は世界的に見ても女性の幸福度が男性に比べて高い国。男女共に責任を嫌うが男性がより責任を負っていると考えると辻褄が合う。子を持つ女性の幸福度が下がる事もこれで説明がつく。
このブクマカは女が空いている席に座らない派みたいだけどさ、どうやって判断してんだろ
似たような話…でも無いかもしれないが
若手の起用を切望されていたりするのだが、こういうのには元有力者たちが席を空けないという前提で批判が集中する
Politik als Wissenschaft 貼っときますえ
日本のメディアは、武者小路の訳のほうを報道しただろうと見られる
(ブルンチュリ)「国家と教会とのあいだの避けられない闘争」が存在し、「女性は立場上、教会の影響を受けやすい」が、「女性にも選挙権が与えられれば、女性も義務と責任を感じ、誰を信頼するかについての自分の選択についてはより慎重になるだろう」。「女性の排除については、男女の性質に基づく理由が働いている可能性が高く、真剣かつ慎重な検討が求められる」
(武者小路実世とグイド・フルベッキの共訳)「世界一般の常識によれば、女子の意思は多く僧侶の誘導によって決するものである。したがって、もし女子が選挙権を有するときには、およそその父と夫に背き、むしろ僧侶の指揮に従って選挙を行うという弊害が生じ、ついには国家に大きな害を齎すことになるだろう。今日いまだにローマ・カトリック教を信仰する国においては、女子が僧侶に惑わされて、もっぱら寺院のためにその方向性を誤り、ついには国の独立を犠牲にしようとするに至る者がしばしばいる。いわんや、選挙のことで男女両性のあいだに不和が生じることがあれば、一家には争いごとが絶えず、その不和は、全国に波及することになるだろう。これを恐れる必要があるのか。また、もし一家の主が多く選挙権を有することで国家に利益があるとするならば、その一家の女子には選挙権を与えず、むしろその主である者にその選挙権を与えてもよい。」
これは裁判官らが、スイス人女性の人格の一部をかなり拡大して変造したうえで人格攻撃をしているわけですが、
このような変造があったからか、大日本帝国憲法では、女性選挙権の成立の端緒すらなかった。
それで軍事国家になり、原爆が落ちたわけですが、自己責任なので構いません?
アニメ『推しの子』の件で、遺族に対し気の毒、みたいな主張も散見されたけど、あれ、木村響子さんってそういう立ち位置の人だったっけ?
木村花さんの事件を契機にネット上の誹謗中傷をなくす活動に尽力され、侮辱罪の厳罰化という表現の自由を脅かす悪法の成立を強く後押しされてきた、いわば政治活動家とでも言うべき方だったと思うんだけど。
ただの遺族なら、まあ、感情的になってアニメに当たり散らしたりしても仕方ないですよ。でも木村響子さんは、政治活動家として、ご自分の掲げた政治的アジェンダに反することをしないという倫理的責任があるんじゃないですか?
畜産業反対の活動家は尊敬に値するかもしれないけど、そいつがミルク飲んでステーキ食ってたら軽蔑すべき存在でしょう? 中絶反対はそれはそれで理解できる主張だけど、プロライフの活動家が彼女に堕胎させてたら大問題でしょう?
それと同じように、誹謗中傷に反対して懲役刑を導入する刑法改正まで求める――つまり、他人を刑務所に入れるべきだと主張する――政治的活動をなさってきた木村響子さんは、当然、あらゆる誹謗中傷を行わない倫理的責任を強く有するはずだけど。
事実誤認に基づいて見てないアニメの制作陣を軽蔑すると公言するのは、木村花さんのことを断片的な印象だけで侮辱してきた人たちの行為と何が違うんですか? という問いはなされて当然。なぜなら彼女はただの遺族ではなく政治活動家なのだから。自らが掲げ他人を刑務所に入れるべきだとまで主張してきた政治的アジェンダには忠実であるべきだ。
作品の発表時期や作者のツイートから、木村花さんの事件が元ネタではない可能性は非常に高い(元々リアリティショーは自殺者が大勢出ることで有名なものなのだ)。また、仮に木村花さんの事件を元ネタにしていたとしても、キャラ設定などの内容が大きく異なっているし、有名な事件なので一々許可を取る必要性は存在しない。
(しばしば持ち出される『石に泳ぐ魚』は、実在する無名の在日コリアン女性の経歴やら顔貌の奇形やらをほぼ事実そのままで事細かに描写し、身近な人が「あ、これ○○さんだ」と特定できる案件だから問題になったのであって、キャラ設定などがかなり変わっている本件とは比較にならない。マジで「元ネタの人物と大学院も専攻も父親の逮捕歴とその容疑も顔面に奇形があることも一緒の在日コリアン女性」を登場させてたんだぜ、あの作品……その上でそのキャラを怪しげな新興宗教に入信させたんだからそりゃ大問題になるわ)
見る人が見れば実在の事件をモデルにしたとわかる作品はいくつもある。たとえば東野圭吾さんの『沈黙のパレード』は明らかに実在の無罪事件(城丸君事件)を題材にしているが、東野さんは事件の遺族から許可を取るべきだっただろうか? そうは思わない。なぜなら『沈黙のパレード』単体で見れば、遺族や被害者のプライバシーを明かすような内容ではないのは明白だからだ。さらに言えば、事件前から有名人だった(しかも偶然ではなく自分から望んでそうなった)木村花さんの場合、仮に芸歴などが元ネタそのままだったとしてもプライバシーの侵害には何ら当たらないだろう。プロレスラーとしてデビューし、リアリティショーに出るのを決断したのは彼女自身であって、それらの経歴がモチーフにされても何の問題もないからだ(『石に泳ぐ魚』の登場人物のモチーフは無名の大学院生だった)。
そして、『推しの子』が木村花さんをモチーフにした、とは言い切れない以上、なおさら問題はないことになる。加えて、木村響子さんは作品を見てはいないと公言されている(それとも今は見たのかな?)。見ていない作品を本当かどうかわからない情報に基づいて「売るため 話題になるためなら 手段を選ばないやりくち 心から 軽蔑します」とツイートすることは、木村花さんがされていた誹謗中傷とどのように違うのか、彼女は答えなければならない。なぜなら、そのような行為を戒めることこそが、彼女の政治活動の中核だったのだから。社会を変えようとする活動家はその理念に忠実であるべきだ。
増田の指摘はごもっとも。それはそれとして、これまでの主張なんか知ったことかこの作品が憎くてたまらんのじゃい、と怒りを表明するのもまた自由。
もちろんその通り。『テラスハウス』を流し見して木村花さんに憤りを感じた人がその憤りをSNSで本人に見えるように表明するのが自由であるべきであるように、『推しの子』について仄聞して怒りを感じた木村響子さんがアニメ制作陣への怒りを彼らの目につくような場所で表明するのはまったくの自由であるべきだ。政治活動家としては一貫性が取れていないが、しかし、政治活動家としての筋を通さないことは自由なので(その結果生まれる評判は自己責任というやつだろう)。
学者兼活動家や弁護士兼活動家とかを見ると、これは学者/弁護士として、これは個人の主張として的な使い分けは普通にありのようなのでそういうものかと。個人的にはどの時点で自分にそれを許すかに興味がある。
学者や弁護士にも色々いるが、客観的な事実の提示と政治的な主張は分離できるだろうし、分離できている限りにおいて一貫性の問題にはならない。「法律によれば、あなたは賭け麻雀をしてはならない、なぜならそれは犯罪であるからだ。ところで単純賭博は個人の自由なのだから非犯罪化されるべきである」という法学者がいたとして、その言明には何の矛盾もない。しかし仮に「賭博は悪いことなのだから重罰化すべきだ」と主張する法学者が賭け麻雀をやっていたら、それは一貫性の問題になるだろう。
今度新しい劇場版が来るらしくてプライムビデオに響けユーフォニアム関連が全部見放題になってたからアニメ版と劇場版を見た
吹奏楽部モノという看護婦モノか美術モノの次ぐらいにはほぼギスギスするタイプだし、当時放送してた時にそういう話を聞いてたから知ってた事だが本編はやっぱりギスギスしてた
そもそもこのアニメの吹奏楽部自体が人間関係のトラブルで部員が大量に退部してるやらかしたブラック企業状態で、そこにテコ入れ目的で新任の微笑み陰湿顧問(VC:櫻井)が来るとかいう
主人公の久美子が色んな人の神経逆撫でしたり人間関係のトラブルを傍観したりしてるのが良かった
主人公の百合相手である麗奈とかいう「音楽に勝ち負けは無いとか言うけどそれは勝った奴だけが言う資格があって負けた奴はクズ」的な事を言う
ネットで見かける世間知らずな痛い自己責任論者みたいなキャラが作中で結局全然勝てないのも可哀想で面白い
主人公の恋愛模様と気を使う人間関係と楽器上手くなりたいのになれないの苦悩ループで、何見せられてんだこれって思う部分もあったけど京アニだから絵は綺麗だし最後まで楽しんで見れたので満足
生活保護の捕捉率ってだいたい2割くらいと言われている。
生活保護を受けれる水準の世帯のうち、保護を受けてない世帯が8割くらい。
つまり生活保護は必要なところにほとんど行き渡っていないというのが現状だ。
「働かずにお金もらいやがって」とか「こっちは少ない給料でカツカツの生活なのに」とか思うのであれば、あなたも生活保護を受ければいいんだよ。
そうした方が精神的にも安定するぞ。医療扶助があるので、医療費も全額出るし。精神科で面談を受けたり、虫歯を治したりしたらいいんだよ。
みんなが保護を受けるようになったらこの国の社会保障費が大変なことになると心配する人もいるかもしれない。優しい人だね。
ただ、そんなことは政治家や官僚とか余裕のある人が考えればいいことであって、あなたはとにかく自分の生活のことだけ考えてればいいんだよ。
日本っていう国は資本主義社会でみんなで競争している社会だから、必ず競争に負ける役回りの人がいなきゃいけないんだよ。たまたまその役があなたに回ってきたというだけの話だ。
そういう競争に負けた人も生きていていいですよと言っているのが憲法25条で、その実現のために国は生活保護というセーフティネットを用意している。だからあなたは何の遠慮もすることもなく、生活保護を受ければいいんだよ。
元々旦那が、どうやったか知らんが元々1000万ほど借金があり、交際中に自己破産。
時期は忘れたけど、姉は旦那にお願いされて大量の借金をこさえ、それも自己破産。
母も母でヤバい人だったので、姉はクソみたいな旦那でもいいと出来婚して家を出て、一度離婚してまた同じ人と再婚。なんで????
1人産んだ時点で貧困確定だったのに、2人目作りおった。そして「男の子が欲しい」という理由だけで3人目を作り、それが男だったので流石に打ち止め(と思いたい)。
そして金が無い、米が無いと母親に定期的にせびっているようだ。母も孫が可愛いらしく甘やかしている。それは別に良い。
問題は、母も住宅ローンがまだ1800万ほど残って定年を迎えた事。今は再雇用で働いてる(看護師)けど、働けても精々70歳までかな。
手取り20万で毎月8万返したとして、10年じゃまだ1000万近くローンが残る。何が言いたいかって言うと母も金は無いってことだ。
姉の子供に罪は無いのがつらい。非課税世帯だから生活はギリギリだし、家も2Kのボロアパートで5人暮らし。
何よりあの母を見て育って、癇癪持ちの姉がまともな教育を施せるとは一切思えない。
完全に貧困家庭の負の連鎖のテンプレ過ぎて笑えてくるが、俺は俺で生活があるから一切干渉したくない。
姉夫婦が事故死したら引き取るかもしれんかな?くらい。最初に施設を検討するとは思うが。
なーーーーんでこの国は兄弟間での絶縁を認めてないのかな。
母が亡くなった後は、諸々のトラブルは俺に降りかかって来るだろうな。そもそも母が勝手に建てた家のローンの方が先に来るかな。
何かあった時のために金は貯め続けてるけど、俺は結婚を諦めた。
俺が相手の立場なら、絶対こんな事故物件お断りだし。結婚対象として魅力的な点は公務員ってことくらいか?終わってる。
とにかく問題が降りかかって来ない様に、防波堤となってる母には健康で長生きして欲しい。考えるだけで嫌になるから。
【追記】
まさかこんなに反応来ると思ってなかった。
お金の問題については、家のローンの団信云々よりも、母が働けなくなった後の生活費、介護問題が発生することなんだけど書いてなかったわ。すまん。
補足を色々していくと、
姉・その子供とはもう4年くらい会ってないよ。というか2人目・3人目生まれたのも言伝で知っただけで、会う気もサラサラ無い。
でも将来、学校で必要な物が買えないとか、勉強したいのに高校行かずに働いて金を家に入れろと姉に言われてるとか、そういう事態になったら金銭的援助はしたい。
学びたいなら学ばせてあげたい。まともな環境で生きていってほしい。本当にそう思ってるなら今すぐ姉に連絡とるべきだけどさ。
それと、姉からは執拗に住所を聞き出そうとする不自然なLINEが4年前から来るようになって、再びブロックしたよ。
7年ほぼ絶縁→姉が離婚したタイミングで実家に戻ってきたので「目が覚めたかな?」と思ってLINE交換→2年くらい、3カ月に一度のペースで金をせびられる→執拗に住所を聞いてくる→ブロック→今に至る って感じ。人は変わらないね。
「お金がない以外の問題が読み取れなかった。基本親のローンなので子供関係ないし団信入ってれば死んだらチャラになるので、月8万の賃貸だと思えばそこまで?親が死んだあと姉からお金をせびられるのを心配している?」←そのとおり!!!天才!!!書いてなかったけど金の無心は母が防波堤になってくれてます!!今は。
「40歳の公務員なのに団信も相続放棄も知らないのはヤバくない?お姉さん家族よりそっちの世知の無さの方が心配だよ」←27歳です。どこに40歳って書いてました?それと書いてないだけで団信も相続放棄も俺が知らないと言い切れる知能の低さヤバくない?
「姉は結婚して子供いるけど自分はなくて羨ましい、心配のフリはしてるけど本当は子供ともども不幸になって欲しい、てとこまで読んだ。呪いをかけてるのは自分だと気づこう。姉は姉の人生だ。切り離せてないのは貴方。」 ←マジで一番国語力が心配になったコメント。姉夫婦はどうでもいいけど子供に罪は無いんだよ。その子供が暗い未来を歩みそうなのが一番心配なんだよ。ずーーーっと貧乏で苦しんだから知ってんだ。
「なんとなくだが、FP3級を受検してみてはどうか。そんなに難しくないし、増田に役立つ知識満載の試験だと思う」←ありがとう!!いつか受けようとは思ってたので最後のひと押しになった!とりあえず参考書ポチる!
「なんだかんだ助けたいなら、リバースモーゲージはどうか。増田が家いらないならこれで負債圧縮すると生活楽になるかも。姉夫婦のことが気がかりなら、まず自分が幸せになる事を考えて。そうすれば自然と余裕ができる」←これは考えてる。ド田舎だから出来るかどうか微妙だけど……あと俺は幸せです!!!少なくとも貧乏してた子供時代に比べたらメッチャ幸せ!!!コバエが100匹飛んでるような風呂に入らなくて良いの嬉しい!!!
「ここまで口先だけの世間体を気にしての「罪のない子供がかわいそう」はめったにお目にかかれないやつだな。今日読んだ増田の中で最も不快」←世間体とかじゃなくて純粋に子供の未来を憂いてるよ!!!何もする気は無いけどね!!!もし姉夫婦が死んだら金は出すよ!!!姉夫婦が生きてる内は金銭援助してもギャンブルに溶かされるだけだからね