はてなキーワード: レッドカーペットとは
関西だと、すんげえBest10とかその前後にやってた番組があった。
(調べて思い出した。超爆笑BOOINGだった。同じ枠かと思ってたが違ったようだ)
あと、昼間とかに普通にNGKとかの漫才流す番組があったような気がする。流石に全国放送はされてないだろう。
最近はテレビ見なくなったし深夜放送は特にだから何の情報もないんだけど、ローカルでネタ番組ってそこそこ作られてきた(いる)んだろうか。
実は地方局制作だった、みたいなのお笑い漫画道場みたいにいくつかあるのかもしれない
純粋なネタじゃないけど、あらびき団ぐらいしか他は思いつかない。
ボキャブラとかレッドカーペットとかより、ローカルの若手芸人に影響受けたから、他の地方、世代でも色々あったらいいなと思ったし、そんな時代じゃなくなったんだろうな、とも思う。Tverとかあるし
マッチ売りの少女か!って
黒柳さぁーん!マッチでぇーす!
では聴いて下さい。
近藤真彦でギンギラギンにさりげなく!張り切ってどうぞ!!!
って違う違う
近藤真彦さんじゃないのよ。
ってぐらい朝超寒くて缶コーヒーも思わずカイロがわりにポッケの中に入れてしまいそうよ。
そんでまた、
決まったらそこに干支のイラストや干支の芋のハンコを押すスペースが空いている年賀状が陳列されてあって、
もうちょっただし早く決まらないことには身動き出来ないわ。
あとカレンダーも月間のを買おうと思ったけど
でもさ、
そう言うもらい物のカレンダーに限って、
私のつ買いたいカレンダーじゃないんだなーって
コレジャナイ感カレンダーってのが回ってくるから結局ゴミ箱行きになっちゃうのよね。
もう本当に私が買おうとしていた今年の年末のベストオブカレンダー賞の大賞にふさわしいカレンダーなのよ。
ちなみに2位以下は
なぜか私の所に回ってきたカレンダーでまあ持っててもいいし
なんかどうしようかなーってやり場の無い困ったカレンダーが1つ3位なのよね。
もう年末のギリギリまで決まらなかった私のベストオブカレンダー賞を受賞出来て、
もうレッドカーペットも無事横断歩道のように白い害を踏んだら死んでしまう甥っ子とは違う次元で
私はレッドカーペットを背中の大きく開いたドレスを着てかっぽれかっぽれって闊歩するのよ。
まあそんな今年のベストオブカレンダー賞受賞のはなしはどうでもよくって、
思い出したくないけど、
1年の刑は元旦に処す!って勢いで決めたんだけど、
もうなかなかドラクエVが進まなくって困ったのよね。
確か馬車まで手に入れたところで記憶が途絶えているわ。
冒険の書がそもそもとしてこっちとこっちどっちが話進んでるんだっけ?って
同じ目標を今年は掲げることもなんとなアホらしいので、
来年の目標はドラクエV馬車でばしゃばしゃ走る!って目標にしようかしら?
でも
馬で思い出したけど、
やっぱり基礎競馬体力がないと
シーフードパイセンだとかゴイゴイスーとかウマの名前を言われても
即反応が出来ないのよ!
話を伺っているとなんだか競馬の話しみたいなの。
なにをどうやって育成して良いのか分からない
なんか私の知ってるビックボスじゃない!ってそこで諦めがついたわ。
初めて見ても何を育成して良いのか分からなくて、
とりあえず、
勝っても負けてもこれは私の育成度合いの結果は育成してないのに
なんか勝敗がつくのは、
これってゲーム理論に反するのでは?って思ったわけなのよ。
そもそもとして
やっぱり私に足りなかったのは競馬の基礎体力知識の根源の源泉がなかったからなのよね。
私も赤鉛筆を鼻に挟んで
競馬の基礎知識っていったい誰にみんな教えてもらってるんだろう?って
あれいきなりジェイアールエーの場外馬券場みたいなところに行っても人の多さにもみくちゃにされそうなのでとても素人が踏み入れられないから私は入れなかったんだけどね。
とてもじゃないけど、
多すぎるで思い出したけどさ、
今までの増田を振り返ってみようと思って印刷しようとしたら2000ページ以上って出てきたのでそっと閉じました。
てーか
コピー用紙のさ束の500枚入りのやつあるじゃない。
あれを4つ持ってもまだ足りないって
鞄に入りきれないし重すぎて持てないし、
広辞苑が何ページあるか分かんないけど、
いっそのこと広辞苑のページ数を超えることを目標にしつつプロ増田も目指すのが来年の目標でもいいかもしれないことも無いことも無いかーってね。
東京に言ったときのお蕎麦のネギの薬味がなんか違うなと思ったら
それにずっと違和感を感じ得なかったのよ
むしろ感じまくっていたの。
そしたら東京のお蕎麦とかのネギの薬味は白ネギを薬味にしてるからなんか違和感があったのよー。
なるほどなーって
年末の今になって腑に落ちた感じだわ。
あと、
今日までは年越し蕎麦用にどん兵衛とかの蕎麦の類いを買ってもいいからね。
こいつ大晦日に備えて年越し蕎麦食べるのに浮かれてる人だとレジの人に思われかねないので
いいわね!
約束よ。
うふふ。
時間があったので
焼いた鯖の朝のご飯
やっぱり魚の脂は良いらしいので身体に沁みるわね。
柚子と言えば冬冬と言えばホッツ!
柚子を1つ買ってみたので、
半分搾ったのと残った半分は輪切りにしてのせてみたわよ。
温まるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ツイフェミの人たちさ、萌え絵に対しては無駄な露出ガー!とか胸が揺れた!とかギャーギャー言うけど、
もし映画で美人女優が背中バーン!谷間ドーン!なイブニングドレスを着て華麗に敵と戦う大太刀回りのシーンがあったら
「カッコいい~!強い女性大好き!」とか喜びそうだよね。
自分は性犯罪撲滅とか賃金格差とかそういう方面には興味があるのでツイフェミ界隈のアカウントは頻繁に眺めてるけど、
映画祭とかでセクシーなドレスを纏ってレッドカーペットを歩くハリウッド女優に対して「性的搾取!メディアに載せるな!」と騒いでる人、見た事無いもの。
あの人たちは萌え絵が嫌いなだけ。
私は過去5年位テレビを見ていないので最近のテレビがどのようなものになっているのか知らないが、テレビが廃れた原因を考察してみた。
結論としては、テレビ以外の娯楽が増えたことが根本的な原因で、そのせいで番組が更につまらなくなり、一部の人が更に離れたことが原因。
まず、テレビ以外の娯楽についてだが、Netflix、アマゾンプライムを始めとした映像コンテンツのサブスクサービスが台頭した。
これにより、人々は好きなときに好きなコンテンツを消費できるようになった。
よって、己の好きなコンテンツを消費するために、その番組が放送されるのを待つテレビというモデルの存在価値そのものがなくなってしまった。
更にYouTubeを始めとした素人の情報発信が増えた結果、コンテンツが多様化し、より個人の好みににマッチしたコンテンツを享受することが可能になった。
その結果、それらのコンテンツを消費する時間が増えてしまったため、テレビを見るために時間を割くこともできなくなった。
それは、2つあると考えた。
2. サブカルなど特定のカテゴリに興味がまだない幼稚園児から小学生
複数の人間が集まる場所ではNetflixなどの個人の趣味に合わせた映像作品ではなく、テレビのようなランダム性のあるコンテンツが必要とされる。
なぜなら、複数人の中の1人がコンテンツを選択してしまうと不公平が存在してしまう。不公平は人間の間に溝を生じさせるので良くない。
私がテレビを見なくなった頃、なぜあなたは日本にいるのか外国人にインタビューする番組や、日本の文化を紹介してすごいと出演者が口々に話す番組が増えたように思える。
なぜこのような番組が増えたかというと、人間は褒められることで快感を得ることができる生き物だからである。褒められて嫌がる人間はかなり少ないと考えられる。
これらの番組は日本人という属性を褒めることで、ほぼすべての視聴者に当てはまる日本人という属性を持った我々を気持ちよくしているのである。
特に複数の人が同時に視聴する場ではできるだけ共通するものを褒める必要がある。それが日本人という属性なのである。
しかしこれらの番組は複数の人がいる場合に見られる程度で本当に日本が好きな人は右翼と呼ばれる人以外にはいないのである。
特に日本人の20代までの若者は政治に興味を持っていない割合が大きい。
よってこれらの番組を見たいとは思えなくなり、若者のテレビ離れが更に進行したのである。
次にメインの視聴者がサブカルなど特定のカテゴリに興味がまだない幼稚園児から小学生になった。
テレビはこれらの子供をおとなしくするために安易で有効な手段である。
この結果バラエティ番組にある変化をもたらしたと考えられる。
以前はエンタの神様、レッドカーペットなど、ある程度の年齢からでなければ理解できないようなお笑い番組が多くあったが、
最近はリアクションで笑いを取る番組が多くなったように思える。
例えば、アメトーーークのゴールデンでやっていた運動神経悪い芸人である。
これは運動神経が悪い芸人を運動させておかしな動作で笑いを誘う番組である。
小学生は運動ができる人間がカーストトップになり、運動ができない人間は嘲笑の対象になるのである。
正直運動神経が悪い事で笑いを取るには限界があり、芸人が以下にしておかしな動作をするかを試行錯誤しているようにしか見えない。
このような稚拙なお笑いで大人(一部を覗いて)は笑うことができない。必死に面白い動作を考えて実行している姿はある意味滑稽だが、お笑いとは違うように感じる。
現在これらの状態からどのように変わっているのかは知らないがテレビに将来性はないと考えている。
事実を伝えるニュースについては正確性という点でネット情報を凌駕していると考えられる。
ただ速度でいうとネットのほうがだいぶ早い。
桜の見る会の出席者リストも散ってしまったんですね、みたいな内容が取り上げられてて、
そういうの上手いこと俳句にしたら夏井いつき先生なんかゲラゲラ笑いそうよね。
と言うことで
無理矢理日本語でオモシロイカラミテネ!って言わされる感じがまるで大坂なおみさんみたいじゃんって
好きなお寿司とか寿司ギャルに答えさせてるんじゃないわよ!って
アーノルドシュワルツェネッガーさんが州知事やってたときニュースで取り上げられてて
吹き替えの声もちゃんとニュースそのものの内容が全然入ってこない感じの、
玄田哲章さんがやってるって言うぐらい徹底的に細部にはこだわってほしいものよね。
リンダハミルトンさんのちゃんと吹き替えの人が声を当ててる体裁で、
最後のオモシロイカラミテネ!のくだりの部分は急に本人がカタコト日本語でピーアールしちゃうってことなのよ。
背中の全部空いた大胆なドレスを着てってのも洋画の映画あるあるよね。
でもさ、
映画作った人は誰でも出来る自由参加にしたらレッドカーペットあるいてトロフィーも販売してるのを買って
やったーって授賞式風の写真を撮れば、
要はお金出してレッドカーペットが歩けてトロフィーがもらえるようにしちゃえば、
変な映画でも
これは分かる人には分かる良い映画ですねって
自分でもよく分かってないような感想を見破られないように難解に解説してる風のコメントも出してしまいそうだわ。
私なら絶対、
レッドカーペットでトロフィー掲げてる顔出し看板の写真はぜひ撮りたいって思うの。
なんでも
無表情でハメるのが一番良いんだ!って言ってたけど
スイスに行ったら本当に
チューバッカでもいいわ。
モフモフって言う意味で。
うふふ。
すっかりあたためるのもわすすすれるぐらいお腹が空きすすぎすぎちゃって、
そのまま食べちゃったわ。
温まらないので、
ホッツウォーラーを飲んだ方が、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
宇崎ちゃんの関係で乳袋が駄目だという認識が広まりつつあり、ついにはジャンプ作家まで乳袋表現が卑猥だと(曲解ではあるしその人は擁護派)いう話をしていたのを見た。
ちなみに自分はアニオタで萌え絵なども許容するタイプの女。きらら系も好き。
女から見ているとああいうアニメの女性表現には、たまに、絶対に生物的に物理的にありえないこともあるけど、それも男性の先入観が分かるので面白いと思う。interestingの意味で。
掲示板やツイッターなどを見ていると、この流れで乳袋がオタク的であり記号的表現という意見を多く見かける。
語っているのは大体男だが、たまに女性も乱入してきてtogetterなどで喧嘩する。
現実にはなくてもアニメ的表現だからいいんだよ! VS だから男は論法 を何度となく見てきたが、
当方Dカップだが、はっきり言おう。服による。絶対にありえないことはない。
トップ(乳首付近)で布が折れ曲がり、物理的にはすとんと布が落ちるはずで、アンダー(おっぱいの下の胸囲)は強調されないはずだ。というのが乳袋は実際には存在しない派の言い分だ。
しかし、本当にそうだろうか?
まず身体にぴったりとくっつくセーター。
アンダーまでぴったりとはいかないが、かなり強調されるので乳袋はできる。Cカップもあればできるかもしれない。Dくらいあればできる。
アニメの巨乳は大体F~Hカップくらいに見えるので当然出来るだろう。二ットの場合は。
問題にあがるのはカッターシャツなどだが、最近は巨乳向けの裁断をする服も多い。
アニメの服など衣装なのだから、全てオーダーメイド。手作りである。
綺麗に服を着こなそう、ウエストを出そうと思えば、乳袋が自然にできるそういう服を着ていてもおかしくない。
真ん中にボタンがあればちょっと皴よせればオタク的が思い描く綺麗な乳袋もできるだろう。
最近は立体裁断Tシャツもでてきた。Tシャツでも乳袋はできるのである。
なんといってもそういう服は動きやすい。戦闘するキャラクターたちが乳袋ありなのは当たり前である。
胸の前が開襟してクロスするようにつくられ、さらにウエストで切り替えがありくびれを強調する服なんかそのまま乳袋服である。胸が無くても出来る。ギャルがよく着てる。
次にドレスについて考える。レッドカーペットで検索するといくらでもでてくる。乳袋を強調する服も多い。UUのワイヤーがついた服で無い谷間をわざと作るレベルだ。乳を放り出しているハリウッドスターも少なくない。
話題がそれつつあるが、乳袋は確かに存在する。全く無い乳の人や、お腹が大きい人は分かりにくいだろうが、日本人はDカップ以上が半数近いというデータもあるし多くの女性が経験しているのではないか。
乳袋に失礼だ。
茹だるような暑さ、積乱雲、夕焼け、屋台の熱気、盆踊り、始まりと終わりの境が判然としない花火大会。
金魚みたいにカラフルな帯をしめた浴衣姿の子を連れた女性。彼女を連れているのが、同級生であることに気づく。
突き刺すような太陽光と入れ替わりに辺りを包んだ優しい闇に誘われ、祭り気分を味わいたい人々が続々と戸外へ繰り出す。ワンマイルウェアに身を包んだ老若男女、体操服で屋台に繰り出す中学生、社命で祭りに参加した地元企業の若手社員、支持基盤のイベントは全通を旨としているのであろう市議会議員。この町のどこにこれほどの人が潜んでいたのかと驚く。
完璧。夏が始まる前から求めて止まなかったのだ。この空気感を。
あとは焼きそばだけがあればいい。夏祭りを完結させよう。地元有志が出す屋台を覗く。
ない。
枝豆、りんご飴、フライドポテトに金魚すくい、フランクフルト、ビールに白玉団子に鮎の塩焼きまであって、焼きそばがない。全ての臓器がレッドカーペットを敷いて焼きそばを迎え入れる準備を整えているのに肝心の焼きそばだけがそこにいない。もう麺ならなんでもいい。浮気を決意し、近所のラーメン屋に片っ端から電話をかけた。「貸切」「売り切れ」「食べ物がほとんどない」時刻は20時。丸見えの繁忙期を前に、どんな作戦立てて戦に臨んだらそうなるんだ。実家まで徒歩20分の距離でこんなにひもじい思いをする日が来るとは思わなかった。朝からパフェとクッキーしか食べていない上に、夕方炎天下で全力ダッシュをした後の空腹感はもう無視できない。
浮気心を捨て冷静になった頭で今夜やきそばにありつく方法を再考する。近くにコンビニがある。コンビニにはカップ焼きそばがある。見えた。願わくばゆっくり食べられる場所が欲しい。悩む我々の隣をその辺に住む知り合いが通りがかった。彼を逃す手はない。挨拶もそこそこに、「あなたの家で今からカップ焼きそばを作らせてほしい。」と頼み込んだ。暑さで頭がおかしくなった人みたいな頼みを彼は快諾してくれた。神だ。もしくは頭が暑さでやられていたのかもしれない。
神に供える焼きそばも買い込み、意気揚々と神の家へ上がりこむ。カップ焼きそば用のお湯を沸かす間に神は飢えた人間に食べ物を振舞ってくれた。
神の生活水準は高かった。
無添加の佃煮、火照った体に心地よい喉ごしのもずく酢、余りものだという炊き込みおこわのおにぎりを手際よく並べ、産直で見たことがある体に良さそうなお茶を人数分のグラスに注ぎ、遠慮せずに食べなさいと言った。歪だけどハリがあって味が濃そうなトマトを切る係を仰せつかった私は、嘘みたいに切れ味の良い包丁でトマトを切り分け、作家ものの器に不恰好に盛り付けた。この空間にカップ焼きそばを持ち込んで本当にごめんなさいとみんなで神に謝罪した。いいよいいよと神はわらった。
恥と共に飲み込んだカップ焼きそばは相変わらず駄菓子みたいでおいしかった。神に会う前だったら食事としておいしいと感じただろう。夏は人を少し大人に変えるな。と感傷に浸っていたら、神から「人生はあっという間だから、毎日ちゃんと生きなさい。」という言葉を頂いた。神は手厳しくて優しい。
あれはお笑い芸人をアイドルとして扱うムーブメントの一つだったとみなしている。
・数分の鑑賞に耐えられること
という縛りが一応存在していて演芸番組としての体裁は保っていた。
駄洒落というお題目に沿ってその番組のためだけにネタが用意される。1組に割かれる時間は長くて一回30秒ほど。
であるボキャ天は、お笑い芸人が演劇を披露するというよりも、芸人をプレーヤーに見立てたゲームという色合いの方が濃い。
(この数秒で芸人が立ち代わり入れ替わり登場するシステムは、細かすぎて伝わらないモノマネ選手権で今も健在だ。)
僕からすると90年代は吉本印天然素材や電波少年での猿岩石など、未熟な若手をアイドルのフォーマットに当てはめて売り込もうとする風潮が存在したように見える。
そしてそのムーブメントはオンエアバトルの放送やM-1の開始で、観客が「本格嗜好」となったために下火になったのではないだろうか。
メガネが我々低視力の視覚障害者を健常者にしているように、健常者に近づけさせるための道具は実に素晴らしい。
メガネがなければ、きっとなんの仕事にもつけてないし、そもそも今に至るまで生き延びているかどうかも謎だ。
メガネは素晴らしい。低視力でも健常者と同じにしてくれる。メガネありがとう。メガネ大好き。
だが、未だに盲目の人を見える人と同等にすることはできていない。
だから、街中はうるっさい信号機や見苦しい点字ブロック、ピンポーーーンとなる駅の案内板、点字図書館などの目が見えない人のための道具で溢れかえっている。
これらは目が見えない人のためだけに日本中に、世界中に存在する。
彼らは特権階級といってもいいだろう。点字ブロックは彼らのための道路であり、自転車や車を置いてはならない。
盲導犬は犬嫌いがいようが、犬の毛が入って欲しくないような飲食店だろうが、彼らの役に立っているがためにあらゆる場所での存在を許されている。
その優遇され具合は貴族のためにレッドカーペットを全国の道路に敷いているのとなんら変わりがない。
もう、彼らのために尽くすのはやめよう。
今すぐ全国の盲人のための設備を全廃して、そのためのお金を全て盲人が健常者と同様に見えるようになるような機械あるいはIPS細胞を使った人工眼球の開発に全投入しよう。
そうすればあの注意を引かせるためにある不快な音を聞く必要がなくなる。
何より、彼らが健常者と同等の生活を送ることができる。これに勝るものはないだろう。
映像も我々と同等に楽しめる。生活することで誰の手を煩わせることもない。
自転車だって路上においていい。杖をカチカチさせながら歩く必要もない。
盲人にとってのメガネを作ることが一番彼らのためになるのではないだろうか。