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はてなキーワード: マルクス主義フェミニズムとは

2019-11-07

いや一人一派って裾野広げすぎだろ。

せめて「ラディカルフミニズムはこう言ってて、リベラルフェミニズムはこう言ってて、マルクス主義フェミニズムはこう言ってて、そのほかの派閥はこういうのもあって、それに対して自分はこう思う。」とかならまだわかるけど、そういうの何も知らんでとにかく女性に都合のいいこと言ったらフェミニズム、みたいのそろそろやめたらいいと思う…

2019-11-06

anond:20191106011552

女が男に頼るんじゃなくて、弱者強者を頼ることはいいんじゃない?

その結果として、家庭という小さなコミュニティ内で男尊女卑精神から割り振られたのと同じような役割分担になったとしても、それは需要供給関係から差別ではない。お互い納得の上でやっているのだから

問題は、そういう利得を享受した上でなおかつ、女性差別だとして男性に過度な家事育児の分担を主張したりすることであって。そりゃ無理だ。

あとまあそれとは逆に家事育児労働一般の賃労働比較してみて、家庭内でも搾取が行われていないかい?っていうようなことはマルクス主義フェミニズムでやるんだっけ?

まあそれは別の議論に任せるとして。

まあとにかくフェミニズム女性生き方に対して、男性に頼って生きるその限りではなく、自立して生きることも否定してはならないっていうことを言えばいいんじゃない

オメーらも全員キリキリ働け!みたいなこと突然言い出すとそれはそれで混乱するしまたそれで負担がかかるのは女性とか弱者じゃん?

できれば男女ともに仕事家事育児バランスを保っていける方がいいとは思うから、追い追いそういう風にはなっていくんだろうけどって今気づいたけどあれか、ラディカルフミニズムとリベラルフェミニズムってこういうことかな…?

2018-10-21

この際、キズナアイはどうでもいいので元増田に教えてほしい

https://anond.hatelabo.jp/20181020130536

元増田ありがとう

まず、元増田解説感謝を示したい。

この問題について、自分はずっと論点がつかめずに長い間モヤモヤしていた。

元増田解説によって、やっと何が論点なのか分かってきた。ありがとう

その上で、元増田好意に期待してさら質問したい事がある。

私の質問

元増田マルクス主義フェミニズム立場を全面肯定している訳ではないので、より正確には「そこにはどんな正当性があると(マルクス主義フェミニズムでは考えられている)のか?」になるかな。

あと、キズナアイも誰か1人の意思のもとに行動しているとは限らないが、少なくともキズナアイを演じる1人の個人がおり、その個人自発的意志を持って活動しているのは、まあ確かだろう。

議論の前提

元増田千田氏の問題提起を以下の4点に要約した。

一旦、この4点はすべて真実だと仮定して話を進めよう。

(1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

(3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

(4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

今私は、キズナアイ論争ではなく、キズナアイ論争を通じて解説された「役割再生産」というコンセプトについて聞きたいので、一旦、この4点が事実かどうかの確認は横に置いておきたい。だから、これらが真実なのかは誰にも断定する事は出来ないが、事実だと「仮定」して議論を進めたい。

個人自由

誰かの自由意志、例えば、キズナアイが「NHKノーベル賞解説動画に出演する」という自由意志を、制限する事が正当化されるとしたら、それはどんな理由によってだろうか?

色んな立場がありえるが、私は、この立場に立ちたい。

十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重必要とする。(日本国憲法より)

もし、この立場に立つ事に同意して貰えるのであれば、キズナアイが「ノーベル賞受賞者のうなずき役として、NHKに出演したい」という自由意志制限できるのは「公共の福祉に反するから」という理由以外にはありえない事になるだろう。

公共の福祉

ひるがえって、「役割再生産を防ぐ」というある種の「公共の福祉」には、個人自由制限できる程の論拠が足りているのだろうか?

先程私は、(1)〜(4)の要約をすべて事実だと仮定すると言った。私はそれは議論関係無いことだと思った。だけど違った。

それは今やこの議論に致命的に重要になった。

だって根拠が無い事によって最大限尊重されるべき個人自由が制約される事に正当性などある分けがいから。

個人自由制限しうるほど確固たる根拠になりえるのか?」という視点で見た時「会話実験」というどうとでも解釈できそうなアプローチは十分な証拠たりえるのか?

再び質問

以上の私の立場を踏まえてもう一度聞きたい。

2018-10-20

千田有紀はどう会話すべきだったか

anond:20181020130536

こちらの分析を見て、千田有紀はどこを間違ってしまったのか考えてみたい。

 

仮定を前提にしたモデル議論だと強調していない

多くの人はここで引っかかると思う

(1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください

キズナアイは相槌ばかり」という言説の真偽はとりあえず真としてほしいみたいな話とみた

つい最近の最善の相の議論でも話題になったけど、とりあえず仮定を真として議論を進めましょうみたいなの

多くの人は利害が絡むから無理なので、千田は「あくまでも仮定です!ここが受け入れられない場合読み飛ばしてください!」と

しつこく語りかけるべきだった

手打ちEXCELで回数数えるとか悪手もいいとこ。そこは前提なんだから

キズナアイは話のマクラにすぎないことを言ってない

これが元増田趣旨で、この点については俺も同意できる

しかし、であるなら世の中がマルクス主義フェミニズムの指摘するところの資本主義と家父長制で構築されているのだから

キズナアイにかかわらず世の中の表現のいたるところに同様の分析ができるはずだ

 

そうならそれで「今回のキズナアイは世の中一般に比べてことさら悪いわけではないです」など言って

早々に敵対モードを解除し、資本主義や家父長制一般の話に持っていくべきだった

 

なんだったら自分Twitterの会話も分析してみて

「私にも家父長制を再生産している部分もあります。それは私が不徹底なのではなく世の中の構造が原因なのです」

みたいに言って沈静化させることもできたはず

始終キズナアイに対するリスペクトがなかった

今回炎上が加速したのは、いつものアンチフェミニズム表現の自由戦士の他に

キズナアイVTuberファンまで敵に回してしまったのが原因かと思う

彼らは「キズナアイには魂がある」などと主張していることからかるとおり表現の自由戦士軍団とはことなクラスタに生きている

そして本来フェミニズムにもマルクス主義にも敵対的な集団ではなかったはずだ

 

彼らを怒らせてしまったのは千田があのインタビューを「シナリオライターが入念に作り上げた作劇だと扱った」ことであり

それはすなわちキズナアイを終始「企業が作り出した操り人形」だとみなしていたのだと思う

 

例えばこれが生身のYoutuber女性で、受け答えが相槌だらけだったとしたら

「まともに受け答えしていない、女子エンパワーメントできない」などと切って捨てられるだろうか

必死に頑張ったかもしれない一個人に対してそこまで酷評できないのでは?

というか普通の人があの場にでてキズナアイ以上の受け答えできる?

 

  

などなど、いろいろ隙のある対話スタンス炎上してしまたことがわかった

今回の件は大変残念なので、次回以降「自分敵対心ないよ」というスタンスをもうちょっと強く押し出して頑張って欲しい

千田氏の問題提起説明してみる

はじめに

 キズナアイNHKウェブサイトにおいてノーベル賞解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学のものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。

 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起ちょっと分かりやすくお伝えできればと思います

筆者の立場

 筆者は、社会学修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域家族ジェンダー)もありますが、教育メディアでした。

本稿のスタンス

 あくまで、千田問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定ポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています

 なお、アカデミック作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます

千田氏の問題提起について

 キズナアイ論争のはじまりは、千田投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]

 ちなみに、現在10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田議論の要点をまとめてみましょう。

 (1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

 (2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 (3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

 (4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

というところに整理できるかと思います

 社会学特にジェンダーフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います

 千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論そもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。

千田議論理解するための知識

千田議論理解するためには、いくつかの知識必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。

社会学とは

 社会学は、社会対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的社会学特に日本戦後社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。

フェミニズムってそもそも

 フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。

 第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦協会青鞜社運動は同時代運動です。)

 第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります

 いずれにせよ、その理論根底には、女性男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります

 第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常性差別特に焦点を当てていくようになるわけです。

 現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズム運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。

マルクス主義フェミニズム

 上野千鶴子理論などを理解する上で重要キーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズム解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。

 (フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムリベラルフェミニズム等です。フェミニズム一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)

 マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズム女性男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワード理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。

上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズム教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)

 シンプルにいってしまますと、そのシステム資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります

会話分析

 会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思いますそもそも社会学社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。

 この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルエスノメソドロジーという手法提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常生活している人々の視点に立って記述するという手法です。

 エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。

A(被験者)「おはよう! 調子はどう?」

B(実験者)「調子ってなんだい?」

A     「いや、元気かどうかってことだよ。」

B     「元気かどうかって? どういうこと?」

こんな調子で話されると、本当に調子おかしくなりそうですが、こういう実験します。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。

 会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。

千田議論を振り返ろう

 冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。

(1) キズナアイが「相づち」をする役割となっている件について

 そもそも実在人物は「先生役」とNHKサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイ基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 これは、先ほどのフェミニズム議論が役に立ちますお茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます

 そこでは、主役はあくま知事です。アナウンサーが主役となって、知事いじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。

 ここでポイントになるのは、知事一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)

 もちろん、これは、女性知事と同等の立場役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます

(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)

(3) 従来の女性が担ってきた役割キズナアイ

 ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事トップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このときキズナアイ女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場女性積極的に前に出られる環境制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。

 再び、徹子の部屋黒柳徹子イメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子お客様を招いて話をしてもらうというホストであるためであり、従属的関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います

 そうして比べてみると、キズナアイ女性役割再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。

(4) 活躍する女性への影響

 この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズム基本的な主張です。

 このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れものではないということは理解できるでしょう。

千田氏の議論の失敗

 千田議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初きっかけともなった記事の一番最後文章であると私は考えます

なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。

 この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います千田氏は、後の議論でも、キズナアイ役割に焦点を当てており、容姿問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論あいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。

 さらにいえば、表現問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています表現問題にすると、結局妥当表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います

 まあ、この発言が全てのオチかと思います

本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味もつのか、少しは配慮すべきだったのでは?

https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529]

2018-08-25

anond:20180825173358

家父長主義フェミニズムという立場皮肉でも何でもなくて、思想的には問題なく成立しそうなんだよな

大きな力の庇護の下で女性が得られる利得の最大化を目指す立場

マルクス主義フェミニズム、ラディフェミブラフェミ、リベフェミなど沢山あるうちの一つ

2018-04-02

anond:20180402163734

マルクス主義フェミニズムとは資本主義私有財産において女性いかに抑圧されているのかを研究説明することを目的としたフェミニズムの一派であるマルクス主義フェミニストによると、女性は、現在資本主義経済を抜本的に改革しない限り自由を手にすることがない、という。現在資本主義経済では、女性労働者の多くは報酬が不十分である

2016-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20160307231710

私はあまりフェミニズムに詳しくないが、

この増田がとんでもなく自分にとって都合のいいように解釈していると簡単に理解できる。

まず、大きく3つの種類があると言っているが

増田理論を紹介する最後文章が、彼にとって都合のいい記述になっているのが分かる。

ラディカル・フェミニズム
なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノ諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。

ポルノ諸悪の根源とはせず、とはポルノ大好きなキモオタにとってはプラスである

リベラルフェミニズム
なお、「男性を敵視し憎む分派消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性創造",1965)が示すように、フェミニズム男性女性権力闘争化することに否定的立場をとる。

男性を敵視しない憎まない、というのは男性女性権力闘争しないということではないはずだ

そもそもフェミニズム男性女性権力闘争に使わないなら、一体何から権利を取得するのだろうか

マルクス主義フェミニズム
日本ではさらにそこに独自思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸君が代シンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。

自分理解出来ないなら

なぜ、紹介した?

もちろん、私も理論思想大事だと思っている。

だがそのままこの文章を受け取るには不用心だということだ

2016-03-08

フェミニズムの簡単な俯瞰

最近フェミニズムまわりがメンドクサソーな展開になるのは外野から全体像が非常に分かりづらいことなんじゃないか?ということを考えてて、

たとえば絵を描くときって全体のあたりから始めて徐々に細部に向かっていくのが普通で、いきなり細部から書き始めると全体がゆがんだものになりがち。

同じようにフェミニズムについても、いきなりアクの強い人の本を読んだり狂ったツイートを見たりを繰り返してるとフェミニズム全体へのイメージがゆがんだものなっちゃうんじゃないか?

あとツイッターなんかでフェミニストを名乗ってるわりに結構フェミニズムについて分かってない人も居るよね?

ということを思ったんで、フェミニズムについてちょびちょび自分なりに調べて俯瞰できるようまとめてみようとしてたんだが

http://anond.hatelabo.jp/20160307231710

急に増田が来たので取り急ぎ便乗公開してみる。

フェミニズムとは

フェミニズムとは女性を様々な抑圧から解放することを目的とした*思想運動*を指す。

女性解放を実現するための考え方や手法問題意識は人によってさまざまであり、衝突し合うものも多いがそれらをまとめて「フェミニズム」と呼ぶ。

18世紀の終わりから始まったフェミニズム最初公的権利の取得のための運動だったが、私的領域も含めより深いレベルでの男女平等を目指すようになった。家父長制を不平等の根源とした考え方が様々な領域適用され、現在性差別以外の問題をも巻き込んだものになっている。

フェミニズムの流れは三つの時期に分けられる。

第一波(ファーストウェーブ

参政権財産権労働権、婚姻など公的権利の獲得という形であらわれた。

第二波(セカンド・ウェーブ

ファーストウェーブ公的権利だけだったのに対し広い範囲における領域平等を追及していった。

特に家父長制という男性主権価値観問題性が広く認識され、様々な領域社会制度規範への批判へと繋がっていった。

また公的領域だけでなく私的領域も扱うようになり、家庭内における性に関する問題などそれまで見えにくかったところまで踏み込んでいった。

第三波(サード・ウェーブ

カンド・ウェーブに加え、人種地域宗教階級階層、性指向など多種多様問題領域を扱うようになった。

カンド・ウェーブを置き換えたわけでなく、扱う範囲や深さを広げたかんじ?

家父長制(Patriarchy)

社会領域政治経済文化、家庭など)における主要な力を男性が持つ社会システム価値観

フェミニズムではジェンダー押し付けものとして扱われる。

最初男性優位主義などの用語が使われていたが、女性を抑圧する側に居るのは男性だけでないし、この構造により抑圧される男性も居ることから Patriarchyが使われるようになった。

フェミニズム流派

あくま思想系統であり、フェミニスト所属するというものではない。あるフェミニストとある派の考え方の多くが同じである場合、その派のフェミニストと呼ばれることがあるだけにすぎない。

発生当時とは社会状況も違っており、現在では初期の考えと大きく違う部分もあると思われる。

ラディカル フェミニズム

カンド・ウェーブ以降の主流となる、家父長制を性差別の根源とみなし社会から家父長制を排除することで差別根本的な改善を目指すフェミニズム

根源を改革するからRadical feminism(根本的なフェミニズム)。

なので関係する問題領域社会全般のはずな気がするが、現代では主に伝統的なジェンダー・ロールや女性性的対象化、家庭内暴力生殖関連、性犯罪を扱ってるのを見かける。

これらの領域に対し政治的プロセスによる改善でなく、規範への疑問を社会に訴えかけることによる改善模索する事が多い。

リベラルフェミニズム

社会が不必要女性能力を低く見積もった制度になってると考え、女性自由な選択や行動のため能力をふるうことのできる平等を重視とするフェミニズム

ファーストウェーブの流れを汲んでる?っぽく、慣習や法による機会の不平等を打破するため、政治的プロセスを介して状況の改善権利獲得を目指す。

法や権利など主に公的形式を扱い、家庭内権威関係など私的な面はあまり扱わない。

機会が平等であれば後は個人の能力次第であるという考えが、他のフェミニズムと衝突することも多い。

マルクス主義フェミニズム

資本主義という制度社会階級対立が、女性の抑圧にも一役買ってると考えるフェミニズムの一派で、主に女性労働問題を焦点とする。

昔は資本主義制度廃止を唱えていたみたいだが、今はどうなんだろ。

家事家族の世話など、家庭内労働への評価の低さを問題視する。

報酬を得るための労働を「生産労働」、家庭内労働など自分たちのためにやる労働を「再生労働」と呼び、再生労働責任を共有し、女性生産労働にかかわることで再生労働価値が適切に判断されるようになると考える。

社会主義フェミニズムソーシャリストフェミニズム

まれ境遇などによって特権を得たり抑圧されたりと人生が変わってしまうことを問題視する。日本米国リベラルというとソーシャルリベラリズムのことを言うと思うが、それに近い考え方。

労働に関するマルクス主義フェミニズムの考え方に、ラディカルフミニズムのジェンダー、家父長制の考え方を組み合わせたもの。ラディカルフミニズムのように家父長制だけでなく経済的性差も重視する。

リベラルフェミニズムとの違いがよく分からないが、調べてると、マルクス主義フェミニズムと一緒に扱ってるサイトが多かった。

ブラックフェミニズム

性差別だけでなく、階級対立性自認人種主義などさまざまな問題は密接な関係であり不可分であると考える一派。

このような考え方をインターセクショナリティという。

カルチュラルフェミニズム

社会女性特性過小評価されてると考え、男女の違いを肯定的評価していこうとするフェミニズム

ラディカルフミニズムから派生したが、対立する見解が多い。

その他

元増田の「フェミニズムとは」の節を読んでちょっと気になったのでメモ

「この人はリベフェミからこの人の言ってることはリベフェミの主張のはずだ」のような考え方をしたのかなと思うのだが、あるフェミニスト発言特定の派の思想内にぴったり収まってるということは少ないので、そういう認識の仕方は危険かなと思った。

はてブ見てて思うのは、どうも偏ったフェミニストばかりを見かけてしまって変なイメージ付いちゃうよなー、ということ。フェミニストはその活動の仕方によって目立つタイプの人とそうでない人とが出てきてしまうし、多くの人にとっては目立つタイプの人が「フェミニスト典型例」となってしまう。

なのでまず「フェミニズムには多様な思想があるし、それらは常に変化している」ということだけ注意しておけば、いらぬいざこざを減らすことができる、、、かもしれない。

2016-03-07

キモオタによるフェミニズム概論

フェミニストからキモオタ死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミ死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。

フェミニズムとは何だろうか。

私はフェミニズム名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミ死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。

しかフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。

そこで手当たり次第に適当にフェミニズム書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズム理解の取っ掛かりになれば幸いである。

フェミニズムとは

フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラルフェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。

ラディカル・フェミニズム

現在のラディフェミ理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズム表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源ポルノであるという揺るぎない確信からポルノ法規制を推進する。

ポルノ性犯罪を誘発するという統計的証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィ性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者告発することも認められない。

ポルノには、ホモレズ二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすゲームマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノである

なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノ諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。

リベラルフェミニズム

J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義ジェンダー家族",1989,*3)であり、「女性男性重要差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。

夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。

このように家庭内賃金労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミ女性社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育重要性を訴える。

なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性創造",1965)が示すように、フェミニズム男性女性権力闘争化することに否定的立場をとる。

マルクス主義フェミニズム

出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統フェミニズムである

女性社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。

日本ではさらにそこに独自思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸君が代シンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。

その他のフェミニズムと補足

レズビアンフェミニズムブラックフェミニズムエコロジカルフェミニズムポストモダンフェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグフェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアルフェミニズムとか。

補足1:クィア理論

同性愛者とフェミニスト関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイレズビアンの視点と、ポスト構造主義理論を、政治的ひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線理論的に張ることが出来るようになった。

補足2:男性差別

リベフェミは広範な男性差別否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別肯定する。ラディフェミ男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性けが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別肯定されるのかもしれない。

フェミニズムが扱う問題

セクハラ家庭内暴力中絶女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタク関係の深い「性の商品化」について取り上げる。

「性の商品化」の法規制

マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。

リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待強姦日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府検閲に利用されると強く批判する。

一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示権利行使であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本フェミニズム6,2009)」とする。

ここから見えてくる点として、女性が「不愉快であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから表現の自由は全く関係のない話である

不愉快」による法規制正統性

リベフェミであるマーサヌスバウム嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニング妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的ポルノ市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳フェミニスト宣言",1997)としてゾーニング効果がないと批判する。

ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。

そのような不快感を根拠とした規制は恣意的運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているかである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである

なお、福島瑞穂非実在児童ポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田見解がマルフェミ共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノ法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定存在する見解であるように思われる。

日本草の根フェミニズム

初期の日本フェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロアマ距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。

こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。

「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。

理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。

これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。

おわりに

このようにフェミニズム一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本フェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニスト愛国心に苦言を呈している)。

最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場上司女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正フェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。

私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。

いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。

2015-06-04

フェミニスト大家非モテ芸人

爆笑問題のニッポンの教養 動画 「女と男仁義なき戦い上野千鶴子女性学)」 

http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-entry-10689.html

番組開始して10分すぎても、上野さんがおもしろいことを言わない。

爆笑問題の2人は番組ホスト役だから聞き役となって、ゲスト上野に好きにしゃべらせている。テレビ番組としてだんだん困ってきたという感じになってきた。主役の上野自分テーマ提示として冒頭は好きに話していて、爆笑問題太田田中も相づちを打つような感じであるにも関わらず、とくにおもしろいことを言わない。男はもろいよねえ、とか、男どうしの張り合いはムダだよねえ、とか、その程度の話に終始していた。

これが日本フェミニスト大家なのか、という脱力感だった。というのは、自分は今まで本らしい本を読んだことがなく、ここ3~4年で社会評論の本を読むようになって、誰がスター選手なのかをだんだん把握しはじめているところだった。上野の本も何冊か読み、重要ポジションにあることを知るようになった。上野は、紅白に出る北島三郎和田アキ子みたいなランクにある。それを知ってから上野に絡むネット情報で、この番組存在を知った。実際に放送されてから数年経って見たことになる。

10分過ぎたところで上野は、秋葉原事件の例をあげ、ネットコミュニケーション否定してみせた。秋葉原事件犯人は、自分には恋人がいない、恋人がほしいということをネット掲示板で訴えてた。それはダメである上野は言った。

ここに太田はやっとというか、反論する場面を得たような感じで、ネットの会話が何が悪いのかと言う。

ネット書き込みダメだと言うのは、明らかに時代錯誤である。ここが上野のつまづきだった。単に古い人間だったことが露呈してしまったのだ。ブログもいいし掲示板もいいけど、LINEダメだというような、新しいものを怖がる素朴な大人のひとりに大幅にランクダウンしてしまった感じになった。

自分は、『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』という本を読んだことがある。http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%99%BA%E5%A4%A7%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E5%B2%B3%E5%BF%97/dp/4022617667

加藤智大は、実生活での友人もおり、女友達もいた。また、男女関係ではないが、女友達の家に泊まったこともある。風俗にも行っていた。ゲームネットもやる。非モテではあるが、引きこもりではないし、それほど不利な立場にいたわけではない。異常な母子関係問題の核で、ネット問題二次的なものだと映った。

爆笑問題ふたりは、どちらもかなりの元非モテで、それが上野のとって相性が悪かったようにも思える。

上野は、男のここがダメだ、あそこがダメだ、ネットダメだ、男は変わるべきだ、男は生身の女と会話しろ(直接の声掛けとか電話とかになるのか)というばかりだった。論理を言わない。論理を聞きたいのに。

ここに、田中がついに反論してしまった。太田が吠える役なのに。男に変われと要求しているが、ジャニーズ事務所にキャーキャー言う女の子を見ても、女の子のほうだって何十年も何も変わっていない。フォーリーブスからたのきんトリオから光GENJIのように。田中は、自分の背が低いことをコンプレックスに思って育ってきて、モテる男性女性が寄っていくという場面をみただけで傷つくという主張をした。これに対して、上野説得力のある話を展開できなかった。

上野は、自分は弱いとカミングアウトしている男性には、歯がたたないということだったのか。強がっている男を叩くことには長けていても。

爆笑問題テレビ番組に出るということは、視聴者層がだいぶ違う。文化人にとって、実質的テレビデビューに近いと思う。文化人しか出ないの討論のテレビ番組視聴率が低く、何十年もテレビに出ていても認知度が大したことがないと思う。ここでコケたのは、ダメージは大きかったのではないか。

番組ロケ場所は、秋葉原メイド喫茶だった。そこに上野は、AKBみたいなミニスカート衣装を来て登場した。メイド喫茶で喜ぶ男はダメだということも言った。自分が嫌いなものをただ並べているだけで、これではマズイ。秋葉原メイド喫茶で、秋葉原事件の話を持ちだしたのだからロケ場所指定上野も関わっていたと思われる。自分の読者以外の視聴者意識して、媚びてしまったのではないか。

『ためらいの倫理学』(2001年http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9F%E3%82%81%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AD%A6%E2%80%95%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%83%BB%E6%80%A7%E3%83%BB%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4043707010 という本で、上野10年以上前から強烈に批判されていることを知った。

上野は、『マルクス主義フェミニズム』という流派であるらしい。他にも流派はあるらしく、アメリカ前衛派は、黒人差別男女差別を同列に扱い、その派生として、トイレも男女いっしょになるのかという極論もあったらしい。黒人は、レストランバストイレも、席が別だったという理由で。日本にも、脱・上野路線みたいなものがあるらしく、フェミニストどうしでも批判しあっているそうだ。

はてな記法がわからない。

 
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