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はてなキーワード: 傍観者とは

2018-09-15

anond:20180915003200

動画みたらすぐ立ち上がってる

あれが起き上がらなかったら

また違ったんじゃないか

あの動画で、傍観者が〜ってのはなんか違う気がする

2018-09-06

anond:20180906151853

10万人とか100万人に1人の痴漢

たことがないと言うと傍観者扱いになんのか

anond:20180906151329

傍観者は同罪

見て見ぬふりをする男は痴漢の手伝いをしているのと同じ

俺は傍観もしてない。

そもそも痴漢を見たこともない。

anond:20180906151237

傍観者は同罪

見て見ぬふりをする男は痴漢の手伝いをしているのと同じ

2018-08-23

dada騒動愚痴

自分なりの結論として

・dadaがこれまで行ってきたあまりに多くの問題から考えれば、現状の彼の有様は因果応報かつ滑稽でしかない

粘着はdadaがさんざん行ってきた武器であり、今までそれを問題視してこなかった傍観者が今回の件でdadaの主張に乗っかるのはおかしいという気持ちもわかる

・それでも、いわゆる左派陣営はこれに乗っかるべきではない

・それはそれとして中立の皆さんも当事者意識もって欲しい

以下は愚痴

よくこういう問題が起こるたびに左派から恨み節がきこえてくる。

相手普段から散々に他者を愚弄しおとしめているのに、我々がそれに反撃した時になぜこうも強い反発を受けるのか?

相手方の日常的なソレはなんら問題視されないのに、これではあまりに不利だ

気持ちはわかるんだけど、でもやっぱりそれは駄目なんだよね

今回の件でいえば、左派側は人権や人道をもってdadaを批判してきた。自分たち自身がそれを貶めるのは、良い手段とはいえないし、自分や周囲も苦しめることになってしま

これをもって思想正当性が問われる事態にはならないと思うけれど

あと気になるのは中立の皆さんね

dadaが酷いのなんてわかってるから批判なんていらない、上記理由左派批判しなくちゃって気持ち理屈もまあわかるっちゃわかる

結構dadaみたいなやつを批判し続けるのはしんどい

まともに話は通じないし、ひたすらこちらを馬鹿にしてあざ笑ってくるし、こちらにストレスを与えるために粘着したりフォロワー突撃させたり

闇落ちしちゃうよ、それは

そのことも当然みんなわかってると思ってた。けど違った。なんでみんなdadaと同じように冷笑揚げ足取りモードに入っちゃうのかね

今回の件で香山氏etc問題があるのは明らかだよ。ならその構造問題点とか書いてくれてもいいじゃない。

現実は違って、ただ笑って腐してるだけ。そろそろそういう態度がしんどくなってきた。

さも全てわかってるように語ってみせるけれど、ならもう少し当事者意識も持って欲しいよ

2018-08-04

いじめ問題について思うこと

学校でのいじめ問題に対する、学校教育委員会対応と世の中の人意見をみて思ったことを書いてみようと思う。なんとなく書いたら長くなったので、流し読みしてください。

からいじめが原因で自殺する中学生高校生はたくさんいたと思うけど、国が大きく動いたのは、2011年の「大津市中2自殺事件

市立中学に通う中学2年生の男の子いじめを苦に亡くなった事件で、この時に明らかになったのが教育委員会学校いじめに対する対応の悪さ。

亡くなる数日前にいじめの報告が学校にあったにも関わらず、単なる生徒同士の「喧嘩」として扱い十分な措置を行わなかったこと、教育委員会自殺の原因を家庭内問題があったとして、当初認識していたことなど...

大津市中2自殺事件」がきっかけとなって、「いじめ防止対策推進法」が成立。

教育現場いじめ問題にどう対応すればいいか方針が決められた。

しかし、いじめ自殺する学生らは後を絶たないし、大津市いじめ事件の後に起こった別の地域いじめ問題では教育委員会隠蔽が判明。

いじめ調査した教育委員会などの調査報告書に納得できずに、再調査を依頼する遺族も少なくない。

教育委員会地域行政のなかでも、少し変わった組織で、教員免許を持った職員と持たない職員構成されているし、首長の直接管轄でもない。それらが教育委員会組織風土を硬直化させてしまっているのかなと思う。

各自治体でそれぞれに教育委員会組織されているといっても、他自治体でこれだけ問題になっているのだから自分たちは適切に対応しようとはしてるはずなんだけど、何かしらの不適切対応が目立つ。これが意味するのは、教育委員会という組織自体がきちんと対応できる状況、組織ではないということなのではと感じる。

教育現場先生たちも毎日忙しい。先生は授業を教えることが仕事なのに、中学校では部活動顧問まで任される。その上、いじめが起こったら業務さらに増える。日々の業務にいっぱいいっぱいで、いじめに適切に対応する余裕が十分にあるとは考えにくい。先生が余裕を持って働けるように、働き方も見直さなければいけないことの1つではないかな。

加えて、いじめはどうしても起こってしまものだということ。小学生中学生っていうのは多感な時期な上に、1つの教室に様々な事情を抱えた子が押し込まれてる。1つもいじめが起こらないほうが不思議なぐらい。地域差もあるだろうけど、学校いじめられたり、いじめたことがあったり、いじめ傍観者だったなんてのは大小あれど誰にでもあることだと思う。

学校社会的場所で、いじめがあってもなかなか逃げ出せない、休めない。

子どもたちに、自分ではどうしようもないことがあったら逃げてもいいっていうことを大人もっと言ってあげてもいいのではと思う。学校けが全てじゃない、学校に行かなくてもどうにかなるってことを。

2018-08-02

上手な生き方

今までの人生を振り返ってみて、やはり最初に思うのは「失敗だった」ということです。何が失敗だったか、どこからが失敗だったか。色々と考えてはみますけれど、明確に何が、どこからが、というのはわからず、強いて言うのであれば最初から、何もかもが失敗であったと思います

幼稚園に通っていた頃、私は1人で遊ぶのが好きな子だったそうです。みんなが仲良く遊んでいる中、1人でいたのだと。そのような記憶自分にはありませんが、今考えれば納得はできます。私の社会性の無さというものはその時点で明確に顕れていたのだと思うのです。

小学生の頃の記憶はあまりありません。あったとしても、嫌な思い出ばかりです。途中まではそれなりに、上手くやっていたかもしれません。私の社会性の無さ、性格の歪み、それらを隠すことが出来ていました。しかしそれらが露呈する出来事がいくつかありました。

一つ目は、小学五年生の頃だったかと思います。転校してきた男の子に、何故か好かれました。私も小学生でしたから、好かれていると思うと、相手が気になります。それが恐らくクラス女子の気に障ったのでしょう。色々なことを言われました。一番言われたのは、男好き、ぶりっ子などという言葉です。

私は、クラス女子のように、教室の隅に集まってコソコソと話すのが好きではありませんでした。外に出て、ドッジボールバスケットボールをするのが好きでした。だから男子と遊んでいました。それだけです。そこに男子に好かれたいなどという気持ちは一切無く、ただ自分のしたいようにしていただけなのです。それでもやはり、男好き、ぶりっ子と言われます。ですから言葉遣いを男子のようにしました。今思えば、くだらない反抗心のようなものだと思います。勿論無駄でした。

二つ目も、小学五年生の頃です。クラスに虐められている子がいました。クラス女子ほとんどが加害者でした。ほぼ傍観者であった私と2人を除いて、無視をしていました。その件は、クラス女子全員が、被害者の家へ直接謝りに行くことで収束していきましたが、その時私はとても白けた気持ちになったことを覚えています。私がもしその子だったら(勿論私はその子ではないので勝手な推測でしかありませんが)、自分を虐めてきた相手が家まで押しかけてくる、なんて状況には耐えられません。この人達ドラマか何かの見過ぎなのではないか、この一連の状況を映画のワンシーンだとでも思っているのではないか。この頃から私は、心の底からクラス女子を見下すようになりました。しかし、どんな理由があろうとも、こうやって他人を見下すこと自体性格が歪んでいるのです。それに、最近まで気づくことが出来ませんでした。

中学生になり、女子校に進学しました。勉強をしていなかったため、第1志望中学不合格でしたが。

中学一年生の夏、知り合いの、特に付き合っていない男子に、セックスがしたいと言われました。断ったら嫌われると思い、了承しました。けれど、直前になって怖くなり、何も言わず約束を破りました。嫌われてもいいから、逃げたかったのだと思います。そこまでは良かったのですが、それを母に知られました。私が学校宿泊行事に行っているあいだ、携帯メールを見られたのです。妊娠してるのではないかと泣かれました。あの時のことは、今でも鮮明に思い出せます。もちろん私がすべて悪いのですが、それ以降、なんとなく家族距離を置くようになりました。

もともと小学生の頃、塾での成績が悪く、そもそも勉強していなかったことに対し叩かれたり、怒鳴られたり、やはりそれも私がすべて悪いのですが、そういったことがあったために家族とはそこまで仲がよくありませんでしたし、正直苦手でした。

話が逸れましたが、中学高校はとても楽しかったのです。人生ピークだったように思います。私が私が友人だと思っている相手に友人だと思われているか。そういったことはここでは考えないようにします。中高と、友人に恵まれていました。

ただひとつ失敗があったとすれば、高校二年生のときです。ある人と付き合いました。その理由は、今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけです。そんな理由ですから、勿論振られました。振られて、精神病みました。私が悪いにもかかわらず。病みたいのは相手の方だったでしょう。そのとき私は死のうと思いました。けれど死ねなかった。ここで死ななかったのが、最大の失敗です。

暫くして大学生になり、新しく異性の友人ができました。その友人と付き合うことになりました。これも今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけの理由です。何度も喧嘩して、頼み込んで復縁して。それを繰り返していくうちに、本当の終わりが来ました。思いの外すぐに立ち直り、1人でいるのも意外と良いものだと思いました。その過程で、今までの自分がどれだけ他人を傷つけ、苦しめ、依存し、時間を奪っていたのか、自覚しました。もう人と付き合うのはやめよう。そう思っていた矢先、別れた相手から連絡がありました。復縁したいという旨の連絡です。

その頃には私は自分にはなんの価値もないのだということが理解出来ていましたから、断るつもりでした。しかし、断ったことで相手不快にさせていいだけの価値も、私にはありません。ですから曖昧な返事をし、気づけば付き合うことになっていました。

相手のことは好きでした。一緒にいると、幸せでした。

けれど相手にはもっと相応しい相手がいます。私といても幸せになれません。ですから、思い切って別れを切り出しました。

あっさり別れられた時点で、自分価値を再認識しました。

そして、4月から社会人になりました。私は仕事ができません。心も弱いです。他人が耐えられることに、耐えられないのです。

何より辛いのが、無価値自分が、何も出来ない私が会社にいることで、他人迷惑がかかっていることです。

私さえいなければ、上司気持ちよく仕事ができるのに、私がいるせいで、注意をしなければいけない。ヒヤヒヤしなければいけない。余計な時間を使わせてしまう。

ここまで書いて、何を言いたいのかわからなくなってきました

ただただ私は、消えたいだけなのです。こういった場所にこういったことを書けば、じゃあ消えろ、死ねメンヘラと言われることはわかっているのです。全て分かった上で書いています

女に生まれたくなかった。男に生まれたくもなかった。

迷惑をかけるくらいなら、生きていたくない。けれど死ぬのは怖い。

人と付き合いたい。誰かひとりに愛されたい。けれど付き合えば必ず不幸にする。私の心に問題があるから

親孝行をしたい。けれどできない。私は結婚も出来なければ、幸せそうな顔を繕えるほどうまく生きられる人間ではないから。

親孝行もできず、付き合えば相手を不幸にし、働けば他人迷惑をかけ、挙句の果てにはこうやってインターネットにどうしようもない文章を放り込む。

もっと書いてすっきりしたいことはあったはずなのですが、思い出せません。これだけ長々と書いて、言いたいことはこれだけです。

どうすれば、うまく生きられるのですか。

2018-07-25

anond:20180725130619

傍観者イジメに加担ってのはサヨクの言い分だから

まともな感性を持ってれば面倒事にはかかわらないように行動する

anond:20180725130124

で、そのいじめを君もクスクス見てたんだろ?

俺は授業後に先生を慰めに行ってフォローしてたぞ。

傍観者はいじめに加担も同じ。

2018-07-22

日本未必の故意に寛容すぎると思う

「こいつ、このままだと辞めるな」 と思いつつ何もしないまま、病気になって初めて反省する(フリをする)ってことは日常茶飯なのは私だけではないはずだ。

法律的には知っていたことは悪意があったとみなされ、知らなければ善意があると捉えられるようだ。

個人レベルで 見て見ぬフリをしていることは後ろめたさこそあれ、ばれないかもしれない。

でも、その隠蔽された悪が忖度のような大問題として表出しているのは見てのとおりだ。

本来責任者糾弾せずに見過ごしたために、結局は未必の故意によってそのツケを払わされていまいか

翻って考えるに、何もしなかった傍観者は損をしていると思う。

損するということを知りうるかどうかは各人の当事者意識に関わるところだとすると、ざっくり以下のような属性に分けられるだろう。

当事者意識有+行動有→良識的な賢者

当事者意識有+行動無→冷酷な愚者

当事者意識無+行動有→(該当なし)

当事者意識無+行動無→無知愚者

もちろん、どの程度の行動が妥当かは任意になってしまうが、少なくとも日本社会の現状はあまりにも行動が貧相で、高まってきた人権意識の割に脆弱社会だなあと思う。

ここまで読んだ人が罪悪感を抱かずに生きてもらえれば幸いです(笑)

2018-07-20

anond:20180720234851

つまんね。傍観者気取りでダメ出ししかできないとかクソつまんないわ

2018-07-18

アイドル増田ーがめんどくさい理由

勢力が多いから。

まず、

の5勢力がある。

で、外からは「この5勢力が争っているのか?」というと

が出てくるので実質6勢力になる。

 

この中で特筆すべきはみんマスPだ。みんマスPは必ず下地として「元祖P」がある。元ライバルであった響や貴音を受け入れ(まぁ元々SPの時から響と貴音受け入れているような空気ばっかりだったが)、9・18事件を乗り越えて残っているので、いまさら何が増えても問題はない。

シャニマスですら「いやー、絵が全然アイマスらしくないし、これ以上増やすのは」とかいってた友人の真Pは楽しくシャニマス楽しんでいるのでこういう奴らしかいない。

元祖P(みんマスPを兼ねる)は、正直「争いは望んでいない。それぞれで楽しもう。」的なことをいいつつ、実際はかなりちょっかい出しである

「765も通った道だな」だとか「765があるからソレがある」と思っているので、とりあえず上から目線で口を挟んでくる。

めんどくさい原因を作り出している。

 

なので、多くのコンテンツでの対立構造は「信者 vs アンチ vs 対立煽りトロール)」であるのだが、アイマスに限って言えば「信者 vs アンチ vs みんマスP(ロートル) vs 対立煽りトロール)」となる。

内輪もめがよく言われるが、正直そんな内輪もめも実際中身を見てみると「運営信者 vs 運営アンチ vs 対立煽りトロール)」でしかない。ここにも必ずみんマスPが現れて「運営信者 vs 運営アンチ vs みんマスP(ロートル) vs 対立煽りトロール)」になるので質が悪い。

 

しかし、みんマスPの多くはアイドル増田ーをめんどくさくしているという自覚はない。傍観者だと思っているのである

まり自分アイマスを思ってつぶやく一言一言アドバイスであり、油ではないと信じて疑わない。

アイドル増田から彼らを除くにはどうすればいいか

はっきりと「みんマスPは入ってくるな」という事である

デレマスミリマス、Mマス、シャニマスの話をしているのであって、アイマスの話をしているわけではない。」とハッキリと言うことである

なので、これからアイドル増田ーを書く人は、増田の一行目に「○○マスの話であってアイマスの話ではありません。」と付け加えることが必要である

そんなのでみんマスP防げるの?って思うかも知れないが、彼らは「争いは望まない」という割にちょっかいを仕掛けてくるだけで、ちょっかいを出しているとわかってないだけ。

 

なので、これからアイドル増田ーを書く人は、増田の一行目に「○○マスの話であってアイマスの話ではありません。」と付け加えることが必要である

大事ことなので二回言いましたよ。

2018-07-17

anond:20180717111328

殺された奴が傍観者だよ

お金を払って強い警備員を雇っていれば殺されてない

2018-06-30

松井秀喜5打席連続敬遠を思い出した

日本ポーランド戦の後半最後の6分間の、日本パス回しがフェアではない、という論調ニュースを聞いていて、表題のことを思いついた。

松井秀喜5打席連続敬遠とは、1992年8月の甲子園本戦において起きた出来事のこと。

30代~40代の人はリアルタイムで見ていただろうけど、若い人は知らないかもしれないね

本戦2回戦の明徳義塾高校高知)対星稜高校石川)戦において、明徳義塾が当時の3年の松井を五打席連続敬遠バットを振らせず、結果として星陵が敗退した。

当時も、今回の日本ポーランド戦と同じくらいの批判議論が巻き起こった記憶がある。

wikiで調べてみると、試合後に明徳義塾高校の生徒たちに殺人予告まで送られてきたらしい。

当時、テレビで見ていた私自身も明徳義塾敬遠のやり方を快く思っていなかったけど、それは私自身が「傍観者」だったから言えたことだったのだ。

高校野球甲子園は県別対抗トーナメントなので、高知県民ではない私は明徳義塾には何の思い入れもない。

しかし、もし私が高知県民で明徳義塾応援していたら、五打席連続敬遠手法も受け入れていた可能性が高い。

高校野球日本国内のローカルなのに対して、ワールドカップは国別対抗であり、私を含めた全ての日本人は傍観者ではなく「当事者」に引き上げられる。

当事者の私としては、ワールドカップの予選突破のためなら、汚名を受け入れてでもやってほしいと考えている。

日本人の一人としてワールドカップに熱くなれるのは、やはり過去20年間の日本代表チームの苦労を見てきているから。

1994年のドーハの悲劇、2002年の日韓ワールドカップの史上初めての決勝トーナメント進出、2010年の8年ぶりの決勝トーナメント進出、2014年の予選敗退・・・

今だったら、明徳義塾高校監督選手達の気持ちが手に取るようにわかる気がする。

2018-06-28

anond:20180628140659

いや、よくわかってるというか実体験済みなんだよな。

しろ被害に遭う方で。

それでも生きてるのは異常者の皮被って仕事してたからだし、それに疲れて辞めたら体調も精神状態も元に戻ったし。

逆に心配なのは元増田の方で、コイツ被害に遭ったら本当に刃物を振り回しそう。傍観者でいたがる奴は当事者になった時に怪演するしかなくなるから

その異常性を止めるのは上司会社の役目なんだけど、それを止められないならその職場仕事だけもらえる状態で人が働く環境じゃないんだよ。

から、労基呼んでアウト勧告出してもらうか、どうせ何しても治らないだろうから出て行くしかない。

コピペにあるようなスッキリするような展開の方が稀だけど、そこにウンザリして辞めてから同じようにウンザリしてる人とか、何でこんな状態になってしまうのかが理解できた気はする。

anond:20180628003159

いや、自殺するでしょ。

良くて退職して労基の監査が入る。

最悪は職場刃物振り回して先輩含む何人か道連れ、先輩にニヤつかれてたお前もターゲットに入るかもな。いや、一番最初傍観者決め込んでるお前かもしれん。

社会人になったらそういうしょうもない縮図なんていくらでもあるからな。早いところお前も職場に見切りつけて辞めろ。そいつが辞めた後お前が巻き込まれるんだからな。

2018-06-23

anond:20180623214000

こういう書き込みってなんで作品タイトルキャラを隠すんだろう?女性オタク界隈にありがちだがそういうのを見て常々思う。何か迷惑をかけるケースがあるとでも思っているのだろうか?そういう発想が理解できない。そりゃ例えば実在アイドル二次創作、のような分野だったら別だが、その手のアングラではない、一般的商業流通上にあるパブリック作品のことでも必要以上にボカして特定できないような書き方をする人が多いように思う。個人的には、自分の思ったことを匿名ですらハッキリ正面切って伝えられないのは、配慮ではなく惰弱なだけだと思う。偉そうに言うが、それは世の中に微塵も変化をもたらさない。もっと世の中と、他人と、その化学変化を信じろ他人の善性を信じて、自分の思いも過小評価したり卑しめたりするな。そういう声はきっと作り手にとっても貴重なものだ。具体的な言及きっかけで、興味を持って始める人がいたり、開発者に届いていったりして初めて、状況が変化し、何かが変わる。その可能性が生まれる。もちろんその変化を望む人と望まない人がいるだろうが、自分の鮮明な声が表に出ることを躊躇う必要はない。なぜなら、自分が発した声というのは所詮たくさんの声のうちの一つにすぎず、実際に変化があったとしたら自分だけの声によるものではないからだ。いい意味で自惚れるなという事だ。自惚れないからこそ妙な自意識を捨て、自我の殻を破って物が言えるようになるのだ。そうやって殻を破って発言する人たちの意見によって、世の中のあらゆる物事はつねにバランス調整がなされている。だから曖昧物言いをする人や裏でコソコソ言うことしかできない人というのは、その習性自体によって、自分を世の中とマッチしない生きづらい環境に自ずと追いやっているのだ。それでもそういう人たちの言い分としては、ただボカして一般化した言い方をして、自分の好みはバラさずに「分かる」「あるあるだね」と共感を得たい、それで十分だ、何か干渉したい訳でもないし出来るとも思わない、そんな所ではないか。そういう人がいてもダメとは言わない。だがそれはエゴだ。何かのコンテンツを楽しんでいるという時点で、社会に、コミュニティに、経済に参加している。無干渉傍観者ではありえない。自分の席はカウントされている。そういう場を仕切っている人たちは、ボカされた独り言をいちいち汲み取りに来ないし、直接言われた場合ですら腰を動かすのが重い、重くならざるを得ない人たちだ。ともかく、人の輪の中で生きている自覚があれば、フィードバックは責務に近いものだということ、その内容は率直なものであれば何であれ大事にされることが分かるはずだ。

 

主語を大きくして話すならば、日本女性社会進出がかなり遅れている原因の根っこには、このような「(思いはあるのに)ハッキリ具体的にどうしろと主張する習慣や発想がない」という、悪い意味の奥ゆかしさがあるせいだと思う。もちろん女性にもハッキリ言える分野はあるのだが(生活態度やマナーなどは言いやす典型)、「物事をどう進めるべきか」のような思想的・政治的な、言わば男性が主導してきた分野についての主張を適切な場で訴えられる人となると極端に少ない印象がある。まずはネット書き込みから、声を上げる練習をしてほしい。増田なんてそのためにあるようなものだ。もっとも、この件に関しては普通に運営要望メールを送るのが最善だけれども。すでにそれをした上で、ここで与太話をしているのだったら申し訳ない。

2018-06-19

自分が何かをする側であることへの興味?執着?なんだろう、そういうのが年々なくなっている気がする ‬

‪何かしたかった人だった、みたいな‬

‪もうなんでもいいやの気持ちがどんどん広がっている感覚

自分傍観者なんだって落ち着いてしまったような‬

羨ましくて目を逸らしていたものも見れるんだ、って良いような虚しいような

放り投げたら楽になってしまったんだなあきっと

2018-06-14

丸山博文の新宿バス事件では「生きてますかあw」と傍観者が言ったん

今回の新幹線でいうやつがいなかったのはやはりスマホが普及して撮影されるのを警戒していたんだろうか

2018-06-13

anond:20180613104714

自分が助けに行くのは勝手だが、その場にいなかった傍観者が云々言うのは間違ってる。

しかも、それを「フェミ」という自分イデオロギーに利用するため、

男性へのセクハラをやってのける無神経さにはほとほとあきれる

2018-05-17

オタクヤンキーの亜種なんじゃないか

根底にある価値観

・同じ価値観を共有している人間のみが「人間」であり、他は自分たち言葉/暴力を通じて支配してもよい

・全体としての秩序(法律)は「なんか知らん人が勝手に決めた面倒くさいもの」で、自分たちの秩序の方を優先してよい


類似する振る舞い

・同じ価値観を共有していれば極めて社交的かつ友好的。環境が揃っていれば容易に群れる。

・「人間」以外に興味がないため、しばしば「オタク」「ヤンキー」「陰キャ」「陽キャ」などといった大雑把かつ曖昧な人の括りを好む。

・しばしば外部から見るとダブルスタンダード言動をとる。本人たちにはそもそも「俺らが一番」以外に思想などないから、本人たちとしては理にかなっているのである

社会への不満感は強い。彼らを働かせる人間基本的に「人間」でないことが多いため。彼らが譲歩しても認識できない。

権利ばかりを声高に叫んでいるように見える。義務倫理とは「人間」でないものから与えられるからである

私刑を頻繁に行う。価値観を共有していないのに自身と同じ集団に居る人間を許容できない。

「こいつムカつくしぶん殴りたい/炎上させたいけどもうボコボコだし俺はやめとくか…」という発想ができる人間がおらず、全員が最大限の攻撃を加えるため攻撃は峻烈。

・外から見ると優生論者に見える。「自分の思い通りにならないやつは死ねばいい」と思っているため。そのため自分は必ず優生とみなす。

・罪に見合った罰という考えが一切ない。「自分に害を及ぼすかもしれないやつは死ね」と考えているため。殺人だろうが窃盗だろうが強姦だろうが不倫だろうが罵倒だろうが全部死刑

約束は人並みに守るが駆け引きは苦手。「人間」でない人間利益思想メンツを考えることができない。よく他人と揉めるが、本人は相手の頭がおかしいとしか思っていない。

・ある程度群れが大きくなると仲間割れを引き起こす。自分当事者場合唯我独尊さが邪魔をして、自分傍観者場合駆け引き下手が影響して、争いを止めることができない。そのため、「声がデカい」以外に政治的な影響力を発揮できない。

「絆」連携」「一体感」といった和を尊ぶような標語が内心大好き。


相違点

ヤンキー趣味は近しい他人絶対必要であるか、暴力に繋がる素養(腕っぷし)が必要とされることが多い。対してオタク趣味は基本一人でもよく、またそれ自体暴力に繋がらない。暴力が見逃されがちな大多数の学校では必然ヤンキーが主流となる。

オタクバッシングが激しかった頃はSNSが今に比べて未発達だった。そのため、オタク潜在的にはヤンキーと同じくらいいたが、局所的にマイノリティにならざるを得なかった。局所的なマイノリティであるために、数少ない同類出会える場を失うような言動を避けるので真面目なように見えていた。

最近SNSが発達してきたことで、身近な友人を求めるヤンキーよりもオタクの方が勢力が大きく見える。


僕も「陰キャ」な趣味を持ってるけど、ヤンキーから同類として括られるオタクに妙な違和感を感じてた(直近だとマスコミ報道に対するオタク過剰反応だとか、モバマス総選挙での内紛模様とか)。で、言語化してみたらこんな感じだった。

折角書いたけどさすがにtwitterに書き込むほどバカじゃないから、ここに書き捨てていきます

こういう風に見てる人もいるんだな、くらいでどうぞ。

2018-05-16

罪悪感を刺激しようとするプロモーションが嫌いだ

具体的に言えば「13の理由」っていうNetflixドラマのだけど。

ttps://www.netflix.com/jp/title/80117470

ラジオを聞いているとこのCMがめちゃくちゃ入って、まぁ、ラジオに金出してくれている事はNetflix感謝するけど、内容は不快で困る。

「これはドラマではない。現実の話である」「お前は傍観者では無い。登場人物だ」みたいな。詰問調というか迫るようなナレーションが本当に感じが悪くて。

正直に言えば、この作品自体はよく出来ているようだし、見たら興味深い作品なんだろうなぁ…とも思うんだけれど。

これはいくら現実を元にしていようとフィクションだし、このドラマたか解決になるとか、現実の苦しんでいる人は救われる訳じゃないし、Netflix視聴者が増えるだけで、要はプロモーションなんだよ。

いじめが良くない事である現実自分が思っているとか、いじめ兆候何となく見過ごしている事があるみたいな現実の罪悪感を、視聴行動に変えようとしているだけなんだから。本当に変えるべきなのは現実の行動で、このドラマを見る事じゃないのに、すり替えているだけなんだから

プロモーションすること自体は悪いことじゃないし、内容がこういう感じだから、そうしたくなるのも解らなくは無いけど、お行儀が悪いんじゃないかと。

結論としては、私が感じ悪いなぁ…と思っているというだけの話でした。

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