「ランドセル」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ランドセルとは

2024-10-02

嫌な大人になってしまった

広告高校生中学生恋愛する漫画が流れてきた

中学生とか高校生当時だったら面白く読めたんだと思うんだけどアラサーの今となっては「制服恋愛w」「この間までランドセルだったくせにw」「自分の食い扶持も稼げないくせにw」「学生大人しく勉強しとけよw」と登場人物馬鹿にする言葉ばかりが頭に浮かんでしまった

私には夫がいて子供も作ろうかという話もしているんだけど将来「ガキが色気づいてるw」くらいのことを言いかねない自分に気付いて愕然とした

私自学生時代にはカッコつけて調子のって色々やって、結果としてそれを青春と思っていて、親はそれについて何も言わずに見守ってくれてたのに自分子供に対して「調子乗るなw」とか思ってしまうのかと

嫌な大人なっちゃったなあ

2024-09-27

階層スタジオ?とかジムとかあって子供習い事とかもしてる都内オフィスビル勤務なんだけど子供習い事の送り迎えしてるのって祖母が多いんだな

この時間にそのビルで飯食ってるとその家族もいるんだが、おばあちゃんおばあちゃん言ってる子がほとんど

23時くらいになると小学低〜中のランドセル背負ってる子と父or母の家族が増える

両親に子供見てもらえる人は、子供家帰っておばあちゃんと〜って感じで

子供見て貰えない人は子供はずっとどこかにいて、23時頃帰宅なんだろうな

SSSS DYNAZENON

第2話

戦いの跡を見る夢芽と蓬。

電柱にひっかかったランドセル東日本大震災被災地報道写真

2024-09-23

身長

美少女顔に整形してランドセルとかスク水合法小学生風俗したらロリコンが通って億万長者じゃね?

弱者男性弱者女性マッチングして6年が経った

失われた時間

夜9時、カズキが眠りについた後、家の中には静寂が訪れた。

しかし、その静けさの中で、リビングにはスマホの画面をタップする音が断続的に響いている。

夫はソファに横たわり、スマホ操作している。妻もまた、ダイニングテーブル椅子に座り、同じようにスマホ凝視していた。

彼女視線は画面の中のSNSに釘付けだ。友人たちの投稿コメント、次々と流れる他人生活に触れ、時間を忘れてスクロールし続ける。

そこで彼女現実の不満や孤独一時的に忘れられるのだ。

母親として、妻としての役割を一旦棚に上げ、ただ画面の中で過ぎ去る時間に身を任せる。育児という責任はすでに頭の片隅に追いやられ、彼女虚構世界に浸る。

カズキが泣き声をあげても、彼女は反応が鈍い。夜中に子どもが寝室からさな足音を立ててやってきたときも、彼女スマホの画面から目を離さない。

父親は、ちらりと子どもを見ただけで、何も言わずにまた画面に目を戻す。結局、カズキは二人の間に挟まれ、静かにソファに座って彼らの顔を見上げたが、誰も何も声をかけることはなかった。

家族としての絆はもはや形骸化しており、親子の間には実際の対話交流ほとんど存在しない。

ただ、スマホの明かりに照らされる無言の時間が過ぎていく。それはまるで、彼らが現実から逃げるために自ら作り出した、無感情牢獄のようだった。

弱者マッチングの始まり

数年前、彼らが「マッチング」された日のことを思い出す。

政府主導の新たな社会政策が大々的に発表された時、孤立し、結婚を諦めていた弱者男性と女性が、一度に大量にマッチングされ、結婚を促進されるというプログラムだった。

そこには理想未来が描かれ、少子化対策経済的な安定・社会全体の調和を目指すという美辞麗句が並べられていた。

彼女はその時、仕事に追われ、将来の見通しに不安を抱いていた。

孤独生活の中で、社会の期待や周囲からの無言のプレッシャーに押されるようにして、参加を決めた。

彼もまた、社会的に疎外され、職場での孤立感に耐えきれず、希望が薄れていく中でこのプログラムに乗り込んだ。

彼らが最初出会ったのは、淡々としたマッチングイベントの会場だった。まるで品定めされるように、テーブル越しに数分間だけの会話を交わした。

しかし、そこでのやり取りは極めて表面的なものだった。互いに特別な印象を持つこともなく、ただ社会的な期待に応えるための形式的時間が流れた。

彼女は彼に対して特別な魅力を感じることはなかったが、経済的な安定や社会的な孤立を避けるためには「結婚」が必要だという思いに駆られていた。

彼も同様に自分未来に対する不安孤立から、この結婚が何かの救いになるかもしれないと考えていた。

結婚という名の契約

彼らの結婚は、愛情感情的なつながりを伴わないまま始まった。

結婚式は小規模なものだったが、それでも形式的に行われ、家族や親しい友人たちが集まった。

笑顔を作り、記念写真を撮り、社会的には「成功」と見なされた。しかし、二人の間にはほとんど会話がなく、結婚という大きな決断に対する感情曖昧なままだった。

彼らは新婚生活を始めたもの感情的な絆は深まることなく、時間が経つごとにお互いの存在が重荷になっていった。

子どもが生まれることで何かが変わるかもしれないという淡い期待もあったが、実際には彼らの関係さらに複雑にするだけだった。

子どもは彼らの生活に新たな責任をもたらしたもののその責任を共有する意識希薄だった。

互いに育児負担押し付け合い、疲れ切った日々の中で、二人とも現実逃避にスマホ世界に没頭するようになっていった。

崩れかけた家族

こうして、建前だけで作られた家族の絆は、日に日に薄れていった。

子どもが何を感じているのか、何を求めているのかに対して、二人は気づこうとしない。

育児という責任あくまで「社会的な役割」であり、愛情を注ぐことはなく、ただ義務感だけが残っていた。

カズキは、そんな家庭の中で日々を過ごしながら、両親の愛情を感じることなく成長していく。

無言の時間と無関心の中で、彼の心の中に小さな孤独の種が静かに芽吹いていた。

孤独クラスルーム

カズキは5歳になり、ついに小さなランドセルを背負って学校に通い始めた。

彼が通う学校は、政府弱者マッチング政策によって生まれ子どもたちが集まる場所でもあった。

同じように、家庭の中で愛情や関心を受けることなく育った子どもたちが大勢まり学校教室には独特の空気が漂っていた。

教室一見すると普通小学校と変わらない。先生が黒板に向かい子どもたちは机に座り、ランドセルを下ろして教科書を開く。

しかし、そこにあるのは静かな孤独空気だった。クラスメートの多くは、家庭での愛情ケアを十分に受けておらず、どこか無感情で無表情。誰も他人積極的に話すことはなく、ただ時間が過ぎるのを待っているような雰囲気が漂っている。

カズキもまた、その一人だった。教室の隅に座り、他の子どもたちとあまり目を合わせることなく、無表情で机に向かっている。

先生が何かを質問しても彼はただ小さくうなずくか、返事をすることな視線を落とすだけだった。彼にとって学校もまた家と同じように、感情のない無機質な場所になっていた。

クラスの子どもたち

クラスメートたちも同様に、家庭での愛情を知らず、感情を抑圧されたまま育った子どもたちだった。

友達同士の会話はほとんどなく、遊び時間ですら誰かが楽しそうに笑うことはほとんどない。まるで、大勢の子どもたちがそれぞれの小さな殻に閉じこもっているかのようだ。

授業中、カズキ先生の話をぼんやりと聞いているが、心の中では何かが欠けていることを感じていた。

家では両親から十分な会話や接触を受けていないため、彼にとって他人との交流信頼関係の築き方がわからない。クラスメートもまた、同じように孤独存在であり、互いに心を開くことができないため、自然と静寂が教室支配していた。

休みになっても、誰かと遊ぼうとする子は少ない。カズキは、ランドセルの中に入っているお弁当を一人で静かに食べる。誰も彼に話しかけず、彼もまた、誰かに声をかけることはない。彼の周りでは、他の子どもたちも同じように無言で食事をしている。カズキはその無表情な顔のまま、スプーン一口ずつ弁当を口に運んでいく。

カズキの心の中

家でも学校でも、カズキ孤独を感じているが、それを言葉にすることはできない。

彼の心の中には常に空虚さがあり、何かが足りないという感覚が消えることはない。しかし、彼にはその感情表現する手段がなく、ただそれを胸の奥に押し込めるだけだ。

学校友達を作る方法も知らず家では両親と感情的なつながりがないまま育ったカズキにとって、周囲の世界はどこか冷たく、無意味に感じられることが多い。

クラスメートも同様に自分たちの孤独を抱えており、互いに心を開くことができない。

それは、家庭の中での愛情不足が原因となり、感情表現信頼関係の築き方を学べなかった子どもたちに共通する問題だった。

放課後になると、カズキランドセルを背負って黙って帰り道を歩く。

家に帰っても両親との交流は期待できず、ただまた同じ日々が繰り返されるだけだ。

彼の頭の中には、誰とも交わらない日々が続き、心の中にある小さな孤独の種が、静かに大きく育っていくのだった。

カズキ学校では彼のような子どもたちが多数を占めているため、クラス全体がどこか感情のない機械的集団のように見える。

彼らは互いに関心を持つことなく、先生が指示するままに動き、誰も積極的自分意思表現しようとはしない。

孤独感や無力感が漂う教室では、笑顔や楽しさ、友情といった感情希薄で、日常淡々と過ぎ去る。

成長したカズキ未来

カズキは15歳になり中学卒業して高校に進学するか、あるいは早々に働きに出るかという選択を迫られる年齢に差し掛かっていた。

しかし彼の中には将来に対する明確なビジョン目標ほとんどなく、家族との感情的な疎遠さや学校での無感情な日々が彼の意欲をすっかり失わせていた。

家庭環境も依然として冷え切ったままで、両親から進路についてのアドバイスや励ましがあるわけでもない。

父親は今も不定期な仕事を続け、母親も相変わらずパート仕事を掛け持ちしている。

彼らの生活経済的に安定しておらず毎月ギリギリ生活費でやりくりしている。

家族全体が経済的な困難に直面していることは、カズキにとっても避けられない現実だった。

働くことへの不安

カズキ学校での成績も特に優秀ではなく、勉強に対する興味を持つこともなかった。

周囲の同級生たちも同じように、家庭や社会からサポートほとんど受けることなく育ってきたため、将来について真剣に考える者は少なかった。

クラスほとんどの生徒は、進学よりも早く働いて家計を助けることを選ぶか、非正規仕事に流れていくのが現実だった。

カズキもその例外ではなく社会に出ることに対する不安と無関心が入り混じった状態だった。

彼の家族は彼がすぐに働きに出ることを期待していたが、それは経済的理由からであって、カズキの将来を心配してのことではなかった。

両親は息子がどのような仕事に就くかに関心を示すことはなく、ただ「家計の足しになるならそれで良い」という態度だった。

カズキ自身も、将来の夢や目標がないまま、やがては自分も両親と同じように、不安定な職に就いて日々をやり過ごす未来ぼんやりと受け入れていた。彼の心には「どうせ自分は何も変えられない」という諦めの感情が根強く存在していた。

経済的問題現実

成長したカズキ社会に出たとき、彼が直面する最も大きな問題は、まさに経済的不安定さだった。

彼は学校卒業してすぐに安定した職に就くことができず、非正規雇用やアルバイト転々とする生活が始まった。

日本全体では弱者男性や女性社会の周縁に押しやられ、正規雇用に就くことが難しい状況が続いており、カズキもその波に飲み込まれていた。

カズキ収入は低く生活費を賄うのがやっとで、将来的な貯蓄や投資などは夢のまた夢だった。

家賃光熱費、食費、そして時には両親から経済的支援を求められることもあり、彼の手元にはほとんど何も残らない。

彼の労働は、社会必要とされるが正当に報われることのない単純作業が多く、心身の疲労が募る一方だった。

また、カズキ家族から社会からも十分なサポートを受けることなく育ったため、将来に対する不安経済的問題対処する力を持っていなかった。

彼は、経済的問題だけでなく、感情的な孤独自己肯定感の欠如にも苦しみ続け、ストレスが重なっていく。

社会との断絶と孤立

カズキが直面するもう一つの大きな問題は、社会との断絶感だった。

彼は家庭でも学校でも十分な愛情支援を受けられなかったため、人間関係の構築やコミュニケーションに対して強い抵抗感を抱いていた。

仕事でも職場人間関係にうまく溶け込めず、孤立したまま日々を過ごしていた。

こうした孤立感はカズキにとって大きなストレスとなり、結果として職場でのモチベーションパフォーマンスにも悪影響を及ぼしていた。

彼は仕事に対する満足感を得られず、ただ生きるために働くという消極的姿勢に陥っていた。

彼のような若者たち社会全体に増え続けており、同じように家庭環境経済的な困難、そして社会的なサポート不足に苦しんでいる。

多くの人々が非正規雇用に追いやられ、低賃金で働くことを余儀なくされ、将来に希望を見出すことができないまま、現実と戦い続けている。

カズキの早期結婚――無感情未来

カズキは、社会との断絶感に押しつぶされながらも、弱者男性と弱者女性マッチング政策によって20代前半でユウコという女性結婚した。

両者とも愛情幸福を求めることなく、ただ社会の仕組みに従い自分たちの未来に対して諦めを抱いていた。

彼らの結婚生活形式的感情的なつながりは希薄で、ただ「結婚している」という事実けが彼らを繋ぎ止めていた。

ユウコカズキと同様に愛情のない家庭で育ち、社会との接点をほとんど持たない女性だった。

彼女もまた孤独を抱えたまま仕事に就き、カズキとともに経済的不安を分かち合うことなくただそれぞれが生きるために必死で働いていた。

カズキ低賃金非正規雇用に押し込まれユウコもまたパートタイムの仕事を掛け持ちする日々。二人の間に交わされる会話は少なく、家の中には沈黙が漂っていた。

カズキの子ども――犯罪の縁で生きる

カズキユウコの間に早くも子どもが生まれ、彼らはその子を「タケル」と名付けた。

しかカズキ自身経験した孤立経済的困難は、さらに厳しい形でタケルに受け継がれることになった。

タケルは幼少期から十分な食事も満足な環境も与えられずに育った。

家には物が溢れ乱雑なままで整理されることはなく、学校では友達を作ることもできなかった。

カズキユウコはどちらも仕事に追われタケルの世話をする時間がなく、彼は放任されるように育っていった。

タケルが中学卒業する頃にはすでに家庭での居場所を見失い、社会からも完全に疎外された存在となっていた。

彼は学校卒業しても就職先が見つからず、社会の隅に追いやられるようにして犯罪スレスレ生活に足を踏み入れていた。

タケルのような若者はこの時代には増え続けており、彼らは生き延びるために小さな詐欺や盗み闇市場での売買に手を染めていたが、それらすらもうまくいかないことが多かった。

犯罪の失敗と絶望

タケルは盗みや詐欺を何度か試みたが、成功することはほとんどなかった。

彼が属する社会底辺は同じような境遇の人々で溢れており、競争は激化していた。

彼が盗もうとした小さな金品はすでに別の誰かに奪われていたり、詐欺を試みる相手もまた騙され慣れていたりするためうまくいかず、むしろ危険さらされることの方が多かった。

ある日、タケルは仲間とともにコンビニ強盗計画したが、あっけなく警察に察知され失敗に終わる。

彼の仲間の一人は逮捕されタケル自身はかろうじて逃れたものの、失敗の連続で心身ともに疲れ果てていた。

彼は犯罪ですら成功しない自分の無力さに絶望し、社会の中で何の価値も持たない存在だと感じていた。

社会に溢れる「タケルたち」

タケルのような若者は、もはや社会の一部を構成する主要な層となっていた。

経済的な困難や家庭崩壊教育の欠如がもたらす無気力若者たち犯罪に手を染め、失敗を重ねながらもその場しのぎで生き延びていた。

街には、そうした「タケルたち」が溢れ、どこに行っても犯罪が起こりそうな張り詰めた空気が漂っているが、実際には成功する犯罪すら少ない。

仕事の機会は減り、低賃金非正規雇用や闇市場での労働を強いられる若者たち

犯罪に走るがすべてがうまくいかず、どんどん貧困の深みにはまり込んでいく。彼らは家庭でも社会でも愛情を受けることなく、常に孤独無力感に苛まれながら、社会底辺で苦しみ続けていた。

タケルはその典型的な一人であり彼もまた未来希望を持てず、犯罪の失敗と絶望の中で、ただ何とかその日を生き延びるだけの生活を続ける。

カズキが直面した孤立感や経済的困難は、さら悪化し、次世代にわたって連鎖的に続いていた。

弱者男性・弱者女性マッチングの再導入

タケルが20代に入った頃、彼が育った社会には新たな「弱者男性・弱者女性マッチング」の仕組みが再び広まっていた。

この制度は表面的には自由意志による選択として進められていたが、実際には経済的不安社会的な孤立に直面する多くの若者にとって、結婚を通じて「安定」を得る以外の選択肢がほとんど残されていなかった。

政府はこのマッチングを「未来への一歩」「パートナーと共に新たな人生を切り開くためのチャンス」として宣伝し、若者たち積極的に参加を促した。

制度のもの強制ではなく形式的には自由参加であったが、現実的には低賃金非正規雇用や Permalink | 記事への反応(1) | 01:21

2024-09-19

小学生ランドセルの防犯ブザーの位置って色んなもの装備できそうだよな

手榴弾とかナイフとか装備できそう…😟

2024-09-18

これがスレッズで絶賛される文章!!!

おれの読み方がおかしいのかなと何度読み返しても人の名前馬鹿にしてるだけにしか読めなかった

キラキラネームシワシワネーム等あります個人的にはほっこり洒落意識ネームが苦手。

うた いと おと にこ むぎ つむぎ 等

色彩薄めのおもちゃや服しか買い与えずランドセル母親希望茶色キャメルを購入してそう

https://www.threads.net/@miss___muffet/post/DABkyHzyhC2/

2024-09-11

彼女と別れたら小学生高校生になっていた

(先に言っておくが、私は小さい頃から本も読まないし、国語は苦手だし、読むのはBL漫画雑誌ツイッターだけだ。出身学部も今流行りの横文字のネーミングだし、文章を書くのはてんでだめだ。)

このあいだ、3年間付き合っていた子と別れた。

3年間なんて短いと言われるかもしれないが、ランドセル背負ってた子が高校生になってしまうくらいには長い。

付き合いはじめの頃から喧嘩が絶えなくて、相手の子は私の機嫌を伺ってばかりの3年間だった。「嫌われちゃったかな、今日イライラして眠れてないんじゃないかな、って考えて心が休まらなかった」と言っていた。でも私だってそうだ。トラウマ級の罵詈雑言を浴びせられ、その傷を反芻しつづける地獄みたいな3年間。

別れ話を切り出すたびに、その子自分の頭を殴ったり、包丁を持ち出して死ぬなんて言い出したりする子だった。笑っちゃうくらい、絵に描いたようなヒステリーだった。幼稚すぎて嫌だったけど、そんな姿も愛おしかった。その子を傷つけたくなくて、別れられないまま3年も経ってしまっていた。

でもその子自分にとっては世界一可愛くて、甘い香りがして、自分にはもったいないくらい素敵な女の子に見えていた。





ここまでが、

私がこうであれと願う

""相手視点の別れ""

である






相手本心は分からない。私に復縁のチャンスがあるのかも分からない。

私のこと嫌いになってないよね?私のこと今でも好きだよね?って聞いたら彼女は涙いっぱいの目で今も大好きだよって言ってくれた。

完全に冷められていたけど、私が傷つかないように嘘ついてくれたのか、本心だったのか、私には分からない。

私がヒステリーを起こすのを嫌がっていた彼女は、自分のせいで私が傷つくのを嫌だと言っていた。

幼稚な私にはその気持ち理解できない。それくらい激しく愛しているということを分かって欲しいだけだから。喜んで欲しくて、わかって欲しくてやったのに。

私のことを世界一好きだと分かっていても別れを告げた彼女は、もうこれ以上自分のせいで傷つく私をみたくないという利他的な人だったのだろうか。

それとも、どれだけ傷ついても世界で一番好きな人と一生を共にすることが幸せだと思っていた私と違って、穏やかな人と傷つかない一生を過ごす方を選びたいという保身的な人だったのだろうか。

24時間365日機嫌を伺ってばかりだったから、別れてからの日々は寂しくて苦しい時もあるけどすごく楽だ。

ちゃんおやすみを言ってから寝る習慣もなくなって、自分眠い時に寝れるし、朝の目覚めもすごくいい。

休みの日は全部彼女に捧げていたけど、今は我慢していた趣味も、友達と遊ぶことも思う存分できる。


でも、経済面学力など、私が絶対恋人に譲れない条件を、彼女は全てクリアしていた。なんなら、これから人生彼女を超える優良物件なんてない。

(そんなに愛した人のことを優良物件呼ばわりするな、というコメント理解できるけど私は賛成できない。人生パートナーを選ぶ上で、綺麗事なんか言ってられないでしょ。SixTONES松村北斗が昔「大好き程度で結婚すんじゃねえ」と言っていた。これは大好き♪くらいのノリじゃなくて、愛してる相手結婚しろ!ということなのか、大好きだけじゃなくてちゃん現実面も考えて洗濯しろ!ということなのか分からないが、どちらにせよ、伴侶とは生活を共にするわけなのだから、条件で選ぶなよ!と文句は言わないでほしい。愛で金は買えませんから。)

そして何より、私からみても、世界一可愛い彼女だった。

その感情愛情からくるものではなくて、顔のパーツ一つひとつが好みドンピシャだったという本能的なものだった。

すごくいい匂いがして、この人となら一生過ごしてもずっとラブラブでいれると思っていたのだった。


思い直してくれないかなあ〜

他の人と付き合っても、やっぱり私との日々の方が楽しかったなあって戻ってきてくれないかなあ〜

振られたのにまだ振られたと思えないのは、

彼女が私のことを世界一可愛いと思っているから。

そして、世界一可愛いあたしが、最後は勝つと思っているから。

「○○活」とかいいすぎ。

すごい大それたことやっているように言うけど、「○○活」とかいいすぎじゃない?

ま、就活とかはそれなりに人生の一大イベントということはわかるけどさ。

妊娠妊活とか、特別不妊治療しているわけでなければ、中だしセックスしますよ、というだけだし、

保育園保活も、書類とか大変なだけで、就活ほどのハードルがあるわけではないし、

ランドセル=ラン活とか、別にモノを1つ買うだけ。

婚活は、就活くらいの大きめイベントか。

なんか、さもすごく大変なことやってますアピール嫌悪感

2024-09-10

ギリギリランドセル赤黒世代女児だったけど赤って男子が好きな色だと思ってたから赤ランドセル嫌って駄々こねたわ

本当は白が良かったけど折衷案でピンクにされた

ランドセルなんて武器にしていた記憶しかない

卒業時にはかなりボロくなっていた

anond:20240910170934

少女の赤ランドセルに興奮する性癖があると、確かに男の子が赤ランドセル背負ってると

紛らわしいし、見かけるたびにげんなりするわな。

anond:20240910170934

女の子用の黒いランドセルってピンクラインが入ってたりしてすぐ女の子用ってわかるんだよね

男の子用の赤いランドセルってのは無いのか?昔ながらの女の子しか無いのか?

男子は赤いランドセル使うな

※はじめに、この話はなんの比喩でもありません。

結構から小学生の背負うランドセルの色が多様になってきてるよね。30代の私は、小学校入学した時は同級生みんな赤か黒だったけど、私が高学年になるくらいにはピンクや水色の女子達が入学してきてた。最近は、男子も色んな色のランドセル持ってて、いいよね〜…。

でも、

ランドセル男子あなたは受け入れられない。

人に説明できるような理由なんてない。ただ、男子は赤ランドセルダメでしょ。だって女の子の色だもん。だって私は赤ランドセル背負って小学校行ってたもん。ダメだよ。気持ち悪い。

赤が好きなのは別にいいけど、それをランドセルでやる必要なくない?近所にもいるんだよね、赤ラン男子背中から見るとさ、一瞬女子かと思うじゃん?ややこしいことするなよ。

私には幼稚園児の息子がいるけど、ランドセル買うって時に赤は絶対選ばせない。6年間も、自分の息子が赤いランドセル背負って登校して、近所の人に見られ続けるなんて、あってはならないこと。そんなの恥ずかしすぎる。「あそこの家の子男の子なのに赤いランドセルなんだねえ」って思われるでしょ?耐えられないよ。普通じゃない。変な子って思われる。赤ラン男子の家の教育はどうなってんの?

でも、私はこの話を人に言ったりはしない。

息子が赤ランを選んだら、理由も言わず断固反対はするけど、

例えば親戚の男の子が赤いランドセルを買っていたら、「かっこいいね〜!」と言うだろう。

だって、赤ラン男子反対なんて、今のご時世言ってはいけないと分かってるから

リアルでは他人絶対言わないし、SNSでもそんなこと投稿しない。

だけどもし「男子ランドセル禁止」を掲げている政治家立候補していたら、私はその人に投票する。投票してしまうと思う。

誰にもこんなこと言えないけど、明らかに今の時代に合っていないけど、こんな意見正しいとは自分でも思ってないけど、

だけどその候補者投票する。

その候補者を支持していることも、もちろん誰にも言わない。政見放送でこんな馬鹿げた公約を口にしていたら、ネット炎上するだろうし、「誰がこんな奴に投票するんだよw」ってみんな言うと思う。なんなら私もそうコメントするかも。

だけど投票する。

そんな人当選しないだろうけど。

ランドセル禁止条例について、きっとこんなことを言う人がいると思う。

・これに賛成してる奴、もう小学生じゃねえだろwwww

自分が、男の赤ランドセルが嫌いだからって、他の小学生達には関係ないでしょ。

小学生男子が赤ランドセルを使うことによって、賛成派の大人達になんの影響があるんだよ。お前らの生活、何も変わんねーよwwww

いや全部その通り。ぐうの音も出ないほどの正論。私はなんのロジカル反論もできない。

ただ嫌なだけだもん。

近所に、赤いランドセルを背負ってる男子小学生達が普通にいて、なんの違和感もなく当たり前に受け入れられている。男子ランドセル選択肢として、他の色と全く同様に赤色存在している。そんな世界は、気持ちいから、絶対に嫌だって、ただ思ってるだけで。

私だけなのかなって思う。

もはや、そんなことに文句言ってる大人存在していないんだろうな。ネットで「赤いランドセル 男子」で検索して、私の代わりに誰が否定してくれよって思うけど、誰もそんなこと言ってない。私だけが頭がおかしくて、だけど自分意見をを公の場で言うこともしない。

だって、そんなこと言ったら、赤ラン男子や、その親・祖父母友達が、傷つくかもしれないから。

私はきっと、「気に入らないなー」と思いながら、この変わった世界を受け入れていくしかないんだと思う。

だけど、赤ラン男子禁止条例に賛成している政治家に、私は投票するよ。

間違ってるってちゃんと分かってるよ。

でも、投票用紙がこんなカスにも配られて、秘密投票なんだから、票を入れるよ。

からあなたたちは、絶対にその候補者投票しないでください。間違っているので。

私は正しいことを選べないので、きちんと考えている皆さんで、ちゃんとよりよい社会を作ってください。お願いしましたよ。

2024-09-09

anond:20240909145922

生活保護もらうと家も車も所有できないし、発達障害持った子供を2人も抱えて、賃貸で車なしは辛いよ。

毎日奇声をあげて飛び跳ねてるから賃貸は辛い。

外にでたら静止させるために大人スーパー公道公園叫びまくってるから公共交通機関は無理だなあ。

生活保護は本当に資産が尽きるまで頼れないよ。

金の問題より、自分時間が持たないストレスや、社会と隔絶される疎外感とかだと思う。

ママ友ゆっくり話なんかできないしね。

小学校学童相談ランドセルどこで買ったかとか、そういう話をしてるなか、1人で福祉課に問い合わせて放課後デイサービスを探すわけ。

スーパーでもレジ待ちや袋詰めしてる間にどこから行っちゃうからネットスーパー

外食も出来ないし旅行もいけない。

お金問題はその次だね。

2024-09-07

Z世代流行らせたスラングは昔からある差別を別の言葉で言い換えただけ

アフガキ←アフリカ差別は昔からあった

チー牛←陰キャメガネ差別は昔からあった

負け組ランドセル勝ち組負け組という言葉が既にある

片親パン←片親だとまともに育たないという価値観は昔からある

2024-08-17

anond:20240817093052

多様性はいらん

週刊少年ジャンプ

これさえ読めばいい

男は黒いランドセル

女は赤いランドセル

これ以外は断じて認めぬ

そう板垣鯛助が言ってた

2024-08-15

anond:20240814233647

あんたの仕事出産祝をがっつり包むこと。

折々のお祝いもがっつり包めるように、ちまちま働くのも良い。

ランドセル3個で20万だぞ、覚悟しとけ。

お前さんが倒れて介護状態になるのが一番迷惑なんで、健康にも金と時間を掛けよう。

2024-08-07

都会に幻想抱かなすぎて行くたびにうわ!ってなる

初めてホテルえっちホテルじゃないよ)ビジネス泊まった時、カードキーが無いと動かないエレベータに「うわ!すげぇ」ってなった

初めて池袋公園ホームレスをみた時

「うわ!本物だぁ!」とテンション上がった

初めて鶯谷信号待ち、虫かごを複数人で眺めている制服小学生を見た時は「うわ!かわゆ!」

ってなった

初めて山手線LINE母親メッセージ送ってるランドセルの子を見た時は「うわ!えらっ!」

って撫でてやりたくなった

初めて高いビルエレベーターに乗って、エレベーターガールを見た時は

「うわ!本当にいたんだ!」ってわくわくした

初めて上野ラブホテルで牛革のソファを触った時は「うわ!」ってなり、何回も触った

初めて五反田で君にケツの穴を弄られた時は

「うわぁ…俺なにされてんだ」と死ぬほど

恥ずかしかった

都会に幻想抱かなすぎて毎回、子供みたいなリアクションしてる気がする

丸の内サディスティックが似合う男になりたい

2024-08-05

男嫌いか、ただの喪女

34歳、独身女、性行為経験なし。急に気持ちを吐き出したくなり、とりあえずネットの海に文字を放流することにした。


同級生たちは半分ほどが結婚子どもを持つ人も多い。結婚式には何度も出席した。友人たちの嬉しそうな顔は美しかった。子どもと遊ばせてもらったこともある。小さくてもしっかりと自我を持つ子どもたちはとても愛らしく、そうやって育て上げた親たちを心から尊敬している。

そのような光景を見ても、結婚したいとか子どもを持ちたいとかい気持ちが湧いてこない。まあそういう人生もあるだろうと納得しているつもりだ。

でもたまに、恋愛結婚をすっ飛ばし人生ってもったいないのか?と考えてしまう。他人が羨ましいというよりは、なんだか損をしているような気持ちになる。今ちょうどそんな気分。


記事タイトルを『男嫌いか、ただの喪女か』にしたが、正直なところ若い頃はどちらの自覚もなかった。私は自身恋愛に興味がない人間だと思って生きてきた。彼氏が欲しいと思ったことがなかった。でも恋愛そっちのけで勉強ばかりしている女が珍しいのか周囲は放っておいてくれない。男性トラウマがあるのかとか奥手なのがいけないとか色々言われてきた。この歳になってそんなお節介を焼いてくれる人はだいぶ減ったけれど。

でもまあそうやって言われるうちに男嫌い恋愛下手(喪女)を自覚し始めてしまったのだ。そっとしておいてくれたらよかったのに!


以下は人生の振り返りと愚痴になるだろう。

暇で暇でしょうがない人は読んでいってね。


小学生時代

野山を駆け回る女児だったので女の子よりも男の子のほうが気が合った。いつも男の子集団に混じって(というより私が男を引き連れているように見えたらしいが)遊んでいた。だから男が嫌いだなんて思ったことがなかったが、ひとつだけトラウマ級の事件があった。

小学2か3年生の頃だったと思う。下校中、上級生(たぶん4、5年生の男)に呼び止められた。知り合いではなかったが同じ学校児童に警戒心などなく、素直に話を聞いた。「目をつぶって」と言われて従った。次に手のひらで目を覆われた。そして口にぬるぬるしたものが当たり、舐められているのだと分かった。でも訳が分からなくて動けなかった。恐怖というより困惑とただただ不快感。唇の隙間に舌をねじまれそうになり、とにかく侵入を許すまいと歯を食いしばった。かなり長い間舐められていたように思う。口と手のひらを離した見知らぬ上級生は「先生に言っちゃダメだよ」と言い残し走り去っていった。顔なんて覚えられなかった。でもランドセルの横にぶら下がるヒョウ柄体操着袋をはっきりと見た。

ベタベタした口が気持ち悪い。走って家に帰り、真っ先に歯を磨いた。レイプ被害にあったらシャワーを浴びてはいけないと言うけれど、小学生でもすぐに汚れを落としたいと思ったんだ、無理な話だよ。母親に言いつけ学校電話をしてもらった。ヒョウ柄体操着袋が犯人だと。

犯人は翌日かその次の日には見つかり教師立ち会いのもと謝罪された。今考えるとこれ良くないよな。被害者加害者とを会わせるなんて。そのせいだろうか、私は相手の顔と名前をはっきり覚えてしまったし相手もそうだったのだろう。この後数年に渡って嫌がらせを受けることになる。


口を舐められただけでかなりの不快感だった。これが性器を触られたり挿入されたり、また加害者大人だったらと思うと可哀想で仕方がない。全ての被害者の心が救われてほしい。

私はまだ性的に未熟な頃の被害だったのと男友達が多かったためか、男性が怖いとはならず加害者個人を恨んだ。だから男嫌いではないと思っていた。


中学生時代

ちょうど進学のタイミングで隣の学区に引っ越した。そのためヒョウ柄体操着袋とは違う学校になり安心した。

しかし運悪く再会してしまった。私は小学生ときから同じピアノ教室に通っていた。当時あまり気にしていなかったが、その教室の目の前は口舐め事件現場で、犯人はその近所に住んでいたのだ。

レッスンが終わりドアを開けるとヒョウ柄体操着袋がいた。気づかぬふりをして自転車で帰ろうとしていると背後から「もう一回する?」と声をかけられギョッとした。確実に覚えていやがる。気持ち悪い。すぐピアノ教室に逃げ込んだ。先生に何と話したかはよく覚えていないが、優しいお婆ちゃん先生は私をしばらく匿ってくれた。30分くらいだったろうか、奴がいないことを確認して自転車に跨がろうとしたときサドルに唾が吐かれていることに気がつき再び先生に泣きついた。先生は箱ティッシュを丸ごと持ってきて片付けてくれた。私には片付けをさせてくれなかったのをよく覚えている。あのとき先生の様子を思い出すと、もしかするとあれは唾ではない別の体液だったかもしれないと今では思う。

その後もピアノ教室には通い続けた。奴と鉢合わせすることはなかったがサドルは汚され続けウェットティッシュを常備するようになった。


市か何かの俳句コンクール入賞者の中に奴の名前を見つけたことがある。


夏祭り

手と手をつないで

デートがはじまる


気持ち悪い。

名前も顔も俳句も、34になった今でも忘れられない。

こういう犯罪者予備軍が賞をもらい、普通に恋愛を楽しみ、そのうち結婚して子どもが生まれて良いパパだねって言われていると思うと許せない。


高校時代

特に理由があった訳ではないけれど女子校に進学した。通える範囲で、自分レベルに合っていて、校風が気に入っただけ。男を避ける意図はなかった。

女子校生活はとても快適だった。進学校だったので治安が良く、学校行事も活発。女子校っていじめがひどいでしょ?なんて良く言われるけれど、勉強に忙しくいじめている暇なんてない学校だった(たとえ暇でもいじめはなかっただろうと思える良い学校だったよ)。


女子校性別概念がない空間だった。女ではなくただの人間でいられる場所。進学したり就職したり色々な環境経験したが、女子校以上に過ごしやす場所は今のところない。

ただ、学校の「マニア」と呼ばれる人たちが存在した。待ち伏せ盗撮、校舎に侵入など、不審者(全て男だった)がしょっちゅう出現した。文化祭体育祭撮影家族のみの許可制にするなど対策は取られていたが、登下校時の付きまといなどが酷く生徒は不審者に慣れきってしまっていたように思う。


大学時代

勉強が好きな私にとって大学天国だった。定額講義履修仕放題、今でいうサブスクだね。成績が優秀だったため授業料が半額になった。それでも履修仕放題!なんてお得なの!

学部面白そうな講義にも顔を出し、スポーツ系のサークル活動もして充実していた。

ただサークル内での恋愛のいざこざってほんとに面倒くさい。勝手に揉めていてくれたらいいのに何故か巻き込まれる。カップルの女側に呼び出されたことがある。

女「私、〇〇くんと付き合い始めたんだ」

私「そうなんだ!おめでとう!」

女「だから〇〇くんとはもう遊ばないでほしいんだ」

私「そうだね、わかった」

女「〇〇くんと一夜を共にしたことがあるって聞いたよ」

私「(なにそれ知らんこわ……オールでトリキいったときのこと?)そんな関係じゃないよ」

女「もう私のだから。取っちゃってごめんね」


怖すぎる。恋愛経験のない私はただビビリ散らすことしかできない。

この「取っちゃってごめんね」は他の人にも何度か言われたことがある。男を狙っていたことなんて一度もないのに。

これに関しては自分で考えて反省した。たぶん、子どもの頃に男友達と遊んでいたような距離感のまま接していたのが悪いのだ。あまり男の人と仲良くしないよう意識するようになった。


そういえば、このカップルの男側〇〇とは就職後に誘われて一緒に飲んだことがある。そのとき周りがみんな結婚してさびしい結婚したいと嘆いていた。そんなことがあったが、後日FBを見ると入籍報告をしていた。良かったじゃん!と思ったけれどよく見たら入籍日が一緒に飲んだ日より前だった。


怖すぎる。


【番外編-自分容姿について-】

たぶん私はそんなに不細工ではないのだと思う。正直そこそこモテた。絶世の美女ではないがブスでもない、ちょうど良いレベルの顔。男性から告白されることもはっきり言って多かった。しかしそれを全て断ってきた。故に自分からアプローチする方法を知らない。その結果の喪女である

悲しいことにモテる一番の要因はおそらく体型なのだ。アンダー65のFカップ、平均身長くらいのややぽちゃと言われるくらいの肉付き。小5くらいには私の体型は完成されていたため、不審者によく遭遇したし中学生以降は常に身体目当てでモテていた。痴漢被害にもよくあった。大学生になるとますます声をかけられるようになった。もう多すぎてうんざりした。こっちは勉強しにきているのに邪魔をするなとさえ思っていた。同級生も先輩も後輩もバイト先の店長取引先のよく知らんおじもみんなワンチャン狙ってくる。いつか信頼できる人が現れると信じたかったが、体型を褒める言葉視線を浴び続けているうちに身体を曝け出せる人になんてこの先出会えないと思った。

こういう話は誰にもできない。モテ自慢と言われてしまうから身体だけを気に入られることのなにがモテなのだろうか。理解できない。

ひとつ付け足すが私は私の体型が結構好き。筋トレも頑張っている。私の身体は私だけのものだ。


大学時代

博士課程まで進むつもりで進学した。結婚出産タイミングを逃すから女性にはおすすめしないと言われたがそんなことに興味はなかった。

しか院生(男)たちはそうではなかった。ここで相手を見つけなければ一生独身だと焦っているようで、数少ない女性院生だった私は標的になった。また院生だけでなく教授からセクハラ(の自覚はないだろうが)を受けた。密室での指導や2人きりの出張(酒を飲みながら身体に触ったり混浴に行きたがったりひどかった)など、これがあと数年続くのには耐えられないと判断博士課程への進学は諦めた。ただ勉強たかっただけなのに。


就職後】

セクハラ教授から逃れるため離れた土地一般企業研究職として働くことにしたが、就職後も教授からの連絡は続いた。郵便物を送りたいからと住所を探られることもあった。全無視したけど。

就職後、しばらくは楽しかった。博士課程には進めなかったけれど研究所でバリバリ働けると思うと嬉しかった。しか就職から半年ほど経ったこから飲み会やら何やらで独身男性を紹介されるようになってきたのだ。同じ大学出身研究員がいたのだが、付き合ってもいないのに2人の子どもは頭が良いだろうなぁ可愛いだろうなぁと勝手想像されたり独身男性社員と無理矢理電話番号を交換させられたりもした。


絶望した。どこに行っても同じような扱いを受ける。

数年は研究職にしがみついてみたがある日ぷつっと糸が切れたように諦めの境地に至り、結局仕事を辞めた。現在研究から離れて他の仕事をしながら比較的穏やかに暮らしている。





長々と書き殴ってみたが、これが私の半生だ。同じことの繰り返しで薄っぺらくて悲しくなる。結婚出産経験した友人たちは異なるステージで悩んでいることだろう。それなのに私はずっと同じところで同じことを悩んでいる。


こうやって振り返ってみてもまだ、自分男嫌いだとは断言できない。仲の良い男友達がまだいるし(しかし彼らも結婚すると会えなくなるのだ。奥さんに恨まれたくない)。

喪女なのは確かだろう。私は身体しかモテたことがない。性格を気に入ってもらえるほど他人と深く関わることができないのだ。人付き合いが下手な、明らかな喪女だ。


ひとりでいるのは嫌いじゃない。むしろ好き。孤独死問題クリアできれば上手くひとりで生きて死んでいけるはずだ。

ただやっぱり、同級生たちを見ていると自分が損をしているようなもったいないような感情になるのだ。こんなにナイスバディ()に生まれたのに性行為の機会もない!キスもできない!子どもに好かれやすいのに自分の子どもは持つ機会がない!そうだ、身体時間もったいないのだ。


毎日毎日老けていく。卵子の数が減り白髪が増える。自分身体自分のもの。己が満足できるように整えておけたらそれでいいと自分に言い聞かせる。

60歳になってからでもいいから、いつか心から信頼できる人が現れないだろうかとまだ希望を捨てられない。いつか白馬王子様が迎えに来てくれるの!と夢見る子どもと同じステージにいる34歳。

気色悪いな。

2024-07-30

答えは虹色トゲトゲ蛍光ピンク

ランドセル

男の子だって赤いのがいい

赤黒二択じゃなくたっていい!

という話があったりなかったりする。

実際のところ、近年の猛暑で黒は熱を持つし

弁当を持たせるときはやや不安があったりもする

オールシーズンで暗闇で目立たず危険が危ないということもある

もっと明るい色持った方がいいんじゃないか?

2024-07-23

anond:20240723164958

区別つかなくて取り違えが大発生するはず」

よく…あったな…

これはたぶんなんだが、俺の年が、おまえの年より一回りくらい上で

ランドセルが超没個性時代だったというだけの落ちがある

増田の知ってる赤黒ランドセルと、俺の知ってる赤黒ランドセルが違う可能性がある

から、この話は、もう、いい………

anond:20240723152322

あれなんか似て非なるなんだよな

当時の赤黒ランドセルって全部同じ形でほぼ差別化がなかったんだよね

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん