はてなキーワード: 石膏とは
ITさんがメンテしないって話が出た時、みんなが困ってた時に 他の人の話でました?
HTさん上手いことやるんですよ、人が足りてる時になんとなく、30分、1時間ぐらい消毒室にいる
消毒室にいる時間長いんですよ 綿球つくってる
HTさんがいる時ってまあ、マンパワーが足りてる時なんで、呼ばれたらすぐ動くし、そこそこでメンテ行くんですよ
わたしこの人消毒室にずっといるな、って入職時からずっと気になってて
でも誰かが困ってるわけじゃないし、わざとじゃないかとしれないし、それで許されてる人なんだなと思って 何も言いませんでした 言える立場でもないし
みんなの怒りを買った 上手いことやらないから
多分その時HTさんは消毒室にはいなくて、メンテしてたんだと思います 上手だから
わたしがITさんのこと気づいてなかったのは頼れるテクニックのある衛生士さんで、ITさんにフィルターがかかってたからでした
もしみんながHTさんになにも思ってないならそれはHTさんにフィルターかかってませんかね
トイレ行く時のインカム入れてくださいの件、Uさんと何か話してましたよね? その話が、ITさんがまた居ない、変なタイミングでトイレに行く、とかだったならなんか、イヤだな、働きづらいな、と思って 考えすぎかもですけど
ほんとにそうならダメなことには変わりないですけど、
どんどん極端になってる気がして
あいつサボってんな、って思われてんのかなって
でも「メンテしてないでアシストついてる時」にサボってる、って思われるの、アシスト舐めてるしアシスタント舐めてるし、アシスタントへの敬意がないなって思うんですよね
メンテサボるためにアシスト行くのも、アシスト行ってメンテやってない人を非難するのも、アシストの方が楽だと思うなよ アシストもしっかりやれよ、なんだよって
自分で言うのもアレですけど、助手の時結構しっかり叩き込まれたんですよアシスト だから専門学校卒業時の、新卒歯科衛生士のアシストなんてしれてる、って同級生見てて思ってました 学校によって違うかもだけど だからUさんにはアシストから教えようとしてたけど、現役の衛生士さんたちは多分あんまそんな感覚ないんですよ、「私たちある程度できてた」って思ってる 衛生士みんなにメンテをさせてあげて、って言われて、Uさんにアシスト教えるの辞めました
人間の好き嫌いなんで、言ってもしょうがないんですけど、Oさん、Uさんのことめっちゃ上げるんですよ
OさんIGさんにちゃんと教えてあげてたみたいですけど、
Oさんマウスピース作ってるから、気になって当然なんですけど、IGさんが石膏流すの失敗した後に、わたしに「これ見て、綺麗に流せてるでしょ、Uさんだよ、やっぱり違うね」って言ってきて
「いやそりゃUさんは衛生士なんだから、学校で習って、職場で習って今なんだから比べるのは違う」って思わず言ったんですけど、
IGさんの歩みが遅くてポテンシャルが低いのは事実です ポンコツだな〜よく居酒屋でバイトしてたな〜って思います メモも取らないし 当事者意識もない あんまり意欲がないのかもしれませんけど
でも親に金出おしてもらって座学で勉強してテスト受けて、さらに実習行って国試受けて、歯科業界にどっぷりの、2年目の衛生士と、全く違うこと勉強してて、業務中にながらで教えてもらった知識でなんとか仕事してる半年の新人助手くらべてそんなこと言います?
Oさん自分が助手だったこと忘れちゃったのか、私ほど酷い扱いを受けてなかったのか、わかんないですけど
だから私UさんのIGさんへの扱い許せないんですよね。敬意がない。専門の一年生の10月に、今と同じことできた?って思います。Fさんにも敬意ないです。トレーの上が汚いし、片付け頼む時のタイミング、ちょっとありえない時あります。下だと思ってる。職種が違うだけで私たちに優劣はないです。持ってる武器が違うだけです。雇用側とは感覚が違うかもしれません。トレーの上を綺麗にしてからアシストとか、メンテとか終わって欲しいのは、バーやチップの紛失への懸念もありますけど、あの上にゴミがあるだけで消毒室での片付けの手間が増えるからです。ゴミやバーかなければ器具を分別せずに積み上げておいたって、片付けるのもすぐです。メンテもアシストも上手くやればそこまでやって、サブカルテまで書き切った状態で終われるはずです。全体の能率も上がる。
この前Uさん、名指しで院長に「IGさん治療の準備できないですよね?」っていってましたよね スタッフみんないるところで
入った頃に「〇〇さんが怖いんです、〇〇さんが怖いんです〜院長怖いです〜」って泣いてた人間の所業とは思えないです。「私気に入らない後輩に辛くあたります」って自己紹介でしたかね これ院長の言うところの人間性じゃなくて、あの子なりの防衛本能でしょうか。今彼女は何から身を守るためにIGさんにあの態度をとってるんですかね
なんか派閥みたいになってて、悪いことには変わりないけどITさんがターゲットで、IGさんが多分辛くて、気になることが多くて今すごく働き辛いです
わたしがUさんが気に食わないだけでしょ、って言われたらそれはそうです。衛生士としても社会人としてもマインドが気に食わないです 彼女もIGさんと同じで、成長の過渡期なので、一概に彼女に不満を持つのも違うのかもしれません。
わたしが過度に、不必要に、IGさんの気持ちを想像し過ぎているのかもしれません。でもメモはとってほしい
泣きながら土下座を要求される妊婦、見たことある人少ないと思います
私自身を含めてですけど、悪いことは悪いし、良いことは良くて、それ以外の人間関係はフラットでいたいけど、ちょっとどうしたらいいのかわからないです…
だれもわたしに何も頼んでないよ、勝手に気にしてるだけでしょって、考えすぎ、と言うならそれはそうです 何も言い返せません 時間内に収まるようにメンテだけやってます 衛生士として仕事できないんだから自分のことだけ考えてます
https://note.com/sei_shun/n/n1d4b6243a90c
この記事を見て、似たような建物(場所はもっと山間の中)をリノベした時の別解をメモ
それ以外は特に弄らないつもりだったが、外で食事がしたいと言う需要が現れて、水道の追加は後からやった。
300万円ぐらい。そのうち水回りのプロへの依頼が80万、断熱に120万ぐらいかけている。
貸し出せるようになるまで半年ちょいかかった。ボランティアの協力者も入ってくださったが、ほぼ3人ぐらいで集まれるときに地道にやったため、人件費は入ってない。
周辺の似た建物とキャンプ場とグラウンドを一体運営して、民泊・貸しスペースとして運用中。一棟貸しで合宿利用をメインターゲットだけど、家族連れとか、企業利用とか、地道に営業しています。
オーナーさんが所有して、うちに管理を委託という形態。うちは黒字で補修費の積立も出来てるけど、オーナーさんが負担してくださった金額を入れると無理。
産経新聞が報じているクルド人ヤードで大騒ぎ問題に関して。因みに本稿では記事や事件そのものには触れない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20240818-Q7DJ43L7IVGBVIXACY4JX5FRBY/
産経の記事では冒頭に「過積載の(解体業)トラック」の写真が掲載されている。Xでもよく同じような写真が「クルド人解体屋の過積載トラック」として掲示され「何故か警察が検挙しない!」と指弾されている。
道交法は近年改正され、車両からのはみ出しの制限が緩和された。
後方については車両長の20%以下となった(はみ出しが後方だけの場合)。これはいすゞエルフ2t積みの場合、全長が4.7mなのではみ出しの最大は940cmとなる。写真のトラックはそんなにでっぱっていない。
側方については片方10%づつの両方で20%までが可能になった。
産経の写真のトラックは上の方が広い積み方がされている。一番上に畳が2枚並んであるのでこれを基準に幅を考えてみる。
畳は地方により寸法が違うが関東で使われる江戸間だと短辺は88cmだ。これが2枚で176㎝。真ん中に間隙があり、柱も一本挟まっている。また少し斜めになっている。それらを修正すると188cmくらいか。
エルフの全幅は1.7mなので両側合わせて34㎝まではみ出し可能だ。幅は1.7+0.34=2040㎝まで積載okであるから、全然余裕である。違反ではない。
では高さは?というと、実は規制がないのだ。いくらでも積んでいい。
でも道交法では「道路を運行する車両の最大寸法」が決まっていて、3.8mとなっている。だから荷台の高さに拘らずに全車3.8mまで積める。
しかし3.8mというのは観光バスの屋根とか電車の2階建てグリーン車の屋根の高さで、とんでもない高さだ。だから平トラックでそこまで積むという事はあまり無い。で、写真のトラックもそこまで積んでいない。見たところ3.2~3.4mくらいだ。
重量は?というのは測らないと判らない。でも間隙が多い廃材なので重量はそこまでいかない。2tくらいではないだろうか?因みに木造住宅の重さは30坪2階建程度で30t強といったところ。検索すると1600kg/㎡という数字が出てくるだろうが、これは家の積載荷重と耐雪荷重を合わせた重さで、自重は半分程度になる。また壁材のモルタルや石膏ボード、漆喰を合わせた重さだから木材だけだと大した事ないのだ。
平トラックに積む場合、まずはあおりの内側にコンパネなどで壁を造る。その中で安定するようにテトリスみたいにぴっちり積んで、時にTスピンなんかも駆使して動かないようにする。
コンパネ壁の上に来たら安定する大物を外側に積んで真ん中の方に小物を積んで行く。これもテトリスっぽいな。
いい所まで来たらロープを掛けて思い切り絞り完成。コンパネと大物が押さえになって荷崩れを防止する。
多分、Xとかで騒いでいる人らは平トラックの積み方知らないのだろう。なので解体屋のトラックを見たら全てで「過積載」と騒ぐ。しかも慎重に情報を流すという動機がない。
しかも後ろからではドライバーが何人かなんて判る由もない。クルド人かどうかなんて聞かないと判らない。更に言うと撮影場所がどこかとかどこナンバーかというのも確認しないしその動機もない。
「警察はなぜ検挙しない!」ってそれは平トラックの定積載だからだ。アホやね。
ヤードっていうのは物流基地の屋根のない構内をいうのだが、特に自動車解体屋の車両置き場の事も指す。最近ではそこから建築業の資材置き場や金属スクラップ置き場なんかのことも指す。これは自動車解体屋のヤードの誤用っぽい転用だ。
で、この自動車解体ヤードは簡易な壁で仕切られて中が見えない、中で盗難車解体しているのではないか?と言われ、それもクルド人問題として語られる事がある。
だがこれは無体な論難だ。壁を建てるのは法規制に拠る。
昔の自動車解体屋はテキトーで、その辺に廃車を積み上げ、外して売り物にするエンジンやボディーパーツをその辺に積み上げていた。
だがこれだと廃油や廃冷却水がタレ流しになって土壌にしみ込んでしまう。廃冷却水は河川に流れると魚毒性が高い。
・1.廃車置き場と作業場はコンクリ打ちして排水路を作り、オイルトラップを設置せよ
・2.1が難しい場合は作業場だけコンクリ打ち+排水路+オイルトラップとしてそこで全液体を抜いてから廃車置き場に置け
・十分な高さのある塀で囲って部外者が入れないようにせよ
最後の塀は子供が入り込んでかくれんぼをしてたら転落したり、車ごとプレス機に突っ込まれてキックアスの悪役みたいな死に方するのを防ぐ為の規制だ。
増田は学生時代、金がないからマイカーは買えなかったが整備の腕は幾分あるのでバイト先の友人に駆り出されて工具箱持参で解体屋にフォークリフトで86の廃車を下ろしてもらいミッションを自分たちで外したり、シルビアのノンスリップデフを外したりして金払って帰り、それらを交換したりしていた。日産のL型エンジンは重かったな。
でも今はそういうのは出来なくなっていて、勝手にヤードの中歩いたりさせてくれないしそもそも外から見えないから在庫が判らない。つまらん。
こういう仕事は当然がっつり汚れて暖房も冷房も無いところで働くから人気が無く、外国人従業員が多くなっている。
それで色の黒いガイジン=ヤバいとなって、「中が見えない=犯罪?」と連想ゲームになるのだが、法規制ぐらい知っておけという話である。
「本稿では記事や事件そのものには触れない」って書いがあれは嘘だ。やっぱ記事の中身に触れたくなったわ。というのも地理的条件説明したいから。
記事中に「(川口)市東北部」とあるが、市の東北側には人家がまれな地域があるのだ。一つは旧見沼、もう一つが木曽呂という地区だ。
江戸時代まで川口から大宮にかけて見沼という巨大な沼があった。土木工事狂の三代家光になると、見沼の下の方に堤を造って、今の川口市~足立区を開拓する事になった。その直接指示官は利根川東遷事業や荒川西遷事業を為した治水と土木界のチャックノリス、かの伊奈忠治である。
そこで八町堤が築造され、見沼は巨大溜池となり、その南は広大な田圃となって幕府の石高を上げ、財政情況を改善したのである。
ところで荒川はそれまで元荒川を流れていたので、上尾より下流は入間川だけが流れていた。しかしこの入間川下流は今の荒川と相当に違う所を流れていた。
指扇付近からは今の荒川の西を蛇行して流れ、中浦和駅→武蔵浦和駅→南浦和駅と浦和シリーズ駅スランプラリーしてるみたいな流路を取ってから浦和競馬場に踵を返して川口市を横切り今の外環道をクロスして、川口オート→毛長川→八潮という風に流れていた。地方競馬からオートレースのはしごかよ。
で当時綾瀬駅を流れていた利根川に合流して自由に氾濫し辺りをぐちゃぐちゃにしていた。オケラオヤジの大暴れみたいな奴である。
この川も荒川西遷で廃川になったので広大な土地を開墾でき、その辺は川が無くなったから見沼の溜池で潤すって感じだ。
河川跡は出水しやすいので田んぼとし、その横に形成された微高地(自然堤防、曽根)に集落を築いていたので川跡がくっきり残ったのだな。
で享保の改革の吉宗の時代になると、見沼に泥が溜まって貯水力低下。そこで、見沼を全部干拓しちゃえという事になった。でもそのままじゃ水が足りないね。そこで見沼代用水という用水路を作るのだが、どこから取水してるというと羽生なのだ。見沼から60㎞以上あるのだ。
途中には当然沢山の川がある。そこでどうしたかというと、全部立体交差で通したのだ。江戸時代なのにちょっとイカれた工事だ。舎人ライナーに見沼代用水親水公園って駅があるが、この代用水とは見沼の代わりの用水って意味なのだな。
それ以来、旧見沼は田んぼ地帯となっていて、地盤も悪いし土地が低いから都市化した後もそこに家を建てたり開発行為をしてはならないという規制が敷かれている。
武蔵野線東浦和~東川口間、東武野田線大宮公園~大和田、七里~岩槻で突然住宅街が途切れて田園地帯や荒れ地が広がるのを見た事ないだろうか?あれが見沼なんである。
で、八丁堤の下にあたる川口市の方は開発一切禁止というんじゃなくて調整地域という形になっている。これは一般の都市計画で建築物を規制するやり方で、住宅や工場などは建ててはならない。でも例外が設けられていて、学校、病院、特養ホームなんかはokなので、家は無くそういう建物ばかりが閑散に建つという風景になっている。
建物規制なので駐車場など建物がない用途では規制されない。すると、中古車屋(事務所は移動可能なプレハブ)、解体屋ヤード、建築資材置き場などは規制されないのでそれらが集まってしまい、景色としてはあまり良くない地域になっている。
空白12年職歴無し35歳無職パートおじさんワイ、今日は休日ながら午前中に初タイミー
練習しているミュージックアワーを熱唱しつつ10分前に就業先の某ホテルに到着するも
しばしのやりとりののち緊急連絡先に電話し無事裏口へと案内される
おそらく日雇い界では搬入=裏口に集合という常識があるのだろう
設営等の軽作業はこれが初めてなワイがそんなことを知る由もない
すまんなフロントの若人よ、ご苦労でござった
さて
リーダー的は28ぐらいの若人、サブリーダーは40代中盤、および同士4人に挨拶し、QRコードをスマホで読み取り就業である
お仕事は台車に積まれた石膏ボード的なパーティションボードや台座がトラックから降ろされ、それを会場へと運び組み立てる作業
会場でパーティションボードをこの胸に抱くのは人生初、石膏ボード運び童貞卒業である
これが中々重く息が上がる
反る背筋に張る三角筋、これだよこれ
男はこの手の全身作業をたまにやんなきゃ心臓も肺も腐っちまうぜ
そういやスーパーでのお仕事ではたまにキャベツが入ったカゴとか持ち上げるぐらいで肩が張ったり息があがるまでの作業はしてないんだよな
会場へのボードの搬入を終えたら台座を指定された場所に置き、パーティションボードの向きを統一しながら差していく
この若干の筋肉への負荷がいいんだよ若干の負荷が
ボードを差し終えるとコの字型の連結金具を上から差し全体の位置を調整して終了
サブリーダーの語るところこれは当たりタイミー、普段の半分の量とのことであった
ラッキーなお仕事でタイミー童貞卒業とはやはりワイは持っているな
フハハハハ
アスレシューズライトの底がコンビニの床で滑ってコケそうになるぐらい擦り切れて平らになってて
youtubeで芸人が紹介していた2980円の耐水シューズに魅力を感じていたがサイズが全然なく
980円のアスレシューズライトを買おうとするも無く片膝を突く
GALLERASとかいうアスレシューズライトみたいな靴が目に付くも靴の側面にGALLERASとデカデカと書かれている
ワークマンってこういう主張好きみたいだけど何が目的なん?ワークマンに求めてるのは安さと機能性だけやで?安物履いて自己主張させたいん?買おうかと思ったウィンドブレーカーも肩甲骨のあたりに要らんロゴ入ってて買うの止めたしよ、ワークマンお前なんか勘違いしてないか?靴下とかスラックスとかは安いしいいけどよ
ブツクサ言いつつ店を後にし眼科に行って緑内障で処方された目薬の効果を確かめる、眼圧18が12になっており効果てきめん!
ゴルゴも読めたし眼科の看護師さんは相変わらずみんな美人で目の保養になりましたわ
ワイが綺麗な女に人扱いしてもらえるのはここだけですわ
これも眼科が用意した付加価値の一種、美人を見るために目を大事にしようというメッセージなんでしょうな!
でそのまま新たに作った眼鏡をショッピングセンター内のJINSへ取りに行く、保証の説明を受けておわり
片目はそのままの度で、片目の度をちょっと上げたら微妙に失敗、前は左目のほうが低めの矯正視力だったのに左目のほうがよく見えるようになってしまい脳が混乱している感がある
左目の度を1段階下げてもらおうかな、JINSは2回までどの調整が無料らしいが眼科の処方箋が必要らしいめんどくせえなあどうしようかなあと思いつつセンター内他店の靴をウィンドウショッピングする
靴のソールが柔らかいほうがいいのか硬い方がいいのか足の指が動くほうがいいのかピッチリのほうがいいのか
わからない
ちなみにすべての移動は徒歩、締めて約9kmで割と歩いたぜ
ん~
のり弁買いに出て味噌汁ぐらい作ろうかな
俺の2023年、全く思い出せない。
全くってことはいと思うだろ?
でも本当に全く思い出せないんだ。
仕事が大変だったことは辛うじて思い出せるんだが、じゃあ仕事以外でなにかあったのかと言われても何だか凄く曖昧でな。
流石に昨日あったことなら思い出せるんだけどな。
夜中にゲームしていたら天井の電気が突然チカチカしだしたんだ。
こりゃもう寝ろってことだと思って寝た。
そして今朝起きて、電気をつけたけどチカチカしてるんだよ。
まあそうだよな治してないもん。
蛍光ランプぐらい変えたるかとカバーを外そうとするんだが、全然ハズレない。
型番からネットで検索して説明を見ると「左にグリっとやったら簡単にとれます」と出てくる。
動画で見ると非力そうなネーチャンが簡単そうにクルっと外してる。
真似して外そうとしてもずっとグルグルカバーが天井の上で回るだけだ。
そう思っていたら突然重みが増した。
取れた……でも重すぎる……恐る恐るおろしてみると、引っ掛けシーリング(灯具本体を天井にはめ込むための 「◯◯」 みたいな形のアレ)ごと取れてしまったようだ。
オイオイ……これ一歩間違えたらもっと根本(ローゼット)まで取れてたんじゃ……。
まあ俺は電気工事士の資格を持ってるから根本から外れてもつけ直せるけどな。
前の賃貸でも突然天井からブラーンって落ちてきて大家に相談するのも面倒だから半日かけて治したもんだ。
どうせ天井は隠れちまうからってことで石膏ボードの所にコッソリ新しい穴開たりもしてるしもう墓場まで持ってくしかねーのよね。
それに比べれば今回のはチョロイ。
そんなことを考えながらもまずは本体からカバーを外す作業なんだが……これが本当に固くてビックリだ。
とにかく硬いんだな。
取り外して見るとバネで引っ込むタイプなんだが、中が固くなってるのかとてもじゃないが軽く押してどうこうってもんじゃない。
まあまずは蛍光灯を買わないとなので、ひとまず蛍光灯の型をスマホで撮影して近所の家電量販店へ。
買ってきた蛍光灯を取り付けて、さああとはこれを戻すだけとなったときに問題は起きた。
そもそもどうやって戻すねん。
本体ごとシーリングでくっつけなおせばそりゃ簡単だが、あの小さい穴にピッタリ見えない状態でハメ直すってのは流石に怖い。
やはりここは丁寧に順番通りにってことでシーリングをはめ込んでいる部分をドライバーで分解し、シーリングを自由にしてからなんとか天井に戻す。
こっからが大変だった。
ローゼットの耳に本体を引っ掛けるんじゃなくて、シーリングだけで本体の重みを全部支える構造だったんだ。
このタイプを下手に揺らすと荷重がかかりすぎてシーリングが壊れる。
だから作業中は手で本体を支えてやりながら、というか天井に押し付けながらやっていく必要がある。
これがもう大変。
ずっと手を上げているってのは人体の構造上かなりキツい。
体が変な震え方をしてきたものの、なんとか本体の取り付けは完了した。
公式ページの説明を見ると「矢印同士をくっつけて上に押し込んでください」と書いてあるが矢印なんてない。
ググってそれっぽい画像を探すと、どうもシールの上に矢印が書いてあるらしい。
完全に文字が霞んでいてもう見えない。
クソバカ。
とりあえずシールを目印に押し込む。
入らない。
バネが滅茶苦茶硬い。
まずい!このままだと外した時みたいにシーリングが取れて落ちてくる!
公式を信じて目一杯押し込む。
それでもなんとか気合で入れこむと少しだけ奥に入った感触がある。
手を離して覗き込んでみると、本体が傾いている。
3つある爪のうち1つか2つかだけが入ったようだ。
まだ入ってない爪の所に脚立をズラす。
なんとか全部入った気がするが、念のためスマホのカメラを自撮り棒につけてグルりと天井との隙間を撮影してみる。
良かった……終わった……。
これが俺の2023年12月30日の思い出だ。
1日分なら思い出せる。
でも来週には忘れてるんだよな。
本当に忘れてばかりの1年だった。
*
*
「お前が呑気に実家暮らしの女学生の身分で音楽などやっていられるのは誰のお陰だ」
という言葉は、学費と生活費を人質にとった恫喝だとも思った。口喧嘩なんかしたくもないから細心の注意をはらって生きてたのに。
大学を休学し、女子大生というアドバンテージを使って水商売で働けば一人暮らしの生活費と、あと1年分の学費を貯めることなどチョロいだろう、そう思っていたが、その見通しは甘かった。
そもそもコロナ禍で飲食業は店を閉め、風俗業も同様で客足が途絶えていた。そして少ない客を奪い合っていたからか、働き始めたキャバクラでは現実の厳しさを味わっていた。
売上No.1の嬢は女王様として君臨し、それに付き従う子分の女がいて、悪口、陰口、ちょっとした意地悪、接客の妨害といった小さな棘のような攻撃を女王様と子分からチマチマと食らうのに辟易していて、周りの女たちも庇ってくれることはなかった。
常連客の威張り散らして自慢話ばかりの禿げた社長に「寂しいから会いに来て」とLINEするのもアホらしくてやってられず、旅館の娘なのにサービス業がまったく向いていなかった。そもそもそれほど器量が良い方ではないということも改めて思い知らされた。
結局、職場と住処を幾つか変わり、大阪、東大阪のスナックでカウンターレディとして働いていた頃には大学を休学し実家を飛び出してからニ年ほどが過ぎていた。それでも大学に戻るつもりではいたから、何度失ったって取り返してみせるよ、と思っていたし、偉そうな社長が高級腕時計を見せびらかしながら話すねちっこいエロ話より工場労働者の陽気なシモネタの方が笑えて楽しかった。アパートから近鉄電車で二つ向こうの駅には司馬遼太郎記念館もあった。
京都時代は実名で活動していて、雑にピックアップを埋め込んだアコギを掻き鳴らして電子的に変調した爆音ギターにのせてフォークを歌うというスタイルだったが、休学して一人暮らしを始めてからは音楽どころではなかった。
一度、東京のハードコアバンドにVoで誘われたこともあったが、パンクというものは中央にいてはならぬ、周縁にいて少数派として生きねばならぬ、と頑なに思っていたのでそれも断ったのだ。
だが、遂には名前を変え「東大阪半日夢想沿線」という名で電子楽器によって幻想的で悪意のこもった電子雑音を奏でるスタイルで活動を再開した。激しいライブアクションのせいで機材はすぐに壊れてしまうから楽器は日本橋の中古屋で安物ばかりを揃えた。
再開した音楽活動は客こそ少なかったが手応えはあった。しかし名前を名乗るとギョッとする者もおり、また年配の人物に「極左テロリストの名前などを元ネタにして、被害を受けた人や家族が知ったらどう思うのか」と指摘され、己の軽率さを悔い、この名前を名乗ることも音楽活動も中断してしまったのだった。
そんな折に近鉄布施駅の近くで垢じみてうずくまっている女がいるのを見掛け、若いのにホームレスだろうかと目が釘付けになっていると、その女がこちらを見つけて「金を貸して欲しい」と近付いてきた。よく見ると女は女王様に金魚のフンのようにくっついていた子分の女、ジュリだった。
話を聞くと、女王様は客だった起業家と名乗る男に入れあげてしまって、男が何をしでかしたのかフィリピンに逃亡すると女王様も後を追って行ってしまったのだという。女王様がいなくなるとジュリはたちまち他の嬢からいじめられるようになり、店を辞め、あれやこれやがあって住む家もなくなってしまったのだった。
散々意地悪された女だったが、彼女が弱さゆえに強い者に媚び付き従っていたことや、色んなことを我慢している女は強くて奔放な女に憧れてしまうことをアキコは薄々知っていたから哀れに思い、数日なら部屋に居てもよいと伝えた。そういう女は痛みにとっても弱いから。ジュリは泣きながら今まで自分がしてきたことを侘びた。
ジュリは意外と生真面目で、アキコが仕事から帰るときちんと部屋を掃除してくれていて、冷蔵庫にあるもので食事なども用意してくれた。そしてある日、部屋に帰るとジュリは開け放った窓に向かってアキコのギターを爪弾いていて、それはラジオからよく流れてくるOfficail髭男dismの曲だった。
アキコは脳内で火花が散って、ジュリにバンド結成を持ちかけた。バンドをやるならまだ部屋にいてもいいと交換条件もつけた。ジュリは喜んで同意し、よくよく話を聞くと中学時代は軽音楽部であったらしい。そして中学を卒業してから家を出て働き始め、ひょんなことから女王様と知り合い水商売で働くようになったのだという。隠し事だらけ継ぎ接ぎだらけの一人で心細く生きていた女が筋の悪い人物をメンターだと思い込むことはよくあることだ。そして年上だとばかり思っていたが、ひとつ年下だということもようやく知ったのだった。
早速近所のハードオフに行ってエレキギターとベースを見繕って一番安い激安の物を購入した。ジュリがヒゲダンを爪弾いていたことから、今度はポップなものをやってやろうと思い、それらしい曲を捻り出したが、アキコはベース初心者でジュリもギターはブランクがあり、リズムは安物の電子楽器だったので、劣化したビッグ・ブラック、初期の少年ナイフからも百万光年離れているような、やさぐれパンク以下の酷い感じにしかならなかったが、それは初期衝動ゆえであると宣言することで自分たちを納得させた。バンド名もOfficial髭男dismの名前を反転したような、公式に対して無法、髭に対して女の装飾の象徴である爪、そしてダンディズムという一流の男に対して二流や二等、二級品という意味を冠して、Lawless爪Second-Classと名付けた。何事もうまくいっていない自分たちにはお似合いの名前だと二人で笑いあった。
数曲をでっちあげ、今度はPOPなロックをやるのだと意気込んで、アングラ凶悪バンドが演奏しないような阿倍野にあった小洒落たライブハウスのオーディションを受けた。
「まあええんちゃう?」という曖昧な判定だったが、出演はさせてもらえることになった。
阿倍野のライブハウスに出入りするようになると、女二人だと色んな男が声をかけてくる。なぜならカワイイ系のアクションがジュリはとてつもなく上手かったから。でも音楽好きやバンド仲間だと思えば話も弾むが口説かれたりするのは面倒だった。しかしこっちはキャバで修行した身だ。うまくかわしていたし、ジュリはその辺りの身のこなしも上手かった。それでも面倒くさい人物もいた。
そのライブハウスに出入りするベテランのブルースマンで、最初は何かと世話を焼いてくれる風に近付いてきたが、だんだんと遠慮がなくなってきて、あれやこれやと説教をするようになっていった。相手をしているとイライラしてくる。なぜこうなのか。ワガママ放題大人たち。どうして若い女は何も知らないと思っているのか。
ある日、演奏を終えて楽屋に戻ると、当日は出演者でもないのに例のブルースマンが楽屋でくつろいでいて、アキコとジュリの楽器を値踏みし
「もっと良い楽器を使わないとだめだ」みたいなことを言い出す。そしてなぜか自分の黒いギターを持ってきていて、それを引っ張り出し
「50sのフェンダー・ストラトキャスター、クラプトンもこのモデルを使っている」などとウンチクをたれ始めた。
もう鬱陶しくて堪らなかった。怒りがふつふつと湧き起こってアキコはそれを抑えきれなくなり、そのストラトを奪い取るとネックを持って大きく振りかぶり思い切り壁に叩きつけてやった。その場にいた他の人間も唖然として誰も声を出せず、壁の石膏ボードには大きな穴があき、ストラトのネックは折れて弦だけがブラブラしている。アキコも放心状態で、これは殴られるなと覚悟した。
しかしジュリが咄嗟にアキコの腕を掴んで強引に引っ張りそのまま駆け出した。そしてそのまま店を出て走って、ずっとずっと走り続けて、ひた走る道路にはもう街灯さえないけれど、新今宮の駅の辺りまで走り続けて、やっともういいだろうと立ち止まって、息が切れて苦しかったけれど二人で顔を見合わせて死ぬほど笑った。嘘じゃない泥だらけの笑顔。ギターもベースも置きっぱなしだったけれど取りに行くつもりもなかったし、大して惜しくもなかった。
その後ブルースマンはアキコを訴えて、結局アキコは和解を受け入れた。調停の場でブルースマンの代理人弁護士に
「無法なんて名乗っているけれど法は法なので、賠償金の支払いはお願いしますよ」
と嫌味を言われたのが忘れられない。アキコは感情のないアイムソーリーだけを告げた。
もう大学に戻ることはないと薄っすら思っていたが、なんだか心の拠り所のようではあったので貯金はしていた。けれど、破壊したビンテージギターのせいで全てが消え失せてしまった。
しかし、やがてその話は噂になって、どうやら凶悪な女パンクのバンドがいるらしい、他人の高価なビンテージギターをぶち壊して平然としているような奴らしい、以前「東大阪半日夢想沿線」という不埒な名前でやっていた話の通じない女らしい、とその他あることないこと尾ひれ背びれもついて伝わっていった。まるで魔法のように簡単に広まってく噂話。お陰で奇特な人やバンドから少しばかり対バンの話も貰えるようになった。
アキコは今も近鉄電車の傍のアパートに住んでいて、ジュリも未だにアキコの部屋に居候している。貯金もなくなり、もう大学に戻ることはないだろうし、カウンターレデイの仕事は先の見通しもなく、何も状況は変わっていなかったが、それでも二級品なりになんとかやっていくしかないとアキコは思っていた。
ホスクリーンっていう天井に取り付けるタイプの物干し竿があるんだけど、すごい便利なのね。
でも、これをDIYで天井(の奥の軽量鉄骨)に取り付けようとしたとき、普通にタッピングビスで固定しようとしたら簡単に抜けちゃった。当たり前なんだけど。
で、取説を見ると「ITハンガーを使え」って書いてある。なんだITハンガーって。んでホームセンターで買って驚いた。これがあれば壁や天井の向こう側に手が届かなくてもガッチリ固定できてしまう!
構造は至ってシンプルで使い方を覚えるのも簡単、大量生産されているのでコストも安い。ハ~~~なんだこの便利な道具(パーツ?)。30年以上生きてきたけど初めて知ったわ、すげえ、となった。
って思ってしばらくして、照明のリモコンホルダーを石膏ボードの壁に取り付けようとしたのね。ここでも木ネジだけで固定したんだけどすぐ抜ける状態に。学習能力昆虫か。
だが俺はITハンガーを知っている… これで解決や!と思ったんだけどちょっと待って、結構デカめの穴を開けなきゃいけないし、壁に異物が付いてる感がすごい。
んでやっぱりホームセンターに行って見つけたのがフィッシャーのSXプラグというやつ。これを既に空いてた木ネジの穴にハンマーでちょいちょいと押し込んでやると目立たない、控えめな穴が壁に出来る。
ここに木ネジをねじ込んでみると… めっちゃガッチリ固定出来た!すげぇ!これも仕組みはシンプルで扱いが簡単、大量生産で安い。ヤベェ。考えた人天才だなって思った。
そして壁に穴開けてものを取り付けるって事のために、こんなにもよく考えられたものがあるんだ~。きっとホームセンターってこういう超考えられててよくできた道具がギッシリ詰まってるんだろうな。
かつての日本家屋は猛暑を気持ちよく乗り切れるように下記の特徴があった。
「軒が深い」
「壁が少なく開放部が大きい」
「畳、土壁、板の間などの湿気を吸収する素材」
現在の日本家屋は同じ木造であっても暑さへの対応の思想が伝統的な日本家屋とぜんぜんちがう。昭和56年の新耐震基準法を境に日本の住宅はそれまでのものとは全く違う。猛暑への対応についてのみ着目した場合、連続性がない。特徴は下記の通り
「建ぺい率の影響で軒が短い」
「石膏ボードなどの断熱壁」(断熱性にすぐれているが熱がこもりやすい)
「壁を多く確保することが義務付けられ開放部が旧来の半分以下である」
「風の通り道などの考慮がない。空調をエアコンや換気扇に頼っている」
とにかく、夜間に涼しい空気を取り込んでおくことが快適にすごせるポイントになる。どんな暑い日でも夜間は25℃ぐらいまでは下がるのでこれで室温を下げる。そして壁を冷やす。石膏ボード製の壁は冷気を溜め込んでくれる。壁が冷えていると同じ室温でも人間から体温を奪ってくれるので快適にすごせる。
現在の住宅に「軒がない」というのがかなり致命的。これに対処するためには、日中は雨戸を締めるしかない。雨戸、または、シャッター、断熱性カーテンを閉じて直射日光を遮る。窓は熱風が吹き込んでくるだけなので締めておく。とにかく夜間にためた冷気をキープするようにつとめる。
上記の方法を方法を取り入れた結果。日中の気温を34℃以下にたもつことができた。エコに貢献できてうれしい。そして。原発を停止させた民主党は滅んでほしい。
たぬ子はポン吉にわけを聞いた。
「どうしてあたしを嫁にもらってくれんの?」
「そりゃあおめぇ、オラの所に来たら、こき使われるからだぁよ」
「なんでもするよ、あたし。ポン吉さんと一緒にいれるなら、なんでもするだよ!」
「おめえがそこまで言うなら・・・わかった。じゃあちょっとついて来い」
そう言ってポン吉は倉庫に向かった。
「今からこの扉開けるけんの。驚くなよ」
ポン吉は意を決して扉を開けた。
するとそこにはなんと、タヌキの置き物がズラーッと並べてあった。
「な、なんだいこれは!?」
「信楽焼のたぬき・・・確かに人間の家の前でよく見かけるけど、なんでここに?」
「笠帽子をかぶらされ、徳利を持たされ、目をくりっと開けさせられ、笑顔を無理に作らされる。
そしてそのあとどうなるか?」
「そんな訳あるか!!」
「す、すまん。しかし怖いのはここからじゃけん。オラは鼻にストローを突っ込まれ、円筒の容器に入れられる。
「え!?」
「!!!」
「そして石膏が固まるまでオラはそのままじっとしとらんといかん。動いたら石膏が歪むからのぉ」
「やっと固まって、石膏が二つに割られ、オラが出てこれる。そんなことを毎日のごとくやるんじゃ」
「・・・」
「おめぇにそれが耐えられるか?」
「え?」
「ポン吉さんと一緒にいられるなら、あたし、石膏なんて怖くなか!」
「いや、何言うちょる!お前にそんなことさせられん!」
「いや!あたし、ポン吉さんとおりたい!だから一緒に信楽焼の型になる!」
たぬ子は涙でグショグショになりながらポン吉に訴えた。
「・・・わかった。そこまで言うなら、オラと一緒になってくれるか」
「ポン吉さん!」
その後、二人を型取った夫婦たぬきの信楽焼は、まるで生きておるようだと噂になり、それはもう沢山たくさん売れたそうな。
しかし、たぬきを石膏に入れる手法は、実は違法な陶芸家集団の仕業であった。
集団は警察に捕まり、解散。ポン吉や夫婦たぬきの型や置き物は、回収された。