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2022-07-04

anond:20220704143321

いやどちらかというと漫画マニアとかじゃなくて

どっちかっていうと

ライターとか批評家作家ミュージシャンなど漫画界隈以外のその他のジャンル文化人系の人達評価されてたり影響与えてたりする傾向があるな

2022-06-24

質問箱やマシュマロ専門のアルファツイッタラーにもやる

質問箱やマシュマロを専門にやるツイッタラーが時々いる

なんというか、クリエイターではなく、感想を求めているわけでもなく、専門家でも業界人でもないが、質問箱やマシュマロで回答するその内容がコンテンツになっているような人たちだ

職業で例えるなら批評家みたいな感じだろうか

そういう人たちにもやっとする

・彼らがどんな気持ち質問箱を始めたのか、そのメンタリティが気になってもやる。承認欲求しかないように感じるから

承認欲求しかないように感じるのにアルファツイッタラーとして人気だからもやる

・回答は時に質問者に対してばっさり冷たい対応だったりするが、質問は来続けるようなのがもやる

・よく見ると大した意見でもないのに、偉そうな強い言い切り口調(つまり言い方、振舞い)で人気を博しているようでもやる。含蓄ある意見なら人気になるのはわかるのだが、返している内容自体感想レベル

・表立って言えない悪口に対しての同意などが多くて不快

・さも事情通かのように振る舞うところにもやる

真実でないことを真実かのように平然と答えるところにもやる

こうしてみると少し自分でも気になる点がすっきりしてきた

・むき出しの承認欲求なのに、承認欲求ではないかのような不遜な態度にいらつく

・多分自分は「質問に対して誠実に答える」ことは普通だと思っている。しか質問箱は「これは個人の感想しかないですよ」と、真実でないことも真実かのように、自分に都合のいいように回答していることにいらつく

・そんな都合のいい回答しか出してこない不誠実なアルファツイッタラー質問を送り続ける、信者達にもいらつく

・もはや質問ではなく、安全から自分批判的な意見を代弁させようとしている質問者達にもいらつく

2022-06-04

anond:20220603170344

物語整合性が完成度と思っているタイプね。元増田は若そうだな。

こういう手合が例えば桃太郎を読んだら、「桃太郎が桃からまれることになんの説明もない、桃を真っ二つにしてなんで中の桃太郎は無事だったのか、お供のサルキジイヌはなぜ人語を解したのか、きび団子一個で命がけの旅についてくるのか、鬼が何をしてきたかろくに描写されてないので桃太郎の鬼退治に感情移入できない、鬼が人々を虐殺凌辱の限りを尽くす描写でも入れといたほうがよかった、そもそも桃太郎は鬼と対話交渉することもできたんじゃないのか、財宝を桃太郎が持ってかえるのは横領だ、善玉として描かれてるのにやってることは鬼とかわらない。故に桃太郎駄作

みたいな感想ネタでなくガチで言って「俺ってロジカル批評家」と思ってしまタイプ

2022-06-03

anond:20220603170344

三流批評家もどきが偉そうに重箱の隅突っついてるな

お前は面白いものを作れないタイプだよ

そして他人の足を引っ張るタイプ

要するにお前は何もしない方が世の中のためになる

お前は不要だよ

2022-05-22

未婚化晩婚化が増える原因で一番でかいのはSNSだと思う

雑誌テレビの影響で美男美女レベルが上ったが、まだテレビの中の世界自分たちとは違うという意識があったと思う。

スマホSNSの普及で身近な人たちの発信が増えたがこれらは自分たちが住む世界と同じ目線だと思ってしまう。

人は低俗な生き物なのでSNSでは美醜だけでなくステータスや行動批判で飽和している。

いわば全員が批評家なのだ

交際結婚をしようとした行動を一つ一つすべて批評され、ミスをすればネットさらされるのだ。

こんな状態で誰が結婚するだろうか?

未婚化晩婚化を防ぐにはSNSスマホを今すぐ規制するべきだと思う。

人が足るを知ることができるようになるまで。

2022-05-19

志摩スペイン村トレンドに押し上げた女こと

Vtuber周央サンゴ

その勢いは止まることを知らず、地上波にまで到達し、俺は嬉しい。もっと認知されてくれ。

にじさんじという箱の中でも極めておもしれー女だが、あの凄まじいトークに惹かれた人間向けに「これだけ押さえとけ周央サンゴ切り抜き5選」のURL置いとくわ。

~ 岩波少年文庫限界オタクをやっていた時のトーク

https://youtu.be/03fZ1pjmRUs

志摩スペイン村に対するあの熱いトークから分かるように、周央サンゴは、好きなものについて語り出すと止まらない女であり、この配信時では、かつて孤独に沼っていた岩波少年文庫について語った。

もう中古しか流通してない、児童文庫の名を冠したレディコミ並みのドロドロラブロマンスマイナー小説をここまで語れるのはお前しかいないよ……。 

~ スーパーソング批評家の周央サンゴ

https://youtu.be/6hQ6mSqxVU0

スーパーソングでこんなに深い考察することあるんだ……と認識を改めることになった動画

曲調は勿論、歌詞ムービー、曲の展開についてあの巧みなトーク力で語る様は必見であるラ・ムーの曲は確かにいい曲だった。

~ みなさま〜(天下無双

https://youtu.be/JhcUaDKtKgw

周央サンゴは定期的にバズる女だ。記念すべき1回目のバズ、周央サンゴというキャラが箱内外で認知されたきっかけになった切り抜きがこれ。

定型文化した挨拶キャッチーさ以上に、野球ミリしら人間がやる野球ゲーの実況としてエンタメ力が高い。ンゴのトークシンクロ率200%のアニメと共に見てほしい。

~ 実質歌枠「ウェカピポ」

https://youtu.be/v24WKwUhIjY

あの切り抜きを見たらわかると思うが、この女、滑舌SSRである

だが、単に滑舌が良いだけでなく、Siriのような自動音声ボイスを口から発声することが可能という特殊スキル持ちだ。

“陽“で“動”なウェカピポの歌詞を“無”で“静”な声で読み上げる様子は一種洗脳動画であり、先輩ライバーの1人は「もう少し聴いていたら脳が破壊されるところだった」と評した。

~ 萌え声生主による多重人格テトリス

https://youtu.be/WRHTfPfEkCw

TRPG好きで憑依型演技が可能人間に優れた七色の声帯を与えるとこうなるという見本。

萌え声、イケボ、地声Adoボイス等を駆使し、人格を乱立させながら理不尽テトリミノに立ち向かう。これコラボじゃなくてソロ枠ってマジ?

~ 終わりに

他にもインターネット桃太郎環境保全大臣ンゴ、無免許医師などンゴの優れた切り抜きは沢山あるのでちょっとでも興味を持ったら見てほしい。

結びとして、今回の影の功労者、ピピニキに感謝の意を表して終わりたいと思いますありがとうございました。

2022-04-30

拗らせ

写真家「コトバにできねェから撮るんだよ!」

批評家「(おめェみてェに写真を撮れねェから言葉にしてやるんだよ!」

写真家「そんな仕事は頼んでない」

批評家「んだとオレの生きる術を否定すんのか殺人だー!」

ワイら「低見の見物(懐)」

2022-04-10

オールオタク表現規制について思うこと

エロゲ作家エロ漫画家が、「表現の自由規制すべき」という規制論に組するのは、珍しくない。

なぜなら、「オタク向け作品を作っているから」と言って、オタクを好きなわけではないからだ。むしろ自分も含めて嫌悪しているケースも有る。

もうちょっと話を広くすると、「オタクオタク嫌い」っていうケースはたくさんある。

オタクだけれど、自分以外のオタクを(場合よっち自分も含めて)否定することでアイデンティティ確立した人間って、実はたくさんいる。

まあ、いわゆるオタ差別という時代があったわけでそこはもう語らない。ただまあ、色々鬱屈してる人がいるわけで。

その鬱屈によって創作してた人は山ほどいるんだなこれが。

オタクだけれどオタク否定原動力に変えていたアニメ監督

オタクだけれどオタク否定原動力創作するエロゲライター

オタクだけれどオタク否定原動力ペンを握る漫画家

オタクだけれどオタク否定原動力萌えを書くラノベ作家

彼らの鬱屈した感情は、まさに卑屈な変態というべきものであると同時に、一時代、確かに創作の大きな原動力だったことは認めざるをえない。

ただもう、その鬱屈した感情が伝わる世代じゃなくなってきたんだよなあ。

オタク社会に受け入れられない。オタク作品欲望のままに生きているゴミの山だからだ。しかし俺は違うぞ。本物を作り出してやる、と、オタク社会鬱屈を悩み抜いて結局ぐるぐるまわって自分も含めて同胞dis否定しつつそれでも創作せずにはいられない感情の爆発」

なんてものが、伝わる時代じゃない。

あの時代は大変だった。それはわかる。

赤松健のように「自分パンチラ漫画家と言われても仕方ない」と笑い飛ばせる強さは誰もが持ち合わせていなかった。

杉田智和のように他人否定することなく、おたく情念を込めて好きなものを語るという強靭さは誰もが持ち合わせていなかった。

「俺の作品は、他のエロ漫画エロ同人エロアニメエロゲとは違う。俺の好きな芸術なんだ。エロの他に高尚さを持ち合わせている。わからないやつはキモオタだ。しかし、しかし、ぐぬぬぬぬぬぬ」

みたいな謎の鬱屈した芸術感情は、確かに過去においては創作原動力だったのだと思うが、今はもう「馬鹿なの?」で終わってしまう。

しかし、残念ながらそういう「自己否定自己肯定を繰り返した自意識の化物」みたいな存在は、たくさんいる。

嫌いな言葉だが、「オタク価値観アップデートできない」という現象だ。

いつまで経っても「社会オタクは最下層の中、なんとか社会と折り合いをつけたいと自己否定を繰り返して悩み続ける」という精神構造から抜け出せない。

それはかつては得難い才能であったと同時に、現代においてはしち面倒臭いと嫌われもするのだ。

今の時代、「オタク否定して悩みながらオタクをやる創作」なんて変態所業ウケるけがない。

そんなことやってる暇があるならSNSFGOアズールレーンイラストを一枚でも上げたほうがよっぽど建設的って状況だ。

自己否定して悩み続けるならともかく、こういうタイプは周囲の人間喧嘩を売りまくるから始末に負えない。

こういう態度は耳目を引くが結局嫌われる。「愛されキャラが最強」のSNSでは、珍獣として消費され尽くしてしまう。

いまさらオタク作品ダメなんだ。堕落している。こんなものばかりでは業界が腐る。オタクは腐っている」なんてアジったところで、「老害オタクがまた発狂してる。でもお前の作品は、まさにそういうダメオタクなんですがw」と鼻で笑われているだけだ。

そんなことは描いている本人がよくわかって悩んでいて、それでも言わずはいられない宿痾の業なのだが。

そして、それらの悩み続ける時代デフォルトオタクが唯一存在証明をできる場所が、SNS政治だった。

そう、政治場所にはまだ彼らの需要があったのだ。

「ぎゃーぎゃーぎゃー」と騒いで与党やら野党やらをバッシングし続ける珍獣としてならば、「オタクバッシングしながら自意識をこじらせオタクでも迎え入れてくれる」という需要があった。

なんかもう、色々痛すぎる。

見ていて痛々しいわけだが、本当に、どうしてこうなった感がある。

「誰もが批評家だった時代

矛盾を抱えて悩み続けることがオタク証明だった時代

そういう時代は気がついたら終わっていた。

今はそういう時代ではない。

SNSでどんな悩みもオタク生体の鬱屈した感情も共有できたのは救いだった。しかし、「それは珍しくないただの鬱屈した感情」で「別にあなた特有特別な悩みではない」ことがバレてしまって急速に求心力を失ってしまった。

悩めば偉いオタクなわけでも、苦悩したから上等な人間なわけでもない。

結局の所、そんなものより愛されることが重要なのがSNSだった。

オタクが悩んだ長文を上げるよりも、コスプレイヤー自撮り写真お絵描き実況のほうがよっぽど需要がある。

そんで、そういった中年のどろどろしたオタク情念をぶつける場所SNSでは限られていた。単純にSNS社会では政治しかなかった。

オタクネトウヨ。でもおれはネトウヨにならないオタク」という謎の偏見構図に乗っかって、twitter政治オタク批判を繰り返すのみである

それが中年オタク政治から足を洗えないたった一つの理由だ。

で、それだけならまだ救いはあるが、彼がが一番憎んでいるのは、開放されたオタクだ。

悩みから開放され、もう自己否定を繰り返さずに社会と折り合いをつけている、普通若い世代オタク自分たちと同年代なのに、悩むことをやめてしまったオタクたち。

許すことができない。

もう、社会においてオタクは最下層民ではないと自認したオタクたちは悩むことをやめる。当然だ。しかしその状況を許せない。

もし、「もう悩む必要がない」と悟ってしまったら、「彼らが存在する」というだけで自分を卑屈な変態だと認めざるをえないからだ。

から自民党表現規制を捨てつつある今、自分たちが規制論を叫ぶという本末転倒が起きている。

「最下層民のままで悩み続ける生き方

うそろそろ捨てていいんじゃないかと思う。

2022-04-07

実写邦画業界崩壊していく

気持ちいい。

本当に。


彼らが日本の実写邦画ダメにした。

アニメますます業界支配し、批評家共の断末魔叫びが聞こえるだろう。

貴様らの批評する邦画のものが消えていくのだ。

2022-03-30

祖国バカにされたロシア人が、平手打ち

❷ 「田舎にはイオンドンキしかない? ふざけるな!」 パァァン!!

❸ 化粧に興味を持った男性が「えっ男性なのに?」と言った女性販売員を平手打ち

❹「聖書に書かれてる天使を正確に表現すると、こんなに不気味なんですね」と言われたキリスト教信者が平手打ち

尊敬するフェミニストバカにされたツイフェミが、オタク男性を平手打ち

エスカレーターの真ん中に立っているのを「邪魔だ」と言われて、平手打ち

大学バカにされたFラン大学生が、東大生を平手打ち

ラーメン批評バカにされたラーメン批評家が、ラーメン店店主を平手打ち

イラストレーター赤の他人にトレパクを指摘されて、平手打ち

➓ 新品のガンプラ転売してるのを注意されて、平手打ち

パチンコにハマってる様子をバカにされて、平手打ち


❶❷ 出自へのアイデンティティ、❸ セクシャリティ、❹ 宗教、❺ 主義、❻ 正義、❼ 所属先、❽ プロフェッショナリズム、❾ 職業倫理、➓ 職業以外の倫理、⓫ 常習的趣味

2022-03-18

ゼレンスキーにみる東欧人らしい全能マインド

Which is better? China and Japan のように二国を比較してこっちがいいあっちがいいと評するようなスレッド英語圏webではしばしば見られる。経験則的には投稿者は5割はポーランド人、3割は他の東欧系、2割はブラジル人であることが多い。自分感覚的には無関係第三者勝手に誰ぞをリングに上げて、レディゴーで戦わせるなど失礼極まりないと思うのだが、この種の失礼さへの鈍感がなぜ東欧に集中しているのか以前から考えてきた。

基本的批評家立場に立つことで、自分自身は「選ぶ立場」に立てるからではないだろうか。

私は以前から英語圏web活動することが多く、必然的世界各国の不特定多数意見交換することが多い。webで、それなりに流暢な英語で、社会問題などについて討議できるとなれば、比較エリート層であり、彼らのプライドは山よりも高い。「日本はこうしたらいいよ」と彼らの生半可な知識で、求めてもいないのに意見されることが多々あるのだが、日本比較してもありとあらゆる面で失敗しているような国の人たちにどうして指図されないといけないのかそこが分からない。彼らはナチュラルに、「俺はこいつらよりは上」と思っていることが多く、ゼレンスキーを見ているとそれに近いマインドを感じる。

ウクライナもかなり脛に傷を持つ国だ。

バルト三国ウクライナ擁護していたが、倫理的な首尾一貫性をきちんきちんと示してきたバルト三国とは全然違う国だ。北朝鮮技術を流し、独裁国家一帯一路政策に加担し、中国空母を売り、国連人権委員中国非難決議には棄権した国だ。それでいて、今回、中国から損切されていてざまあねえなあと思うわけだが、バルト三国のように「倫理的に高い水準の外交を貫くことで自分生存担保する」と言うことをちゃんとやって来た国ではないのだ。

そんなことはすっかりゼレンスキーの頭からは抜け落ちている、と言うか知らないのだろう。

彼は本来必死になって西側の助力を請わなければならない立場である。だが、「俺が自由シンボルじゃ、俺の言うことをきかんやつらは悪」のスタンスでやっているように見える。

今日本としてはウクライナに負けられては困るので、支援をするのはいいとしても、ゼレンスキーのそう言うマインドにはくぎを刺しておく必要があると思う。

2022-03-15

映画凶悪』の評価が高くて「ああ本格的に邦画界隈は死んだんだな」と切なくなった記憶

ラスト付近

「お前らにも死刑囚と同じような心の闇があるンゴ!!!!!(笑)

陳腐すぎて酷すぎた。

重度の認知症発症した母親介護する妻と主人公の苦悩とか取ってつけた感凄いし。


でも一般評価批評家評価も高かったんだよなあ……。

2022-03-11

公式勝手に言ってるだけ」からはじめる文学理論半世紀

最近二次元に魂を奪われ二次創作萌える二次豚とでも呼ぶべき存在どもが、「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」という種類の鳴き声を発明した。

歴史学などの一部学問においてはこうした態度が倫理的要請されてきた、ということはニコニコ大百科でも指摘されているが、そもそもこうした態度はここ半世紀ほど「文学」「テキスト」「作品」といった物事専門家が語るために用いられてきたものがほぼ起源であろうと思う。「テクスト論」と呼ばれるものがそれである構造主義の話はしません)。

すなわち「勝手に言ってるだけ」「言ってないけど言ってる」は、文学者がこの半世紀格闘し続けてきたテーマなのである。ちなみに本稿は、加藤典洋テクストから遠く離れて』をなんとなく参考にして書かれたので、興味のある方はそちらも読まれるとより楽しいかと思う。

さて、半世紀ほど前まで、たとえば夏目漱石作品批評する、ということは「それを書いた当時の夏目漱石思考に限りなく接近する」ということとほぼイコールであった。平たく言えば「作者の気持ちを考える」ことが批評家の仕事であった。友人の噂話やら本人の秘蔵のメモ書きやら、ちょっと引くくらいの何もかもを動員して「唯一の答え」=「漱石意図」に接近しようとした。

これは当時に特異な現象ではなく、それまで人間と「ことば」の関係は大体においてそんな感じであった。人類史上のベストセラーである聖書の読み解かれ方を考えてみればわかるだろう。聖書には○○と書いてあるが、これは当時の××という慣習を踏まえなければ正しく読み解けず、「正しい教え」は△△せよ、という意味になる、という研究は数限りなくされてきたし、今も続いている。

聖書にせよ漱石にせよ、ここでイメージされているのは「正解」というもの(難しく言いなおせば「真理」といってもよい)が遠くにあり、我々は「ことば」というヒントでありフィルターでもあるものを通してそこに接近していく、という構図である

これは我々の日常的な「ことば」の使用から考えてもごく自然なことだ。たとえば日本語話者あなたが「八百屋さんの隣にあるポスト手紙を入れてきて」と日本語話者である子供に頼んだとき、その場で子供八百屋と反対方向に歩き出したら、あるいはその場で手紙を破いて食べ始めたら、あなたは「言葉の正しい意味」「子供がたどり着くべきだった正解」についてこんこんとお説教をすることになるだろう。

これまでの「公式」に対するオタクの態度もまた、まさしくここに連なるものと考えてよいと思う。たとえば「エヴァ世界公式に起きたこと」にアニメ劇場版を通してよりよく接近していこうとする、というのは聖書研究者の態度そのものである(ちなみに「公式」とファンダム関係をもってしてオタク文化を特異なものとする東浩紀データベース消費」などの理論もありますが、例も反例もいくらでも出てくる類の話なのでここでは触れません)。

話は半世紀前の文学研究に戻る。ソシュールという言語学者が「一般言語学講義」という10人くらいしか出席者のいない講義を行い、ソシュール死後、その講義にも出てなかった全く関係ない奴が学生ノートをもとにソシュール一般言語学講義』として出版し、これがコペルニクス的転回にもならぶ「言語論的転回」のはじめとなった。

聖書漱石研究など、ソシュール以前は「世界言葉を作った」とされてきた。されてきた、というか、それ以外の考え方が無かった。わたしたちが「あの赤くて木になってかじると甘いやつ」に「りんご」と名付けたのであって、「りんご」という言葉がまずあって「あの赤いやつ」が後からついてきたわけではない(全くの余談だがりんごと机はこのジャンル議論酷使されすぎだと思う)。

それに対して、「言葉世界を作った」と主張するのがソシュールを祖とする「言語論的転回であるソシュールが言ったのはあくま言語の話で「あの赤いやつと『ri-n-go』の結びつきって別に絶対的じゃなくて、appleとかpommeとか見ればわかるけどたまたまだよね」という程度のことではあった。しかしそれは十分に革命であった。あまり革命的だったために世界が驚くまでに半世紀を要し(講義1900年代はじめだった)、さらに半世紀経った今ようやく振り返りがなされつつある。本稿で扱うのは、世界が気づいてから文学理論最近半世紀である

それまでの哲学世界観と言ってもよい)においては、言語研鑽によって「正解」「真理」にたどり着けると思われていた。しかし「たまたまのものいくら研ぎ澄ませたところでその高みに至る日がくるものだろうか?

よく言われるように、日本人は虹を7色で数えるが、外国人は5色で数える。この差の2色というものは本当に「ある」のだろうか?といった問題一見トリビアルで退屈なものである。だがさらに進めて、そもそも日本人」というものは「日本人」という言葉よりも前から「あった」のか?と問うと大昔の言語学講義がいまなお強烈に突き刺さってくる。

これは今日でも大問題ではあるが、半世紀前の文学研究にとっても大問題であった。確かに、それまでも言語というものがそんなに主人に忠実でないメッセンジャーであることは知られていた。しか言語論的転回は、メッセンジャーこそが主人である、としてしまったのである。その理由は以下のように明快である。我々は言語の向こうの対象(「真理」)に近づこうとしてきた。しかソシュールいわく言語対象の結びつきは「たまたまである。我々が触れることが出来るのは言語のみである。ならば、「たまたま」で検証不能な真理などというものを求めるのではなく、言語言語として我々に何を訴えかけてくるのかこそをガクジュツテキにケンキューすべきである!と。

冗談のような本当の話なのだが、ここ半世紀、世界中の文学研究者はこぞって「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」と言い続けてきた。専門用語でこれを「テクスト論」における「作者の死」という。本当にそういう専門用語がある。

もはや書きぶりから嫌いと蔑視がにじみ出てしまっているが、しかしこの半世紀くらい、この潮流は世界中の識者におけるブームないし真理とされつづけ、最近になってようやく揺り戻しがきている。

二次豚でも簡単にわかることだが、これを言い始めると「公式見解」が意味を成さなくなり、要するにきりがなくなる。しかしこれはある意味正当なことでもある。「全ての『公式見解』が正しいか」と問われれば、とくに今日であれば即座にNOと答えることができる。なぜならもはや「公式」と呼ばれる以上はもはや庵野富野といった個人ではなく、分業化された組織であるからして、そこには作品世界という真理からの誤差、ノイズエラーが当然のものとして含まれうる。最も軽薄でありがちな事例として、公式Twitter担当者調子に乗って後に撤回する、という事例を挙げておけば十分だろう。

しかし、かつてのテクスト論者たちが正当にも考えたように、庵野富野すなわち「作者」個人だってべつに無謬ではありえない。すなわち彼らとて(限りなく比喩としての意味合いが薄くそのままの意味での)「神」ではないのだから、それを絶対視する必要は無くなる。むしろ作品」は1文字、1フレームに至るまで確固たるものとして存在するのだから、そちらから何を導けるかが重要である、とテキスト論者は考えた。さらには一歩進んで、「作品から導かれたわたし感情」が重要だと考える「読者反応理論」というものも生まれた。

上で「きりがなくなる」と書いたが「何でもありになる」とは微妙に異なることに注意されたい。これまで「訴えかけてくる」「意味する」「導く」などとこっそりごまかして書いてきた部分についても、文学研究者は鋭くメスを入れた。すなわち形式としての言語がなにを「意味する」(またこ言葉を使ってしまった!)かについて、激しい議論が戦わされた。つまり、「シャミ子が悪いんだよ」は「原作アニメで言ってないだけで実際は言ってる」という解釈はまあアリだが、「桃が悪いんだよ」は「言ってないし実際言ってない」という我々の直観いか正当化するかについて、涙ぐましい努力が続けられた。

しかしそうした努力にもかかわらず、論理学数学(それぞれ「たまたま」じゃない言語として期待されていた)が発達した結果、クレタ人のパラドクスやらゲーデル不完全性定理やらでそこまで簡単ではないことがわかってきた(ここでは「簡単ではない」と注意深く言ったが、知ったかぶりで「数学は不完全だと証明されたよね」と言うと凄まじく怒られるので注意)。

かくして文学研究者らはそうした論理的数学理論縦横無尽闊達自在引用した結果、文学の「正解」を「何でもあり」にした。現在蔑称として使われる「ポストモダン」という思想潮流は、大体この辺のことを指していると思う。

しかし、文学の「正解」が「何でもあり」であっていいものだろうか。蔑称とか揺り戻しなどと何度か言っているように、今日文学理論は素朴な「作者の死」論には与せず、いくらかの距離を取っていることが多い(『テクストから遠く離れて』はまさしくそうした書物である)。しかし昔と違って「神」のことばこそが「正解」であるとも考えない。そもそも「正解」があるのかどうかもわかってはいない。いまの研究者は、グラデーションの中のどこかに自分場所を見いだそうと必死になっているのだと思う。

から、「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」と2022年に言っている人がいても、笑おうとは思わない。「彼/彼女はこう思う、と私は思う」という感情想像力こそ、人間発明した最も大きな発明であり、誰しもまだそれを持て余しているのだから

 

最後

これを書いた人(@k_the_p)は無職で、仕事を探していますPythonとかほんの少しできますよろしくお願いいたします。

2022-02-10

anond:20220210114341

自分の舌で味わって美味しいか不味いか判断しなよ

なんで他人から歴史を学んだ上で足を運ぶ必要がある?レストラン歴史を知らないと美味しさがわからないとか、ちょっとなにいってんのかわからない

あんたの過去の事なんて知らないし、あんたの先入観払拭してもあんたが不味いと判断したならそれが正しいことなんだよ

他人責任押しつけて批評家ぶるなよ

2022-02-07

anond:20220206165628

批評言論生業とする人が、他人自身名前を挙げて言葉を紡ぐことに二の足を踏ませる様なリスク付与したら、それは批評家、言論人としては終わりだ

これだよね。

anond:20220206165628

批評家としては浅田彰が越えられなくてサブカル批評に逃げて中小企業タコ社長じゃん

そんなの偉いの?

2022-02-06

東浩紀は偉い

からは「ネトウヨ」、「冷笑系」と揶揄され、右からは「西さん」、「ブタミマン」と揶揄されてきた東浩紀がこれまで彼等に対して削除請求訴訟も起こしてこなかったことは批評家言論人として偉い

彼ほど右からも左からも大量に誹謗中傷されてきた批評家って平成を通して今日に至るまで類を見ない

東浩紀と言う名前を挙げることに二の足を踏む人はまずいないだろう

批評言論生業とする人が、他人自身名前を挙げて言葉を紡ぐことに二の足を踏ませる様なリスク付与したら、それは批評家言論人としては終わりだ

それはただの言いっ放しの無敵の人

2022-01-30

北村先生へのインタビューを行っていた「大学ハラスメントを看過しない会」について

http://dontoverlookharassment.tokyo/2021/06/22/timeline/

わたしたち早稲田大学文学学術院元教授文芸批評家からハラスメント被害に遭った原告A、その支援者たちからなる団体です。2020年夏より活動しています

https://president.jp/articles/-/25434?page=1

早大名物教授「過度な求愛セクハラ疑惑

文芸評論家でもある同大学の渡部直己教授から性的ハラスメントを受けたとして、大学に「苦情申立書」を提出していたことが、早大女性への取材でわかった。渡部教授プレジデントオンライン取材に対して「文言は覚えていないが、過度な求愛をしてしまった。大学処分を待って身を処すつもりです」とハラスメントを認め









この人の

チャート式小説技術時評

好きだったなあ。こんなことする人だったとは

2022-01-29

北村紗衣氏の誤読について

北村紗衣氏が受けたインタヴューについて。

http://dontoverlookharassment.tokyo/2022/01/29/interview2/

この中に、北村氏の以下のような発言がある。

謝罪文では「わたし投稿をご覧になった方、またこ謝罪文をご覧になった方が今後も決して北村様に対して誹謗中傷を行うようなことのないよう、ご覧になった皆様にも申し入れます」ということを約束してくださったのに、それが守られていないと感じています二次加害は全くやんでいません。

かに、呉座氏の謝罪文には上記記述があることが確認できる。

https://www.dropbox.com/s/nhgvp3qqayb29tw/%E5%8C%97%E6%9D%91%E7%B4%97%E8%A1%A3%E6%A7%98%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%AC%9D%E7%BD%AA%E6%96%87.pdf?dl=0

しかし、北村氏のブログ確認すると、どうやら、この謝罪文は、公開することを前提に書かれているようである

https://saebou.hatenablog.com/entry/2021/07/21/183118

仮に、この謝罪文が公開を前提にしていないものであるならば、「〜ご覧になった皆様にも申し入れます」という箇所は、北村氏に約束しているものであると受け取るのが自然であろう。

しかし、公開を前提としているのであるならば、

わたし投稿をご覧になった方、またこ謝罪文をご覧になった方が今後も決して北村様に対して誹謗中傷を行うようなことのないよう、ご覧になった皆様にも申し入れます

という文言は、「ご覧になった皆様」 に呼びかけているものであり、北村氏に「申し入れることを約束をする」するものではないように読み取れる。

これは、北村氏の単なる誤読なのか、意図的誤読なのかはわからない。

また、私は批評家ではないので、文章の読解については素人同然である故、上記のように指摘した内容は的外れなのかも知れない。

いずれにせよ、この謝罪文の当該箇所について、私は、呉座氏が北村氏に約束したものであるようには読み取れなかったので、その違和感を表明した次第である

人は、誰しも間違える。間違えたのであれば、訂正すれば良い。私は、北村氏の単なる誤読若しくは私の指摘が的外れであることを願っている。

それ故に、これに基づいて、北村氏を誹謗中傷するのは、くれぐれもやめてほしい。二次加害は、絶対に良くない。

そのように、これをご覧になった皆様に申し入れます

北村紗衣氏の誤読について

北村紗衣氏が受けたインタヴューについて。

http://dontoverlookharassment.tokyo/2022/01/29/interview2/

この中に、北村氏の以下のような発言がある。

謝罪文では「わたし投稿をご覧になった方、またこ謝罪文をご覧になった方が今後も決して北村様に対して誹謗中傷を行うようなことのないよう、ご覧になった皆様にも申し入れます」ということを約束してくださったのに、それが守られていないと感じています二次加害は全くやんでいません。

かに、呉座氏の謝罪文には上記記述があることが確認できる。

https://www.dropbox.com/s/nhgvp3qqayb29tw/%E5%8C%97%E6%9D%91%E7%B4%97%E8%A1%A3%E6%A7%98%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%AC%9D%E7%BD%AA%E6%96%87.pdf?dl=0

しかし、北村氏のブログ確認すると、どうやら、この謝罪文は、公開することを前提に書かれているようである

https://saebou.hatenablog.com/entry/2021/07/21/183118

仮に、この謝罪文が公開を前提にしていないものであるならば、「〜ご覧になった皆様にも申し入れます」という箇所は、北村氏に約束しているものであると受け取るのが自然であろう。

しかし、公開を前提としているのであるならば、

わたし投稿をご覧になった方、またこ謝罪文をご覧になった方が今後も決して北村様に対して誹謗中傷を行うようなことのないよう、ご覧になった皆様にも申し入れます

という文言は、「ご覧になった皆様」 に呼びかけているものであり、北村氏に「申し入れることを約束をする」するものではないように読み取れる。

これは、北村氏の単なる誤読なのか、意図的誤読なのかはわからない。

また、私は批評家ではないので、文章の読解については素人同然である故、上記のように指摘した内容は的外れなのかも知れない。

いずれにせよ、この謝罪文の当該箇所について、私は、呉座氏が北村氏に約束したものであるようには読み取れなかったので、その違和感を表明した次第である

人は、誰しも間違える。間違えたのであれば、訂正すれば良い。私は、北村氏の単なる誤読若しくは私の指摘が的外れであることを願っている。

それ故に、これに基づいて、北村氏を誹謗中傷するのは、くれぐれもやめてほしい。二次加害は、絶対に良くない。

そのように、これをご覧になった皆様に申し入れます

2022-01-15

少女漫画って邦画と似てる

なんか少女漫画の語られ方が何かに似てるなと思ってたんだけど、これって邦画と同じだ。

ここ何年かで異様に没落してきて、大衆に売れなくなりつつある。

引き合いに出されるのは古典的作品ばっかりで最近作品がすごく少ない。

賞で評価されたり、批評家からは高い評価を得たりするんだけど売れないせいでどんどん業界の力がなくなってく。

そしてほとんど日本だけでしか評価されない。たまーに海外の賞取るけど単発で持続性がない。

2021-12-22

anond:20211222141200

ビンテージワイン批評家ブローカー達の右往左往大騒ぎを描いた翻訳ドキュメント面白かったなぁ(主要登場人物の内の一人の息子が、コッソリと瓶の中味をコーラと入れ替えて試飲会で呑ませたエピソードとくに好き)

2021-12-13

評論家批評家カス

自分たちがなにかを生み出した気になってるけど作品タダ乗りしてるだけやろ

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