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はてなキーワード: オノマトペとは

2020-01-29

日本人美女の8つの基準

1. 白い肌

日本美白現象は私にとって本当のミステリーです。

それは伝統的な日本芸者と結びついているのでしょうか?

あるいは肌が白いということは貴族の特徴なのでしょうか?

あなたが夏に日本に来れば、おばあちゃん忍者を見かけるでしょう。

おばあちゃん忍者とは、露出した肌のすべての部分を覆っている年配の女性のことです。

アメリカでは日焼けクールだと考えられていますが、日本ではそうではありません。

2. 高い鼻

私は、若い女看護師に高い鼻を賞賛されたことを覚えています

日本で「高い鼻」を望ましいものにしているのは何でしょうか。

美容整形比較すればちょっとしたヒントが得られます

アメリカでは、顔の自然輪郭に合わせて、鼻を小さくするために整形します。

日本では、あるいはアジアでは、より高く、大きな鼻が好まれます

3. 小さな

日本の友人に休暇のことをたずねたとき、彼は北海道女性がどれほど美しいかを語りはじめました。

彼女たちは肌が白くて顔が小さい」と彼は言いました。

私は「小顔」という表現を何度も聞いたことがあります

かつて、私が「ゴージャスな容姿」だと感じた女性がいましたが、彼女自分の大きく丸い顔を嫌っているようでした。

あなたは美しいと言っても、彼女は信じられないと言って一蹴するでしょう。

4. 小柄

ボンキュボン」という表現を知っていますか。

これは日本語のオノマトペで、胸が大きく・腰が小さく・お尻は豊満であることを意味しています

日本の美の基準では、しばしばスリムで小柄な女性は、グラマラス女性よりも勝っているとされます

これはややこしい問題です。

私が日本人の女性に尋ねたとき彼女は小柄であるよりもグラマラスなほうがいいと言いました。

男性に同じ質問をしたとき、彼は小柄な体格のほうがいいと主張しました。

どちらが一般的かを判断するのは難しいところです。

5. カールされた睫毛

私が電車に乗ったとき、その場で化粧をしている若い女性に出くわすことがあります

彼女は、拷問器具のようなアイテムを取り出して睫毛をカールさせます

そのアイテムは、睫毛をカールさせるために作られたものです。

明らかに付け睫毛をしている女性も見たことがあります

偽物であることが明らかなのに、それに意味があるのでしょうか。

もちろん、こうした美的特徴は普遍的ものでもあります

アメリカヨーロッパで数えきれないほどの女性マスカラ使用しています

6. 二重まぶた

さて、この部屋にいるもっとも大きなピンクの象に言及しなければなりません。

(「部屋にいるピンクの象」とは誰もが気付いているが指摘したくないもののこと)

それは「二重まぶた」です!

なぜ二重まぶたが求められるのでしょうか。

私が聞いたなかで最も良い答えは「二重まぶたは目を大きく見せるから」でした。

これについては完全には理解できないと思います

「うわあ、彼女は一重だからぜんぜん可愛くないよ!彼女とはデートできないな!」

ちょっとクレイジーに聞こえますね。

7. 長い脚

電車の中で、素晴らしい脚を持つ日本女性をこっそり眺めたことがありますか?

認めてください。誰にも言いませんから女性自身も認めるでしょう。

これは日本が持つ最大の長所だと思います

日本女性は美しい脚を持っている!

女性たちはその美脚を見せびらかします。

私は冬の電車の中で震えているミニスカート女性を見たことがあります

同じジムに通う女性たちからは「もっと脚が長ければいいのに」と何度も聞きました。

8. 物静かな性格

とても落ち着いた、礼儀正しく、優雅女性は、ワイルドクレイジーで出しゃばりな女性よりも美しいと考えられています

私は、電車のなかで中年女性とその友人が、やや大きな声で会話をしていたことを覚えています

それを見た年配の紳士は、ため息をついて「馬鹿みたいだ」とつぶやきました。

2020-01-26

不゚倫体

この間座談会に出席した。

「私のひそやかな楽しみ」というテーマで一人一人喋る場面があり、そこで「ひとりで回転寿司に行く」という回答がダブったのが今でも鮮烈に脳裏に焼き付いている。という前置き。

 

週に何度も通る駅への道。傍らで開店している回転寿司屋。(これは開店と回転をかけたギャグです)

しかしけしてひとりでは通らない。脳の裏側でひとりで回転寿司という文字というか概念が二重になって輝く。その色数 1680万色。

ゲーム脳と誹りたければそーしろ。私の脳は青色 LED発明される前に生成されたので燃費悪いよ。

 

日々募る寿司への憧憬。許されない現実

ひとりで食べると高すぎる。ふたりだともっと高すぎる。

三人揃えば高速増殖炉となり高速で寿司を回転させていただくことも可能だけれども、条件がまず揃わない。

  • 夕食で
  • 休日
  • 寿司食いたくて
  • 食いたくて
  • 震える

幻の三人目は西野カナではない。よって揃わない。

 

真剣に悩み、突き詰めた結果、私はいくらが食べたいということが判明した。

実のとこ真剣に悩む前からいくらが好きだったのだけど、意識してしまうと慕情が止まらなくてぼじょーて漏れまくる。(これは慕情とぼじょーをかけたギャグです)

 

定期的に五人で食事会を開く。揃いも揃ってる。夕食で休日で緊張で震える。六割方揃ってる。

五芒星パワーで毎度寿司召喚される。いくらもいる。いくらも…いるんだよ。いくらは…存在するんだよ、手を伸ばせばすぐそこに。

 

でもそれらいくらはすべて私ではない人が食べる。いっぱい食べる君がすきだから…。いくらよりすきだから…。

いくらよりすきな人が私のいくらを食べていく。

人を食らった原生生物を探窟家が食べてふたたび私たちの力になるのって旨の話をリコちゃんがしてた気がするんだけど、いくらを取り込むことによりより私に好かれまくってってる気がする、私のいくらを食べる人。私のいくらを、食べる人。私の、いくらを食べる人。

 

でも失ったいくらはもう食べられない。私の口でいくらがはじける日は来ない。

もう何億年もいくら食べてない感覚持ってる。カンブリア紀には寒鰤が獲れてたはずなんだから鮭くらい余裕でいるっしょ。そこは心配してない。

 

人間には三大欲求というものがある。食欲、睡眠欲、いくら欲。

これらが満たされないと人はいずれ死ぬ。私ももう長くはない。もって八十年というところか…。

 

近所のスーパーいくら丼やいくら軍艦に値引きシールがつくことがある。

値引き無罪である

多少高くても値引きシールが貼られているのならお買い得だねという気持ちに包まれ我が家ローカルルールである

 

しかし値引きシールが貼られるとき、そこに私はいない。眠ってなんか…いない!(本当です)

たとえ私がそこにいても、夕食前なのだ家族で団らんなのだ。一人前のいくらなんて持ち込めないのだ。ぼくぽろりなのだ

もし持ち込めたとしても速攻でいくらバキュームが発動して私の口には下のごはんとか海苔とかしか入らない。

 

そんな日々がかれこれずっと、ながくながらくながらがわく続いていた。

しかしある日、転機が訪れた。いくらバキュームの君が、遅ればせながら習い事を開始したのである

 

なんとびっくり、夕方近くの単独行動可能時間帯という副産物小一時間ほど発生するようになった。

ひょー!たん!こまっ!(これは瓢箪から駒が出ている様子を表現したオノマトペです)

いやそれより前から通うもんはあったけど、基本ガラスの向こう側で私もじっと手に汗握って見守る系のやつで、そんなフリーダムなもんがこの世に存在するという発想がなかった。

 

人は自由を手にしたとき何を為すか…答えは当然、近所のスーパーに赴きのんびり自分のペースでお買い物、である

そして… ""知って"" しまうのである…その時間からおあつらえ向きに値引きシールが貼られ始めることを…。

 

はじめてソロ活動中にいくら丼 550円 20% 引きという文字列を確認したときのあの心の躍動を忘れない。

そう、私の心は、躍った。網膜を通し脳裏に燦然と貼られる値引きシールを翻し、かろやかに、はじけ飛ぶように、そうまるでいくらの如くはじけ飛ぶように!なんかうまいこといった!とにかくまあ躍った。

 

しかし冷静になって考えると、私は夕食とは別に家族内緒で、475.2円のものをかっ食らおうとしている。

しか家族大好物内緒で独り占めしようとしている。

事が済んだらその容器をごみ箱深淵へ誘い、上から別のごみを殉葬して、素知らぬ顔で自分ごはんをふーんわーりエアリーに盛って、何食わぬ、当然いくらも食わぬ顔で家族と夕食を取ろうとしている…。

 

強烈な背徳感が私を襲う。

私はこれまでの人生、それなりに善人で暮らしてきた。

人を欺こうなどと大それたことはせず、馬鹿がつく系の正直に、不器用に生きてきた。

そんな私がこんな倫理に反するようなことを想像し、あわよくば実行しようとするなんて…!

自分すら知らなかった自分の一面に恐れおののき打ち震えた。私単体だと結構震えてるんだな。

 

そして数秒後に気付いてしまう。この行為は…不倫だ。

倫にあらず。すなわち不倫

 

今まで誰にも言ったことがなくて増田公開情報なのだけれど、私は不倫というか不倫をして悲劇のヒロイン気分に浸ってる女性というのがどうにも苦手で、とにかく不倫にまつわる様々なものを遠ざける傾向にあった。

そんな私が、私自身が、今まさに不倫をはたらこうとしている。

なんという運命のいたずら。神様いじわる。仏様じわじわくる

 

それでまあ、そう思った瞬間一気にハードル高くなって、未だいくら買えてない。食べてない。目の前で食べ尽くされるのは見た。

代わりと言っては何だけど、そのスーパーで売ってる冷凍タピオカ買ってココアとかミルクティーとかに突っ込んで百均のぶっといストローでずぼぼぼぼぼってしてる。少し満たされる。

タピオカ飲料に使われるストローのあの鋭利な斜め加工は、上部にシーリングされたフィルムをえいやっとつんざくためだけではなく、タピオカストロー内に導くためにも必要だということが、百均の無加工ストローによって判明したのでよき教訓となった。

飲む前にキッチンばさみでちょんと切って斜めにしてる。

 

それはそれとしていくらを諦めた訳ではない。

タピオカみたいに冷凍いくら気さくに売って欲しい。

生協カタログちょっとお高いやつならたまに見かけるから、もうちょい手が出せる価格帯での販売もして欲しい。

 

なんかいくらのこと考えだしたら廃人みたいになってしまったんだけど、いくらのこと想いながらキーボード打ち殴ってったら少し落ち着いた。

殴るほどの威力かけてはいないけど、なんか打撃が頭蓋のツボにヒットしてしまった人っぽい文が書けたね。

 

長いので読み飛ばした人用要約

はいくらがすきです。

2020.01.27 15:45 追記

思いのほか人に読まれることとなったので、「これから日記を書いてください、ただしこれは確実に人に読まれます」て言われたら↑の RAW 文とりあえず書くだけ書いた後↓の文にコンバートするだろうな、みたいなやつも今書いてきました、併記ときます。多分↓だけ読めば伝わりオッケーだと思う。

 

以前知人が「ひとりで回転寿司に行くのがひそかな楽しみ」という旨のことを話してくれた。

それ以来私も一度はひとりで回転寿司に行きたいと願っていたが、家庭の事情もありなかなか叶わない。

自問自答して問題の切り分けをした結果、願いのサイズを「いくらを食べたい」というところまでミニマルにできた。

それでもなお立ちはだかる家庭のルール価格ハードル

そんな中、値引きシールの貼られたいくら丼を家族内緒で買って食べるチャンスが回ってきた。

しかしこれは倫理に反する、つまり不倫だ、と私の心が判断して、不倫にまつわるものが苦手なあまりそのチャンスすら手放してしまった。

せめていくらがもう少し安く売られていたらなあ。

2019-12-20

anond:20191220143205

古来泣いている様を表すオノマトペとして「びえーん/ビエーン」が存在した

現代若い女性がそれの「び」と「ぴ」を見間違えたのが最初ではないかと推察する

伸ばす文字は省略されたのだろう

2019-12-03

anond:20191203174926

オノマトペに慣れきった俺らなら効果音すらも目に見えるはずだから問題ない。

2019-11-28

会社の同期と話のテンポが合わない

ちょっとした慣用句ってあるじゃないですか。

遅延したのにそのあと痴漢が見つかって電車車両点検し始めちゃってさ~、も~ほんと最悪だったわ~泣きっ面に蜂ってこのことか~って思った~~とか。

それはさすがに斜に構えすぎでしょ~(笑)みたいな。

なんか難しいことを言おうとしてイキッて言ってるんじゃなくて、会話の流れで思わずぽろっと出ちゃう感じの。

別にむずかしいことが言いたいんじゃないから、

普段は極力誰にでも通じる言葉を使うように気を付けているんですけど、たま~~~にどうしてもそれ以外本当に出てこないみたいな語彙あるでしょ。

そういうときに同期がね、めちゃくちゃ食いつくの。

ドラマ感想とかを離してて、なんかぽろっと○○って慣用句熟語故事成語?何かしらが出ちゃったら、

「それなに!?今のどういう意味!?どういうときに使うの!?」「へ~~~これから使おうかな!!」「それって○○だね(ドヤ顔)」みたいな。


私が言いたいのはそこじゃねぇ~~~~~みたいな。そこはどうでもいいところで、みんなに触れてほしいのはここだから~~~!みたいな。

あれのせいで一回会話が終わっちゃうんだよね。なんだかしょんぼりする。

関西人からオチを言えないまま途中で終わる会話ってすごい消化不良。

多分同期にとったら消化不良って言葉自体が食いつかれ単語だと思う。 消化不良って何!?どう使うの!?

今まで友達としゃべってて言葉の一つにそこまで食いつかれて話しが終わることなんてなかったから、

入社して何年か経ってるのにいまだにそういうことが起こるたびに「あーーもうそこはそんな引っ張るところじゃないから!」って思っちゃう

自分でもわかりづらい言葉を使わないようにしよう…と注意してるんだけどなぁ。

多分同期にとったら慣用句って言葉自体も食いつかれ単語だと思う。 慣用句って何!?どういう言葉がそうなの!?

もうどれが難しい言葉でどれが難しくない言葉かわからなくきちゃうよ~~。オノマトペを多用してしゃべろうかな。

2019-11-15

ネトウヨはネトネト=粘着ウヨウヨ気持ち悪いのがたくさんいて、どこにでもわく。

パヨクは語感がコリア語っぽい。

から使われてる。語源よりもオノマトペ・語感。

日本語らしさかもしれない。

anond:20191114122611

anond:20191114122939

2019-11-14

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件

日本大学特に文系学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系学者達は自分たち存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。

だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端研究専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン一般特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系研究基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。

パンドラの箱が開いた

本題に入ろう。最近、1つの書評論文東大言語学研究室発行の紀要に出た。

田中太一日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=53475&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

書評された本は『認知言語類型原理』(京都大学出版会)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2

著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学准教授中野研一郎先生

 

普通書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後ちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。

こうすればあなた博士になれる

一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分オリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。

そして博士論文原稿は、3~5人の審査委員審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文大学に提出していいか審査する二次審査最後論文が完成し、大学に提出された後、博士学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。

ミサト:おめでとう!

アスカ:おめでとう!

レイ:おめでとう。

シンジ:僕はここ(アカデミア)にいてもいいんだ!

研究人生のフィナーレではないが、1つのピーである。こうやって研究者の能力お墨付きを与えるのが大学存在意義の大きな一部分だ。

要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学准教授になったようだ。周知の通り、大学終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。

 

博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生2014年度に京大を定年退官して、2015年から中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。

日本語に主語目的語、態、時制、格、自動詞他動詞はいらない?

さて、超大物お墨付き博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからいかパス。3節「日本語に存在しないとされるものから見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分から引用がある。

日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリ妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。

(『認知言語類型原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)

昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579

主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型原理』は、ミニマリスト断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。

「音象徴」の名の元に蘇る亡霊

これは熊倉千之氏の「音象徴理論に基づいているそうで、熊倉氏は、

膠着語にかんして、「イメージイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。

(これも田中 2019: 309から禁断の孫引き

熊倉千之 (2011)『日本語の深層〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』東京: 筑摩書房.

とのこと。

近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性原理否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣名前は、音と意味関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴基本的オノマトペ擬音語擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかあくま傾向性言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、

「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。

知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、

「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)

と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴

日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)

そうだが、書評子は、ここに鋭く矛盾を見て取る。

この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである同音異義語存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)

かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、

日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味機能通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)

と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。

そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、

1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年帰国後、東京家政学院大学教授1999年金城学院大学教授2007年退職

[wikipedia:熊倉千之]

という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学言語について言語学界とは関係なく自由思索著述をしている人のようだ。そういう独自言語論を唱える文学思想研究者はよくいるけど、普通言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型原理』もその類の本だったなら、東大言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ

驚愕の主張の数々

他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。

日本語では論理的命題を表すことができない」(田中 2019: 305)
日本語は英語を含む近代ヨーロッパ標準諸語に翻訳できず、また近代ヨーロッパ標準諸語も日本語に翻訳できない」(中野 2017: 268)
科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語(やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理的根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。」 (中野 2017: 268)
日本語の「伝聞」というコミュニケーション様態においては、伝えられる内容は、伝える者によって「主体化」されており、したがって、その「主体化」された内容の真偽判断に関わっては、「権威」が必要となる。伝える者に「権威」が伴っていない場合、伝えられる内容は真と判断されない。」(中野 2017: 16)

しつこいようだが、これで5年前に京大博士号が取れたのだ。

ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!

ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後激辛書評論文大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型原理』は、博士論文審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た

2019-09-20

オノマトペや擬音をスマホに打ち込むと勝手にありそうな単語に変換しようとするのがなんだか不快

シュポー!って打ちたいのに、いちばんに出てきたのは「ジャパン」。

いひひって打ちたいのに、いちばんに出てきたのは「あはは」。

ジョロジョロって打ちたいのに、いちばんに出てきたのは「ジャラジャラ」。

うんちって打ちたいのに、いちばんに出てきたのはなんと「あんた」!!

うんちとあんたは全然違うだろ!

2019-09-03

肉を手掴みで食べる

ちょっとはてブ話題になってたアルテという漫画を一気に読んだ。

2巻で主人公達が手掴みで肉を食べている。

漫画絵でこの描写は新鮮に感じて良いなーと思った。(パンも不味そうなやつのままで良かったと思う)

良いなーと思ったので今日は肉を手掴みで食べることにした。

どんな肉を食べようか。

漫画だとフライパンで焼いた手のひらサイズの大きさの骨付き肉だ。そんなものは近場のスーパーで売ってない。

そもそもあれはなんと呼ぶべきか。炙り肉で良いのか。焼き肉と呼ぶとイメージが違う。

だが炙り肉も串刺しのイメージがある。ローストorソテーソテーで骨付き肉に十分な火はとおるのか。

まよったあげく茹で肉にすることにした。

茹で肉は良い。まよいがない。必ず火がとおるし油も無駄にならない。清い水が極めて安価に手に入る現代では選ばない理由がない。

豚の骨付き肉を買った。残念ながらスペアリブ漫画内のは豚の足の気がする。多分。おまけで鶏ももからあげ用も買う。

味付けはどうするか。下味をつけたりーのは面倒なのでパスしたい。

ので、味無しで茹でて濃いめのソースを付けて食べることにする。

ソース。肉に付けるソース。とろりとした感じにしたい。ということは糖分か、ゼラチナスマターか。

イチから作るのは御免被りたい。市販焼肉のタレ棚の前で迷う。だが焼肉のタレはサラサラしている。とろみがたりない。はちみつで割るか?

ドミグラスソース。悪くはないが今の気分では豪華すぎるソースに思える。煮汁を煮詰めるような贅沢さは手で食べる気分とはそぐわない。

他、てりやきのもと、ミートソースおたふく焼きそばソースはちみつなどを経て結局ジャムを買った。

アオハタの砂糖使用りんごジャム。わりとすき。

中華鍋に肉と水を入れて火にかける。水から?お湯から?水からにした。理由はお湯が沸くのを待つのが面倒だったから。

ゆでてゆでてゆでてー。どんぶりにやまもり引き上げる。

ほかほかと湯気が上がっている肉に手を付けたらあつかった。そりやまそうたろう。

ほどよく冷めるのを待つというのはわりと興味深い体験だった。熱々出来たて至上主義な部分が自分にあったことに気がついた。冷や飯は好きなほうだと思っていた。

小皿というかシェラカップジャムを盛り、肉に塩をふりかける。塩はわりとどっさり。下味なしなのパラパラ程度では物足りない気がする。

手で掴む、前に念入りに手を洗いアルコールティッシュで拭く。ひ弱な現代人なもので。

掴んだ指に肉汁が流れた感覚がする。シズル感ってこれか?かぶりつくとさらにあふれる。「じゅし…」というオノマトペな感じで肉に歯がはいっていく。

ジャムに肉をつっこむ。手だと適量のジャムをよそって肉の乗せることが出来る。べんり。

うまい。肉の脂、塩、りんごのあまずっぱさ。うまい

うまい

うまかったー。とはいえ当初の目的とずれた食事になった気がする。

ますぎた。もっと粗食にするイメージだった。焼いてすこしぽそっとした肉をむしむし食べたいという欲求からはじめたのをすっかり忘れていた。

残った茹で汁は明日の朝海南鶏豚飯にでもする。なまごめ。

2019-08-31

ジャップ」が蔑称になってしまったのが勿体無すぎる

ジャップ」。

日本人にも欧米人にも、多分中国人韓国人にも言いやす発音

小さい子供でも言える。

JAP」は日本国名英語表記の先頭3文字スポーツとかの国名コードにもそのまま使える(今は「JPN」が使われている)。

キーボードで「ジャアアア」と打つの必要キーの種類はたったの2つ。

さらに、日本語の水音を示すオノマトペとも類似していて、風情がある。

こんな恵まれ単語が、蔑称として定着してしまったのは非常に勿体ない。

蔑称となっていなければ、今頃日本/日本人愛称として世界中で親しまれていただろうに。

ジャップ・カー」(日本車)みたいに。

2019-07-16

anond:20190716163722

オノマトペ解説ボインとボロンの違いとか解説してた文章があったんだけど、なんてやつだっけなー。

だれか分かる人いたら教えて。

2019-07-11

anond:20190711174020

1930, "elastic rope," probably an extended use of the identical word used in late 19c. British schoolboy slang for "rubber eraser;" this probably is more or less onomatopoeic, from notions of bouncy + spongy.

オノマトペから来た可能性が高いので何語でもよさそうだぞ

2019-07-09

anond:20190709174429

リアル会話でもオノマトペを口に出す奴いてほんときもよね

まあ俺のことなんだけど

2019-06-20

anond:20190620183155

だくだくという液体のオノマトペだよ

なんでわかんねえんだ低学歴か?

2019-06-18

未だに「本当はえっちな意味なんだろ?」って思ってるカタカナ

オノマトペ

アナーキーアナリストなどの「アナ~」シリーズ

ペンディング

あと一つは?

2019-06-07

どしゃぶりってなんかかわいい

どしゃーっ!って表現するセンスすごい

日本語ってこういうオノマトペから発生した言葉多いよね

2019-04-14

同じ音が2回連続するタイプ擬声語(擬音語擬態語)

ひらひらとかさくさくとかふわふわとかパリパリとかそういうのだけど

日本語にはこの類の表現がいっぱいあるなあと思ってたら

韓国語日本語でのカリカリが「パサパサ」と表現されるとか

ハワイ語で「ぐるぐる回す」を「フリフリ」と表現するとか

そういうのを知る機会があってへえーってなった

こういうの上に挙げた国以外の言語でもたくさんあるんだろうか?

こういったオノマトペ感覚的な部分を言葉にしているものだろうから

どこにいる人間でも同じような感じ方になって言語表現の方にもそれが影響して

成り立ちというか構成の仕方に共通点ができるものなのかなあとか思ったりしてちょっと面白い

言語に詳しい人ならこの辺の成り立ちとかもうよく知られているものなのかな

他に具体例があったりしたら知りたい

2019-04-11

好きなオノマトペってある?

個人的には伊集院脳汁でてるのを表現する「どくどくどくどくどく」っていうのが好き

2019-04-04

anond:20190404113245

シコシコは擬音ではなくオノマトペだと思うぞ

なんか内向きにこっそりせせこましくはげむみたいなそんなにゅあん

2019-02-08

好きなオノマトペってある?

個人的に印象的なのは彗星もっとこう、バァーって動くもんな」とか「ぽかぽかする」。

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