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はてなキーワード: きょうだいとは

2021-05-05

ある独身平民女のゴールデンウィーク

みんな気になると思うので、カレンダー通り休みがあった独身女のゴールデンウィークを丸裸にします。

マジでから10圏内しか動いてない模範的都会人。

【大体のルーティン

•朝7時くらい起床(たまに1時間〜2時間程度二度寝

•1時間〜2時間ほど勉強仕事関係

•1時間〜3時間くらい掃除大掃除ゴミ大量に発掘。部屋スッキリ。)

•昼食(安売りアンガビーフステーキキーマカレーなどなど)

•昼寝

掃除で発掘されたガラクタメルカリに出品(合計20,000円くらいになった。ラッキー

風呂

菓子食いながらゲーム

24:00ごろ就寝


【突発的事象

友達、親、きょうだい電話

•食料買い出し

母の日ギフト調達Amazon

•かかりつけの皮膚科へ薬をもらいに行く

リングフィットアドベンチャー


【やり残したこと

積読を崩す

メルカリで大型家電を出品する

粗大ゴミ捨てる

•1時間くらい散歩に行く

大家族毒母

大家族母親が一番小さい子供きょうだいたちが世話をしてくれて楽だなんて発言してて

テレビ番組だと下の子の世話をしているきょうだいの様子が実際に見れるため

の子達が本当に下のきょうだいのことをかわいがってて世話をしているのがわかる

でも、ネットインタビューや、親の話だけ聞いてる場合は上の子達の様子がわからないため、上の子達が自分意志で下の子きょうだいの世話をしているかはわからない

親っていうのは子供支配者で、親に媚を売るため、親に嫌われないために下の子の世話をすすんでやっている上の子だっているかもしれない。

親が脅迫のように「下の子の世話をしろ」と言っているのかもしれない。

まぁ、上の子達が大人になったときに、母親毒母だったのかどうかわかるんだろう。子供ときはどうしても人生コントロールを親にされてしまう。

子供たちが大人になり、自分の子時代を振り返って、初めて自分の親がまともだったのか、毒親だったのかわかる。父親の多産DVではなく母親意志でたくさんきょうだいを産んだなら、下の子の世話で上の子達を苦しめた母親毒母だし、

の子達も下の子達にもしっかり愛情を注いで全員まともに育て上げたのなら母親聖母となる。

親の目というのはいい加減なもので、子供が親の手伝いを好きでやってると思ってるけど実際はいやいや手伝いをやっていたなんてことはよくある。

女児母親再婚相手性的虐待をされて、母親は「女児再婚相手父親のことが好きだったか性的虐待をされていることをなかなか言えなかったんだ」なんて言ってるケースがあったが、もちろんそんなわけがなく母親自分の落度で自分の娘が性的虐待を受けたと認めて自分メンタルを傷つくことを無意識に避けての発言だろう。

人間っていうのは自己保身のためにいくらでも目を曇らせることができる。

主観的しか物事解釈できない生き物だ

自分意志でたくさん子供を産んだ母親聖母だったのか、毒母だったのか

大家族育ちの成人達アンケートをとってもらいたい

2021-05-04

きょうだい全員が結婚できない

きょうだいで男だけが結婚できない

この2種類しかいない。

きょうだいで女だけが結婚できないという家庭は近所にはいない

2021-05-03

そんなにダメか?増田家😅→ダメです。

ラーメン屋の話じゃなくて、私が生まれ育った家の話。

三人きょうだい全員が一応名のしれた国立大を出ていて、そこそこ有名な企業に勤めている、という点では、大成功の家庭。ドが付かない程度の田舎で、習い事家計的に困難ではあったが、食うに困るとか奨学金を取り上げられるとかはなく、まあ普通の家庭。私は末っ子。上2人とも未婚で、私が今30歳で未婚。結婚願望は無くはない程度。

最近になって、結婚してほしい、家庭を持って欲しい、みたいなせっつきが出てきた。親としては早く結婚させて孫の顔が見たいんだろう。で、それが正しいと思っているんだろう。そういう願望があることは別にいいと思う。それを強制したり、結婚しない私の人格否定したりしないからこそ、自分は正しく子育てができた、と思って欲しいんだが。

このGWに、親も暇なんだろう、4割の近況報告と、5割の心配と、1割のせっつきが入った長文LINEが飛んできた。まあその流れで、「増田家に結婚向きの奴おらんよ」って話してたら、「そんなにダメか?増田家😅」と飛んできた。

母親父親を筆頭に、そして私が真逆の方向で、ダメだ。

とにかく、うちの家族は人の話を聞かず、感情空っぽで、自分の加害性に無頓着すぎる。感情的になってる人がいたら、感情的になっても無駄から感情的になるな、っていうだけで何が起きたかを全く把握せず、その場だけを収めて解決したふりをする。その場その場の場当たり解決しかないので、昨日どころか1時間前と言ってることが真逆だったりする。ガキの頃の兄弟喧嘩なんて、今思えばあまりにも下らなくて、大人から見たらしょーもないことだから場当たり解決で十分かもしれないが。でも、悪口に対して私が怒ると「兄(姉)が悪口言うのはお前の反応を楽しんでるだけだから相手にするな」、無視すると「無視するからエスカレートするんだ」は、どうやったら矛盾なく両立するんだ。で、当然ながら私の怒りの矛先は親に向くんだが、「悪口を言ったのは兄(姉)なのになんで私に怒ってんの(笑)」とだけ言って、人の話を一切聞かなくなる。そりゃ、積極的に加害するやつと、その加害を受けるやつ、どっちが黙らせやすいかって話だ。で、感情空っぽから感情がある人を怒らせてわあ怒った怒った!って人を平気でドラム叩くと踊るおもちゃ扱いするんだよ。おもちゃが踊ってても意味なんて考えないんだよ。

そういう奴しかいないコミュニティなら良いんだろうな。父親転職失敗して給与のわりに激務になりすぎた2年間があったんだが、母親父親に対して「お前の2年間全く意味なかった」みたいなことを言ってても、父親は「意味はあったよ、無駄じゃなかったよ」って言うだけ。それでもなお「意味なかった」「意味なかった」と繰り返してた。配偶者と言っても他人人生に「意味なかった」ってよく平気で言えるよ。私が「本人が意味あったって言ってるのに他人意味なかったと断じるのはおかしい」って言ったら、「私が間違ってるって言うんだね、まーいいやそんな不幸じゃないし」(一言一句覚えてる、間違いなくこう言った)と、完全に一切加害の自覚がないどころか、被害者立場であることを疑ってない。父親はなんでそんな平気なのか、理由ははっきりしてる。人の話を本当に一切聴いていない。多分情報として入ってきたことに1回レスポンス返したらもうメモリには何も残っていないのだろう。本人が良いなら良いんだろう。もう何もわからない。

逆に私は感情が溢れすぎる。多分家族5人分の感情を私一人で持ってる。お涙頂戴で簡単に泣くし、ちょっとからかい簡単に怒るし、なんなら怒っても涙が出てくるし、普通に過失で怒られてても涙が出てくるし、歳食って余計に涙もろくなってきてる。「泣いたら許されると思ってるのか」と何回言われたかわからん。ひどいと頭に「男のくせに」がつく。私だって泣かないで済むなら泣きたくない。目から勝手に出る液体のせいで何百回と母父兄からバカにされてるんだよ。こんな液体無視してくれ。で、人の話を聴きすぎる。ちょっとたかかいにいちいちイラッとするし、ただ私を黙らせるための「お前に全く非がないと言い切れるか」とか「そんなんじゃ社会通用しない」みたいなただの脅し文句にいちいち引っかかって黙っちゃう。困ったことに、加害に無頓着というか無神経というか、鈍感であることだけは一致してしまっている。そのくせ他人の加害には敏感だし、他人から他人への加害でもいちいちイラッとする。本気でこれは困ってる。

この「加害への鈍感さ」だけで、ダメです。そして感情が死んでるのも大暴れしてるのも、どっちもダメです。人の話をただの音としてしか聞かないのも、全部のことを真に受けるのも、ダメです。増田家全員、ダメです。

これを送ったら「そんな前のことまだ根に持ってんの😅」が帰ってくると確信しています強制的に向こうが打ち切った、ということを「解決した」という人なので。何も終わってないし、私は根に持つぞ。その場では黙ったが、一番黙らないのは私なのだ、という心だけ持って、送り返せずに、少なくとも私はダメ、って返しました。

本人に送らないのにこんなクソ長文恨み言書くくらい感情が溢れるのがだるい。なんで家族に、社会に対する忖度みたいなことやらなきゃならんのか。増田家というコミュニティが、私にとってあまりにも合わない。アノニマスダイアリがあってよかった。多分、私が間違ってるんだろうね、まーいいやそんな不幸じゃないし。

anond:20210503183006

理想の年齢差のきょうだいを作るため、私たちが次にセックスするのは来年

それは立派に愛情だと思う。頑張ろう!これにちかい芸能人夫婦で一組見た。

愛情、娯楽のためのセックスがない夫婦

子作り目的セックスはやるけど、娯楽を目的としたセックスはしない夫婦の妻です

今は子供が一人いて、理想の年齢差のきょうだいを作るため、私たちが次にセックスするのは来年です。

生活の中に当たり前にセックスがある夫婦と、セックスレスもしくはほぼセックスレス夫婦幸せの土台が違うそ

レスられてどちらかが苦しんでる夫婦はたまにやるセックス自体に喜びを感じるけど

生活の中に当たり前にセックスがある夫婦セックス以外の色んな幸せをみつけてるんだそうな

もはや視点が違うというか

性欲という動物欲望が満たされた生活って幸せそう~ストレスすくなそう~ずっと男女でイチャイチャちゅっちゅパコパコしてたら幸せなんだもんよ~いいな~

私よりも美人お金も稼いでいる素晴らしい奥さんレスられているのを知ると、子作り目的セックスできるだけでも幸せなのかもしれない…なんて思う

他人から見て、普通に美人性格も明るくて何のもんだいもなさそうに見えても旦那さんが性欲薄かったらレスられてる

セックスレス問題て、性欲が極端に薄い人が急にセックス大好きになるのは稀だし

同情でセックスしても虚しいし

お互いに性欲が強いもの同士、お互いに性欲が弱いもの同士が夫婦になることが一番いいんだろうな

2021-04-25

最近わりとよく生きてる意味ねーなと思うけど当然人に言えるわけがないのでここに書いておく

田舎を出て都内就職し、働き始めて十数年。

デブスなので結婚なぞできないだろうから最初から諦めてて婚活などもせず、いろいろある趣味を邁進していた。

趣味は、舞台見たり、野球サッカーバスケ見に行ったり、美術館博物館行ったり、旅行行ったり、ライブ行ったり、酒飲んだり、本読んだり、同人活動したりって感じでやることがいっぱいあって、楽しいことするために生きてるな〜って思ってた。

ところが一転。新型コロナウイルスの影響で、まともに前と変わらず続けられるのは本読むことくらいで、後は少なからず影響を受けるものばかりだった。

舞台ライブは中止の嵐で、去年春先〜夏あたり行く予定だったチケット14枚がただの紙切れと化した。(無論払い戻しはあったけどそういう問題ではない)秋口〜冬にはぽつぽつ行けるようになってきたけど、ライブで声出せなかったりするし、今また舞台ライブが中止になった。

美術館博物館も休館を余儀なくされ、上野パスユーザー自分は悲しみに暮れた。休館明けてからは予約して1人で何回か行ったしやっぱり楽しかったけど、友達と観に行って終わった後にアレが良かったとかこれが面白かったとか飲みながら語り合うみたいなことはできないし、このGW鳥獣戯画展行くつもりだったけどまた休館だし。

Jリーグなど各種スポーツも中止期間ののち無観客開催かつ配信で、この状況になる前から普通に配信観れるからそれは変わらないんだけど、現地観戦の空気感やスタグルを楽しみにしてる部分もあったので、オンライン観戦のみとなるとやっぱり悲しかった。客入れられるようになって何回かは行った。自分積極的に声出す方ではなくひっそり見たい派だから平気ではと思ってたけど、自分がひっそり見るのはともかく、全体が静まりかえってると謎の緊張感があって、あとやっぱすごいプレーかに声出せないのが辛かった。はやくチャント歌える日が戻ってきてほしい。

旅行は毎年友達と行くのと1人で行くのと合わせて年5回は行ってるけど、去年は1人で1回行っただけだった。一人旅好きだけど、一人旅なら気軽にホイホイ出かけてもいいのかっていうとそういうもんでもないし。友達となんか言わずもがな

同人活動は、普通に創作すること自体はできるしやってるけど、ちゃんと書こうとしたときは照準をイベントに合わせて締切設けて…という形になるので、イベント開催できない状況だとなかなか難しかった。普通に書くのは楽しいんだけど、ちゃんと完結まで書ききろうみたいなモチベにはイベントパワーが必要

友達と酒飲むのも当然できるわけもない。リモート飲み会は何度もやってて、なんなら遠方の友達ともできるからこれはこれでいいなと思う部分もあるけど、リアルに会って話すのとリモートで喋るのだとなんとなく空気感は違うし、お店のいろんな酒や食べ物ちょっとずつ飲み食べするのは自宅ではどうしたって無理だし。刺身の気分だから和食の店で日本酒飲んだあと、ワイン美味しいとこでなんかすごいチーズ食べるみたいなのは、もちろん全部自宅に揃えたらできるけど一人暮らし冷蔵庫限界とかあるので。

 

そんな感じで、全く楽しめないわけじゃないけどスケールダウンしてしまっていて、もともとの楽しみを取り戻すことができない状態にある。

そんな中でも、自分は幸いにも新型コロナウイルスによって仕事がなくなることなく、かつ元々リモートワークを導入して進めていた会社だったので大した混乱もなく、フルリモート仕事を続けることができている。ありがたいことにお給料も順調に増えていて仕事はそこそこ忙しい。

しかし、仕事は変わらずできているからこそ、自分はなんのために働いているんだ…?という気持ちがどんどん湧いてきて、かつそれを突き詰めていけばいくほど、なんで生きているんだろう、という気持ちになっている。

楽しいことはできないのに仕事だけしてるのはなんで?

舞台ライブスポーツも、オンライン配信あるのが増えたけど、リアル空気感を味わって、そのあと友達とアレよかったよね〜!!って酒飲みたいけどできない。

普通になんの気兼ねもなく旅に出て、神社とか見て、宿で温泉入って酒飲んでダラダラしたいけどできない。

同じものが好きなオタクたちと作った本交換したり、買い物行って薄い本いっぱい買ったり、稀に買いにきてくれた人が感想言ってくれたり差し入れ用意してくださってたりして、なんならちょっと泣きそうになったりすることもなくなった。

一生一人で生きる予定の30代のデブスは、それでも日々を面白おかしく生きてたんはずなんだけど、果たして今はなんのために生きているんだ?

一年経ってこの状況の中、数年で良くなって何もかも元どおりになるとは正直思えない。この状況が続く世の中で、世間様にプラスになるようなことは特にできず、子供を産むこともなく、ただ消費するだけの人間しかない己は生きててどうすんだ??

ただ自分のためだけに生きていた穀潰しが改めて己はただの穀潰しだなと自覚しただけなんだけど。

親は私よりはるかお金も持ってるし、実家田舎だとそこそこの家っぽい(祖父葬儀議員市長知事が来たことで初めて知った)し、万が一何か起きたとて心配ない。実家にはきょうだいがいるし、多分結婚もするだろうからなんの心配もいらん。

元々生きることに意味なんてないけど、楽しみ拾うために生きてたのに楽しみなくなっちゃったから生きる必要ないよな。

せめて迷惑かけずに死にたい心配もさせたくないので匂わせみたいなこともしたくない。しれっといなくなりたい。

まーとりあえず部屋解約したり仕事辞めたり、携帯ネット回線電気やガスの解約して、たいして入ってないけど通帳と印鑑くらいは実家に送る?そんくらいやれば大丈夫そうな気はする。

2021-04-22

偏差値60のそこそこ上手くいく人生の果てに、つまら大人になりそう

合法的自分語りをしてもいい場所だと聞き、俺のことをまったく知らん他人自分人生を見てどう思うか気になったので、初めてこの場を借りてこんなのを書いてます。そういうつもりは毛頭ないんだけど自虐風の自慢みたいな話にガチギレして憤死しちゃうような方は自衛してくれ。

まず現状。

マーチ下位レベル大学3月卒業したばかり。就活はかなり上手く行った方だと思う。大手優良企業代表格みたいな大企業から内定をもらい無事就職、このまえ初任給を受け取ったぐらい。同期は数百人いて、大半は顔も名前わからん大手特有のアホみたいな福利厚生で、自己負担3万でそこそこの広さで一人暮らしを始めた。

続いて今までの話。

まれも育ちも東京。両親メガバン銀行員のクソお堅い家庭に生まれ幼稚園小学校と社宅住み。きょうだいは姉1人。チビのころはセミ取りとかが好きなヤンチャで割とクソガキだったと思う。ただ環境的に中学受験者がほぼいなかったのもあって勉強小学校の中ではたぶん一番か二番ぐらいには出来てた。中学受験にてそこそこ東大を出す私立中高一貫男子校合格偏差値59〜63ぐらいでイメージしてもらえれば。

特筆すべきこととしては、小3で父親が急死。急な心停止=ほぼ原因不明みたいな感じ。母親曰くほとんどそんなことは今までなかったらしいんだけど、前日クソ酔っ払って帰ってきて、朝にはもう亡くなってたらしい。その日の朝は寝てると思って誰も気付くことな小学校に行ってたけどね。

続いて小6の終わりごろ父親の働いてた銀行の社宅を出て近くに戸建てを立てる。人生初の引っ越し。推測でしかないが、たぶん総額1.2億ぐらいはかかってる。遺族年金とかそれまでの積み立てとか諸々を合わせてキャッシュ一括ノーローンとかいうおよそ母子家庭とは思えないイかれた家の買い方をしたうちの母親の度胸は素直に尊敬する。そのあと生活が苦しいとかもなく、流石にFP2級とか持ってるだけあるわとかは思う。

割と余談だけど、それだけの貯蓄があったこととか葬式の名簿とかみる限りはうちの父親は社内でもかなり強烈に優秀だったっぽい。今となってはいなくなってからの方が長いもんだから他人感すげえんだけど。

続いて中高時代

通ったことある人は割と同意を得られると思うんだけど、中堅進学校って上と下の能力差がすごい。俺は勉強は嫌いだったから下から数えた方が早いような落ちこぼれ一歩手前といった立ち位置

上を見るとほんとにイかれた連中で、俺はここで本当にすげえやつってのは世の中にいるんだなと体に刻み込んだね。真面目なだけで東大に行く奴ももちろん中にはいるけど、その上に狂気的な勉強マシーンとか、スーパーハイスペックの頭おかしい奴(だいたいギャグ方向におもろい)とか、そんな連中も普通に生息してるような環境

これは普遍的にそうだと言えるのかはよくわからんけど、面白いのがそういう連中と俺みたいな勉強できない層が普通に仲良くよろしくやっていられる環境だったってとこ。だから勉強できるやつに僻みとか覚えたことは一度もないし、まあアイツらはちょっと普通じゃないから追いつけんわとか勝手に思ってた。

一度もないはウソだわ。テスト前は僻んでたような気がする。

そんな環境で6年間過ごした。男子校はアホすぎておもろい。二度目があったら通わないけどな。大学受験は私文志望でやる気はあんまりなかったけど、流石に3年の12月ごろにケツに火がついて、第一志望ではないものマーチの下位学部合格し進学。

周りの進学実績は東大とかの国公立15%、早慶55%、マーチ15%、あとはほぼ浪人みたいなイメージ体感いか勉強せずにそこそこいい学歴をつけるかをだいじにしてたもんで学歴コンプはなし。そもそも早慶受けてないし。

薄々気づいてるかもしれないけど、あんまり努力をしないでここまできた。要するにペラ人間が出来上がりつつある。これ、実はもうちょっとだけ続くんじゃ。

大学時代

基本的に私文は大学に行かないみたいな都市伝説があるらしいけど、普通に2/3は出席しないと単位くれない授業が多いもんでわりと大学には行ってた。サークルガチャには成功し、割と力を入れて色々やったりしながら入り浸っていたのもある。もともとあんまり母親とは考え方が合わなくてあまりきじゃなかったこともあって平日はほぼ大学にいて、休日は家にいるみたいなスケジュール多め。例のウイルス流行る3年生まではだけど。

就活ES四通しかさない最強のコスパ就活になった。内定二つに一つ選考辞退、一個webテストでお祈り。落ちたところは第二志望だったしその時点で一個内定持ってたか別に気にはならなかったけど、どうせなら全部通ってたほうが話のタネになんのになあとか今でも思ってる。

最終的に決めた企業経団連ルールを遵守して6月から選考が本格スタートするところ。これだけで特定されたらちょっとやだな。

ES添削だけ同業に入った先輩にお願いした以外は特別なことはなんにもしてない。面接対策特にしなかった。面接官と雑談してたら選考が進んだって感じ。正直自分スペックでは受かる訳ないと思っていたので流石に内定もらった時は驚いた。母親自分の100倍ぐらい喜んでいたので、それを見てちょっと冷めた。顔も知らない奴に優しくするつもりもないんで譲ってやりたいとかは無いけど、流石に俺が受かってる裏で超真面目にOB訪問とかしてるような層も含めて万単位学生がお祈りもらってると思うとごめんなって気もする。

長くなって申し訳ない。で、無事に実家も出て、一人暮らしをする1人の大人デビューをしたというのが現在までの人生の経緯。

ここから会社の話。

ほぼ全部の企業がそうだろうけど、絶賛研修間中

全員を観察したわけじゃないから一概にそうだと括るのも流石に雑かなとも思うけど、ずいぶん人気企業として名を馳せている割には、面白い人間はいなさそうだなというのが正直な感想。もちろん自分のことは棚にあげてます。この会社にいるのはお勉強のできそうなマジメちゃんか、要領が良くてなんでも70点出せるようなタイプ。悪く言えばクソ真面目なやつと薄っぺらい奴だけ。

中高時代にいたようなイかれた連中はここにはいない。国内トップレベル大手にいないんだから、たぶんそういう奴は別のキャリアを歩んでるんだろうなと思う。

ふと自分に立ち返って考えると、自分だってその一員だということに気づく。人生経歴から言ってどちらかと言えば比較的要領がいいペラペラ層にあたるようで、自分が嫌いな"つまんねえ大人"にどうやらなってそうだという気づきがここ最近自分トレンドです。

ガキの頃は置いておくとして、中高時代学校に行けば何かしら面白いことは起きたし、大学時代サークルにそこそこ心血を注いできたからやることに困ることなんてなかった。

今、社会人になって、俺は何をする人間なのかが分からなくなりつつある。仕事して、寝て、休みの日にはダラけてるだけって虚無じゃね???あれ???

と、思ってクソ長い自分語りをしてみた。ここまで読んでくれた暇な人、ありがとう。今後の生き方の参考になりそうならするので、悪口でもなんでもいいんでこういう人生感想を残していってくれると嬉しい。

2021-04-17

片親が違うきょうだいがいることで、子どもにどんな影響があるのだろう

父親が一緒だけど母親が違う、母親が同じだけど父親が違うといったケースでは子どもにどんな影響があるのか、というのを知りたい

シングルマザーだった妻と結婚し、8歳の子供の保護者になった。妻は子供がほしいねと言ってくれている。俺もほしい。だが8歳の子供はどうだろう、と二の足を踏んでいる。9歳、10歳と歳の離れた父親違いのきょうだいを受け入れるだろうか。疎外感を感じたりしないか。親の離婚再婚というゴタゴタの象徴として憎らしく思ったりしないか……妻には考えすぎだと言われるが不安の種は尽きない。

2021-04-12

料理家事ヤングケアラーなっちゃう件

NHK 両親・祖父母などの世話や介護 中学生の約17人に1人

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210412/amp/k10012969771000.html

"内容は、食事の準備や洗濯などの家事が多く、ほかにも、きょうだい保育園に送迎したり、祖父母介護や見守りをしたりと多岐にわたっています。"

ケアラー定義、緩すぎないか

さすがに介護はわかる。過酷すぎる。

しか食事の用意、洗濯などの家事負担が"ケアラー"になるのか?

なぜそう思うのかと言うと、私の中高生時代がこの定義ベストマッチするからだ。

2000年当時、中学2年段階で家の中がこれだ。

父親スウェーデン海外赴任

母親→でかい大学病院看護師(同年に婦長に昇任して超多忙

私→中学生2年男子

妹→保育園幼女

父親スウェーデンにいるので戦力外。時差もあるから年1で話すかどうかレベル。そして看護師は激務だ。いつ家にいるか正直わからない。

そうなると家事は自ずから私に降りかかってくるわけ。

今思い出すと以下のルーティン

朝:お弁当を3つ作り、昨日の汚れ物が入った食洗機をオン。洗濯機内の洗濯物を乾燥機に入れてから登校。部活朝練がある日は5時起きだけど、まあ前の日早寝すれば平気。

夕:部活が終わったら妹を迎えに行き、夕飯の買い出しetc。親が作ったデビットカード履歴見えるしすごく便利だった。

夜:夕飯の用意。お風呂洗って沸かして、幼女ご飯食べさせてお風呂

まあ気休め程度に勉強したりゲームしたりして、寝る前に洗濯機をタイマーにして寝る。

(寝てる間に母親が帰ってきたり夜勤で翌朝帰りだったり)

とまあこんな感じの生活乾燥機ダメな服や掃除は週末にまとめてやれば良い。

これでもFF1024時間以上プレイしたし、ブリッツボールやりこんだし、ポケモン図鑑はほぼコンプリートした。

高校卒業して実家を出るときには親と妹の処遇を巡って一悶着あったけど自分のことは自分で出来る女児になっていたか結果的には平穏

から考えると世帯年収1500万位だと思うけど、それでも「ケアラー」は発生する可能性がある。

当時、ホームキーパーを雇うか聞かれたことがあるけれど、なんだか気味が悪くて断った覚えがある。(家に他人入れるのって怖くないか?)

今はルンバとか高機能家電が当時よりも発達しているのは事実だし、「世代所得に応じた」区分必要なんじゃなかろうか。

2021-04-09

解離性障害とかの話

普段文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。

 

タイトル解離性障害については興味があれば調べてほしい。

解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。

今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。

かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢独りよがり子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。

 

 

少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。

・少し裕福な家庭で育った

きょうだいの一番上

なんやかんやあって中学不登校高校不登校再発→退学

・その後、高卒認定を取り、浪人生活を経て大学進学

大学在学中に体調を崩して就活を諦める

・数年フリーター生活ののち、現在会社員

 

冒頭の10年前の時期は、この中の浪人生活辺りの話である

なお、家族名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。

家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである

ここについては語るとキリがないので割愛

 

中学高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。

学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。

朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康まりない毎日を過ごしていた。

出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。

あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問先生と友人には本当に感謝している。

同級生引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。

この時期、何度か心療内科カウンセリングに通っていた。親がドクターカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。

心療内科ドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。

 

当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校部活顧問先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。

教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。

高卒資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。

その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験合格する……といった算段だったのだが、志望校センター試験できわどいライン

二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。

予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。

予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。

人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。

 

 

最初の症状は、予備校休みで、家に居た時のことである

中学生の頃から身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。

朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。

意識ははっきりしている。右手携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。

痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。

起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。

呆れた顔をされたが、微妙理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。

 

それから一週間ほど後、今度は予備校自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来直行した。

身体症状が出ていたので、最初外科検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査時間がかかった)、最終的に精神科となった。

どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり

入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。

退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。

入院中に、精神科先生からさいころの話を尋ねられた。心療内科カウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。

それをふまえて、「一度別の病院心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害テストじゃない。

精神科先生曰く、「まだ脳の病気可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。

ここで診察をしてもらった精神科先生が、その後7,8年の間お世話になる人である

 

 

心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。

この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。

結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃からからの風当たりが更に強くなった気がする。

 

心理テスト小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。

空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。

結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)

 

色々と話が逸れた。

アスペルガー症候群

うつ病

解離性障害

脳の検査心理テストカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。

発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。

解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。

とりあえず受験第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。

 

 

それから数年、志望校とは違うが大学生活を送っている頃。

無理が祟ってうつ悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。

教育実習を控えた直前のことだったので、担当教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。

余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事ことなんだけどね。

いかんせんマイナーな例なので、免許センター警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。

 

解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。

高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。

よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。

結局、診察中に先生の前で出たことはなかったのだ。

診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。

遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。

過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)

過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたこなのだろうなぁ。

 

 

うつ寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。

ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。

また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。

では、これにて。

2021-04-08

anond:20210407191608

人権同士が衝突することも多いってのを勘案してくれ。

世の中はままならないので、増田のような、人権侵害は迷うことな拒否してよいしそれでうまくいく、って整理では片付けられないのだ。

たとえば要介護者の世話は、家族など周囲の人間が担わねばならんのだが、それは周囲の人間人権侵害している。

公的にも私的にも扶助はあるが、それでもきょうだい障害者を持って生まれた辛さ、みたいな記事がたまにバズるよな。

これは要介護者と健常者の人権がぶつかる中で、妥協点を探って暫定的に今の仕組みになってるわけだ。

万人の人権を万全に守ることは残念ながら不可能なので、国民の税や周囲の健常者を要介護者にあてがいましょうという仕組み、これが現時点での対処である

だが、増田のような考え方では、介護公共のためであっても、人権制限に繋がるあてがえ論はノータイム拒否してよい、となってしまう。

介護者の意見で聞く価値があるのは「私は障害があり要介護者だけど仕事や外出や人間関係を楽しみたいのが本音だ、でもそれには他人介護強要する人権侵害をせねばらなんので、おとなしく家にこもることを選ぶよ」という内容だけだ! なんてことを誰かが言ったら、現代社会では賛同されづらいだろう。

そして増田の、弱者男性意見で聞く価値があるのは「ぼくは女性とのコミュニケーションが欲しくて苦しいが、その苦しみの解消には女性人権侵害せざるをえないとわかってるから、おとなしく苦しみつづけることにします」ってタイプ弱者男性だけだ……という態度はこれに近いのだ。

何よりまずいのが、この危うさに気づいていいはずのブコメ聴衆さえも、増田道徳的で素晴らしい考え方をしていると褒めまくってしまうことであり、弱者男性の生きづらさが認めてもらえないというのはこういう部分も含むのだろう。



話を簡単にするため、シスヘテロ弱者男性を想定して論じる。

弱者男性論の、異性恋愛部分で揉めやすいのは、人権同士が衝突するからだ。

周囲の人間自由意志尊重することと、キモいとされる男性が異性とのコミュニケーションを得られず孤独に苦しむのをを救うこと、その両立が困難だと判明してきたからこじれているのだ。

(多くの人間または男性の心には、性的対象とのコミュニケーションによってしかまらない大きな飢えがあり、非恋愛の友人関係では満たせない、という仮定はとりあえず正しいとする。その真偽は心理学者などが長い時間をかけて研究せねばならないだろう)

箇条書きにすると、以下のようになる。

不快相手との交流を強いられることは人権侵害である

・だが、悪意がなくても他者不快感を抱かせがちな上に改善困難な人間存在し、その代表キモくてカネのないおっさんのような弱者男性である。(女にもそういう存在はいる)

・彼らと交流させられることは、人権侵害である

・よって、他者不快感を抱かせる弱者男性は、諦めて孤独に暮らすべきだ。

・いや、それで本当に倫理的にいいのだろうか?




繰り返すが、弱者男性人間関係についての話は、介護障害者支援と近いんだよ。特に支援が進まない精神障害問題

接触すると周囲の負担になりやす人間をどう扱うか、という問題だ。

介護者を厄介者みたいに言うのはかなり危ういんだが、実際のとこ、厄介者(とされちゃう人)をどう包括するかを真面目に考えることで社会福祉は成り立っている。

現在日本では、家族扶養義務とか、介護ビジネスへの補助金とか、福祉とか、障害者雇用義務とかで要介護者に対処している。

たまたま家族に要介護者がいるからってその世話をさせられるのは人権侵害ではないか、という論点は当然あるが、今のところ、その人権侵害一定程度許容してでも、要介護者を社会から切り捨てるのを防ぐべき、という風になっているわけだ。

その果てに介護疲れによる自殺などもあるんだけどな。

ここで増田の整理を抜粋する。

耳を傾ける意見:「正直異性(他人)とのコミュニケーションは欲しいが、現実女性意思人権制限するなんて酷いことは考えていない」

無視すべき意見弱者男性問題解決のために女性意思人権制限すべきという意見全般(女をあてがえ派を含む)

すなわち、周囲に不快感を抱かせてしま気持ち悪い弱者男性にもコミュニケーション欲求があるのは納得するが、その援助が周囲の人権制限しなければならないなら無視してよい、ということになるだろう。

自由意志制限するべきではないので、周囲が世話をしたがらないなら要介護者は介護される必要なし、弱者男性につきあってやる必要なし。

それで本当にいいのだろうか。



弱者男性を要介護者と並べるのは突飛に見えるかもしれない。

だが、弱者男性と言うカテゴリの中には、精神障害者やパーソナリティ障害発達障害さら障害と健常のボーダー位置する人間がおそらく結構割合で含まれる。

また、そのボーダー時代と共に変化し、歴史の傾向としては要支援障害者認定される範囲が広がっているのだからワガママで苦しいアピールする人間と正当な要介護者を現在基準で完全に分割して別物と扱うのは適切ではない。

これは弱者女性についてもそうだ。

そして、弱者男性問題を、介護障害と地続きの問題として見れば、精神障害者への支援の遅れと近いことに気づける。

対人能力人格情緒の安定にハンデを抱えている人間に対する扱いは、いまだに相当に厳しい。

障害者支援代表例は雇用義務だが、精神障害は本当に厳しくて、障害者雇用でも採用されるのはおもに身体障害者だ。

精神障害者の雇用義務ができたのは、驚くべきことに2018年というつ最近だ。(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000192051.html

精神病院についてのゴタゴタも頻繁に取りざたされる。

今も世の中には、「精神障害のある人たちも苦しいだろうけど、関わるの負担が大きいし、その負担を強いるのは人権侵害から、仕方ないだろ」なんて感覚があるのだ。

そして精神障害者と弱者男性の避けられ方は近い。



弱者男性支援する具体策については、深く踏み込みたくない。

政策知識のない俺が具体的なことを考えたってツッコミどころが多いだろうし、そこにツッコミが入りまくると、まるで総論としても弱者男性論が間違ってるような印象を持たれるからだ。

具体策として考えた内容に穴があるからって、総論としての方向が間違ってるとは限らないのにな。

……と思ってたが、「要は公的カウンセリング風俗か? それとも奴隷化か?」なんて人が多いので、それ以外の方法として、AC広告みたいなイメージ戦略なども考えられるよね、とトラバで書いた話を追記として挟んでおく。(このパラグラフだけ4/9の朝に追記

弱者男性を「コミュニケーション介護者」と捉えた場合、その支援訪問しておしゃべり、みたいな直接的な支援に限らない。

たとえば、コミュニケーション介護者ともできるだけ親しく関係を持つのがよいことです、というプロモーションを明に暗に打ち続ける。

年寄り地域交流しましょうもたつきは温かく見守りましょう、白杖を持っている人が立ちすくんでいたら声を掛けましょう、みたいな感じでな。

仕事としておしゃべり介護してもらうより、プライベート友達恋人が作れたらもっと嬉しいんだし、プロモーションの影響で世間からキモくてカネのないおっさんおばさんに対するイメージがよくなり「自由意志」でイチャコラしてもらえる可能性が増すならよろこばしい。

これは弱者男性に限らず弱者女性コミュニケーション介護者に含むことができ、彼女たちの孤独を和らげることができるだろう。

男女問わずボダメンヘラや鬱や統合失調症アダルトチルドレン無職の人も友達恋人セフレができやすくなるってわけだ。(弱者女性はむしろセックス相手として求められすぎて困ってるみたいな話もあるが)

なにより、社会がお前たちを排除矯正していくつもりではないというメッセージを出すことで、彼ら彼女らに希望を持たせられるのがいいことだ。

弱者男性の中に反フェミニズムに熱心になる層がいるのは、フェミニズムの声が主に重視されて自分たち男性相対的にどんどん追い詰められる未来が予想されて不安鬱憤があるからだろう。

そこを変えて、フェミニズムで女の欲望肯定していくけど、同時に男の欲望は男の欲望社会として肯定していく意図があるよ、という雰囲気があればだいぶ状況が変わるのではないか

もちろんこれは「コミュニケーション介護者」の不快な振る舞いを、ある程度までは大目に見る風潮を醸成することも目的に含むわけで、不快な振る舞いをされたらハラスメントと指摘すべきという昨今の道徳とは衝突するので常にバランス綱引きが行われるだろう。

あとはアンドロイドセクサロイド代替とかってのもアリかもと思うが、それならそれで、真面目にその方向の技術振興をしましょうという政策議論に繋げるべきだ。

「50年後か100年後にできたらいいよね~科学の発展に期待だね~」じゃなくて、それを少しでも早められるよう本気で向き合ってほしいんだよ。

追記ここまで)



まあダラダラ書いたけどさ、とにかくこういうことよ。

健康で文化的な最低限度の生活のためには周囲に負担を強いることが必要になる、広い意味での「要介護者」は世の中にけっこういる。税金を利用する全員がそうだとさえいえる。

人権侵害絶対拒絶すべきという考え方をすると、周囲の強制負担も認められないということになり、その「要介護者」たちは見捨てられることになってしま

現代では、人権同士が衝突する場面も多いとわかってきたのだから、その中でどう折衷していくかが大事だ。

そのためには、人権侵害議論余地なく即却下、という素朴で潔癖な姿勢は話が進まなくなるので良くない。




このさい、弱者男性論はさておいてもいいや。

現代では人権同士がぶつかりあってるので、「人権絶対守るべし。そしてみんなの人権を同時に守れる方法はある」とシンプルいかないことはわかってくれや。

2021-04-06

自戒

これは、自戒だ。

たぶん、ぐちゃぐちゃな文章になる。

どうか、許して欲しい。

日本のどこかにいる、1人の自戒だ。

私は、今美味しいご飯を食べて、温かい風呂に入って、ふかふかの布団で寝て、生きている。

これは幸せなことだと思う。

私は、アイドルが好きだ。

あんまり言うとあれだけど、カワイイアイドルが好きだ。

恋愛的に、という感情はない。

ただ、「アイドル」が好きだ。

歌って踊って、メンバーと笑い合って、涙も汗も流して、努力をしてアイドルを全うする姿が大好きだ。

ただ、私の語彙が乏しいが故に、彼女たちを褒める言葉も乏しくなってしまう。

「顔が良い」「目が大きい」「肌が白い」「細い」

どれも事実である。ただ、これがルッキズムにおいてよろしくない、と思う。

私の「カワイイ」は今言ったことだけども、この「カワイイはいろんな人の話を聞いて蓄積されて培った「カワイイ」で。つまりルッキズムが生まれ根本的なところでもあるのかもしれない。

正直言おう。アイドルが気になった最初きっかけは顔だ。

ただ、これは好みの顔だった、という話だ。

どれだけ話してもルッキズムというところにおいて自分悪者のように思えてならない。

それもそうだ。何かを誉めているということは反対のものを貶しているようなものから

自分で分かってはいる。しかし、そこが好き。

もちろん内面的な部分も大好きだ。

私の推しの考え方は人間として尊敬している。

でもアイドルは1番顔を売りにしている。実際に努力して肌を綺麗にしている子もいる。その努力は褒めたい。けれど、その反面ルッキズムの云々が気になってしまう。

もうここまでくるとルッキズムがよくわからない。

けれど、どんな容姿であれ、人間は好きだ。

私は一重で太っていて地黒で、でも自分のことが好きだ。

容姿について話す時は、熟考してからツイートしよう。

ごめん、こんなまどろっこしいオタクで。

どうか推すことだけは許して欲しい。

きっと明日あなたの歌を聴いて、ダンスを観て、それを糧に生きていく。

もう一つ、自戒だ。

ジェンダーについて、性自認について考えてもやはり何かしらの壁がある。

正直性別なんてあるようでないと思っている。

私は性自認は女で恋愛するなら男だと思っているけれど、性別なんてどうだっていい。好きな人が好きなんだし。

けど、子宮があるタイプ人間生理が来たりするものだ。ただ、日常的に「子宮があるタイプ」「ないタイプ」と言うのも変な話だし例外もある。

男性」「女性」と話すことがあるのを許して欲しい。

ただ、それを減らしていきたい。

あと一つだけ、自戒だ。

きょうだい児、と呼ばれるもの自分が値する。

決して他人を恨んだり憎んだりはしないでくれ。

誰も恨まないように。

推しはどこか空の下でメンバーと笑って生きてくれ。

2021-04-04

俳優田中邦衛さん死去 88歳「北の国から」などで存在感


2021年4月2日 22時10

テレビドラマ北の国から」や「新選組!」、映画学校」など、数々の作品存在感のある役柄を演じて親しまれた俳優田中邦衛さんが、先月24日、老衰のため亡くなりました。88歳でした。

田中邦衛さんは昭和7年岐阜県で生まれ昭和30年劇団俳優座」の養成所に入りました。

昭和32年に「純愛物語」で映画デビューし、昭和36年から始まった映画若大将シリーズでは加山雄三さん演じる主人公若大将」のライバル青大将」の役を演じて、存在感あふれるコミカルな演技で人気を集めました。

その後も、映画化もされた民放の人気ドラマ若者たち」で両親を亡くした5人きょうだい長男の役を演じたほか、ヤクザ映画の「網走番外地シリーズや「仁義なき戦いシリーズでは、悪役としても存在感を見せるなど、幅広い役柄を演じました。

中でも、昭和56年に始まった民放ドラマ北の国から」のシリーズでは、北海道富良野市大自然の中で息子と娘の成長を見守る寡黙な父親の役を20年以上にわたって演じ、温かみのある演技で幅広い年代視聴者をひきつけました。

また、平成5年に公開された山田洋次監督映画学校」では夜間学校に通う中年男性を熱演し、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞しました。

このほか、平成16年NHK大河ドラマ新選組!」では近藤勇養父、周斎の役を演じ、平成17年NHKスペシャルで放送された終戦60年企画ドラマ「象列車がやってきた」では戦時中動物園で象を守り続けた飼育員を演じました。

平成11年紫綬褒章平成18年には旭日小綬章を受章しています

田中さんは、平成22年に公開された映画最後の忠臣蔵」に出演し、平成24年に亡くなった俳優地井武男さんのお別れの会に姿を見せていましたが、その後、俳優活動から遠ざかっていました。

家族によりますと、田中さんは先月24日、老衰のため、家族に見守られながら息を引き取ったということです。

葬儀家族葬の形ですでに執り行われ、お別れの会などの予定はないということです。

札幌市民

田中邦衛さんの死去について、30代の会社員男性は「大往生ではないでしょうか。北海道といえば『北の国から』。『北の国から』といえば田中邦衛さんだというイメージです」と話していました。

また、50代の女性は「とても有名な方なので残念です。それほど年をとられていたなんて、知らなかったので驚いています」と話していました。

倉本聰さん「気持ちの中に大きな穴」

田中邦衛さんが出演した民放ドラマ北の国から」を手がけた脚本家倉本聰さんは「気持ちの中に大きな穴があきましたね。とにかく人間的にも友人的にも無二の人です」と心境を語りました。

また、このドラマでの配役について「さまざまな候補者がいてその中で誰がいちばん情けないんだろうという議論になって、邦さんになった」と明かしたうえで、「ドラマを通じてとても演技が成長していったと思う。彼の芝居は、本人はとても悲劇的なのに端から見ているとなんともおかしくなる。これが彼の神髄だと思う。情けなさの中に詩がある」と評しました。

そして「邦さんは亡くなったけれど、僕の中で、彼が演じた五郎は厳然と富良野で生きています。またあしたスーパーに行くと、『先生』なんて言われて肩をたたかれるような気がします」と田中さんをしのんでいました。

加山雄三さん「今は何もことばにならない」

映画若大将シリーズ田中邦衛さんと共演した加山雄三さんは自身ホームページコメントを発表し「ショックです。邦さんに連絡をとりたくてとりたくて、ずっと気になってて、不思議なことに、2日前若大将DVDで邦さんの姿を見たばかりだったんだよ。信じられない。今は何もことばにならない。寂しいよ本当に寂しい。邦さん本当にありがとう」とつづりました。

山田洋次監督「一緒にいるだけで楽しい気持ちに」

田中邦衛さんが亡くなったことを受けて、田中さんが出演した映画学校」の山田洋次監督は「田中邦衛さんへ 善良が服を着て歩いているような人だった。一緒にいるだけで楽しい気持ちになるようなすてきな人だった。あん俳優が、あん日本人いたことを誇りに思う」とコメントしています

役所広司さん「本当にすばらしい俳優さん」

田中邦衛さんが亡くなったことを受けて、映画最後の忠臣蔵」で共演するなど長年親交のあった俳優役所広司さんは「邦衛さんには大変お世話になりました。ここ数年ずっとお元気なのか気がかりでした。スタッフにもキャストにも愛された、本当にすばらしい俳優さんでした。覚悟はしていましたが、悲しいです。邦さん、お疲れ様でした」というコメントを寄せました。

吉岡秀隆さんと中嶋朋子さんがコメント

田中邦衛さんが亡くなったことについて、民放ドラマ北の国から」の共演者コメントを発表しました。

息子の役を演じた俳優吉岡秀隆さんは「いつか、この日が来ることを心のどこかで覚悟しておりました。今は邦衛さんの笑顔しか思い浮かびません。自分覚悟の小ささとあなたの大きな優しさに涙しかありません」とコメントを寄せました。

また、娘の役を演じた俳優中嶋朋子さんは「幼い頃から、今まで、何も変わることなく、人として、深く接してくださいました。田中邦衛さんという存在出会い、見守っていただけたことは、かけがえのない宝ものです。役者として、人として、大切なものをたくさん教えていただきました。本当に本当に感謝でいっぱいです。大好きです。出会う人をみんな幸せにしてしま少年のように無邪気な笑顔ばかりが胸に浮かびます天国でも、たくさんの人を幸せにしてくださいねありがとうありがとうありがとう」とコメントしています

2021-03-26

anond:20210326184935

自分中高一貫男子校で、自分の息子も中高一貫男子校に通わせました。

俺も親父もサラリーマン連れ合い主婦

まあ、わからんでもないけどね。人によるよね。

自分と息子は女きょうだいがいる分、ましかな。家族構成もあるよね。

あと、女性と付き合ってる分には緩和されるんじゃないかな。

ジェンダー炎上」とベクトルが違うと思うけど、非モテをこじらせるパターンって、思春期女性に邪険にされたっていうのが多いように思う。

男子校だと「女性相手にされない」というネガティブ感情を持つ心配がないのはメリット

あいみょん家族は、はてなーと違いすぎ

六人きょうだいの次女で年子の姉と妹がいてその下に弟が3人いる上に、年子の姉と妹にはそれぞれ4人の子供がいて、あいみょん26歳にして8人のおばさんだなんて、はてなーと違いすぎ。はてなーなんて出生率0.5くらいなのに。

2021-03-23

anond:20210323170658

一度戦ったら強敵(ともだち)で

毎日戦ったら好敵手(きょうだい)だ

ダバ

アム

レッシィ

キャオ

どうなってるの? この星系(ほし)は

ペンタゴナ ペンタゴナ

ペンタゴナ わーるどっ!

2021-03-22

注目エントリこち

九、ジョバンニの切符きっぷ

「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオ観測所です。」

 窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟むねばかり立って、その一つの屋根の上に、眼めもさめるような、青宝玉サファイア黄玉パースの大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸とつレンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環わとができました。それがまただんだん横へ外それて、前のレンズの形を逆に繰くり返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡ねむっているように、しずかによこたわったのです。

「あれは、水の速さをはかる器械です。水も……。」鳥捕とりとりが云いかけたとき

切符を拝見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子ぼうしをかぶったせいの高い車掌しゃしょうが、いつかまっすぐに立っていて云いました。鳥捕りは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌ちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなた方のは?)というように、指をうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。

「さあ、」ジョバンニは困って、もじもじしていましたら、カムパネルラは、わけもないという風で、小さなねずみいろの切符を出しました。ジョバンニは、すっかりあわててしまって、もしか上着ポケットにでも、入っていたかとおもいながら、手を入れて見ましたら、何か大きな畳たたんだ紙きれにあたりました。こんなもの入っていたろうかと思って、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙でした。車掌が手を出しているもんですから何でも構わない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直って叮寧ていねいにそれを開いて見ていました。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしていましたし燈台看守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がしました。

「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたずねました。

何だかわかりません。」もう大丈夫だいじょうぶだと安心しながらジョバンニはそっちを見あげてくつくつ笑いました。

「よろしゅうございます南十字サウザンクロスへ着きますのは、次の第三時ころになります。」車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。

 カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草からくさのような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込こまれしまうような気がするのでした。すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いました。

「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想げんそう第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈はずでさあ、あなた方大したもんですね。」

何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えながらそれを又また畳んでかくしに入れました。そしてきまりが悪いのでカムパネルラと二人、また窓の外をながめていましたが、その鳥捕りの時々大したもんだというようにちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。

「もうじき鷲わしの停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較みくらべて云いました。

 ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸さいわいになるなら自分があの光る天の川河原かわらに立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙だまっていられなくなりました。ほんとうにあなたほしいものは一体何ですか、と訊きこうとして、それではあんまり出し抜ぬけだから、どうしようかと考えて振ふり返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚あみだなの上には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度したくをしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖とがった帽子も見えませんでした。

「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラぼんやりそう云っていました。

「どこへ行ったろう。一体どこでまたあうのだろう。僕ぼくはどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。」

「ああ、僕もそう思っているよ。」

「僕はあの人が邪魔じゃまなような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。

何だか苹果りんごの匂においがする。僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」カムパネルラ不思議そうにあたりを見まわしました。

「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨のいばらの匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思いました。

 そしたら俄にわかにそこに、つやつやした黒い髪かみの六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたような顔をしてがたがたふるえてはだしで立っていました。隣となりには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹ふかれているけやきの木のような姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立っていました。

「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛かあいらしい女の子が黒い外套がいとうを着て青年の腕うでにすがって不思議そうに窓の外を見ているのでした。

「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神さまに召めされているのです。」黒服青年はよろこびにかがやいてその女の子に云いいました。けれどもなぜかまた額に深く皺しわを刻んで、それに大へんつかれているらしく、無理に笑いながら男の子をジョバンニのとなりに座すわらせました。

 それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。女の子はすなおにそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。

「ぼくおおねえさんのとこへ行くんだよう。」腰掛こしかけたばかりの男の子は顔を変にして燈台看守の向うの席に座ったばかりの青年に云いました。青年は何とも云えず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれてぬれた頭を見ました。女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまいました。

「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなに永く待っていらっしゃったでしょう。わたし大事なタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにわとこのやぶをまわってあそんでいるだろうかと考えたりほんとうに待って心配していらっしゃるんですから、早く行っておっかさんにお目にかかりましょうね。」

「うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ。」

「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あすこはあの夏中、ツインクル、ツインクル、リトル、スター をうたってやすとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています。」

 泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。青年は教えるようにそっと姉弟にまた云いました。

わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。そこならもうほんとうに明るくて匂がよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代りにボートへ乗れた人たちは、きっとみんな助けられて、心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう。」青年男の子ぬれたような黒い髪をなで、みんなを慰なぐさめながら、自分だんだん顔いろがかがやいて来ました。

あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか。」さっきの燈台看守がやっと少しわかったように青年にたずねました。青年はかすかにわらいました。

「いえ、氷山にぶっつかって船が沈しずみましてね、わたしたちこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発たったのです。私は大学はいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日きのうのあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾かたむきもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧きりが非常に深かったのです。ところがボートは左舷さげんの方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫さけびました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈いのって呉くれました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押おしのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気きょうきのようにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももう腸はらわたもちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟かくごしてこの人たち二人を抱だいて、浮うかべるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。誰たれが投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑すべってずうっと向うへ行ってしまいました。私は一生けん命で甲板かんぱんの格子こうしになったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからともなく〔約二字分空白〕番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。そのときにわかに大きな音がして私たちは水に落ちもう渦うずに入ったと思いながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一昨年没なくなられました。ええボートはきっと助かったにちがいありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕こいですばやく船からはなれていましたから。」

 そこらからさないのりの声が聞えジョバンニもカムパネルラもいままで忘れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼めが熱くなりました。

(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍こおりつく潮水や、烈はげしい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込こんでしまいました。

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠とうげの上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

 燈台守がなぐさめていました。

「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」

 青年が祈るようにそう答えました。

 そしてあの姉弟きょうだいはもうつかれてめいめいぐったり席によりかかって睡ねむっていました。さっきのあのはだしだった足にはいつか白い柔やわらかな靴くつをはいていたのです。

 ごとごとごとごと汽車きらびやか燐光りんこうの川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈げんとうのようでした。百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう、そこからかまたはもっとうからときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のろしのようなものが、かわるがわるきれいな桔梗ききょういろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗きれいな風は、ばらの匂においでいっぱいでした。

いかがですか。こういう苹果りんごはおはじめてでしょう。」向うの席の燈台看守がいつか黄金きんと紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝ひざの上にかかえていました。

「おや、どっから来たのですか。立派ですねえ。ここらではこんな苹果ができるのですか。」青年はほんとうにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかかえられた一もりの苹果を眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れてながめていました。

「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」

 青年は一つとってジョバンニたちの方をちょっと見ました。

「さあ、向うの坊ぼっちゃんがた。いかがですか。おとり下さい。」

 ジョバンニは坊ちゃんといわれたのですこししゃくにさわってだまっていましたがカムパネルラ

ありがとう、」と云いました。すると青年自分でとって一つずつ二人に送ってよこしましたのでジョバンニも立ってありがとうと云いました。

 燈台看守はやっと両腕りょううでがあいたのでこんどは自分で一つずつ睡っている姉弟の膝にそっと置きました。

「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は。」

 青年はつくづく見ながら云いました。

「この辺ではもちろん農業はいしますけれども大ていひとりでにいいものができるような約束くそくになって居おります農業だってそんなに骨は折れはしません。たいてい自分の望む種子たねさえ播まけばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィック辺のように殻からもないし十倍も大きくて匂もいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです。」

 にわか男の子がぱっちり眼をあいて云いました。

「ああぼくいまお母さんの夢ゆめをみていたよ。お母さんがね立派な戸棚とだなや本のあるとこに居てね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか云ったら眼がさめちゃった。ああここさっきの汽車のなかだねえ。」

「その苹果りんごがそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。」青年が云いました。

ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。」

 姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。男の子はまるでパイを喰たべるようにもうそれを喰べていました、また折角せっかく剥むいたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜ぬきのような形になって床ゆかへ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのでした。

 二人はりんごを大切にポケットしまいました。

 川下の向う岸に青く茂しげった大きな林が見え、その枝えだには熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな音いろが、とけるように浸しみるように風につれて流れて来るのでした。

 青年はぞくっとしてからだをふるうようにしました。

 だまってその譜ふを聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蝋ろうのような露つゆが太陽の面を擦かすめて行くように思われました。

「まあ、あの烏からす。」カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子叫びました。

からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何気なくしかるように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく河原かわらの青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光びこうを受けているのでした。

「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」青年はとりなすように云いました。

 向うの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方からあの聞きなれた〔約二字分空白〕番の讃美歌さんびかのふしが聞えてきました。よほどの人数で合唱しているらしいのでした。青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きそうにしましたが思いかえしてまた座すわりました。かおる子はハンケチを顔にあててしまいました。ジョバンニまで何だか鼻が変になりました。けれどもいつともなく誰たれともなくその歌は歌い出されだんだんはっきり強くなりました。思わずジョバンニもカムパネルラも一緒いっしょにうたい出したのです。

 そして青い橄欖かんらんの森が見えない天の川の向うにさめざめと光りながらだんだんしろの方へ行ってしまいそこから流れて来るあやしい楽器の音もも汽車のひびきや風の音にすり耗へらされてずうっとかすかになりました。

「あ孔雀くじゃくが居るよ。」

「ええたくさん居たわ。」女の子がこたえました。

 ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげたりとじたりする光の反射を見ました。

「そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラがかおる子に云いいました。

「ええ、三十疋ぴきぐらいはたしかに居たわ。ハープのように聞えたのはみんな孔雀よ。」女の子が答えました。ジョバンニは俄にわかに何とも云えずかなしい気がして思わず

カムパネルラ、ここからはねおりて遊んで行こうよ。」とこわい顔をして云おうとしたくらいでした。

 川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人の寛ゆるい服を着て赤い帽子ぼうしをかぶった男が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号しているのでした。ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたが俄かに赤旗おろしてうしろにかくすようにし青い旗を高く高くあげてまるでオーケストラ指揮者のように烈はげしく振ふりました。すると空中にざあっと雨のような音がして何かまっくらなものがいくかたまりもいくかたまり鉄砲丸てっぽうだまのように川の向うの方へ飛んで行くのでした。ジョバンニは思わずからからだを半分出してそっちを見あげました。美しい美しい桔梗ききょういろのがらんとした空の下を実に何万という小さな鳥どもが幾組いくくみも幾組もめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。

「鳥が飛んで行くな。」ジョバンニが窓の外で云いました。

「どら、」カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるい服の男は俄かに赤い旗をあげて狂気きょうきのようにふりうごかしました。するとぴたっと鳥の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんという潰つぶれたような音が川下の方で起ってそれからしばらくしいんとしました。と思ったらあの赤帽信号手がまた青い旗をふって叫さけんでいたのです。

「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはっきり聞えました。それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたのです。二人の顔を出しているまん中の窓からあの女の子が顔を出して美しい頬ほほをかがやかせながらそらを仰あおぎました。

「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。」女の子はジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニは生意気ないやだいと思いながらだまって口をむすんでそらを見あげていました。女の子は小さくほっと息をしてだまって席へ戻もどりました。カムパネルラが気の毒そうに窓から顔を引っ込こめて地図を見ていました。

「あの人鳥へ教えてるんでしょうか。」女の子がそっとカムパネルラにたずねました。

わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからのろしがあがるためでしょう。」カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。そして車の中はしぃんとなりました。ジョバンニはもう頭を引っ込めたかったのですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかったのでだまってこらえてそのまま立って口笛くちぶえを吹ふいていました。

(どうして僕ぼくはこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。)ジョバンニは熱ほてって痛いあたまを両手で押おさえるようにしてそっちの方を見ました。(あ Permalink | 記事への反応(0) | 22:20

2021-03-19

anond:20210319221738

そういう知り合いがいる

ときょうだいもこんな感じ

他人なら避けれるからまだしも、きょうだいだとちょっと疲れる

2021-03-17

それもヤングケアラーに入れちゃいます

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210317/1000061786.html

家庭で、病気の両親や祖父母介護をしたり、障害のあるきょうだいの世話をしたりしている18歳未満の子どもは「ヤングケアラー」と呼ばれ、厚生労働省文部科学省支援策検討するため、合同のプロジェクトチームを設置しました。

はじめに山本厚生労働副大臣が「ヤングケアラーは、年齢に見合わない過度な責任などを負うことで、育ちや教育に影響がある」としたうえで、「本人や家族自覚がないなどの理由で、支援必要でも表面化しにくい。学校現場で早期に発見することも重要で、スピード感を持って取り組んでいきたい」とあいさつしました。

いやさ、両親や祖父母といった大人介護子どもに任せると負担が出るのは分かるよ?

大人健康子ども責任を持つなんてのは無理がある。

でもよ

障害のあるきょうだいの世話をしたりしている

こんなのまでヤングケアラーに入れて

年齢に見合わない過度な責任などを負うことで、育ちや教育に影響がある

こんなネガティブな書き方は駄目でしょ。

障害がある同級生普通学級に受け入れて、児童同士で助け合うインクルーシブ教育を大々的に進めていきましょうという時代に、障害児童の世話がネガティブな影響を持つなんて言っちゃって大丈夫か。

逆行してんやろ。

増田では優生思想(笑)ネタしょっちゅうやってる 1億回目 anond:20210317181259 anond:20210317181705

IQ2のブクマカが好きなネタから

 

ただし自己選択から徹底的に逃げるのでこういう話題は嫌いでスルーだよ

○ 育てられない子供を引き取るNPO法人が感じている「ある変化」

この特別養子縁組に出される赤ん坊に占めるダウン症の子の率が年々増えてきているという。Babyぽけっとの代表岡田卓子は言う。

「当団体を立ち上げた当初は、今ほど障害児の割合は高くありませんでした。けど、特別養子縁組を行う団体認知が広がったことで少しずつ増えてくるようになり、最近では出生前診断で異常がわかったあとでうちに問い合わせをしてきて、『産んでも育てられないので、そっちで引き取ってくれないか』なんて言ってくる人も出てきました。赤ちゃんの顔を見る前から特別養子に出そうとするのです」

 

夫婦ダウン症の子育児負担だと思うのは自由です。でも、何カ月か育ててみてダメだという結論に至って特別養子に出そうというのならわかるんですが……出生前診断の結果だけで判断したり、保育器越しに何回か見ただけで育てられないというのはちょっとちがう気がする。出産直後に目に見える障害だけで判断しないでほしいというのが本音です」

障害は、生まれてすぐに判明するケースだけにかぎらない。知的障害にせよ、発達障害にせよ、二歳くらいになってようやくわかることも珍しくない。

また、五歳、六歳になって先天的病気が見つかったり、難病になったりすることだってある。

多くの夫婦は、障害病気が後からわかっても子供をかわいがるし、育てていこうとする。こうしたことを考えれば、なぜ出生前診断の結果だけで簡単に手放してしまうのかと岡田が感じるのも当然だろう。

裁判で認められなかった例

その夫婦はそれなりの仕事についていて高給をもらっていて、一軒家を構えて暮らしていた。長男が一人おり、その下に生まれてきた長女がダウン症だった。

母親ダウン症の長女を授かったことに動揺を隠せなかった。幼い頃にきょうだい事故に遭って障害を抱え、苦労した体験があったのだ。この子を引き取れば、家庭が崩壊してしまう……とまで思ったという。

 

母親は夫を説得してから、Babyぽけっとに連絡をした。そしてこう頼んだ。

 

「長女がダウン症なんです。とても育てられないので特別養子に出したいと思うので、お願いいたします」

 

岡田は親が育てないと言っている以上やむをえないと判断し、その子を引き取って不妊症夫婦に託した。その後、家庭裁判所申し立てをしたが、調査官が実親のもとを訪れて調査をした。家が経済的に豊かであり、長男を育てていること。それに長男が「妹に会いたい」と言っていることなどを突き止めた。そして、特別養子を認めるまでの理由にはならなず、実親が責任をもって育てるべきではないかと指摘された。

 

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58860?page=2

2021-03-12

anond:20210311145816

テクニック」とか「工学」で言ってるわけじゃなくて、「気持ちを考えるのが本筋」って言ってるだけだろ。

なぜ「テクニック」の話にしたがる。

女性と話すときに、自分とは異なる自分にならないと話ができないとかなの?

まさに女きょうだいと話すのと同じように話せばいいだけじゃん。

きょうだいと仲良く話すのに、テクニックを弄する奴はいないと思うけど。

2021-03-06

anond:20210303014736

喪女というか、独身高齢女性場合自分の知る限り、なぜか実親の介護を他のきょうだいから押し付けられることが多くて、そこがハードモードだなと思う。

推測だが、親が要介護状態になった時に、

既婚の兄弟は「俺は妻子を養うために介護仕事をおろそかにするわけにはいかん」

既婚の姉妹は「私も夫と子供の分の家事と、住宅ローン子供学費を払うためのパートで、介護なんてできないわ」

言い訳して「お前は一人身で好き勝手生きてきて親に心配かけているし、気楽な身分だろう? お前が親の介護しろ」と、独身女性にお鉢が回ってくるのではないか

親と同居している後継ぎの長男のような存在がおらず、きょうだい全員が実家から離れて暮らしている場合が前提ね。

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