はてなキーワード: 六本木とは
IDOLiSH7(アイナナ)のことは1ミリくらいなら知ってるカモ状態ですがムビナナDAY2のみ鑑賞してきました。
ムビナナは予想よりだいぶよかったです!
前評判から「途中で寝たりイラついたりするかな〜」と思っていましたが普通に最後まで楽しんで見られました。
ムビナナの良いところ!!
この二つは全編Live映画の根幹だと思うので、ここがしっかりしていれば私としては及第点だと思います。(赤点ではなかったと言う意味)
私はスタツアも(うたプリをミリくらい知ってる今回のアイナナとほぼ同じレベルのまま)拝見しましたがこの映画自体についてはパクリとは言わないかな?と思いました。(キャラとかスチルとかの話題は割愛します)
うたプリのファンの方の「いやそもそもかぶせるなよ」というお気持ちもわかりますが。
まず何もかもが別物すぎます。
正直かなり出来の良い同ジャンル(同じ全編Live映画という意味)先行作品があってこれをお出しされるの?って気持ちにはなりますね。クオリティにおいてです。これが全編Live映画の先駆けだったらもう少し評価も高まっていると思います。なので繰り返しになりますがクオリティが低すぎるというわけではないです。及第点です。
さて、震源地になっているワード「旅」についてですが、単に「旅」を連呼する理由がなく旅感もない。噂の6部のスクショも拝見しました。たしかに旅の話は出てました!私が気になっているのは「コンセプトが感じられない」という話なので「別媒体でそのワードの話出てた」というのは別の話ですね。まあそれも踏まえてパクリではないと思うな。
グループと四季を巡る旅!みたいなMCがありましたが最後まで四季については何も分からず。衣装も背景にも四季は感じられませんのでコンセプトとはなんだったのか?
てか脚本書いた人は映像見てないんかな?だからMCと演出がこんなにチグハグなの?
まず一曲目。映画を見る前にYouTubeで公開されているものを見ました。
3万回は指摘されてそうですが「いや、傘開かんのかい!!」そしていつのまにか投げ捨てられている。ダンサーが回収した形跡もないからめちゃくちゃにぶん投げたんかな、危ないよ。
映画では一曲目の前に突然の嵐?の映像がながれて「お!これで雨上がりだから傘開かない演出だったのか!?」と思ってたらコンセプトの一つであるらしい森羅万象っぽい樹とかの映像が挟まるのでそうでもなかったようだ。なんだったんだ?
レインボーアリーナだから!という説も見ましたが余計にわからん。そうだとしたら衣装や背景まで合わせないと伝わらないんよ。それでも傘が衣装から浮いてるし、背景もプロジェクションマッピングで虹なんかいくらでも掛けられるけどそういうのないですよね…?
そして突然のバックダンサーモブ。モブがソロパートのアイドルより前に出る。もうそれはバックダンサーではなくフロントダンサーなんだ。
しかもアイドルの衣装だけやけにファンタジー!!!!かわいいけど周り現代背景。モブもスーツ姿なのに!!!!どういうステージ!?!?
背景白系統、衣装白系統、ダンサー黒系統。ダンサー引き立つ!!!!
昔からある有名曲?のようなのでその時のデビュー時の衣装とかなのかな?だったらわかる。けどそしたら背景を見直してほしいが。欧米風?の街並みにこだわりとかあるの??
あとツイッターで「そうちゃんがフリを間違えかけてる!他にも向こうでファンサしてるのがうつってる!」というのを見かけました。
いや!!!!ファンサは正面で抜けよ!!!!カメラ仕事してください!!フリミスとかかわいくてちょっといいなて思いますけど2日目は間違ってないのか2日とも同じミスしてたら明らかに練習不足で、もし推しにそんな役割を押し付けられたら私はキレるなって思いました。ダンス苦手みたいなキャラ付けがあるならその限りではありません。ごめんなさい。
全体的にカメラが存在しないのかな?みたいな行動をとられて不完全燃焼です。
歌い終わった後の「っダァ!」みたいな声、何!?プロ意識!!!!マイク入ってますよ!!!!
あははうふふみたいな笑い声が永遠に終わらなくて階段を降りてくるアイドル…どうした?なにがおかしい?
あと、代永さんが喋るたびに「えっなに!?!?」ってものすごいびっくり違和感なのですが…全てが吹き飛ぶほどの違和感。これは…昔からこう言うキャラだったのですか…?ご体調に関するものであれば申し訳ないです。
コーヒーカップが出現するも何故か舞台上だけをくるくるまわる。
トロッコのかわりとかじゃないの!?!?突然のネバーランド感。まじでどうした?旅や四季や森羅万象をこれで感じるの難しいが。連想ゲームしてもなかなか辿り着かんよ。
しかも一人ハブられてて可哀想だな…てなったんですが…彼はそう言う役回りなのでしょうか…?
ピー!という二曲目
「これツイッターで見たササゲロってやつだ!!!!もう来るの!?」とテンションがあがる。
ダンスナンバー好きなのでよかったです。
あとブラック系のチャイナ感ちょっとある服?も好きでした。ズールね、ズール。
次の曲も好き系でした。
まあまた黒背景に黒服で沈みまくりですが…。でも黒背景は顔が白いからIDOLiSH7のみんなたちほどは気にならないかなあ。
トリガーとリバーレもふんふんなるほどねって感じです。なんとなーくのグループの雰囲気が伝わってきていい感じでした。
曲ごとにMCが挟まるのは賛否両論だと思いますが、これに関してはそこそこ短めのMCだったのでわたしは賛否両論のピ側ではないです。
話の内容がよくわからないのはほぼミリしらだから仕方ないしな〜と思います。
リバーレの保志さんがめちゃくちゃ歩き回るのにポニテの方がほぼ不動なのそういうキャラなのかな?いいなって感じです。
しかしまあ全体的に本当に目が合わんな。誰もカメラの位置をご存知ない?
袖にはけていくときもファンサなし。こういうのは「わざと塩対応してますよ」みたいなキャラが思わせぶりに無視してそれが逆にファンサ!みたいなの以外は虚無感すごいな。全員塩対応。
かと思ったら単に暗転みたいな演出もありで、どうした…????
「おー見覚えある!!いいぞ!」ってなったんですが、いやそのままセンステ行くんかい!!ってなりました。
後ろのファンにご配慮でそのまま一曲歌ったりしてもいいのでは!?!?出現場所が変わるだけでは意味が薄いんですよ!!
背景がプロジェクションマッピングの試みはいいけど流すのがスクリーンセーバーみたいで謎なんだけど、衣装が全部ファンタジー系なのでグランドキャニオンか?とか、これテレ朝前?六本木?みたいなやつよりもスクリーンセーバーの方が合っている…という…
せっかくのプロジェクションマッピングなのになぜかアイドルが白いボードから現れてるだけなことがわかるカメラワークになったりする。なんで?
あとどこかでジャンプして光の中に消えるのかな!?と思いきやふつうにそこにいる。なんで?その演出は流石にアレすぎる。(オブラート)
それにしてもキャラの名前がわからないな〜と思っていたら途中に突然コールドスリープだかドールなのかよくわからん個人の映像がはさまる。
しかし名前読ませる気ないだろ!数人どこに書いてあるかわからんかったぞ!!!!
衣装は全部かわいいのですが、どれもテイストがほぼ同じため、着替えてんだか着替えてないんだかわからなくなってくる。
そして繰り返しになりますが黒い衣装で黒背景、白い衣装で白背景みたいなことをするので演出してる人ちゃんとチェックしてるんかな…となります。
まあ全体的に地味。
ジャニーズとかのリアルライブは空も飛ぶし炎も上がるし水も出るので…。
友達は「ミュって感じ…しかも仕事で大楽入れなくて円盤見てる虚無を思い出した」と言っていました。なんとなくわかる。
Incomplete rulerの曲よかったです。
その後赤い子(りくくん?)がIDOLiSH7が現れたことに驚いてるんだけどDAY1もそうだったらしく、そういう演技?(どういう演出?)だったのかな…?目指しているらしいリアル感との狭間でよくわからなくなる。
どのタイミングか忘れたけれども「ファンサしよー!みんなで!ファンサ対決!」って言い出したのにもびっくりしました。
カメラが横に舐めるように動いて全員分抜くのかと思いきやまさかの背景16?分割。
エッ!!!!それができるなら早くしてあげなよ後方席ずっと虚無だったじゃん!!!!
というかそうしないと見えないってわかってて今まで謎スクリーンセーバーうつしてたんですか!?!?
ここまでLiveしてるのに「ファンにサービスを改めてする場がなければファンサが足りてない」とアイドル自身が思ってるなんてこと、ある…??
ファンサに関しては「我々はマネージャーだから」っていうのも見かけましたが、マネージャーなら舞台袖から見てなきゃおかしいし、なんならゲネプロや練習風景、そういう裏側が見たくないですか?突然マネージャーなので今までの試行錯誤とか一切見れてないけど完成形を裏方としてチェック!したいですか??
私はアイドルのLiveにいったらたくさんファンサ浴びたいよ…。
あと歓声が弱い…会場のみんな盛り上がってないのかな?ファンも3Dですげえ!ってなったしよく見ると服装まで違う!すごい!そこにこだわるのはなんで!?!?あとペンラを頭の上に掲げるんじゃねえそんなことしたら俺とお前の戦争だ。
まあ歓声は声出し応援上映ありきなのかな〜とおもいつつ、コーレスできるようなところもない。紹介シーンないからオタクのみんなで一斉に名前も呼べないし…。
今まで首もとハイネックとかだったせいで違和感なかったのですが、3Dモデル首が細長すぎておかしくないですか!?怖い折れる!!脚もちょっと膝下が私の好みからすると細すぎるなあ、というのは気になってたんですけど首は本当に怖いなあ、ってなりました。
あと全体的に白い!銀髪何人いる!?カメラが引けば引くほど見分けがつかないよ…。何のためのメンバーカラー!?リストバンドだけで見分けろは視力検査なんよ。
そしてアンコールもセンステまで来ないんだ…なんでメインステばっかり…。人権ない席が多すぎるなあ…。スタンド席最前とかは結構良席のイメージなんですが、このライブ、アリーナ前方以外に絶対入りたくない。
色々書きましたが「見に行ったのは時間の無駄だったな」とかには全然ならないです。
曲もいいし踊るので初回は楽しかったな〜もやもやしたけど。くらいです。言語化するとこうなってしまいましたが。
不完全燃焼…にはなるかな!と思いました!
住み始めておおよそ3年が経った。
「港区」と言っても、白金高輪は港区の南に位置する、閑静な住宅街だ。家賃も言うほど高くはない。
そのため、いわゆる「港区」のキラキラでギラギラなイメージを醸成する六本木や赤坂とは、趣も異なる。
そんな白金高輪に、私は3年ほど前に、新潟県から引っ越してきた。
実を言うと、それまでは白金高輪という地名さえ知らず、恥ずかしいことに「しろがねたかわ」と読んでいた。※正しくは「しろかねたかなわ」
そもそも港区であるということに気づいたのも、契約書にサインする直前だったりする。
そんな地方の田舎者には、この地の生活に驚きがいくつかあった。
私はあまり車には詳しくないが、やはり高級車をよく見かける気がする。
大抵、一軒家の車庫には、素人にも少なくともエンブレムから国産車ではないことは分かる、ピカピカの外車が並んでいる。
暖かくなるこの行楽シーズンには、キラキラのオープンカーにサングラスのイキりMaxフル装備ドライバーも、日常的だ。
少し前の話になるが、高輪ゲートウェイ駅のお披露目の時には、ガルウィングのランボルギーニが停まっていた。
見せびらかすために、わざわざ遠くから来た人だったのかもしれないが。
クイーンズ伊勢丹やリンコス、肉のハナマサといったスーパーが近くになる。
当然、いずれもごく普通のリーズナブルな商品も一応売っている。
しかし、同じぐらい、妙に高い商品も、「え、みなさんこれぐらいのやつは買いますよね?」といった雰囲気、さも当然のように並んでいる。
1,000円のレトルトカレー、3,000円のオリーブオイル、帝国ホテルのバターやピーナッツクリーム、外国のお菓子や豊富な調味料などを見ていると、お土産屋に迷い込んだかと錯覚する。
5,000円ぐらいするブランド和牛のステーキ肉も年がら年中置いているが、こんなものは年末年始や誕生日ぐらいにしか買わないだろ、という新潟県民の感性は、白金高輪から外れているようだ。
白金高輪は、近くの広尾や麻布と比べると、まだ開発され切った街ではないように見える。
高輪ゲートウェイ駅の開業が2020年だったため、これからなのだろう。
坂や道うねりの一角には、昔から住んでいるのであろう古ぼけた一軒家、謎の古本屋や良く分からぬ葬儀屋などが残されている。
一口に「港区」と言っても、地域ごとの風情にはやはり、いくらかの差があるのかもしれない。
おかげさまで家賃は抑えることができるため、とりあえず「港区に住んでいる」とイキりたい諸氏には、悪くない選択肢だと思う。
しかし、いうまでもなく、そびえたつタワーマンションは、価格もべらぼうに高い。
億越えのマンションは当たり前のようにある。そういった世相には疎いのだが、有名人も住んでいるらしい。
私は見上げ、そのふもとの日陰に涼むことしかできない。
他にもいくつかあるが、おおよそこのあたりが、自分にとっては驚きだった。
それほど生活費がかさむわけでもなく、中心地に対するアクセスの良さと喧騒からの距離を兼ね備えている。
しばらくしたら、もう少し広い部屋に住みたい。
もちろんここ、白金高輪で。
優秀な人が流出すると、穴を埋める潜在的人事が発動する。これも組織として成長を見守る余裕があるうちは良いものの、そうでないときは能力的に至っていない人への過剰な評価が横行したり、採用のバーが甘くなることで評価システムの辻褄が合わなくなったり、適切な人に適切な権限が与えられず組織管理の質が悪化する。
そしてこれは悪循環になり、その結果として組織は緩やかに沈んでいく。事業や組織の成長を焦って守るべきラインを守れなくなってくると、この悪循環に簡単に突入してしまう。
優秀な人は市場価値があるので、魅力ある組織に動く。一時期、六本木の C2C ベンチャーが人を吸い込みまくっていたように、そして今は日本橋のベンチャー X だろうか。あれだけ採用のバーを維持してきた GAFAM ですら、色々と混乱が生じている。組織の肥大化に応じて発生しやすいのは構造的にそうなんだろう。
でもノーベル賞を取る人って、キラキラエリートが全然いないよね。
なんなら成り上がり感がある。
ではここでノーベル賞物理学者 湯川秀樹の経歴を見てみましょう。
1907年(明治40年)1月23日、東京府東京市麻布区市兵衛町(現:東京都港区六本木)に地質学者・小川琢治と小雪の三男として生まれる。
1908年(明治41年)、1歳の時に父・琢治(和歌山県出身)の京都帝国大学教授就任に伴い、一家は京都府京都市に移住する。このため、麻布の家には誕生後1年2ヶ月しか住んでない。
1歳から大学までは京都、大学を出て一時大阪や西宮にいたこともあるが、人生の大半は京都で過ごしたことになる(ただし、ノーベル賞受賞の対象となった中間子論を発表したのは、湯川が大阪帝国大学に勤めていた時であり、当時は西宮の苦楽園で生活していた)。
湯川は自伝に「私の記憶は京都に移った後から始まる。やはり京都が私の故郷ということになるのかもしれない」と記している[2]。
母方の祖父・駒橘は元紀州藩の藩士であり、また湯川家自体が先祖代々和歌山県出身であるため“和歌山出身”と紹介されることもあるが、本人は京都市出身と称している。
和歌山県出身の実業家・松下幸之助の郷里に「松下幸之助君生誕の地」の石碑があり、題字は同郷ということで湯川の筆によって書かれたが、湯川本人は和歌山で暮らした経験はない。
5、6歳の頃、祖父・駒橘より漢籍の素読を習った。駒橘は漢学の素養が豊富で、明治以後は洋学を学び、晩年までずっと『ロンドン・タイムズ』を購読し続けた人物であるという[3]。湯川は自伝に「私はこのころの漢籍の素読を決してむだだったとは思わない。…意味もわからずに入っていった漢籍が大きな収穫をもたらしている。その後大人の書物をよみ出す時に文字に対する抵抗は全くなかった。漢字に慣れていたからであろう。慣れるということは恐ろしいことだ。ただ祖父の声につれて復唱するだけで、知らずしらず漢字に親しみその後の読書を容易にしてくれたのは事実である。」と記している[4]。
今度八重洲のミッドタウンがグランドオープンするけど、日比谷のミッドタウンが出来てかなりの年数が経つのに未だに「ミッドタウン=六本木のやつ」という気持ちが強すぎるせいで、八重洲のミッドタウンと言うたびに気持ちがモニョる。
同じ再開発シリーズの中でも森ビルの「ヒルズ」は言葉が短くいい意味で意味が薄いのもあって、アークヒルズ・六本木ヒルズ・虎ノ門ヒルズ・麻布台ヒルズとそれぞれ独立した施設だとすぐ認識できるのだけれど、「ミッドタウン」は無駄に長くて意味も感じるネーミングのせいで、再開発地区のシリーズ名だということがいまいち感じられない。
そもそも正式名称の「東京ミッドタウン」が、六本木の施設を指している一方でシリーズ名も兼ねている、という意味不明な構造も嫌だ。日比谷のは「東京ミッドタウン日比谷」、八重洲のは「東京ミッドタウン八重洲」なのに、六本木のは「東京ミッドタウン六本木」ではなく「東京ミッドタウン」なのだ。意味不明すぎる。これって「ラフォーレ原宿松山」とか「渋谷109町田」みたいなもんだよね。あと、六本木のミッドタウンが出来てから次の日比谷ができるまで11年の空白があるのも違和感に効いていると思う。11年もの間「ミッドタウン=六本木のやつ」と認識していたのに、いきなり「日比谷にもミッドタウンが出来ました」と言われても脳が受け付けない。未だに「ミッドタウンで待ち合わせね!」と言われたら何も考えず六本木に集合してしまう気がする。
三井不動産は日比谷のミッドタウンができるタイミングで六本木のミッドタウンを「六本木ミッドタウン」などに改称して、ミッドタウンがシリーズ名であることをわかりやすく整理すべきだったと思う。こんなわかりにくい名称を巨大施設につけて回っている三井不動産は利用者や地域住民のことなんて全然考えてないんだろうなと思ってしまう。ブランディング下手すぎでは?
もう数年前になるが、婚活で男性に求めたスペックや性格等をメモ代わりに残す。
自身のスペック:20代後半、早慶以上、年収800万(順当に行って1500くらい)。容姿は数値化が難しいが、バイトでウェディングのモデルをしたり、大学祭のファッションショーに出たことがあり一般人の中ではいい方だと思われる。
恋愛:普通にモテる。ただ個別的要因というよりは、一般的に偏差値高い大学、高給の業界ほど男性が多く男女比歪なので普通の容姿で充分モテる。私はその環境で容姿が良く、しかし(アプローチしてくる)男性に対しやや高慢な態度だったので差し引き普通にモテる程度。
求める性格やスペック等は、条件同士の相性や人としての一貫性を重視した。
例えば、東大卒で高収入、は重複する人が多いので2つの条件でも東大卒の大多数は残るし正社員をプラスしても大して減らないが、東大卒で178cm以上は15%程度しかいない。
仕事に精力的で恋愛ではマメな人はそこそこいて、そこに浮気一切しないをつけるとほとんど残らないが、社交的、をつけてもあまり減らない。
高望みかどうかは条件の寡多でなく、実在する男性の寡多とその人たちとの距離で見るべきだと思う。
イケメンで高収入で積極的、は皆好きなので競争率が恐ろしく高いが、イケメンで低収入、チビハゲデブの高収入は人気がないので他の女性が嫌う要素を許容できる場合は強気の条件でも可だ。
特に出会いに消極的な男性が男性の多いコミュニティや職種にいる場合、かなりのハイスペでも自覚してない宝くじみたいなのがいて優先的に考えた。積極的に界隈から出る人の場合、婚活女性から大人気で女性にあれこれ条件を付けたり婚姻後妻を大事にしない傾向があるため。
条件を以下に記す。
・年齢±3
・身だしなみを整えてて不快にさせない顔であれば造形は問わない
・文系なら東大、理系なら旧帝以上が望ましい。飛び抜けた才能があれば学歴不問、中卒可。
・センスがいい
・(瞬発力あるか、深く潜るタイプどっちでもいいけど) 頭が悪くない
・家事全般ちゃんと出来る。妻にやってほしい場合は現在外注してる。
こんな人はムリ
・理想と現実のギャップが大きい。仕事のグチが多い人がムリ。そんな暇あったら行動すればいいのに
・成功してない(見込みもない)くせにこだわりが強い
別々に育った双子、というこの記事を読んで、亡父のこと、そしてKさんのことを思い出した。
https://courrier.jp/news/archives/314969/
目黒で生まれて目黒で育った父が、実は双子だった、という話を教えてもらったのは、私が高校生の頃だ。
親戚の法事の写真を見ていた、まだ小学生だった妹が、「あ、パパだ」と言うと、「よく似てるだろ、でも、パパじゃないんだ、パパの従兄弟なんだよ」と笑いながら父が言っていたのを覚えている。
父が住んでいた一帯の土地は、父の伯父(私からすると祖父の兄=伯祖父)が所有していた。
長兄である伯祖父は麻布に住んでおり、月に一度、地代を集めてその麻布の豪邸に持って行くのは父の姉の仕事だった。
伯祖父の家には子がおらず、末弟である私の祖父(既に4人の子持ち)に「次に生まれた子を養子にくれないか」という話をしていたらしい。
同じ顔をした赤ん坊のどちらか片方を、どういう基準で選んだのかはわからないが、Kさんは長兄の家の養子となり、父は末弟の家に残った。
正確には、養子ではない。
そのまま実子として役所に届けたらしい。
Kさんは、慶應幼稚舎から大学まで進んだ後は東京芸大に進み、その後は六本木で音楽教室を開いていた。
一方、末弟である祖父は米問屋をやっていたが、戦争で米は配給制になってしまい、商売は傾き、私が生まれた頃には既に故人だった。
父は、他の兄弟が全員大学進学したにも関わらず、高校を中退した。
家庭の事情もあったかもしれないが、そもそも学校の勉強は好きではなかったようだ。
実はこの高校中退、母との見合いの際には隠していたらしく、それなりに良心の呵責があったようで、70代になってから、酒の力を借りて(と言っても、ほぼ下戸ゆえコップ1杯のビールだが)孫たちの前でカミングアウトした。
孫たちには笑われ、唐突にそんな話を聞かされた母は呆れたという。
そんな父が、自分が双子だったと知ったきっかけは、社会人になってから少ししたある日、同僚から
と言われたことに始まる。
「君そっくりな人を知ってる」
と同僚。
そんな話を家に帰ってから母親(私の祖母)に話すと、「ああ、実はね」と、いともあっさりと、養子に出したKさんの話を教えてくれたという。
そういえば、地代を集めていた私の伯母は、「赤ちゃんが二人いたのに、一人になっちゃった、って不思議に思ってたの」と言っていた。
それ以後も、この二人はたまに法事などで会うことはあったらしい。
Kさんが真実を知ることになるのは、ずっと後、50歳になった頃だ。
それまでも寝たきりで入院していた高齢の祖母が、そろそろ危ない、という段階になった。
大学で授業を受けていた私のところにも連絡がきて、そのまま祖母の入院していた病院に向かった。
さすがに、真実を知らないとはいえ、ここはやはり教えてあげるべきなのではないか、と父も他の兄弟も考えたらしい。
だが、身長が父よりも5cm以上高い。
そんな、父のアップグレード版みたいな人が、私に敬語で話しかけてくる。
これは母も同じことを言っていたのだが、人が発する気配のようなものが、父と同じだった。
誰かが自分の後ろに立っていて、だけど姿が見えないので誰なのかはわからない、でも気配でそれが家族の誰だかわかる、ということがあるけれど、その気配が全く同じだった。
あまり科学的ではない気もするのだが、実際に多くの親族が出入りする状況で、それを何度も感じていた。
父もKさんも故人となってしまい、私自身も歳をとってきて、どこかにこの話を書いておこう、と件の記事を読んでふと思い立って、昼休みにこうして書いてる。
書いてみると、他にもいろんなことが思い出されてくる。
その後、年賀状のやりとりくらいをする間柄になったKさんが、実はある新興宗教の幹部になっていたとか、そういう話まで思い出しちゃったけど、それは書かないでおく。
【2023/02/03 追記】
「文中の「叔父」だけ「伯祖父(父の伯父)」に校正したくなる」
80代後半の母に確認したところ、「新興宗教の幹部」というのは私の勘違いで、正確には「多額のお布施をしているVIP信者」でした。
昭和になってから立宗された仏教系の教団で、Wikipediaを読む限りでは特に社会的な問題は起こしていないようです。
その後、父の姉(私の伯母)がKさんに誘われて断り切れず入信するも、もともと人嫌いの傾向があった人だったこともあり、集いに出るのが負担になって抜けてしまいました。
父は絵が上手だったり、特に習ったこともないのに自己流でピアノやギターが弾けたり歌がとても上手かったりと、なかなか器用な人でした。
社会人になりたての頃、落ちはしたもののレコード歌手のオーディションを受けたこともあったようで、それはもしかしたら、Kさんの事を意識していたのかもしれません。
そういえば、勉強に関しては殆ど何も言わなかった父でしたが、私が高校受験の頃、「どうやらお父さんは慶應に行ってほしいみたい」と母から聞いた記憶があります。
付属高校の一次試験は通っていましたが、二次試験の日程が第一志望校と重なっていたので、残念ながら結果としては父の願いをスルーした事になります。
戦後、祖父の長兄が亡くなってしまうと、目黒の土地を売ってほしいと申し出があり、世間知らずだった未亡人は言い値で売ってしまったそうです。
その申し出をした人が、私が住んでいた頃の地主です。
平成になった頃、借地権の更新料として数千万円を提示され、既にリタイヤしていた父は契約を更新することなく、週末に暮らしていた東北の別宅に移り住んで、晩年はそこで趣味の家庭菜園をしながら穏やかに過ごしました。
父の弟が私と彼を見て「似てないね」と言い、いや、それを言うなら叔父さん、あなたの息子と私だって全然似てませんよ、とその時には思いましたが、今の私はだいぶ父に似てきたので、もしかしたら今の私たちは当時よりは似てきているかもしれません。
ほんの少し運命が違っていたら、私も悠々自適な立場になっていたのだろうか、ふとそんなことを思ったりもしました。
父は何というか、少し浮世離れしたところのある無邪気な妖精というか森の小人というか、そんな不思議な雰囲気の人でした。
サラリーマンとしてはあまり優秀ではない、というか微妙なところのある人だった、というのは、私自身が社会人になってから知りました。
ただ、その人柄ゆえか、働いていた小さな会社の代表にはとても良くしてもらっていたようで、目黒の家を引き払う時に出てきた昔の源泉徴収票を見てその金額に驚いたことがあります。
こうして書いてみると、それをきっかけに忘れかけていた様々を思い出すもので、また機会があれば書いてみよう、という気になりました。
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
こういう奴って
「六本木周辺にある駐日ロシア大使館に向かう客からの問い合わせ減少」
ってのが主因だと記事内に書いてあるのにそれは読まないんだよな
記者が、ほんとにそれだけが理由なんですかあああああ~?としつこく聞いて「不快だという客の声もあったから」ってのを聞き出して
私は医者じゃないです。
何人かの医者の内情を知っている者です
●東京で発熱外来をコロナ初期からやっている先生は所得は1億円に到達した。
もともと人気の内科の先生なので、グーグルで見るとこの先生じゃないとって書いてる人がちらほら。
ただこの先生は過労死するんじゃないかってくらい働いてるので、所得1億円でも納得できる。
お金はすごく余ってて毎年車を買い替えてる。ひとり息子は私立大学生で、医学部ではなかった。ゴルフ部に入ってる。医者の息子ゴルフ部に入りがち
●同じくコロナ初期から発熱外来やってる先生。こっちはそこまでじゃなくて所得5000万円くらい。
まあ1億円の先生と比べると所得5000万円くらいの働き方って感じがします。
この先生も若くて親しみやすくてグーグル評価も良いです。私も好きです
息子は二人いるけどそんなに近況を知らないです。私立中高ではあった
●同じくコロナ初期から発熱外来やってる先生。グーグル評価は良いけど話すと選民思想が見え隠れしている。(稼いでるやつが偉い的な)
この人は医療法人なので役員報酬で3000万円もらってるけど、法人を私物化してて法人のお金を引き出してしまう。
●横浜でやってる年配の先生。売上はそこそこ、そんなに忙しくなさそう。所得は2000万円くらい。
まあ60超えてるからゆるーくやってるのかも。
売上どんどん落ちてる。去年所得1000万円を割った。先生は悪くないんだけど受付の人が怖い。
受付で追い返してるのか?やる気がないのか?わかりません。
去年の夏にコロナにかかってしまったけど復活したので良かった。
所得は3500万円くらい。
奥さんは元キャビンアテンダントという話は聞きました
息子何浪かしたあと医学部に入ったが、医師国家試験に落ちてしまったらしい…
だんだん適当になってしまったが、ひとくちに内科医といっても所得に差がありますということをお伝えしたかった。
フェイクはないです。
やる気がなくても所得2000万円はかたいです
書かないことも多いんだとか
——それから実際の撮影ですけど、絵コンテを描くんですか? なんか演出というと絵コンテをイメージするんですけど。
テレビドラマではほとんど描きませんね。タイトルバックぐらいでしょうか。ドラマだと予算・時間の制約が多くて絵コンテを描いてもその通りにはとれないことが多いんです。日本映画でも少ないと思います。ドラマでは絵コンテの代わりに台本の空いたところにカット割りを書き込みます。
「絵コンテを描いてもその通りにはとれない」は六本木クラス見てると痛感する。元ネタのカットと並べると雲泥の差。でも制作者がそれに気が付かないわけはないので、まあいろいろあるんだろう
経済的な原因で結婚できない、とか言ってる人は割といるし、そういう人がいるのも事実だとは思うけれど
そんな悲劇的なことではなくてただただ結婚って難易度むちゃくちゃ高くない?
っていうパターンで9割ぐらい占めそうだけど
そもそも高校・大学で付き合ってなかったり就職を機に上京とかしたら絶望的
18年とか22年積み上げてきたステータスをリセットしてアシスト無しで再プレイするゲームって感じ
クエストこなさないとゲームオーバーになるのにサブクエストなんてやってられないよね
冷静に考えると終業後とか土日とか時間的にはあるんだけど疲れててそれどころじゃない
婚活サイトに登録してもベヒーモス的なモンスターに強制エンカウントさせられて
宝箱だと思って開けたらミミックでした!みたいなのもそれなりにある
その点、昔のお見合いなんかはスーツ着て会えば良いだけだったんだろうな、と思うとEASYモードだろうな
そもそも紹介者がキチンと宝箱開けてくれるからミミック居ないだろうし(想像だけど)
結婚にとって経済事情なんてのはパラメータの一つに過ぎなくて、そもそもゲーム設計として難しすぎでは?
普通チュートリアルから始めて難易度低いクエストをこなしつつスキルアップして戦略練ってからボス戦行くよね
とかの案内とか