はてなキーワード: レズとは
私は処女のままでいたほうがいいと思うしどうしてもセックスしたいなら同性がマジおすすめ何故かというと私は小学生の頃に友人の兄に陰部をいじくり回されてクソ痛くて怖い目に遭わされて以来メンがヘラって以来左手首ズタズタにしちゃったりしてずっと男性が怖いんだけど中学のときネットで知り合った7歳年上のお姉さんに3年間徹底的に調教されて女同士のセックスの快感を骨の髄まで教え込まれて高校の頃にはズタズタ左手首によしよししてくれて優しくハグしてくれた同じ部活の女神みたいなクッソ可愛い女の子にガチ恋して片思いのまま10年引きずってるので貴女もレズセックスに目覚めて同じ目に遭えばいいと思うよ
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私はレズだ。自分がレズだということは小学生の時から薄々気がついていて、何年もかけて咀嚼して受け入れてきた。今更そのことを常時悲観して過ごしているなんてことはない。
冒頭にこのような文を置いたのはこの話に欠かせないことだからで、決してマイノリティであるということを見せびらかしたい(?)訳ではないということをご理解いただきたい。
年齢は伏せるが、私は今実家を出て一人暮らしをしている。家族との関係は悪くはないが、とても仲がいいという程でもなく、実家の猫の様子を見せてもらうために定期的に通話をするくらいの関係で落ち着いている。先日その通話で、祖母が心臓病らしいということを告げられた。手術をすればまだ生きていられるとか、祖母はそういう状態になっていたらしい。私は自分から祖母と連絡を取ろうとしていなかったため、そのことを全く知らなかった。親が祖母の病気を知らせてきたのは、きっと私から祖母に連絡をし、元気付けて欲しいという意図が込められていたのだと思う。しかし、私はまだ祖母に連絡を取ることができていない。
私が幼い時、私と祖母との関係は良好だった。祖母は私のことを可愛がってくれ、遊びに来るたびに色々なところへ連れてってくれたし、小学校の運動会も毎年見にきてくれていた。私ももちろん祖母のことが好きであり、祖母が帰ろうとするたびに駄々をこねたりもしていた。
しかし、自分がレズであるということに気がつき、1番そのことに悩んでいた中学生の時だった。その日も数ヶ月に一度祖母が遊びに来る日だった。祖母がテレビをつけると、NHKだったか、当時はそれほど取り上げられることのなかった性的マイノリティの特集がやっていた。そこではレズビアンのカップルのインタビューが放映されていた。私はその番組が見たかった。自分が将来なるかもしれない姿だったからだ。だが、それを見て、祖母は「気持ち悪い」と言った。衝撃だった。自分を愛してくれていると思っていた祖母が、自分の持つ属性を全否定したのだから当然だと思う。当時の私はその出来事にひどく傷つき、そこから私は段々祖母のことを避けるようになった。勉強で忙しいから、とか理由をつけて祖母が来ても部屋に篭ったり、一人暮らしを始めてからはバイトを理由に祖母の家への帰省を断ったりしていた。そうして祖母との関わりが薄くなった今、病気のことを知ったのだ。
祖母は古い時代の人間だからそういう価値観が染みついているということは理解できる。私のような性的マイノリティに気持ち悪いという感情を持つ方は他にもいると思うし、そのこと自体を否定はしない。祖母もまさか目の前にいる孫がレズだとは思いもせずその言葉を言ったはずだ。理解もしているし、仕方のないことだとは思う。
ただ、思うのだ。もし私がレズだと祖母に言っていたら、祖母は私を同じように扱っていただろうか。祖母自身が気持ち悪いと言った属性を持つ私を前に、祖母はどう振る舞うのだろうか。祖母のことは好きだ。ただ結局私はあの言葉からずっと、祖母にとって自分は受け入れられない人間だということに傷ついているのだと思う。
これは香ばしい。釣りではないとしたら、「無意識的に根拠のない自信があり、自分のやることすべてに見返りを求めている」という印象を受ける。
「待ち合わせで私は20分近く前について待機しているのに相手の男が時間ギリギリ3分前とかに来た」とか、自分がわざわざ速く来たのに相手が遅れてきたことが許せないようにしか見えない。
「大切にしてきた友達の間ですら私が問題児扱いされている事を知って、改めて愕然してしまった…」とか、普段から友人に意識的に扱いに差をつけており、その扱いをしているのに問題児扱いが気に食わないのでは?
「同年代の親戚や私の友人達は二人を除いて皆結婚し、子供がいる人もいます。その内二人は、凄いオタクで私みたいな非モテでオタ活が生きがいの子(Tちゃん)と、実はレズっぽいUさんぐらいです。私は恋愛に関して何の障害も無いのに非モテだし、実際活動もしているのに恋愛も結婚出来ておらず、親からは呆れられています。」
これが一番ひどい。最初自分をHSPアラサーデブスといっているのに、恋愛に関して何の障害もないとか言い出し、「なぜあんなダメな奴らは結婚出来て私はできないんだ?」と言い出すあたり、普段から友人をそういった蔑みの目で見ているのことがよく分かる。
まあ「明らかに元増田が悪いことやってる」と分かる記述を複数行っているから、おそらく釣りだとは思う。
というか釣りであってほしい・
典型的なデブスの非モテのままアラサーになってしまい、このままではいけないと婚活を始めた。
しかし今まで何人かの人と縁があったけどいずれも長続きせず短期間で終わってしまっている…
始めは経験が無いせいで慣れが足りてないのかも…と思っていたけど、実はそうでは無かった。
ちょっと会話のテンポが合わないとか、無言の時間が続いてたのは分かるけど、歩き方とか、話し方、
些細なポイントや、食事に入って私はちょっと高めのセットを頼んでいるのに相手は安いセットで済ませてしまうとか…
そういう、他人や友達からしたら「初対面ではありがちな事」「普通はあまり気にしないし、すぐ慣れる様な所」が気になって
相手の男に対してちょっと好きかも…とか、良い人かも…と思っていた気持ちが冷めてしまって、そうなるとすぐに「つまらない男」とか「キモイ」って思ってしまう。
元々のコミュ障とかビビリ癖もあって、相手にお断りして怒られるのが怖くて、ついブロックで逃げてしまう癖もあって本当に長続きしなかった…
最短はお付き合いして2時間とかだと思う。
告白されて承諾して帰ってる時のラインの返事がちょっと遅いとか、スタンプがデフォルトのヤツでうーん…ってなって
もしかしたらこの人は私にあまり興味が無いんじゃないか、付き合えそうなデブスだから告白したんじゃないかって思うとすっかり嫌になってしまった。
始めはマッチングアプリや婚活パーティーだったけど、親の勧めもありお金も出して貰って結婚相談所に入会した。
同い年ぐらいなのに年収が800万とか1000万あって、顔も悪くなくて長男だとか身長170cmギリな所が玉に瑕みたいな
私とはとても釣り合わない様な人達だったけど、そこでも似たような事をしてしまった…
担当の人にも変に断ると怒られるんじゃないか、って思うと怖くて、つい色々嘘をついていたんだけど
ある時連絡があって、相手の方からもお話を聞いた所、あなたの方から急に連絡をブロックされたと聞いた、特に失礼な事をした覚えも無く
私が言っていた様な事(セックスを誘ってきたとか)も一切無いと言っている、一度や二度では無いのであなたの方を疑わざるをえないって
説教というより「なんでこんな事したの?」という嘆きみたいな、すごくガッカリされた様な対応されて…
自分が悪いのに凄く傷ついてしまって、相談所も逃げる様に辞めた。
そこでカウンセリングなんかも言って、そこで始めて自分は人より感情が敏感で傷つきやすい、HSPだと言うことを知った……
親にも滅茶苦茶怒られてしばらく居心地悪かったんだけど、そうしている間にもどんどん適齢期が過ぎていくのは怖かった。
私は今でも一応正社員だけど全然大した年収じゃないし、友人と比べても明らかに低くて恥ずかしいぐらいしか貰えてない。
一人で生きていくのはとても厳しいし、親からの当たりも悪くなっていく一方でますます病みそうだったので
恥を忍んで友達に頼んで友達の会社の同僚や男友達を紹介して貰ったりした。
今度こそ、って思ったけど、やっぱり駄目で…
多分一般人からしたら気にならない様な所、それこそ待ち合わせで私は20分近く前について待機しているのに相手の男が時間ギリギリ3分前とかに来た
とかで「ああ、この人は本気じゃ無いんだろうな…」って一度思うと、どんどん気が重くなってしまい、傷つくのも怖くて逃げてしまう。
そんな事をしていたら、ある日紹介をしてくれていた友人の一人に呼び出された。
彼女(Hちゃん)によると、私がやっているのは物凄く失礼な事だと言う。
「私ちゃんの為を思って、ちゃんとした良い人を紹介したのに、デートの約束してたのにドタキャンしてブロックとか、連絡もしないでブロックとか、ありえない」
「社会人としてありえない」「私達との約束は特に破るとか無いのにどうして男相手だと平気で失礼な事をするの?」
「変な人を紹介したのなら仕方無いけどそんな事はしていない、私ちゃんがブロックした人の中には次に紹介した子とすぐに付き合って結婚した人もいる」
「お店も予約してたのに何の連絡も無くブロックされたと言っていた。表立っては怒ってないけど内心どう思われているか分かったもんじゃない
会社の同僚とか旦那の友人とかを紹介したのに、そんな人達に不義理をしてしまって私が凄く申し訳ない事をしてしまったと後悔した」
「旦那にはハッキリと文句を言われた。こっちだって良い奴だけど中々縁がないって友人を紹介したのに、凄い傷ついている。
君の大切な友人だからと信用したけど裏切られた気分だ、って言われて夫婦の仲もしばらくギクシャクしていた」
「何であんな事をしたの?気持ちが無いのは仕方無いけどせめてちゃんと断って」
と言われ、私はHSPである事をCOしつつ「気持ちが冷めてしまって…」という事を正直に打ち明けると
「だからそれは仕方ないけど何で逃げる様な事をするの?私やTの紹介って事分かってるよね?見ず知らずの相手じゃ無いんだよ?」と言われ
「けれど怖かった、断って逆ギレされるかもと思ったら逃げてしまった」と言うと
「そりゃあんな酷いフリ方したら怒られても仕方無いでしょ。もう良い歳なのにガキみたいな事しないで欲しいんだけど」と軽くキレられた。
私は涙目に……
Hちゃんは慰めてはくれたけど、「やっぱりもう紹介出来ない。正直私ちゃんでも良いって人は多くないと思う。
それでも学生の頃からの付き合いのよしみで頑張ってきたけど、こんな失礼する様ではもう無理。絶対に無理」
「正直友達付き合いも控えたいとすら思っている」って怒られて、ついに泣いてしまった。
その後、何度も謝って友達付き合いは一応止めない、って事にはなったけど、男の紹介は二度と出来無いって言われた。
Hちゃんが言っていたTちゃんや、別の友達(Mぴ)も滅茶苦茶怒ってて代表して言いに来た、って言われて、大切にしてきた友達の間ですら
私が問題児扱いされている事を知って、改めて愕然してしまった…
「私達とは普通なのに、どうして男性相手だとこうも失礼なのか意味が分からない」というラインも、Tちゃんから話を聞いたKちゃんからも来て
その日はさすがに泣いてしまった…
ちょっとした事ですぐに冷めてしまう。理不尽冷めとも言われている様だ。
そこに私の場合はHSPも余計に加わったんだろうなって変に納得…多分他の人も同じ様な理由なのかもしれない。
もうアラフォーに近いアラサーで、親にも友達にもそういう面では見捨てられている。
改めて相談所とか、マッチングアプリでなんとかするしか無いんだけど、正直このままでは同じ事を繰り返してしまうと思う…
つい最近も、マッチングした人と当日にデート行く前に気持ちが無くなってしまい、ブロックしてしまった。
また繰り返している……もう嫌だ……自分でも駄目だも思っているのにやってしまう……
HSPだから自己嫌悪で更に傷ついてメンヘラになりそうで本当に嫌になる。
私はどうしたら良いんだろう…夜も眠れなくなってしまって……
文章越しだとなんとか耐えられるけど、実際に直接言われたら号泣してると思う…一部の厳しいコメントを読んで実際泣いてしまいました…
今ちょっと冷静じゃないかもです、感情的になっていたらごめんなさい…
回避性パーソナリティ障害では無いか?という指摘がありましたけど、その通りだと思います。
HSPは併発する事が多いと記事を読んだ事もあり、特徴も当てはまる所が多く、本当に生き辛さを感じています。
また非モテなので結婚よりは、まず素敵な恋愛をしてみたいという思いが強いのかもしれません。
人より理想的で、HSPもあって自分の理想からちょっとでも外れると、蛙化現象が起きて嫌になってしまうのでは無いかと…
紹介してくれた友人達には失礼をしてしまって本当申し訳ないって思っています。
書かなかったけど実は上記の件で絶縁された先輩の友人(Nさん)もいました……ラインも電話もブロックされて謝る事すら出来ません…
親の影響は大きいと思います。結婚相談所の一件もあり、それ以来ギクシャクしています。
同年代の親戚や私の友人達は二人を除いて皆結婚し、子供がいる人もいます。
その内二人は、凄いオタクで私みたいな非モテでオタ活が生きがいの子(Tちゃん)と、実はレズっぽいUさんぐらいです。
私は恋愛に関して何の障害も無いのに非モテだし、実際活動もしているのに恋愛も結婚出来ておらず、親からは呆れられています。
仕事も一人暮らしするのも厳しいぐらいの年収しか無く、キャリアウーマンになる能力もありません。
このままいくと未来が暗く孤独なので、ちゃんとした恋愛と結婚をして一人前になりたいというのが本音にはなります。
HSPなので過剰反応もしてしまっているけど、一つ言い訳させて下さい。実際に怖い思いも経験しています。
相談所で活動していた時、色々と嫌になり冷めてしまって断った相手から、相手の担当者経由でクレームというか説明要求がありました。
「私さんの誕生日が近いという事だったので、プレゼントも用意していたし店も予約していた。それをドタキャンされて交際終了となった。
理由は価値観が合わないから、と連絡があったが直前のデートでは楽しそうだったし結婚にも前向きな印象だった。納得出来ない部分がある。
こちらとしても何か無意識でしてしまっている落ち度があったのなら教えて欲しい」と聞かれ、答えに困り返事が出来ていなかったら、再度相手の担当者から
何度か催促があり、ますます答えられなくなってしまいました。連絡があると思うと怖くて泣いてしまう様にもなりました。
今思うとHSPと回避性パーソナリティ障害が同時に発動していたのかもしれません…
(普段は正直者なのに変な所で変な嘘をついてしまうのも、特徴らしいです…もろですね…)
実はその時にセックスを要求された、などとつい嘘をついてしまいました。体を触られた、とかも言ってしまったかもしれません。(すみません、正直記憶が曖昧で、とにかく早く終わらせたかった事は覚えています)
すると連絡はやっと収まったのですが、それと同じ事をまた二回続けてやってしまい、担当者の人に不信がられて、忠告されて嫌になって相談所を辞めました…
親がお金を出していたのもあり、母親が後で理由を聞きに行ったそうです。何か婚活で嫌な事があったんじゃないかと。実際に落ち込んで仕事も休みがちだったので。
話を聞いて帰った母はとても怒っていました。「恥ずかしい、良い歳してありえない!」って喧嘩になって…それ以来ギクシャクです。食事中の会話もあまりありません。
父は元々無口なので食事が楽しくなく、最近は自分でご飯を買って食べています。ますます貯金が出来なくなる…
婚活で私みたいな悩みを抱えていたり同じ様な事をしている人は多いと言います。
女性にはありがちな事ではあると思いつつ、私の場合はHSPが原因で強く出てしまっています。
自分でも蛙化現象が起きてしまうのは嫌なんです、それだけは分かって下さい…
こういう所を理解してくれる男がいたら、結婚出来るのかもしれませんが、友人からはまず自分を変えろと言われてしまいました。
それが出来たら苦労しない…
HSPの理解が浸透して欲しいです。悪気があってやっている訳では無くて、それだけは分かって欲しい…
追記2:HSPの蛙化さんに異性を紹介した友人側の話だけど 、を読みました。
そうなんですよね、一旦ネガティブな事に目が行ってしまうと、どんどんネガティブな発想だけで頭が埋まってしまって…
私も増田さんの友達同様、友人達に迷惑をかけてしまったと後悔しています…
一つだけ言い訳させて貰うと、私もブロックしてしまった人達に対し、罪悪感が無いとか申し訳無いという思いが無い訳ではありません。寧ろ強いです。
そこは完全な誤解なんだけど、コメントでは決めつけられて辛かったです…
HSPの特性として、怒られる事に対し凄い恐怖があります。私の場合は回避性パーソナリティ障害も余計にあるのだと思います。
特に、女性なので男に逆ギレされて怒られて暴力を振るわれるかも…って思ってしまう恐怖があります。
その場合、HSPもあって連絡を取る事すら困難になってしまい、直接謝るの自体が難しいです。
女性であれば多かれ少なかれあると思いますが、HSPと回避性パーソナリティ障害で更に強くなっていると思います。
シャットアウトするのは失礼だし申し訳無いと思いつつ、やってしまう、というのが現状です。
HSPが中々理解されないのはそこなんでしょうね…悪気があってやっている様に思われてしまう…
罪悪感が無いというのはさすがにちょっと酷い、想像力や配慮に欠けるコメントだなって思いました。(ああいった想像力が無いコメントをするのは大半が男なんでしょうけど…)
やりたくないのにやってしまう、というのが人間なら多少あると思いますが、HSPの場合はそれが出やすいのでしょう。
私も増田さんの友人と同じく、周囲の付き合いのある人達からは、真面目で気遣いの出来る、ちゃんとした人だと思われていました。
だからこそ余計にギャップで裏切られた気分になった、と思われたのだと思います…
HSPをCOしたHちゃんやTちゃんも、始めは中々私がHSPである事を信用しては貰えませんでした。
NさんにもHちゃんから説明があったけど、それでも嘘つき扱いされ「始めからその気が無いなら紹介してとか言わないで欲しかった、障害のせいとか言うけど全く信じられない」
と言っていたそうです…私は障害のせいにしたつもりは無いけど、そう受け取られるのが何よりも悲しかった…
「トイレや水回りの使い方が汚すぎる、何とかしろ」と。ごめんと謝って、でもつい悪気は無い最近ストレスが溜まってと言い訳をしてしまい、更に呆れられてしまいました。
良い歳してそんな事で怒られる惨めさ、それでも一人暮らしなんて出来ない収入しか無いから実家に居続けるしか無いストレス…
仕事だって最近は休みがちで、割とキツめに注意されています。これ以上休むなら次は無いよと警告もされています。
私には何も無い…HSPじゃ無かったら、もうちょっと生きやすかったのかな?
仕事か、結婚か、せめてどちらか一つ出来ていたのかもしれない…そう思うと悲しくて泣いてしまいます…
ここの所ずっと夜は泣いてばかりです…それでもこんな私を慰めてくれる優しいコメントがいくつかあったのが、不幸中の幸いです……
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私は来年東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。
3ヶ月前から回文増田の中で盛り上がりを見せている「ヤッホー」とそのブームについて、少しだけまとめておこうと思う。
初出は2023年2月22日の『印刷山脈にヤッホーと叫ぶ増田スマ武家サトーホッや肉ゃ眠冊三位(回文)』でありタイトルにもなっている。
ヤッホーがどういうものかは、実際の用例を見た方が理解が早い。
骨子の部分は「ヤッホー」よりも正確には「○○山脈にヤッホー!と叫ぶ(叫びたい)」だと思われる。
その大きな特徴は「山脈」という語を修飾する○○の節が非常に長い点にある。
そもそもヤッホーの部分が無くても文が成立するパターンが多い。
意味としては、英語で言うと I think that ○○ あるいは it means that ○○ に近いと思われるが、意外とそう単純ではない。
3月中旬までは一つの日記に複数の山脈が含まれるほどのヤッホーブームだったが、だんだん控えめになり、現在では一つの日記で最大一個の山脈にまで落ち着いている。
結局性欲の強さは男女でも関係ないんやろうな。
性的志向と性欲の強さに相関があったらバイの男なんて殲滅対象でしょ。
問題は男の「力が強い」という性質が被害者の抵抗を乗り越えてくることであって、一般男性のゲイへの嫌悪は女性のキモいおっさんへの抵抗感と同列なわけよ。
一般男性のみなさんはレズもトランス男性も「ふーん」って感じで興味なくて、差別環状はゲイにしか湧かないんじゃないかなと。
だからLGBTQって括っても上の世代にはハッテン場の熊五郎みたいなイメージが染み付いてるし、劇作とかでもゲイの道ならぬ恋の抑制と反動としてのドロドロの執着を描かれることが多いので、ゲイへの嫌悪感が第一印象になっちゃうんだろうなと。
被害者も「力で負けた」っていう男の価値観の根幹を揺るがされるレッテルが貼られちゃうので、ゲイ加害はほんとうにあらゆる方向に最悪の影響を出すから困るわ。
横だけど
これはそこそこいいとこついてるとおもうな
ただ、まだまだそれは陽キャの声なんだよ
(労働という意味ではなくても、いつもおどおどとおびえて、気をつかわせられていた)ため、
実の親や実の兄弟なのに、殴られた痛み、気にかけてくれなかった憎しみしか残ってない。
もう家族の世話なんて一秒もみたくない、自分自身だけを(生活保護で)やしなっていれば<<<しあわせだ>>>」
という声だな。
この増田的に表現したら身近な先輩ゲームプレイヤーに強い恨みがあるからゲームも憎い、かな。
もう一つは「勉強して専門職になれたけど仕事が忙しすぎる」もある。
つっこまれているパパ増田みたいに仕事以外のすべてを家庭に捧げても、
男性とかよくできてない女性とかがつれあいじゃ子供には全然たりないんだ。
よくできた女性をみつけたからどこかで種だけしこんでレズ婚したいという人ならいる。
で、下方婚したい人もたくさんいるのにできない。
まあ、オレもつっこまれパパ増田みたいなやつしってるんだけど、奥さんよくできてるけど旦那さん研究医だったからなぁ。
(開業医と違って)貧しいといっても