はてなキーワード: 洪水とは
ウチの職場の事例をご紹介。
【人数の決め方】県庁全体のノルマ→部のノルマ→課のノルマの順に決めているっぽい
【具体的な人選】その他の臨時動員(新型コロナ、鳥インフル、豚熱、一斉清掃、中規模洪水の後始末など)のノルマ含め、係ごとに順繰り。能力とかは無視、家族の事情とその人が抜けて職場が回るかどうかで決める。
【個人的な感想】一年ならともかく一週間では代替人員の補充は絶対望めない。よって、防災とか土木ならエース級派遣もいいんだろうけど、その他の部署に取っては単純な戦力ダウンなので、エース級派遣なんてとんでもないと思う。常に人が足りてなくカツカツで回しているので、その「回している人」が抜けたら職場にかかる負荷がとんでもない。誰もその人の代わりができないし、その一週間の間にも常に何かしら外部からアレをやれコレをやれが来るのに対応できない。
まあ、ウチの職場が属人的すぎるのかも。一方、流石に明白な問題職員は送れない。そういった消去法で決まっていると思う。
【結論】防災・土木等関係部署→エース〜そこそこ、それ以外→中の中〜下の上
【補足】他の県の状況を付記すると、兵庫はバチバチに気合が入ってて、大阪東京もまあまあ、その他の県はお付き合い程度、なんじゃないかな。
現世の天下の民が困窮しているようでは、この国は滅びてしまう。政治を担うには相応しい器ではない小人どもに国を治めさせておけば、災害が次々と生じてしまうと、昔の聖人は、後世の人々に強く言い残している。
徳川家康公も「善い政治とは、身寄りもない人たちに対して、もっとも深い哀れみを掛けてあげることだ」と言われた。
ところがどうか?
これまでの240~50年もの間、戦乱はなかった。しかし、社会の上層部の者たちは、贅沢の限りを尽くすようになってしまった。
大事な政策を担う役人たちは、公然と賄賂を贈ったり、賄賂を受け取ったりしている。
そのくせ、自分たちが支配している民、百姓たちからは、重い税を取り立てている。
ただでさえ、重い年貢や賦役に苦しんできた多くの人々は、このような無体な強要に追いまくられ、出費がかさみ、貧困に苦しめられるようになってしまった。
民の恨みに呼応して、天も怒っている。
近年、地震、火災、山崩れ、洪水等々の自然災害が頻発するようになった。
そして、ついに、食糧危機までもが発生してしまった。 これぞ、天が下している深い戒めである。
ところが、上層部は、この天の戒めの意味に気付いていない。器が小さく奸計ばかりをめぐらす輩たちが政治を牛耳っている。
下々の民を彼らは悩ませ、米や金銭を取り立てることばかりに熱中している。
目の前で起こっている天災や天罰を見ても畏れ入ることもなく、餓死寸前の貧民や乞食を救おうともせず、山海の珍味を食し、妾宅に入り浸たり、揚屋や茶屋に高位の武家の家来たちを招待して、高価な酒を湯水のごとく飲んでいる。
多くの人々が難渋しているのに、絹の着物を着て、芝居の役者や芸子たちを引き連れて、世の中が平穏であるかのように、つまり、危機状態にあることを知らぬげに、歓楽にふけっている。
なんたることか。
これでは、昔、紂王が連夜、酒宴を催していたという故事そのものではないか。
いま、奉行や役人たちが緊急に取り組まなくてはならない事態は、自分たちならできる政治力でもって、これら不届きな輩を取締り、下々の庶民を救うべきではないのか。
彼らは、それができなくて、堂島での相場にのめり込み、録をかすめ取ることばかりしている。
このような役人や商人たちの所業は、天道や聖人の御心に叶うはずはなく、天は、許してくれないだろう。
いままで、じっと我慢していた私たちは、もはや我慢することに耐えられなくなった。
私たちには、湯王や武王の威勢はなく、孔孟の人徳もないが、天下のために、親類縁者に被害が及ぶことも厭わず、この度、有志で話し合って蜂起した。
そして、彼らが隠し持っている金銀銅貨、あちこちの蔵屋敷に保管されている扶持米を運び出して、人々に配る。
時代が進むにつれ、人間の欲望が透けて見えるようになった。技術の進歩は情報を容易にし、安価にしたが、それは同時に人間性の浅はかさを露呈することとなった。SNSやAIは、私たちに自己の知らない側面を見せ、それが人生の空疎さを感じさせる原因となっている。かつては感じることのなかった人生の「くだらなさ」が、今では我々の日常となっている。
この情報の洪水は、ただ溺れさせるだけで、生きる意味を見つけ出す助けにはならない。日々は終わりのない暇つぶしと化し、その認識自体がさらなる絶望を呼び込む。特に若者たちは、この厳しい現実に直面し、生きることへの絶望を深めている。彼らは情報に囲まれて育ち、人生をどう過ごすかという問いに対して、絶望的な答えを見出している。
しかし、「絶望(笑)真実(笑)答えは見つからない(笑)」と揶揄されるかもしれないこの感情は、ある意味で青春の一部分。SNSのつながりが浅いと感じたり、AIによる情報フィルタリングが孤独を深めたりする今日でも、このすべてを高校生のような激情で受け止めるのは、人間らしさの証かもしれない。
技術の進化がもたらす孤独や絶望の感覚は、確かに現代病の一つと言えるだろう。しかし、そのすべてを単なる「高二病」と片付けるのは早計かもしれない。この挑戦と葛藤の中で、私たちは自己を探求し、人生の意味を模索する。未来への希望が見えないとしても、その探求自体が価値ある旅となる。人生の「くだらなさ」に直面しながらも、それを乗り越えようとする努力は、決して無駄ではない。
結局のところ、このすべてが人間の複雑さと美しさを物語っている。技術が進んでも、人間が抱える基本的な問題や感情は変わらず、それをどう受け止め、どう生きるかが問われている。絶望や孤独を感じること自体が、生きている証拠であり、それを笑い飛ばすこともまた、生きる術の一つかもしれない。
ここ数日ネットで話題になっていた騒動が全く想像もしていなかった、そして全く救いのない展開を迎えて衝撃を受けている。原作もドラマも触れてこなかった私でも、悲劇の一報を聞いた時にはあまりのショックに吐きそうになった。SNSでは「犯人捜しや特定の個人を吊るし上げることは絶対にダメだ」という意見が散見され、私もそれに全面的に同意する。しかし今思うのは、私自身今回の悲劇を招いた゛一滴”になっていなかったか、ということである。
木村花さんやりゅうちぇるさんが自死を選んだ時、私は執拗な誹謗中傷を行い続けた連中に心底憤った。しかし今回の件は誹謗中傷のターゲットにされた人物ではなく、構図的には被害者で、外野から多数の支持を得ていた形になっていた人物が自ら命を絶ってしまった。ここからはあくまで憶測になるが、騒動があまりに大きくなりすぎて自責の念を感じてしまったのではないかと思う。テレビ局や特定の個人へ向かう誹謗中傷の規模や熱量のすさまじさを目の当たりにして(重ねて申し上げるが憶測でしかない)。
ここまで考えて「SNSを利用している私にも責任の一端があるかもしれない」と思った。私は今回の騒動の関係者に誹謗中傷やクソリプを送ったことはない。しかし、騒動の顛末をわかりやすく説明するツイートをRTし、いいねもした。この行為が騒動を大きくする一滴だったのではないかと思う。ネットの炎上を洪水と表現すれば、川から溢れた水があらゆるものを飲みこんで破壊していくその過程で、私のRT、いいねが一滴として貢献した気がしてならない。
SNSが人の命を残酷に奪い続けている。これまではあくまでそれに怒る側としての自分しか自覚していなかった。自分は誹謗中傷を行ったりしないし、クソリプを送り付けることもない。しかし今回の件は違う。騒動が大きくなりすぎたことが1人の人間を追い込んだのだとすれば、私は知らず知らずのうちのそこに加担したことになる。
本当に炎上で亡くなる方が出るのは胸が痛い
メディアスクラムってあるじゃないですか
マスコミがこぞって取材に押しかけて、取材対象をめちゃくちゃにするやつ
アレがなぜ悪いとなったか考えてほしいんですよね
それが大群になったらそりゃ取材対象は疲弊するし擦り減るのは誰でも想像できるでしょう?
それでも「いや私には権利がある」なんて言おうものならそれは加害ですよ
一人一人からの「建設的な批判」は大群となることで洪水のようにターゲットを押し潰す
そしてそのストレスは押し潰すきっかけになった側にも及ぶわけだ
その責任をやっぱり一人一人は感じることができないようで、昔のマスコミと同じようなことを言い訳として使っている
人によっては「直接ターゲットに凸したやつが悪い、自分はこっそりやってるだけだから悪くない」って言うけどさ
君らがネットで騒いだ結果、対立煽りが大好きなPVモンスターのメディアやブロガーやYoutuberが「これはよく燃えそうだ」と騒ぎ立てるんだよ
SNSの一部のバカはともかく、知性派ぶってる奴らはせめてバランス取れよ
想像してみてほしいんだけど
1万人の衆人環視に晒されて全員から小言を言われるストレス、あるいはそれを発生させてしまった人のストレス
自分の何気なく発した「◯◯さん好きじゃない」に、全クラスメイトが同調した時の苦しさ
それが起きると発生させてしまった人にまで攻撃が来るのがわかるかな?
だからさ、詳しくもない、当事者でもない、ファンでもない、関係ないことで騒がない
煽ったマスコミにはNOを
じゃないと単なる放火魔だよ
別に誰かを叩きたいんじゃないんだろ?その界隈が良くなって欲しいんだろ?
じゃあ炎上に加担する前に1回考えてみろよ
死にたくなるかもと思ったら触れないことを心がけろ
ギリギリ気を張っている被災当事者の心を折らないためには、子供扱いしてあやすのでもなく上から従わせるのでもなく対等にフェアに扱わなければならない。
信頼できる随伴者がいるのだという、寄り添い型の支援、それが基本だっていうのは意見は理解できる。
そして今のこの発災直後1ヵ月未満というタイミングで必要なマインドだろう。
罹災証明手伝います、とか公的支援がこんなのあります~とか、支援者側が見えているものをわーわーと情報洪水で押し付ける、とか避けるべきだし
そこはそろりそろりと小出しに情報提供してみて被災者が腰を上げるかどうか様子をみるしかない。
ただ、「対等にフェアに扱わなければならない。」という、その気の使い方、その言葉の端々に、当事者から離れた立場がそもそも出発点だというジレンマもあろうね。すでに知らず知らずに上から目線がにじんでいるよね。
ただ大切だっていうのはわかるんだけど、でも長い目でみて、寄り添いってそこまで大事かな、そうかな?とおもうとこもある。どちらかというと、つかず離れずなのかな、と。
今後の人生を決めるのは支援者じゃないしね。彼らの人生の何がわかるって、結局何もわかってないところからスタートするわけじゃない。
支援者としては突き放した部分というのも重要じゃないかと思う。
よく災害復興は発災直後からスタートするっていうように、これから少しずつ復興の話をしなければならないなかで
は極論だとしても、それに幾分かでも近づくニュアンスの主張というのはどうしたって誰か彼かから出てくるもの。
そのときに、信頼関係というのがむしろ邪魔になることもあると思う。
信頼関係ができて人間関係が密になると、知らず知らずに同じ人、仲間内の人としか話をしなくなるってことがある。
話し合いの場で、いろいろな人がいろんな考えを持っている、ということを排除するムードが自然とうまれていく、といってもいいんだけど。
そとからみると、内輪で鉄壁のなわばりがつくられてしまって、はたからみて何かいいたいことがあっても声をかけにくくなってしまう。
ちょっとでも被災者の心情に傷をつけるようなことをいうと、お前は被災者に真に寄り添っていない、と断罪の目線をむけてられてしまう。
支援者同士の分裂や被災者の分断ってそういうダイナミズムで生まれることが多い気がするね。共産党的マインドっていうか。
強い信頼関係が知らず知らずに、他者との温度差にかわっていくのって案外自分では気が付きにくいもの。
連中がどんだけ何もわかってないか
恐らく敵が増えていくプロセスって自分じゃなかなか、わからないだろうな。気が付かないだろうなと思ってしまう。
それは逆に、本当にあるべき地域の姿を考えようとするときに足かせになる。
むしろその地域を全然知らないような無礼にも乱暴にもみえる支援者がわーっと闖入しては去って行ったり、そういうことが許されるような、
ゆるゆるなオープンな空間のなかで、自由な発想が開花する、ということがあるかもしれない。
それは苦労して信頼関係を築いた先行者にとっては不快な雑音かもしれないのだけれど、案外そこに突破口やら解決の糸口がみつかるってこともある。
信頼関係はもちろん大切だけれども、それと同時に、多様性を受け入れる下地を作っておくことって大事だと思うね。
言うは易しで、空気が乱れ、不協和音があることこそが強みだという、そこまで突き抜けて達観することはもちろん自分でもできないけれども。
この方を大雑把に「防災研究の第一人者」として、しかも御本人は「これから指摘することは、私の責任でもあります。」と述べているにもかかわらず見出しでは「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」とするのは、世論をミスリードしたい気持ちが見え見えで憤りを覚える。
記事を読んだとき、石川県の防災アドバイザーとしての自分自身の反省と読めたのでミスリードしているとは感じなかった。
室崎さん記事に対する一連の批判は、発災直後からの報道が、今回の地震津波の被害を想定外だとする世間の印象を色濃く反映しているように思える。
blueboy まったくトンチンカンだな。問題は初動でミスったことじゃない。初動のミスのあとで修正できなかったことだ。大量の一般車両が交通を渋滞させたのだから、車両の選別をして、渋滞を解消するべき。今も。
初動というのは、実のところ、災害時の緊急対応計画にかかれた想定シナリオ以外に動くのは難しい。発災直後の行政の状況というのは情報洪水であり、いちいち判断をしている人的・時間的な余裕はない。だからこそ計画が重要なのであり、初動は行政各部署が被害想定を部署別のタスクとして平素からいかに予習しているかにかかっているのだ。
したがって交通渋滞という点での初動のミスは、交通規制が計画にかかれていなかったことなのであって、あとで修正できたかどうかはほんとリーダーの資質によるという話でしかない。室崎さんの指摘は、現場での判断ミスではなく、計画の欠如という点にフォーカスしているということはまず抑えておきたい。そのうえで室崎さんは前例にないことが起こってしまったことに対する対処の提言をいろいろしている、というふうにみるべきじゃないかと思う。
例えば奥能登へは入らないように、としたが、石川県全体に入らないように受け止められたのではなかったか、もっと良い周知の仕方はなかったが、など。
と増田がいうように、情報発信に問題があったという指摘は重要だ。
石川県は能登方面への不要不急の移動は控えてといっているし、個人からの支援物資は、受け付けないといっているし、不通や片交だらけの道路で緊急車両の邪魔になるとわかって、一般車両の通行禁止が始まった、みたいなニュースもみる。こんな形で「やれないこと」ばかりを伝え、やれることを伝えない報道の仕方も、一般人にはできることはない、というムードを作っていると思う。この点では室崎さんの指摘に同意せざるを得ないと思ってる。
その一方で、増田が以下にいうように
ボランティアによる大渋滞は阪神・淡路大震災でも発生したが、それが大きな問題でありコントロールの必要があるとされたのは東日本大震災大震災以後。被災地に向かう車両に許可証を貼っていたのを覚えておられる方もいるだろうと思う。
これはその通りだと思う。また、数日前、鍵屋一さんもNHKで、一般の方々、今は待つときです、と強調していた。
しかし、では、肝心のボランティアのコントロールって、報道の側面ではどうですか。また行政はそれを明確に示してるだろうか。
どう活動すればいいか、があまり報道されないし、情報提供もされていないのが現状でしょう。
待つことばかりが印象づけられ、実際にいち早く現地入りして活動しているNPOなどもいるのにあまり報道されない。
1日の発生以来、自分がかつて泊まった宿などが心配で、関心を強く持っている一部地域の宿やお店などのSNSをずっとチェックし続けていたのだが、
一週間くらいすると、XXNPOの支援を受けて頑張ってます!みたいな投稿がちらほらみられ始めた。
なかには、発災から驚くべき速さで準備を整え、現地入りし、ニーズ調査を開始、物資を届けているNPOもあった。世の中には山岳救助なみの準備が必要とされそうな事態でも迅速に駆けつけるNPOがいると知ったのは個人的には希望だった。実績の多い「震災がつなぐ全国ネットワーク」や「RSY」だ。また被災者SNSで偶然「MAKE HAPPY」という団体を初めて知ったが、世の中、いざ鎌倉みたいに駆け付けられる団体がけっこうあることを心強く思った。
これらの活動はたまたま能登半島の特定の被災者(以前、北陸旅行で宿泊したことのある宿や酒蔵)に関心をよせていたから知りえたのであって、報道だけをみていたらわからないことだった。能登町や穴水町などで数多くのNPO支援団体の活躍が聞かれる一方で、奥能登まではまだまだ悪路でごくわずかの団体しかいけていない、という具合に、どのあたりに今現状、支援が進んでいるか、全く進んでいないかのぼんやりとしたイメージがみえてくる。
苦しんでいる被災者を目の前にして、「道路が渋滞するから控えて」ではなく、「公の活動を補完するために万難を排して来て下さい」と言うべきでした。
という室崎さんの考えは、災害対応のコントロールという観点からは暴論にみえるかもしれないが、一理あると個人的には思っている。情緒的な言い方をすれば、公けではない活動による突破、ブレイクスルーの側面を信じているし、実際そのインパクトは無視できない。
いや、むしろ日本の防災の理念というのは、法律上も公けというのは、自助、共助を補完するものなので、公助が整うまで待てという理屈は実はいびつだ。
ただ、室崎さんが指摘している処方箋が筋が悪いという指摘も確かだ。例えば
どんな被災地にも、スタンドプレーのように目立とうとする迷惑なボランティアはいます。そういう人たちに向けて、ブレーキとしてのメッセージが必要なのは分かります。
しかし、今回は「控える」の一色になったことで、被災者にとても厳しい結果を招いたと思います。交通渋滞の問題ならば、例えば緊急援助の迷惑にならない道をボランティアラインとして示す方法もあったのではないか、と思います。
というとき、このボランティアラインというのが、どうにもその場の思いつきっぽく響いてくるのも確かだ。
かりにも室崎さんが防災アドバイザーであったのなら、すでに計画の中において方法論が確立され、いざというときに判断をしなくていいように、ボランティアのコントロールを行政のタスクとして、緊急対応計画のタイムスケジュール表に記載すべきだったと思う。それを例示としてしか示せないのは計画性の欠如だと思える。
そもそも、阪神の教訓というのは、発災直後の、行政部署別の個々のさまざまなタスクのタイムラインがなんらかの被害想定をもとに明確に決まっていなかったから初動が遅れた、という問題意識だったはずだ。目標管理型のタスク管理、これが阪神以来、災害関連死が問題となった中越を経て、東日本・熊本へとずっと教訓として積み上げられてきたはず。膨大な情報洪水で忙殺される発災後のリーダーシップには限界がある。現場の判断に時間をとられ過ぎてはいけない。だからこそ、刻々と変化する現場のニーズに翻弄される前に、計画において予め想定する事態(ニーズ)とタスクと何日後までに達成するという目標を明確にする、というノウハウが蓄積されてきた。例えば避難場所のトイレ整備ひとつとっても、発注から目標個数まで細かいスケジュールをあらかじめ想定しているのが防災計画だ。
室崎さんが、インタビュー記事の数日前、自身のSNSで以下のような提言をしているのは、まさにそういうところだ。
支援あるいは復興では、「残心補填」で先を見ながら必要な資源の事前確保をはかることがかかせません。救命救助のニーズが一段落した段階で、大量の消防隊が1週間後の今になって投入されているが、後手に回っている典型例です。今、何をしなければならないのか、3日後に何をしなければならないのかを考えて、必要な人材や資源を早めに送り込まなければなりません。孤立を解消する活動、震災関連死を防ぐ対応、瓦礫撤去整理の活動、被害事態を明らかにする活動、住宅再建に向けた判定と相談業務などが急がれます。
この段階で、「一般」の定義が上から目線でされているのが気になるのですが、「緊急部隊の邪魔になるので、一般支援者やボランティアお断り」というメッセージが、声高に叫ばれています。その結果として、劣悪な避難所の支援や隅々まで物資を届ける活動が疎かになり、再建や復興の相談に乗ることも疎かになっています。ようやく、昨日から自衛隊の食事の提供が始まりましたが、避難所のケアや被災者の相談を自衛隊や消防隊にしていただけるのならいいのですが、・・。
保健衛生、瓦礫撤去、物資配送、被災相談などの対応をはかるには、経験や技能を持った専門的ボランティアを積極的かつ戦略的に受け入れる必要があります。いまこそ緊急援助隊のみ優先の発想を切り替える必要があります。
この点では、初動の遅れ、というのは計画が必要なタスクを想定不足だった、ということだ。緊急対応計画の不備という問題に跳ね返ってくる。
室崎さんが阪神の教訓がゼロになった、と自省するとき、それは室崎さんが指摘する初動における情報収集体制のみならず、ボランティア活動のコントロールについて計画面での想定の甘さも検証される必要があるのだろうと思う。しかしながら、指摘されていることは至極真っ当なことだし、経験に裏打ちされたことばかりだ。
しかし、問題は室崎さんの自省として書かれたからどうだとか、室崎さんが第一人者かそうでないか、なんてことではない。
死ぬほどどうでもいいことだ、と思っている。ああこれはないな、とおもうところはあっても室崎さんの言葉から光るエッセンスをくみ取れば十分なんだよ。
入間川や柳瀬川、新河岸川はあるが、川のところは低くなっているが、川から離れれば高くなっている。
地震はどこでも起きる可能性があるが、津波の心配はない。高い場所なので、洪水、川の氾濫の心配もない。
(小川はいたるところにあるので、ポイントポイントで氾濫する場所はあるけども)
川沿いなど土砂崩れの場所はあるけれども、それ以外は平坦な場所で崩れそうなところはない。
駅前などは住宅密集地があるが、ちょっと離れればスッカスカなので、交通は不便だが大規模火災の心配は少ない。
あるとすれば、富士山噴火で火山灰、直下型地震で被災(これは日本中どこでもそう)、竜巻(発生件数と被害範囲を考えれば稀中の稀)くらいかなぁ
中国 北部の120人死んだってニュースで「本当はそれ以上亡くなってるんじゃ?」と思って調べてみたけど600人亡くなった地震の規模に匹敵する
中国語検索もしてみたけど陰謀論やら日本叩きやらでまともな情報が無い。被災者に餃子を振る舞いましたとかそんな事はどうでもいい、結局何人が行方不明で何人が亡くなったのか私は知りたいのに…
で、見つかったまともなポストがこれ↓
庆祝别人受灾的行为真的很令人发指,包括不限于甘肃地震、日本地震、水灾、局部战争。我选择善用屏蔽功能,还我timeline的干净。
https://camp-fire.jp/projects/view/731863
※集まったご支援について、決済手数料5%を除いた全額を被災自治体への義援金として被災地に届ける予定です。
■手数料について
・集まったご支援について、決済にかかる決済手数料(支援金額の5%)を除く全額を被災地に届けます。
・なお、1支援あたり別途システム利用料(※)が発生いたします。
(※)システム利用料
最小金額の1000円を支払う支援者が1,322人いる。 募金者の半分近い人数がこの金額だ。
この人たちは実際にはシステム利用料を足した1250円の金額を支払っている。
つまり、1250円を支払って、950円が届けられるシステムというわけだ。
支援者が募金した内の24%ものお金がCAMPFIREが回収しているのである。
これ酷くね?CAMPFIREは募金の体でしっかり売上を作ってるんだぜ。
こいつらにチャリティの精神はカケラもないことがよく分かる。自分らの手数料くらいお前らの会社が負担しろよ。
例えば、Yahooが自身で行うプロジェクトは最低でも600万以上の持ち出しが発生している。
https://donation.yahoo.co.jp/detail/1630062
寄付総額 5,570,524 + Yahoo 600万 -手数料 = \11,295,634円
https://tver.jp/episodes/ep5e0yh89n
ていうか東野って津田(に限らず芸人の)の扱いがめちゃくちゃうまいんだなあ
同じ日にやってたラヴィット3時間生放送のあとに見ると、前者はパステルカラーのはじけるキラキラと後者は原色とどどめ色に赤金のブレンドされた洪水ギラギラで
その明度と輝度のタイプのあまりのちがいに目がどうにかなるかと思った
やっぱりマルコポロリとかこういうタイプの企画に出てる人たちいるの番組の方が好きやな……ってわかった
最初はラヴィットも楽しく見てたはずなんだけど、今はもうちょっと眩しすぎる
20年以上前とかなり昔のことだが、運送業者の倉庫内軽作業の短期バイトをやったことがある
軽作業というものの、時間いっぱい荷物の上げ下ろしをする身体を使う荷役なのできつかった
宅配の荷物は、集荷された場所から宛先最寄りの営業所に直接運ばれるわけではなく
集荷された荷物を、エリアごとにある仕分けセンター(名称が思い出せないので調べたらヤマトではベース、
宛先別に仕分けられて長距離トラックに乗って近くの営業所まで運ばれて
営業所内でまた分別してラストワンマイルのトラックに載せてようやくお宅までお届けされる
仕分けセンターは荷物を保管する倉庫ではなく、分類して送り出すだけの機能なので
集荷された荷物は仕分けされて目的地行きのトラックが来たら積み込まれて送り出されていく
荷物ごと人が入って作業できる大型の冷凍庫・冷蔵庫が設置してある
ルールとしては、冷凍・冷蔵の荷物はすぐその中に入れて温度管理をして分類・保管することになっている
しかし短期バイト募集する程の繁忙期だ、入りきれないほど大量の冷凍・冷蔵の荷物が来ると
冷凍庫・冷蔵庫の扉は開け放たれ入りきらない荷物がその前に溜まっていくことになる
一度「あれ、大丈夫なんですか?」とリーダーに聞いたが「大丈夫じゃないけどどうしようもない」と返された
といっても一般のバイトは一般の荷物で汗をかくのが仕事なので冷凍荷物に触れたことはない
アマゾンやらのネット購入で物流が激しくなる直前だったから、今では各社とも設備はより高度になっているんだろうけれども
防犯/防音/築年数/駅への利便性/地震・火事・洪水を度外視するとあるぞ
でもタフガイぶって防音ケチって、壁ドン合戦したり、ノイローゼ気味になっている投稿を増田でもよく見えるので
ガチのタフガイ/ガール以外は辞めた方がいいです。自分を過大評価しないようにしよう
あと車好きで車を維持したくてクソ治安が悪くて安いとこに住んでた同僚が空き巣にあってPCと金目のものパクられたこと、
人の叫び声が聞こえる地域はひったくりや粗暴犯の被害にあったとかでなくても気が滅入ることから、
『あらゆることは時の運』と達観しているガチの悟りガイ/ガチの悟りガール以外は治安悪いとこ辞めた方がいいです。自分を過大評価しないようにしよう