はてなキーワード: 寝床とは
宝暦14年(1764年)の怪談集『奇談漫録』に妖怪まんこ嗅ぎに関する描写がある。
ある夜、若い娘が寝床の中で目を覚ますと、布団の中に妖怪まんこ嗅ぎが潜り込んでいて、娘の下半身は露わになっていた。
驚いた娘は必死に抵抗しようとするが身体は動かず、妖怪まんこ嗅ぎは娘の股間に顔を近づけ、匂いを嗅ぎ始めた。すると不思議なことに、それまで感じていた恐怖が消えていき、代わりに快楽が訪れたという。やがて、娘の性器からは大量の愛液が流れ出し、それを見た妖怪まんこ嗅ぎは、満足そうに笑いながら姿を消したそうだ。
また、明和7年(1770年)の怪談集『古今百物語』では、幸福をもたらす妖怪として妖怪まんこ嗅ぎが描かれている。
ある夜に、ある遊女屋の娘が目を覚ましたところ、妖怪まんこ嗅ぎが現れ、彼女の性器に顔を近付けた。すると妖怪まんこ嗅ぎは激しく興奮し、激しく呼吸をしながら匂いを嗅いだ後、やがて性器から溢れ出る愛液を見て喜んだと言う。
遊女屋の娘は陰部の臭いに悩んでいたが、翌日になると陰部から悪臭が消え、雅なお香を思わせる良い香りがするようになったという。しかし、遊女屋の娘は妖怪まんこ嗅ぎに夢中になっていき、ついには妖怪まんこ嗅ぎに抱かれることを夢見るようになった。
そのため、彼女は客を取ることができず、遊郭を辞めざるを得なくなってしまう。しかし、その後すぐに彼女の陰部の香りに惹かれた江戸の大富豪・中村喜兵衛に見初められることとなり、彼の妻となると妖怪まんこ嗅ぎは現れなくなったという。
初期の妖怪まんこ嗅ぎは単純に股間の匂いを嗅ぐだけの妖怪であったが、後に妖怪まんこ嗅ぎは幸運をもたらす存在として描かれるようになり、妖怪まんこ嗅ぎに憑かれた女性はその後幸せになるという伝承が生まれた。
妖怪まんこ嗅ぎに取り憑かれた女性は「おまんこさん」と呼ばれ、吉原では「妖怪まんこ嗅ぎのお守り」というものまで売り出されるほどであった。
先週の月曜日の早朝、カラスに食われそうになっていた子猫をつい拾ってしまった。
子猫は獣医さんの見立てでは、拾った日時点で生後1ヶ月くらい。しっかり牙が生え揃っていたので、最低限の自分の身の回りの世話はできるはずと獣医さんは言ったのだが、実は全く何も出来ない赤ちゃん猫だった。
そんな子猫を育てるのは、まるで新生児育児しているようだったが、人間の赤ちゃんの世話と要領が似ているところがあったので、ヒトの子二人を育てている私には何とかなった。もしも子供を産む前にこんな子猫を拾ったらどうにもならなかった。
なんだかんだ、大変で忙しかったが、子猫の成長は想像のはるか上をゆく爆速ぶりで、何にも出来ない赤ちゃんだったのが、6日目には普通に皿から餌を食べ、決められた場所で排泄できるようになってしまった。
それはよかったのだが、10日目の朝には物凄いスピードで室内を縦横無尽に駆け回り、人の手で容易に捕まえられないほど機敏になってしまったのには焦った。もう我が家は子猫にとって手狭で、これ以上ここに閉じ込めておくのは子猫が可哀想だとおもった。
元から、我が家では猫を飼うことができないのは分かりきっていたので、子猫を拾ったその日から、いかに円満に子猫を手離すかを考えて動いていた。
子供の友達の家や私の仕事仲間などに猫を飼わないかと聞き回ったが、ほとんど断られた。これではらちがあかないので、動物愛護団体に頼ることにした。
動物愛護団体に問い合わせたところ、団体主催の譲渡会に参加できるのは生後2ヶ月以降の犬猫に限るという。また、寄生虫検査結果と生後2ヶ月の健康診断の証明書の提出、初回ワクチン接種を済ませることも、譲渡会参加の条件だった。
そんな訳で、少なくとも来月の上旬までは我が家で子猫の面倒を見るつもりだった。だが、子猫の運動能力の発達があまりにも目覚まし過ぎたので、10日目の朝には心が折れそうになっていた。
ところが、猫を引き取りたいと手をあげた人がいた。それはうちの下の子の友達だった。先週の木曜日、学校まで下の子を迎えに行くと、
「Aちゃんが猫飼うっていうからAちゃんを車に乗せてうちまで猫を取りに来てもらってもいい?」
という。唐突なことに、勿論本気とは思えなかった。Aちゃんの保護者の方にOKをもらわず勝手に車に乗せてうちに連れて来ることはできないし、子猫を連れて帰らせる事もできない。本当に子猫を飼えるのか、Aちゃんは保護者の方達とよく話し合うべきだ。そう下の子に説明して、Aちゃんにはご家族の方が迎えに来るまで学校で待つように言った。
その翌日、下の子はまた帰宅後に「Aちゃんは猫を飼えると言った。いつ猫をAちゃんにあげるのか」と問い詰めて来たが、Aちゃんの保護者から何も言ってこない限りはそんな話を本気に出来るはずもない。今すぐにでも猫を取りに来れるなんて言われたって……。
週末は子猫の世話に追われながらも成長ぶりを喜んでいるうちに過ぎた。
そして月曜日。子猫はたった一週間で赤ちゃんからやんちゃ坊主に急成長をした。動物病院に健診に連れて行った。どこにも具合の悪いところはなく、健康で順調に育っていると獣医さんは太鼓判を押した。次の受診は譲渡会に出す直前でいいとのことだった。
その日の夕方、下の子がAちゃんの母親からの手紙を持って帰ってきた。子猫の件で話をしたいので、電車をして欲しいとの事で、電話番号が書かれていた。
早速電話をしてみると、もうすでに猫をAちゃんの家に譲ることが決まっているかのような話になっていた。猫がまだ手のかかる子猫だという事すら先方にはちゃんと伝わっていなかったにも関わらず、翌日には引き取りに来ると言うので、その日はこちらの都合が悪いので、来るのは水曜日にして欲しいことと、それと子猫はまだ世話が焼けるので、もっと家族で話し合ってから決めて欲しいことを伝えた。
その頃、子猫はいともあっさりとトイレトレーニングを済ませようとしていた所だったが、まだ自分で上手く排泄の後始末をすることができず、しっぽや後ろ足をおしっこでびしょびしょに濡らしたり、うんちを踏んづけた足で歩き回るなど、危ういところがあった。しかし、先週の何にも出来ない赤ちゃんぶりよりはだいぶましだった。たった1日の間にも、子猫は見違えるほどに成長していく。水曜日にはよそにやっても大丈夫なほどに仕上がっているかもしれない。
とはいっても、子猫を飼うという事に全く迷い躊躇いがないというのもどうなのか。身体が小さいだけで成猫のように完璧な子を貰えると期待しているのではないか。
これまで、何人もの人達に断られ続けてしょげていたのに、いざ引き取ると言われるとマジかよと思ってしまう。子猫に情は湧いているが、だからといって手離したくないなんて無理を言うつもりはない。Aちゃん一家が子猫にとって良い飼い主となるのが心配なだけで。
そうやって悶々としている姿を子供達に見られると、期待させてしまうので、良くないと思い、子供達が寝静まってから夫と話し合った。やはり、あまりにも性急に事を進めようとする人を信用するのは難しい。だが、子猫の可愛い盛りが日に日に過ぎて行くというのも事実だし、本当に猫好きな人ならばどんなに手を煩わされたとしても、子猫の今を見て触れ合いたいと思うことだろう。譲渡会に参加できるまで、あと3週間以上あるので、なんなら数日試しに子猫を預けてみて、手のかかり様にどうしても我慢できなければ、返してもらって予定通りに譲渡会に出すことにしよう、と話した。
水曜日まで、いきなり活発度の上がった子猫の遊び相手をしつつ、後悔しきりで過ごした。自分達で猫の貰い手を探すんじゃなかった。譲渡会参加一本に絞ればよかった。譲渡会でなら、里親希望者にはスタッフから飼育環境や飼育の覚悟を厳しく問われる。日常の人間関係の中で譲渡先を探せば、人間関係を盾に良いように押しきられてしまい、必ずしも猫にとって良い結果になるわけではないかもしれない。
猫をやると言ったのに嘘だった。やると言ってた癖に直前になって気を変えた。そんな風にあちこちで吹聴されたら、私やうちの子供達はどんな風に見られるのか。
水曜日。午後にAちゃん一家がうちに来るので、私は子猫の遊び相手は返上して家の掃除に勤しんだ。子猫はちょうど平日休だった夫に面倒を見られていた。物がゴタゴタとあるから完璧にとはいかないが、こざっぱりとした。茶菓も用意した方がいいだろうか? と私が言うと、
「そうだなあ。猫を貰うというのに、まさか玄関先で済ませようとは思わんだろうし」
と夫は言った。
が、そのまさかだったのだ。放課後にAちゃん一家が揃って家までやって来たのだが、Aちゃんの母親は玄関先で猫を受け取ってさっさと帰るつもりでいた。猫の実物も見ずに連れて帰って、Aちゃんらお子さん達が「思っていたのと違う」とがっかりするのは避けたいから、実物を見てから飼うかどうか決めてくださいと私は言ったはずなのだが。
取り敢えず上がって、子猫を見てくださいと引き留め、夫にじゃらされて走り回っている子猫を見てもらう。Aちゃんの反応は今一つよくわからない。知らない家に来てはにかんでいるだけにも見えるが、無理やり「この猫でいい」と言わされているようにも見えた。
Aちゃんの母親に、試しに猫を抱っこしてみてくださいと言って、抱っこしてもらった。子猫は全然人見知りをせず、うちの家族に抱っこされた時のようにAちゃんの母親の手の甲を引っ掻いたり服の袖に噛みついたりした。しかし、Aちゃんの母親は可愛い可愛いを連発していた。私が子猫の排泄の世話のやり方を説明しても、嫌な顔をしないどころかなるほどと熱心に聴いていた。
Aちゃんが猫を欲しがったという話だったのに、Aちゃんの反応はいまいちで、だがAをの母親は一度抱っこした子猫を離そうとしない。どうやら本当に猫が好きで猫を飼いたくて仕方がなかったのはこの人のようだった。
この僅か数日の間に、Aちゃん一家は必ず猫を貰えると信じて疑わなかったらしく、子猫を迎えるための一式を揃えたらしい。猫ならなんでもいいです! と言い切ったのはどうかと思うけれど、この人ならちゃんと子猫を一生面倒見てくれそうな気がした。私の直感があてになるかはわからないが。
結局、私達に出来ることは限られているし、ここで外れクジを引いたとしたら、これは私の運というよりは子猫自身の運なのかなと思い、Aちゃん一家に子猫を引き取って貰った。
子猫と一緒に、子猫が寝床にしているキャリーケースとボロ布を持って行って貰った。それだけは譲れなかったのだ。何故なら、子猫はそのキャリーケース自体とボロ布をママだと思い込んでいるようだったからだ。子猫はモノを母親だと思って執着していたおかげで、うちの家族の誰かを母親と思って執着することはなかった。
キャリーケースとボロ布があればいつもママと一緒という気分でいるので、新しい家に行ってもちょっと見える景色が変わっただけで、何ともないと子猫は思うはずだ。
猫が入院した
11月にまた尿道が詰まり、再発しにくくすために尿道をカテーテル替える手術をして2週間入院
12月31日、血尿が出て病院へ連れて行くと「膀胱から菌が入って炎症を起こしたんだろう」ということで、抗生剤の注射を打って帰宅。すぐによくなった。
そして、先週土曜日、再び血尿が出ていたので病院へ連れて行ったところ、「また菌が入って炎症を起こしているんだろう」ということで抗生剤の注射を打って帰宅したが、帰ってくるなり寝床で寝てしまい、翌日日曜も一日中ずっと寝てて、エサも水も飲まない、度々トイレに行くがおしっこは殆ど出ていない様子だった
再度、今日朝イチで病院へ連れていき、血液検査やレントゲンなどの検査をしてもらったところ、BUNという値が200を超え、カリウムも5.3と異常に高く、カリウムが5.5になると心臓が止まるということで、止まる寸前だったらしい
点滴と尿道にカテーテルをいれておしっこを出す必要があったが、処置をしようとすると暴れるので麻酔を打つ必要があるが、今の数値だと麻酔を打ったらそのまま死んでしまうかもしれないと言われた。しかし、そのままでも、明日まで持たないと言われた。麻酔を打って点滴と尿道カテーテルをやってもらうしかなかった
元々野良猫で、ある日うちにやってきて、うちは元々猫を飼っていたので、うちのねこのエサをあげたらいついて、最初は外でエサをあげるだけだったが、次第に家に入ってくるようになり、近年は、ほんと家の中で過ごすようになっていた猫なのだが、もう少し一緒に暮らしたいと思ってる
簡単に言うと、子供を叱るべきか否かという事について口論になった。
自分としては、子供はまだ1歳ちょっとで強めに叱っても致し方なし。それにそこまで大事ではないのでは、との考え。
嫁はその段差で躓いたらどう責任を取るのか?金輪際躾は頼まない、お前の軽い認識に”引く” と言い放たれたのが昨日。
今日、嫁の枕に敷くタオルを出そうと押し入れからタオルを出したら、「もう出しているからいらない!!!!」と英語でキツく言われてしまった。
(子供を拭くタオルも同じものを使っていて、嫁としては子供用の入浴用はもう出しているから要らない、と勘違いしたのだと思う)
説明する気も萎えてしまい、寝床の準備をするだけで此処まで理不尽に言われなければならないのかと、悲しくなって嫁に隠れて泣いてしまった。
帰国子女で、日本人だが英語がネイティブなのは知っているけれども、今回英語で言われたことで、いつもよりもとても距離を感じた。
妊娠・出産でホルモンバランスがおかしくなるとは聞いていたし、変になったらゴメンね、と嫁から妊娠前には聞いていたけれど、
やっぱりそういうものなのだろうか?なんだか昨日・今日の事がとても辛くて、嫁ともう話ができなくなってしまった。
このままだと最低限の会話となるのか、家庭内別居となるのか、というところなのだろうか。
昨日今回の経緯について諸々謝ったのだけれども、”軽蔑”が返答だった。
どちらが悪いのか?というのはこちらが言っても致し方ないので省略。
生後5ヶ月で私が拾ったねこ。
実家とは疎遠になろうとしていた私を繋ぎ止め、家族のかすがいになってくれたねこ。
頭良くて人の顔うかがいながらイタズラするねこ。
18歳(人間なら88歳)なのにとても元気で、よく遊んで欲しがっていたねこ。
甘えん坊なので皆が忙しくてかまってもらえない時にストレスでちょいハゲができるくらいだった。
毎日よく食べ、よく水を飲み、よく運動し、よく甘え、よく毛繕いし、よくンコもする健康優良猫だった。
でも、とても健康で元気だから覚悟なんてしていなかった。できてなかった。
ねこが8歳のころに私は生まれ故郷を離れ、帰郷するのは年に2回となった。
それでもねこは私のことをちゃんと覚えていてドアを開ければ鳴きながら走って出迎えてくれていた。
とても賢い。
とても可愛い。
離郷して9年目、新型コロナウィルスが世界に蔓延し、突如パンデミックの災禍に巻き込まれた。実家に帰れなくなった。
その頃からねこは少し夜泣きをしたり、たまに乱暴になる事があった。
親は「痴呆では?」と心配していたが、名前を呼べば反応するしご飯もわかるし過剰に要求しないし、私は違うと思ったし主治医も問題ないと言っていた。
一年半後コロナが少しおさまりかけ、実家に帰ったがやはりちゃんと私の事を覚えてくれていた。18歳だけど毛艶も良く、夜は昔からの習慣で布団に入ってきたので一緒に寝た。
元気な姿はそれが最後だった。
「ねこの口腔内に腫瘍ができた。手術でとって病理検査してもらう」
即調べた。
手元の小さな箱で調べた。
猫 口の中 腫瘍。
「癌になったら余命は1〜3ヶ月ほど」
信じないでおいた。信じたらしまいだ。
残り2割の可能性がある。
結果は8割の方だった。
残酷。
それから3ヶ月半。
知り合いの獣医も言う「19歳で全身麻酔の手術なんて、それだけでも凄いよ」
何故なら手術で腫瘍を採るには目をとり顔を半分削ぎ落とすから。それでも完治は保証できない。
抗がん剤は腫瘍の由来が不明のため効果的に投与できる薬を特定できず、放射線治療は負担が大きい。
それからねこの可愛いお顔は左半分が少しづつ膨れ上がり、鼻は曲がり、左目はほぼ見えなくなった。
口の中も再び肉腫が大きくなり、鼻を圧迫して髭も抜けて無くなってしまったのでご飯が食べづらい。
口の下の腫れが気になるのか顔洗いながら爪を立ててしまうので毎日顔と両手が血まみれになる。血の海に浸したみたいに赤黒い。
ウンチも週一。
お水もうまく飲めないのか傷にしみるのか苦戦して量が減る。
癌診断の後、私は一週間の自主隔離とPCRを駆使して月一で帰郷した。帰ったらリモートワークしながら一週間滞在してはねこと密に過ごした。
帰ると嬉しいのかご飯の量が増えたりしてくれた。
毎晩一緒に寝て、泣きながら沢山話しかけた。
沢山撫でた。
元気な時はそんな事一切なかったのに、体力ないからか、寂しいからか、辛いのか、痛いのか。
どうしたの?と撫でてあげると安心してまた寝た。
それが2週間前。
匂いを感じないからか、食べづらいからか、実家近辺にて買えるウェットフードで食べてくれるものが尽きた。
ネットでなんでもいいからウェットの食べやすそうなものを手配した。
体重は全盛期の2/3の2.6kg。
もう、近いかもしれない。
毎晩泣いてきたけど、いまだに涙が止まらない。夜になると考えてしまう。
何かできたことは無かったのか、事前にわからなかったのか、いや分かるわけない、人間でも予防は無理だ、でもあの子は左目に昔からアレルギーがあったからアレが遠因じゃないのか、その時の獣医はアレルギーと言っていたから分かるわけない、内臓のガンの方がマシだったのか?、いやそれはお前のエゴでしかない。
よい猫生だっただろうか。
昔はねこが虹の橋を渡ったら遺灰を小さくて可愛い骨壷にいれて手元に置いておこうと思っていた。
今はそれすら良いのか分からない。
そんなものを今から手配するのもましてや探すのなんて体が動かない。
あなたが今、ただただ苦しんでいない事を。
痛くないことを。穏やかでいられる事を。
世界中の猫とこれを読んでくれた貴方と貴方の猫が少しでも永く一緒に幸せでいられる事を。
祈るしかない。
・コミュ力
あると良いもの
・英語力
・ロシア語力
・数日分の保存食
・日用品
ポーランドあたりの隣国へは自力でいく、帰りの交通費は殆どの日本人にはいらない。
日本からの直通はないので、隣国のウクライナ大使館へ入り、志願する旨を伝える。自衛隊を含めた軍隊経験を証明する書類がある方が良いが、口頭で伝えれば深く確認されないと思われる。
一応日本語だけでも良いとなっているが、それほど受け入れが整ってるわけではなく、誰でも良いというだけ。
すぐに武器を持たされて前線に送られる。訓練の時間や手間はない。着替えや防寒はもちろんだが、簡易なキャンプ用品があると便利。
寝床が足らずに床で寝る可能性が高いのと、至急される食事はたぶん冷え冷えなので、隣国で買っておくのが良い。全部捨てて逃げる可能性があるので注意。
人数の増減はかなり激しくなるから、食事の配給は多すぎたり滞ったりする。滞った時にある程度凌げるようにしとく。
志願した義勇兵たちの間は英語でやり取りすると思われるが、簡単な英語は知っておくべき。
「逃げるぞ」はゲレウェィ!みたいな、アルファベット無視した発音で言われると思われる。これだけは何パターンか覚えて、できるだけ義勇兵間のスラングも把握しておく。緊急で逃げる時、周りを見てる間に置いてかれる可能性がある。
ボッチだと食事の受け取り場所や、小休止を把握できないので、日本語でも構わず話しかけるか、翻訳アプリ使って機会を探して話しかけよう。
アジアの国々は今回の戦争に冷ややかなので、アジア人は日本人ばかりになる。差別の対象になるのでコミュ力マジ大事。
義勇兵は練度も士気もあてにされないので、反撃には使われずに防衛に使われる。死守を要求されないが、ロシア兵から国際法に則った兵士だと認められない可能性が高い。逃げ遅れたら死ぬまで戦う方が、良い最期を送りやすい。
アメリカの識者は、ロシアは二週間ほどでキエフを陥落させるとしている。義勇兵たちは危険な場所に配置されるので、大半は助からない。生きて帰るには手足を失い、後方に送られる事をあてにした方が良いが、そんなのあてにするならそもそも行かない方が良い。
行って銃をとれば大半は死ぬので、日本で逆に借金しまくって行くのも手かもしれない。
ウクライナは今たまたま善戦してるが、ロシアの気の緩みと、人道に彼らなりに配慮した手加減のせい。なりふり構わず攻撃すれば、全土とは行かなくても主要都市は遠からず陥落する。
なので日本の生活を全て捨てた上で、ウクライナで補償もなく手足をもがれて死ぬ事になる。
何者にもなれないくらいならウクライナで英雄の墓に入る。何者にもなれなかったおじさんたちの、その判断を誰が責められるだろうか。
ロシアは国際的な地位が大きく低下するので、日本人が義勇兵に紛れてる程度で、日本にできる嫌がらせは殆どない。
行く気のある人は安心して行っておいで。
愛犬が死んでしまったので、焼いてもらった。
焼かれて骨だけになってもやはり可愛くて仕方ない。小さい小さい指先や尻尾の先。いくど撫でたか覚えてないおさまりの良い形をした頭。がっちりとした牙。
16年生きた。
まるで子熊みたいだった子供の頃の彼が、いい感じの棒を咥えて得意げにぽてぽてと歩く姿が忘れられない。
縁石の上を器用につったかたーと小走りで進むのも好きだった。チャッチャッと爪が鳴る音。秋には積もった落ち葉の中をガサガサと音を立てて進むのが楽しいようだった。
風呂は嫌いだけどどういうわけか雨の中の散歩は嫌いじゃないらしく、黒い毛並みに雨粒を光らせてフスフス歩き回っていた。
よそのお家の玄関先にビーグル犬を模した植木鉢を見つけて首を傾げ、抱っこされるのは好きでなく、寒冷地の出身だけど寒がりでヒーターを独占しては焦げ臭くなってみんなに引き剥がされる。
誰かが帰ってくればそれなりの喜びを見せてくれたし、一通り尻尾を振ったら業務終了とばかりに自分の寝床へ戻っていった。
戯れに『かわいいちゃん』と呼ぶと、自分が呼ばれていること自体理解できるのか、ナンデスカという顔でこちらを見つめる。母が即興で作る『愛犬の鼻歌』、『むくちゃん むくちゃん サワヤカむく太郎 むくちゃん むくちゃん ステキなむく太郎』。
13歳をすぎた頃から少しずつ足腰が弱くなり、おしっこを漏らすようになり、それでも散歩に行こうと声をかければ嬉しそうに尻尾を振ってとんできた。
生き物というのはどうしても老いていくわけだ。
踏ん張りがきかずウンチをしようとして尻もちをつくことが増え、歩いていて疲れからか途中で歩みが止まることも増え、日夜を問わず吠え続けるようになった。
介護は思っていたより大変だ。生半可な気持ちで生き物と暮らすことはしてはいけないのだと身に染みてわかった。
そうして吠え続け、吠える体力も無くなって、掠れた声も出なくなって、二日ほど苦しそうに眠り続けた。死ぬ前の日に、おそらく目も見えず鼻も効かず音も聞こえていない彼を怖がらせてしまって、親指の爪の生え際をかなり強めに噛まれた。その噛み締める力の強さに、怖がらせてしまったことを後悔したし、死にそうなのにその強さを持っていることが何故か少し心強かった。その傷跡も残ってはくれず、今はすっかりきれいになっている。
彼が死んだとき。彼を囲んでいた家族が各々トイレや台所や自室に散ったその一瞬を縫うようにして死んでしまったので、みんな泣きながら少し笑った。静かなのが好きな犬だった。
泣き腫らした弟が『最後に散歩してた道を抱いて歩きたい』と言うので一緒に外に出た。もう歩かないんだな、電柱から離れないこともないんだな、と、抱かれるままに、弟の歩くリズムに合わせてがくんがくんと揺れる頭を見て思った。
その日の夜中に、骨になった犬を家に連れて帰って、家族がみんな寝た後こっそり骨壷を開けた。そうして、砕けて粉状になった彼の骨を少しだけ舐めた。衛生的にアウトだなと思ったのだけど、まあでも、できれば食べてみたかったので。
当たり前のように不味かった。それだけだった。
生活という感じだなと思った。すべては変わっていくし、すべては止められないし、すべては『うん、まあ、そんなもんだよね』、理由とか大して重要ではないのだな。ただ、不味かったことは多分忘れないだろうなと思う。
まだ悲しみが癒えないので、経過とポイントだけ書いていく。
猫の腎臓病/腎不全の看取りのブログはたくさん拝読したが、自分の記録もここに残しておきたい。
猫の情報
経過
(腎不全の最期はかなり辛い症状と聞いていたので、本人が辛くなさそうなのは唯一幸いだった)
食事面
2. ロイヤルカナン 腎臓サポート セレクション(粒大きいのでハサミでカット)
3日後、似合う色の花を沢山敷き詰めて、見送る予定。
去年18歳の猫を見送った時に利用した移動火葬のサービスがとても丁寧で良かったので、今回もそちらに依頼する。
見送りは飼い主の自己満足だが、気持ちにけじめをつける為の大切な時間だと思っている。
悔いのないよう見送りたい。
隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来た。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒に炯々として、曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処に求めようもない。数年の後、貧窮に堪たえず、妻子の衣食のために遂ついに節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥はるか高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰もなかった。でも、細マッチョ&巨根だから結構モテるんだよね。
全ての人に当てはまるわけではないのは承知だけど、せっかくの正社員カード持ってるのにローンも組まずに失業すると機会損失がでかいよね。
決して大企業ではない非上場スタートアップに勤める単身30歳の若造でも正社員カードでそれなりにまとまった金を融資してもらえたので補助金使いつつ中古戸建て買って高性能化リフォームした。
結果的に都心から市街化調整区への地方移住になってしまったので車を買う必要があったが以前の生活費よりは安くなる。
建物自体は減価償却するので資産価値がないものとみるがこれで万が一失業してからもしばらくは快適なおうちで寝床の確保ができる。
当たり前だが被災したら終わりだけどそんなん気にしてたらどこにも住めないしね。
やっぱ健康第一よ。
メリット:
・感染リスクを最小限に抑えることができる。不特定多数の人との接近が減るから。
・夏の香水が臭い問題を回避できる。ちなみに、他人の香水の匂いがしたということは、いわばその時点で空気感染しているわけです。その時点でAUTO、ガメオベラ。
・通勤で削られてしまう体力と精神力が少なく済む。逆に言うと電車ってこんなに暗黙にストレス受けてたんだって気づく。この価値に毎月1万円くらい払えると思う。もっと行くかな。
駅ってホームから外に出るまでの道のりがわりと階段が多いのが辛い。もちろん徒歩でもルートによっては歩道橋が何回もあったりするが。つまり、駅通勤でも徒歩疲れはある。
・電車のダイヤや事故に左右されない。遅刻ファクターが自分の足と目覚ましだけになり、他責思考が減り、自立心が養われる。
・脚が鍛えられる。1日60分くらいは歩けって話だから片道徒歩30分のところに住むのがベストだと思う。都内でその辺の距離だとたとえ最寄り駅から電車に乗っても大して所要時間が変わらなかったり、むしろ遅かったりするから、否応なしに歩くしかない状況に追い込むことができる。歩け。アルケーガンダム
・位置ゲーが捗る。位置ゲー屋は儲かる。ダークライの色違いGETした
・災害時でも歩いて帰れる。なので自宅に猫を飼っていたりしても不安がない。
・そこそこの時間を屋外で活動することになるからアウトドア対策が必要になる。
雨が降るなかの徒歩は長靴がないと辛いと思う。
靴の減りが早い。靴屋は儲かる。
・夜道リスクがある。光るヤツ装備したほうがいいかも。イヤンホホは周囲の音が聞こえるヤツにしたほうがいい。スマホイジリやノイキャンイヤンホホというのは電車やバスで時間を過ごすのに最適なのであって、徒歩には不向きである。そもそも通勤自体が電車よりも短く済むから家帰ってからスマホイジればいい。
・歩きヤニカスに遭遇する。まあこれは駅でも同じなんだけど、むしろ「駅から遠いし人が少ないから吸ってええやろ」という心理が働くのかヤニカスエンカウント率が上がっている気もする。その辺だれか研究してほしい。
・危険運転チャリカスに遭遇する。なぜかデコボコの歩道をチャリが正面から爆走してくるんで徒歩のワイは仕方なく車道のチャリマークの上を歩く。アベコベなんだが?
しかもチャリカス+ヤニカス+ママチャリ+一時停止せず交差点突入の大三元まで居たりする。それで人の親か。48000点。
・寂しい(人が少ない)(社会人の無難話題で一二を争う電車の話題に入れない)
・奥行き150mのベランダ
工務店にはとにかく居室を大きくしろと言われたけど、意地でもベランダを広くした。
庭なんて作れないので、庭代わりに使うつもりだった。
結果、夏にはプール、最近でも昼間にコンロ出してバーベキューなどフル活用。
確かにリビングは少し狭くなったかも知れないが、掃き出し窓から見えるベランダの視覚的な広さのほうが開放感になっているという実感がある。
ちなみにベランダの壁も建築基準法ギリギリまで高くして、さらにシェードを使って正面の家との視線の衝突を回避させている。
そうすると日中にカーテンを開けっ放しにしていても開放感が得られる。
(向かいの家の視線が気になると日中もカーテンを閉めっぱなしにしてしまうような性格だったので、開放感がとてもうれしい)
ダイニングテーブルの真下にコンセントを開けてある。いわゆるアップコンというやつ。
そこから這わせて、ダイニングテーブルの足に魔法のテープでUSBポート付きの電源タップをくっつけてある。
パソコンやスマホの充電、アイロン、掃除機、アーク溶接、なんでも使える。
すぐ横にガス栓もつけてあるので、ガスストーブや食卓でガスコンロも使える。
・テレビ裏表配線穴
狭いために壁掛け必須だったので、テレビからプレイヤーなどを置くラックまで、壁内に配線穴を開けた。
メビウスの輪の原理を応用して裏表両方に穴をあけ空間をつなげた。
宇宙をぐるりと一周できる長さの予備線が通してあって、普段は両端がテレビ側とラックにしまわれているのだけど、通線したいときは両端を結んでぐるぐる回せば何度でも新しい線を通すことができる。
・袖壁に下地
いわゆるうなぎの寝床的な30000階建て狭小住宅なので、居室を広くしようとすると温度約280℃、圧力70~80 気圧の水蒸気に耐える厚さ約15センチの鉄製の壁が何枚か必要になる(場合がある)。
袖壁は例えばラックや掃除機の充電ステーションなど見える側も見えない側も便利に使えるので、ビスが使えるように全てに厚さ約15センチの鉄製の壁を入れ、その周囲を厚さ1mのコンクリートで覆った。
下地は頼めば入れてくれるけど、あんまり多すぎると嫌な顔をされるので袖壁とテレビまわりに絞った。
あとキッチンまわりもとてつもなく多めに入れてもらったらめちゃくちゃ便利だった。
30000階の上は屋根。斜線規制がかからないほうは量子力学的採光のための貴重な壁面。
本来は30000階居室の床になる部分を、屋根付近まで吹き抜けにして大きめのフィックス窓をつけた。
最初は腰の高さくらいからの収納を提案されたけど、不便そうなのでやめた。
更に少しでも光が入れられるようにと、階段の壁にもできる限りのスリットを入れてもらった。(わかりづらいけど、外の壁ではなく、階段とリビングの間の壁に天井から胸の高さくらいまでスリットが無限に入っている。)
なお、30000階は上がってすぐにドアに挟まれる形なのでスリットの有無くらいで空調ロスをそれほど気にする必要はない。
10000階に寝室と水回り、20000階にリビングとキッチンがある。
カウンターキッチンにしてリビングとベランダを眺められるようにしたら、背中側の壁の裏にパントリー兼物置を作った。
リビングにとにかく収納を作りたくなかったので、考えた結果のことだけど、主に家事のものしか収納しないので大正解だった。
インターネットのルーターやテレビアンテナの引き込みなんかもこの部屋に集めてメンテナンス性を高めにしてある。
あと、無線LANルーターを1台で済ませたかったので、建物の中心近くの壁にLANの出口を作ってそこにルーターを設置した。
・その他
20000重サッシすごい。防音も空調も段違い。目の前が露天掘り鉱山なのを忘れるくらい静か。
揺れを先に感じてからバケットホイールエクスカベーターっぽいエンジン音に気づくとかよくある。
あと浴室乾燥機のおかげで24000時間洗濯ができるのも便利。洗濯機に乾燥機能もあるけど、終わったらすぐにだして畳むのしんどいので、それならまだ干しっぱなしで済むほうが楽。
今はまだガソリン車なので契約は22000Vだけど、電気自動車を購入したときに困らないように駐車場の壁に外用コンセントは予め作っておいた。
あとあとそういう使い方をしたいと電気屋に伝えてあるので、あとは契約変更と簡単な工事で済むらしい。
これはまだ活用できてないので未知数。
他にも色々あるけど、とりあえず都内クソデカ狭小住宅視点に絞ってみた。
思いだしたらまた書く。