はてなキーワード: 古着とは
高校生の時に都立青山高校っていう東京都ど真ん中の高校に通ってた実情を書いてみる。
都会にいるっていうのが、どういう文化レベルなのかの一例となれば幸い。
青高は東京メトロ銀座線の外苑前駅の近くにあって、ヤクルトの本拠地の神宮球場の目の前の高校。
高校生クイズ選手権時の予選会が神宮球場にあったりしたんだけど、そこで一番近い学校だっていう事で注目されてた時もあった。すぐに敗退してたけど(笑)
国立競技場も近くて、僕は高校生の時はサッカー部だったんだけど、「いま一番国立近い学校だから(物理)」みたいな冗談はことは友達には言ってた。
まぁ、もっと近くに國學院高校っていう学校があって嘘なんだけど。
僕は大江戸線の国立競技場前って駅から青高まで歩いてたんだけど、国立競技場の敷地内を歩きながら学校に通ってたのは、なんか誇らしかった気持ちがあったかな。
あと高校生の時はお金がまじでなかったから(お小遣いが月3000円〜5000円だったから)滅多に行かなかったのだけど、ホープ軒で食べるラーメン美味しかった思い出がある。(今思うと全然美味しくないが)
立地はこんな感じ。
次にイベントについて書いていく。
確か5、6月ぐらいに体育祭があってその一環とし、応援団を作って、応援合戦みたいなのをやるのがあった。
応援団をやる人は2、3週間くらい応援団の練習をするんだけど、練習場所が代々木公園だった。
定期がある人は電車乗っていくんだけど、みんながみんな定期あるわけじゃなくて、代々木公園までは歩いていくってのが恒例になってた。
外苑前から原宿超えて代々木公園まで行く道ってのは結構面白くて、
インテリアショップとか眼鏡屋とかブラジル大使館とかあったり、
表参道を歩いたりとか、原宿の竹下通を歩いたりとかしながら、代々木公園まで行ってた。
今はなき原宿のコンドマニアで「お前買ってこいよ」「やだよ、お前いけよ」「なんでだよ!じゃあ一緒に行こうぜ」みたいやりとりをやってたりした。結局買わないんだけど、当たり前だけど。しょうもないけどそういうの楽しかったような気がする。今思うと全然面白くないが。
11月には外苑祭っていう文化祭があるんだけど、外苑祭では1年生から3年生の全部のクラスが劇だったりミュージカルをやるってのが伝統になってて、夏休みから外苑祭の前までは、「神宮外苑の絵画館」前のちょっとした広場的な場所で練習をしてた。
正直僕は外苑祭に乗り気じゃなかったから、全然練習参加しなくて数回だけしか行ってないくても、なんか思い出にはなってるね。
文化レベルって観点では、絵画館の建物自体がすごい美しい建物だったし、絵画館と銀杏並木の風景っていうのはすごく美しかったのは、高校生でも感じる部分があった。
イベント的にはそんなもんがメインで、その他の時期は普通に駅と学校を行ったり来たりするだけの生活してた。
個人的には、学校に自転車を置いたのもあって、学校サボって自転車乗って、原宿行ったり、246を赤坂方面まで走らせて、皇居らへんまでいったりとかは楽しかったな。
あと僕は部活やってたからバイトはしてなかったけど、周りの人とかは学校周辺でバイトやってる奴もいた。そういう奴は結構大人な世界を垣間見えたんじゃないかな。お金も増えるしね。
僕は遊ぶ金なんて全くなかった。だから高校生の場合、都心のど真ん中にあったとしても、そこまでは楽しめてなかったんじゃないかな。
まぁでも表参道とかの建築を見て、建築学科に進むっていう決断をしたので影響は大きかったのかもしれない。
あと仲良かった奴が、「スイスでヘルツォークアンドドムーロンの建築観てきて良かった!青山にもあるから観に行くと良い」って言ってくれたりして、周りの人間の文化レベルたけぇなって思った。
お金が無いなりに楽しんだって思えるのは、原宿の古着屋でHanjiroっていうお店が全盛期だったんだけど、そこで100円になってる服を買ってた。てかそれしか買えなかったんだけど、あれは楽しかったな。
あとはまぁ、今はもうない明治公園でフリマがやってて、そこで 安く売られてる服とかを買ってたりしたな。
もちろん高校時代を都会で過ごした影響はかなり大きかったんだけど、僕の中で影響が大きかったのは、やっぱり大学ですね。100倍くらい大きいんじゃないかな?
高校の時は受動的にやること っていうのが多くて、能動的には動けなかった記憶があるけど、
大学生になったらぼぼ全部自分で考えて、行動するから大学生の時の方が、濃密な時間を過ごせたと思ってる。
まぁ今なら、文化ってインターネット発なのが多いし、都会にいなくても、最先端な文化に触れられるのじゃないかな?
僕が好きなVtuberのぽこぴーとか滋賀県出身で電車ない土地に住んでそうだけど、最先端いってる。
僕が高校生の時は、まだスマホとかなかったし(シャって開くタイプの携帯とか、インフォバーとかが流行ってた時期だったし)、高校生の時は家族パソコンしかなかったし、ニコニコ動画も知らないし2ちゃんねるも知らない。パソコンの授業の時に友達が「スーパーマリオのTAS動画」見せてくれた時も「おもしれー!TASさんって人まじで超マリオ上手いやんけ!!!」って思ってたレベルだったから、住んでる場所の影響大きかったと思うが、今はどんどん差が縮まってきてる。
雑誌のBigin(ビギン)を楽天マガジンで読んでたら、文章が寒すぎてキツかった。
読者層って50代以上なのか?親父ギャグ満載で、アラフォーの自分にはついていけない。
以下に例を挙げるので読んでみて欲しい。
ハマるよ……め♪
もしかしてラッツ&スターのめ組のひとのパロディ?古すぎないか?
買いませうって今どき書いちゃうのが痛い
ありのままの白で魅せるのよ
一度使えば濃いに落ちます
おニュー2枚でわざわざ仕立てた洗練パッチワーク
おニューって
他にも、文末が「なのだ!」とか「COOLなんです!」とかだったりで読んでて辛い。
「AVを見ること自体が加害だという意識は広まってほしい」と題した増田(anond:20230413094851)が話題になっている。
私はアダルト産業は守るべき文化だと考えているし、おそらくこの増田とは意見がまったく異なるだろう。しかし、彼の意図とは無関係に、「AVを見ること自体が加害だという意識は広まってほしい」との題意には私も同意したい。
結論から言えば、私はAVの存在そのものが性的搾取であるとは考えていない。一方で、AV業界において搾取が横行していることもまた残念ながら事実なのだろうと思う。これは「労働現場における搾取」の一般論として語るべき問題であり、その意味では各々の消費者もまた、共犯者ではないか。
無邪気にチョコレートを食べている日本人は、カカオ農場における児童労働の実態をどの程度知っているだろう?
子どもが犠牲になっているチョコ、知っていますか? つなぎ役の奮闘
無邪気にファストファッションを消費している日本人は、縫製工場における労働力の買い叩きの実態を、そして廃棄や「寄付」をした衣服の末路を、どの程度知っているだろう?
安いファッションが抱える搾取の構造 日本も「他人事ではない」理由
寄付が迷惑に? 古着回収の知られざる裏側
こうした事例は氷山の一角である。アボカドが消費する仮想水や、アニメーターの労働環境だってそうだ。私たちの「安い」生活が、どれだけたくさんの搾取によって支えられているのか、調べるほどに深い闇が見えてくる。
では、そうした搾取に加担しない、さらには搾取をこの世からなくすためには、どうすればよいのだろう?
必要なのは、まずは知ること。そして、できれば「適正な商品」を選んで買うことだろう。
「スウェットショップ」を避け、「フェアトレード」を推進する企業を応援していくこと。それが消費者にできる最善の行動ではないだろうか。
スウェットショップとは?人権の搾取が存在する流行の裏側
AV業界でも、近年、「適正AV」という枠組みが挑戦されている。
新たなる「適正AV」ってなんだ?
これもまた様々な課題が指摘されているものの、搾取のないアダルト産業の実現のための第一歩として評価したい。こうした取り組みを、AV消費者も知る必要があり、そして応援していく義務があると思う。
この件なんだけどさ
https://www.yamadakoji.com/entry/patagonia
この山田耕史って人も元々の記事の人も「パタゴニアはダサい、なぜなら20代の若者がダサいと言ってるから」って書いてるけど、その若者ってのはどんなやつらなんだよ?そいつらはお洒落なのか?ダサい若者もたくさんいるぞ。
俺が知ってるお洒落な若者(POPEYEに載ったりしてる)はめちゃくちゃパタゴニア着てるよ。古着で探してきて。普通に人気あるぞ、パタゴニア。10代~20代はバギーショーツを買わないって、それ新作の話でしょ?若者は古着で買ってるんだよ。新作は高いし、古着なら他の人とかぶらないし。古着全般がいますごい人気あるしね。
というか、パタゴニアに限らずこういうこと多くないか?若者が何かを否定すると、そっちの方が正しい意見として扱われるみたいな。しかも、そうやって扱う人達は若者じゃなくて大概おじさんなの。すごくみっともないと思う。
社会人数年目まで金が無くてガチの古着を着てた。実家の借金返済(なぜか僕が背負っていた)が終わり、ある程度金が貯まるようになった。昔は買えなかった新品の服を百貨店で買い、中古だけど車を買い、毎月美容院へ行けるようになった。齢40にして、生まれて初めてオシャレを楽しんでいる。お店の店(オシャレなレストラン)も月に一回行けるようになった。今までで一番人生を楽しんでいる。
新聞奨学生として豊島区・練馬区を駆け回った学生時代を思い出すと、ずいぶん遠いところまで来たような気がする。今や金融資産は1000万をゆうに超え、ちょっとした出費による精神的ダメージが驚くほど減った。金のありがたみよ。
40歳を迎えてしまったが、学生時代に味わえなかった恋愛や夜遊びを今更ながら無理のない範囲で取り戻していこうと思う。友人を誘って静岡まで車を走らせてハンバーグを食べにいこう。フジロックへ行こう。気になる女の子を誘って映画へ行こう。今、お金のある今なら人並みに遊べる気がする。
実家に帰ったのはいいけどやる事が無い。暇なので年内に革服を買った時に調べたりしたことをメモっておくことにした。合っているかもしれないし、違っているかもしれない。
・革服の種類
大枠の傾向としてバイカー用と街着で分かれる。厳密に定義があるわけではないけど、いわゆる革ジャンとレザージャケットの違いみたいな感じ。
「良い革」を指す時に前者は頑丈さなんかを重視するのに対し、後者は滑らかで軽いものを重視するようだ。漢臭さとお洒落さの価値観の違いと言うべきか。
・革の種類1
牛革、羊革をよく見かける。頑丈さは牛、軽さは羊が1番。同じ牛羊でも年齢に応じて革の呼び方が変わる。革服で見かけるのは牛ならカウレザー、羊ならシープレザーかラムレザー。とはいえ牛革や羊革というように明記されていない場合もあるし、シープとラムがごっちゃになっていたりする時もあったりする。厳密に管理されていないのかもしれない。他には水牛、馬、山羊、鹿なんかもある。
街着用ならそんな丈夫さはいらないので羊革が多い。厚手で頑丈な革なら耐久性はあるけど、その分だけ重いのが負担になる。コートみたいに使う革の多い服だと顕著に変わってくるので注意した方がいいかもしれない。
・革の種類2
人工皮革の物もよく見かける。フェイクレザーとか呼ばれているやつ。これは耐久性に劣るのでもっぱら街着用。パッと見では判別出来ないぐらいよく出来ていたりする。ただし天然皮革と比べて寿命は短くて2〜3年くらいでベリベリと剥がれてくる。
他には古着の天然皮革レザーを解体して再利用したリプロダクトレザーなんてのもある。
この辺の皮革は動物愛護とかSDGSみたいな文脈でも言及されるようだ。あと比較的安い。
・生産地
安いものはパキスタン製が増えているようだ。安いとはいえ裁縫はしっかりしている。
人工皮革は韓国が多いらしい。
どうも革によってメンテナンスの頻度とかやり方が違ってくるようだ。街着用の高価な革服の中には最初から撥水加工されているものもあって、こちらはあまりクリームやオイルによるメンテナンスが必要ないらしい。クリーナーとかで汚れを落としてやる程度で良い。
あまり加工されていない皮革はミンクオイルとかで定期的に油分を足してやる必要がある。油が切れるとパサついて紙みたいになってしまう。
とりあえずこんな感じ。風呂入ってくる。
小さい頃から小太りで内気で一重の私と、華奢で活発な二重の姉。どちらが人に好かれやすいかなど、言うまでもなかった。
姉はよく笑う愛嬌のある女性で、高校・短大と合コンなどで知り合った男と付き合っては別れてを繰り返していた。早く結婚したい、いい人が見つかるといいな、そんなことをよく私にこぼしていた。私自身に小さなコンプレックスはあるものの、姉妹での仲は割と良かったし、明るく人気者な姉は私の自慢だった。
そんな姉が先月、24歳の若さで結婚式を挙げた。お相手は3歳年上の笑顔が素敵なスポーツマン。アウトドア派な2人にはお似合いだ。私は一人暮らし中の遠方から結婚式に駆けつけ、心から祝福した。酒豪で声の大きい姉の旦那は私には苦手なタイプだったが、姉が選んだ人なのだから、きっといい人なのだろう。
結婚式を終えたあと、親戚の集まりで、皆がこぞって私に言ってきた。「次は妹ちゃんの番ね」「妹ちゃんの彼氏はどんな人?」「妹ちゃんも早く良い人に出会えるといいわね」
私には、親戚がこう言っている気がしてならなかった。
結婚しない女は罪人だ…と。
私は友達が少ないぶん、青春を勉強に充てた人生を送ってきた。生まれ育った田舎を高校卒業とともに出て上京し、現在、某国立大学の理系学部の4年生。大学院への進学が内定している22歳である。
所属する大学の研究室は基本的に対人関係が乏しい。一人で作業する環境は、私にとっては居心地が良いのだが、異性との出会いが全くないのが難点とも言える。バイト先はオンラインの家庭教師で、コロナ禍でのサークル活動自粛も重なり、本当に誰とも出会いがない。合コンなどもちろん行ったことがない処女である。
活発な子どもではなかったぶん、勉強を頑張った。すると大人が褒めてくれた……。それだけを糧に今まで生きてきたが、現実はどうも違うらしい。疎い私に現実が突きつけられた。人生における『良い子』とは、クラスで1位の成績を納める子ではなく、早く結婚し子どもを産み、孫の顔を見せる子なのだと。
もちろん、そんなのは断じて違うと信じたい。フェミニストになる気はないが、一人で生きていけるだけの知識と職さえ持てれば、結婚なんてしなくてもいいと思っていた。だが、私の育った田舎の慣習が空気が、結婚式の時に無言で訴えかけてきた。そんな考えは間違っている…と。
さて、私には50歳の叔母がいる。叔母は人生を勉学に捧げた女で、今や大学の教授にまで上り詰めた強かな人間だ。ただし、独身。
私はそんな叔母の人生も素晴らしいと思っていたし、いくつもの論文に名を残す彼女を尊敬していた。しかし、結婚式も親戚の集まりもひと段落し、東京に戻るための新幹線のホームにて。見送りに来てくれた叔母の妹、すなわち私の母がこう言ったのだ。「あなたも誰かいい人を見つけないと、叔母みたいに寂しい人生を送る羽目になるわよ」……と。
母からそんな言葉は聞きたくなかった。私がテストで高得点を取るたびに褒めてくれて、受験の時は親身に寄り添って相談に乗ってくれた優しい母。今も仕送りで大学生活の支援をしてくれているし、時々食糧や日用品などを送ってきてくれる。そんな母が、まさかそんなことを言うなんて。
私はぎこちない笑顔で「うん」とだけ答え、足早に母と別れ、新幹線に飛び乗った。東京に向かう車内にて、マスクの下を涙と鼻水でぐしょぐしょに濡らしながら、マッチングアプリをインストールした。
真面目に出会いたい人が多数登録、と謳う某マッチングアプリでは、私と同じ状況の男性と見事マッチした。彼も理系大学の4年生で、来年は院に進学するのだそう。つい先日、そんな彼と初めて出会った。プロフィール写真の通り、さほど格好良くは無いものの、真面目で物静かな男性だった。互いに卒研が大変だね、だなんて談笑しつつ、イルミネーションの綺麗なデートスポットを散歩するという典型的なデートをし、そのままお互いに帰宅した。次に会う約束を彼の方から提案してくれた。
多忙な大学の授業と貧乏生活による質素な自炊があいまって、気付けば私は高校時代より10キロほど痩せていた。ただ痩せるだけでどんな服もある程度は似合うことが分かり、安物を古着屋で掘り出してコーディネートを楽しむ趣味ができた。都会に揉まれて生きてく中で、一重の目など化粧でどうとでもなることを学んだ。
今では姉にそっくりだと言われるようになった私は、幸いにもマッチングアプリで出会ったこの男性に好印象を与えられたのだろうか。しかしこの先、どのような関係が発展するのかなど、喪女の私に分かるわけがない。
いずれ私は結婚するのだろうか、しなければいけないのだろうか、できるのだろうか。
最近はそんなことばかりを考えながら、試験管と睨めっこする日々を送っている。
明るい姉が好きだ。優しい母が好きだ。そして田舎ながら自然豊かな地元が好きだ。昔からその気持ちは変わらないはずなのに、今年の年末年始に帰省するのだと思うと、どうも憂鬱になる。話のベクトルがまるで違う姉の旦那への挨拶文を考えるのは、データ解析のプログラミングを書くよりも難解である。
年末の帰省の際に彼氏が出来たとでも言えば、姉や両親は喜ぶのだろうか。そんなことを考えながら、私は今も件の男性と中身の薄いメッセージをやり取りしている。
昔からヒラヒラしたフリルや服に憧れていたものの地黒ブサイクなので似合わねぇなと気づき普段は地味な服を着ている。金もないし。
数年前親戚の結婚式でレンタルしたパーティードレスを着た時に謎の高揚感があった。フワフワヒラヒラのドレスって動く度に揺れるから楽しくて着心地が良かったのだ。
それ以降古着屋やネットで1000円以下の可愛いドレスを買って部屋着にしている。パーティドレス、ウェディングドレス、ゴスロリドレス。それらを着ながら家事したりゲームやったり筋トレしたり寝転んで鼻毛抜いたりケツ掻きながら煎餅食ったりしてる。
ヘアメイクはしてない。ドレス着たらヘアメイクをしなくてはならない法律が無くて良かった。
友達にも家族にも言ってないが言う必要も無い。宅配便来たら上にジャージ着て出てるし誰かに見せるつもりも毛頭ない。年齢と見た目から似合うものではないのは生まれつき知っている。これは私による私のためのイベントなのだ。