はてなキーワード: 街道とは
かくいう増田の家も街の端っこにある
家の裏は性悪な地主おじさんが雑に管理してる、木も生えてる竹藪なんだか竹も生えてる雑木林なんだか分からん敷地がある
近所の池のそばを通るとウシガエルが鳴いてる(子供の時は苦手だった)
季節によって麦畑とか綺麗な緑の田んぼとか黄金色の田んぼとかみかん畑とかが見える
雨の後は遠くの山の稜線が綺麗に見える
車で10分圏内ならスーパー6つ、ドラスト5つ、スタバが1つある
病院はよくある○○科なら大体ある
デカいレース?とかやる競馬場はある(そういう日は道がクソ混むのが嫌だけど街の道路整備とかに補助金みたいなの出してくれてるっぽいからあんまり文句言えない)
ファストフードとか丼もののお店とかファミレスとか、そういうよくあるチェーン店は割とある
個人経営の珈琲が美味しい喫茶店とか石窯のあるカフェとかインドカレーや中華以外の外国料理のお店もある(都心の飲食店ガチャで場所代マシマシみたいな値段と味のとこを引くよりは満足できる)
本屋はTSUTAYA系のやつができて他の店は駆逐された(他の店は品揃え悪かったから別にいいやって感じ)
いちおう跡地とか城趾はあるけど敷地?があるだけなのであまりランドマーク感はない
あと変な名前だと思ってた地名は江戸時代初期からあったものだったりする
同じ時期から残ってる市内の別の地名のついた神社にはちょっと危ない伝統神事みたいなのがある(住んでる場所から離れてるから増田は直接関わりを持ってないけど、その出身の人には神事経験者もいる。危ないのによくやるな〜すごいな〜って思ってる)
他にも○○街道で昔は宿場だったのかな?って感じの地名とかある
もう10年になるので垂れ流し。
サークラ寸前まで持ってった問題児の対応やってたら〇されかけて警察駆け込んだら退学ちらつかされて病んだ
裁判で勝ったけど逆恨みに嫌がらせされまくってメンヘラ街道まっしぐらになった
大学2年の時創作サークルにいたけど、同期でよくサークル除名にならんなってぐらいヤバい奴がいた(Aとする)
Aの悪行は正直ぶっ飛んでて書ききれないが
・寮の器物破損
最早退学でもいいレベルなのに謎の力で学生課がナイト君ばりにちょっかい出してきて辞めさせられない呪いの装備化してた。
次何かやったら退部させるからなって言ってた矢先に暴言ぶっ放してスリーアウトに。
Aを守る聖騎士学生課くんが無罪を言い張ったが器物破損以外の証拠全部出して無期限謹慎に。残念でもないし当然。
しかし1週間もしないうちに「辛いです…創作が好きだから」とか抜かしてきたんで流石に審査してから判断する流れに。
そこで何を思ったか自分は立候補してしまい火中の栗を拾う係に無事任命される。
まず被害の洗い出しをしたら余罪がメントスコーラレベルで出てきて肝が冷えた。
この時点で嫌な予感がしてたので助っ人を召喚。直接の交渉を担当してもらった。
並行して再発防止案を提出するようにAに伝えてかなり真っ当なものが出てきたが受け取り翌日に比較的交流があった部員にメール。
「自分は綺麗な子とお話がしたかっただけ、気を引くようなカッコしてる方が悪い」
助っ人からも反省の色なしという返答をもらい、会議の結果退部勧告を出すことに。
密室は危ないということで人の多い場所に逃げ込めるオープンエリアで伝えることに。が、助っ人は急用でいけなくなってしまい、急遽1対1に。
メールのコピーと退部勧告の書類をお渡ししたところ突然Aが自分はお前より年上だ、尊敬が足りないとか言われて「?」となる
もう早く離れたかったので「異議申し立てがあるなら助っ人さんに伝えてくれ」と退席しようとしたらAが発狂。
どこから持ち出した刃物で「〇してやる!!」って追いかけられ命の危険を感じ、事情を知った人たちの協力で近くの施設に逃げ込む。
ところが空いてた勝手口からAが侵入、あわや数センチというところで近くの人数名がAを拘束。
職員さんが保護してくれて父に連絡。あと数秒遅れていたらという恐怖と混乱で涙ちぴちぴちゃぱちゃぱ
父到着。改めて加害者の話が聞きたいと言ったらAはもう帰らせたと聞かされる。絶句。
理由を聞くとAが大泣きしながら「退部なんてああああんまりだあああああ」とか言ってて本人は悪くない!と判断したから。は?(激怒)
父ゆき「なんだろう、カッとなったからって刃物持って追いかけて回す理由にはならないですよね?」
出るとこ出ようということで110番押そうとしたら学生課くんが2週間謹慎させるから!と迫真のナイトっぷりを披露。仕方ないので破ったらサツで。で解散
なんと3日で破った。サークル行こうとしたらしい。こんな三日坊主ある?
約束の地、警察署へ。6時間ぐらい拘束される。疲れてへとへとなところに学生課からサツに垂れ込んだな!じゃあホラホラ来いよオラァ!TELされる。
行くとAは要配慮の学生だったのに!未来をつぶすようなこと容認できない、ほかの所にでもいけと実質退学ちらつかされ連日の疲れで自分が悪いんだと自責スパイラルに。
警察の聞き取り、実況見分、供述・・・に就活が重なり完全に精神崩壊。無事ゴミカスチー牛デブメンヘラが出来上がってしまう。
Aは警察にすらすっとぼけを繰り返し裁判へ。今度は検察からのラブコールで時計仕掛けのオレンジ状態に。判決は有罪だったのだけが救い。(←フェイク入れる原因)
当然Aのやったことは許されないが、自分も相当にやらかしてる。
ハイリスクな人物なのを事前に知っていた上に助っ人が来れないという状況だったにも関わらず自分はその場でリスケジューリングしなかったんだと強く反省している。
少なくとも、これができていたなら後に続く全てを多少なりとも回避できただろう。
日程をずらせなかったのなら、信頼できる人間を数名、同席させるだけでも状況は変わっただろう。
命の危険が差し迫っていた、事前に想定していたとはいえAが怒りから別のものに矛先を向ける可能性も十分にあった。そうなればこれ以上の惨劇を引き起こしていただろう。
人間は、わかっていても刃物を目の前にしてとっさに動けない。恐怖で足がすくむ。数センチまで差し迫った時も誰かの「右に!」という叫びがなければ無事では済まされなかった。そういう勇気ある人たちの命を危険に晒した、その点において自分の行動は何ら擁護できない。
Aが取り押さえられた時点で110番でよかったのだ。Aのやったことは十分犯罪だったことは後の裁判で証明されている。
明らかに大学側の対応はAに肩入れしていたのだから、大学主体での問題解決ははなから期待できなかった。
どんな場所であれ、刃物をもって暴れること自体がすでに危険なのだ。毅然とした対応をとれなかった時点で付け入る隙を与えてしまった。
Aは裁判の後も何も知らない後輩たちに自分のせいで退学にされそうになったとあちらこちらで吹き込んでいた。結局、最後まで罪を認めることはなかった。
正直Aのことはもうどうでもいいと思っているし、今後関わらないならそれでいい。
自分はいまでも立ち直れてない。しばらく喋ること自体が怖くなって声を失ったこともある。
それでもあの時取り押さえるために奮闘してくれた人たちや退学の話を聞いてすぐに撤回するように掛け合ってくれた教授のおかげで何とか学位はもらうことができた。
まず最初にアンチ石丸さんについて、石丸さんの発言からあいつ中身ないし、何言ってるかわからないから頭悪い。
頭良い人は頭悪い人にもわかりやすく説明するから、石丸は頭悪いみたいな論法に対する回答としては、それは間違いかなと。
石丸さんが頭良いか、頭悪いかでいうと、それは頭は良いでしょと思う。
普通に京大出て、UFJのエリート街道(海外任されるくらいだから勝手にそう思ってるけど)に乗って、地方とはいえ市長になって、都知事選に出て得票数2位まで取って、これで頭悪かったら人類の99.9%は頭悪いでしょう。
中身がないとか、何言ってるか分からないから頭悪いっていう問題については、頭の良さと分かりやすく説明する能力は別能力だと思う。
哲学書読んでみ?稀代の天才達が書いたこと、ほとんど何言ってるか分からないよ。
説明の能力とは別に、説明の目的もあると思う。ある事柄について10%くらい間違った理解させても良いなら大抵のことは分かりやすくなるけど、100%完全に理解してもらいたいと思ったらかなり厳密に言葉を使わないと達成できなくて、多分だけど石丸さんは後者なんだと思う。
それが良いことかどうかは別の議論。まあ90%理解でも国民に理解させるのも議員の仕事といえば、まあそれはそうかもとは思うし別にそこ否定する気は全くないです。
石丸さんは前者もできる人なんじゃないかな。普通にやってる時もあるし。ただ、後者を大事にしてる人なんだろうなっていう感想。
あとは人格批判する人はよく分からないですね。パワハラしそうとか。
まあ個人の感想なのでどうでも良いですが、人相が悪いとかパワハラするとか、石丸の本質は、とか言ってる人見ると、あなたは今までの人生でちょっとでも人間関係で全く被害を被ったことないのね?とは思う。
会ったこともない人の本質分かるくらいだから人事部長とかやった方がいいですよ。最強の従業員揃えられる。
石丸さんが性格良いとか悪いとか、正直分からんです。会ったこともないし。
少なくとも論理で話する人には見えるから、個人的にはああいう人の方が上司だと色々予想はしやすいと思う。
論理が伴ってれば特に問題なさそうだし、論理が弱いとめっちゃ突っ込まれそうだし。後者が多い人は面倒臭い上司っていう感想を得るんでしょうね。
ちなみに自分も多分後者なので面倒だとは思うかもしれませんが、別にそんなに嫌いなタイプの上司ではないかな。
忙しい時に突っ込まれたらムカつくけど、落ち着いて考えると別に間違ったことは言ってなかったなってなるタイプなので。
他にも石丸がこんなに票取れるの意味わからんとか、理解できないって言ってる人もいましたけど、石丸さんは自分の活動であれだけ票が取れると思ってたからあのような活動とか発言をしたわけで、それが理解できてないっていうことは少なくとも発言者が石丸さんより選挙においては劣っているっていうことの証左になるなと。
石丸アンチなのに自分が石丸以下であるって発表するとはこれいかにって感じ。
とまあ石丸さん擁護っぽいことを書き連ねましたが、別に石丸信者でもなくアンチ界隈のツイッタランドを見た感想でした。
上にも書いたけど正直人間性とかよく分からんし、批判すべき点もあるだろうから、石丸さんなら絶対に日本を良くしてくれる!みたいな信者も個人的には理解できない。(特に否定もせんけど)
最初に言っておくが「リアルな冒険をするために敢えて不便なつくりにしている」といった言い訳には逃げないで欲しい。
たとえば「牛車に乗っていると定期的にモンスターに襲われて牛車が壊れてしまう」というのはまったくリアルではない。
なぜなら現実でそういう状況になれば、絶対に何かしら対策をして問題解決を目指すからだ。
不便さに対する「もしこれが現実ならこうやって解決するのにな」というプレイヤーの発想を実現してこそゲームはリアルになるのだ。
一つは、当然だが「徒歩」である。
もう一つは「刹那の飛石」というアイテムを使ってのファストトラベル。
アイテムの数が限られていて気軽に使えないのは、なるべくファストトラベルを使わずにフィールドを探索してくれ、という考えからだろう。
牛車に乗りながら「目を閉じる」を選ぶと瞬時に(ゲーム内時間は進むが)目的地に着く、つまり実質的なファストトラベルになる。
が、ゲームのコンセプトからすれば、なるべく「目を閉じる」のは避けて、のんびりと牛車に乗っていきたいところだ。
道沿いの敵を倒しながら進むのも、ふと遠くに見えた建物を目指して途中下車するのも、いかにも冒険らしいじゃないか。
……と思ったら、これが遅い。あまりにも遅すぎる。せめて徒歩と同程度の速度はあってほしかった。
このカタツムリのような速度で目的地に向かうのは非現実的である。
ファストトラベルをして欲しくないのではなかったのか?
牛車は「夜間は休んで安全な昼間だけ走る」設定のはずなのだが、この遅さのせいで目的地に辿り着くまでに確実に夜に突入する。
そして夜になったために湧いてきたモンスターに襲われて牛車は破壊されてしまう。
途中でキャンプでもすればいいのに。そのほうがよほどリアルだし、旅っぽいと思うのだが。
このゲームのフィールドは高低差がきつく、街道から少しでも離れると崖だらけになって、まともに進めなくなる。
つまり道なりに進むことを余儀なくされる。プレイヤーの行動範囲が道沿いに限定されてしまう。
見晴らしも悪いので「遠くに見えるあの建物を目指してみよう」といったオープンワールドならではの体験も起こりにくい。
そしてプレイヤーが道沿いでしか行動できないということは、強力なモンスターも道沿いに配置しないといけないということだ。
牛車が行き交う主要街道に、巨大なサイクロプスやミノタウロスが頻繁に登場する。
王都のすぐそばにオーガがよく出現しているのだが、あの暇を持て余している兵士たちは討伐に向かわないのだろうか。
たとえば、街道は兵士が警備していてわりと安全であり、街道から離れるほど強力なモンスターが出現しやすい、といった設定でいいのではないか。
たまに街道に大型モンスターが出現したら、大騒ぎになって討伐部隊が結成されて、そこに主人公も参加できる。
みたいな感じにすれば、それ自体が面白いイベントになると思うのだが。
開発陣がとても頑張っていることはよくわかる。
かなり規模の大きなオープンワールドを作り上げているし、戦闘システムにも光るものがある。
NPCの制御なんかも凝っていて、プレイヤーの行動に応じて意外な反応があったりする。
シナリオは薄味で、セリフは淡白で、イベントはバグだらけで、ロールプレイしようと思うと冷める瞬間が非常に多いのだが。
それでも「開発陣はこういうことがやりたいんだろうな」というのは伝わってくる。
仕事はエンジニア。正社員で年収は600万、貯金は1000万くらい。
休みの日は料理をするか、勉強するか、ソシャゲをやるか、ソシャゲの二次創作をしてる。
グレーゾーンだろうけど多分発達で、多動、不注意、先送りがあり部屋はかなり汚い。仕事はギリなんとかなってる。ラインなども非常に遅くよく友人には怒られていた。
家族仲はよくて、親ガチャはあたりだったけど、上記のことがあるので人と暮らすのは結構しんどくずっと一人暮らしをしている。
毎日は穏やかで悪くないけど、最近オタク含めた知り合いがほとんど結婚して子供を生んだので寂しさと不安がある。オタクはみんなこんなもんかと思ってたけど、わたしだけだったんだ‥っていう。
人付き合いもなくネットにどっぷり使って生きているので、独身は皆悲惨な老後になるってめちゃ煽られて不安になって先月結婚相談所に入会して人と会っている。だが多分結婚はしないと思う。35も半分くらいまで来ているので子供を作れるかわからないのに結婚をする意味がない。仮に子供ができても、障害を持っていたらもっと困る。できないほうがマシだ。
結婚に求めるものは男ではなく子供だが、それを得るにはわたし本体が年を取りすぎているのである。子供がほしいのは老後の面倒を見てほしいからで、別に育てたいわけではない。
己のため、社会のためにも独身街道を進むのが良いのだろうとは思っている。だが、今なにかしとかないとなんじゃないのか〜と婚活をしてしまう。とにかく損をしたくない。そして、もし結婚でしたらまともになれるのではないかと思ったりもしている
自分と似たような立場の人間がいなくて不安だ。東京には4割の独身女性がいるという。なのに全然見ない。会社でも、30代はわたし以外はみんな既婚だ。
男の同年代・年上の独身はよく見るが女は本当に見ない そしていたとしても婚活をしている
ただ、ネットの煽りんちゅの言うような悲惨な老後は果たしてくるのかは疑問がある。最近きな臭いし、中国は有事を起こそうとしてるし、大地震の予兆もあるし、老後が来る前におっ死んでるんじゃないだろうか?
まあ平穏なママ40年が過ぎて老後がきたとしたら、現実的なところ、安楽死しかないんじゃないかと思う
年収が低いとはいえないが高くもなく、別に仕事にやる気もない 金融資産も含めれば三千万位は貯められるだろうが、老後に見合う金額ではない
今後の人生でやりたいことが親をいい感じに看取ることしかないので、親なき後は無敵の人になる気がしている 食い詰めれば、簡単に社会に激しい憎悪を抱くと思う 年を食って賃貸断られでもすればあっさりそうなる気がする
失って惜しむようなものをもっていなければ、何でもできちゃうよね
こういう人を抑制するためには安楽死という餌をぶら下げて統制するしかないのではないか
諸外国はそれなりに上手く運用しているのでまずはそれをパクればよいと思う
自分のような人間が無敵の人にならずまともな老後を送るには、いい感じの安楽死制度がないとまず無理
大人しく床のシミになるのはムカつくじゃん
クリスチャン・ホーナーのセクハラ騒動から端を発したレッドブルチームのゴタゴタが沈静化しない。
当初はあり得るわけがないと受け止められていたフェルスタッペンのメルセデスへの移籍も絶対にありえないわけではないと真実味を帯びつつある。
とはいえ、果たして現在最強のマシンをフェルスタッペンが本当に捨てることなんてありえるのか?
筆者はありえると考える。
といっても、
レースで勝つためにはレッドブル以外のチームへと移籍しなくてはならない。
そのためには現在長期契約を結んでしまっているレッドブルと何らかの方法で契約を解除しなければならない。
そのための方便としてレッドブルチームのお家騒動を利用しようとしているのではないか?
御存知のとおりF1は2026年から大幅にレギュレーションが変わる。
そのときに果たしてレッドブルは勝つためのPUを用意できるのか?
そのことをフェルスタッペンは疑問視しているのではないだろうか?
2026年には現在レッドブルにPUを供給しているホンダとは袂を分かち、
レッドブルは自社製のエンジンとフォードが開発した電動モーター部分で戦うことになる。
そのことを不安視しているのではないだろうか。
以前は、その非常に優れたドライビングテクニックをもってしても
優勝どころかトップ争いに絡むこと無く終わるレースのほうが多かった。
その主な要因は競争力のないルノーのパワーユニットに起因するものだった。
シャーシー自体は優れていた。
それは史上、最も優秀なF1カーデザイナーであるエイドリアン・ニューウェイの設計によるものだからだ。
それでもPUが駄目ならば勝てないのだ。
2026年からのPUは当初それほど難しいものではないと目されていた。
現在のターボエンジンから排出した熱エネルギーを電気へと変換しそれでモーターを回すなどという目もくらむような複雑さを捨てて
単純にエンジンとモータを組み合わせるだけのシンプルなものになるはずだった。
しかし、フタを開けてみるとそれほど簡単なものではないことが理解されるようになった。
ICEの信頼性が非常に重要なシステムであることが判明したのだ。
エンジンをできるだけ全開にして発電をしたい。
コーナーの立ち上がり部分やストレート部分以外でもICEを全開にして発電をしなければ、
サーキットの途中でバッテリーのエネルギーが枯渇して失速してしまう。
これまで数十年もの歳月をエンジンと向き合ってきた企業が作り出す
ICEと互角に戦うことが出来るのだろうか?
そのように考えたときに他のチームへと移籍する可能性を考慮しないわけにはいかないのではないか。
とくにフェルスタッペンのようにルノーパワーユニットに幾度となく苦虫を噛み潰すほかなかった経験を持つドライバーなら。
もちろん、フェルスタッペンが来年他チームに移籍したなら来年度のチャンピオンシップは捨てることになる可能性が高い
これの逆バージョン https://anond.hatelabo.jp/20240313123638
巣鴨プリズン/東京拘置所跡にサンシャイン60ビルを建てるにあたり、池袋駅から地下道を通す計画があったが、地元商店が「人の流れが変わって駅前が廃れる」と反対し沙汰止みになった。
一番反対したのは洋菓子店のタカセ。ここは戦後に繁盛して地元の顔的な立場であった。
これに他の人は「タカセのヤツ、勝手に顔役ぶりやがって」と陰口を叩き、裏では総スカン。
地下道は都道反対側からだけに短縮されてそこまで利用者は歩くことになった。代わりに都バス乗り入れが行われたが利用者は伸びなかった。
しかし地下道入口に東急ハンズがオープンすると付近にカメラ量販店(後にゲーセン)、飲食ビル、映画館が誕生し、池袋駅東口~東急ハンズは若年向けの飲食サービス業が立ち並ぶ大商圏となった。
90年代にJRAは女性をターゲットとしたCMを打つなど競馬のイメージアップに努めてはいた。
だが池袋駅東口に場外馬券売り場を開設する計画が持ち上がるとイメージの悪化を恐れて地元商工会は大反対。JRAは土地も押さえていたが出店中止に。馬券売り場の上にサロンや飲食室などを設ける大規模な計画だった。
この土地を後にヤマダ電機が押さえて都市型店舗の第一号としてオープン。その後に近くの三越が閉店して建物が売りに出されるとヤマダ電機が取得して現在のLABIとなり、池袋の家電激戦区っぷりに火を注いだ。
米軍が接収した立川飛行場は手狭のためにジェット機用に滑走路を延長する計画があった。この為に滑走路延長先の砂川町の農地や家屋に収用が掛かった。
これに住民は大反対し、そこに学生運動等が乗っかり、デモ隊基地内侵入などの事件が起こり大騒動になった。
憲法問題などで出てくる「砂川事件/砂川判決」というのはこの事件。
この事件などがどの程度影響を与えたかは判らぬが、米軍は立川飛行場の拡大を諦め、瑞穂町の横田基地に集約する事を決定。立川飛行場は日本に返還される事になった。
箱根ヶ崎付近の八高線と国道16号がぐにゃっと曲がっているのは、横田基地の滑走路拡大をした為である。
返還された立川飛行場は学校や研究所、法務修習所、陸自基地などに転用されたが、一番広い面積を有するのは昭和記念公園で、電車で3駅分ほどもある巨大公園となった。
真ん中には広大な広場もあり、大コンサートもよく行われている。
なお、騒動の原因となった滑走路の残骸が未だ残っている。https://maps.app.goo.gl/ewECyedzGvD9p88t7
(よく見ると滑走路アプローチの>>>>のペイントがうっすら残る)
東海道新幹線が開通して暫くすると、騒音と振動が問題になり訴訟も提起されるようになった。成田新幹線のゴリ押しによる頓挫もあり、山陽新幹線以降の新幹線開通は困難が予想されるようになった。
そこで都市近郊での建設スキームを変更、新幹線に付随した在来線も同時に工事して迷惑施設というだけではなくて近隣住民の利益にもなるスキームにした。
この為に赤羽~大宮間では通勤新線(埼京線)、大宮駅北側には高架にまとわりつく、つる植物のような新交通線が出来た。
なお、東海道新幹線は通常の鉄道のように地面に砕石を敷いて線路を敷く工法なので高速運転では周囲に振動が伝わる。その後は平地でも鉄筋コンクリートの高架を走るのが一般化した。杭基礎で支持されるので振動は地下奥深くに吸収され、コンクリの高架は重いので振動自体が押さえられる。その為に公害は発生しにくくなっているが、交渉時には工法までははっきりしていなかったのでこういう形になった。
空襲焼失地区の戦後の復興は東京都などが管理して区画整理などを行ったが、計画的過ぎて無機質であるとの反対意見も多かった。
そこで都は神楽坂については住民同士の話し合いで区画整理を決める自律的な方法を試す事にした。
しかし優越な資本や有力な地元のまとめ役が居ない地区だったので、結局は路地などが沢山残る防災的にはアウトな形で復興する事になってしまった。
しかし建物の建て替えが進むと、街路側は多くが不燃建物、その路地の奥は不燃建物と古い料亭などが混在する形となって何だか防火と風流の両手取りみたいな地区になって、アンテナの高い外国人などにも好かれる町並みとなっている。
戦後の歌舞伎町は全域がゴールデン街のような闇市バラック状態であったが、再開発をする事になった。
しかし高田馬場を始発駅とする西武新宿線が新宿駅まで伸びる予定であり、歌舞伎町の付近に仮駅を設置された。
当時の西武鉄道経営陣としてはピストル堤と言われた堤康次郎も健在であり、堤は人を騙して土地を買収したり、ピストルの名の通りに暴力による脅迫で買収したり人の土地を勝手に占有して後に所有権移転したりと、要するにやり手実業家の皮を被ったヤクザであった。しかも権力とみっちりと癒着しているばかりかその後に代議士にもなっていた。
その為に歌舞伎町の地主たちは鉄道が来るのは歓迎だが堤が来るのはたまらねぇ、として西武の買収に対抗する策を練った。
そこで街路幅はきちんと確保しながらも、その所有区分を細分化、買収しにくくした。それが功を奏して西武も含め、大資本が入り難い地域となっている。道幅を確保しながらも細分化策が功を奏したのは主導的な町会長などが存在した為による。
ブクマページの米でそれは違うというのを幾つか。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240313123638
流山は常磐線忌避したという話は良く効くが、多分これは違う。というのも、地理的条件があるからだ。
田端を起点にして北千住を通り、土浦に至るというのは決まっていた。で、その途中には避けねばならぬ「水」があるわけよ。霞ヶ浦、牛久沼、手賀沼は避けねばならない。だから柏の先のルートはこれしかない。
問題は北千住から柏で、今の南回り松戸ルート、八潮→三郷→流山の北回りルート(TXコース)がある。
でも北ルートには難点があって、それは毛長川、大場川、古利根川の氾濫域の土壌ぐちゃぐちゃ地帯に入ってしまう。今でも越谷レイクタウンの南側は田んぼのままで、ここは乱開発すると土地の保水力が無くなり八潮の市街で出水してしまうので開発禁止の状態になっている。武蔵野線敷く時もまず水路の開削からやって平地なのに築堤築いている。そうしないと列車の振動で沈下して線路が狂ってしまう。それくらい地盤が悪い地域だ。
だから日本鉄道はここを通るのは避けたかったはずで、そうすると流山に行くのは無理って事なのだ。
日光御成街道の宿場町として栄えた名残が邪魔して鉄道忌避の街になり、ついに川口市に吸収合併された、元鳩ヶ谷市とか?東北本線って計画では、王子以北は今の埼玉高速鉄道をなぞってたって言うし
これも違うと言い切れる。地形で説明するよ。
日本鉄道熊谷線(現高崎線)は日本で2番目の鉄道なので工事量を減らす為に「ここしか無い」という厳選されたコースを通っているのだ。工事期間がやたらと短いのも特長で、コースを厳選した結果だ。
上野駅を出た京浜東北線(大宮までは中距離電車じゃなくてこっちが元のルートを通る)は赤羽までずっと急な崖の下を通る。この崖だが、真っすぐなのが特長だ。こういう真っすぐな崖というのは海食崖の特長だ。海の崖だね。
地球の海面は氷河期には氷河や南極に氷となって蓄積するので海面が下がる。一方、温暖な間氷期には海面は上がり、平野のずっと奥までが水没してしまう(海進)。
縄文時代などの間氷期の海進で、関東平野は海の底となり遠浅の海となっていた(奥東京湾)。間氷期の気温で海進の程度は変わり、最大で高崎あたり、縄文時代では大宮までが奥東京湾だった。(そういう訳で、尾久とか東三条には貝塚がある)
海には波がある。この波は真っすぐ進んでドンと当たって止まり、ではない。斜めに陸に当たった時は、陸に当たった後にその勢いは横に流れる。波が引く時はその横向きの流れのままに引く。沿岸流が出来るのである。
すると陸の出っ張っている所は削られて、やがて必ず真っすぐな海岸になるのである。
つまり、上野~赤羽の崖が真っすぐなのは海進時に波に削られたせいである。
波は崖を真っすぐに削っていくが、この時潮の干満により崖の下には平場が出来る。満ち潮では海面下に隠れているが引き潮では通れたりするアレだ。親不知子不知が引き潮の時だけ取れるというアレ。
上野~赤羽では小規模な波蝕台が連続し京浜東北線はこの上を通る。但し複々線化で判り難くなってはいるが。
この波蝕台跡は他の低地より少し高いから田んぼになっていないので用地買収がしやすい。更に少し高い故に大雨でも出水しにくいし、砂礫が多いので水捌けも良い。線路用地として優秀なんだな。
陸地の角があると波による沿岸流はその先に砂を置いていく(漂砂)ので、真っすぐの海岸線が延長された地形が出来る。砂嘴である。北海道標津の野付半島や京都の天橋立が有名だ。砂嘴で延長された浜により沿岸流と漂砂の働きも延長されるから砂嘴はどんどん伸びていき海底が深くなると砂嘴の延長はとまる。
この先で荒川を渡らねばならないので当然線路はこの砂嘴の上を走る。高さを稼ぐ為である。この砂嘴は江戸時代の荒川開削と田んぼ開発により削られているが、根元だけは残っている。赤羽の北で環八を跨ぐ時の橋台はこの砂嘴に乗っている。
当時蛇行していた荒川を真っすぐ渡る為に(鉄橋の距離が短くなるから)右に曲がり、荒川を渡る。川口方には堤防(曽根)があるのでそれを超えると熊谷に向けて左に曲がりながら築堤で地平に降りていく。地平に降りた所に川口町駅設置。川口宿からは離れているが駅は水平でないといけないのでここしか無い。
川口町駅からは当初の終点熊谷、その先の高崎までは殆ど直線なのだが、所々に緩いカーブがある。このカーブの全てには必然性があり、全て工事の最小化の為のものだ。
南浦和までは低地にあるが、この先で大宮台地に登る。そこで沢が削った斜面に入り、他の沢の斜面側面に取りついて高さを稼いでいく。
浦和駅からはもう芸術点が高く、沢山の小さな沢がある所を、最小限のカーブでその谷頭を両側でギリギリかすめるルートを取っている。ここはダッジボーナスが沢山入る所だろう。舞踏家みたいな避け方である。
大宮から先も小さいカーブで芸術点高いルートを通るが、中仙道に平行している。中仙道自体が芸術点高いルートを通っているのでこの区間はコピー忍者って感じだ。
このルートの良いところはもう一つあって、途中の蕨から中仙道が平行してくるので宿場町近くに駅を造れば集客と集荷が期待できる。更に当時は道が限定されているので、名のある街道に近くないと客や貨物が駅に来れないのだ。
文明開化したばかりの明治日本が、鉄道二本目でこんだけ緻密なルート選定出来たのは何故か?
お雇い外国人の英国人の力だけではない。江戸時代に新田開発と用水路開削をしまくっていた為なのだ。
台地上に水田を作る場合、もっと標高が高い場所から用水路を引いてくる必要がある。水は一度低いところに行ってしまったらもう高さが上がらないから、長距離の測量を正確にせねばならない。その技術が蓄積されていた。
やり方は結構単純だ。長い木箱を作り(水盛り箱という)、水を入れる。水面は必ず水平だ。両端の水面から10センチのところに糸を張ったらそれも水平だ(水糸という)。
更に両端の水面から10センチのところにライフルの照準的なものをセットする。その照準で200m先を見て、照準が合っている場所はやはり水平だ。200m先に助手が目盛りが付いた物差しを持って立つと、その地面はこっち側から何センチ下/上がっているかが判る。
これをずっと正確に繰り返す。だから両側の谷頭の直ぐ上を抜けるルートなんてお茶の子さいさいだったかもしれない。
という訳で、日本鉄道などが造った初期の鉄道路線は土木技術で地形無視って事を極力避けるルート選定をしているので、マクロ的にもミクロ的にも必然性の塊となっているのでありますよ。
私立を先に受けて合格したら少し難易度上げて公立にチャレンジするか、妥当なレベルにするか。
そんな駆け引きがあった。
両親ともに必死で働いていた。
ともかく私立を受験させてもらえなかった、受かっても学費が払えない。
普通の家庭はそれでも念のために受験するのだが、公立一本が親の方針。
私立を受けていないので公立は確実に受かる下の下の受験しか認められなかった。
俺は頭が良かった、中学でやらされたIQテストは相当スコアが高かったらしい。
しかし、そう、頭が良いのが欠点だった、俺は猛烈に怠惰な人間だった。
なんとかなっちゃうんだもん、そりゃ世の中ナメる
アホ街道まっしぐらで大学受験にも失敗し専門学校にしか進学出来なかった。
ともかく、なんやかやで今でも生きてるが
不幸か?
能力よりも下のところで生きるの楽でいいんだわ
2,3時間労働すれば周りと同じアウトプットが出せちゃう、器用だから。
あぁこれが塞翁が馬かと
そんなもんわからんじゃん
思い通りの高校に入ってたら、悲惨な出会いや経験になってたかもしれない
逃した魚は大きい、入るはずだった高校に入れなかった事件が中学生にとって大きな人生のターニングポイント、転落の序章に感じるのもわかる
が、人生に大した影響は無い
アホはアホなりの人生だし
利口なら高校がどこだろうがどうにかなる
大した問題ではない
マスコミ大騒ぎしてるが、アホかとw
豊田市は割と栄えてると思うけど、デンソーやアイシンがある刈谷市はショボショボ。まあそれこそ名古屋に吸収されてるという気はするけど。
言われてみると、豊田市駅も42万人都市の玄関駅の割にしょぼいな
でも、愛知の場合は電車社会じゃなくて、車社会だからっていうのがいちばんしっくり来る
名古屋から豊田でも電車使わずに車で行く連中はかなりいるだろう
浜松が栄えてるのは、東海道の大きな宿場町だった、ってことも結構大きそうに思うわ
岡崎が三河だと大きな街だけど、あれは完全に宿場町の名残と思う
気になったので、豊田、刈谷についても調べてみたんだけど、この二つは大きな宿場町はないことが判明した
豊田の端に足助という宿場町があるが、合併で豊田市になったような端なので、ちょっと例外かな
一方、厚木はどうだったか調べたら、交通の要所で大きな宿場だったらしい
答えは、古くから栄えた街がそのまま現代でも栄えたってことだったっぽいね
明治まで市川は湘南のような避暑地別荘地だったみたいだから、栄えてなかったんだよね
千葉の人間は生活スタイルとして完全に郊外型なので、田舎と同じで駅前商店街が廃れてイオン的なモールに全て吸収される傾向はあるかも。
俺はあまりの酷さに耐えられず車手放した
なんか答えが出た気がするわ、ありがとう
目の前のことを一生懸命頑張ってるだけじゃ駄目だったって話。
訳あって日本国外に住んでいる。
この国については、何となくぼんやりと、いつかまた住みたいという小さな願いを持っていた。
記憶にも残らないほど昔に、自分はこの国に住んでいたからである。
日本では普通に義務教育と高校、大学を出た。大学は中堅ランクで、就活で大勝ちすることもないが特に苦労もなく一部上場企業に入社した。
高校までの自分は全く海外志向ではなかった。私立の高校で留年して留学に行く子もいたし、2週間ほどどこかの英語圏に行く交換プログラムみたいなのはそれなりの倍率で卒業してアメリカの大学に進学する友人もいたが自分がそれに興味を持つことはなかった。
何となく海外に興味を持ち始めたのは大学に入ってからで、それも世界で仕事をしたいとかそういうのではなバックパッカーで世界一周ってかっこいいな。程度のものであった。
小中高と成績は良い方だった。頭が良かったというよりテストはできるタイプだったから。自分にとって80点台は残念で、ほぼ全ての教科で90点台を取れた。そんな自分の一番の苦手科目は英語で、唯一90点台を取れない科目だったのだ。
通っていた高校の偏差値は68とかで、このように表現すると単に自分にとって出来の悪い教科だった程度に思われるかもしれないが、TOEICは350点前後が普通で少し勉強したくらいでは500点を超えられない。大学の英語の授業では、テストをして出来ない順に受講資格が割り当てられるという超基礎的な、そして簡単が故に人気の英語の講義の受講資格を見事得ることができた。それくらい出来ないのだ。
大学の専攻科目の成績はそこそこで、上の下か中の上くらいだったと思う。
社会人になってから今まで、何度も英語学習にトライしたが都度続かなかった。何となく海外。程度のモチベーションでは何がわからないかが分からない自分を律して勉強を続けることができなかった。
社会人になって一部上場企業に勤めたが、勤続7年目くらいで退職した。原因は精神的にだめになったから。家庭環境があまり良くなかったからなのか二十歳過ぎたあたりから精神を病み始め、社会人になり遂に家庭の抑圧から開放されたら生きる道標を見失ってしまったように思う。それまでは自活して家庭と決別することが人生の目標だったからである。
大手を辞め、立ち上げたばかりで社員5人くらいの会社に入った。一社目の大手は私にとってぬるま湯で仕事に充実を得られないことが不全感の原因ではないかと考え、ワーカーホリックな生活をしようと思ったからだ。
200時間残業したり会社の床で寝る生活を2年続けたら30歳を過ぎておりこれを続けていけないと思って退職した。精神疾患の方もまた悪い波が来ていて、何も上手く行かない生活、もう全てに疲れて、誰も知らないところでゆっくり休みたくなり当時のかかりつけ医に相談して精神科に任意入院した。もう自分は二度と表街道で働くことはできないと感じで退院後は馴染客だけを相手にBarで働いたりしていた。
でもやっぱりそこから飲食業で生きる覚悟もできず、何となく再開した前職の先輩に紹介された会社に拾ってもらった。そこは絵に描いたような零細企業でどのような金回りで経営が存続しているのか最後まで不明だった。
でも社長が私を買ってくれて色んな仕事をしているうちに、普通に朝起きて、普通に食事をして、普通に仕事をして、普通に寝るという生活ができるようになり、死への執着が薄れ、一人の人間として生きていくことがあまり怖くなくなった。
それでもその意味不明な零細企業でずっと働いていくことにも充実を見いだせず、辞めて今の国へ来た。
この国は英語圏ではなく、主に現地の言葉で生活しているが日常会話は困りません。とは全く言えないレベルだ。そして英語もできないままである。
そろそろ滞在期限が近づいているが、もう日本で仕事をしたくない。日本のきっちりとした社会に馴染めないとかそういうことではなく、日本にいる限り、仕事だけを頼りにしていたのに、その仕事で満たされなかった劣等感と喪失感が消えることはないからである。
そしてこの国が好きだ。
外国人として私がここに居続けるためには、現地語よりも英語が必要である。
何とかして少しでもレベルを上げないと行けないが、今は英語できないんですけど頑張るので採用してください。みたいなアプライもできないし、何をどうすればいいのだろうと途方に暮れてしまう。
ただ目の前のことを頑張って生きてきた。しかしそれではだめだったのだ。地続きの未来のためにはそれでは足りなかった。これは自己責任だ。
だけれど、20代〜30代前半ををほぼ病気で何とか死なずに生きてきた身としては、そうじゃなかった20代を過ごしてきた人間と比べて明らかに不利だろうという不満がどうしてもある。
でも人生は理不尽なものだし、もっと大変でも生き抜いてきた人もいるし、いつだってこれからの人生で今日が一番若いのだからこれからどうにかするしか無いのは分かっている。
生きることは働くことだと思う。
それは労働対価を得るようなものだけではなくて、社会的なアイデンティティを獲得するという意味だ。
そのコミュニティの中で価値を提供し必要とされる。そこに自身の充足を見出す。
それなくして生きていくことはできない。