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2018-05-20

日常ミステリ好きが【少女秘封録】を読んでもいいいくつかの理由

日常ミステリを好む方でも、2009年から足掛け10年、既刊19作にわたって続く『少女秘封録』(浅木原 忍 著)という作品を知っている方は、そう多くはないかと思う。

それも当然、これは東方Project二次創作として制作頒布されている同人誌であり、一般的知名度があるわけではない。

おっと、東方に興味はないとかいう方も、もうちょっと目を通してくれ。

詳細は後からゆっくり語るが、この作品。すこし特殊立ち位置なのだ。なにしろ、「東方Projectに関する前提知識は、ほとんど必要がない。」

どのくらい必要がないかというと、「東方はよく知っているがミステリ小説は読まない」人よりも、「東方はまったく知らないがミステリ小説はそれなりに読んでいる」という人のほうが、作中で語られるネタについて、より深く楽しめるだろうと思えるくらいだ。

ちなみに19作とはいっても、ストーリーの大きな流れはあるものの、ほとんどが連作短編集、たまに長編といった形で、各エピソードもほぼ独立していて、わりと気軽に手を取れることには言及しておく。

少しでも興味がわいたのなら幸い、もうちょっとこの語りを読んでいってほしい。

東方Project知識が(ほとんど)必要ない

さあ、まず、ここを説明しなければ始まらない。

まず、この作品は、東方の中でもやや特殊な「秘封俱楽部」の二次創作、という立ち位置であるそもそもこの「秘封俱楽部」、東方の主な舞台となる「幻想郷」とは切り離され、現実世界ベースとした世界設定になっている。

でも二次創作には違いないし、キャラも知らないし? 心配はいらない。導入となる第一作では、キャラクターを一から構築するのと変わらない丁寧さで、主役となる二人の背景をきちんと描いている。端的にいって、事前情報必要ない。

また、このシリーズの最大の特徴として、各エピソードは主役の女子大生二人と、「ゲストキャラクター」との絡みによって紡がれる。この「ゲスト」は、幻想郷の住人の「そっくりさん」ではあるが、あくまで作中の世界を生きる人々である

たとえば、「図書館魔女」が「図書館司書」だったり、「姉妹の騒霊楽団」が「姉妹バンド」だったり、「虎の妖怪」が「タイガースファンのお姉さん」だったりするアレンジのやりかたを楽しむくらいしか原作要素はない。

(もともと現実世界キャラである東風谷早苗がどういう扱いになるか気になる人は、『ヘビガエル・サナトリウム』を読むのだ)

大事ことなので繰り返すが、『少女秘封録』を読むにあたっては、東方Project原作の前提知識は、まず必要にならない。

ミステリ好きにはたまらない会話

「秘封俱楽部」を原作にしているとはいえ、それを「少女秘封録」という二次創作キャラクターとして肉付けするにあたって、もっとも大きなものは、「主役ふたりを、現代ミステリ小説マニア」にしたことだろう。

第一第一話『桜並木の満開の下』の冒頭で、語り手が手にしているのは、島田荘司『異邦の騎士』だったりする。

三月は深き紅の淵を』の感想から恩田陸論をたたかわせる女子大生ふたりとか、ちょっとゆっくり観察したいとは思わないだろうか。

探偵事務所」といわれて連想するのが巫弓彦の名探偵事務所だったり、カラット探偵事務所だったり、真備霊現象探求所だったりする会話は微笑ましくもなるだろう。

こればかりというわけでもないが、こんなふうに、マニアックになりすぎない程度に「ミステリ好き」を全面に押し出しミステリ小説、というのもちょっと貴重かもしれない。

良質な「日常の謎」

背景設定が設定だけに、物語全般としてはオカルトSFが入り混じる世界観になっている。しかし、ミステリとしてのパートはそのほとんどが「人の想い」のすれ違いによる、どこにでもある「日常の謎」である

そうやって生まれる謎に対して、主役のひとりはまっすぐ他人の心を思いやり、もうひとりは探偵の目をもって冷徹に、挑もうとする。しかしそれはどちらも、謎を解明することで、その謎を抱えるひとを幸せにしようとし、一貫している。

ひとの気持ち一筋縄はいかない。だからこそ、それに逃げずに、「探偵」として「助手」として、謎に、人に、向き合う。これは、そんな「日常の謎」の物語なのだ

手に入れるチャンス

そもそも、なぜ、このタイミングでこんな語りをしているのかといえば。

忘れてはいけない、この作品同人誌一期一会をつかみそこねたら入手が困難……

なのだが、ちょうど、ほぼ全巻の再販がかかったということで、この機会を逃すとほんとうに手に入らなくなるかも、しれないよ?

https://twitter.com/asagihara_s/status/997845336977625089

ちなみに、短編のうちいくつかはネット公開されているので、合うか合わないか、くらいの参考にはいいかもしれない。

http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/80/1247237593

http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/83/1249505488

http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/84/1250764821

2016-01-03

成人済みの童貞処女は異常者である

この世に生を受けて30年ほどになるが、僕の初体験は15歳の時であった。24歳で結婚するまでに8人ほどの女性と肉体関係を持った。恋人だったもいるし、恋人まで至らなかった人もいる。僕はそういう、いわゆる《普通》の人生を歩んできたわけだが、その中でさまざまな人間を見て来た。10歳で初体験を迎えた女性や、20歳を超えても童貞男性など、実に様々な人間がこの世にはいものだ。私はおびただしい人間を見てくるなかでひとつ法則見出した。それは、20歳を超えて童貞もしくは処女人間は、もれなく異常者であるということであるストーカーまがいの行為をしたり、精神科に通院していたりする。20歳を超えて童貞もしくは処女であるとは、そういう人間なのである

なぜ20歳で線を引くことができるのか。経験に拠るところが大きいが、論理的説明不可能ではない。まず、18歳までは確実にセーフである。なぜなら、女子高・男子校に通っていた学生には性行為の機会が十分に保証されていないからだ。しかし、その後の2年間を《普通》に過ごすことができたならば、確実にどこかのタイミングで性行為に至るであろう。これは自明のことである

2浪する人の話をする人がいるかもしれない。2浪するなど異常者である宗教的理由があると考える人もいるだろう。宗教を信じているなど異常者である社会大学で異性と仲良くなれなくて?そういう人間こそ正しく異常者である

具体例を話そう。僕の知人に27歳の童貞がいる。彼は中学高校生の頃、女子生徒の体育着に繰り返し射精していたらしい。本人は武勇伝のように語るが、どう考えても異常行動である。結局彼は成人後、妄想型の統合失調症となり現在サナトリウムで療養中である。彼の病が癒されることを願う気持ちに偽りはないが、やはり成人をしても童貞処女である人間は確実に異常者であることをますます強く確信するこの頃である

以上から、成人済みの童貞処女はもれなく異常者であることが理解いただけたと思う。

2015-05-19

伊勢崎サナトリウム生活は良かったよ

キチガイジジイがいたけど中はいいところだった

布団も綺麗だったし,サナトリウム独特の愛があった

むろん留置官は全然その生活認識してないのがほとんど

のようだが,中に居るヤクザがやっているんだろう。

伊勢崎留置場はホンマモンのええところだったよ

色々な生活経験した

どんな脳生活があったのかだけが大事だ。

越谷警察署留置場オウムだった

越谷前橋検察死体犯罪組織だった

伊勢崎留置場サナトリウムだった

さいたま拘置所川越少年刑)の単独室には昭和東京があり

共同室には優しい先生が居たが,ゴキブリキチガイ犯罪者の魔窟だった。

さいたま地裁越谷支部は死体だった。裁判官性格が悪く終わっていた。行っただけだった。

共同室は依然枯れ果てた老人の生活半年以上続き,魔窟だった。

東京拘は文化人の集合地であり天国だったが終わりかけていた。弁護士は死んでいた

東京高裁も死んでいたので行かなかった。生活はなく犯罪組織だった

黒羽刑は昭和東京だったが,質の低いものだった

2015-04-10

さんかれあ感想

 『さんかれあ』という漫画がある。とても面白かった。面白い物を読んだら、その面白さについて語り合いたい。だけど俺にはそんな気の利いた友達は居ないから、いつもはネットで他の人の感想文を読んで満足することにしている。だけど、『さんかれあ』については、ちょっと検索した程度では語っている人が見つからない。だから俺が書くことにした。増田に。この感想文を読んで、一人でも多くの人が、この作品を手に取ってくれたらいいな。

 では早速『さんかれあ』の魅力を語って行きたいのだが、ネタバレなしで語ることはできないので、そういうのが気になる人は先に『さんかれあ』を読み終わってから続きを読んで欲しい。

 などと言うだけで本当に本が売れるなら苦労はないので、まずは立ち読み感覚でこの物語を紹介をしようと思う。

 主人公ゾンビが大好きな男子高校生。死んだ飼い猫を生き返らせようと、廃墟で夜な夜な怪しい書物を元に蘇生薬を調合していた。その夜も薬の調合に精を出していると、同じく人に言えない秘密を抱えたヒロインと出くわす。ヒロインは良家のお嬢様なのだが、父親の偏狭的な愛から来る過度な束縛と、性的虐待ともとれる行為に打ちひしがれ、しかし誰にも相談できずに、ただ古井戸に向かって内心を叫ぶことで心のバランスを保っていた。彼女主人公の作っている蘇生薬に惹かれ、二人は薬を作るため深夜に密会するようになる。それを知ったヒロインの父は二人の仲を引き裂こうとするが、逆に不慮の事故から彼女を死なせてしまう。だがなんと、主人公の作った蘇生薬を飲んでいたおかげで、彼女ゾンビとして生き返ったのだった。これは人の道を外れ、やがて腐り果てる体となりながらも、ゾンビとして刹那人生を楽しもうとするヒロインと、その期望を叶えながらも、彼女を救う道を模索する主人公が織りなす、ボーイ・ミーツ・ガールな、ちょっとラブコメで、だいたい妖艶にエロくて、けどちょっと物悲しい、そんな青春物語──

 さあ、続きが気になるなら即Amazonポチろう! アニメにもなってるからDVDもいいぞ!

 では、以降は『さんかれあ』を読み終わったことを前提にして語っていこうか。この物語難病系の一種であるサナトリウム文学って奴である。俺は『世界の中心で、愛をさけぶ』とか『イリヤの空、UFOの夏』とかも好きだ。我ながら分かりやすい消費傾向であるパターン一緒じゃん。けど好きなのだから仕方がない。

 しかしその二つと違って、『さんかれあ』は読んで号泣してしまうような物語ではなかった。端的な表現をするならば、読めば自然に目に涙が滲んで、でも流れない。そんな物語だった。思うに、これは登場人物感情移入できないことが理由ではないか。だって俺はゾンビっ娘に萌えないし、好きな人を食いたくなって葛藤することもないし、千紘にも礼弥にも感情移入は難しい。だから自分事ではなく他人事として物語を眺めることになるし、きっとどこか遠い世界でこんな美しい物語があったのだろうかと思うと、憧れや寂しさが複雑に混ざり合って、心臓の裏側と背骨の間にシンシンとした冷たい痛みを感じるのである。ああ、たまらない。

 ひとまずは物語の全体の流れを振り返ってみることにする。『さんかれあ』は全11巻の物語で、展開はわりとはっきりしている。序盤はヒロインの家庭関係における悩みが原動力になって物語が進み、一応の決着を得る。中盤はいよいよ難病物の顔が現れてきて、主人公たちの奔走も虚しく終盤に悲劇が訪れる。

 各巻ごとにもうちょっと詳しく展開を追うと、1巻目は起承転結の起で、千紘と礼弥の出会い、礼弥のゾンビ化という物語の中核を担う事件が起こり、暗に陽に物語の今後の方向性が示される。2巻目ではこの作品におけるゾンビの設定を読者に紹介しつつ、ヒロインの父親と対決し、勝利する。3巻目ではダリからゾンビ運命が告知される。4巻目で礼弥に症状が発症し、5巻目で奇跡的な回復から小康状態を楽しみ、呑気にラブコメなんてやって、ずっとこのままでいられるかと思わせておきながら、6巻目ではばーぶを使って、千紘に生な体験としてゾンビ宿命と礼弥の未来の姿を見せつける。7巻目から8巻目でZoMAに出向いて謎の巨大な組織との戦いを経験しつつ、新たな希望提示して、9巻目から10巻目で残っていた謎に説明を着け、その間にも礼弥の病状は深刻化し、ついに日常崩壊し、11巻目でバッド・エンドかと思わせながら、どんでん返しハッピー過ぎないハッピーエンド、となっている。

 俺は何かと戦う姿を書いた物語が好きである。戦うとは、今の自分境遇を少しでも良くしようともがき苦しむことである。結果として自分も人も傷つくかもしれない。だが止めるわけにはいかない。そういう、どうしようもない衝動の事である

 『さんかれあ』には主に二種類の戦いを描いた物語である。一つは自分を取り巻く周囲の人間関係との戦い、そしてもう一つは死別という生命にとって避けられない運命との戦いである。物語の始めから終わりまで、一貫して千紘は死別と戦っている。普通難病物では、死にゆく人を死なせないために戦うのであるが、この物語では既に死んだ人を取り戻すために戦うのが、オリジナリティであり哀愁を誘う仕掛けである。一度死んだ者に仮初の生を与え、やがて失う事の決まっている仮初を、どうにか逃すまいともがくのである。生きる者は全て死ぬ。その絶対的運命を一度回避してしまった代償に、二度目の死別はより悲劇的で凄惨な物として描かれている。

 この戦いの周囲を彩るように登場人物の様々な戦いが描かれる。礼弥は父の強すぎる愛情と戦い、わんこは恋敵と戦い、ダリンは父の気を引くために戦い、じーちゃんはあらゆる死別と戦い、戦い、戦い疲れて引退している。

 面白いのはこの物語に描かれたぞれぞれの戦いは、全部バラバラに並列に起こっている戦いであり、基本的に全員が自分の戦いは自分でケリを着けているところである。千紘は他の登場人物の戦いに巻き込まれはするものの、せいぜい手を貸すといった程度で、最終的な幕引きは必ず本人が行っている。例えば序盤に大きなウェイトを占める礼弥とその父との戦いだが、千紘は父側に拉致されたために巻き込まれる形になったが、本人が積極的散華邸に乗り込むようなことは無かった上に、父の妄執を断ち切ったのは礼弥自身である。千紘が能動的に行動するのは、自分ゾンビにしてしまったばーぶや礼弥に関してのみである。これらの戦いがその時々で出たり引っ込んだりして、作品全体の緊張感を一定に保ちながら物語は進行する。

 分析してみると、俺はこういう、死別と戦う話が好きなんだなぁと改めて思った。

 さて、物語の骨格を分析してみたけれど、ちょっと理屈っぽくて退屈な感じになってしまたから、今度は物語の肉にあたる部分を見ていこう。いくらご大層なテーマがあっても、作品に魅力が無ければ読まれやしない。この物語を読者に読み進めさせる魅力は、やはりヒロイン散華礼弥がとびっきりかわいいからだ。壮絶に色気を醸している。まじやべえ。

 彼女は死のメタファーである。第1話の1ページ目からして腹から腸はみ出させている。まじやべえ。次の登校中の登場シーンではありきたりな、つまらない美少女キャラかな? と思うが、千紘が蘇生薬の調合なんつー怪しい作業をしている雰囲気の中で再び現れ、傘から死んだような顔をのぞかせて、何をするのかと思えば井戸に向かって大声で愚痴叫びだす。この落差にくらくらする。静から動の変化。死から生への変化でもある。しかも、実の父親に裸の写真を撮られているらしい。アブノーマル背徳的で、ひたすらエロいエロいが見た目は清純キャラだ。というか彼女エロくない、ただの被害者だ。同情すべきだ。だがしかし、劣情をかきたてられるのは、いたしかたない。

 そんで、胸チラしながら千紘と一緒に蘇生薬を作りたいとか言い出す。死体ゾンビとして生き返らせる薬なんて、イケナイ物を作る作業を、一緒にやりたいとか言うわけだ。背徳的だ。こんなの絶対に二人だけの秘密だ。美少女誰にも言えない秘密を共有? たまらんがな。優越感と自己肯定感をかきたてられる。羨ましいな!

 そしてこの短いやり取りの中に「死んで別の人間に生まれ変わりたい」「実験台になってくれよ」「私がゾンビになったら」などと不穏なセリフが散りばめられている。第1話の最後のページも、可憐笑顔と不吉なモノローグが対比して、どえらい色気なのである。なぜだろう。スイカに塩をかけると甘くなるのと似た原理かもしれない。うん、やっぱ影のある美少女っていいよね!

 もーこれだけでもノックアウトなのに、第2話もエロかわいい姿を見せてくれる。特に千紘にゾンビとして生き返らせてくれと頼む時の表情はたまらない。何かを思いつめているわけだが、一度死んでゾンビとして生き返る、なんて眉唾であまり気分の良い話じゃないもの真剣に頼む様子に、やはり死のイメージを感じる。紫陽花で作った蘇生薬をばーぶに飲ませるが、生き返らなかった。そこには静かな、ただただ静かな死が表現されている。そして夜出歩いていたのを父に見つかり、自宅での軟禁生活が決まった彼女は、その夜、涙を流しながら紫陽花の毒で自殺を試みるのだ。なんともいじらしい。

 そしてついに事は起こり、彼女は崖から転落死する。そのシーンがまた凄い。彼女は落下の途中に腹部を木の枝に引き裂かれ、血まみれになりながらも立ち上がり「責任取って…下さいね…」と来るのである。言うまでもなくこれはセックスを暗示する。しか処女喪失である。暗示されているのはセックスなのに、しかし実際に描写されているのは腸のはみ出た死体である。ここで脳の認識野が多少の混乱をきたす。この混乱の結果生まれるのが、ゾクゾクするような壮絶な色気である。今まで丁寧に積み上げられてきた描写が、この血まみれの満面の笑みに集約して、散華礼弥というキャラクターを固定する。読者は完全に恋に落ち、もはや彼女から目が離せなくなる。

 こうして『さんかれあ』という作品の最大の魅力が作られたというわけであるゾンビになった彼女はむしろ生き生きとして、短くてもいいからささやか幸せを楽しみたいと言う。いい娘すぎる。いじらしい。かわいい。それでいて、意識の混濁したゾンビとして、欲求に素直な妖艶な姿を見せたりする。たまらない。また、この表現楽しい時間が限られている事を否応なく読者に思い知らせ、切なさを一層かきたてる。この思いは彼女の体に、癒えることのない傷が増えていくに従って強くなる。彼女は必ず失われるのだ。ああ、悲しい。切ない。彼女と一緒にいる、今この時が尊い。

 もちろん魅力的なキャラクター彼女だけではない。千紘の幼なじみにして姉さん女房役のわんこは、生のメタファーであるゾンビとなった礼弥とは対称的な存在である。生きた生身の女なのだから当然である。それだけでなく彼女は千紘や礼弥が落ち込んでいたり、物語分岐点で、彼らを引っ張り上げる役割をする。死の世界から救い出してくれるのである

 ダリンは患者に病状をつきつける医者役割をする。甘い事を一切言わない恨まれ役でもある。だが間違った事も言わない筋の通った人間である

 じーちゃんもまた、いい味を出すキャラクターである最初蘇生丸を調合し、全ての物語の元凶となった人物。一番最初に礼弥を見た時、彼女を貞と呼び、「わしが悪かった」と謝っているが、後になってこのような細かな伏線がきちんと回収されるのが心地よい。普段はボケているのに時折見せる鋭い視線にも魅せられる。いくつもの死別を乗り越え、傷つかなくなっているのではなく、傷を飲み込み共に生きる事を覚えた成熟した男を思わせる。最期に元妻のゾンビと一緒に逝くシーンは思わず涙ぐむ。

 書ききれないが他にも魅力的なキャラクターが満載である。このキャラクター達が魅力的な物語を作っているのである

 さて、長々と語ってかなり満足した。『さんかれあ面白いからみんな読むといいよ! ああきっと、紫陽花を見る度にこの物語思い出すんだろうなぁ。

2013-11-12

お互いに「正しい人」をなすりつけ合う争いがあった

今一生氏、文月メイ「ママ」を批判する記事を書く

http://createmedia.blog67.fc2.com/blog-entry-190.html


3日後、海燕氏ブチ切れて遠くから石を投げる記事を書くが、今一生から3日間放置プレイを受ける。

http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar388500



怒りが収まら海燕氏、今一生氏もネット言論もいろんなものをごっちゃにして「自分が正しいと信じる人」なるものDISりはじめる。主語でけぇ。

文月メイの『ママ』についてまだ考えている。参考記事はこちら。http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar388500 まあ、ある「感動的」とされる歌詞が「虐待を美化している」として非難されているという話なんですが。仮に「虐待を美化している」と受け取るとして、「だからこんな歌はないほうがいい」かというと、そんなことはないと思うんだよなあ。歌詞のあるひとつ解釈をもとに倫理的審判を下し、「だからこんなものダメだ」とやることは、やはり偏狭なのでは?たしかに文月メイさんの態度は「虐待を美化している」と受け取られても仕方ないし、それは批判されても仕方ないと思う。しかし、逆にいえば批判されるべきなのはその一点だけであって、歌詞のものは「多様な解釈を許すあいまいもの」というのがじっさいのところではないだろうか?受け手には作詞者の意図無視して自由に解釈することが許されている。それが音楽の豊かさだ。作詞者が「感動的な愛の歌です」と云っていたとしても、「なんて強烈な皮肉なんだ」と解釈して愛聴することもできる。その人の解釈しだいで良い歌ともなり、ひどい歌ともなる。そういうものじゃないか。むしろここで問題なのは、それぞれの立場人間が、それぞれの解釈自明のものとみなし、疑うことがないまま対立を続けるその姿勢ではないのか。「虐待を美化しているかダメな歌」、「虐待を止めるからいい歌」みたいな倫理次元で曲の価値を決めてしまう考え方がぼくには非常に違和感がある。そういう「正しい思想を伝えているのが良い音楽」みたいな価値観にぼくは違和を感じる。ただ「正しい思想」を伝えるだけならべつに音楽なんて必要じゃないと思うんだよなあ。これは小説でも漫画でも映画でも同じこと。芸術は「正しい思想を正しく伝える」ためにあるわけじゃない、とぼくは考える。「こっちが正しい思想だ」、「いや、こっちこそ正しい」という次元で「議論」をしても、何だかなあという気がする。こういう議論の背景には芸術より、現実世界の問題、この場合虐待事件のほうがはるかに深刻なテーマなのだ、という考え方があるんじゃないか現実を上位に、芸術を下位に置いている。芸術なのだから「間違えた思想」を伝えてもいいとは云わない。「間違えた思想」はそれはそれとして批判されるべきだろう。しかし、だからといってその作品全体を「現実社会投影」で判定し価値を定めるというのはね、どうなんだろう? それは芸術現実社会を語る道具にまで貶めることでは?極端な云い方をするなら、虐待を美化して人々を泣かせる美しい歌があってもいいと思うんだよね。それは虐待サバイバーを苦しめる歌かもしれない。しかし、「誰も傷つけない歌」しか存在を許されない社会というものは、窮屈ではないだろうか? というようなことをぐだぐだ考えるわけです。「虐待を美化してはならない」「親を恨む子供がいたって良い」という思想は、「正しい」とぼくも思う。しかし、正しい思想を正しく伝えていれば良い曲なのかといえば、そんなはずはない。音楽思想を伝えるためのだけの道具ではないからだ。思想テーマ音楽の一面であるに過ぎず、すべてではない。それにもかかわらず、ネット上で議論を呼ぶのは大抵「思想の正しさ」でしかない。つまりテーマという、芸術おいては実は二次的な価値しか持たないものばかりが取り沙汰されて、作品の芸術的側面そのものは問題にされない傾向があると思うわけである。「正しさ」はそれほどひとを虜にする。

そして、『ママ』を批判するひとたちのツイートを集めたTogetterを見ればわかるように、自分を「正しい」と信じるひとたちは喧嘩腰で攻撃的だ。そこには「正しくないもの」を排除することを疑問視する視点はないように見える。この「正義」は、虐待を美化する「感動」と同等に危うい。「虐待は良くないことだよね。『ママ』の歌詞にも問題があると思う。でも、良い曲なのでつい泣いちゃった」というひとだっていてもいいと思うわけです。少なくとも「賛成」か「反対」かに分かれてハルマゲドンを繰り広げるよりは、そういう意見を受け入れるほうが良いのではないかなー、とか。今一生さんが『ママ』に関して「正しい人は怖い」と題する記事を挙げている。http://createmedia.blog67.fc2.com/blog-entry-190.html でも、ぼくには今さんの「正しさ」も十分怖いと思うんだなー。双方が譲れない「正しさ」と「正しさ」をぶつけあう以外に議論の方法はないのだろうか。うーん。むずかしいね今一生さんはひとに不快感を与えかねない『ママ』は関係者によって事前に「編集」されるべきだったと主張しているわけだけれど、ぼくはやはりこの意見には賛同しかねる。社会から「ひとに不快感を与えるもの」を事前に排除しておこう、という姿勢はどう考えても表現規制に繋がるとしか思えない。「僕自身は、どんな理由であっても、自粛=禁止などするべきではないと思う。しかし、自粛されるような歌詞を作ることが良いこととも思えない。 」うーん。どうしてもこの箇所は「僕自身は、どんな理由であっても、規制などするべきではないと思う。しかし、規制されるような漫画を描くことが良いこととも思えない。 」と読み換えてしまう。「自粛されるような歌詞」はほんとうにすべて悪いものなのだろうか? そんな十把一絡げで語ってしまって良いのか?今さんはさだまさしの『診療所サナトリウム)』を「良い例」として挙げているように見える。しかし、さだ自身、様々に歌詞を「誤読」され、批判されてきたと思うんだよね。『防人の詩』なんかは戦争を美化しているとして非難されたわけでしょう。それなら、あれも事前に「編集」するべきだったのか。さだまさし意図は「戦争の美化」になかったの対して、文月メイの意図は「虐待の美化」にある、として両者に差をつけることもできる。しかし、そういう「作詞者の意図」を持ちだして曲の価値を判定するということはどうか。曲そのものは「作詞者の意図から自由に解釈され、受容されるべきかな、と。たとえば、『ママ』を「子供虐待死させてしまった親が、自己肯定のために子供の死骸のかたわらで呟いている内容をまとめた歌」としてメタ的に捉えてみよう。そうすると、ものすごく皮肉が効いた良い歌詞じゃないか、というふうにも思える。まさに「過激」ではあるかもしれないが。というようなことをつらつらと考えるのだが、ぼく自身、どうも納得がいかないというか、奥歯にものが挟まったような感覚を否定できない。文月メイさんが『ママ』を「無償の愛」を歌い上げたものとして定義しているのはほぼ弁護できないとぼくも思う。その一点は批判されても良い。また、そういう解釈の余地を残したことそのものが問題だ、と見ることもできる。これは『まどマギ最終回に関する議論なんかと共通する問題。『まどマギ最終回おいて、まどかの「自己犠牲」が賛美されていたという解釈をする余地を残したことそのもの脚本的な問題とみなすことができる、という論理と同じ理屈で、「虐待を賛美していると受け取ることができること」そのものが問題だとみなすこともできるだろう。しかし、これは微妙な話。『ママ』を巡る議論を見ていてつくづく思うのは、「言葉」なんてどうとでも解釈できるということだ。批判する人にしろ賞賛する人にしろ無意識自分解釈を前提としてしまっているように見える。解釈には慎重でありたい。まあ、そうはいっても現実にはなかなかむずかしい話ではあるのだが……。「自分はこう思う」、しかし、「それはそれとして違う意見にも耳を傾ける」。この両立はむずかしい。また、耳を傾けたからといって意見が変わるわけではないことはもちろんだ。やっぱり「建設的な議論」は、互いにある程度のリスペクトがある上で意見が違う場合しか成り立たないんじゃないかしらん。むずかしい問題に関して、慎重に表現しようとすると、切れ味が鈍い上にわかりにくいどっちつかずの論調になりがち。むずかしいなあ。まあ、ここらへんはぼくの日本語能力の問題なんでしょうが。ぼく自身の考えがはっきり決まっているわけではないので、だれが読んでいるかからないTwitterではなくLINEあたりでするべき話なのかもしれないけどね。マジメに考えたら疲れた。おっぱいの話とすればよかった。際限がないのでこの話はここで終わりにします。おっぱいおっぱい




今一生氏、「正しい人は怖い」という記事を書く。 海燕氏によると「正しい人」は今一生氏のことだったはずだが。

http://createmedia.blog67.fc2.com/blog-entry-190.html



海燕氏、ついでに文月メイもDISる。「批判されてもいい」っていい方は卑怯者くさい。

文月メイさんのTwitterを見たりもしているのだが、彼女姿勢のものは弁護できない。批判されてもいいように思える。





今一生海燕遠距離からDISに気づく

https://twitter.com/conisshow/status/400115527562969088

編集」という仕事意味を十分に理解していない人が書いてる文章。



海燕氏、今一生氏の反応に気づかぬまま議論について語りだす。その際今一生氏について「話し合いも必要かな」などと隙を見せる。

自分はこう思う」、しかし、「それはそれとして違う意見にも耳を傾ける」。この両立はむずかしい。また、耳を傾けたからといって意見が変わるわけではないことはもちろんだ。やっぱり「建設的な議論」は、互いにある程度のリスペクトがある上で意見が違う場合しか成り立たないんじゃないかしらん。

@kaien 歌を聴いてストレートダメージを受けた当事者による不快感の表明と、現実の問題を意識せずただ感動・肯定しておしまいな層が一定数いることに対する苛立ちあたりが主要な動機だと思うので、正しくて建設的な議論とかは二の次になるんじゃないですかね。議論よりアピールというか。

それはだれのどの意見についての発言でしょうか? 今一生さんの記事が「アピール」である、ということですかね。はい当事者が「不快感」と「苛立ち」をアピールすることが悪いとはぼくも思いません。しかし、そのアピールとはまた別のところで何かしら話しあい必要かな、と。




海燕氏の「話し合いも必要かな」発言を確認した今一生氏、海燕氏の得意な遠距離戦を避けて自分が得意なインファイトに持ち込む

@conisshow今一生 @kaien 今一生です。よろしかったらスカイプで話しませんか?

@conisshow  音声通話は抵抗ありますけれど、Twitterでのやりとりやチャットならかまいませんよ。できれば公開された場でやりたいです。

@kaien なぜ音声通話に抵抗があるんですか? 僕は公開でも構いませんが、公開だと言いにくいことはありませんか?

@conisshow すいません、いまから停電ですw いや、ネタでも逃げでもなくほんとうにそうなんです。では、電源を落とします。申し訳ありません。

@conisshow 単純に、いきなり知らない人と通信で話すのは緊張するので可能なら避けたいというだけのことです。ぼくの方は特に公開で話せないことはないと思います。今さんが公開を避けたいご意向ならSkpyeチャットでもかまいませんが、どうせなら衆目が集まるなか話すのが良いのでは?

@kaien 僕は何でも公開で言えますが、海燕さんの想像以上に答えにくい質問が飛び出ても構わないということでしょうか?

@conisshow プライバシーに関することなど、常識的に考えて答えられないことに関して答えられませんが、それ以外なら、公開の場でやり取りする以上、どのような質問が出てもかまいません。ただ、ぼくが一方的に今さんの質問に応えるという形は好ましくないと思います

@kaien 自分意見のものプライバシーなんですよ。しかも、ネットでは誰もがそれをネット上にアーカイブで来ます。だからいきなり公開での議論はメリットよりデメリットが大きいのです。まぁ、このこと自体は本論から遠いので、僕はSkypeの音声抜きチャットが望ましいです。

@conisshow すいません、いまから停電ですw いや、ネタでも逃げでもなくほんとうにそうなんです。では、電源を落とします。申し訳ありません。

@conisshow 回復しました。いや、電気屋の点検が来ていたんですよね。んー、Skypeチャットでもかまいませんが、公開できないならぼくの方では対話のメリット見出しがたいですね。どんな結論が出ても人に語れないわけですから。ちなみにツイート普通プライバシーとは云わないかと。


@kaien 再度スカイプを立ち上げましたので、お待ちしております


@conisshow わかりました。あまり時間はお付き合いできないかもしれませんが、ご了承ください。


@kaien 了解です Skype id:


うーん、まあ、仕方ないのでSkypeで話しましょう


Skype今一生さんと会話ちゅー。

対話ちゅー。



密室対談終了後の海燕氏によるコメント。すごく大人な印象を与える。

今一生さん(@conisshow)とのSkypeでのやり取りが終わった。最後まで互いの意見は変わりませんでしたが、それでもぼくにとっては実りあるやりとりでした。先方にとってもいくらか意味があるものだったら良いのですが。ちなみに約束なので公開はしませんし、今後この件には触れません。



密室対談終了後の今一生氏によるコメント。マウンティング継続

知識量や経験値に圧倒的に差がある場合、そこに「議論」は生じにくい。知らない人に知ってもらう説明の努力があるだけだが、知識や経験の乏しい側はそれを「議論」と思ってしまう。知識や経験が乏しいことが悪いわけではないし、誰の意見も尊重されるべきなので、共通理解の範囲を広げる努力必要。人は、自分の無関心ゆえの無知に対して謙虚になろうとしない限り、誰かを不当に傷つける。「自分がよく知らないだけで、本当は自分認識不足で判断してしまっているんじゃないか?」という謙虚さがあれば、自分の言動を改めるだろうけど、「興味ないか意見は変えない」と居直る人のいかに多い事か。

2013-08-15

風立ちぬ感想を言いたい

人に誘われて風立ちぬを見た。

宮崎映画子供のころはよく見たけど最近はあんまり見てなくて、金曜ロードショーも飛び飛び、劇場で見たのは千と千尋くらいで、

全般的になんとなくストーリーはわかるけど思い入れは無いって感じ。

周りの感想はみんな褒めてて、いい映画だってうから知り合いに好きじゃないとか言えない。

つーかそもそも否定意見も前記のとおり宮崎映画に詳しくないから語るほどのあれがない。

っていうか単にこじらせてるだけの逆張りなんじゃないかって気もする。

から増田で書く。

最初感想漠然とずるいっ思った。あとこれを好きになれない自分はだめだって思った。

ぼやーっとしててなんでそう思ったか最初よくわかんなかった。

まず見てる時に嫌だったのが主人公天才を感じなかったこと。

庵野の声のせいなのか、そういう演出なのかどうかは知らないけど堀越二郎という人間普通の人にしか見えない。

にもかかわらず主人公は周りの人に褒められる、惚れられる、トントン拍子で話が進んでいく。

マイナスの描写を一切されないで、ひたすらプラスの描写しかしない。っていうか演出としてわざとマイナスなことを書かないようにしてるのが見える。

たとえば初めて自分で作った飛行機が落ちるという唯一の挫折シーンでも、

飛行機がうまく飛びました!→気がつくと避暑地に→飛行機が落ちた回想

っていう風に、一番いいところで落とすとショックが大きいからワンクッションおいて描写してる。

このシーンで、あ、この映画戦争の汚いところも、技術者としての苦悩も書かない気だなって思った。

いや、それはそれでいいんだけど、でも堀越二郎という人間が凡人にしか見えないから、二郎をほめるシーンがすべて白々しく見える。

凡人だったら辿るはずの汚い道を全部見ないで、美しいものだけ見て、やりたい事やって、それは天才だけに許された特権だろ。お前凡人なのになんで天才扱いでそれやってんだよ。

ずるいずるいずるい。

どのシーン、どのキャラみても悪いシーンがない。

ヒロイン二郎さんもっと長く一緒にいるために私孤独サナトリウムにも耐えるわ!サナトリウムに行って、

何十分か後にやっぱり飽きて戻ってきて、いちゃいちゃしだしてもなんか良いことに書かれてる。

周りに反対もされるけど結局みんな認めて、でもやっぱヒロイン死ぬけどなんか素敵なことしてる風な扱い。

友人も嫌なとこがまるでなくて、ほんとに良いやつとしか描写されない。ホモっぽいくらい良いやつ。

上司も一瞬嫌なやつに描くけど結局二郎を褒める以外のことをしない。

自主研究会のシーンなんかではわざわざ褒めるシーンを入れる。

ストーリー一貫性なんか気にしないでとにかく、ひたすらだけ素敵だけが書かれていく。

んでふと気がついた。あ、これは単なる萌えアニメとかの類なのか。

イタリアドイツ日本飛行機だぜー全部個性があって違うんだぜ?最高だぜ?かっこいいだぜ?そいつの極めつけがゼロ戦だぜ。やっぱゼロ戦かっこいいぜ。

ヒロイン外国文学をたしなむお嬢様で、若いころに運命的な出会いをした仲で、美人で病弱で、しか結婚初夜自分から誘ってくるんだぜ?ひゅー。

っていうだけの映画だと思えばいいんだってことに気がつく。

あぁ、なんだ、僕が勝手にこじらせて切れてるだけか。サブカル気取ってるから素直に良いっていえないのか。

ポルノ映画見てこの映画には哲学がないって切れてるがごとし。

そらみんな面白かったって言うよね。娯楽映画だもんね。娯楽映画面白いって言うのは当たり前じゃないか

娯楽映画を娯楽映画として見てない僕が悪い感想を言えば言うほど惨めな気分になる。

偉そうに批評するより、面白かったーって言って映画館を出てったDQN風のにーちゃんねーちゃんのが偉いよ。

2011-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20111016031351

元増田です

軽く酔って書いた文章に意外とブクマついてびびった。

実際に付き合ってみたら、思っているようないいものではないってのは分かってる。

それでも愛されたいし、今のつまらない日常よりはずっといいと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20111016092812

メンヘラと付き合ってた経験談。

いい時もあれば悪い時もある。その落差が激しい。

出会いネットを使え。相手に気に入られればどんな手を使ってでもお前を落としてくるはずだ。

たとえお前がどんな環境でもだ。

アドバイス感謝

とりあえず適当馴れ合い出来る場で擦り寄ってみる。

付き合ってる期間は幸せかもしれんがお前自身も病むと思ってくれ。

別れたあとの脱力感で今俺は若干死にたい

昔あった恋愛トラウマで、メンヘラ一歩手前まで病んでた時もあったか大丈夫だと思いたい。

トラウマがある程度払拭できてきて、恋愛をしてもいいかなって感じ。

メンヘラじゃなくてもいいんだろうけど。

http://anond.hatelabo.jp/20111016110859

普通の女と付き合って、徐々に壊すのが一番手っ取り早い。

相手を思いやらない言動の数々をジャブのように打っていけば確実にどこかで壊れる。

どうなんだろうなーそれ。

束縛したりするDV男の気持ちはわかるんだけど。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20111016031351

「不治の病の女の子純粋恋愛がしたい」みたいな感じだな。

そんな感じかも。

サナトリウム的な傷の舐め合いみたいな。

そんなに束縛されたいかなあ。生きるために仕事をして、それだけで精一杯なのに。女の子、一生のうちにそんなに必要かなあ。

単純に強く愛されたいんだと思う。

生きていく上で恋愛が必要だとは思っていない。

不治の病気や過度のツンデレとか電波もあわせて、そういう欠点自分けが受け入れて守ってあげられて、だから独占・支配できる的な思考・嗜好なのかと思っている。

そうなのかもなあ。

2人だけの世界が欲しいって感じかな?

うちの子兎共はそれで苦労したクチ。ヤンデレなんてファンタジー有史以来負け惜しみだとかレトリックだとか思考停止だとか睨まれるけど「普通が一番」とは言ったもんでね。凡人は一生をかけて普通を目指す。

ファンタジーなのは分かってる。

それでも愛されたいし愛したい。

2009-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20091217220819

親が子に対する愛情こそは全く利害を離れた唯一の情緒である。

William Somerset Maugham

ウィリアムサマセット・モーム

【1874−1965:イギリス小説家劇作家批評家

 パリに生まれるが、幼くして両親を亡くし、南イングランドの叔父のもとで育つ。

医療助手経験を描いた小説ランベスのライザ』が注目され、作家生活に入る。ジ

ュネーブでの諜報機関の仕事の激務に健康を害して、スコットランドサナトリウム

に移り、静養中に書かれた『月と六ペンス』が英米両国ベストセラーとなる。

2008-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20080531233733

もう死んだようなこと言うなよ!

つーかなんだよもう

こんな身近に死があるなんて誰も教えてくれなかったぞ

普通はもっと余命告知とかあってから死ぬもんだろうが

肺がんのおじさんだって余命1年って分かってからサナトリウムで死んでいったっつーのに

なんだよ

こないだまで元気だったのに

なんでいきなり危篤とかなるんだよもう

いっそ自分がその病気になってしまえばよかった

2007-01-04

fucking beautiful japan

美辞麗句にfuckingとか付けたくなる中二病にかかっています

いまの世の中、美辞麗句に素直に反応する人間が望まれているんだろうね

どこかのサナトリウムに行きたいね

長野あたり?

 
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