「東西」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 東西とは

2024-11-20

anond:20241120184414

GDPは東の方が高いし、東西で違う国だわ日本

アメリカってひどい国だよな

いやマジで

第二次世界大戦から東西冷戦終結までの世界秩序については、

「全部イギリスが悪い」

だけど、冷戦終結から現在までについては

「全部アメリカが悪い」

だろ。

2024-11-16

anond:20241116201237

まあ、グローバル化ってのは、確かに手放しで褒められるものじゃないけど、言ってること、ちょっと安易すぎだよ。歴史を見てみれば、グローバル化がなければ今の社会はなかったかもしれないって点も多いんだ。例えば、シルクロード。あれがあったからこそ、東西文化が交わり、知識技術が広がった。それによって、ヨーロッパルネサンスが起こり、近代科学の基盤が築かれたんだ。

でも、もちろん問題もあるよ。グローバル化が進むと、地元文化経済犠牲になることもあるし、例えば18世紀産業革命みたいに、機械化が進むことで労働環境悪化したり、貧富の差が拡大したりした。でも、それを解決するのもまた人間の役目でしょ。

例えば、インディアナジョーンズのような冒険者たちが、古代遺産発見した時、世界中知識をつなげることで、新たな発展が生まれたわけだ。それと同じように、グローバル化も単なる問題解決の道具として使うべきだろ。自分が変えられないって言うなら、まずは自分がどう変わるべきかを考えるべきだし、他人を責めても何も変わらないよ。

あとは、「変えられない社会」って言ってるけど、歴史的にも変革って簡単じゃなかったんだよ。例えば、アメリカ独立戦争最初は無力に見えた13の植民地が、時には血を流しながら独立を勝ち取った。だって、変化を受け入れないと、結局、現状維持が一番苦しくなるんだよ。

からさ、しがらみが強いって嘆くのも分かるけど、まずはそのしがらみの中でどう活路を見出すかだ。孔子言葉に「千里の道も一歩から」ってあるけど、一歩を踏み出さなきゃ、どんなに大きな変化も起こせないんだよ。

2024-11-10

国境なき医師団がいても戦争はなくならない

真に必要なのは国境なき暗殺教団だよ

軍事大国覇権主義を目指す為政者やその支援者東西陣営区別なく片っ端からぶっ殺していけば戦争なんかすぐに世界から消え失せる

なんで誰もやらないんだろう

2024-10-29

anond:20241029073357

今って近現代世界史とか世界規模の地理やらないのか?

第二次大戦後に米ソそれぞれの同盟国で東西陣営に別れただろ、その名残だよ

東西境界中央ヨーロッパで、東アジア地球の裏側だから東西が逆になる

中華民国陣営としては西側

2024-10-28

anond:20241025142541

文化や洋の東西を問わず同じ現象があるのだとすれば、

何かしら生物学的な本能作用しているんだろう

正直、俺もぶりっ子系の男には嫌悪感を感じる

しかも、「嫌い」とか「ムカつく」とかいうのじゃなくて「気持ち悪い」「怖気がする」というタイプ嫌悪感

かいムカデとか大量のウジ虫を不意に見てしまったときみたいな?

抗えない本能的な嫌悪が湧くんだよね

人間も群れを作る類人猿だという前提で語るなら、本来はより喧嘩の強いオスがメスと番うことで群れに強い個体が増え、周囲の群れとの抗争に勝ちやすくなり生存率が上がる

はぐれ者の「ぶりっ子オス」は群れから外れたところでメスに気に入られて種付けをするので、この秩序を乱すことになるわけだから秩序を守っているホモソオスたちからは嫌われても当然

ホモソに馴染めない弱いオスたちも、ぶりっ子オスは自分たちの得られないメスをズルして獲得しているわけなのではやり許せない存在なのだろう

2024-10-25

俺の人生における最も重要漫画10

YAIBA青山剛昌

ドラゴンボール漫画ではなくてアニメから入ったので漫画の印象が薄い

一方でYAIBA人生初のめちゃくちゃ興奮した漫画

友人の家にあった本を借りて途中まで読み、その後はサンデーで読み漁った

ちなみに「うしおととら」も置いてあったが絵がキモくて読まなかった

コナンでもYAIBAキャラが出てくる度に1人ではしゃいでる

YAIBAの再アニメ化にはめちゃくちゃ期待している

SLUM DUNK井上雄彦

少年スポーツといえば野球サッカーかという時代に一大旋風を巻き起こしたバスケ漫画

陵南戦のメガネ君は忘れられないし

山王戦が始まる前の緊張感が半端なくて読んでて喉がカラカラになった

言わずもがなスポーツ漫画金字塔

火の鳥手塚治虫

ブラックジャックとかアドルフに告ぐ面白かったけれど、やっぱり火の鳥こそが手塚治虫ライフワーク集大成

小学生中学生高校生大学生社会人のそれぞれのときに読み直して新しい発見がある希有な作品

個人的に好きなのは乱世編かな

源義経悪人に描いていることに衝撃を受けたし、大人になってから読むと彼が可哀想にも見えてくる不思議

すごいよマサルさんうすた京介

冒頭の「わかめ高校」のところから衝撃的だった作品

平均的に毎回面白いだけではなくてクリティカルヒットを何回も飛び出す、ギャグ漫画として異常な作品

作画スタッフを増やせばどうにかなるかもしれないがギャグで毎週笑わせるのは本当に大変だったと思う

「チョ☆チョニッシーナマッソコぶれッシュ☆エスボ☆グリバンバーベーコンさん」はいつでも突っ込めるように覚えている

カムイ伝白土三平

父親が好きで全巻買ってきて読んでみた作品

どこまで忠実なのか知らないけれど江戸時代がエグすぎて軽くトラウマ

というか一部のラストのアレとか完全にトラウマ

小六のあのシーンとかが好きなんだけど分かる人が周りに全然いない

からくりサーカス(藤田和日郎

小学生の時にはキモくて読まなかった「うしおととら」だったけれど中高生ぐらいで読み始めてどっぷり漬かる

その流れでからくりサーカスを読み始めたが、10選の中でもトップ3には入る素晴らしさ

例の「べろべろばぁ」のシーンとか、「笑うべきだと分かったときは、泣くべきじゃ無いぜ」とか、非常に素晴らしいですね

天(福本伸行

福本作品カイジとかアカギが人気だけれどどう考えても天が至高

停電から九連宝燈はさておき、東西戦が最高に面白いし、その後の話も非常に良かった

「凡人が長生きしても暇なだけ」っていう台詞がめちゃくちゃ心に残ってるけど、あれって「銀と金」だっけ・・・

20世紀少年浦沢直樹

浦沢直樹作品HAPPYYAWARAMONSTERも読んだけど20世紀少年が最高に好き

こう言うと多くの人が「なぜ?」って言うけど、普通に全編通じて面白いよね

特に浦沢直樹っていろんなところの解像度が高いのが良くて、YAWARAだと富士子さんの赤ちゃんの顔とかがまさにそれ

20世紀少年は「普通の人が大人になったとき小学生時代記憶」に対する解像度が凄く高い

それを踏まえてのあのオチなのでめちゃくちゃ良かった

怒ってる人を理解できない

ジョジョの奇妙な冒険:第四部荒木飛呂彦

ジョジョで1つ上げろと言われたら間違い無く四部

これも「なぜ?」って言う人が多いけれど、三部のインフレから四部での能力バトルっていうのが斬新すぎて満足度が高い

ラスボスがド変態なのに好感度高いってのも凄いし、ラスボスを追い込むのが川尻隼人っていうのが最高

まぁ一番ラストを持って行ったのが承太郞なのはちょっとアレだけど、まぁいいんじゃないすかね

ファイアパンチ藤本タツキ

チェンソーマンとどっちにしようか迷ったけれどやっぱりファイアパンチ

最初凡作だったのに途中から傑作になった印象

ところが改めて読み直すと序盤から映画っぽさがかなり強いことに気付く

1コマ1コマ映画を見ている気分で見ていくのが良くて

特にドマの村のあそことか、凄いですわ

選外

銀河英雄伝説道原かつみ)はかなり影響を受けたけれど、途中で終わってしまったのが残念

ベルセルクもかなり影響を受けたが10選には入らないか

まぁ選外は上げ出すとキリが無いけれど、パッと見たところマガジン作品が入ってないね

ヤンキー漫画あんまりきじゃ無いっていうのはあるけど

GTOとか今日俺とか一歩とか大好きでずっと読んでたしMMRとか話題になる前から見てた(そして信じてた)

ただ人生10選に入れるか、って言われるとちょっと違うかなぁ

あと現在進行形青年誌系の好きなのはたくさんあるし、最近ジャンプジャンプラでも面白いのはたくさんあるけれど

なんというかコンテンツとして消化してしまって残ってない

それに対してこの10はいつまでも胃の中に残ってる感じ

どん兵衛東西微妙に味が違うのは有名だが(西は出汁、東はしょうゆが強い)

効きどん兵衛という企画信州版と博多版を新たにつくったんだって

信州鰹節を濃く出し、通常そば3分戻しに対し5分戻しの太麺

博多は焼きあご、サバ節、鰹節などの雑節の組み合わせで、通常うどんが5分戻しに対して7分戻しの太麺

びゃあ~ええな~

東西だと断然西派なのだが、他のも食べたいなあ

きつねうどん東西博多は出すのに、信州そばなのは効きどん兵衛名乗りながらどうなのよ

信州版のきつねうどん出せよ

信州といえば信州そばからしゃーないのか

2024-10-07

一票の格差

よくないのは分かるけどさ

島根の200km以上の東西に海側と山側があって、隠岐諸島含めた代表

千代田区と同じなのもなと思ったりする。

島根のやつは農業だ、防災だ、お祭りだって駆り出されるだろうけど

千代田区の奴なんて地元陳情なんてないだろうからたまに運動会に顔出せばいいだけで国政に集中できそうだし

なんかなー

2024-10-02

 原口さんはそこでちょっと絵を離れて、画筆の結果をながめていたが、今度は、美禰子に向かって、 「里見さん。あなた単衣を着てくれないものから着物がかきにくくって困る。まるでいいかげんにやるんだから、少し大胆すぎますね」 「お気の毒さま」と美禰子が言った。  原口さんは返事もせずにまた画面へ近寄った。「それでね、細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。――里見さんちょっと立ってみてください。団扇はどうでもいい。ただ立てば。そう。ありがとう。――細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫でもしたらよかろうと答えたんだって」 「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。 「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね」 「でも兄は近々結婚いたしますよ」 「おや、そうですか。するとあなたはどうなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑った。原口さんだけは絵に向いている。「存じません。存じません――じゃ」と画筆を動かした。  三四郎はこの機会を利用して、丸テーブルの側を離れて、美禰子の傍へ近寄った。美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える。  三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいもの代表している。――と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 「里見さん」と言った。 「なに」と答えた。仰向いて下から三四郎を見た。顔をもとのごとくにおちつけている。目だけは動いた。それも三四郎真正面で穏やかにとまった。三四郎は女を多少疲れていると判じた。 「ちょうどついでだから、ここで返しましょう」と言いながら、ボタンを一つはずして、内懐へ手を入れた。  女はまた、 「なに」と繰り返した。もとのとおり、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎はどうしようと考えた。やがて思いきった。 「このあいだの金です」 「今くだすってもしかたがないわ」  女は下から見上げたままである。手も出さない。からだも動かさない。顔も元のところにおちつけている。男は女の返事さえよくは解しかねた。その時、 「もう少しだから、どうです」と言う声がうしろで聞こえた。見ると、原口さんがこっちを向いて立っている。画筆を指の股にはさんだまま、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張って笑った。美禰子は両手を椅子の肘にかけて、腰をおろしたなり、頭と背をまっすぐにのばした。三四郎は小さな声で、 「まだよほどかかりますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答えた。三四郎はまた丸テーブルに帰った。女はもう描かるべき姿勢を取った。原口さんはまたパイプをつけた。画筆はまた動きだす。背を向けながら、原口さんがこう言った。 「小川さん。里見さんの目を見てごらん」  三四郎は言われたとおりにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いてガラス越しに庭をながめている。 「いけない。横を向いてしまっちゃ、いけない。今かきだしたばかりだのに」 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。原口さんは弁解をする。 「ひやかしたんじゃない。小川さんに話す事があったんです」 「何を」 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。そう。もう少し肱を前へ出して。それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」 「どうもよくわからんですが。いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」 「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工のほうの気分も毎日変るんだから、本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、そうはいかない。またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。なぜといって見たまえ……」  原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。美禰子の方も見ている。三四郎原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、描いている絵に一定の気分ができてくる。だから、たといほかの気分で戸外から帰って来ても、画室へはいって、絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激でいろいろの表情になるにきまっているんだが、それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああい姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。それに表情といったって……」  原口さんは突然黙った。どこかむずかしいところへきたとみえる。二足ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。 「いいえ」  この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出しているところを描くんだから見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、まあ、そうしておくんだね。見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、絵として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの目もね。里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。ただ目として描いている。この目が気に入ったから描いている。この目の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。現にあの色あの形そのもの一種の表情なんだからしかたがない」  原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。 「どうも、きょうはどうかしているね。疲れたんでしょう。疲れたら、もうよしましょう。――疲れましたか」 「いいえ」  原口さんはまた絵へ近寄った。 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。まあ話すから聞きたまえ。西洋画の女の顔を見ると、だれのかい美人でも、きっと大きな目をしている。おかしいくらい大きな目ばかりだ。ところが日本では観音様をはじめとして、お多福、能の面、もっとも著しいのは浮世絵にあらわれた美人、ことごとく細い。みんな象に似ている。なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。ところがじつはなんでもない。西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、美的淘汰が行なわれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんてひやかしている。――そら、そういう国柄から、どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、歌麿になったり、祐信になったりして珍重がられている。しかいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目かいたようでみっともなくっていけない。といって、ラファエル聖母のようなのは、てんでありゃしないし、あったところが日本人とは言われないから、そこで里見さんを煩わすことになったのさ。里見さんもう少しですよ」  答はなかった。美禰子はじっとしている。  三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。三四郎画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那に、捕虜にして動けなくしたようである。変らないところに、長い慰謝がある。しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたかである。  なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える。三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。移り行く美をはかなむという共通性情緒はまるで影をひそめてしまった。――自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。――三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益不利益かは未決の問題である。  その時原口さんが、とうとう筆をおいて、 「もうよそう。きょうはどうしてもだめだ」と言いだした。美禰子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に落とした。椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。 「きょうは疲れていますね」 「私?」と羽織の裄をそろえて、紐を結んだ。 「いやじつはぼくも疲れた。またあした天気のいい時にやりましょう。まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」  夕暮れには、まだ間があった。けれども美禰子は少し用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。日本社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。ところが相手は案外にも応じなかった。一直線に生垣の間を横切って、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子がまた言った。原口さんに答えたと同じことである三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単ものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。 「色が少し悪いようです」 「そうですか」  二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女の習慣としても、使いたくない。三四郎事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。  やがて、女のほうから口をききだした。 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」 「いいえ、用事はなかったです」 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」 「じゃ、なんでいらしったの」  三四郎はこの瞬間を捕えた。 「あなたに会いに行ったんです」  三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎がっかりした。  二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」  美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」  三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女からしかけた。 「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」  答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。 「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」 「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼していたのは、それよりのちのことである三四郎は絵の道に暗いから、あんな大きな額が、どのくらいな速度で仕上げられるものか、ほとんど想像のほかにあったが、美禰子から注意されてみると、あまり早くできすぎているように思われる。 「いつから取りかかったんです」 「本当に取りかかったのは、ついこのあいだですけれども、そのまえから少しずつ描いていただいていたんです」 「そのまえって、いつごろからですか」 「あの服装でわかるでしょう」  三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い昔を思い出した。 「そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじゃありませんか」 「あなた団扇をかざして、高い所に立っていた」 「あの絵のとおりでしょう」 「ええ。あのとおりです」  二人は顔を見合わした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向こうから車がかけて来た。黒い帽子かぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢のいい男が乗っている。この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。二、三間先へ来ると、車を急にとめた。前掛けを器用にはねのけて、蹴込みから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい。 「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」と美禰子のまん前に立った。見おろして笑っている。 「そう、ありがとう」と美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた。 「どなた」と男が聞いた。 「大学小川さん」と美禰子が答えた。  男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶をした。 「はやく行こう。にいさんも待っている」  いいぐあい三四郎追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた。

https://anond.hatelabo.jp/20241002005552

一一

 このごろ与次郎学校文芸協会切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である与次郎それから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授ハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館はいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。

 与次郎切符販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場はいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかに義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それからカタルも少しはできるだろうと言って、すましている。

 与次郎切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面わずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益からこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本百科全書を売った方法比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。

相手東京帝国大学学生だよ」

いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」

「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまり協会借金になることは明らかだから

 三四郎は念のため、それは君の意見か、協会意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会意見であるとつごうのいいことを答えた。

 与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものから相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。

 与次郎第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。

 与次郎広田先生原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎与次郎のために演芸万歳を唱えた。

 万歳を唱える晩、与次郎三四郎下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢そばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。

「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。

「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、

「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。

 一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出し大学の純文科とある

 大学外国文学科は従来西洋人担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人講義必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才から至極適任だろうという内容である

広田先生じゃなかったんだな」と三四郎与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。

「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。

「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。

しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから

「いや、それだけならむろんかまわない。先生関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。

 今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎名前が出て来た。

 三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、

「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。

「君、これをどう思う」と言う。

「どう思うとは」

「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字ほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」

「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」

 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから

「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である

「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎署名しておけばよかった。じっさいあの論文佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」

 与次郎はまじめである三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。

「君、先生に話したか」と聞いた。

「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生人格関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああい先生から、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」

 三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。

先生新聞を読んだんだろうか」

「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しか先生学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」

「すると、もう知ってるな」

「むろん知ってるだろう」

「君にはなんとも言わないか

「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいから演芸会の事でしじゅう奔走しているものから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろものか」

先生に話したら、君、しかられるだろう」

しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである

煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」

 与次郎はそれで腕組をした。

「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」

「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」

「君はあやまる必要はない」

「じゃ弁解してくる」

 与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やす心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。

 夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。

 暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母から書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。

 通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降り外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台時計は常に狂っている。もしくは留まっている。

 門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。

 学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義あいだに懐から母の手紙を出して読んだ。

 この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しか手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。

 長い手紙を巻き収めていると、与次郎そばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、

「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。

里見お嬢さんからじゃないのか」

「いいや」

「君、里見お嬢さんのことを聞いたか

「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。

 与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである先生茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である勉強佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎学校で取り逃してしまたかしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっと与次郎心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。

 三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。

 三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しか花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。

2024-09-11

新幹線には踏切がない→どうやって横断するの?

どないしてるんや?

東西分裂したベルリンみたいに行き来なくなるんか?

2024-09-05

anond:20240905180330

任意入力任意の出力に変換するのが人民役割であり、頑張りどころであるはずだ。

常にリーダー大目標を示し、人民はどうすれば大目標を達成できるのか、それこそ一億総火の玉となって考えるのだ。

無論、達成できなければ、原因となった人物責任をとることになる。つまり、究極的には首をくくる。ゆえに達成できないなどということは考えること自体自殺的で、許されず、また不自然力学でもある。文字通り死ぬ気でしゃにむにやるだけである

上記普遍的原理は、洋の東西を問わず常に真理であった。

ところがこのところの日本男児は情けない者が増えた。大目標のために体を張ろうという気概のあるものは随分珍しくなった。豊かさの反動とでもいうべきか、これはこれとして喜べる点もあろうかと思うが、リーダーとしてはいただけない。弾丸が不足すれば、戦の行方など望むべくもない。

そこで女子から気概のあるものを取り立てることとする。大変画期的先進的な考え方を導入するのである。考えてみれば総人口のおよそ半数は女子であるから、優秀な男子が足りなければ、自然、優秀な女子を求めることとなる。

それから外国人にはまだまだ気概のある若者が多い。かつての我が国のように、未来を見据えて意気揚々と取り組む若者外国には滅法多い。こうした新たな血を取り入れることで、国力の底上げを図るわけである

これらの労働力というのは、情けない今日日本男児のけつを拭く役回りではあるものの、絶対数として切れる首の数は確保しなければ、やはり回る首も回らないというのが現実である

私の要点は、つまりあなた論理は自らの役割放棄した全く無責任絵空事であるということだ。自らが何をすべきか?それはつまり大目標に向けてひたすら前進することである。何が大目であるべきか、などと考えを巡らせる必要はないし、越権的思い上がりと言うべき代物である大目標に意見を持つということは、つまり体制に対する反逆を企図していることに他ならない。もしも真に述べるべき価値のある意見があると信じるならば、相応しい立場に上るその日まで口を閉ざすのが賢明である。相応しい立場にない者が意見を持っても、所詮床屋談義の域を出ないのである。そのことを自身で弁えているからこそ、力を求めて刻苦勉励を重ねるよりは、安易言論じみた同化を演じてしまうわけでもある。

もしもあなた若いならば、考えを改めるチャンスがある。与えられた役割を全うせず、遠き天の彼方に唾を吐くのか、それとも国家安寧のために微力を尽くすのか、選ぶことができる。真剣に考えてみてもらいたい。それこそ、命をかけて黙考されたい。

2024-09-01

Jリーグは8チーム3部の2リーグ制にするべし

週6でどこかでは試合を行うようし昇格降格をダイナミックにするため

偶数日に試合をするリーグ奇数日に試合をするリーグに分ける

土曜日31日の場合があるので奇数リーグを格上とする

トップリーグから年間の試合日程を決める

雨天延期以外の理由で1部、2部、3部、別リーグの日程がかぶってはいけない

ホームアウェイを2回ずつ行い年間28試合を行う(中立地での1試合を追加してもよい)

偶数リーグ奇数リーグの1位同士がホームアウェイで戦い決着がつかない場合中立で三試合目を行う

勝ったリーグからは1チーム、負けたリーグからは2チーム降格でそれぞれの下部リーグ1位、リーグをまたいだプレーオフ勝者が昇格

翌期に偶数リーグ奇数リーグに入るかについて

1部スタートチームはリーグ間の入れ替えなし

2部スタートチームは2月ごろに抽選で決定される

3部スタートチームは8チーム以上いてもよいので東西に分ける

2024-08-21

anond:20240821225602

神功皇后伝説上の人物ではあるけど)

巴御前(「一人当千の兵なり」とまで伝えられるつよつよ女武将

井伊直虎大河にもなった女城主。「徳川四天王」の一人)

立花千代立花城主薙刀鉄砲の名手。「女子組」という部隊を率いて敵軍と戦ってたらしい)

天皇家もそうだけど、日本はわりと女に家督を継がせるパターンはあるんだよね

女の力が弱まったのは江戸時代以降 儒教が強くなってから

戦国時代まではわりと歴史活躍してる女はいたし、政治力や財力を発揮してた。

薙刀って武器遠心力を使って下から薙ぎ払う性格上、非力でも扱いやすいし、小柄なほうが有利だったりする。

いざというときに戦うのは女の勤めでもあったわけよ

日本だけではなくヨーロッパ中世遺跡からでてきた騎士団の遺骨に女騎士の骨も含まれていたとか言うし、洋の東西を問わずまれ戦闘力高い女っていて、それなりに活躍してたっぽい

20世紀になってから普通に女性にも徴兵制度採用されてる国も多いから、女軍人ってくくりだと普通にいるよね。

エリザベス女王だって英国女子国防軍で訓練受けて軍用車両の整備やってたんだし。

宇宙飛行士だって最初は男だけどすぐに女も採用された

増田ポチポチやってるアンフェと、訓練受けた女軍人が戦ったらどっちが勝つか自明だよね。

2024-08-04

韓国語じゃない、朝鮮語だろ

とある声優ラジオ韓国語連呼していたので、Wikipediaで調べてみたら驚きの記述が。

日本外務省および中華人民共和国外交部公式ウェブサイトにおいては国に応じて別の呼称使用している(韓国公用語韓国語北朝鮮公用語朝鮮語とされる)。」

まり韓国北朝鮮国家レベルで全く別の言語使用していると、日本中国政府は述べている訳なんだが、これって本当なのか?

そもそも朝鮮語Wikipediaの冒頭にこう記述されている。

朝鮮語(ちょうせんご、(朝: 조선어, 조선말、英: Korean)または韓国語(かんこくご、(朝: 한국어)は、主に朝鮮半島使用されている言語で、大韓民国韓国)と

朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)の国語である。」

やっぱり同じじゃん。朝鮮半島で使われている言語から朝鮮語。そこに何の疑問も挟む余地はない。厳密な韓国語に相当する英語も無いようだ(あったらSouth Korean南朝鮮語と呼ばれる筈)。

その昔、ドイツ東西に分かたれていた頃でも「西ドイツ語・東ドイツ語」などという珍妙言語区分存在しなかった。ドイツ国家で使われている言葉からドイツ語。当たり前だ。

https://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/bibimbab/siru/siru01.html

こちらでも「朝鮮半島使用されている言語は実は1種類であり,その言語日本語では「朝鮮語」とも「韓国語」とも呼ぶのである。」との記述がある。

2024-08-01

anond:20240731113244

神奈川県 川崎市 横浜市

区で言われると見当つかないや

急に横浜市になるし

そんな事はどうでもいいけど自分のために おさらメモ

川崎市 県北東端県境 東西に長い



横浜市東端中央 南北に長く広い卵型




東京通勤通学民ばかりの新興住宅地や大規模造成地かな

新興っても50年くらいは経ってそうか

長年住んでた元々の現地民より造成地ができて入ってきた通勤民が多くて

通勤民には地域のつながりシガラミは薄そう

川崎はわからないが横浜の方は田畑結構残ってる土地

横浜市東京湾沿いなら

横浜西区桜木町駅中区も南の金沢区も変わりばえしない感じ、でもないか

中区北側西側繁華街南側山手のオハイソ全然違う

青葉区都筑区に南で隣接してる緑区都筑区と変わらない感じ

この増田基準は開発造成時期が新しい方なのかなあ

小中お受験する高給取りが多そうな

元々増田

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240730135740

2024-07-24

anond:20240724105510

別に畳なんかどうでもいいんだけどね

中国とか北朝鮮とかガチ国家ネットプロパガンダやっててウクライナでは東西の戦いになってるとこに日本人黒人奴隷がどうのこうのは迂闊すぎるよ

2024-07-18

anond:20240718091139

東西にある中華街とか鶴橋とか新大久保とか

あとは沖のほうにあって縄って字が名前に入ってる…

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん