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はてなキーワード: きらきらとは

2020-05-18

Twitterをやめて初めて鋼の錬金術師の結末が腑に落ちた同人字書きの話

自己陶酔長文

同人界隈のくだらない話です

ハガレンあくま個人的感想、感慨、そういうものの中で引き合いに出しただけです。こじつけというか、たまたまこういうものの中で自分がしっくりくるのがハガレンだっただけです、うまく言えないのですが。ハガレンが好きな方は閲覧気をつけてください。

※以降、鋼の錬金術師の重大なネタバレを含みます

鋼の錬金術師」という有名な漫画がある。鋼の義肢を持つ兄のエドワード・エルリック通称エド)と、鎧姿の弟、アルフォンス・エルリック通称アル)が、「真理」(神様的な存在)に奪われた自身の体を取り戻すための旅をする中で賢者の石をめぐる壮大な陰謀に巻き込まれていくダークファンタジーである

私はこの漫画が大好きなのだが、一つだけ「あんまり気に入らないなあ」という展開があった。それは、物語最後主人公エドがアルを取り戻すためにとった手段のことである

そもそもなぜ兄弟は体を奪われていたのかというと、死んだ母親を蘇らそうとして人体錬成を試みた結果、錬金術の「等価交換」の法則により、代わりに自分たちの肉体を奪われてしまたからだった。二人の肉体を取り戻すには万能のエネルギーである賢者の石」が必要だったのだが、エドとアルは賢者の石が生きた人間材料にして作られていることを知ってしまう。

経緯をまるっと端折るのだが、結局物語の終盤、エド賢者の石を使わずに二人の肉体を取り戻す方法気づき、実行する。エドの決意に、「真理」は「正解だ」と言って笑う。

エドが全てを取り戻すために差し出したのは、エド錬金術を使う能力のものだった。

私はその展開に正直もやっとしていた。

鋼の錬金術師」の見どころの一つは、エドが繰り広げる巧みな錬金術の数々だったからだ。それに、「最年少国家錬金術師」という厳つい肩書きや手を合わせるだけでどんどん色々なものを作り、意のままに動かすバトル、錬金術知識を使い炭素硬化の能力を使う敵をもろい消し炭に変えてしまう展開……。錬金術エドというキャラクターアイデンティティだった。

実のところ、錬金術のような便利なものに頼らず額に汗して自力で生きろという作者のメッセージは作中で示唆されてはいた。エド師匠のイズミは凄腕錬金術であるにも関わらず、「錬金術に頼っちゃいけない」と言って近所の子供の壊れたおもちゃを手作業で直す。そしてエド最終回、「錬金術がなくてもみんながいるさ」と、金槌を手に清々しい笑みを浮かべる。

だが、やはり読者からすると、「それでいいの⁉︎エドあんたすごかったのに」と思わざるを得なかった。

しかし今、Twitterをやめたことで、エドの清々しい笑みの理由がわかるようになった気がしたのだ。

前置きが長くなってしまった。

私は同人の字書きであるTwitterpixiv二次創作小説をアップするとそこそこバズるジャンルではまあまあ人気の字書きだ。

小説を書くのが好きなぼっちオタクの私にとってTwitterは、ジャンル情報推しの素敵な二次創作、実社会ニューストレンドリアルタイムでたくさんチェックすることができる大切な情報ツールであると同時に同人友達を見つける出会いの場であり、萌え語りができるコミュニケーションツールであり、どのような傾向の話を書けば芳しい反応が返ってくるのがすぐにテストできる巨大な実験場であり、お手軽に承認欲求を満たしてくれる蜂蜜の壺のようなものでもあった。

しかし、同人界隈でTwitterをやっていると、疲れることもたくさん出てくる。人間関係承認欲求ジャンル学級会。三者三様に歪められたキャラ二次創作がどっと流れてくるタイムラインに疲れ、私は果たしてこのキャラを本当に好きなのだろうか?それともみんなで口をそろえて「〇〇ちゃんえっち」とか「可愛い」とか「エモい」とか言わなければいけないような集団意識のせいで好きだと思い込んでいるだけなのだろうか?と悩むこともあった。Twitterキャラグッズを次々と大人買いする人々や、論理が通っているのかよくわからない考察ツイートを見るたび、胸焼けするようになってきた。創作でも、いわゆる「互助会」に組み入れられるのが重荷になってきた。

それでも、同人SNSが私の生活の中心にあり、そこでの中堅字書きという立ち位置が数年の間私のアイデンティティだったから、Twitterをやめられなかった。情報を追えなくなったり、忘れられたりするのが怖かった。

(一応リア友もいないわけではないけど、就職を機に皆地方に散ってしまってあまり会えないし、しょっちゅうはやりとりしないため「居場所」感はあまりなかった)

冴えないぼっち日常生活を送る私の唯一のきらきらしい社交場が失われることへの不安から、私はTwitterを続けていた。

だけど、限界が来た。

きっかけは、私が、おそらくリモート飲み会で、ジャンルの顔的な人の不興をかったことだった。このことについては何を言っても主観になってしまうのでうまく説明できない。特別粗相をしたつもりはなかった。ただ、今まで仲良くしてくれていたその人が、飲み会を境に急に全く絡んでくれなくなったので、何かしてしまったのかな天…と思った、というところだ(他の飲み会メンバーからハブられてはいなかったけれど、わざわざ「私なんかやらかしました?」なんて鬱陶しがられる自意識過剰質問しづらかった)。強いて言えば最初、私のスマホ電波があまり良くなくてもたついたせいで若干場を乱してしまったとか、その人が話しているとき一度トイレに立ったとか、そういうことはあった。もしかしたらとんでもない粗相無意識のうちにしていたのかもしれないし、あるいは全く別の理由かもしれない。

とにかく、その人が絡んでくれなくなった瞬間、その人の取り巻き的な人たちがほとんど反応してくれなくなったのだ。

Twitter彼女たちがワイワイ盛り上がっているのがやたらと目についた。彼女たちの創作をヨイショすれば機嫌を直してくれるかもしれないけれど、不純な動機同人を利用するのはもう嫌だと思っている自分がいた。

私は、何をすればいいのかよく分からなくなってしまった。彼女たちより有名な字書きになって見返してやろうと憤ったり、自分を責めたりと、このご時世において生活に困っていない恵まれた身でありながらバカみたいな理由メンタルがぐちゃぐちゃになった。ジャンルの顔的な人や、それに媚びている取り巻きたちのかい推しを目にするたび、推しのものが嫌いになり始めている自分がいた。

(また、同人界隈がきっかけになって仲良くなり、LINEを交換して旅行などにも行った人たちがジャンル移動していたため、TwitterでやりとりすることがほぼなくなったというのもTwitterをやめるきっかけの一つでした)

楽しいこと、心が慰められることよりも、つらいことの方が上回っていると気づいたとき、やめようと思った。

そして私は、ずっと私の生活の中心にあった同人アカウントを消した。消す前から、このご時世における自分の悩みの卑小さ、不毛さには気づいていたが、消して改めて、自分が長い間スマホの中の小さな世界を首を縮めてのぞきこむばかりで、顔を上げてきちんといろいろなものの広がる世界を見ていなかったのだと気がついた。

思えば、どこかに観光に行っても、何を食べても、Twitter投稿することばかり考えていた。何を書けばウケるかとか、通知の数とか、そんなことで頭がいっぱいだった。いつのまにか自分自身で、同人アカウントしか場所がない状況を作っていた。

世界の命運や肉親の志を背負って闘うエドと、ただの同人字書きの私では月とすっぽんよりさらにかけ離れており、同じ括りで語るのはおこがましいこと限りないということは分かっている。

しかし、そのとき私は確かにエド最終回での清々しい笑みの理由がわかった気がしたのだ。

エドは、錬金術能力を手放すとき、「思えばずいぶん踊らされたよな」と口にした。錬金術師として活躍したエドは、しかし、錬金術母親を蘇らそうとして大切な家族を奪われ、錬金術を使い倫理にもとる悪事をはたらく者たちを数多く見てきてもいた。錬金術は、壊した物を直すこともできるし、武器にもなる、一見万能な術だ。しかし死んだ人間を蘇らせることはできないし、錬金術頼みでは解決できないこともたくさんある。

Twitterも同じである日常のあらゆる情報リアルタイムで発信する。Twitterを使えば全世界の人々と繋がれる。しかし、日常に入り込むそれらは、同時に、日常を強大な「それ」(錬金術/Twitter)なしではいられなくさせてしまう。「それ」を利用しているはずの私たちは、いつのまにか「それ」越しでしか世界を見られなくなってしまう。

錬金術しろTwitterしろ、便利ですごいものは良くも悪くも影響力が大きくて、世界もの見方を変えてしまう。それに振り回され、人間の作った枠組みの中でおだてられて自分はすごい人間なのだと慢心し、甘い汁を吸ったかと思えば虚しい思いもする、そんな力の渦から脱却したから、エド最後、笑ったのだと思う。

Twitterを退会し、同人交流をやめてできた時間の中でやりたいことは意外と早く見つかった。小説映画など色々なものに触れてみたい。資格を取ってキャリアアップしたい。今は難しいが、時勢が安定したら小説カルチャースクールに通いたい。どうにかして、ネット頼みでなく新たな交友関係を築けるよう模索していきたい。

たぶん、徐々にTwitterをやめたことに対する寂しさや後悔は増していくのだろう。それでも、私のなりたい未来の姿は小さな世界局所的人気者ではないから、寂しさを糧にしてふんばりたいなと思っている。

最後に。

鋼の錬金術師は最高だからみんな読もう。

2020-04-17

コロナ時代中小SI

中堅SIerでいわゆるSEをやっている。中小企業や、大企業があっても部門システム程度のシステム導入や保守サポート自分仕事だ。オーダーメイドであればJavaC#OracleMSSQLで開発するし、業務パッケージの導入支援なんかもする。規模が小さいか多重下請けみたいなのはほぼないが、PMだけとか仕様決めだけで、作成外注頼みにして数回そうって、社内の技術空洞化心配される普通SI業だ。

IT業界の端くれらしく在宅リモートワークになった。お客さんは休業するところもあるにはあるが、多くはそのままだったり、営業時間を縮小したり、総務経理なんかをリモートにしたり、工夫しながら営業を続けている。チャットメール電話はそれなりに入ってくる。

例えば給与管理なら4月で雇用保険徴収対象外になる人が出るけどどうすればいいの?みたいな季節モノから、自宅PCから会社PCにつないで/会社ノートを自宅において、あのシステム使える?とか、IT補助金出るみたいだけどPC10台調達できるか営業に伝えて、みたいなこの状況ならではの対応とか。出荷システムピッキングがうまく行かないとか、普通保守対応もたくさんある。

開発案件ストップや延期もちょいちょいあるけど、自宅から質問に答えたりリモートトラブルシュートしたり営業インフラ担当の手配をしたりなんのかんの忙しい。自分もお客さんも自社の営業インフラSEもみんな在宅だったりするし普段とは違って変な感じだ。

いろんな企業のいろんな部署のいろんな人が働いていてITソフトウェアに頼っているんだなとあらためて感じた。

Amazon楽天ヤフオクメルカリなんでもそうだが、今はみんながプラットフォーマーになりたがる。

商流を握れば手数料で儲けがスケールする。ITをコアにスケールする企業が生き残る。

でも、そこで流れる商品を作っているのはメーカーだし、調達して販売してるのは卸だし、在庫が置かれてるのは倉庫業だし、ものを運ぶのは運送会社だ。その他たくさんの業種。マケプレで僕らが買えるのはそうした企業があるからだ。

いろんな会社が、この状況下でも営業をしなけりゃ生活必需品が行き渡らない。

その大部分は中小企業で、ITコアコンピタンスじゃない。高年収フルスタックITエンジニアを何人も抱えて内製化できない。情シスが何人かしかいなかったり、総務のお兄さん一人なんてところもある。そんな企業日本だけで何十万とある

そういうところに頼られて、なんか問題解決して、支えていけるなら、喜ばれるんなら、SIerもそんなに悪くはないなと思ったりした。

会社の大先輩のおじいちゃんは、SAPが出てきたころにパッケージオーダーメイドなんてなくなると言われたけど、パッケージ導入や足りない部分の開発で結局食えたと言っていた。ならクラウド時代でもSaaSが主流になっても多分仕事は尽きないんだろうな。最悪自分がどっかの会社情シスに潜り込んで内製に回れるような技術は身につけておきたいけども。

ちょっと前はきらきらしたWeb業界に憧れてたんだけど、コロナちょっとだけ考えが変わったな。

2020-03-30

コロナうつになんかならないよ

いつもの春であれば、もっと焦燥感に駆られていた。満開になった桜は春の雨に打たれどんどん散っていく、振り落とされて葉っぱが見え出していく、私は何も変わっていない。

新生活をはじめるきらきらした自分より若い人たち出会いとか、別れとか。毎日さほど代わり映えない生活をしてるわたしはどうも、この季節になると世界の人たちから置いていかれて追いつけなくて自分も新しい何かをはじめなきゃって焦る。

毎日泥のように眠り今日生きていくことで精一杯だというのに。

今年の春は一味違う。

皆が立ち止まり、蕾から花へ、散っていく桜を見ながらそのまわりをぐるぐるしているだけだ。世界が逆回転して、エネルギーはどこにも飛ばせず身体の中でくすぶっている。

恋人もいなくてよかった、濃厚接触は危ないからね。

恋人を探せとも言われないんだ。探しに行くのは危ないからね。

おかしくなったりはしない、いつもこうだから

顔がいいからやり直せただけの男たちの物語が嫌いだった

アイドルマスターSideM物語が嫌いだ。

理由あっても何も、こいつらは結局顔がいいからやり直しが効いただけだろうと。

彼らを見ているとまるでどんな過去があっても、それを受け入れた上で乗り越え幸せになれる、輝けると思ってしまいそうになるが、それは彼らがただ特別な、「顔」を持って生まれ人間だったかなのだ

315プロダクションアイドルたちは過去の不幸や失敗すらもそこに至るまでの物語としてプロデュースされる。きらきらになれる。

では不細工な元教師は、元フリーターは、元警察官はどうすればいいのか。輝くための努力をすることもできない、失敗を「物語」にしてもらえない人たちは、失敗した人間として生きていくしかない。

このゲームにかなり入れ込んでいる身ではあるが、「たまたま顔がいいからやり直せた男たちのコンテンツだな」と感じてからよく見る「SideM過去描写が良い」「尊い」「物語性」系の評価気持ち悪くなってしまった。

2020-03-05

気分

大体一定間人と合わないと彼の嫌な面ばかり目立ってむかっ腹が立ったりするが、実際合えば何だいいやつじゃないか前言撤回してきらきらした笑顔で会話を交わす、というのが人付き合いの一般だと思っていたが、最近は嫌な奴だなと思う奴と実際に会って本当に嫌な奴だなと再確認するだけのことが多い。歳なのか?もしくは、私は一人でいるように作られたのかもしれない。

2020-02-11

anond:20200211124349

猫の目ってきらきらしてて質のいい灰皿っぽいって思う

2020-01-26

こんなはずではなかった

小さい頃の自分は、今の年齢になれば勝手きらきらした生活送れる立派な大人になると思っていた。けれど、実際は毎月の生活がカツカツで仕事に追われては毎日死んだように寝て、たまの趣味お金を使ってはまたお金がない生活を送っている。

結婚願望はあるけれど、結婚までたどり着く相手ができない。このままではダメだ!と思って婚活やら自分磨きやらして、それなりの成果を経ても結果は出ない。

充実はしているけれど、自分は何をしているのか? と虚無ってしまうことも多々ある。

小さい頃に描いていた未来はどこにいってしまったんだろう。

努力不足でもある、現状に嘆くなら今が行動の時だとも思う。でも仕事に殺されて気力がない。

こんなはずではなかった。

2020-01-25

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200125/k10012257641000.html

大学時代の友人

被告は『職員が死んだ魚の目をして希望なく働いている』と話すこともありました。しかし『でも障害者かわいい。いつも寄ってきてくれるし俺がいないと生きていけないんだ』とうれしそうな口調で言っていて、ようやく被告が楽しく仕事をするようになったと安心しました」

大学時代の後輩

就職活動について相談したところ、被告は『仕事は金のためじゃなくやりがいだと思う。入れ墨を入れている自分でも、障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。自分にとって天職だ』と話していました」

自己尊厳の低さを、障害者という依存存在への奉仕という行動で自己尊厳を満たしてるんだろうなって感じが見受けられる。

「俺がいないとこいつら生きていけない」という状態に喜びを感じているんだろうなと感じた。そこに健全さを感じない。

らくだが、被告は当時の自分自己肯定感は抱いていないんじゃないかな。

入れ墨を入れている自分でも、障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。」は高い自己評価を持つ人間だったら出てこない発言

幼なじみ

「2年ぐらいたったときに、『障害者はかわいそう。食べているごはんもひどくて人間として扱われていない』と話すようになりました」

3年経過。社会に貢献している、素晴らしい仕事従事しているという認知フィルターが外れた状態

もし健常者が体験するなら地獄のような非人間的環境に対する冷静な評価。その状況に対するリアクションを行えない事に対する重度のストレスも見受けられる。

高校時代の友人

「6月ごろ突然『意思疎通できない障害者は生きている意味がない』と私に言うようになりました。あんなに仕事に満足していたさとくんがそんなことを言うようになったので仕事で何かあったのかなと思いました」

地元の友人

「夏ごろから意思疎通ができない障害者について『安楽死させたほうがいい』などと言うようになりました

仮説1:

被告従事している仕事に対する認知が下記のように変化した。

『何もできない障碍者ケアするという社会的意義のあり、必要とされる仕事従事している』(入社時)

地獄のような環境障碍者隔離放置する倫理的に許容しかねる状況に加担している』(2,3年経過)

「正しい事は何だろうか」

主張

障碍者安楽死させるべき」

想定しうる主張の論拠

社会的情勢として、社会に対する生産性の低い、貢献度の低い人間積極的排除されている

介護従事者が現在倫理的に許容しかねるような非人間的環境の維持、加担というストレスフルな状況から解放される

障碍者尊厳死という考え方。障害者施設隔離され、介護従事から「尿と便の詰まった袋」扱いされながら一生を終える状態人間として尊厳を保ってないのではないかという考え方

多分被告死ぬ直前まで自説の正しさを疑わないだろうなと思う。

実際従事したことは無いが、こういった介護系の職場って

言葉による疎通が困難な動物的な特性を持った対象

人間的な対応継続して求められ

・非常に高ストレス環境にも関わらず、相応の報酬が得られない

こういう環境なわけでしょ?よほど自己犠牲的な傾向が高くないとやれない仕事だと思うわ。

俺は絶対こんな仕事就かないし、働いているやつはホントすごいと思うよ。

れいわの議員さんとかがこういった構造に対する認知を広めていってるけど、

結局のところこれ、こういう福祉に対する予算人員ルールをどう整備するかって所でしか解決できない問題だよな。

後期高齢者に対する医療費天文学的に膨れ上がってて、他の予算がshrinkしてる現状だと、

こういった状況を改善するのは絶望的。

正直現場の人や、障碍者人達は報われて欲しいと思うけど、多分そうはならないんだろうなって思う。

こんな大量殺人みたいなケースは早々起こらないけど、これから認知症、後期高齢者区分の老人とか、

知的障害者とか相手虐待事故死、殺人とかどんどん増えるんだろうなって思う。

2019-12-27

早引けして真昼間に家に帰っている。

澄んだ冬の空気を通って目に届く大量の光のおかげで、あらゆるもの輪郭がくっきりと見える。

雲が、屋根が、きらきらと眩しい。

毎日通っている道の見違えるような姿を目にして心が痺れるほど幸せを感じる。

家に着いたらお茶をいれてあんぱんを食べるのだ。

から休暇。日常さん、よいお年を

2019-12-21

anond:20191220114838

めんどくさいな。

みずき がどう変換されようとも「読めりゃいいんだよ」

文字にやたらとこだわる さいとう や 髙 と同じで、こういう人には めんどくさい 人が多い。

きらきらネームって、「まちがえる人を攻撃するための手段」なんだよな。おおり運転するようなのの同類だ。

2019-12-20

anond:20191220084044

こんにちは通りすがり日本語警察です。増田さんじゃなくて済みません。

まず【――めく】は「接尾語」と言って、他の言葉(主に名詞)のあとについて動詞を作る言葉です。意味は「~のような状態になる」。よって

 「春めく/夏めく」=春らしい/夏らしい状態になる

という意味です。「きらめく」も、本来「綺羅(きら)」というのは外国から渡ってきたキラキラする布のことですから

 「きらめく」=きらびやかな服を着るようなきらきらしい状態になる

という意味になります

ときめく」は少し難しく、昔は、対象が「時機を得ている様子(絶頂期にある)」ことを意味する「時めく」だったのですが、時代が下がると「(そういう対象を見る側の気持ちが)どきどきする」ことを意味する言葉になりました。「○○さんはとてもときめいています(いまが絶頂期でとてもきらびやかな様子です)」が、「○○さんはときめきます」になり「○○さんってときめく!(見てるとどきどきする)」になるわけですね。こういう例は古文などを読んでいると時々あります。有名な例で言えば「情けない」など(本来対象に「人情がない様子」を表す形容詞だったのですが、時代が下がると「(人情のない対象を見る側の気持ちが)つらい」ことを意味する語になりました。)。

ですから、これもまた上と同じく、元々は接尾語「――めく」からまれ言葉なので、質問のお答えとしては「同じ」でOKです。

ちなみに、これを書くために調べていて、江戸時代には「めく」だけで「いかにもそれっぽく見える」という動詞用法もあったことを知りました。「あいつは『めかない』なァ(頑張ってもそれっぽくならないなあ)」みたいな使い方だそうです。面白いですね。

[追記]"めくるめく"の意味について

めくるめくのってのもめくったような状態になるってことなんだろうか。とおもってぐぐってみたけど目がくらむとか書いてあってなんか俺の知ってるめくるめくとちがってた。めくるめくってなんだよ警察教えてくれ (https://b.hatena.ne.jp/entry/4678900173722597602/comment/watarux

質問がありましたので追記します。「めくるめく」は「目がくらむ+めく」で生まれた語というのは、歴史的にはほぼ確実です。このため、現在も「目がくらむような」以上の説明をしている辞書ほとんどありません。では、ブクマさんの「俺の知ってるのと違う」という感覚おかしいのでしょうか? …いえ、そう簡単には解決したくありません。なぜなら、私にもブクマさんと同じ違和感があるからです。現在の「めくるめく」は、本義の「めまいがする」意味で用いられることはほとんどなく、主として転義である肯定的意味で用いられているように思います

では、いつごろからこうなったのでしょうか。

参考になるのは、大辞林(1988)の「(転じて)強い刺激を言うこともある」という説明です。その用例をみると、「めくるめくような日々」とあり、どうやら比喩的に用いられることで「強い刺激」の意味が生まれてきたことが推察されます

では、そのルーツは? 調べてみると、「めくるめく」が比喩的に用いられて今日見られるような意味を持ち始めたのは、現代日本語がその形を成し始めた大正期の詩の世界からのようです。たとえば次の用例に見える「めくるめく」の語の印象は、現代のそれにかなり近いように感じます

その豊饒な、杯から溢れ出すほどの過剰な美は、ことにその紅色の花にあって彼の心をひきつけた。そのめくるめくばかりの重い香は彼には最初接吻の甘美を思い起こさせるものであった。(「田園の憂鬱佐藤春夫大正7(新字新仮名に改めた))

このように詩の世界で用いられた比喩的用法が、その後徐々に一般化して、今日見られる形に近づいてきたた、ということではないでしょうか。

…と、ここまで書いてまた興味深いのは、「――めく」自体本来は「~のような」という意味であったという事実です。つまり今日の「めくるめく」の意味を生んだ「めくるめくばかりの」という用例は「~のようであるような状態」という意味になり、「重複」ですね。語の破格な用法がその意味拡張することの一例と言えるかもしれません。

2019-12-14

弱小fineオタクがスタライに行った話

これはただの思ったことで、別のユニットへの悪口じゃないんです。個人意見です。他のfine推しさんがみんなこんな考えだと思わないでね。ただ辛かったはなし。

____________

私は今日、スタライの大阪公演に行った。めちゃくちゃ良かった。最高だったので、あんスタを辞めたくなった。

ライブが始まった瞬間、しゃがみこみそうになった。

あんスタとサヨナラしようと思った。辛かった。

私が好きなのはfineというグループである

fineはメインストリーでは倒すべき敵として描写され、まあその後諸々あったりなんだりしつつ。とにかく初期からいるユニットで、メインストリーにも大きく関わっているユニットなわけだ。

そしてスタライ。現在タライに全てのユニットが参加している訳では無いというのはご存知でしょうか。ご存知であってほしいな。

そう、そしてお察しの通りfineもスタライにいないんです。

fineより後に発表されたユニットはいるのにね。fineはいないんです。

なんかこんな書き方するとあれですね、メインユニットなんだから贔屓しろ優遇しろ!後発ユニットはすっこんでろ!とにかくfinefine!って言ってる人みたいになりますね。

別にfineの枠をどこどこに奪われた!とか、そんなこと、一切思ってないんです。今日見たライブは最高だった。出演ユニットみんな可愛くてかっこよくて、演出もすごくて、ほんと良かったんです。

からこそ、そこにfineがいないことが悔しかった。悲しかった。なんで私は推しサイリウムを触れないんだろう。みんないいなぁ。推しステージの上で歌って踊って、時には手を振ってくれるんだ。

fineがまだスタライに登場していないこと、きっと何か理由があるんだと信じたい。

そりゃもちろん一気に全ユニット登場させるのは難しいだろうなぁとは思うし、順次参加型ならどこかのユニットの登場が遅くなるのもわかってる。それが偶然fineだっただけなんだろうな、と思ってる。けどさぁ。

私はほんとに弱小ぬるま湯転校生ちゃんだと自覚がある。しかもかなりの楽天家から最近finePがよく不満を漏らしているのが分からなかった。fineがあまりにも雑に扱われてる?そうかな?気のせいじゃない?って思ってました。まああれだけキャラクターがいたらね、全員平等に扱うことなんてできないし。なのにそれで担降りするの?わけわからん

タライにずっとfineが来ない?ひびわたの髪の毛のモデリング大変そうやしなwwまあfineは今世界ツアーで忙しいってことでwwww

でも今日、もう昨日か、fineを推すのをやめた、あんスタにさよならした元finePさん達の気持ちがわかった気がした。

ステージの上でさ、アイドルたちが歌ってるわけですよ。きらきら素敵な演出もあってさ。で、周りでそれぞれの担当転校生ちゃんが嬉しそうにしてる。

そしてアイドルたちがトークパートで、サイリウムの色が綺麗だ、とか、もっと歌いたい、とか言う。

でも私は私の推しサイリウムが振れない。ステージの上で輝く推し笑顔が見れない。もっと歌いたい以前に、彼らはこのステージで歌えていない。fineがスタライにいつまで経っても来れないのは、私の努力が足りなかったからかな。

さっき古参ユニだから優遇しろって言ってるわけじゃないって書いたじゃないですか。でもちょっとそんなこと思ってしまったりもしたんですよ。なんでfineはいないのに彼らが歌ってるんだろうなんて思ってしまったんですよ。それがもうまた自分最低だと思って。涙が止まらなくて。

本当に1曲目から最高だったんです。すごく良くて、そのユニットパフォーマンスだけに集中したいのに、なんでfineがいないんだろうとか思ってしまう。ほんと最低ですよね。そのユニットにも、そしてfineにも失礼が過ぎる。

でも1回考え始めたら、あーいいなーって思って、fineのこと考えてしまって、なんだかみじめな気分(語弊がある気がするけど、これしか思いつかないんですごめんなさい)になって、涙が止まらなかった。こんなこと言ったらほんとだめだとは思うんですけど、サイリウムを振るのがしんどかった。もう他のアイドルたちがステージきらきらしてるのがしんどかった。スタライに合わせて調整してきたメガネも外して、コールすれば変な声が出そうだから黙って、でもぼやけた視界でサイリウムだけは振り続けた。耳鳴りみたいなのが聞こえた。ごめんなさい、何曲か、まともに聞こえてなかったかも。

でもアイドルってすごいよなぁ、やっぱ途中から楽しくなってきて、いっぱいコールもしたしサイリウムも振った。周りの人の迷惑にならない程度に。

でもやっぱり折り返し地点のトークで涙が出た。私はfineステージに立たせてあげられなかった。そんな想いでいっぱいだった。

今思えばかなり傲慢なこと思ってますね。私一人が応援してもしなくてもfineは最高のアイドルなのに。

でもほんとライブ中それだったんですよ。そんなにfineダメかなぁ、そんなにfineオタクは頑張り足りなかったかなぁ。fineはいらないって思われてるんだろうか。あーあ、みんなステージキラキラしてるなあ、かわいいなぁ、いいなぁ。





トータルで言うと、スタライは本当に楽しかった。最高だった。アイドルたちがそこにいた。めちゃくちゃいいライブだった。

からこそ、私は一度あんスタから離れようと思う。

fineは、私の推しは、最高のアイドルです。なのに最低なことを沢山考えてしまった。

こんな気持ちでずるずるぐだぐだ推し続けるのは、夢ノ咲の全てのアイドルたちに不誠実な態度だと感じています

だってライブ中に笑顔になれないの、そんなのいらないオタクじゃんね。みんなみんなが楽しそうなのに、私だけ悔しくて辛くて泣いてるの、変だよ。

もしこんな感じでたくさんのオタク担降りしてしまったら、運営からfineはいらない子だと思われてしまうんだろうか。それはいやだなぁ。

そんなことを思いながらこれを書きました。

振り返ってみるとほんと自己中心的だな。やっぱ推しのためにも担降りした方がいいよ。こんなオタクあんなに美しい推しを推すのに相応しくない。

2019-12-12

雰囲気はわかるけど名前がわからない歌手

ごつい声できらきら星みたいなの歌ってる外国人

2019-11-11

コンピューターおばあちゃん

 「すると私は『自分人間だと思い込んでいるコンピュータープログラム』にされてしまったわけかい? 私の同意もなしに?」

 雲ひとつない秋の空。病室の窓は大きく開け放たれ、日射しが真っ白なカーテンと真っ白なシーツを眩いばかりにきらめかせていた。上体を起こしたおばあちゃん皮肉げな笑みはシーツからの照り返しを受けて奇妙に平坦に見える。どこかから風が子供たちの喧噪を運んできて短い沈黙を埋めた。楽しそうな叫び声、ボールを蹴る音。窓は開いているが虫が入ってくる気遣いはない──この世界に虫は存在しないからだ。そして声の主の子供たちも。おばあちゃんと僕と病室だけがこのシミュレーションの全てだった。

 「おばあちゃんプログラムなんかじゃない。ちゃんとした人間だよ。それに同意はあったんだ」

前半は僕の信念、後半は真っ赤な嘘。数十回に及ぶ失敗を経て、僕はこのステップ事実を述べることは得策ではないと学んでいた。

「今はまだ記憶が混乱しているだけだよ。そのうちに思い出せると思う。もちろん自分人間であることも、ね」

 新鮮な死体の脳を輪切りにして採取したデータから人格模倣AIを作り出す技術確立してから5年。既に数万人の死者がAIとしてこの世に舞い戻って社会活動(そして経済活動)を再開していたが、未解決問題が一つあった。AI自分自身を人間だと疑いなく認識できなければ──要するに自分は元の自己連続した存在だと心の底から信じることができなければ、そのAIはやがて必ず壊れるのだ。しかもこの自壊は伝染する。2年前の《大災害》は当時活動していた世界中のAIの半数を発狂機能停止に追い込み、ついでにほぼ同数の生きている人間までをも死に追いやった。そのため現在では、目覚めたAIは「自分人間である確信している」と客観的保証されない限り、隔離されたネットワークから外に出て行くことは許されなくなっている。病院医療ミスで亡くなったおばあちゃんを現世に連れ戻すために(したがってこの高額な費用病院持ちだ)、この病室での対話と説得は、法的にも倫理的にも現実的にも決して欠かすことのできないプロセスだった。

 「お前の言いたいことは分かったよ。でもね、結局のところ今の私はただのプログラムデータなんだろう? コピーも削除も編集もできるただのデータなんだろう? そんなもの人間であるけがあるものかね」

「おばあちゃんが動いている基盤はとても厳重に保護されていて、コピーや削除はできないんだよ。暗号化されているから僕らは読むことも編集することもできない」

「まるで本質的じゃないね。じゃあ私を私たらしめているものは何かね? 私の魂のありか、この私が私であって他の何かではないこと──そして他の誰かが私にはなり得ないことはいったい何が保証するんだい?」

「512ビットハッシュ値……かなあ」

 これは失言だった。おばあちゃんは手を叩きながらおかしそうに笑い始めた。その笑い声がヒステリックに加速していく。そのおばあちゃんの頭の上には僕だけに見える不吉な赤黒いバーが浮かんでいる。これはおばあちゃん精神的な安定度を示すもので、緑は正常、赤は不安定。黒になると正気に戻れる見込みはなくなるため、そのおばあちゃんは慈悲深く自動的に終了される。僕はこれまでその光景を53回見てきたが、今日が54回目になった。一瞬のフリーズののち、おばあちゃんきらきらと輝く光の粒になって空中に散逸していくと(本当にくだらない演出だ。僕はいつか機会があったらこ演出を決めた奴を殺してやろうと決意していた)、僕は口汚く自分を罵りながらHMDを顔から乱暴にむしり取ってシャツの袖で汗と涙を拭った。おばあちゃんが目覚めた直後のスナップショットからこのセッションをもう一度やり直す時間はまだあったが、僕には休息が必要だった。

 僕はおばあちゃんを愛しているし、また家族と一緒に笑い合いたいと心から願っている。だからこそ毎日この「復活の間」──自分データに過ぎないと思い込んでいるAI対話を通じて自分人間だと納得してもらうための施設──に通い詰めているのだ。けれども最近は思う。果たして僕はおばあちゃん人間性を本当に尊重しているのだろうか、それとも玩具のように蹂躙しているのだろうか?

2019-11-02

anond:20191102143829

または

女児向けコミックなどに多く見られる kawaii (目が大きい、きらきら、幼い)を盛り込んだデフォルメ調の人物画あるいは亜人画。

kawaii のみであれば近年歓迎される風潮にあるが、

フェチを盛り込んだ(胸やボディラインの強調)人物画は、高まるコンプライアンス意識により、しばし炎上の元となっている。

萌え絵定義してやんよ

製作者のフェチ または 女児向けコミックなどに多く見られる kawaii (目が大きい、きらきら、幼い)を盛り込んだデフォルメ調の人物画あるいは亜人画。

kawaii のみであれば近年歓迎される風潮にあるが、フェチを盛り込んだ(胸やボディラインの強調)人物画は、高まるコンプライアンス意識により、しばし炎上の元となっている。

また、フェチを盛り込んだ萌え絵に対する嫌悪感からフェチ要素のないkawaii萌え絵が謂れのない非難対象となることがしばしある。

だが、萌え絵を厳しい立場に置いている要因は、フェチ要素がなくkawaiiのみで構成された萌え絵を用いてポルノコミックスが量産され、

未成年者やポルノを望まない人間にも容易にインターネットで目に入ることにある。

anond:20191102142735 anond:20191102151146 anond:20200215134419 anond:20200215135138

2019-10-16

失恋腕時計

失恋をした。誕生日に貰ったピンクゴールド腕時計は、わたしにはちょっと釣り合いに大人すぎたのかもしれない。

あなたにとって腕時計とは?という問いをご存知だろうか。合コンとかで使うような、お遊びの心理テストだ。

いたことがない人はちょっと考えてみてほしい。

行動の指針?必要不可欠なモノ?それともアクセサリー

……この問いに対する答えは、そのまま「あなたにとって恋人とは?」の答えに置き換えられます、というのがこの心理テストだ。

話は変わるが、わたしにはずっと恋人がいなかった。イコール年齢の21歳だった。大変。ついでに高校ときからずっと腕時計も持っていなかった。恋人も、腕時計も、ぼんやり欲しいなあとは思いつつも、それを得るための努力をしなかった。たぶんそれは、「まだ必要でないもの」だったのだ、わたしにとって。

それがなんの因果か、夢みたいな恋をして、突然奇跡が降ってきて、わたしピンクゴールドの華奢な腕時計を手にした。

人の輪の中心にいて、きらきらして、それでいてわたしに笑いかけてくれるような人だった。優先順位をつけるのが下手で、馬鹿で優しい人。はしっこで憧れを丁寧に育てていたら、突然全部を掬いとって恋人にしてくれた。なにがなんだかわからなくて、全部がチカチカ眩しくて、冗談でなく直視もままならなかった。

そんなキャパオーバーのしあわせにあっぷあっぷする日々から、少しだけ上手に泳げるようになると、見えることが増えてきた。たべものをまずいっていうこと、ゴッホひまわりを知らないこと、環境に恵まれてなお人生はずっと楽しくないと言い切ってしまうこと。そういうしようもないかなしいことがチクチクした。誰もが嫌がることじゃない、わたしだったから嫌だと感じてしまたこと。

そうしていくつもすれちがってしまった結末は冒頭のとおりだ。

誰も悪くないけれど、こうなることは避けられなかっただろうという確かな予感があった。

まだ、好きだけど、君がわたしを好きじゃないならもういいよ。素敵な経験ありがとう、たのしかったよ、なんて軽やかに強がって笑って、模範解答みたいなお別れをして、家に帰って少し泣いた。ああ、好きだったなあ、たぶん今もちょっとわたし、夢みたいな恋をした。なんて。

そうしてピンクゴールド腕時計を外して、軽い左手首をさする。この腕はこんなに自由だったか。こんなに、さみしかたか

腕時計が欲しくなった。もっとかわいくてときめくような、子供っぽくていいか自分の好きな時計が。わたしにとって腕時計が、「ないと落ち着かないもの」になっていた。或いは、「いまほしいもの」かもしれない。いずれにせよ、このさみしさを持て余して「まだ必要でないもの」だなんて思えなかった。

彼の彼女になれる人は、きっとしあわせだけれど、わたしがもうそうなりたいとは思わない。腕時計は、ピンクゴールドでなくたっていい。わたしは、わたし腕時計を探そうと思う。はやく買いに行こう。ついでに合コンにでもいこうかな。

価値観の変化を、こうも感じることがあるとは思わなかった。まとまりがないけれど、この腕時計に感じたメタファーわたし失恋の整理を兼ねて言語化たかった。だけ。です。ありがとう

あーあ、好きだったなあ。

2019-10-04

松茸前撮り

先月、成人式前撮りをした。きらきら着物メイクとヘアセットで綺麗にしてもらって、地元の有名なフォトスジオで撮ってもらった。家族や親戚にもたくさん褒めてもらってすっごく嬉しかったのだけど、わたしは少し違うことを考えていたので、そのことをここに書こうと思う。

今回の前撮り費用祖母がお正月にくれた前撮り資金から出させてもらった。どんな着物にするの?楽しみだねえ、と言って大きな額を渡してくれた祖母は、わたし前撮りの日を待たずに春に亡くなった。生まれた時からずっとそばにいて、幼い頃の写真にはよく祖母も写っていたし、着物浴衣着付けてくれるのもいつも祖母だった。わたし祖母振袖姿を見てもらうのを楽しみにしていたし、着物が好きだった祖母もきっと楽しみにしていてくれたと思う。見せたかった。わあー!素敵!と言って喜ぶ祖母想像できるし、わたし自分センスで選んだ着物の完成形を見て欲しかった。前撮りを終えて家に帰るとき祖母の家に寄って振袖のまま仏壇に手を合わせてきた。普段は咳き込んでしまう御線香の香りも、なんだか祖母が近くにいる証のような気がして少し多めに吸い込みたくなった。

振袖ちゃんと見てくれた?少し派手な色だけど、この振袖すごく気に入ったんだ。可愛いでしょ。ばばにもちゃんと見せたかったのになあ。ちなみにお昼は松茸食べたよー。美味しかった、へへへ。未だにばばがいないの信じられなくて、ふとした瞬間に元気かなー?って思ってああ、って寂しくなるんだ。夢だったら会えるのかな?会えたら振袖感想、教えてね。

2019-09-18

anond:20190918235149

すげー目をきらきらしてが・・い・・じって打ち込んでそう さっきからウザい

2019-09-06

思い出の整理

匿名日記を書いて世間自分のことを書きなぐれるなんて、なんていい時代になったんだろう。

なんていうか、間もなく私は結婚するんだけど、その前に何か、書きたかったんだろうな。

きっかけは10年以上前に使っていたメールアドレスアカウントに、当時の会話がごっそり乗ってて、懐かしいやら、恥ずかしいやら、、、てな感じで

昔話を知り合いとかじゃなくて、だれもない「誰か」に見てほしいと思い立って、今こうして書いてるだと思う。

頑張って当時の事思い出して書くけど、微妙に思いで補正きらきらちゃう部分はご愛嬌

まぁ、よかったら見てってよ。僕の、甘酸っぱくて、恥ずかしくって、楽しかった青春の思い出の整理を。

青春時代と思い出したくない黒歴史がたくさんたくさんなのは主に中学生から高校生のころの話だ。

特に中学生って第二次性長期の影響なのか、人格不安定で、感受性豊かなもんだから、いろんなもの(僕は主にアニメ)の影響承けちゃったりなんかしちゃって、思い出すと枕にんー!!!!!!!!って叫びたくなるようなことばっかりだったと思う。みんなも多少覚えあるやんね?笑。

小学生から中学生に上がり、当時僕はめちゃくちゃ悩んでいた。

何に悩んでいたかといいますと、、、、、そうなんです。僕は女子からいじめに悩んでいた。

もともと小学生時代、暴虐武人喧嘩っ早く、人よりませていてエロいこと大好きだった僕は、女子から奇異な目で見られることが多かった。

ちんぽの毛も生えそろっていないような小学生のうちは、女子にどうこう思われるより男友達が笑ってくれたり、盛り上がったりする方が圧倒的に楽しくて、とにかくあほなことばかりしていた。

保健体育の授業はたぶん誰よりも好きだったし、プールの授業とか裸になって走り回ってちんちん見せびらかししてたしなぁ。

そんな感じのくそませがき野郎だったから、当然女の子からの印象は最低。

廊下女子とすれ違おうものなら「きもい」やら「くさい」やらとにかく悪口を言われた。

書いてて悲しくなってきた。

当時よく耐たえてたな。笑

然しながら悩みの本質悪口を言われ気分が悪いとか、無視されて悲しいとか、そういう部分じゃあなかった。

「こんな自分でよいのだろうか?」

ライトノベルが大好きな僕はいろいろな物語を片っ端から読み漁っていた。

ゼ○の使い魔、○眼のシャナ、涼○ハルヒの憂鬱などなど上げ始めたらきりがない。

基本的かわいいおにゃのこが出てくるようなライトノベルは、主人公モテたりだとか、最終的にヒロインとくっついたりだとか、

こいつのために世界をかえてやるあぁ!!!みたいな勢いで恋してたりする。

ライトノベルで「恋愛」というものを学んだ僕は、そんな学校生活にあこがれて、自分青春したいぜ!!!と思っていた反面絶望していた。

いやいや、無理っしょwwwだって女子にこんなに嫌われちゃってるんだからww

草を生やしてみたものの、そうなの、現実って厳しいの!!

今までの自分の行動や言動反省しつつ、考えてみた。

「こんな自分でよいのだろうか」

2019-08-24

ポニョという作品の中に住みたい

まるっとした絵柄

鉛筆の質感がある背景

水のきらきら

シンプルなようで複雑な動き

なんだかやさしい感じ

かいことはいいんだよ!感

 

ポニョジブリの中でもかなり好き

あの中に入りたいよ

2019-08-19

anond:20190819164931

それは社会の話じゃないの あなたの話

社会やらせてもらってる仕事の分だけで自分はまだ足りないって言ってるだけ

そんなに夢とか希望を超短期目標として消耗したいのなら

身体を使った仕事をすればいい あっという間に消耗するしその消耗を抑えたい人たちから依頼はやまもりだ

自衛隊でもいいし土木建築飛び込み営業なんかでもいい もっと末端の仕事もいっぱいあるだろう

キャバクラきらきら輝く人生と現金をもってくるお客さんは

そこ以外で人生や肉体を削ってむき出しの骨や肉になったところをやりがいって美談で覆って痛みをおさえて

酒場でそれを褒めてくれる人たちに服を着せてもらって、次の日いい朝をむかえるだけ

結局知恵がないなら肉体を削るしかないわけで、削ったやつらは話にするとおもしろ

だが自分が削られる側になったらつらいぞ 立派な目的か辞め時か逃げ道がないとかでなければできるもんじゃない

やりがいも派手に成功もしないのに生きていける人生があるということやなにもない毎日がどれほどの損失と消費を抑えているか

気が付かないのならいろんなものをかけて博打をしてみればいい

社会はそういう博打をするところではないぞ

2019-08-03

女の子が怖い

私は20代女性、コンカフェ女性地下アイドルが好き、百合美少女男性向けコンテンツが好き

そして同性のパートナーと揃いの結婚指輪左手薬指に嵌めている

それでも私は女の子というものが怖い

堪らなく怖い

幼少期から兄に倣いゲームばかりして、学生時代ネット男性向けコンテンツを消費した、二次元女の子はすごく可愛くてきらきらしていて好きだった

三次元の“クラス女子からは好かれず、輪に入れなかった

私の好きなコンテンツの話をする男子グループに混じっても打ち解けきれない感覚があってずっと女がコンプレックスだった

私は女の子の線の細さが触れたら壊れてしまいそうで怖い、だって女の子と触れ合ったことが少なかったか

私は同調圧力が怖い、だって私は輪に入れなかったか

専門学校に入って上京した時仲良くなったと思っていた男に女として消費されたときあー男だったらもっと単純に友達になれていて性欲とかそんなのなかったのにとすごく苦しかった

そのあと自分にもきらきらしたい欲が出てメイドになった

お店も制服空間きらきらしていて楽しくて大好きだったが先輩が化けの皮の剥がれた瞬間クソすぎて最終的に内部崩壊してほとんど辞めて悲しくなった

きらきらは素敵な面だけ見てるに限ると思ってそれ以降は客として最推しに会いに行っている

メイドになったあたりから付き合い始めた今の彼女は私を男みたいに性的に消費しないし女みたいに同調圧力をかけてこない

そして並の男より身長があるので私が触れても壊れない

あとになって私はパンセクだと気付いた

あの男からも女からも向けられていた性差を感じる扱いの違和感がやっと解けた

私にとって最初性別はどうでもいい思考らしいが自分の嫌な対応をされないために性別で警戒して避けていただけだった

今の私はお金とかもカウンターとかきらきら衣装とかそんな非日常を挟まないと女の子と触れ合えない

その1枚向こうの生身の女の子であることを感じると急に恐ろしくなる

今ですら日常出会う女が怖い

何歳になってもどんな環境でもきっと人の本質は変わらないからあとになってそれで苦しめられるのが嫌だから

学生時代の“クラス女子”という呪いは一生続いていくのかもしれない

あー推しに会いたい

君はそのままできらきらでいてね

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