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2024-10-05

暇空茜、堀口英利の自撮り写真の瞳部分を拡大して2時間解析

https://i.imgur.com/fsAbqlJ.jpeg

暇空茜(41)が執着している相手である堀口英利(26)は先日、清谷信一(62)との裁判があった

本人尋問が上手くいったらしく、堀口は帰りの車の中で微笑んでいる自撮りを載せた

アノンたちは車の内装から車種割り出し、背景から道の割り出し、スーツ姿の多い堀口がラフ私服姿なので服の割り出し、その服の購入などに励んでいる

暇空が写真で着目したのは堀口の瞳だった

堀口の瞳を拡大した写真掲示し、瞳に写るもの不審ではないかと暇アノンたちと数時間に渡って議論した

一見するとこの写真は堀口の自撮りに見えるが、真実別にあるのだと暇空は主張する

よく見てみれば2本の腕のようなものが瞳に写っている

これは第三者の腕で、自撮りではなく別の誰かが撮影したのではないかという

自撮りのように見せかける理由はなにか

暇空の設定では堀口は罪を犯して逮捕されたということになっている

裁判のため警察警察車両に堀口を乗せて監視付きで出廷させ、そして堀口は収監中なのでスマホ自由に使うことはできないので代わりに自撮り風に撮影してあげたという

なぜ警察自撮り風に撮ってくれるのか

堀口が言葉巧みに憐憫を買い最恵囚人待遇を得ているのではないか

警察簡単に堀口に懐柔されるようでは、堀口に操られた警察によって刑事告訴が通ってしまうかもしれない

警察組織もナニカグループの傘下になった可能性が高く、暇空は取り調べでは警察正気に戻すため堀口の悪事をできるだけ訴えているとのこと

2024-09-30

 ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖の木立で、その後がはでな赤煉瓦ゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い陰から見ると丘の上はたいへん明るい。女の一人はまぼしいとみえて、団扇を額のところにかざしている。顔はよくわからない。けれども着物の色、帯の色はあざやかにわかった。白い足袋の色も目についた。鼻緒の色はとにかく草履はいていることもわかった。もう一人はまっしろである。これは団扇もなにも持っていない。ただ額に少し皺を寄せて、向こう岸からいかぶさりそうに、高く池の面に枝を伸ばした古木の奥をながめていた。団扇を持った女は少し前へ出ている。白いほうは一足土堤の縁からさがっている。三四郎が見ると、二人の姿が筋かいに見える。  この時三四郎の受けた感じはただきれいな色彩だということであった。けれどもいなか者だから、この色彩がどういうふうにきれいなのだか、口にも言えず、筆にも書けない。ただ白いほうが看護婦だと思ったばかりである。  三四郎はまたみとれていた。すると白いほうが動きだした。用事のあるような動き方ではなかった。自分の足がいつのまにか動いたというふうであった。見ると団扇を持った女もいつのまにかまた動いている。二人は申し合わせたように用のない歩き方をして、坂を降りて来る。三四郎はやっぱり見ていた。  坂の下に石橋がある。渡らなければまっすぐに理科大学の方へ出る。渡れば水ぎわを伝ってこっちへ来る。二人は石橋を渡った。  団扇はもうかざしていない。左の手に白い小さな花を持って、それをかぎながら来る。かぎながら、鼻の下にあてがった花を見ながら、歩くので、目は伏せている。それで三四郎から一間ばかりの所へ来てひょいととまった。 「これはなんでしょう」と言って、仰向いた。頭の上には大きな椎の木が、日の目のもらないほど厚い葉を茂らして、丸い形に、水ぎわまで張り出していた。 「これは椎」と看護婦が言った。まるで子供に物を教えるようであった。 「そう。実はなっていないの」と言いながら、仰向いた顔をもとへもどす、その拍子に三四郎を一目見た。三四郎はたしかに女の黒目の動く刹那意識した。その時色彩の感じはことごとく消えて、なんともいえぬある物に出会った。そのある物は汽車の女に「あなたは度胸のないかたですね」と言われた時の感じとどこか似通っている。三四郎は恐ろしくなった。  二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若いほうが今までかいでいた白い花を三四郎の前へ落として行った。三四郎は二人の後姿をじっと見つめていた。看護婦は先へ行く。若いほうがあとから行く。はなやかな色のなかに、白い薄を染め抜いた帯が見える。頭にもまっ白な薔薇を一つさしている。その薔薇が椎の木陰の下の、黒い髪のなかできわだって光っていた。  三四郎ぼんやりしていた。やがて、小さな声で「矛盾だ」と言った。大学空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの目つきが矛盾なのだか、あの女を見て汽車の女を思い出したのが矛盾なのだか、それとも未来に対する自分方針が二道に矛盾しているのか、または非常にうれしいものに対して恐れをいだくところが矛盾しているのか、――このいなか出の青年には、すべてわからなかった。ただなんだか矛盾であった。  三四郎は女の落として行った花を拾った。そうしてかいでみた。けれどもべつだんのにおいもなかった。三四郎はこの花を池の中へ投げ込んだ。花は浮いている。すると突然向こうで自分の名を呼んだ者がある。  三四郎は花から目を放した。見ると野々宮君が石橋の向こうに長く立っている。 「君まだいたんですか」と言う。三四郎は答をするまえに、立ってのそのそ歩いて行った。石橋の上まで来て、 「ええ」と言った。なんとなくまが抜けている。けれども野々宮君は、少しも驚かない。 「涼しいですか」と聞いた。三四郎はまた、 「ええ」と言った。  野々宮君はしばらく池の水をながめていたが、右の手をポケットへ入れて何か捜しだした。ポケットから半分封筒がはみ出している。その上に書いてある字が女の手跡らしい。野々宮君は思う物を捜しあてなかったとみえて、もとのとおりの手を出してぶらりと下げた。そうして、こう言った。 「きょうは少し装置が狂ったので晩の実験はやめだ。これから本郷の方を散歩して帰ろうと思うが、君どうです、いっしょに歩きませんか」  三四郎は快く応じた。二人で坂を上がって、丘の上へ出た。野々宮君はさっき女の立っていたあたりでちょっととまって、向こうの青い木立のあいから見える赤い建物と、崖の高いわりに、水の落ちた池をいちめんに見渡して、 「ちょっといい景色でしょう。あの建築の角度のところだけが少し出ている。木のあいから。ね。いいでしょう。君気がついていますか。あの建物はなかなかうまくできていますよ。工科もよくできてるがこのほうがうまいですね」  三四郎は野々宮君の鑑賞力に少々驚いた。実をいうと自分にはどっちがいいかまるでわからないのである。そこで今度は三四郎のほうが、はあ、はあと言い出した。 「それから、この木と水の感じがね。――たいしたものじゃないが、なにしろ東京のまん中にあるんだから――静かでしょう。こういう所でないと学問をやるにはいけませんね。近ごろは東京があまりかましくなりすぎて困る。これが御殿」と歩きだしながら、左手建物をさしてみせる。「教授会をやる所です。うむなに、ぼくなんか出ないでいいのです。ぼくは穴倉生活をやっていればすむのです。近ごろの学問は非常な勢いで動いているので、少しゆだんすると、すぐ取り残されてしまう。人が見ると穴倉の中で冗談をしているようだが、これでもやっている当人の頭の中は劇烈に働いているんですよ。電車よりよっぽど激しく働いているかもしれない。だから夏でも旅行をするのが惜しくってね」と言いながら仰向いて大きな空を見た。空にはもう日の光が乏しい。  青い空の静まり返った、上皮に白い薄雲が刷毛先でかき払ったあとのように、筋かいに長く浮いている。 「あれを知ってますか」と言う。三四郎は仰いで半透明の雲を見た。 「あれは、みんな雪の粉ですよ。こうやって下から見ると、ちっとも動いていない。しかしあれで地上に起こる颶風以上の速力で動いているんですよ。――君ラスキンを読みましたか」  三四郎憮然として読まないと答えた。野々宮君はただ 「そうですか」と言ったばかりである。しばらくしてから、 「この空を写生したらおもしろいですね。――原口にでも話してやろうかしら」と言った。三四郎はむろん原口という画工の名前を知らなかった。  二人はベルツの銅像の前から枳殻寺の横を電車の通りへ出た。銅像の前で、この銅像はどうですかと聞かれて三四郎はまた弱った。表はたいへんにぎやかである電車がしきりなしに通る。 「君電車はうるさくはないですか」とまた聞かれた。三四郎はうるさいよりすさまじいくらいである。しかしただ「ええ」と答えておいた。すると野々宮君は「ぼくもうるさい」と言った。しかしいっこううるさいようにもみえなかった。 「ぼくは車掌に教わらないと、一人で乗換えが自由にできない。この二、三年むやみにふえたのでね。便利になってかえって困る。ぼくの学問と同じことだ」と言って笑った。  学期の始まりぎわなので新しい高等学校帽子かぶった生徒がだいぶ通る。野々宮君は愉快そうに、この連中を見ている。 「だいぶ新しいのが来ましたね」と言う。「若い人は活気があっていい。ときに君はいくつですか」と聞いた。三四郎は宿帳へ書いたとおりを答えた。すると、 「それじゃぼくより七つばかり若い。七年もあると、人間はたいていの事ができる。しかし月日はたちやすものでね。七年ぐらいじきですよ」と言う。どっちが本当なんだか、三四郎にはわからなかった。  四角近くへ来ると左右に本屋雑誌屋がたくさんある。そのうちの二、三軒には人が黒山のようにたかっている、そうして雑誌を読んでいる。そうして買わずに行ってしまう。野々宮君は、 「みんなずるいなあ」と言って笑っている。もっと当人もちょいと太陽をあけてみた。  四角へ出ると、左手こちら側に西洋小間物屋があって、向こう側に日本小間物屋がある。そのあいだを電車がぐるっと曲がって、非常な勢いで通る。ベルちんちんちんちんいう。渡りにくいほど雑踏する。野々宮君は、向こうの小間物屋をさして、 「あすこでちょいと買物をしまからね」と言って、ちりんちりんと鳴るあいだを駆け抜けた。三四郎もくっついて、向こうへ渡った。野々宮君はさっそく店へはいった。表に待っていた三四郎が、気がついて見ると、店先のガラス張りの棚に櫛だの花簪だのが並べてある。三四郎は妙に思った。野々宮君が何を買っているのかしらと、不審を起こして、店の中へはいってみると、蝉の羽根のようなリボンをぶら下げて、 「どうですか」と聞かれた。三四郎はこの時自分も何か買って、鮎のお礼に三輪田のお光さんに送ってやろうかと思った。けれどもお光さんが、それをもらって、鮎のお礼と思わずに、きっとなんだかんだと手前がっての理屈をつけるに違いないと考えたからやめにした。  それから真砂町で野々宮君に西洋料理のごちそうになった。野々宮君の話では本郷いちばんうまい家だそうだ。けれども三四郎にはただ西洋料理の味がするだけであった。しかし食べることはみんな食べた。  西洋料理屋の前で野々宮君に別れて、追分に帰るところを丁寧にもとの四角まで出て、左へ折れた。下駄を買おうと思って、下駄屋をのぞきこんだら、白熱ガスの下に、まっ白に塗り立てた娘が、石膏の化物のようにすわっていたので、急にいやになってやめた。それから家へ帰るあいだ、大学の池の縁で会った女の、顔の色ばかり考えていた。――その色は薄く餅をこがしたような狐色であった。そうして肌理が非常に細かであった。三四郎は、女の色は、どうしてもあれでなくってはだめだと断定した。

anond:20240930171536

[]全裸男(坂井市丸岡町末政)

不審者情報について(坂井市丸岡町末政)

【全身裸の男が出没!】

 9月28日午後9時35分ころ、坂井市丸岡町末政地籍の道路において全身裸の男が出没する事案が発生しました。

 男は、年齢40歳から50歳くらい、身長165センチくらい、痩せ型、黒髪で肩くらいまでの長さでした。

 このような事案に遭遇、もしくは不審人物を目撃した場合は、すぐにその場から離れ、警察通報してください。

https://www.gaccom.jp/safety/detail-1349052

https://www.gaccom.jp/img/safety_avatar/1349/1349052/1349052_avatar_detail_1727565610251.png

2024-09-27

社会人ならしっかりと崩連想しなさい

鋭敏に不審さをかぎ分けなさい

2024-09-26

anond:20240926015024

ここには書いてなかったと思うけど、多分子ども食堂の人は男性に話しかけたと思う

話して、その上で不審だと判断したんだろうなぁ

性別とか見た目とかだけで判断したんじゃないと思う

差別じゃないよ

https://x.com/henntai_janai/status/1838963795710140542

2024-09-21

生理ナプキンについて詳しい人、教えてくれ。

当方男性、独り身のため生理ナプキン構造を全く知らないので教えて欲しいことがある。先日、近くの店に行ったら女性スカートの真ん中部から1センチ幅くらいの紙テープらしきもの10センチ弱ほど露出していた。そして、見えるか見えないかの辺りにガーゼっぽいものも見えた。特に意識をしていなくてもテープらしきものプラプラしているので自然と目に付き、ギョッとした。私だけでなく、女性含め何人かがそれを見て一瞬挙動不審になっていたので、かなり目立っていたのだと思う。

そんな股の間からプラプラするようなもの生理ナプキンしか思いつかないが、そこで女性の方や生理ナプキンに詳しい人に聞きたいのだが、生理ナプキンってこういうことが起きるような構造になっているのだろうか。何かの漫画で、股に直接ではなくパンツに貼り付けるものだと見たことがあるが、それだと仮に剥がれてもパンツに受け止められて落ちはしないだろうし、テープらしきもの10センチ弱もプラプラしないと思う。そして、仮に落ちるものだとして、女性は気付かない可能性があるものなのか。

正直、見せつけられて気持ちのいいものではなく、あれは何だったのかとずっと気になっている。詳しい人がいたら教えて欲しい。

令和の虎 故岩井良明氏の言う「応援団リンチ事件冤罪」は果たして

2024年9月15日 YOUTUBEチャンネル 『令和の虎CHANNEL』主宰などを務める、株式会社MONOLITH Japan代表取締役 岩井良明氏が死去した。

彼のことを高く評価する向きもあるようだが、私は彼に対して否定的評価を有している。

また、私は同志社大学応援団に関わった人言でもある。

今回、彼の死去を機に、岩井良明氏が団長を務めていた同志社大学応援団でおきたリンチ事件について書こうと思う。

お断り岩井良明氏は死去しており、死者に対する名誉毀損は「虚偽の事実摘示した場合にの刑事処罰されます。また、民事上も概ね同様です。よって、本記事名誉毀損等にあたることはないものと考えています。死去により、生存する人物としての保護対象ではなくなり、歴史上の批判さらされることになることをご理解ください。

まず、問題の「同志社大学応援団リンチ事件」とはどのようなものであるか、当時の新聞記事1982年5月23日朝日新聞朝刊)では以下のように報道されている。

同志社大学松山義則学長)の応援団で、新入生が団員にしごきの「リンチ」を加えられて全身打撲の大けがを負ったことが22日明るみに出た。大学側は事態を重視して同日、応援団と同部に所属する吹奏楽部の対外活動禁止するとともに団関係者から事情聴取を進めている。

大学側の調べによると、20日から21日未明にかけて、京都市上京区烏丸上立売下ルの同大大学会館別館(学生会館)の応援団部室で、商学部に今春入学した団員の一年生A君(18)に対し応援団の二年生部員五人が「応援方法指導する」と言って、殴るけるなどの乱暴を加えた。A君は21日朝、自分で近くにある同大学の厚生館診療所に行き治療を受けた。全身に打撲傷を負っていたため、不審に思った医師が尋ね「リンチ」がわかった。事態に驚いた大学側はA君をタクシー下宿へ送る一方、応援団関係者から事情聴くとともに29、30日に西京極球場で予定されている伝統対立命館大戦にも応援団を出場させない方針を決めた。新発足した関西学生野球リーグ同大にとっては二位をかけた大事試合

27日夜には京都繁華街四条河原町同志社立命館の両大学学生がそろって繰り出し、応援団が主役を演じる恒例の「同立前夜祭」が行なわれる予定だったが、これも中止される見通しになった。

同大応援団一般学生応援指導をするリーダー部と、伴奏器楽演奏をする吹奏楽部に分かれており、団員は百人を超える。大学側はこの不祥事で、リーダー部だけでなく吹奏楽部自粛を決定。これに伴い同吹奏楽部は22日京都市岡崎で開かれた京都府内八大学の合同演奏会への参加を辞退した。

応援団は数年前にも暴力事件を起こし、大学から団の活動を二年間に渡って禁止されたことがある。

同志社野球部OBの一人は「伝統の同立戦を控え、立派な応援ぶりを期待していたのだが…。勇ましいのは結構だが行き過ぎは困る」と残念がっていた。』

これに対して、岩井氏はブロク(2006年掲載した記事現在は削除)で、リンチ事件実在しない。リンチ被害者狂言である自分背中自分で叩いたのだ、と主張している。

令和の虎CHANNELにおいても「冤罪」などと述べている。

これについて

・まず、当時の新聞記事からわかるように、被害者とされる人物が何者かからリンチを受けたというのは「医師の診断」により発覚し、同志社大学側が把握したとされている。

医師が全身の傷を検査し、加害による負傷に間違いないと診断したのである。そこに疑いの余地はない。

岩井氏はブログで「あれほど暴力あかんって言い続けて来たのに。」と述べている。しかし、岩井氏のブログでは、自身が下級生時代先輩団員から暴力を受ける様子が克明に記録されている。例えば、1981年出来事として「その後、我々三回生リーダー部長にどつかれ、二回生は三回生にどつかれ、一回生は二回生に半殺しにあった。」との記述がある(2006-11-24岩井ブログ記事)。暴力しかも「半殺し」が横行していた応援団で「暴力あかんって言い続けて来た」というのは無理がある。

・当の応援団自身が、リンチ事件存在歴史上の事実として認めている。同志社大学応援団現在は復活して存在するが「リンチ事件存在した、二度と発生させない」という見解を有しており、代々悪しき事例として語り継いでいる(同団ではこれを「継承」と呼んでいる。)。(なお、私が応援団に関わっていた当時、岩井氏が「同志社大学応援団総監督就任したい」との意向を有しており、他のOBらがそれを阻止していた、という話を見聞きしたことがある。)

これらの事実にも関わらず、岩井氏は結局最後までリンチ事実を認めることなく、被害者を貶めて来たのだと評価せざるを得ない。

岩井自身リンチの実行行為に関与していないとしても、応援団最高責任者として監督責任を有していたことは明らかであり、責任があるはずである。にもかかわらず稚拙論理冤罪を主張し、死ぬまで事実を認めなかったのは、残念である

2024-09-20

anond:20240919204033

増田がどこに住んでてどういう生活環かによる

田舎でおばちゃんの多い職場だと翌日「増田さんw見てたよw一人でしゃぶ葉って……wぷぷ……w」とか言われる

何なら店員が「一名様……えっ一名様ですか!?かしこまりました……」って不審な目で見てきたり他の客もじろじろ見てきたりする

都会だったら何も気にする必要はないと思う

2024-09-19

ネットでどこにも居場所がない人の正体

弱者男性だけどネットに居場所がない

https://anond.hatelabo.jp/20220123035316

このタイプの人について割と詳しいと自負するので解説します。  

   

  

1.ぼんやりした不満と疎外感を表明する

まず、  

どのネットコミュニティにもこの人みたいなこと言う人はいます

自分話題の合う場所がない」と。仲間外れだと。

 

私は匿名掲示板利用が多かったのでこのタイプの人を大量に見てきました。

わりとどこにでもいます。 

    

相当話題限定された場所にすら現れます

例えば「週刊連載漫画『〇〇』の感想スレッド」でも。

みんながめいめい『〇〇』の感想を言い合ってやりとりしてる中で

自分がしたい話と違う角度・方向性の話が多いか

 自分は居づらい・語りにくい」

的なことを言い出す。

  

それもこんな整理した言い方のクレームじゃなくて、

もっとぼんやりした内容の、

だけどまあまあ強い非難の口調でその場所への不満を表明しだすわけです。

   

かなり似通ったパターンの口調や発言なので

気付いて見慣れてくるといろんな場所

「あ、またこタイプの人がいる」となります

   

     

  

2.「好きなこと語っていいよ」というと逃げ去る

そういう時に私は

「じゃあなたのしたい話題をふってみ、ちゃんと乗るよ」と言うんですが

そこで「ほんと?!ありがとう!じゃあさあ…」って息せき切って語りだした人はこれまでゼロです。

誇張抜きに本当にゼロ

  

反応はむしろ逆で、喜ぶどころか

所詮こんなところでは語れないから~」的なことをごにょごにょって言って

逃げ去るように居なくなっちゃうんです。

 

話題が合わないから語れない」のように言っていたのに

「好きな話題語っていいよ」「聞くよ」「合わせるよ」と言うと困った感じになって去ってしまう。

  

 

それでその人の残したid検索して書き込みを見てみると、

主体的感想とか意見とかが一個もないんです。

これも誇張抜きでゼロ

じゃあ何を書き込んでるのかというと、

人の書き込みぼんやりしたケチを付けたり居づらさ表明をしたりだけ。

  

多くの場合漫画の話自体一回もしてなかったりする(!)ので、

そりゃあこれだと輪に入れないでしょう、となります

でも当人は強い不満や被害者感を持っています。  

  

   

3.供述おかし

そもそもきょうび「どこにも居場所がない」はおかしいんですよ。

  

狭いホッテントリ支配された限界集落はてなはともかく、

同じぐらい古いふたばや5chですら無数に板もスレッドもあるし、

スレッドごとに性質話題も相当違う中から選べるんですから

ジェンダーの話もウヨサヨの話もしない場所くらいいくらでもあるんです。

    

ふたばなんてスレッド主の権限が変に強いか

 我の強い人なら意見をある程度強制することすらできちゃう。)

   

Xだってあらゆる界隈のタイムラインや人脈があって

メジャートレンドとは没交渉交流したり喧嘩したりしてますよね。

  

(たとえば私の好きな在来乗馬界隈はおおむね仲良しで平和だけど

 ウエイトトレーニング界隈はしょっちゅう界隈内で喧嘩してるし

 若い女性向インチキエクササイズ界隈に戦争を仕掛けてまでいる。)

  

 

最低限の主体性がある人なら

自分がしたい話題を語れる場所は見つけられるし

語りたいことがあれば勝手に語りだして語り続けることができるし

我や意見が強ければ界隈を扇動することだってできるんです。

      

そんな2024年のインターネット

「居場所が見つからない」ってなかなかあり得ないと思いません?

   

そこそこ不審供述なんです。

  

   

4.こういう人の正体

結論を言います

  

結構長いことこのタイプの人の主張や行動を観察してきた末の結論として

この人たちは語りたいこと・語れることなど何もないのだと思います

 

大した趣味もないし、感想もないし、意見もない。

漫画感想雑談にすら混じれない。

 

この人たちがどこへ行っても疎外感を抱くのは

場の話題が合わないとか場の人達マナーがよくないとかではなくて

十中八九この人たちのほうに原因があります

  

 

じゃあそれはなんなのかというと

当人の読み書き・発達・認知あたりに軽度の難を疑っていいと思います

  

これはバカにしてるのでも煽ってるのでもなく大マジです。

というかたぶんオフライン生活でも何かしらの困難を持ってるのでは?と考えます

元増田も詳細不明ながら弱者男性自称している)

  

idのあるところでこのタイプの不平を漏らしてる人の書き込み履歴

必ずぼんやりした感じで自分意見らしいものが皆無なのもそれで、

要するにほぼ思考がまとまらないし言葉にもならないっぽいんですよね。

コミュニケーション自体がうっすら難しく、文字コミュニケーションは更に苦手。

  

でも当人に困難や障害自覚がない場合

「どこへ行っても居場所がない」

「どこへ行っても場所が悪い」

「どこへ行っても自分に意地悪」

といった主観になって、

社会が悪い人が冷たいという感じのぼんやりした不平不満に回収されるから

自分が原因かも」とは気づけなくなる。

  

(これは性格が良い悪いの話ではなく知的能力の話をしています。)

  

 

5.知的能力問題だという根拠

これとよく似た症状&不満を呈する人たちがいます

高齢者です。

 

老化して能力が衰えてくると個人差が顕著になります

元々の知能が高かった人は末期まで活発に活動して認知能力も維持し、

元々の知能が高くなかった人はどんぼんぼんやりして認知症様の状態になります

アルツハイマーなどの病変は除く)

 

前者は最後まで社会に何かしら「居場所」のある人たちですし

後者は早々に「居場所がない」と嘆きだす人たちです。

  

後者にすごく似てません? 

まだ高齢者じゃないのに「居場所がない」と嘆く人について

真っ先に何らかの知的能力の不調や欠損を疑うのは合理的だと思います。 

 

周りが何を言ってるかよくわからない、

自分にもあまりまとまった思考がなく言葉にもならない、

から雑談に混じれなくなりQOLが落ち孤独化していく。

軽度知的障碍者高齢者は結局同じ問題を抱えて同じ困難にぶち当たってません?

 

 

6.まとめ

彼等の最良のネット参加と言うのはおそらく

比較的彼等の好みに合う話の流れのスレッド

積極的に参加できずにボーっと読んでる(一部しか理解できない)

みたいな感じだろうと思います

スレッドの流れが自分の狭い好みにそぐわない話や理解が難しい話になると文句を言いに現れる)

  

 

知的障害発達障害の傾向の話をするとすぐ

差別主義者だとかバカにして笑ってるんだみたいなことを言われます

そんなくだらないことするためにわざわざ長文書きません。

 

自覚がないけどちょっと人より能力が落ちるから独特の困難にぶち当たってる人」

は気付かれてる以上にこの社会にたくさんいると思っています

 

2024-09-16

ある人間信者になってしまった話

数年前、身内がある男(A)の被害に遭った。

Aと身内は同じ学校とは言え面識は無かったが、身内が所属していたグループ活動に対し一方的ケチをつけて

学校側に根も葉も無い嘘を一方的通報されたり、学校外にまでの同様の通報公的機関にまでグループ悪事告発する、という体の怪文書を送りつけられるという

嫌がらせしか思えない事をされた。身内の所だけで無く、複数グループサークルに対し同様の嫌がらせをしていたらしい。

怪文書の方は、身内の所についてはさすがに相手にされてはいなかったみたいだが(他の所では相手から問い合わせが入ったケースもあったという)

学校側については学生から通報があった以上、何もしない訳にはいかず、身内らは対応に追われる羽目になった。


この時点では、通報者がAという同じ学校人間らしい、という事は認識していたが、Aとは全く面識も無かった上にやった事も動機意味不明過ぎて

本当に気味が悪いと身内はスルーして関わらない様にした。

その際身内からは「同じ学校に凄い気持ち悪い奴がいて怖い」「目をつけられても嫌だから無視するしかない」といった相談というか愚痴を聞いてはいた。

私もAの話を聞いて直接どうこうするよりは関わらない方が良い類の人間だと思った。

最初嫌がらせ通報の時点では無視する事にした身内だが、その後、同様の事をやられた別のグループがAに対し直接文句を言った所

身内らの名前を出して「あの人達自分のやる事には同意している」「彼ら(身内らのグループ)から依頼されて通報した」

「彼らから情報提供を受けて(通報を)やっただけ」などと言った嘘を吐き、そのグループから身内らがクレームを受けて事態が発覚した。

話し合って何とか誤解は解いて貰ったが、直接面識も無い相手勝手名前を出された挙げ句に、Aの粘着嫌がらせしか思えない行為に加担している

などと嘘をつかれて人間関係を滅茶苦茶にされそうになり、さすがに身内らも頭にきたらしくAに対して直接文句を言ってしまった。

こういう事は止めてくれ、あなた行為はハッキリ言って迷惑だし嘘をついて名前を出すのも困ると。Aは渋々といった感じで、その時は一応謝罪はしたらしい。


もし仮に、その時に相談を受けていたら、当時の自分はどう答えていただろうと思う時がある。

今の私ならば、そんなヤバい人間無視した方が良い、悔しいと思うけど世の中には関わってはいけない人間がいるのだから、と答えたと思うが

当時にそんな事を言って冷静に身内を制止出来た自信は無い。その事が非常に悲しく悔しい。



程無くして、Aによる「被害告発」と共に、恐らくAと思われる人物によって大量の迷惑メールが身内のアドレスに送りつけられたり

身内の個人情報特定出来る様な中傷匿名掲示板に書き込まれるなどの被害が発生した。

身内らの(少なくともこちからすれば)正当な抗議は、Aには「何も悪い事をしていない自分への攻撃」と受け取られた様だった。(事実、後で送られる事になる書類にはその様な主張が書かれてあった)

身内も含めた複数名(最終的には数十名の被害者が発生した)の個人情報と共に事実無根の中傷を「被害告発」という体でA自身個人ブログで公開される様になった。

告発という名の誹謗中傷も相当酷い行為だったが、Aの「(自称)被害告発」、Aが周囲に生徒らの悪口を言い回っていた時期、身内も含めた様々な人物犯人不明嫌がらせが発生したタイミングが余りにも一致していた為、当然周囲はAを疑った。

悪意を持って拡散された個人情報の内容は、Aによる学生権限悪用して収集したであろう個人情報が大量に含まれていた。状況的に犯人はAとしか思えなかった。

しかし悪質な事に、基本的ネットを使った手口なので、当然確固たる証拠は無かった。Aに問い正した人間もいたが、当然Aは否定した。証拠が無いからと。

俺が犯人だと思うなら証拠を出してみろよ、出来ないならそっちが犯罪者ですよ?などと半笑いで煽ったりもしたらしい。

学校側にも相談したが、やはり当初は同様の事を言われた。

個人情報掲載された中傷ブログについてはともかく、証拠も無い嫌がらせについては、例えAが疑わしくともどうしようも出来ないと。

話を聞く限り、学校側もAの異常な行動に対し、どう対処して良いかよく分かっていない様だった。

身内が別の学生と良から行為を繰り返している、等という真っ赤な嘘の中傷も、A自身による一方的な他生徒への話しかけやブログコメント欄等を介して拡散された。

その頃にはAが異常な行為を繰り返しているとんでもない人間という事が被害である身内らやその周囲には知れ渡っており、悪質な噂を信用する者は殆どいなかったのが不幸中の幸いだった。


しかし、この様な気色の悪い嫌がらせ事実無根の中傷をされて、身内は相当精神的にダメージを受けた。

いくら客観的に見てもちょっとおかしサイトで、まともに相手にする人間の方がおかしいと言える様な代物とは言え

個人情報と共に根も葉も無い中傷ブログに書かれているのも、就活を控えた身だった身内としては相当堪えていた様だった。

身内からヘルプが入り、私や両親らも何とかしようとしたが、結果だけ言えばどうにも出来なかった。

なにせネット書き込み一つにしても証拠は無い、当時はあまり情報が無く開示請求をしようとしても

弁護士に依頼すると多額の費用時間がかかるというハードルがあるという思い込みもあった。

仮に開示に成功したとしても、ネットカフェ等で書き込みをしているとまず書き込み者は特定出来ませんよと、相談に行った弁護士の人にも言われて愕然とした。

「この程度の中傷」は無視した方が良いです、と言った弁護士もいた。世間はそんなものかと思ったが、身内も私もまだ若く、それがおかしいと否定出来る根拠は持ち合わせていなかった。

こんな事をしでかすAの動機がただの逆恨みしか思えないのも、Aという人間から感じる理不尽な悪意を更に強くさせた。


自分や両親にも仕事生活があり、出来る限りの事はしたつもりだったが、同居親族では無かった為身内へのサポートにも限界はあった。

身内も就活を控え何かと不安定な時期で、ストレスは傍から見ていても辛そうだった。

そんな折、身内は当時勤めていたバイトから自主退職を促された。実質クビだった。

身内を名指ししたクレームメールや身内の根も葉も無い「悪事」を通報する怪文書バイト先の親会社人事部に届き

説明を求められた身内はAの名前こそ上げなかったもの学校トラブルに巻き込まれ以来不審嫌がらせが続いていると弁解した。

身内にも怪文書の詳細な内容は伏せられたが、警察沙汰にもなる様な問題を起こしている、といった内容が通報されたと暗に示唆されたらしい。

会社とは関係無い所で面倒なトラブルに巻き込まれている人間など、面倒なだけだったのだろう。

こんなおかし嫌がらせをされる様な人間とは関わり合いになりたく無かったのかもしれない。

弁解は受け入れられず、身内は結局職場を追われる羽目になった。


追い打ちをかける様に、身内宛にAから内容証明が届いた。Aに対し身内がやった抗議は「名誉毀損である」として、示談に応じない場合訴訟検討しているという。

書面には弁護士名前もあった。遂に身内は心が折れてしまった。Aに対し頭を下げて何とかして貰うと言い出した。

自分最初反対したが、両親とも話した結果、もう身内のメンタル限界だしこれ以上Aの様な異常者と相対するのは無理だろうと。

悔しいが多少の金を払ってでもAに嫌がらせを止めて貰って、泣き寝入りをした方がマシだと。

弁護士にも相談したが、やはりAの様な相手全面的に争うのは難しいと言われた。

多額の費用がかかり、仮に勝ったとしても弁護士費用を考えると完全にマイナス

またAの様な「無敵な人」なタイプが(弁護士言葉を濁してはいたけど)素直に賠償をするとも思えず、従わない場合更に手続き費用が…と言われた。


今思えば相談した弁護士はどちらかと言えばハズレだったが、こちらは法的知識もあまりない一般家庭の一般人で

弁護士さんが言うのだから、世の中はそういうものなのだ愕然としてしまった。

どうしてこちらは何も悪く無いのに一方的被害に遭って、明らかにであるAが得するばかりなのだろうと、社会理不尽さを痛感させられた。


結局一応こちらも弁護士を立てて示談をする事になった。示談金としては少額だったが、弁護士費用も考えると自分の月給が飛ぶ程度の費用がかかった。

お金は両親が支払った。悔しいが身内を守る為の勉強代だと思うしかないと言っていた。

Aみたいな太い家の出身と違い(A自身が自慢していたという)決して安くは無い出費だった。

父や母が普段から真面目に働いているのは、Aみたいな人間に金を差し出す為では無いのにと、本当に悔しかった。

Aと示談した途端、嘘みたいに嫌がらせはパタリと止まった。中傷ブログの方は駄目だったが、どうしようも無かった。


この中傷ブログに関しては、後で知る事になるのだが、別の被害者がブログ記述を削除する為に裁判を起こし

100万程の費用をかけて削除させたらしいが、即座にAはコピーブログを立ち上げ内容を転載裁判は完全に無駄に終わったという。

この胸糞悪い話を聞くと、あの頼りないハズレの弁護士の言う事もあながち間違ってはいなかったのかと思った。

Aは結局中傷ブログの件や他の問題(異性絡みで警察沙汰になる様なトラブルも起こしていたらしい)もあり、遂に学校側も対処して

結果的には限りなく退学処分に近い形で自主退学したというが、それでも私達の気は全く晴れなかった。


それでも身内は就職活動を頑張ったが、結局不本意な結果に終わった。

まともな企業人間なら、怪文書に近い中傷ブログや、仮に匿名真偽不明メールが送られていたとしても相手にしないだろうと言ったが

身内自身ストレス不安による不調もあったのだろう。元の志望した業界への就職は叶わず、異なる職種就職する事となった。

就職してからもしばらくは精神科に通い、カウンセリング等の治療を受けていた様だった。

この事は自分達にも最初は隠しており、ある程度状態が落ち着いた時に初めて「実は…」と打ち明けられた。

Aとの一件で多大な迷惑をかけてしまい、更に心配までかけさせたく無かったから、と謝罪された。

こんなにも身内を追い詰めたAを、改めて憎んだ。

何も関わりが無かった筈なのに、勝手に関わってきた挙げ句一方的逆恨みして嫌がらせや虚偽の事実を振りまいて中傷した挙げ句

いざとなったら被害ぶってこちらを加害者呼ばわりして攻撃する卑劣さ。

ギリギリ違法にならない様な嫌がらせや、証拠を取る事が難しい違法なやり口で相手を追い詰めて苦しめる異常さ。

まさに悪意の塊の様な人間だと思った。



やっとAとの嫌な記憶も少しは薄らいできた頃、再びAの姿をネット上で見かける様になった。

彼は退学後も、(恐らく太い実家とやらの金を存分に使って)華麗な経歴を引っ提げ、有名なネットメディアや

テレビに出演したりある有名人らと絡むなど、所謂知識人的な立ち位置としてネット上で活動していた。

当時の嫌な記憶フラッシュバックを起こしたのか全身が冷えて血の気が引いていくのを感じた。

当時同じ学校だった身内含めた多数の人にあれだけ迷惑をかけ傷つけておいて、よくこんな堂々としていられるなと思った。

よっぽど文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、その頃にはAにも既にある評論家など似た様な同類取り巻きも多数いて、結局諦めた。

所詮自分普通に働いている一般人で、相手は少なくともネット社会では多数のフォロワーを従えているネット有名人

数に押されるのは目に見えていたし、身内を追い詰めた様に今度は自分が訴えられるかもしれない。

身内だってAにはもう今後一切関わり合いになりたく無いだろう。ブロックして忘れたフリをするしか無かった。本当に悔しかった。


それからまた時は経ち、今度は別の方向からAの名前を聞く様になった。

あるインフルエンサー人間喧嘩を売ったAは(割とそういう事を以前から各所で繰り返していたらしいが)

ある人間らに過去言動や経歴の矛盾点等、恐らくAが知られたく無かったであろう事まで掘り返され暴かれて、笑い者になっているという。

Aや取り巻きは、ある人間や支持者によるネットリンチだ!などと被害者面をしていた。

何も事情を知らぬ第三者であれば、自分もそう思ったかもしれない。

けれど自分は、正直「ざまぁみろ」と思った。Aが身内らにやった事を思えば、これぐらいの被害など因果応報だろうと。


ある人間所謂政治系のインフルエンサーで、Aはその対立する相手方の勢力に元々属していたんだか後で取り込まれたんだかで

Aとある人間らは本格的に対立する様になった。その過程を追って行く内に、様々な事を知った。

Aによる被害者は、身内や個人情報を晒された他の学生達だけでは無かった事。

身内も知らなかった様な、結構トラブルを在学中に既に起こしていた事。(警察沙汰になる程の事をしでかしていた事は、この時に知った)

金で買ったであろう自称の経歴は大半が虚飾に塗れた代物だった事。

違法中傷嫌がらせ以外にも、多数の人々を挑発し愚弄する様な数々の酷い暴言を吐いていた事など。

近しい人にコロナで亡くなった人は幸いにもいなかったが、親類の一人はコロナが原因で持病が重症化してしばらく入院していた。

会社にも、コロナにかかった後、後遺症でしばらく苦しんでいた人がいた。

例えばAは、コロナ患者を「ざまぁみろ」などと愚弄していた。本当に鳥肌が立った。

彼の様な人間が、平気で人の心が無い様な暴言を吐けるのだろう、と思った。

自分もAが苦しんでいるであろう光景を見て同じ事を思ったので、同じ穴の狢かも知れないが。


対立過程で、Aの被害者の一人が声を上げた。自分はAの被害者だと。

被害を受けたので訴訟も起こしたが、Aは判決無視して逃げ回っていると言った。

当時私が懸念した通り、被害者はAやAの取り巻きらに攻撃された。

取り巻きはAの言動をどこまで信用しているのだろうかと思った。

Aの言動被害の現状を知っていれば、一緒になって被害者をセカンドレイプなど出来ないだろうと。

しかしながら、党派性の強い人達の異常な言動を見ていれば、答えは自ずと分かった。

Aの取り巻きをやる様な人間にとっては、Aの言動の真偽などどうでも良く、ただ対立相手攻撃する、叩き棒の様な理由があれば何でも良いのだろうと。

度合いが違うだろうが、取り巻きらもAと同類なんだなと思った。

そんなAを公然と支持する(していた)、所謂知識人界隈の人間法曹関係者がいる、という事実にも面食らった。


被害者はAの取り巻きらに攻撃されネットから姿を消したが、その後、どういったやり取りがあったかは定かでは無いが

ある人間は、被害複数支援しAを再度訴える事になった。裁判過程で、Aはどんどんと追い詰められていくのを感じた。

ある人間動画もたまに観る様になった。Aが様々な方向から合法的に詰められ、追い詰められていく過程に、涙した事もあった。

やっと、被害者が報われる様になったと思った。

身内はAの言動を直接見るのはトラウマが蘇るから無理というので、自分がある程度まとめてから時折連絡している。

ある事でAの嘘や実像が暴かれた事を知った時には、身内も本当に安心した様に泣いて喜んでいた。



多少フェイクも入っているが概ねこんな事があった。

正直な所、ある人間賛否両論が激しいインフルエンサー系の活動家だ。

ここはてなではハッキリ言って否の方が多く、少なくとも観測範囲では否定しか見かけた事が無い。

その否定派に対し異論するつもりも無い。党派性がどうこうにもその手の話題には関わりたくも無い。

ある人間のメインの活動には正直興味が無いし、人間的にはちょっと色々と生理的に無理…とすら思っている。リアルでは関わりたく無いかフォローもしていない。


けれど自分は、ある人間活動により結果的にAが表舞台にはもう戻れない様なデジタルタトゥーがついていく事には

率直に言って良かったと思っている。あの様な悪意の塊の様な人間が、被害者を踏み躙ってまで表舞台に立つべきでは無いだろう。

ある人間活動には興味無いが、感謝意味も込めてたまに課金している。

累計すると自分的に結構金額課金しているかと思うが、ある人間被害者の裁判支援に数百万出資しているというのだから

それについては素直に頭が下がる思いだし、泣き寝入りしてしまった自分達の悔しい無念を晴らす意味でも応援する思いで課金している。

支援意味も込めて本も買った。内容には正直興味が無かったので、読んでみたいと言っていた知人にプレゼントした。


客観的に見て、自分賛否両論激しい、悪く言えばカルト的なインフルエンサー感謝して課金している、信者しか見えないだろう。

しかしそれでも、ある人間活動によって結果的には救われた思いがあるのも事実なのだ

その感謝の念を、声を上げられない被害者の無念を晴らしてくれた礼を、ささやかながらにしているだけだと自分では勝手に思っている。

宗教には大して興味が無かったけど、これが信仰とか信者とか言われるものなのだろうかと思った。

まあそれで良い。Aが完全に再起不能になるまでは、社会の片隅で頑張っている身内の分まで応援をする予定だ。

不審でなく撮り鉄に撮られないような服の柄って何だろう

スーツアロハシャツ効果ないだろう

冷戦期の過激政治家プリントも駄目

タトゥー無意味

裸は論外

2024-09-15

JKが好きすぎて困ってる

表題の通り、JKが好きすぎて困ってる。俺は20代後半だが街で制服姿のJKを見かけるたびにドキドキして仕方がない。周りに聞いてみると、JKを見ても何とも思わない人間結構いるようなので、たぶん俺は人一倍JKに対する執着が強い。俺は日頃JKと関わる機会はないし、あったとしてもJKと付き合うことはもう無理だ。俺は捕まりたくはない。だけど、そんなこと言ったところでJKに対する執着心がなくなることはない。むしろ欲望が抑圧されることでその思いは増していく。JKが好きだけど手を出せないこの葛藤はどうすればいいのだろうか。

ところで、なぜ俺はこんなにもJKが好きなのか。人一倍JKが好きなのには理由があるはずだ。それはきっと、自分高校生の頃に同年代女子と全く関われなかったことによるコンプレックスがあるからだろう。高校の頃は典型的な冴えないオタクで、女子と関わるなんて天地がひっくり返らない限りあり得ないことだった。それが高校卒業してから年々JKに対する欲望が強まっていった。人は失ってからはじめて価値に気づくものなんだな。なんて不条理! 断っておくが別に犯罪はしないししたこともない。むしろ犯罪に走らないからこそこんなに苦しんでいるのだ。

90年代くらいまでは大人JKと付き合うのはおかしいことではなかったという話を目にしたことがある。さすがに親子ほど年が離れてくると当時ですら不審に見られたそうだが、20代JKと付き合うのは今ほど白眼視されることではなかったそうだ。どこぞの学者が言っていたが、「性的なのに性的であってはならない存在」として社会が閉じ込めておくことで過剰なJK幻想が生まれたのだそうだ。確かにJKタブー視されていなければここまで執着することもなかったと思う。要するに、俺がJKが好きすぎて困っているのは、きっと社会のせいなんだと思う。こんな怪物を生み出して、一体どうしてくれるんだ。

だめだめの30歳だったけど、結婚できた

30歳頃はだめだめの人生だったけど、40歳前後結婚できました。

自分経験と、身の回り婚活苦手そうだけど結婚できた人たちを見ていて思った事を書くね(男視点の話です)

 

全然もてた経験はなかった。

知り合った女性勝手好意を持ってしまって、告白して玉砕ってのは何回かしてた。職場関連で告白に失敗して気まずくなったこともありました。

  

お見合いは2回した事があるけど辛かった

まじで地獄だった。話が合わないし、緊張するし、滅茶苦茶疲れたって事しか覚えていない。

話も盛り上がらないし、次回会うのがつらすぎて早々に断った。おそらく向こうからも断られてたと思う。

 

仕事関係で知り合った人と結婚できた。

後々、相手現在の妻)になぜ付き合ったのかとかどこに惹かれたか聞いたところ、私自身は長所ともアピールポイントとも思っていかなった事を褒められた。

他人から評価って、想像と違うなあと思った。

 

結婚して精神的にすごく楽になった

未婚である事で、責められることも無くなったし、上から目線アドバイスされることもなくなったし。

精神的に本当に楽になった。

 

結婚したら女性と話しやすくなった。

既婚者になったので、相手から不審男性扱いされにくくなっただけだと思う。(急にアプローチしてくるとかがない)

もてるようになったわけではない。

  

 

ここから勝手アドバイス書いておくね。

コロナ前に結婚した増田の話なので、マッチングアプリの利用率とか現状とちょっと違ってると思うけど。

 

モテる必要はない、相性が良い1人を見つけたら良い。

その1人を見つけるのが難しいのは重々承知何だけど、モテるようになる必要はないと思う。

そもそもモテるなんて無理だし。

 

女性と知り合う機会を増やすのが必要

知り合いが増えるとチャンスも増える。私には女性の知り合いを増やす良い方法はわからかなったけど。

 

男性の知り合いを増やすのがまず大事だと思う

私の周りで、婚活女性が苦手だけど結婚できた人は、友達や知り合い経由でチャンスを掴んだ人が多い。

男女関係なくつながりを増やしていくのって大事なんだろうなあと思った。

チャンスが生まれそうな機会を増やしておくと、結婚できる可能性がぐっと上がると思う 

マッチングアプリ結婚相談所を利用するのが、チャンスを増やすのには最も直接的な方法だけど、私には精神的に辛くて無理だった。

 

結婚したいことは周りに言っておいたほうが良い。

周囲の人に、結婚したいけど相手がいない事を正直に伝えておくのって大事だと思った。チャンスがぐっと上がる。

私の知り合いで、意外なところで女性を紹介された事がきっかけで結婚した人もいる。

 

家の掃除清潔感の話

匿名ダイアリーに書かれているような高度なレベルは無理だったけど、できる範囲で頑張った。

部屋掃除は、家に男友達がいつでも来れるくらい程度には頑張った。

みだしなみは、毎日風呂はいるとか、散髪には定期的に行くとか。

ファッションは、無難な服を着ていた。同じ服を複数枚持ってて同じコーディネートで着てる事が多かった。

 

趣味関連から結婚した人もいた

位置情報ゲームアプリオフ会で仲良くなった男友達が、そのオフ会内で付き合って結婚したのには驚いた。

其の友達女性とは話すのも苦手そうだったし清潔感もなかったけど、オフ会には必ず来てたし、段々と明るく社交的になってきたなあと思ったら付き合い始めてた。

これ以外にも趣味関連やゲーム関連がきっかけで結婚した友達がいた。

知り合いを増やすのって大事なんだなあと思った。

 

ストレスを増やさずに、結婚相手を見つけるチャンスを増やそう

婚活は長期戦だし、それぞれの人に合った方法があると思う。

嫌で辛い方法は長続きしないと思うので、ストレスが少ない方法婚活を頑張ってほしい。

 

私は1回成功しただけど、チャレンジ回数を増やすのは大事だった

私自身はたまたま1回うまくいっただけだと思う。私の具体的な成功した方法には再現性はないし何の学びもないと思う。

ただ、成功するまでに、めちゃくちゃたくさんの失敗や玉砕をしています

結婚につながるかもしれない機会を増やした事は有益だったなあと思ってます

 

追記

ブックマークでご指摘されたけど、未婚のときにはうっとおしかった、おせっかいアドバイス自分自身が書いてしまった。

反省します。

深夜だし心霊体験でも書くか

増田体験した話と母が体験した話をいくつか。でも全然怖くないよ。あしからず

 

小学生中学生の頃、お風呂に入ってシャンプーをしていたら目の前のすりガラス扉に母と思われる人影が見えたんだ。

当時住んでいた家は洗面所・お風呂トイレが一箇所に集中して設置されていて、お風呂の前に洗面台、向かって左側にトイレがあったので、嫌でも洗面やトイレを利用する姿が見えるんだよね。

んでキッチントイレで水を使うとシャワーが一瞬熱湯になるシステムから嫌だなーと思っていたのにちっとも出てこない。

母はうんち星人だから時間かかってるのかなと適当に考え全身洗い終わり出て、洗面所で水気を拭き取りながらトイレドアのすりガラスをちらっと見ると人影がないのよ。

本来なら便器に座る人影が見えるはずなのに。

あれ~??いつのまに出てたんだ??と思いながらリビングに行くと母が読書していた。聞いてみるとトイレに行ってないとのこと。

でもこんなことがあったよと報告すると「あーあのへん気持ちいからな」 ・・・言ってくれよ。

URなんだけど当選して内見したときからなんか気持ち悪いと思ってたらしい。その後住んだ人今住んでる人大丈夫かな?

 

次は小学生の頃の話をふたつ。

ひとつは友人とトイレ花子さんやろうということになり二人でいつも使っている女子トイレへ。

どこでもそうだろうけど誰も入ってないトイレのドアって普通開いてるよね?でもそこの手前から3番目奥から2番目の個室だけ、歪んでるのか鍵をかけなくてもうまい具合にかぱっとはめられるんだよね。

それを利用して閉めてコンコンコン花子さん遊びましょってやったらコンコンコンってノックが返ってきた。二人で顔見合わせてえ?!キャーっと教室に逃げた。

トイレには私達二人しかいないし思いっきり目の前の個室から聞こえたか他人のいたずらではないと思う。

 

もう一つは別の友人たちと廃墟探検をしたときUR群の中に一つだけ廃墟になってる建物があって学校から入ってはいけないと禁止されてたんだけど、おバカ女子小学生はそんなの気にしない。

じゃんけんで負けた子が一人で侵入し2階の一室のベランダから手を振るというミッションをしたんだけど、その子の後ろに灰色の服を着た男性が見えたんだ。室内にいてガラス越しに見えた。増田だけじゃなく地上にいた全員で見た。

当然ざわざわし、帰ってきた子に聞いても誰もいなかったと。

増田記憶では灰色スーツなんだけど今考えたらスーツじゃなくて作業着かもしれない。どの棟か忘れたけど建ててる最中死亡事故あったみたいだからその人かな?

 

あとは猫関連ぐらいかな。数匹飼ってたんだけど亡くなるたびに似た色の塊が見えたり視界の端っこにいたりする。でも気のせいといわれればそうだろうねというレベル

でも一度だけ、鳴るはずのない置物から音がしたことがある。蓋付きの香炉で、かなり重いので軽い力では動かないんだけど、置いてる下駄箱の上に猫が寝ているとたまに音がするんだよね。

冷房入れてないとき玄関が一番涼しいからの子はそこがお気に入りだったんだけど、死ぬ数ヶ月前から体調不良でもう下駄箱に登る元気なんかないわけよ。そもそも立てない。

それが体が軽くなったから嬉しかったのかな、亡くなって数日の間に2回蓋がずれる音がした。地震でもずれず触らないとずれないのに。たぶんくつろいでたね。

 

 

今度は母の体験談。前述でわかるように増田よりも多少わかる人で今住んでるマンションでも気持ち悪い階段があるといって全く利用してなかったり、近所でも通らない道がある。ちなみにその通らない道は大島てる掲載されている。

一番怖かったのが店を経営していたときの話。内見ときから厨房女性の霊がいて「霊のいる飲み屋は繁盛する」というジンクスがあるのでラッキーしか思っていなかったけど、この霊は困ったちゃんかまってちゃん

思わせぶりにちらちら姿見せてきたり、ラップ音させてみたり照明を付けたり消したりしてくる。いい加減経営不振イライラしてる+子供の頃からの不眠で寝付きが悪い(始発で帰宅するために仮眠)のにむかついてつい怒鳴りつけてしまったそう。

そしたらぴたっと収まったのでやれやれこれで寝れるぜとトイレに行って便器に座ったところドアがドンドンガタガタ。地震かと思いきやドアだけが激しく揺れている。しかノブは全く動いていない。

これはやられた仕返しだ・・・と思ったけど生身の人間可能性もあるのでビクビクしていたらそのうち収まったので、トイレから出て入り口ドアのチェックをしたらしっかり鍵がかかっていた。やはり霊の仕返しだった。

数カ月後に閉店し借金千万円が残った。

 

増田がまだ赤ちゃんの頃、リビング母子横になってうとうとしていたら金縛り金縛り自体はよくあるけど10回中9回は先に脳が起きただけ(残り1回は部屋の空気おかしいとか誰かが見てるとか上に座られてるとかなんだって)でその時もそんな感じ、いつもえいやーっと目を開けると解けるので見開いたら目の前にニコニコ笑顔赤ちゃん

あれー娘ちゃんつのまにここまできてたのーと思いながらまだ眠かったのでまた寝、起きてからお腹のあたりにいる増田を見てあー元の場所に戻ったのねと思ったんだけど、よく考えたらその頃の増田はまだ寝返りも打てないのよ。

当然ハイハイもできるわけない。さらによく考えたらその赤ちゃん増田よりも少し大きい子で明らかに月齢が合わない。あれは誰だったんだろうね。

 

持続力のある体験もしている。現在は誰も住んでない母の実家での話。

深夜にスタンドをつけてこそこそ読書をしていたら、ダイニングと玄関前との仕切りにある引き戸が開く音がし、スリッパで歩く音、トイレのドアが開く音がしたので怒られると思い急いで電気消して狸寝入りしてたのにその後音が全くしない。

恐る恐る部屋の襖を開けて見てみたらすぐそばにあるトイレには電気がついてない。おかしいな聞き間違いかなとまた電気つけて読書を再開するとまたしても上述の音がする。でも誰も来ない。

というようなことが数回続いたあと、また来ないんじゃないの~と思ってたら襖ががらっと開き「いつまで起きてるの!早く寝なさい!」と祖母

きゃー今度は本物だったと読書を諦め寝ることにした母だけど、本当に祖母が来たときとそれまでの不審な物音は音自体そっくりというか完全に一致してるけど音量が全く違うことに気づいたらしく、人間が実際に出した音にしては小さすぎるしトイレのドアが開く音はしたのに閉まった音はしない、なのに覗き見たときには閉まっていたということに気づいて一気に怖くなっちゃったとか。

これは引っ越した当初の体験から小学校高学年の頃なんだけど、実は一人暮らしを始める20代まで時折深夜に聞いていたらしい。

恐らく深夜にだけ聞こえるんじゃなくて昼間にも聞こえてるはずだけど生活音や外の音で聞こえてないだけ、つまり日中ダイニングとトイレを行ったり来たりしてるんじゃないのかと話してたけど、子どもの頃何回も泊まってそんな音は聞いたことなかったな。霊も引っ越したのか増田と縁がないだけなのか。

 

心霊好きの友人に体験談を送ってあげようと長文メールポチポチしていたある夏の深夜も、開け放した窓から誰かが覗いてる感じがあってそれも網戸にびっしり人が張り付いてる感じで気持ち悪いのなんので振り向きたくないんだけど、1階に住んでたから万が一人間だったら危ないので勇気を出して振り返ったらやっぱり誰もいないんだよね。これを何回も繰り返して気持ち悪すぎるからやめよう服でも見ようとメールソフトを閉じたらそのうち気配がなくなったらしいんだけど、隣りにいた増田は全く気づかなかったわ。

 

あとはソファうたた寝してたら肩持ってわさわさと揺さぶられ「ちょっと?!誰?!」と女性に言われたり、行列ベランダから玄関側に抜けていくついでに寝転んでた母の頭を全員で踏んでいったり(これは知人に電話で話したらそういうの得意な人紹介したげるといってその得意な人に霊道が走ってるから動かしてあげますねでもいずれ元通りになるから引っ越したほうがいいですよと言われてから心霊現象が激減、そして徐々に増えてきたタイミング引っ越ししたら上記UR)、寝てたら足を引っ張られたり叩かれたりするので何よもうーっと起きたら沸かしっぱなしのお風呂から煙が出ていたり色々あるね。

 

増田より母の方がちょっかいかけられてる感じなのは能力性格見て判断してるのかな?????

基本増田霊感ないんだろうね。なくていい!怖いから!

2024-09-11

[]パンティー売ってくれる?(美唄市東5条南5丁目)

不審者の出没について!(美唄市東5条南5丁目)

9月9日午後3時ころ、美唄市東5条南5丁目付近において、下校する女子児童が、

車に乗車した不審な男からパンツ売ってくれる」等と声をかけられる事案が発生しました。

男の特徴は、年齢30〜40歳くらい、体型細身、黒色短髪、黒縁の眼鏡

上衣ピンク色のラインが入った藍色襟付きシャツを着用し、白色のワンボックスカーに乗車しています

不審者を見かけたら、直ちにその場を離れ、安全場所から110番通報してください。

https://www.gaccom.jp/safety/detail-1335684

https://www.gaccom.jp/img/safety_avatar/1335/1335684/1335684_avatar_detail_1725967232024.png

2024-09-10

夢(No.28 1997/1/14)

←前

全て巨大なガラス張りの屋敷であった。広大な敷地に熱帯の植物栽培する温室があり、見上げるような高さの天井がそれを覆っている。いわばこの屋敷全体がひとつの巨大な植物園の観を呈しているのだ。ガラス越しに見える別棟では大理石の浴室で息子が入浴している。彼の背後ではもの言わぬ妻が編み物に熱中しているらしい。そしてとにかく時間がなかった。息子は急いで駆け戻ってくると私に言う。「ねえ、はやく」「ああ」そう言って私は最後仕事に取り掛かる。それは温室の水撒きである。懐に一冊の日記を隠し持ち、見たこともない鮮やかな花々の咲き乱れるガラス張りの温室に向かった。だが日記は思ったより大きく、どうしてもガウンからはみ出してしまう。うまく隠し通す方法はないだろうかと思案しつつ、私はなんとか取り繕いながら水撒きを始めた。だが日記の重さが気になってまるで集中できない。しばらくしてふと力を弛めた瞬間、浴槽の中に日記を取り落としてしまった。壁という壁がガラス張りなので、妻と息子は私の挙動おかしいのにすぐに気付いたようだ。二人は立ち上がってこちらの方に歩いてくる。私はなるべく手慣れた様子で水撒きをするふりを装いながら、誤魔化す方法必死に探していた。何とか悟られないように日記を拾いあげねば、これは決して見つかるわけにはいかないのだ。だが焦れば焦るほど事態は切迫する。そしてついに全てが徒労に終わる瞬間がやってきた。妻が浴室のドアを開いて入ってきたのだ。「どうしたの?」凍り付いた私の背に不審げに声をかける。そしてすぐに浴槽に浮いた日記に気付いて拾いあげた。「あら」といって顔を赤らめる妻。その背後では、感情のない息子の目が白々と光っていた。

←前

2024-09-08

兄が開示請求を受けた

昼食の席で母が「郵便が来てるよ」と兄に封書を渡した。

そのときの兄の顔は、今でもはっきりと覚えている。

中身を確認した兄の顔は真っ青というのか、目が泳ぎ、完全に挙動不審だった。

そのあと兄は急に部屋に引きこもった。

私たち心配になって「何だったの?」と兄に聞いたけど、完全に無視

兄は「別に、何でもないよ」って顔を逸らして答えた。でも何か隠してるのは丸わかりだった。

母と私はその雰囲気に呑まれて、不安はどんどん大きくなった。

夕食のとき、母が「本当に何でもないの?」と尋ねたら、兄がついに折れた。

もう隠し通すのは無理だって悟ったのか、ボソボソと語り始めた。

兄は、ネットインフルエンサー女性に対して卑猥DM誹謗中傷を何度も送っていたらしい。

そこで初めて開示請求だったことを知った。

母と私は、そんなこと信じられなくて、どうしてそんなことしたの!?って兄を問い詰めた。

涙目になって、心の底から悲しくなったよ。

だってネット誹謗中傷とか、そんな卑劣なことをまさか兄がしてたなんて。

信じられなかった。

でも、兄は悪びれるどころか、うすら笑いを浮かべながら

「俺がイケメン非モテじゃなかったら、善人でいられたよ」

なんて、さらっと言い放った。

その瞬間、私は胸が張り裂けそうだった。それが言い訳なのか?って。

イケメンじゃないから、モテいから、卑猥DMを送っても許されるってこと?

そんなのおかしいでしょって泣きながら兄を責めたけど、全然聞く耳持たない。母も泣いてた。こんなに情けないことってある?

兄が30を超えてこんな言い訳をするとは思わなかった。

私も母も、何をどう言えばいいのか分からなかった。

ただ、もうモテないことがそこまで人を狂わせるのかと思って怖くなった。

見た目が全てだと信じ込んでる兄が、どれだけ無意味なことをしてるのか、分からないのかと何度も問いただしたけど、最後まで「俺がイケメンだったら良かったんだよ」って。

最終的には、もうどうしようもないのかもしれないって諦めの気持ちが湧いてきて、母と二人で泣きながら兄のことをただ見つめた。

情けないって言葉じゃ足りないくらい、心が痛んだ。

兄にとって、モテないことがそんなに大罪なんだろうか。

私はただ、見た目だけじゃなくて、もっと大切なものがあるって分かって欲しかった。

でも、それを伝える方法が分からないまま、話は終わってしまった。

私はどうすればよかったのだろうか。

今でも分からない。

ただ兄には、しっかりと罪を償ってほしい。

そして、自分の過ちを認めて、ちゃんと更生してほしいと心の底から願っている。

2024-09-07

小学生の頃に遭った痴漢(仮)について

タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。

1回目 飲食店にて

初めての痴漢(仮)は、小学校低学年の頃だった。

当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピースフリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボンかわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。

発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。

昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。

すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。

母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。


ほんとうに驚いたとき人間悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメドラマ刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。

かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。

プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。

2回目 通学路にて

小学校中学年の夏。

私の地元田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。

学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。

車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしかからなかった。親や学校先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。

喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。

水筒お茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。

今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかい選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。

少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わず自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。

この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいかからないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。

3回目 図書館にて

これも小学校中〜高学年頃。

私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。

例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書卒業していたので、見る本棚一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくり本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。

ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。

図書館の本棚上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校ミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。

何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。

じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいかからなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。

この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子モノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってから飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯近未来バイオサスペンス引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。

この体験一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。

4回目 通学路にて

4度目は小学校高学年。

さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。

私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。

それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットたかった。車通りはやはり少ない。

この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。

相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。

習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。

思うこと色々

そういうわけで、私が小学生ときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。

もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。


どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。

一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。

中学にあがってから路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかたからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。

おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父趣味ハーレーがあったので、バイク中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。

そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。

ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。

初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。

今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかにつべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。

この文章は、職場男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。

電車通学が珍しい地方小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。

2024-09-05

[]寒くないのかな?(藤岡市立石新田

不審者情報藤岡警察署)(藤岡立石新田

 本日午前5時ころ、藤岡立石新田地内の烏川大橋付近で「通行人に対して全裸の体を見せつける女が出没した」との匿名通報がありました。

■女の特徴

 年齢 20歳代くらい

 体格 中肉中背

 着衣 黒色ベンチコート

 不審人物を見た時はすぐに110通報又は最寄りの交番警察署への通報をお願いします。

https://www.gaccom.jp/safety/detail-833506

2022年2月28日午前5時頃の藤岡付近の気温は約1~2℃

https://tenki.jp/past/2022/02/28/amedas/3/13/

2024-09-01

台風直撃の広島サッカー場避難したい人は不審者です

交通機関は止まるので前日から近くで開門を待つ他ありませんが非常に不審です

近隣住民避難所からあふれ出もしない限りあくことはないでしょう

しろ物資を運ぶ拠点であるはずなのでいては迷惑になります

2024-08-29

anond:20240829124815

女は狡猾なので、

加害しても大丈夫相手とそうでない相手を見極める嗅覚がするどい。

自分との関係が薄く、加害すると取り返しのつかない相手に対しては絶対に加害しない。

逆に自分との関係が深く、加害しても相手我慢するだけで反撃してこない相手には平気で加害しまくる。

反撃してこないと思ってる相手から、反撃を食らうと、挙動不審になって、自分の加害を否定し始める。

2024-08-25

お前「商魂の怪物」だったよね?

なに商魂のない話してんの?

から不審がられてんのわかんないの? そういう嗅覚ある人間だと思ってたのに

2024-08-24

[]履いている靴下3000円で売ってくれへん?(大阪市住之江区粉浜西1丁目)

声かけ情報など(大阪市住之江区粉浜西1丁目)

8月23日午後4時ころ、大阪市住之江区粉浜西1丁目1番付路上で、通行中の女性に対し、

不審な男が近づき「履いている靴下3000円で売ってくれへん」と声を掛ける事案が発生しました。

不審者は、年齢60歳から70歳くらい、身長160センチメートル位の細身、黒色短髪、黒色Tシャツの男で移動手段は徒歩になります

このような不審者を見かけられたら、すぐに110番通報をしてください。

https://www.gaccom.jp/safety/detail-1316747

2024-08-23

 令和6年8月3日 記録

  主が19時00分からいたばし花火大会を見に行ったということ。荒川堤防には多くの人が出ていたが、赤羽ゴルフ場の砂利道から見るとほとんど誰もいない様子だったという。1年前は舟渡2丁目の津堂と書かれた家の家族駐車場バーベキューをしていたが今年は対面の家の人が出ていただけ。

  令和6年8月5日 記録

主が霞が関東京地裁民事2部に裁判資料を取りに行ったということ。

 令和6年8月6日 記録

 志村警察署相談係■■氏より、主が、舟渡堤防の下で、大声で行政法解説をしているという。

 令和6年8月10日 記録

  主がペガサスマンション浮間公園自転車運動に行っているときたまたま新部雄大道路に出てきていたという。世間話をした後に、おまえの件は事件を取り下げてやってもいいなどのことも言ったということ。

 令和6年8月21日 記録

 主が新部雄大から壊された拡声器の件を被害届に追加するために志村警察署の生安課に呼ばれたという。実際には区役所書類を取りに行った後に行ったと言うが、刑事自分刺青の話ばかりしていて、不愉快まりなかったという。

 令和6年8月22日 記録

  主が8月12日からほとんど10日連続で、前野町3丁目のマンションの前で夜間帯に地声演説をしているという。理由としては、このケース記録に書いてあるとおり、令和4年11月7日頃から合鍵を持っている者の出入りが明らかであること、令和5年以降もこの周辺で不審なことが多く、初めて前野町に来た2年前の印象と比べて、知らされていなかった実相が主にどんどんばれているのだという。

 令和6年6月8日  記録

  主が6月7日に小島良二と東京武蔵野病院を来院。薬局阿部寛ホイコーローコマーシャルを見た記憶が強烈で、Youtubeコマーシャル動画を録音して、赤羽ゴルフ場の砂利道の奥の方で拡声器で発砲しているという。

  令和6年6月14日  記録

  主が赤羽ゴルフ場の砂利道で、あまりにも謎の少年勢力突っ込み過ぎると、警察の何らかの機構から巧妙に誘導させて接触させようとする強力な力が働くのだという。赤羽ゴルフ場の砂利道には多くの5匹のたぬきが隠れていることが多いが、新部雄大という18歳の男がはさみをもって暗やみからたぬきのように疾走してきた。接触したとき戸田勇哉のように対応し、暗やみにはさみを落とした、一緒に探すなどと言っている。持っていた懐中電灯を取り上げられてそれで顔を殴られたのだという。

  令和6年6月15日  記録

 主が新荒川大橋付近にいると、周辺の様子が頻繁に変わる、午前2時30分頃に、赤羽交番にいくと、20歳代の、サザエさんカツオのような巡査がいたということ。不審男性が通り過ぎたり、駅に不審女性が座り込んでいる、コンビニ従業員も怪しいということである

  令和6年6月20日  記録

  志村警察署生活安全課の林田から呼び出されて、被害現場再現などを志村署でやるといわれたということ。行ったところ、公立中学校高等学校補導係のような腐った教員風の警察官がおり、現場再現をして終わったという。

  令和6年6月23日  記録

  赤羽ゴルフ場トラック運転手が、主が運動している最中に、何でいつもここにいるんだなどといって発狂しているということ。

  令和6年6月24日 記録

  運動最中に、午前1時30分に、坂下交番で、巡査の木元を見たということ。

  令和6年6月25日  記録

  主が小菅まで自転車こいで行って東京拘置所を見に行ったということ。最後に見たのは令和2年9月3日であり、訪問は、ほぼ4年ぶりとなる。

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