はてなキーワード: フィレンツェとは
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・01 [ある漫画のタイトル] SPY×FAMILY スパイファミリー
・02 夢の跡
・03 二酸化炭素
・04 三笘薫 みとまかおる
・06 [近似値]2.6(パーセント
・07 [2択]南 極点
・08 チルチルとミチル
・09 90(点
・13 ラート
・14 300(点
・15 バスコ・ダ・ガマ
・16 柾目 まさめ
・18 フェルマータ
・19 序の口
・21 [2択]太陽
・25 ホーンテッドマンション
・26 マウリヤ(朝
・27 ずっと真夜中でいいのに。
・29 くち(へん
・30e 210
イタリアとか一部はそうなってる
南部のアマルフィ海岸付近にあるリゾートの町ソレントでは最近、旅行客が町の中心部でビキニを着用したり上半身裸で歩いたりすることが禁止された。違反者は最高500ユーロ(約7万円)の罰金を科される。
英紙ザ・タイムズによると、マッシモ・コッポラ町長はその理由として、地元住民は肌の露出が多い服装を「礼儀正しさや慎みに反する」と考え、「不快感」を持っていると説明。旅行者の行為が住民の生活の質や同市のイメージ、観光に影響をもたらすことへの懸念を示した。
ビキニなどの水着を禁止している地域は他にもある。シチリア州リパリ島も、街中でビキニやTバックなどの水着の着用を禁止。ベネチアでも、観光中の水着着用は法律で禁じられている。
問題になるのは水着だけではない。ここ数年で、観光客の悪い振る舞いに対し多額の罰金を科すようになった地域が相次いだ。首都ローマは2019年、スペイン階段にたむろする行為への罰金を設定。フィレンツェでは、歴史地区を散策しながら軽食を取る行為に罰金を科している。
イタリアの町がビキニ禁止 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
日常的にマンガを読む人は感じないだろうけど、マンガを買うという行為は結構ハードルが高い。
マンガの単行本というのを今まで買ったことが無かった。いや、AKIRAは買ったが大分前だ。
一方、無料で公開されてるWEBマンガは結構読んでいて漫画太郎や『アンテン様の腹の中』とか、漫画家の病気体験記とか楽しく読ませてもらっていた。
そこで虚構新聞を見るたびに広告が出て気になっていた『無能の鷹』のリンクをクリックしてAmazonで買ってみた。
めっちゃおもろいやんけ。美人で身のこなしもさまになっていて如何にも仕事が出来そうな女性社員が実はポンコツで仕事も出来ず仕事の話も出来ずに話にならない。
でもその天然ボケなのに威厳がある立ち振る舞いによってポジティブに勘違いされ組織としての仕事はうまい方に転がるって話だ。
次に以前かなり人気があったブログ「デマこい」の作者が描いたという『女騎士、経理になる。』を注文した。
これ読もうと決意して6年以上経ってるわ。
これも最高に面白かった。昔ネトゲしてた頃、中世ヨーロッパやファンタジーの文脈を勉強していたので話の勘所が判って大変に面白い。
ファンタジーで舞台はどっかの港町なのだが、これは中世~近世を調べた事があればモデルはイタリアの都市国家、フィレンツェ、ジェノバ、ベニスなどと判る。この頃複式簿記が普及し、同時に紙と株式会社、持株会社という資本主義の原型が出来た。そこら辺の歴史(会計史)を教養主義の外連味なくプロットにしている。
同時に度々複式簿記の実践が挿しはさまれるという流れだ。これ青色申告で簿記の勉強してる時に読みたかったぞ。
そんな風にマンガ熱に浮かれだした増田は街の本屋に出かけたのだ。
まず、『無能の鷹』と『女騎士、経理になる。』の続巻がどこにあるのかが判らない。また、ネットでちょっと読んで名前を知っているような本も全く見つからない。
探しているうちにすっかり疲れて何も買わずに店を出てしまった。
次に小さめのブックオフに行ってみた。
すると女戦士の方は見つかった。しかしそれ以外は見つからない。
家に帰ってから考えるに、どうも店が大きいと見つからないが小さいと限定的に見つかるという事のようだ。
それは察するに総当たりで探しているからでは?
という事で次は棚の並びの特徴を捉えることを目標にしてみた。
すると、ダーッと並ぶ棚は集英社や講談社の大出版社の単行本が並び、それが一番の売れ線らしいという事が判った。
そして自分が探しているようなマンガはマイナー、ロングテールに属するものになり、それらは端っこや奥の方に追いやられて陳列されているのだと。
でも待てよ?奥付を見ると『無能の鷹』は講談社刊だ。なんで講談社のところにないのか…。
考えながら棚を観察するとマンガ雑誌の連載の有無で場所が決まっているらしいという事に気が付いた。講談社刊であっても連載物じゃない作品は中小出版社のものと同じ扱いを受けるようだ。世知辛い。
ここまで到達するのに2週間程度を要した。
しかし未だ解明されていないのが、漫画家の病気ルポみたいな実録マンガがどこにあるか?だ。
本屋のマンガコーナーをぐるぐる回り続ける増田氏はやがて棚の下の方に「大判本」というジャンルを見つけた。
普通の単行本より一回り大きいので、高さが違う棚に入っている。
そして下の方にあるという事は売れ行きは良くないという事であろう。本屋によってはこの大判本は柱の影の凹みなどに棚があったりする。
更に気が付いたのは、連載物は巻数が多く、新刊が出てる限りは現役で、棚を占拠し続ける。
だが実録系は単発なので売り切りなのだ。元がマイナーで発行部数が少ない上に、配本があった時しか棚刺しされない。
それが売れたらそれっきりなので本屋で買うのは結構難しいらしい、という事に気が付いた。
ネットで見るとフラットに見えてしまうが実店舗ではヒエラルキーがある。増田が好むのは下層に近い。実録系に至っては一期一会で、偶然見つけた時に確保せねばもう出会いはないのだ。
ここまでに至るのに1ヶ月くらい掛かっている。
最初の右も左も分からずすごすごと敗退した時に比べたら大分成長したが、それでも未だに不如意な感覚はする。
東京に出てきて「中央線の黄色じゃなくてオレンジの電車に乗ればいいんだ」と覚えていたら深夜早朝に黄色電車が無くなって混乱みたいな事が良く起きる。
マンガを買う層と買わない層の間には結構深い溝があり、マンガの売り場は購買スキルがある人間に最適化されていると思われる。
シャバに出てもスーパーでの買い物が出来ずに他の客が買ったものを大量にかごに入れてるニキータになった気分である。
というのも、かなりの速読なので半日で10冊近く読んでしまうのだ。買う時に苦労するものを半日で10冊も減らしてしまうなど勿体なくて気軽に読めない。無くなったら「どのマンガが面白いのか」という新しいミッションエイムに立ち向かう事になるのだ。
冷静と情熱のあいだという映画がある。2001年末に公開された原作つきの恋愛映画で、大学生の頃に別れた男女がその後それぞれの人生を歩みながらもお互いを想い続け、彼女の30歳の誕生日にフィレンツェのドゥオーモ(大聖堂)で会うという10年前の約束を果たし再び結ばれるという話だ。
この映画が公開されたとき俺は大学生で、クリスマスに彼女と一緒に見た。俺も彼女もこの映画をいたく気に入り、映画の通り、月並みに、彼女の30歳の誕生日はフィレンツェのドゥオーモで過ごすことを約束した。しかし多くの大学生カップルがそうなるように、俺たちは社会人になる前に別れた。別れた理由は映画ほどドラマティックではなく、月並みな別れ方だった。それにどちらもイタリアとは無縁の学生で、その後もフィレンツェに行くこともなかった。彼女の30歳の誕生日までは。
10年前の今日、彼女は30歳になって、俺はフィレンツェのドゥオーモにいた。映画のように彼女のことをずっと想っていたわけではない。ただ、誰かと付き合うたびに彼女の影を見ていただけだ。その時俺は当時の恋人には出張だと告げ、会社には彼女と旅行と言ってイタリアに行った。
映画の中でも主人公の男は、一人で来て一人で帰ることになると思っていた、というようなことを言っていたが、俺もそのつもりでいた。再会した映画の中ほど俺たちはドラマティックな関係ではなかったから彼女がこの約束を覚えている可能性なんてないと思っていた。しかし彼女は現れた。映画と同じ日暮れ前に。
映画と違ったのは彼女がその時既に結婚していて、俺と同じように周囲の人に嘘をついてフィレンツェに来ていたことだ。俺たちは一晩だけの愛を交わして連絡先も交換せずに別れた。それ以来彼女とは連絡も取っていないし、俺は当時の恋人とそのまま結婚した。映画ほど俺たちはロマンティックではなかったからだ。
10年経って時効だとは言わないが、誰にも言えなかった話をここに記す。この話にはオチもなければ教訓もない。今でもあのフィレンツェの一日が何だったのか俺にはわからない。わかるのは、ただ冷静と情熱のあいだに居たことだけだ。
「イリアス」は捕虜の奴隷女の配分をめぐった交渉がこじれた結果、勇者が拗ねて戦場に出ず、味方がどんどん死ぬところからスタートするので、昨今の倫理観からは問題があり、神話初心者にはこっちをお勧めしたい。「オデュッセイア」も家で待っている妻を忘れてよその女のところで数年過ごすが、まあ魔法をかけられていたということでこっちのほうがマシだ。舞台もあちこち移動するから飽きないし。
ユニークなのは、劇中劇的にオデュッセウスが時間をさかのぼって事件の進展を語る箇所があることで、ホメロスの時代にはすでに出来事が起きた通りに語る手法が飽きられ始めていたのかな、と想像できる。
実は「ラーマーヤナ」とある共通点があるが読んでみてのお楽しみ。
聖書はなんせ二千年前以上の宗教書だから、原典に当たる前に基本的な出来事の流れと時代背景や当時の常識を理解していないと読解が難しい。当時のユダヤ民族の偏見も混じっているし。加えて、ところどころ立法全書的に当時の習慣や禁忌を延々述べる箇所があり、通読はさすがにできてない。新約聖書だけは何とか意地で読破した。
ところで、どうして「創世記」だけを取り上げたのだろう。たとえば物語として盛り上がるのは「十戒」の「出エジプト記」だ。「ハムナプトラ」とかでエジプトが悪役になるのは大体これのせい。いきなりこれにチャレンジするのなら、手塚治虫の聖書物語のほうがいいかもしれない。
犯人探しが不幸を呼ぶことから嫌ミス的な要素もあるし、ギリシア神話の「不幸な運命を避けるために必死になって行動した結果、結局その運命を呼び寄せてしまう」というアイロニーが大好きな自分としては、その典型例なので好物だ(予言を鵜呑みにした結果ドツボにはまる「マクベス」も好き)。
これが面白かったら、アイスキュロスの「オレステイア三部作」もおすすめしたい。何世代にもわたる恨みの念が恵みの女神として祀られることで鎮められるというモチーフは、異国のものとは思えない。
一般教養で唐詩の授業を取ったので岩波文庫でぱらぱらとめくった覚えがある。なにぶん昔のことなので記憶は曖昧なのだが、はっきり覚えているのが王梵志の「我昔未生時」で、天帝に生まれる前の時代の安らぎを返してくれるように願う詩だ。当時は反出生主義が哲学・思想界隈でここまでホットなトピックになるとは予想してはいなかった。
酔っ払いの詩。酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞーという内容。著者は文学者であっただけでなく天文学者・数学者としても知られるが(三次方程式を解いた実績がある)、ここで展開されている詩はひたすら現世の美しさとはかなさをうたったもので、酔っ払いは世の東西を問わず、というところか。イスラム世界の厳格なイメージをひっくり返してくれるので面白い。ガラン版のアラビアンナイトや高野秀行の「イスラム飲酒紀行」とあわせてどうぞ。
フィレンツェを追放されたダンテが苦しみの中生み出したキリスト教最高峰の文学のはずだけれど、とにかく気に食わない政敵を地獄でめちゃくちゃな責め苦に合わせているところを面白がる下世話な楽しみ方ができる。地獄にいる人物は聖書やギリシア神話、歴史上の人物も多く、ヨーロッパの歴史や文学をざっくり知っているとダンテがどれだけやりたい放題やったかがわかるので愉快。
ただし、地獄編の続きの煉獄編・天国編はキリスト教哲学をかじっていないと結構しんどく、しかも風景が山あり谷ありの地獄と比べてひたすら恵みの光が明るくなっていくだけなので、絵的に面白いのは地獄のほうだ。
ついでに、ヒロインがかつて片思いをしていたベアトリーチェという女性なので、ベアトリーチェの美しさを歌う箇所も下世話な目線で楽しめる。妻帯者の癖に未練たらたら。
未読。後述のラテンアメリカ文学とかジョイスとかは読んだんだが、そこに出てくる過剰なものや糞尿譚も結構楽しんだので、いつかは読みたいと思っている。
四大悲劇と「ロミオとジュリエット」はざっくりと読んでおくと、いまにも受け継がれているネタが結構あることがわかって楽しいし、意外と下ネタのオンパレードなので当時のイギリス人に親しみを持つことができる。ついでに上記のうち二作は黒澤明の映画の元ネタでもある。
興味深いのは、劇中劇というかメタフィクションが必然性を持って登場することだ(父を殺した叔父の目の前で、その殺人の場面そっくりの劇を演じて動揺させるシーン)。すごく先進的だ。かっこいいぞシェイクスピア。
基本的には正気を失ったおじさんが繰り広げるドタバタ劇で、下巻では著名になったドン・キホーテをからかう公爵夫妻までも出てくる。これだけだと精神を病んだ人をおちょくる悪趣味な書物だとしか思えないのだが(というか最初は時代遅れの騎士道精神を批判するために書かれた)、昨今はドン・キホーテに同情的な解釈が主流。最近テリー・ギリアムが映画化した。
自分が道を踏み外した元凶。誰だこんな子供を人間嫌いにする本を児童書の棚に並べたのは。クレヨンしんちゃんを夕方アニメにするレベルの蛮勇だ。四部作だが、最後の馬の国では人間という存在の醜悪さをこれでもかと暴き立てており、おかげさまですっかり自分は人間嫌いで偏屈な人になってしまった。作者の女嫌いの影響を受けなくて本当に良かった。
とはいえ、当時のアイルランド支配はこれほどまでの告発の書を書かせるほどひどかった、ということは知っておきたい。
夏目漱石「吾輩は猫である」に出てくる。基本的にはふざけた話であり、著者が自分の誕生から一生を語り起こそうとするがなかなか著者自身が誕生せず、しかも物語の進捗が遅いせいで半年ごとに本を出す約束なのにこのままでは永遠に現在の自分に追いつかない、みたいな語りで笑わせてくる。挙句の果てに著者が途中でフランス旅行に出かけてしまう。英文学というジャンルがまだ黎明期なのに、こんな愉快なのが出てくる懐の深さよ。
だが、これだけふざけているのに、登場人物の一人がうっとうしい蝿を「この世の中にはおれとおまえと両方を入れる余地はあるはずだ」といって逃がしてやるシーンはいい。
未読。「毛皮を着たヴィーナス」と「眼球譚」は読んだんだが。バタイユどんだけおしっこフェチなんだよ。自分もお尻とかブルマーとか競泳水着が好きだから笑わないけどさ。
個人的にはとても好き。人生できっと何かを成し遂げられるはずという万能感ある思春期に読みたい。主人公の行為は決して褒められたものではない。様々な悪事を働き、幼い少女を妊娠させたうえ捨ててしまう。このシーンのせいで、もしかしたら二十一世紀には読み継がれない古典になってしまうかもしれない。しかし、主人公が最後にたどり着いた境地の尊さの価値は失われることはないと信じている。現世で最も美しい瞬間とは何か、あらゆる物質的な快楽を手に入れた主人公が見つけた答えを読んでほしい。後半はギリシア神話を知らないとつらいかもしれないが、そのためにギリシア神話入門を読む値打ちはある。
未読。同著者の「赤と黒」は貧乏な青年がひたすらのしあがろうとする話で、あまりピンとこなかったのだが、文学サークルの友人から最近来たメールに「訳者を変えて再読したら面白かった」と書いてあった。
さえないかわいそうなおじさんが好きなので好き。ロシア文学というものは、名前がややこしいうえに同じ人物が様々に呼ばれるので敬遠されがちなのだが(イワンが何の説明もなくワーニャと呼ばれるなど)、登場人物をメモしたり、ロシア人名の愛称の一覧を頼りにしたりして飛び込んでほしい。このハードルさえ超えれば最高の読書体験が待っていることは保証する。ロシア文学はいいぞ。
ポーは大好きなんだけどどうしてこれを代表作に選んだのかはよくわからない。個人的には王道の「黒猫」とか「アッシャー家の崩壊」とかを最初に読むのがいいと思う。中学生の頃、狂気や暗鬱さにどっぷり浸っていた頃に読んだのだが楽しかったし、作中の詩が今でも世界で一番好きな詩のひとつだ。ちなみに、東京創元社のポー全集には、ポーのユーモア作品もいくつか収録されており、意外な顔を知ることができる。もっとも、今読んで面白いジョークかどうかまでは保証しないが、こじらせ文学少年・文学少女としては必読か。
最高の昼ドラにして非モテ文学。俺は愛されずに育った、俺は永遠に誰からも愛されない、だから他人の幸福を破壊してもいい、的な気分に一度もでもなった人は何としても読んでほしい。
映画「マチルダ」の中で児童書に飽きた天才少女がこれを読もうとする場面があるんだけど、これ小学生が読む本じゃないだろ。単純に難しいのではなく、とにかく話が脱線しまくる。まともにストーリーが進まずに、著者自身のクジラに関するうんちくが延々と続く箇所もある。雑学隙の自分は楽しく読んだが。
敵のクジラを殺してやろうとするエイハブ船長の狂気についていけるかどうか。
自分が人妻萌えを発症した元凶の一つであり、世界文学初のカーセックスシーンがあることでも知られている(自動車ではなく馬車でだが)。ストーリーは夢見がちな女性が夫に幻滅して若い男やチャラ男と浮気し、サラ金から借金を重ねて自殺するという「闇金ウシジマくん」的なノリ。妻の浮気を知ったさえないボヴァリー氏の哀れな反応は必見。自分が寝とられ文学が好きになってしまった元凶の一つ。
これほんとそうおもう
日本じゃ無いけど海外じゃ下記のような事件もあったりするので頭の良さと関連付けたくは無いけど
(厳しい状況の時こそ安易に自由を制限する主張に対してはしっかりと声を上げなければならない)
下記の ツイート はフィレンツェでマスクをしていなかった男性が警察官に乱暴に逮捕される様子の動画
Florence Italy, a guy is savagely arrested for not supplying details after being caught without a mask.
The Police are off their heads in Italy, any force needed is acceptable. We are fighting evil here people, we must unite, as times nearly up.👊
https://twitter.com/riseupmelbourne/status/1323405372309164033?s=21
文責は無いので100%信じて良いかはわからないが、イタリアではマスクが都市部・大通りで義務化されてから(現在は全国で自宅以外は室外含めて義務化)、
マスク未着用者への些かやりすぎ感のある警察官の対応、逆にマスクルールを徹底させようという警察官へ対するの嫌がらせや暴行が多かったそうな
[The Local] Italian police report rise in attacks on officers enforcing mask rules
https://www.thelocal.it/20200827/covid-19-attacks-increase-on-italian-police-enforcing-mask-rules
まぁ9割は単なるアホだろなって思ってる
下記の ツイート はフィレンツェでマスクをしていなかった男性が警察官に乱暴に逮捕される様子の動画
Florence Italy, a guy is savagely arrested for not supplying details after being caught without a mask.
The Police are off their heads in Italy, any force needed is acceptable. We are fighting evil here people, we must unite, as times nearly up.👊
https://twitter.com/riseupmelbourne/status/1323405372309164033?s=21
文責は無いので100%信じて良いかはわからないが、イタリアではマスクが都市部・大通りで義務化されてから(現在は全国で自宅以外は室外含めて義務化)、
マスク未着用者への些かやりすぎ感のある警察官の対応、逆にマスクルールを徹底させようという警察官へ対するの嫌がらせや暴行が多かったそうな
[The Local] Italian police report rise in attacks on officers enforcing mask rules
https://www.thelocal.it/20200827/covid-19-attacks-increase-on-italian-police-enforcing-mask-rules
そこに来て日本は本当に自由で平和な国だなって。何故なんだろうね。
要らんことばっかやってる国なのに不思議でならないわ
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日本学術会議が推薦した第 25 期会員候補者 105 名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについて、
明確な理由説明はなく、説明の要求を斥けることは学問の自由の理念に反すると同時に、民主主義に敵対するものであり、
これに断固として異議を唱えます。
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《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力の行使(国民に対する暴力)であり、主権者である国民に説明責任を果たすことが
情報公開の制度は古代ローマの時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。
必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望致します。
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イタリア学会は「日本におけるイタリア学の発展と普及に寄与することを目的としている。」(イタリア学会会則第 3 条)
イタリア学を通じて学び得た知見を社会活動に適用することは、学会の目的に適う実践的行為と判断し、
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菅首相は「(学術会議の会員は)広い視野を持ち、バランスの取れた行動を行ない、国の予算を投じる機関として国民に
理解されるべき存在であるべき」だと述べた。これをテキスト解釈にかけると「国の税金を使っている以上、国家公務員の
一員として、政権を批判してはならない」という意味になる。ここには 2 つの大きな誤謬が隠されている。
学問は国家に従属する《しもべ》でなければならないという誤った学問観であり、国家からお金をもらっている以上、
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学問は、国家や時の権力を超越した真理の探求であり、人類に資するものである。与党に資するものだけを学問研究と
みなすことは大きな誤りである。学問研究によって得られる利益は人類全体に寄与するものでなければならず、
判りやすい例を挙げれば、日本は西洋から数学や物理・化学を始め、あらゆる分野で多大な恩恵を無償で受けた。
万有引力定数や相対性理論を発見したのは日本人ではない。その恩恵と利益を受けながら、その使用料は払っていない。
なぜなら学問成果は全人類の共通善として無償で開放されているからである。
日本国には受けた恩恵を人類に返すべき義務があることは言うまでもない。
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国からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならない」というのは手前勝手な考え方である。
公務員は政権の《しもべ》ではないからである。公務員は国民全員の利益のために働く。
政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員の義務である。
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古代の中国では臣下が君主に行ないを改めるよう諫言することは褒むべき行為とされた。
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翻ってイタリアの地、古代ローマの時代には、時の政権の勝手な振る舞いから国民を守るための公的機関である
護民官が設置されていた。現代の公務員に匹敵する護民官は、時の権力を批判・牽制するために作られた
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次に、菅首相は憲法 23 条が保障している「学問の自由」の意味を理解していない。「学問の自由の保障とは、
学者が学問的良心に従って行なった言動の評価は、まずは学者どうしの討論に委ね、最終的には歴史の判断に委ねるべきであり、
間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授)
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1632 年ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を完成させた時、ローマ教会は検閲を行ない、教皇ウルバーヌス 8 世と
ガリレオはローマの異端審問所で証言するよう出廷を命じられ、翌年、6 ヶ月にわたる裁判を受けさせられた。
ガリレオは自分の誤りを認めさせられ、異端審問官の前で研究を放棄するよう宣誓させられた。
そしてフィレンツェ近郊で残りの 9 年の生涯を軟禁状態で過ごすことになる。
教会の決定に疑義を挟むことなどあってはならず、時の権力に反する主張は時の権力の判断によって封殺された。
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「今回、菅首相は、特定の学者の言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》
について自分の権限で判断した」と告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民に理解され
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問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、
そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられているという自覚がないことなのである。
にもかかわらず、高い実績の学者たちが全国から会議に集まるために 1 人につき月 2 万円余の交通費を用意する程度の
ことを逆手にとって学術会議に介入しようとするとは、《選挙に勝った者には何でも従え》という、政治権力者の思い上がり以外の
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私たちが最も問題とするのは、《説明がない》ことである。憲法 63 条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、
国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975 年の内閣法制局長官)
と見解を示している。
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しかし、菅首相は官房長官時代から記者会見で「指摘はまったくあたらない」と木で鼻を括った答弁を繰り返して憲法を無視してきた。
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世界で初めて情報公開制度を始めたのはイタリアである。「執政官に就任して(前 59 年)、まずカエサルが決めたことは、
元老院議事録と国民日報を編集し、公開する制度であった。」(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』第1 巻「カエサル」20)
それまで国民は元老院でどんな議論を、誰がしているか知る術もなかった。
議員が私利私欲で談合を行なっても、知る由もなかったが、議事録が速記され、清書されて、国民に公開されるようになったおかげで、
貴族の権力は大いに削がれた。隠れての不正ができなくなったからである。
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一方、その時代から 2000 年以上経った今の日本では、安倍政権下で情報は秘匿され、文書は改竄・捏造、削除され続けてきた。
確かに、日本では民草に説明をするなどという伝統も習慣もなかった。江戸城で開かれる老中会義の内容が知らされることもなければ、
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おそらく安倍・菅首相が目指す世界はこうした江戸時代のものなのであろう。人事で恫喝して従わせる手法は、一種の《暴力》とみなされる。
紀元前 5 世紀のアイスキュロスの作品『縛られたプロメーテウス』には権力の何たるかが活写されている。
この劇は二人の登場人物がプロメーテウスを連行する場面から始まる。
プロメーテウスは絶対君主であるゼウスの意向に逆らって、天上の火を盗み、人類に与えたために、
暴君ゼウスから罰を受けて、スキュティアーの岩壁に磔にされる。
この時、彼を連行する 2 人の登場人物の名前に作者の意図が巧みに織り込まれている。
二人は Kra/toj(クラトス)と Bi/a(ビアー)という名だが、ビアーの方は劇中で一言も言葉を発しない。
ギリシャ語でクラトスは「権力」を、ビアーは「暴力」を意味する。無言の暴力を用いて他者を従わせるのが権力であるという寓意である。
ギリシャ語のビアーやイタリア語の violenzaは単に武力による物理的な暴力だけではなく、圧力や強制を意味する。
ビアーのように《説明しない》ことが権力(クラトス)なのである。
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同じく、カフカの『審判』では主人公ヨーゼフ・K は、ある日見知らぬ 2 人の男の訪問を受け、何の理由も告げられず、逮捕される
(この 2 人の男はまさに「クラトス」と「ビアー」を暗示している)。
その後、何の説明もなしに、有罪とされ、「犬のように」処刑される。この小説でも《説明しない》ことが権力であるとして描かれているが、
ソルジェニーツィンの『収容所群島』にはまさに何の《説明もなしに》逮捕され、強制収容所に連行される日常が記録されている。
逮捕するのは決まって深夜である。深夜に訪れることで逮捕者を恐怖させる効果を狙ってのことだが、
また同時に、近隣住民が翌朝、隣人が忽然といなくなったことを知って恐懼するよう仕向けるためでもある。
これが不安をかき立て、恐怖を蔓延させる。いつ自分が逮捕されるか人々は戦々恐々とし怯えるようになる。これによって国民は心理的に権力によって完全に支配される。
つまり、《説明しない》ことこそが権力の行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。
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こうした事例からも民主主義がいかに「説明すること」にかかっているかが判る。
説明と情報公開が民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなのである。
たかが 6 人が任命されなかっただけで、ガリレオを持ち出すのは大げさであり、学者はそうした政治的な喧噪から離れて研究をしていれば、好いではないかと思う人がいるかもしれない。
ましてや一部の学者の話であり、自分たちには何の関係もないと思っているかも知れない。
しかし、問題の本質は、時の権力が「何が正しく、何が間違っているかを決めている」点において、ガリレオ裁判と変わりない。
科学分野の基礎研究の予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、
また軍事研究に手を染めない学術会議の方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある。
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実際、すでに文科省は今月17日に行われる中曽根元首相の内閣・自民党合同葬義において弔旗を掲揚し、葬儀中に黙禱するよう、
国立大学や都道府県教育委員会、日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などに通知を送っている。
国民全体の奉仕者である公務員を、自民党のための奉仕者に変えようとする暴挙は許されない。
かつて次のように臍をかんだマルティン・ニーメラーの轍を踏まないためである。
(文責:藤谷道夫)
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ナチスが最初、共産主義者を攻撃した時、私は声を上げなかった。
私は声を上げなかった。
私は声を上げなかった。
ユダヤ人が連れ去られた時、
私は声を上げなかった。
そして彼らが私を攻撃した時、
私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった。
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通常の娯楽に加えて、(古代)ローマ人の労苦に満ちた厳しい生活を陽気なものにしてくれるものに、
凱旋式があった。
(中略)民衆は大喜びで拍手喝采していた。だが、部下の兵士たちから将軍に向けて罵詈雑言を浴びせる習わしがあった。
将軍の弱みや欠点、愚行の数々を公衆の面前であげつらうのである。将軍が高慢にものぼせ上って、
自分を無誤謬の神(絶対に正しい偉い人間)だと思い込んだりしないようにするためである。
例えば、カエサルには、部下たちがこう叫び立てていた。「禿げ頭の大将よ、他人の奥さんたちを物色してんじゃねぇぞ!
あんたは商売女(淫売女たちで)で我慢してりゃいいんだ!」1現代の独裁者たちに対しても同じように言うことが
できたならば、きっと民主主義にとって怖いものは何もなくなるだろう。
(Indro Montanelli, Storia di Roma, Rizzoli, Milano, 1969, pp. 141-142)
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「犬儒派(キュニコス派)のディオゲネース(前 400/4 頃-325/3 頃)は、
《何でも言えることだ(言論の自由 parrhsi/a パッレーシア)》と答えた。」
アルテは恋愛というテーマを最初に配当することで二元的な要素を多重化している。他には画業の習熟と未熟、貴族と平民、恋愛と師弟愛という三つの二元テーマを最初から盛り込むことができている。多重的な二元対立要素は二元という単純化しやすい構造を複雑化、あるいは解決困難にしてしまうためドラマと相性が良い。例えば恋愛と師匠愛というテーマと、画業の習熟は早くから対立概念になる。アルテは師匠から恋愛に現を抜かしていることは知られないものの、仕事に集中できていないとして叱られる。テーマ外ではフィレンツェとヴェネツィアの二元を持ち出し、帰るべきか帰らざるべきかという二元で更に事態を葛藤に導く。ここでは師匠と収入の二つが天秤にかけられている。お得様の高級娼婦とアルテの関係では、高級娼婦の生き方に対する尊敬と顧客を袖にする娼婦の特性に対する怒りとして葛藤が表現される。
アルテの葛藤はヴェネツィアでも続いている。ここでは家庭教師の仕事に就き、こまっしゃくれた子供の面倒を見る。この子供自体が育ての親と実の親との間で二元対立軸を持っており、アルテ自身もこの娘と葛藤しつつ融和する。さらにこの娘の両親は意見の相違で特に奥方が葛藤しており、最終話付近で奥方と娘も融和を見せる。こうしたドラマの中でアルテは貴族出身者という言い回しを久しぶりに聞いて、技術的な面をアップデートしようとして葛藤した挙げ句倒れてしまう。
至って普通のことを丁寧にやってゆくと上の内容になる。
でも裏側では割としつこいことやってるなと。
ただこれ、対立軸だけじゃなく画家独自の通底する概念みたいなものがだんだん分かってくるようになると更に面白かったと思うんだけど。いわゆる一芸は全てに通じる的な。
たとえば、今年の6月13日にはロンドンでワールド・ネイキッド・バイク・ライドなるイベントがあり、環境問題を考えるという名目で、全裸で自転車に乗って疾走できる。このイベントはロンドンのみならず世界中で開催されているのだが、自分の語学力とアクセスの便利さを考えると、ロンドンが適切だろう。
あるいは、全裸でジョギングをしてみたい。しかし、その場所がわからない。一応、ミュンヘンのエングリッシャーガルテン(英国庭園)やアムステルダムの公園に、全裸で日光浴できる場所はあるのだが、おちんちんぶらぶらさせながらジョギングできるコースがあるかまでは確認ができなかった。
以前調べた時には、ベルリンのアルテミスかウィーンのゴールデンタイムか、どっちかのFKK(合法風俗)にはスポーツジムが併設されていた気もするが、そこでは全裸で走れるかもしれない。とはいえ、自分はブロンド美女とセックスするのが目的ではない。いや、ちょっぴりセックスしたい気もするけれど、対人恐怖症な気分のときは、とりあえずすっぽんぽんで走るだけにしたくなっちゃうかもしれない。
いちおう、美女との混浴と全裸水泳は、オーストリアの混浴サウナで経験済みだ。
別にヌーディストビーチでも構わない。バルセロナにもあるし、ほかの地域にもある。ギリシアの島で全裸で日光浴をしながら一日を過ごすのも素敵だと思う。南仏の全裸リゾートにもあこがれる。タイにもあるらしいが、とにかくそうしたところはアクセスが悪く、行くのがめんどくさい。バスに揺られているうちに、自分は野外でちんちんぶらぶらさせるためだけに、何でこんな長旅をしているんだ? ってアホらしくなるかもしれない。
賢者タイムのときには、お前ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアは回ったけれど、ナポリやミラノは行ってないだろ、そこに行け、で、ついでにどこか適当なところで全裸になれ、という声もして、それも悪くない気がしている。
単純にまだ世界で行っていない地域があるのでそこに行きたい欲もある。北欧やオーロラに興味があるし、東南アジアの寺院には全然足を運んでいないし、台湾も再訪したい。友人からはエチオピアにも誘われている。
オーストラリアやニュージーランドも悪くないが、これからどんどん寒くなる。オーストラリアやニュージーランドにもヌーディストビーチはあるし、ニュージーランドには全裸で洞窟をジョギングするイベントがあるそうだが、これもアクセスが悪い。ドイツには、ハルツ山地に全裸ハイキングができるコースがあるそうだが、これもやっぱりアクセスがあまりよくない。
それに、合法野外露出敢行のために海外に行くのもばかばかしい。何かサブテーマがほしい。絵画とか建築とか、それで時間が余ったら脱ぐ、そういう感じだ。
単純に裸を見られたいんじゃなくて、全裸になって自然の風に当たりたいのだ。旅行だけなら、例えば琉球のグスクだとか、那智の滝とか、国内でも行ったことないところもあるのだが、やっぱり素っ裸になりたい。
東欧美女とのエッチは金髪デリヘルがあるかもしれないが、それだけじゃない気がする。まずは脱ぎたい。だから、結論としてはさっさとコロナに終結してほしい。いや、ちょっと待て、調べたらフランクフルトにもミュンヘンにもFKKがあるのか、やっぱりブロンド美少女と3Pしたいぞフィーヒヒヒ! みたいな気分にもなるぞ。ああ、どうしよう。
ロンドン:ベタだが名所多数。ビッグベン、バッキンガム、セントポール、ウエストミンスター、ロンドン塔、タワーブリッジ、大英、ナショナル、ハロッズ等々。
マンチェスター:何もねえ
リバプール:何もねえ
カーディフ:何もねえ
エディンバラ:何もねえ
グラスゴー:何もねえ
パリ:治安最悪、汚ねえ。でもルーブル、オルセー最高。エッフェル塔、凱旋門、ノートルダムは焼けたけど、ヴェルサイユ、モンマルトル、シャンゼリゼ、く、悔しいけど好き。
モンサン:遠い
マルセイユ:汚ねえ
ボルドー:最高
トゥールーズ:汚ねえ
カルカッソンヌ:広い城だけ
ニース:最高
カンヌ:まあまあ
ベルリン:壁壁壁
フランク:何もねえ
ミュンヘン:オクトーバーフェスト、クリスマス、季節だけかよ。ノイッシュ。
ハンブルグ:何もねえ
飯は肉しかないのかよ!
ミラノ:最高
ローマ:汚ねえ
フィレンツェ:最高
ヴェネツィア:最高
ナポリ:汚ねえ
シチリア:最高
ジェノバ:何もねえ
トリノ:何もねえ
ピサ:塔
アマルフィ:最高
チンクエテッレ:最高
マドリー:バルセロナの後だと今ひとつもレベルは高い。プラド、ピカソ。
セビーリャ:最高
マラガ:最高
グラナダ:最高
コルドバ:最高
ビルバオ:何もねえ
サンセバスティアン:飯最高
飯:ウマーーー!
飯:ウマーーー!
チューリヒ:何もねえ
ベルン:何もねえ
山:最高最高!!!!!
オスロ:何もねえ
ストックホルム:何もねえ
飯:ミートボールは大して名物じゃなかった。黄色にはめられた?
ヘルシンキ:何もねえ
ロッテルダム:何もねえ
飯イマイチ
ブルージュ:綺麗だけど何もねえ
モナコ:綺麗だけど何もねえ
チェコ:
ワルシャワ:何もねえ
アテネ:最高
ミコノス:最高
サントリーニ:最高
飯は素材を生かせればまあ、という感じ。
ドブロブニク:最高
ドイツでも日本の深夜アニメの公式配信はあるのだが、新作アニメ映画を見るのは通常困難である。
しかし年に一度ドイツおよびオーストリアの各都市で日本の新作アニメ映画をドイツ語字幕付きで上映するAKIBA PASS FESTIVALというイベントが開催されており、そこで「ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow」と「Fate/stay night Heaven's Feel II. lost butterfly」を鑑賞することができた。
以下はニュルンベルク会場の様子(他の開催地はベルリン、ドルトムント、フランクフルト、ハンブルク、ケルン、ライプチヒ、ミュンヘン、パシング、シュトゥットガルト、ウィーン)。
会場の雰囲気: ニュルンベルクの場合は15シアターくらいある大きな映画館の2シアターが貸し切られ、1日アニメが上映される。普通の映画上映とそれほど変わったことはなく、一日券の販売やアニメグッズの売店があるくらい。会場によっては制作スタッフ等のゲストが来て質問会みたいなのがあるらしい。たまに気合入れてコスプレとかしてきている人もいる。
上映前: 日本と同様映画の前の宣伝映像は長い。ドイツのアニメイベントの宣伝や日本のアニメ配信関連会社のほか、アトラスやコーエー、シュタゲ等のゲームの宣伝がいくつかあった。
人の入り: ざっと数えたところ70~80人くらい、割と空いてる。アイドルアニメはやはりヨーロッパでは受けが微妙かも。でも中にはグッズを付けていたり結構なファンもいる模様。女性も少なくとも2割くらいはいる。
盛り上がったところ: ドイツの映画鑑賞は笑ったりちょっと歓声を上げるくらいは許容。ライブパートは静か(集中して聞いていたのかもしれないが日本語の歌なのできついかもしれない)。女の子たちがコミカルな動きを見せるところはかなり盛り上がっていたように感じた。
笑いが起きたところ: 最初の追いかけっこパート。お尋ね者ポスター。月ちゃんがフィレンツェのお屋敷でマリ母に恭しく退出を促すポーズをしたところ。
人の入り: 200人を超えるくらい。満員ではないが混んでる。3部作の第2部にあたる映画であるが第1部は去年上映された。
全体の雰囲気: バトルシーンのクオリティが高く緊迫した場面が多かったためか会場全体を息を呑む場面が多かった。エロいシーンは若干の反応あり。
笑いが起きたところ: 士郎と桜がいちゃついてる食卓の向かいにライダーが座ってたシーン、そのすぐ後のナイフとフォークを出されるシーン。
1593年、画家であるオラツィオ・ジェンティレスキの娘として、ローマに生まれる。
画家としては、カラヴァッジョの盟友であった父を通して、カラヴァッジョの影響を強く受けている。
女性であったせいで満足に絵画の技法を学べないアルテミジアのために、オラツィオはアゴスティーノ・タッシという画家を教師として雇った。
しかしアルテミジアが17歳のとき、タッシは強引にアルテミジアと関係を持った。
結婚をちらつかせていたもののタッシにその気はなく、それを知ったオラツィオは強姦の罪でタッシを告訴した。
タッシは余罪とあわせて2年間の懲役を課された。
その取り調べのなかで、アルテミジアは真実を明らかにするために、すすんで拷問を受けたという。
こういったエピソードのために、アルテミジアは後世にフェミニズムの文脈で注目されることとなった。
その後、別の画家と結婚したアルテミジアは、フィレンツェで大きな成功を収め、芸術アカデミーにも加入することができた。
私の家は年収から考えるとけっこう貧乏な方だ。それでも色んな人に甘やかしてもらったから幸せに暮らしているという、私の家族の自慢話。
私の家は父、母、姉、私の四人家族。父は中小企業の会社員、母はパート、姉は新卒社会人、私は大学一年生だ。
私が父の年収を知ったのは去年の夏だ。東京の私大に行きたいと父に相談したところ、私大に行かれると実はお金が大変だからできたら国立大に行ってほしいと言われた。もうとうに50歳を過ぎた父の年収は300万円代だった。これが子供のいる家庭においては、普通よりちょっと少ないということは私にも分かった。私はそこで初めて、自分の家が実はけっこう貧乏なんだということを知った。母はよく「うちは貧乏だから」と笑っていたし、勿論お金持ちだとは思っていなかったけれど、まさかそこまでだったとは。母は貧乏のラインが高いなぁなんて思っていた。私は18歳になるまで知らずに生きてきた。
私の実家は北の方にあって、一軒家だ。私の家はお小遣い制ではなかったけど、欲しいものは基本、何でも買ってもらえた。本も洋服も。遊びに行く時にはお金をくれた。そのお金の残りを貯めて、よくゲームを買った。たまの休みの日は母と日が暮れるまでゲームをした。物欲はそこまである方じゃなかったから、それで十分だった。少し足りなくても、あとはお年玉で上手くやりくりすれば難なく一年過ごせるくらいには余裕があった。そのお年玉も余って今では40万ほど貯金がある。母は料理上手なのであまり外食はしなかったけど、それでも誕生日にはかなり美味しいお店に連れてってもらった。本格カレーが食べたくなったら食べに行った。学校で忙しくなる前は海外旅行も何回か行った。一年に一回は家族旅行をした。姉は大学で留学をした。短期と長期、二回も。私の家はどちらかと言えば少し裕福な方なんじゃないかと思っていた時期すらあった。
でもよく考えたら、小学生の頃から母は一日中働いていた。私は小さい頃病気がちだったから、薬代もけっこうかかっていたと思う。中学生になって病気が落ち着いてからも、母はずっと働いていた。それでも朝ごはんと夜ご飯は必ず一緒に食べてくれたから、あまり働いていた印象がなかっただけなのだ。姉は実家暮らしだが、大学時代から家にお金を入れていた。祖父母は家電など大きな買い物の時必ずお金を出してくれていた。親戚も会うたびにせっせと私たちにお小遣いをくれていたように思う。私が親戚で一番下の子どもだったこともあるのだろう。父だって毎日必死に働いていた。何の疑問も抱いていなかったが、つまりそういうことなんだろう。私が当たり前だと思っていた生活は、周りの大人が必死に働いて維持してくれていた生活なのだろう。それまでずっと、気づかないでいただけなのだ。
首を振ってそう言ったら父は、我慢させたら頑張る意味がないでしょうと笑っていた。
そっか、ありがとう。
姉と母とは仲がいいが、父にはあまり良くしてあげられない。嫌いなわけじゃないが難しい。でもこの時ばかりは、素直にそう言えた。
私は四月から都内の国立大に通っている。田舎から出てきて一人暮らし。バイトはしているが、学費は父が出してくれている。家族に言わせれば貯金しなさい、だそうだ。いいと言っているのに、家族は毎月仕送りもしてくれる。それも一般的に見たら決して多い額じゃないんだろう。でも月に一回送られてくるダンボールいっぱいのカレーや米、日用品なんかの金額を足したら、決して少なくもないはずだ。
次の月曜日、二ヶ月ぶりに実家に帰る。バイト代はほとんどが貯金だから滅多に手をつけないけれど、この間少し引き出した。そのお金で高速バスの予約をとった。そしてその残りで、父の好きな東京ばな奈、母の好きな鳩サブレー、そして姉が好きな化粧品ブランドの限定商品を買って帰るつもりだ。
そういえば、大学の成績はまずまずだと思う。テストの手応えはばっちりだ。レポートはどうかな。少し自信がないけれど。これから先も休まず通って、早く立派な大人になりたい。早く働いて、今度は私が家族を旅行に連れてってあげるのが夢だ。母は死ぬまでに一度フィレンツェに行ってみたいらしい。私が何回だって連れて行ってあげたい。
今回はお金に限って書いたけど、どんな面から見ても私の家族は素敵な人ばかりだ。私はそんな家族が大好きで、今から会うのが楽しみでしょうがない。早く帰りたくてうずうずしている。
私の家はけっこう貧乏なんだけど、
私はたぶん、かなりの幸せ者だ。
なんというかこれまでオープンワールドって世界のどこにでも行けるよ!!とかキャラになりきって何でも出来るよ!!みたいな売りがあったじゃない。
正直世界のどこにでも行けたところでどうでもいいサブクエストだの、綺麗な景色だのは別にどうでもいいというか、そもそも移動が面倒。
それがゼルダでは移動がちょっと楽なのと、移動したことによる意味があるってことなんだよね。あと適当に動いてても楽しいってのはでかい。なんで楽しいのか分からんが。
ゼルダはワープできるのは当たり前として、上に登ることでどこに行こうか自分で決めてマップにチェックできて、上からハングライダーみたいので飛べば移動が楽で(まあだるくない場所が少なかった程度だけど)、
あと重要なのが色々世界をぐるぐるしてると成長したり、良いアイテム手に入ったり、コログだっけが見つかったり、意味があるってことなんだよね。他よりも意味を持たせたというか。
壁を登れる、崖を登れるって言われてるけど、高いところに登ることにたくさん意味を持たせたのがでかい。アサクリじゃマップ鮮明にして終わりやけんな。
オープンワールドで一番たるいのは移動が面倒なんだよね。アサクリ2、ブラザー、4、シンジと楽しんだしクリアもしたんだけど、圧倒的に移動が面倒。ワープが出来ると言ってもなー。馬も遅いし。
塔を上るのは楽しいんだけどね。あと2が一番いいね。ヴェネチアフィレンツェが一番よかった。パリもローマも歩いててそこまでって感じ。4の島は論外。
メタルギアも正直移動がきつかった。背景変わらないし。面白かったっちゃあ面白かったけどね。敵兵にチェックつけないで麻酔だけでの戦闘で、夜オンリーとかでやるとマジ楽しかった。
だから、オブリビオンとかも楽しめなかったなあ。何すればいいねんって一番感じた。なんか色々ありすぎて疲れる。
ラスアスとかアンチャみたいにストーリーかっちりの、どこでも行けますが売りじゃないのが好きだった。アンチャは全部やって全部よかった。2が至高。CODMW4は良かったね、他より何故か3D酔いひどかったけど。
フォールアウトとかバイオショックとかウィッチャーはまだやってないからノーコメント。ゼルダやったらやるかな、そのまえにホライゾンか。ゼノブレイドも面白いが移動があほかと思った。バイクとか車とかないんかい。
ウォッチドッグはあれは移動面倒というか、警察から逃げるのが面倒だったね。しつこい。こっちがロケランでもぶっぱなせるならまだしも。