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2019-02-17

中国人って可哀そうだな

中国は1%の富裕層と99%の貧乏人で成り立っている。

中国貧困層は、非常に厳しい環境に置かれている。この地球で同時代に生きる同じ人間とは思えない劣悪な扱いだ。

 

中国共産主義のはずなのに全然平等になってない。一党独裁弊害自由がない分、自力生活改善することが阻止されている。

自由のない人間って可哀そうだ。自由を得て幸福になって欲しい。

 

中国政府の振る舞いは好きじゃないけど、だからと言って貧困で苦しむ中国人まで不幸になって欲しいとは思わない。

みんな同じ人間なんだから、せっかく生まれてきたのなら、幸福になって欲しいものだね。

 

中国少数民族少女が書いた「作文」が引き起こし悲劇的結末(北村 豊) | 講談社 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/59857

題名:涙

 

パパは4年前に死んだ。パパは生前私を最も可愛がってくれたし、ママ毎日私に美味しい料理を作ろうと頑張ってくれた。きっとママもパパの事を偲んでいたのだと思う。

 

ママ病気になり、“鎮(町)”へ行き、西昌市へも行ったけど、お金が無くて、病気は良くならなかった。

 

あの日ママが倒れた。ママが苦しそうなのを見て、私は泣いた。私はママに「ママ、きっと良くなるよ、私がママの世話をするから。私が作るご飯を食べて、眠れば良くなるよ」と言った。

 

二日目の朝、ママは起きることが出来ず、とっても苦しそうだった。私は大急ぎで出稼ぎから戻ったばかりの叔父さんを呼び、ママを町の医院まで連れて行ってもらった。

 

三日目の朝、私はママの様子を見るために医院へ行ったが、ママはまだ目覚めていなかった。

 

そこで、私はそっとママの手を洗ってあげたら、ママは目覚めた。ママは私の手を取ると、私の名を呼び、「ねえお前、ママは家へ帰りたい」と言った。

 

私が「どうして」と尋ねると、「ここは居心地が悪いけど、家は気分が良い」と言った。

 

私はママを家へ連れて帰ると、座って一息ついてからママご飯を作った。

 

ご飯が出来て、ママを呼びに行ったら、ママはすでに死んでいた。

 

『ある所に日月潭という淵があり、そこの水は娘が母親を恋しがって流した涙だ』と教科書に書かれていた。

 

                       柳彝 2015年6月20日

2019-02-15

自分不倫で生まれ子供だという妄想

別にそんなに疑いを持つようなことがあるわけではないんだが、

自分父親とはまったく似ていないこともあり、たまに考えてしまう。

自分父親の妹の元旦那(つまり僕にとっては叔父さん。離婚済み。)がすぐ近くに住んでいてよく会うんだが、

血の繋がりはないはずなのに、僕と顔の系統が似ている。

系統が似ているだけで、よくある顔と言えばたしかにそうなんだが、

自分父親叔父さん、どっちに似てる?と他人に聞けば、きっと叔父さんという答えが返ってくるだろう。

母親はまったく尊敬できる人間ではないので、どんなだらしない生き方をしていても不思議ではない。

最近DNA鑑定も安いし、ちょっとやってみようかななんて考えがちらつく。

2019-02-13

他人の物に乗っかって生きようとする自分

父方の祖父母は持ち家。祖父母は亡くなってしまったため、叔母が住んでいる。

母方の祖父母も持ち家。祖母叔父がいる。

父母も持ち家。

私には兄が1人居る。

もし~……とか考える自分ゲスいと思う。

2019-02-02

私は「男の溺死」の仕事が嫌いです

私が子供の頃から見ていたようなおなじみの作品ですが、とにかくこの作品に登場するとらじろうの車は嫌いです。

私が嫌いなのはあなたが好きなことをして他の人がしていることについて率直に話すのが好きだということです。

逆に言えば、あなた自分自身を指摘するなら、あなたは逆行することになるでしょう。


ある作品には、虎次郎がいない間に、叔母がそこにいる人の数だけメロンを切るシーンがあります

虎次郎は、会話をしながら食事をしながら、みんなのいるところに戻ってきました。あなたメロンはどうなったのですか。 私は言う。

虎次郎は不在でしたが、それを切ることは明らかにできませんでしたが、彼はそれについて腹を立て、「私のおかげで私が手に入れたメロンであると主張しました。

虎次郎の不在を残したのは間違いではありませんでしたが、私はおじさんが吹き飛ばしお金を投げてその場所に「好きなだけ」と叫んだとき永遠にそのことについて何度も語っています

それを見たヒロインは憤慨してトラジローは素直に聞いていないと言った。 "お世話になっている叔父と叔母にありがとうと言ってくれてありがとう


これだけでもクソ男ですが、あなた毎日あちこちにさまようことで最初から戻ってきたと思うなら、あなたは他の人がすることから口を取ったフレーズ問題を起こすでしょう。

最終的に、虎次郎の性格は彼/彼女がどんなものであるかについての良い物語のように終わります

これは「徘徊する男性」の定番で、人類物語として人気があります

最後にそれは人類でいっぱいの自動車の魅力のように思われる、それでそれはそう見えますしかし実際には人格におけるあまりにも多くの困難のために結婚することができない独学の店特異者です やりたいです。

私が大人になっても、なぜこれが人気があるのか私にはわかりません。


両親が見ていたのでそれを見ていましたが、全然からないのですが、とらじろう車というキャラクターには嫌悪感があります

ところで、私は虎次郎を演じた渥美清が好きです。 あの人、金田浩二さんは面白かったです。 とても印象的な俳優です。


今でも私の父は私がケーブルテレビ自由時間がある限り見ていますが、私はまだキャラクタートラジロ車が好きではありません。

私が言っていることを聞いて家族の中に小説を落として、ヒロイン迷惑をかけないように、ヒロイン邪魔することを気にしないでください。トラブルの原因となるその外観は現代SNSではばかげています物事をやっています

しかし、それは愛を見せる仕事なのだから不思議です。


おもしろかったな……。今思います

2019-01-29

ピアノの発表会の思い出を書く

小学生の頃、ピアノを習っていた。

通っていた教室では年に1度発表会があって、多分強制じゃ無かったんだろうけど、当時はお月謝とか教室システムとか何も知らずに、ただなんとな〜〜く通っていたので、なんとな〜〜く発表会にも出席していた。

正直、ピアノ練習は好きじゃない。先生が発表会のために選んでくる曲は毎年複雑な曲になっていくし、やんちゃだったので、ピアノのために学校の体育なんかで指を怪我しないように気をつけるのもめんどくさかった。というか指をほぐす運動?運しの練習?のただ単調なアレ(名前忘れた)が最大級にウザかった。最高に楽しくないと思う。そんなのよりもう弾ける好きな曲弾いてた方が楽しくない?って感じだった。もっと言うと、音楽センスが無かったし、ピアノに没頭できるほどの興味も多分なかった。いつだかにのだめカンタービレドラマとか映画とかを見て「ふーん、音楽好きな人はこんな考え方をするのか」なんて思った記憶がある。

ここまで書いたけど、教室に通うのはそんなに嫌いじゃなかったと思う。教室ではでっかいグランドピアノが弾けるし、きちんと調律されてる綺麗なピアノだし、友達もいたし。

嫌だったのはピアノの発表会である

発表会だからって練習する曲は増やされるし、難しいし、怪我しそうなドッジボールとか避けなきゃいけないし、レッスンの時に先週より上手くなってなかったらいつも以上に怒られる。

ここまではまだいい。

発表会当日には、無駄に着飾らされて、母に連れられて遠い会場に来て、順番待たされて待たされて、そんでめちゃめちゃ大勢の前で震えながらなんとか1曲弾いて、それで終わったと思えば写真をしこたま撮られ、先生友達家族挨拶をさせられ、そうすると母親たちの世間話が始まって、子供の私はまた長時間待たされるのである。クソ楽しくねえ

さらに言うならば記念写真時間世界で一番大大大大大大嫌いすぎる。大多数の人類には分かんないだろうけど、私は写真に私が写ることが、台所に出てくるGくらい嫌いなんだ。理由を考えたこともあったけど、嫌いなもんは嫌いなんだよバーローしか思い至らない。というか変に着飾らされた小学生のブスが写真写り良くなるわけがないだろ。

あと、発表会が終わったあと、会場の至る所で花束を抱えている生徒がいたのも、両親のみならず祖父母叔父叔母あたりが駆けつけてくれてる生徒も羨ましすぎた。父親子供に無関心だったか仕事休みでも来てくれなかったし、家族や親戚にも来てくれる誰かや花束をくれるような誰かはいなかった。

変に着飾らされて、上手くもないピアノ大勢の前で弾かされて、死ぬほど嫌いな写真に撮られて、隣には母親ひとりだけで、花なんて持ってなくて、ひとりで帰ることも出来ずにただ母親たちの世間話が終わるのを待ってるブス(私)。最ッ高に最低な日でしょ。初めて働いた居酒屋で「掃除してきて」って言われて座敷で仕切り板ずらしたら大量のGが出てきた日くらい最低だと思う。今思えばそんくらい嫌だった。ちなみにGは泣きながら雑巾で潰したし、その後バイトは辞めたし店は潰れた。

結婚したくないし、できる気もしないけど、もし将来子供が出来てピアノを習わせることがあったとしても、子供が発表会出たい!やりたい!って言わない限りは発表会させたくない。だっての子供だし、未来旦那が相当な陽キャじゃない限り、きっと私と似たような趣味嗜好・思考回路になる。子供習い事させるのがステータスみたいな風潮あっても、やりたい/やりたくないをはっきり言える歳になるまでは習い事極力させない。絶対させない。させたくない。

私ならよくわかんない年齢の時に「ピアノやりたい?」ってしつこく聞かれて「(よくわかんないけど)やる〜」って答えさせられてなあなあでピアノやらされ続けるの絶対やだ。実際よくわかってない年長さんのころから始めて、なあなあで中2くらいまで続けてしまった。こんなこと次世代にまでさせていいわけがない。断固拒否する。

いや恋人すらいないんですけどね

2019-01-27

anond:20190126210030

寅次郎というキャラクター批判的な目を向けてしまうと、単に「迷惑トラブルメーカーと、振り回される気の毒な周囲の人々」になってしまうけど、しかし実際のところ妹さくらと博が結婚し、博と父が和解したのも寅次郎がいたからこそだったように、いろいろトラブル引き起こしても結局なんだかんだでマドンナや周囲の人々を幸福にしている。やくざ商売ではあるが人を騙したり陥れることは決してない(しずかのパパが言うところの、のび太のような…)(1/29追記元増田メロンがどうこうと言及されてるのは『寅次郎相合い傘』だが、北海道浅丘ルリ子船越英二と組んで粗悪な万年筆を騙し売りしてたわ。まあそれはともかく)。さくらはもちろん、叔父夫婦の竜造とつねもそういうところは理解していて、寅次郎家族愛情を抱いている。こういう全体的な骨格は昭和でなくても一定の支持を受けると思う。

そもそもトラブルメーカーといっても、寅次郎高利貸しかに莫大な借金を抱えた結果とらやが潰れ一家離散、みたいなことは起きない。観客にはそういう安心感の前提がまずあって、その上で、彼らの人間関係破綻しない程度に巻き起こるあれやこれやの騒動を楽しんでいたのだろう。

とはいえその物語構造を肉付けしていくにあたって、時代背景が昭和中期ゆえに、テキ屋とか流しの歌手とか零細印刷工場ブラック労働とか、主人公恋愛観やマドンナの描き方とか、そういった諸々は現代感覚から見てなんでやねんと思われてしまうだろう。そもそも寅次郎自体インテリ山田洋次)が渥美清をダシに考えた「物語を動かすためのトリックスター」なので、ある種の偏見というか誇張もあるし(明らかにADHDだし)、今となっては見ていてヒヤヒヤする人がいるのは当然かもしれない(もちろん当時もアンチはいたはずだろうが、今はそういう“潜性”の意見がひとたび目立つと、さらにわれもわれもと集まる時代だ)。

1月29日(火)19時4分 第一パラグラフで『寅次郎相合い傘』に関する追記を行うとともに、文意を損ねない程度に一部の書き換えを行った。

2019-01-26

男はつらいよ』 という作品が嫌い

子供の頃から見ていたので馴染み深い作品なのだが、どうにもこの作中に登場する車寅次郎が大嫌いだ。

何が嫌いかというと、自分は好き放題しておいて他人のやっていることには口をはさみ

逆に自分が指摘されると逆ギレするという有様だ。


ある作中で、寅次郎がいない間に叔母がメロンをそこに居る人の分だけ切って食べるというシーンがある。

みんなで、さぁ楽しく話でもしながら食べましょうというところに寅次郎が帰ってきて、自分の分のメロンはどうした?と言う。

寅次郎は不在だったのだから当然切っているわけもないが、その事に腹を立てて「俺のおかげで手に入ったメロンだ」と主張する。

不在の寅次郎の分も残しておけばよかったというのも間違いではないが、その事に関していつまでもグチグチと繰り返し、

叔父がブチ切れて金を投げつけて「好きなだけ食ってこい」と怒鳴った所に、寅次郎は激昂する。

それを見たヒロインは腹を立てて「男がみっともない、いつも世話になっている叔父と叔母に対してありがとうと言って差し出すくらいの器量をみせろ」と言うと

寅次郎は素直に聞くはずもなく、今度はヒロインに噛み付く騒ぎになる。


これだけでもクソみたいな男なのだが、普段からテキ屋であちこち流浪しておいて、フラッと帰ってきたと思えば…

他人のやることなす事に口を出した挙げ句トラブルを作っていく。

最終的には、寅次郎人情がどうのこうのと良い話のように終わる。

これが『男はつらいよ』の定番であり、人情話として人気があった。

ラストでは人情あふれる車寅次郎の魅力のように終わっているので、そう見えるが実際はそうでもなく

性格に難がありすぎて結婚もできない独身自称テキ屋という男が、やりたい放題やっているだけの作品だったりする。

なぜこれが人気があるのかが、大人になっても未だに理解が出来ない。


親が見ていたので一緒に見ていたが、全然理解出来ないし、車寅次郎というキャラ嫌悪を感じるくらいなのだ

ちなみに寅次郎を演じた渥美清は好きだ。あの人の金田一耕助面白かった。とても印象のある俳優だ。


今もうちの父がケーブルTVで暇さえあれば見ているのだが、やっぱり車寅次郎というキャラは好きになれない。

身内に高説を垂れ流して、俺の言うことを聞けというばかりに偉そうにして、

ヒロインに対して迷惑をかけていることを気にもせず、トラブルを巻き起こすその姿は現代でいえばSNSバカなことをする人と似ているのだ。

でも、あれが昭和が愛した作品だというのだから不思議ものだ。


何が面白かったんだろうな…。今も思うのだ。

2019-01-25

メディア猫と現実の猫について

ふと気付いたのだが、現実で猫を見かけるよりもネットで見かけるほうが多くなった。こういう逆転は、実は珍しいのではないか?と思い始めた。もちろん、パンダを目で見たことがある人よりも、テレビで見たと言う人のほうが多いだろう。希少な動物だし、日本にいるパンダは数えられるほど少ない。雀はどうだろう?あれだけの個体数で朝チュンチュン言ってるので、当然直接見る機会の方が多いだろう。じゃあ猫はどうなのかというと、確実にネットの方が沢山いる。氾濫していると言ってもいい。昔は、たまにどこかの飼い猫が鈴をつけて歩いている姿を見る機会が多かったはずだ。野良猫にあったら、とりあえずモノで釣って近寄ったりしたはずだ。そういった経験価値は、今はメディア猫に比べて相対的に上がっている。メディア猫の振りまく喜劇的な可愛さに僕らの胃はもたれ気味で、どうしたってあのツンケンした現実の猫とふれあいたくなる。そうしてまた「猫を飼いたい」という偽物の気持ちを植え付けられた人々は今日も猫の居ない生活首をかしげることになる。おかしいな、メディア猫はあんなにも居るのに、現実では全然見かけないじゃないか。。

ここから先は完璧想像なのだが、日本高度経済成長時代、裕福な家庭の象徴として「ペットを飼う」が掲げられた。立派な一戸建て、最新の家電、頑丈な車、広い庭、そして片隅には犬小屋があり、ゴールデン・レトリバーいびきかいている。ペットを飼う余裕すらないのは、中流とは言えない。彼らはこぞって同調し、しかし「なにを飼うか」で個性を競っていた。下らない流行りに付き合わされたのが猫たちである。様々な品種改良が進み、もはや家の中でしか快適に暮らせないまで進化させられてしまった彼らには高い値段が付き、飛ぶように売れた。一方で、捨てられる猫が増えた。もともと繁殖力の強い生き物だから全国的に猫だらけになった。しか10年も経てば、野生の猫は力尽きる。彼らの相手はいつの間にか、戸建ての一軒家からコンクリート階層ビルに変わっていた。人間のご相伴に預かれなくなった猫たちは、やがて数を減らしていった。

そんな猫たちに分け隔てなく優しさを振りまいて、ご飯を食べさせるついでにうちの子にしてしまう男がいた。僕の叔父だ。彼は長い間祖母と二人暮らしで、ふたりとも猫が大好きだった。いつの間にか祖母の家は猫屋敷になっていた。祖母叔父も、自分の家に何匹猫が上がり込んでいるか把握していなかった。そんな中の一匹に、チイがいた。チイは猫らしい猫だった。小さな僕がよちよち階段を登って必死で追いかけるのに、彼女はするりと脇を抜けて逃げてしまう。とても人見知りな猫だった。僕は彼女を一度くらい撫でたかった。毛並みに触らせてほしかった。ついぞ彼女が姿を消すまで、僕は撫でることができなかった。

いま猫が好きなのは、そういう原体験のおかげかもしれない。居なくなった猫の毛並みを想像して、ずっと別の猫のことを可愛がり続けるのかもしれない。そんな気持ちは猫にとっては知ったこっちゃない。我が物顔でご飯をねだり、好きなときに遊んで寝るだけだ。僕にも猫の気持ちなんて分からない。この世の誰が猫の気持ちを知っているだろう。ただ、そうした中でもなんとか上手くやっていくことができる。お互いの勝手を暗黙に認めて、自分だけのことを考えて共生する。そういうのが生活というのだろう、となんとなく思う。

祖母がもし居なくなったら、あの元猫屋敷には叔父しかいなくなってしまう。僕は叔父クラシック・ギターを弾くのが好きだった。その昔、禁じられた遊びを弾く叔父がとてもかっこよくて、僕もギターを弾き始めた。またあの家にいつか、もうちょっとしっかりしたら、遊びに行きたい。縁の下に、光る眼。

2019-01-23

僕の場合は「男らしさ」を求められた経験がけっこうある(25歳男性

https://anond.hatelabo.jp/20190121113933

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最古の記憶だと、幼稚園児だったころ。

僕の通っていた幼稚園は、運動会を開催するのに学校グラウンドを借りなきゃいけないほど狭かった。

外で遊ぶスペースがないから、遊び時間にすることといえば、順番に遊具に登るとか、砂場いじりとか。

あとは紙工作

僕は女子に混じって部屋の片隅に置かれた屋根付きの小屋に入って、おままごとをしていた。

ままごとが好きってよりは、自宅に置けない「小屋」の中にいることが好きだった。なんか、ゴージャスじゃん。おままごとは、おまけだ。

先生からは、〇〇しないの?と聞かれた記憶がある。もちろん、女子には聞かない。

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小学生になると、チビだったこともあり、体を動かすことから疎遠に。

だって、ドッチボールやるとチビからって理由で真っ先に狙われるんだもん……。

休み時間図書室に足繁く通い、「はだしのゲン」や「ズッコケ三人組」を読んでいた。あとは「怪人二十面相」とか。

ここでもやっぱり、「たまにはみんなで遊ばない?」と担任からいわれた。

もちろんチビからという理由で、図書室に避難してきた女子には言わない。

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小学校高学年になると、一人称で悩むことに。

まわりは「俺」が多かったけど、チビに「俺」は辛い。完全に雑魚キャラじゃん……。

自分」といったり、「私」といっていた。

大人一人称が「私」のイメージがあったので、背伸びたかったんだと思う。

これに憤慨したのが家庭科先生

掃除時間に通りかかったところを呼び止められた。理由は忘れたが、さほど重要な話はしなかったと思う。

そこで僕が「私」というと、「六年生にもなって私はない。”僕ちゃん”ってわけでもないでしょ?俺って言いなさい」とブチギレ。

いや、知らんがな……。

なんか色々理由を並べられたあげく、僕が謝って終了。

分かる人にはわかると思うが、突然一人称を変えろって言われても、変えられるもんじゃない。

たいていは言葉に詰まるか、頭と口の同期がずれて、どもってしまうと思う。

どもりをからかわれるようになり、僕はお喋りじゃなくなった。

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中学生になると、母方の叔父祖父と顔を合わせるたび、玄孫(やしゃご)の顔を見たい、と言われるように。

叔父祖父に連れ添って出歩けば、知り合いに合うたび、「うちの孫です。まだ童貞ですが」ここ爆笑「もうちょっとしたら、お願いします」と紹介される。

相手がおじいさんだったりすると向こうものりのりで「最近のこはがっつきがないねー」と嘲笑され、若かりし頃の武勇伝が始まる。

それを道端の立ち話でするもんだから、恥ずかしくてしょうがなかったし、孫息子じゃなくて孫娘だったらそんなこと言わなかっただろう、とも思った。

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リンク先では、日本アメリカの「男らしさ」の差異についても言及されている。

これについてはなんかわかる。

僕はアメドラが大好きなんだけど、人気になってシーズンが長期化すると、ヒョロガリキャラでさえ、マッチョ化していくんだもん。

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だけど、「男らしさ」を指し示すものが違うだけで、日本でも男らしさって求められていると思うよ。

それに、男友達だけの間で共有される悪乗りのような男らしさもあるよね。

僕が学生の頃って洋ゲーが本格的に流行りだした時期なんだけど、洋ゲーに手を出した子はみんな、日本ゲームキャラをさして、「ホモくせー」といってたもん。洋ゲー遊ぶ俺、かっこいい。もう、ガキじゃないってニュアンスでね。

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追記

指摘されて気づいたけど、叔父(おじ)じゃなくて祖父(そふ)だった。「おじいちゃん、おじいちゃん」と呼んで育ったから素で勘違いしていたよ。

10年ひきこもっていると、日本語に疎くなっちゃうんだよね。

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追記2

http://b.hatena.ne.jp/entry/4663534515915863457/comment/superabbit

※superabbit 玄孫って曽孫の子供だから混乱。増田のひい爺さんなら玄孫だけど、おじいちゃんなら孫の子供=曽孫だよ?

いろいろすっ飛ばして書いてごめん。

玄孫(やしゃご)であっています。僕の従姉妹は16歳で結婚していて、子供も居ます。それを念頭に置いて、お前が結婚すれば曾孫(ひまご)の顔は拝めるだろうし、100歳まで生きれば玄孫(やしゃご)の顔も拝めそうだって意味で、ああ言ったわけです。

祖父は早婚→妊娠出産までを既定路線で話す人だったので、話の前提について説明する必要性を忘れていたよ。

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追記3

https://anond.hatelabo.jp/20190123210845

追記読んで思ったけど、オマエが世間バカにされるのジェンダーロールのせいじゃない。オマエのアタマが悪いからだよ

※オマエがジェンダーロールだと思うんならそうなんだろう、オマエの中ではな

タマが悪いのは認めるけど、世間バカにされることはないよ。交流がないし。この10年でバカにしてきたのは、親父と君ぐらいだよ。

2019-01-20

スターウォーズルークの育ての親の叔父さん夫婦

あれ死んでるんだよな

あとから振り返るとあっさり死にすぎでは?

2019-01-14

京都大学に受かっていれば」という風土の地

私の父母、叔父、叔母はほとんどみんな京都大学入学したいと思っていたようであるしかし、だれも合格することはなく他の大学に進学した。これは、例えば東北地方に私が生まれていれば叔父、叔母はほとんどみんな東北大学入学したいと思っていたが、だれも合格することはなく他の大学に進学したという状況と類似している。一般的に、ある地域国立大学学生はその地域学生としては最優遇されるという文化日本には存在するようである

そこで、私の場合小学校に通う頃から私がはたして京都大学入学できるかどうかが、親戚の間で微妙ニュアンスで関心の的となっていた。

ここで、父母、叔父、叔母の目線で考えてみたい。

1)もし、私が本当に京都大学入学した場合

(父母)叔父、叔母にとって良い点:自分の親戚の中で京都大学に進学したものがいることはそれとなく京都大学の影響が強い地域においては自慢できる

(父母)叔父、叔母にとって不都合な点:自分ある意味京都大学に進学するという夢を果たせなかったのに、甥が進学したということは、その甥に対して妬みの感情が生まれ可能性がある。そのようなネガティブ感情を持つことはできれば避けたい

2)もし、私が叔父、叔母と同じように京都大学合格することはなく他の大学に進学した場合

(父母)叔父、叔母にとって良い点:甥を自分同類と見ることができ、親密感を増す可能性はあるが、上記の妬み等のネガティブ感情を抱く可能性はなくなる。

(父母)叔父、叔母にとって不都合な点:とりたてて不都合な点はないように思える。

上記、2つの場合考慮すると、どうも自分親族が私が京都大学合格することを願っていないような気がする。しかも、結構関西エリア文化に属する私の親族はウェットであり、サバサバしていないので、なんとなく親族と接すること自体が嫌になってしまう。

上記の状況は、関東圏のサバサバした文化において「東京大学に受かっていれば」という場合にも当てはまるのであろうか?

このような感じ方は、とてもレベルの低い感じ方だとわかっているのにそれを乗り越えることがいまひとつできない。Is it true that time heals all wounds?

浮気を問い詰められた際の親父のイカ発言ランキングTOP10

齢30前にして真面目だと思っていた親父の浮気が発覚した。

最初疑惑段階であった時は否定し、2度目に発覚した際は素直に謝罪したのだが、その後も浮気相手を上手に言いくるめて関係継続していた。

さすがにこれはマズいと家族総出で決定的な証拠を抑え、親父を問い詰めることに。

……が、その際の親父の発言があまりにもアレだったので、怒りを込めてランキング形式で発表したい。

10位「実はな……俺のスマホは盗聴されてるんだ」

浮気相手用に用意していたガラケーについて問われ、神妙な顔で言い放った一言10位にランクイン。

女とのやりとりを全残ししてのこの言い様に、「穏便に話しあおう」と言っていた母親を初手からキレさせた切れ味の鋭さを評価

第9位「貧しい家に生まれ地方から働きに出たものの頼る人もない。そんな人を放っておけると思うか?」

散々エロい会話履歴を母に見られているというのに、まさかの情に訴える作戦に出てきたこ発言が第9位。

もちろん「そんな相手と週3でホテルに通う必要はどこにあるのか」という母の質問の前に撃沈した。

第8位「(100万円は)道端で知り合った不幸な身の上の名も知らぬ女の子にあげた」

預金通帳から消えた100万の使い道を問われた際、浮気相手の懐を守ろうとして放った男気溢れる嘘が堂々の第8位。

仮にそれが事実だとしても、親父が外でそんなことをしていたら普通に気持ち悪いと思うのだが……

第7位「俺を煮るなり焼くなり好きにしろ! どう扱われてもいい。それがお前たちへの贖罪だ」

埒が明かず「浮気相手を呼び出して話し合おう」と言うなり、床に大の字になった父なりの誠意を表したこ発言が7位に登場。

当然「じゃあ、浮気相手を呼び出すからそこで見ていてくれ」と返された。

ってか、親父はなぜ無理矢理いい話に持っていこうとするのだろう。

第6位「そういうのは無しだ!!!

渾身のパフォーマンスに「浮気相手を呼び出すからそこで見ていろ」と返された際の魂の叫びまさかの6位に。

60前のオッサンが床の上で駄々をこねる姿なんてそうやすやすと見られるものじゃなく「ほう、これが……」と少し感動した。

第5位「わかった。こうなったら殺し合いだ。オラ、来いよ」

だんまりを決め込む親父に「辞めるのか辞めないのかどっちなんだ」と弟から問われて……の5位。

出がらしのブルース・リーの様なポーズを決めて挑発された弟の「どういうこと?」顔を引き出した手腕の見事さを評価

第4位「俺を殺してくれないか? 俺の保険金でお前たちには幸せ暮らしてほしい。それが俺のいまの望みだ」

相変わらずの『無茶な理屈でいい話にしてなあなあ作戦』に打って出た往生際の悪さを評価しての第4位。

かねた弟が「頭イカれてんじゃねえのか」とビンタするなり「親に手を出すとは何事だ!!」とブチギレた。

第3位「さて、もう遅いからそろそろ寝るとするか」

まさかタイミングで放った絵に描いたような悪手を取ってきたインパクト評価し第3位。

当然寝かせてくれるわけもなく、落ち着きかけてきた母の怒りを余計に焚きつける結果となった。

第2位「大好きだったお父さんと俺の鞄のかけ方が同じらしいんだよ」

開き直り続けてきた親父が落ち着いてきた所で「何故そこまで入れ込むのか」と尋ねた所、返ってきた言葉が涙の第2位。

頼んでもないのに彼女からもらったという父親写真を見せてきたが、鞄を肩から斜めにかけてるおっさんが写っていた。

いや、普通おじさんの肩掛けカバンって大体こうじゃね……? タテかナナメしかなくね……?

っていうか、そんなこと言われて嬉しいもんなの?俺女からにそんなこと言われたらどんな美人でも「は?(笑)」って言っちゃうんだけど。

もし親父を褒めるポイントがそこしかなかったのだとしたら、あまりにも悲しすぎる。

第1位「俺は今から大仏になる」

「俺は黙秘権を貫くぞ!証拠は何もないんだからな!俺が黙ってればどうにもできない!」と決定的な証拠の数々を前に言い出した親父。

埒が明かないので、親父が恐れる北海道叔父さんに電話をかけることになった瞬間の意味不明発言が悲願の第1位。

全員「???状態の中、目を閉じて座禅を組んだまま動かなくなってしまう親父。

叔父さんに叱られても無言を貫き、引き倒してもそのポーズを崩さず、横転した大仏姿のまま1時間以上も粘り続けた。

「俺にはこいつの血が流れてるのか……」と、ドン引きした弟の顔がいまだに忘れられない。

以上。

親父は会社地域でそこそこ頼られるタイプ人間で昔から割としっかりしてるイメージだったため、ここまでのめちゃくちゃな態度には驚いたし、正直引いた。

この年になって親からクソみたいな人間性のカミングアウトをされると、かなりキツい。本当にこれが同一人物なのか?と思った。

弟も相当ショックを受けたのかなんなのか、しきり「なんかコジコジ読みてえな……」と呟いていた。コジコジ面白いけど。

なお、親父は今もバレバレ偽装工作をしながら、今度こそバレてないと思いこんだ浮気を続行中なので、

母は「別れるつもりはないが、妻としてさすがに限界。両者絞りカスになるまで潰す!」と、興信所弁護士らのお世話になることに。

離婚しちゃえば?と言ってはみたが「それだけで終わっちゃうでしょ?」と微笑むばかり。怖いのでこれ以上聞かないことにした。

「母さん、俺のことめちゃくちゃ愛してるからな~w」と事あるごとに言っている親父よ。

もうすぐ慰謝料に加え、母親に出してもらった金で買った車も趣味コレクションも全て取り上げられるだろう。

そして、今まで母親に甘え続けて何でも己の思うがままになっていたあの日々はもう帰ってこない。

絶対離婚したくないけど、これから先は浮気相手同棲しつつ実家を行き来したい」なんて生ぬるい考えは、浮気相手とのLINEの中だけにしてもらおうじゃないか

そうして大仏になっても絶対逃げられなくなった時、親父はようやく気づくことになるだろう。

「仏の顔も三度まで」と。

2019-01-09

anond:20190109214841

北朝鮮はキムの妹の恋人遊び人すら製鉄所に派遣されるから寄りすぎる度合いは半端じゃないよ

キム自身軍事訓練叔父からリンチされて教育されてるし

ノースコリア帝国は国全体が恐怖の暴力装置

従姉のAさん

私には2歳上のAさんという従姉がいる。私とAさんの血縁関係は少し特殊

Aさんの母親は私の父親の妹(=私の実の叔母)でAさんの父親は私の母親の兄(=私の実の叔父である

即ち、Aさんと私は母方と父方の祖父母が同一なのである

母が父と結婚後に叔母に叔父を紹介したらしい。(自分で書いててややこしいな・・・

母の実家と父の実家電車で40分程度で行き来できたので私の家族とAさんの家族正月帰省した時は

まず母の実家に泊まりに行きその後父の実家に泊まりに行くのが定番であった。

幼い頃は私にとってAさんは「仲のいい親戚のお姉ちゃん」であったが思春期になる頃には「一人の異性」として意識していた。

しかしながらAさんを異性として意識すると同時にある種の後ろめたさというか背徳感というか何とも言えないものを感じていたのも事実である

血縁の濃さを無意識のうちに考えてしまっていたからなのかもしれない。

あれは私が大学一年生の時の正月であった。例年通り母の実家に泊まった後父の実家に泊まったのだが

そこで麻雀に興じていた親戚達からコンビニに行って酒とつまみを買ってくるよう頼まれたのである

寒い夜に外に出たくない私が頼みを引き受けるのを渋っているとAさんが「増田君一人で行くのが嫌なら私も一緒に行くよ」と言い

二人でコンビニに行くことになったのであった。

道すがら私はAさんを意識していること悟られないよう注意しながら他愛ない話をしていたのだが

ふとAさんが冗談で「彼女いるの?いないなら私が立候補ちゃおっかな~」と言った。

私は内心ものすごく慌てながら「冗談はやめてよ~セクハラだよぅ」とわけのわからないことを言いながら自分の動揺がAさんにバレない様願っていた。

結局その後私とAさんは特に何も無く今に至るのだが、あの時もし「わたしは一向にかまわんッッ」と言っていたら(Aさんはバキシリーズが好き)

何かが変わって今頃「血の濃い従姉と一線越えかけた話」を増田投稿していたかもしれない。

そして「一線も何も従姉は結婚できるのだが」とブコメでツッコまれていたかもしれない。

2019-01-02

京大までの受験の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。

元増田と違い中学受験私立とは無縁で、片田舎公立中学公立高校卒業して京大入学した。

中学時代

勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。

一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿私立高に通って高いお金さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。

将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学工学部卒業し、自動車メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。

そんな自分に両親はとても優しかった。自分選択意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。

高校入学受験勉強まで】

結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅から公共交通機関アクセスが最悪だったかである

この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大ゼロ京大が1人いるかいないか旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さなさなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。

1年生の夏、家族京都旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威シンボルである時計台自由象徴する立て看板鴨川百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。

ここに入ろう。自分にはその資質がある。

本気でそう思った。

そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師OB地方でやっている個人塾だった。英語数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。

受験勉強受験まで】

高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立MARCH関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しか学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。

高3になると全国模試ランキング浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタル不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。

高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。

受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるとき不安でやる気を失いかけているとき鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。

試験

京大工学部センター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけがまれた。

私立早稲田慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。

京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝たかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。

当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学試験試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。


ところで、新年を迎えたこから自分の中のルールとして「前期試験不合格連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。

合格発表掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ち掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。

【その後】

入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。


【さいごに】

一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章わたし世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。

http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html

「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対無駄はらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから

恋でもいい。グラウンドの上でもいい。

そして、エンピツを握ってでもいい。

フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。


元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しか自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。

すべての人に受験勉強というプロセス必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。

センター試験まであと少し、全国の受験生に幸多からんことを。

2019-01-01

ひとり正月

いや、実家暮らしだけどさ。

家族新年食事会もやってる。

家長挨拶、それぞれ新年抱負の発表、おせちを食べる、、、

テレビの昔のホームドラマのものの血ヘドもの茶番に毎年付き合わされてきたけど、今年は爺と叔父まで来ると聞いて断固拒否

なんで新年早々、世界で嫌いな人間ワースト3とそんなクズ時間一緒にすごさにゃいけんの?!

親のこうありたい姿の押しつけにはもう耐えられない。

お年玉もらえる年でなくなった今、なんの義理もない。

バイトと嘯いてダッシュで逃げた。

マジ勘弁。

クズ野郎共三人、あん新興宗教じみたクソ住職(義父)の寺で、親の自己満足を満たす為に自分時間無駄にするなんてありえない。

一人で正月からカップ麺すすってスタバ時間潰す正月でも、私はとても幸せです。

2018-12-05

anond:20181205115634

奨学金制度はあと20年くらい経過したときの返済状況がどうかという心配がある。

でも奨学金制度を利用しないで親が学費出してくれるっていいよな。従姉妹デキ婚だけど結婚式したいって言って結婚式費用叔父叔母が全額出してた。

話し逸れてごめん。自分奨学金使った人間なのでお金格差がつらいんだ。

2018-12-04

増田プログラマー養成講座 その23 SQLを巡る物語

前回は、データベース設計について学びました。

今回は、その他のデータベース話題について見てみましょう。

 

 

リレーショナル・データベース理論

問合型言語SQLは、「関係代数」という計算モデルを基に作られたプログラミング言語

一度「関係代数」について学んでおくと、RDBの使い方について、理解が深まる。

↑このスライド作者さんは他にもDB関係資料作成されてるので見ておくといいかも?

 

 

SQL以外の問合型言語

SQL以外にも「SPARQL」、「TMQL」(Topic Maps Query Language)等、いろいろな問合型言語がある。

実際に使う機会は少ないかもしれないが、「問い合わせ」で処理するという発想は参考になるかも?

 

Datalog

Datalogは「Prolog」(論理言語)を源流にもつ宣言的なデータベース問合せ言語。DatalogはSQLと同等の表現力を持つ。

Datalogは様々なプログラミング言語で利用できる。

 

トピックマップ

トピックマップ」は、本の索引もっと機能にしたような仕組みで、RDBとは違う形でデータを蓄積/検索できる。

 

 

RDB以外のデータベース

SQLを使わないデータベースもある。

 

NoSQL

NoSQL一般に "Not only SQL" と解釈される)とは、関係データベース管理システム (RDBMS) 以外のデータベース管理システムを指すおおまかな分類語である

関係モデルではないデータストアの特徴として、固定されたスキーマに縛られないこと、関係モデルの結合操作を利用しないこと(場合によっては単にそのような機能が欠落しているだけ)、水平スケーラビティが確保しやすい事が多いこと、トランザクションを利用できないものが多いことなどが挙げられる。

学術的な世界では、この種のデータベースのことを構造ストレージ (structured storage) と呼ぶことが多い。

 

NoSQLデータベースは、関係データベースのような汎用性は欠くものの、その制約された条件下ではRDBMSより高いパフォーマンスを持つ。

そのためビッグデータソリューションでしばしば活用される。

NoSQLデータベース管理システム有用な場面は、関係モデル必要としないデータを扱う時や、大量のデータを扱う時である

 

有名な実装として、GoogleBigTableアマゾンAmazon DynamoDBなどがある。オープンソース実装も数多く存在し、例えばMongoDBRedisApache HBase、HyperTable, Apache Cassandraなどがある。

 

 

SQLRDBに慣れたら、NoSQLも調べてみよう!

 

 

その他、データベース関係話題

DB運用管理で学んでおきたい話題を列挙してみよう。

 

 

SQL開発物語

問合型言語学習最後に、SQLを巡る物語も見てみよう。(SQL学習ドラマチックで楽しいものにしたいねw)

 

 

RDB活用すれば、大量のデータを処理して、多くの仕事効率化できる。(金持ちへの扉が開かれる。)

暇があったら、SQL物語登場人物も見ておこう。

 

エドガーフランク・コッド(Edgar Frank "Ted" Codd, 1923年8月23日 - 2003年4月18日)は、イングランドまれ計算機科学者

関係データベース理論的基盤であるデータベース管理関係モデル発明した。

 

1960年代から1970年代、コッドはデータ配置に関する理論を構築し、1970年 "A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks" (大規模共有データバンクのデータ関係モデル)という論文を発表した(IBM内ではその1年前に公表している)。

しかし、IBMライバルがそれを実装し始めるまで彼の提案を実行に移そうとせず、コッドは失望した。

当初、IBMはIMS/DB収益を守るため、関係モデル実装することを拒んだ。

コッドはIBM顧客自身モデル実装した場合可能性を提示し、顧客からIBM圧力をかけさせた。

そこでIBM関係モデル実装を開発する System R プロジェクトを Future Systems プロジェクトに含める形で立ち上げたが、その開発チームとコッドは分離され、しかもコッドの理論精通した者はチーム内にいなかった。

結果として彼らはコッドの Alpha 言語を使わずリレーショナルでないSEQUEL言語を開発した。

 

ラリーエリソンSEQUEL 完成前に発表された論文に基づいて Oracle を完成させ、先に発売している。

IBMは、SQL/DS を発売した。

幹部技術音痴だと、部下の名案も却下してしまうんですね?

 

ローレンス・ジョセフ・エリソン(Lawrence Joseph Ellison、1944年8月17日 - )は、データベースソフトをはじめとする大手ビジネスソフトウェア企業オラクルコーポレーションの共同設立者であり、元CEO会長CTOである

2014年現在総資産は500億ドルで、世界で5番目の富豪である

 

ニューヨーク出身アシュケナジムユダヤ人母親フローレンススペルマン(Florence Spellman)は出産当時未婚の19歳で、生後9ヶ月のラリーシカゴに住む叔母リリアンエリソンとその夫である義理叔父ルイスエリソン養子として引き取ってもらった。ラリーは実の母の名も知らず育ったが、48歳の時に初めて対面した。

 

高校時代秀才だが、無愛想な生徒だった。イリノイ大学アーバナシャンペーン校に二年生まで通っていたが、リリアンの死後まもなく退学。カリフォルニア州北部で夏を過ごした後、シカゴ大学で学ぶために実家に戻ったものの三ヶ月でまたも退学し、カリフォルニア移住。この頃、コンピュータに触れ始めている。

 

1970年代エリソンはアンペックスで働いた。彼の関わったプロジェクトのひとつCIA向けデータベース開発があり、彼はそれに「オラクル (Oracle)」と名づけた。

エリソンエドガー・F・コッドのリレーショナルデータベースシステムに関する論文 A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks に触発され、1977年自己資金1400ドルオラクル設立した。

彼はIBMのSystem Rデータベースがコッドの理論に基づいたものであると聞き、Oracleもこれと互換性のある製品にしたかったのだが、IBMエラーコード秘密にすることによって互換製品が出てくるのを防いでいた。

オラクル最初製品Oracle 2であり、Oracle 1は存在しない。このリリース番号は、それ以前のバージョンバグが全て解決されていることを暗示しようとして付けられた。

 

1997年8月ラリーエリソン親友スティーブ・ジョブズアップルに戻った後、同社の取締役就任した。2002年9月20日取締役会に出席する時間が充分に取れないことを理由アップル取締役を辞任した。

この人、キャラクター的にはあまりきじゃないけど、行動力はすごいね

コッド博士論文を見て自分RDBを作っちゃった!

Oracleバージョンを「2」から始めて、改良されているように見せかける。~ちょっと詐欺っぽいけど、商売うまい?w

 

 

 

SQLデータベース活用して、素敵なアプリWebサービスを開発してください。

では、これでいったん、増田プログラマー養成講座を終了します。

御清聴いただき、どうもありがとうございました。

 


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2018-12-01

anond:20181201155849

おれは生まれながらに増田のいう「環境」が完備された子供だった。

まず親が開業医看護師で二人とも大卒だった。なんなら医学博士だもん。親戚は叔父も叔母も従姉妹もみんな大卒祖父東大出だった。したがっておれが医者になるのをみんな期待していたし、大学に行くのなんか当然だった。ローティーンの頃は「ダサいがり勉タイプだったと思う。学習塾に通い詰めて有名な私立中に入った。中学生の頃にはハリー・ポッター原書で読めたし生意気に自宅のグランドピアノショパンなぞ弾いていた。

しかしこれは自慢話ではない。

何もかも与えられたおれは医者になれてようやく及第点、それ未満ならおれの努力が足りないか母親馬鹿女だったか、あるいはその両方であると見なされる。褒めて貰おうと思ったらノーベル賞でも取らないと叶わない。そのプレッシャー増田にも想像してもらいたい。

環境」を与えられたら無条件でエリートになれるわけではない。そりゃ強力な追い風にはなるだろう。でも事実としてエリートになるには相応の努力が要る。だからね、獲得したものエリート君の努力の賜物なんだわ。それを「両親のおかげ~」とかよくわからない理屈で取り上げないでやってくれ。

果たしておれは医者にはなれませんでした。それはおれが単に勉強しなかったからだ。でもそのために母親馬鹿女でなかったと証明することは、多分もうできない。

2018-11-29

特別支援学級教諭ってナニかワケありか左遷ポスト

https://anond.hatelabo.jp/20181128191150


特別支援学級教諭ってナニかワケありか左遷ポスト


この一文で増田が人でなしのように言われてるけど

地域によっては実際にあるよね

10~15年前の中学校の話

叔父さんの葬儀部活を欠席した女子いちゃもんつけられて顧問男性教師に突き飛ばされて机に頭をぶつけた事件があって

傷や痣ができるほどじゃなかったから表沙汰にはならなかったけど

もうこいつクビにしろよって思ってたら次の年養護学校に異動になってて本当に愕然とした

今は仕事関係小学校と繋がりがあるけど支援学級の担任

そりゃあ熱心ないい先生もいるけど「30人学級を担当する力量のない人」が選ばれることも多いかなという印象

人数が多かったり難しい生徒が多かったりする学年は実力ある先生が振り分けられて消去法でちょっとアレな人が残ったり……


はてなーって凄くいいところに住んでるんだろうなあって思う案件がまたひとつ増えた

いや私が住んでるところが民度低いだけか

2018-11-27

anond:20181127193650

良い叔父(伯父?)さんですね。

事故の件、ブロック壁は直せばいいとして、車の方は動かないほどでしょうか?

兄が統合失調症で暴れる

今日も暴れた。

「俺は家族虐待されている。警察を呼ぶぞ」と朝食中に急に叫びだし、朝食をひっくり返して暴れだした。

当然年老いた父母では対応ができず、同居している自分が取り押さえた。

この前は包丁を振り回して暴れた。

で、警察を呼んだ。

そうしたら、「俺は家族に殺される」と連呼して居たが、病院医者とやりとりし、刑事事件にはならなかった。

でも、「刑事事件になって、なんか大事として事件化してもらえば、行政から支援が受けられるのでは?」

と思う。

兄を病院に連れて行くときには、叔父と、父と自分が、3人で取り囲んで連れて行く。

そうしないと逃げるからだ。

全力で暴れて逃げる。

今日大学の授業に遅れた。

しかし、これから先、どうなるのだろう。自分就職したらおそらく東京だ。

老いた父母に寄生して統合失調症で暴れる兄はどうなるんだろう。

兄を病院に連れて行くことは、もうできなくなる。

どうしよう。

追記 兄の病状は幻聴、加害妄想被害妄想。薬はなんとか自分が飲ませてるが、舌の裏や、口のくぼみに隠して後から吐き出したりする。普段はおとなしいが、突如火がついたように暴れだす。自分病気だと認めてない。

2018-11-18

実の息子が、戸籍上の叔父になった。

税理士の勧めで祖父と息子が養子縁組しただけなんですけどね。

相続税対策祖父祖母養子にすることはよくあるらしいけど、曽祖父養子になったのはかなりのレアケースらしい。

養子縁組って手続きが面倒なのかと思いきや、ちょっと書類書くだけで終わってそれも驚き。

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