はてなキーワード: 停車場とは
妻子の留守に、
留守にやらんでもとは思うが、そこが石川の不器用なとこではある。しかし、この歌には季語などは無いが、どうしてか冬を連想してしまうのは
それでなくそなのが余計にいい
うん、いい。
本来は逃げるではなく盾みたいな字なんだけど
変換に出てこないからこれで許して。
あの有名な「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」の前にある歌
それにしてもこの十五とは何時なんだろうと思えば年表にはこうある
この頃。鉄幹、晶子に心酔。
いつになっても変わらんものは変わらんなぁ
この一握の砂・悲しき玩具はこれで終わる
(おまけを除くと)
私は最初読んだ時、愉快な歌だなぁと思っていたが、そうではないらしい
これは石川が結核で死ぬ寸前らしく、飼ってもあなたはそんなに戯れられんでしょという妻の優しさかららしい。よくわかんないけど
それにしたって「妻にはかれる。」って
なんかいいな。悲しいけど
これ、ほんと悲しい
…文字数が足りないぐらいに悲しい
よく石川のクズエピソードだけを取り上げ、クズだクズだと囃し立てる人はいるが、果たしてその人らは石川啄木の作品をどのぐらい読んだのだろろうか?そして、この歌の様な石川の心情をどれだけ分かってやれるのだろうか?
石川の心情を構うことなくただ囃し立てる人らこそ私にとってはクズとしか言いようが無いんだが
こういふ様な想いは、俺にもある。二三十年もかけはなれた此の著者と此の読者との間にすら共通の感ぢやから、定めし総ての人にもあるのぢやらう。(藪野椋十)
一握の砂・悲しき玩具とは改めて読んでみると
石川にも俺にも共通するそれがこの歌集を好きにさせてくれているのだろう。紹介した歌はまだ
本の一部である。他にも優れた歌はたくさんあるし、これはダメだろみたいな歌もあるにはある
だが、それに出会うにはやはり読んでもらうしかない。誰かが言葉は詰まるところ暴力だとか言っていた。この歌集を読むとそれがよくわかる
5年ぶりに裸になりたくなった。
Playa de la Mar Bella。ビーチ全体ではなく、限られたエリアがヌーディストビーチ。ちゃんと看板でこの先が全裸ゾーンって書いてある。
カタルーニャ広場停車場(Pl Catalunya - Portal de l'Àngel)からH16のバスでPg. Calvell - Rambla del Poblenou停車場まで。徒歩の時間も込みで30分
バス停からは公園を横切って移動する。なんか途中にドッグランもあった。ビーチそのものは公園からは高台というか小山で遮られている。
小山を向けて海に向かって右側にまず行ったんだけれど、さっそく小山の上で全裸で仁王立ちしているおじいさんがいた。
でも、その時点ですごくトイレに行きたかった。で、近くの海の家的な店で聞いたんだけれど、トイレはお客さん専用だとのこと。
しょうがないので、近くにトイレはないかと小山の左側の店に行った。そしたらそこにトイレがあった。
用を足してあたりを見回す。一応ヌーディストビーチなので裸でシャワーを浴びている人もちらほらいたんだけれども、それよりは筋肉質のビキニパンツの好青年のほうが多かった。こっち側はゲイビーチらしい。皆さん概してマナーがいい。健全な出会いの場という印象だ。
こっち側の海の家の名前は「Be Gay」で、おそらく「ゲイであれ」と「陽気にやろうぜ」の掛詞だ。シャワー付近には裸の女性もいたが、着衣の人が多かったのでここで裸になるのはためらわれた。
さっきはトイレに行きたくて状況がよくわからなかった反対側はどういう雰囲気かと思って、戻ってのぞいてみると、こっちのほうが普通に裸になっている人が多い。ただしシャワーはない。ほとんどが男性で男湯っぽい雰囲気だけれど、カップルが数組いて、父と幼児が海辺で戯れていた。男女比は大体10対1くらいで、以前訪れたウイーンの混浴サウナとはだいぶ雰囲気が違う。それにウイーンのほうが夫婦連れが多かった。
私はここで素っ裸になった。ウイーンとは違って遮るものがないし、着替える場所もないのでちょっと緊張したけれど、えいやと脱ぐ。まずは上半身裸で太陽を浴びて、それから下半身も脱ぐ。パンツと下着を同時に脱ぐ。お尻丸出し。やっぱり全身を太陽にあてると気持ちがいい。
ところで、バルセロナのビーチでは普通にトップレスの女性がいる。二人連れの女性がなんだか楽しそうにしていた。ヌーディストエリアの隣なので、それこそ全裸中年男性がたくさんいるのだけれど、まったく気にしていない。私がヌーディスト的な世界に憧れるのは、相手のことをじろじろ見たりせず、自然な姿をありのまま受け入れているからだ。相手だけが着衣、私が裸(あるいは逆)というプレイに結構興味はあるけれども、ここで感じる解放感とはまったくの別物だ。
何となくだけれど、ビキニパンツのトップレスってなんかユーモラスだ。ジーンズのトップレスのほうがセクシーだ。なんでだろ? ティーバックの水着もなんかお尻丸出しでなんだかセクシーよりも面白衣装って感じちゃう。服って脱ぎすぎて裸っぽくなるととユーモラスになっちゃう。そういえばここで見かけたおっぱいの大きなすっぽんぽんの中年女性、きれいだったけれども、バルセロナ市内で見かけたへそ出しファッションのほうがよっぽどエッチな印象だった。
へそ出しと言ってもブラトップみたいなもあるし、タンクトップみたいなのもあったし、おへそまわりだけ出ていて、その周りのお腹をレースで覆うタイプのもある。
ボディスーツっていう、ハイレグレオタードみたなトップスにジーンズみたいな恰好の女性も見たけれど、腰の素肌が出ているだけなのに、すっぽんぽんよりもなんだかエッチだった。十代もいたし、ぽっちゃりした人もいた。誰も気にしていないのがいい。さすがにパンツが見えそうなミニスカートにはびっくりしたけどね。
で、何でそう感じるか。たぶん素っ裸になると、身体にはどこにも境目がなくてひとつながりで美しいって感じるんだけれども、中途半端に隠すとかえって暴いて見たくなるというか、えっちな部分が強調されちゃうんだろうな。
さて、裸で太陽を浴びてうとうとしていると、水売りのおじさんが通るのが見える。アジア人は私だけだった。アフリカ系の男性が数人いた。でも誰も気にしない。バルセロナは日本人観光客が多いけれども、ここは私だけ。無名のままでいられるって素敵。よそ者の気楽さ。
十分に太陽を浴びた私は、ほかの泳いでいる人たちに続いて、素っ裸で海に飛び込んだ。頭まで潜ったり、波に乗ったり、大股を広げて背中で浮いたりした。すっぽんぽんで太陽を浴びると気持ちがいいし、何物も遮るものがない海に一糸まとわぬ姿で飛び込むと、なんだかいろいろな汚れが流れ去っていく感じがした。これは木々に囲まれたウイーンの混浴サウナでは味わえない感覚だ。途中で急に深くなっていて、一瞬足を取られたのには焦ったけれどね。海に飛び込んで、休んで。また飛び込んでを繰り返す。
で、すごく開放感があったんだけど、ウイーンのほうがマナーが良かったかな。おっちゃんがおちんちん一往復だけいじってたし。単に皮に砂が入ったからかもしれないけど。あと、小山の茂みの中でごそごそやっている人がいた。邪魔したら悪いからよく観察しなかったけど、あれはなんだったんだろう。きっと気にするのは無粋。
あと、ウイーンと違ったのは、こっちは陰毛処理していない人がほとんどだった。ヌーディストだから自然派なのかな?
そうそう、それに、財布も浜辺に置いてある。だからウイーンのほうが安心して裸になれたかな。持ってきたのは現金ちょっとだけだったけど、服も財布も盗まれたらどうしようもない。
でも、やっぱり海にはいろんなものを押し流す力がある。何か聖なる洗礼を受けたというか、生まれ変わった感じがする。何も恐れるものがない気持ちになる。これから生きていくこともいつかは死ぬことも、自然と一体になった私は恐れることはないと。水着で邪魔されず、海水が私の全身を撫でる。頭からつま先まで。無限に広がる温泉のような素晴らしさ。それはとてもやさしくてあたたかい。来世とはこんな感じではないか。個我が消えて宇宙に包まれているのはきっとこんな安心感だ。そんな宗教的な気持ちまでも出てくる。裸になるって神聖。
とはいえ、十分も泳いでいたら普通にオーシャンビューの温泉で構わない気もしてきた。このあたりで私の全裸徘徊願望は収まってきたらしい。温泉では髪の毛を水につけたり、泳いだりはできないんだけれどね。でも、なんだかこうやって心から裸になるのは、信頼できる人の前でだけのほうがいい気がしてきた。
気が済んで、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。やり残したことを終えると、すっきりすると同時に、なぜあんなにこだわっていたのかがわからなくなる。
罪悪感とは少し違う。やる必要はなくなったかなという気持ち。もう少ししたら気分も落ち着いてくるだろう。これは再確認だ。これは自分にはもういらない要素だということの。別に外で裸にならなくても、普通に暮らしていけるという感じ。
やりたいことをすべてやってしまったという感覚が、おそらく次のステップに必要なんだ。
現に、帰宅してからは、以前は家では裸で運動していたのに、旅行から帰ったら普通に着た方がいいなって感じられるようになった。
なお、小山の右側と左側をつなぐ浜辺は人がぎっしりだった。歩いていくのがためらわれるくらい。たぶん8月のハイシーズンなのと、潮が満ちてきていたからだと思う。
バルセロナはこの時期は日没が21時だ。私がカタルーニャ広場を出たのが18時で、ビーチに着いたのが18時半くらい、脱いだのが19時、だいたい20時ちょっと前くらいまですっぽんぽんで過ごしてすっきりして帰った。服を着た人のいるところまで裸で歩いてシャワーを浴びる気にはならなかったから、軽くタオルで身体をふいてホテルでシャワーを浴びてご飯食べて寝た。
ってことで調べてみたで
https://note.com/entamenodendo/n/n3c6bb4c07205 の2021年映画興行収入ランキング上位100位以内から洋画とアニメを除外した
府中市内の五輪自転車コースにアスファルトが撒かれていた廉で会社員が逮捕された件で、報道が警察発表の素通しな為にミスリードされてる人が多いので説明したい。
報道はこれ
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210722/1000067668.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210722/1000067668.html
アスファルト舗装の為の建材の事を合材と呼ぶ。小石や砂とアスファルトを混ぜたもんである。石油精製塔で軽い方からLPG、ガソリン、灯油と抜いていって一番下に残ったのがドロドロのアスファルトだ。
冬にはカチカチだが真夏にはぐにゃぐにゃする、それ位のちょう度を持っている。屋根の防水には素のアスファルトを使うが、道路の舗装には砂と砕石を混ぜたものを使う。これが合材。
合材をそのまま撒いてロードローラーで固めても一応の舗装にはなるが非常に脆く直ぐにボロボロと崩れてきてしまう。だから舗装に使う合材は150度位のアチアチな状態にして現場に持って行く。
砂や砕石などの土木用資材を扱う卸業者を砂場と呼ぶが、アスファルトはこの加熱の要があるので専門の業者の扱いになる。砂場は結構あちこちにあるが、アスファルト屋は数が少ない。
合材は冷めたらいけないので直前まで取りに行けない。また持ってくるときもカバーをかけて冷めないようにする(量が多い場合は表面積/体積比が大きくなり冷めにくいので省略することもある。)
工事が終わらず通勤時間にずれ込むと渋滞の原因になり、工事許可を出す警察署に怒られるので前倒しの計画にする。つまり工事自体は3時とか5時に終わって合材待ちの状態にすることが多い。
この事件の場合、合材の散乱が見つかったのが明け方なのでばら撒きはその直前のやはり明け方だろう。
するとこれは通常の工事で合材を持ってくる時間である。なので意図的に撒いたとする可能性は低くなる。
日本で生活していて雨の日に車が跳ねた水被ったという経験がある人は居ないのではないか?少なくとも20年前からは無いと思われる。
また真夏の日にアスファルトがドロドロに溶けてしまったり、バス停で停車場所に出来た轍からバスが抜けられずに四苦八苦した事も見た事がないだろう。
雨の夜の運転で路面が光ってどこが車線だか全くわからんっていう経験も。
これは90年代の中ごろに合材の技術革新があり、浸透性舗装というのが開発され日本ではそれの採用例が増えてきた為なのである。
これを開発したのはアメリカの会社で水はけを良くするのが主目的だが多くの利点がついてきた、かなり画期的なものなのである。利点はこういう感じ。
路面に水が溜まらないので水撥ねもしない。雨が降ると従来型舗装では路面に水膜が張られ、それが対向車線のヘッドライトを反射するので車線がどうなっているのか判らず雨の夜の運転は危険だった。その危険も無くなった。
従来型舗装の上を車が走るとタイヤの水捌けの為の溝によりゴムの角が打ち付けられるのでゴーーというロードノイズが発生する。浸透性舗装では路面が穴だらけなのでそこに音が吸収され渋滞型と比べると無音に近いと言っていいほど静かだ。録音スタジオなどの吸音ボードに構造が似ているからだね。
従来型舗装が熱せられるとアスファルトのちょう度が下がり、砕石から遊離して表面の方に寄ってくる。この為酷暑では路面表面がドロドロ化するのが常態化しそこに重量のある車が止まると凹んでしまう。特に停止線前での轍が酷くバイク事故の原因になっていたりした。バス停では毎度同じ場所にバスの車輪が止まるので4か所が凹んでしまい、出発時にバスがそこから抜け出すのにシーソーのように何度も車体を揺するユーモラスな光景が良く見られた。浸透性舗装の技術評価では従来型に轍掘れ耐性は劣るとされているが、実際は酷暑のアスファルト緩みに起因する事が多いので段違いに浸透性の方が良い。
夏の日光も乱反射するから照り返しが穏やかだ。しかも路面の下の水分が蒸発する時の気化熱で路面温度も下がる。
摩擦表面はつるっぺたの方が表面積が高くてブレーキも理論的には良く効くのだが、実際はほこりや水など不安定要素が多く、浸透性舗装のように引っかかる角が連続するような構造の方が安定して制動力が得られる。
いい事ばかりだが欠点もあって
普通の合材はアスファルトと砂、砕石を混ぜただけだが、それでは浸透性のような雷おこし構造にならない。
そこでポリマーに水と乳化剤を吸わせ、それをアスファルトに混ぜて砕石にまぶすという方法で雷おこし構造を実現している。石同士が柔軟性のあるアスファルトで接着されているが、石同士が噛み合っているので転圧されても潰れないって状態だ。美味しんぼの銀五郎もこの構造真似すれば良かったね。
こんな特殊構造なのでかなり高額な上にホムセンなどには卸されていない。専門の卸業者からトン単位で買わなきゃならない。
道路は上から見るとアスファルト舗装しか見えないがその下には必ず50cm位の砕石層を入れなきゃならない。
一番下は砂でそれを転圧、その上に砕石を50cm入れて転圧、最後に合材を撒いて転圧だ。浸透性舗装では水が路面の下にじゃんじゃん行くので特にこの辺りをしっかりやっておかないと砂が流れて陥没してしまう。この辺もコスト高の原因だ。
https://www.asahi.com/articles/ASP7M6FXVP7MUTIL04W.html
見ると「豊島区の区道路整備課アホやろ」と思ってしまう。路面の下の砂が流れちゃってるのが原因なのだよ。それが路面下の施工不良のせいなのか水道管破損のせいなのかが問題。朝日の記者も突っ込めよ。
この合材を使ってるのは日本の他限られた国だけだから、外国に行った時には雨での路面水撥ねやスリップ、路面光りなんかは解消されていない事もあり注意が必要だ。雨の夜に特段の注意をしなくて済むのは日本他その合材採用した国だけなのだ。
合材の技術革新すげぇんよって事言いたくて長くなってしまったがNHKのこの映像の最後のシーンを見て欲しい。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210722/k10013153791000.html
落ちてる粒と歩道の舗装の粒が同じじゃないか?歩道の舗装は浸透性だ。対比として従来型舗装がこれだ。
故に撒かれた合材も浸透性合材である。浸透性合材はホムセンとかじゃ買えずに専門卸でホカホカのを買うしかないから五輪嫌がらせの為に撒いたという可能性は低くなる。
しかも道路工事で合材取りに行く時間だ。これは工事業者が誤って落としたのではないかという気しかしない。
ダンプは普通のトラックと違い後ろアオリが上ヒンジになっていて、下側にロックがある。そのロックをし忘れると下側からザラザラーと流れ落ちてしまう。それで落としたんじゃないか?
まず逮捕するには居場所が不定で逃亡や証拠隠滅の恐れがある時(罪状が重い場合も逃げる動機が大きくなるので加重評価される)に限られる。合材を道路に落とすと言うのはかなりの迷惑行為なのだが、それにしたって逮捕はないだろう。
この報道は「間違っている事を書いていないがミスリード」の典型だ。「アスファルトの粒が」となったら浸透性舗装合材だしそれは普通の人は買えない。そこは説明しないと視聴者の多数は判らない。未明に通行となったら道路工事で合材を取りに行く時間と重なる。これも説明なくば視聴者多数は判らない。
そこで「会社員が」と言われれば昼はスーツ着て働くリーマンが夜に撒いたってイメージになる。土木会社の作業員や運転手だって会社員だから間違ってはいないが視聴者の認識は間違いだ。
因みに植物油には植物性コレストロールが含まれるがこれは体内に吸収されずに排出されるのでコレストロール0と表記しても間違いではない。しかし全ての植物油はその故にコレストロール0なのでその表示を見て買う顧客は優良誤認している。
「間違っていないからミスリード起きててもヨシ!」みたいな報道は止めて欲しいもんである。それはまるで浸透性報道といった趣だ。浸透性舗装は優れているが浸透性報道は劣後なものだ。
最後にトリビアだが、昔のミシンや機械などは真っ黒の艶てか処理がされていたがこれにはアスファルトが使われていて「ジャパン/ジャパニング」と呼ばれていた。
チャイナが陶器でジャパンは漆器だったのでその延長で言われたのだが、アスファルトと日本は切っても切れない縁なのであった。そんな日本で足元のアスファルトに技術革新が起きてるのに気が付かないのはよろしくない。
「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」
窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟むねばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼めもさめるような、青宝玉サファイアと黄玉トパースの大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸とつレンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環わとができました。それがまただんだん横へ外それて、前のレンズの形を逆に繰くり返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡ねむっているように、しずかによこたわったのです。
「あれは、水の速さをはかる器械です。水も……。」鳥捕とりとりが云いかけたとき、
「切符を拝見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子ぼうしをかぶったせいの高い車掌しゃしょうが、いつかまっすぐに立っていて云いました。鳥捕りは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌はちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなた方のは?)というように、指をうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。
「さあ、」ジョバンニは困って、もじもじしていましたら、カムパネルラは、わけもないという風で、小さな鼠ねずみいろの切符を出しました。ジョバンニは、すっかりあわててしまって、もしか上着のポケットにでも、入っていたかとおもいながら、手を入れて見ましたら、何か大きな畳たたんだ紙きれにあたりました。こんなもの入っていたろうかと思って、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙でした。車掌が手を出しているもんですから何でも構わない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直って叮寧ていねいにそれを開いて見ていました。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしていましたし燈台看守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がしました。
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたずねました。
「何だかわかりません。」もう大丈夫だいじょうぶだと安心しながらジョバンニはそっちを見あげてくつくつ笑いました。
「よろしゅうございます。南十字サウザンクロスへ着きますのは、次の第三時ころになります。」車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。
カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草からくさのような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込こまれてしまうような気がするのでした。すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いました。
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想げんそう第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈はずでさあ、あなた方大したもんですね。」
「何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えながらそれを又また畳んでかくしに入れました。そしてきまりが悪いのでカムパネルラと二人、また窓の外をながめていましたが、その鳥捕りの時々大したもんだというようにちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。
「もうじき鷲わしの停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較みくらべて云いました。
ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸さいわいになるなら自分があの光る天の川の河原かわらに立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙だまっていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊きこうとして、それではあんまり出し抜ぬけだから、どうしようかと考えて振ふり返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚あみだなの上には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度したくをしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖とがった帽子も見えませんでした。
「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやりそう云っていました。
「どこへ行ったろう。一体どこでまたあうのだろう。僕ぼくはどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。」
「ああ、僕もそう思っているよ。」
「僕はあの人が邪魔じゃまなような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。
「何だか苹果りんごの匂においがする。僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」カムパネルラが不思議そうにあたりを見まわしました。
「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨のいばらの匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思いました。
そしたら俄にわかにそこに、つやつやした黒い髪かみの六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたような顔をしてがたがたふるえてはだしで立っていました。隣となりには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹ふかれているけやきの木のような姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立っていました。
「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛かあいらしい女の子が黒い外套がいとうを着て青年の腕うでにすがって不思議そうに窓の外を見ているのでした。
「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神さまに召めされているのです。」黒服の青年はよろこびにかがやいてその女の子に云いいました。けれどもなぜかまた額に深く皺しわを刻んで、それに大へんつかれているらしく、無理に笑いながら男の子をジョバンニのとなりに座すわらせました。
それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。女の子はすなおにそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。
「ぼくおおねえさんのとこへ行くんだよう。」腰掛こしかけたばかりの男の子は顔を変にして燈台看守の向うの席に座ったばかりの青年に云いました。青年は何とも云えず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれてぬれた頭を見ました。女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまいました。
「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなに永く待っていらっしゃったでしょう。わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにわとこのやぶをまわってあそんでいるだろうかと考えたりほんとうに待って心配していらっしゃるんですから、早く行っておっかさんにお目にかかりましょうね。」
「うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ。」
「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あすこはあの夏中、ツインクル、ツインクル、リトル、スター をうたってやすむとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています。」
泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。青年は教えるようにそっと姉弟にまた云いました。
「わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。そこならもうほんとうに明るくて匂がよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代りにボートへ乗れた人たちは、きっとみんな助けられて、心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう。」青年は男の子のぬれたような黒い髪をなで、みんなを慰なぐさめながら、自分もだんだん顔いろがかがやいて来ました。
「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか。」さっきの燈台看守がやっと少しわかったように青年にたずねました。青年はかすかにわらいました。
「いえ、氷山にぶっつかって船が沈しずみましてね、わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発たったのです。私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日きのうのあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾かたむきもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧きりが非常に深かったのです。ところがボートは左舷さげんの方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫さけびました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈いのって呉くれました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押おしのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気きょうきのようにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももう腸はらわたもちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟かくごしてこの人たち二人を抱だいて、浮うかべるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。誰たれが投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑すべってずうっと向うへ行ってしまいました。私は一生けん命で甲板かんぱんの格子こうしになったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからともなく〔約二字分空白〕番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。そのとき俄にわかに大きな音がして私たちは水に落ちもう渦うずに入ったと思いながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一昨年没なくなられました。ええボートはきっと助かったにちがいありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕こいですばやく船からはなれていましたから。」
そこらから小さないのりの声が聞えジョバンニもカムパネルラもいままで忘れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼めが熱くなりました。
(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍こおりつく潮水や、烈はげしい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込こんでしまいました。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠とうげの上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」
燈台守がなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」
青年が祈るようにそう答えました。
そしてあの姉弟きょうだいはもうつかれてめいめいぐったり席によりかかって睡ねむっていました。さっきのあのはだしだった足にはいつか白い柔やわらかな靴くつをはいていたのです。
ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光りんこうの川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈げんとうのようでした。百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう、そこからかまたはもっと向うからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のろしのようなものが、かわるがわるきれいな桔梗ききょういろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗きれいな風は、ばらの匂においでいっぱいでした。
「いかがですか。こういう苹果りんごはおはじめてでしょう。」向うの席の燈台看守がいつか黄金きんと紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝ひざの上にかかえていました。
「おや、どっから来たのですか。立派ですねえ。ここらではこんな苹果ができるのですか。」青年はほんとうにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかかえられた一もりの苹果を眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れてながめていました。
「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」
「さあ、向うの坊ぼっちゃんがた。いかがですか。おとり下さい。」
ジョバンニは坊ちゃんといわれたのですこししゃくにさわってだまっていましたがカムパネルラは
「ありがとう、」と云いました。すると青年は自分でとって一つずつ二人に送ってよこしましたのでジョバンニも立ってありがとうと云いました。
燈台看守はやっと両腕りょううでがあいたのでこんどは自分で一つずつ睡っている姉弟の膝にそっと置きました。
「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は。」
青年はつくづく見ながら云いました。
「この辺ではもちろん農業はいたしますけれども大ていひとりでにいいものができるような約束やくそくになって居おります。農業だってそんなに骨は折れはしません。たいてい自分の望む種子たねさえ播まけばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィック辺のように殻からもないし十倍も大きくて匂もいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです。」
「ああぼくいまお母さんの夢ゆめをみていたよ。お母さんがね立派な戸棚とだなや本のあるとこに居てね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか云ったら眼がさめちゃった。ああここさっきの汽車のなかだねえ。」
「その苹果りんごがそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。」青年が云いました。
「ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。」
姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。男の子はまるでパイを喰たべるようにもうそれを喰べていました、また折角せっかく剥むいたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜ぬきのような形になって床ゆかへ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのでした。
川下の向う岸に青く茂しげった大きな林が見え、その枝えだには熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな音いろが、とけるように浸しみるように風につれて流れて来るのでした。
だまってその譜ふを聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蝋ろうのような露つゆが太陽の面を擦かすめて行くように思われました。
「まあ、あの烏からす。」カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子が叫びました。
「からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何気なく叱しかるように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく河原かわらの青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光びこうを受けているのでした。
「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」青年はとりなすように云いました。
向うの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方からあの聞きなれた〔約二字分空白〕番の讃美歌さんびかのふしが聞えてきました。よほどの人数で合唱しているらしいのでした。青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きそうにしましたが思いかえしてまた座すわりました。かおる子はハンケチを顔にあててしまいました。ジョバンニまで何だか鼻が変になりました。けれどもいつともなく誰たれともなくその歌は歌い出されだんだんはっきり強くなりました。思わずジョバンニもカムパネルラも一緒いっしょにうたい出したのです。
そして青い橄欖かんらんの森が見えない天の川の向うにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまいそこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひびきや風の音にすり耗へらされてずうっとかすかになりました。
「あ孔雀くじゃくが居るよ。」
「ええたくさん居たわ。」女の子がこたえました。
ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげたりとじたりする光の反射を見ました。
「そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラがかおる子に云いいました。
「ええ、三十疋ぴきぐらいはたしかに居たわ。ハープのように聞えたのはみんな孔雀よ。」女の子が答えました。ジョバンニは俄にわかに何とも云えずかなしい気がして思わず
「カムパネルラ、ここからはねおりて遊んで行こうよ。」とこわい顔をして云おうとしたくらいでした。
川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人の寛ゆるい服を着て赤い帽子ぼうしをかぶった男が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号しているのでした。ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたが俄かに赤旗をおろしてうしろにかくすようにし青い旗を高く高くあげてまるでオーケストラの指揮者のように烈はげしく振ふりました。すると空中にざあっと雨のような音がして何かまっくらなものがいくかたまりもいくかたまりも鉄砲丸てっぽうだまのように川の向うの方へ飛んで行くのでした。ジョバンニは思わず窓からからだを半分出してそっちを見あげました。美しい美しい桔梗ききょういろのがらんとした空の下を実に何万という小さな鳥どもが幾組いくくみも幾組もめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。
「鳥が飛んで行くな。」ジョバンニが窓の外で云いました。
「どら、」カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるい服の男は俄かに赤い旗をあげて狂気きょうきのようにふりうごかしました。するとぴたっと鳥の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんという潰つぶれたような音が川下の方で起ってそれからしばらくしいんとしました。と思ったらあの赤帽の信号手がまた青い旗をふって叫さけんでいたのです。
「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはっきり聞えました。それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたのです。二人の顔を出しているまん中の窓からあの女の子が顔を出して美しい頬ほほをかがやかせながらそらを仰あおぎました。
「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。」女の子はジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニは生意気ないやだいと思いながらだまって口をむすんでそらを見あげていました。女の子は小さくほっと息をしてだまって席へ戻もどりました。カムパネルラが気の毒そうに窓から顔を引っ込こめて地図を見ていました。
「あの人鳥へ教えてるんでしょうか。」女の子がそっとカムパネルラにたずねました。
「わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからかのろしがあがるためでしょう。」カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。そして車の中はしぃんとなりました。ジョバンニはもう頭を引っ込めたかったのですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかったのでだまってこらえてそのまま立って口笛くちぶえを吹ふいていました。
(どうして僕ぼくはこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。)ジョバンニは熱ほてって痛いあたまを両手で押おさえるようにしてそっちの方を見ました。(あ Permalink | 記事への反応(0) | 22:20
「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」
いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、急せきこんで云いいました。
ジョバンニは、
(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える橙だいだいいろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった。)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。
「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸さいわいになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえているようでした。
「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」ジョバンニはびっくりして叫さけびました。
「ぼくわからない。けれども、誰たれだって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」カムパネルラは、なにかほんとうに決心しているように見えました。
俄にわかに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛石こんごうせきや草の露つゆやあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床かわどこの上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の射さした一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるような、白い十字架じゅうじかがたって、それはもう凍こおった北極の雲で鋳いたといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。
「ハルレヤ、ハルレヤ。」前からもうしろからも声が起りました。ふりかえって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶すいしょうの珠数じゅずをかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈いのっているのでした。思わず二人もまっすぐに立ちあがりました。カムパネルラの頬ほほは、まるで熟した苹果りんごのあかしのようにうつくしくかがやいて見えました。
そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつって行きました。
向う岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火きつねびのように思われました。
それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列でさえぎられ、白鳥の島は、二度ばかり、うしろの方に見えましたが、じきもうずうっと遠く小さく、絵のようになってしまい、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいました。ジョバンニのうしろには、いつから乗っていたのか、せいの高い、黒いかつぎをしたカトリック風の尼あまさんが、まん円な緑の瞳ひとみを、じっとまっすぐに落して、まだ何かことばか声かが、そっちから伝わって来るのを、虔つつしんで聞いているというように見えました。旅人たちはしずかに席に戻もどり、二人も胸いっぱいのかなしみに似た新らしい気持ちを、何気なくちがった語ことばで、そっと談はなし合ったのです。
「ああ、十一時かっきりには着くんだよ。」
早くも、シグナルの緑の燈あかりと、ぼんやり白い柱とが、ちらっと窓のそとを過ぎ、それから硫黄いおうのほのおのようなくらいぼんやりした転てつ機の前のあかりが窓の下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、間もなくプラットホームの一列の電燈が、うつくしく規則正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまりました。
さわやかな秋の時計の盤面ダイアルには、青く灼やかれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなってしまいました。
〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。
「ぼくたちも降りて見ようか。」ジョバンニが云いました。
「降りよう。」
二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口かいさつぐちへかけて行きました。ところが改札口には、明るい紫むらさきがかった電燈が、一つ点ついているばかり、誰たれも居ませんでした。そこら中を見ても、駅長や赤帽あかぼうらしい人の、影かげもなかったのです。
二人は、停車場の前の、水晶細工のように見える銀杏いちょうの木に囲まれた、小さな広場に出ました。そこから幅はばの広いみちが、まっすぐに銀河の青光の中へ通っていました。
さきに降りた人たちは、もうどこへ行ったか一人も見えませんでした。二人がその白い道を、肩かたをならべて行きますと、二人の影は、ちょうど四方に窓のある室へやの中の、二本の柱の影のように、また二つの車輪の輻やのように幾本いくほんも幾本も四方へ出るのでした。そして間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原かわらに来ました。
カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌てのひらにひろげ、指できしきしさせながら、夢ゆめのように云っているのでした。
「そうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。
河原の礫こいしは、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉トパースや、またくしゃくしゃの皺曲しゅうきょくをあらわしたのや、また稜かどから霧きりのような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚なぎさに行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮ういたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光りんこうをあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。
川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えている崖がけの下に、白い岩が、まるで運動場のように平らに川に沿って出ているのでした。そこに小さな五六人の人かげが、何か掘ほり出すか埋めるかしているらしく、立ったり屈かがんだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。
「行ってみよう。」二人は、まるで一度に叫んで、そっちの方へ走りました。その白い岩になった処ところの入口に、
〔プリオシン海岸〕という、瀬戸物せともののつるつるした標札が立って、向うの渚には、ところどころ、細い鉄の欄干らんかんも植えられ、木製のきれいなベンチも置いてありました。
「おや、変なものがあるよ。」カムパネルラが、不思議そうに立ちどまって、岩から黒い細長いさきの尖とがったくるみの実のようなものをひろいました。
「くるみの実だよ。そら、沢山たくさんある。流れて来たんじゃない。岩の中に入ってるんだ。」
「大きいね、このくるみ、倍あるね。こいつはすこしもいたんでない。」
「早くあすこへ行って見よう。きっと何か掘ってるから。」
二人は、ぎざぎざの黒いくるみの実を持ちながら、またさっきの方へ近よって行きました。左手の渚には、波がやさしい稲妻いなずまのように燃えて寄せ、右手の崖には、いちめん銀や貝殻かいがらでこさえたようなすすきの穂ほがゆれたのです。
だんだん近付いて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴ながぐつをはいた学者らしい人が、手帳に何かせわしそうに書きつけながら、鶴嘴つるはしをふりあげたり、スコープをつかったりしている、三人の助手らしい人たちに夢中むちゅうでいろいろ指図をしていました。
「そこのその突起とっきを壊こわさないように。スコープを使いたまえ、スコープを。おっと、も少し遠くから掘って。いけない、いけない。なぜそんな乱暴をするんだ。」
見ると、その白い柔やわらかな岩の中から、大きな大きな青じろい獣けものの骨が、横に倒たおれて潰つぶれたという風になって、半分以上掘り出されていました。そして気をつけて見ると、そこらには、蹄ひづめの二つある足跡あしあとのついた岩が、四角に十ばかり、きれいに切り取られて番号がつけられてありました。
「君たちは参観かね。」その大学士らしい人が、眼鏡めがねをきらっとさせて、こっちを見て話しかけました。
「くるみが沢山あったろう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだよ。ごく新らしい方さ。ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、この下からは貝がらも出る。いま川の流れているとこに、そっくり塩水が寄せたり引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこつるはしはよしたまえ。ていねいに鑿のみでやってくれたまえ。ボスといってね、いまの牛の先祖で、昔むかしはたくさん居たさ。」
「標本にするんですか。」
「いや、証明するに要いるんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたという証拠しょうこもいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。けれども、おいおい。そこもスコープではいけない。そのすぐ下に肋骨ろっこつが埋もれてる筈はずじゃないか。」大学士はあわてて走って行きました。
「もう時間だよ。行こう。」カムパネルラが地図と腕時計うでどけいとをくらべながら云いました。
「ああ、ではわたくしどもは失礼いたします。」ジョバンニは、ていねいに大学士におじぎしました。
「そうですか。いや、さよなら。」大学士は、また忙いそがしそうに、あちこち歩きまわって監督かんとくをはじめました。二人は、その白い岩の上を、一生けん命汽車におくれないように走りました。そしてほんとうに、風のように走れたのです。息も切れず膝ひざもあつくなりませんでした。
こんなにしてかけるなら、もう世界中だってかけれると、ジョバンニは思いました。
そして二人は、前のあの河原を通り、改札口の電燈がだんだん大きくなって、間もなく二人は、もとの車室の席に座すわって、いま行って来た方を、窓から見ていました。
五、天気輪てんきりんの柱
牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平らな頂上は、北の大熊星おおぐまぼしの下に、ぼんやりふだんよりも低く連って見えました。
ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行きました。まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜からすうりのあかりのようだとも思いました。
そのまっ黒な、松や楢ならの林を越こえると、俄にわかにがらんと空がひらけて、天あまの川がわがしらしらと南から北へ亘わたっているのが見え、また頂いただきの、天気輪の柱も見わけられたのでした。つりがねそうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢ゆめの中からでも薫かおりだしたというように咲き、鳥が一疋ぴき、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。
ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。
町の灯は、暗やみの中をまるで海の底のお宮のけしきのようにともり、子供らの歌う声や口笛、きれぎれの叫さけび声もかすかに聞えて来るのでした。風が遠くで鳴り、丘の草もしずかにそよぎ、ジョバンニの汗あせでぬれたシャツもつめたく冷されました。ジョバンニは町のはずれから遠く黒くひろがった野原を見わたしました。
そこから汽車の音が聞えてきました。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果りんごを剥むいたり、わらったり、いろいろな風にしていると考えますと、ジョバンニは、もう何とも云えずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。
あああの白いそらの帯がみんな星だというぞ。
ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の云ったような、がらんとした冷いとこだとは思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のように考えられて仕方なかったのです。そしてジョバンニは青い琴ことの星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬またたき、脚が何べんも出たり引っ込こんだりして、とうとう蕈きのこのように長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。
そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍ほたるのように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃こい鋼青こうせいのそらの野原にたちました。いま新らしく灼やいたばかりの青い鋼はがねの板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。
するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云いう声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊ほたるいかの火を一ぺんに化石させて、そら中に沈しずめたという工合ぐあい、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫とれないふりをして、かくして置いた金剛石こんごうせきを、誰たれかがいきなりひっくりかえして、ばら撒まいたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦こすってしまいました。
気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座すわっていたのです。車室の中は、青い天蚕絨びろうどを張った腰掛こしかけが、まるでがら明きで、向うの鼠ねずみいろのワニスを塗った壁かべには、真鍮しんちゅうの大きなぼたんが二つ光っているのでした。
すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供が、窓から頭を出して外を見ているのに気が付きました。そしてそのこどもの肩かたのあたりが、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくて、たまらなくなりました。いきなりこっちも窓から顔を出そうとしたとき、俄かにその子供が頭を引っ込めて、こっちを見ました。
それはカムパネルラだったのです。
ジョバンニが、カムパネルラ、きみは前からここに居たのと云おうと思ったとき、カムパネルラが
「みんなはねずいぶん走ったけれども遅おくれてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」と云いました。
ジョバンニは、(そうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそって出掛けたのだ。)とおもいながら、
「どこかで待っていようか」と云いました。するとカムパネルラは
「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎むかいにきたんだ。」
カムパネルラは、なぜかそう云いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうでした。するとジョバンニも、なんだかどこかに、何か忘れたものがあるというような、おかしな気持ちがしてだまってしまいました。
ところがカムパネルラは、窓から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直って、勢いきおいよく云いました。
「ああしまった。ぼく、水筒すいとうを忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれど構わない。もうじき白鳥の停車場だから。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川の遠くを飛んでいたって、ぼくはきっと見える。」そして、カムパネルラは、円い板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。まったくその中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは、夜のようにまっ黒な盤ばんの上に、一一の停車場や三角標さんかくひょう、泉水や森が、青や橙だいだいや緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。
「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ。」
ジョバンニが云いました。
「ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。いまぼくたちの居るとこ、ここだろう。」
ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指さしました。
「そうだ。おや、あの河原かわらは月夜だろうか。」
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快ゆかいになって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛くちぶえを吹ふきながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼めの加減か、ちらちら紫むらさきいろのこまかな波をたてたり、虹にじのようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光りんこうの三角標が、うつくしく立っていたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、或あるいは三角形、或いは四辺形、あるいは電いなずまや鎖くさりの形、さまざまにならんで、野原いっぱい光っているのでした。ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振ふりました。するとほんとうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかがやく三角標も、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたり顫ふるえたりしました。
「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。」ジョバンニは云いました。
「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云いました。
ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光びこうの中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。
「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」カムパネルラが、窓の外を指さして云いました。
線路のへりになったみじかい芝草しばくさの中に、月長石ででも刻きざまれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いていました。
「ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか。」ジョバンニは胸を躍おどらせて云いました。
カムパネルラが、そう云ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの花が、いっぱいに光って過ぎて行きました。
と思ったら、もう次から次から、たくさんのきいろな底をもったりんどうの花のコップが、湧わくように、雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです。
俺は関西弁じゃないぞパンティーとは何事だパンティー!!語尾にパンティーはやめて欲しいって何度も言ってるパンティー!!
パンティー弁って何だパンティー?パンティー地方でよく使われるパンティー訛りの事かパンティー?馬鹿にしてんのかパンティー !!そんな地方はないパンティー!!パンティー訛りなどもないパンティー!!ふるさとのなまりなつかし停車場のパンティー 、ひとごみのなかにそを聞きにいくのかよパンティー !!!そんなもんねえよパンティー !!いい加減にしなさいパンティー!!
語尾にパンティーをつけるのは意味が分からないからやめてくれと何度も何度もお願いしてるだろパンティー!そのとってつけたようなパンティーキャラ(パンティーキャラって何だパンティー?)を今すぐやめるパンティー!パンティーを語尾につけてはならないパンティー!パンティー弁かパンティー?パンティー弁って何なんだパンティー?パンティー地方で古くから使われている土着のパンティー言葉かパンティー?そんなものは無いパンティー!!あってたまるかよパンティー!そもそもパンティー地方は一体どこにあるんだパンティー?パンティー弁もパンティー地方も、そんなもの存在しないパンティー!!少なくともパンティー弁があるとしたらそれは語尾にパンティーをつけて喋るという事であっては断じてならないパンティー!いいかパンティー!その、語尾に、パンティーを被せるのを、今すぐにやめなさいパンティー!!
もう忘れたのなら過去の、パンティー弁のようのものは特にないという指摘をもう一度コピぺするパンティー!!!
語尾にパンティーは意味が分からないからやめて欲しいって言われたら普通は語尾をおちんちんにするパンティー!!何度も言ってきましたがまたいいますねパンティー!語尾にパンティーを被せようとするのをやめてくださいパンティー!
延々と続く2本のレールには力強い鼓動がある。このレールは、知らない町と町をしっかり結びつけ、多くの人々を運んでいる。
しかし、その役割は、「人を運ぶ」ことだけではないのだ。単に「国鉄は人間と荷物を運ぶだけ」なんて考える人には、決して力強い国鉄の鼓動は伝わってこないだろう。
鉄道を愛し、多くの鉄道知識を持っている人でも、本当にこの鼓動をはだで感じたことは少ないはずだ。
確かに鉄道は知識として知れば知るほど楽しいことが出てくるだろう。
でも、「20,000㎞にチャレンジする」……それは、すばらしさの再発見につながっているのだ。知識から体験へ。今、その鼓動を求めて、未来に続く2本のレールにチャレンジしてみよう。
終わることのないロマン、それが列車の旅だ。部屋にじっとこもっていては、自分の心にカビが生えるだけ。部屋の窓から見えるいつもの風景は、ただ立ち止まり、決してなにも話しかけてはこない。とにかく出会いを求めて旅に出る。
ひょっとすると列車の座席に隣り合わせたことから何かが生まれるかもしれない。ある日見たり、聞いたりするもののすべてが出会いなのだ。
たとえば、車窓にそよぐ風の音、新鮮な潮の香り。これほどすばらしいものはないのではないか。
こんな新しい自然な出会いが旅と鉄道の心につながっていく。そんな時、心は少しもひからびていず、いつもいきいきしているのだ。
チャレンジとは、自分で考え、自分で動く、自分自身のための行動といえる。この精神こそ、スポーツと呼ぶにふさわしいものだ。
列車の旅には、楽しさとロマンがある。その上踏破をめざすチャレンジャーにはスポーツという楽しさがプラスされるのだ。
時にはマラソンのように、そして100m競争のように踏破の旅はチャレンジの楽しさを教えてくれる。
踏破ルートは3,000m障害や10種競技と同様に、バラエティに富んでいる。ルートの選択も実行するのもチャレンジャー自身だ。
チャレンジャーは、それぞれの方法で完全踏破への道を切り開いていくことに心を燃やしているのだ。
そこには、自分自身の問題として果たさなければならいことがある。
責任ある行動、多くの義務、これらをすべて実行したチャレンジャーのみが誇り高き名誉を獲得できるのだ。
いわば、人生のドラマがそこにある。よりすばらしいものを手にしたチャレンジャーには限りない自由と可能性があたえられているのだ。
チャレンジしていくと、各自それぞれのスタイルが生まれてくる。
列車待ちのホームで洒落た服装に身を包み、小首をかしげて詩集をひろげているちょっと気どった人。
おもしろいことを探しに出かける娯楽追求派の人などいろいろだ。
どんなスタイルの人でもチャレンジすることの中に、何かを見出しているのだ。
体験という言葉のまえには、どんな耳学問も色あせてしまうように、チャレンジする中で、自分のスタイルを作り出してみよう。
"停車場に、そを聴きに行く"と啄木がうたったように駅にはさまざまの土地から人々が集まり、またさまざまな土地へと旅立っていく。
始発駅…駅員さんに何か尋ねている人がいる。売店でお土産を買っている人。家族連れ。新婚さん。そして、カメラ片手に20,000㎞にチャレンジする人。通りがかりの人に頼んで、自分と駅名表示板が一緒に写るようにシャッターを切ってもらう。これで始発駅の証明写真ができたわけだ。
ふと、駅の大きな時計を見あげる。発車案内表示板がカチャリと変って、次の列車案内を示す。やがて、駅のアナウンスが構内に響きわたる。こうしてチャレンジの旅が始まる。
日本中には、いったい何本の列車が走っているのだろうか。もし、そのすべてに乗ることができたなら、これはすばらしいことだ。時刻表をうめつくす駅名のひとつひとつが語りかけてくるにちがいない。
手に握られた1枚のキップには、いま通りすぎてきた駅の余韻が残っている。改札口でキップにパンチが入れられた時から、自分だけの旅の世界が大きく広がっていくのだ。この瞬間の心のときめきこそチャレンジャーに贈られるファンファーレなのだ。
EL、DL、EC、DC、そしてSL。特急の場合もあるし、急行、普通列車の場合もあるだろう。旅は始まり、心がはずんでいく。流れ変わっていく車窓風景。春なら満開の山桜のトンネルをくぐり、夏はふりしきる蝉時雨の中を、秋は祭りのお囃子の響き、冬は凍てつく空気の中をひたすらに列車は走る。車窓に黄昏が迫り、黄昏は夜をひきつれてくる。寝台車でからだをやすめて聞くレールの音はなつかしい旅の子守唄だ。
日本列島を東西に長く走ったり、日本海と太平洋を結んだり、1線区1線区がつながり日本中を網羅していく。
いかにも郷土色(おくにがら)をあらわしていたいう楽しい線区名もあれば、少々読むのに骨が折れる難読名の線区もある。
こういう線区名がどうしてついたのかを考えてみるのも頭の体操になるだろう。走る場所や列車の種類で線区ごとの印象も、まったくちがってくる。
それらをひとつひとつ味わいながら踏破するのも楽しみのひとつだ。
駅にはいろいろな趣がある。その中でも、終着駅は、心ときめくムードを持っている。大都会の終着駅、ひなびた寒村をひかえた終着駅、高原の終着駅など、それぞれの良さがある。
しかし、どの終着駅も、どこかしら似た雰囲気をもっている。そこから先は、列車が行かないという、キッパリとしたいさぎよさと寂しさが待っているのだ。終着駅の長いホームを口笛をふきながら大股にしかもゆっくりと歩いてみる。改札口で駅名表示板にもたれながら、通りがかった人に写真を撮ってもらい駅を出る。1線区が無事踏破し終ったのだ。
色鉛筆で踏破した線区を塗りつぶす。チャレンジャーの心ときめく一瞬なのだ。
どの線区でもいいから、始発駅~終着駅まで、列車に乗ろう。けれども、踏破認定を受けるには、乗車(踏破)したという証明が必要になる。それが始発駅と終着駅の写真だ。写真と会員申込書などを"いい旅チャレンジ20,000㎞。推進協議会"事務局宛に送る。そうすれば、事務局からチャレンジカードが送られてくる。これでチャレンジの
「いちはらアート×ミックス 2017」ってイベントがやっていると聞いて千葉県の市原市に行ってきた。
内房線五井駅で小湊鐵道に乗換えも、たまたま乗合せた便は上総牛久駅までで終点。折りよくトロッコ列車と時間が繋がったので、蒸気機関車に初乗車してきた。
汽笛が鳴り、ゴトゴトと走り出す。でも速度は大人の駆け足ほど。青空から注ぐ陽光や風を感じながらぼんやり里山を眺める。
田圃の畦道でキジが声上げて縄張りアピールするそばから鴨が空気読まずにザブーンとダイブをかましたり、それをダイサギがポーカーフェイスで見ていたり。
農作業中の婆ちゃんや部屋着のおっちゃん、散歩中の母子連れが沿線でめっちゃニコニコしながら手を振ってくる。俺ってこんなに人気あったっけ、ああ、汽車だからか、子供も乗ってるしな、って思いながら、悪い気はしない。そこへ、オルゴールの音色とともに停車場のアナウンス。オルゴールってなんだか異世界の音色だよね、このシチュエーションだと、まるであの世に連れてかれていくみたいに感じるね。彼女がいたら絶対そんな寒いことを呟いていたと思う。
廃校やら湖畔やらの会場を散策し、肝心のアートもたくさん巡ってきた。なんというか、アーティストさんもスタッフさんたちもまったりとしてて距離が近かった。何よりも、子供たちがやたら伸び伸びと楽しんでた。
なんだか、地域まるごとピクニックって感じだったし、これがあの世ならまあいいんじゃないかと思った。
間もなく連休は終わっちゃうけど、東京近郊在住、近場で家族サービスしたい向きにはぜひお勧め。期間中は最寄り駅から各会場へ、市営バスが無料運行も行っている。
増田おなじみのウンコネタだが、私はスカトロジーニアスでは無い。いやあ「スカトロジー」と「ジーニアス」ついでに「アス」まで入れるとは・・自分の文才に惚れ惚れするね
これでもね、2年前は全くもって何も書けなかった
で、ちょっと時間があったのでママンのプロバイダがタダでブログ作れるサービスがあったので、ママンのアカウントでブログ書き出したの
最初は、天気がいいだの・・天ぷらがおいしかっただの・・誰も読まないクソのようなブログでした
今となっては黒歴史なので加筆修正できるのがブログの良いところ
本?読みません、たまに買ったのが「サラリーマン山崎シゲル」
でも
古い記憶である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だということを記憶している
どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる御宮がおおぜいいた中に
越後の春日を経て今津に出る道を、珍しい旅人の一群れが歩いている
日陰になった坂に添うて、岸本捨吉は品川の停車場手前から高輪へ通う抜け道を上って行った
こんな感じだろうか?