はてなキーワード: 水晶とは
母親はある時を境に、怪しい水晶とか絵みたいなものを良く買って帰ってくるようになった。
スピリチュアルやカルトの類ではあるようだが、統一教会ではない。
とても「気」に良い水やら幸せになれる塩やらは家庭の料理に混ざっていたこともあった。
ヒーリングとやらの実験台にされた事も日常茶飯事だった。何が効いてるのかさっぱりだったが、プラセボに騙されやすい兄弟は引っかかっていた。
「西洋医学なんて悪魔!ヒーリングこそ正義」という母の思想の元、幼少期は病院に行くことが出来なかった。唯一許可されていたのもいかにも自然派()の医者だった。
末の弟の受験期には合格祈祷だとかいって、怪しげなお札に弟の名前を書いていた。横目で見ていて気持ちが悪いと思った。
ちなみにその後弟は受験に落ちている。そのことはすっかり無かった事にしている。クソすぎ。
専業主婦なので父の稼ぎからスピリチュアルに課金してたと思うと本当にクソだが、それでも生活の苦しみに反映されるほどではなかった。
振り返ってみれば具体的な被害が多かった訳でもない。ある程度精神的DVに相当する事はあっても、ほとんどは気持ちの悪い事を言うおばさんとして処理できる範囲だ。
昔の優しかった母はいなくなってしまった。呆れて何も言わない父との家庭は冷めきっている。増田は大人になって自立し、生みの母と口を利かなくなった。
それだけだ。
それでも自分は、誰かも知らぬ「最初に母親を唆した人間」をひどく恨んでいる。
母親に色々吹き込んだ人間も、そいつに繋いだかもしれない人間も、何かを売った人間、それを作った人間…………辿って恨んでいたらキリがない。
では、もっと自分の人生が直接破壊されるような状態だったら?と思うと、つい考えてしまう。その恨みがどれだけ膨れ上がるかを。
安倍さんが撃たれたこの事件は絶対的な悪で許してはならない思うし、ニュースを最初に見た時は思わず涙してしまいそうなぐらい心が苦しかった。
助かってくれ、助かってくれ……と祈り、死去の速報。「悲しい」では表現できない喪失感があった。
安倍さんの知り合いでもない一国民ですらこうだ。家族や密接な関係にあった人達の心情は計り知れない。
でもこれを機にカルトの規制や政教分離が進んだりと事態が好転したりしたら、自分は安倍さんが撃たれたことをどこか内心結果論としては喜んでしまうかもしれない。
人としてどうかしている、自分が。
初報でアベガーが因果応報だって喜んでるのを見て反吐が出ると思ったのに、これでは自分も同じではないか。
さらに言えばこれが撃たれたのが安倍さんじゃなくて統一教会の会長だったら手放しで喜んでたかもしれない自分が悲しい。人一人の命、人殺しなのは同じなのに。
本格インドカレー屋で父の誕生日祝いをする予定だったのだが、調理師の家でコロナが出たため営業を自粛することにしたそうだ。数日前にそんな電話が来た。残念だがしかたない。
ところで、ドタキャンになったお詫びに、営業を再開したら本来予約を受け付けていない昼でも、名前を言えば席を開けておいてくれるとのこと。次の機会を楽しみにしよう。ただ、家族の予定が合うのがいつになるかがわからない。
この日は妹とケーキを作り、NHKで古代ローマの特集をのんびりと眺め、桃鉄をやった。古代ローマの番組で特に面白かったのは、壁の厚さから建築物の高さが推測できるということだ。ところで、桃鉄は負けているゲームでいかに挽回するかがこのゲームの楽しみの一つである。
相手の体調が悪くてデートできなかったため、代わりに上野のポンペイ展に行く。ポンペイ展は何年も前にbunkamuraや森ビルでやっていたときに足を運んだが、今回はモザイク画に焦点が当たっている。ここで著名なアレクサンドロス大王のモザイクもポンペイのものだと初めて知った。ジョジョ5部で有名な猛犬注意のモザイク喪服性が床に展示されていた。
ここでは大学生くらいの女性二人連れが、柱に顔と陰茎だけをつけた彫刻を見つけて楽しそうにしていた。いわゆるギリシアのヘルメス柱像なので、宗教的な意味を持つ由緒あるものなのだが、さらし者にしか見えないと笑っていた。女性といえば、当時の女性の地位についての説明も十年前と比べて増えてきた。
他にもやたらと痛そうな産婦人科の医療器具や瑪瑙の指輪もあったが、当時の加工技術の高さがよくわかる。
そうそう、美術館に行く前に、久しぶりにエキナカのカレー屋に寄ったのだが、残念ながらこの店はインディカ米でないことを忘れたまま何ではなくライスを頼んでしまったので、ジャポニカ米が出てきたときにはがっかりした。上野ではビリヤニを頼まないとインディカ米にならない。これが品川の支店と違うところだ。
ここ数日はWORDLEというゲームをやっている。五文字の英単語を当てる遊びで、一致する文字があるか、その位置が合っているかをヒントにして、六回以内に当てる。該当する文字が含まれていれば黄色、位置も正しければ緑で表示されるのだが、これが意外と厄介だ。一度など、含まれる文字はわかったのに単語がどうしてもわからないことがあった。CELEUが含まれていることがわかったので、CRUELかと思ったがどうしてもわからず、母音と子音の並びから適当に当てはめて適当に作った単語UCLERが正解だった。あとで調べると「潰瘍」という意味らしい。
この日は便秘薬をもらいに内科に行った。医師に「長々と酸化マグネシウムを処方してもらっているが、悪影響はないか」と尋ねたが「よほど腎臓が悪くなければ大丈夫」と太鼓判を押された。また、「近頃猛烈に臭いおならが止まらないのはタンパク質の取りすぎか」と聞くと、「三食きちんと食べていれば、現代人の食生活でタンパク質が不足することはそうそうない」とのことだった。
近頃はタンパク質不足を注意する広告ばかり見るのだが、逆の意見は新鮮だった。
確定申告を無事に終える。以前と比べてインターフェースが随分と見やすくなった。しかも、マイナンバーカードとスマートフォンがあれば税務署でパスワードを発行してもらわなくて済むようになっている。大変ありがたかった。
とはいえ、ずっと昔に設定したマイナンバーカードの4桁の暗証番号を思い出すのが大変で、しかも最後になって別の英数字のパスワードを要求されたので、危うく今までの作業すべてが無駄になりかけた。ところで、医療費控除が0円なのに医療費の明細を別便で送れと出てきたのだが、最初に医療費控除にチェックをつけたせいだろうか。0円なのだから明細を出す必要はないはずだが、どうなのだろう。
それはさておいて、作業をしているときに手元の湯呑を見るとヒビに沿って茶の跡がついている。おかしいと思って湯呑に触れるとミシミシ音がする。念を押すために水を入れるとヒビから水滴が出てくる。これではもう使えない。なので確定申告が終わったら近所まで湯呑を買いに出た。家族のものと並べて違和感のなさそうな模様と大きさの湯呑を選んで帰宅。
この日は朝のうちに雨が止むと聞いていたので、美術館に行こうか休もうかとだらだらしていた。結局電車に乗るのが面倒だったので、夕方になって走ろうと決心したのだが、いざ走ろうとすると天気予報が変わって、ヤフーの雨雲レーダーによれば間もなく強い雨が降るという。現に小雨がぱらつきだした。このままでは美術館にも行けずジョギングもできない半端な日曜日になる。それが悔しくて小雨を縫って走った。しかし、雨脚も強くなり始めた中を走るのは寒いので、いつもの三分の二ほど走って引き返した。
ジョギングで財布を落としたことがある。それも二回だ。財布と言っても小銭入れで、そのうちの一回は子供のころ使っていたボロボロのやつなのだが、もう一つはそれなりにいいものだった。買ったはいいが使わなかった小銭入れだ。ただ、入っていたのは千円にも満たず、これといった特徴もないし、警察署に行くために休みをつぶすのも気が進まないのでそのままになっている。
とはいえ、裸のまま小銭を入れて走るのも気が進まないので、落ちない財布を探しに出かけた。最初に考えたのは金属チェーンがついている財布だが、ジョギング用のパンツにはチェーンをつける場所はない。続いて探したのは腕につけるタイプのものだがこれはスマートフォンしか入らない。ウエストポーチは腹に違和感を覚えたまま走ることになるので嫌だ。
結局、チェーン付きの財布にキーホルダーをつけて使うことにした。これならさすがに落としたときの音で気が付くだろう。
それとは別に、無印良品で再生紙の分厚いメモパッドを補充したのだが(筆圧が高くても低くても描けるので愛用している)、帰宅したら親が刑務所で作られたメモパッドを買っていて、それをくれたのでメモパッドが余ってしまった。なぜ刑務所にまで寄ってそこの製品を買ってきたのかといえば、元々妹が布を洗うのに愛用している石鹸が刑務所のものだったのだが、自分が間違ってそれを排水溝掃除に使ってしまったので、補充のために行ったのだ。
ちなみに、無印良品では前よりも食料品が充実しているようになった印象を受けた。ただ、行ったのが久し振りだから記憶がいい加減な気もする。
ロシアのウクライナ侵攻から数日経つ。できることはあまりないが、いくらか寄付をした。それからウクライナの他にトンガやアフガニスタンをはじめとした地域にもお金を出した。確定申告で帰ってくる額はそれなりにあるのだが、それを全部使って足が出るくらいだった。
月に一度の有給休暇で、メトロポリタン美術館展に行こうとしたのだが、出かける間際になってもタブレットが部屋中を探しても見当たらない。仕方ないのでそれなしで出かけたのだが、後で妹に聞くと洗面所にあったという。理由はよくわからない。
美術展はとてもよかった。巨匠の作品が一人ひとつずつ来日しているといった風だ。フェルメールでさえ来ている。上野にももう一作品来ているのに、である。作品を順繰りに見ているうちに、自分はエル・グレコが好きなのだと再確認できたのはよかった。
ところで、クラーナハのパリスの審判では若いときに気づかなかった特徴があった。まず、ヘルメスがやたら年を取っていること。それから、持っているのが果実ではなく水晶であることだ。このあたりはヌードにばかり気を取られてしまう若いうちにはわからなかったことだ。
ヌードと言えば、クールベの作品はセルライトもある現実的な肉体を描くが、ジェロームは理想化されていると解説に書いてあった。たしかにジェロームの作品で描かれた肌はつやつやでどこかアニメっぽかった。一方のクールベは、水に足を浸そうとする様子がいかにも冷たそうで、そこがユーモラスに感じられた。
初出:「新小説 第五年第三巻」春陽堂 1900(明治33)年
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/521_20583.html
礫はばらばら、飛石のようにひょいひょいと大跨で伝えそうにずっと見ごたえのあるのが、それでも人の手で並べたに違いはない。
初出:「新青年(第二巻第九號)夏季増刊」1921(大正10)年8月
https://www.aozora.gr.jp/cards/001121/card47067.html
大正10年の「新青年」に一挙掲載された無署名の訳稿。(中略)その号の編集後記には森下雨村の筆で「一方に於て、相当読み応えのする作品を(中略)」と付記されている。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000905/files/18330_14267.html
謎は簡単めでマップを埋めて行けば終わるものの、無駄に広くもなく、階層毎に特徴があって飽きなかった。
数字入力する際に「全角数字じゃないとNG」という理不尽な仕様に嵌って攻略サイトのお世話になる事に。
最強武器のドロップ率が良かったので、最終階層での周回が楽しかった。
また状態異常耐性のある防具が少なく、特にクリティカル耐性のある防具は一つも手に入らなかったので、最後まで首はねは怖かった。
訓練所ボスは攻撃力はしょぼくてブレスはマジックスクリーンで防げるものの、ACが鬼のように低くてトータルテラーをMP枯渇するまで打ち込んでようやく攻撃が当たるようになった。
トータルテラーを使えるメンバーが5人いたから倒せたけど、パーティ編成によっては無理なんじゃなかろうか。まあ、トータルテラー使えるアイテムもあるけど。
最終レベル32~36
さて、次は何をしようかな。
今までVTuberに数千円やら数万円のスパチャを送るやつってマジで馬鹿だなと思っていた。
ただVtuberにハマってるやつらの反論のひとつ「俺の金なんだから、お前に関係ないだろ」と言われると「確かにな」とモヤモヤしつつも、それ以上言い返せなかった。
それでもVtuber界隈の市場規模が大きくなるにつれて、比例するように俺のVtuber界隈への嫌悪感というのは大きくなっていった。
自分でも、なぜこの嫌悪感がうまれてくるのかうまく説明できないことが嫌だった。
https://anond.hatelabo.jp/20220112213443
Vtuberに大金のスパチャ送るような連中って、スピリチュアル系にハマって数万の数珠とか水晶とか買っちゃうやつらと全く同じなんだよな。
「お前はまだそこなのか…」
「理解が浅い」
言ってることがスピ系にハマってるやつと同じ。
信仰やらVそのものに夢中になるのは全然いいんだが、大金を払うのは違うだろ。
好きなVに自分のメッセージを読んでもらうことに本当に数万の価値があると思うか?
本当にそのVが金銭的にきつい生活をしているならありかもしれんが、多分お前が応援しているVはお前より良い生活してるぞ。
応援してもらわないといけないのはお前だ。
Vを楽しむのは良い。応援するのも良い。
でも大金を投げてるやつ、今すぐやめろ。
その金は老後にまわせ。
仕事なんかやってらんねえの なんで毎日8時まで残らないといけないのか? 僕の人生はどこに行ったのか?
それよりさ、すげーでっけえ水晶の柱が、もうアホみたいに林立しててさ、平野にこれ一本あったらそれだけで観光名所になんのにさ、あまりに数が多いから、全然ありがたみがなくて、一本一本はむしろどうでもいいんだけど、それでもやっぱり全体としてのビューはすごくてさ、そういう洞窟を探検したいじゃん
なんか知らねえけど、蒸気とか吹いてたり、ガスが溜まってたりしてさ、防護服みたいなの着てるから、あっついし、視界も悪いんだけど、でも、かの有名な水晶洞窟を歩いてるんですよ、いまたしかに!
それは嬉しいよなあ
嬉しいと思うんですよ
どうですか?
作り方は、殻を剥き、下茹でをして薄皮を剥いたら塩と米粉を溶かしたヒタヒタになる量の水と一緒に鍋に入れて煮詰める、というものだ。
塩ゆでしたソラマメのような味になるのだが、これが独特の生臭みのようなものもある。
元々銀杏には子供が嫌いそうな独特の味があったりするのだが、これはどちらかというとタラコの生臭みに近い。
で、思うのだ。
思い当たるのは下茹での時に重曹を使わなかったことだ。この下茹での時に箸でかき回していると薄皮が剥けてくるとネットにあったが、実際に試したらそんなことは全然なかった。もしかしたら重曹を使えばネットにあるように薄皮も箸でキレイに剥けたかもしれず、その上この生臭みも取れたかもしれない。
ま、それはそれとして美味いから「止まらねー」とか言いながらモリモリ食ってたんだけど、あとになって思い出したっけ、銀杏って食い過ぎると身体壊すんだよな。
今んとこ体に異常はない。
話をしよう、あれは今から36万・・・いや、1万4000年前だったか まあいい 私にとってはつい昨日の出来事だが、君たちにとってはたぶん 明日の出来事だ
ある政党が言った
どう解決していくかはクリエイターも含めて国民的に議論していくべきだ。具体的には、子どもたちや一般の人たちの目に触れないような場所に置くゾーニングというやり方もあると思うし、“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う
君たちはこれが未来の話だと思ってるだろう?違う、昔これをやった連中がいる。なに、昔話だ。ある国ある政党。彼らは敵対者を葬りたかった、出来るだけ体裁よくね。
どうしたか?まず敵を徹底的に悪魔化して、晒し上げました。同時に国民運動を仕掛けて不買・契約拒否で実体的な企業価値の棄損をします。金融網にも当然圧力をかける。資金繰りは死ぬよね。これを側面支援したのが配給条項の改訂。敵対者の企業への配給を絞って、チェーンのどこかに居られなくしました。まあ配給についちゃ昔のことだから勘弁してほしい。もっとも今でもサプライチェーンを攻撃することは、同じ手法で可能なんだ。
さて、どんどん敵対者の企業価値は棄損されました。そうなったらおまんまの食い上げだから、敵対系企業はこれを売らざるを得ない。でもそれはあくまで「民間の商行為」という体裁なわけ。さらに買い叩いた御用銀行。最後には「ヤツらがいる企業には企業価値は原則認められない」という判断が通り、二束三文なんで目じゃない価格で、党シンパが手に入れました。看板を付け替えただけ。ピーク時には買い手より売り手が多くなってマーケットの破綻がちらついたほどだった。
最後にどうなったって?奴らが買っている実力部隊が究極のボイコットとして、企業襲撃をやりました。それを「民衆の声」だとして、敵対系企業は全て国(≒党)が接収して、シンパに払い下げることになりました。この襲撃、商店のガラスが散らばったのが水晶みたいで綺麗だったよ。
勘のいい諸賢ならもうお分かりだよね、これはナチ党がやった「経済のアーリア化」という政策。襲撃はいわゆる「水晶の夜」です。
いいかい?これが
の究極の姿だよ。
そして、君たちはこれが未来の話だと思ってるだろう?違う、彼らはまさに今それをやっている。
思い返してごらんよ。彼らの上澄みの主張は
だよたしかに。そして、それはまあ全員の合意を得られる話題ではある。
でも実態は支持者が「死ねロリコン」「表現の自由の戦士ガァァァァ」ってやるわけ。最近もデマを元に「あいつらはカルト!」「カルトと完全に手を切った証明がない限り、疑いは晴れない!」ってやらかしてたよね?こうやってちょっとづつ信用を棄損していくんだよね。
これがある日「萌え絵を使う企業は犯罪企業」「お宅は犯罪企業と取引があるんですか?ならちょっと考えたいなぁ」「なんで犯罪者に融資が実施されているんですか許しがたい」に化けないと思うかい?しかも「民間の動き」で「政党は関係ありません(支援してるけどヌルヌル否定)」とくる。彼らは「民間の声だから」という理由で責任なんか取らないよ。そのために直接動かないんだから。
思い返してみよう、彼らが何を「ポルノ」と罵ってきたか。ただの絵。しかもヤッてるところじゃなくて、ただただ女性を描いたいわゆる萌え絵、というだけで彼らの突撃隊が火をつけて来たよね。その上で、不買と周辺企業・行政への圧力を繰り返している。あれあれ、(今はまだ)規模はしょぼいけど、やってることはナチと同じだよね?
もう信用の棄損をする試みはだいぶ前から始まっている。むろん統一した指導があるわけではないが、それを利用しようという機会主義というものはあるだろうね。それが今可視化されてきたという訳さ。
そして、手数と民主的正当性を糊塗し、対行政に絶対的な圧力を振える手先議員、暴力を理論立ててごまかす御用学者、リアル暴力であるしばき隊etc.。もう共産党の手元には、ナチの再現をするだけの兵隊が揃ってるんだ。彼らがそれを再現しない理由も動機もないよね?
いや、今度はもうちょっとうまくきれいに見せかけるかもしれない。でも起こることは、本質的に同じだ。
彼らは散々言っていた。「民主主義を破壊する○○だけは排斥していいのだ、奴らはパブリックエネミーなのだ」と。ならばすでに自由の敵・民主主義の破壊者である共産党とそのシンパをどう処遇してやればいいのか、答えは一つしかない。彼らの理屈を最後に彼らに適用すればいいのだ、お前たちこそパブリックエネミーなのだと。
一つ、ヒントを置いておこう。
かつて、クレムリノロジーという概念があった。これは全く情報がないソ連共産党の権力構造を解明するため、あの国の重鎮の並び順でそれを推測する(そしてまあまあ当たる)というものだ。ソ連亡き後、ほそぼそ生き残っているのが北朝鮮の内部序列観察である。
ところで、共産党はフェミにはちょっと怒られただけで秒で焼き土下座を敢行した。一方で表現の自由に対しては一切の応答を見せちゃいない。これがつまりどういうことか、彼らの党内序列に於いて何が最重視され何が軽視されているのかよくわかるよね。身内には謝るけどそれ以外にはシンパの支援砲撃を利用しつつぬるぬる逃げ切る。誰が誰より偉いのか、どういう態度を見せているのか、きちんと理解すべきだよ。
増田ではもう多分おなじみで飽きられてる例の話題における「女性の表象」について。
今週いろいろ考えていたことを書いておきたい。
多分この文章は文脈的にも時期的にもアンチフェミだとみなされると思うんだけど、自分j心にはそんなつもりはない。そもそもあの変な議連をフェミだとも思ってないし。
むしろ自分としてはクリエイターとしての違和感と普段の気持ちのメモとして残したい。
文章畑とはいえ自分はクリエイターでいわゆるオタク界隈でくらしていて商業化もコミカライズもしたっていう立場だけど、多分立場そのものとはあんまり関係ない。
はじめに感じたのは「なんか雑だな」という気持ちだった。
「女性の表象」というざっくりした単語の選択と、そこに込められた視線についてだ。
昨今のオタク界隈クリエイターとして女性キャラはいっぱい作ったし書いてきた。ヒロインとしてサブキャラとしてモブとして。それぞれに主入れを持って作り込んできた。それって「女性の表象」なのか? 自分は「女性の表象」を描いてきたか?
その答えは一般的にはYesではあるけれど、自分自身の中ではNoだ。
一般的なボリュームのラノベをささっと書くのに、自分は調子が良ければ大体三週間くらいかかると思う(念の為にこれは完成に要する時間ではない)。もちろん作中ではいろんな事が起きるし、ヒロインやヒロインとの関係は重要ではあるけれどパーツの全てではないので、この時間はそのままヒロインを描くのに使った時間ではないけれど、ひとつの参考としてそれくらいかかる。
そして読むのは早ければ二時間弱とかじゃなかろうか?
つまり作るのにめちゃくちゃ時間がかかってさっくり消費できる。これは文章畑に限らずコンテンツは何でもそうだと思う。むしろ文章畑なんてすごく素早く手軽に作れるジャンルで、映像やゲームは桁違いに時間がかかるだろう。
実際そういう現場に協力することもあるけれど、気が遠くなるくらいの人手と時間と、つまりはリソースが消費される。
それだけの時間を投下して、「女性の表象」をつくって、満足できるかといえば、自分はできない。
嫌われるかもしれない言葉をつかうけれど、正直に言う。
現実の女性の方々に訪ねたいけれど、たとえば大好きな人ができて、そのひとと来週デートするとする。初めてのデートだとする。
胸がはちきれそうなほど嬉しいとともに、膝が震えるほど怖い。なんだか冴えない一日になってしまうのが怖い。がっかりされるのが怖い。思ったよりうまくしゃべれないと思うと怖い。相手の期待ほど可愛くない自分だったらと思うと怖い。
そんなときはないだろうか? そんな時何らかの努力をしないだろうか?
自分の知る限りの知己もいままでめぐりあいのあった女性も、すごい何かをしていた。正直男性である自分からは理解しがたいほどのエネルギーをそこに注ぎ込んでいた。
その日その瞬間を「いい感じ」にするために、髪型や服を整えて、時には体型やら自分の好みまで変えて、とっておきを提供しようとしていた。そういうのを見ると恐れ多いような頭が下がる様な気持ちになったのを覚えている。
デートの時にやってくる「一番好的な彼女」というのは上記のような女性の努力の、つまりはクリエイトの結果だと自分は思っている。
ディズニーのいうありのままの自分がなんだかよくわからないけれど、彼女たちは、確かに自分自身を超えた自分を顕現させようとして、いっときそれに成功する。
自分はそれを偉大だと思う。女性だからとかそういう理由ではなくて、クリエイターとして尊敬する。言語化出来ているかどうかは定かではないけれど、彼女らはなりたい自分をクリエイトして作ったからだ。
創作物には、描きたいものがある。その描きたいものが例えば出会いとか、別れとか、嬉しいとか悲しいとか楽しいとか懐かしいとか、恋とか、そういうものがあって、その過程で必要となってヒロインがいる。
卑俗なところで言えば、可愛いとかもっと見ていたいとか、エッチなことをしたいとかでも良い。とにかくそういうエモーショナルな何かを伝えたくて創作物を作る。
女性のキャラは、例の言葉を借りれば女性の表象は、そのための道具に過ぎない。大事だし思い入れもあるけれど、過程に過ぎない。読者に伝えたいもののために必要であれば何かを盛るし、邪魔であれば削る。
それは現実の女性には不可能だ。だって現実の女性は主人公のために、あるいは読者や視聴者のためにだけは生きられないでしょう? 現実の自分の生活があって、趣味もやるべきこともたくさんあって、理想の魅力的な自分だけでは生きられないでしょう?
世の中で言われている萌キャラなんてものは、愛されるために生まれてきたものだと自分は思う。自分が関わった仕事は、全てそのつもりで仕事をしてきた。現実の女性と違って、彼女らはそれに全力投球だ。なぜなら、それが彼女らの存在意義で、全てだからだ。そのために生まれたからだ。
それ以外の私生活なんてものはない。あるように見えたとしたら、それは覗き見される前提で作られた、いわば公開用の私生活だ。飾り気のない普段の姿、という形態の作り込まれた物語にすぎない。
つまり、創作物のキャラは、現実の女性がデートの瞬間ほんの一瞬だけできる「すごい自分」でいるのをフルタイムで続けられる存在だし、それが存在価値だ。何ヶ月も、場合によっては何年もかかって産み出されて、一瞬で消費される。その巨大なコストを代償にして、現実を超えるために産み出されるのが創作物のキャラクターだ。
自分は、「現実を超える」使命を持った創作物が、そのために悩んでカロリーを叩きつけた創作物が、「女性の表象」だなんて、そんなふうに単純化されるのを我慢できない。
たとえば、あるヒロインの不安と絶望を表現するのに、創作者は雨を降らせることができる。人気のないコンビニの駐車場の暗がりを作ることも出来る。つながらないSNSを登場させることも出来る。それらは舞台背景であって舞台背景ではなくて、彼女の内面を表す暗喩だし、読者に感情移入してもらうための動線だ。
そのキャラクターが気高くて必死で尊敬に値すると伝えるために銃弾の降り注ぐ戦場も用意できるし、水晶の花咲く庭園でのダンスシーンも描ける。
彼女の魅力を伝えるためなら、そこまでやる。女性としての魅力を伝えるためにもし必要だと判断するならば、女性の体さえ抹消する。耳やら尻尾やら砲塔やらを生やす程度なら序の口で、人面蛇身にすることもあるし、なんだったらAI宇宙船の金属筒に収められた脳髄だけの少女なんて世界観にすることも出来る。
雨やコンビニや水晶の庭園が女性の表象かといわれれば誰もがNoと言うだろうと思う。でも創作者の中でそれは渾然一体で不可分だ。その時それが必要ならつくるまで。舞台だけじゃなくて、演出も、エピソードも、言葉選びも、同じ語句をひらがなで書くか漢字にするのかさえ、伝えたいものを伝えるための道具であって、ヒロインと等価で同じものだ。
読者や視聴者の人に、紙面やモニターの向こうで、恋をしてもらえるなら、涙してもらえるなら、どれだけカロリーがかかってもそれら全部はやるべきことだ。
つまりやっていることは「女性の表象を作ること」なんかじゃないのだ。青椒肉絲定食を作ってるのに対して「ピーマン切るのは許可されるか」「いやピーマンは不許可だろ」みたいな議論をされてる置いてけぼり感。
こちらはピーマン千切り業者をやってるつもりはないし、ピーマン千切りを提供したつもりもない。もっといっちゃえばお前らがいじくり回してるその皿には、パプリカは入っててもピーマンは入ってないよまである。あるいはししとう叩いて大喜びだな、なんてのも。
以上で率直な感想は終わりだ。フェミがどうこうとか性的搾取とかは、自分にはよくわからない。
でもこっちは現実の女性を周回遅れにする純度のために何かを描いてるので、現実の女性の投影であるとか、模造であるとか、そういう雑な用語選びは好きになれない。という話だと思う。
地獄の王、ハデスの息子が地上めがけて脱獄しようとするローグライクアクションゲーム。
1ステージクリアするごとに、次のステージのクリア報酬候補が1~3程度表示されて、
ほしい報酬を選んで進んでいくことになるのだが、ここに結構な不満がある。
HADESにかぎらず近年のローグライクゲームにはよくあることなのだが
1プレイで完結しない蓄積要素がたくさんあって
アイテムのアンロックだったりキャラクターの強化だったりということができ、
初期状態では普通のプレイヤーはクリアできないゲームバランスになっている。
で、このHADES、1プレイ外蓄積要素に使うリソースの種類が多い。
宝珠、水晶、鍵、ネクタルのざっと4種類があって、これがステージクリア報酬の選択肢に出てくる。
1プレイ内で完結するリソース(ステージクリア報酬)としてはスキル獲得、パラメータUP、金貨、商店の出現などがあるり、これらもステージクリア報酬の選択肢として出る。
つまり、「宝珠とスキル獲得どちらを選びますか?」というような選択が頻繁に発生する。
ここが不満。
こういう場合、1プレイでのクリアを目指すならスキル獲得を選びたいのだけど
スキル獲得のような1プレイ内のリソースを選び続けたが途中で死んでしまったというような場合、1プレイ外リソースの獲得量が減ってしまう。
一方で宝珠のような1プレイ外リソースを選ぶと当然、そのプレイ中でのクリアを半ばあきらめたプレイということになる。
ローグライクゲームなのに、1プレイ内では全力でクリアを目指すというプレイをするとなんか損した感じになるのって、すごくヤな感じ。
事故後の避難指示遅れたりしてるし、そもそも政府を信用出来ないってスタンスでリスクを大きく考えて出荷出来ないって話じゃないの?
国産ワクチンの開発が遅れてるのは普通に政策の問題であって、この緊急事態のなかでワクチンの開発進まないのを山本太郎のせいに
網膜基準は知らんけど、水晶体の被ばく基準についての言及はあったね。
見た感じは検討されて施行もされるよていだったけど、予定より早い期日に決めたから仕事したわ~って感じを醸し出してるだけだったけどね。
専門家が検討していることを突っつきまわして仕事してる感だすのはうまいって印象だったよ
すまんすまん、水晶体の話だわ
13~14年くらいから言ってて、その時点では基準値をWHOの基準よりかなり引き上げてたから問題になってたんだろ
予定より早い期日って曖昧な言い方してるけど、何年頃の話してるの?
風野又三郎
九月一日
どっどどどどうど どどうど どどう、
すっぱいざくろもふきとばせ
どっどどどどうど どどうど どどう
学校といっても入口とあとはガラス窓の三つついた教室がひとつあるきりでほかには溜たまりも教員室もなく運動場はテニスコートのくらいでした。
先生はたった一人で、五つの級を教えるのでした。それはみんなでちょうど二十人になるのです。三年生はひとりもありません。
さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかに誰たれも来ていないのを見て
「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫さけびながら大悦おおよろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合せてぶるぶるふるえました。がひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけはそのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪かみの子供がひとり一番前の机にちゃんと座すわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり眼めをりんと張ってそっちの方をにらめていましたら、ちょうどそのとき川上から
「ちゃうはあぶどり、ちゃうはあぶどり」と高く叫ぶ声がしてそれからいなずまのように嘉助かすけが、かばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎だの耕助だのどやどややってきました。
「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩かたをつかまえて云いいました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛のおかしな子がすましてしゃんとすわっているのが目につきました。みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集って来ましたが誰も何とも云えませんでした。赤毛の子どもは一向こわがる風もなくやっぱりじっと座っています。すると六年生の一郎が来ました。一郎はまるで坑夫こうふのようにゆっくり大股おおまたにやってきて、みんなを見て「何なした」とききました。みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指しました。一郎はしばらくそっちを見ていましたがやがて鞄かばんをしっかりかかえてさっさと窓の下へ行きました。みんなもすっかり元気になってついて行きました。
「誰たれだ、時間にならなぃに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して云いました。
「叱らえでもおら知らなぃよ。」嘉助が云いました。
「早ぐ出はって来、出はって来。」一郎が云いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなの方を見るばかりでやっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛こしかけに座っていました。
ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこな鼠ねずみいろのマントを着て水晶すいしょうかガラスか、とにかくきれいなすきとおった沓くつをはいていました。それに顔と云ったら、まるで熟した苹果りんごのよう殊ことに眼はまん円でまっくろなのでした。一向語ことばが通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「外国人だな。」「学校さ入るのだな。」みんなはがやがやがやがや云いました。ところが五年生の嘉助がいきなり
「ああ、三年生さ入るのだ。」と叫びましたので
「ああ、そうだ。」と小さいこどもらは思いましたが一郎はだまってくびをまげました。
変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけきちんと腰掛けています。ところがおかしいことは、先生がいつものキラキラ光る呼子笛ぶえを持っていきなり出入口から出て来られたのです。そしてわらって
「みなさんお早う。どなたも元気ですね。」と云いながら笛を口にあててピル※(小書き片仮名ル、1-6-92)と吹ふきました。そこでみんなはきちんと運動場に整列しました。
「気を付けっ」
みんな気を付けをしました。けれども誰の眼もみんな教室の中の変な子に向いていました。先生も何があるのかと思ったらしく、ちょっとうしろを振ふり向いて見ましたが、なあになんでもないという風でまたこっちを向いて
「右ぃおいっ」と号令をかけました。ところがおかしな子どもはやっぱりちゃんとこしかけたままきろきろこっちを見ています。みんなはそれから番号をかけて右向けをして順に入口からはいりましたが、その間中も変な子供は少し額に皺しわを寄せて〔以下原稿数枚なし〕
と一郎が一番うしろからあまりさわぐものを一人ずつ叱りました。みんなはしんとなりました。
「みなさん休みは面白おもしろかったね。朝から水泳ぎもできたし林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだりまた兄さんの草刈くさかりについて行ったりした。それはほんとうにいいことです。けれどももう休みは終りました。これからは秋です。むかしから秋は一番勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんも今日から又またしっかり勉強しましょう。みなさんは休み中でいちばん面白かったことは何ですか。」
「はい。」
「先生さっきたの人あ何だったべす。」
「さっきの人……」
「さっきたの髪の赤いわらすだんす。」みんなもどっと叫びました。
「マント着てたで。」
先生は困って
「一人ずつ云うのです。髪の赤い人がここに居たのですか。」
の山にのぼってよくそこらを見ておいでなさい。それからあしたは道具をもってくるのです。それではここまで。」と先生は云いました。みんなもうあの山の上ばかり見ていたのです。
「気を付けっ。」一郎が叫びました。「礼っ。」みんなおじぎをするや否いなやまるで風のように教室を出ました。それからがやがやその草山へ走ったのです。女の子たちもこっそりついて行きました。けれどもみんなは山にのぼるとがっかりしてしまいました。みんながやっとその栗くりの木の下まで行ったときはその変な子はもう見えませんでした。そこには十本ばかりのたけにぐさが先生の云ったとおり風にひるがえっているだけだったのです。けれども小さい方のこどもらはもうあんまりその変な子のことばかり考えていたもんですからもうそろそろ厭あきていました。
そしてみんなはわかれてうちへ帰りましたが一郎や嘉助は仲々それを忘れてしまうことはできませんでした。
九月二日
そのとき西にしのぎらぎらのちぢれた雲くものあひだから、夕陽ゆふひは赤あかくなゝめに苔こけの野原のはらに注そゝぎ、すすきはみんな白しろい火ひのやうにゆれて光ひかりました。わたくしが疲つかれてそこに睡ねむりますと、ざあざあ吹ふいてゐた風かぜが、だんだん人ひとのことばにきこえ、やがてそれは、いま北上きたかみの山やまの方はうや、野原のはらに行おこなはれてゐた鹿踊しゝおどりの、ほんたうの精神せいしんを語かたりました。
そこらがまだまるつきり、丈たけ高たかい草くさや黒くろい林はやしのままだつたとき、嘉十かじふはおぢいさんたちと北上川きたかみがはの東ひがしから移うつつてきて、小ちいさな畑はたけを開ひらいて、粟あはや稗ひえをつくつてゐました。
あるとき嘉十かじふは、栗くりの木きから落おちて、少すこし左ひだりの膝ひざを悪わるくしました。そんなときみんなはいつでも、西にしの山やまの中なかの湯ゆの湧わくとこへ行いつて、小屋こやをかけて泊とまつて療なほすのでした。
天気てんきのいゝ日ひに、嘉十かじふも出でかけて行いきました。糧かてと味噌みそと鍋なべとをしよつて、もう銀ぎんいろの穂ほを出だしたすすきの野原のはらをすこしびつこをひきながら、ゆつくりゆつくり歩あるいて行いつたのです。
いくつもの小流こながれや石原いしはらを越こえて、山脈さんみやくのかたちも大おほきくはつきりなり、山やまの木きも一本いつぽん一本いつぽん、すぎごけのやうに見みわけられるところまで来きたときは、太陽たいやうはもうよほど西にしに外それて、十本じつぽんばかりの青あをいはんのきの木立こだちの上うへに、少すこし青あをざめてぎらぎら光ひかつてかかりました。
嘉十かじふは芝草しばくさの上うへに、せなかの荷物にもつをどつかりおろして、栃とちと粟あわとのだんごを出だして喰たべはじめました。すすきは幾いくむらも幾いくむらも、はては野原のはらいつぱいのやうに、まつ白しろに光ひかつて波なみをたてました。嘉十かじふはだんごをたべながら、すすきの中なかから黒くろくまつすぐに立たつてゐる、はんのきの幹みきをじつにりつぱだとおもひました。
ところがあんまり一生いつしやうけん命めいあるいたあとは、どうもなんだかお腹なかがいつぱいのやうな気きがするのです。そこで嘉十かじふも、おしまひに栃とちの団子だんごをとちの実みのくらゐ残のこしました。
「こいづば鹿しかさ呉けでやべか。それ、鹿しか、来きて喰け」と嘉十かじふはひとりごとのやうに言いつて、それをうめばちさうの白しろい花はなの下したに置おきました。それから荷物にもつをまたしよつて、ゆつくりゆつくり歩あるきだしました。
ところが少すこし行いつたとき、嘉十かじふはさつきのやすんだところに、手拭てぬぐひを忘わすれて来きたのに気きがつきましたので、急いそいでまた引ひつ返かへしました。あのはんのきの黒くろい木立こだちがぢき近ちかくに見みえてゐて、そこまで戻もどるぐらゐ、なんの事ことでもないやうでした。
けれども嘉十かじふはぴたりとたちどまつてしまひました。
鹿しかが少すくなくても五六疋ぴき、湿しめつぽいはなづらをずうつと延のばして、しづかに歩あるいてゐるらしいのでした。
嘉十かじふはすすきに触ふれないやうに気きを付つけながら、爪立つまだてをして、そつと苔こけを踏ふんでそつちの方はうへ行いきました。
たしかに鹿しかはさつきの栃とちの団子だんごにやつてきたのでした。
「はあ、鹿等しかだあ、すぐに来きたもな。」と嘉十かじふは咽喉のどの中なかで、笑わらひながらつぶやきました。そしてからだをかゞめて、そろりそろりと、そつちに近ちかよつて行ゆきました。
一むらのすすきの陰かげから、嘉十かじふはちよつと顔かほをだして、びつくりしてまたひつ込こめました。六疋ぴきばかりの鹿しかが、さつきの芝原しばはらを、ぐるぐるぐるぐる環わになつて廻まはつてゐるのでした。嘉十かじふはすすきの隙間すきまから、息いきをこらしてのぞきました。
太陽たいやうが、ちやうど一本いつぽんのはんのきの頂いたゞきにかかつてゐましたので、その梢こずゑはあやしく青あをくひかり、まるで鹿しかの群むれを見みおろしてぢつと立たつてゐる青あをいいきもののやうにおもはれました。すすきの穂ほも、一本いつぽんづつ銀ぎんいろにかがやき、鹿しかの毛並けなみがことにその日ひはりつぱでした。
嘉十かじふはよろこんで、そつと片膝かたひざをついてそれに見みとれました。
鹿しかは大おほきな環わをつくつて、ぐるくるぐるくる廻まはつてゐましたが、よく見みるとどの鹿しかも環わのまんなかの方はうに気きがとられてゐるやうでした。その証拠しようこには、頭あたまも耳みゝも眼めもみんなそつちへ向むいて、おまけにたびたび、いかにも引ひつぱられるやうに、よろよろと二足ふたあし三足みあし、環わからはなれてそつちへ寄よつて行ゆきさうにするのでした。
もちろん、その環わのまんなかには、さつきの嘉十かじふの栃とちの団子だんごがひとかけ置おいてあつたのでしたが、鹿しかどものしきりに気きにかけてゐるのは決けつして団子だんごではなくて、そのとなりの草くさの上うへにくの字じになつて落おちてゐる、嘉十かじふの白しろい手拭てぬぐひらしいのでした。嘉十かじふは痛いたい足あしをそつと手てで曲まげて、苔こけの上うへにきちんと座すはりました。
鹿しかのめぐりはだんだんゆるやかになり、みんなは交かはる交がはる、前肢まへあしを一本いつぽん環わの中なかの方はうへ出だして、今いまにもかけ出だして行いきさうにしては、びつくりしたやうにまた引ひつ込こめて、とつとつとつとつしづかに走はしるのでした。その足音あしおとは気きもちよく野原のはらの黒土くろつちの底そこの方はうまでひゞきました。それから鹿しかどもはまはるのをやめてみんな手拭てぬぐひのこちらの方はうに来きて立たちました。
嘉十かじふはにはかに耳みゝがきいんと鳴なりました。そしてがたがたふるえました。鹿しかどもの風かぜにゆれる草穂くさぼのやうな気きもちが、波なみになつて伝つたはつて来きたのでした。
嘉十かじふはほんたうにじぶんの耳みゝを疑うたがひました。それは鹿しかのことばがきこえてきたからです。
「ぢや、おれ行いつて見みで来こべが。」
「うんにや、危あぶないじや。も少すこし見みでべ。」
こんなことばもきこえました。
「何時いつだがの狐きつねみだいに口発破くちはつぱなどさ罹かゝつてあ、つまらないもな、高たかで栃とちの団子だんごなどでよ。」
「そだそだ、全まつたぐだ。」
こんなことばも聞ききました。
「生いぎものだがも知しれないじやい。」
「うん。生いぎものらしどごもあるな。」
こんなことばも聞きこえました。そのうちにたうたう一疋ぴきが、いかにも決心けつしんしたらしく、せなかをまつすぐにして環わからはなれて、まんなかの方はうに進すゝみ出でました。
進すゝんで行いつた鹿しかは、首くびをあらんかぎり延のばし、四本しほんの脚あしを引ひきしめ引ひきしめそろりそろりと手拭てぬぐひに近ちかづいて行いきましたが、俄にはかにひどく飛とびあがつて、一目散もくさんに遁にげ戻もどつてきました。廻まはりの五疋ひきも一ぺんにぱつと四方しはうへちらけやうとしましたが、はじめの鹿しかが、ぴたりととまりましたのでやつと安心あんしんして、のそのそ戻もどつてその鹿しかの前まへに集あつまりました。
「なぢよだた。なにだた、あの白しろい長ながいやづあ。」
「縦たてに皺しはの寄よつたもんだけあな。」
「そだら生いぎものだないがべ、やつぱり蕈きのこなどだべが。毒蕈ぶすきのこだべ。」
「うんにや。きのごだない。やつぱり生いぎものらし。」
「さうが。生いぎもので皺しわうんと寄よつてらば、年老としよりだな。」
「うん年老としよりの番兵ばんぺいだ。ううはははは。」
「ふふふ青白あをじろの番兵ばんぺいだ。」
「ううははは、青あをじろ番兵ばんぺいだ。」
「こんどおれ行いつて見みべが。」
「行いつてみろ、大丈夫だいじやうぶだ。」
「喰くつつがないが。」
「うんにや、大丈夫だいじやうぶだ。」
そこでまた一疋ぴきが、そろりそろりと進すゝんで行いきました。五疋ひきはこちらで、ことりことりとあたまを振ふつてそれを見みてゐました。
進すゝんで行いつた一疋ぴきは、たびたびもうこわくて、たまらないといふやうに、四本ほんの脚あしを集あつめてせなかを円まろくしたりそつとまたのばしたりして、そろりそろりと進すゝみました。
そしてたうたう手拭てぬぐひのひと足あしこつちまで行いつて、あらんかぎり首くびを延のばしてふんふん嚊かいでゐましたが、俄にはかにはねあがつて遁にげてきました。みんなもびくつとして一ぺんに遁にげださうとしましたが、その一ぴきがぴたりと停とまりましたのでやつと安心あんしんして五つの頭あたまをその一つの頭あたまに集あつめました。
「なぢよだた、なして逃にげで来きた。」
「噛かぢるべとしたやうだたもさ。」
「ぜんたいなにだけあ。」
「わがらないな。とにかぐ白しろどそれがら青あをど、両方りやうはうのぶぢだ。」
「匂にほひあなぢよだ、匂にほひあ。」
「柳やなぎの葉はみだいな匂にほひだな。」
「はでな、息いぎ吐つでるが、息いぎ。」
「さあ、そでば、気付きつけないがた。」
「こんどあ、おれあ行いつて見みべが。」
「行いつてみろ」
三番目ばんめの鹿しかがまたそろりそろりと進すゝみました。そのときちよつと風かぜが吹ふいて手拭てぬぐひがちらつと動うごきましたので、その進すゝんで行いつた鹿しかはびつくりして立たちどまつてしまひ、こつちのみんなもびくつとしました。けれども鹿しかはやつとまた気きを落おちつけたらしく、またそろりそろりと進すゝんで、たうたう手拭てぬぐひまで鼻はなさきを延のばした。
こつちでは五疋ひきがみんなことりことりとお互たがひにうなづき合あつて居をりました。そのとき俄にはかに進すゝんで行いつた鹿しかが竿立さをだちになつて躍をどりあがつて遁にげてきました。
「何なして遁にげできた。」
「気味悪きびわりぐなてよ。」
「息いぎ吐つでるが。」
「さあ、息いぎの音おどあ為さないがけあな。口くぢも無ないやうだけあな。」
「あだまあるが。」
「あだまもゆぐわがらないがつたな。」
「そだらこんだおれ行いつて見みべが。」
四番目よばんめの鹿しかが出でて行いきました。これもやつぱりびくびくものです。それでもすつかり手拭てぬぐひの前まへまで行いつて、いかにも思おもひ切きつたらしく、ちよつと鼻はなを手拭てぬぐひに押おしつけて、それから急いそいで引ひつ込こめて、一目いちもくさんに帰かへつてきました。
「おう、柔やつけもんだぞ。」
「泥どろのやうにが。」
「うんにや。」
「草くさのやうにが。」
「うんにや。」
「ごまざいの毛けのやうにが。」
「うん、あれよりあ、も少すこし硬こわぱしな。」
「なにだべ。」
「とにかぐ生いぎもんだ。」
「やつぱりさうだが。」
「うん、汗臭あせくさいも。」
「おれも一遍ひとがへり行いつてみべが。」
五番目ばんめの鹿しかがまたそろりそろりと進すゝんで行いきました。この鹿しかはよほどおどけもののやうでした。手拭てぬぐひの上うへにすつかり頭あたまをさげて、それからいかにも不審ふしんだといふやうに、頭あたまをかくつと動うごかしましたので、こつちの五疋ひきがはねあがつて笑わらひました。
向むかふの一疋ぴきはそこで得意とくいになつて、舌したを出だして手拭てぬぐひを一つべろりと甞なめましたが、にはかに怖こはくなつたとみえて、大おほきく口くちをあけて舌したをぶらさげて、まるで風かぜのやうに飛とんで帰かへつてきました。みんなもひどく愕おどろきました。
「ぢや、ぢや、噛かぢらへだが、痛いたぐしたが。」
「プルルルルルル。」
「舌した抜ぬがれだが。」
「プルルルルルル。」
「なにした、なにした。なにした。ぢや。」
「ふう、あゝ、舌した縮ちゞまつてしまつたたよ。」
「なじよな味あじだた。」
「味あじ無ないがたな。」
「生いぎもんだべが。」
「なじよだが判わからない。こんどあ汝うなあ行いつてみろ。」
「お。」
おしまひの一疋ぴきがまたそろそろ出でて行いきました。みんながおもしろさうに、ことこと頭あたまを振ふつて見みてゐますと、進すゝんで行いつた一疋ぴきは、しばらく首くびをさげて手拭てぬぐひを嗅かいでゐましたが、もう心配しんぱいもなにもないといふ風ふうで、いきなりそれをくわいて戻もどつてきました。そこで鹿しかはみなぴよんぴよん跳とびあがりました。
「おう、うまい、うまい、そいづさい取とつてしめば、あどは何なんつても怖おつかなぐない。」
「きつともて、こいづあ大きな蝸牛なめくづらの旱ひからびだのだな。」
「さあ、いゝが、おれ歌うだうだうはんてみんな廻まれ。」
その鹿しかはみんなのなかにはいつてうたひだし、みんなはぐるぐるぐるぐる手拭てぬぐひをまはりはじめました。
すつこんすつこの 栃とちだんご
栃とちのだんごは 結構けつこうだが
となりにいからだ ふんながす
青あをじろ番兵ばんぺは 気きにかがる。
青あおじろ番兵ばんぺは ふんにやふにや
瘠やせで長ながくて ぶぢぶぢで
どごが口くぢだが あだまだが
ひでりあがりの なめぐぢら。」
走はしりながら廻まはりながら踊おどりながら、鹿しかはたびたび風かぜのやうに進すゝんで、手拭てぬぐひを角つのでついたり足あしでふんだりしました。嘉十かじふの手拭てぬぐひはかあいさうに泥どろがついてところどころ穴あなさへあきました。
「おう、こんだ団子だんごお食くばがりだぢよ。」
「おう、煮にだ団子だぢよ。」
「おう、まん円まるけぢよ。」
「おう、はんぐはぐ。」
「おう、すつこんすつこ。」
「おう、けつこ。」
鹿しかはそれからみんなばらばらになつて、四方しはうから栃とちのだんごを囲かこんで集あつまりました。
そしていちばんはじめに手拭てぬぐひに進すゝんだ鹿しかから、一口ひとくちづつ団子だんごをたべました。六疋ぴきめの鹿しかは、やつと豆粒まめつぶのくらゐをたべただけです。
鹿しかはそれからまた環わになつて、ぐるぐるぐるぐるめぐりあるきました。
嘉十かじふはもうあんまりよく鹿しかを見みましたので、じぶんまでが鹿しかのやうな気きがして、いまにもとび出ださうとしましたが、じぶんの大おほきな手てがすぐ眼めにはいりましたので、やつぱりだめだとおもひながらまた息いきをこらしました。
太陽たいやうはこのとき、ちやうどはんのきの梢こずゑの中なかほどにかかつて、少すこし黄きいろにかゞやいて居をりました。鹿しかのめぐりはまただんだんゆるやかになつて、たがひにせわしくうなづき合あひ、やがて一列れつに太陽たいやうに向むいて、それを拝おがむやうにしてまつすぐに立たつたのでした。嘉十かじふはもうほんたうに夢ゆめのやうにそれに見みとれてゐたのです。
一ばん右みぎはじにたつた鹿しかが細ほそい声こゑでうたひました。
「はんの木ぎの
みどりみぢんの葉はの向もごさ
ぢやらんぢやららんの
お日ひさん懸かがる。」
その水晶すゐしやうの笛ふえのやうな声こゑに、嘉十かじふは目めをつぶつてふるえあがりました。右みぎから二ばん目めの鹿しかが、俄にはかにとびあがつて、それからからだを波なみのやうにうねらせながら、みんなの間あひだを縫ぬつてはせまはり、たびたび太陽たいやうの方はうにあたまをさげました。それからじぶんのところに戻もどるやぴたりととまつてうたひました。
「お日ひさんを
せながさしよへば、はんの木ぎも
くだげで光ひかる
鉄てつのかんがみ。」
はあと嘉十かじふもこつちでその立派りつぱな太陽たいやうとはんのきを拝おがみました。右みぎから三ばん目めの鹿しかは首くびをせはしくあげたり下さげたりしてうたひました。
「お日ひさんは
はんの木ぎの向もごさ、降おりでても
すすぎ、ぎんがぎが
まぶしまんぶし。」
ほんたうにすすきはみんな、まつ白しろな火ひのやうに燃もえたのです。
「ぎんがぎがの
すすぎの中ながさ立たぢあがる
はんの木ぎのすねの
長なんがい、かげぼうし。」
五番目ばんめの鹿しかがひくく首くびを垂たれて、もうつぶやくやうにうたひだしてゐました。
「ぎんがぎがの
すすぎの底そこの日暮ひぐれかだ
苔こげの野のはらを
蟻ありこも行いがず。」
このとき鹿しかはみな首くびを垂たれてゐましたが、六番目ばんめがにはかに首くびをりんとあげてうたひました。
「ぎんがぎがの
すすぎの底そごでそつこりと
咲さぐうめばぢの
愛えどしおえどし。」
鹿しかはそれからみんな、みぢかく笛ふゑのやうに鳴ないてはねあがり、はげしくはげしくまはりました。
北きたから冷つめたい風かぜが来きて、ひゆうと鳴なり、はんの木きはほんたうに砕くだけた鉄てつの鏡かゞみのやうにかゞやき、かちんかちんと葉はと葉はがすれあつて音おとをたてたやうにさへおもはれ、すすきの穂ほまでが鹿しかにまぢつて一しよにぐるぐるめぐつてゐるやうに見みえました。
嘉十かじふはもうまつたくじぶんと鹿しかとのちがひを忘わすれて、
「ホウ、やれ、やれい。」と叫さけびながらすすきのかげから飛とび出だしました。
鹿しかはおどろいて一度いちどに竿さをのやうに立たちあがり、それからはやてに吹ふかれた木きの葉はのやうに、からだを斜なゝめにして逃にげ出だしました。銀ぎんのすすきの波なみをわけ、かゞやく夕陽ゆふひの流ながれをみだしてはるかにはるかに遁にげて行いき、そのとほつたあとのすすきは静しづかな湖みづうみの水脈みをのやうにいつまでもぎらぎら光ひかつて居をりました。
そこで嘉十かじふはちよつとにが笑わらひをしながら、泥どろのついて穴あなのあいた手拭てぬぐひをひろつてじぶんもまた西にしの方はうへ歩あるきはじめたのです。
それから、さうさう、苔こけの野原のはらの夕陽ゆふひの中なかで、わたくしはこのはなしをすきとほつた秋あきの風かぜから聞きいたのです。
「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」
窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟むねばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼めもさめるような、青宝玉サファイアと黄玉トパースの大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸とつレンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環わとができました。それがまただんだん横へ外それて、前のレンズの形を逆に繰くり返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡ねむっているように、しずかによこたわったのです。
「あれは、水の速さをはかる器械です。水も……。」鳥捕とりとりが云いかけたとき、
「切符を拝見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子ぼうしをかぶったせいの高い車掌しゃしょうが、いつかまっすぐに立っていて云いました。鳥捕りは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌はちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなた方のは?)というように、指をうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。
「さあ、」ジョバンニは困って、もじもじしていましたら、カムパネルラは、わけもないという風で、小さな鼠ねずみいろの切符を出しました。ジョバンニは、すっかりあわててしまって、もしか上着のポケットにでも、入っていたかとおもいながら、手を入れて見ましたら、何か大きな畳たたんだ紙きれにあたりました。こんなもの入っていたろうかと思って、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大きさの緑いろの紙でした。車掌が手を出しているもんですから何でも構わない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直って叮寧ていねいにそれを開いて見ていました。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしていましたし燈台看守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がしました。
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたずねました。
「何だかわかりません。」もう大丈夫だいじょうぶだと安心しながらジョバンニはそっちを見あげてくつくつ笑いました。
「よろしゅうございます。南十字サウザンクロスへ着きますのは、次の第三時ころになります。」車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。
カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草からくさのような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込こまれてしまうような気がするのでした。すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いました。
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想げんそう第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈はずでさあ、あなた方大したもんですね。」
「何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えながらそれを又また畳んでかくしに入れました。そしてきまりが悪いのでカムパネルラと二人、また窓の外をながめていましたが、その鳥捕りの時々大したもんだというようにちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。
「もうじき鷲わしの停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較みくらべて云いました。
ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸さいわいになるなら自分があの光る天の川の河原かわらに立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙だまっていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊きこうとして、それではあんまり出し抜ぬけだから、どうしようかと考えて振ふり返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚あみだなの上には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度したくをしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖とがった帽子も見えませんでした。
「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやりそう云っていました。
「どこへ行ったろう。一体どこでまたあうのだろう。僕ぼくはどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。」
「ああ、僕もそう思っているよ。」
「僕はあの人が邪魔じゃまなような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。
「何だか苹果りんごの匂においがする。僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」カムパネルラが不思議そうにあたりを見まわしました。
「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨のいばらの匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思いました。
そしたら俄にわかにそこに、つやつやした黒い髪かみの六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたような顔をしてがたがたふるえてはだしで立っていました。隣となりには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹ふかれているけやきの木のような姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立っていました。
「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛かあいらしい女の子が黒い外套がいとうを着て青年の腕うでにすがって不思議そうに窓の外を見ているのでした。
「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神さまに召めされているのです。」黒服の青年はよろこびにかがやいてその女の子に云いいました。けれどもなぜかまた額に深く皺しわを刻んで、それに大へんつかれているらしく、無理に笑いながら男の子をジョバンニのとなりに座すわらせました。
それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。女の子はすなおにそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。
「ぼくおおねえさんのとこへ行くんだよう。」腰掛こしかけたばかりの男の子は顔を変にして燈台看守の向うの席に座ったばかりの青年に云いました。青年は何とも云えず悲しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれてぬれた頭を見ました。女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまいました。
「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなに永く待っていらっしゃったでしょう。わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにわとこのやぶをまわってあそんでいるだろうかと考えたりほんとうに待って心配していらっしゃるんですから、早く行っておっかさんにお目にかかりましょうね。」
「うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ。」
「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あすこはあの夏中、ツインクル、ツインクル、リトル、スター をうたってやすむとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています。」
泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。青年は教えるようにそっと姉弟にまた云いました。
「わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。そこならもうほんとうに明るくて匂がよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代りにボートへ乗れた人たちは、きっとみんな助けられて、心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう。」青年は男の子のぬれたような黒い髪をなで、みんなを慰なぐさめながら、自分もだんだん顔いろがかがやいて来ました。
「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか。」さっきの燈台看守がやっと少しわかったように青年にたずねました。青年はかすかにわらいました。
「いえ、氷山にぶっつかって船が沈しずみましてね、わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発たったのです。私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日きのうのあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾かたむきもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧きりが非常に深かったのです。ところがボートは左舷さげんの方半分はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫さけびました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈いのって呉くれました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押おしのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気きょうきのようにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなどとてももう腸はらわたもちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟かくごしてこの人たち二人を抱だいて、浮うかべるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。誰たれが投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑すべってずうっと向うへ行ってしまいました。私は一生けん命で甲板かんぱんの格子こうしになったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからともなく〔約二字分空白〕番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。そのとき俄にわかに大きな音がして私たちは水に落ちもう渦うずに入ったと思いながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一昨年没なくなられました。ええボートはきっと助かったにちがいありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕こいですばやく船からはなれていましたから。」
そこらから小さないのりの声が聞えジョバンニもカムパネルラもいままで忘れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼めが熱くなりました。
(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍こおりつく潮水や、烈はげしい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう。)ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込こんでしまいました。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠とうげの上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」
燈台守がなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」
青年が祈るようにそう答えました。
そしてあの姉弟きょうだいはもうつかれてめいめいぐったり席によりかかって睡ねむっていました。さっきのあのはだしだった足にはいつか白い柔やわらかな靴くつをはいていたのです。
ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光りんこうの川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈げんとうのようでした。百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう、そこからかまたはもっと向うからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のろしのようなものが、かわるがわるきれいな桔梗ききょういろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗きれいな風は、ばらの匂においでいっぱいでした。
「いかがですか。こういう苹果りんごはおはじめてでしょう。」向うの席の燈台看守がいつか黄金きんと紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝ひざの上にかかえていました。
「おや、どっから来たのですか。立派ですねえ。ここらではこんな苹果ができるのですか。」青年はほんとうにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかかえられた一もりの苹果を眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れてながめていました。
「いや、まあおとり下さい。どうか、まあおとり下さい。」
「さあ、向うの坊ぼっちゃんがた。いかがですか。おとり下さい。」
ジョバンニは坊ちゃんといわれたのですこししゃくにさわってだまっていましたがカムパネルラは
「ありがとう、」と云いました。すると青年は自分でとって一つずつ二人に送ってよこしましたのでジョバンニも立ってありがとうと云いました。
燈台看守はやっと両腕りょううでがあいたのでこんどは自分で一つずつ睡っている姉弟の膝にそっと置きました。
「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派な苹果は。」
青年はつくづく見ながら云いました。
「この辺ではもちろん農業はいたしますけれども大ていひとりでにいいものができるような約束やくそくになって居おります。農業だってそんなに骨は折れはしません。たいてい自分の望む種子たねさえ播まけばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィック辺のように殻からもないし十倍も大きくて匂もいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。苹果だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです。」
「ああぼくいまお母さんの夢ゆめをみていたよ。お母さんがね立派な戸棚とだなや本のあるとこに居てね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか云ったら眼がさめちゃった。ああここさっきの汽車のなかだねえ。」
「その苹果りんごがそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。」青年が云いました。
「ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。」
姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。男の子はまるでパイを喰たべるようにもうそれを喰べていました、また折角せっかく剥むいたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜ぬきのような形になって床ゆかへ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのでした。
川下の向う岸に青く茂しげった大きな林が見え、その枝えだには熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな音いろが、とけるように浸しみるように風につれて流れて来るのでした。
だまってその譜ふを聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蝋ろうのような露つゆが太陽の面を擦かすめて行くように思われました。
「まあ、あの烏からす。」カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子が叫びました。
「からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何気なく叱しかるように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく河原かわらの青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光びこうを受けているのでした。
「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」青年はとりなすように云いました。
向うの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方からあの聞きなれた〔約二字分空白〕番の讃美歌さんびかのふしが聞えてきました。よほどの人数で合唱しているらしいのでした。青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きそうにしましたが思いかえしてまた座すわりました。かおる子はハンケチを顔にあててしまいました。ジョバンニまで何だか鼻が変になりました。けれどもいつともなく誰たれともなくその歌は歌い出されだんだんはっきり強くなりました。思わずジョバンニもカムパネルラも一緒いっしょにうたい出したのです。
そして青い橄欖かんらんの森が見えない天の川の向うにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまいそこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひびきや風の音にすり耗へらされてずうっとかすかになりました。
「あ孔雀くじゃくが居るよ。」
「ええたくさん居たわ。」女の子がこたえました。
ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀がはねをひろげたりとじたりする光の反射を見ました。
「そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラがかおる子に云いいました。
「ええ、三十疋ぴきぐらいはたしかに居たわ。ハープのように聞えたのはみんな孔雀よ。」女の子が答えました。ジョバンニは俄にわかに何とも云えずかなしい気がして思わず
「カムパネルラ、ここからはねおりて遊んで行こうよ。」とこわい顔をして云おうとしたくらいでした。
川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人の寛ゆるい服を着て赤い帽子ぼうしをかぶった男が立っていました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号しているのでした。ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふっていましたが俄かに赤旗をおろしてうしろにかくすようにし青い旗を高く高くあげてまるでオーケストラの指揮者のように烈はげしく振ふりました。すると空中にざあっと雨のような音がして何かまっくらなものがいくかたまりもいくかたまりも鉄砲丸てっぽうだまのように川の向うの方へ飛んで行くのでした。ジョバンニは思わず窓からからだを半分出してそっちを見あげました。美しい美しい桔梗ききょういろのがらんとした空の下を実に何万という小さな鳥どもが幾組いくくみも幾組もめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。
「鳥が飛んで行くな。」ジョバンニが窓の外で云いました。
「どら、」カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるい服の男は俄かに赤い旗をあげて狂気きょうきのようにふりうごかしました。するとぴたっと鳥の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんという潰つぶれたような音が川下の方で起ってそれからしばらくしいんとしました。と思ったらあの赤帽の信号手がまた青い旗をふって叫さけんでいたのです。
「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはっきり聞えました。それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたのです。二人の顔を出しているまん中の窓からあの女の子が顔を出して美しい頬ほほをかがやかせながらそらを仰あおぎました。
「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。」女の子はジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニは生意気ないやだいと思いながらだまって口をむすんでそらを見あげていました。女の子は小さくほっと息をしてだまって席へ戻もどりました。カムパネルラが気の毒そうに窓から顔を引っ込こめて地図を見ていました。
「あの人鳥へ教えてるんでしょうか。」女の子がそっとカムパネルラにたずねました。
「わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからかのろしがあがるためでしょう。」カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。そして車の中はしぃんとなりました。ジョバンニはもう頭を引っ込めたかったのですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかったのでだまってこらえてそのまま立って口笛くちぶえを吹ふいていました。
(どうして僕ぼくはこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。)ジョバンニは熱ほてって痛いあたまを両手で押おさえるようにしてそっちの方を見ました。(あ Permalink | 記事への反応(0) | 22:20