はてなキーワード: 箪笥とは
業界までは言えないが、観光の仕事をしている。イベント・行事をこなしていく感じの仕事である。
今日はちょっと悩みがある。ちょっと、どころではないかもしれないが。罪悪感がある。
私は役職でいうと、係長とかリーダーとかその辺である。40代前後なので、まあこんなものだろうか?
今の部署は5年目だ。ちょうど2年前、つまり部署3年目だった時の話をする。ちょっと長いけど読んでほしい。適宜フェイクを入れるが、本質は残したつもりである。
後で読み直したんだが、表現がなんか小説みたいになってる。これは、私個人が精いっぱい思い出そうとした結果である。ご容赦願いたい。
イベントや定例行事、式典の数が多すぎて辟易していた。係メンバーが私を含めて6人いて、その過半数はイベント関係の仕事を持っている。
かくいう私は、うちの会社が直接やるイベントはもちろん、関係組織のものまで含めて課長クラスと一緒に出る必要があった。土日祝日の出勤になる。正直、休暇日数は少なかった。有給は使い切れず、年間休日は110日を割っていた。
会社直営のイベントだと時間外手当が出るが、関係組織のものは顔を出して談笑するのが主で、接待を受けることもあったからか、勤務日とはみなされなかった。話の相手方は全員年長者で、けっこう気を遣うにもかかわらずこの扱いだった。
勤務日にしてくれてもいいのに、という愚痴は置いといて。私をよく手伝ってくれる女性がいた。私と同じ部署3年目の子で、Sさんとしようか。Sさんは仕事ができる系の女子だった。彼女が担当する仕事のイベントはもちろん、ほかの仲間が担当のイベントで人が足りない時とか、人が足りている時ですら休日に出てくれた。私が出るイベントは、おそらくすべて出てくれている。
あの子はまだ20代半ばで、一応結婚はしてるけど……遊びたい盛りのはずだ。それを、こんなに休日を犠牲にしてくれて。振替休日もまともに取ってなかった。私の上司としての甲斐性がないせいでもある。
クールキャラで、そんなに感情を出さない子だった。いつも黙々と働いていた。あ、でも笑う時はすごく笑う。でもあの子は、きっと我慢していたと思う。職場の仕事初心者とか、働かない年長者の代わりによくがんばっていたし、体力のいる仕事だって、身長小さめなのによくやっていた。
この年はしんどかった。イベントの数も多かったが、とある特大行事があった。うちの部の責任者がゴリ押しで進めていたもので、そのうえ役員連中が政治力で開催地を勝ち取ってきた。
ざっくり言うと、昔プロ野球で大活躍した選手を何十人も集めて、地元チームと試合をしたり、少年少女に野球を教えたりするものだ。
で、その準備がまた大変だった。係総動員で挑んでも人手が足りないほどだったが、結局私とSさんがほぼメインで毎日残業して取り組んだ。そんな月日が三ヶ月以上は続いた。
あれは……開催まであと1週間というところだった。時期は6~7月かな。
その日は、開催場所(地元野球場)まで2人で車に乗って行って、選手観客の導線に無理がないかを確認したのと、台本に合わせて実際の全体の動きをデモンズソウルしていった。いくつかの問題点を見つけて、ああしたらこうしたらとまとめていって、終わる頃には日が傾いていた。
社用車で急いで職場に帰った。夜8時頃に事務所に入ると、その日にやろうとしていたグッズの数確認(検査検収)が全く終わってないのを確認した。私の仕事なので、終わらせて帰ろうとしてたら、Sさんが手伝いを申し出てくれた。
一緒に雑談しながら、しんみりとした疲労感の中でカウントしていった。何を数えていたかはもはや覚えてない。スタッフ用の記念Tシャツだったと思う。
今もそのクソダサTシャツは自宅の箪笥に仕舞ってある。正直クソダサTシャツではあるが、ぺこーらとかヒカキンとか、その他の著名Youtuberが着用したら一周回ってアリなのかもしれない。
結局、終わったのは夜9時過ぎだった。さあ帰ろうかとなったが、段ボールに入ったグッズを真っ暗闇の印刷室兼倉庫に運ぶ必要があった。
作業自体は10分も要らなかった。Sさんが手伝ってくれていた。印刷室の入口は電気を点けてない。廊下の明かりがちょっと漏れていたので。私の分が何往復かして終わって、あとはSさんの1箱分だけだった。
その時、Sさんから段ボール箱を受け取るところで、私が疲労のあまり躓いて、Sさんにぶつかってしまい、一緒に転びかけた。それで、気が付いたらSさんの手が私の肘のところにあって、段ボール箱は床に落ちた。
私が拾おうとしていると、ほぼ暗闇の中でSさんと目が合った。パッチリと合ったのだ。
私もSさんも疲れていた。私が「フフッ」と笑うと、Sさんも笑顔で吹き出した。私は気が付くと、Sさんの両手を握っていた。
「「あ……」」
そういう雰囲気だった。
Sさんの目をまっすぐに見て、一歩足を踏み出して、頭の後ろと肩のあたりをグイっと抱きしめた。Sさんの後頭部のあたりが汗臭かった記憶がある。私もおそらく臭かった。
Sさんが両手で、私の脇腹のあたりを猫の手みたいにして握りしめた。Sさんの胸部の感じが、私のみぞおちにあった。
やがて、抱きしめるのをやめると、暗闇の中にSさんの顔が間近にあった。
「ごめんね」というと、「なにが……? 何も嫌なことないですよ」って、震えた声が返ってきた。
それから、印刷室で段ボール箱の整理を終えると職場に帰った。Sさんが後ろから付いてきてる。PCをシャットダウンして、天井の明かりを切る前にSさんに「帰りは?」と聞いたところ、「自転車です」だって。
「もう暗いぞ。車で送っていこう」
「ほんとに。送ってくれるんですか?」
「いいです」
「お腹空いたな」
「空きました」
こんなやり取りだった。あと三行くらいはあったろうが、記憶はとうに消えている。
それからは、会社から離れた国道沿いのラーメン屋でご飯食べて、帰りの駐車場で車に乗ろうとする時、Sさんが運転席の辺りまで来て、私をずっと見詰めていて、それから……「どっか寄る?」「いいですよ」みたいなやり取りがあった……そして、駅前のシティホテルに車を停めて、罪悪感と一緒に……Sさんと一緒に部屋に入った。
どんな行為だったかな。ぎこちなかったと思うけど、意外と相性がいいところもあった。
ダブルルームに入ったら、すぐに扉を閉めて、Sさんにキスをした。扉に押し付けるようにして、ずっと長い間していた。Sさんはやや小柄な方だった。唇の位置を合わせるのがちょっとしんどかった。胸が思ったより大きくて、それがキスの障害になることもあったが、構うことなく続けた。
終わったら、Sさんの手を引いてベッドまで連れて行った。明かりをつけてわかったけど、Sさんはほぼメイクをしてなかった。「現場仕事だからか」と思いながら、ベッドの前でもう一度キスをした。今度は、何度も何度も、しつこく舌を入れて、ディープキスを堪能してから、そのまま行為に及んだ。
※シャワーは事後だけ浴びた。深夜が近くて時間に余裕がなかった
ベッドの中では……Sさんはすごく甘えてきた。お互いにいろんなところにキスをしあったけど、Sさんは前戯の時も、本番の時も、私のことをギュッと抱くようにしていた。昔ダッコちゃん人形というのを実家で見たことがあるけど、あんな感じだった。
私がSさんの上にいる時も、Sさんが上になってる時も、どっちかの手で、あるいは両手で私の体に触れていた。
やはり胸が大きかった。私も舐めたり、触ったりしたけど、なんだか固い感じがした。でも、ベッドの中で女性の体に触れるのは数年ぶりだったから、ずっと胸を攻めていた気がする。太腿とかも舐めたり触ったりしたけど、柔らかさよりも筋肉質な感じがした。
どんな体位をやったかは、鮮明に覚えてる。Sさんは基本、挿れている時はずっと同じ態度だった。よく言うと甘えるような面持ちで、悪く言うとマグロだった。
正常位の時も、バックの時も、対面での座位の時も、後ろから背中とか胸を攻めてる時もそうだった。甘えるような声はたくさん出すけど、そんなに動くことはない。
最後はベッドのすみっコぐらしで、Sさんを正面から抱きかかえると、ベッドの端でゆっくり、ゆっくりと、お互いに座位で振動しあっていた。動きにくい態勢だったけど、それがよかった。もし私がAV男優だったら、よいしょっと持ち上げて、入口の扉あたりまで移動して行為をするのだろうか。私にそんな体力はない。
行為の最後に、Sさんと顔を近づけてる時、「愛してます」と伝えた。Sさんは、その場で大笑いしていた。「そういうものかと思って……」と伝えると、さらに笑っていた。
キスをして口を塞ぐと、Sさんも合わせてくれた。Sさんの涙かもしれない液体が、私の頬のあたりを伝ったのを覚えてる。
全てが終わった後、私がベッドの端に座って、付けていたゴムを取ろうとしていると、Sさんがベッドのすぐ下でしゃがんだ恰好になった。私のゴムを手でちょっと握ったと思うと、口を使って取り外してくれた。
それからSさんは、私のを舐めて綺麗にしてくれた。本当に、すべて綺麗になるまで舐め取ってくれた。終わった後で、私の汚い液体がSさんの顔とか乳房にくっついているのを見た。
「付いてるよ。拭かないと。私が拭いてあげる」と言ったら、Sさんは自分で乳房を動かして、自分の舌で汚いものを舐め取っていた。
その時、私はベッドの上からSさんを見下ろしていた。Sさんの体を覗き込んでいた。若々しい身体で、シミなどは一切なかった。女性が男性よりも美の努力をしてるだけかもしれない。
その後、一緒にシャワーを浴びた。名残惜しいと感じて、シャワーを浴びながら、Sさんを真横から抱きしめるようにしていた。お互いに頭の横をくっつけあって、シャワーを浴びてた――私の記憶はそこで終わりだ。
帰り道のことはあまり覚えてない。Sさんが旦那さんと暮らしてる新築の家の付近に車を停めて、深夜にSさんを見送ったシーンは辛うじて記憶に留めている。
野球のイベントは無事に終わった。あれから、Sさんとは普段どおりの関係に戻った。誰の目から見ても、普段通りの上司と部下だった。Sさんは仕事ができるクールキャラで、たまに大笑いをしていた。それも変わらなかった。
冬前になると、Sさんが産休に入ると言った。青天の霹靂だったけど、以前から覚悟はしていた。結婚してるんだし、そういうこともあると思っていた。Sさんの代わりとして、臨時雇いの人が来ることになったが、それからは残業が嵩むようになり……あれはキツい日々だった。
でも、Sさんが職場に帰ってきた時のことを思うと、此処を維持するためにがんばろうと思えた。
結局、Sさんが戻ってくるのに一年以上かかった。出産後、産後休暇を取得して子育てに専念したことによる。
今年に入っていつだったか、Sさんが乳幼児の子どもを職場に連れてきた。ベビーカーに乗っていた。1才くらいかな?
其処に集まった女性陣の後ろから、ヨイショッとその子の顔を覗いてみた。Sさんがみんなに見えやすいように抱っこしていた。
その時ほど戦慄したことはなかった。あんな感じは、人生で初めてだった。後悔とは違う。自分が後悔してないのはわかっているけど、それでも恐ろしい感じ。感情の名前が思い浮かばない。
Sさんが私の方を見ようとした時、私はちょうど目を逸らして、デスクに戻るところだった。もうちょっとでSさんと目が合っていたかもしれない。
あの女の子、私と目の感じが似ている。鼻もそうだ。そのあたりから下のパーツも似ている。一目でわかるくらい、それほど似ていた。
これって、もし、あの子が私の子どもだとしたら、バレるんだろうか? 旦那さんがDNA検査するとか言わなくても、病院が提供したデータでバレるんだろうか?
ここまで読んでくれた増田の人は、人生経験が豊かなのではないか? 私はまだ40前後である。どうしたらいいのかわからない。
私はどうすればいいのだろう。どういう心持ちでいればいいのか? 不安でしょうがない。どなたか、なんでもいいのでアドバイスがおありでしたら、何卒ご教示願いたい。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
住宅ローン・実家の箪笥・食べ物:住宅ローンの繰り上げ返済を決意。南部箪笥についての話があり、祖母のものと似ていることに気付く。美味しい肉が食べたいという強い願望が表現された。
家系ラーメン・ネットスーパー:家系ラーメンの話題で盛り上がり、ネットスーパーの品不足に対する不安が共有された。
天気・ポケモンカード:天気が悪い中、ポケモンカード大会の報告と砂浜での散歩の体験が語られた。
榎本俊二・眠気・雨:榎本俊二原画展に対する羨望と、眠気に対処するために薬を飲んだエピソードが語られた。
ダイソー・食べ物:ダイソーや日高屋の品質に対する不満が述べられ、食べ物や髪の薄さに関する話題が展開された。
無印・飲み会:無印のスマホスタンドの話題や、大学名の変更、アメピーというお菓子に関する思い出が共有された。
不動産・音楽:不動産価格やモツのフェスティバル、音楽についての会話があり、情報が交換された。
中本・ラーメン:中本のおすすめ店舗やアメリカのラーメン店についての感想が述べられた。
食べ物・データプラン:データプランや食べ物に関する話題が多く、特に鶏肉やケバブの話が盛り上がった。
飲み会・月:酔った状態での会話が進行し、ツナ缶や月についての話題が出た。
テレビ制作・フリーター:テレビ制作業界の厳しい労働環境やフリーター問題について議論された。
秋葉原・モツ鍋:秋葉原の飲食店情報やモツ鍋の話が中心に進行し、食に対する関心が強調された。
シルバーウィーク・現実逃避:シルバーウィークや現実逃避についての話題が展開された。
コーヒー・政治:コーヒーやカツカレーの話から始まり、政治や社会問題についても意見交換が行われた。
天候・地震:急な土砂降りの報告や地震の揺れに関する質問があり、天候の話題が多くを占めた。
このチャットは、食べ物、天候、日常生活、趣味に関する軽い話題が中心で、特に食べ物に関する興味や現実逃避の感情が多く語られていました。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
普段はApple Vision Proを使っているのでギャップがすごかった。meta questはハンドトラッキングがあるんだけど、精度が酷すぎて相当使いにくかった。Apple Vision Proの視線での操作も辛いものがあるけど、meta questが酷すぎた。急いでコントローラーを充電した。やはり、meta questはゲーム専用機だなと思う。全体的にもっさりしていて、快適さにはApple Vision Proには遥か及ばない。うんこを啜っている人は、Apple Vision Proハードウェアの完成度を知る機会がないと思うから、これからうんこの啜り頑張ってください。
87歳になるそろそろ父が死にそう。
むしろもう半年前からほぼ死んでて入院中で意思の疎通が取れない状態が続いている。
父はそれなりに先進的な人間でフリーランスのSEとして66歳まで仕事を続けており、ウェブ上で様々な決済や仮想通貨取引、投資などを行っていた。
ここで問題になるのが、父が持っている資産の全貌を掴むのが難しいのではないかということだ。
父が持っている端末、iPhone、galaxy、PCにはそれぞれパスワードがかかっており、家族の誰もアクセスすることができない。
こうなると、父がどのサービスにどの程度の資産を持っているのかほとんどわからない状況になる。
昔なら株券や通帳がまとめて資産として金庫なり箪笥なりにしまわれていて、遺品整理の際にそこから死亡後の死亡届の提出や相続手続きに移れたが、
多くがウェブ上に存在し、それを確認できる端末にアクセスできないとなってしまうと総資産の把握がめちゃくちゃ難しいのではないか。
もしかしたら遺言状にすべて書いてある可能性もあるけど、書いてない可能性もある。
これまでも「あるんだけど誰も知らない」資産ってのはあってそういうのはなんかどっか行ってたんだろうけども。
おそらくこれから死んでいく人の中には物理的に資産がある場所を示せないサービスを受けている人が増えていくと思うんだけど、自分の肉親が死んだときはこういう対処をしたよとか、自分が死ぬときのためにこういう対応をしているよとかあれば教えてほしい。
俺44歳(在宅フルタイム)
俺の実家(親と同居ではない)に引っ越したのを機に、俺はテレワークができる職場に転職し、パートナーは仕事を辞めた。
俺の年収は650万とこの年齢にしては安いし、パートナーはある程度働かないといけないので扶養家族の範囲内で働いてもらうことにした。
元々パートナーはメシマズ(いいかげんなのでレシピ通りにやらない)だし、家事もいい加減だし、ズボラというよりもやる気がなく
洗濯については、洗濯機を回して干して、乾いたものを適当に畳んで箪笥に入れることはできる。ただ、適当に畳むのでシワになる。
部屋掃除は、掃除機をかけているところを見たことがない。クイックルワイパーで掃除はしているが、ソファーやカーペットの上は何もしていない。
当然、棚の上を掃除するなんてことはしない。掃除=(見えている)床だけをクイックルワイパーで拭けばいいと思っている。
そのため、毎朝仕事が始まる前に俺がやっている。
トイレ掃除は嫌いなので「やってくれ」と言わない限り絶対にやらない。毎日やるものじゃない、と言うが毎日どころかやってすらいない。
風呂掃除も当然嫌いだ。「やってくれ」と言わない限り絶対にやらないが、排水溝に溜まった毛は取らないし排水溝を掃除はしない。
洗面所も同様だ。
しょうがないのでパートナーが仕事に行っている間に俺がやっている。
料理も当然しない。片付けもしない。たまに洗い物をするとしても自分の使った食器だけ洗って俺の分や料理で使った鍋や食器は絶対に洗わない。
食後に俺が食器を洗っていると、洗った食器をふきんで拭いて仕舞うくらいはする。
もちろん、シンクに溜まった生ゴミを触るなんてことはできない。したがってシンクを洗うこともしない。
放置すると勝手に定価の宅配ピザを頼んだり外食をする(俺の口座から引き落とされるクレカで支払い)ので、仕方ないので昼休みになるとすぐに料理を開始して皿を並べて提供し、食べ終わるとすぐに洗って片付ける。
もちろん、仕事が終わるとすぐに買い物に出掛けて帰ってきて料理するのも俺の役目だ。
一日が終わるとシンクの生ごみを片付け、シンクを洗い、水気を切って、お風呂に湯をいれて風呂に入って、お風呂に入ったあとに軽く掃除をして、布団を敷いて寝る。
疲れる。
俺は運転ができないので、パートナーが運転しないといけないというので運転だけはパートナーに頼っている。
それはとても助かっているが、俺が起きて仕事をはじめる10時に起きて、ネットゲームをやったりVtuberの動画を見たりして何もしていないパートナーを見るとイライラする。
昼休憩になり、昼飯を作っていてもゲームとYoutubeをやめず手伝いもしないので「なんでおれがメシを作らないといけないんだ!!」とイライラして言ったら、「そんなん(昼メシを作らないくらい)でイライラされても困る」と言われた。
「さらに、MMT支持者の主張にもかかわらず、巨額の紙幣を印刷するとインフレが起こる。」
はっきり理由がいえないのにどうしてこういいきれるんだろう?
なぜかどうしても理解できないというのなら、こうかんがえてみたらわかりやすいだろう。
国内に出回っているはずの印刷した紙幣や国債の一部は、国の借金にはならない。いつのまにか消えてしまう。
たとえばそれは津波災害で家ごと流された箪笥貯金(金庫でもどこでもいい)でもあろう。
あるいはお金持ちが「どうだ、あかるくなつたろう」などといいながら紙幣に火をつけてもやしている。
あるいは脱税のため地面にうめられたまま忘れ去られてしまう。(たまにゴミ捨て場から拾得物として発見される)
金を持っているのに人に頼れなくなった孤独死老人の遺産も国にどんどん帰って来る。(独身増田たちもちゃんと人や国に頼れって口酸っぱくいってるのにな)
amazonの儲けとして海外に輸出され日本国内で出回らなくなった札束と考えてもいい。
便所におとしてクソにまみれた紙幣、海に流された財布、火事で燃えた金庫…。だれももうその金を使わない。
あるいは、配られても使用されないで期限が切れる子育てクーポンやワクチン券なども姿をかえた臨時紙幣だ。
これらはすべて「税収」としてカウントされているわけでもないのに日本政府の債務や支出を実質的に消しつづけている。
だれも「帳消し」にしないだけ。
(余談だが万が一、帳消しになどして「うちの省庁では今年わりあてられた予算を消化できませんでした」となったら翌年から予算がつかなくなるんだからね。
お小遣いはみせかけだけでも全部使っておくことが大事なんだ。そうそう、文科省も総務省も予算どりが下手なんだよね)
ご存じのとおり日銀砲とは紙幣に準ずる国債を仮想的に大量に印刷する行為なのだ。
日本は円高を監視しつづけ、すこしでも円高がすすもうものなら日銀砲を即時うちつづける粘着行為をしてすら、
国内では実際に「デフレ」、あるいは「インフレの過度な抑制」がずっとつづいていた。
この度のインフレは日銀砲をやめてからおこっている。産業空洞化による円安が原因だ。
なので日銀は今度は放出した紙幣を回収する方向で介入した。これが逆日銀砲とよばれるほど長続きするかはわからない。
これからどうしたらいいか。MMTかそうじゃないかなんて定義する必要はない。
安くなった円などいくらでもくばって、生き延びさせて、女性や環境にやさしい国をつくらねばならない。
「国内企業からみれば無駄な」科学技術も発展させなければいけない。
そうして国際競争力をつけなければ、「冷却水放出国のぶどう」「冷却水放出国のほたて」などのように悪口をいわれて安値でもつっかえされてしまう。
日本はこの20年ほどで首相暗殺(未遂もふくめれば2回)や原子炉関係などイメージが悪化している。
(まあ小渕首相の過労死でそんなにおちなかったのが逆に不思議だけど。)
「性を食い物にするアニメ・漫画が流行っているのに実際の犯罪は隠ぺいしすぎていて安全コストが実は非常に高かったのがバレた」
「マイナカードやスマホが全員はつかいこなせず、デジタル納税・デジタル投票・デジタルワクチン証明できない」という社会インフラの古さもかなり痛い。
まあインボイスも地方振興券なみに簡単につかえる申請アプリを先につくっておけばなんとかなったかもしれないのに
ズルズル「やっぱやめようかな~」などととなえる弱腰クソ政府だからね。
輸出企業だのインバウンド目当ての接客業が景気を盛り返しかけているみたいだからそっちの方向でとりあえず稼ぐのもいいかもね。
いつかキューバのように60年前の車を大事に修理してつかう国になってしまう。
キューバは幸せな社会主義国家ではあろうが、先進国とはもはやいえない。
あるいは、ロシアだ。1億人の国民、豊富な地下資源。でも産業は農業石油の一次産業以外は空洞化したままだ。
貿易港が冬にとざされるから一次産業の産品でさえ輸出できない。
ロシアとウクライナの姿は、人口だけでいえば日本と韓国によくにているよ。
将来ああならないように気を付けなければいけないよ。
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
注文住宅シリーズの尻馬乗らせて貰うが、「USB付きコンセントを付けるな」に尽きる。
もう既についちゃってるやつは電気工事を手配して外してもらえ。
USB付きコンセントの造りっていうのは単純で、USB充電器の中身がコンセントの裏に入ってるってだけだ。
その構造はこうなっている。
・変圧回路
・直流化回路
・平滑回路
変圧回路は100V→5~20Vに変圧する回路で1.トランス(コイル)、2.半導体素子 の2種類がある。
安いのや重いのはトランスだ。
平滑回路はコンデンサが入っている。
USB充電器がコンセントに刺さっている間、これらには電圧が掛かっていて、特にトランスは発熱する。発熱するって事はずっと電気が無駄になっているって事だ。
またコンデンサには寿命があり、稼働時間で2~5年位でへばって壊れてしまう。
この時このコンデンサは爆発する事がある。
しかしUSB充電器は使い終わったらコンセントから抜くものだからそんなに稼働時間は増えない。
だがコンセント内蔵型だったらどうか?電力を遮断する方法は無いからずっと電圧掛かりっぱなしだ。
延長タップにUSBが付いているものもあるが、延長タップというのは5年で交換が推奨されるもので、実際の使用でも10年程度で交換される。だからUSB部分の寿命を大幅に超えるっていうリスクはあんまりない。
だが家のコンセントを5年や10年で電工呼んで替える人が居るだろうか?いないんである。
更に家具の配置によっては箪笥の裏側に行ってしまう事もある。ホコリが積もった箪笥の裏である日パスっとコンデンサが破裂。火花がホコリに飛んで…
ヤバいのが判るかな。
つーわけで何十年も交換しないコンセントに充電回路を付けるなんてナンセンスなんだ。
そのうち壊れて充電できなくなってしまう。またはUSBの規格が変わって使わなくなってしまう。
でも充電不可になっても爆発のリスクは残ったままなの。
あまりにも心もとない財布を見て、勢いのままに体入を申し込んだ。いくら見た目が若いとはいえアラサーに足を突っ込んでいる。
それまで接客業に従事はしていたものの、全くの初心者。さらに、性交に夢見てしまっていた未通である。
逆にお客さんに申し訳ない。
こういうのはかわいい女の子が着るからこそいいのでは?と思いつつ、衣装を着て背筋を伸ばしたら私もかわいくみえるのでは?と少し楽しくなっていた。
スカートの丈もさることながら、カウンターにはおおきな鏡が設置されている。
なるほど、パンチラ。
最近ノーパンしゃぶしゃぶの情報を仕入れたところだったから、ホンモノに出会ってハイテンションである。つくりは簡素だけど、よく考えられている……
面接の時点でパンチラはわかっていたので、体入にあたって新しい下着を買った。箪笥の中身はあまりにも……なものしかなかったのだ。
こういうのが好きな人もいるだろうが、仮にこれを見て盛り上がっている人には引く、ので、自分が着て、見て、楽しいものを買った。
きっとほとんど年下だろうけど、かわいくて楽しくて、しっかりしている。尊敬した。
お名前をすぐには覚えられないので、おねえさんと呼んだ。おねえさんと呼べて楽しかった。おねえさんと呼べとは言われていなかったが、教わっていて嫌ではなかった。
お客さんに少しだけついた。残念ながら指名を頂けなかった。
まあなにもかも初めてなので当然である。お話しているときは楽しかった。素直に心から笑った。いや、ゲラなのもあるけども。ドリンクもいただけた。おいしかった。
総じて、楽しかった体験入店であった。しかしそれ以上に精神的に疲労がたまった。
客引きでたちっぱだったのもあるだろう。いままで男性と関わる機会が少なくて、緊張していたのかもしれない。
この頃、仕事して疲れるけど楽しくて疲れた感覚がない、という仕事ばかりしていたから、それはかなりの負荷であった。本入店をすぐにOKできなかった。
今回は体入だったのでなかったが、店舗に出勤する以外に、時間外でブログなどの業務があるらしい。店舗だけで疲れるのにこれ以上?
ただでさえ掛け持ちでバタバタしているのに、そんな余裕はない。
時給外の業務でも、その分時給がいいなら考えたが、今回の体入だけでみた時給は掛け持ち中のバイト時給と変わらない。
即日手渡しでもなし、これ以上増やしたところで利点はないだろう。
ということで今回はご縁がなかったということで。返答を待ってもらっているから、その間に良い文章を作らなくては。
また財布が心持なくなったら、体入に現れると思います。
ミレニアル世代の私は年甲斐もなくコナングレイの出現に狂喜乱舞した。
希望を探し求めているのに自身のことに対しては常に悲観的(極度の恋愛恐怖症というやつ?)、デートを何度重ねていようが「恋愛」はしたことが無いと歌う彼、それでも恋愛をしていない登場人物が「恋愛について」を語る詩は二十数年生きてきた中で出会えた最も自分ごとなラブソングに思えた。こんな話はManiacのMVコメント欄に溢れかえっていそうだ。「コナン、不思議な話だけど私貴方が本当に私の親友のように思えるの、これはまさしく私が考えていたことだ」って。
インターネット人間関係全盛期に思春期を過ごしTinderで大人になった私や私の仲間達は勿論、恋愛や友情を謳歌する者も数多いがそれと同じくらいクローズドなコミュニティの中で出会いの無さを嘆く人々に溢れている。テキストで地球の裏側にいる人間にすらすぐ繋がれる世界は案外と半径5mくらいの宇宙を狭めているのではないかと思う。
求めた数だけ出会いは増えるが、心の底から求めるような着てみたら案外ピタッと形がハマる白Tシャツのようなメイトを探すことは非常に困難で、会う人数を増やせば辿り着けるというわけでもないユートピアであり幻想なのだ、そういう人間は。
私はそういう人間と恋愛的パートナーになった。約10年もの間身体の関係どころかプラトニックラブすら育んでこなかった、正真正銘の友人、よもや親友と言えるであろう相手だった。彼との友人関係を説明するのに打ってつけな状況は小学校の放課後くらいかもしれない、「後で公園に集合な!」そう声をかけ合い、ランドセルを置くため一度は帰路に着くが落ち合う時間を正確に決めたわけでもないのに集い気が済むまで遊ぶ、喧嘩でもない限りは毎日。本当にそんな関係性だった(実際週に何度も会うというのが毎週、小学校を余裕で卒業できる年数分も続いた)。小学生の頃仲が良かった友人で大人になっても付き合いがあるような人は殆ど居ないのが一般的だろうが、当時小学生であった我々はこの友情が終わりなく続くもののように感じられていたのではないだろうか。少なくとも私はそうだ、終わりという概念が頭をよぎったことすらなかった。
そんな彼と10年越しに付き合うことになった、そこに至る理由やイベントについての記述は省く、問題はそれだけの、小学校の親友のように過ごしてきた相手に対してですら、こと恋愛という人間関係の箱に入れられればひとたび、その関係の終わりを匂ってしまうということだ。
初めて恋のフィルターを通して私を見た彼はそれはそれは浮かれていた、恋愛初期段階を楽しむ人間が往々にしてそうなるように。選り好みが激しく友人の少ない彼は数年ぶりのステディな相手ができたこと自体が非日常で、楽しかったのかもしれない。
私はというと戸惑っていた、そして戸惑いの中で愛着を育てながら、精神力は段々と骨粗鬆症が進行していく様で。いつか来る別れに対して一撃で粉々に砕かれるように、脆く柔らかく心を解いていってしまった。いつか来る別れへの悲しみを深める準備、これこそが愛が育てるということらしい。
信じられないくらい身体にピタリとハマる白Tシャツを見つけたのなら先ずは買わないことが賢明だと思う。汎用性が高く絶対に一着は持っておきたい必需品なのにどんなに大事にしようがお構いなく着れば着るほど劣化し、摩耗する消え物なのに、「コレという一着」を見つけてしまえばそれがダメになった時は捨てるに捨てられず箪笥の肥やしが増えるばかりか、そこから先新しいシャツを何万着と探そうが満足がいかなくなってしまう。
何故友人であった頃は微塵も心配していなかった感情の賞味期限を恐れなければいけないのか。恋情はいっ時の劇薬で、いつかコレを愛情に変える為の努力として結婚や出産と言ったライフステージの変化をもたらす必要があるのかもしれないとか、インターネット耳年増で蓄えた知識のせいで不安になっているだけかもしれない。そう思うと何故友情には飽きも明確な終わりも来ないのだろう。
それでも何も考えずにずっと楽しく過ごせる関係を捨ててしまった自分の軽薄さに身震いしながら後何度週末を待つのだろうか。
絶賛円満に恋愛関係を進行中の彼はマカロニえんぴつの「なんでもないよ、」を聴き、私はコナン・グレイの「Disaster」を聴いている。
ちなみにオークはブナ科コナラ属の木の総称で、日本で言うところの楢と樫の両方を包含する。
そんでオークのうち、一般的に落葉樹が楢で常緑樹が樫と呼ばれる。
なおヨーロッパで樫が生えているのは南欧に限られ、イギリス含む中欧・北欧は楢ばっかり生えていると。
これが最初に書いた、オークを樫と訳すのが基本不適切な理由らしい。
実際英語でオークのうち樫だけを指すときは"live oak"と言うみたいだし。
ではなぜこのような誤訳が起きたかと言えば、ヨーロッパにおけるオークの価値が、明治に和訳された時分に、翻訳者含め日本で十二分に理解されていなかったからと推測される。
というのも日本では古来、杉とか檜とかの針葉樹に高い価値があって、広葉樹は欅とか桐みたいな例外を除いて、近年まで雑木扱いだったイメージ。
これは従来日本における木材の用途が主に「建築材」であり、あとは桐箪笥に楽器や漆器、床の間と上がり框を飾る程度だったことが関係しそう。
何しろ明治維新まで椅子に座る文化は定着していなかったし、侘び寂びな空間を木材で飾る話でもない。
裸足や足袋で歩くんだったら床も杉板のほうが足に馴染むし…というわけでオークの出る幕はなかっただろう。
一方、机椅子に始まりキャビネットに床板化粧板と、木材の「内装材」「家具材」における需要も極めて大きかったヨーロッパ。
そしてオークは内装材・家具材として、ヨーロッパでは長い歴史と伝統を持つ一級品。
この用途でこれ以上の高級材といったらウォルナット(胡桃)・チーク・マホガニー(合わせて世界三大銘木)くらいしかない。
あとはヨーロッパの酒造において、オーク樽は原料の一部と言っていいくらい不可欠だったり。
そうした重要性から遂にはThe King of Forestと称されるほどに。
したがって当時の翻訳者が
「楢なんて、あんな箸にも棒にもかからない木がヨーロッパでは高級木材とかありえないっしょ」
みたいな思い込みで、オークを樫と訳したとしても不思議はない。
(まだ樫のほうが金槌の柄や鉋台とか、強度が求められる部材で価値があったと思われる)
これが大いなる勘違いだと判明するのに、今日に至るまで相当な時間を要したと。
そしてこういうややこしい事情を避けるためか、今はもうオークはオークのまま訳さなくなったっぽい?
(ファンタジー物で登場する、ヒューマノイドの方のオークは昔っからオークのままなのはさておき)
それにしても今振り返るとファンタジー系の小説で「樫の木の扉」とか書かれていたのは噴飯ものだし、少し前までは
「欧米では硬くて加工困難な樫の木から立派な家具をたくさん作っている。その点日本の木工はダメだな」
まあでも、そういう諸々を笑い話にできるくらい適切な情報が広まったのは喜ばしい。
https://www.youtube.com/watch?v=_R-tN9l6onQ
ゲーム的に出来ない事が作られるんだけど
それくらい乗り越えろよとか
そこに落ちてるやん拾えよとか
さりとて、出来るようにすると、スカイリムやFalloutみたいになる
そこらにあるものがオブジェクトとしての判定と、他人の物としての犯罪判定をもってて、ちょっとした誤爆でNPCが敵対、阿鼻叫喚とかなりがち
あと、人の家に入って箪笥を開けるとか壺を割るとかが、ありえなくなる
こういうの、ゲームとしてのデフォルメ感を残すべきものと、そうでないもの
きちんと分けて考えるべきで
ドラクエ的なやり方が良いと思ったりしている
勝手に自縄自縛で制作環境を上げて、コストのわりに売れないと嘆き
ゲーム作りは大変になったと嘯くくらいなら