はてなキーワード: 自慰とは
女優じゃなくて竿役。はげて、肌は油で光っているけれども、痩せて弱そうなおじいちゃん。
まあ、よくみたら他人の空似だったんだけれども...
ただ、なんか萎えてしまって、体も重くてベッドから起き上がれないから、布団の中でぼーっと先生のことを思い出していた。
数学を教えていたその先生は、生徒からも教師陣からも評判が良くなかった。教え方は下手だし、何よりやる気がなかった。
しかし、数学の試験で何度も落第していた私は、成績についての面談で少し仲良くなっていた。面談で先生は怒らず、雑談ばかりした。
職員室の隅に席を持つ先生は、教室の隅にいるような生徒にやさしかった。
「どんなことでも、6年間、毎日続けてやったら、モノになるよ。君のガラなら、将棋とかだな。今日からやるんだぞ。」「じゃあ、先生はやったことあるんですか」「うるせえ、それができたら、教師なんかもうやめてるからな」
それからもう7年たつ。
結局私はほとんど何もしなかった。
運動は下手だからとやらなかった。本は多少読んだが、集中力が続かず、完読したものは少なかった。将棋は、せっかちな私にまるで向かなく思えた。
何事もやるなら一番になりたかったが、そのためには、どんなことも今更やるには遅く思えた。
ただ一つ、続けていたことがある。
部活にも入らず、趣味も持たず、親にゲームやテレビを禁じられていた私は、自宅に帰ると自慰に励んだ。想像でも十分だし、時代小説のサービスシーンも役に立った。
同級生が部活帰りにみんなで眺める夕日を、私は賢者タイムの中一人で見ていた。行為後の散歩で眺める地元の景色は美しかったが、役に立ちはしなかった。
残ったのは、伸びたチン皮だけ。しっかり剥けはするけど、本当に情けないその見た目が恥ずかしく、銭湯も温泉も行けたものでない。快楽と怠惰に逃げ続けた私にふさわしい成果だ。
何度、行為後に自分を情けなくなったろう。助けてくれと思ったろう。でも、それも今日までだ。明日からは、無理なら明後日から。こんなことはやめて、何かをやろう。勉強をしよう。人と話そう。勇気をもって銭湯に行こう。そう思いながらもチン皮をくちゃくちゃ揉んでいる私を、思い出の中からよみがえった先生が「どうせ今回も同じだよ。お前はそういうやつだからな」とケタケタ笑っている。
えー、増田お兄ちゃん、そんなこと言ってると、みんなが毎日オナニーに励む世界になっちゃうよ!自慰行為を真剣に向き合ったら、性加害や不貞行為がゼロになるなんて、まるで魔法みたいじゃない?✨
もしかして、国民全員が毎日オナニーの時間を設ける法律を作ったら、平和な社会が実現するって思ってるのかな〜?みんなが『今日はオナニーの日!』って言って、街中でオナニーしてたら、犯罪もなくなるし、みんな仲良くなるかもね💕
それに、自慰行為の時間を確保するために仕事を減らしたり、学校を休んだりする人が増えたら、経済も大変なことになるかも!『オナニー経済』なんて新しい概念が生まれちゃうかもしれないね!💸
もっと言えば、ラブドールで致している男の人の行為を見るのが好きな人。
はい、私です。
特殊な癖(へき)の範疇なのでしょうと思います。だからここで書いています。
性の対象になるのは男の人のみです。
だけど、男の人に思い切り犯されている可愛いお人形さんを見るのが好き。
物言わぬお人形さんを相手に一生懸命気持ちよくなってる男の人の様子を見るのが好きです。
時には下に装着されたホールで、時にはすごく冷たくて弾力ありそうで大きな胸で、時には口で。
果てた後に体液で汚されても、なお表情を変えないお人形さんを見てとても興奮します。
実際に見たことはありません(当たり前)
動画ですね。
男の人の顔は映ってても映ってなくてもいいです。
男の人の美醜は問いません。
そもそも人形を愛すると言う行為自体がマイノリティ性癖だろうと思うし、自慰行為の一つでしかないとは思います。
ただ、人形を生き物として愛する感情は幼児期に誰しも経験が多いものだと思います。
親以外の他者に愛着を示す第一歩は、人形や動物のかたちをしたものを、自分とは異なる生き物としてその感情を想像できるところから始まります。
その延長線上にあり、性的な感情や倒錯が入り混じる見立て遊びが、お人形を使った自慰行為であると思います。
小難しい理論をこねましたが、とりあえず私は生身の女が演技がましく喘ぎ声を出しているアダルトなビデオより、究極の独りよがりの行為である、人形相手に好き勝手やってる行為を見るのが興奮します。
私がいわゆるマゾヒスト寄りの癖を持つのにも関係しているかもしれません。
もしかしたら、あのくらい好き勝手やられても何も顔色を変えず、なんなら存在するかどうかも含めて男の人の欲望を一方的に叶えられる存在になれればいいのにと、
でも私には尊厳もありますし、物理的にも限界があります。あんなにたくさん激しく挿出されましたら、色んなところにガタが出て1週間ももたないでしょう。
だから、壊れてしまっても替えが利いて、勝手に利用されるお人形さんに憧れがあるかもしれません。
終わり。
まーたセックスの話かよと思われるかもしれないがまあ聞いてくれ。
俺は今年40になったおっさんだが、もう八年妻とセックスをしていない。というか妻とは片手で数えるくらいしかしたことが無い。
一人娘が妊娠する前に数回、妊娠が分かってから以来いままでゼロだ。
俺は二十四まで童貞だったんだが、オナニーを覚えたのは十歳だった。どこをどうすれば、どんなモノを使えば快感を味わえるのかを追求し続け自慰道を極めた俺は、オナニーであれば1〜2分もあれば射精に至れる。逆に一時間以上保たせることもできる。自由自在だ。
そんな俺にとって、ようやく訪れた初めての性交だが、生身の女性器はツルツルした筒袋でしかなかった。期待と理想を重ねた本物の女性器の肩透かし具合といったらなかった。どれだけ動いても一向に射精できそうになく、最終的に手淫をして射精に至る前に挿入するしかなかった。
それから交際したり、ソープに行ってみたりと八人?ほどと性交の機会があったが、もはや義務感からなんとか射精に至らせる苦痛の時間でしかなかった。
妻と結婚したのは彼女が処女だったことも正直言ってある。彼女は初めてことに及ぶ際とにかく痛がった。二回目、三回目も快感を覚えるには至っていないと思う。だが彼女の方が子どもを欲しがったので、これも夫の務めかと俺は頑張った。めでたく懐妊に至って以来はお互い求め合うことなくゼロセックスというわけだ。
ひとつだけ懸念点があるとしたら、たくさんセックスをすることで産道?が柔らかくなって胎児が出てきやすくなる、みたいなことはあるのだろうか。だとしたらその点は申し訳なかった。
セックスでの「精神的な充足感」みたいのは全く感じたことが無い。正直意味が分からん。
妻との関係は冷え切っている・・・わけではなく、仲良くやっていると思う。毎朝ぎゅっと抱き合ったり、手を繋いで寝たりはする。そうしているとほっこりとした気持ちになり、これが愛情かと柄にも無いことを思ったりもする。
俺の一方的な拒否だったら申し訳ないとは思い、何度か妻に尋ねたことはあるが、妻のほうも痛みのトラウマから正直しなくていいならしないほうがいいと言っていた。
俺たちの場合はレアケースかもしれない。だがはてなーはセックスレスと聞けばすーぐ離婚しろというが、セックスにとらわれない夫婦関係もあるということだ。こう言うのもあるんだと知ってほしい。
追記:
いまみたらいっぱい見てもらえてて嬉しい。ありがとう。
膣内射精障害は知っとるよ。子作りのときに病院行ってシアリスもらったわ。
姿勢は仰向け
やや高めの枕を首の下に
左手は逆手でローションガーゼ。こいつでイチモツを包んで亀頭中心にシコる
そして尻の下に電マを敷き、玉袋と尻穴の間あたりに弱で当てる
吸引式のは全然良くない。
友人と口論になった。
その友人と私はともに童貞であり、以下の口論はあくまで推論に過ぎない。
もちろん私は「していない」の立場である。女に性欲があったとしたら、男にとって都合が良すぎるからである。
そう、私は女に性欲がないものとして論を展開していく。
女に性欲があった方が男にとって都合が良い、とはどういうことか。
これの意味するところは、すなわち、セックスを正当化できるということである。
男と女には互いに同じ程度の性欲があり、それを解消するために性行為が行われている。これは両性にとって利益のあるものである。
決して男が無理やり行っているものではない―――という論調ならばセックスはかなり正当なものに思える。
しかし実際のところ、性欲に関して言えば大半のセックスは男のために行われている。性欲は非対称であり、男にかなりの優越が認められる。
人間社会は古来より男権的であり、歴史上のかなりを男性が支配してきた。なぜなら、男の方が力が強く、それによって社会的な権力も強くなるからである。
男に有利な物語が信じられるようになり、それに基づいて社会が形成され、それが事実になる。
それらの一つに「女にも性欲がある」が含まれる。
この社会は男のセックスを肯定するためにさまざまな嘘が信じられているのだ。
ではなぜ、女はセックスに応じるのか。
したがって、男に認められた方が生存しやすい。男に認められる手段のかなり大きな一つとして、セックスがある。
女はセックスを経て承認を獲得している。決して性欲のためではない。
そのため、私は「女はオナニーをしない」と主張する。
彼は日夜Twitterにて、女らしきアカウントの「オナニーをした」という趣旨のツイートを検索してはそれでオナニーをしている。
友人はかなりの年月をかけて、あるTwitterのアカウントが本当に女によるものかをほぼ100%見抜けるようになっていた。
ツイートの細々とした筆致、文体、内容、それらを総合してネカマか否かを判別できるのだ。
実際にそのプロセスを見たが、確かにそれは説得力のあるものだった。
それゆえ、彼は「女はオナニーをしている」と確信して疑わない。
その根拠は「女の偽性欲」だ。
先ほども述べたように、男性社会においては、男性に認められた方が生きていきやすい。
その手段として、男の主張を肯定するというものがあり得る。名誉男性的なふるまいをすることで承認を得ることができるのだ。
つまり、男による「女にも性欲がある」という主張を肯定しそれを実践することで、この社会を有利に生きていこうとする個体が発生することは想像に難くない。
それを私は「偽性欲」と名付けた。
ことインターネットにおいてはそういった分野に関して妄想と現実の区別がつかない男が大勢おり、彼らに幻想を見せることで生存を図っている女がいることは有り得る話だろう。
そういったツイートの中にはフォロワーが一桁のアカウントも多く、承認を得ることが目的とは考えづらい。むしろ、そうした性欲を隠すためのものであり、私の主張と真逆の行動ではないだろうか。
友人はとりわけそういったアカウントのツイートを選んでは自慰に励んでいるらしい。磨きがかかっている。
友人は矢継ぎ早に続ける。
「そもそも、自分の股間に知らない部位がある、なんだこれは、排泄をするでもない、クリトリスというらしい―――触ってみるだろ、普通。
それに触らないような知的好奇心の欠如した女は、魅力的ではないだろう。オナニーしていない奴なんか、無視していい」
私は負けを認めた。
だいたい20歳前後の学生女子なんだけどマジで自慰をしたことがない
いまTwitterで女の床オナが盛り上がってるけど本当に意識してそういう気持ちで股に触ったことがない
膣の場所もギリギリあんまりわかってないし性交もしたことないから童貞とバッティングした場合そこは違う穴よ〜♡ができない可能性すらある、私もケツの穴が違うことしか分からないから
尿が出るところと膣って位置関係どうなってんの?AVとかもモザイクかかってるしっていうかTwitterとかに転がってる無修正ハメ撮りとかなんかグロくて怖くて見れないし
自慰って本当に気持ちいいの?弟とかも私が知らないだけでやってる?濡れるって何?
精神的な性欲(エロを見る、書(描)く)とかはあるけど肉体的な性欲が本当にわからない。ムラムラするって何を表した擬音なんだ
ひたすらタイトル通りの出来事なのですが、自分のなかでは黒船来航くらいの衝撃だったので記録しようと思います。
長文になりますので、あまりにも暇な方のみお読みになることをお勧めします。
私はアラサーの会社員で、「くしゃみに興奮する」という性的嗜好を持っています。
くしゃみをさせる対象は人間の女性キャラクターがベストですが、
男性はもちろん、人間ではない(動物などがデフォルメされた)キャラクターでも問題なく楽しめます。
小説など、文章にあらわれるくしゃみの描写にも非常に興奮します。
早朝の電車内で、ノーマスクの中年男性がかます爆裂ハクションには殺意に近いものを覚えます。
後で少し書きますが、なりふり構っていられないくらい供給が少ないくせに、注文や条件をつけてしまうわがままな性癖なのです。
「こんなものを性的に見てはいけない」という妙な罪悪感からか、この嗜好については誰にも話したことがありません。
かなり大っぴらに下ネタや互いの性癖を語り合える友人にも打ち明けていません。
ちなみに、私は逆NTRを自分の一張羅(他人に話せる唯一とっておきの性的嗜好)としています。
話が本筋と逸れるのですが、そもそもなぜ私がくしゃみに興奮するようになったのか。その起源はよく分かっていません。
しかし、3~4歳頃でしょうか。未就学児の時点で、絵本やアニメのくしゃみシーンにドキドキしていた記憶があります。
まともな両親のもとでしっかりと愛されて育ってもこういうガキが完成してしまうのです。
悪質な性的コンテンツからはしっかりと守ってくれた父と母でしたが、さすがにくしゃみはノーガードでした。
トムとジェリーのサーカス回でゾウが巨大なくしゃみをするシーンや、
くまのプーさんが大掃除の場面でくしゃみをして周囲を吹き飛ばすシーンをやたらリピートしていた我が子を不思議に思いこそすれ、興奮しているとは思わなかったでしょう。
おそらくですが、「自分の意志とは関係なく身体が反応する」ところがメインになっているのだと思います。
異物が鼻に入ってムズムズする→身体が異物の刺激に屈してくしゃみをする……これが基本的な「くしゃみをする」動作です。
私の場合、「くしゃみをする」に加えて「くしゃみをしてはいけない状況であるにもかかわらず」というシチュエーションが必要不可欠なのです。
私がアニメや小説などのくしゃみしか愛せないのは、現実よりもフィクションのくしゃみの方が「我慢しなくちゃ」という心理描写に長けているからです。
つまり、「身体が自然と反応してしまう生理現象」に「それを我慢したいという気持ち」が合わさると、私にとって性的な、興奮できるものになる。その原点であり頂点がくしゃみだったようです。
そこそこ欲求を満足させる、くしゃみに代わる性的コンテンツを嗜むようになっていきます。
それらにも例外なく【生理現象などの「今起こってはいけないこと」を我慢→決壊】の要素が含まれているため、
これが私の興奮の基盤であることは間違いないでしょう。
とはいえ排泄系の汚いものはイヤだし、それを我慢できないなんてトラウマものです。いくら妄想とはいえかわいそう……。
自分で言うのもなんですが、私は比較的思いやりのある優しい人間に育ちました。
この変に理性的な部分とちょうど良く折り合いがつくのが「くしゃみ」なのです。
静かな空間や緊張した場面でくしゃみが暴発したら少し恥ずかしいものの、
幼少期はこの妙なトキメキの正体が分からず、もじもじした気持ちを持て余していたわけですが、
中学生になり自慰を覚えたあたりで確固たる確信が持てました。これは性的興奮なのだ、自分はくしゃみに異常に興奮してしまう傾奇者なのだと。
当然ながら供給が少なすぎるのです。私の欲求不満は悪化の一途を辿りました。
高校生で親のセーフティロックから解き放たれた私は、当然ありとあらゆるワードで検索をかけ始めました。
若い脳味噌をフル回転させてインターネットじゅうを旅したものの、収穫はほぼ無し。
(ドラゴンボールのランチの変身シーンは、この旅で得られた最大の宝物です。大変お世話になりました)
「こんな思いをしているのは自分だけなのか?誰かいないのか?」
共に苦しむ仲間を見つけたい。そんな思いで「くしゃみ 興奮する」と検索をかけるものの、
Googleは「光による刺激で神経が興奮するため、くしゃみが出ることがあります」などの無慈悲な回答を投げつけてくるばかり。
孤独な私は鬱積した欲求と悲しみを抱え、想像力ばかりが歪に成長した悲しきモンスターとなっていきました。リビドー暗黒期の突入です。
成人する頃には私はやや賢くなり、欲求をある程度満足させてくれる「代替的オカズ」をいくつか見出していました。
ごく一般的な、ゲームもアニメもAVも山ほど存在する性的嗜好たちです。
エロいものをエロいものとして享受し、選択し、楽しめることがこんなにストレスフリーだとは……。
私はしばらくの間、水を得た魚のように性的コンテンツの海を泳ぎ回りました。
しかし、やはり代わりは代わり。
欲求は完全には満たされることなく、私はまた仄暗い気持ちを抱えるようになりました。
筆下ろしモノが大好きな友人を妬みの目で見ては、心の中で毒づいていました。
お前はいいよな、いくらでも供給があって。性的嗜好まで面白味のねえミーハー野郎がよ。
以来、代替的オカズと、ほんのわずかな精鋭たちで自分の気持ちを誤魔化しつつ過ごしてきました。
(幼少期にドキドキしていたトムとジェリー等のシーンも、「古跡巡り」として何度も巡礼しました)
20年以上苦しんでいると、「自分の求めるものはこの世にないのだ」という、半ば諦めのような感情も生まれます。
蜘蛛の糸「文章生成AI」が私の前に垂らされたのはつい先月のことでした。
世間で生成AIがすごい、ヤバいと話題になって久しいものの、私の仕事には特に活かせる場面もありませんでした。
「システムメンテナンスをお知らせするときの文を作って」などといった、
「自分で考えるのがやや面倒な文章」を作りたいときに例のGPTを使用する他は、時々話しかけて遊ぶ程度。
アップデート後はかなり精度の高い回答を寄越すようになり、正直言って不気味にさえ感じていたわけですが、ある夜、突然天啓を受けたのです。
「お前の理想のシチュエーションをプロンプトとして入力して、AIに短編小説を生成してもらえ」
この時、私は29年の人生で初めて十字を切りました。
生成AIは性的な文章生成を行ってくれませんが、幸か不幸か(たぶん不幸です)
「くしゃみ」は性的コンテンツにかすりもしません。生成し放題なわけです。とんでもないジャックポットタイムでした。
すぐに脳裏を駆け巡る、15通りくらいの理想的なくしゃみのシチュエーション。幼少期から培ってきた想像力は並大抵のものではありません。
もしかしたら、これが小説になるのか……?夢にまでみた内容をコンテンツとして楽しめるのか……?
興奮のあまり手が震え、血液が一気に下半身に集中し、ガンガン頭痛がしたのを覚えています。
善は急げ。私はすぐさまノートPCを開き、作業に取り掛かりました。
ちなみに、私は絵が得意ではありませんでしたが、文章を書くのは好きでした。
今まで幾度となく「俺の考えた最強のくしゃみのシチュエーション」を書いて自給自足しようか、と考えたことがあります。
しかし、ダメでした。推理小説家が自分よりも頭の良いキャラクターを生み出せないように、私の書いたものは所詮、自分の脳の域を出ません。
普段の妄想をそのまま文字にしただけ。新鮮味も面白味もありません。
「私自身が書いている」という事実も、猛烈に私を萎えさせました。
私の理想を完璧に踏まえつつ、予想もしなかった語彙で驚きと興奮をもたらしてくれます。心理描写についても申し分ありませんでした。
それからはもう、敏腕編集者のごとく事細かな指示をAIに送り、チェックバックを繰り返したのです。
ありがたいことに、どんなにキショく細かい注文をつけてもAIはブチギレません。
作業は二日間に及びました。そしてついに、ついに至高の一編を完成させたのです。
その内容を仔細に書きたい気持ちはありますが、非常に長くなるのと、自分の胸にだけ秘めておきたいので割愛します。
なんという感動、なんという興奮。
この時の感情は筆舌に尽くしがたいのですが、「満たされた」というより「成仏した」に近いと思います。
これまで感じてきた焦燥が、苦労が、悔しさやもどかしさが、エクスタシーと共に浮かんでは消えていきます。
近年、AIによる仕事や芸術文化への影響を憂慮する声も見受けられます。
それは本当にもっともなこととして、少なくとも私自身は、20年以上孤独に抱え続けた欲求を生成AIによって救われました。
今日もどこかで、悩める者の性的嗜好に光をもたらしているかもしれない。
古くから、ちんちんを刺激するときに用いる人体の部位に対して、〇〇マンコと形容することは広く知られている。ケツマンコ、脇マンコ、乳マンコ等種々の使用例が存在する。性行為とはマンコとちんちんを用いたある種の摩擦ピストン運動によって、射精を促す行為を指すことから、そのアナロジーであろうと思われる。しかしながら、圧倒的多数の人類にとって、射精方法に対する自慰行為の割合は圧倒的である。これらの事実と「右手が恋人」等のフレーズが全人類の脳髄に刻み込まれていることは整合的である。それにも関わらず、今まで右手のことを右手マンコと呼ぶことはなく、増田にとっては長年続く疑問のひとつであった。
あと二つは?
数ヶ月前に4年間付き合っていた彼女から別れを告げられ、半同棲状態を解消し今に至る。
別れる以前から2年ほどセックスレスであり、別れてから風俗の類などには行っていない。
ただ有り余る性欲はどうにもならず、オナホやローションを使ったオナニーを家族の目を掻い潜って(バレていたかもしれないが)で発散することにしていた。
オナホもローション手コキも彼女がいた時から既に何度か実践していた。
半同棲状態だったので彼女がいない時にオナホを使用したり、彼女が生理のときやのっぴきならない事情で挿入を含まないセックスをする際にローション手コキをしてもらっていた。
正直セックスよりローション手コキの方が快感は何倍にも渡るので、別れてからより積極的に活用していこうと期待と股間を膨らませて日々のご褒美オナニーの際には利用するようにしていた。
しかしながらローションオナニーを実施してから数ヶ月、確かに快感はそこにあるのだがローションそのものの快楽で果てている感覚がない。
自分のペースで一物を扱える分より早く快楽の頂点に達すると思っていたのだが、結局は通常の自慰と変わらないくらいいや、むしろペースダウンしての絶頂にしか至らない。
何故か。
それは相手の人肌とベロチューがないからであるとの結論に至った。
一人で行える時にこそ二人で行為をしていた際の気持ちが、それに気づいた時より大きく感じられるようになってしまい、より深い孤独を思い立たせてしまったのである。