はてなキーワード: 自慰とは
この度は、おめでとうございますというか、お慰めの言葉も出てまいりませんが、どうかお力落としのないようにと存じます。
大変な時に不躾を極め、私としても心苦しいのですが、こう言った縁もなければお訊ねする機会もありませんで、無礼をご容赦ください。
私の聞いたところでは、けつの穴を使った自慰等を行うと、後になって括約筋が機能を落とすという話がございます。
しかしこう言った話一般に言えることでございますが、どうも信憑性という点で、もう一つというところです。
そこで、増田様におかれましては、これまでの50年間の人生を振り返って、ご無理をなさっていたのか、つまり、率直に申し上げてけつの穴をウンコ以外が出入りしたことがおありかどうか、お訊ねしたく、おそれながら申し上げます。
決して面白半分という訳ではございませんで、私といたしましても心から真剣にお訊ねしている次第です。
事情が事情でございますので、重ね重ね申し訳ないのですが、どうかご参酌のうえ、少しでもご回答を賜りますよう、伏してお願い申し上げます。
長年の自慰行為における乳首への性的刺激によるものかどうかは不明である。
先日、秋冬に備えてユニクロで鼠色のフード付きパーカーを購入しました。
とはいえ、残暑厳しい日々が続いたせいで家での試着すらしない日々が続いていました。
が、ようやく雨降って残暑弱まる。
少し涼しくなり気持ちにも余裕ができたのか、そうだユニクロで買った鼠色のパーカーを一度も袖を通していなかったと気づきました。
私はおもむろに立ち上がり、ユニクロの鼠色のパーカーをどこにしまったのか思い出すところから始めました。
その中にユニクロで10円だか20円だか払って買った茶色い紙袋の中に入った鼠色のフード付きパーカーがあるはずなのです。
ああ、わからない。
私の部屋の中ではあの茶色い紙袋はかなりの迷彩効果を発揮するようでなかなか発見に至りません。
私は何の取り柄もない男(女だと思ってここまで読んでいただいていた方すいません私は男です)ですが、癇癪だけは人の百倍ぐらい強いと自負があります。
隣近所に奇声が聞こえるのは間違いがないほど声を張り上げながらゴミ山からゴミを拾い上げゴミ山に向かって力いっぱい放り投げました。
するとどうでしょう、私の肩は信じられないほどの脆さでもってグニャッと歪んでまるで肩が外れたかのように激痛が走りました。
私は痛みに叫びました。
さきほどの癇癪の奇声にも負けないほどの声の張り上げ方です。
日頃、声を出すことがほとんどない喉はそんな叫び声を連続してあげてしまったことにより、もうそれだけで血が出てるんじゃないかと思うほどの痛みを感じました。
そして肩の激痛。
投球練習もせずにマウンドに上がればさもありなん。
子供の頃大好きだった侍ジャイアンツをふと思い出しながら涙流し、肩の激痛に耐えました。
でも、実際にはそれほど大したものではなく2分ほどしたら痛みはあるものの激痛はおさまりました。
そんなことをしているうちに当初の目標であったユニクロの紙袋を探しだし鼠色のフード付きパーカーを試着するという目的はすっかり忘れ果て、PCの前にどっかりと座るとエロ動画を見ながら明日のトレードについて思索を深めました。
ちょっと流し見してるつもりが自分が大好きな乳首舐め手コキのシーンが始まると集中してしまいます。
ああ、今日はまだオナニーする時間じゃないのにな、と思いながらオチンチンに手が伸びてしまいます。
、っとその前にティッシュペーパーの準備をしなければ、と思い部屋の中を見回しますがどこにティッシュペーパーがあるのかわかりません。
青い袋に包まれたエリエール+Waterがどこかにあるはずなのですがゴミゴミゴミのゴミの山の中のどこにエリエールがあるのか皆目見当がつきません。
また癇癪を起こしそうになりましたがさきほど声を張り上げたあとから続いている喉の痛みと、まだジンジンしてる肩の痛みがかろうじて爆発する私の感情を押し留めました。
私はユニクロのフード付きパーカーの試着をするという目的を思い出しました。
Mサイズを選んでおけば街がありません。
と思っていたのですがユニクロの中でも「U」というイニシャルが付け足されてるやつは油断がなりません。
今年の春に通販で買った黄色のシャツはMサイズを買ったはずなのに間違ってXLサイズが届いている!とまた癇癪を起こしそうになるほどデカイやつが届きました。
いやこれはXLサイズに間違ってMの札を付けたに違いないと思うほど大きかったのですがいろいろと調べてみるとどうやらオーバーサイズというやつでわざとそういう作りにしてるらしいです。
ですが正直これはやり過ぎだろうと当時思いました。
いくら大きめのサイズが流行っているからと言ってこれはやりすぎだ、と。
やっぱり物事というのはすぐにやり過ぎ、インフレになってしまうものでこれはジャンプの漫画と同じです。
子供の頃読んでいたドラゴンボールのようにすぐに戦闘力のインフレが起きるのです。
だからこそ適時適時に緊縮を行わなければ行けないのですが、世の中緊縮は喜ばれません。
綱紀粛正は必要ながら、それを旗振りするとスケープゴートされるのが世の常です。
うすいアンダーシャツのうえに試着するとサイズはぴったりでした。
着てみるとちょっと予想よりも厚手感のあるパーカーでしたがサイズは適度なゆとりがあるちょうどのサイズでした。
え?
驚きました。
夏のTシャツなどで乳首のある場所はここです、と主張するのは最早常識になっていました。
それはいい。
しかし、秋冬の決して薄手というわけでもない鼠色のフード付きパーカーで乳首の場所が明示されているのは納得感が欠けます。
色が悪かったのでしょうか?
黒にしておけば、黒にしておけば、もっと目立たなかったのでしょうか?
まあどうでもいいです。
これは着ません。捨てます。
妻は躁鬱病を患っている。
2年ほど前から、不眠の症状が出て、近くの心療内科を受診して、そう診断を受けた。
幸いなことに躁鬱病と言っても、躁が激しいタイプではないので、ハイテンションになって活動しまくるなどということはないが、希死念慮が強く難儀している。
不眠があるので、夜になると睡眠薬を飲んで気絶するように眠ってしまう。
それまでは、寝際に私からすり寄るなどして行為を始めることが多かったため、機会を失ってしまった。
セックスというのは、夫婦間の重要那コミュんケーションだったのだと今更ながら気付いた。
普段の生活の中で、彼女の作る料理や気遣いの中から愛を感じることもできるが、辛く感じてしまう。
大の大人が、セックスしたくて本気で苦しんだり枕を濡らしているのだから滑稽だ。
彼女は現在病気や服薬の影響があり、性欲がないのだと思う。ましてや、日々、己の中の希死念慮と闘うのに必死で、そんなことをしている余裕もないのだろう。
問題を解決するには、彼女に私の悩みを話すのがいいのはわかっている。
ただ、闘病中であることや彼女の性格を考えるとためらってしまう。おそらく、彼女は行為に応じてくれるとは思うが、それは「私が求めてるから」という義務感から来るものになるだろう。それは、私にとっても彼女にとっても不幸せなことだと思う。
また、そういったプレッシャーを彼女に与えることで生じる病気への影響も心配だ。
現状では、いつか彼女の病気が快方に向かい、病気以前のように戻ることを待つのが最善なのだろう。
しかし、精神病は長期的に付き合っていくもので、それがいつになるのかはわからない。1年後かもしれないし10年後かもしれない。そう思うと陰鬱としてしまう。
ある日、誰かが寮の共有スペースの飲み会にスマホVRゴーグルを持ってきた。
自分含め、みんなVRのAVを体験したことがなかった。VRは今よりもだいぶ未来的だった。
交代でVRのAVを見た。初めての没入感にすげーどきどきしたし、どうもみんな同じだったようで、熱っぽく「買うわ」とみんなで繰り返した。自分もamazonで買った。
後日、感想戦となる。
自分も感想を言って、他の人の感想を聞いているとき、この男30人の建物では、ほぼどの部屋でも自慰が行われているんだ、という事実が急に生々しく迫ってきた。
お互いに見せることはないけれど、みんな男性器がついている。人数分の性欲が存在する、というのが急に気持ち悪くて、何だか冷めてしまった。
冷めたところで気がついたのだが、VRのAVの話で盛り上がってたのは10人中の4人くらいだった。みんな最初っから冷めていたのだ。ずいぶん浮かれてた。
はじめに断るが、俺は~了承していただきたい。
この時点でオタク女が確定して、本当はもう何も言う事が無い
男はこんな免責事項を入れないんだよ。いいかげん学習しろ。そういうのは旧ジャニーズナマモノBL界隈だけに留めろ
ちなみに俺はAVみたいななんか綺麗めに整えられた奴じゃ全然抜けなくてTwitterに転がってる素人のきったねぇ画質の悪いオナニーとかを探して抜いてる。
というか、女だからという以上に、男性嫌悪が強すぎて男の性欲に対する解像度が全く足りてないんだよ。
本当なんでこういうしょうもねえ書き手は絶対にかたくなに男を分析しようとしないんだ?何回指摘されれば気が済むんだ?頭おかしいんじゃねえか
もちろんそういった△▽は、主な視聴者層が99%男性である。それゆえ撮影の目的も男性の欲望を満たすためのものとなるため、一方的に女性側がかなり男性に施すような内容のものが多いような気がする。もしくは、男性側が自身の好きなように女性を扱うような内容である。
ん~~~~~~~~~~~~~~???????????????wwwwwwwwwwwwWWWWWWWWwwww
少しは隠せよ性別をよ
例えば、主観モノは~腐っていたのだと思う。
腐ってんのはお前定期
それを裏付けるように自身の性生活のなかでも、これまでキスの重要性があまり理解できないまま、とりあえず順序の初手として相手にキスしていたと今では振り返る。
少しは隠せよ性別をよ
男のキスは女落とすためのマイルストーンなんだから「とりあえず順序の初手として」みたいなガサツな受動的受け入れで完結するわけねえだろボケが
ん?
今までなんとなくのまま受け入れていた流れの最初のステップの存在意義を初めて理由と共に受け入れることができた。その理解に至った瞬間、これでもかとキスが神秘的なもののように目に映り始めた。
お前が男だったら、「なんとなくのまま受け入れていた流れ」じゃなくて、「目の前の女の変化」でお前の言ってるようなことを当の昔に気付いてんだろうが
もうちょい設定練れや
お前の書き手としてのスキルは四流未満だよ、BL界隈だけで生きてろ外に出るな
書き手の女がこのドヘタクソな男なりすましをしながらこのキモい文章をカタカタ打ってると思うと寒気がする
お前をその行動に駆り立てているものはなんなんだ
そのエネルギーはまず身の回りの男と会話して彼らを理解することに捧げろ、雑に文章を書くな
共有されてんじゃねーよお前男って設定だっただろうが!突然トランスジェンダーになってんじゃねえよバカなのか?設定忘れんなド三流が
自分が成長できるチャンスがこんなところに眠っていたとは。本当にこの世の中は知らないことだらけだということを思い知った。
お前の成長は身の回りに居る男を観察するところから始まる。間違っても匿名ダイアリーで解像度が1bitくらいしかない男騙りをすることで成長は得られない
はじめに断るが、俺は性的嗜好がナチュラルである成人男性である。以下の文章に性的マイノリティの方々を揶揄したり侮辱するような意図は一切ないことを了承していただきたい。
以前まで自慰を行う際は、一般的な内容のもの、つまりは男性対女性の構図が主となる内容の△▽のみを視聴していた。もちろんそういった△▽は、主な視聴者層が99%男性である。それゆえ撮影の目的も男性の欲望を満たすためのものとなるため、一方的に女性側がかなり男性に施すような内容のものが多いような気がする。もしくは、男性側が自身の好きなように女性を扱うような内容である。例えば、主観モノはその最たる例だと思う。説明するまでもないかもしれないが、主観モノは男性側の視点で女性を撮影したものであり、手軽に没入感を摂取することができる。さらには女性側が男性を悦に浸らせることに必死に動いてくれる感も演出でき、ある種の支配感も手に入れることができる。これまでの嗜好を振り返ってみると、個人的によく好んでこの系統の作品を見あさっていたように思う。しかし好んで見ていたからとは言って、それが完璧なものであったとは言い切れない。例をあげるならば、あの画角でのキスシーンはかなり不自然に映ってしまう。主観モノでなく第三者視点で撮影しているものでは、男優のキス姿がもろ映り込んでしまう。この現象に不快感を覚える視聴者も少なくないと思う。ならば主観モノではそれが克服できたかと思いきや、残念ながらそうではない。女優が顔を近づけるのと同時に、左上の角から急に男優の口が映り込んでくる。今までは撮影方法上仕方ないものだと割り切って、見て見ぬふりをしていた。女優の顔の影で画面が覆い隠されるのならまだしもそこに男優の右顎の影が映り込む、この時の自身の興奮に入り込んでくるわずかな違和感こそが、自慰の質を見えないところで蝕んでいた正体だったのだと、今では思う。結局男性対女性の構図では不可避のキスシーン問題によって、知らずのうちにキスに対する態度が自分のなかで腐っていたのだと思う。それを裏付けるように自身の性生活のなかでも、これまでキスの重要性があまり理解できないまま、とりあえず順序の初手として相手にキスしていたと今では振り返る。
先ほど、とある△▽を視聴した。具体的な作品名は伏せるが、とある女性がナンパして声をかけた女性に話をもちかけ、最終的に行為に持ち込むという内容を全3・4パターンにわたって収録したものであった。この作品が俺にとって初めてのレズもの作品であった。今まで何となく自身の嗜好が妙に変化してしまいそうで見るのを避けていたが、何の気なしにFANZA TV(△▽のサブスクみたいなやつ)をサーチ中に目に留まったため、視聴し始めた次第である。なぜなのか理由が自分でもよくわからないが、この作品は入りから一度もスキップしなかった。今考えるに、この現象は天の啓示の前触れなのだったのだと思う。なんだかんだで屋内のパートに移ったそのあと、そこは驚くべき場面の連続であった。もちろんお互いがキスし始めるのだが、まずそこでその絵面の透明感に驚かされたのである。男優がいないというだけで、こんなにも見やすくなるのかと。普段嫌なものとして目を背けていたものに対して、何の嫌悪感も抱かなかったのはこれが初めてだった。2人がキスしている場面に対して、一切の澱みなく心を開いている自分がそこにはいたのである。今までのキスシーンは観づらい、不自然なものだという固定観念が一瞬でひっくり返された。ちょっとずつ激しくなる唇の開き方が、徐々にナンパされた側の女性が心を開きはじめたのを表しているという、よくよく考えれば当然だけどいまいち実感していない事実と感覚がようやくここで真に理解できた。これまでの慣例の中で、なぜキスが行為の中での始まりとされているのか。今までなんとなくのまま受け入れていた流れの最初のステップの存在意義を初めて理由と共に受け入れることができた。その理解に至った瞬間、これでもかとキスが神秘的なもののように目に映り始めた。
一般的な△▽との最大の違いは、キスシーンの長さである。普通の△▽の場合では一通りキスが終わったあと、次のステップに移ることがほとんどである。それ以降もキスはちょちょっとする程度で、それよりももっと激しく、視覚を刺激するような内容に進んでいくのが常である。しかし、レズものはそうではない。行為が始まって終わるまで、ずっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぅっとキスをしているのである。ナンパした側の女性が妖艶な言葉遣いで相手を甘えさせながら互いに服を脱がしあう際も、相武しあう時も、ピークを迎えるときも一切2人の唇が離れることが無いのである。この記述は本当に誇張していない。一部の読者のなかではこれだけ長時間キスシーンを観ていて飽きないのか、という疑問の声もあがるだろう。これに関しては断固として否定させていただきたい。キスを長時間行うことによって、ナンパされた側の女性の心に徐々に安心感が芽生え始め、恥の感覚がほんの少しづつ薄れていく。それと同時に緊張してこわばっていた表情筋が緩んでいき、むしろそこから一種の満足感が生まれていく。作品では、50分ほどかけてその模様が微細に変化していくさまが描かれている。あなたはこの過程を本当に最初から最後まで見届けたことがあるのか。見終わったあと、一本のドキュメンタリを見終えたぐらいの読後感が心に生まれた。その読後感は、ナンパされた側の女性が最終的に得た満足感が、視聴者である私と共有された結果生まれたものなのだと思う。傍から見ている側ですらこの満足感を得られるのであれば、じゃあ当事者になればどれほど大きな充足感を得られるのだろう。こう思った瞬間に、自身の今までのキスへの態度を改めざるを得なくなった。自分が成長できるチャンスがこんなところに眠っていたとは。本当にこの世の中は知らないことだらけだということを思い知った。
もののけ姫の物語は、隠れ里で暮らす主人公アシタカが暴れ狂う巨大なイノシシつまりタタリ神となったナゴの守を退治するところから始まる。
アシタカは不本意ながら里をも守るためにナゴの守を殺めてしまった。
そのために呪いを受け、彼の右手は変色し、のみならずときに彼の意思の制御を離れ暴走しようとする。
アシタカのような意思強き勇者であればこそ、その意志に逆らう右手を制御し得たが並のものであればあっという間に右手は呪いに乗っ取られていたであろう。
このこと意味するのは、つまり男がある年齢なると自慰行為に人生の殆どを捧げることになることを意味する。
そのことに少年は戸惑い、下着を汚したことを恥じ、そして密やかに思う。
あの快感をもう一度味わいたい。
その瞬間から、男の子は男への道を一歩歩み、その右手(左手)は最早その主の制御を離れてひたすらに自慰行為に励むようになる。
この呪いを解くために、その呪いを受けた瞬間から、そのものは、里には住み続けることができなくなり、そして旅立つのだ。
何のために?
久々に電車に乗った。
9月も終盤だというのに、信じられない蒸し暑さだ。
額と背中に汗を滲ませながら、息も絶え絶えにホームから改札への階段を登る。
腹のくびれまでたくし上げたチェック柄の短いスカート、薄い水色のシャツ、肌艶と肉付きのいい太もも、髪型はポニーテールだ。顔は見えなかったが多分整っているのだろう。溢れ出る自信が後ろ姿からも滲み出ていた。
俺は無意識のうちに、少しだけ背中を丸めて上目遣いになっていた。年を取ると階段がキツイのだ。この姿勢になってしまうのも無理はない。
柔らかそうな尻肉にピッタリとフィットした淡いピンク色のパンツ。
この暑さだ。おそらく陰部も相当に蒸れているだろう。ケツの谷間には汗が溜まっているはずだ。
嫁とセックスしなくなり、寝てばかりの息子に血が通った。枯れたと思った精子が金玉で疼く。
この光景を忘れぬよう、自宅への歩みを速める。
そして、帰宅してすぐにシャワーを浴び、久しぶりの自慰をした。
学生時代という、合法的に未成年と淫行できる最後のチャンスを逃した我々は、正規のルートで女子高生の生パンツに触れることはもう一生できないだろう。
それならば、盗み見るしかない。たとえ捕まってもいい。そうじゃなきゃ、このやるせない気持ちはどこに向ければいいのだ。
あのムチムチとした、元気な赤ん坊を産めそうな女子高生を抱ける男がいる事実。それがどうにも許せないのだ。
嫁のたるんだ腹と乳で、この渇きを潤せるのか?
どこかでシコることはよく言われるような鬱憤と発散ではないという文章を読んだ。そこでは、主に男性の自慰が想定されていたが、それも当然で、たしかそれは男性学に関する文章だった。
ともかく、シコることは私たちが男根の権力を確認するために自らの意志でしていることなのだという感じの文章だった気がする。
ところで、私は百合が好きだった。
百合というのは女性同士の関係性を描いたものをさすジャンルの名前だ。
百合のことを好きになるのと同時期だろうか、いわゆる百合が異性愛に”めざめる”系でもシコるようになった。
百合が異性愛に”めざめる”というのは男根の力の極北のひとつであるように思われる。同性愛を、それを単に一時的な気迷いであるとしてしまい、異性愛の領域に引きずり込む。
百合を好みながら、百合が異性愛に”めざめる”作品でシコる。二重思考だった。
シコったあとは罪悪感に苛まれたが、やがて慣れた。
でも、最近、性行為を特徴づけるの男根であり、男根のないところに性行為はないとされた、といった感じの文章を本で読んで、自分がしてきたことの罪悪さが思い出されて、死にたくなった。
(ΦωΦ)グヘヘ… (ΦωΦ)グヘヘ… ψ(`∇´)ψケケケケケ!!!! ( ゚∀゚)ウァハハ八八ノヽノヽノヽノ \ お前らシス女性が私を作ったんだぞ。バカ共!💩!🍆!🐙!(2019年1月1日)
terfをしばきまわしておるのですわ。(2019年1月23日)
TERFで虹マークの人の頭カチ割って中身見てみてぇな(2019年2月3日)
ウィメンズマーチにTERF来んの?プラカード破いたる(2019年2月27日)
terfをしばくと、そこそこに気分がいい(2019年5月27日)
東京のアンチファ系のみなさんも、もうちょっとterfをしばき回すのに労力を割いていただけると助かるんですけどねえ... (2019年7月5日)
そのterfの顔写真撮って、かつ情報収集すればいいのでは?(2019年8月27日)
レイシストやterfには、正直、どんな汚いことをしても究極的には、いいと思ってる。(2019年10月11日)
差別によってある空間から不当に排除された人間が実力でそこに乗り込むのは当然の権利。よって、トランス女性が実力で温泉・銭湯の女湯を占拠し、トランス女性も利用できる解放区を作るのは全くもって正当である。(2020年6月7日)
トランス女性がシスの人間を殺す必要がある(2020年6月23日)
トランス女性が女性専用に割り当てられているトイレ・更衣室・シャワー・銭湯・温泉を利用するのは当然の権利である。利用拒否には実力闘争をもって応えるのも全く正当。(2020年7月8日)
Twitter上でトランス女性差別言説を撒き散らすアカウントを操る差別者どもの正体を1人残らず特定し、私への差別を行なった奴ら共々拘束して処刑場に引きずり出して地獄の苦しみと共に絶命させる。そのような光景を想像しながらある種の自慰に浸らないと私の気分は落ち着かない(2020年7月9日)
トランス女性への差別には死刑を含む厳罰が課せられるべき。暴力革命を通してプロレタリア独裁の革命政府が成立し、私がそこの執行機関に入れば、トランス女性差別アカウントの中の人間をすべて特定し、特に悪質な者については公の場で石打ちの刑にでもして処刑する。(2020年7月12日)
モグラ叩き状態やめさせるの、やり方あるで。一人を吊し上げて、一罰百戒にすることや。terfについては、このレベルに来てると思うで。(2020年8月24日)
笙野頼子については、どっかでリアルな場に引っ張り出して、ど詰めする必要があると思うな。(2020年10月25日)
マジで鍵引用してくるクソトランスヘイターだけは頭カチ割ってぐっちゃぐちゃになるまで殴り続けてぶっ殺さないといけない。とにかく殴打の限りを尽くしてやりたい。殺意しか湧かない。死ね。死ね。死ね。殺す。ヘイターの分際で人間として生きてんじゃねーよ(2022年4月21日)
咥えて突っ込まれて喜ぶ側になりたかったわ 咥えて突っ込まれて喜べる事がありがたいことを知りやがれくださいってところからなんよな(2022年10月1日)
私もトランス差別をする出生女(産まれた時点で女の性を持つ人)の頭蓋を叩き割りたいけどな~マウントポジションでバコバコ殴りたい #トランス女性は女性です #性差別する寒い日本 #女の敵は女(2022年10月7日)
よろしい、ならば戦争だ。 夜道に気をつけてね💖 (...) 駅のホームも端っこには気を付けてね。(2022年10月9日)
トイレのことでしかトランスジェンダーの問題を考えられない女性を、とりあえず予防拘禁、かな。(2022年11月3日)
ターフや反売買春フェミを踏みしだいてこれからも我々は生きていくのである。(2022年11月12日)
Fuck the TERF! 何の問題もない!(2022年11月13日)
『「Fuck The TERF」というプラカードが差別的ではないのか!』といった指摘、問い合わせを頂いていますのでTransgenderJapanの見解をお話ししておきたいとおもいます。 結論から先に言えば全く問題ありません。(2022年11月13日)
最寄り駅や顔が(もしかしたら、実名も?)割れているヘイターって、マヌケでしかないけどな。 子供がいるらしいけど、子供が気の毒やね。子供には何の罪もないから。(2022年12月30日)
もし日本がフィンランドみたいに性自認だけで性別を決められるようになったら、TERFについて行って女子トイレとか更衣室に入ってやる。TERFさん発狂して暴れそう(笑)。暴れても片手でねじ伏せれるけどね(笑)。 変わりゆく社会に震えてろTERFども🤣🤣🤣 #LGBT法案(2023年2月9日)
などなど大量
https://anond.hatelabo.jp/20240914091056
…あと女性の肌に触れるのは癒し効果がある。
風俗で「癒やし」を感じたことが実はないな。嬢は仕事で相手をしている、そう考えれば癒やしも何もない。美人に触れることができるとか初めて巨乳に触れた驚きは確かにあったけど、「癒やし」よりも娯楽だと感じた。「性で遊ぶ」という娯楽だと思う。
ソープもヘルスも興味本位で数度行ったが、一時的に性欲だけピンポイントで解消されはするものの、帰宅の道中、とても空虚な気持ちだったことを今でも明確に覚えている。
その虚しさを感じて以来、かれこれ10年以上になると思うが、風俗には一度も足を運んでいない。
その考えが正義だと主張する気は毛頭ないが、風俗通いに耽る男性は自分とは感覚が違う。
目の前の女性を「性欲のはけ口」として見れるかどうか、よく言えば「割り切れる」かどうか。
だから青臭いこと言うようだけど、大切にしたい女性との関係がまず第一にあり、その先にセックスがあるかないか、だと思う。
ただ、自分からは性行為を求めない女性も一定数はいると個人的に思っていて(求める女性もいるのだと思うけど)、男性が思っているより実際の性生活が少なくなることがあっても、そんなものなんだと思うよ。
男性と女性で性欲って違うんじゃね? 人それぞれだけど、「彼氏に求められていることが嬉しい」であったり「子供がほしいからする」であったり「仕方なくしている」女性もそれなりにいると思ってる。性嫌悪とまではいかないけど、男の感覚とは違うんじゃないか。そうじゃない女性もいるんだと思うけど。
そういえば俺も色んな人とセックスしたな。既婚女性、女子高生、20代の可愛い女の子、もちろん過去の彼女とも。俺が求めるからするだけの子もいたし、自分から求めて来て激しくオーガズムを感じている女性もいた。一貫して言えるのは、一時だけの関係を求めても後味は良くない。悪くはなかったとしても、良い思い出にはならない。友人がいないような寂しい男は、充足を感じるのだと思う。自分が一時の関係に少しでも充足を感じていた時、自分が孤独だった時だった。
気持ちがこもらないセックスは寂しい、でも自慰行為するより生身の女性とセックスするのが気持ち良いのは、でも実際そう。
でもソープに行けば、実際が分かるんだと思う。
というのもここでは結婚に対してネガティブな意見ばかりなので、実際はそうでもないよと言いたいためでもある。
まだまだ新婚気分が抜けないというか、嫁ちゃんと一緒にいるのが楽しくて仕方ない。
まず一つ目は、努力できること。
これが結構デカい。俺って一人だと結構怠けがちで、人に見られてないと頑張れないタイプなんだよ。
でも、嫁ちゃんと一緒に生活するようになってから、自然と「頑張ろう!」って気持ちが出てくる。
今でも嫁ちゃんのことが大好きだし、やっぱり「良く見られたい!」って気持ちがあるんだよね。
だから、仕事から帰ってきて疲れていても資格の勉強を頑張れる。もし結婚してなかったら絶対怠けていたと思う。
資格を取得して、少しでも給料が上がれば嫁ちゃんのことを喜ばせることが出来る。
それも努力の大きな原動力になってる。一人暮らしのときは自分のために頑張るという動機が心の底からは沸き上がらなかったというか、そんな感じだ。
何か面白い映画とか観た時、一人だったときはここに感想書いてそれで終わりってことが多かった。
けど、今は違う。「あのシーンよかったよね!」とか「めっちゃ笑った!」とか、嫁ちゃんと感想を共有できるのが本当に楽しいんだよ。
面白いことを一緒に楽しめるって、想像以上に楽しい事なんだなって改めて思う。
映画を見終わった後の会話が一日中続いたりするし、それが幸せ。
三つ目、一緒に食べるとおいしい。
不思議なもんで、一人だと「これ、まあまあだな」って感じの料理でも、嫁ちゃんと一緒に食べると非常においしく感じる。
何ていうか、食べること自体がイベントになるというか、二人で過ごす時間が料理の味を引き立てるんだなって思う。
特に、外食とかじゃなくて、家でご飯作って食べる時にその差を感じるね。
四つ目は、正直言うと少し個人的な話なんだけど、自慰が減った。
まあ、結婚して一緒に生活するようになると、そんな隙がなくなるんだよね。これも結婚のメリットと言えばメリットかな(笑)
でも、余計なことに時間を使わなくて済むのは、結果的に日々の生活に集中できるってことかもしれない。
五つ目、これが一番大事かもしれないけど、いつでもハグできる。
寂しい時、仕事で疲れた時、なんだか気分が乗らない時、そんな時に求めると嫁ちゃんはハグしてくれる。
もちろん、嫁ちゃんがハグしてほしいって来た時にはこっちからぎゅってしてる。
これって本当に救いだと思う。
朝、仕事行く前にハグするだけで「よし、頑張ろう!」ってやる気が湧いてくるし、嫁ちゃんが甘えてハグしてほしいって来る時がとても愛らしくて愛おしい。
ハグは、まるで一日を乗り切るためのチャージみたいなもんだなって思う。
普段は忙しくて夜の営みが出来ない日もあるけど、そんな日でもハグするだけでもう幸せ。
肌と肌のふれあいって、こんなに大事だったんだなって日々実感する。
これは独身のときには分からなかった感覚で、これだけで結婚して良かったなと心の底から思えるほどだ。
と、まあこんな感じで結婚というも案外悪くない。
というか非常に良いものだ。
結婚して一年経っても、こうして毎日が楽しいって本当にありがたいことだなって感じるし、嫁ちゃんのこと今でも大好きだ。
正確に言えば、私の関心を俗世に繋ぎとめておく軛として配偶者より適当な仕組みがこの社会に存在しないんだ。
心底では他人に関心がなくて、素面では他人と対等の付き合いしか信じることができないからしがらみとしての結婚が必要なんだ。
結婚でなくてもいいが、しがらみが。
あなたがたの言いたいことはこうだ。他人に興味がない社会的欠陥動物が無理して結婚など目指すな。一理ある。
結婚に向かない人というか、一人でいることが最も心地よく、もしかすると周りにとっても善であるような性質の人間がいることは承知しているし、私もそのようであるという自覚がある。
だが同時に、いみじくも『最強伝説黒沢』でゲストキャラのおっさんが独白するように、人間は強制されてかろうじてまともだ。私もそのようであるという自覚がある。
人間に目指すことができるのはせいぜい短期的な報酬だけだ。長期的な野心を抱く人間も短期目標の積み重ねそれ自体を報酬として野心を維持しながら長期目標を目指すのであって、我々はそういう作業ができる人間のことを解決力とか実行力があるとか呼んでいる。
私はまとまったカネを要する種類の欲をまったく持たないので、短期的に私が心地よいようにするとあまりにも失う社会性の量が過大になってしまう。後に社会に復帰するのに必要な弾性ごと失うほどに。
もし社会性を完全に捨て去った私が幸福の最大値を目指すなら、私のすべき行動は今すぐ退職して生活保護費を申請し、読書と惰眠、自慰、あるいはPCで完結する創作趣味に明け暮れながら自殺までの時間を気ままに遅延することになる。
今現在の私が不本意にもそのような理想的生活状況にないのは、既にして私は本当には一人ではないからだ。
カネを必要としていない私が曲りなりにも職に就いているのは、あえて両親を泣かせたくはないというのと、学生時代に得た数少ない友人との付き合いに負い目を作りたくないという気分が理由のおおよそになる。
資産を持たず、浮世を捨てたほうが心地よいと信じているのにそうしないのは、数少ない私が気にかける人がもし困窮したときに私が伸ばせる手がなくなるからという、いうなれば不安のためだ。
これは災害的、ポアソン的なイベントに対する備えのようなもので、「その時」に至るまでの報酬は何もない。
マメな友達付き合いというのも好まないから、本当にない。ただ生活の荒野があるだけだ。この空白地帯を超える術をしがらみの慣性力のほかに私は知らない。
ところで、ここまでの話に配偶者は登場しなかった。既にいる私の気にかける人たちが目的であり、同時にしがらみであったからだ。
次に私が恐れているのは?いずれ私が生活に摩耗する間に彼らの存在が後者として機能しなくなったのに、前者としてのみ残ってしまうような事態を恐れている。
私は多分、両親や友人を無視することを容易に合理化できる。自己都合で私を生み落とした両親がどうなっても究極的には自業自得だし、対等な立場であるべき友人の人生にお節介であまり立ち入るべきでもない。
とはいえ自分の内心についての予断はロクなものではなく、いざその時を迎えて、実際に私が不幸ではないかどうかは、したい賭けではない。今はそういう判断をしている。
いや、あなたがたの言いたいことは分かる。互いに迷惑をかけるのが健全な人間関係だと。
しかしながら、互酬的なフェアネスを想像することは難しい。私が物理的に距離の遠い彼らに対して望むことなどほとんど何もないから。
書いてるうちに気づいたがつまり、どこかで生きている友人に対して、勝手に幸せになってほしいと勝手に思っているという事態が私の友人関係の内実なのではないか。それはどうなんだろうか。
ともかく私は両親には義理と友情を感じているが、おそらく愛してはいない。友人に抱く情はいくぶん愛かもしれないが、強いしがらみを望んではいない。
必然的に私は物質的にはフェアでありつつ、同時にその枠の外に置くことのできる一方的で独善的な、強い愛の対象を求めざるを得ない。私の言語では独善的なものだけを愛と呼んでいるといったほうが近いかもしれない。
思うに、それは観念的なものではどうしても強度が不足していて、臭気芬々たる、不愉快極まる肉の質量でなければ私のような凡人を長く捕らえておくことは難しいんだろう。
今いる友人たちをそのようなものに貶めるよりは、いずれそのようになるものと思って新たな人との付き合いを求める方が、かろうじて私は我慢ができるはずだと今は考えている。現実的な相手とのすり合わせ可能性を踏まえても。
ハタチあたりの頃に私は人に対して愛しているといった言葉遣いをしたことが一度だけあるが、それさえもやっとネットの友人で顔も知らぬ半回り上の男を相手にしてのことでだ。
彼はこの世に数少ない愛すべき人たちが肉のある人間であることが残念でならないといつも考えていて、私もまったく同意見だった。
現在の彼は私が単に気にかける友人のひとりで、ここ数年私はアプリで知り合った女性の一人と習慣として会話を続けている。アプリ自体は疲れたのでやめた。
お互い遠くに住んでいるわけではないと知りながら、半年に一度のペースを超えては会う気にもならず、焦点のぼけた会話の中から彼女の趣味のよさを探そうとしている。そんなのをずっとやっているだけで精一杯なんだ。
しがらみを追い求めるふりをしながら、回避的にしがらみから逃げ続けているわけで、傍目には奇行としか言いようがない。
私が同じところで回って何も進んでいかずとも爪は伸びるし身体が衰えるのを感じる。今夏には低い視力がまた落ちていたが、道行く他人の顔をよく見ずに済むように矯正視力は0.6で止めた。
分裂した私の間でいたちごっこを続けつつ、結局は騙しだまし、私が死ぬまで私の延命を続けるようなおもしろくもない羽目になるような予感がしている。現実はひどい。