はてなキーワード: わたしたちとは
https://anond.hatelabo.jp/20220504162730 の続き
異性姦おじさん(同上)
SExtreme Hearts(Extreme Hearts)
邪チンちゃんドロップファックSEX(邪神ちゃんドロップキックX)
#1 マンコに留まろう
#2 フジさんとシに行こう!!
#3 膣穴(あな)でスるということ
#4 オナったあとのお楽しみ!
#5 こうスる、膣穴(あな)ない!
#6 好きな娘とスるために
#7 包茎(カワ)ノススメ?
#8 素股で思い出を
#9 初めまして、フジさん
#11 もう、ヤった!!
#14 お母さんと四十八手!
#15 性具の記憶~ねえ、ゆか。今ゆかでしてるの?
#16 思いを着床(うけ)ついで
#17 ヒワイことて、平気?
#19 宿便でオナれないよぉ
#21 思い出のマラへ
#22 ともだちとヤろ?
#23 ヤル即
先日過労死ラインを超えた(残業 240時間/月)ので、日記を読み返しながら、当時感じたことを、出来事と共に書いておきます。
新社会人に対する期待値はとても高いです。デジタルネイティブ・クラウドネイティブということが求められています。PCが使えるというのは至極当然のことで、企業がそういった基本的なところについて新たに教育するための余裕がありません。
ロボットなどでいう次世代型が求められています。現在の30代・40代・50代よりもITリテラシーが高いものだということが当然求められています。そしてその上で、すぐさま即戦力として稼働可能になってくれるという能力を新人に求めます。
新社会人を雇用することは、実は不思議なことです。なぜなら、ビジネスのことを0から教えなければいけないためです。どうやって稼ぐのか、なぜ会社が存続できるのか、取引先や顧客を不快にさせないためのマナーなど、数多くあります。これらは、どのような労働市場においても基本的なことだとしてそこまで価値を見いだされていません。つまり、ある意味新社会人とはマイナスからのスタートです。
今の世の中では、新卒であれ転職者であれ、3年程度で転職すると思われています。それは先人たちがそのような行動をしているからです。50%ほどの人たちが3年後までに転職をします。そのため企業としては、新社会人を用いて3年で利益を上げなければコストパフォーマンスが悪いため、新社会人を雇用したがりません。3年後に辞めることがわかっているので、保険の意味をこめて、給与は低く設定されます。利益よりもコストが上回ると会社は存続・生存できないためです。どれほど崇高な理想があっても、生存できなければ何1つ達成できることはありません。
このような状態の中で、それでも企業が新社会人を採用する理由は「企業に能力のある人材を採用するお金がないから」「優秀な人材を保有し続ける魅力が会社にないから」「数年〜数十年後までに幹部として育ってもらい、会社に利益を入れてほしいから」「言うことをすべて聞いてくれるスケープゴート・雑用係として採用する」など、企業によってさまざまあると思いますが、根本的には何かメリットを求めています。求職者はメリットを提示しなければいけません。
めちゃくちゃ体育会系の職場では、利益至上主義がまかり通っています。「とにかく何をしてでも利益を出しているやつがエライのだ・立派なのだ」「一方で、そうでない者は不要である」という風潮があります。これは専門職やアカデミックな世界でもそういう傾向があります。「とにかくデキるやつがエライのだ・立派なのだ」という風潮がどのような会社でも多かれ少なかれあります。ちょうど、小学生のときに「足が速い人がエライ」と言われていた関係に似ています。
また、「エライ」というのは、役職とは関係ないことも多いものです。なぜなら会社組織は、組織図とは別に、かならず裏の組織があるからです。裏の組織とは、偶発的にできた人間同士のつながりのことです。そしてそれは大抵、管理されていないし、誰が誰とどういうつながりがあるかは不明瞭なことが多いです(本人同士もわかっていないこともあります)。役職だけではなく、誰が何をしていて何を担当しているのかを見渡すと、権力構造が見えてくるはずです。
こうした風潮は唾棄すべき構造であり、パワーハラスメントが横行しやすいです。一方で、良い組織、とくに全員がよく利益を出していたり能力がある組織はホワイト化します。全員がエライから、全員よく尊重されます。
利益を出すことに比べれば、性格などは二の次です。性格があまり良くないと仕事の進め方やチームワークに支障をきたす場合がありますが、それすらも上回る利益を出しているのならば、あまり問題視されません。ある意味、悪い性格をコストと考えることができます。これらが厳密に数値にされてはかられることはなかなかありませんが、多くの場合このような考え方で権力が決まります。
かなりの悪の思考ですが、ひもじい思いをしているところに多くのパンを供給してくれる人に、対価として従属を支払うという関係です。
実は、「実際に能力がある人」よりも、「能力があるように見える人」が評価されます。両者は乖離していることも多いです。たとえば、どれだけテストができる能力があったとしても、テストを受けていない人は評価されません。
これがあまりにも乖離していると、それは詐欺師と呼ばれます。詐欺師は職場では嫌われやすく、また利益を出す人材は詐欺師とともに働いて利益を奪われたくないために辞めていきます。そうした人を見抜けないと企業の利益は下がっていきます。企業は詐欺師や佞臣を抱えたくありませんが、個々で見たときは、詐欺師や佞臣になることは自らが提供した価値以上の利益を獲得できるので、ある程度有用な戦略とみなされています。
当然、自分は詐欺師になるべきではありませんが、そうした戦略をとっている人の存在は認識すべきかもしれません。
はじめ、自分には大した役割を与えられません。つまらない、重要でない仕事が多いです。
あまり重要でない仕事を渡されるのは、重要な仕事を渡して失敗してしまうことによるトラブルを回避するためです。保険の意味でもあり、能力をテストするリトマス試験紙のようなものがそうした仕事です。
それらの仕事は十分よくこなしてください。1つ1つの仕事の評価が良くなれば重要な仕事を任せてもよいと思われて、重要な仕事を渡されます。そして、重要な仕事が達成できる人材は、重要な人材です。雑用のようなつまらない仕事をしたくない人ほど、雑用のようなつまらない仕事を一生懸命すると、つまらない仕事をやらないといけない回数が減ります。
重要な仕事が達成できる人材の給料は上がります。ただし上がらない会社もあります。しかし、給料が上がらない会社だろうがスキルはつきます。そしてそのスキルは転職時に大きく評価されます。
実は、給料が低いのに、早い段階で重要な仕事ができるのはある意味お得なことです。責任を取らなくてもいいし、大した給料をもらっていないために、大きなプレッシャーもないからです。
質問をすることは、諸刃の剣であり、必殺技だと思ってください。
質問をすると評価が下がります。そのかわり答えが得られるという技です。
必殺技を使うタイミングは、「自分の時間を結構費やしたのに全然わからなかったとき」「自分の時間をいくら費やしても入手不可能な情報を手に入れるとき」です。
後者はよく「わからなかったら質問しろ」「わからないんならすぐ聞け」と言われます。
逆に、あまり重要でない場面で必殺技を使っていると、「そんなことを質問するな」「すぐ聞くな」と言われるようになります。
とくに「自分で考えたり調べたりせずまず人に聞く」という手段をとると、時間泥棒のように扱われてかなり嫌われます。
自分で考えるよりも、必殺技を使うと短期的には仕事はよく進みます。しかしある時点で「この人はわれわれから時間を奪うだけの人だ」と思われると、評価が異常に下がります。
通常攻撃だけで仕事を進められるようになると、1人前と呼ばれはじめます。こうなると比較的ラクです。
与えられた仕事が達成できるようになった段階で気づかなければいけないことは、「与えられた仕事ができる人」「言われたことができる人」というのは、悪口で「指示待ち人間」と言われる、ということです。
ただ「指示待ち人間」とは言いますが、言われたことを正確に達成できる人は希少です。「作って」と言われた製品を作り出荷し売上をたてることも、いうならば指示待ち人間です。
こうした指示が下る背景や論理などを理解することができれば、徐々に指示なく勝手に必要な仕事を作り出して仕事をすすめることができます。こうした人材は重要な人材です。
恩はドンドン売っていくのがよいです。とくに、自分の労力はそこまでかからないのに相手にインパクトを及ぼせるような恩はドンドンと売っていくのが吉です。
人は、無償で恩恵を受けられる関係は破棄したくないと考えます。ただし実際には無償ではありません。なくてはならない人という権力関係が発生します。タダより高いものはないのです。
士気と情熱も、売れるなら売ってしまうほうがいいです。われわれはビジネスマンであり商人です。
上にさまざまなことを書きましたが、以上のことは全く正義ではありません。現在の社会構造に即したマインドセットを持つことは正義でもなんでもありません。
ただし世の中はわたしたちのような魑魅魍魎が跋扈しています。そして、わたしたちの人的資源不足・時間資源不足・マネジメント能力不足・資金不足によって、よりよい教育を提供できていないのです。現代の社会は理想形になっていません。あるべき姿と現実の姿は違い、しかしわたしたちは現実を生きています。たとえば、どんな質問でもすぐに答えてあげることは人間として・上司として・先輩として優しいかもしれません。ですが、コストを考えると「どのような質問でも歓迎する」ことはなかなかできません。理想のもとでは、わたしたちの持ち出しがオーバーすることが善だとみなされます。そのため「突き放すなんて、放置するなんて、ひどい」と思われる方もいるかもしれません。そのとおりです。わたしはひどいし、無能で愚かで、そして悪です。
それでも新社会人は、自分の要求を叶えるにあたってなんらかの対価を支払わなければなりません。わたしたちもまた、社会から対価を求められているからです。会社や市場や社会から、成果を求められています。新社会人が社会に何かを求めているように、社会も新社会人に何かを求めています。対価をまったく支払わなくてもよい報酬は愛と言われます。無償の愛を施してくれる存在は、素晴らしい存在だと思いますが、そうした優しさを持った人物を待ち望むことは正しい選択ではありません。対価を支払えない人は、しばしばそれに沿った扱いを受けます。ときには屈辱的なこともあります。
社会人の多くは労働契約を結びます。社会人の多くは労働契約に則り、労働力を売って、給料という対価を受け取ることになります。そのように考えてください。これはビジネスであり、取引です。誰かに依存した分だけ、社会人は奪われます。
また、新社会人は社会に出てすぐといえども立派な大人であり、自立して1人で考え調べることのできる能力が十分備わっているはずです。新人という初心者マークの称号は早めにとるべきで、1対1の大人と大人の対等なビジネスができる強い存在になってほしいと願っています。
いいえ、そう見えるとしたら、あなたの社会への要求が過大なことに気付いてないのです。もしかしたら詐欺師戦略をとっている人の存在を認識すべきかもしれません。社会とは「あなた以外の人々」です。望みを叶えるにあたっては、対価を支払ってください。
新社会人はもう3ヶ月経ったのでそろそろ一人前で、この文章の意味もわかることでしょう。わたしは有象無象の人々にこれが伝わるかもしれないということは考えていません。ただ誰か1人でも伝わってくれさえすればよいです。一緒に化け物の世界で頑張っていきましょう。人間は化け物ですから。
学生の頃は患者さん一人に一人に寄り添った看護がしたいと思ってた
でも実際に自分が就職した病院含め同期が就職した病院でもどこいっても死ぬの待つだけみたいな高齢者が沢山いる
鼻とか腕とか尿道とかいろんなところから管が繋がれまくってる骨と皮だけの体
寝たきりだから床ずれができたり排泄物の量が多くて陰部がただれたりするし栄養状態悪くて皮膚状態も全然良くならん
心臓やら腎臓やらが機能不全を起こしてるから看取り目的で入院してるのに全然2〜3年生きてたりする
その医療費だってわたしたちが支払った税金で賄われてるんだよね
意思疎通もできない高齢者が私たちの税金で長生きさせられてるのが全部無理になった
手取り13万で人の生命預かれるくらいの責任が生まれると思うか?
自分が生きてくのに精一杯な給料で、人の命預かるために必要な勉強やら看護観(笑)倫理観(笑)なんて考えて働けるわけない
やりがい搾取だよ
「人は他者と身体的な接触を通して、まなざしを共有することができる」と最近読んだ本にあった。感覚的には納得しやすい段落だった。誰かと手を繋いだら、気持ちがつながっている気がする。きっとこの文はそういうことを言っている。
でも泣きながら「ごめんなさい」と言い続ける彼女を見ながら、わたしはそう単純じゃないんだなと感じていた。わたしたちは手を繋いでいたけど、わたしに彼女の気持ちはわからなかったし、わたしの気持ちも彼女に伝わってはいないみたいだった。わたしは嬉しかったけど、彼女は苦しかった。どうして謝るのか分からなかった。どうして泣くのか分からなかった。分からないのは、多分わたしの経験や知識が少ないとかそういうことでは無い気がした。分からないのは、きっとただ、わたしたちが別々の人間だからだった。
それでもわたしたちは手を繋いでいた。夕方とは打って変わり静けさが包むサンサンロードで目的地に向けて歩調を合わせていた。ぽつぽつと会話をした。モノレールがすれ違う音を二人で聞き、電車より静かでいいねと話をした。寒くないか尋ねた。なんで泣いてるの?と聞いた。怖くない?と聞かれたから、何も怖くないよと答えた。
ベンチで抱きしめ、彼女の呼吸の音を聞いた。それでも分からなかった。多分、伝わりもしなかった。
別れた後彼女にメッセージを送ったけれど、丸1日返ってくることはなかった。次の日の深夜に、ひとこと「ごめんなさい」と届いた。手を繋いでも涙を流しても、それが何を伝えることもなかった。わたしたちの距離は、ただ、会った日以前よりも遠くなっていた。
『私は私だけの世界を生きており、そこに他者は存在しない』(世界と生はひとつである、私は私の世界である、主体が存在しなければまた世界も存在しない)が
受け入れられないってなぜなの・・・?
時間は存在しない(複数の出来事同士の相互作用、世界は物ではなく、実際には出来事の集まりであり、複数の出来事の関係性を、時間のように感じている)事からも
例えばウィトゲンシュタインの下記↓とか『?!』ってならない・・・よね・・?
▼ 追記:
新しい言語にはたいてい新しいアイディアが含まれてる。そういうのを知るのは楽しい。目からうろこが落ちるような経験が結構あった。おれも PHPer だったけど、以前、.NET の LINQ を学んだときは楽しかった。
まあ PHP はその「新しいアイディア」をどん欲に取り入れ続けている言語だから、けっこうそれだけで満足してしまう気持ちは解る。でも「今の自分の知識だけで、たいていのものは作れるからなあ」と思ってしまうと、たぶん勿体ない。あなたが将来、未知のプラクティスやデザインパターン、アルゴリズムを発明しないと断言できないのだから。
PHPer ならマニュアルの例文で散々お世話になっている「干し草の山」と「針」のたとえ話で言うと、次のような感じ。
https://kenbi.ti-da.net/e3637076.html
「博士とわたしたちその他大勢との違いはなんですか?」という質問を受け、
こう答えました。
「たとえば、干し草の山から針を探さなければならないとします。
ほとんどの方はたぶん、針が1本見つかるまで干し草の中を探すでしょう。
私は、針が全部見つかるまで探し続けると思います。」
※ PHP ですでに作られたものは膨大なので、そのメンテナンスも今後何十年は無くならない。仕事にあぶれることはないと思う。
40ページで絵本なので、芽久先生の本と比べたら物足りないかな?という印象を受けると思いますが、意外と読み応えがありますよ。
作者の舘野鴻さんは学者先生ではありませんが、科学する心を存分に発揮されています。
地学分野もということでしたが、これから出るラインナップでは、
8月号『石は元素の案内人』、9月号『星と人間』などがありますね。
月刊誌なのでバックナンバーは品切れのものが多いですが、図書館に行けば置いてあるところもあります。
「たくさんのふしぎ傑作集」として、上製本で出されているものもあります。
『ブラックホールって なんだろう?』
『空があるから』
『地球の中に、潜っていくと…』
『月へ行きたい』
生物なら、
『食べられて生きる草の話』
『まちぼうけの生態学』『おいかけっこの生態学』『すれちがいの生態学』
などがあります。
さ・え・ら書房から出ている『わたしの〇〇研究』も地味ながらおすすめです。
など、面白かったですよ。
子供向けではない書籍なら『海獣学者、クジラを解剖する。』はどうでしょう。
ちょっとお子さんには難しいですが、東海大学出版部から出ている「フィールドの生物学」シリーズもいいです。
ブコメでも紹介されているウルド先生の『孤独なバッタが群れるとき : サバクトビバッタの相変異と大発生』もありますし。
フォネティックコードというのは無線通信で、MとかNとか、BとDとかを聞き間違えないようにブラボー、デルタって呼称することらしい。
昔の戦争映画を見てるとたまに出てくるやつです。
こういうのって日常生活でも使ってほしいな、って常々思ってます。
アルファベットに限らず聞き間違いしやすいものってたくさんありますよね。
そういうの工夫して新しい呼称を決めていくのも社会規模的なライフハックとして進めてほしいなって思ってるんですけどね。
社長室と車掌室が同じ建物にあるとしたなら、せめて片一方だけでも全然違う名称にすればいいじゃないですか?
でも、そういう工夫ってどういうわけか頑ななまでにしないでしょ?わたしたちって。
変えてはいけないと思っているのか変えたほうが便利になるって気づいていないだけなのか、
発想がないのか面倒だと思っているのかはわからないんだけど。
でもこういったハックって少しずつの積み重ねをしていくことで気づいたらとても快適に生活ができるようになることじゃないですか。
たわわ、自ら進んで燃やそうとは思わんけど、燃やしてくれる人のことは応援してる。
巨乳JK当事者でない人間が巨乳JKに痴漢する漫画描いて楽しんでるのも、新聞社だか出版社だかがそんな漫画を広告に出して社会人を元気にしようとしてるのも、普通に不愉快だ。
もちろんBLが掲載されても不愉快だし百合が掲載されても不愉快だ。
燃えて燃えて、今後はみんな遠慮がちになって欲しい。そういう影響をぜひ与えてほしい。
彼氏が「こういう問題が起きてるらしいよ」と話を振ってきても、知らないフリ。
へー、色んな人いるね。みんなが生きやすくなるように、誰もが少しずつ気遣いを持てたらいいのにね。
だから、声を荒げてくれてる人、本当にありがとう。陰ながら応援してる。
他人を傷つけながらじゃないと幸せになれないわたしたち人間だからこそ、不用意に、他人を傷つけないための努力は必要だし、他人を傷つけるならそれなりの覚悟が必要だ。
例の「見たくない表現に触れない権利」、新しい世界の潮流だという声もあり、わかるようなわからないような
それは、私が見たくないのは「子ども」であり「子どものいる家族」だということ
新聞広告どころか世界を呪いたくなるくらいそこらじゅうにある風景
少し結婚の遅かったわたしは、同世代の夫との間に子どもがとても欲しかった
自分のためにも、夫のためにも、自分たちを育ててくれた両親のためにも、子育てをして社会にも貢献したかった。
人並みの子育ての苦労もしたかった。自分の血を分けた子どもというのが、どれだけかわいいのか、小憎らしいのか、育てることが大変なのか、わたしも経験してみたかった
でも、結婚後しばらくして始めた不妊治療の結果、夫婦関係も壊れそうになるくらい、長い間つらい思いをしてお金も使って、それでも最後は子どもをあきらめざるを得なかった
子どもが欲しかった。でも、どうしようもなかった。結婚が遅かった、備えてなかった自分たちにも責任はある
でも、両親に孫を見せられなかったことも、自分が子育てを経験できなかったことも、もう終わったこと
そして、残りの人生
上の階にも元気な子供たちが暮らしていて、日中は賑やかな足音が聞こえてくる
羨ましい
妬ましい
広告や寄付の募集で、ご飯がお腹いっぱい食べられないかわいそうな子たちがいると言う
そんなことは言えない
あさましい考えなのかなとも思う
一度、子どもがいない高齢の方に相談してみようとしたこともあった
間違ってるかな
普通に羨ましい〜って思った。
わたしの彼氏は、数年前奥さんを亡くした未亡人(って男もいうのかな)。子供はいない。
好きになって、惹かれあって、去年の暮れに、告白された。
その時、「僕は妻を亡くしてる。彼女のために、この先結婚したり、子供を作ったりということは、する気はない。それでよければ、僕と付き合ってください」と言われた。
バカだと思うけど、好きだし、まぁ、わたしがそういうことをしたくなったら、別れればいいし、と思って、付き合うことにした。
一緒にいればいるほど、どんどん好きが増える。
愛してしまう。
でも、一緒になることはできない。この先ずっと。
結婚や子供を持つということが、男女関係の全てではないと思っている。
婚姻関係を結んでいても、わたしたちより希薄な関係の夫婦だったいくらでも知ってる。
だけど悲しい。
いつも虚しい。
長い間わたしたちは見つめあっていた。
まだお互いに触れ合ってもいないのにあの人はしっとりと汗をかいていた。
あの人の吸い込まれるような青い目に見つめられると、自分がほとんど
裸でいることがひどく無防備に思えてくる。
あの人の故郷のあのヨーロッパの小さな国では、男の人はみなこんなに
たくましいのだろうか・・・。そんな思いに心を漂わせていると、 ふいに彼が
こちらに手を伸ばし、気がつくとわたしはそのがっしりした腕の中に抱き
すくめられていた。
彼はわたしの耳元で激しくあえぎながら、いつもの性急さで、わたしの体を
覆うたった一枚残された布切れに手を伸ばしてくる。
彼は腰を打ち付けるようにしてがぶり寄ると・・・・・