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はてなキーワード: 長靴とは

2020-07-01

江添亮氏 職務質問裁判 判示整理

情報源

https://ezoeryou.github.io/blog/article/2020-06-30-rejected.html

https://github.com/EzoeRyou/calling-110-is-suspicious/blob/master/20190313_hanketu.pdf

https://github.com/EzoeRyou/calling-110-is-suspicious/blob/master/20191114_kousosin_hanketusyo.pdf

高裁が言っていること

(上告受理申立ても行われたが、最高裁は上告不受理とした)

規範部分

職質関連の、強制処分でない警察官行為は、以下の分類ができる。

分類根拠規定裁判所によるコメント
明文の職務質問警察官職務執行法(警職)2条1項「異常な挙動その他周囲の事情から合理的判断して何等かの犯罪を犯し...と疑うに足りる相当な理由のある者...を停止させて質問することができる」根拠規定記載要件を満たしたとしても、実質的に身柄の拘束や答弁の強要、になってはならない
それ以外の広義の職務質問法2条1項「警察は、個人生命身体...の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査被疑者逮捕...その他公共安全と秩序の維持に当ることをもってその責務とする」警察官が警ら活動必要かつ相当な範囲で人を停止させて質問することは禁止されていない。ただしその場合警職法2条1項ので許容されるよりも限定的行為態様しか認められない
当てはめ部分

→ 以下の点を踏まえると、警ら活動上の必要性・相当性が認められる

 :江添氏が7月都心で長袖、長靴を着用し、重そうな大きめの荷物を背負い、帽子を目深にかぶりうつむいて下を向きながら繁華街の方向に歩いていく様子に不審なところがあると警察官判断し、何らかの犯罪にかかわる者かどうかを確認するために行われたこである

→ 以下の事情から、明文の根拠規定はないけれど、相当でないとは言えない

 :当該警察官に江添氏が法的根拠等を問いただしたり、江添氏が自己見解を述べるなどしていた事情

→ 以下の事情から、「異常な挙動その他周囲の事情から合理的判断して何等かの犯罪を犯し...と疑うに足りる相当な理由」があると言え、明文の職務質問にあたり、またその停止をさせる行為態様(以下のとおり評価)は、江添氏の自由を過度に制約させる態様ではなかったため、違法ではない

 :(事情)江添氏が面前に立っていた警察官の前に出て立ち去ろうとしたり、近くの店に入ろうとしたり、警察官らのいない方向に急に走り出したりしたこと

  (行為態様)江添氏の肩・背中に触れたり、路上から路外への移動を促したりした程度の行為しかしていない。また1時間20分には、江添氏と警察官の間の議論タイムも含まれ

2020-06-27

anond:20200627150202

増田は異常者が泥ベチャベチャしてる所に稀にこういうまとも人間長靴で歩いてくるからおもろい

2020-06-26

(追記)城崎温泉に住む

2年くらい前に城崎温泉に行って、なんて風情のある町なんだと感動した。日本海側の深い雪を初めて体験したっていうのも大きかったかもしれないけど、やっぱり魅力的な町だったと思う。行けなかったけど海も近い。

 

いま何となく城崎温泉 賃貸」で検索をかけてみたら、普通に月4.2万円で風呂トイレ別みたいな物件ガンガン出てくる。駅からもかなり近くて、なんなら旅行の時に歩いたあたりにある。玄関を出たらあの風情ある温泉街、ってことだ。

 

いま住んでるところは水道ネット含むとはいえ月5.8万、城崎物件のほうが安いくらいだ。

仕事さえなけりゃ城崎に移り住むことは全然可能なのだ。あの非日常の場、思い出深い旅行先、いつかまた行きたいと憧れている素敵な街、をホームタウンにできるのだ。…仕事さえなんとかなれば。

 

ウオーーーーフリーターになって城崎に住もうかな!!クソみたいな賃金だしなんならフリーターの方がコスパ良い可能性すらある!!コロナで職なんてどうなるか分かんねえしな!!!!!

アアアーーーーっ城崎!!!城崎住みてえよお……気が向いたときに外湯巡り!!!浴衣カップルを見て「俺はここに住んでんだぜ…」って優越感に浸りてえなあ!!!!!!チャリ乗って海に行きてえな!!!!何かに住所入力するときに「城崎町」って書くあたりで感慨に浸りてえーー……城崎温泉駅の看板見てここが最寄駅かあ…って思いてえよ!!!!!

城崎ーーーーッ おれはもうだめだ 賃貸なんてみるんじゃなかった 城崎で生きてえよ

 

(追記)

きさまら城崎の悪いところ挙げまくりやがって!!!

知ってるよお!!!

雪深くて感動した、なんて書いたけどさあ、おれは彼女とほぼ思いつきで行ったんだよ城崎!だから対策なんて全然してねえの。フツーのスニーカーで行ったの。バス城崎に近づくにつれてヤベエ雪景色に変わっていくのを見て顔を見合わせたりしてたんですよ!

でね、朝早いバスで行ったもんだから着くのは11時とかなんだ。チェックインの3時まで4時間とかあるわけ!風呂だってまだ開いてないし、足元は微妙に融けかけてアカ状態になった雪で覆われてる、ちょっと歩こうものなら薄っぺらスニーカーなんて全貫通よ。

でも俺たちはせっかくだからっつって足湯を巡ったんだ!!足は感覚がなくなってツライんだけど、自転車が完全に埋まるような雪とかは初めてみる面白い景色なわけですよ、二人とも無積雪地帯出身からさあ!

寒い、足がもげる、こんな雪だなんて聞いてないって言いながら観光マップ見て、7つ(?)ある足湯ひとつずつ巡ったんだよ。雪で冷えた足を足湯に浸ける瞬間の感覚、あれはたまらねえぞお〜 まあまた歩き出すとすぐ冷えるんだけどな

日本海の雪ってこんな地獄みたいな感じなんだねえ、なんていいつつようやくチェックインしてさ、宿の人が貸してくれた長靴履いて外出たら全然雪が怖くなかったんだ。ふたりして復讐だとか言いながら雪の塊を踏み砕いたりしてさあ 楽しかったんだよ 楽しかったなあ……

…っていうのを含めて城崎が好きなんだった。散々書いといてナンだけどべつに城崎じゃなくてもいいのかもしれないな。

でもあの思い出があるのは城崎だけだから……

2020-04-20

廃墟エモいかなあ

私は生気がある方が好きだな

多分生気のない田舎で育ったからだろう

重たい雲が一面に空を覆ってずっと頭の上を塞いでいて、街灯はオレンジ色で、長靴の中に雪の崩れたやつがはいって冷たく染みて、

雪はべそべそとタイヤにまとわりついて、融雪装置でみんな赤錆びて、ぼとりぼとりとミゾに落ちる音がするそんな田舎

車ばかり多い、ひび割れアスファルトだらけの、そこから細いイネ科の雑草が生えているばかりの田舎

木はなくて、ほとんどが田んぼと、田んぼを埋め立てた住宅で、あとは場所が惜しいとばかりに額を寄せ合うようにしている旧町。

やっぱり苦手だなー。生気がないのはやだな。どうにも苦手だ。

2020-03-10

だれも足元なんか見ねぇじゃねぇか!

寝るとき靴下はいて寝るんだが

俺が寝ている間に妻が靴下を着せ替えた。

起きて慌てて出ていったので気づかなかったが

ショッキングピンク長靴下で

足首の一部にファーがついてる。

俺の灰色スーツからショッキングピンクが見える。

普段は黒の靴下をはくので、異常に見えるだろう。

出勤しても、何も言われない。

以前、間違えて普段用のスニーカーを履いてったことがあるが何も言われなかったし

目線すらそこにいかなかったし

やっぱり、誰も足元なんざ見てないんだなー。

2020-03-03

今年、自衛隊に入るみんながやるべき本当のこと。

やぁ、合格発表を受けてドキド不安な君。

まずはおめでとう!君は今までよりもより刺激的な毎日4月から送ることになるだろう。  

入隊にあたって、やるべきことは何か。

筋トレ?走り込み?早起き

わたしも、焦って生活習慣を改善しようとしたことがあった。  

でも、一朝一夕で変わるものではないし、仮にできなかったとしても入れば自然とできるようになるからそこは安心してくれて大丈夫だ。  

本当にやるべきことをこれから教えよう。    

その1:下着タオル靴下、靴、すべてに名前を書こう!

幼稚園児か!と思うよね。残念ながら、入隊した君は幼稚園児どころか地球最下等生物になったような扱いを受ける…ことはないけどまあとにかく厳しいんだ。供与されるロッカーに鍵をしなかったり、もともと鍵のかかっていない引き出しなどは整頓が甘いとぐっちゃぐちゃにされる。これをこの業界では「台風」と呼ぶ。こいつは、タチの悪い教官だと他の相部屋の連中の所持品とまぜまぜしたり、隊舎…寝泊りする宿舎のどこかに放り投げられたりする。

…つまり、どんな持ち物でも名前を書いておいた方がみつけやすくて無駄時間が省けるということだな!    

その2:シェーバーにはこだわろう!

入隊して一番最初にしばかれるのは、服装容儀というものだ。世間的に言えば、身だしなみのことだが髭の濃いやつは悲惨だ。

…なぜかって?朝からしばかれて髭を剃る暇もないのに髭がしっかりされていないとまた、しばかれてしまうからだ!

時間がないのにしばかれることでさら時間がとられるという悪循環…これはかなりキツイぞ!

おすすめは、洗面台に行かなくても髭が剃れる電気シェーバーだ。ただし、前述のロッカーのものが荒らされることを想定して柔らかいケースと一緒に持っていくこと。

まだ入隊に余裕がある諸兄はヒゲ脱毛をするだけでかなり生活に余裕が生まれる…はずだ。    

その3:持ち物を揃えよう!

持ち物といったら、入隊祝いにもらった時計とか…マジで止めとけ。壊れるからG-SHOCKとかじゃないミリタリーモデル時計は大抵脆い時計なのでほんとにやめよう。わたしは壊して4万円くらいかけて修理したぞ。

おすすめはBaby Gだ!ちょっと腕が細めな人であれば腕時計を外さずに戦闘服制服ワイシャツの袖が通って着替えがめっちゃ楽!!  

あとは、裁縫道具。これは階級章や名札の縫い付けに使うのだが、縫い付ける服の生地、そして階級章が分厚いので厚手用の針を何本か。そして、指抜きもしっかり用意しよう!これだけで、入隊前後のクソみたいな縫い付け作業もすこし快適になるはずだ。あ、幹部候補生のひとはやらなくていいので安心してくれ(多分)  

次に靴クリーム、ブラシ、靴磨き用のクロス

わたしは、サフィールという靴クリームを愛用しているが、よく伸びて光りやすい。自衛官の靴は短靴とよばれるものは黒なので、黒い靴クリームが一つあれば持つはずだ。あと、戦闘服装のための方編上靴や半長靴と呼ばれる靴は側面が柔らかい革なので、乳化系のクリームもあると便利。  

最後に、霧吹きだ。

百均の霧吹きを買って行こう。霧吹きは、教育隊生活におけるスーパースターだ。

ろくすっぽスチームが出ない隊舎のアイロンの代わりに霧吹きで代用するし。靴磨きの時にも、輝きを増すために霧吹きですこし水を与えながら靴を磨く。さらに、ベッドメイクが終わったベッドのシワを消すために、霧吹きで湿らせる。

霧吹きは、教育隊の主な仕事であるアイロンがけ、靴磨き、ベッドメイクの3つすべてに活躍する主力装備品だ。

…だから基地売店で買うと高いぞ!

800円くらいしてるのを見たことがある。鬼畜だ。    

とにかく頑張って

このくらいやっておけばきっと大丈夫

それでは新隊員生活を楽しんでくれ。

最後に、出会う同期は大切にすること。嫌いな奴が何人かできるだろう。でも、教育隊連帯責任を問われるから仲良くするに越したことはない。

まあ、ライジングサンより全然楽だから安心してくれ。

追記:質問にお答えしま

反響が大きかったので、多かった質問に答えます。    

Q:なんで増田かいたの?

多くの人の目に留まれば、役に立ちそうな人に届くかなと思って増田を選びました。    

ライジングサンってなに?

漫画アクションに連載されていた、藤原さとしさんの漫画作品です。教育隊の模様を脚色して描いた作品です。あくまフィクションなので間に受けないで下さいね。  

ちなみに、教育間中に読んでほしいオススメ漫画は1日外出録ハンチョウです。土日しか外出できない境遇が似ていて、とても感情移入できるのでおすすめです。    

Q:台風ってなんのためにあるの?

台風を行う理由は大きく分けて二つあると思います。  

整理整頓を定着させる  

いざという時は素早く必要ものを取り出すことが必要です。また、自分以外の誰かかが必要ものを取りに来ることもあるので決められた物が決められた通りに置かれないと困ります。そういった癖付けを行います。    

想定外の状況に対処する術を身につけるため  

台風があるときは、教官の呼び出しとセットのことが多いです。呼び出しの制限時間までに何をすべきで何を諦めるべきか、同期とどう協力して解決するか。策を組み立てて対処する力を養います連帯責任なので、汚い奴がいる部屋だと逆に一番綺麗にベッドメイクした奴が飛ばされたりしますし、否応なしに全員のベッドが立ってる日もあります。    

慣れてくると、みんなの運動靴を使って床に文字を書いてくれているのに気がついたり、服に毛布を詰めて人形を作ったりされているのを笑ったりする余裕ができます。  

どうせやられるなら楽しんだもん勝ちです。    

Q.台風って無駄じゃない?

わたしも好きではないです。無駄だなと訓練中は何回も思いました。  

でも、誰もが嫌で、キツくて、逃げられない状況を手軽に演出できる、合理的なやり方なのかなと思います代替できる何かを見つければ、業務改善で第3級賞詞がもらえるかもしれませんね!    

Q.台風ってパワハラじゃないの?

台風が起きるのは、自衛隊の中でも教育隊学校と呼ばれる機関です。  

修業して普通部隊に配属されれば行われません。もし、部隊台風をやられたら速やかに営内の先任や、分隊長士に相談しましょう。それは指導ではなくいじめですから…。    

教育隊学校の使命は、普通の人を自衛官にすることです。自衛官に求められるのは、真にキツくて、嫌で、逃げられない状況下で、与えられた職務遂行する人間です。

入隊式の前に、教育趣旨説明を受けるとともに「服務の宣誓」というものを書かされます

服務の宣誓の内容は、  

「私は、わが国の平和独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民負託にこたえることを誓います」  

この時点で納得できない場合サインをせずに家に帰ることができます

いきなり教育が始まるわけではなく、入隊式までは長いオリエンテーションのような期間がありますし、入隊式が終わらないと教育も始まりません。

入隊式前はどんな事をしても優しく対応してくれるのでしばかれる前に無理難題で先に逆襲しておくというのはありです。

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2019-12-11

新しい箒

会社でイヤな事があって、とぼとぼ帰路についてたら、

なぜかふと思い出した昔の話。


私の実家団地暮らしで、お金に余裕はなかった。

月に一度、団地掃除を住人達でする日があって、

その掃除に出ない人、もしくは出られない人は、

千円を支払わなくてはいけないという決まりだったようだ。

母はその掃除に参加してたのだけど、

どうしても仕事があって掃除に参加できない日ができてしまったらしく。

私に、「今度の日曜日団地掃除に出て欲しい」と言ってきた。

「同じ千円払うなら、あんたに払った方がええわ。」と。

当時、高校生だった私は、「面倒だなーっ」と思いながらも、

「千円貰えるならいいや。」と思って承諾した。

次の日曜日、、母は仕事でもういなくて、

玄関に箒と長靴が置いてあったから、それを履いて掃除に参加した。

ご近所さんは、みんな顔見知りで、

「えらいねー!」なんて言われながら、

なんだか恥ずかしいし、へぇへぇと頭を下げて掃除したんだけど、

すぐにわらわらと集まってきて、

「あら!新しい箒やね。」「○○ちゃんのお母さん、いつも毛がなくなった箒使ってたんよー。」「○○ちゃんが恥かかんように買ったんやないの。」と。

みんな笑顔ケラケラと笑ってるからそれもへぇへぇと聞き流して掃除した。

そんなどうでも良い出来事を、なんでこんな日に思い出したんだろう。

十数年以上前の話だよ。

そんな話思い出して、帰り道に泣いてた。

2019-11-19

anond:20191118151737

あいつが履くとブーツ、俺が履くと長靴。なぜだ!

2019-11-13

anond:20191112105350

・車に牽引用ワイヤーと角に金属ついてるスコップ積んどけ初心者は一週間に3回はスタックするぞ

カレーはインデアン食え

・ナビにホーマック登録しろ

・防寒長靴は洗えないか長靴長靴用モコモコインナー買え

北海道で取れない野菜とか魚は鮮度悪くてクソまずいから今のうちに食っとけ

2019-11-05

コメダ珈琲は本当に高いのか?

増田埼玉まれ名古屋育ちです。

まず大前提ですが、コメダ珈琲コーヒーは美味しくないです。アルミカップアイスコーヒーも氷多くて微妙たっぷりも本当に1.5倍か怪しい

飲み物は素直に長靴とかジャーに入ったジュース飲みましょう。豆菓子には合わないけど

で、本題だが、コメダ椅子と居心地と時間を買う場所で。決してコーヒーを味わう場所ではないと思っている。限りなくスタバ寄り。でも意識は低い低い

雑誌スポーツ新聞をどんだけ読んでも追い出されないし、仕事したって寝てても基本は追い出されない。むしろ水やお茶いっぱいくれる。1時間毎になにか注文を~とか回転率とか言わない。個人経営喫茶店寄りだから

からこそあの不味いコーヒー我慢できるのである。あれ飲んで30分で追い出されたら暴動レベル。むしろモーニングあんこデフォにしてほしいくらい。もしくは豆菓子増量。それが出来ないならコーヒー美味しくして欲しい

何が言いたいか訳分かんなくなったが、

だと自分は思う。

間違っても1人で行ってかき氷コーヒーのんで1000円以上払う場所じゃない。基本シェアミニシロノワールとか頼むくらいならシロノワールシェアしろ

行ったことない人は店頭メニュー表を見て欲しい。お一人様が頼むミニは量は少なくて値段は高い。そこからコメダ意思を感じれるだろう。『1人は帰れ』

何度も言うが、コーヒーは不味い。そしてミニではない食事も1人で食べたら腹一杯になるが、伝票見て一気に醒める。最低でも二人で行かなきゃお得感はない。シングル時代日本には厳しいお店。それがコメダ珈琲

追記

新宿時間制限ある店あるのか。もうドトールで良くね?新宿で「わ~コメダだ~」とか言う奴はシロノワール頼んで写メ取ってクリーム溶かして皿ベトベトにするから90分で帰れってことか

コメダコンセント付きの1人席とか、あの赤い椅子なら有りだけどドトールとかチェーンの窓際にあるような仕切りの無いテーブルと一人用椅子だったらコメダ行く価値の6割無いわ。

携帯と豆菓子コーヒーたまごバンズ置いたらテーブルの上大騒ぎだろうし、雑誌も落ち着いて読めないし

回転率とか客単価とか気にしちゃうコメダはさっさと上島星乃珈琲店にでも変わっちゃえよ。それが出来なきゃコーヒー美味しくするか、豆菓子の量倍にして

追記 その2

愛知県モーニングってのは、平日もだけど休日家族が近所の喫茶店で合計2000円ちょっと飲み物パンゆで卵とその他諸々を食べつつ昼くらいまで過ごす感じなんだよ。決して朝だとトーストゆで卵がついてお得!じゃないんだよ

コメダには是非その空気を全国に広めて欲しい。休みにお母さんを楽させたろうよ。ヒレカツサンド家族で分け合う姿や、4等分されたシロノワール小皿に取って、さくらんぼを取り合う子供たちを見せてやれよ。カウンター席で1人でモーニングだけ食べるのはドトールタリーズに任せとけ。スタバラテとよく分からん甘いパン温めて食べてる人は同じ金払うならコメダ天国だぞ。ステッカー貼ったMacBookも居ないぞ

ちなみにバズってるミニコメバスケットは当たり外れ多く、見た目通りのサンドイッチと衣ばっかの唐揚げの事の方が多いので、再訪してガッカリするくらいなら良い思い出で済ませたほうが良い。あとミニサンドミニだぞ。女性には良いが男性には物足りないぞ。そしてミニコメバスケットコーヒーで余裕の1000円だ。雑誌読んでお茶もらって120分は居座りたいな!

2019-11-03

イタリア長靴みたいなやつ

その情報だけは昔から知ってるからイタリアの形はわかるんだけどその他のヨーロッパの国のことは全然知らない

長靴みたいなあだ名をつければいいのに

2019-10-25

東京の人はさ

大雨の日でもほとんど長靴履かないよね。

…と、駅でズボンびしょ濡れの人達を見ながら思う。

2019-10-14

ホームレス避難所拒否レベル体臭について

…について友人のAさんと色々と話してみた

「まあ体臭やらで避難所クレームが入るからな…」

増田適当に答えたがAさんは

「そうか?あ、あ、アイツらの香り嗅いでたら私なら興奮しちゃて避難所に来たら眠れなくなって困るな、は!はっは!」

Aは頭も良くリーダー的な存在もあるがたまに変な事もいう

ハハハ!あ、そうかい…」

まあ『アイツらは酷い体臭から眠れん!』という嫌味のつもりで言ったのかという解釈増田は聞き流した。

ホームレス臭い匂いで興奮する奴なんか絶対存在しないと思ってネットで調べた。

すると、おっさん長靴に興奮して盗む変人記事を見て気持ち悪くなって閉じた。

嘘だろ…

本当は何らかの金品を盗みに来た。あるいは特殊機械部品やらはたまた工場情報など盗む産業スパイやら。強盗だと罪が重くなるから変質者偽装をしてる。と納得し増田晩飯を吐くのを堪えた。

真面目な質問だがホームレス悪臭で興奮する人はいるのだろか?

またもしホームレスに金を突き出して「パンツ売ってくれ!」という奴らが増えたらどうなるのか?現実世界であまりにも質問できないので教え欲しい。

2019-08-20

平熱レベルにまで下がった、寒気もなし

雨がひどい

長靴履こうか、でも会社に室内履き置いてないしなあ

2019-07-22

学童用で意外とイイなとおもうもの

今のお子さんの使ってるものって格段によくなってるなとおもった昭和生まれ感想

天使の羽ランドセル 

そのまま大人でも使いたい軽さ。大柄な小学生160センチ程度なららくらく対応

枠がしっかりしてるから書類が型くずれしにくい。食品も巾着でらくらくはこべる

瞬足

大人用ないのか

・傘

一箇所透明にして前が見えるとか完璧。もうサラリーマンになってもランドセルと傘と長靴通勤させてくれよ。大人レイングッズは見えはりすぎて耐久性わるすぎ重すぎ。防水スプレーの吸引で中毒死した大人とかもう

学童雑巾

家でかあちゃんが縫ったゴツゴツのじゃなくて買ったの持っていっていいんだとおもってふと買ってみたら白い、薄い、しぼりやすい、吊り下げループついてるからそこに逆はしをつっこむかs字フックつかえば手すりから落ちない なにこれすごい

 

あとなんかある?

ゲーム系は要らんぞ大人になってもふつうにやってるから

2019-06-10

https://anond.hatelabo.jp/20190610024818

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2019-04-27

会社トイレ当番が辛い

新卒入社して1ヶ月が経とうとしている。

ベンチャーで、大きな会社ではないので新卒は男女合わせても5名だ。

業務のほうは覚えることも多いがそれなりに楽しいと思う。

しかし、新卒社員には通常業務の他にトイレ当番が課されている。これが辛い。

男性は2名しかおらず、2日に1回トイレ当番が回って来る。


定時だと朝9:00から始業だが、30分くらい前から徐々に人が増え始める。

から人が来始める前、さらにその30分くらい前には出社して、トイレを一つ一つ清掃する必要がある。

この掃除は一応、業務時間内にやっていいことになっている。

しかし、他の人が仕事トイレに来た時に掃除している姿を見せるのは嫌だし、これまでもほとんどの人が朝早く来てやって来たようだ。

実際、人が多い時間掃除しようと思うと、トイレが埋まっていたりして掃除できない箇所が発生する可能性がある。その場合、また時間を置いて掃除しに回らないといけない。

そう考えると人がいない朝の時間帯に作業しておくのが最善策になる。

これをあと11ヶ月続けると思うと、辛い。


えぐられているのは精神的、時間的なところだけではない。物質的にもだ。

掃除をするからといって、着替える訳ではない。基本的には普段の格好のまま、長靴ゴム手袋を使って掃除する。

から仕事中は汚らしいものを身にまとっている感覚がすごくある。

来年4月になったら今仕事に着ていっている服は捨てようと思う。


トイレ掃除から得るものがあまりにも無さすぎる。

これを1年続けたらお坊さんみたいな気持ちになれるんですか?

2019-03-31

おっさん下着をクンカクンカするCMを見て思った事

ドイツで放映中のCMで色々と話題になってるが「普通に売ったら?」と思っている。

かにCMのやり方は少々アレである。だが「働く男性の長靴が好き」と53歳のいい大人長靴盗んで迷惑をかける事件もあった。盗まれた方は災難であるがもし臭いおっさんアイテムが買えれば犯罪なんて起こさないのでは?いや、あったとても犯罪は起こり工場おっさんらも臭い制服らが消え業務に支障が出るかもしれない。

だがこのままでは、おっさん汚物が盗まれ続ける地獄図は止まらないだろう。ちょっとやめないかこんなの。おっさん研究者さんらも安価商品化できるようにして欲しい。

2019-03-20

anond:20190319145739

まぁ長靴に興奮する人が居るくらいですし。

2019-02-03

anond:20190201001118

ファンタジーという言葉定義イメージの差が問題じゃないの?

西洋空想を指すものから転じて、東洋空想ファンタジーって呼ぼうってなったかイメージに合わない。

ブランド物のシューズです。と言われて、老舗の長靴想像する人はいない、みたいな。

2019-01-28

【安佐北警察署小学生女児握手する不審者の出没!!

https://www.gaccom.jp/safety/detail-316674

 1月26日午前11時ころ、可部7丁目28番の施設付近において、男が小学生女児3名に対して

  無言でにこにこしながら近づき、順番に握手していく

という事案が発生しました。

 この後、男は、可部5丁目8番の飲食店付近で、再び前記3名に会った際は

  こんにちは、また会ったね。」と言って、順番に握手して

立ち去っています

 

【男の特徴】

40代、170cmくらい、小太り、坊主頭、丸顔、一見オタク

上衣:黒色ジャンパー

下衣オレンジ色膝下ズボン、黒色長靴

迷彩柄のトートバッグ所持

 

警察からのお願い

○ 不審者を見たら、その場で「110番」しましょう。

○ 防犯ブザーを活用しましょう。

○ 不審者に関する情報提供をお願いします。

 女子小学生握手………一見オタク風………

2019-01-24

不審者の出没(1/24)(札幌市東区北22条東18丁目)

https://www.gaccom.jp/safety/detail-315533

1月24日午前11時30分頃、東区北22条東18丁目付近路上で、下半身露出した不審者の目撃がありました。犯人は、年齢60歳位、身長160センチくらい、中肉、カーキ色の毛糸帽子、白色マスク黒色ベンチコート、黒色長靴着用の男です。不審者を見かけたら、すぐに110番通報してください。

 札幌は昼でも氷点下http://www.jma.go.jp/jp/amedas_h/today-14163.html

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