「歴史上の人物」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 歴史上の人物とは

2019-07-12

anond:20190712105212

別に歴史学とかでもそうやで。

普通に考えればここで謀反なんかせえへんからこの記述は後世の捏造に違いない」と思っても

その歴史上の人物が「普通でなかった」可能性は普通にあるんやで。

2019-07-10

どんな高名な歴史上の人物にも光の側面と陰の側面がある

から歴史人物に詳しくなくてもいいし

聞かれたら

そうコメントしておけばいい

例:しかしま織田信長も、光と陰の側面がありましたね

2019-07-05

anond:20190704203147

そもそも、男女問わず「正しい名前」ってもの自体重要性も低かったんだろう。男は仕事柄、正式署名を残す機会が圧倒的に多かったか特定できるケースが多いってだけで。

秀吉の妻高台院なんか、政治的にも超活躍してて朝廷から従一位までもらってるのに、「正しい名前」は未だ諸説ありまくって特定できてない。大国今川采配を振るった女大名寿桂尼ですら、名前わからん

社会的地位バカ高くても名前特定が困難ってのは、それほど女の地位が低かったというよりは、「名前特定とかさほど重要でない」ということだと思うんだよ。

というか、男だってひらがな署名残ってないと、正しい読み方は特定できないよな。俺が学生とき訓読みの名前で習ってた歴史上の人物が、最近歴史ものだと音読みの名前で書かれてたりする。

2019-06-28

[] #75-1「M型インフルエンザー」

パンがなければケーキを食べればいいじゃない」なんて、マリー・アントワネットは言っていなかったらしい。

なんで彼女セリフとして広まったかというと、“あいつなら言いかねない”からだ。

俺たちはそんなフンワリとしたイメージだけで信じてしまえるわけ。

冷静に考えてみれば、そもそも本人に確認を取っていない情報を信じるなって話ではあるけれど、そんなこと言い出したら歴史上の人物ほとんどがそうだろ?

誰が言ったか、本当に言ったかなんて、俺たちには分からない。

いや、今でも似たようなものかも。

俺たちは信じたいものを好きなように信じて、気をつけて使うべき階段を踏み外して怪我をする。

階段を使うことを決めたのも、気をつけなかったせいで怪我をしたのも自分のせいだけど、そのことについて反省しない。

「踏み外すような階段を作った奴が悪い」って思ってるからだ。



…………

その日の俺も深く考えないまま、学校の階段を一段とばして上っていた。

朝のチャイムが鳴る前に教室に入っとかなきゃいけないから急いでたんだ。

言い訳をしておくと、寝坊したわけじゃない。

登校だとかの面倒くさい日課ギリギリまでやらないことがモットーなのさ。

「よっ、ほっ、はっ」

階段を上るたび、背負っている鞄がユサユサと揺れる。

その振動で体のバランス不安定になりやすく、ちょっと危なっかしい。

さっきの例え話とかけるなら、俺はここで階段から転げ落ちるんだろう。

けど、あくまで例え話は例え話で、フィクションフラグなんて存在しない。

俺は自分教室があるフロアまで駆け上がった。

後は廊下を駆け抜ければ俺の教室だ。

経験上、チャイムが鳴るまで残り十数秒。

ここまでギリギリなのは初めてだ。

やばいやばいやばい

こんな余裕のないことをしておいてナンだけど、俺だって遅刻したいわけじゃない。

焦るものは焦る。

からといって、ここで走ってはいけない。

先生に「廊下を走るな」と止められる可能性があるからだ。

実際、それで遅刻しかたこともあるので、ここで走るのは危険を伴う。

急いで歩くことが求められる。

「急げ、急げ、急げぇ~」

そう呟きながら自分鼓舞しつつ、競歩選手並にクネクネしながら教室へ向かう。

スピード的には走っているようなものだったけど、常に足のどちらかは地面に接しているので問題ない。

だけど、それでも残り数秒あるかどうか。

頼む、間に合ってくれ。


――――キンコーンカンコーン

朝のチャイムが鳴り響く。

その音を俺が聞いた場所は……自分教室内だ。

「イエイ! 時間ピッタリ!」

これまでにないほどバッチリタイミングだったので、思わずガッツポーズをした。

客観的に見れば、ただ遅刻しかけただけなのに。よくそんなに喜べるな」

そんな俺に、クラスメートのツクヒが冷や水ぶっかけてくる。

「偉そうなこと言うなよツクヒ。遅刻しなかったのも、遅刻しかけたのも同じ。つまり俺とお前に何の違いもないんだ」

そんな冷や水にお礼を返すのも日常

取るに足らないやり取りだ。

しろ俺が気になっていたのは、仲間のタオナケ達が珍しいネタで盛り上がっていたことだった。

「私、今朝『マスニュース』みたんだけど、あなた達も観た?」

「う、うん……みた、き、きいた」

「僕も観たよ。いやー、とうとうここまで大事になったか

俺たちガキにとって、ニュース占いとかミニコーナー目当てに観るものだ。

それにつけても、朝から話題にするようなことじゃない。

だってニュースの話で朝から盛り上がるなんて、イキってるみたいじゃん。

から話題になっているということは、よっぽど気になるネタがあったってことの裏返しでもある。

(#75-2へ続く)

2019-06-27

kimonoは文化の盗用っていうけど

歴史上の人物名前検索してポルノが出てくるのはいいんスか笑

2019-06-12

深見東州といえば

みすず学苑広告最近きぐるみだけでなく3DCGも多用したキテレツキャラクター達が思い思いにその個性を発揮させているんだけど、3DCGになってもなおキグルミを着込んでるテイで実写の人間の顔がはめ込んであるのには中々こだわりを感じる。

それにしても数年前まで主流だった歴史上の人物名に引っ掛けたダジャレコスプレがここのところとんと見かけなくなってしまった。寒いオヤジギャグこそが深見氏の真骨頂だと思っていたので、寂しい限りであるネタが枯渇したか、はたまた予算問題か。知るべくもないし、特に知りたくもないけど。

2019-06-04

歴史上の人物でも「パパ上!パパ上!立派な金の像を立てておきました!!」って国の経費使い込んで親にぶっ殺された将軍の息子とかいそう

2019-05-24

Twitter民キモチップをキモイキモイ非難しとるが

ワイ絵師は書いた絵に、神龍が保存したという画像RTいいねしま画像歴史上の人物をもじった画像、その他あらゆるコラ画像に対して無限にそういう感情を持っています。(これら画像に対して画像でリプ合戦しあう奴はブロックしたいレベルで嫌い。)

そういう事してない人だけがキモチップに石を投げるべきだし、これを表明すると叩かれそうなので増田に残します。

2019-05-14

国際情勢に全く関係ないメイク事情

韓国メイクオルチャン)ってのが結構から日本で凄い流行ってて(見れば分かると思うが)

理由としては日本アイドルたちが処女性などをアピールするために同じようなメイク系統する中で

韓国アイドルたちが、昔のモー娘。安室奈美恵浜崎あゆみのように女子受けを狙った派手なメイクをして

つの文化を作っていることが大きな理由だとは思うのだが、

アジア圏では日本の化粧ブランドの質が良いと言う話は有名で

ドラッグストア爆買いする女性外国人がたくさんのプチプラ化粧品も購入していくのはよく見られる光景だ。

勿論違いはあって、韓国は寒く乾燥地帯が多いので油分が多いツヤ系ファンデーション(クッションorスティックタイプ)が多い。

日本梅雨など湿気が多いので、パウダーファンデーションさらりとした下地ファンデなどが好まれる傾向にあることか。

あとは韓国人は使うファンデが厚塗りなので白くなる白くする傾向もあるが、日本流行は「自分肌色に合ったものを」だろうか。

多色ファンデといって10色以上出すブランドが安物でも増えてきたので、その辺は違うかもしれない。

韓国人を真似していることで、文句を言う思想をもった人もいるかもしれない。

しかし美の探求に国境は無い。そのとき良さそうなものを使うのだ。

年末からじわじわきてるのが、中国メイクだ。

メイクを全くしない人から見ると韓国中国どう違うんだと思われそうだが、明らかに違う。

それでいて手順が日本と似ている気がする。彫を深くする工程とかも。

韓国メイクがまるで能面のように顔を統一していくのと比べて(悪い意味では無いのだが)

中国メイク自分個性を隠さない方向でのメイクが多い。

まぁそんなこと正直どっちでもよくて、化粧をする=顔をちょっと変えるのは事実なんだが、前者と後者では聞こえが後者の方がいいだろう。

から中国メイクは多分これからもっと流行ると思う。というかきてる。去年よりガンガンきてる。

既に中国という名前を出さず明るいピンクで目を覆うメイクファッション誌が推奨しだしてもいる。

眉毛韓国メイクよりかなりふんわりだ。

しかしはたしてそのことに、メイクをしない日本人の男性政治家のおじさんたちが気付くことはあるのだろうか…と思う。

中韓否定しているおっさん中韓メイクをしている女の子に手を出すとか、日々起こっていることだろう。

そういう意味で、個人的に興奮している自分が居る。

別に中韓を好きなわけではないしどうでもいいのだが、あの国ダメだ関わるなという気風が強くなるなかで

まるで鎖国時代密航した歴史上の人物のような気持ちになって、ちょっと興奮するのだ。

きっとそのうち北朝鮮メイクとかも流行ると思う。

そのときあなたは気付けるか。そう考えると、禁断の遊びとしてワクワクするのだった。

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

2019-04-29

anond:20190429192836

好きな小説漫画映画歴史上の人物で、

自分とその苦手な人をキャラ設定してみるのはどうかな?

自分主人公物語の「設定」だとおもえば、

少しは「しょうがないなー」ってなるかも★

自分が納得するためだけの「設定」なので、属性やみかけは別に自分にも相手にも似てなくて良いこととします。

2019-03-31

ネットにおけるアンチ豊臣秀吉の出現

から書く話は一切のエビデンスがない。主観である

2000年台初頭までは豊臣秀吉ネット上でも人気のある歴史上の人物だった。

立身出世太閤はん、天下統一

これは90年台半ばにあった大河ドラマの影響も大きいだろう。とにかく人気が高かった。

しかし、ネット上の空気がある時期を境に一変する。

日韓ワールドカップだ。

この時期に2chをはじめとして、ネット上では韓国人と思われるおかし書き込みが多発するようになった。

豊臣秀吉蛮行を声高らかに歌い上げる人も多発した。

朝鮮出兵で酷いことをした、国内でもこれだけの失策を重ねた…と。

しかし、他のロクに相手されなかった過去きこみと違い、秀吉アンチによる書き込みは多数の日本人の心を動かした。

なぜならば、秀吉晩年に残虐な行為したこと、耄碌したことは明らかに事実であり、

朝鮮出兵失策だったこと、秀次や秀秋への仕打ち後継者秀頼の首を絞めることになったのは明らかなのだ

その結果、秀吉人気は落ちるどころか多数のアンチを生むことになった。

歴史上に失策を重ねたとされる人物は多数いるが、アンチがこれだけいる人はそういまい。

英雄でありながら失策も多そうな足利尊氏天智天皇平清盛西郷隆盛木戸孝允坂本龍馬…彼らにこれほどのアンチがいるだろうか。

皆気付かなかったのかな

2019-03-15

アニメゲームもっとも声を当てられた事の多い歴史上の人物

日本だとまず織田信長だろうけど海外だと誰だ?ジャンヌ・ダルクかな?

2019-01-21

anond:20190121024532

とっかかりや手の付けようがないとかモヤモヤ感がある場合はまず語彙とか用語を整えるのが大事だろう

証明ベース大学数学もそうだと思うがまず拠り所や軸足定義言語化するのは大事に思える

歴史場合政治やその用語を軸にしていけばいいと思う

というのはパッと思いつくような歴史上の人物をいくつか挙げてというと政治家が多いと思うし

人間とは何かというのは解釈いくらでもありもの見方考え方は時代によって異なるとはいえ

人間社会歴史人間ベースで進んできて「人間がどう人間を扱ってきたかだとか

当時の人間のやりようや解決策や資源配分が何だったか」(※)という政治的なことを考えれば

歴史の流れが合理的に見えることにもなるし

一見無味乾燥用語にも「(当時の)文化的な背景」(※)を軸にすることで思い出す手がかりになりうる

歴史用語は暗記するよりむしろ説明することが大事だと思うがそれもしやすくなるだろう

2019-01-09

FGOってなにがそんなに面白いの?

歴史上の人物おっぱいまるだしで羞恥心なく女になってるところ?

2018-12-20

anond:20181220134135

ほんまや

まぁ、素人で調べたいことってそうそうないし、歴史上の人物調べたらゲーム漫画ばっかり・・・みたいなのよりマシなんじゃ。

2018-12-18

anond:20181218170117

暗記物は頭のリソースを使うから逐次休憩しながらじゃないと頭はいらんよ。

ちょっと疲れたなと思ったら、深呼吸と、頭のほうに行く脈動に意識を集中して。

それとは別に歴史は「流れ」を頭に入れるのが大事だ。だから、全20巻ぐらいの日本の歴史みたいなのはやっぱりいい。

それとはまた別に歴史面白さなんだけど、歴史上の人物というのも所詮人間なので、人間としての弱さ、強さをもとに行動している。それを翻して、今自分の行動を治すのが必要

ま、今生きてるやつがいてうるさい分野はうるさい奴に引っかき回されるから、初級者の教訓になるのは19世紀以前だな。

ある程度教訓としての歴史の学び方を学んだあとは近現代史のほうに行ってもいいけど、ある程度うるさい奴がいないやつで学ぶ前に近現代史に行っちゃうと、ネットで真実ネトウヨ君や中韓謝罪左翼になったりとろくなものが生まれないし。

一昔前、近現代史は授業で全然やらん!という批判があったりするが、ネトウヨ左翼でうるさい連中を見ると、高校以下の授業で飛ばすのは正解だったのかもねぇと最近思うようになった。

2018-10-18

anond:20181017114836

あつい千早ミンゴス語りどうも。

例えるなら賛否両論のゼノグラじゃなくて、あの一発ネタとしてはとても面白かった無尽合体キサラギがなぜか蛇足で1クールアニメになって毎週毎週千早貧乳ネタをいじられるとなったくらいの極端な例を想像して欲しい。アイマスはあらゆる改変に許容範囲広い人も多いだろうが、公式でひたすら(元キャラ千早の魅力のアピールが欠けたまま)貧乳ネタいじりとなると嫌悪感を覚える人も出てくるのではないか

あれはそのレベルのことをやっている。あと歴史上の人物権利者がいないか公式も何もない。誰も歴史上の人物の本当の姿を知らないし、勝手二次創作も既にされ尽くしている。手塚治虫キャラ権利団体から一切放棄されてああいものが作られた、あるいは手塚治虫キャラがどんなキャラだったかもうみんな忘れてしまったのだとしたら叩かれにくいだろう。

2018-10-12

anond:20181012210859

ソシャゲーであんだけカード名前や種類覚えられるんだから

歴史上の人物全員美少女イケメン化させれば勉強の取り組み姿勢もちがってきそうだけどな。

史実人物なんて実際無名絵師による美化されたイラストしか残ってないわけだしね

2018-09-27

今までアニメゲームキャラに恋するオタクバカにしてたけど

最近、もう一生会えない初恋の人のことをふと思い出してから、ずっとその人のことを思ってる。

大昔に撮った写真を毎晩眺めて、大昔に録音した声を毎晩聴きながら、来る日も来る日もどうしようもなく切ない気持ちになる。

アニメキャラとか、ゲームキャラとか、歴史上の人物かに恋するオタク気持ちって、これと同じなのかな?

いや、絶対違うな。

自己解決しました。

ありがとございます

2018-09-21

anond:20180920162045

クソどうでもいいんだけど

出雲阿国検索したら歴史上の人物とまったく同名のお笑い芸人がいるのな

端的に言ってこういう名前付けるやつゴミすぎんだろ

何考えてんの

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