はてなキーワード: 浅草とは
「元々京都で暮らしたことがある」「夏になったら京都行きを決行する」「京都の空気が馴染んでいるので立て直す」って言っていた奴がいた
とっとと行けよ金あるならって思ったが、奴が何故浅草の雑居ビルで時給800円のバイトしていたのかはわからない
その年の3ヶ月ほどしか関わりない関係だったが、奴はその後どうなって、今は何しているんだろうか?
なんだかんだで20年以上前の話になっているのか、この20年はなんだかんだで色々と世界が変わっている
どうでも良いすれ違った人間だけど、自ら出しゃばろうって言う人間が自己アピールするツールが多いこの時代、そうで無かったが、そこそこ濃さがあった奴の経過を軽く知りたい気がする
このように、兄の信康や秀康、弟の忠吉などは、武勇や知略に恵まれた名将と評価されている。事実、信康は武勇に優れ、秀康も秀吉にその人物を評価され、忠吉も関ヶ原の本戦で島津豊久を討つという武功を挙げている。それに対して秀忠には、武勇や知略での評価は乏しく、またその評価ができるような合戦も経験していない。ただし、秀忠は2代将軍だったため、後半部分で秀忠は温厚な人物だったと弁護している(「仁孝恭謙」と、儒教倫理上での最高の評価をしている)。しかし、当の徳川家による史書でさえ、秀忠の武将としての評価は低かった。
それでも後継者となったのは、家康が秀忠を「守成の時代」の主君に相応しいと考えていたからだと言われている[17](家康は唐の太宗の治世について記した『貞観政要』を読んでおり、貞観政要には「守成は創業より難し」という一文が存在する)。父の路線を律儀に守り、出来て間もない江戸幕府の基盤を強固にすることを期待されたのであり、結果として秀忠もそれによく応えたと言える。
公家諸法度、武家諸法度などの法を整備・定着させ、江戸幕府の基礎を固めた為政者としての手腕を高く評価する意見もある[注釈 6]。娘の和子を後水尾天皇に嫁がせ皇室を牽制、また紫衣事件では寺社勢力を処断し、武家政権の基礎を確立させた。家康没後は政務に意欲的に取り組んでおり、家康が没した直後の元和2年(1616年)7月、小倉藩主の細川忠興は息子・忠利に「此中、公方様御隙なく色々の御仕置仰せ付けられ候」(最近将軍様は政務に余念がない)と書き送っている[19]。
秀忠に将軍職を譲った後の家康がそうであったように、家光に将軍職を譲った後の秀忠も、大御所として全面的に政務を見ている。作家の海音寺潮五郎は「家康は全て自分で決めた。秀忠はそれには及ばなかったが半分は自分で決めた。家光は全て重臣任せであった。」としている。
江戸上洛の途中、三島宿で鰻を獲ると神罰が当たるという三島明神の池で鰻を数尾獲った小者がいた。そのことを耳にした秀忠は小者を捕えると宿の外れで磔に処した。「神罰を畏れぬ者はいずれ国法をも軽んじて犯すに違いない。それでは天下の政道が成り立たぬ。神罰覿面とはこのことよ」と言った。一罰百戒、厳罰主義の秀忠らしいエピソードである。
大名たちの家族関係には些細なことにも気を配り、それを解決する時には茶目っ気もあった。小倉藩主細川忠興は父・幽斎譲りの脇差「大三原」(『享保名物帳』の同名の刀とは別物)を愛刀としていたが、嫡子忠利が所望しても与えないので、親子関係がぎくしゃくしていた[25]。どういうわけか、この事情は秀忠の耳にも及んでいた[25]。そこで、ある年、細川父子を伴として浅草川に水浴に出かけ、忠興にも一緒に川で水を浴びるように誘った[25]。忠興も、水浴びとなれば、大三原を腰から外さざるを得ない[25]。秀忠は、忠興より先に水浴びを済ませ、川辺に置かれていた大三原を手に取ると、一人川に入らず側に控えていた忠利に気を利かせて、「余がこれを拝借し、取り次いで、そなたに下賜してやろう。(将軍が仲介しているのだから、)越中(忠興)のやつもまさか異議は申すまい」と堂々と宣言して、大三原を忠利に与えてしまった[25](『細川忠興公年譜』[26])。このときのやりとりは実は忠興にも聞こえてはいたのだが、将軍の声には逆らえず、しぶしぶ従ったという[25]。秀忠の大物ぶりに感化されたのか、忠利は後に大三原を気前よく弟の立孝に譲っている[25]
まずは『長野まゆみの偏愛耽美作品集』より『魔術師』と『昆虫図』を。
実を言うとあまり得意ではない作家の作品(いうて主に食わず嫌いなのだが)が多々収録されているので、買ったはいいが読む気にならず、遅々として読み進まない。長野まゆみ作品のファンなので、頑張って読むけど。買ったし!
主人公の「私」は異国の町にいた頃のある夕べ、恋人から「公園」に行ってみようと誘われた。その公園とは日本でいうところの浅草六区をもっと酷くしたような場所だった。いい歳をした男女達の狂乱する怪しげな公園の最も奥まった所にある城が、恋人の目的地。そこでは魔術師が見世物をしており、どんな人でも一度観たら病みつきになってしまうのだという。「私」はついノリで城に入ってしまったが……。
中二病が二十歳を過ぎても治らなかった人の好きなやつ……THE大正ロマンって感じの。こういうのあまり詳しくないんだけど、航海技術の発展で新大陸への憧れが強まったりとか、産業革命からの社会不安なんかがまざりあって世界的に流行ったのかな。
まあこういうのに憧れたシーズンが私にもありましたね、という感じ。似たような路線だと、スティーヴン・ミルハウザーの『ナイフ投げ師』と『パラダイスパーク』も私は好き。
「十二階」という建物に少し言及されているけど、これは「浅草凌雲閣」という建物のこと。明治時代には東京で一番高い建物だったよう。長野まゆみ先生のインタビュー記事に、「十二階」という固有名詞は今となっては校正者にすら通じない、と書かれていた。
選集に入れられた理由は魔術師が美少年だからなのか。面白いオチだった。『春琴抄』ほどクレイジーではなかった。
すごく短い話なので省略。タイトル通り虫がうじゃうじゃする話ということだけ。
えっ、これ「耽美」なの? ……グロいんだが。耽美とは美に耽ることなのであり、常人が忌み嫌うようなものにすら美を見出だす、通人の遊戯なのだとすれば、まあ、耽美なのか? 『魔術師』に出てくる浅草六区だって、悪所の代名詞のように使われているみたいだし。
気持ち悪いし、とりわけ過激というほどの話でもないのだが、サクサク読めてなんか心に嫌なものを残す。なるほど、「文体の魔術師」か……。
『長野まゆみの偏愛耽美作品』は今回はここまで。これでやっと半分読んだことになるのか。先はまだまだ長い。うへぇ。
絵本『たくさんのふしぎ傑作集』シリーズのうちの一冊。ポルトガルのお菓子パン・デ・ローが日本に伝わり、カステラという名の伝統和菓子となるまで。
絵がなかなか渋くて好み。昔の日本の人々の顔が、そこらへんに普通にいそうなリアルさでいい。華美だったり汚らしかったりする着物を着て、髷を結っていても月代を剃っていても、現代日本人と地続きな存在っていうのがよく伝わる。
そんなに珍しいことは書かれていなかったが、パン・デ・ローの作り方は伝わったのに、パン・デ・ローを焼くには欠かせないオーブンは伝来しなかったというのには、ちょっと驚き。和製フライパンのような鍋に蓋をし、蓋の上に墨を置いて上から下から加熱してカステラを焼いていたというの、面白いなあ。何で誰もオーブンを作ろうとしなかったんだろう?
今日はここまで。
https://anond.hatelabo.jp/20220331202909
こだわりがある増田に無用なアドバイスかもしれないが、色々難しくし過ぎているきらいがあるので指摘させてくれ
まず包丁だが、文化包丁や洋包丁タイプの握り手のステンレスが欲しいが材質の表示がテキトーで不満なんだよね?
だったら鋼材名で検索すればいいんだ。「V金10号 柳」で検索してみてくれ。v金10号は武生特殊鋼製の刃物用鋼材で一般的なやつだ。
モリブデンバナジウム鋼とか表示されるのはちゃんとした刃物鋼かどうか不明だから手を出さない方が良い。工具鋼を使っている場合もある。
Amazonの検索性は酷く、緒元もちゃんとしてないしメーカー品番も書いてない場合もあって込み入った買い物には向いてない。検索で引っかかったメーカーのダイレクト販売や刃物屋から買う方がいいと思われる。
近かったら浅草かっぱ橋に行くのもお勧めだ。今は外国人が少ないので丁寧な接客と説明が期待できる。
次に、刃持ちや研ぎやすさをHRC硬度だけで判断してるのはちょっと違う。
ステンレスというのは鋼よりHRC硬度は落ちるが、粘りがあるんである。故に加工が難しい。
これは研ぎでも然りで、鋼は結構サクサクと研げるのだがステンレスはなかなかカエリが出ないという事になる。つまり鋼は元増田が考えているよりも研ぎやすい。
研いだ直後のステンレスの切れ味は鋼に劣るが、この粘りのせいで長切れする。切れ味がちょい落ちた状態がずっと続くって感じ。
だから純鋼の白紙の方が切れ味は落ちやすい。こういう特性に持久力を与えたい時はタングステンやクロムを添加する。これが青紙だ。
自分は青紙包丁研いだことがないのだが、これは研ぎにくいはずだ。
次に錆びの問題だが、これも難しく考えることはない。いちいち油塗布したり油紙巻いたりとか調理現場ではやっていない。
どうするかというと、新聞紙の一週間分くらいをまとめて折ってダンボール箱に入れたり輪ゴムで縛って、そこに洗った包丁をぶっ刺しておくのだ。
または少年ジャンプとかチャンピオンとかの安手の紙質の漫画雑誌でもいい。
すると水はザラザラした紙に吸われ、油性のインクが包丁に付着して錆びないのだ。(インクで指が汚れたりするだろ?)
高級料亭などでなければどこでもこういう扱いをしている。
和包丁の柄の腐りや汚れも買ったものをそのまま使わずに、アマニ油やオリーブ油を塗布し、ふき取ってから使うと汁も吸い込まないし腐りも発生しない。
これはサラダ油などではダメなので注意して欲しい。酸化重合して固まるからだ。アマニ油やオリーブ油は重合しないのだ。
この異常に安い、4桁円で買えるが白1鋼という包丁
は見た目は悪いが使いやすい。特に黒皮が付いたままの安い鋼包丁は切ったものが剥れやすいし、切れ味落ちたら直ぐにガシガシ研いで、研ぐのも簡単だし、数年で八寸の柳が五寸や四寸ぐらいになる。高級料亭などでなきゃ料理屋で使われているメインはこれだよ。
すし飯の扱いは間違ってると思う。
すし飯は炊き立てじゃなきゃ酢を吸わないが、その後一度常温になるまで置いておくと粘度が高くなる。すると粘度は安定して握りの最初と最後では水の量が違うって事もなくなる。その前に握っても形を保持しない。
だから粗熱を取るだけじゃ不十分で常温程度まで十分放置する。でも冬などに放置しすぎると粘度がまた落ちて味も落ちてしまう。
粗熱取りも団扇でどうこうって言われるが、めんどくせえことしないで扇風機で冷ましちゃった方が早い。
表面の粗熱が取れたらひっくり返すように返してまた放置。手早く冷ました方が美味い。
この時、扇風機のホコリが飛んで飯に付着すると食中毒になるので扇風機は掃除してから使う。
鍋でご飯炊くときに水分量間違えて焦がしちゃう人いるじゃん?あれも途中で蓋開けるなっていうのを愚直に守ってるからそうなるんで、蓋開けて水分見て補充しながらやれば味は落ちるが失敗しない。難しい事して失敗するより成功の経験積む方が大事。だからすし飯も扇風機でいいんだよ。
以上の訳でお櫃の保温性っていうのは必要が無い。温度が高いすし飯なんか酢でむせちゃうだけだよ。
あと、血合い骨の処理で毛抜きが出て来ないのも疑問。これも難しく考えずに毛抜きで抜いちゃえばいいやん?
牛タンの刺身っていうのもかなりおいしいよ。柳で薄く切って山葵醤油がひじょうに合う。
鋼の包丁の事ばかり書いたけど、ステンレス包丁も持ってないとダメだよ。
鋼包丁ででチルド状態の魚の身を切ると細かく刃こぼれしてしまう。直すには荒砥から研ぎ直さないといけないので大変だ。
砥石は面が面一(つらいち)が必須なので面直し砥石は必須だ。実は包丁研ぐので一番面倒で大変なのはこの面直しだ。兎に角面倒なので金剛砂とかもあった方が良い。ない場合はクレンザーを使う。
OSK日本歌劇団のレビュー「春のおどり」を見てきた。こういうの。 https://enterminal.jp/2022/03/osk100th-harunoodori-tokyo/
かげきしょうじょとかスタァライトとかでアニメでも宝塚っぽいのが最近よく出てくるから、ここらで一丁レビューってのはどんなものなのか見ておくのも悪くないかなという気持ちで見に行った。なお自分は、かげきしょうじょもスタァライトも序盤だけ見て合わないなと思って投げた。
OSKの存在自体よく知らなくって、宝塚以外のなにかが存在するらしいというのだけはうっすら知っていた程度。今年創立100周年らしい。調べてみるとだいぶ紆余曲折というか艱難辛苦を乗り越えてきていて、一度は完全に潰れたりもしていた模様。そもそも少女(女性)歌劇というジャンル自体が絶滅危惧種で、宝塚は相当に特殊な事例らしい。
今回の場所は新橋演舞場。ここは銀橋はもちろんないけれど、その代わりちゃんとした花道のある舞台。花道あるなぁと思っていたらレビューでガンガン花道活用しててびっくりした。渡辺さらさはこっちに来ればよかったのでは。
レビューは2部構成で、前半が和風、後半が洋風になっていて、特に前半の和風レビューは印象が鮮烈。日本舞踊から始まって吉原を舞台に歌舞伎の名場面をモチーフにした殺陣。集団での群舞と続く。舞台も衣装も歌舞伎のようなしつらえなのに、かかってる音楽はわりとロックで、しかも当然全員女性。なんだかとても不思議なものを見ている気がして面白かった。花道ではしごを二つ組んで脚立状にして、その上に登って見得を切るのとか派手で良かったし、途中で「しゃらくせえ」が口癖の写楽が出てくるのだけれど、そのあたりはちょっとストーリー仕立てになっていて飽きさせない工夫を感じた。
個人的には踊りだけをずっと見続けるのはちょっと飽きるので、多少お芝居的な要素がある方が好きだなと思う。後半はほぼ踊りだけだったので、少し退屈さも感じてしまった。
お客さんはわりとご高齢の女性が多い印象。ただこれは行ったのが平日だったからかも。あとは本拠地が関西だから、そっちではもっと若いお客さんも多いのかも知れない。
100周年のチラシで昔の写真見ると、若い子をたくさん並べて当時にしては露出多めな感じのショーも見せるような雰囲気もあって、昔はちょっと前のAKB(ポニーテルとシュシュとか、ヘビーローテーションとか、下着みたいな衣装でMV作ってた頃)みたいな雰囲気だったのかも。実際、浅草に本拠があったSKDなんかはセクシー路線に傾倒した結果、女性人気が獲得できずに解散したってウィキペディアには書いてあったりしたし(youtubeで探してみると、こんな感じ https://www.youtube.com/watch?v=-kfAuAzmG_Q)。ラインダンスは今回もやっていたけれども、あれって本当に今でもやる意味があるものなのだろうかとも思ったりした。まあ、バニーガールっぽい衣装で踊る人たちは迫力があって、それはそれでよかったとは思う。
「霊感があるから浅草にくると隅田川からは変な気を感じる(東京大空襲の件かと)」と言っていた女のインスタに、どこに行っても戦場だったはずの沖縄県本島南部でヴァカンスを楽しんでいる直近の投稿を見つけた。
売防法に文句つけたついでだから書いとくんだけど写メ日記に写り込んではいけないものが沢山あって(たとえばマット)、写り込んだものを見つけるとヘブンのパトロールが削除する。写メだけではなくて、そもそもマットとかイスとかチンコとか書いてもNGワードとして処理されるという中国のプーさん笑えないような規制があって、増田も部屋の中で撮ったなんでもない写メ日記を削除されたりする。これは削除しないようだとヘブンか店が摘発されることになるんで仕方なくやってる自主規制ね。
ネットでBBA学者いじめてる暇あるんだったら浅草警察に突撃した方がよっぽど表現の自由に資すると思うんだけど、何考えてんだか。どいつもこいつも全く使えないクズばかり。
だとしたら会社の広報用Twitterアカウントに好き勝手なこと書かないでねってのと同じレベルの話じゃないの?
ども。110分6万円台の吉原S着高級でまんこ売ってる風の者なんだけど。お陰様で1月までは出勤を減らした関係もあって完売続きだったのに、流石にオミクロンの状況から完売は難しいということで実家に帰って長期休暇に入った。待機の時間があると気分が悪くなるから。その暇潰し。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1838463
風の人間にゴムつけろっていうのは簡単だけど、それは中々に難しい。増田はSWASHの人間というわけではないのだが、要さんの主張というのは現行の法規制を前提とする限りは明らかに正しい。「べき」論としてはよくわからない。事業として売春を認めるなら、性病検査は義務化してもいいのかなと思うので。で、本来これはスタッフであるらしいid:wuzukiなんかが書くべきと思うけど、なんか他人事でそのつもり無さそうだから自分で書くことにした。
最初に一つだけ指摘しておくと、現状の売春業者なりスカウトなりが売春合法化に賛成するかどうかは極めて怪しいと思う。それは箱にも新規参入を認めることになるだろうし、当局は次のターゲットとして職安法フル回転させてスカウト壊滅させることになると思うので、多分そんなロビイングみたいな真似しないんじゃないかと思った。単なる想像だけど。
で、増田は高校中退なので間違いがあったら訂正してね。内容は自信あるけど。
風の者にゴムを付けろという人々は、かんなみ新地が潰されたときは「いや〜潰れてスッキリですね、住みよい街になりそうです」みたいな感じだったんじゃないの。関西の新地はGフェラS着キスNGという粘膜接触ナッシングな皆様の理想郷なのに、そのときのブコメでは誰一人だって取り潰しに反対していなかったと記憶してるんだけど?
尼崎の女市長が潰すと言って女性票を集めて当選したので潰れることになったらしいけど、実際そこんとこどう考えてるんだろうね。「女の敵は女」というのが正解かどうかは分からないけど「売春婦の敵は普通の女」というのは間違いなくあると思う。
温泉むすめ騒動でも当初の問題について口を挟もうとは思わないけれども、「温泉街からコンパニオンが消えてみんながハッピーになった」という言説の登場には呆れた。「みんな」の中に温泉コンパニオンが含まれていないのは全く市民扱いされてないなと思う。
これは箱とデリでは箱の方が安全だし、新地はその最たるものなのに、法制度や現実の行政はデリやP活に誘導しているのと同じ現象がここにあると思う。本当は風の人間がどうなろうが知ったことではなくて、社会から存在が消えて(見えなくなって)ほしいという要求ってところが同じなのだ。
このブコメで安全性がどうとか言ってる奴も、保健所が数えた性病のカウントが上がることを嫌っているだけで、その先の風俗嬢がどうなるかなんて知ったことじゃないでしょ?
クラ淋は抗生物質飲むだけだし、梅も注射一本になった時代に何を言ってんだかね。性病の蔓延が全く問題ないとはいわないけれど、明らかに恐怖を煽って風の者を攻撃する材料に使ってるだろ。そういうのヘイトスピーチって言うんじゃないの?
で、前々から思ってるんだけど普通の女さんの特権階級ぶりって凄いよな。ちょっと怪我したくらいでフェミサイドでポストイットをペタペタとか一体どういうことなんだか意味分かんない。
大宮で風俗嬢が大量に焼け死んだときにそんな言葉どこからも聞かなかったんだけど。あれは風営法上の問題で建て替えが事実上不可能だからあんなオンボロビルで働かなきゃいけなかった結果なんだけど。風俗嬢が火事で焼け死ぬなり地震で壊れて下敷きになれば街が浄化されるだろうって考えの下に風営法があって、その結果として死人出したんだよ。これって国家によるジェノサイドそのものじゃない?未必の故意による虐殺でしょ。
あのとき誰もフェミサイドだなんて言わなかったよね。だから、まんこ売りにフェミニズムは百年早いってことで、別の主義主張が必要なのかなと思った。
はてな村では誰も知らない衝撃の事実なんだけど、ソープランドには保健所による立ち入り検査がある。この検査ってのが全くの無意味(遮蔽がどーたら水質がどーたら意味分からん)で、個室にゴム置いてあったら最悪の場合は営業停止になる。だから検査があると用意しているゴムは隠す。風呂屋は風呂屋なんだから売春は行われていないはずなのに、コンドーム置いてるのはおかしいよな?という理屈なんだけど、売防法的には全く正しいので反論のしようもない。
逆に、あくまで売春は行われていないのだから、保健所がセックスについて何かを指導することも出来ない。これが重要。
売防法を維持しながらコンドーム義務化というアクロバットをどうやって達成できるのか、誰か教えてくんない?売春なんてしていない自由恋愛のセックスなのに、その内容をどうやって規制できると考えるわけ?自由恋愛という建前がある限りGフェラか生フェラか、NSかS着かを法によって規制することはできない。スタッフすら命じることが出来ないので(命じたら管理売春だから)風の民の一人一人が経済的にどうとか健康的にどうとか考えながらゴムをどうするかについて選択しなければならんのは単なる現実。それが嫌なら売防法は改正しなきゃいけない。
売防法に文句つけたついでだから書いとくんだけど写メ日記に写り込んではいけないものが沢山あって(たとえばマット)、写り込んだものを見つけるとヘブンのパトロールが削除する。写メだけではなくて、そもそもマットとかイスとかチンコとか書いてもNGワードとして処理されるという中国のプーさん笑えないような規制があって、増田も部屋の中で撮ったなんでもない写メ日記を削除されたりする。これは削除しないようだとヘブンか店が摘発されることになるんで仕方なくやってる自主規制ね。
ネットでBBA学者いじめてる暇あるんだったら浅草警察に突撃した方がよっぽど表現の自由に資すると思うんだけど、何考えてんだか。どいつもこいつも全く使えないクズばかり。
売防法を改正して自由恋愛と売春のセックスを区分したとして、コンドームの着用を規制できるという考えもまた成立しない。たとえば、現行法でデリヘルではやってはいけないはずの本番行為をDC店はやってるんだけど、セックスはオープンに行うわけではないのだから規制・監視できていないので摘発なんてのは滅多にない。本番やったかやってないかを調べる方法なんかないし、店のスタッフがキャストにそういう指導したという証拠がなかったら摘発はできないから。逆に本デリが摘発されてるのはそういう証拠なり証言なりがあったということになる。というわけで、繰り返すけど滅多に摘発されないために成立してる。
で、今ですらNSってのは源氏名の前に☆が付いてるかどうかが違ったりするだけで、誰もゴムなしでセックスしろなんて命じてないって建前があるわけよね。今は客とのセックスを命じたら売防法に引っかかるんだけど、それをNSを命じることを禁止するようにラインを引き直したら何が変わるの?変わんなくね?
だからセックスの内容を法的には規制するってことはできないんだよ。増田はS着店にいるけど、客層が荒れるために店で禁止されている(もちろん明示的に禁止はしてないという建前だよ!売春してないからね!)NS営業をしている子は稀によくいる。うちの店の場合は義理風呂でスパイ入れて監視したりしてるらしいけど、それを法的に義務付けでもするわけ?使用済みコンドームを数える義務でも作る?部屋に監視カメラでも取り付けて客や嬢を処罰する?
するかどうかじゃなくて、できないんだよ。それを分かんなきゃ。だから法ではなく「掟」や「常識」で縛るしかないんだよ。新地がそうでしょ?
金持って来いっての。客としてS着店に行って、流行らせてやれば誰もNS店なんかじゃ働かないよ。Gフェラも自分から要求すればいいのに、なんでそうしないの?断らないよ。
とりあえず客になろうよ。そして、できれば良い客になろうよ。そうなってから他人に説教しようよ。
wuzukiはクソ客が風俗嬢最大の悩みだと書いてたけど、それは違うと思う。程度にもよるけど、本当に嫌なのは誰だって待機と茶なんだと思う。だからクソ客を受け入れるべきか悩むわけで。そしてスタッフもなるべくNGにしたがらない店があるわけでしょ?結局スタッフが客集められないからクソ客でも受け入れざるを得なくなってるわけで、そういう客に責任転嫁するところはスタッフやってますという人間としてどうなのよと思うわけでして。
そんで、ぶっちゃけ吉原ってNS店の増え方ヤバくない?もう半分くらいNSじゃないの?コロナ前から増えていたのは確かなんだけど、それが一段と加速してて怖いなと思う。大衆なんかでもやってて安売りが凄まじい。混合店もNSの子しか回転しないようで、厳しい時代だよね。私自身はS着で今の単価を下げることになったら引退するつもりだけど、どこまで下げずに済むのかな?と不安になってきた。
というわけで、四の五の言わずに来て頂いて、不安を解消するところから始めていただけませんか。そこんとこ、どうですか皆さん。
リアル脱出ゲームをご存知だろうか?
歌舞伎町に東京ミステリーサーカスという大規模施設があり、最近はバラエティ番組やCM、謎解き好きの芸能人が取り上げたりする。
私は、2013年?2012年?にリアル脱出ゲーム 初の全国ツアー作品 名探偵コナン 摩天楼からの脱出に参加し、謎の部屋から脱出で大ファンになった。
コナンの某地方公演で、使った爆弾に見立てた小道具を回収し忘れて、警察沙汰になった話は未だに忘れない(笑)
この10年で何十公演に参加してきただろうか。脱出ゲームが好きすぎて、3年ほど中の人として閉じ込める側回った経験もある。脱出率はイマイチだが、
好きな公演は、
個人的にはアジト型と呼ばれる実際に閉じ込められる公演が好きだ。物語の主人として、非日常を体験できる。そんな所が魅力的だと思っている。
ただ、最近の公演はアジト型もホール型もあまり楽しめなくて、自由度も低くなってきて、魅力が無いと思ってる。過去の初期のこのあと何が起こるんだろう?というワクワク感が無くなってきた。
全員で足並み揃える意味も分からんし、参加してめちゃくちゃ後悔した作品
→大謎がびみょい。
→同じく大謎が....
なんだろうな、このリアル脱出ゲームじゃなくていいじゃん?と言いたくなる..公演..
これは私が月日を得て、単純に冷めただけなのか、なんなのか..リアル脱出ゲームが好きな人いたら教えてほしい。
好きなものが有名になって万人受けや売上に走ったことでだんだんと嫌いになるってこんな気持ちなんだろうなぁ。
TMCは何度も行ってるけど好きになれなくて、浅草アジトや東新宿アジト、なんなら旧道玄坂ラボが好きで、公演の度にマイクリップボードを持ち込んでいた時代が好きだった。
(※ホール型
これこそネットの力が発揮すると思うけどな。
https://nordot.app/844522079794642944?c=39546741839462401
下町の風情を残す東京都墨田区の住宅街を、60代ぐらいの男性を探して訪ね歩く人がいる。江蔵智さん(63)だ。生まれた直後、産院のミスで別の赤ちゃんと取り違えられ、そのまま育てられた。両親と血のつながりがないという衝撃の事実を知ったのは約17年前。そこから独りで膨大な行政資料を調べ、取り違えられた可能性のある家庭を1軒1軒回り、生みの親と、自分を育ててくれた両親の本当の息子を探し続けている。(共同通信=典略健佑)
▽取り違えの発端
日本が高度経済成長へと歩みつつあった1958年4月10日、都立墨田産院で男の子が生まれた。この子を仮にAさんと呼ぶ。前後して同じ産院で生まれたのが江蔵さんだった。
赤ちゃんのころの江蔵さん
産院では通常、母親は1日2回ほど、授乳の際に新生児室のわが子と顔を合わせる。ただ、Aさんの母は母乳が少なく、看護師が代わりにミルクを与えていたたため、わが子の顔を見る機会はほぼなかったという。
出産から4日ほどたった頃、看護師が「へその緒が取れた」としてAさんの母の元に連れてきたのが、江蔵さんだった。「取り違え」の発端だったとみられる。
Aさんの母も父も江蔵さんをわが子と信じ、そのまま退院した。父は名前を「智」と決め、出生届を墨田区役所に提出。長男として育てられ、その後に生まれた弟と共に台東区で暮らした。
▽「家族の誰とも似ていない」
「巨人の王や長嶋に憧れた野球少年で、やんちゃな子どもでした。でも、父とはそりが合わなかった」。江蔵さんがおだやかな口調で幼少期を振り返る。父は都電の運転手。厳格な面がある一方で気性が荒くなる時もあり、物心ついた頃から対立した。
お盆や正月に親戚の子どもが集まると、大人たちに「おまえは家族の誰とも顔が似ていない」とよく言われた。江蔵さんにとっては、今も忘れられない言葉だ。「確かに自分だけ顔立ちが違うな」と幼心に思ったが、それ以上深く考えることはなかった。
中学卒業後は家を出て、浅草のおしぼり店で住み込みをして働いた。その後は建設作業員やトラック運転手、貿易関係など仕事を転々としたが、時代は高度経済成長期のまっただ中。食いぶちには困らなかった。
10代の頃からモータースポーツが大好きで、車のレースにも参加していた。好きが高じて30代で中古車流通関連の会社を設立。仕事に明け暮れ、両親と会う機会も少なくなっていった。
▽親子としてはありえない血液型
転機は1997年、39歳の時だ。病院嫌いだった母が体調を崩し、初めて血液型検査を受けてB型と判明した。父はO型で江蔵さんはA型。親子では考えられない組み合わせだ。念のため他の病院でも検査したが結果は同じだった。
「ありえないよな」。江蔵さんの問い掛けに、両親も訳が分からないといった表情を浮かべた。当時はまだDNA型鑑定は一般的ではない。鑑定機関に問い合わせたが「300万円かかる」と言われた。その頃見た新聞には「実の親子でも、遺伝子上の原因で血液型が合わない場合がある」という内容の記事が載っていた。
約7年後の2004年、福岡市に仕事の拠点を移した江蔵さんは、かかりつけのクリニックで家族の血液型について話した。すると話を伝え聞いた九州大の法医学者が「研究のため調べたい」と持ち掛けてきた。DNA型鑑定も無料ですると言われ、両親と血液を提供した。
▽「あの看護婦かしら」
約2週間後に会った法医学者は、おもむろにこう語った。
「あなたの体に、両親の血は1滴も入っていません」
衝撃を受け、すぐに母に電話で伝えた。電話口で母は「えーっ」と言ってしばらく絶句した後、こんな言葉を口にした。「あの看護婦かしら…」
母が語った話はこうだ。墨田産院では当時、沐浴などで新生児を運ぶ際、看護師がかごに入れて頻繁に移動させていた。ただ、母から見た産院は明らかな人手不足。どこかで取り違えが起きていてもおかしくはない―。母の話を聞きながら、江蔵さんは頭が真っ白になったという。
すぐに真相を確かめようと思ったが、都立墨田産院は15年以上前に閉院していた。東京都の担当部署に電話し、対応を求めたが拒まれたという。墨田区役所や法務局も訪れたが、らちが明かない。江蔵さんと両親は、都に実親の調査と損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
▽「過失は重大。人生を狂わされた」
05年の地裁判決は「真実の親や子を見いだすため、手を尽くしたいとの心情は察して余りある」と理解を示した一方で「請求権が消滅する除斥期間(20年)を既に経過している」として訴えを退けた。
江蔵さんは控訴。すると06年の東京高裁判決は正反対の結論を導く。「時効は成立していない。過失は重大で、人生を狂わされた」として都に計2000万円の賠償を命じた。都は上告せず、判決は確定した。
上告しなかった理由について、当時の石原慎太郎都知事は「本当に痛ましい話で、総合的に判断した」と述べたものの、江蔵さんが求めた出生情報の開示については「(取り違えられた)相手方の人生にもかかわる。行政としてできることに限りがある」と、事実上の拒絶をした。
▽60人の候補者、誰ひとり拒まず
それでも諦めるわけにはいかない。江蔵さんはその頃、既に自力で生みの親を探し始めていた。自宅がある福岡市から時間を見つけては飛行機で東京に通い、墨田区役所で住民基本台帳を閲覧し続けた。区の住人は当時約33万人。そこから自分と生年月日が近い人の氏名と住所をメモした。
半年ほどかけ、約100人をピックアップし、レンタカーで1軒ずつ回り始めた。事情を伝えた上で「血液型だけでも教えてほしい」とお願いすると、見知らぬ人の突然の訪問にもかかわらず、誰ひとり江蔵さんの調査を拒まなかった。
反対に「俺も同じ立場なら一生懸命探すかもしれない」「会えることを願ってます」と言われ、励まされた。60~70人分を調べたが、該当する人はいなかった。
ただ、住民基本台帳には限界がある。新たな転入者の情報は随時追加される一方で、転出者の情報は削除されてしまうためだ。江蔵さんが探し始めるまでの四十数年間に転出した可能性は、低いとは言えない。
▽該当者は黒塗り100人の中に
頼みの綱は、墨田区が保管している「戸籍受付帳」だ。自分の生年月日に近い戸籍受付帳を開示するよう請求したが、区はプライバシーを理由に、個人情報を黒塗りした上で開示した。それでも、黒塗りされた該当者の人数は分かる。約100人。彼らの戸籍情報さえ分かればたどり着けるはず。江蔵さんはもう一度司法の力を求めることにした。今年11月、都に実親の調査を求める訴訟を東京地裁に再び起こした。
育ててくれた父は、約5年前に他界した。折り合いの悪かった父は常々、実親を探し続ける江蔵さんを見かねて「今更、もういいんじゃないか」と言っていた。だが、死期が近づいた頃には「まだ見つからないのか」と気に掛けるようなことも言ってくれた。
東京都に実親の調査を求める訴訟を起こし、記者会見する江蔵さん=11月5日、東京都内
その父と自分の間に立ち、陰ながら調査を見守ってくれた母(89)は、苦しい胸の内を最初の訴訟に提出した陳述書で明かしている。
「私も生んだ子どもがどうなっているか、見届けたいし、会いたいです。でも見るだけで、声はかけられないと思います。向こうの気持ちもあるでしょうから。会えるものなら、遠くからでも見てみたいです。その気持ちには変わりありません」
母は今、認知症を患い高齢者施設にいる。江蔵さんが語り掛けると、にこやかな顔を見せるが、会話の内容はもう理解できていないという。
「せめて一目でも生みの親に会いたい。取り違えは東京都の責任なのに、なぜ協力してくれないのか。もし判明しても、相手側に面会を拒まれるのなら諦めます。でも、調査さえしないのはおかしいと思いませんか」
江蔵さんの闘いは終わらない。現在は幼少期に墨田区内にあった小中学校の卒業アルバムや住所録を集め、地道な調査を続けている。
はたまた新宿へ呪術廻戦0を見に行き、百鬼夜行の一部と化しているかもしれない。
一般企業のOLである私は、クリスマスとはいえ平日の金曜日なので普通に仕事である。
だが私は今まで1度もコミックマーケット、通称コミケに行ったことはない。
負けたというのはコミケの戦場で打ち破れたのではなく、【当時の彼氏が彼女よりもコミケを優先させた】という話である。
毎年クリスマスが近づくたびに思い出す忌々しいにもほどがある記憶なので、いい加減呪縛から逃れるためにも吐き出そうと思う。
数年前、私には彼氏がいた。学部は違うが大学の同級生で、卒業後に付き合い始めた。
お互いにオタクで、私は拙いながらも小説を書き、相手は小説と時々漫画を描いていた。
もともと元カレは同人をやっており、サークル参加しているとは聞いていた。
だが私は二次創作は読む専門で、本を作る工程が大変であるのは知っていても、具体的にどれだけ大変なのかは知らなかった。
ただお互いオタクなので、イベントがどれだけ重要なのかは理解しており、うまく付き合っていけるだろうと思っていた。
きっかけは付き合って数ヶ月後、初めてデートをドタキャンされた時だ。
「体調が悪くなってしまった」
ちなみに遠距離で、私が元カレの家に行くには電車で2時間、更に路線バスで30分ほどかかる。
そのためお互いに比較的アクセスしやすい都内で、大体月に2~3回程度会うスタイルだった。夕方も大体早めに解散し、元カレの帰宅が遅くならないように気を遣っていた。
体調が悪い中長距離移動するのも大変だろうと心配したし、手伝いが必要なら家に行こうか? とも申し出たものの、寝ていれば大丈夫と断られた。
早く元気になるといいな、と当時は真面目に心配していたのだが、のちにこれは半分嘘だと発覚する。
初めてドタキャンされてから、3回の内に1回はデートをドタキャンされるようになった。
理由は体調不良。純粋だった私は真面目に、頻繁に体調を崩すなら病院に行ったらどうか、それとも仕事が大変なのかと聞いたが、
本人は大丈夫大丈夫と言うし、会う時には普通に元気だった。何なら私よりハイテンションだったくらいである。
ドタキャンが3回目を超えた。
おかしくね?
馬鹿な私はようやく気が付いた。
そこで普通にデートできた場所と、ドタキャンされた場所の違いを考えてみた。
共通点は1つ。
ドタキャンされたデートの行き先は全部、【私が行きたいと言った場所】だった。
(誤解なきようにあらかじめ補足するが、私が希望した場所もドタキャンせずに一緒に行った時もある)
つまり【元カレが行きたいと言った場所】は、絶対にドタキャンしていなかったのである。
元カレは当時某動物アニメにはまっており、よく動物園に行きたがった。私も動物は好きだったので特に行き先に不満はなかった。
ただ一つ嫌だったのは、元カレが行きたがった時期が初夏から真夏だったことだ。
初夏とはいえ晴天だとかなり暑いし、真夏は薄っすら地面に陽炎さえ見える。
ぶっちゃけあまりの暑さに人間も動物もぐったりしてて覇気がない。
汗っかきの私は化粧をドロドロにして汗だくになりながらも、元カレが楽しそうにしているので不満なく付き合った。
豪雨の上野動物園にも付き合った。当時の私はものすごく健気だった。疑うことを知らない馬鹿とも言える。
私の行きたい場所ばかりドタキャンされるのに気が付いてから、元カレに対して不信感が芽生えた。
本当に体調が悪いのか? 疑いたくないが、偶然にしてはあまりに出来すぎている。
そもそも体調が悪いなら当日の朝ではなく、3回あるうちの1回くらいは前日の夜に気づかないものか? 薬を飲めば翌朝治るのではとワンチャン祈っていたのか?
(元カレが住んでいる場所はかなりの僻地で、職場も男性ばかりだったので浮気はそもそも疑っていなかった)
私が行きたい場所は、某擬人化ゲームが趣味なこともあり美術館や博物館が多かった。
もしくはオタク趣味の関係ない、新宿や浅草の散策デート。デートのプランを聞いた時は快諾してくれたが、
もしかしたら本当は嫌だと言えなくてドタキャンしてしまったのだろうか。
回りくどい言葉で質問するのは性に合わず火の玉ストレート、本人に直接ラインで訊いた。
「体調が悪いのは本当なのか?」
理由があるならきちんと話してほしい、スケジュールを合わせているので当日朝のドタキャンは困るとも。
しばらくして、元カレの返事がきた。
「本当に体調が悪い日もあったが、全部ではない」
流石に怒った。前述したとおりお互いにオタクだ。イベントに理解はあるつもりだった。
正直に締め切りがヤバいと言えば納得したのに何故しょうもない嘘をつくのか。病院に行った方がいいと真面目に心配していた私が馬鹿じゃないかと。
黙っていてごめんと謝られたため、
・原稿の締め切りを抱えているならあらかじめ言うこと
・デートをキャンセルするならせめて前日か数日前の夜に言うこと
この2つを約束して、仲直りをした。
だが、ドタキャン癖は治らなかった。
デート当日の朝6時頃に「今日行けなくなった」とラインが来る。私はそのラインの通知音で目を覚まし、メッセージを確認してがっかりする。
1ヶ月に1回はそんなことが続いた。
そんなに頻繁にイベントに参加しているのかと聞くと、元カレは1人で参加しているのではなく、友人同士複数人で組んだサークルで活動しているのだという。
今はサークルが波に乗っているので、可能な限り多くのイベントに新刊で参加したい。詳細は忘れたがこんなニュアンスのことを言われた。
サークル参加に詳しくない私は、そういうものなのか? と引き下がった。
締め切りが大変なら手伝えることは手伝うからドタキャンはどうか止めて欲しいと訴えたものの、結局治らなかった。
嫌われたくなくて強く言えなかったのもあるし、元カレは後から謝れば許してくれるだろうと思っていたのかもしれない。正直舐められていたと思う。
そしてやってきたクリスマス。もう何度もドタキャンされて精神的に消耗していたが、さすがにここでドタキャンはしないだろうと思っていた。
ただオタクなら知っている。
サークル参加するのは知っていた。正直、ものすごく嫌な予感がした。
クリスマス当日は土曜日だったけれどコミケがあるならキツイだろうと考えた私は、12月上旬に都内のクリスマスマーケットに行きたいと言った。
だが11月末。「デートは無理かもしれない」と元カレからメッセージが来た。
会えないのは残念でも、ドタキャンじゃないだけ全然いい(そう考えている時点でだいぶ末期だった)。
すると珍しく元カレから代替案を出された。「クリスマス当日は元カレ家でゆっくり過ごしたい」と。
そりゃあもう喜んだ。クリスマス当日を一緒に過ごせるなんて! と舞い上がった。会えるなら2時間半の距離なんて横断歩道をスキップ渡るくらいに感じられた。
おしゃれなレストランでデートじゃなくても、スーパーのチキンや総菜とケーキで充分だった。あとは軽いおつまみをいくつか用意して、アニメや何か映画でも見て過ごせたらいい。
お家デートならおしゃれしすぎず、かといってカジュアル過ぎない格好にしよう、かわいいと言ってもらえるような服にしようと考えた。
ただやはり不安は消しきれなくて、もしも都合が悪くなったら前の日までに言って欲しいと何度も伝えた。
そして23日の夜も明日は大丈夫かと確認した。大丈夫だよ、と返事が来て本当に嬉しくて、遠足の前の日の小学生みたいに眠れなかった。
そして24日。
私は朝5時に起きて、頑張ってメイクをして、慣れない手つきで髪を巻いた。
相手の家に10時に到着するためには、6時半には家を出なくてはいけない。そろそろ家を出ようとバッグの中身を確認していた時だ。
メッセージの内容はこうだ。
「ごめん今日は無理。家にも来ないでほしい」
呆然とした。
わくわくしていた気持ちが、落としたガラス細工の如く粉々に破壊された。
泣きながらキレて彼氏に電話をしたと思うが、確か向こうはひたすら「ごめん」しか言ってこなかった。
というよりそれ以外に何か言われても全て言い訳にしか聞こえなかっただろう。
電話を切ってしばらく泣いて、気が付いたら化粧も落とさず着替えもしないままベッドで寝ていた。
時刻は正午を過ぎていた。
泣きすぎて目の奥と頭が痛いまま、しばらくぼんやり時計を眺めていたのは覚えている。
14時を過ぎたあたりで、おざなりに化粧と服を直して外に出た。
電車に乗って、数駅先の大きな駅へ向かった。
行きたかった場所よりも規模は小さかったけれど、クリスマスマーケットが開催されているのを最寄り駅に貼られたポスターで知っていたからだ。
色々出店を回っているうちに16時を過ぎて、あっという間に薄暗くなっていった。青で統一されたイルミネーションが、駅のコンコースを眩しく彩る。
意味もなくイルミネーションを写真に撮っていると、少し遠くから音楽が聞こえてきた。
よく見ると、駅と繋がっている広場で特設の野外ステージと出入り自由の客席が設けられ、何組かのアーティストが歌を歌っている。
クリスマスのチャリティーコンサートだ。看板に書かれたタイムテーブルを見ると、とある女性シンガーソングライターの名前が目に留まった。
知っている名前だ。とあるアニメ映画の主題歌を歌っていて、大好きな曲だった。
必ずその曲を歌うとは限らない。
それでも私は居ても立っても居られなくなって、偶然にもぽっかり空いた最前列のパイプ椅子に座って彼女の出番を待った。
そこから更に何組かのアーティストが歌い楽器を入れ替えて、やがて彼女が現れた。
彼女は【失恋ソングの女王】と呼ばれることもあり、優しい歌声と切ない歌詞が持ち味だ。
クリスマス向きじゃないかもしれないと自分で触れながら、彼女は歌ってくれた。
歌詞がこんなに心に響いたのは初めてだった。
初めて聞いた曲だったのにその歌詞が忘れらなくて、今でもはっきり思い出せる。
気が付いたら私は泣いていた。
歌がとても素敵で感動して、でもどうしようもなく辛くて悲しくて惨めで、心の中がぐちゃぐちゃになって涙が止まらなかった。
凍えそうな風が吹きすさぶ中、広場の巨大なクリスマスツリーのイルミネーションに照らされて静かに号泣する女は端から見たらさぞホラーだったことだろう。
そして女性シンガーソングライターは、あのアニメの主題歌を歌ってくれた。
大好きな曲をこんなに近い距離の生音声で、しかも無料で聞けるなんてなんて贅沢な時間なんだろう。
嬉しかった。今日この場所に、この時間に訪れていなければ絶対に聞けなかった。
けれど本当なら、本当は私はここにいないはずだったのだ。
ドタキャンの理由は想像通り、冬コミの準備が終わっていなかったからだ。
私はコミケに負けた。
同人誌を作るのが大変なのも理解をしていたし、複数人のサークル活動でメンバーに迷惑をかけられないというのもわかる。
ただドタキャンはしてほしくなかった。
正直、私は美人ではない。どんなに着飾っても【おしゃれなカラス】にしかなれなくて、心の底でイケメンの元カレに引け目を感じて強く言えない馬鹿な女だった。
本当は暑い中動物園にばかり行くのも嫌だったし、豪雨の中歩かされたのも嫌だった。でも我慢してしまった。
元カレはきっとそんな私を舐めていたのだろう。
結局、私は冬コミの締め切りとサークルメンバーには勝てなかった。
元カレが好きだったアニメも、コンテンツに罪はないのに見れなくなった。
そして何より、何度もドタキャンと遅刻を繰り返す人間が許せなくなった。
恋人や家族ができても、趣味を続けたいという気持ちは大事だし尊重したいと思う。
最低でも10を9、8に減らす覚悟をして、恋人や家族にキャパシティを割いて欲しい。
少なくとも一度した約束をドタキャンするのは最低の行為だし、そもそもできない約束をするべきではない。
約束を守れない人間は、一度箪笥の角に小指をぶつけて骨折してほしい。
ドタキャンする奴は首にチップを埋め込まれて爆発四散してほしい。
それでは皆さん良いクリスマスをお過ごしください。