はてなキーワード: どっちがどっちとは
戦友を殺した野獣を狩るみたいな感じだった。
基本は人に優しくしろ、相手を尊敬する態度でいろとは言ってたが
家族や仲間を殺されたらもう相手を人間としてみてはいけないというスタンスだった。
一度始めたらもうどっちがどっちとかではないと。
自分にとっては誰が始めた戦争でも関係なく、自分と仲間と仲間を殺しに来る相手しかいない、そして仲間を殺しにくるのはアメリカだと。
だから本当はどちらかが絶滅するまでやるしかないが天皇のせいで最後まで行けなかったとか言ってた。
アメリカだけは許すなといって酒の席はよくお開きになっていた。
さすが先生なだけあって語り口は迫真でみんな引き込まれるように聞き入ってたわ。
そのわりにハワイとかたまに行ってたので酒が入らないと割り切れるのかもしれない。
原作、最終オーディションで久美子が選ばれる理由が全然なくて意味がわからないと思ってたから、アニメのほうがまだ納得感はあるな
純粋に楽器を吹く力量は拮抗してて、真由のほうは合奏特化型(滝の解釈を理解し全体のバランスを見て主張しすぎない演奏を目指す) 久美子の側は個人技量特化型(とにかく上手く吹く 麗奈と並び立てるような良い演奏を目指す)でしょ
ソリパートを単体で聞いたときに上手い・良い演奏しているのは久美子だとしても、指揮者として選びたいのは楽曲全体のバランスを崩さない真由で、関西で真由選んだのもそれが理由だし、わかってる部員はそれわかってる描写もある。
とはいえ、真由を選んだら全国大会を前に部の雰囲気が空中分解するのは目に見えてたし、一方で久美子を選んでも選定基準のブレをどう言い訳するのかということになる。
原作で、久美子が関西大会での負けを覆せるような描写はなかった。その上で滝が久美子を選んだのは相当日和った判断に見えるし、その判断基準のブレは滝の経験値不足による迷いに起因していたということに回収されてた。
それで全国金取れたというのはそっちのほうがご都合主義って感じもする。部員の団結力が・・・とか?そしたら真由は噛ませ犬でしかないよね。かなりモヤモヤが残る話だったんだよ。
一方、アニメ世界の滝は、公開オーディションということにしたら人望ある部長に投票する圧が自然に働いて久美子になると考えた。それなら全国勝つにしても負けるにしても納得感はあるよねと。
アニメ久美子は自分が勝つ出来レースを否定して、その結果の落選。「北宇治は実力主義」ってドグマに殉ずる結果になったのはすごい面白いし、これ、真由、久美子、麗奈、他の部員も誰かが日和るとたどり着かない結末なんだよ。
ソリが吹けなかったことでバッドエンドみたいに言われてるけど、音大にいかない久美子にとって、より誇るべき成果、目指すべきハッピーエンドって「麗奈とソリを吹いて思い出づくりをする」ではなく「北宇治メンバーを率いて全国大会で金賞を取る」だってことなんでしょ
1期の一番最初に楽しく思い出づくりをするか全国で金取るかって選択をした、そこから完全に一貫してる。
原作者が書かなかった、書けなかった結末だと思うし、この結果に至ることを納得させるセリフを部員それぞれに言わせてるのは群像劇としてすごく良かったと思ったよ
覆面オーディションでどっちがどっちの音かわかってる部員が少数派みたいに言われてるけど、あれ全員わかってると思うよ
あのレベルの吹部でソロ・ソリパートがあるような楽器だったら、毎日毎日練習して音出してるんだし音色とか演奏のクセとか聞けばわかる
あくまで忌憚なく投票しやすくするために覆面にしてるだけであって、その上でどっちを選ぶかってのはメンバーの考え方が出るなあとは思った
「力量が同じぐらいだったら最後だしずっと頑張ってきた久美子に吹かせてあげたい」って思ってる人と、「関西大会のソリがすごく良かったから全国もこれでいきたい」って思ってる人とで割れてる。
いつもごっちゃになる
清澄白河の方のアレ
駅から遠い
暑い、見たあと「何か食べていく?」「何ある?」「うーん何もない」ってやり取り2回した
どっちがどっちかわからない、確か入り口に近いほうが東京都美術館、ちょっと小さいのが上野の森美術館
基本迷う、大体並んでて混んでる
宣伝が多いよね
今やってるやつ行きたい、あれなんだっけ、シュールっぽいやつ
森なので少し涼しい
なんか色々な展示やってるけど、一個一個入場料がかかる
カフェだけで利用しても良いなあと思うけど一生しない
「六本木ヒルズって何があるの?」「美術館があるよ、行く?」「行かなーい」
静かすぎる、靴の音しか聞こえない
広い
まとめ
名前が似すぎなんだよお前ら
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でも美術館のために遠出はできないんだよね
内容さえ理解してれば語呂合わせなんて必要ないんだぜ……って高校生の頃はかっこつけてたけど、他の事はあんまり思い出せなくても手腕だからシュワンが動物細胞、みたいなのは今でもパッと出てくるからバカに出来ないなって。
概念のパッケージ兼内容を表すラベルとして割り当てられる言葉も、それそのものは恣意的に決められるものだしそれ自体に意味はないしな。ソシュールか。
風や靴という言葉そのものには何の妥当性もないし、風車とか靴箱とかみたいな既存の無意味な言葉を組み合わせたものでない限り言葉からは何も分からない。ナポレオンという名前からも何をやった人間なのかは全く伝わってこない。年号だって出来事の流れを理解してれば時系列くらいは分かるだろうけど、そのものドンピシャは暗記するほかない。
エンプロイヤー | ⇔ | エンプロイー |
インタビュアー | ⇔ | インタビュイー |
レビュアー | ⇔ | レビュイー |
トレーナー | ⇔ | トレーニー |
フランチャイザー | ⇔ | フランチャイジー |
どっちがどっちだか、ぱっと見でわかんねーよ。
雇用者 | ⇔ | 被雇用者(労働者、従業員) |
取材者 | ⇔ | 被取材者 |
評論者 | ⇔ | 被評論者 |
指導者 | ⇔ | 被指導者(受講者、研修生、生徒) |
とにかく、カタカナ語の語尾の「アー」(er)と「イー」(ee)の違いだけで立場を表すをやめろよ。
ただでさえカタカナ語は意味が分かりにくくて、使う利点がないのに。
「トレーナー」って、口頭で聴いても字面を見ても「服の方か?」と混乱するだろ。
漢字表記で語頭に「被」を付けるか否かがわかりにくいってんなら、「雇用される人」「取材をうける人」みたいに「~される人」と丁寧に表記するのもいいと思う。