はてなキーワード: 顔料とは
まず、スナク首相が使用していたのはフリクションではありません。
テレビ朝日の動画に映っていますが、パイロットの海外向け製品であるV-pen erasableです。
万年筆のようなペン先が特徴のサインペンで、インクはフリクションのように摩擦熱で透明化するものではなく、普通の水性インクです。
ただし、インクが市販のインク消しによって消えやすいという特性を持っているというものです。
ご存知の方も多くいるでしょうが、インク消しという製品があります。
フリクションのような「消せるペン」ではない、「消せない」とされるペンでも、こういった製品を使えばインクを消すことができたりします。
何ならインク消しを使わなくたって、水性なら水、油性ならアルコールや除光液などで消せたりします。
したがって、フリクションでなくとも、こういったインクを使ったペンは公文書には適していません。
ざっくりと言うと、水性・油性問わず、染料インクは消せますが、顔料インクは消せません。
とは言え、最近のペンは染料でもそれなりに耐性を持ったものが増えてきています。
日本国内では、JISに公文書に使用可能なボールペンインクの規定があり、大手筆記具メーカーの製品について言えば、
公文書にはこのような規格に適合したペンを使用するべきでしょう。
※1 https://www.pilot.co.jp/support/ballpen/post_19.html
やあ。年末に場末の家電量販店でプリンタを売るバイトをしている者だよ。
ITmedia さんのプリンタ記事がちょっと雑だったんでツッコミを入れてみるね。 https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2204/29/news070.html
一方家庭用として、年賀状やラベル印刷に活躍したプリンタは今やほとんど需要がなくなっている。筆者宅でも、月1回、部活動の練習計画をプリントアウトするぐらいで、出番がほとんどない。ほとんどない割にはかなりの重量と場所をとっている。
先日、久しぶりに東京に行くので名刺を刷ろうと思ってプリンタを起動したところ、黄色が印刷されない。これまでモノクロプリントしかしてこなかったので気がつかなかったのだ。何度ヘッドクリーニングをかけても全然出ない。ヘッド自体がもうダメなのかもしれない。
これはインクジェットプリンタあるあるだね。売り場では「故障を避けるために月1回は印刷してくださいね〜」と案内しているよ。小寺さんはモノクロがメインということだったから、黄色が詰まっちゃったんだね。
こうなるとインクを替えてもだめだから、買い換えるしかないね。インクがヘッド一体型のやつか、インクヘッド交換型だったらなんとかなったんだけどね。
最初は1万円内のシンプルなプリンタ専用モデルで検討した。ドキュメントスキャナーは別途ScanSnapがあるので、複合機でなくてもいい。ただ、妻が時々スマホからプリントしたいという要望があるので、スマホから直接プリントするという機能は必須である。
エプソンにもキヤノンにも、1万円以下のエントリーモデルはあるが、スマホからのプリントに非対応ということで早々に断念。もうちょっと上位のクラスでないと、その手の機能は搭載されないようだ。
これはちょっと語弊があるね。というのも、家庭用プリンタの主戦場は複合機で、プリンタ専用モデルはそもそも種類が少ないんだ。
価格コムで調べたけど、1万円以下のプリンタ専用モデルでスマホに対応してなさそうなのは "TS203" "PX-150" "PX-105" の3種類。そのうち PX シリーズはビジネス向け、 TS203 はそもそも Wi-Fi に対応していないね。
複合機だと "TS3530" とか "EW-052A" は1万円未満かつアプリに対応しているよ。
これはもう1年以上こんな感じだね。
真ん中の島に、今年発売の新モデル、それも3万円以上の複合機が決め打ちで山積みされている。つまり急ぐ客には全部それで対応、というわけである。ポップに値段を記しておらず、値段で引かないようにということだろう。
これは店舗さんによって差異があるからなんとも言えないけど、値札の貼り忘れなんじゃないかな? 写ってるのは TS8530 だから、だいた3〜4万円の主力商品だね。
店員さんを捕まえて、スマホから印刷できるカラー機で、複合機じゃなくていいんだけど、と伝えると、1台だけエントリー機で在庫があると出してくれたのが、Epson「EP-714A」だった。2022年2月発売、値段は税込み2万円ちょっとだったので、ネットの最安値と700円ぐらいしか違わない。
"EP-714A" は複合機だよ。そもそもプリンタ専用モデルの在庫がなかったのかもね(増田が働いていた12月も常にそうだった)。家電量販店とネットのプリンタの値段はほぼ変わらないのは確かだよ。
「EP-714A」は最大がA4なので、サイズ的には以前の「EP-976A3」より一回り小さく、軽い。10年ぶりの新プリンタなのですっかり浦島太郎状態なのだが、セットアップはPCに接続することなく、ディスプレイ部に表示されるQRコードを読み取って、スマホを使ってオンラインで可能である。
よって電源コードは付いてくるが、USBケーブルは付属しない。スマホでセットアップできない、要するにネットがない環境の人向けに、ドライバやソフトウェア等が入ったCD-ROMは付属するが、今どきTypeBのでっかい端子のケーブルなんてなかなか持ってないのではないだろうか。
ちょっと意味不明な内容になっているね。USB ケーブルは前使っていたプリンタから流用できるから、高級機種でもついてこないよ。むしろ CD-ROM がついてこない機種もあるよ。CD ドライブのないパソコンも今や多いからね。
以前Epsonのプリンタは、Epson Printというアプリからスマホ印刷に対応した。だが本機はEpson Printは使えず、LINEの特定のアカウントに対してファイルを送るとそれが印刷されるようになっている。メール添付でも同様だ。コンビニ向けのネットワークプリントサービスを利用した方はご存じかもしれないが、やってることはそれと同じである。
印刷するのに専用アプリを使わないので、スマホのバリエーションやOSのバージョンに逐一対応する必要もない。プリンタ全盛の頃は開発もメンテナンスコストもかける意味があったのだろうが、今となってはすべてクラウドにまとめられた。
"EP-714A" はスマホアプリ "Epson Smart Panel" に対応しているね。プリンタによって OS 対応が違ったりするから、売るときは気を遣うよ。
コロナ直前まで、家にPCがない、あっても古いという家庭が増えて、PTAや子供会などの活動に支障が出るようになった時期があった。なぜ支障が出るかというと、紙の書類の更新や手直しができないからである。
だがコロナ禍でテレワークが主流になると、そこそこ新しいPCが家にあるという状況が戻ってきた。ところがプリンタの立ち位置は、前と同じポジションではいられなくなった。今どき紙の書類を保護者に配付する方法がなく、PDFを作ってLINEで流して終わりになったからだ。
むしろコロナ禍で学校や塾のプリントを印刷する機会が増えた、という理由で買うケースが増えたよ。それまではプリンタの買い替え需要が多いのは12月だったんだけど、コロナ禍でそれ以外の月でもよく売れるようになったんだ。だからプリンタ各社はインク大容量モデル(エコタンク、ギガタンク等)を売り出しているんだね。
今回のプリンタは、名刺を印刷するために買ったようなものだが、その習慣もいつまで残るだろうか。このプリンタもあと10年使うと考えたら、もはや人生最後のプリンタがこれ、なのかもしれない。
在庫がなかったから仕方ないけど、名刺を刷るならブラックは顔料インクのモデルにしたほうがよかったね。染料インクは発色はいいけど、水ぬれに弱いよ。
最近は給湯器みたいに「故障したら数ヶ月入ってこない」みたいなものが増えたけど、プリンタもそんな感じだね。長く使いたいなら定期的な印刷を、そうでなかったらもう割り切ってコンビニプリンタにしちゃうのがいいかもね。12月にプリンタを買いに来るお客さんの半分以上は「しばらく使ってなかったら壊れてた」だよ。いっそ大容量モデルにして、付属するインクで元取っちゃうのもありだね。
あと店員さんには優しくね。
ジャベリン対戦車ミサイルが強すぎてウクライナの守り神としてミーム化した聖ジャベリンのイラストの事なんだが。
元々これは クリス・ショウ(Chris Shaw)というロック系アーティストが2012年に描いた”Madonna Kalashnikov”聖母カラシニコフというイラストで、現代的な事物を中世宗教画やイコンに似せて書いたシリーズの一枚だった。
https://chrisshawstudio.com/2013/04/chris-shaw-at-the-san-francisco-museum-of-modern-art/
カラシニコフはソ連の銃器エンジニア、ミハイル・カラシニコフが設計したライフル群の事で、特に有名なAK-47の事を指す事が多い。旧共産圏でライセンス生産とデッドコピー生産されていて、北九州のヤクザなんかもご用達だ。北九州ヤクザのは中国生産品らしい。
一方でゲリラ御用達品でもあるので無秩序や抵抗や解放の象徴でもある。
そんな現代紛争の象徴を宗教イコンにしたので、その聖性と暴力性の組み合わせがウケてタトューの図柄としても人気があった。
因みに聖母マリアっていう呼び方はカトリック的で、ロシア正教含め正教会では生神女マリアっていう。神を生んだ女って意味やな。
というのも、青の顔料はラピスラズリっていう鉱物からしか採れず、大変貴重だったから。貴重=貴い、侵されない、無垢、穢れがない(性交していない)という意味。
数年前に「自然界に青色は存在しないとドヤ顔で言っている」人を反証で論破しまくるって棘がバズった事あったが
https://togetter.com/li/729184
お前らそれ違うぞ!
花とか鳥の羽とは皆構造色で青が出てるんだ。だから顔料として磨り潰すと色は失われる。
一方で緑がかった青や水色は酸化銅や酸化クロムで出す事が出来る。だから群青色や純粋な青は貴重でそれ故マリアの色となったのだな。
さてこの聖性を暴力性と組み合わせた聖母カラシニコフを2018年に誰かがアレンジしてジャベリンミサイルを持たせた。
多分ウクライナの誰かかと思われる。
タイミング的にウクライナ防衛の為にトランプ大統領がジャベリン供与を決定というニュースに刺激されたのだろう。
この時ウクライナで商売しているバイデンの親族のスキャンダル無い?とトランプが宇政府にゆすりを掛けたのがバレて、武器供与を選挙対策に使ったな、と紛糾したあれやな。
で、ロシアが一方的に侵略戦争を始めるとジャベリンの活躍によりロシアの侵攻は停滞、救国兵器として改めて聖ジャベリン画がミームとして爆発的に流行したという経緯。
元絵アーティストのクリス・ショウはこの事を知っていて、クールな現象だが複雑な気持ちだと述べている。
一つは著作権的な問題。この為に「聖ジャベリン公式バージョン」を作成した。
もう一つは実際の戦争で使われて殺人の用に供していること。今のところ聖ジャベリンは自由と抵抗と正義の象徴だが、それが憎悪と抵抗から離れた戦争の象徴となることを心配していると。
だからマリアであるのに青じゃなくて緑のローブを着ているのはクリス・ショウの元絵が色んな色のシリーズで聖母カラシニコフが緑だったから。
で、聖ジャベリンには別バージョンもあって例えばBBCのこのニュースに出てくるのなんかはクリス・ショウ聖母カラシニコフ改聖ジャベリンじゃない。
https://www.bbc.com/news/world-us-canada-60700906
この兵器はスウェーデンのSAABと英国で開発された対戦車ミサイルNLAWだ。これもウクライナに供与されている。
大手メディアでは聖ジャベリンと銘打ってこっちのイラスト紹介している事が多い。これは聖ジャベリンの方にはクリス・ショウに著作権があり、勝手に改変された海賊版ジャベリンを紹介しちゃうとマズいからだと思われる。
このイラストの元絵は何かというと「ウラジーミルの生神女(Virgin of Vladimir)」というロシア正教会で有名なイコンなのだ。
聖ルカにより描かれたという伝承されている。ルカは画家兼医師、書記だ(聖路加病院は聖ルカの意味。医師だったのでルカは医者の守護者)。
だから聖ジャベリン NLAW ver.の方が首を傾げているのは、ミサイルに頬を寄せているのである。元絵は赤子のキリストを抱っこして頬を寄せている。
この絵はモスクワの東300㎞にあるウラジーミルの街に置かれ、この安置の為に大聖堂が建てられた。
ウラジーミルの街の名の由来はキエフ大公のウラジーミル1世だ。そしてウラジーミル・プーチンの名の由来も同じである。
という事でこっちのNLAW ver.聖ジャベリンにはプーチンへの皮肉が入っている。
敬虔なロシア正教徒ならイコンを持ってるようなウラジーミルの生神女が対戦車ミサイルを構えてウラジーミル・プーチンの野望をトップアタックモードで破壊している。
聖ジャベリンの元ネタはマグダラのマリア(元娼婦でキリストの復活を目撃して悔い改めた)だという説もあるがどうもそれの原因は中央日報のようだ。
https://japanese.joins.com/JArticle/288271?sectcode=A00&servcode=A00
でも今見たように聖母(生神女)マリアなのだ。元ネタが聖母カラシニコフだから。救世主(キリスト)代わりに救国対戦車ミサイルを抱いているのがキリスト教的教養から判るのが面白いところなのに。
まったく、韓国はキリスト教が多い国でしょ?なんで間違えてんの…?
と思ったけどプロテスタントでは聖母マリアの信仰はご法度なんよね(韓国の最大教派は福音派。国父による)。
主流教義から外れる信仰の受け皿をマリア信仰が担っており、「そういうのダメ。一本化」というのがルターの立場で、プロテスタントには聖母マリア信仰はないし像もないのだ。
なので間違えたのだと思う。
作風パクってイタコする奴ってまあいくらでもいるんだけど(ドリヤス、売国奴とか)、そのクオリティが元ネタに比肩するやつってのはまあ本当少ないもんなんだわ。
基本的に絵柄や作風をパクルってのは弱者が最後の手段として縋るものであって、強いやつは最初から自分の作風でオッスオッスしてた方が圧倒的に強いからね。
言ってしまえば能力者バトルに置いて重火器を使うのはあんま強くないやつって法則よな。
たとえば最近話題になった漫☆画太郎のコピーなんてまさにそれで、普段はサムライ8馬鹿にするときにしか話題にならないおにぎりインタビューが物凄いヒット数を叩き出したわけだ。
まあベテランだってパロディだったりパクリだったりを一切しないかと言えばそうではなくて、自分の作風と組み合わせてオモシロイと思ったときはやってくる。
なんでかと言えば自分の作風が完成されすぎていればいるほど他人の作風を混ぜ込む余裕なんてなくなってくるからなんだな。
たとえば濃い赤に今更ちょっと青を混ぜても紫色の斑点にすらならず全部呑み込まれて何をやろうとしたのか分からなくなる感じだ。
だが、元々の色が似通っていたら?
それどころか、そもそもその色を生み出す顔料染料そのものをもう一度注いだら?
それは賭けになるだろう。
一歩間違えば汚らしく黒ずんで終わるだけだが、もしも上手くやれば……何かが起こる。
そして奴、芥見下々はソレを起こした。
ハンターハンターとBLEACHとその他のあれやこれやの混ざりものだった漫画から少しずつハンター以外の要素を抜き取り、そうしてハンターハンターで二度漬けした。
人の血に化け物の血を混ぜてから、混ざり終わった後にもう一度化け物の血を注ぐとより危険な化け物が生まれる……ホラー映画なんかじゃありがちな展開だ。
ソレをジャンプで連載中にやってのけた。
ハンターハンターでありながらハンターハンターでなくそれでいてなおハンターハンターである何かがそこに生まれた。
蠱毒の果てに生まれたバケモノ、錬金術の果てに生まれたマモノ、呪法、邪法、下法、ここに極まれり。
とんでもないものを見せられたよ
まだベランダで消耗してるの?
してるともッ!!!
ネコチャンです。
読んでる人いるのか謎ニャけど💦
今日も元気にーーっ
【ベランダ防水】行ってみよう!!
3回目塗りましたニャ。
そんなに回数塗らんでも良い気もしますが。
下地が濃い緑っであったこと、5年前に雨漏りしたこと、から(雨漏りはとっくに止めてます)
一回目の時、めちゃくちゃベランダが熱くて、じりじり炙られるような感じだったよ
(日差しも強い日だった)
だけどね、一回目シーラー塗り終えて、2回目塗った時
涼しかったんだ。(昨日)
そして今日3回目。意外と暑くなかったよ。
雨漏り止めの液(透明)2度塗りして(この時点でベランダつやつやである)
シーラー白いので、反射するため、熱は籠りにくいとはおもうけど、こんなに違うのか。すごいね。
流石に3度塗ると、まえ緑に塗ってあったなんて判らないよ。ムラもほぼなくなった。
毎日、ペンキ塗り用のジャージ、T、エプロンを作業後にすぐ洗濯して干してます。
2度塗りで、ベランダの温度が13度から9度くらい下がるらしい。
すごくニャい?
えー。アラビアンジャスミンちゃんは毎日カワイイお花が咲いてくれてます。
でも切るのが可愛そうで切り花にできないニャ。
お庭に行って愛でてますニャ。
お掃除も頑張るよーーー。
みんなも夏バテしないで
コロナに気をつけて
お過ごしくださいニャ。
セーラー万年筆のカートリッジ・インクがウォーターマンの万年筆で使える。
知っている人にはアタリマエのことだったんだろうが
この事実は大きい。
どこでも売っているボディそれはウォーターマン、どこのデパートでもまず売っている。贈り物にも最適
だいたい売ってるセーラ-万年筆の『顔料』インクカートリッジで代用できる。(普通は染料・水に弱い)
これは、おれには新発見 この組み合わせは、おたがいどこにでも売っている別メーカーに互換性がある どれだけ価値ある情報化がわかりにくい
プレゼントでもらったウォータマン万年筆、デパートまで行かなくても、文房具屋のセーラーのカートリッジが使えるよ。 ロフトにもおいてある
なんの知識も経験のない素人が日本画に手を出そうとすると、古来より連綿と受け継がれてきた天然の鉱石を粉末状に砕いた顔料を買いそろえないといけないところでまずめんどくさいと思う
水干絵具を乳鉢で溶いたり、絵皿の上で膠液を練り混ぜるのも面倒くさい
日本画調絵具という角皿に入れられた固形の絵の具なら手軽に使える
日本画に使える和紙は高いだろうし、筆も洋画を書くような筆じゃなくて日本画用の絵筆があるし、もちろん日本画用の絵筆を買いそろえるのも面倒くさい。通販は良し悪しがわからないし
本格的な日本画について調べれば調べるほどなんの知識もない経験のない素人にはハードルが高いと感じる
日本画教室というものがあればいいけれどそんなものは近所で見たことはない
定年退職して暇な老人なら、それなりに時間やお金をかけて本格的に始めてもいいかと思えるけど
働き盛りの社会人はあまり余裕がなく美大生レベルで日本画制作にお金や時間なんてかけられないのである。
そうやって、若い人は普通のポップなイラスト制作や水彩画やデジタル画に流れてゆく
日本画は美しい。素晴らしい。
しかし、一般人にとって日本画を始めるにはハードルが高過ぎ。長い伝統を持つ日本画の技法を受け継げるのは美大生か暇な高齢者くらいのものだろう
ハックニー馬[※1]のしっぽのような、巫戯《ふざ》けた楊《やなぎ》の並木《なみき》と陶製《とうせい》の白い空との下を、みじめな旅《たび》のガドルフは、力いっぱい、朝からつづけて歩いておりました。
それにただ十六哩《マイル》だという次《つぎ》の町が、まだ一向《いっこう》見えても来なければ、けはいもしませんでした。
(楊がまっ青に光ったり、ブリキの葉《は》に変《かわ》ったり、どこまで人をばかにするのだ。殊《こと》にその青いときは、まるで砒素《ひそ》をつかった下等《かとう》の顔料《えのぐ》[※2]のおもちゃじゃないか。)
ガドルフはこんなことを考えながら、ぶりぶり憤《おこ》って歩きました。
それに俄《にわ》かに雲が重《おも》くなったのです。
(卑《いや》しいニッケルの粉《こな》だ。淫《みだ》らな光だ。)
その雲のどこからか、雷《かみなり》の一切れらしいものが、がたっと引きちぎったような音をたてました。
(街道《かいどう》のはずれが変《へん》に白くなる。あそこを人がやって来る。いややって来ない。あすこを犬がよこぎった。いやよこぎらない。畜生《ちくしょう》。)
ガドルフは、力いっぱい足を延《の》ばしながら思いました。
そして間もなく、雨と黄昏《たそがれ》とがいっしょに襲《おそ》いかかったのです。
実《じつ》にはげしい雷雨《らいう》になりました。いなびかりは、まるでこんな憐《あわ》れな旅のものなどを漂白《ひょうはく》してしまいそう、並木の青い葉がむしゃくしゃにむしられて、雨のつぶと一緒《いっしょ》に堅《かた》いみちを叩《たた》き、枝《えだ》までがガリガリ引き裂《さ》かれて降《ふ》りかかりました。
(もうすっかり法則《ほうそく》がこわれた。何もかもめちゃくちゃだ。これで、も一度《いちど》きちんと空がみがかれて、星座《せいざ》がめぐることなどはまあ夢《ゆめ》だ。夢でなけぁ霧《きり》だ。みずけむりさ。)
ガドルフはあらんかぎりすねを延《の》ばしてあるきながら、並木のずうっと向《むこ》うの方のぼんやり白い水明りを見ました。
(あすこはさっき曖昧《あいまい》な犬の居《い》たとこだ。あすこが少ぅしおれのたよりになるだけだ。)
けれども間もなく全《まった》くの夜になりました。空のあっちでもこっちでも、雷《かなみり》が素敵《すてき》に大きな咆哮《ほうこう》をやり、電光のせわしいことはまるで夜の大空の意識《いしき》の明滅《めいめつ》のようでした。
道はまるっきりコンクリート製《せい》の小川のようになってしまって、もう二十分と続《つづ》けて歩けそうにもありませんでした。
その稲光《いなびか》りのそらぞらしい明りの中で、ガドルフは巨《おお》きなまっ黒な家が、道の左側《ひだりがわ》に建《た》っているのを見ました。
(この屋根《やね》は稜《かど》が五角で大きな黒電気石[※3]の頭のようだ。その黒いことは寒天《かんてん》だ。その寒天の中へ俺《おれ》ははいる。)
ガドルフは大股《おおまた》に跳《は》ねて、その玄関《げんかん》にかけ込みました。
「今晩《こんばん》は。どなたかお出《い》でですか。今晩は。」
家の中はまっ暗《くら》で、しんとして返事《へんじ》をするものもなく、そこらには厚《あつ》い敷物《しきもの》や着物《きもの》などが、くしゃくしゃ散《ち》らばっているようでした。
(みんなどこかへ遁《に》げたかな。噴火《ふんか》があるのか。噴火じゃない。ペストか。ペストじゃない。またおれはひとりで問答《もんどう》をやっている。あの曖昧な犬だ。とにかく廊下《ろうか》のはじででも、ぬれた着物をぬぎたいもんだ。)
ガドルフは斯《こ》う頭の中でつぶやきまた唇《くちびる》で考えるようにしました。そのガドルフの頭と来たら、旧教会《きゅうきょうかい》の朝の鐘《かね》のようにガンガン鳴《な》っておりました。
長靴《ながぐつ》を抱《だ》くようにして急《いそ》いで脱《と》って、少しびっこを引きながら、そのまっ暗なちらばった家にはね上って行きました。すぐ突《つ》きあたりの大きな室は、たしか階段《かいだん》室らしく、射《さ》し込《こ》む稲光りが見せたのでした。
その室の闇《やみ》の中で、ガドルフは眼《め》をつぶりながら、まず重い外套《がいとう》を脱《ぬ》ぎました。そのぬれた外套の袖《そで》を引っぱるとき、ガドルフは白い貝殻《かいがら》でこしらえあげた、昼の楊の木をありありと見ました。ガドルフは眼をあきました。
(うるさい。ブリキになったり貝殻になったり。しかしまたこんな桔梗《ききょう》いろの背景《はいけい》に、楊の舎利《しゃり》[※4]がりんと立つのは悪《わる》くない。)
ガドルフはそれからぬれた頭や、顔をさっぱりと拭《ぬぐ》って、はじめてほっと息《いき》をつきました。
電光がすばやく射し込んで、床《ゆか》におろされて蟹《かに》のかたちになっている自分の背嚢《はいのう》をくっきり照《て》らしまっ黒な影《かげ》さえ落《おと》して行きました。
ガドルフはしゃがんでくらやみの背嚢をつかみ、手探《てさぐ》りで開《ひら》いて、小さな器械《きかい》の類《たぐい》にさわってみました。
それから少ししずかな心持《こころも》ちになって、足音をたてないように、そっと次の室にはいってみました。交《かわ》る交《がわ》るさまざまの色の電光が射し込んで、床に置《お》かれた石膏《せっこう》像《ぞう》や黒い寝台《しんだい》や引っくり返《かえ》った卓子《テーブル》やらを照らしました。
(ここは何かの寄宿舎《きしゅくしゃ》か。そうでなければ避病院《ひびょういん》か。とにかく二階にどうもまだ誰《だれ》か残《のこ》っているようだ。一ぺん見て来ないと安心《あんしん》ができない。)
ガドルフはしきいをまたいで、もとの階段室に帰り、それから一ぺん自分の背嚢につまずいてから、二階に行こうと段《だん》に一つ足をかけた時、紫《むらさき》いろの電光が、ぐるぐるするほど明るくさし込んで来ましたので、ガドルフはぎくっと立ちどまり、階段に落ちたまっ黒な自分の影とそれから窓《まど》の方を一緒《いっしょ》に見ました。
その稲光りの硝子《ガラス》窓から、たしかに何か白いものが五つか六つ、だまってこっちをのぞいていました。
(丈《たけ》がよほど低《ひく》かったようだ。どこかの子供《こども》が俺のように、俄かの雷雨で遁げ込んだのかも知れない。それともやっぱりこの家の人たちが帰って来たのだろうか。どうだかさっぱりわからないのが本統《ほんとう》だ。とにかく窓を開いて挨拶《あいさつ》しよう。)
ガドルフはそっちへ進《すす》んで行ってガタピシの壊《こわ》れかかった窓を開きました。たちまち冷たい雨と風とが、ぱっとガドルフの顔をうちました。その風に半分声をとられながら、ガドルフは叮寧《ていねい》に云《い》いました。
「どなたですか。今晩《こんばん》は。どなたですか。今晩は。」
向《むこ》うのぼんやり白いものは、かすかにうごいて返事もしませんでした。却《かえ》って注文《ちゅうもん》通《どお》りの電光が、そこら一面《いちめん》ひる間のようにしてくれたのです。
「ははは、百合《ゆり》の花だ。なるほど。ご返事のないのも尤《もっと》もだ。」
ガドルフの笑《わら》い声は、風といっしょに陰気《いんき》に階段をころげて昇《のぼ》って行きました。
けれども窓の外では、いっぱいに咲いた白百合《しらゆり》が、十本ばかり息もつけない嵐《あらし》の中に、その稲妻《いなずま》の八分一秒《びょう》を、まるでかがやいてじっと立っていたのです。
それからたちまち闇が戻《もど》されて眩《まぶ》しい花の姿《すがた》は消えましたので、ガドルフはせっかく一枚《まい》ぬれずに残ったフラン[※5]のシャツも、つめたい雨にあらわせながら、窓からそとにからだを出して、ほのかに揺《ゆ》らぐ花の影を、じっとみつめて次の電光を待《ま》っていました。
間もなく次の電光は、明るくサッサッと閃《ひら》めいて、庭《にわ》は幻燈《げんとう》のように青く浮《うか》び、雨の粒《つぶ》は美《うつく》しい楕円形《だえんけい》の粒になって宙《ちゅう》に停《とど》まり、そしてガドルフのいとしい花は、まっ白にかっと瞋《いか》って立ちました。
(おれの恋《こい》は、いまあの百合の花なのだ。いまあの百合の花なのだ。砕《くだ》けるなよ。)
それもほんの一瞬《いっしゅん》のこと、すぐに闇は青びかりを押《お》し戻《もど》し、花の像はぼんやりと白く大きくなり、みだれてゆらいで、時々は地面《じめん》までも屈《かが》んでいました。
そしてガドルフは自分の熱《ほて》って痛《いた》む頭の奥《おく》の、青黝《あおぐろ》い斜面《しゃめん》の上に、すこしも動《うご》かずかがやいて立つ、もう一むれの貝細工《かいざいく》の百合を、もっとはっきり見ておりました。たしかにガドルフはこの二むれの百合を、一緒に息をこらして見つめていました。
それもまた、ただしばらくのひまでした。
たちまち次の電光は、マグネシアの焔《ほのお》よりももっと明るく、菫外線《きんがいせん》[※6]の誘惑《ゆうわく》を、力いっぱい含《ふく》みながら、まっすぐに地面に落ちて来ました。
美しい百合の憤《いきどお》りは頂点《ちょうてん》に達《たっ》し、灼熱《しゃくねつ》の花弁《かべん》は雪よりも厳《いか》めしく、ガドルフはその凛《りん》と張《は》る音さえ聴《き》いたと思いました。
暗《やみ》が来たと思う間もなく、また稲妻が向うのぎざぎざの雲から、北斎《ほくさい》の山下白雨のように赤く這《は》って来て、触《ふ》れない光の手をもって、百合を擦《かす》めて過ぎました。
雨はますます烈《はげ》しくなり、かみなりはまるで空の爆破《ばくは》を企《くわだ》て出したよう、空がよくこんな暴《あば》れものを、じっと構《かま》わないでおくものだと、不思議《ふしぎ》なようにさえガドルフは思いました。
その次の電光は、実に微《かす》かにあるかないかに閃《ひら》めきました。けれどもガドルフは、その風の微光《びこう》の中で、一本の百合が、多分とうとう華奢《きゃしゃ》なその幹《みき》を折《お》られて、花が鋭《するど》く地面に曲《まが》ってとどいてしまったことを察《さっ》しました。
そして全くその通り稲光りがまた新《あた》らしく落ちて来たときその気の毒《どく》ないちばん丈の高い花が、あまりの白い興奮《こうふん》に、とうとう自分を傷《きず》つけて、きらきら顫《ふる》うしのぶぐさの上に、だまって横《よこた》わるのを見たのです。
ガドルフはまなこを庭から室の闇にそむけ、丁寧《ていねい》にがたがたの窓をしめて、背嚢のところに戻って来ました。
そして背嚢から小さな敷布《しきふ》をとり出してからだにまとい、寒《さむ》さにぶるぶるしながら階段にこしかげ、手を膝《ひざ》に組み眼をつむりました。
それからたまらずまたたちあがって、手さぐりで床《ゆか》をさがし、一枚の敷物《しきもの》を見つけて敷布の上にそれを着《き》ました。
そして睡《ねむ》ろうと思ったのです。けれども電光があんまりせわしくガドルフのまぶたをかすめて過ぎ、飢《う》えとつかれとが一しょにがたがた湧《わ》きあがり、さっきからの熱った頭はまるで舞踏《ぶとう》のようでした。
(おれはいま何をとりたてて考える力もない。ただあの百合は折《お》れたのだ。おれの恋は砕けたのだ。)ガドルフは思いました。
それから遠い幾山河《いくやまかわ》の人たちを、燈籠《とうろう》のように思い浮《うか》べたり、また雷の声をいつかそのなつかしい人たちの語《ことば》に聞いたり、また昼の楊がだんだん延びて白い空までとどいたり、いろいろなことをしているうちに、いつかとろとろ睡ろうとしました。そしてまた睡っていたのでしょう。
ガドルフは、俄かにどんどんどんという音をききました。ばたんばたんという足踏《あしぶ》みの音、怒号《どごう》や潮罵《ちょうば》が烈《はげ》しく起《おこ》りました。
そんな語はとても判《わか》りもしませんでした。ただその音は、たちまち格闘《かくとう》らしくなり、やがてずんずんガドルフの頭の上にやって来て、二人の大きな男が、組み合ったりほぐれたり、けり合ったり撲《なぐ》り合ったり、烈しく烈しく叫《さけ》んで現《あら》われました。
それは丁度《ちょうど》奇麗《きれい》に光る青い坂《さか》の上のように見えました。一人は闇の中に、ありありうかぶ豹《ひょう》の毛皮《けがわ》のだぶだぶの着物をつけ、一人は烏《からす》の王のように、まっ黒くなめらかによそおっていました。そしてガドルフはその青く光る坂の下に、小さくなってそれを見上げてる自分のかたちも見たのです。
見る間に黒い方は咽喉《のど》をしめつけられて倒《たお》されました。けれどもすぐに跳ね返して立ちあがり、今度《こんど》はしたたかに豹の男のあごをけあげました。
二人はも一度組みついて、やがてぐるぐる廻《まわ》って上になったり下になったり、どっちがどっちかわからず暴れてわめいて戦《たたか》ううちに、とうとうすてきに大きな音を立てて、引っ組んだまま坂をころげて落ちて来ました。
ガドルフは急いでとび退《の》きました。それでもひどくつきあたられて倒れました。
そしてガドルフは眼を開いたのです。がたがた寒さにふるえながら立ちあがりました。
雷はちょうどいま落ちたらしく、ずうっと遠くで少しの音が思い出したように鳴《な》っているだけ、雨もやみ電光ばかりが空を亘《わた》って、雲の濃淡《のうたん》、空の地形図をはっきりと示し、また只《ただ》一本を除《のぞ》いて、嵐に勝《か》ちほこった百合の群《むれ》を、まっ白に照《て》らしました。
ガドルフは手を強く延ばしたり、またちぢめたりしながら、いそがしく足ぶみをしました。
窓の外の一本の木から、一つの雫《しずく》が見えていました。それは不思議にかすかな薔薇《ばら》いろをうつしていたのです。
(これは暁方《あけがた》の薔薇色《ばらいろ》ではない。南の蝎《さそり》の赤い光がうつったのだ。その証拠《しょうこ》にはまだ夜中にもならないのだ。雨さえ晴れたら出て行こう。街道の星あかりの中だ。次の町だってじきだろう。けれどもぬれた着物をまた引っかけて歩き出すのはずいぶんいやだ。いやだけれども仕方《しかた》ない。おれの百合は勝ったのだ。)
ガドルフはしばらくの間、しんとして斯う考えました。
人間が棒上の物体を使って、平面に言葉を表現するっていう時点で、そもそも世界中の文字がだいたい線だけで構成されることは確定なんだよな
顔料だって豊富じゃないから単色で使うこと前提になる。だから文字を書くときに、色の違いは考慮されない(赤い「あ」と青い「あ」はどちらも「あ」という音を表す意味)
もちろん人間の顔だとか表情みたいな複雑な絵は誰もが書けるわけじゃないし、いちいち言葉を記すためだけにそんな面倒なもの書きたくないので、とりあえず「?」で終われば疑問文ということにして、読むときも語尾のイントネーション上げて読む。みたいな規約を作って運用しました。
これがもし入力インタフェースとして棒を使わないで、サクッとどんなに細かい絵も一瞬で書けるような時代になるとどうなるのか。
絵文字とかLINEのスタンプとかが流行ったのは必然だったのかもしれない。昔の人も本当はわざわざ言葉を文字にするのかったるかったと思う。
顔料系としては新しいよな
おっ、染料と顔料の話か?