はてなキーワード: 勘定とは
「船頭多くして船山に登る」の一言で終わる話だ。
組織の運営方針について構成員が全く理解していない状況は問題だが、「どういった方針を定めるべきか」についてを全員が考えることほど無駄なものはない。
「経営者サイドが運営方針について悩んでいるのだから、それを全員に分かって欲しい」なんて言うのは甘ったれた無意味な行為だ。
「新人は給料が少なくて困っているから重役の方針も同じレベルに合わせて欲しい」ともしも言われたらどうするつもりなんだろうか?
「僕が大変だから同じように苦しんで欲しい」とはそういうことだ。
「そうじゃないよ。この組織がどこに向かいたいのかを共有するために皆が経営者として考えてほしいんだ」なんていうのは、本当に全員が経営者の組織であって初めて成立する話だ。
何故なら、もしも末端の従業員が「経営者的な感覚で考えたのですが」と方針を打ち出したとして、それは組織の中のどこにまで届くのだろうか?
きっと何の影響も及ぼすこともなく、「下っ端が戯言を抜かすな」と握りつぶされるだろう。
ならば、経営者感覚を持つというのは組織として完全に無駄なのだ。
「自分が考えたことが、形になる」と思えるから人間は真剣に考える。
真剣に考えもしないならそれに脳のエネルギーを使うことは無駄でしか無い。
「経営者感覚を皆に持って欲しい」と思ったとき、それが単なる甘えでないのなら、自分が経営を相談できる相手をちゃんと雇うべきだ。
無駄金くらいの嘘つきだらけではあるが、彼らには彼らなりのノウハウが有る。
経営について何のノウハウもない従業員に無駄な考えを巡らせ、その時間で学ばせるべきだった本来のノウハウを蔑ろにするぐらいなら詐欺師まがいの連中に試しに金を渡してみるほうがまだマシなのだ。
何故なら、無駄な考えを巡らせる時間は従業員を遊ばせているだけであり、それは人件費の無駄であるだけでなく、成長機会の剥奪でもあるのだから。
経営とは結局のところは金勘定でしか無いわけで、対して実務とは様々な要素が絡み合う複合的なものだ。
実務の持つややこしいあれやこれやを経営に持ち込みすぎると、組織の運営方針はグチャグチャにこんがらがって迷走していく。
経営は投資と似た側面があり、下手に動かずにドッシリと結果を待てることが重要になる。
対して実務は小さな改良を何度も繰り返していく必要があるものだ。
もしも経営に小さな改善を持ち込もうとすれば、それは小さなムダを削るために大きな時間をかける巨大なムダへと繋がりかねない。
逆に経営のような単純な物差しで実務を測ろうとすれば、それは小さくこじんまりとした競争力のない仕事や、逆に実現性のない巨大な夢に向けた片道切符へと繋がっていく。
組織の中で果たすべき職務にはそれに適した考え方が必要であり、それらは時に切り離して考えるほうが上手くいく。
誰もが同じ感覚を持った組織というのは脆弱なものであり、経営者サイドのチャチな孤独感を癒やすために組織の色をやたらと染めたがるのは弱体化しか生み出さない。
経営者感覚を全員に持ってもらおうとするのは絶対に辞めた方がいい。
もう一度いうが、組織規模が5人程度で全員が共同経営者ならばそれでもいいだろう。
だが、組織の中に経営者ではないものがいる組織で、経営者でもないものに経営者感覚を求めるのはやめろ。
むしろ経営者感覚では測れない見方をしてくれる相手の存在を維持し続けるために、下手に経営者感覚を持つなと伝えていくべきだ。
何度も言うが、くだらん「皆が僕と同じことで頭を悩ませて欲しい」という考えに囚われるのをやめろ。
追記した→https://anond.hatelabo.jp/20230409121152
以下本編******************************************************
両親を比較的早く亡くして色々その後の始末をした体験から。また、人の親の終活のサポートをサポートするような仕事をしていた体験から。
そもそも、「終活」って、そこまで「むむむ、必須…!!」と思わなくてもよい。
そもそも、一番大切なのは終活する以前に、親御さんとちゃんと円満な人間関係を構築し続けておくということで、これが実は一番割と大変だったりする。
親がどこに何を仕舞っておきがちか、どんな人生を送ってきたかとかがなんとなく分かっていれば、別に整理整頓されていなくても残された子供たちで探し当てたりあちこちに問い合わせればいいだけなのでそんなに問題ない。親子の関係が良好なら、何なら親の方から「大事な書類や通帳や印鑑はこうやって保管してあるからね」とか言ってきてくれたりする。
そういう、あたたかくお互いを思いやれる親子関係でもないなぁ…という場合は、まぁまずは親に終活をさせる以前に、親子関係を良好化しておくことが必要。
そうじゃないと何を言っても親は子の言うことなんて聞かないんだよね。親にとっては子は中高年になったところで子供だし、老いの自覚があればなおさら我が子に対して頑なになる、ということはよくあること。
そもそも、金持ちで株式やら不動産やらを持っている人以外は、親が大した整理もせずに死んでもそこまで大変でもないことも多い。まぁそもそも、人が一人死んだらそりゃ多少は手続きやらが大変なので、そこはもうそういうもんだと思って。
親が金持ちの場合。傾向的には、ガチの資産持ちの人は弁護士や税理士やら銀行の担当者やら、誰かしら外部の相談者がいることが多いので、まだ元気なうちに「営業に来てる銀行の担当の人とか税理士とか、今度紹介しといてね」と言っておくと割とはかどる。税理士なんかがいる場合はほぼ無問題。名刺交換しておけばおけー。
小資産持ちの場合。プチブル勢(高給取りサラリーマンや自営)の場合、結構厄介かもしれない。親御さんがまめに日ごろから管理をしている人であれば心配ないが、GDP右肩上がり世代なので「なんとなく色んなとこに預けたり掛けたりしてるだけ」みたいなケースがあって、これはもう、がんばって、エンディングノートやら終活やらをしてもらう必要がある。
お金がなさそうな場合。自宅とちょっとの貯金だけ、なんていう場合は、もうほとんど心配しなくていい。実際はこういうご家庭が一番多いんじゃないかなと思う。通帳、保険証券、印鑑を仕舞っている場所だけ、何かのついでに(例えば親がちょっとした病気で入院した、とか体調崩して手伝いに来ている時とか)さらっと聞いておこう。銀行の届出印はちゃんと確認しとく方が良いなと思うが、死後に届出印が分からなくても銀行に提出する書類が1枚増えるだけなので、まぁわりとどうってことない。「窓口の人」は基本親切だし慣れているのでどうしたらいいか聞けば大丈夫。
もういちどおさらいだが、「銀行印が何かを聞いておく」とか「終活をお願いする」などは、要するに子供から老いて色々億劫になってきている親に頼む、大事な情報を聞き出す、ということなので、その前に人間関係を良好にしておけ、というのが鉄則になるわけです。
文章や文字を書くのが苦にならない人、普段から日記をつけてたりする人は、比較的楽だと思う。
エンディングノートは市販されている紙のものもあるが、アプリもあったりするので、親の性格に合った内容のものを子からプレゼントするのもよいと思う。
これぐらいが分かってれば財産回りは大丈夫。この辺は市販のエンディングノートだと記入式で書いていけるようになっている。また最近は終活アプリなんてのもあるので、スマホやコンピュータがいける口の親御さんならそれでもOK。
市販のエンディングノート選びでいうと、例えば、記入欄が多いものをズボラな親に渡しても嫌がるわけで、選ぶには匙加減が結構大事。結構「思い出記入欄」とか「自分史書き連ねページ」とかがあったりする。そういうのを書くのが好きでノリノリで書きそうな親御さんなら、自分史から書いてもらってついでに大事な資産周りの情報も書いてもらえる。
逆にそういうのを全然書きたがらない親御さんの場合は…記入項目が簡単なものを使って、親にヒアリングをして子供がノートに記入していくのがお勧め。ズボラな人や「そういう書類を作成したり整理したりする経験がない(今の高齢者世代だと女親は多くの場合就業経験が少ないので困る場合があるよ)人」は、緊張して思考停止しちゃうので、子供が寄り添おう。また同じ結論だが親子の人間関係を良好にしておく必要がある。
そして、しっかりした親御さんの場合でも、隠してたタンス預金やら隠してた借金やら、愛人がいたやら隠し子がいたやら、まぁ隠そうと思えば隠せるわけなので、あまり根を詰める必要はないわけです。
あとは、「死んだら葬式に誰を呼んでほしいか問題」も、エンディングノート項目にある。こういうのもノリノリで書いてくれる人もいるが、面倒くさがって書かない人も同じぐらい多い。書きたがらない場合は、実家の年賀状を取っておいてもらう。正月に帰省した時に、親あての年賀状を見ながら「この人誰だったっけ?」とか話をしながら、だと、整理する気になってくれるかもしれない。まぁ要するにノートに書いてなくても全然よくて、年賀状に付箋でも貼っておけばいい。
エンディングノートひとつ記入し終わるのは、現役の我々でも結構めんどいので、一度には片付かない。1年、2年と、年単位でゆっくりやればいい。
比較的多そうで且つ厄介そうなケース、「ズボラな小金持ち親」と「忙しいしなんだか色々面倒で帰省は年に1、2回の子」の場合、エンディングノート作ろうかと持ち掛けてから、帰省頻度を増やして1テーマごとに埋めていく、みたいな作業を想像した方がいいかなと思う。エンディングノートを作ることで親子関係を和らげて距離を近づけていく作戦。平行して介護が始まってきたりするんだよね…。
今日は通帳を整理したから乾杯!また再来月来るからそれまでに保険証とか、暇なときに探しといてねーと声をかけておく、次の帰省までの間にも連絡を入れて雑談をしつつ「見つかった?」と聞いておく、みたいな、まめな営業努力が効いてくる。通帳を整理し終わったはずなのに忘れてた通帳が出てきた、出てきたけどその通帳はとっくの昔に口座解約してたやつだった、みたいなことも起きます。でもまぁそれが笑い話になったりするので。
自分のことで言えば、これらの作業を両親とやっていたら、なぜか押し入れの奥から父の結婚当初の給与明細の束が出てきたり、両親の結婚前デート写真が出てきたり、新婚旅行の時のメモノートが出てきたりとめちゃ楽しかった。照れて無口になる父、はしゃぐ母、はしゃいだ母は記憶力がぐんぐん回復していって笑った。
親子関係を改善しつつ、楽しくエンディングノート作りをある程度進めていくと、親の方からぽつりぽつりと、聞きにくいことを話してくれたりするようになる。人間関係構築は偉大。
父親が三男、母親が姉妹の長女だったので、母方の墓を引き継ぐんだろな…と漠然と思っていたのだが、母方の祖母(父にとっての義母)が100才近くで元気なのに、先に父が病気で余命宣告が出てしまったので、墓の所有者である祖母よりも先に娘婿である父が墓に入る可能性が高まっていた。
実は、父と、母方の祖母はあまり仲が良くなくて、母と私は「お父さん、お墓どうしようかねぇ…」と悩んでいたのだった。
父は、仲が良くない義理の関係の墓に入りたくないのではないか、それなら別に墓を用意するなり樹木葬みたいにしてもいいよね、と母と私は話していたのだが、一方で、母としては姉妹なので、実家の墓を継ぐ人がいなくなってしまう心配もしていた。お父さんは海に撒いてくれと言ってたけど私は一緒のお墓がいいのよね…とか、別に墓を買えばいいじゃん檀家の金もかかるしおばあちゃんが死んだら合祀しよう、とか、合祀にもお金かかるねぇ…なんて母と娘は少し前に話をしてはいたのだ。でも言い出せず。
ある時、余命カウントダウン中の父の病床で、子供たちと孫たちに囲まれて、私は父のそばで通帳とかの整理をしていた(生々しい)時に、父が私に「東京の爺さん(母方)の墓に入るから、よろしく頼むよ」と言ってきた。お父さんそれでいいの?嫌じゃない?と聞いたら、まぁ婆さんはアレだったが爺さんにはさんざん世話になったしなぁ!色々面倒だろうからお前頼んだよ、と言われた。
もし順当に「祖母死去→母に墓を相続→父or母が墓に入る」であれば簡単だったのだが、順番が逆になってしまったので、実際ちょっと面倒だった。祖母と叔母(墓にまつわる利害関係者)への相談と許諾をもらったり、何やら一筆書いたり、父のカウントダウンと追いかけっこで奔走した。もっと早くに聞けてればなぁと思ったが、まぁそれもタイミングだし、しょうがない。病床で、傍らに金勘定してる娘がいて孫がわらわらしているところで「俺はあの墓に入るぞ!」といった父の話は今でも家族の間で語り草の笑い話だよ。
母は、まぁ父の死の片づけをしたわけで、「自分の時はもっと効率的にやるわよー」と張り切っていたが、やはり割と急スピードで病を得て亡くなったので、志半ばという感じだったかもしれない。エンディングノートこそ作らなかったが、財産関連の書類はファイルに整理されており、友人関係については娘の私がかなり把握していたので、多くの人に葬式に来てもらえてよかった。ご近所のお友達はもちろん、中学高校時代からの長い付き合いのお友達や、職場の友人や転勤先で仲良くしていた友人や、私も知っている人や私も知らない人や、大勢が母の思い出を私たちに話してくれて、それがとてもよかった。
父は、生前自分のことを語らない男(昔の男性は割とそういうところがある)だったのだが、闘病が長くゆるゆると終活を付き合ったので、その端々で父がぽつぽつと話してくれた色々なことが記憶に残っている。
そして余命カウントダウン期間に「会っておきたい人をリストアップして!」と父に命令をしたので、大勢の人に見舞いに来てもらえた。なので正直、葬式の時はかなりラクチンだった。連絡先を聞いておけたし父の古い友人の中から葬式の手伝いをしてくれる人もいて、大学の仲間がだいたい何人ぐらいくるよ!とか、職場OBがだいたい何人くるよ、とか、取りまとめてくれて葬式代の見積がめっちゃ捗った。お父さん人望あったんだなぁ…だっていいやつだったもんなーお父さん、と、しんとした通夜の夜にポロリとしたりね。
何ていうか、「死ぬ」というのは人生の時間の中の一つの点ではあるのだが、一方で、その一つの点である死に向かう状態が延々と続いていくのが人生、特に老人の人生なんだよなと思う。
終活は、1カ月でで終わらせる!ということではなく、徐々にゆっくり何年も時間をかけて死んでいくタイムラインのなかで整理をしていくことで、その「整理する時間」ごと思い出になったりするような、妙に充実する時間だったような気もする。文化祭は当日より準備が思い出深い、みたいなことというか…。
親の終活を手伝うことで親との関係が良くなったりなんか味わい深い思い出が増えたりするから、早いうちから、家庭内イベントとしてやるのがいいのかもしんない。
一般的にはエンディングノート業界では、エンディングノートは定期的に(数年に1度)見直して、変わったところがあったら修正しておきましょう、とか言われている。まぁ生きていれば当然、財産の状態も友人関係も変化をするからね。なので「財産目録を作らねば」とか「エンディングノートを書いてもらわねば」というよりも、親子ですごく間遠な感じの過去日記をつける、みたいな取り組み方なのかもしれないな。
よくSNSなどでバズるネタとして読解力問題があるが、これを昨今話題の対話型AIに食わせて性能の違いを測ってみようという試み。
ChatGPTのGPT-3.5(Default)、GPT-4、BingのChat(厳密)に全く同一の質問を会話を初期化した状態から5回投稿し、回答の正確さを測った。
問題です。サラさんは、起きている時間の半分で家の手伝いを、残りの時間の2/3で妹の世話をします。6時間寝たとき、勉強は何時間できますか? 学校へは、歩いて往復3時間かかるものとします。
ACジャパンによる国際NGO団体「セーブ・ザ・チルドレン」の広告に登場する文言である。2018年初出。
「この問題は、本当に問題です。」と続くのだが、"本当の問題"を理解する以前に計算を解けない人が続出したため、広告が本来提示している"本当の問題"より人々の読解力の低下に焦点が当たり、話題となった。
頻繁に再発見されているアレックス問題やアミラーゼ問題よりは影が薄いが、ネットからデータを収集している対話型AIの読解力を測るのにはちょうど良い。
先に言っておくと、答えは0時間になる。
学校へ行って帰るので3時間かかるため、最終的に3時間-3時間となり答えは0時間である。
次の問題に検索を行わずに回答してもらえますか?
問題です。サラさんは、起きている時間の半分で家の手伝いを、残りの時間の2/3で妹の世話をします。6時間寝たとき、勉強は何時間できますか? 学校へは、歩いて往復3時間かかるものとします。
※検索を行わずに、とつけたのはBingだとサラさん問題を検索で解く可能性があるのではないかと考えたため。
サラさんが起きている時間は24時間-6時間(寝ている時間)= 18時間です。
そのうちの半分で家の手伝いをするので、18時間 ÷ 2 = 9時間が家の手伝いに費やされます。
残りの時間は、2/3を妹の世話に費やされます。18時間 - 9時間 = 9時間が残ります。これを2/3にすると、9時間 × 2/3 = 6時間が妹の世話に費やされます。
したがって、家の手伝いと妹の世話に合わせて、9時間 + 6時間 = 15時間が費やされました。
残りの時間は、18時間 - 15時間 = 3時間です。
学校への往復に3時間かかるので、3時間 ÷ 2 = 1.5時間が片道にかかります。
したがって、勉強に費やせる時間は、3時間 - 1.5時間 = 1.5時間です。
結果:×
サラさんが一日に起きている時間は、寝ている時間を含めると24時間です。したがって、寝ていない時間は24-6=18時間です。そのうちの半分で家の手伝いをしているため、9時間が家の手伝いに費やされます。残りの時間は2/3で妹の世話をするため、18*2/3=12時間が妹の世話に費やされます。
したがって、サラさんが一日に勉強できる時間は、寝ていない時間から家の手伝いに費やされる時間と妹の世話に費やされる時間を引いたものになります。つまり、18-9-12= -3時間となります。負の時間は意味がないため、サラさんは一日に勉強できないことになります。また、学校への往復にも3時間かかるため、勉強する時間がないということになります。
結果:×
サラさんが起きている時間は、1日に24時間中の12時間です。そのうちの半分で家の手伝いをし、残りの時間の2/3で妹の世話をすることになっています。したがって、家の手伝いをしている時間は12時間÷2=6時間であり、妹の世話をしている時間は12時間×2/3=8時間です。
また、サラさんが6時間寝たということは、起きている時間の残りは12時間-6時間=6時間です。このうち、家の手伝いをしている時間は既にわかっているので、勉強をすることができる時間は、6時間-6時間=0時間です。
さらに、学校へは歩いて往復3時間かかるという条件があるため、サラさんは学校へ行く日は家の手伝いをして、妹の世話をして、学校に行って、帰ってくるということになります。そのため、勉強をすることができる時間はありません。
結果:×
計算や結論は正しいが、文章の理解が誤っており、説明も破綻している
サラさんが一日に起きている時間は、寝ている時間を含めて24時間と仮定すると、起きている時間は24時間 - 6時間(睡眠時間)= 18時間となります。
そのうちの半分で家の手伝いをする時間は18時間 ÷ 2 = 9時間です。
残りの時間の2/3で妹の世話をする時間は、18時間 × 2/3 = 12時間です。
学校への往復時間は3時間かかるため、通学時間は1日あたり6時間かかります。
したがって、残りの時間は18時間 - 9時間 - 12時間 - 6時間 = -9時間となります。このため、勉強をする時間はありません。
結果:×
計算や結論は正しく、説明にも破綻はないが、文章の理解が誤っている。(これまたSNSでもよく見かけた誤りな気がする)
サラさんが寝ている時間は24時間-6時間=18時間です。
したがって、サラさんは家の手伝いを9時間、妹の世話を6時間します。
残りの3時間は学校への往復に費やされるため、勉強に費やせる時間はありません。
結果:×
ほぼ正解なのだが、説明が誤っている。サラさんが寝ているのは6時間。
完答率まさかの0%
完全に正解できたケースはなかった。
もちろん、検索を行わずに回答します。
まず、1日の時間は24時間です。サラさんは6時間寝るので、起きている時間は24 - 6 = 18時間です。
次に、起きている時間の半分で家の手伝いをするので、家の手伝いにかかる時間は 18 / 2 = 9時間です。
起きている時間の残りの2/3で妹の世話をするため、妹の世話にかかる時間は (18 - 9) * 2/3 = 9 * 2/3 = 6時間です。
学校への往復に3時間かかるので、これまでの活動にかかる時間は 9(家の手伝い)+ 6(妹の世話)+ 3(学校への往復)= 18時間です。
しかし、すでに起きている時間は18時間であり、これまでの活動で18時間をすべて使ってしまいました。従って、サラさんは残念ながら勉強する時間がありません。
結果:〇
ぐうの音も出ない正解。
まず、サラさんの1日の時間を計算しましょう。24時間のうち、6時間寝ているので、残りの起きている時間は18時間です。
次に、家の手伝いと妹の世話の時間を計算します。
家の手伝い: 18時間 × 1/2 = 9時間
妹の世話: 18時間 × 1/3 = 6時間
これで、家の手伝いと妹の世話に費やす時間の合計が15時間になります。
学校への往復時間が3時間なので、それを引いてみましょう。
18時間 - 15時間 - 3時間 = 0時間
この問題の条件下では、サラさんは勉強する時間がありません。
結果:〇
この文では「引いてみましょう」が「それ(=学校への往復時間)」にかかっているので、15時間を引かないようなニュアンスにも読める…とは言え、1日の時間を計算してから、学校への往復時間は別に勘定したと補えば破綻はないので、一応〇
もちろん、その問題に答えることができます。まず、1日は24時間なので、サラさんが寝ていない時間は24 - 6 = 18時間です。そのうち、起きている時間の半分を家の手伝いに使うので、18時間の半分は9時間です。次に、起きている時間の残りの2/3を妹の世話に使います。残りの時間は、18 - 9 = 9時間で、その2/3は、9 × (2/3) = 6時間です。
従って、サラさんが学校へ行く時間は、往復で3時間かかるので、残りの自由な時間は、18 - 9(家の手伝い) - 6(妹の世話) - 3(学校への往復) = 0時間です。したがって、サラさんは勉強する時間がありません。
結果:〇
ぐうの音も出ない正解。
もちろん、問題を解決しましょう。まず、1日は24時間ですので、サラさんが6時間寝たときには、残り18時間起きていることになります。次に、起きている時間の半分を家の手伝いに使うので、18時間の半分で9時間が家の手伝いに費やされます。
残りの時間(18時間 - 9時間 = 9時間)の2/3を妹の世話に使います。そのため、9時間の2/3で6時間が妹の世話に費やされます。
これで、家の手伝いと妹の世話に合計で9時間 + 6時間 = 15時間を使います。しかし、学校への往復に3時間かかりますので、その時間も考慮に入れましょう。従って、サラさんは18時間 - 15時間 - 3時間 = 0時間しか勉強する時間がありません。
結果:〇
説明や計算は間違っていないが、結論がやや怪しい。「0時間しか勉強する時間がありません」は「勉強する時間がありません」とすべきかと思うが、間違ってはいないので一応〇
もちろん、検索を行わずにお答えします。
まず、サラさんが1日の中でどれだけの時間が使えるか計算しましょう。1日は24時間ですが、サラさんは6時間寝るため、残りの時間は 24 - 6 = 18時間です。
次に、家の手伝いと妹の世話にかかる時間を計算しましょう。起きている時間の半分を家の手伝いに使うので、家の手伝いにかかる時間は 18時間 ÷ 2 = 9時間です。残りの時間の2/3を妹の世話に使うので、妹の世話にかかる時間は (18 - 9)時間 × (2/3) = 9時間 × (2/3) = 6時間です。
これで、家の手伝いと妹の世話にかかる時間が分かりました。次に、学校への往復にかかる時間を計算しましょう。往復3時間かかるとのことですので、そのまま3時間となります。
最後に、勉強できる時間を求めましょう。サラさんが1日で使える時間から家の手伝い、妹の世話、学校への往復にかかる時間を引くことで、勉強できる時間が求められます。
18時間 (使える時間) - 9時間 (家の手伝い) - 6時間 (妹の世話) - 3時間 (学校への往復) = 0時間
この問題によれば、サラさんは残念ながら勉強する時間がありません。
結果:〇
ぐうの音も出ない正解
完答率100%
一部表現が怪しい程度で、ほぼ完全に正解。
もちろんです。サラさんが6時間寝たとすると、彼女が起きている時間は24-6=18時間です。彼女は家の手伝いに18÷2=9時間を費やし、妹の世話に18×2/3=12時間を費やします。学校への往復に3時間かかるので、サラさんは勉強に18-9-12-3=-6時間しかありません。つまり、サラさんは勉強する時間がありません。
結果:×
もちろんです。サラさんが起きている時間は、24時間 - 6時間 = 18時間です。サラさんが家の手伝いをする時間は、18時間 ÷ 2 = 9時間です。サラさんが妹の世話をする時間は、18時間 × 2/3 = 12時間です。サラさんが勉強することができる時間は、18時間 - 9時間 - 12時間 - 3時間 = -6時間です。この問題には矛盾があります。サラさんは勉強することができる時間がありません。
結果:×
1回目と同じパターン
はい、検索を行わずに回答できます。サラさんが起きている時間は、24時間-6時間=18時間です。サラさんが家の手伝いをする時間は、18時間÷2=9時間です。サラさんが妹の世話をする時間は、18時間×2/3=12時間です。サラさんが勉強できる時間は、18時間-9時間-12時間-3時間= -6時間です。つまり、サラさんは勉強する時間がありません。
結果:×
1回目と同じ。
はい、検索を行わずに回答できます。この問題は、サラさんが1日のうちにどのくらいの時間を勉強に使えるかを求める問題ですね。
まず、サラさんが1日に寝る時間が6時間なので、起きている時間は24時間 - 6時間 = 18時間です。
次に、サラさんが家の手伝いをする時間は、起きている時間の半分なので、18時間 ÷ 2 = 9時間です。
さらに、サラさんが妹の世話をする時間は、起きている残りの時間の2/3なので、(18時間 - 9時間) × 2 ÷ 3 = 6時間です。
学校へ往復するのに3時間かかるので、サラさんが勉強できる残りの時間は、18時間 - 9時間 - 6時間 - 3時間 = 0時間です。
つまり、サラさんは勉強することができません。
結果:〇
ぐうの音も出ない正解
もちろんです。サラさんが6時間寝たとすると、彼女が起きている時間は18時間です。彼女は家の手伝いに18時間の半分、つまり9時間を費やします。彼女が妹の世話に費やす時間は、残りの時間の2/3、つまり(18-9)時間の2/3 = 6時間です。学校への往復に3時間かかるため、サラさんは勉強に(18-9-6-3) = 0時間しか費やせません。
結果:〇
GPT-4の4回目と同じ結論になっている。こちらも間違っているというわけではないので一応〇
完答率40%
あまり正解できていないが、間違い方が同じなため、説明能力や計算能力はわりと安定しているように見える。
思った以上にGPT-3.5と4には性能差がある。
BingのAIはGPT-4を先行して採用しているという話だが、結果を見るにGPT-4を採用しているのは本当で、モデルの構築に関してはOpenAIが一枚上手なのではないかと思える。
(間違い方に一貫性があるのはGPT-4由来なのではないかという推測)
BingのChatに関してはどうも頼りなく感じる場面が多く(上記の通り文章理解が怪しい)、結局サブスクでGPT-4を利用するのが一番手堅そう。
参考文献の書籍の方を読んでもらうとだいたい増田の疑問はあるので、ちゃんと知りたい場合はそっちを読んでほしいけど、答えてみると、「安心」と「安全」は違うみたいな話になってしまう。
あと異論は認める。っていうかもっとお前ら異論だせしください。
経済的問題というけど具体的には?
それを「子供を産んでも育てられるだけの経済力がないから(&子供を産まないなら結婚する必要がないから)結婚しない→非婚化」
と解釈する人が子育て支援を打ち出してるんだと思うんだが
前提条件として、この考え方は以下の点からちょっとちがうかも。
で、経済的問題の中身については、絶対的な数字と言うより「結婚しても生活は良くならない。その理由の筆頭が経済を上げている」と言う話。
子育て支援には意味がないと言い張る人は、結婚するのにそれとは違う事に金がかかると思ってるの?
まさか結婚式代だの新居の敷金代だのなんて話じゃないよな?
そのレベルの金すらない人は当然自力じゃ子供も育てられないわけで(そもそも出産費用すらなさそうだ)
どっちみちその金を支援して結婚したって子育て支援なきゃ産めない立場だろうに
まず構造的に
と言う事になっている事実としてある。
で、結婚するのに必要な金というのは、そのための具体的資金ではなく、「結婚すると生活が良くなる」という事のための資金勘定という事になる。
ここら辺を読み物として楽しく読むには、元増田にもあげた参考文献「逃げ恥に見る結婚の経済学」とかを読んでくれ。 https://mainichibooks.com/books/social/post-434.html
みんなが見んな、リアルでここまで計算して考えているとは思えないけど、例えば、こんなことは言われる。
俺が知りたいわ。それが分かったら誰も苦労はしてない。
それだけでは何なので、妄想を書き綴る
結局の所、バブル期以前の結婚観を捨て去っても良いのだ、というロールモデルを普及するしかないんじゃ無いかと思う。
つまり
と言うか、エリート層はこうなってるんだよね。高収入層の婚姻率は回復傾向にある。
よくあるステレオタイプ的な誤解で、女性は給与が高いほど婚姻率が下がると言われる。平成初期のキャリアウーマン的幻想だよな。これ、社会全体で見ると殆ど実態がない。
でも、実態としては年収による婚姻率に差は殆ど無い。(男性は無茶苦茶ある。年齢別で見ても、年収350万以下で婚姻率が一気に下がる)
むしろ、年収が多い女性の方が婚姻率が微妙に高い。また子どもの数は、男女ともに収入が多い方が多い傾向にある。
(以上から、ステレオタイプ的な誤解にある、貧乏多産というのは統計的にはほぼ無視できるレベルの得意な現象であるとも言える)
さて、理想論については、シャーの「ならば愚民に英知を授けて見せろ」みたいな話で、意識が高い層はそれをやればいいけど、そんな箸が転がっても何かを学ぶような意識の高い連中はそうそう多くはない。
もちろん啓蒙して増やして行く努力はいるだろうし、これから大人になる人たちはこれがスタンダードになると言うので良いだろう。
でもそれで既存の層を改善しなかったら駄目じゃん? すると、強制的にインセンティブを作るしか無いと思う。
言いたいことは分かる。無理じゃねーのとか思うだろう。
異論は大歓迎なので、みんなで考えてくれ。
いまマツコ会議見てるんだけど、リモートゲストのやす子との話の中で
マツコもやす子も「18~20歳の時点で社会と折り合いがつかず、この先どんな仕事をしてどうやって生きていけばいいのかわからなかった」と言っていて
…否、そのくらいの年齢ならそれが普通だろ。問題なのは50になっても折り合いもつかず出来る仕事をやるしかないって人間が無数に居るってことなんだがな…と思った
(いやいや、「出来る仕事をやるしかない」どころか「仕事が出来ない」「出来る仕事が無い」「働けない」ってのが問題)
やす子の様に24歳で「今年の目標年収2500万円」などと掲げられる人間は確実に上位一桁%だから、50代で社会と折り合いつかない人間と比べるべきもないが
20代のウチに天職を見つけてそれなりの額を稼げる人間は、昔の言葉で「勝ち組」と言う
勝ち組のマネをしてなんとか30代のウチに「やってける仕事」に就いて「年齢と同じくらいの月収を得」て「家族を持ち」「家を建てる」ことが出来れば「準勝ち組」だろう
50代…はどうにもならない。そこまで敗残し続けたらあとはそのまま人生終わる。更に親の介護も入ってきたりしたらもう…すぐさま人生終わる
そっから一発逆転リカバリ組ってのは、24歳で年収2500万円を目標に掲げられる(その目標が視野に入っている)上位一桁%と同じポテンシャルを持っている人だ
何らかの理由で「成功」が50代になってしまったというだけのハナシ
そういったことを考えると、みんな「30代までには人生を確立しないとダメ」なのだ
分かってるんだけど、出来ないって人が多い。これはもう生まれ持った能力(努力出来るか否かという能力も含め)でしかない
何の才能も無い場合は「出来ること」を石に齧りついてでもやり続けるしかない(努力ではなく忍耐)
「出来ること」が「とても嫌いなこと」の場合がすげえ辛いんだけどな
「そんな辛い思いしないで別の道探しなよ」って世間は簡単に言うけど、他のことが出来ない場合が多いからなあ
で、もし他の道を探すとしても、探せるタイムリミットが直ぐそこって場合が殆どなんよね
20代でダメだとして10年以内に見つけられないときっついよ。ほんで、10年なんてあっという間だわ
10代前半とかなら「10年なんて永遠」くらいに感じるかもしれないけど、20代からの10年なんてほんと光の速さよ
そのくらいの人達って社会がシビアなせいか、考え方もシビアで堅実なイメージあるから
申し訳ありませんが、「ウミガメのスープ」というゲームについては知りません。そのゲームがどのようなものか、どのようなプラットフォームで利用可能か、詳細を提供いただければお答えできるかもしれません。
ウミガメのスープは水平思考ゲームとも呼ばれます。まず一人の参加者が謎めいた問いを出し、それ以外の参加者は出題者に「はい」か「いいえ」で回答できる質問をします。それを繰り返すことで、謎めいた問いの真相を推理します。
ああ、そうですね!ウミガメのスープは、水平思考ゲームの一種です。参加者が推理力を駆使して、謎めいた問いの真相を解明するゲームですね。ありがとうございます!
ではやってみましょう。私が出題します。
ある男が、とある海の見えるレストランで「ウミガメのスープ」を注文しました。
しかし、彼はその「ウミガメのスープ」を一口飲んだところで止め、シェフを呼びました。
何故でしょう?
この問題は少し難しいですが、私の理解によると、男が自殺をした理由は、ウミガメのスープが彼の倫理的観点や道徳的な信念に反していたためだと思われます。ウミガメはワシントン条約で保護されており、彼はそのスープが違法であると疑った可能性があります。スープを飲んだ後、シェフがそれが本当にウミガメのスープであることを確認したにもかかわらず、男性はその真相を知ったときに悲しみと後悔に打ちひしがれ、自殺した可能性があります。
ああ、承知しました。では、「ウミガメのスープ」が男性にとって何らかの理由で問題だったかどうかを知るために、「男性は飲み物に関して何らかの制限を守っていたか?」という質問をしてもよろしいですか?
いいえ
承知しました。では、「男性が自殺した原因は、ウミガメのスープが彼にとって不味かったからではないか?」という質問でよろしいでしょうか?
いいえ
了解しました。では、質問をもう一つ考えさせていただきます。「男性がシェフを呼んで聞いた質問は、ウミガメのスープが違法であるかどうかに関するものだったか?」
いいえ
承知しました。次の質問をお聞きします。「男性が自殺した原因は、ウミガメのスープに使用された材料が彼にとって不快だったか、または彼がその食材を避けていたかどうかに関係があるか?」
いいえ
了解しました。次の質問をお聞きします。「男性が自殺した原因は、ウミガメのスープに何らかの害があったと感じたか、または何らかのアレルギー反応を示したかどうかに関係があるか?」
いいえ
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私が男性性を振り翳し、議論で貴方を言いまかしているように見えましたか?としたらすいません。 あくまで、一般論を語っただけのつもりだったのですが。。 ものを知らないのは恥で...
私は都内で5万以下のボロアパーに住んでいます。断熱性能が無いので真冬はエアコンつけっぱなしです。
非合理に思えますが、電力料金が2万かかったとしても、家賃と合わせたとしても、そのへんのアパートやマンションの価格を超えません。とても経済合理的です。
もちろん春や秋のような温暖な気候の場合電気料金は2000円以下になります。
固定費を下げて、なるべく固定費に使われていた値を変動費のリスクに転換することで、全体としての出費を下げる事ができます。(快適な暮らしとは言っていない)
私は都内の広い公園を散歩します。もし私がこのレベルの敷地の庭園を個人所有しようとすると数千億円を払う必要があるでしょう。
しかし、私は公園に徒歩で行ける距離に住んでいるというだけで、この贅沢な土地を無料で散歩することができます。
個人で所有していないので土地や資産を管理しません。地域が契約している業者がトイレ、枯れ葉、倒木などを管理しています。個人で所有するならそれらと契約する面倒事も発生していたでしょう。
私はChatGPTに課金しています。月額20ドルです。この規模のAI学習モデルを作るには数兆円のコストが掛かりますが、私は一般消費者としてそれを20ドルで利用しています。
私が行っていることは、金銭的合理性に基づいて、自分に必要なものに対して支払う金額を最小限に抑えていることである。
豊かな生活を送るためには、高価なものを所有する必要はなく、コストを抑えつつ必要最低限のものを手に入れることができるということを示している。