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はてなキーワード: 学童とは

2024-03-13

駄菓子からしか取れない成分がある

駄菓子無性に食べたくなる時がある。

子供の頃、交通公園(これ伝わるのかな)が家の近くにあり、そこの隣に駄菓子屋があった。

学校帰りに友達と、もしくは学童でみんなと一緒に交通公園に行った時に駄菓子屋によく立ち寄った。

学童の時は1人100円渡されて、何を買うかとても悩んだものだ。

占いチョコヤングドーナツ、あとフルーツの森。

紐がついていて、くじ引きのように引っ張るフルーツ飴が私は特に好きだった。

しょっぱい系だと、餅太郎ラーメン太郎よっちゃんとかかな。

そういえばきなこ棒を数本買って当たりを出し続ける遊びもあった。

いまは大人になり、駄菓子を手にする機会がめっきり減ってしまったけど、たまに思い出すあの懐かしさ。

いまなら100円と言わずもっと買えてしまう。

昔の自分からしたらなんと幸せな事だろうか。


駄菓子は安いからチープではある。だがそこが良い。

今度予算を決めて、駄菓子屋にいこうかな。

ちょうど暖かくなる季節だし、そのまま散歩も楽しそうだ。

2024-02-26

anond:20240226235237

この金額ならパートするよりもう一人作ったほうがいい。

の子供を育てるのにかかる金と労力は存在しない計算だろうか

月8万じゃ赤字だろ

パートやめたら保育園学童も使えず育児負担は増えるし

2024-02-22

anond:20160215171759

懐かしいなあ

そろそろ保育園終わってつぎは学童辺りにヘイトかましてる頃かな?

そうやって死ぬまで世間憎みながら生きていけ

2024-02-21

学童の父母運営って何するの?

国学校によって様々なのは分かるけど、

学童がほぼ父母運営らしく入るのを躊躇っている。

具体的に何してるかが気になる。

学校に併設された一般的児童クラブと言われているようなところも見たけど、ぎゅうぎゅう詰めで平日は良くても長期休暇に一日中入れるのは子供が飽きそう。

民間学童もいくつか観たけど、高い。

週2で3万、週5で7万くらい。内容はお勉強系+ピアノダンス教室オプション)もあれば、

勉強は少しで工作クッキングや室内運動できるところ、日本語禁止バイリンガル教育のところもあった。

中学受験を見据えた層が多い印象。

父母会のある学童は、学習塾くらいの密度で過ごしていたけど、一応公園に行って遊ぶ日もあるらしい。学年により1〜2万/月。

ほぼ自由時間のようだけど、現実的なのはここだけど父母会負担が大きいなら結局民間無料放課後教室を組み合わせた方が良いのでは?と思案中。

父母会の話だけでなく、どのタイプ学童でも良いから通わせた保護者感想が聞きたいのでよろしくお願いします。

ちなみに下の子乳児のため時短勤務があと4年使える予定。

2024-02-17

商業施設栄枯盛衰

イトーヨーカドーイオンも閑散度は似たようなもんだ、というブッコメに★が多く集まっていて(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/735015)、それを書いた人がどの立場でそう感じているのかは分からないのだが、それはとても正しい。ロードサイドだって平日はガラガラだというブッコメもあり、それもとても正しい。ただまぁ一方で平日は都心ファッションビルデパートだって閑散としてるし休日駐車場の入庫行列するようなショッピングセンターだって閑古鳥なので、そこの時間帯を比較することには、本件を読み解くためにはあんまり意味はない(このご時世に小売って厳しいよなーという文脈なら検討に値する視座ではある)。

まぁ、今のところはイトーヨーカドーが劣勢でイオン好調であるGMS世界というか小売業は本当に栄枯盛衰の移り変わりが速い業界で、イオンがいつまで好調を維持しているかも分からない。分からないが、これまでのところはイトーヨーカドーが降り、イオンが勝ち残っている。ヨーカドーが降りざるを得なくなった理由はいくつかあるが、それは客足以外のところにある。

「賃借」か「自己開発」か

イトーヨーカドー駅前店舗は、多くが賃借ビルの一棟貸テナントである。これはイトーヨーカドーが飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃には効率経営が高い(BS圧縮したまま事業拡大できる)として称賛されていた。少し話はずれるが、イトーヨーカドー地元商店街対立図式は、単なる客のパイ争い以上に「駅前再開発」に絡むものから、要するに再開発の線引きエリア外の商店主が怒っていたという側面もないこともない。

話を戻して。ただし賃借方式だと賃料を支払い続ける必要があるため、薄利な小売店にとっては経営のかじ取りが難しい。イトーヨーカドードミナント出店(回りをイトーヨーカドーだらけにして、低価格の目玉商品を大量投入して周囲の競合を脱落させる手法)が上手だったと言われているが、それは当該の前項記事にもある通りhttps://toyokeizai.net/articles/-/734323?page=2昭和時代ダイエーとの比較においてであり、駅前地域旗艦店GMSを置き周囲にSMを置くという手法は、次項に説明するが、消費者の買い物行動の変化に伴う商圏の変化に付いていけなくなっていたのだろう。ドミナントの難しいところは、囲い込んで他に選択肢を無くさせる過程の「手段」において安売りキャンペーンを続ける必要があるところで、そこも賃借だと館全体の利益を圧迫することになるというリスクもある。

また、イトーヨーカドーGMSであることをアイデンティティにしてきたためか自社のPB衣料品ライン損切りがかなり遅れたのだが、アイデンティティへの固執に加えて、もともと店舗が賃借であるためテナントを入れると自前で仕入れ商品販売や自社PB商品を売るよりも利ザヤが小さくなってしまうのがその理由だと推測できる。PB衣料品昭和の頃は「衣料品は腐らないから賢い」と称賛する人もいたんだけどね…。

一方でイオンは(買収や方針転換もあるので全てではないが)多くの施設が賃借ではなく自社開発だ。拡大戦略の初手から自分土地調達自分建物も建てる戦略発祥地方都市からということもあり「田舎の安い土地二束三文で借り(または買い)自前で建物を建て、広大な駐車場を持つ巨大スーパーGMSというよりも巨大スーパー)をあちこちに作っていった。

自前開発なので建物を建てたコストが償還できればその館の運営はかなり安定的に行えるようになる。またちょっと話はずれるが、イオンGMS店舗イオンモールも建物の作りはかなり安普請というかお金をかけない割り切った作り方をしていて、SCの競合であるららぽーとはもちろんゆめタウンよりも安普請。清掃などの館のマネジメントお金をかけていない(全てのイオンモールがこの限りではなく都市部店舗などはもう少しハイグレードになっているが)。この割り切りが、ある意味イオン現在までの堅調さを支えていると思う。

このイトーヨーカドーは賃借店舗が多かった、というのが、まぁ10年以上苦境が続いている最大かつほぼ唯一の理由じゃないかと思う。そして一つ歯車が狂うと、どんどんうまく行かなくなっていく、経営って本当に難しいな。

商圏の変化への対応

住宅郊外化が進んだことで商圏(客がどのぐらいの範囲から来るかの推測で店の形態ごとに違う)が変化した。スーパーマーケットの商圏が拡大する。毎日の買い物に車を使う人が増えて、駅前出店を中心にドミナント出店をキメてきたイトーヨーカドー駐車場の確保に苦慮することになる。イオンはハナから広大な駐車場が付いている。スーパーマーケットの商圏が拡大すると、駅を中心にした半径に「ドミナント城」を構えていようがあまり意味がなくなってくる。

そのタイミングイオングループは巨大スーパーの次の拡大策としてショッピングセンター開発を本格化する。イオン建物を自前で建てているのでテナントを入れたらまるっと賃料が入ってくる。ヨーカドーが賃借部分をまた貸しするのと比べると旨味が大きい賃料収入になる。要するにイオンモールは実は半分不動産事業デベロッパーである一般的デベロッパーが作るSCにはコアテナント・キラーコンテンツとしてスーパーマーケットを誘致するのが常なのだが、イオン自分がコアテナントであるのが最大の強み。

このビジネスモデルイオンは全国の「ここに商業施設は建つのか」という郊外ロードサイドバンバン巨大なイオンモールを作っていく。同時期にSC競合である三井ゆめタウンバンバンSCの出店拡大を行っていった。これで「家族日常の買い物」という消費行動における商圏が変化する。まずは商圏がいったん拡大(毎日の買い物でも車で30分のSCに)、そしてSCの出店が増えることで「道路網に沿うように」商圏が縮小(もう少し近いSCができたね)という順番で商圏が車前提に変化していった。ここでチェックメイト感は正直あったと思う。他デベロッパーのコアテナントでイトーヨーカドーが入ることはもちろんあっただろうがやはり賃借モデルなので利益は(イオンと比べて相対的に)小さくなってしまう。

イオンさらドミナント戦略も巧みで、多様な店舗ラインナップを作ることで出店用地を比較的選ばずに囲い込みができるようになっていたのもデカい。巨大SC、巨大SM、安売スーパー、小型店、コンビニなど、他の小売店の買収も効率的に使った出店戦略が巧みだった。イトーヨーカドーが、買収したSMチェーンを集約化する(「鳩のマーク」に変えさせるのが象徴的)のと逆に、ラインナップ自体を増やす方向に舵を切ったのが成功の要因だろう。敵がどこに出店しても、何らかのカードを切ることができる体制を作った強さ。イオンは買収したチェーンのブランドをしばらくそのまま使っていたりが全然平気なのだが、買収された店舗じわじわと数年かけてイオンに変貌する。怖いね笑。

商売うまいといえばイオン食品PBトップバリュ複数ラインアップを出しているがこれも恐らく同様の「多様志向」を捉えた戦略で、セブンアイおよびセブンアイプレミアムでやってきたイトーヨーカドーとの経営方針の違いが出ていると思う。ネット民に不評な「黄色トップバリュ」だが(美味しくないよね笑)価格訴求に全振りする商売上手ぶりは、要するに下請企業との関係を保ちながら「安いものが買いたい」客を掴めるし、グリーンアイという単なるグレード分けではないような見せ方がうまい消費者をよく見てるよなぁと感心する。会社として戦略的柔軟さがある(というかイトーヨーカドーが柔軟さがなさすぎるというか)


消費嗜好の変化、その他いろいろ

これは私見だが、「車で肉や野菜を買いに行く」ライフスタイルが定着した理由には、日本人共働き化も大きいと思っている。あなたも私もそうだが、働いている人たちは平日に買い物ができないからだ。休日デカスーパーに色々なものをまとめ買いする、という行動様式自体米国SCを生み出した国でもある)などを中心にすでに存在していたライフスタイルだが、これが日本に定着したことで、自転車で買い物に行ってる場合じゃねえ!という感じになる。一週間分の買い物は重い。保育園学童から子供を連れて帰る足で出来る買物はたかが知れている。

当該のブコメにもあったが、イトーヨーカドーがかつて誇っていた衣料品ニーズは、ユニクロなどのカテゴリーキラーが現れたことで魅力がなくなってしまってたがそれに気づけないままたぶん10年以上ぼんやりしてたと思う。IYGはぼんやりついでにそごう西武を買収して案の定うまく行ってなかった。よりによってそれを買うのか笑、という感じは正直あったけど、駅前旗艦店が華やかだったころの夢を組織が忘れられなかったのか。一方でカテゴリーキラー業界は活況を呈して、駅前にはヨドバシカメラが続々と出店していっている。栄枯盛衰…。

実はネットスーパーイトーヨーカドーの方が先んじて頑張っていた。頑張っていたが、どうも、生鮮品の配送は本当に儲けが出なかったらしい。また足元ではそもそも店員がいない」問題が起きていて配送している余裕がなくなっているという話もちらほら。

生鮮品の配送については巨大な「生協」という存在がいる。実は生協も、いくつかの狂信的ナチュラル生協以外は生鮮品の扱い量はそれほどは多くはないらしいのだが、卵や牛乳などを定期配送してくれて安全基準も高い生協の生鮮宅配が一強で、他の小売はどこも大苦戦しているよう。イオングリーンビーンズという宅配サービスを始めたが、さてどうなるかとワクワクドキドである

2024-02-15

振袖は着ない

振袖は着たくない。

2年前の成人式の時、漠然とそう思った。


大学卒業を控えた今のわたしも、やっぱり袴は着たくないと思っている。


2年前は自分でもよく理由が分からず、親や祖母は一生に一度なんだから着ればいいのに、と言い続けた。

だけど、成人式振袖の構図に乗っかるのはありきたりだから嫌だとか、親のお金で選ぶ=途中でやっぱやーめた、とかできない、心理的閉塞感が自分ファッション美学に反するだとか、適当理由を並べて回避した結果、それでも一応新しく買ったワンピースで、中高の同窓会みたいなやつに出た。(地元友達がいないので式自体は出ていない)


わたし振袖が見たいと主張していた祖父は前年に死んでいたから、わたしの主張に強く反対する親戚は誰もいなかったからだ。



そうして2年が経ち、現在卒業を控えているわけだが、袴はやっぱり着たくない。

最初は、2年前着られなかった振袖で出ようかとも思った。白地にバーンとでっかい鶴に椿とかを背負ってカッコよく決めたいな、なんて考えて、一度はその気になってフリソデモードに足を踏み入れてみたり、伊勢丹貸衣装を覗いてみたりした。

けど、親が寝た後の暗いリビングテーブルに、ぽつんパンフレットが置かれているのを見て、やっぱりなんか違うな、と唐突に思った。パンフレット幸せそうなモデルさんにイライラしてきて、もらってきたばかりだけど丸めゴミ箱に突っ込んだ。

表紙を一枚捲ると、「お母さんに感謝を」的な、そういう文言が書かれている。



お母さんに感謝

一理あるかもしれない。女手一つで育ててもらって、一貫に通わせてもらって、私大に入れてくれた。そのおかげで、悪くない職にもつけたと思う。いまいち活かしきれてないかもだけど、それはまずはありがとう

けど、わたしは忘れない。忘れていない。


幼稚園の時にヘアゴムを無くしたら、夜中までリビングに立たされて、父親が帰ってくるまで怒られたこと。裸足で踏むフローリングの冷たさ。布団に入っても温まらない足を手で握って擦っていたこと。


両親が離婚して、変わった苗字学童からかわれて悔しくて、帰り道泣きながら母親背中に話したら、「そのくらいで泣いててどうするの?」と逆に怒られたこと。自転車の後ろで、溢れる涙を押し殺して、声だけは気丈に振る舞ったこと。


テストの振り返りがちゃんとできていないといって、窓ガラスに向かって投げ飛ばされたこと。ベランダに締め出されたこと。投げ飛ばされたときは、これでわたしが大怪我でもすればお母さんも肝が冷えるかな、なんてのんきに考えていた。ベランダに出されるのは慣れっこだし、じっとしていればそのうち「なんで入ってこないの」て迎えにくるから大丈夫



正直、これを書きながら涙が止まらない。

ぜんぶ完璧に乗り越えたと思っていたけど、全然まだ、わたしのきずとして残っている。



振袖を着ない」というのは、親への復讐だ。



「お母さんに感謝を」というキャッチコピーを見た瞬間、わたしはそのことを理解した。

母とわたしは今では普通に仲良しだ。だけど、今までの人生で、何度も辛い目に遭わされてきたし、わたしはそのことを許していない。だから母親に、「普通母親享受できるはずの幸せ」を与えたくないのだ。だから振袖を着たくないと思ってしまうのだ。


メカニズムを把握した瞬間、振袖に対するもやもやした未練は消え去り、親への復讐という素晴らしい目的のためになんとしても今回も、袴および振袖回避せねばならない、という使命感で高揚してきた。というか、今までの所業を「振袖姿を見せない」だけで精算してやろうというんだからわたしは相当心が広いんじゃないかとすら思えてきた。だよね?


言って仕舞えば後もう一つ理由はあって(似たようなことだが)わたし結構完璧主義なのだけど、「振袖とは心から完璧に祝いの気持ちで着るものだ」と信じている。だけどわたし卒業を大してめでたいことだと思わないし、親には複雑な感情があるしで、そんな状態人間振袖を着てニコニコするというのは言うなれば振袖というものに対する「解釈違い」なのだ。だからやりたくない。



ここに書いたことは流石に母本人には言えないが、誰かに聞いてほしいのでここに来た。ご清聴ありがとう

丸めゴミ箱に突っ込まれパンフレットをみて、翌朝の母親が少しでも心を痛めることを願って。



2024-02-08

学童保育」のことを「学童」と略すのはやめろ

学童」を辞書で引いてみろ、「児童」っていう意味だぞ。

子どもを預けるあれは学童保育。

それを学童って略すのは、認定こども園を「こども」って略すようなもんだ。

でもまあ普段の会話ならいいとしよう。

ありえないと思ったのは、テレビニュースでも学童保育を学童って呼んでいたこと。

おかしいだろ。

2024-02-03

テレビでやってるドイツカルテエッセンって文化

夕食はあまり火を使わないってやつ

息子の嫁が言ってたなあ

嫌な文化だとしか思わなかった

朝はお母さんのたてる包丁まな板の音で起きる

家に帰れば台所に立つ母親背中と夕食の匂いをかぐ

そうやって子供健全に育つと思うんだよね

あなたの選んだ私の息子だってそう

事務服やオフィカジの仕事着の母親学童保育園に迎えてきた子供ちゃんと育つ未来が見えない

孫には期待しない

嫌な世の中

2024-02-02

anond:20240202091057

小学生の頃に通っていた学童クラブでは節分大豆アルファベットチョコを投げていた。

投げたもの最後にみんなで拾って食べる。

私は卑しい子どもだったので大豆には目もくれずアルファベットチョコだけ狙って拾ってたぞ。

2024-01-27

anond:20240127074442

学童使わないの?金出せば宿題くらいは見て貰える私立学童あるよ

2024-01-25

anond:20240125184027

それあくま任意で、認定されるとそう広告できる、ってだけの話だし

そういう広告さないと集客出来なくなるであろう塾や学童なんかはともかく舞妓だの宝塚だの吉本だのは最初から認定受けもしないと思う

2024-01-20

放置子って昔でいう鍵っ子

うちも母子家庭放置されてたけど、学童クラブに通ってたからまだマシだったのかな。

まあ学童クラブ民度は良くなかったけど。

放置子は学童クラブにすら行かせてもらえてない子どもってことかな。

母曰く「子どもは放っておいても勝手に育つと思ってた」とのこと。んなわけあるかーい。

2024-01-18

anond:20240118160442

そこまで面倒なママ友付き合いはなかった

子供の行き来がある家の親とは連絡取り合えるようにしてるぐらい

幼稚園だとみんな暇だから送り迎えのついでにランチいったりだのなんだの面倒らしいけど、保育園学童だと親が忙しいからそこまで密な付き合いない

2024-01-16

anond:20240116214435

そんなに幼いのに学童も行かせず一人で留守番させてんの?放置子

2024-01-09

anond:20240109114000

本当に10年住むなら学区とか(地価高い地域っぽいし良さそうな感じはするが)小学校への通いやすさ、

通える範囲の子供の習い事や塾の選択肢豊富か、なんかも考えなきゃならなくなる

(1400万稼いでるんだからそれなりに教育には拘りあるだろ?)

奥さん退職して今後ずっと専業予定なのか、それとも再就職予定とか一緒に同地域に転勤させて貰って辞めない予定とかなのか

後者なら近くに保育園学童があるか&入れるか(今でも待機児童が多くて入れない地域はある)も考えないと

前者にしても近くに専業でも入れる幼稚園があるか・入れるか。幼稚園と言いつつ実際はこども園って罠もあるぞ

2人目の予定はあるのか、あるなら何年後か。上の子連れて産科通いが出来るかどうか

そこまで考えずとりあえず当座の生活出産乳児育児が出来る所ならそれでいい、その後何らかの支障が出たら引っ越せばいい、って考え方もありだけど

2024-01-08

anond:20240107195530

でもこの作品、どんどん両親の不仲が露見されて、ちょっと読み聞かせにはどーなんだ、と思う展開に… 声に出して読みたい美しい表現が満載、かつ子供想像力掻き立てるちょっと不思議が混ざっていて、素晴らしい学童書だと思うのだけど、そこだけが…。小3くらいで自分で読むようになるとピタッとはまる気がする。

2024-01-05

anond:20240105115541

ワイはずっと受験産業から有能講師を連れてきて学力責任を持てって言ってるやで

 

あとイジメとか起こるからリモートでいいだろって言ってるし、

リモートだとついていけないとか子どもが家にいるとーとか言ってる学校託児所勘違いしている毒親親権停止しろ言ってる

毒親とかじゃなくて親が犯罪者の子ども用に逃げ込める施設とセットかなぁとは思うけどな

あと学童みたいなところでリモート授業受けさせることも可みたいなのでもいいかもね

2023-12-22

anond:20231222170633

関係ない日本人の御気持ち批判とかそんなことよりも、連れ去られたとされてる2万人!だかの学童の件はどうなったんだ?🤔

2023-12-20

何かを本気でやり始めるハードルが上がっている

例えば音楽

昔は太鼓ギター感覚的にたたいたり、弦を弾いたりから始められた

でも今の主流はDTM

DTM音楽を作っていくにはソフトインストールから音の設定方法、重ね合わせなど事前に勉強しないとほとんど何もできない

別に昔ながらのやり方で、適当に弾いて、適当に歌って、それをブラッシュアップしていく方法もなくはないけど、圧倒的な才能が必要になる

他の例なら野球

昔なら適当に投げて適当に打ってから始まっている

でも今は厳密にルール化されており、タッチプレーフォースプレイインフィールドフライ牽制球ボークピッチクロック学童なら球数制限など

覚えることが多すぎる

文化成熟進化するってことは便利になる反面、物事を突き詰めようとする際の労力が多くなるということなのかもしれない

2023-12-14

教育委員会最後に取り組んだ課題 <其の三>


(前part)

https://anond.hatelabo.jp/20231213191557

3. 若手職員のB君

直情的なタイプだった。怒りだろうと悲しみだろうと、感情の振れ幅が大きいタイプである

最初の方で説明した場面で、職場コピー機が置いてある台を蹴っていたのが彼になる。傍目から見ても、「どうして採用されたのだろう……」と疑問が湧いてくるほどだった。

ストレスには耐えられないし、自分勝手スタンドプレーは多いし、立場が弱い人間には辛く当たるし、自分は凄いといった主張をしていた(「俺の親、若くして自治会長だから!!」など)。相手意見曲解することが多かった。

私も手痛い思いをしたことがある。私がいた指導課には住民基本台帳ネットワークシステム戸籍課や税務課の職員が使っているものと同じ)があったのだが、B君は特に許諾もなくそれを操作し、職務遂行必要個人情報を入手していた。本来であれば事前申請を要するし、厳しい自治体だと戸籍課以外の職員によるシステム操作を認めない。これが普通である

ただ、ほかの部署から個人情報取得の依頼があった場合でも、身内だからということで、口頭による承認で住基システムを使わせることはあった(課員への一言)。能率を考えてのことだ。が、B君の場合は明らかに一線を超えていた。職務遂行必要であることがわかるが……一度だけ、彼を思い切り叱り飛ばしたことがある。以降は、口頭で課員の承認を得てからシステムを使うよう徹底させた。

ところで、あなた職場にもいるのではないか仕事でも家庭でも趣味でも、何でもいい。ストレス精神的に潰れかけた人間の姿である。B君は、元々コミュニケーション能力に難があった。いわゆる話がわからないタイプだった。

残業も多かった。指導課や学事課の教員出身者と同程度と仮定すると、おそらく月60h~70h程度か。彼の上司は「仕事をたくさん振っていないのに……なぜ?」というスタンスだった。

市職員場合は、予算がある限り時間外勤務手当が支給されるという。私が若い頃だと、時間外勤務をしていないのに、予算消化のために闇残業を認めるという慣習があったほどだ。

教員出身者の場合は、月20hまで支給されていた。学校現場から教育事務職に移った者にとって、長時間労働サービス残業は避けて通れない。この試練があるからこそ、一定基準に達した教育人材を育成することができている。

人は光を求める。そして、その光の見える方向へ動いていく。教職員にとっては、教育に関する哲学、という光を見出すための修行の場こそが教育委員会である。量・質ともに圧倒的なレベルでの修行。厳しい体験を幾度となく積み重ねるから人格能力が磨かれ、玉になっていく。

さて、彼の上司はB君を徹底指導して残業縮減に務めた。だが結果は出ない。残業縮減の効果は僅かだった。ところで、B君の場合学校歴がよかった。地元の名門公立高校卒業して、大学も相応のところを出ていた。地元的には血筋もいい。それが採用に繋がったのだろう。

縁故が悪いか? といえば時と場合による。一概に悪いとは言えない(ex.公共学童クラブ指導員は、その多くがスカウトである特に男性場合はほぼ100%だ)。教職員採用試験においても、学科面接試験の点数以外で、非公式評価すべき点というのは確かにある。

行政一般事務職員のことはよく知らないが、彼らと仕事をしていると、確かに地元において血筋がいいとされる人に仕事のできる人が多かった。※主観的統計である

高等学校入学試験ですらそうだ。学科試験以外で評価される要素がある。内申点などは、その典型である。本人の人柄や人格学習態度や常識力、社会への順応性が点数化される。内申点以外にも、+-の評価がされる要素も一応はある。

プラス評価の例としては……今では絶滅した慣習であるが、昔は公立校でも縁故による入学があった。とある高等学校の名門運動部などが、どうしても○△中学校のあの子がほしいという場合、事前に保護者児童中学校側と話をつけておく。かくして3者が合意に至った場合入試前に合格が決まっていた。内申点中三期を満点にするなどして対応する。

マイナス評価の例としては……生活習慣だろうか。公立高校入学試験の基本は、学科試験内申点の合計で決まる。とはいえ、点数に関わりなく不合格になるケースもある。こちらは犯罪行為であるとか、補導されるのを繰り返したとか、入学試験の際に相当奇抜なことをしない限りは関係ない。

ただ、その子合格基準点に達していた場合でも、入学試験の要綱要領に定めのある範囲不合格になることはありうる。欠席数が極端に多かったり、在学中に異常な行動を繰り返したなどが内申書に書いてある場合だ。学校教育とはいえ高校側も不用リスクを取りたくない。名門とされる公立高校問題児が少ない理由ひとつである

B君の話に戻ろう。その年の夏頃に聞いたところだと、どうやら事件を起こしたらしい。

梅雨が明けた頃に、霞が関新卒キャリア官僚研修にやってきたという。T区の各部署を廻って地方行政の実務を学習するのだ。T区は、その年の中央省庁研修先のひとつに選ばれていた。

キャリア官僚達は、ごく普通にT区の歴史や成り立ちを勉強して、地方行政の実務を視察して、心ばかりの現場仕事をこなして、一週間ほどで霞が関に帰る――はずだった。

最後の日に行われた交流会(飲み会)で、B君はやってしまった。喫煙所よもやま話で聞いたところだと、以下の流れだ。

国土交通省官僚が酒を飲んで調子に乗る

 ex.研修部署部長肩に手を置く、女性職員の体に何度も触る、別省庁のキャリア官僚に「ぶっ殺す」と発言するなど

飲み会最中にB君が頭にきて、国交省キャリア口論になる

国交省キャリアが「お前の区の国庫補助金ゼロにするからな」と言ったところで、B君がキャリア官僚を蹴り飛ばし、馬乗りになる

④ほかのキャリア官僚とB君の部署係長が、彼を羽交い絞めにして止めた

……気持ちはわかる。侮辱されて悔しかったのだろう。だが、いくら何を言われようと、暴力だけは駄目だ。確かに、若手官僚場合調子に乗っている者は一定数いる。子どもの頃から勉強勉強を重ねてきた自負があるとともに、仕事では自分の親ほどの年代から神輿を担がれるような扱いを受けるのだから調子に乗るのも当然である(上に出てきた国交省キャリア東京大学卒だった)。

かくいう私自身も、文部科学省事業査定担当であるとか、会計検査院検査官から相当辛辣なことを言われたことがある。だが、怒りの感情に囚われてはいけない。駄目なのだ

人間はいかなる状況の下においても、自己衝動をそのまま表に出してはならないし、出すべきでもないし、さらに言えば、出したいとも思わない、という主張はまったくの真実であり、妥当見解であると私は考える。衝動制御することができるし、制御しなければならない。それは現実要請というだけでなく、一人の個人としてのまとまり一貫性および価値観要請でもある。突き詰めて考えるならば、人生には実存葛藤解決不能問題さらには、あることのためには別の何かを諦めなければならないというような状況が数多く存在しているのだ。こうした状況こそ、人間が生きる上での本質的条件となっているのである。何らかの葛藤が常につきまとい、ある方向へ進もうとすれば別の道を諦めざるをえない。人間はこうした状況に苦悶しつつ、自己制御しながら生きていかなければならないのだ。 完全なる経営(2001) A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳) P.295



私とB君が教委事務局で一緒だったのは一年だった。その年は、社会教育課にとって厳しい年だったらしく、彼は相当追い詰められていた。年度末の三月時点では、まるで50代のごとく自分が思ったことを脊髄反射で口に出すようになっていた。

声をかけようか、とも思った。あまりに辛そうだったからだ。係長課長も、彼を見放しているところがあった。どれだけ残業が積み重なろうと、仲間によるフォローを呼び掛けたりはしなかったし、むしろ失敗に対して反省文を書かせていた。

B君は、口に出すのが憚られるほど救いようがなかった。もし、上司や仲間にとって彼が『かわいい奴』だったら、こんな事態にはなっていない。彼は、実際に不良な人間だった。職場の仲間から非人格的な言動咎められるのはまだいい方で、はっきりいって見捨てられていた。自業自得だった。

しかし、やはり可哀想に感じることがあって、廊下をすれ違う時やトイレなどで「元気?」「今日は温かいね」「辛くないですか」など声をかけることがあった。

それから、彼がどうなったかというと、真相を確かめたわけではないのだが……私が定年になる前に退職したらしい。別の部署に異動しても活躍できず、しかしながら、何の因果だろうか――霞が関への出向を命じられたという。省庁までは不明

本来名誉であるはずだが、その出向期間中退職を申し出たということだ。もしや、生贄型の出向だったのだろうか?

現代社会において、感情が表に出るタイプ人間しんどいのだと思う。彼が今、どうしているかはわからない。ほどほど幸せにやっていることを祈っている。



4. サイコパスのC係長

先ほどの2.3.でいうところの係長にあたる人物だ。この人は、冷血漢と呼ぶにふさわしい人間だった。サイコパスとは書いたが、私は臨床心理学碩学ではない。仕事熱心で、結果を求めるタイプだったのかもしれない。目的のためであれば何でもする人だった。思い出してみる。

例としては、部下の叱責だ。普段は物静かで、部下の相談や報告を聞いている。が、一定レベルの何かに触れると怒号を発する。

係長「お前、こないだできるっていったよな!」

若手部下「すいません」

「なんでできねーんだよ」

「……なんとかします」

「言ったな? じゃあしろよ。今週末までだ」

はい。やってみます……」

※部下ができなかった場合は、定時を過ぎても何十分でも説教していた。そして、できるまで残業をさせる。

後は、イベントだろうか。市区町村においてイベント主催する部署はいくつかあるが、教委事務局もそのひとつである教育○○大会などの厳かな発表会もあれば、○○総合フェアなど若い人や家族連れが多く集まる文化的ものもある。

さて、そのT区にとっての○○総合フェアの時だった。毎年過ごしやすい季節に、とある大公園で実施されるのだが、50以上もの出店が立ち並ぶ大イベントだった。

その年のイベントは、残念ながら雨天だった。初日は少雨で済んだものの、翌日以降の天気は崩れる可能性が高い。社会教育課は、教育総務課・指導課と並んでイベント主管課のひとつだった。

その初日の、夕方~夜にかけてのことだった。教育長を始めとする幹部職員が現地に残って、明日以降の対応を話し合っていた(ほかの教委スタッフは全員帰っていた)。主な論点は次のとおりである

□ 雨天の場合の中止ラインは?

イベント会場は維持できるのか?

□ 中止の際の広報手段は?

上記3点のうち、2点目がなかなか結論に至らなかった。イベント会場には、テント備品も野外展示物も並んでいる。風雨によって損傷する可能性があった。そして、2点目の解決手段提示したのがC係長だった。

彼は、「業務委託している会場警備員がいるでしょう。数十人。彼らにやらせましょう。折り畳み式テント(※鉄パイプではない)の屋根を低くする作業や、野外展示物の収納もです」といったことを述べた。

私は「それは契約内容に入っているのですか?」とC係長に問うた。すると、彼は「緊急事態です。契約内容にあろうがなかろうが、現場の指示に従ってもらわないと」と言っていた。

教育局長は「後で問題にならないか?」と聞いたが、「私の責任で収めます」と彼は返した。教育長に「本当にできるんだな?」と聞かれると、「問題ありません。警備の発注は当課です」と返していた。ここから先はうろ覚えだが、C係長は警備会社現場責任者と交渉を始めた。

夜7時頃だったか。私がトイレに行く途中で、社会教育課長とC係長、警備会社ロビー交渉しているのを見た。当然ながら、相手方は渋い反応だった。

私はそのままトイレに行って、また帰り際にロビーを通りかかったところ、「契約切るぞ。ええんか!?」というC係長の声が聞こえた。この人は、気分が高まると大体こうなる。

以下、会話を手帳メモしているわけではない。思い返してはいるが、やはりうろ覚えである

「切るといっても来年からね。今年はもう契約してるし。来年は、こちらの権限でほかの警備会社契約します。それでいいなら、あなた判断で断ってください。テント作業OKなら、これから私の責任で指示しますが」

「いや、でも。ちょっとの量じゃないでしょ? テントの数は何十個もあります。それをひとつひとつ、高さを下げていくんでしょ? それはもう――」

あなたが決めるしかないでしょ。責任者なんだから。この時間あなた会社上司がいるんなら電話で伺ってください」※このあたりから方言になる

判断ができません」

「毎年、あんたの会社契約しとるんやぞ。しっかも言い値で。本来なら正式競争入札せんといか金額やのに。こういう時のために、うちは権限使っとるんやぞ。官製談合みたいなこと、してやっとるんやぞ。俺らとあんたの会社のためを思って。で、上の人間電話するか、あなた判断で決めるかのどっちかや。あなたが決める場合は、契約切られても全部責任とるんやぞ」

「……」

「俺が責任を持つ。あんたが上司に怒られんようにする。後で言っとく。知り合いだから。頼む!」

「わかりました。指示をお願いします」

係長のこの判断が正しかったのか、誤っていたのか。今でもわからない。

結果だけ見れば正しかった。その夜は雨も風も激しかった。(鉄パイプ式でない)テントを張ったままだと、風雨で確実に潰れていた。テントや野外展示物を片付けるといった作業絶対必要だった。それを怠って、一般スタッフを帰した私たち幹部の落ち度である

手続き的には違法である。正しくない。警備会社ロハで使ってしまっている。C係長のことだから、きっと事後処理はうまくやったのだろう。あの後、彼やその上司処分を受けたという話は聞いていない。

個人的には、C係長の行いは正しかったように思える。実際、あの場面だとああするしかなかった。組織のために泥を被ってくれたとも言える。ただ、それが未来に繋がる行為だったかというと怪しい。

例えば、テント崩壊する未来を選んでいれば――教委事務局が「組織として学習」することができていた。それがいい未来につながった可能性もある。

(次part)

https://anond.hatelabo.jp/20231216182406

2023-12-13

異次元少子化対策考えた

正直、俺の子種が未来に貢献できる見込みがないもんで、政策を考えてみたってワケ。

ちょっと邪悪なやつ考えついちゃったんで、増田にだけこっそり教えてあげるね。

 

 

具体的な政策だけど、フェムテックって最近人気じゃん。

あれの流れで、花王とかユニチャームの、生理用品の商品開発に補助金を出すんだよ。

「より付加価値の高い生理用品を社会に普及させ、女性もっとのびのびと活躍できる社会をめざして」とか何とか言ってさ。

するとどうなる?

企業基本的に金の亡者から補助金目一杯もらって商品開発してくれるじゃん?

金の亡者は開発した商品を売り出そうとするじゃん?

金の亡者は新しい商品には新しいオサレなPKGとクリエイティブをつけて、付加価値高いブランニュー商品ですよってお高めで売り出すじゃん?

まり生理用品が値上がりする。

 

もちろん安い生理用品も変わらず売られるワケですけど、覚えてますか?15年ぐらい前は、アジエンスとかLUXが一本800円で高級シャンプーみたいな扱いだったの。

いま800円のシャンプーとか、中堅でさえない「安いシャンプー」の部類ですよね?

生理用品でもそれをやるんですよ(この辺について、「いやいや生理用品は昔の5倍ぐらいの価格になってっから。クソオスマンスプ消えろ」とかあったらごめん。生理用品の価格感の推移を私は実際知らないので、有識者おしえて)

でまあ、出産終えてほとぼりが覚めた頃に女が友達と言うわけ。

「しんどかったけど、妊娠中と出産後は生理なくてほ〜んと楽だったわぁ〜」

生理戻ってきたら毎月XXXX円飛んでくの鬼やばたにえん〜」

「それな〜」

みたいなことをね?

(ここの会話は、喫煙所で「タバコ高いッスよね〜」「タバコ辞めたら毎月XXXX円使えるって思うとエグいよね」「それな〜」みたいな話を基にしており、「いやいや生理とヤニ一緒にするとか沸きすぎだわヤニカス消えろ」などあったら申し訳ございません)

 

 

……いや、書いてて思ったけど迂遠すぎるかもな!

そんで流石にいくら女さんがあれでも生理用品買うのしんどいか自分妊娠すっか〜とはならんかな。冷静に考えて。

  

 

せめて以下のようなクソ面白くもない対策も一緒にやるといいと思います

出産一時金とかのクソセコイ話は産院と国の間で全部やってもらう(産むのはタダにする)

妊婦であれば保険証だとか身分証明だとか何か書類だとかなくてもとりあえず診てもらえるようにする。何なら名前も書かなくてよくする(産むのはタダにする)

妊婦であればいつからでも入院して産後1ヶ月ぐらいまでは生活の面倒見てもらえるようにする(産むのはタダにする)

・もし妊婦が望めば、カウンセリングぐらいはやったほうがいいと思うけど子供を国が預かれるようにする(産むのはタダにする)

・全部の中学校高校大学保育園を併設して、月一ぐらいで若いやつが子供遊んだり世話したりするようにする(子供を好きになってもらう)

学童とか幼稚園ぐらいの感じの雑に子供を見といてくれる施設を作って、地元の爺さん婆さんを大量に非正規雇用で雇う(子供を好きになってもらう)

 

 

みんなも最強の少子化対策考えて教えてくれよな!

2023-12-12

教育委員会最後に取り組んだ課題 <其の一>


約三ヶ月前、社会人生活区切りをつけた。当方は、はてなユーザーの中でも高齢である一般的な定年はとうに過ぎている。社会人として40年以上生きてきて、得られた知見といえば……大したものはない。

ただ、今回どうしても書き綴ってみたいことがあり、筆をしたためることにした。書式については、ほかの増田の方に合わせるものとする。難しい漢字も、できる限り平仮名とする。

このエントリは長い。ゆっくり読んでいただけるとありがたい。

書き上げたのは本日12/12だが、推敲関係で五回に分けて投稿する。土曜日には終わるだろう。

私の教員としてのキャリアは、都内にある中学校から始まった。大学を出てすぐだった。今思えば懐かしいが、あの時代に戻れたとしても今の方がいい。時代は進んでいる。

あの当時はアナログだった。電話はあるが、パーク保留(1機で複数保留ができる)といった機能はないし、パソコン事務所に1台あるかないかだった。各学校コピー機はあったが、今と違ってコピーされた物のコピーは悪手だった。印刷すればするほど色が薄くなる。濃淡調整機能などあるはずもなく。

学童についても、今に比べれば悪ガキがたくさんいた。今の子どもに比べると、暴言暴力が明らかに多い。「人は教育を受けることで初めて人間になる」というのは、初等教育学のテキストにある基本的な考え方である

さて、昔ではなく今の時代を観ていたいのだが、心がどうしても時代を遡ろうとする。この日記表現したいことは、今から約十年前の出来事である。この度日記にまとめたのは、教委事務局に勤めていた時に最後に取り組んだ仕事ひとつである。残念ながら、教育のものに関することではない。※当時の関係者は全員退職している。

要約すると、某地方自治体にある教育委員会の中に社会教育課というのがあった。その部署というのが、区役所の中のいわゆる問題のある職員が集まるところだった。区内の教員指導する部門の長をしていた頃の私は、すぐ近くで醜い言い争いや、低次元行為がなされているのを幾度となく目の当たりにした。

彼ら彼女らの言動には、ほかの教委職員も腹に据えかねていた。そして、ある年を境として、何度も本庁と協議交渉を重ねた結果、教育委員会という組織から社会教育課を放逐することができた。

本当に苛々とした日々だった。その分、悲願が叶ったと知った時の喜びは至高だった。今でも解放感が脳裏に蘇ってくる。

これから私が話すことは、人によっては相当厳しい。負の次元に堕ちた地方公務員の姿を垣間見ることになる。それでもよければ、読み進めていただきたい。

私はもう経済社会を完全に引退している。書き綴る出来事もだいぶ前のことだから、元いた組織迷惑にはならないだろう。何かあった場合は、私が責任を取る所存だ。

トピックについては、1.から6.まで用意している。具体的な職員エピソードは2.~5.である。6.において、社会教育課との決着について書かせてもらう。



1. 一部署としての教委事務局社会教育

教育委員会(≒教委事務局。教委。以後は同じ意味として扱う)とはどんな組織か? というと、早い話が地方自治体学校教育に関する意思決定事務企画・調整・一般的管理行為)を行う組織である

地方自治法昭和22年法律第67号)

第180条の8 教育委員会は、別に法律の定めるところにより、学校その他の教育機関を管理し、学校組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取扱及び教育職員身分取扱に関する事務を行い、並びに社会教育その他教育学術及び文化に関する事務管理し及びこれを執行する。



教育長が責任者となって所掌事務教育改革・首長への提言その他を総理し、教育委員が集まる会議議会のようなもの)で可決された教育内容が自治体内の学校において実施される。

かつての戦争の折、行政暴走行為によって学校教育が歪められてしまった経緯がある。地方行政主体から教育機能を切り離して、教育活動全般に関する権限を有する行政委員会としての役割を与えた。

実際のところは、市区町村本庁舎の一部を間借りしている教委が大半である役所の中に多くある部署ひとつとして位置付いている。

なお、本舞台の教委については、自前の事務所を有している。

市区町村場合人員配置例を以下に示す。

教育長)…都道府県教委が教員出身者の中から有望者を選定

      (地域が推薦する場合もあり)

教育委員)…市区町村地元有識者功労者を推薦する

指導課)…都道府県教委が教員の中から査定者を人事異動させる

学事課)…指導課のような教職員出身者と市区町村職員による合同チーム

社会教育課)…上に同じだが、教員出身者がいないこともある

文化芸術課)…〃

(総務課その他)…ほとんど市区町村の一部署と変わらない

学童クラブや児サポ)…教委が有望者の中から採用・選定をして運営

 ※以上、部署名などはできる限り一般的名称使用した

そういうわけで、私の場合上記でいうところの指導課(各学校指導方針を所管)や学事課(学校事務を所管)に籍を置いていた。あれは、新卒教育現場に配属になって十年少々だったか。ある年の人事異動で、そろそろ別の学校に異動になるかと考えていたところ、教委事務局への配属を告げられた。

それから数十年、学校現場に戻ったのは二度だけだ。一度目は中学校教頭として、二度目は校長として。その前後にも、私はやはり教委に籍を置いていて、より高い視座から教育活動のあり方を見直すことや、新しい学校を作る、あるいは廃止するといった仕事に取り組んだ。

最後課長職員としてキャリアを終えた。その後は、いわゆる名誉職といった扱いの教育仕事に数年だけ取り組んで、先日正式にこの仕事から引退した。

タイトルにある出来事は、社会人生活の中でも相当後半にあたる。都内にある中学校教頭としての務めを果たした後、ある年の人事異動で教委事務局課長職として配置された頃の話である。期間としては三年間だ。

教委事務局の中でも、ほぼ真ん中あたりの奥側に指導課長である私の席があった。「ようやくここまで来たか」と思いつつ、課員全員が見渡せるデスク腰掛けようとした時だった。言い争う声が聞こえるではないか。何時かは忘れたが、おそらく正午前だった。

社会教育課の事務スペースで、複数職員が言い争いをしていた。若い子と、中年ほどの男性女性職員だった。どういう構図かは全く覚えていないが、低い次元の話をしているのはすぐにわかった。公務員以前に、社会人として使うべきではない語彙や、極めて高圧的な物言いが見て取れた。

話し合い(口論)を少しばかり眺めていたが、最後男性職員女性職員から詰問を受け、ちょうどかかってきた電話を取る形で逃げて終わった。若い職員は、舌打ちをしてその場を後にしつつ、コピー機が設置してある台を蹴っ飛ばし事務室を出て行った。

『なんだ、こいつらは?』

心の中でそう思った。これまで配属された教委事務局の中に、こんな連中はいなかった。この市区町村の教委事務局で働いていた時もあったが、社会教育課は別のオフィスにあった。

社会教育課、という部署名は伝統である霞が関にも同名の部署があるほどだ。本来であれば、歴史と実績のある部署のはず。では、なぜこんな連中が……? と思って気になったが、その時は時間無駄であると考えた。

だが、そういうことにならなかった。社会教育課は、私のいる課長から10mも離れていない。しかし、毎週のように何度も何度も、大きい声で怒鳴るわ、悪態をつくわ、イベント行事問題を起こすわ、用事で来られた区民を怒らせるわで、こちらとしても仕事がやり辛かった。

私と同じ教職員サイドの職員に詳しい者がいた。この教育委員会(T区とする。豊島区関係ない)の社会教育課について聞いたところ、なんとなく経過がわかった。

社会教育課は、元々別の離れたところに事務所があった

・その場所ではひとつの課として独立していたが、不祥事が多かった

監視意味も兼ねて、本庁総務部の人事課が教委事務局の中に移した

といったところだった。この時は、まさかこの連中のためにあれほど頭を悩ませることになるとは思わなかった。

ここから先は、個別職員の話になる。2.以降に譲りたい。長く詳細に書いても読者が不愉快になるだけだ。できれば各三千字以内でトピックを終わらせたい。

話があちこちに逸れることも多々あろうが、何卒お許しを願いたい。

(次part)

https://anond.hatelabo.jp/20231213191557

2023-12-10

民間学童は月に3万〜5万かかるらしい

安い公立学童にあぶれる民間に頼らざるを得なくなるが、働くために学童に預けるのに草も生えない

普通に3万〜5万円分仕事しないで家にいられる方がええやん

2023-12-06

anond:20231206170145

私立高校学費年48万と書いてあったけど子1人150万、子ども2人300万浮いたとしても東京とそれ以外の住宅価格では比にならないのではと思う。

もちろん保育料、給食学童公立小中のプログラムの充実などメリットはかなり大きいと思うのでそこ込みでの引っ越しはありなのかもしれないが実際問題子育てに向いてそうな広さの家は一億を超えてきているとあまり普通共働きには現実的ではない。賃貸ならいいのかな?

東京の家は20年住んでも買った時と同額かそれ以上で売れるからな。

その間の家賃結果的ゼロになったということは十分にあり得る。

家買える(住宅ローンを組める)だけの与信があるのに賃貸に住み続けるのはアホと言ってもそんなに間違ってない。

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