はてなキーワード: けふとは
この記事を読んで、新卒で入社して辞めた会社のことを思い出した。
https://anond.hatelabo.jp/20230416015338
新卒で入社した会社は、成功したベンチャー企業で、入社した頃は社員が皆若く、みんな遅くまで労働していたが、何より事業に全員が本気だった。
3年ほど経った頃から、役員クラスの人間たちの子育てラッシュが始まった。
女性役員は産休・育休に入り、男性も育休を取った。先進的ないい会社だったと思う。
結果から言えば、権限の移譲がうまくいっていなかったんだとおもうが、育児中役員がいない間、大事な議論はペンディングされ続けた。
しかし、役員が休んでいる間はまだ全員が「今だけふんばろう」という雰囲気があった。
問題は、育児中役員が復帰したあとだ。彼ら・彼女らは腑抜けになっていた。
リソースが削られるのはもちろん、「子育てのほうが楽しい」というのが伝わってくる。
実際に「あの人はもう事業にそんなに興味がないらしい」という噂も聞いた。SNS投稿も子供の内容で溢れていた。
彼ら・彼女らの不在中、踏ん張っていた社員たちは戸惑った。何人かは「会社のフェーズが変わった」とやめていった。
冒頭の記事にあったように、当然のように周囲が彼ら・彼女らの働き方に付き合わされるようになった。
冒頭の記事と違うのは、彼ら・彼女らに「夜中でもやっといてくれれば良い事務処理だとか、一人で勝手に進められるような雑な仕事」を任せるわけにはいかないことだ。
俺がもっとも辟易したのは、そいつらのせいで重要な仕事が遅延していくこと、そいつらが働きやすくするために細かな作業が増えていくこと、
そして、明らかにボトルネックになっているのに、そういう人間が権限を移譲しないことで、若い社員がキャリアに行き止まりを感じて流出していくことだった。
「結局人事から役員続けてくれって言われるんだよね」とヘラヘラしながらそいつらは役員の席に居座った。
若くてやる気のあるやつらはどんどん疲弊していった。細かなタスクに忙殺され、重要な仕事に取り組む時間がすり減り、キャリアの先行きは見えなかった。
センセーショナルだったり扇動的な文を書いてみても社会的な反響などあった試しなどないので、アラブの春やミートー運動のきっかけになったツイートした人とか羨ましく思う。
何百何千回とそういうことしてきて数日のあいだしばらく待ってみるが、テレビや新聞が俺の書いたことで騒ぎ立てることはない。それを確認するたびにやるせなさというか無力感みたいなものを痛感する。
ネット記事になる程度じゃ何も嬉しくねーよ。テレビや新聞は詳しくないが一面から二面?に載って初めて俺の書き込みは社会的反響をもたらしてるんだと納得できるわけよね。
そういう意味で保育園落ちたもまあまあ羨ましい。でも増田発でマスコミで取り上げられたネタがあの一回切りだったことを思えば、その人ですら狙って社会を動かす発言を量産できるわけふぇはないんだなと思う。
https://togetter.com/li/2055463 を読んだ同人日記さんだよ
はい高くて薄い本かいてる本人だよ(ただし名前詐欺はやってないのと人気CPではないよ)
いままで出した中で一番字数が多いのは20万字、2段組み8ptで200pに詰め込んだよ
そして本題。あれはさほど「高く」はない。
いままで出した中で一番字数が少ないのは初期のコピー本(数千字)だが、比較にならんのでとりあえず印刷所に頼んだ中で薄いやつはっていうと
・B5版口絵つき二段組1万字全年齢16ページ30冊
早期割引価格8980円+税金送料1000円(直接+自家通販用)で9980円だよ イベント価格400円にしたけど案の定売れたのは20冊以下なので完全に赤字です
他は
・B5無線綴じ32ページ20冊 早期割引で商品代金:¥6,110+送料1000円
一冊原価は350円だがとらだとたぶん600円くらいになってるはず
・2014年A5無線とじ60ページ20冊8236円 (送料不明)
このころが一番安くつくれたけど400円は超えるよ。今はこんな安いとこはない。
さらに昔はオンデマがなくてオフセットしかなくて最低発注冊数が100以上とくそ高かった
最初だから気がくるって原価一冊500円におさえて自分を納得させたかったんだね。売れたのはたぶん30冊くらい。つまりリアル原価では2000円近いんだ。
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とらが少部数小説は審査の結果うけつけないという時期だったので2008年のは既刊のまま廃れジャンルの在庫としてずっと家にあるよ。
今はとらが少部数でもなんでも受け入れてくれるようになったんだ。そのかわり手数料は一律35%とる。
印刷代も安くなったけど特殊製本があたりまえとおもわないでくれ。版分けどころかタイトル写植にさえ苦労するんだ
(小説かきなんてクリスタSaiアズぺアルパカあたりの画像加工ソフトすら一切もってないことがある。その分ATOKかWORD、官能表現辞典あたりに課金したい生き物なんだよ)
1500円の本がとらで売ってて買ったら本を出した人のもとには1000円(マイナス振込手数料1月あたり300円)が入る。その1000円×nから印刷代を払うとたいていは赤字だ。赤字で買えることを当たり前とおもわないでくれ。なら買わなくていい。
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でも、同じペンネームはコミケっとカタログの目次をみればわかるように常に発生しているのも事実。
「おおこれは気の利いたダジャレだ!」とおもっても歴代のコミケっとカタログをみれば3万サークル×100回のうち1~3人くらいはいるんだ。
あとurl1字違いってのはどこのurlのことなのか。とらなら同時期登録とかならそうなるんじゃないか。自分でつけられるものじゃないからな。
先にやってて売れているほうの作者さんがとらに「ペンネームを勝手に利用され著作人格権を侵害されている」と申請するしかないんじゃないかな。
あと、とらの売り上げはたぶんサークル別月別なのでその意味でも他人のペンネームを大量に借りてそういうことをするのは不利なんだが
初回から110冊印刷したバカとしては、いろいろな人に自分の文章を知ってほしくてやらかしたんじゃないかという気はする。
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「なんか買えた」までやっちゃうほどの小説ほしがりさんが今でもいてくれてうれしいよ。
上客なので面と向かって文句は言いづらいけどな。
どのジャンルでも婦女子は「なんか買えた」は公式ショップ以外ではやらない(迷惑だから)。やるな。
おちつけ。よくみてかえ。そして予約再販を待て。
そこまで文句いうなら中古同人書店やメルカリなんぞに絶対流すなよな。
ネットで燃やすより紙本を燃やして世界一高いコーヒーでも湧かせばいいだろ。
(うちの本は読み飽きたら燃やさず表紙はがして古紙回収にしてくれるとありがたい。SDGsに興味あるので)
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https://twitter.com/chiboustju/status/1616725205350772738
ありがたいです
https://twitter.com/covermkrinfo/status/1617124886908145664
そのとおりだとおもう
ものを縫ったりなどすることに多少の造詣のある者でございます。
結論といたしましては、5千円の鞄を5千円以内で直してほしいと言われましても、それはなかなか難しいことが多いでしょうとしか言わざるを得ません。
ファスナーを修理するには、まず、もとのファスナーを外す必要があります。最低でも鞄の表地・ファスナー・裏地が重なっているはずですが、余計な傷を絶対に付けないよう、慎重に分解しなければなりません。
鞄は洋服と違って洗濯するものではありませんから、見えない部分にボンドや両面テープなどが使われていることも多々ございます。貼り付け方によっては、分解の支障になります。
布が破れたということは、それなりに長期間お使いになっていたものと思います。直接破れた部分以外も、生地が全体的に弱っている可能性があります。つまり、新品に比べて、柔らかくなっていたり破れやすくなっており、それを触るのは大変気を遣う作業になります。
ファスナーを取り外す。たったそれだけの作業ですが、鞄の状態によっては大変時間のかかる繊細な作業になってしまうのです。
布の破け具合によっては、その部分の生地を取り替える必要があるかもしれません。
この場合、必要なパーツのサイズを割り出し、合わせても違和感のない新しい生地を探し、生地をカットし、縫製するということになります。これもまた大変手間のかかる作業です。
縫い合わせるのにもまた別の苦労がございます。
新品の鞄を作る際は、作りやすい工程を考えて作るものです。すなわち、縫い合わせやすい順番で縫い合わされており、持ち手や金具など縫製の支障になるものを取り付ける手順も最初から考えられているのです。
しかし修理となるとそうはいきません。縫製の支障になるパーツがあったとしても、えいやで縫わねばなりません。何かが邪魔でどうしても縫えないということがあった場合、その邪魔なパーツのところまでほどいて縫い直すという作業が必要になることも考えられます。
また、90㎝ということは、鞄の上だけ一直線に開くものではなく、カーブを伴って付けられているファスナーなのではないでしょうか。鞄のような硬いもののカーブを適切に縫うには、技術も必要ですし、形状によっては特別なミシンを使わねばならないこともあるのです。
野菜自体は安く手に入ったとしても、傷んだ部分を丁寧に除去し、薹の立った部分などがないかを確認し、傷み具合に応じた調理法で料理を作るとなると、手間も時間もかかるのです。
18000円が妥当かどうかは私には判断できませんが、修理というのはなかなか面倒な作業なのです。ちなみにYKKの鞄用ファスナーを90㎝用意するとなると、スライダー込みで500円くらいですね。
なお、穴だけふさげればよいということでしたら、クラフト用の接着剤がお手頃でしょう。ゴム系やウレタン系など、柔軟性のあるものでしたら、接着後の使用にも耐えるのではないかと思います。
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製造元ではないところに修理を頼む場合、最も厄介なのはどう作られたのかが分からないことです。
見えないところに両面テープなどの接着部分がある、全体的あるいは部分的に芯地が貼られている、内袋が浮かないように裏で縫い止められている、縫い代がどれくらいあるか、カーブの裏の切込みはどれくらいか……。なにも分からない状態で分解していくのは、大変難しい作業なのです。予定していた修繕方法をとれないということが分解して初めて分かるというケースもあります。ひどい場合は、接着部分が多すぎて修理できないということもあり得ます。
元増田様も技術者でいらっしゃるとのことですから、他人が作った製品(機械でもプログラムでもなんでも結構です)、それも仕様書や設計書が一切残っていないものに修正を加えてほしい、但し現状の仕様に傷をつけることは一切しないように、と言われれば、その難しさがご想像いただけるのではないかと思います。
まだ夜が明けきらない時間帯がとても好きだ
おそらく街が一番深い眠りに包まれていて、鼓膜を押し込めるような静寂の中、それでも刻々と空が色づいていく
世界がリセットされたような澄んだ空気が少しだけ開けた窓から室内に流れ込んできて、部屋の中が少しずつ浄化されていくようなイメージを感じる
稜線が空と大地とを切り分けて、目を擦りながら世界が少しずつ活動を始める
この時間にしっかりと目を覚ましてその変化を観測していると、現実から少しだけふわりと離れて漂う幽霊になったような気分だ
窓の外を見るたびに、空の色がまた一段を明るくなってきた
虫の声に混じり鳥の鳴く声が聞こえ始める
そろそろ布団に入り目を閉じるとする
向かった先は人口が多いエリアから自動車で約40分ほど掛かる、山里の中にある知る人ぞ知る川遊びスポット
夏休みの週末ともなれば都会のプール並みの芋洗状態は覚悟しなければならない、そんな川へ遊びに出かけた
朝8時に川にほど近い駐車エリアに到着したが、平日ということもありどうやら一番乗りだったようで、これは気が楽だねとテントやバーベキューコンロの準備を始めた
その間に子どもたちは軽めの朝食を摂り、水着姿になると誰がどの水鉄砲を使うかを話し合い出した
もろもろの準備を整え終え、家族揃って川へ向かう通路をたどりいざ川の中へ
「冷たいねー!」「その水鉄砲、次は僕が使う!」と子どもたちも楽しそうだし、私も妻も心地よい川の水温と蝉の声、時折吹く風に癒されていた
それから1時間半ほど経過した頃、ここ最近で一番の猛暑になるという予報通り、1台また1台と駐車場に自動車が増え始めた
太陽が頂点からやや西側に傾くころには、週末ほどではないにしろ、多くの家族連れでそこそこの賑わいを見せていた
私の家族もバーベキューを堪能し、帰り支度を始める前にもう少し遊ぼうと川に向かった
川へ向かう通路を進むと、そこには3脚並べられた椅子に座る家族がいて、川に続く通路が通り抜けづらくなっていた
椅子が並べられた場所は川へ入る河原へ続くルートということもあり、どれほど混雑していても誰もそこには居座らない場所なのだが、その家族はほかの人たちが避けて通ることもお構いなしで座り続けていた
不文律や周囲の雰囲気に気づかない、もしくは気づいても違法ではないとばかりに受け流すタイプなのだろう
白い目で見られようが横を通り際に「邪魔だなぁ」と呟かれようが一切気にしない様子で、その肝の太さだけは見習いたいとも思った
その後、浮き輪で浮かんだりフィンをつけて泳いだり、岩から川に飛び込んだりと遊んでいると、例の家族が河原へと下りてきた
父親はサングラスを掛けふわっとしたパーマを掛けたオシャレ風な雰囲気で、母親は川に入る気が全くないワンピースに女優サイズのつばが大きな帽子とサングラスに日傘
二人に見守られるように立つ子どもはライフジャケットにシュノーケルセットというフル装備の出立ちで、とにかく田舎の川には似つかわしくない格好の家族だった
まずはその子どもが川に入るが、予想以上に冷たかったのだろう、すぐに出ようとすると「大丈夫だから!」と父親が大きな声で言う
その声にまた川に入ろうとするものの、少し躊躇ったところで「冷たさなんてすぐに慣れる!」と腕組みをした父親の大きな声がさらに飛んでくる
意を決したように子どもは川に勢いをつけて飛び込んだ
そんなやりとりをなんとなく眺めていて、(父親が一緒に入ってやればいいのに)と思いながらもその親子の近くはなにか嫌だなぁと、少し離れたところへ移動した
そのあとも定期的に父親の無駄に大きい声が響き、それに応えようと子どもが動く
まるで父親の声に反応して動くラジコンのようで、目に入るたびに楽しい気分が少しずつ冷めていくようだった
フル装備の子どもがようやく川に顔をつけられるようになると、それまで偉そうに仁王立ちしていた父親は母親が持っていたカバンから筒を取り出し、子どもの近くに向かっていった
足が濡れないように最新の注意を払いながら大きな岩の上に立つと、持っていた筒を川に向かって振り出した
「いたか?見えたか?」とまた無駄に大きい声が響き、子どもは川から顔を出すと「わかんない」と答える
そのやりとりが数度続いた時に、その親子の周りから人がスーッと離れていった
そろそろ帰る準備をしようと、その親子の近くを通った時、父親が振っていた筒が「魚の餌」であることに気づいた
彼らは川に魚の餌を撒くことで川魚を誘き寄せ、子どもに川に棲む魚を実際に見せたかったようだ
それからも父親は何度も何度も筒を振り、水面にぽちゃぽちゃと餌が降り注いでいた
その親子の周囲から人がいきなり少なくなったのは、魚の餌を撒き始めたことに気づいたからなのだろう
通路に置かれた椅子に子どもだけが川に入っていく姿、その子どもに何かあっても対応できなさそうな格好の両親、そしてほかの人への配慮の欠片もない魚の餌撒き……行動のすべてからその両親の正気を疑った
どうしてそのスペースがぽっかりと空いていたのかを考えたり、周囲を見回してどんなスペースなのか考えたりしないのだろうか
水難事故のニュースが流れる季節に、なぜ両親だけはまるで都会のカフェに行くような服装で川遊びに来たのだろうか
いったい誰が自分の子どもが遊ぶすぐ上流で魚の餌を撒かれて喜ぶと思ったのだろうか
自然の川の中で生きる魚を見せてあげたいと思い実際に行動するほど、きっと教育について熱心なのだろう
そのためには思い通りに動かない子どもに向かって大声で指示を出したり、周囲を気にすることなく餌を撒けるのだろう
「いたよ!さかな、いたよ!」と嬉しそうだ
それを聞いて嬉しそうな顔でさらに餌の筒を振る父親と、そんなやりとりをまるで女優のように眺める母親
これほどまでに自分たちだけの世界で生きていくのは、どれほど楽なのだろうか
教育という理由があれば周囲を蔑ろにしてもよいと思い行動できるのは、どれほど無神経なのだろうか
帰りの支度をするために椅子が並べられたその通路を通る時、反対側から川へ向かってくるガラの悪い男性が「なんだこれ邪魔だ」と椅子を一つ蹴り飛ばしたのを見て、この世界は思ったよりも理性的ではないと感じた