はてなキーワード: ガイドブックとは
近々復職する。
休んでいた期間はそう長くないが、だからといって復職することへの不安がないわけではない。
同僚からの目は怖いし、おそらく迷惑をかけまくっただろう同僚からの目はもっと怖い。
職場からのフォロー制度は一応あるが、自分の場合かなり使いにくいシステムである。後述する。
休んでると体調はいいけど、根本から改善される気はしないなあ、むしろサボってるみたいで余計に落ち込むなあ、と思ったので復職を決めた。
事前に休職期間を延長するつもりはありません、とお伝えしていたが、改めて復職の意思を伝えた。
復職の書類は来ましたか、と聞かれていいえと答えた。なんなら休職についての書類も貰っていない。診断書出して終わり。まあ休職について何がしかの書類なりガイドブックなり貰ったとしても、当時読む気力は無かっただろうけど。
これから色々郵送してもらって、読んで、あと上司とも色々業務について調整しなければならないことになった。
自分と上司とで直接やり取りをして、調整してもらう。もらえるだろうか。すんなり行くイメージが全く想像できない。
前述の職場から提供されるフォロー制度を利用すれば、産業医を挟んで調整もできるが、そのためには休職期間の延長が必要になる。伴って診断書が必要になるが、休職診断書は遡って提出できない(職場として受付できない?)ので、復職までに急遽受診して、診断書を書いてもらうことになる。が、自分の場合、担当医が諸事情でしばらく不在なので、これは実質無理だ。
色々考えるだけで、休職中は落ち着いていた頭痛が再発した。病院を新しく探して予約するだけの気力が無かったので結局内科にはかかっていないけれど、やはりストレス性のものなんだなと確信した。
簡単な労働もまともにできない。他人に連絡するのがこれ以上ないストレスだ。
早く死にたい。
しかし死ぬには些か私物と借金が多いので、ちょっとまだ死ねないなあ、と思っている。
すずめの戸締まりを31回観た増田です。中身のないヤツが数を誇る!
先週くらいにふとすずめ展思い出して、調べたらまだやってたので、ローソンでチケット予約。日時指定なので、有給取得で平日に行くことも考えてたけど普通に休日で買えた。
で当日、指定時間5分前にフロアに着いたけど、ポケモンセンターの客で混雑してるし、フロアマップにも特設会場は載ってないので焦る。
歩き回っているとポケセンの裏あたりですずめのパネルが見え、何とか間に合った。
ドアの暖簾入ったとこで(暖簾の手前だった気もする。記憶が曖昧)ダイジンとかの設定画が貼ってあったが、パンフかガイドブックで観た気もする。
暖簾?で区切られた部屋で予告編上映。上映期間中はすずめしか観てないから予告編観るのは初めて。しかし、人が多くて何となくしんどい。すずめファンが多いのは喜ばしいんだけども。
溜まってた人が次の部屋に移るも、出入口付近で人が動かず、部屋に取り残される。
あとで分かったが、入り口すぐの画コンテを見るために渋滞が起きていたらしい。
しばらくして人が動き、次の会場に移る。
富野展の画コンテは面白かったので、すずめでも見れて嬉しい…はずだったけど、あれ?なんかあんまり…
遊園地のところだけ見ればいいかと思ったが、観覧車シーンのコンテはなくて残念。
第2会場に行くと戻れないらしい。
フロアを移る際、順路を間違えてそのまま退場しそうになる。
関係ないが、昔水族館で淡水魚コーナーだけ見てそのまま出口に行ってしまい、海の近くなのに淡水魚専門なんて珍しいなぁと思いながらそのまま帰宅したことがある。後日、そこには海水魚もイルカもいたことを知った。
第二会場は東京以降の原画や映像…なだけど、こっちもあんまり興味が…倦怠期?
グッズは、映画館で買い逃したステッカーやポスターが買えると思ったが、カフェや展覧会のグッズがメインだった。
すずめの時に明らかに在庫の君の名や天気グッズ再販してたから映画館で買えるだろうけど。
書籍類も揃ってるが、目録はなく…まあ転載されたら客減るだろうし仕方ないか。コミカライズ単行本はあったら買ってたけど、権利関係だろうか。サントラもなかった気がする。
キャラクターグッズ系は個人的にはあんまり…なので、ポスターカードと缶ケースのラムネを買った。
展示自体は良かったし、客も多く、全体的に若めだけど老若男女いて、オッサン一人でも浮いてる感はあんまりなかった。
個人的な感想言うとネガキャンみたいになっちゃうけど、演技や映像込みでのすずめの戸締まりが好きだったんやなと再確認。
ブルーレイは一番高いヤツ買う予定。TSUTAYAで予約しようとしたらTカードいるみたいで諦めた。
CCCとTカードは許してないけど、地元で書籍や新作CD、DVD買えるのそこくらいだから頑張って欲しいんだよね…TSUTAYAが個人店駆逐したせいでもあるけど
2023年4月に、タイトル通りコロナ以降初めて海外に行った。結構ルールが変わっていたので感想のメモ。元々海外出張で年に何度も海外に飛ばされる職場で働いたのでよく海外に行っていた。
まず、これからも緩和されるらしいが、まだまだワクチンの証明書やらVisit Japan Webやら、[今まではなかったけど登録しないと飛行機に乗れなかったり入国できなかったりする書類]がとても多くてびっくりした。以前はパスポートと、必要な国はビザくらいで、しかもビザが必要な国なんてほとんどないくらいだったけど、だいぶルールが変わっている。まだまだとても面倒。ただし航空会社側もわかっているのか、事前のWebでのオンラインチェックインに進むためにはこれらの書類を全部パスしないといけないようになっていて、空港についてやらかしたということが発覚しないようにはなっている。事前チェックインまじで必須。
次にやっかいなのが、ガイドブックやらブログ記事やら、世の中の情報がいずれも信頼できないこと。数ヶ月単位でルールが変わるので、最新の情報を見ない限り全く参考にならない場合がある。何なら今回も、Visit Japan Webについては渡航中にルールが変わっていた。まさにコロナが5類に変わろうとしている今だけの可能性もあるけど、しばらくは航空会社や旅行会社の指示に気をつけないとやらかしそう。信じられるのは最新の公式案内=航空会社/旅行会社/各国のアナウンス、のみ。
なお訪問先の観光地は南国だったんだが、それなりに活気があり、人も多かった。ただ、とても暑い国だったわりに意外とみんなマスクをしていて驚いた。自分はマスクは必須と思って着用している方の人間だが、海外はもっとアフターコロナが進んでいるのかと思っていた。これは私見も含むかもしれないけど、現地にいた方のうち、高齢の方のほうがノーマスクな方が多かった。若者はマスク率が高かったように思う。
そしてコロナとは全く関係なく個人的に一番ビックリしたのは、Airaloという会社のeSIMサービス。今まで海外に行くときはモバイルWiFiのレンタルが必須と思ってたけど、もういらないのね。iPhoneだったらXS以降でeSIMがサポートされているので、最近の端末なら大丈夫。AiraloのアプリをインストールしてeSIMを日本で購入しておけば、現地ですぐ4G回線が使えた。モバイルWiFiの持ち運びもいらないし、充電もいらないし、借りる手続きも返し忘れもないし、料金も圧倒的に安い。もう永遠にモバイルWiFiを借りることはないと思う。
人の多い街にはできるだけ行きたくないが人に会うために仕方なく出かけた。
雨まで降って最悪な気分だったが用事を済ませた後はせっかくだから少し散歩して帰るかと適当にうろうろ歩いてたらなんとなく気分も良くなってきた。
それにしてもすれ違う人との距離が近すぎる。狭い道が多いので傘の先がすぐにぶつかりあうしやけに外国人観光客が多いのはなぜなのか。
いかにもしょうもなさそうな小さな店の前でアメリカ人だかヨーロッパだか背の高いやつらが行列を作っている。
日本人は誰も並んでない。きっとガイドブックかなにかを見てオススメされていたんだろうお前らそんな店にはなんの価値もないぞ。
もういいやさっさと帰ろうと思ったがコーヒーが飲みたくなったので駅前にあったコメダ珈琲に入った。
店内は満員だったが俺は1人で1人席だけ空いてたので先に案内してもらえた。
雨も降ってそれなりに気温も低かったが湿度がすごいので蒸し暑さがあったのでアイスコーヒーを頼んだ。
右斜め前の席に女が2人向かい合って座っていた。俺の席の角度からは奥の席に座る女の全体が見え、手前に座る女の横顔が少し見えていた。
奥の女は黒髪の長髪でそれ以外はこれといった特徴もない、田舎っぽさが残る素朴な雰囲気の20代くらいの女の子だった。
手前に座る女は茶髪のボブでもう少しオシャレな雰囲気だったが若作りしていて年の頃は恐らく40代くらいに見えた。
2人は友達という感じでもなく黒髪女子が主に話し続けている。興味を失ってしばらく自分の手を見たりしていたんだが、気がついたら彼女らのテーブルにカラフルな箱がいくつも並べられていた。
20個くらいのアクリルでできたような透明度のある四角い箱で、青赤緑黄色様々な色と明るさの違いなどがあった。
おもむろに黒髪女子が無色透明の箱を手にとってしばらく眺めた。
手前の女は「なんでもいいからイメージを言ってみて?」と促す。
黒髪女子はしばらく考えてから「完全な透明、というか、透明すぎてなにもない、なにもないということは全部あるっていうこと」
という平凡でありがちなイメージを口にする。手前の女は「ほ~」と小さめに感嘆の声を上げながらノートになにかメモしている。
青い箱を手にとって「都会、でも静かな、都会って人が多くて騒がしいけど、でも都会って実はすごく静かなんです。」
手前の女はまた「ほぉ~」と小さく感嘆の声を上げながらノートにメモを取る。
なるほど、この女はプロだな、と俺は思った。
黒髪女子のほうはこう、なにかカッコいい感じの事が言いたいという気持ちが出てしまっていてなんとかひねりのある回答を出したいんだが失敗してるという感じ。
途中で話が脱線いて黒髪女子の前カレの話とかもしだすんだが、手前の女はひたすら聞き役に徹している。
その後は好きな箱同士のペアを作ってみてと言われて「私、優柔不断だから時間かかっちゃいますよ~」「ああ大丈夫よ」みたいなこと言っていた。
その辺で俺は飽きてしまったしコーヒーも飲み終わったので席を立って店を出た。
「あらゆるものは実は透明で、脳や目を透してそれに色がついているだけで、見るものが誰もいなければ全て透明なのかもしれない、世界そのものが無色透明になっているのを想像した」
小学校中学年くらいのころ、「写真」というものにはいろんなものがあるのだと気づいた。
読んでいる雑誌やガイドブックにあるような写真はカメラで撮ったもので、それは最近持たせてもらえている写るんデスなどでも同じように撮れるのだと。
だから、両親に連れて行ってもらったディズニーランドで、風景の写真を沢山撮った。自分が読んだ本みたいな写真になればいいな、とワクワクしながら。
「こういう時は一緒にいる人を撮らないとダメだ。なんの思い出にもならないじゃないか」
自分の意図はうまく説明できなかった。それから以後は父から言われたような写真だけ撮ることにした。
すっかり携帯やスマホで周囲の風景や遊園地のあちこちの飾り付けを撮るのが当たり前になっている今、ときどきこのことを思い出す。いまはフィルムの数に限界はない(ストレージの限界はあるけど)。
というのも高校生向けの参考書のガイドブックみたいなやつに、数学の参考書をまとめた部分の書評欄にはオリジナル問題集や黒大数などレベルが高いと名高い本に対してもせいぜい単に「難しい」とまでしか書いてなかったのだが、生物はお医者さんになろうや考える生物100選に対して、とても難しいので取り組むかどうかは担当講師に要相談みたいに書いてあったのだ。
このような評価は一つの塾のみでそうだったのではなく、東進と東大志望向けの小冊子と東大蛍雪会と最低二つの塾でそういう表現をしてるのを確認済みだ。
イメージとしては数学はいうまでもない一方で生物は考える余地のない暗記事項で成り立ってる部分が多いのだからどうやっても問題を難しくするには限りがありそうな気がするんだが…遺伝の問題にしたって解くのに用いるが法則やその適用のシビアさが数学より難解かといえば違うだろうし。
前半では美術を知的にとらえようとした。後半は生物学がテーマ。
平安文学のマイブームが続き、続いて神林長平とヴォネガットを読み始める。
英国の貴族や執事、メイドがテーマ。なぜか田中啓文も読みだす。疲れたので脱力系を。
シオドア・スタージョン「一角獣・多角獣」
奇妙な味シリーズがしばらく続く。たまに古いSFが読みたくなる。
ブラウン神父シリーズは途中で飽きる。「聊斎志異」を読みだす。
冊数が少ないのは、中島敦全集がぶ厚いからだ。ページ数では一冊で実質三冊ほど読んでいる勘定だ。
ひたすら中国の古典を読む。物語としては読みやすいが、脚注について調べていると意外と時間がとられる。
アーネスト・サトウを除いて中国文学が続く。明治維新が一日単位で記録されていると見落としていた事実が多いとわかるし、刻一刻と情勢が変わっていったのも感じられる。。
やっと森薫を読み始める。ハルタコミックス(旧fellows!)ばっかり。
コロナで回数は少なめ。
「パディントン」
「イェスタディ」
「JUNK HEAD」★★
生物学、脳科学、歴史、SF、海外文学が多い傾向は昨年から変わっていない。
自分の住んでいる街だと「あ、この人ヤバい人だな」というのが分かる。
服装も表情も普通でも滲み出る何か、言い方悪いけどその街のいわゆる「まともな人間」とは違う何か。分かりますやね。
しかし違う街に行くと鼻が効かなくなる。
ガイドブックに小さい写真が載る程度の城跡を訪ねた時。城跡だけあって景色がよく、写真を頼もうと辺りを見回す。
犬の散歩やら友達と歩いている人やらがいる中、立派なカメラを首から下げた人の良さそうなおじさんに声をかけた。景色でも撮りに来たのかな。カメラ以外荷物持ってないから地元の人だろう。写真上手いんだろな。
おじさんに自分のスマホを渡すとなんかちょっと手が震えてる。この時点で「間違えたかも」と思う。
ニコニコと「確認してみて」とおじさん。全部ブレてる。スマホの写真をブレさすこと可能か?この令和の時代に。技術の敗北。
まあもういいや、この人からは離れた方がいいと思いヘラヘラしながら「どうも〜」と言うとおっさん肩を組んできて自分のスマホで自撮りしようとしてくる。
えっ、その首から下げてるクソデカレンズのカメラ使わんの〜??あ、自撮りには不向きか〜〜〜〜
ほんですごい密着しとる、数秒の間に体の隙間という隙間埋めて肩抱いてるやん。そういう達人?
去年、「日本語の原郷」についての論文(Robbeets et al. 2021)が話題になった。増田は専門外の素人ながら疑問を持ったのでツッコミを入れたんだけど(anond:20211121124146)、今年の6月に入って専門家集団から「あの論文は取り下げろ」という反論論文が出ていた(Tian et al. 2022)。といっても、プレプリントサーバのbioRxivに置いてあるだけで、学術誌に掲載されたわけではないんだけど、まあいずれどこかには載るよね多分。
そういうわけで、反論論文の内容を(素人なりに)紹介していくよ!
ふええ……知らない人ばっかりだよぉ……
22人の共同著者による論文だけど、その多くは中国人研究者。ほかは数人のヨーロッパ人。中国人研究者については全然わからない。漢字で書かれれば一人か二人は名前を聞いたことがある人がいるかもしれないけど、ラテン文字で書かれているので誰が誰やらさっぱりなんだよな……
ヨーロッパ人研究者のうち、ラッセル・グレイ氏は聞いたことがある。20年くらい前に『ネイチャー』に印欧語族の起源に関するレター載せてた人だ(Gray and Atkinson 2003)。ホセ・アロンソ・デ・ラ・フエンテ氏は以前ロベーツ氏の著書に辛辣な書評書いてた人で、去年の増田でも引用した。
そしてトマ・ペラール氏は、日本では有名な研究者だ。彼は宮古島の北4キロに浮かぶ人口数十人の離島大神島の方言について博士論文を書き、それが「母音あるいは声帯を震わせて出される音を含まない単語がある」という世界でも珍しい特徴を持った言語であることを明らかにした(Pellard 2009: 80–85;ペラール 2011: 28–29)。ペラール氏は母語のフランス語だけでなく英語や日本語でも論文や共著を発表していて(最近だとペラール 2021とか)、琉球諸語の言語復興についても発言しているので(ペラール 2013; 2015)、琉球諸語に関心を持って調べたことがあれば一度は名前を聞いたことがあるはずの人物だろう。
要するにこの反論論文には、そのへんの日本人よりはるかに日本語に詳しい研究者が参加しているってこと。
反論論文は、ロベーツ論文で挙げられている同根語(cognate words)が少なすぎると指摘する。
同根語というのは、「起源を同じくする単語」のことだ。ある言語から分かれた娘言語たちは、いずれも共通した同根語を(二次的に失ったのでなければ)持っているはずだ、というのが比較言語学の基本的な考え方だ(生物学でいう原始形質/祖先形質にあたる……と思う。多分)。もちろん、偶然の一致とか、言語の場合は借用語とかがあるので、言語学的な検討を行って「これは祖語から受け継がれた同根語である」というのを確定させて、それをもとに言語の系統関係を判断していく。
たとえば印欧語族だと、次のような対応関係が見いだせる(例はウィキペディアの「印欧語彙」のページから持ってきた)(*がはてな記法の一部と認識されちゃうっぽいので*で代用)。
- | 印欧祖語 | 英語 | ラテン語 | サンスクリット語 | トハラ語 |
父 | *pH₂tér- | father | pater | pitṛ́ | pācar |
2 | *dwóH₁ | two | duo | dvā́ | wu |
足 | *ped- | foot | pēs | pā́d- | pe |
馬 | *ék̂wos | 古英語eoh | equus | áśva- | yuk |
複数の語派(語族の下位区分)にわたって対応する語彙が存在することがわかると思う。これらの同根語が存在することで、「英語とサンスクリット語は親戚なんだなぁ」というのがわかるわけだ(お墓に卒塔婆って置いてあるじゃん。あれに書いてあるのがサンスクリット語)(足で操作する機構を「ペダル」といったり歩行者デッキを「ペデストリアンデッキ」といったりするのは、英語のfootに対応するラテン語pēsからの派生語なんだよね)(「父権主義」が「パターナリズム」になるのも、英語fatherに対応するラテン語がpaterだから。これがポルトガル語でpadreになり、そこから日本語に入って「ばてれん」になるわけですよ)。
ついでに日琉語族の表も示しておく(Vovin 2017)。基礎語彙において規則的に音韻が対応しているのは、これらの一致が偶然ではなく日本語と沖縄語が親戚であることの動かぬ証拠だ。
- | 標準語 | 沖縄語(首里) |
これ | kore | kuri |
鳥 | tori | tui |
米 | kome | kumi |
場所 | tokoro | tukuru |
しかしロベーツ論文は、ひとつ以上の語族でみられる同根語が317、2つ以上の語族でみられる同根語がわずか50、そして5つの語族で共有されている同根語はたったの2つに過ぎないという(Tian et al. 2022: 2)。思い出してほしいんだけど、ロベーツ論文はテュルク・モンゴル・ツングース・朝鮮・日琉の計5語族が同一の起源を持つと主張しているのね。なのに5語族で共有されてる同根語はたったの2ってどういうこと? って話になるでしょ。全然「トランスユーラシア語族」の証拠になってないじゃん。
っていうか、その50個の同根語リストの中には、ロベーツ氏自身が「これは借用語だよ☆」って書いてる単語が入ってるんだってさ。借用語は除くというのが比較言語学の基本なのに(借用語だと気づかずにリストアップしたならまだしも)借用語だとわかった上でリストアップするのヤバくない? そんなこと言ったら日本語が英語の親戚になっちゃうよ? 大丈夫?
反論論文の著者たちはこれに激おこぷんぷん丸になっていて、ロベーツ論文の「著者たちは彼ら自身の歴史的言語比較の原則を無視し、証拠を彼らの必要にあわせて歪曲している」(Tian et al. 2022: 3)とまで断言している。そりゃ、借用語混じりのたった数十の同根語で「トランスユーラシア語族は、ありまぁす!」って言われたらそう言いたくもなるわな。
遺伝学的にも、ロベーツらの論文は「不当な仮定(unjustified assumption)と、移民についてのありえそうな他の仮説を排除した選択的モデリング」に基づいているとバッサリ。考古学的証拠も「弱い」と切り捨てている。このへんは遺伝学や考古学に詳しいはてなーに解説をお願いしたいところ。
ロベーツ論文の結果を再現しようという我々の試みは[言語・遺伝・考古の]3つすべての面で重要な不一致をみた。さらにいえば、ロベーツ論文はこれら3分野の研究成果を統合するために「三角測量」を用いたと主張するが、その「三角測量」とやらの手法を定義も記述もしていない。したがって、彼らの手法に従って3つの分野に関する訂正を組み合わせることも不可能だ。つまるところ、我々が行った3つのデータセットすべての再検討は、ロベーツ論文の主張を完全に崩壊させた。トランスユーラシア仮説は未実証である。私たちはこの論文を取り下げるよう謹んで勧告する(Tian et al. 2022: 7)。
要するにアルタイ語族2.0は失敗したってことっすね。ロベーツ氏は「民族主義的な議題を持つ人々にとっては、自分の言語と文化の起源が国境の向こうにあるということは不快な真実だが、すべての言語と文化、人間は混じりあっている」って言ってたらしいけど、まずはご自分の仮説がボロボロだという不快な真実に向き合ってほしい。
こんなガバガバ論文を載っけちゃった『Nature』については、まあ……仕方ないところもあるのかな? ちょっとでも言語の系統とかに関心を持っている人なら「これアルタイ語族2.0じゃん」と気づける内容だけど、理系の雑誌の編集者にその目利きを求めるのも酷かな……査読者選ぼうにも誰がこの分野の権威かすらわからんだろうからな……ただし『トランスユーラシア語族ガイドブック』なんてものをホイホイ出版したオックスフォード大学出版会テメーはダメだ。お前んとこは人文系の研究書いっぱい出してるんだからアルタイ語族2.0くらい見抜けるだろうが!
なお、ペラール氏のツイッター(@ThomasPellard)を見たら「そもそも論証の基盤になってる語彙の出典が書いてないやんけ。これスタロスチンが作ったデータベースからのコピペじゃね? っていうかいくつかの言語が対応表に載ってないから同根語を検討できないんだけど?」という趣旨のツッコミをしていた(https://twitter.com/ThomasPellard/status/1536288665936306176)。あっ……(察し)
そろそろ凱旋門賞ですが、タイトルホルダーくん楽しみですね。天皇賞(春)と宝塚記念の圧勝劇(+お姉ちゃん)ですっかりファンになりました。ロンシャンでも逃げ切ってほしいですね。ただ背負ってる期待が大きすぎるドウデュースくんにも勝ってほしい……武豊を凱旋門賞に勝たせるために生まれてきた馬になったら胸熱すぎるでしょ……
あと先日のセントウルステークスは感動で泣きそうになりました。桜花賞のころから推してたので……(ソングラインちゃんも安田記念戴冠おめでとう。BCマイル頑張れ!)。スプリンターズステークスで今度こそ待望のG1制覇を成し遂げてほしいですね……
ユキノビジンは! 引けませんでした!(すり抜けで夏服メジロドーベルとサクラチヨノオーが来たのでまあ良し)
これ見落としてましたわ。教えてくれて感謝。こちらの方がわかりやすいのでみんなペラール氏の解説動画を見てクレメンス。
博士号って持ってないからわからないんですけど食べられるんですか? ご飯粒よりおいしいんですか?
ここでもいくつか紹介されているようにトマ・ペラール氏は日本語でもいろいろ書いているしTwitterやAcademia.eduなどでも積極的に情報や研究を公開していて我々素人にとってはとてもありがたいです
ペラール、ヴォヴィン、ローレンスの3氏は色々academia.eduに上げてくれてて助かりますよね。ところで素人とはいったい……うごごご。
有り難い要約だけど、最後の「アルタイ語族2.0」だから胡散臭い、という部分はやや迂闊かと。当該論文はそうでなさそう、というだけで真に画期的な論文によりアルタイ語族が復権することは可能性としてはあるよね
もちろんそれはそうです。ちゃんとした比較言語学的な手法で「アルタイ語族」の存在が実証できるのならそれは歓迎すべきことで、その可能性は残されています。ただ、これまで数百年にわたって研究が続けられてきて熱心な擁護者も大勢いるのにまだ確固たる同系の証拠が出てきてない、というのは相当に重い事実ですよね……。ロベーツ氏は「民族主義的な議題を持つ人々」のことを揶揄してますけど、日琉語族の分類というのはまさにその「自分たちの言語はどこから来たのか」というルーツ探しの情熱に取り憑かれた人たちがいっぱい研究して、それでもなお結論が出ていないテーマなわけで(cf. 日本語の起源 - Wikipedia)。
増田はドシロートなんでなーんも独自の見解は持ってないですが、古代ロマン的な観点からはanond:20211121124146でも言及した大陸倭語仮説が面白そう(「大陸倭語」の存在はまだ定説にはなってないことに注意)。島嶼倭語(仮に「大陸倭語」の存在が実証されない場合は日琉語)のUrheimatは五十嵐氏の指摘に沿えば近畿地方のあたり(多分四国ではない)。日琉語族が列島と半島にまたがって分布していて、そのうち大陸倭語が南進してきた朝鮮語族に同化されたと考えると古代の日本と朝鮮半島との関わりに色々納得がいく(繰り返すように素人が古代ロマンといくつかの論文に基づいて妄想したものです)。では仮に対馬海峡をまたいだ日琉語族の存在が実証されたとして、そのUrheimatは……どこでしょうね? なんもわからん。
あ、トラバでやたらゲノム研究のURL貼ってる人は、(もし同一人物なら)去年の議論で血統と言語系統を混同したり(anond:20211121201022)、論文や増田の内容を理解できてなかったりする(anond:20211121224311)ような人なので、マトモに相手する価値はないっすよ。一応ご忠告。