はてなキーワード: fルートとは
結局アレ脚本家が本当に描きたいことを描こうとするたびに、史実要素が全部邪魔になるんだよな
だってそうじゃん?
寅子はどこまで行っても、所詮いいとこのお嬢様が生まれ持った文化資本を存分に使い倒す、そういう話でしかない
あの時代としてはたいへん理解のあるパパに恵まれ、ママにも恵まれ、結婚を二度もして子も孫もできて
まあ朝ドラの伝統で身内を失うテンプレじみた苦労はあれど、あくまで既存の社会秩序に属した権力の手先風情に過ぎない
二言目には人権や反権力を謳うリベラル左翼勢力が、大嫌いでしょうがないはずの国家権力の一端をまぎれもなく担っていて
反体制ガチ勢の皆様から見れば、彼らもまた国家の走狗でしかない
そういう一見矛盾した事態ぐらい、制作側だって当たり前に自覚してるわけよ
そんな奴がいくら小手先でフェミニズムらしきものを唱え、差別と闘うポーズ見せたってね、あの毒親持ちのメンヘラツイフェミ連中が「これ私のことだ……」ってなるようなもんじゃねえの、本来は
そこ受け持ってるのよねだよね
まあ連中に司法試験受かるようなオツムはなさそうだけど
ぶっちゃけ本当はオリジナルであいつだけやりたいんじゃねーかとしか思えない
あれは主人公が裁判官なんかにならず、弁護士兼活動家の道をひた走るifルートそのものなんだろう
とことんフェミに寄り添うならもちろん結婚も出産もご法度だが、史実が史実なんでそういうわけにもいかない
プロパガンダとしては余計なものが多く、さりとて今更いつものイージーな朝ドラにも戻れず、なんとも軸がブレてしまった
例えば、同じく思想むき出しでおなじみのはだしのゲンにしても、そういうとこがある
俺は全部読んだから知ってるけど、一番後ろのゲンが絵描き目指して上京するだの恋愛するだの、そういうのは割とどうでもいいわけ
そんなものよりゲンが何かに噛みつく姿の方が面白いに決まってんの
ガンダムもドラゴンボールもみんな同じで、一度バトルで受けた作品っていうのは、もう永久にバトル以外まともに見向きもされない
いやドラゴボの教習所とかハイスクール編とか面白いだろうが、という奴も決していないわけじゃないけど、じゃあそれで映画が一本できるかと言われりゃ無理があるし、残念ながらノイジーマイノリティでしかない
視聴者はこの男社会に虐げられた女たちが立ち上がり、近藤隆太みたいに暴れ回るリーガルバイオレンスドラマ見てひと時スカッとしたいだけなのに、それを満たしてくれないんだから、当初みたいに盛り上がらないのも残念ながら当然
西遊記で言うところの前半と後半の違い
頭に輪っかはめられた寅子なんてだーれも見たくないのよ
だいたいが轟とのバディというのからして、女の「ゲイの友達欲しい願望」丸出しなわけだしさ
三淵嘉子とかどうでもよくて、それこそこの先の違憲裁判全部よねにぶん投げて、ドクターXみたいに「私TUEEEので」と無双したいだけなんじゃなかろうか
そういうわけにもいかない苦渋が感じられてならない
明治時代に新撰組が庶民からどのように思われていたのかを調べるために、庶民の目に触れていそうな(?)雑誌の記事だとか読み物だとかを抜粋していく。
『昔今豪雄見競鑑』は歴史上の英雄と明治期の英雄を対比したものだが「都ノ猛勇 悪源太義平」と並んで「脱走ノ勇士 近藤勇」とある。
近藤勇ってどっかから脱走したっけ?と思ったが、幕府瓦解後の旧幕府軍のことを「脱走方」と言ったらしいのでそのことだろう。
同じく「古今英雄競」「本朝今昔英雄鑑」「古今英雄三幅対」などにも近藤勇の名が挙がっている。
このような番付でよく名前が挙がる程度には知られていたらしい。
まずは近藤勇について。
近藤勇は武勇衆に秀で当時其英名尤も人に知られり新徴組の隊長となりて始め京師に在り又大坂に退き伏見の戦ひ幕兵乱るる中より取て返し迫る官兵を追捲り銃丸足に当ると雖も屈せず大ひに勇名を現し江戸に返りてより諸士を煽動して甲府に至り勝沼駅にて寄手を破りしが遂に衆寡せずして敗軍なし残兵を率いて走りたるが官軍厳重に探索を遂流山に於て勇(いさみ)を捕へんとす勇(いさみ)力戦して縛に就き板橋駅にて斬せらる
新徴組と間違えられとるやんけ!
新撰組時代よりもその後の甲陽鎮撫隊時代のほうに力点が置かれた説明のような気もする。
土方歳三も紹介されている。
土方歳三は幕府の旗下にして始め京師にあり伏見鳥羽の戦争破れしより江戸に返り諸士を募り主家を再興せんと謀り軍議を決して榎本永井の人々と共に品海を脱し函館に趣き尚ほ奥羽の士を募り官軍の来るを待受屡々寄手を脳す然れ共官兵は新手を入替無二無三に攻立たるに脱兵防戦に尤も苦む歳三毎も真先に進み敵を切る数十人に及ぶ後乱弾にあたりて死すといふ。
新撰組について何も触れられてねえ!
とはいえ「義臣」と銘打っているだけあって悪いようには書かれていない。
『汗血千里駒』は坂本龍馬を主人公として、その名を一躍有名にしたという小説。その龍馬の暗殺犯として近藤勇が登場する。
縦令ひ其不意を打ちたるにもせよ鬼神と呼ばれし海援陸援の両隊長をば斯く容易く一挙に斃し負せる其の手練と謂ひ肝気と謂ひ天晴れ日本一の剛の者と思はるるも実に理りなり彼の刺客は当時徳川将軍の御内に其人ありと聞えたる新選組の旗頭近藤勇等にてありしと
近藤勇とその腹心の土方歳三が、二人で近江屋に討ち入り、坂本龍馬と中岡慎太郎を斬って、「そのとき義経少しも騒がず…」と高らかに謡いながら出ていき、今際の際にそれを聴いた龍馬が「あの刺客は只者ではない、彼らのような豪胆さがあってこそ大事を成せるのだろう」と慎太郎に語る、という描写があり、これがのちの様々な作品に踏襲されていったようだ。
当時幕府の亡びなんとするは天の命なり民の望なり社会自然の気運なれば今は百の勇(いさみ)ありとも亦之を如何ともすることなきをば思はずして健気にも唯忠を己が仕ふる所にのみ尽さんとしたるは愚かにも又哀れとや謂わん
時代の流れに逆らって忠を尽くした健気だが哀れな武人…といった感じで「敵役でありつつ悪役ではない」という扱いに思える。
偖は其方が近藤なるか。其方幕府を笠に着て国を憂ふる正義の士を多く害せし大罪人。此処で遇しぞ僥倖なれこれまで其方の手にかかり不幸にも寃に死したる正義の志士の忠魂を弔ふための復讐せん
お松・お竹・お梅という三人の娘が勤王の志士を助けて新撰組と戦う、といった話らしい。
こうしたいかにも勧善懲悪な読み物では「典型的な悪役」として描かれていたようだ。
近藤勇の話
江川太郎左衛門が琴の譚に比らべて、劣る事なきは、近藤勇の謡なりけり、以て幕臣中の双美とこそは為す可けれ、左に説かむ。
武勇と剛胆とは、麾下九万の士人中、勇(いさみ)ぞ其第一位を占めたりける、さればまだうら若き身を以て、新撰組の頭領として、海内動揺の中心たりし京城鎮護の命を稟げ、一時其独力をもて、鷙悍狂躁の浮浪はらを打鎮め、幕廷擁護の干将莫耶とは成りたりけり。
めっちゃ褒めるやん。
土方歳三は、豪邁不屈、肝気非常の男なれども常に勇(いさみ)を相輔けて、死生を共にせむ事を約し、巴港戦死の時に至る迄、其生前の交義を追想し、風吹く日雨降る夜ども、寒窓の下に俛泣し、時世は既に望なし、片時も早く、泉下に亡友を尋ねましとぞ歎ちけるとぞ、其人をしらまく欲せば、先づ其の友を見るべかる、この一斑の譚を見ても、勇(いさみ)が全豹をぞ推すに足る。
国粋主義系の雑誌らしいんだけど朝敵をこんなに褒めていいのか。忠義を尽くして死ぬ話がやはり好きなのか。
コラムの後半では坂本龍馬暗殺の話が書かれていて、この頃はやはり「龍馬を殺した男」という印象が強かったようだ。
著者本人が古老に取材したもので、幼少期の勇が近藤周助の養子に迎えられて「近藤勇」と名乗るまでを紹介している。
是より後のことは明治維新の史にくはしく、今更いふべき要もなし、唯其妻の事継嗣のことおよび処刑後の事并びに近藤勇と尤も関係ふかき土方歳三のことなどは、世に知られざるふし多しそは又時をかへて語らん。
として次号に「近藤勇の妻及子」、また別の号に「土方歳三の少年時代」が掲載されている。
婦人雑誌でも「今更いふべき要もなし」と言うほど近藤勇の知名度は高かったのだろうか。
花を浮べし徳川の流れの末荒浪立ち騒ぎて、二百六十余年は名残の夢となりける時、武士道の意気地を立て貫きて、板橋の草に赤きこころの血を染めたる近藤勇の名を知る人は、函館の浦吹く風に露と消えたる土方歳三の名を忘れざるべし。
かっこいい。
松林伯知は、永倉新八から『浪士文久報国記事』を借りパクした疑惑があることで知られる講談師で、新撰組を講談の主人公とした最初期の人物だったという。
巻末に「夢物語」と題した短編が収録されていて、それは函館に入った土方歳三が「公武合体に成功した新政府のもとで陸軍を率いる近藤勇と海軍を率いる坂本龍馬が仲良く会話する」という夢を見る、というifルート的な内容のようだ。胸熱。
本編では、坂本龍馬を暗殺したのは近藤勇ということになっているし、新撰組結成前に江戸で近藤勇と坂本龍馬が手合わせをしていた、というような場面も描かれている。
『少年世界』という、その名のとおりの少年向け雑誌に掲載された坂本龍馬の伝記で、そこに近藤勇が登場する。
人と為り魁夷、斗酒を嗜なみ、勇悍独歩肝臼の如し。幕の末路に当り新選組の長となりて徳川氏の為め新日本の活舞台上に仇すること実に巨多なりとす。彼は常に歩百歩の外に潜行して西郷、大久保、坂本等を暗殺せんと睨むこと茲に年ありき。就中、龍馬が大勇は向に新選組百有余人をして全く色なからしめ、以て其長たる勇(いさむ)の面目を天下に唾し去り。(中略)勇(いさむ)は今や血燃え、涙滾りて自から禁ずる能わず。すなわち刎頸の友、土方歳三を招きて何をか耳語すること久し。忽ち相頷きつつ頗る決色ありき。
として近藤勇と土方歳三は、二人して坂本龍馬暗殺に向かうのだった、という筋立てになっている。暗殺の場面は『汗血千里駒』を踏襲している。
前述の『幕府名士近藤勇』には沖田総司や永倉新八は出てこないが、こちらの『新撰組十勇士伝』には登場する。
ただし、沖田が天才剣士だとか、そういうキャラクター付けはまだ無く、せいぜい「名前のある脇役」くらいの立ち位置のようだ。
芹沢鴨の暗殺、山南敬助の切腹、伊東甲子太郎との敵対、池田屋事件などのエピソードはある。
また、こちらでは龍馬暗殺が近藤本人ではなく「近藤勇の命を受けた佐々木只三郎」によるものということになっている。
京都見廻組の佐々木只三郎らが龍馬を暗殺したという説は明治2年には出ていたようなのでそれを取り入れたものか。
京都の観光ガイドブックらしいが、壬生寺についての紹介で新撰組に言及がある。
節分には疫除祈祷の為め参詣者群れを為せり、去れば維新前後天誅組と称し近藤勇、土方歳三など当寺に立籠り壬生浪士といへば婦人子供の戦慄せし当時を思へば御代太平を喜こばぬ者はない
当時の京都人の認識がうかがえるものの、「天誅組」といえば倒幕派の武装集団なので新撰組とは正反対の存在である。
単なる勘違いなのか、それとも庶民のあいだでは混同されていたのか。
松林伯知のものと同じタイトルだが別の講談師によるものらしい。
こちらには沖田総司・永倉新八・斎藤一らも登場するが、池田屋事件の場面において、
中にも沖田惣司の働きに至っては実に目ざましい、此処彼処と戦ふて居りまする中に、最う最後と思ふ、折りしも何処からか一人の敵が、惣司の袖の下を潜って逃げんとする 沖田「己れッ………」と云ひながら躍りかかつて、エイッ……只だ一刀に斬って落とした、其の時に急に持病の肺患が起つて其の場に気絶をした
とあり、喀血ではないが、沖田総司の発病の描写があるのが興味深い。
同じ明治44年に刊行された鹿島淑男『新選組実戦史』(デジタルコレクションには1975年の復刊版しかない)にも同様の記述があり、そちらは新聞連載をまとめたものだというので、講談師が紙面で読んで取り入れたものか。
ちなみに『新選組実戦史』は吉島力『新選組顛末記』の元ネタで、『新選組顛末記』は子母澤寛『新選組始末記』の元ネタらしい。
・明治の始めにはまず「近藤勇」個人が知られ、「新撰組」はそれに従属する情報にすぎなかった。
・『汗血千里駒』によって坂本龍馬の人気が高まるにつれて、「坂本龍馬を暗殺した男」として近藤も知名度を上げた。
・近藤の腹心として土方歳三が登場することは多かったが、それ以外の隊士たちはほとんど取り上げられなかった。
・近藤は概ね「維新志士の敵ではあったが立派な剣士だった」と捉えられていた。
・しかしエンタメ寄りの勧善懲悪ものでは典型的な悪役を演じることもあった。
・やがて永倉新八の『浪士文久報国記事』などをもとに、近藤勇を主人公とした講談が演じられるようになった。
お忙しいところ、ご返信誠にありがとうございます。
もしかしたらさらに怒らせてしまうかもしれない…と思っていたので、私の考えを理解してくださりホッとしました。
作品や作者に対する考えは真逆ですが、抱えている不満そのものは同じだと思っていたので、それを共有できたことを嬉しく思います。
丁寧にお返事をくださったので反論など全くありませんが、いただいた疑問点について述べさせてください。
確かに言われてみれば、うるかルートもあった方がシンプルに売上が上乗せされる可能性が高いですね…
私が感じていたのはアニメとのバランスです。どういった形であれアニメでうるかルートをやったので、さらにボイスドラマもあるとスタッフ(作者?)側の考える「平等」にならなくなってしまう…ということなのでは、と。
Twitter公式アカウントでもボイスドラマの告知で「アニメでは見れなかったルート」と称されていて、アニメの延長線上にボイスドラマがある、という認識なのかと感じていました。
https://x.com/bokuben_anime/status/1300254040446496769?s=46&t=ZMmMaX82fCghiRhVnzaFOA
しかし読者側からしたらアニメとボイスドラマ(原作の特典)は別物であって、そこに齟齬が生まれてしまったのでは。
・問150と幕間(17巻のおまけページ)について
この2点は、うるかルートの不満点としてTwitterでよく話題に挙がるので書きました。
おっしゃる通り、私もあのラストでなくてもサプライズは成立するだろうとは思っていて、誰とも結ばれないノーマルエンドを描いた後5人分やったらよかったのに…と考えるくらいです。
しかし作者はあれが最高のサプライズだと考えてお出ししたんでしょうし、(その是非はともかく)そこに特定キャラを嫌っているとかの悪意は個人的に感じないので、「嫌われている論」の根拠にはならないだろう、という一意見です。
幕間は、17巻に問150のその後のおまけが描かれていないことです。
他のルートは最終話のあとにその後のエピソードがチラッと描き下ろされていますが、うるかルートはifルートの告知でそれを潰されています。しかも余白ページがあるにも関わらず…
これはうるかルートの余韻よりサプライズの余韻を優先したということで「嫌われている論」の根拠のひとつに挙げられます。
私としては本誌と同じ驚きを単行本派にも感じて欲しいという配慮なのでは?と考えていますが、上記の通りページが足りなかった訳ではないのであまり納得のいく理由にはならないです…あとは番外編でうるかがメインの話が多いから…と勝手に私の中でバランスを取っています(苦笑)
私自身も納得がいっていない(無理やり納得している)ことも多々あり「粗が多い」とおっしゃるのも最もだと思います。
ただやっぱり、好きな漫画、キャラクターを生み出した人に悪意を見出したくはない…という気持ちでなんとかやっています。
公式がこれ以上動かないのならば、読者一人一人の中でどうにか折り合いをつけるしかないんですよね…私は不満を見るのも好きなので(嫌味などではなく本当に純粋に)、こうやって対話してくださって嬉しかったです。
長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
30作品強。(前後編に分かれてたり「2作で1作」みたいなのがあるので、はっきり「全○作」と書きにくい…)
いつものバンドリ。通常パートには若干の人形劇感はあるが、ライブパートはすごい。
映画じゃなくてOVAの連続上映では…?みたいなフォーマットだったが気にしない。
YouTuber、SNS、アノニマス(※増田ではない)、陰謀論、AI…と今っぽい要素がてんこ盛り。美衣奈たんかわいいよ美衣奈たん。
密室となった宇宙ステーションから脱出できるのか…?という前編はワクワク感がすごい。
後編はセカイ系というか、ちょっと観念的な結末だったので面食らってしまったが、まあアリ。
「治療が困難な伝染病が蔓延している」という世界観の作品だが、前年の9月に公開予定だったのがコロナで大幅に延期。
序盤に主人公たちが女装して、詰め物をブルンブルンさせながら歩くシーンがあってちょっと引いてしまった。
なくても良かったんじゃないかな、あれ…。
本編主人公の母親の若い頃がメインの話だけど、こんなハードな作品だったのか…。
原作未プレイ。原作の設定から独自に膨らませたストーリーなのかな?となんとなく思ってたが、いま調べたらわりと原作に忠実な内容だったのね。
主人公の女の子の声優が上手い。今作が声優初挑戦とのことだが、全然遜色なかった。
不可抗力な事故の責任を取らされる形で大学の航空部に入部させられ、部の先輩には強く当たられ、再会した生き別れの姉からも強く当たられ…と理不尽な目に遭い続ける主人公だが、天才的なグライダーの操縦センスで切り抜けていくのであった…。
物語の冒頭、主人公はバイト先の新聞配達店の客の家で時間を止める能力を使って、滞納してる新聞代をこっそり回収するのであった。……いやもっとほかに使い道あるやろ、その能力…。
3DCGアニメだけど、映像がすごいチープで「神山健治、大丈夫か…?」ってなった。
観に行く前にTVシリーズを予習したらめちゃめちゃハマった。
…が、そういうときに限って映画はTVシリーズの総集編なのであった。
追加シーンはあるけど、そのためだけに観に行く価値があるかというと…。
TVシリーズはなんとなく観てなかったんだけど、こんなにガッツリ「あの事件」を題材にしてたのか…。
さんざん言われてるけど、水没してほとんど廃墟になった東京でパルクールとかしてる場合か…?
文化祭でそれぞれのヒロインのルートが描かれたのは Ifルートを描いたのか、それとも単に「○○の視点だと…」を繰り返したのか、未だによくわかってない…。
体感だと尺の半分くらいはライブシーンだった(実時間は違うかも)けど、個人的にはあんまり魅力を感じなかった…。ストーリー自体は面白い。
ガンダムはそれなりに知ってるけど、ファーストをちゃんと観たことはなかった(ありがち)。
TVシリーズの1話を映画にしてるので、物語の展開はかなり遅い。
モブが棒立ちのシーンがほとんど無くてすごい。「古き良きアニメ」という感じ。
元になった作品は幼女戦記とこのすばを少し知ってるくらいだが、予想外に面白かった。
登場人物がめっちゃ多いのに、ちゃんと満遍なく活躍してる。スパロボみがある。
「神社の境内でこっそり世話してた子猫。里親がなかなか見つからず『自分たちの家で飼おう』と決心した途端、良くしてくれそうな親子に拾われてしまい…」という展開……うーん…。
前半は3DCGの(なんか世界観が独特な)アイドルアニメで、後半はキャストのMVという変な構成。
公開直前までコンテンツの存在自体を知らなかったんだけど、2019年秋に楽曲を軸にしたアイドルコンテンツを立ち上げたらコロナ禍とバッチリ被ってしまって、ライブも開催できず、CDも2年間リリースできず…ということらしい。
映画の出来はともかく、曲は好きだったので既発売のCDを買い集めてしまった。
観に行く前にTVシリーズを予習しようとしたけど、1期の7話くらいまでしか観られなかった…。
全員ちゃんとした社会人になってて、御都合主義にせず誠実に作ろうとしてるのはわかるけど、やっぱり高校生の頃のキラキラ感は薄くなってるかな…。
原作未読。制作はフランスの会社だけど、日本の風景や文化に関する解像度が高くて驚いた。
舞台は50年前~30年前くらいだけど、時代考証もほぼ完璧だったのでは。
ただ、(パンフレットの対談で原作者の夢枕獏も言ってたが)ヒロイン(?)の岸 涼子が「欧米人がイメージする、ステレオタイプなアジア人女性」みたいな造形だったのは…。
(参考リンク)
原作未読。制作発表当時に公開された、原作イラストを使用したキービジュアルからキャラデザがかなり変更されてたんで「大丈夫か…?」ってなったが、杞憂だった。面白い。
「中に入ると自分が望むものが手に入るが、外界よりも早く時間が進んでしまう」というトンネル、設定はSFっぽいけど、劇中でトンネルの原理や存在理由は解明されないので、どちらかというとファンタジーだと思った。
主人公の妹を「若おかみは小学生!」の小林星蘭が演じてるんだけど、すごく上達してる…!(もともと上手かったけど、「子役の声」から「声優の声」になった感じ)
あと、2005年頃のガラケーに関する描写がめちゃくちゃ解像度高い。
団地の建物ごと友人たちと迷い込んだ世界は周りが一面の海で、流れに身を任せるしかできず、食べ物はなくなっていくし、メンバーが怪我をしてこのままでは…みたいな展開が続いて、結構フラストレーションが溜まる。
「夏だ!冒険だ!」みたいな爽快感がある作品かと思ってんだが…。丁寧に作られてるし、キャラは魅力的なだけに残念。
原作未読・TVシリーズも未見。(『サマータイムマシンブルース』も)
未来から来たタイムマシンに乗って過去に行ったが、現地で軽率な行動を取ってしまって、このままだとタイムパラドックスが起きて宇宙ヤバイ。
過去の自分に気付かれないようになんとかしないと…という王道のタイムトラベルもの。脚本が破綻なくまとまってて面白い。
「2作あわせて1つの作品」的な映画だけど、2作のクオリティの違いが大きすぎない…?
劇場スケジュールの都合で『君愛』の方から先に観たけど、「これが2022年の劇場アニメか…?」ってなった。
その後に観た『僕愛』は、『君愛』に比べて作画も美術も頑張ってるな…と思った。
…が、こっちも他の劇場アニメや高クオリティな深夜アニメに比べるとけっこう厳しい…。
TVシリーズは何回かチラ見した程度だけど、わりと面白く観た。夏だ!旅行だ!という、王道の劇場版。
恋愛関係まではいかない、シスターフッド的な百合関係の数十年後が描かれている点が興味深かった。
(珍しく)原作既読。(コミックDAYSで無料公開されたときに読んで、その後単行本も購入した)
これも原作からキャラデザが大きく変わってて「大丈夫か…?」ってなったが、こちらも杞憂だった。最初は若干違和感あったが、観てるうちに気にならなくなる。
原作ではSFなメインストーリーと並行して小学生女子の間でのいじめがかなりの解像度で描かれてて「どっちが本題だ…?」ってなったけど、
映画では(完全にオミットされたわけではないが)この要素は控えめになってて(具体的にはコンビニで仕返しするシーンがカットされてたり)、ストーリーの本筋が明確になって観やすかった。
尺の都合でやむなく整理しただけかもしれないが、正解だったと思う。
前作のラストにチラッと出てきたアルゴが今作では最初から仲間になってて「えっ、いつの間に…?」ってなった。
前作ではあったエンドロール後の続編予告がなかったし、とりあえずこれで終わり…?
(「プログレッシブ」とは違う完全新作の劇場版の制作が発表されたようだし)
FSSは未履修。「ソフト化はしない」とか、監督は相当こだわりがある作品のようだが、エンドロールで楽器の表記が「Base」「Electric base」とかになってるのは直さないのか…?と思ってしまった。
公開初日に観に行ったら、客ガチャで大ハズレを引いてしまった。(最前列に座ってた60代くらいの夫婦が、変なタイミングで大声で笑う。ずっと喋ってるとかじゃないから「マナー違反」とまでは言えないし…)
それが気になって内容に集中できず、作品自体の第一印象までよろしくなくなってしまった…。
その後2回観に行ったけど、前作ほど面白く感じなかったのは作品のせいなのか、それとも第一印象が払拭できないせいなのかが切り分けられないので、自分はこの作品についての良し悪しについて語らない方がいい気がする…。
中盤に「①かつては鉱物の採掘で豊かだったが現在は経済的に厳しい小国。これからは農業を基幹産業にしてなんとかなりそうです! 体調が優れなかった女王も快方に向かいそうです!」→「②いかにもな小悪党に女王がそそのかされて…」という展開があるが、劇中でいちばんカタルシスがあったのが①の時点だったので、それ以降は観ててしんどかった…。
テレビだと放送コード的に難しそうなセ○クス連呼から始まって笑った。
1年の最後にすごいのが来た…。めっっっちゃくちゃ面白かった…。
原作未読で、予告を見た段階では「子供たちが謎の孤城に集められて…」くらいの情報しかなかったんで「よくあるジュブナイル小説のアニメ化かな?」くらいにしか思ってなかった。
この作品は、不登校の経験があるかどうかによって感想が違ってくるのかもしれない。ない人が観てもつまらないということは決してないと思うけど、経験がある自分は主人公・こころにめちゃくちゃ感情移入してしまった。
こころを演じた當真あみの演技は、(『アニメ声優』的な意味では)必ずしも上手くはないかもしれない。でも、その若干のたどたどしさも含めて、すごく良くこころという人物を表現できてると思う。
この作品は「静と動」で言えば「静」の方の作品だと思う。それほど激しいアクションシーンがあるわけでもないし、音楽が流れていないシーンも多い。
作画、カット割り、セリフ、演技、どれも控えめなのに、主人公が行動するたびに(ただ家の外に出たり、学校に行ったりするだけなのに)「この後、どうなるんだろう…大丈夫かな…」とずっとハラハラしてた(そのせいか、劇中で1箇所だけあるくだらないネタに不意を突かれてめちゃめちゃウケてしまった)。
特に、こころがある手紙を読むシーン。たった一文の、ものすごく短い手紙なのに泣きそうになってしまった。
ミステリ的な要素もあって、伏線もあちこちに張られてるので「あのセリフはそういうことだったのか…!」と複数回の鑑賞にも耐える造り。
よくあるトロッコ問題の例に対して俺は「人類は死んだほうが良いニンゲンの方が多いので罪が重くならないのであれば5人の方殺す」って即答するんだけどさ
毎日街で買い物しててこっちよりこっちのほうがお得!とかで葛藤してるの見ると俺は毎日トロッコ問題やらされてるんだろうなと思った
「1点で10%引きと5点で30%引き、どちらを選びますか?」って問いにはマジで答えが出せない
しかもトロッコ問題と違うのはいつかのチェンソーマンみたいに「ネコもいたよ」っつって第三第四の選択肢が出ることもあり得るじゃん
チェンソーマンってかデンジくんは自分の価値観が固まっててネコ救うのが自分の正義として即断出来るのは羨ましいと思った
俺は日々の買い物という線路のないトロッコ問題の答えが出せない
んで今日分かったことが俺はすべてのお得を救うことが出来ないんだということ
俺は俺のお財布にとってのヒーローにはなれないんだ
財布の中の銭のすべてを救うことができないんだ
俺は悪いから自分の私利私欲のために財布の中の大勢の中から犠牲になってもらうヤツを選ばなきゃいけないんだ
そう考えるとデンジくんは憧れる
別の作品でいうとFateの衛宮士郎ってHF以外だとゴミカスだなって思う
正義の味方っていうけど正義は人それぞれで、HFに入ってようやく衛宮士郎は衛宮士郎自身の正義が出来上がっていくことになる
何が言いたいかというとトロッコ問題って人によって形質を変えるべきなんじゃないかな
まとまった時間を確保して『STEINS;GATE(シュタインズゲート)』『STEINS;GATE 0(シュタインズ・ゲート ゼロ)』を3日間で一気に初プレイした。
1年以上前にアニメは視聴していたので大まかあらすじは把握しており、アニメ化されていないエンディングを見るため Steam で購入。エンディングが見られればいいのでフラグを知るため攻略サイトを利用し既読スキップしたが……思った以上にのめり込み文字どおり寝食を忘れてプレイした。振り返ると睡眠時間は6時間、食事は3回削ったと思う。
『STEINS;GATE』から『STEINS;GATE 0』へのストーリー上の分岐点をなんとなく覚えていたので、『STEINS;GATE』の True END 以外のエンディングを全部やってから True END 途中でいったんセーブし『STEINS;GATE 0』全エンディングを見て、最後に『STEINS;GATE』セーブをロードしてエンディングをみた。涙ぐむところ4か所、クリア後に嗚咽。ここ10年でいいところは語り尽くされていると思うので屋上屋を架すことはしない。
主な症状として――
これだけ強い後遺症が出たのは、おそらく金庸の日本語訳を読み尽くした時以来だ。好みに合う作品の一気呵成プレイはいけない
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開発元の MAGES. Inc. および制作に関わった方々へ
Maximas Tibi Gratias
1話で(あんまり設定の固まらなかったっぽい)ジンに薬を飲まされ体を小さくされた工藤新一だが、取引の現場に行かない、あるいは目暮警部でも連れて行けば体を小さくされることもなかっただろう。
でもその場合タイトルが「名探偵新一」になるんだよな。かぶるよなぁ、いろいろと。マガジンの高校生名探偵と。成績といい知識といい体力といい実家が金持ちなところといい家柄(リアル有名人の孫)と顔立ち以外はあらゆる面で金田一少年に勝る新一君だけど、それでも二匹目のドジョウ感は否めない。
そもそもコナン自体、「マガジンで推理ものが流行っているからサンデーでも推理ものをやろう」というところから始まっており、普通だったら金田一少年に寄せて漫画を作るであろうところを(ジャンプはそれで最低でも2回失敗しており、デスノやネウロで持ち味を活かす方向にシフトして成功した)、主人公の体を小さくして不思議メカとラブコメ要素をくっつけたのは流石青山剛昌大先生といったところである。
もともとヒソカからその才能を高く評価されており、舐めプしてたとはいえヒソカの腕を千切れるくらいのパワーを持っていたわけで、間違った方法で念能力を習得したらどうなってしまうのかをゴンと読者に呈示するかませ犬の役になってしまったのだが、強化系は極めれば各種ステータスが尋常じゃなくなるので、ちゃんとした念の師匠に巡り合えていればゴンさんほどとはいかないまでもウヴォーと同等かそれ以上の使い手にはなれただろう。たぶんバンジーガムもトランプも通用しない。
イケメン大好きビスケと、ヒソカから才能を認められたイケメン、正直ベストマッチだと思う。たぶんクソガキたちよりも手取り足取り優しく教えてくれると思う。イケメンの弟子と可愛い(見た目)の師匠、乙女ゲーでありそうなシチュエーションだから話が全く違う方向になるけど。
屈指の弱キャラとしてネタにされつつも愛されてる男火引弾だが、師匠にもその才能を認められ、修行してちょっとで片手波動拳が使える(これができるのは師匠だけ)くらいだから、破門されなかったらリュウや豪鬼以上の使い手になったと思われる。でもサガットへの復讐心はそのままだから、かなり高確率で殺意の波動にめざめてるだろうなぁとも思う。その場合でも豪鬼より強いだろうけど。
赤犬の安い挑発に乗ってしまったせいで命を落とす結果となったエースだけれど、これがもしウソップみたいな性格だったら捨てゼリフを吐きながら赤犬から無事逃げおおけていたことだろう。
その場合、白ひげが死んでいたかどうかもちょっと怪しいわけだが、仮に白ひげが死んでしまっても白ひげ海賊団も落とし前戦争ももう少し違った形になっただろう。まあ白ひげ抜きで黒ひげ海賊団に勝てるとは思えないけど。
漫画版と映画版しか知らない。ゲームをやるかどうかをコイントスで決めて、ゲームに乗る方を選んでしまったがために事実上のラスボスと化した男。
成績優秀容姿端麗、不良のカリスマで、拳法の達人に拳法で勝っちゃうし、頭撃たれてもなんか訳の分からない動きで主人公サイドを翻弄しちゃうし、車も普通に運転できちゃうし、ほんとにチートみたいな存在だった桐山。
彼が政府と戦う選択肢を選んだら、造作もなく政府に勝っちゃうのは想像に難くない。まず自力で首輪を外せそうだし、首輪から盗聴器が仕掛けられてることとか首輪を外したら死亡扱いになることも解析出来そうだし、三村よろしくハッキングもたやすく出来てしまいそうではある。加えて体術も尋常じゃないから、一人で政府や軍隊のいる最初の学校に乗り込んでも余裕で勝てるだろう。一人で乗り込んでもいいし、持ち前のカリスマを活かしてみんなで乗り込んでもいい。勝ち方すら選り取り見取りなのがチートのチートたる所以なのだ。
忠義心1割、辞めたところでどこにも拾ってもらえないだろう感2割、主に垣原への恐怖心9割で終盤まで垣原組にいたけど同時に敵と仲間がゴミみたいに殺されてるのに耐えかねて逃亡したヤクザ。とはいえ当初からジジイのリストに入っていたから、最後のイチと垣原とのドンパチの幕間で殺されてるか、その前にジジイに殺されてるだろう。そこらのモブヤクザよろしく瞬殺されるオチしか見えず、あのままヤクザマンションにとどまったところで、生き残れる要素がどこにも無い。合掌。
もともとアマゾン製作者の一人である天才科学者なので、野座間に残ってアマゾンをどうにかする薬を作ろうと思えば作れたであろうが、持ち前の正義感で自分がアマゾンになることを選んじゃった伝説のヒモ。シーズン2ではヒモから住所不定無職にランクアップしてしまった。
彼が余計なことをしなければ千翼が生まれず七羽さんもオリジナルにならず新型アマゾンも生まれず、結果星埜一家も死なないしフクさんも圧裂弾を要求しないで済んだ訳なので、あらゆる意味でシーズン2の元凶になってしまった男。もしかしたら悠とイユでフラグが立ってたかもしれない。イユと千翼のおねショタか、悪くないな。
余談だが黒幕とラスボスが違うのはタイムレンジャー以来な気がした。
千翼はアマゾンではないから、仮にシーズン1のタイミングで千翼が生まれたとしても普通の5歳児で、鷹山一家はアマゾンに食われる可能性はあったかもしれないけど大手製薬会社のチーフとしてそれなりに恵まれて幸せな家族生活を送れていたのだろう。アナザークレヨンしんちゃん、それは多くの視聴者が望んでいるifルートなのだ。
同情するから死んでくれなどと言われる千翼が救済されるルートはシーズン2の中にはなかった。
お気に入りキャラを絶対幸せにさせないという靖子の強い意志(悪意)を感じて、とても良い。
CSM戦極ドライバーの演者インタビューがちょうどそんな感じのifを表しているんだよなあ、と思いインタビュー見ててなんか悲しくなっちゃった。紘汰と戒斗は仲の良い友達、呉島兄弟は歳が離れてるせいでちょっとぎこちない関係の兄弟、シャルモンのおっさんと城乃内は師弟、という感じの。
ヘルヘイムの森がなかったらユグドラシルも沢芽市を強引に再開発してこなかったわけで、そうなると戒斗の実家の工場も潰されずに済むから裕福ではないにしろ両親も生きてて強者があんなに強さに拘らなくてもよくなるわけで、戒斗の性格も結果ゆーちゃむみたいに明るい性格に育つかもしれない。紘汰は基本的に、自分に明確に敵対的な人間以外には誰とでも仲良くできるお人好しな性格で、こばゆたと似た性格のシャプールにもまあまあ好意的だったから、明るい性格の強者厨じゃない戒斗とは普通に仲良くなれるんじゃないだろうか。
呉島一族は、ヘルヘイムの森がなかったらユグドラシルもあれだけ発展することはないのでユグドラシルの中で出世することはないかもしれないけれど、一族揃ってユグドラシル内で出世しているのだから他の世界線でも出世してるだろう。藤果もメイドとして引き続き呉島家に仕えていてアナザー園咲家になっているかもしれない。優秀で厳格だけどちょっと天然な性格な歳の離れた兄は、弟からすればたまにネタにはできるけど基本的には尊敬と畏怖の対象でちょっと距離感ある兄弟なんだろうなあと思う。
沢芽市はもともと蟲寄市みたいなシケた街で、ユグドラシルの強引な再開発で街が栄えたのを見て、ドルーパーズの坂東さんは沢芽市に戻って店を開いたらしい。シャルモンのおっさんがどういう経緯で沢芽市でケーキ屋をやることになったのか分からないけど、有名パティシエの直弟子とかパティシエ志望なら喉から手が出るほど欲しいポジションに就けるあたり、城乃内くんはとても運が良い人間なのかもしれない。もしユグドラシルが再開発しなかったらシャルモンのおっさんも沢芽市で店を開かなかったかもしれないけど。
ジャンプで連載中の漫画「ぼくたちは勉強ができない」が今週一つの最終回を迎えたところですが、同時に少年誌では前代未聞のマルチエンド方式であることを発表したことで大炎上しています。
結ばれたヒロインが決定してからそれなりの時間が経ち、荒れかたも落ち着いてきたところでの爆弾投下だったので酷い荒れ方でした。全盛期の頃の俺妹にも負けず劣らずの荒れようで、罵詈雑言が飛び交う酷い有様でした。
純粋に喜んでいる人もいるのでしょうがそういう人はあまり多くは書き込まないので、大抵は今までの鬱憤を晴らそうとする書き込みですね。見るに堪えない人も多かろうと思います。
この方式が嬉しくないかと言われると嬉しい気持ちもあるにはあるのですが、それでも個人的には「ラブコメ漫画」でのマルチエンドには反対です。1話2話程度の完全にifルートと分かるような形式であれば良いのですが、過程も含めて描こうとするのは絶対に反対です。
ラブコメを読むことを競馬に例えることも多いし、その感覚もあるのは否定しませんが、それでも一番は唯一無二の運命の人と結ばれる過程を見たいから読むというようなロマンティシズムなところなんですよ。
好きなヒロインがその相手であれば最高ですけど、そうでなくともその運命が美しければそれで良いんです。
恋愛ゲームはいいのかと言われそうですが恋愛ゲームはいいんです。ラノベにもあると言われそうですがラノベも今のところはいいものしか知りません。媒体の違いは大きいです。知ってる範囲で違いを書きます。
漫画でのマルチエンドは少年誌では前代未聞ですが、、青年誌では「すんどめミルキーウェイ」という前例があるそうです。
読んでいないので詳しくは知りませんが、本編のフィナーレ手前からの分岐のようです。読んでいないのでなんともいえませんが、「ToLOVEる」のようなエロよりならありかなと思いますし、そうでなければちょっとどうかと思います。どのくらい続きを書くかにもよりますが。
ちなみにジャンプで連載中の「ゆらぎ荘の幽奈さん」も擬似的なマルチエンドを行っています。一本道の話の中で必然的に各ヒロインのあり得たかもしれない将来を描いているもので、設定的に可能な作品は限られるとはいえ上手いやり方だなと感心します。
ラノベで一番有名なマルチエンドは最近出た俺妹のあやせルートでしょうか。これはゲームのノベライズです。ifなのは明らかなのでこれはいいです。
他にも「ベン・トー」の最終巻もマルチエンドですがこれも短編でそれぞれと結ばれたかもしれない世界を書いてるだけなのでifなのは明らかですからこれもいいです。
ラノベとして一番ちゃんとマルチエンドを書いてるラノベは「お前をオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ」の小豆エンドでしょうか。ドラゴンマガジンで本編と並行して短編連載していたパラレルストーリーをまとめたものですので、これもifなのは明らかですね。時系列的に半年以上かけて別の世界を書いていますし、小説なので描写の密度も漫画よりずっと高いです。このくらいかけていればこういう選択をしていれば小豆と結ばれる運命だったんだなと素直に思えます。
シナリオメインの恋愛ゲームは基本的に出会いとそれぞれの事情を簡単に知っていく共通ルート、個別のヒロインとイベントなどを通して結ばれていく個別ルートに分かれています。「シュタインズ・ゲート」のように実質一本道なものもありますが、恋愛メインならほとんどこういう形式です。
共通ルートと個別ルートの比率は作品によって色々ですが、大抵は共通ルートのほうが短く、個別ルートのほうが長いです。
なぜかといえば、最終的に主人公がどのヒロインと結ばれるにしろ共通ルートでは同じ経験をしているわけですから、その同じ経験の比率よりなぜそのヒロインと結ばれたかという個別に仲を深める比率のほうが高くないと説得力が薄くなってしまうからですね。
個別ルートが1,2時間とかいう作品もありますがそういうものは基本駄作と言っていいでしょう。1,2時間で描写が済んでしまうような運命に説得力などありません。
主人公のした選択によって、別のヒロインと結ばれる運命が生まれる。恋愛ゲームのいいところはあったかもしれない運命をいくつも見られることですね。まあそれをメタるのもまた恋愛ゲームですが。
オリジナルアニメでマルチエンドはないでしょうから概ねこの辺りでしょうか。
「唯一無二の運命の人」という表現ですが、生まれたときから赤い糸で結ばれているという意味ではなく、その場その場での選択によって結ばれる運命となった人という意味で使っています。
ですから今現在ラノベでやったことがあるような方式ですとか、恋愛ゲームならその運命になるだけの十分な説得力があるからいいんですね。
じゃあなんで漫画だと反対かというと単純にそんなに長く描けないでしょ? というだけです。長く描けるなら別にいいと思います。
「ぼくたちは勉強ができない」での分岐は文化祭だそうですが、文化祭は150話中69話目です。恋愛ゲームでいえば共通ルートが69話、個別ルートは81話です。この時点で成幸が誰かに惚れてる感じもしないので分岐するタイミングはいいと思います。だから各ヒロインこのくらい描くならいいと思いますよ。でも81×4って無理でしょ? 直接ルートに関係あるところだけとして適当に半分にしたって約160話、約3年分って半分にしても非現実的じゃないですか。
そうするとどうなるかっていうと今まで描いてきた描写を使い回さざるを得ないじゃないですか。そうする度に成幸が同じ経験をしてきたにも関わらず、些細なことで全然別の相手を好きになりましたってならざるを得ないんですよ。運命の、物語の純度が下がるんですよ。1,2時間の描写で相手が変わるみたいなことになって、成幸の経験が薄く、軽くなるんですよ。
その程度で揺らぐような運命を見たって感動できないんですよ。ていうか一度感動した分今までの感動何だったんだってなるんですよ。
いやまあ使い回さないこともありえますよ。各ヒロイン1,2話みたいな。それはいいんですよ。明らかにifなんで根幹の物語の純度は下げませんから。
でもあの発表の仕方でそれはありえないじゃないですか。それで描写を使い回さないならヒロイン間の描写密度が違いすぎて軽すぎますし、そもそも成幸がそれで惚れるのは解釈違い甚だしいんですよ。それに歯抜けの描写で結ばれても感動のつまみ食いみたいになるの嫌じゃないですか。音楽のサビだけ聞くようなもんじゃないですか。サビだけ聞いたっていい気分にならないわけじゃないですけど、でもその程度で満足できるわけじゃないじゃないですか。
恋愛ゲームと同じじゃないかみたいな声も聞きますが、恋愛ゲームやったことある人間に言わせると違うんですよ。
恋愛ゲームにおける共通ルートって各ルートに共通する設定を説明するパートであると同時に各ヒロインを選択していくパートなんですね。そこで選んだ選択肢によって好感度が上下していき、最終的に最も好感度が高いヒロインの個別ルートに進むんです。
つまりその選択肢を選んだ世界だけ見れば、そのヒロインを追いかけてそのヒロインのルートに進むわけですから、主人公とヒロインが結ばれる運命って言われてるほど安くないんですよ。選択肢一つ選んだらそのヒロインのルートに行く作品って全然多くないんです。
バトルとか恋愛メイン以外なら結構あるかもしれませんが、恋愛メインならあまりないですね。恋愛ゲームって女の子を攻略するゲームなんですよ。
じゃあ漫画だとどうかってまた1話からやることありえないですよね? だから漫画では全く同じ共通ルートにならざるを得ません。ですから漫画における共通ルートの価値ってゲームと比べても必然的に軽くなるんです。
ラブコメ漫画って作中の時間は置いといて、リアル時間で何年も掛けて連載を追って、たった一人の相手と結ばれる流れを見守るという点で運命の密度と純度が高いんですね。こればかりは恋愛ゲームは敵いません。リアル時間で匹敵できるのはラノベくらいでしょうが、ライブ感は比較になりません。
そういう意味で「ラブコメ漫画」って唯一無二のジャンルなんですね。漫画以外じゃ代替効かないんですよ。
だからゲームのいいとこを取ろうとこんなサプライズのようなやり方をしないで、「ラブコメ漫画」の強みを活かした作品を読みたかったなあと、今週号を読んで思いました。
ところで文化祭で分岐ということですが実際に連載自体は各ヒロインの長編後から始まると思います。
あしゅみー先輩以外は同じ内容の長編をやることが不可避でしょうし、一度長編をやっているのにもう一度やるのは馬鹿らしいですから。
センター試験あたりからロードするんじゃないかという話も多いですしぶっちゃけそんな気がしないでもないんですが、さすがにこれやったら筒井先生の正気を疑います。
理珠の長編のあとでも成幸の気持ちを動かすのに時間が十分とは言えないと思いますし、ましてセンター真っ只中から受験終了まで恋愛に頭悩ます暇ないでしょうからさすがにやらないと思います。
ルート分岐時点で先にマルチエンド宣言しておくのが誠意だと思うよ。
少なくともルートエンド前でしょう。余韻も何もあったもんじゃねえわ。
最近のネットの論調のせいかと思いますがセンシティブになり過ぎでは……? 個人レベルでのありなしって話なので作者は好きにしたらいいと思います。というか規制どうこうのレベルの話に読めます? まあどっちでもいいんですが読まないでもらえると嬉しいです。
私の中では人類普遍の原理に反する(比喩です)絶対に認めない価値観ではありますがそういう価値観があることは当然でしょう。同意されたら嬉しいですが、されなきゃしょうがないというか当たり前です。
オムニバス形式の一人の主人公がやったところでそもそもの積み重ねが大したことないので……。
enya_r 描写不足には不賛同。ぼく勉って個別ルートのイベントを時系列でザッピングしてきた漫画なんだよ。ヒロイン当番制がむしろ意図通りで文化祭以後も共通ルートじゃなかったわけよ、告知ページの作者コメント読み取るに
これは違うと思ってまして、というのもうるかの待つ空港まで辿り着けたのは、人の心が分かるようになった理珠がうるかと文乃が気まずくならないように私もキスしたいですと言ったり成幸の背中を押したりしたからですし、父親との確執を乗り越えて自分の心と向き合えた文乃が笑顔で成幸を助けたからですし、過去のトラウマを乗り越えた真冬が卒業式に出ることより成幸に手を貸すことを選んでくれたからですし、自分の夢を再確認したあすみが仕事を抜け出してまで成幸のところに駆けつけてくれたからなんですね。
そうやって成幸がヒロインズの問題を解決するのに協力したり交流してきたりしたからこそ辿り着けたわけで、その過程が実は唯一ではなくて他の道に逸れることもあるんですよとなるとその辿り着いた運命の純粋さが落ちるんですよ。だから今まで描いたものを使わないなら長く連載しないと描写不足になりますし、使い回すなら描写不足ではないでしょうけど同じような経験をしたのに別の相手を好きになってしまうわけですから、選んだ運命の純度が下がるという表現をしました。
別に今回で正式には最終回で次回からはifですっていうならいいんですけど、筒井先生曰く結末は読者次第だそうなので。
Arturo_Ui 「前例があるそうです」程度の知識でイキるなよ… // 「過程も含めて描こうとするのは絶対に反対」って、「学園祭の花火」が伏線だった件を増田はどう評価すんの? ていうか「ハーレムエンド」より余程マシだろ。
イキリってあれでですか……? 後段は何言ってるのかよくわからないんですが、ルートによって相手が変わる「学園祭の花火」が伏線だということ自体何言ってんのかなって感じなので評価も何もないです。うるかのやってきたことではなくて花火で全て決まったことになったけどどうなのという意味ならまあゴミですけど、他のヒロインのルートでも外形的にはそんなことやらないと思うのでやっぱりどうということはないです。
キャラとしての一貫性ならハーレムエンドよりマシなんですが、物語としての一貫性だとハーレムエンドのがマシかなあと思います。でもまあハーレムエンドはやらないですからね。どっちも嫌ですが。
tmkyz 最初にマルチエンドですって言ってくれれば良かったのに。うるかルート最終回の余韻を壊すような告知の仕方なのは悲しかった。/ここ数週、全体的に雑だったのも気になる。
最低限事前告知して欲しかったですね……
houjiT なんか恋愛の捉え方が無駄に大長編的で怖い。知り合いでもないのに一瞬で火がつくようなものもあれば、今まで別を見てたけど急に気になることもあるわけで、伏線と展開がなきゃ恋愛と認めない、は視野が狭すぎる
ラブコメ漫画読むのに大長編的に捉えないほうが間違ってると思います。漫画に限らずラノベ含めた恋愛メインの大衆小説一般でも恋愛に伏線と展開は求められているのでは。
isaisstillalive 終始想像だけでディスってる
deadwoodman アリかナシか読んでから決めても遅くはないと思うんだが、ちょっと盛り上がりすぎじゃない?
f_oggy 賛成だなぁ。個別ルートでどれだけ各ヒロインの魅力を引き出せるかが勝負所よ。というか全てが完結する前の論評なんて野暮ってもんよ
はい。
fusanosuke_n 正史を求めたい感じはある。ヒロインAと結ばれるストーリーが本物、正史で他のルートは戯れやファンサービスのifルートですって明言して欲しいっていうか。
はい。
どの道八方塞がりとはまさにこの事。
正直今回の日本漫画家協会のやらかした声明や赤松健氏のブレた発言やらを見て、今まで表現規制問題に危惧していた事自体が馬鹿らしく思えてきた。
今後どうなるかは判らないけれどもこう言う声明を見て逆に現状アニメ漫画自体からも急速に興味が冷めつつある。
出版は今までが今まででアレだったから、こう言う事をするのはある意味では予想できる事だけども今回のは流石に今までで一番心が折れたよ。
自身の利益に関連する海賊版対策と称したダウンロード違法化ばかり熱をあげて、国連の児童ポルノのガイドラインの変更には一切ノータッチなのは流石に呆れる。
HFが公開されたついでに、ZEROとSNを見直したりしていた。んで、snの人がわりとZEROを受け入れてないという話がちらほら聞かれるんだが、正直まったく共感できないので書き散らす。個人的に思うんだが、snとZEROをやたら違うといいたがる奴は、単にセイバーに対するキャラ萌えが足を引っ張ってるんじゃないか?ZEROでのセイバーの扱われ方が気に食わないから虚淵に噛み付いてるんじゃないか?
よくこういう反論を聞くんだが、これってそんなに重要なことなのか?ZEROで騎士道馬鹿みたいな描かれ方をしていたことが気に食わなかった、としか読めないんだが。ZEROにおいてセイバーの挫折と切嗣との決定的な考え方の違いや齟齬を描く上で、彼女の英雄としての立場と実際に救われる側の意識の違いは避けて通れないし、『祖国を救った救世主』が何故『民草の心が分からない人物』と評価を下されるに至ったかにおいて、十分説得力のあるデフォルメになっていたと思うけどな。ZEROでの出来事が彼女に大きな影響を与え、SNでの行動になっている、という考え方を大きく嫌う理由も分からない。単に気に食わない、というだけにしか聞こえない。SNにおける士郎の謎な『女の子は守る』行動なんかよりもよっぽどZEROにおけるセイバーの騎士道理念という行動基準は至極まっとうで納得できる設定に思える。それにSNでもセイバーは愚直で不器用な少女として描かれていたと思う。そういう意味でも、騎士道を前面に押し出す選択が何故そこまで矛盾と表現されるのかが分からない。さっぱり理解できない。
これも反論としてよく効くんだが、これってそんなに(ry 実際ZEROの影響を受けてSNで変わったと考えてもまったく問題ないんじゃないの?『選定のやり直し』も本質的には祖国の救済であることに変わりはないだろう。どこに矛盾があるのか??というよりこの二つにそれほど大きな乖離があるとも思えない。ただセイバーが自分自身がその役を辞すことを望んでいるというだけで、その理由も明確にZEROで示されているだろう。むしろZEROではセイバーの挫折をしっかりと描いているわけで、これほど説得力のあるスピンオフもないと思うんだが。
ここはむしろZEROの良いところだと思うんだが。やっぱりセイバーに対するキャラ萌えが起こしている不満なんじゃないか?セイバーの『人の心が分からない』理由は、『聖人的である』ことが原因だ、という至極全うな指摘だろう。イスカンダルやギルガメッシュが正しいとは言っているわけではないが、セイバーに欠けている資質をこれ以上ない仕方で言い表していたと思うぜ。実際よくあることなんじゃないか?人を大いに動かすのは夢を持つことであり、大成する人間はたいていそういうものをちゃんと持っている。それは言い方を変えれば『欲望』だ。学校で優等生だったからといって、世の中に出て大成するわけじゃない。優等生は優等生的な生き方しかできないし、大抵そういう子は世の中に出て挫折を経験してしまうものだろう。重要なのは自分がどうなりたいのか、何をもってして幸福になるのかをきちんと考えることであり、いわばそれは『利己的になること』そのものだ。そこを見据えずに幸福のための『自己犠牲』と『優等生的な生き方』だけを追求してしまえば、やり方は間違っていなかったはずなのにどういうわけか息子や娘がグレてしまった親=国を救えなかった王、となってしまうことはさほど想像に苦しくないと思うし、SNのセイバーと矛盾するとは思えない。
おそらくだが、イスカンダルとギルガメッシュが正しい、みたいな描かれ方が気に食わなかったんじゃないか?それはあくまで作中での描写であって別にセイバーが間違っていると断罪したわけではなく、そういう受け取り方をしたのは「あくまで視聴者」だろ。そしてそういう風に受けとれるような作品の作り方をしている。だってそういうコンセプトなんだもん。それを真に受けて「あんな書き方はないんじゃないか、セイバーの扱いがあんまりだ」と反感を買うのは、ぶっちゃけ作者の思うツボであって、むしろそういう読者の反応を引き出すことが出来ている虚淵さんが上手いと俺は思うけどね。
これってそんなに(ry こういう発言自体が疑惑を抱かざるを得ない原因というか、、やっぱりsnとの矛盾点を指摘する奴らのセイバーに対するキャラ萌えから来る擁護愛がすべての根っこだと思えてならない。お前らそんなにセイバー好きかよ??
これもやっぱり否定された、と思ったのは「視聴者」であって(ry 切嗣とセイバーとの考え方の決定的な断絶を表す上ではこれ以上ないほどの表現であろう。セイバーと切嗣は根幹は似ているけど、置かれている立場が決定的に異なるせいで、視座の違いからどうしても見解が相容れないものになってしまった。間違っているわけではないけど、結果的に挫折に繋がってしまった決定的なセイバーの視点の見逃をここまできっちり描いているスピンオフは明らかに原作リスペクトからくるものだし、正直この点はきのこ氏の描き方よりも虚淵氏の描き方の方がはっきり言って上手い。むしりSNも虚淵氏が書いた方が、士郎のキャラクターとしての説得力がもっと増すんじゃないかとすら思う。そもそもZEROという作品は「騎士道を批判している」わけではないし、別にセイバーが間違っていると断罪する作品というわけではない。ただセイバーの『実直で気品と正道を重んじる在り方』(それそのものは正しく、そしてそれがあるからこそ世界を成り立たせている非常に重要な要素)=優等生であるからこそ、彼女は挫折した、という運命(フェイト)についてきっちりした情報補完をしただけ( というか優等生ってのは挫折するって相場が決まってんだよぶっちゃけ。もうそれは運命みたいなもんだ。彼女は別に失敗したわけではなくて、為政者としてあまりに優等生であり正解を選び続けて成功し続けたからこそ、運命的にというか優等生の宿命的に王として国が滅亡するという結果になったというか。そこに王としての自分のあり方はあったけど、もっとそうではない生き方についての考察がなかったというか)
なんでこういう感想(「セイバーの扱い方が不満」)になっちゃうのかというと、やっぱりキャラ愛のせいなんじゃない?「ボクのセイバーはこんな無能じゃない!!」みたいな?
これに関しては矛盾というか、印象論だと思うんだよな。だってSNであんまり切嗣の話しないじゃん。ほとんど語られていない内容に矛盾も糞もあんのかよ。
三回についてはSNの設定準拠だろ。というか、そもそも効率を考えるとコミュニケーションは重要だ、という主張そのものが間違ってると思う。だってコミュニケーションを取れない奴って現実にいるからね。コミュニケーションって言葉は基本「相手は自分の言うことを分かってくれる」という思い込みと押し付けから来る理想論であって、本質的に人と人は分かり合えないものだし、対立って本質的には決定的なもので落としどころを作って妥協するしかない代物だし。最終的には殺し殺される関係で結果だけがすべてを物語るという世界に生きて何よりもそれを重視してきた切嗣が、「正しさ」とか「語る」なんてまどろこっしいことするか?ぶっちゃければ軍隊みたいなもんだよ。「視聴者」として層が厚いだろうヲタクが一番大嫌いな体育会系の世界の理屈だよこれは。そりゃお前らには受けが悪いだろうけどさ、やっぱり問答無用じゃないと先に進まないことってあるぜ。それのどこが幼稚なのかさっぱり分からん。アイリを間に噛ませることで精神的なケアや軋轢をしっかりと回避しているあたりも、切嗣はしっかり妥協をしている。妥協できる奴っでのは子供じゃなくて大人の代表だよ。そういう意味でも、切嗣の行動が幼稚だという指摘は受け取り手側の問題といわざるを得ない。
これって矛盾なのか???切嗣はロボットになりきれなった人間。これを見事に表現できていると思うんだが。
これに関しては表現の問題としか言いようがない。が、別に矛盾でもないだろう。セイバーはもともと最優サーヴァントなわけで、そこにさらに「星の聖剣」を使える奴をセイバーとして召喚できたらそりゃ強いに決まってる。作品では内輪事情に踏み込んで表現されているからさほどそうは見えないが、相手からすりゃ十分脅威だったと思うし、結果的にセイバーは相手方のサーヴァントをきちんと切伏せているわけだからその名に恥じない活躍をしている。単に「扱われ方がセイバー推しには納得のいくものではなかった」っていうだけ。それにしたって、ZEROはセイバーの挫折を描くというコンセプトで作られているのだから、当たり前のことなはずだが。
なにが意味不明なのか分からない。切嗣の言葉には説得力しかないと思うんだが。そもそもこの反論ってセイバーが英雄馬鹿ではないとしたら成立しないのでは?彼女が英雄馬鹿ではないのなら、切嗣のこの考え方に賛同してもおかしくはない。戦場は地獄であり騎士道なんてもので誤魔化そうとも敗者は敗者でしかないし、そもそもいくら周りがなんといおうと本質的に兵士は英雄として死んでいくわけではない(※この辺は与謝野晶子でも読んどけって感じでいまさら語ることでもないだろ)このくだりを意味不明と扱うのは、やっぱりセイバーが切嗣にけちょんけちょんに言われているという扱われ方不満なのであって、ストーリーの完成度というよりは単にキャラ萌えの問題なんじゃないのか?
見ていて多分ここが決定的に違うと思うんだよな。増田は別にセイバー好きじゃないです。リビドーをぶつける対象ではあるけど、それ以上の目線は特にないです。別に彼女のあり方とか考え方とかにはあまり興味もないし、snを通してセイバーが最終的に救われたとも特に思わない。そもそも士郎自体が理解不能に描かれているので「士郎がどうにかしたいと思うセイバー」という存在にもあまり共感は出来ていないのがそもそもの原因だとは思う。ぶっちゃけセイバーENDよりもUBWエンドの方が好きだしな。。。士郎は何かとセイバーを不憫に思ったり彼女を救いたいと思ったりしているけど、セイバーってそういう存在だっけ??という違和感がどうしても先行してしまう。もともとヒロイン枠で作られた存在ではなかったというだけあって、やっぱり攻略対象としてはちょっと異質なのが彼女なんじゃないかなぁ。。。
ZEROの原作矛盾を批判する人はやっぱりどこかsnセイバー好きな感じがあって、snセイバーをものすごく神聖なものとして扱っている節があるんだけど、個人的にそれは癌だと思う。だってsnのセイバーってストーリー強度や設定で言えばかなりガバガバで無理がある存在なんだよ。あそこでキャラクターの個性をFixしてしまうと、そりゃその後の作品が受け付けなくなるよな、と思う。キャラ萌えもひとつの作品の楽しみ方ではあるけれど、もっと純粋にストーリーとしてのFateの考察をするべきでは?
これも結構あって、俺はわりと桜好きなんだよなー。Fate//EXTRA CCCとかのBBを見てると、桜はリビドーの対象としてもヒロインとしても実に正統派だと思うんだけどどうなんだろう。HFルートはいいと思うよ、あれ。桜嫌いって言う人がわりといるんだけど、結構な確率でセイバー好きが混じってる気がする。そしてそういう奴に限ってsnセイバーに拘ったりする。まあ楽しみ方は人それぞれだし、別に俺はキャラ愛を誰かと共有したいとかそういう願望はないんだけど、あえてここに切り込みをいれると、おそらくこういう層の楽しみ方や考え方ってある種アイドルヲタに似てるんだよね。自分の推しメンがいて、それを共有できるかできないか、みたいな思考回路なんだと思う。いいとか悪いとかではなくて、まあそういう思考回路なんだってことなんだけど。
問題なのはアイドル的な楽しみ方でFateを語るときに、そこにZEROとsnにおけるセイバーの扱われ方の確執という問題が起こっているに過ぎないのであって、決してZEROが矛盾しているというわけではないということを俺は断言したい。そういう意味でもイスカンダルを女体化ではなく渋い男として表現した虚淵をファインプレーと称えたいし、設定ガバガバで厨二前回の型月Fateシリーズの中で実に渋い出来栄えとなっているZEROを俺は推したい。ZEROという作品のおかげでFateはキャラ萌えだけではない作品になっているし、切嗣を代表とする厨二とはまた一線を画すキャラクターが織り成す絶望と儚く淡い幸福への渇望の描き方が非常に上手い、絶妙な作品になっている。OPの曲もいいしね。
もう何してても興味が持てる。
どこかで見たようなありきたりな展開でも、このキャラがやるからこそ最高と思える。
もっと見たくなる。
自分の場合はキャラを好きになる前にストーリーや演出など、他の部分も好みでないと中々ハマれないけど。
どこかの誰かが言っていたけど、
目の前で交通事故で死にかけてる人がいたとして、赤の他人か家族(or恋人、友人)だと興味が違うと。
そりゃそうだ。
知らない誰かが死にかけててもお気の毒に、可哀想に、程度だろうけど自分に近い人がそんな目にあっていたら感情の動き方は全然変わってくる。
興味ない人から見たら分からないだろうけど、本当に楽しい・・・
もっと!もっと見たい!ってなってだんだん頭がおかしくなっていくのが自分でもよく分かる。
絶対こんなことありえないけど、それでもIFルート見れたり、いろんな表情見れたり・・・もうそれだけで楽しい!
同人誌の楽しさってそういうところだよなー
四六時中その作品やキャラのこと考えて、pixiv漁るだけじゃ耐えられなくなって、イベントに出向いて本を買うまでがいつもの流れだ。
楽しいよな〜
オタクで良かった。
他にこんなに興味あることない。割と長年生きてるから好きになる作品の頻度が減ってきてるけど、それでも自分はオタクなんだなって実感する。
他のオタクもだいたいこういう感じだよね?違うの?
男女差もあるんだろうか?
オタク歴も同人誌読者歴も20年くらいだし、ツイッター歴も長い私は、最近ようやく自分でも小説同人誌を出した。
といっても、これまでもweb日記を書いていたり、前ジャンルでは1年くらいだけど偽名でpixivに小説をポツポツあげてた。
でも今回は、イベントに出る時にちょっとくらい知り合いとか欲しかったので、小説書き用の名前でツイッターのアカウントを取った。
同ジャンルの人と交流したり、好きな書き手さん・描き手さんに感想を伝えて(これは読み専時代からやってるけど)認識されたり、読み専さんの突然の連投妄想に激しく同意したり、オフ会に出たり…と楽しくやっている。
作家さんに感想を伝えるのは緊張するけど、萌えの創造神達が迷いや不安に惑う時、少しでも負担を排除する要因になれればと思うから送る。もちろん、仕事のメールよりも100倍は気を使って、けれど興奮した気持ちだけは伝わるよう、最新の注意を払ってる。(結果、好きです…とかで終わる事もあるけど)
オフ会だって楽しい。好きなカプの話やプレイの話を、同じようにソレが好きな人とできるのだ。最高に楽しい。
…と思ってるんだけど。
pixivさえチェックしていれば、作品や同人誌情報は入ってきたから、ツイッターはリアル友達としか使ってなかったのだ。いや、中にはサークルしてる子もいるけど、二次創作界隈の話は流れて来なかったのだ。
だから今、すごくびっくりしている。
…あまりにも「二次創作小説が無価値なんて言うヤツは理解できない!小説はエロくていいぞ!あたしは大好き!」みたいなバズったツイートが複数流れてきすぎる。
もちろん私のTLに小説を否定する人はいない。とはいえ、同カプの絵描きさんで、字書きをひとりもフォローしていない人は何人もいる。でもまぁ、一般書籍を含め「小説を読まない人」なんて珍しくもないから、その方の神作品に心を込めてふぁぼを送る程度だ。神との距離は、本来これが適切だと思っているので特に気にしてない。ブロックさえされなければいい、見れればいい。
字書きdisったRTを見た字書きさん達が落ち込んで、過去の闇を吐き出したり、そんな事言う人ムカつく!と怒ったり。それを慰めて怒る絵描きや読み専の、一連のわちゃわちゃが、なんかすごく嫌だ。
大前提として、本人に聞こえる悪口はアウトだ。それは社会で生きる人間として当たり前のマナーだ。
それを踏まえた上で、
②擁護ツイートのいくつかは、小説の価値はエロだけだと暗に断言している事
③字書きのすり寄りが嫌い説が雑い事
コレが気になりすぎてヤバい。思わず語彙力も消し飛ぶくらいやばい。
①
街の人々が直近1年で、娯楽のために読んだ小説が平均何冊かご存知だろうか。
プロ作家ですら読まれない「小説」というものの、それも素人が書いたものを読まない事に、何故腹をたてるのだろうか?
世の中には様々な人が存在する。クラシックを聴かない人、運動しない人、オリンピックを見ない人、声優に興味がない人、オタクじゃない人。二次創作小説を読まない人も、普通にいるだろう。私だって、男女カプの同人誌や少女漫画は読まない。…なんだか気恥ずかしいんだ…もちろんdisったりはしないよ!
そういう娯楽についての嗜好は、誰かにただされる必要はないのでは?
漫画だって、下手なら読まれないし、変態レベルの高いエロだと嫌いな人もいるし、片想い止まりは読まない人はいる。読む人が何を読みたいかは、読む人の自由なのだ。
②
小説同人のエロ最高説で反論されても、エロの無い小説は??と思ってしまう。
感動する話やカップリング要素のない話に価値はないのだろうか。
私自身、二次創作小説はエロとギャグと、渾身のガチ考察ifルート感動系など、何でもかんでも読むし買う。エロのある本だとニッコリ笑顔になるので、エロはあるほうが嬉しい。けれど、小説にはその価値しかないと暗に言われてしまうのは、とても残念だ。
バズった擁護ツイートへの感想なので、前後にはなんらかのフォローがあったのかもしれないけど。重要なのは、バズってる(=皆が同意・注目した)のはソコだけ、という物理的な事実なのだ。
まぁこのあたりも、「世の中にはエロ必須な人もいる」という前述の現実で解決するんだけど。小説擁護の旗としては、あまりにも悲しい物だったなと思った。
③
字書きが他人と交流すると、それはすり寄りになるのか?このあたりの同人界隈作法は、初心者の私にはよくわからないので、誰か解説してほしい。
絵描きさん同士ですり寄りは存在しないのだろうか?というより、すり寄りって何?仲良くなったらダメなの??
コスプレ界隈のすり寄りなら、その人と並ぶと注目されるとかROMがどうとかあるのは想像できる。けれど、個人で作品を作る二次創作界隈において、他人と仲良くなる事に「楽しい」以外のメリットがあるのだろうか…?
合同誌や表紙挿絵など??嫌なら断ればいいのでは…?依頼もウザいってこと??
私にはよくわからない。少なくとも今、字書きさんとも絵描きさんとも読み専さんとも交流してるけど、仲良くなりたいのは性癖かノリが同じ人だけだ。共に推しカプをチュッチュペロペロして男ふたりの未来に乾杯したい人だけだ。皆それが目的で交流してるんじゃないの??
これについては、自分が何らかのタブーを犯してしまう前に、界隈のマナーみたいな物は学びたいと思っている。
バズった罵倒を参考にしようとしたけど、ゼロ距離タメ語がどうとかリクエストがどうとか、字書きに限らずオタクとして犯してはならない常識ばかりだったので参考にならない。『字書き=すり寄り』って何なの??
交流なんか、個人同士のやりとりなんだ。外野がとやかく言うべきではない。
そして、小説書きにそういう奴しかいない!と嘆くなら、絵描きにそういう奴はいないのか、そもそも小説書き何人と絵描き何人の割合で判断したのか、その年齢分布数などもあわせて出してほしい。それも無く「字書きに多いすり寄り系、嫌いだわ」だけ言われても、そこに自分が含まれているのか、含まれる含まれないの明確な境界は何かわからず、ただただ落ち込むだけである。
他人に牙を剥くなら、それ相応の準備をすべきだ。殺すならしっかり殺してくれ。貴様が気楽に握ったその曖昧なナイフは、すでに他人に向けられているのだ。それ相応の覚悟で突き立ててほしい。
けれど、これと似た台詞は、たくさん投げつけられてきた。
最近の若者はなっとらん。
私の人生でいくつも見かけてきた、なんだか乱暴なdisの数々だ。
狭い世界で生きている人間が、1人や2人から与えられた数少ない体験を、さも世の理かのように語る。井の中の蛙じゃないか。愚か者め、恥を知れ。
一連のRTでモヤモヤした事を書き出してみたので、だから何とかは無い。けれど、140文字で呟くには、あまりにとモヤモヤが大きすぎたので、この場を借りた。
「長い」
それは…まぁ、…すいません。
長いよね…うん。
でも短いと伝えきれない事がある、だから今回は、長い事は必要な事だったんだ…。
でもまぁ、とにかく。
二次創作界隈の「字書きdisと、それに対する怒りと擁護」には、なんだかちょっぴりうんざりしている、この気持ちだけは無かった事に出来なかった。
それに触れてツイートする事で、それを知らない人がどんどん嫌な気持ちをおすそ分けされているんだ。今の私のように。どうせ腹の立つ思想と戦うなら、もっと本気で戦おうよ。
悪い感情を否定するのに、悪い感情を返すだけだと意味がないんだよ。
もしそうやって戦うのが難しいのなら、せめて落ち込んだTLの空気を一新すべく、何か楽しい話題を連投しよう。無理ならちんちんの話でもしよう。
腹の立つ思想のやつもいるだろう。けど、そいつに引き摺られて、怒りを撒き散らしても何のメリットもないんだわ。
私はTLでは、絶対にこの話題には触れない。匂わせもしたくない。何度もやりかけたけど、あれ以上空気を濁したくないからやめた。
そういう話題が流れて空気が重くなった時こそ、楽しい話をするのだ。腹立つ奴をぶん殴るには、それが一番手っ取り早い。相手にしない事だ。
私は、嫌な思想を引き摺って撒き散らすだけの人間には体験できない愉快なTLで、同じ性癖の人たちと、おもしろおかしく暮らしていくつもりだ。
正体不明の連中を集めて組織票させるよりも、一人の人間が独断と偏見で決めたほうが正しい結果になるのではないだろうか
そんな思いつきから増田を代表して俺が今年のアニメランキングを付けることにした。
客観的評価+個人的評価を独自の計算式に当てはめ独自の方法で算出。
点数は未公開のため傍から見ると100%個人的趣味で決まっているようにしか見えない。
1 メイドインアビス
2 少女終末旅行
3 宝石の国
4 サクラダリセット
7 けものフレンズ
8 キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series
9 エロマンガ先生
10 ID-0
11 正解するカド
12 GRANBLUE FANTASY The Animation
13 ノラと皇女と野良猫ハート
14 有頂天家族2
15 終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?
17 プリンセス・プリンシパル
18 天使の3P!
19 アリスと蔵六
20 武装少女マキャヴェリズム
21 カブキブ!
24 AKIBA'S TRIP -THE ANIMATION-
25 ナイツ&マジック
27 異世界食堂
28 小林さんちのメイドラゴン
原作付きアニメの至上命題である『原作の良さの延長線上を歩いた上で限りなく先までたどり着く』を今の技術でやれる限りやり遂げたひたむきさの勝利。ハードな世界観に対して可愛らしすぎるキャラクターを生き生きと画面内に描き出していた事が強く印象に残っている。メルヘンの世界で暮らしていそうな少年少女をひたすら酷い目に合わせてその高低差エネルギーで気持ちよくなりたいという原作者、アニメスタッフの熱い思いを毎週ひしひしと感じさせていただいた。
雪と鉄に覆われた物悲しい世界と、その世界をそっと照らすような少女たちの明るさや緊張感の無さのコントラストが愛おしかった。「月は空に空いた穴だ」とは誰の書いた物語の言葉だったか、あの世界において2人の少女はまさに闇に覆われた世界に天の光を漏らす穴のようであった。少女たちの瞳というファインダーを通すことで観測者を失った世界に再び光が当たる。廃墟探索の醍醐味とは、意味の失われた場所に意味が再び与えられることにあるのではなかろうか、そんな気持ちになれる作品だ。
傑作アニメーションである。好き嫌いを抜きにして、純粋に今年のアニメで何が一番かを語るのならばこの作品を挙げていたかも知れない。とにかく映像として綺麗なのだ。身体が宝石でできた少女という設定と、3DCGという表現技法が完全に噛み合っている事も素晴らしい。この作品のアニメ化に際してこの表現の仕方を選んだという時点で既に勝っているのだ。そして、勝っている状態から更に何度も貪欲に、ここでこれを選んだ時点で勝っていると言いたくなるような手を打ち、それらを尽く完成させている。今の時代だからこそこのアニメは美しいのだろう。3DCGがもっと当たり前になった時代でも、3DCGがまだまだ未発達な時代でもこの感動はあるまい。執念とアイディアと幸運の結晶だ。
ハルキ、リセットだ。決め台詞と共に世界がグルリと巻き戻る。オタクアニメの世界ではもはや食傷気味とも言える時間ループ、その圧倒的すぎる力に対して改めて向き合った作品。大いなる力には大いなる責任が伴う。その責任を前にして、揺れ動く思春期の繊細な心模様。それらを描ききるには、作り手にもまた繊細な神経が求められる。この作品はその点においてしっかりと繊細に作られていた。ド派手なハッタリと、揺れ動きやすく夢見がちとも思える心の機微、この2つが揃ってこそのジュブナイルであり、ラノベアニメなのではないだろうか。ふとそう思えてくるようなアニメだった。
一作目のアニメでは4クールかかった道のりを2クールで消化という超特急アニメ化。それでありながら、見ていて不満になるような所はほとんどなく拾うべき所はとことんまで拾っていた。それを可能にしたのは原作や、旧作アニメへのリスペクトなのではないだろうか。OPの演出に見られるパロディや最終話での挿入歌など、グルグルというシリーズが持つ歴史そのものを受け止めるかのような作品作りだった。無理なく無駄なく完成された丁寧な作品でありながらも、メタフィクション的なギャグファンタジーに欠かせない遊び心も詰まったナイスリメイク。
(俺の)今年のアニメのおおまかなまとめ
1話以上視聴:約130作品
(ヘボットのような2016年から継続しているアニメがあるためある程度の取りこぼしが予想される)
日本のアニメはディズニーになれないのかも知れないけど、日本には日本なりのアニメ作りがある。作中の動画のクオリティが視聴者にそう語りかけてくるような入れ子構造の有言実行が良い。アニメを題材にアニメを作るとメタの絡み合いが起きるのが面白い。
うーん。この豆腐の白は現代社会の闇を描いてますね。追いかけてくるアライさんはモラトリアムの終わりを、カバンちゃんがヒトではなくカバンちゃんを名乗り続けたのは、現代社会におけるアイデンティティの本質が人種や門戸ではなく個々人に宿ることのメタファーですなー。うーんこの豆腐は白いぞー。
半分新作、半分同窓会といった印象。思い出補正抜きで見た人がどう感じたのかが気になる。あとがきの国とかは原作を知らないと完全に置いてきぼりだし、全体としてファンサービスに力を入れすぎてたような気もする。俺はそれで別に構わんのでこの順位だけど。
山田エルフ先生の完璧な負けヒロインっぷりが素晴らしい。エロマンガ先生ルートに分岐し終わっている所から遅れて幻想的な告白シーンをかますという手遅れっぷり。ifルートに分岐でもしたのかと時系列の歪みを感じるほどに、完璧に山田エルフ先生ルートの回想シーンが挟まれている。でも既に勝者は決まっているから逆転は無理。気合の入りっぷりと、フラグ状況のギャップに負けヒロインの有終の美が宿っていた。
オリジナルSFアニメを1クールで綺麗に纏めている。設定の説明もしっかりされていたし伏線の回収もばっちり。笑いあり涙ありアクション多めでバランスよく必須栄養素が揃って完成度が高い。こういう肩の力入れっぱなしでも抜きっぱなしでもないアニメが個人的には一番見やすい。
ガチガチのハードSFかと思いきや恋愛至上主義の如きオチに開いた口が塞がらない。じゃあ納得が出来ないのかというと、あの解法が間違っているとも言えないのでなんとも。やたら恋愛シーンが多かった時点でこうなる事に気づいておくべきだったんだろうね。
なんでこの順位なのか自分でも謎。ただ、映像はよく出来てたし、冒険譚として王道を進んでいたし、キャラは可愛いし、OPも魅力的だったし、偏見の目で見なければ普通に良いアニメだった。
ヤギ。あれでやられた。
テンポがいい。中でもヒキや場面転換が上手かった。見てる側が迷子にならないようにしつつ退屈もしないようにコントロールしてくれたので、こっちもテンポを合わせやすかった。
王道、いいよね。
語の上手さに尽きる。
打ち切りみたいな終わり方だけどあれで良かったのかは自分には分からない。個人的にはスパイアクションを楽しませてもらっていたのでストーリーの方はそのための舞台装置だったと考えればいいかなと。殺陣と百合を楽しむ作品だったんですよ。
小学生は最高だぜ!
小学生は最高だぜ!!
ポン刀は絵になる。そこに尽きる。
歌舞伎っていきなり言われても何のことだがよく分からんから、まずは今風に丁寧に解説してみましょう。を作中でやって作品自体でもやった入れ子構造。自分はこういうメタ的な要素に弱いのかも知れない。
女の子を酷い目に合わせまくったらこれ以上酷い目に合わせられなくなった。だから過去編をやったり奇跡的に治したりしてまた酷い目に合わせるよ。いいねえ。やりたい事がハッキリしてるのは大事な事。
異世界チーレムの解体ショー。段々失速したのは個人的にはいただけないのだが、それも計算の内なのだとしたらまことに恐ろしい作品である。
古さを懐かしさと感じられるかどうかが試される。どっちかというと、懐かしさの正体が古さだと直視した上でそれを良しと思えるかどうかが試された。
異世界で僕だけのロボを作って飛空艇を倒そう。シンプルだけどいいよね。やりたいことがハッキリしてる。
おいしそうだった(小並感)
別に無理せず前と同じようにやればいいってことをスタッフが理解してたので勝ち。平常心平常心
やっぱり永遠の課題じゃんハーレム系のラブコメで最終的に誰選ぶかって
でも、誰もが納得するエンドに行き着いたラブコメ作品って多分存在しない気がするんだよね
ニセコイとかはがないとかあんな終わり方じゃ荒れるなっていう方が無理だし、
俺ガイルだって恐らくは似たような終わり迎える感じでしょどうせ
もうさ、いっそラノベや漫画みたいな原作では「俺たちの戦いはこれからだ!」くらい尻切れトンボな感じで完結させて、
あとはVita辺りで正式な続編ADV作ってそっちで完結させてくれよ
ハーレム系ラブコメは展開分岐できるADVゲームの方が媒体として適してるでしょ
マリーとか地味子とか初登場したその瞬間から負けヒロインとして描かれてる感じあるじゃん
ああいうのもうやめてほしいわ
一応最近は人気のラブコメ作品(少なくとも今名前を上げた作品は全部)原作の
ギャルゲーが作られることは多いみたいだけど所詮ifルートだからifとして見ちゃうし
展開に無理があったりすることも結構あるんだよね
そういうことじゃなくて、ADVじゃなくとも各ヒロインが正式なトゥルーエンドを終えられるような
そういう構成にしてほしいのだが、どうだろうか