はてなキーワード: 阿僧祇とは
衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心
我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度
我見諸衆生 沒在於苦悩 故不為現身 令其生渇仰
我此土安隠 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳
則皆見我身 在此而説法 或時為此衆 説仏寿無量
久乃見仏者 為説仏難値 我智力如是 恵光照無量
得入無上恵 速成就仏身
ちょっと調べたら、これは「歩合」の単位とされていて、その方面で調べれば過去の使用例がわかるらしい。小学生教育方面だと「最初は借金の利率で使われた」って説明があったけど、その初出までは書かれてなかった。まあ小学生がそこまで興味持たないだろうからしょうがないか。
正直、興味を持ったのは「分」との歴史的な前後関係なのだ。勘違いしがちだが、「1割1分」の時の「1分」は1%で0.01だが、「五分五分」のときの「五分」は50%でこれはつまり0.5,つまりこの場合の1分は0.1になる。数字の扱いが違うだろうと思ったかもしれないが、「割」はもともと十分率の単位で、十分率を単位とすればその1分は0.1で正しいのだ(このへんはWikipediaにも書いてある)。これを無理やり百分率で例えると、1.1%を「1%1分」と書くようなものだ(実際には今はこういう書き方はしない、例示として書いた)。
とはいえ、借金の利率なら最初から「分」で表してもそれほど困るような気がしない。実際前述にもあるようにことわざでは「割」使う場面少ないしね。「割」だけが先に使われていて、その大雑把な率が使いにくくなったから分をあとから付け足したのか、まえは「分」で示していたのが何らかの都合(借金は特別扱いしたいとか)で「割」を使うようになってそっちが当たり前になったのか、たぶんどっちかなのだ。
税率を割合で示すようなことは租庸調の時代からやってたみたいだから、たぶん文献は豊富にあるはずなんだが、こんな簡単なことがネット検索でわからない。調べるキーワードが足りないだけかもしれないけれど。
(追記: ついでにまとめ)
みなさん反応ありがとうございます。結果的に人力検索になってしまいましたが、もともとこれはそれを目的として投稿したものじゃなくて、自分が「ここまで調べた」のまとめとして書いたものでした。いずれ調べが捗って本当に感謝しています。
とりあえず、
ようで、「割」だけが先に使われていて、その大雑把な率が使いにくくなったから分をあとから付け足した、の予想がそこそこ近かったようだ。
調べているうちに出てきた新たな疑問としては、
あたり。このへんは今回の疑問から少し外れるので、まあそのうち。
「リファレンス使えば」。これね、時々思う。実際使ったこともある。とある地名の表記ブレを、行政機関があまり一般的じゃない方に統一した、って時に、それが単なる自治体PR(統一したほうにはそのPR要素があった)なのか、それともまあそうするだけの根拠があったのか、疑問に思って、「その地名の2つの表記の古文書での使用頻度」を調べてもらった。ちなみに結果としては30件くらい見つけてもらって、見事に半々っぽい結果だったのでまあ納得することになった。
今回は今回で調べてもらってもいいのだけど、前に頼んだ図書館にはおそらくこれ関連の古文書少ないのよ。そうすると一般書籍で記述のあるもの探してもらうことになる。それだったらネットで同じような疑問を持ってそれ調べた人の成果を探したほうが早いの。リファレンス使うとその図書館の調査には2,3週間かかることもあるのね。だったら自分で調べてたどり着けなくなってから頼んだほうがいいと思った。そうね、「分」の1/4 1/10 1/60問題についてはそのうち聞くかもしれない。
もともと自分の母方は姫路に本拠地があるので3歳から六甲おろしを歌わせてもらえる家庭でした
でも自分は物心ついたときから町田か町田の近くで育ってて 自分の中心になる球団ってやっぱり遠かったんです
それでも阪神ファンは心の拠り所でな(なんJの影響もある) ずっと視界のどこかで彼らの動向を追うてました
ある日 奇跡的に仕事が休みになる日があったんで「そうや!阪神の試合観に行こう!」ってなったんすわ
夜行バス往復とって でも行きの晩(昨日の晩)寝坊してね 朝始発で新幹線乗って行きました
関西に住んでる友達と会うて 宝塚で散歩してな 別れて で西宮のライト外野におったわけです
昔買うた平鍔のキャップ被って 黄色と黒のかわいいアウター来て 夢中で試合にかぶりついてました
ボールを打ってる人たちが僧侶や菩薩のように見えて ずっと手を合わせていました 応援歌も聴きかじりのを精一杯歌ってね 真言のように繰り返していたんです
そしたらね 急に天から言われたんです
「お前は今まで阪神ファンのファンやった。でもお前は今日ヅカに行ったやろ タワマンの中に美しい水の光る武庫川をお前の目で見た。それは洗礼と一緒や。お前はもう許され、お前の血は祖先の魂とともに一つの川に注ぎ込んだ。阪神ファンになってええ。甲子園にいるあいだはどこにも東京を感じなくていい。明日から関西弁を喋り 誰よりも選手名鑑を読み込んでな 家電を買うんやったら鶴川のJoshinに行け」
そう
もう元には戻られへんわけです
試合はボロ負けですわ あの野郎2発もホームラン打たれてな ホンマどないしよんねんもう
全ての人と悔しさを分かち合いたかった でもその瞬間が美しかった みんなが同じ気持ちになっているあの時間がきらきらしていた
試合のあと喫煙所に雪崩込んで知らないお兄さんと喋りました 叫びたくなったのでキャップを地面になんべんも叩きつけました
そして素戔嗚神社に手を合わせて怒鳴り込みました
「お願いします!!!!!あなたはずっと甲子園のそばにいて 私たちをずっと見守ってくれた やから絶望の底にあっても発破をかけてくれるのはあなたが一番やと思うんです どうか!!!!!!!
𝑯𝑨𝑵𝑺𝑯𝑰𝑵 𝑻𝑰𝑮𝑬𝑹𝑺を
日本で一番強い球団にしてください!!!!!!!!!!!!!」
本気で神様に祈ったことは 生まれて初めてだった 今日は救いの日だ 雨に打たれた後のようにずぶ濡れになって(全て自分の汗やった) 大声をあげて泣きました
ぎゅうぎゅうに詰まった甲子園駅に向かう群衆のなかで 僕は鳥取に住んでる仲のいい男の子に衝動的に電話をしました 電話越しの介抱も大変やったと思う わしはベロベロに酔っててな もうめちゃくちゃになってた すぐに電話を切って電車に詰め込まれました
あんなにスイスイ歩けてたはずなのになんにもわからなくて泣きそうでした どこからかジャズの音が聴こえてきて踊ってしまいました 魂のそこからわいてくる踊りです トランペットを吹いていたお兄さんに財布の小銭を全部わたして
日本じゅうの𝑯𝑨𝑵𝑺𝑯𝑰𝑵 𝑻𝑰𝑮𝑬𝑹𝑺ファンのみなさん 見えますか?聞こえていますか?
今日僕は 私は ワイは 全ての人格が あなたたちと同じく大いなる武庫川に帰依しました
佛 この土地と
いやお前なに神社に祈ってんねんという話ですけれどもね
愛しています
また戻ってきます
そしてその西、市川沿いに静かに暮らす私の祖母と、書写山の遠くの空に眠る祖父、散り散りになっても関西弁を話しつづける従兄弟たちに思いを馳せます
武庫川の、向こう側……w
光ARE
爾時世尊從三昧安詳而起。告舍利弗。諸佛智慧甚深無量。其智慧門難解難入。一切聲聞辟支佛所不能知。所以者何。佛曾親近百千萬億無數諸佛。盡行諸佛無量道法。勇猛精進名稱普聞。成就甚深未曾有法。隨宜所説意趣難解。舍利弗。吾從成佛已來。種種因縁。種種譬喩。廣演言教。無數方便引導衆生。令離諸著。所以者何。如來方便知見波羅蜜。皆已具足。舍利弗。如來知見廣大深遠。無量無礙力無所畏。禪定解脱三昧。深入無際。成就一切未曾有法。舍利弗。如來能種種分別巧説諸法。言辭柔軟悦可衆心。舍利弗。取要言之。無量無邊未曾有法。佛悉成就。止舍利弗。不須復説。所以者何。佛所成就第一希有難解之法。唯佛與佛乃能究盡諸法實相。所謂諸法如是相。如是性。如是體。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。
自我得佛來 所經諸劫數
無量百千萬 億載阿僧祇
令入於佛道 爾來無量劫
而實不滅度 常住此説法
我常住於此 以諸神通力
令顛倒衆生 雖近而不見
衆見我滅度 廣供養舍利
咸皆懷戀慕 而生渇仰心
衆生既信伏 質直意柔軟
一心欲見佛 不自惜身命
時我及衆僧 倶出靈鷲山
我時語衆生 常在此不滅
以方便力故 現有滅不滅
餘國有衆生 恭敬信樂者
我復於彼中 爲説無上法
汝等不聞此 但謂我滅度
我見諸衆生 沒在於苦惱
故不爲現身 令其生渇仰
因其心戀慕 乃出爲説法
常在靈鷲山 及餘諸住處
衆生見劫盡 大火所燒時
我此土安隱 天人常充滿
園林諸堂閣 種種寶莊嚴
寶樹多花菓 衆生所遊樂
諸天撃天鼓 常作衆伎樂
我淨土不毀 而衆見燒盡
憂怖諸苦惱 如是悉充滿
過阿僧祇劫 不聞三寶名
諸有修功徳 柔和質直者
則皆見我身 在此而説法
或時爲此衆 説佛壽無量
久乃見佛者 爲説佛難値
我智力如是 慧光照無量
壽命無數劫 久修業所得
汝等有智者 勿於此生疑
當斷令永盡 佛語實不虚
如醫善方便 爲治狂子故
我亦爲世父 救諸苦患者
爲凡夫顛倒 實在而言滅
以常見我故 而生憍恣心
放逸著五欲 墮於惡道中
我常知衆生 行道不行道
隨應所可度 爲説種種法