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はてなキーワード: 学校教育とは

2021-05-13

anond:20210513102613

経済学では義務教育はともかく大学進学と経済成長ほとんど関係ないとされてる。はてなー学校教育しか教育と認めず、オンザジブトレーニングを教育と認めないから、こういう主張はウケないけどね。

大学なんか行っても意味はない

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/52017082.html

2021-05-12

anond:20210512013840

多様性をなくすために中学校までは義務になってるんだろ

学校教育がなかったら福島県民と宮崎県民で日本語の会話ができないと思うわ

2021-05-09

anond:20210509060625

素晴らしい。

全て間違っている。

大前提として多くの貧困者には家族がいる。

4人家族全員だとすると300円を4人で割ると75円だ。5人ならば60円だ。

この時点で生活が苦しいと言うのが分かるだろう。

最低賃金の上がるペースが遅いにも関わらず政府増税を何度もしてきた。

貧困層の所得税自体が低いにしても、消費税によりあらゆるものが値上がりしてきた。

しか収入は増えずに貧困となる。このような状況下にありながらも家族で慎ましく生活しているものがいる。

では元増田はどうなのかといえば300円で生活ができるから楽勝と言ってるだけである

では1日60円~75円で生活をしてみれば良い。

それが出来たら元増田意見を誰もが認めることだろう。

1人の場合はなぜ貧困なのか。

それは無才だからだ。

無才というのは考える力、将来に対する未来というもの考える力を持たない場合がある。

これは現代学校教育が単に勉強だけを教えており働くことや将来というものについては何も教えないからだ。

実際に会社で働くことを前提の教育ではないため、将来はどんな風に生きればいいのかよく分からない、

から誰でもできる仕事というもの就職する方向性に行ってしまう。

これを自己責任で済ませてしまうとこれから考える力を持たぬものが育ち悪循環が生まれしまう。

よって本来は働く行為というのがどういうものになりどう生きるのかというのを学び取らなければならない。

中学を、高校を、大学卒業したらいきなり全く別な環境、つまり資本主義社会に放り込まれる。

既に行われている競争に参加することになるが、どんな場所加かもわからずに働き、ただただ疲弊していく。

それも低賃金で。そして転職への意欲が見いだせず、加齢とともに弱っていく。

こうして弱った人はさらに弱り続け、低賃金しか働けない貧困が発生する。

考える力自体が残っていても考える気力が無く、そして常に苦しみ続ける。まるで刑期のように。

なぜそんなこともできないのかと人は言う。

しかし、なぜそんなことができないのかをなぜ考えないのか。

それが社会強者、つまり資本主義社会の中核者だ。

苦しい人の気持ちが分からない。ただサボっているだけ。やる気がない。

これは偉い人などが最近の若者はやる気がないとか、高い立場にまで行った人が努力が足りないというのと同じ事だ。

自分はやれた。自分はやってきた。だから周囲もそれをやることを要求する。パワハラと同じだ。

なぜ貧困が生まれるのか。なぜ貧困お金を稼ごうとしないのか。なぜ貧困はそんな無駄な事をするのか。

ただそれを言うだけだ。

ではなぜ貧困が生まれないようにして貧困お金を稼げるようにして貧困無駄な事をさせないようにしないのか。

このような道徳的思考が欠如している。それが資本主義の中核層である

日本政府にも同様の思考を持った者がいる。

何も努力をしていない人間を救う意味などないというのである

結局のところ、誰もが平等にならないようになっているのが世の中である

そのような世の中の仕組みがある中で、貧困者を見下し、救済しないということもない。

それこそが生活保護である

最悪、生活保護があるからなんとかなるだろう。

しかし多くの人が生活保護の需給資格がなく、低賃金疲弊しながら働いて日銭を稼いでいる。

正に辛い世の中である

そのような辛い世の中を低賃金でも生き抜いている人に対して無慈悲言葉元増田はかけているだけだ。

努力だの根性だの頑張りが足りないだの何もしていないだのサボっているだの勉強しろだのそういうものは勝者の弁である

勝者しかいない世の中は今後も継続されると思うが、絶対的な勝者ではない。

なぜなら弱者の方が勝者よりも数が多いかである

いつだって逆転する可能性がある。

そのようなことをきちんと考えられるのであれば、冷遇せず、真っ当に生きられるような制度を充実させるべきである

貧困者は貧困者なりに一生懸命生きている。

よって生きることを否定してはならない。

そして貧困者は頑張っていて何も悪くはない。そして正しく間違っており苦しんでいる。

ただそれだけだ。

2021-04-30

創作の中で男女の交流積極的に推奨されている物

創作物には一定数、子育てや男女の交際に法的な要素や学校制度を持ち込むことがある。子供を作ったら助成金出すとか、学校教育で疑似夫婦生活を営むとか、一夫多妻を認めるとか。

そういうものお勧めってありますか?

例えばこういうの。

子宝助成法」

https://shonenjumpplus.com/episode/3269632237329324177


なお、異世界に行ったらハーレムになったとか、能力手に入れたらモテてたとか、家庭教師に応募したら美人姉妹担当になったとかじゃない奴。

2021-04-28

anond:20210428164136

中国は知らんが韓国なら割と学校教育アカデミックに絵を教えてるらしいので。

さらにあっちは一芸に秀でると就職やらが有利になるとかで、生存競争苛烈自殺者が耐えないこともあって絵に手を付ける人が多いという裏事情がある。

こういうところがゆるい欧米人より詰め込み型のアジアンのほうが能力が高くなってきてるのはそういうこと。

そのかわり英才教育とか優勢思想とか結構厳し目だと思うね。

2021-04-20

anond:20210420140141

どっちも正しいよ

教えるべきことを教えない学校教育が悪い

2021-04-19

anond:20210419184527

重大な問題に対して、

長々とどこかで言われてるようなコピペみたいな主張を書いて、

提案することが「いじめって言葉を使わない」なんて悠長で無根拠対策

最後ポエムちょっとだけ味付け。

道徳の授業のテンプレみたいなことやってる。

このスキーム国民に定着させたの学校教育の敗北だ。

延々と障害者の害を平仮名にする運動やってそう。

なんか変なやつに絡まれたけど削除されてる。残念。

2021-04-17

学校に行く意味について思うところを書いておこう

ゆたぼんとかいう子が学校に行く必要がないとか言ってて、

それに対する反論が、学力とか友達とかそんなのばっか目に付くんで、小学校中学校に行く意味はそうじゃないと言っておく。

学校ってのは、自分がどうなりたいのか、どうなって行くべきなのか知るために行く場所だ。

学校という集団の中で、色々な子を見て、その成功も失敗も挑戦も振る舞いも見て、何をすればどうなるのか、どういう振る舞いがどういう結果につながるのか。

どういう振る舞いが評価され、どういう振る舞いがけなされるのか、どういう子に人気があり、どういう子に人気がないのか。

何をしたらいい結果につながるのか、何をしたら悪い結果につながるのか。

何をしたら誇りになるのか、何をしたら恥をかくのか。

他人をまとめるとはどういう事か、集団の中ではどの程度まで勝手が許されるのか。

自分が何に優れていて、何に優れていないのか。

自分一人だけでなく、周囲の同学年や他学年の子達、同じ部活や違う部活の子達も見て、色々試行錯誤する場所だ。

優れた子とも劣った子とも交わって、他者との距離感の取り方や、自分を演じる事を学ぶんだ。

人生の恥の半分以上は、小中学校のうちにかくんだ。

そうすることでバランス感覚や、信用できる人や信用できない人への嗅覚を養い、その後の人生で致命的な事態を避けて上手く恥をかけるようになる。

それは、学校に行けない海外難民ストリートキッズみたいな子達であっても、同年代の子たちと同じ時間を過ごす事で身につける事ができる、社会生存するための最低限の教養と言っていい。

学校に行かず同年代の子たちと恥をかいたりかかせたりという事をしないまま齢を重ねるのは、

その教養を身につけないまま失敗できるモラトリアムの期間を失って社会に放り出される事を意味する、本当に危険な事だ。

彼の周囲にいるのは、すでにそれらの修羅場を潜り抜けて、社会生存するための最低限のバランス感覚距離感を身に着けた人たちばかりだ。

たまにネット炎上する人はいても、死なずに済ませるための基本的対処法はみんな知っている。

逆に言うと、彼の周囲では「やらかすとまずい事」「どうやったらうまくいき、どうやったらうまくいかいか」「何をやったら褒められ、何をやったら叱られるのか」を体当たりで見せてくれる子たちはいないのだ。

おそらく、彼はこのままだとその辺のバランス感覚が欠如した、ネット上でしか通用しない引きこもりのような存在になってしまうだろう。

学校に行かなくても良いけど、同年代の子たちと過ごす時間を失うのは、大変危険な事だと認識するべきだ。

茂木健一郎氏とか、日本学校教育の内容に一家言あるらしくて学校教育批判文脈で彼を擁護してる人もいるようだけど、

そういった人たちは、自分たちが小中学校で得たものが本当に学力だけなのか、小中学校に行ってなかったら自分はどんな人間に育っていたと思うのか、その辺を考えて言ってるのだろうか?

ゆたぼんという子は、周りの子たちがロボットに見えると言ったそうだが、なぜロボットのように見えるのかちょっと立ち止まって考えてみたらどうだろうか?

それは、外国人がみんな同じような顔に見えるのと同じで、もう「差異を感じ取ることができないほど異質な存在になってしまたから」そう見えるんじゃないのか?

ロボットに見えるというのなら、なぜその子達がロボットに見えるような振る舞いをしているのか、それを考えたのだろうか?

あなた擁護してる人たちは、みんな学校に通ったうえで、その齢まで生き抜いて名を遂げてきた人たちだぞ。彼らはロボットに見えるのか?

なんか学校に行ってない期間が長すぎて、もう立て直しようがないんじゃないかという気がしないでもないけど、

どこか同年代の子供たちと一緒になって、彼らを自分の鏡としながらバランス感覚を養う場所を持った方がいいんじゃないかと思う。

2021-04-13

雑誌映画秘宝』の記憶(48)

ロックの魂とは?】

 コメディ映画スクール・オブ・ロック』(03年)が公開された当時、この映画肯定的評価するか否か、「有りか無しか」を巡って賛否両論となったこから映画秘宝』誌面では、少しばかりの論争が起きました。

 ご存知ない方のために粗筋を説明すると「ロックバンドをクビにされた主人公が、ひょんなことから坊ちゃんお嬢ちゃんたちばかりの通う小学校にニセ教師として潜り込み、生徒たちに『ロック音楽スピリッツ』の教育を施した末に、筋が良い生徒たちをバンドメンバーに従えた主人公が再びステージに立つ」という、ファミリー層向けコメディ映画です。

= = =

 当時の否定派の論調は「『反逆精神』が拠り所であるロックが(たとえニセ教師によるものとはいえ)、学校教育で身につくわけがねえだろ」とか「コメディとはいえ大人が『ロックは素晴らしい』と、特定価値観子供押し付けるのは正直いかがなものか」とか「ガキごときロックができてたまるか」とか、まあ大体そんな感じだったと記憶しています

 しかし「ひょんなことから『未知のカルチャー』に触れた子供若者が、その魅力に思いがけず目覚めて『カルチャー担い手』として育っていく物語」あるいは「大人側の視点で、色々な思いを抱えたり紆余曲折がありつつも『カルチャーの教え手』として年下の人間たちを育成していく物語」は、良くも悪くもありふれたものに過ぎず、そこまで腹を立てることだったのかと今でも疑問です。例えば、労働者階級の家庭に生まれ子供バレエの魅力とか宇宙ロケット打ち上げの夢に目覚めるといった物語が「有り」なのに、この映画がそんなに否定される必要はあったのでしょうか。それとも学校以外の場所舞台だったら許されたのでしょうか。こうして考えると、論争と呼ぶにも非常に掘り下げ不足であったように思えます

= = =

 そもそも否定派の気持ちの根っこには、特定カルチャーの愛好家が陥り易い「選民思想」が有ったのではないでしょうか?何しろ「女『子供から映画を取り戻せ!」が旧体制の『映画秘宝』の合言葉だった訳ですから否定派には「『ガキ風情』しかも『裕福な部類のお坊ちゃんお嬢ちゃん』が『オレたちの』ロックに手を出すこと自体我慢ならない!」「ファミリー向け映画ロックをイジるな!」という気持ちも有ったことと思います

 もう既にお分かりのように、ここに見られるのは要するに、いい歳したオッサンたちが、いつまでも上の方に居座って「このカルチャーはオレたちだけのモノだ!」「コレは『本物』ではない!」「それが理解できん若い者たちは、まだまだオレたち(=オッサンたち)に及ばんな!」という態度をとることによって、若い世代から敬遠されてジャンル全体の衰退を招くという、非常にありふれた「『本物の✕✕』とは何か論争問題」「サブカルチャーにおける老害問題」の1バリエーションです。

 しかし、この映画が公開されて長い年月が経過しました。今や音楽活動を始める若者たちの中で「バンド形式から/ロックから始める人」が占めるパーセンテージは、昔のように多くはないだろうと思われます外国でも事情は似たようなものです。今ではおじいちゃんになってしまった外国の大物ミュージシャンたちと、日本アイドルBABYMETALが共演した際には、馬鹿にされたり嫌がられたりするのかと思いきや「孫みたいに若い子供たちが、ワシらの音楽に興味を持ってくれた!」と、むしろ喜ばれたと聞き及んでいます若者子供にとって、この映画に出てくるようなロックが既に「何だか知らないけど、お年寄りたちが聴いている懐メロ」となってしまった今日では「映画スクール・オブ・ロック』は有りか無しか論争」をしていた『映画秘宝』編集者ライターたちは、実に贅沢な悩みに基づいて議論していたと言えます

= = =

 無論、あの頃に「ロックカルチャー担い手ファンの『高齢化』が問題になる」などと未来予測ができた人間は少なかったでしょうから現代人の立場で彼らの論争を「贅沢な悩みだった」と批判するのは酷と言われるかもしれません。

 しかし、未来予測とは違い、当時の人間でも『映画秘宝』の関係者や読者であれば、容易に気づくのが可能だったはずのことが有ります

 それは「当時の旧体制映画秘宝』と映画スクール・オブ・ロック』の主人公は、していることが『悪い意味で』五十歩百歩だった」ということです。

 旧体制の『映画秘宝』が「切り株映画は、世界真実を描いている!ヌル作品なんか観るのを止めて、切り株映画を観ろ!」とアジテーションする姿と、この映画主人公が「ロックが最高の音楽だ!ヌル音楽なんか聴くのを止めて、ロック名盤を聴け!」と生徒たちを『洗脳』する姿との間に、果たして本質的な違いが有ると言えるでしょうか?

 そうです。この映画主人公がしていることは「洗脳」です。もちろん「何らかのカルチャーの愛好家が、非・愛好家に対して自分の好きなものを紹介する」という行為は、大なり小なり「洗脳」の側面を持つものです。だから、単に「ロックは良いぞ」と他人に薦めるだけならば、何も批判される謂れは有りません。しかし、もしも「ロックを知らないのは不幸だ」とか「ロック以外のツマラナイ音楽聴くやつは馬鹿だ」とか説教をかまされたらどうでしょうか?そんなことをされたら「うるせえ」「布教するために他人価値観を踏み躙るな」と言いたくなりませんか?そもそも「『反逆精神』を拠り所にしてるくせに、上からモノを押し付けるんじゃねえよ」という話です。

 実際、この映画には、生徒たちが普段どんな音楽を聴いているのかを質問した主人公が、その回答を聞いて嘆息するという場面も出てきます。これを単に作品を彩るギャグとして軽く受け流すのか、見過ごせすに腹立たしく感じるのか、それは観る人によって受け取り方が異なるでしょう。しかし、仮に主人公批判する感性の持ち主ならば、同じことをしている旧体制の『映画秘宝』にも批判的な感情を抱くのが当然と言うか、それが「知的な誠実さ」というものではないでしょうか。仮にも批評活動生業にしている人間たちが雁首を揃えて「この描写は、自分たちみたいな(=若者世代に『本物のカルチャー』とは何かを教えたがる)オッサンのことを風刺しているのではないか?」という可能性に思い至る「内省視点」を少しも持たなかったのでしょうか。そうだとすれば『映画秘宝』関係者は「知的怠惰」と言わざるを得ません。

 まあ、可能性としては「映画主人公の行動と『映画秘宝』の行動は五十歩百歩」という事実に気づいていたけれども、センパイの機嫌を損ねるのを畏れて忖度して言わなかったというのも考えられますね。

 馬鹿なのか、忖度体質なのか、どっちにしても「批評活動を行う人間」としては「致命的な欠陥」だと思うのですが、そういう人たちでも業界デカイ顔をしていられる現状は、いかに本邦の映画ライター業界人材不足なのかを如実に物語ると言えるでしょう。

= = =

 ちなみに映画スクール・オブ・ロック』には、主人公が「ロックの反逆精神とは何か」を生徒たちに実地に教えるために「『権威』に逆らえ!教室では教師、つまりオレが『権威』だ!オレを罵ってみろ!」と命令する場面が出てきます。すると、生徒たちは素直で良い子ばかりだから、色々と頑張った末に「デブ野郎!」という火の玉ストレートを投げてしまい、自分で反逆を命じたのに「オイお前、後でちょっと職員室に来い!」と主人公がマジ切れするというギャグ場面が出てきます。(なお、主人公を演じるのは、ぽっちゃりコメディアンのジャック・ブラックです。)これは「『反逆精神』を『教育』する」という根本的な矛盾表現した、秀逸な場面と言えます

 町山智浩高橋ヨシキてらさわホークも、一度「権威に逆らえ!オレたちを罵ってみろ!」と若手ライターたちに呼びかけて「反・権力/反・権威精神とは何か」を教えて上げたら良いのではないでしょうか。パワハラ説教マンスプレイニングかますよりも、よほど後進の育成に寄与できると思いますよ。

 まあ、センパイの機嫌を取るためにパートナーの肉体を献上する人間、それを享受して面白おかしく語る人間嘘八百解説を書いて間違いを指摘されたらそそくさと逃げる人間には、到底「権力に逆らうとは何か」を若手ライターに教えることなんて無理な話でしょうけど。

 この投稿は以上です。ヘイル・サタン

anond:20210413184107

予告逮捕ネオ麦を記憶するおっさん世代だけ特定ワードを避けている

おっさん未満の子供はそうなった経緯を具体的に理解してなくて、「悪口はいけませんよ~」という学校教育の建前の理解しかない

でもこれ警察官もそうじゃないのかね

警察官裁判官ネオ麦茶を知らない人のほうが今は多数派のはず

2021-04-09

政治活動として、電動車椅子を駅員に運んでもらった顛末を詳細に公表することは妥当

この話もいくつかの段階があると思う。

 

① 電動車椅子ユーザーが、どの駅でも自由に乗り降りしたいと思うのは妥当か?

→これは当然妥当であり、異論を持つ人はいないだろう

 

② 電動車椅子を駅員に手作業階段を運ばせるのは妥当か?

→①と逆で、これを妥当だと思う人もいないんじゃないか

 

③ 妥当でない②の作業を、法律に「合理的配慮」があることを根拠として行わせることは妥当か?

→これは実際に体を張る労働者立場とそうした経験のない立場とで意見が分かれそうなところ。

 個人的には、今回の状況であれば、法的な義務はないけど本来あってほしい設備がないからって、その代償として危険作業をさせることが「合理的配慮」だとは思わないが…

 中には、「経営者設備を設けていないのが原因だから危険作業を行わされた人が経営者責任を問うべき、行わせた人は悪くない」という意見もあるが、それはテロリズムではないか

 

④ ③の顛末を「成果」として、それも模倣を期待して手法等を細かに公表することは妥当か?

→そういうことを行うこともあるだろうし、まあまあ妥当なのかな…

 

⑤ ④は、『共感』を得られるか?

→これは「妥当」かどうかの問題ではない。

 細やかに経緯や手法公表する以上、その目的共感を得て世論の支持を受けることだろうが、共感するかどうかを決めるのは記事に触れた人それぞれであり、教条を掲げて左右できることではない。

 昔だったら知らず、2021年社会においては、どうやら今回のようなやり方は共感より反発が大きかった。

 今や、「カスハラ」なんて言葉が生まれるようなモンスタークレーマー存在や、公務員批判の結果として行政機構疲弊災害対応学校教育もままならなくなったことが社会に知られるようになった。

 国力も衰退し、災害のたびに廃線が増えるの見て、鉄道も維持が難しくなっていると知られている。

 「全力で敵を批判してれば後は自然になんとかなる」と都合良くはいかないらしい、社会構成員としてそれでは不味いらしい、という認識が広まったのではないかと思う。今回の場合に直接当てはまるかは別として、社会にそうした流れがあるとしたら、共感を得るには流れを踏まえる必要があるだろう。

 

⑥ ③について反発があったとして、批判するのは避けるべきなのか

政治家政治活動として、明確な意志をもって、電動車椅子ユーザー代表して③を行った以上、その結果得られる共感も反発も、その政治家が引き受けざるを得ないと考えるのが妥当ではないか。もちろん脅迫なのは警察案件だ。

 また、それが代表としての言動であるならば、代表された側にも自然とその余波が及んでしまう。一方的で困るとは思うけど…

2021-04-07

anond:20210407104255

そういう意味なら、日本人内面化してる社会規範は、例えば、おぼろげな儒教道徳と、周囲の人から浮かないようにしたいという性向だろうね。バイブルのように明文化されているもの知識として共有しているわけではないけど、学校教育その他を通じてしつこく躾けられた結果、そういった社会規範は身に染み込んでいて判断の軸になっている。

2021-04-06

anond:20210405162222

高校教師です。

その学校は全く評価できないですが、不当な扱いには断固抗議しなければならないという社会ルールを真に学べたと思います

酷い学校教師がいることは事実ですが、酷い会社上司がいることもまた事実なのです。

からこそ、学校教育には社会的な意義があると言えます。とても格好悪い例ですけどね。

anond:20210406202713

ようするに

神様を信じるってことは神様にもこっちを信じてもらうために(その神様目線からいえば)いい子にするってこと(大まかに信仰のありかた)

・どの神様が何していいとか何しちゃだめとかいろいろ決まりがあるけど日本人はそれ守る気はない(逆説的に上記神様に信じてもらうためというのを否定してる)

 学校教育が「日本においてあるべき情報の基礎」と思われるくらい義務化されてるから宗教文化情報の記録で教育で治世的なものであるという役割を捨ててる

 道徳倫理も「学校で学んだろ」って言葉で完結してしまうし善悪基準は「世間さま」

 神ってものが何なのかよくわからないけれどもおなじ立ち位置に「みんな」「世論」「世間」とかを据えてる

この二つで信仰心はないし無宗教っていえる

さら

神様にお願いする行為はなんでもするけど、神様がお願いしてる事(禁則事項)は守る気はない

神様はえいかうちら庶民ことなんかとりたてて監視しないしそんなきついこともいわんやろ、けど神様基本的人権について忘れてそうっておもったらすごい勢いで呪う

概念想像範囲内はすぐ頼るけど、それに到達しないと現実のなにかをめっちゃ攻撃する

駅に階段しかなかったら駅員を晒すし望みのレストランに入れなかったら晒す 運を神様が操って自分にだけカスタマイズされた試練だとは思ってない

でも運よく予約がとれたら日頃の行いっていうしスムーズに事が運べば神様感謝して実際の関係者には感謝しない

構造的に一番安上がりな事をするというだけ

受験勉強を寝ずに毎日頑張るのよりも小銭で絵馬を書いて願掛けしたら匹敵するかもって期待しておちたら学校制度を呪うし合格したら何らかの実力を誇る

という理由で神の座がないってことやね

2021-04-03

anond:20210403190617

変わらないけど、時局を見計らった修正はできるでしょ。

今の学校教育でも、結構変わってるんだよ。

昔のままってことに、なれないんだよ。


日本人って、消極的に何でも変えるからね。

変えられないバカミャンマー

変えられないかわいそうな民族もいる。


経済理論は、そこに住む人間馬鹿スキャンを兼ねている。

anond:20210403051558

元の記事と思われるものを読んできたが、元の記事学問知識がどういうものか、「知る」という営みにどういう意味があるのか、に重点をおいて語っていた。他方でこの記事学校教育がなぜ必要かを語っていて、少々論点がズレているような気もしなくもない。

 「教育受益者社会だ」、この主張には概ね納得。ただ勿論、教育にも功罪があって、例えば優生学社会進化論を下敷きにして作った教育ファシスト的なものになるかも知れない(それこそ周りを見下すための教育になりうる)。或いは、歴史教育隣国との領土問題過去戦争問題を語ったり聞いたりする時には、歴史知識を使うわけだけれども、教育で与えられた知識をそのまま(或いは自己流に解釈して)使った結果として、隣国との対立が続いたままになっていたりはしないだろうか?この記事学問教育の善を部分的に語っているわけだけれども、その悪も合わせて知らせないと、そこからまれ社会は少々歪になるかも知れませんね(ここが我々の現在地かも知れません)。

 教育制度論点からするなら少々話がずれるかも知れないが、主体的な学びであるならば、広義の「学ぶこと」「知ること」「考えること」それ自体社会のためであれ、個人のためであれ良いように思う。個人的な興味から幼少期に好きだった昆虫恐竜探究するもよし、文学を学ぶもよし、災害から街を守るためにインフラ整備について学ぶもよし、娯楽である家庭用ゲームについて個人的に考えるのもよし。

 教育から与えられた「勉強」がなくても生きること自体はできるだろう。しかしながら、自分から何か(扱うものは極端な話なんでもいいんです)を知ろうとする時に「勉強」がないと困るのも事実だ。我々が文章を読めるのは、どんな形であれ共通コードとして教育があったからだ。映画音楽、詩や文学、(極端だが)ブログなどの娯楽を楽しめるのも、部分的にそのコードに沿いつつ「主体的に何かを学んだ人」がいるからのように思う。「勉強」がみんなで楽しめるものの基礎の部分を作っていること、社会文化の一部を作ってきたことも否定できない。

 ざっとまとめるならば、「勉強」と「主体的な学び」に乖離があるのは事実かも知れないけれども、「勉強」が個人社会も(物質的にも内面的にも)豊かにしうることは事実かも知れない。勿論、どちらにも功罪はあるけれども、一見無駄に見える「勉強」であれ、「主体的な学び」であれ、我々が何らかの形で日常的に使うものであることは否定できないはずだ。

 まだ社会に出ていない子どもとして思うこととしては以上です。

(長文失礼しました)

2021-03-30

anond:20210329233727

shin,ya これなら伝わらないかなあ

 

shin-ya  シンニャア

shinya    シニャア

shin'ya  シニャーー

 

 

あいつらが100年~500年計画学校教育を改め、全員記号の使い方を学び直すか

あきらめにゃーーか

3もしくはこっちが名前を変えるかしかない(大本命)

 

2021-03-22

お酒を飲める年齢

あいうのを学校で教えないから人は犯罪をするのではないだろうか

法律学校で教えず偉人の経歴ばかり教える学校教育の在り方はどうだろう

誰も読んだことのない六法全書に書かれていて後から「それは犯罪です」と警察がやって来る

から警察にバレるかバレないかけが犯罪基準になる

親が育児放棄気味で友達もいない子供お酒を飲める年齢を知らずに育っていく

2021-03-18

anond:20210318190652

これは日本学校教育受験教育弊害だと思うんだけど、(与えられた)課題を解くことに特化し、私自身なまじ全国的にも成績が良いものからそれで満足しちゃったのよ。社会に出て"課題を見つける"ことが重要だと気づいてから事象に対する探究心が芽生え始めたんだけどもっと早く開花したかった。

2021-03-07

リベラル学校教育しか教育と認めていない

オンザジブトレーニングを教育と認めないか大学進学は善、大学無償化は善と言ってるでしょ。大卒が増えたところで今まで高卒でやってた仕事大卒でやるだけなのに。

2021-02-23

anond:20210223113933

田舎っつーか気候差の方が激しいと思う

寒い地域そもそもプールに入れる日数が少なすぎて学校教育で泳げるようになるのはまず無理だし

温水プール完備の私立とかなら知らん)

沖縄出身の知り合いはプールだけではなく海で遊べる期間も長くて子供なら遊ぶの当たり前だから泳げるようになるのが普通と言ってたな

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