「学校教育」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 学校教育とは

2017-11-16

anond:20171116115124

日本人学校教育で全員マゾ調教されてます

我慢我慢、何でも我慢。頭を使って解決するのは禁止世界我慢大会に出たら優勝できますねw

で、たまに我慢できなくなっちゃった人が暴発して自殺と。(そうなる前に問題解決すればいいのにそれができない。=自分の頭で考えないか解決法が分からない)

anond:20171116115124

日本人学校教育で全員マゾ調教されてます

我慢我慢、何でも我慢。頭を使って解決するのは禁止世界我慢大会に出たら優勝できますねw

で、たまに我慢できなくなっちゃった人が暴発して自殺と。(そうなる前に問題解決すればいいのにそれができない。=自分の頭で考えないか解決法が分からない)

2017-11-15

https://anond.hatelabo.jp/20171115212124

Fラン陰キャ大学生の僕が回答してあげよう。

でもその前に一つだけ。いくら気に入らない相手からといって、人をガイジ呼ばわりしていてはいけないよ。

おしゃべりしている彼らは、実のところは人に迷惑をかける目的でしゃべっている

わけではないのかもしれないよ。

しかしたら、おしゃべりを迷惑だと思っていないから、おしゃべりをしているのかもしれないね

さて、本題に入ろう。

教室の前の方にいるのにおしゃべりする奴、これは頭がおかしい。というか

彼らには授業中におしゃべりしていると恥ずかしいという「恥」の概念が欠如しているのだ。

恥の概念が欠如している彼らは、おしゃべりを恥ずかしいと思わないから、性懲りもなく

注意されても注意されてもしゃべり続けるのだ。

でも、「恥」という概念も、そもそも本来学校教育の中で身に着けておくべき

日本精神の一つなのだ。だから、彼らが授業中のおしゃべりしていても恥を感じないのは、

しろ彼ら自身にとどまる問題ではなく、日本教育界の、いや、日本社会が抱えている問題なのだ

…とつい声を荒げて適当言葉を紡いで論をでっちあげてしまったけれど、個人的にはこの問題、そんなに根が深くないのではないかと思っている自分もいる。

なぜかって?こんな陰キャの僕でも、友達と話し込んでいるとついついうるさくしてしまたことが

一、二回ほどあったからなんだ。

それも、君が嫌がる教室の前方でね、友達とついつい授業中までおしゃべりをして、

教員に白い目で見られることが何度かあったんだ。

それで、その時に気付いたのだ。

僕としては別にかに迷惑をかけようだとか、授業妨害意図しておしゃべりをしてしまったわけではなかったのだけど、話がはずんで、ついつい授業中まで

おしゃべりが弾んでしまっただけなんだ。

から、授業中におしゃべりする彼らを許してやって欲しい…とまではいかない。

だけど、そういうこともあるのだと君はこの問題から学ぶというのはどうかな。

授業中のくだらないおしゃべりで教室をうるさくすることから、全ての行為

悪意をもって行われているわけではないということを学びました、っていう風に

考えると、いかにも大学生っぽくって良いと思うよ。今回はその勉強代ということで。

(…っていう風に書くと説教くさいけれど)

何にせよ、どんなことからでも学ぶことはあるものだよ、と、適当お茶を濁して

終わりしておくことにします。がんばってね。

学問にはげむ君はきっと偉いよ。

日本が不幸なのは、「努力せずにできたことより、頑張って出来たこと」が尊いという価値観

このエントリ呪いの話

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20171114/p1

得意なことはの見つけ方は、「自分では頑張ってないと思ったのに、褒められたこと」を探すこと。

ただ、学校教育では、頑張って出来たことの方が尊い価値観に強すぎて、

「頑張って出来たこと=得意なこと」で育ってしまうのが、呪いの始まり

努力して出来るようになることは素晴らしいことなのだけど、

それだけでは本当に得意なことは見つけられない。

「体が大きいから、将来はお相撲さんだね」は極めてまっとうな、サジェスト

だって、体が大きいだけで、子供の頃は勝てるんだから

勝てると嬉しいし、褒められるし、自分も得意だって思える。

そんな当たり前のプロセスを踏むだけいいのに。

それを下手に稼ぐために、勉強しましょうって、やるのが、不幸の始まり

会社にいる優等生呪いを受けた子達をどう伸ばすか、悩めるところ。。。

2017-11-10

ここだけの話、親子二代で加計学園にお世話になっている

ぼくは生徒として学園に通っていた。

僕が学校卒業すると、父が同じグループ学校で教鞭をとっていた。

いまもまだ働いているんだろうか。

父のような人間コネで働けるなんて、碌でもない学校だなあと改めて感心した記憶がある。

学校教育産廃業者のような施設なので、お金を受け取って社会では価値のつかない連中を引き受ける。

それでも恫喝暴力何でもありの教育方針だったので、校内はわりと平和だった。

学級崩壊を引き起こす生徒は叩かれるか弾き出されるかのどちらかだったからだ。

でもぼくは多分、加計学園にいたから、そこから抜け出すことをモチベーションにして何とか抜け出ることに成功した。

特にオチ結論もない。

ただ一つ言っておくと、ニュースになるまで読み方は"かけい"だと思っていた。

おそらく僕のまわりの人もそうだったはずだ。

2017-11-08

借金玉が叩いてる人、そこまで間違ったこと言ってないよな

このツッコミによって事実かどうか保留にすべきという視点には一理あるし、

それ以降のやりとりでは垣内氏も結局ミクロ自分周辺の話しかできておらず叩いてる人と同レベルしか無いし、

このあたりの発言も「不登校にならない人はそもそもメンタルサポート必要ない人が大半である」みたいな一般的事実を平気で見落としてるのに批判されてないし、

自分の見たいように見てるのはどっちもどっち半端ない

2017-11-07

今回、選挙を経て、痛感したのは、日本民主主義根付いてないんだなーって。

民主主義って、つまり多数決、最大多数の最大幸福、それを信用しない、できないひとがたくさんいるのだなと。

考えてみれば、日本独裁制であっても、そこまでひどい政治経験してないんだよな、歴史的に。第二次大戦くらい。

しかも、その民主主義を考えるきっかけになるはずの学校教育は、日本史は、天皇中心の歴史を教えるから

投票というのは、日本未来について考えること、そのイデオロギー自分の中で確立させ、それを意思表示する行為だと思う。

ま、独裁制と代議制なら、代議制の方がマシってだけ。正直、大差ない。トランプさんとか見てると。

選挙は、今の時代に合ってない、興味を持たせろとか、そういう意見もあるけど、僕から言わせれば反知性主義だよなーと。がり勉ダサいっていう奴の論理だよね。

最低限の、危機回避可能性のためなんだよね、選挙って。その為に勉強しとこうぜって。

ナチスとかポルポト政権カミカゼを出さない為には、民主主義しかないと。

(まあ、ナチス民主主義で選ばれたけど)

ちゃんと、見る目を養った社会しか、喰いとめられないというのが限界

別に投票を信じない、というのもイデオロギーの一つだよ。

っていうか、小選挙区制だと、人気よりも団結がモノを言うわけで、そういう意味では投票したって死票無意味という論理だって成り立つし、どこも同じだろうという考えのもある。

代議士たちの理念演説会、討論会を見れる機会がないと、どれも同じだよね。いちいちHP回って、みて、比較して。

でも、ひどい代議士だと、HPにすら何も書いてないし、小学校から今に至るまでの微笑ましいエピソード集なんかが載ってて、反吐が出る。アイドルかよ。

正直、日本はこれからどんどん衰退するし、なんとかしがみついていかなければならないんだなと思うと、戦々恐々とする。

自分たちが選んだんだ、なんていうけど、それはちがうと思う。

そういう仕組みが出来上がる時に、批判できなかった。大きくなって崩すには、時間と労力がかかる。もう手遅れだ。

先人たちの負の遺産だと、割り切るしかいかなって思う。

もちろん、先人たちのおかげで、今の、生活が成り立ってるのは承知している。

だけど、彼らがちょっとでも、お金稼ぎの合間に、趣味の合間に、手を止めて、このままで大丈夫か?と議論してくれていたらと思ってしまう。

一億人以上が暮らす経済大国の舵取りなんて、誰にもできなかったのかもしれない。それでも、ちょっと思ってしまう。

この問題だらけで、ちょっとずつ沈んでいくのを眺めながら、僕たちはどこまでいけるんだろうな。

2017-10-25

anond:20171024205956

学校というのが、本来目的以外の役割を詰め込まれすぎてるのが問題なので、学習塾機能とその他に解体した方がよい。

自学自習ができる能力があれば学校不要

個々に教師をつけてもらえない子供には、集団での生活という弊害はあるが、効率費用学校教育妥協

学校・学級に入ると他者学習邪魔になるだけの馬鹿は「学校には有害

治安の悪化警察多忙化、少年院の不足……駆除しましょう。

anond:20171025005407

学童行く家庭も、極限られた上澄みは自腹で現在学校教育学童と同じ教育環境を買うだろうね。

でも大多数はそんなの無理だから、親が仕事を辞めて自力子供の面倒見るしかない。

と言っても現代学校教育と同じだけの教育自力子供に施せる親がどれだけいるか

仕事を辞められない家庭は子供放置になって、その子小学校レベル教育さえ身についていないまま大人になるんだろうし。

公教育なんて無駄とか言ってるのがいるけど、そういうのは親やら塾やらから公教育必要ないほどの教育を受けられた上澄みなのか、

それとも今自分が持っている教養の大部分は公教育で教えられたという事など忘れたのか。

アメリカホームスクーリング家庭を見た事あるけど、両親共高学歴エリートかつ

母親キャリア捨てて専業主婦で全力で子供教育に尽力してるんだよね。

あれが出来る親が全体の何%いるのか。

2017-10-23

軽減税率に関する新聞業界欺瞞

2017年衆議院選挙で、小泉進次郎が、新聞業界が、自分達にだけ軽減税率を求めていることを批判した。池上彰も、これに関しては一切コメントすることなく、進次郎の言い分に聞き流すだけだった。生放送での発言の後に収録済みのVTRも流してたけど、進次郎の意見に賛成するでも反論するでもなく、キャスターコメンテーターではなく、ただの頷き芸人に成り下がってた。

そもそも新聞業界軽減税率を求めている、表向きの建前は「思索のための食料」だからだそうだ(笑)

ところで、消費税法第6条「非課税から参照される別表1を見てほしい。(条文そのままだと見にくいのでタックスアンサーで)

https://www.nta.go.jp/taxanswer/shohi/6201.htm

ここで注目してほしいのが、(15)学校教育(16)教科用図書譲渡である新聞には知識情報大衆に広くあまねく知らしめる必要性があると主張するなら、この学校教育教科用図書類似するものであるから新聞業界は「新聞は非課税とすべき」と主張しなければならない。にも関わらず、0%だの3%だの5%だの軽減税率を求めるのは理由がある。新聞業界が皆こぞって馬鹿か、皆こぞって卑怯であるのどちらかが理由だ。

教科用図書新聞比較してみたい。わかりやすく通常税率10%、軽減税率0%で比較すると、以下のような違いが生じる

前提条件
小売金額200円
売上にかかる消費税通常税率:20円、非課税:0円、軽減税率:0円
材料費100円
仕入れに係る消費税10

通常時
20円-10円の差額10円を納税することになる(消費税企業負担10円)

課税取引
納税する必要はないが、還付もされない(消費税企業負担0円)

軽減税率取引
0円-10円の差額10円を10円を還付される(消費税企業負担-10円)

課税では還付されないのに、軽減税率では10円還付される。この違いを見れば、新聞業界が非課税より軽減税率を主張する理由がお分かりいただけると思う。既にある非課税の仕組みを知らないなら馬鹿だし、知っていて軽減税率しろと言っているなら卑怯者ということだ。

還付が実際に得なのか、何円得してるのかとか、非課税とされた業界の苦闘とか書こうと思ったけど、疲れたのでここでひとまず終了。

自民党圧勝必要生活対策

昨日、雨の中投票に行ってきたけど、投票した候補者落選した。

今回の選挙で、国民自民党政策デフレ脱却憲法改正)を選択した。

 

アベノミクス

アベノミクスの3本の矢は、1本が当たり2本が外れた。

 

採点

 

原因

 

対策

 

事例

 

憲法改正

日本会議戦争準備は、経済リセットする最後の手段

大半の国民アメリカと一緒に戦争することを選ぶのだろうか?(今度は勝ち組になれる?)

 

安全確保

太平洋戦争犠牲になった人々の失敗例を参考にして、最悪の場合でも安全確保に努めたい。

  1. 世界中どこへでも疎開できるように、生活拠点を確保しておく。(語学必須
  2. 格闘技銃火器の訓練など、外国必要護身術を学ぶ。
  3. 資産管理は固定/流動で半々にしておく。
  4. 仮に無一文になっても、すぐに新事業を興せるようにスキルアップ継続する。

アリとキリギリス

日本学校教育社畜最適化されてしまった人材は、自力で稼ぐ能力が低い。

戦争になってからでは手遅れなので、今のうちにリハビリしておき、起業副業練習をしておいたほうが良い。

日常生活における政治経済の悪影響を最小限にするため、最大限の自助努力を頑張ろう。

 

http://kasakoblog.exblog.jp/22915437/

あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。

そうしたことをするのは世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである

by マハトマ・ガンジー

2017-10-10

日本人おもてなしの正体

海外旅行して帰ってきた時に、日本は総じてサービスレベルが高くて、

いわゆるおもてなしの心があるなあと感じて、その差は一体どこから来てるのか考察してみた。

それで思いついたのは

日本人おもてなしの正体は、恥をかくことへの恐怖と村八分されることへの恐怖が

たまたまいい方向に出たものだということだった。

日本では学校教育は優秀な子もそうでない子も横並びで勉強して、減点主義で間違えることは恥だと刷り込まれる。

(学校うんこするのも恥だと刷り込まれるw)

ちょっと変わっているといじめられるからいじめられないように皆と違うことを恐れる。

過去日本でも村八分にされちゃうと野垂れ死ぬ犯罪者になるかしかないだろうから

しかしたらDNA村八分への恐怖とルールから逸脱したものへの攻撃性が刷り込まれているのかもしれない。

そういうわけで恥をかかないように、

業界から世間からハブられないように、後ろ指をさされないように

サービスを日々改善し、おもてなしの心が誕生した。

恥をかくことへの恐怖と村八分されることへの恐怖は

自己主張をしない、破壊イノベーションが生まれにくい、

変わってるやつ、ルール違反したやつを徹底的にいじめる(ネット炎上したやつを安全から徹底的に攻撃する)っていう

日本人ダメ陰湿な影の部分も作っているが、

おもてなしの心、サービス改善による創造イノベーションという光の部分も作っているということだ。

まあこの推測が正しいとして、外人にこれを知られると幻滅されるだろうから

知られないほうがいいなあw

2017-10-06

anond:20171006154409

グランドピアノが欲しいところですが

両親がなくなったら改装ついでに購入予定ですね

今はおっしゃるとおりピアノタッチ電子ピアノを買うか検討中で、

紙に鍵盤の絵をかいて指を置くくらいでしょうか

この年齢になると体を動かしていくのと併行して楽典コードなどの理論を詰め込みながらいくとすんなり入ります

しろそのような教育をなぜしてくれなかったのかと思いますけどね

私は発達障害なので、なおさらそう思います

「こうやればいんだよ(仕草)」なんてされてもわからいから、理屈でおしえてくれたらいいのに

学校教育ではそういうのないですから

クラス全員にピアノ演奏させるなんてこともないですし(一部のピアノを習ってる子供たちが優先される)

ちょっとしたルサンチマン意識学習しています

それが独学の励みになることは確かです

2017-10-05

学校教育水泳音楽美術強制される意味ってなんかあるの?

別に泳げなくても、音楽が引けなくても、絵が描けなくても生きていけるし、学校教育強制する必要性がわからない。

anond:20171005093829

学校教育勉強だけじゃなくて社会学習の意味もあるんだいみたいなのを家庭教師浜中藍でみつけて英作文でぱくtったら先生にほめられた

せいとかいやくいんどもで下ネタばっかかいてんじゃなくてまともなこともかいてんだぞうじいえとぜんは

2017-09-22

日本人勉強しない

日本人は本当に勉強しない。

やれと言われてやる、昇進や資格必要からやる、というような勉強はする。

でもそういう勉強試験が終わったらまったく身に付かない。

何かやりたいことがあるから下調べをする、自分生活を向上させるために勉強する。そういう習慣が全くない。

勉強の仕方をそもそも知らないのだろう。

試験のための勉強だったら、参考書がある、塾もある。でもそういうお膳立てのない、「今それをやりたがっているのは世界自分だけかも知れない」という目的のために、似たような試みを探したり、参考になりそうな資料を集める、という訓練がまったくされてない。

じっさいこれは学校教育公教育と言う形で身に付けるのは無理なのかも知れない。

アメリカ人あんなに創造なのは開拓者DIY精神根付いているからではないか

スティーブ・ジョブズに一番影響を与えたのも、学校科学の授業などではなくエンジニアだった義父のガレージ作業だったと言う。

親や社会が、自分目的のために勉強創造するという姿勢を見せられないとだめなのではないか

 

日本人勉強しない。

から試験資格に関わらない勉強のためのリソースというものも、社会全体に驚くほど提供されていない。

自分最近わけあって英語を本格的に勉強し、その嬉しい副作用として英語世界には如何に「何かをなす」ための勉強指針が溢れているかを知った。

「何かになる」ためのものではない。

資格肩書きで、誰かに認めてもらうための勉強ではない。

ただどんなに簡単なことでも、自分のやりたいことをやり、自分のなしたいことをなすための教材が溢れているのだ。

日本社会はこの差をどうやれば埋められるのだろうか。

それは実のところ、この世界出会ってしまえば自明方法なのだが、日本人にはそもそも「それをする」ということ自体が受け入れ難いことだろうとも感じる。

どうせ反発を受けるだろうから自分からも言いはしない。

日本人には、開拓者精神はもてない。

2017-09-10

anond:20170910092444

少し真面目な話をすると、日本もっと学校教育実学を教えるべきなんだよ。

高度経済成長期に繁栄した根性論ではなくて、経済の仕組み、組織の仕組みなんかを。

そうすれば、今なぜ日本大企業が低迷しているのか答えられるようになるし、前の世代と同じ失敗を繰り返さな世代を作れる。

もう間に合わないかもしれないけどね

2017-09-04

生産性のこと、みんな勘違いしてない?

生産性を上げる=コストを下げる だと思ってる人ひょっとして多くないか

 

生産性じゃなくて効率でもいい

1タスク/1時間 っていうものを「効率良くやる」っていうときに、みんな時間の方を下げたがる

 

理由は分からないが、学校教育社会もそういう風潮なんだろうか

非常に工場的な考えだと思う

節約倹約精神っていうの?

 

8タスク/8時間を、8タスク/6時間でやって6時間労働にしたら、国際競争力上がるの? んなわけないでしょ

10タスク/8時間でようやく競争力が増す

もちろん理想10タスク/6時間だけど、分母の話を無視しすぎている

 

この分母の省力化による効率アップって、20年くらい大企業もこぞってやってたっぽいけど

その先に待ち受けてるのは地獄ってのは自明だと思う

もちろんそれも必要ことなんだけど

 

分母を減らす話がすげー出て来る一方で、分子を増やす(同じ時間生産高を増やす話題は驚くほど出てこない

一介の社員にはできないから?

自分タスク価値を正しく判別できないから?

タスクは与えられるものっていう考えの指示待ちが多いから?

それとも全部なのかな?

 

不思議だよなぁ

分母を減らす前提に立っちゃうと「分母を増やすことで分子をそれ以上に増やす」みたいな発想には絶対に至れない

「分母を増やすことで分子をそれ以上に増やす」ってのはつまり投資

投資をせずに、易きに流れて局所的最適解になっちゃうの

 

もちろんわざとやってるんじゃないだろうけど、多くの人はそういう発想がしみついちゃってるんじゃないか

もっと分子を増やす方向の話が活発化して欲しい 

あ、でも経営者批判は要らないです

https://anond.hatelabo.jp/20170904063505

仕事役に立つ」ことばっかり教えるのも問題だけどな

学校教育目的は、一生を仕事に捧げてこき使われて過労死する社畜を生み出すことじゃないんだし。

実際、最近のオッサンバサンの中には「仕事の役に立たないのに趣味なんて持つ意味あるの?」と言い出す人が増えてるらしいぜ

体罰」は違法行為なので覚醒剤麻薬に頼ることと同じ行為である

ここでは学校教育問題限定して体罰問題について述べるので、特定話題について触れることはしない。

まず、体罰は法的にどう扱われているのか

学校教育法11

校長及び教員は、教育必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、

児童、生徒及び学生懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。


文部省文部科学省に再編成されたさい、文部大臣文部科学大臣に変更されたこと以外はこの規定に変更はない。

まり、「体罰」と主張した時点で、加えた側が違法行為だと認めたことになる。

この点は戦後一貫しているので「昔は許されていたが、今は認められなくなった」という認識自体が正確でない。

よくある誤解に過ぎないのだ。

このような見解披露した時点で、学校教育に関してどの程度の知識しか持ち合わせていないか想像できる。

喩えて言えば、ヒロポンを服用すれば疲労回復が早くなるので使うよう勧めるのに近い論理だ。

ただ、あくまでも学校教育法で定められている「学校」に関しての話なので、その範囲が及ばないところに関しては言及できない。




職員会議でも校長は「体罰はいけません」と必ず言うが、それ以上踏み込むことはない。

実際、棒きれを振り回している教員を見ても、見て見ぬ振りをするのが常である

それらの行為は「体罰」でなく「懲戒」と見做すことにしていた、ただそれだけのことである

今も昔も「体罰」は違法行為であり、「懲戒」は合法的かつ教育的「指導」の一環なのだ


問題は、いかなる行為を「体罰」と見做し、いかなる行為を「懲戒」と認識するか、という点にあるのだ。

同じ行為をある時点においては「懲戒」と見做し、ある時点から体罰」と解釈するようになったか、というのが正確な問題提起である

たとえば以下のようなガイドラインが示されている。


文科省  学校教育法11条に規定する児童生徒の懲戒体罰等に関する参考事例

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1331908.htm

同初等中等教育局   体罰について

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai1/siryou4-2.pdf




ここでは学校教育における教員行為を3つに区分している。

1 体罰(通常、体罰判断されると考えられる行為

2 認められる懲戒(通常、懲戒権の範囲内と判断されると考えられる行為)(ただし肉体的苦痛を伴わないものに限る。)

3 正当な行為(通常、正当防衛、正当行為判断されると考えられる行為




愛のムチ」が教育効果的か否かは、ここでは問題にしない。

いずれにしろ文科省体罰を認めていないことだけは明確である

教室質問すれば、明確に「それは法律で禁じられているからです」と答えてくれるはずだ。

ただ、ある行為をめぐって「それは体罰ではないか」とか「いや懲戒範囲内だ」という議論は当然あり得る。

しかし「体罰」が許されると主張することは、違法行為をもって教育するのが望ましいというのに等しいことであるということは認識しておく必要があるだろう。

効果的であり、かつ「望ましい」とするならば、違法行為正当性まで議論範囲は広がらざるを得ない。

あるいは、体罰を望ましいとするなら、学校教育法改正対応するほかあるまい。

ともかく、「体罰」を論じる際「懲戒」との比較なしにあれこれ論じるのは意味がまったくない。

何が体罰で、何が懲戒かを明確にしないと、違法行為は正当だという主張に与することになる。

それが本望だという論者は別にしても、違法な「体罰」を容認するのかどうかはおさえる必要があるのだ。


ここでの話はあくまでも学校教育限定しているので、学校外での出来事適用できるものでないことは最初に断った通りだ。

補足

最近二言目には「学校で教えて欲しかった」という声を聞くが、それはそれほど効果的ではないと思う。

もしそれで習得できるのなら、みな満点で卒業していくはずだ。

たとえば、「冤罪があっても構わないと思う」という趣旨発言がされたと仄聞するが、

発言者は「推定無罪」の大原則を失念している点で、中学校卒業するにふさわしい知識を身につけていないわけである

今すぐにでも中学校に戻り、一から勉強するのが本人のためであろう。そして満点を取るまで卒業させてはならないと思う。

中学知識すら覚束ない者が訳知り顔でご高説を宣うのを、ありがたく拝聴する方々の姿を見るにつけ、日本の将来は暗いと断ぜざるを得ない。

2017-08-29

かけ算の順序問題

毎年毎年、自分かわいいむちゅこたんに☓つけられて頭にくるからか、掛け算の順序問題炎上するよね。

算数批判って、結局のところ「掛け算順序問題」とかいわれる時点でお察しよ。

文句を言う側は、そこに硬直化した小学校教育問題が凝縮されてるとか宣うんだろうけれどさ、アホくさいことこの上ない。

割り算の話になるととたんに小さい話になってく。

習ってない小数点使って☓とか、括弧をつけて☓とか、そんな感じ。

割り算の結果は現実でも「距離時間」とかの単位意味があるものになりやすいのも、掛け算だけに問題が集約する一因なのかも知れんが。

足し算が炎上しても、引き算はめったに炎上しないじゃん。

それって、違う回答できないからよね。

1+2を2+1と書けても、2-1を1-2って書くことは出来ない。

掛け算と割り算も同じ。

なのに、足し算と掛け算は、「それが出来るから」という理由で、学校教育否定される。

本当に、心の底から馬鹿馬鹿しい。

そんなに子供が賢いと思うなら、その程度の処世術、教えとけよ。

間抜け共。

2017-08-24

人の邪魔ならいようにする事だけ考えて生きてきた

学生時代から教師質問の出来ないタイプだった。

自分なんかが相手時間を奪うのが申し訳ないと思っていた。

卒論の提出もそれでギリギリになってしまった。

就活する時も自分なんかが社会にでるべきなのかと10月ぐらいまで悩んでいた。

今いる会社でも上司質問したり出来ないし取引先に意見したり出来ない。

とにかく全てが事なかれ主義未満であり、指示待ち人間未満である

他人に対して何かアプローチを起こすことが出来ない。

それどころか道で人とすれ違うだけでも「自分がいたせいでまっすぐ道を通れなくなるこの人の邪魔になりたくない」と考えて道の横にある普通なら人が通らないような段差の上を歩いたりしてしまう。

ひたすらに他人に対して道を譲りたがるのだ。

どうしてこんな人間になったんだろう。

もしかして日本学校教育真剣に受け続けたせいなのだろうか?

2017-08-23

https://anond.hatelabo.jp/20170823131956

問題なのは面識無い大人から接触される機会が制服を着用しているだけで格段に増える事。誰にも共感して貰えず、抱え込むしか無いという事。

その善意か悪意だか分からない物を抱える大人から遠ざかる術を学校教育では教えて貰えないって事。守る筈の大人制服という記号だけで年下の人間に好意を抱き不必要に接触してくる事。

言及していないが二例目、三例目に関して貴方はどう感じたのですか?

それと、未成年に外見だけで告白する男性、って倫理的にどうなの?したり顔であんたは私の何を知る?

2017-08-15

https://anond.hatelabo.jp/20170815074955

あーなんか「セックスを推奨してるように読める」だけじゃなくて全体的に話が印象ありきになってるな

こちらがそちらが一番聞きたい部分にちゃんと答えられていなかった、ってのは認めるけど

そちらの

現状の教育が過剰に忌避してるとは思えない。

あんたが具体的にあげた項目は性行為作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意プロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。

実践的な性教育って教育範疇超えちゃうよね。

このへんの発言も単なる主観の域を出てないよね。少なくとも「実践的な性教育教育範疇を超える」という増田理屈自分にはピンとこない。このまま話し合っても平行線になるし、自分意見の論拠となるデータをちゃんと提示しあって「なにを拠り所にしてそう考えるか・そう主張するのか」を踏まえ直すべきでは?

まずこちから先に提示するけど

自分意見形成過程で見聞きした情報、ないし見聞きした情報と同種の内容が掲載されているサイト。とくに「現状の性教育が不十分である」とする論拠、それから後で書く増田の「実践的な性教育セックス講習ではない」の根拠ととなっているのは1と5。

1ははてブでもホッテントリに上がるくらいブクマがついていたからもしかすると増田も読んだかもしれないけれど、この記事の中に「1990年代は熱心だった日本性教育」という項目があり、次のように書いている。

1990年代は熱心だった日本性教育

 実は、日本学校教育現場でも性教育に熱心だった時期はあった。「性教育元年」と言われた1992年からの約10年間がそれだ。1980年代エイズパニックきっかけとして、「エイズ感染予防のためにも性教育必要」と言われるようになり、学習指導要領改訂。「理科」や新たに始まった「保健」を通じて小学校段階から「性」を本格的に教えるようになった。

 流れが変わったのは、2000年に入ってからだと言われる。

きっかけは、厚生労働省所管の財団法人母子生協会が中学3年生向けに作成した冊子「思春期のためのラブ・アンド・ボディBOOK」の回収騒動だ。冊子にはコンドームの装着方法ピルの紹介などもあり、2002年頃、国会で「中学生の性行動をあおっている」といった激しい批判を受けた。冊子は結局、全面回収されてしまう。

 この当時、国会地方議会マスコミを主舞台として「過激性教育学校でまん延している」「教室性交渉方法を教えていいのか」といった批判が激しくなり、「性教育元年」と呼ばれた動きは教室から姿を消した。

 ここを読めば、現在性教育についての内容が行政の取り組みの段階から過去教育と比べて後退的であるということが分かる。また3の記事でも00年代初頭の性教育へのバッシングについての言及があり、ここでも同様の見方を取ることが出来る。

 「性教育の不十分さ」の可能性については増田自分とそれほど意見が違っていないようだから、ここはそのまま承服してくれるだろうと思う。

 次に5について。これは日本オランダアメリカタイといった実践教育を行っている国との教育内容の比較で、この中からオランダアメリカの部分を引用する。

オランダでは~(中略)~思春期を迎える前の時期から性は食事睡眠と同じように日常生活の一部であり、ごく自然で当たり前のことだと教えられます小学校によっては高学年でバナナを使って実際に避妊具を被せる実習を行うこともあるようです。

~(略)~

このように、オランダ若者は性に関する十分な知識を身につけているため、10代の出産率と中絶率が世界の中でも極めて低くなっています

アメリカでは大きく3つのパターンにわかます

○「総合性教育セクシュアリティ教育)」…性を生物学心理学社会学など多角的にとらえて1人の責任ある人間としていかに行動するかを教え、避妊妊娠中絶同性愛否定しません。

○「禁欲教育」…結婚まで性交せずに禁欲生活を送ることがいか重要かを教える教育です。

○「総合性教育禁欲教育プラスしたもの」はどちらか一方に比重が置かれる場合があります

(強調部分はいずれも元サイト準拠)

これ以外のタイでも、これらと同様に単に性機能避妊方法と言ったごく狭い範囲に教えるのではなく、対人関係人権視点と言った多角的目線で“性”を捉えることを重視している、といったような記述が成されている。

 それで、この1と5を踏まえて言えるのは、まず日本性教育世界はもちろんのこと“過去日本にさえ”遅れているということ。また、これだけ行き遅れている状態性教育についてのカリキュラムを多少なり進展させたところで、それが踏み込みすぎになることはあり得ない、とも言える。

 また、コンドーム仮想利用まで教育にとり入れることを容認しているオランダ出産率、中絶率の低さから言っても「踏み込んだ性教育が、乱れた性風紀を生み出すことと直結することはない」というのも明らか。これで自分

セックスという行為存在自体肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」

が単にセックスを推奨するものではない、ということを理解してもらえると思う。

 そして最後増田の言う性教育には限界がある、という主張に対する反論として、先に引用したアメリカ性教育についての文章(抜粋なのでできれば元サイト文章も)を読んで欲しい。

 アメリカ場合特殊で、「同性愛避妊中絶」といった部分までひろく教えるところ、現状遅れているとされる日本さえ先進的に見えるくらいにガッチガチの「反中主義禁欲主義」を掲げるところと、州によって性教育カリキュラムに天と地ほどの差がある。つまりこれは性教育過程で教えるべき知識・教えるべきでない知識」「性教育限界がどこにあるのか」というのは、単に教育者側・行政者側の主観によってしか取り決められていないってこと。

 ともすれば、性教育限界説なんていうのは単なるまやかしで、本当に拠るべきは「性教育限界がどこにあるのか」なんていう主観いくらでも変わるものではなく、「実施した性教育が、実社会にどのような結果をもたらしたか」のはず。そしてその「踏み込んだ性教育実施した結果」は、オランダのそれを見れば分かるように、充分に好意的に捉えていいものになってる。

 はじめの増田記事自分含めたくさんのブクマが集まったのもこの増田のはじめに書いたように

実践的な内容に踏み込めば踏み込むほど、教育とはかけ離れていく

教育とかけ離れれば、それはもうセックス講習

っていう、主観しかない「実践的な性教育セックス講習と同義」「実践的な内容に踏み込む教育とは違うものになる」という理屈立てをさも自明の理であるかのように書いたからなんだよね。

で、自分含めみんなその理屈立てがそもそもおかしいことに気づききれないまま

コンドームを使いましょう

避妊薬を使いましょう

くらいまでならまだ教育範疇だけど

どちらもない時はシックスナインしましょうなんて言いだしたらもう教育はいえない

の部分に突っ込んで、「オーラセックス知識必要」「オーラセックスの話になる意味がわからない」といったように、概ね「踏み込んだ性教育をするべき」という意見にまとまっているはずなのに、各発言にばらつきが出てしまったわけだ。

それで、この辺の話を踏まえたうえで改めてトラバ言及するけど

元増田でも言ってるんだけど

実践的な性教育って教育範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよ

ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?

 まず自分質問をする前に、増田自分でさんざん挙げている「教育範疇」というものについて定義する必要がある。明確な定義けがなされなければ増田意見は単なる主観の域を出ないし、主観ありきの出発点で話を始めている以上、そのレールに乗ったまま自分が何か意見を挙げても増田が「それは教育範疇じゃない」と言えばそういうことになってしまう。これはこれまでのトラバ増田が「どう読んでもお前の意見セックスを推奨しているとしか読めない」と主張した、またそう主張し続けることができたことから言っても明らかだ。

 しかしながらそこで「教育範疇とは何か」を定義づけするにしても、先に挙げたアメリカオランダといった他国性教育の例を見れば明白なように、教育者行政者側の視点いくらでも変わり得る「教育範疇」に絶対的基準などないし、もし絶対的基準というものがあるのだとすれば、その基準にもとづいて性教育カリキュラムを制定すればいいわけで、増田の「性教育には限界がある」という主張は成立しなくなる。

 ただ、こう書いて「煙に巻いただけで、さんざん自分質問したことには答えてくれていない」と言われるのは嫌だから元増田

コンドームを使いましょう

避妊薬を使いましょう

くらいまでならまだ教育範疇だけど

どちらもない時はシックスナインしましょうなんて言いだしたらもう教育はいえない

 ここの部分を例に挙げて自分意見を述べておく。

 自分主観と、これまでに引用した記事の知見に拠るなら、妊娠リスク回避しつつ性的快感を互いに感じ合うというのは未成年に依らず性的機能を保持しているあらゆる男女で行われていることだし、別に自分オーラセックス存在を例示するのは何も問題があるとも思わないし、自分はそれが「教育ではない」とは思わない。

 ただ、オーラセックスでも性病感染リスクはあるわけで、「そうするようにしましょう」とまで言うべきだとも思わない。原則として「妊娠したくない(させたくない)、妊娠しても出産できない状況下では、妊娠リスクを伴う性交渉は最大限避けるように努めるべきだ」としつつ、避妊手段や口淫などの性器同士を直接触れ合わせずに性的快感を感じ合う手段を例示する(実際にそういった手段を行うかの判断は生徒側に任せる)のが理想的だと考える。

 どうだろう、増田意見に沿うかはさておいて、ひとまず確かな一意見提示として読んでもらえたなら幸いだけど。

2017-08-16 14:29追記: 全体的にタイプミス意見として明瞭でない部分があったので、論旨は維持しつつ一部文章を手直しした。なんか返信もらえなかったけど、それはそれとしてひとまず読んでくれたのならよかった。

2017-08-14

https://anond.hatelabo.jp/20170814215211

想像してみてよ。自分が教える立場になったとして

セックスを誘う時はこうするんだよ。性行為に至るまでにはちゃんと作法があるんだよ。もし、避妊に失敗したらピルを服用するんだよ。じゃあ、ルールを守って気持ちよくセックスしてね!」これのどこが推奨してないの?

まあしてないと言われたら水掛け論になっちゃうからこれ以上言わないけどw

それに俺はセックスのもの危険視なんてしてないよ。あくま判断力もおぼつかないし責任のとれない子供が性行為することを前提にしたときに、どういうスタンス教育すべきかって話であって

あと、そのルールとしてあげてるやつほとんど現行の学校教育の中でやってるよ。あくま形式的実践的じゃないけど。新しく同意プロセスやら作法ってのが出てきてるけど、それは全然賛成。ただこれも無限にある同意プロセスをどう体系的に教えるのかって問題があるとは思ってる。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん