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2017-09-18

救ってもらえなかった苦しみを埋めるのは何か

天性の良いところなんて何も持っていなかった自分は、小学生の頃孤立していた。

運動神経は壊滅的なのでボール遊びにも入れない、そもそも体を動かすのが嫌い、

服のセンスも悪い。

マンガテレビゲーム禁止という状況だったので話題もついて行けず、遠足の日に一人でご飯を食べていると先生から怒られ、入れてくれと声をかけて回るよう言われ、断られ、それを報告すると「本当にどうしようもない奴だな!」と更に怒られた。

そんな僕を救ってくれたのがファミコン………とか、言いたかったんだけど

既に書いたとおりゲーム禁止

親にゲームが欲しいと何度も頼んでみたけれど、目が悪くなる、頭が悪くなる、根暗になる、友達ができなくなるとか色々言われて買って貰えなかった。

頭以外はもうなってた。成績だけは上位だった。それでも親は気に入らなかったようだけど。

かねた祖父スーファミを買ってくれたのだけれど、すぐに捨てられた。


今日孤独だった僕を救ってくれたのは○○、系のコラムをうっかり見つけてしまって

読んで昼間から号泣していた。

家に一人でいる僕を見て、「辛いことでもあったのか?」と優しく聞いてくれるおじいちゃん、

○○が好きだ、と言うと、何も聞かずに一緒に買いに行ってくれたおじいちゃん。

あの時のおじいちゃんがあって今の自分があります感謝言葉で溢れた光属性コラム

あいい話だ。

自分も救われたかった。あの時救われたかった。取り上げられる一方だった、今でもそうだ。

この心の隙間は今からでも埋められるのだろうか。

2017-09-02

大正9年→大正12年で朝鮮人超増えてる

https://anond.hatelabo.jp/20170901172529

もしこの古賀議員の指摘や前提自体瑕疵があれば、

私よりずっとこのような事件に詳しい2氏ならば「6000人にはこんなにしっかりとした根拠がありますー! バーカバーカ!」と

嬉々としてソースを突きつけ本筋の反論をするはず。

が、それをせずに迂回した。

これはたしかにダセエ。ダセエのでブコメで端的に指摘しておいた(b:id:ss-vt)。で、ここでも書いてみる。

すでにBuzzfeedでも報じられているように、古賀議員都議会において、大正9年国勢調査をひいて関東地方朝鮮人人口の少なさを指摘している。

が、この当時朝鮮人内地への渡航は急増していたのである大正9年国勢調査では、内地朝鮮人の総人口は40,755人。いっぽう同年12月現在内務省警保局による調査統計では30,189人となっているが(多くの要因で数字に大きな差がある)、内務省統計を年次ごとに追うと大正10年38,651人、11年59,722人、震災の起きた大正12年末には80,415人に至っている。これには朝鮮植民地化に伴う小作農の貧窮化や、第一次世界大戦後の好況に伴う内地工業化都市化の進展、また大正11年末の渡航自由化大正8年以降、三・一独立運動の影響で朝鮮人内地渡航制限されていたが、企業日本人よりも安価労働力として朝鮮人を求めた)など、複数の要因が影響している。

さて古賀議員の挙げた大正9年国勢調査に立ち戻ろう。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  2,485人、

埼玉県  78人、

千葉県  40人、

神奈川県 782人、

合計3,385人。

震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家メディア民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/society/14990

から大正12年の数字引用して、古賀議員発言形式に合わせると、以下のようになる。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  8,567人、

埼玉県  311人、

千葉県  317人、

神奈川県 3,645人、

合計12,840人。

工業化都市化の進展」に伴って多くの朝鮮人労働力としてやってきたため、東京神奈川といった都市部工業地帯に集中しているわけだが(横浜での虐殺目撃証言の多さにも反映している)、少なくともこの時点で、

6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい

とは言えなくなる。

また自分が直接参照した一次資料として、国立国会図書館デジタルコレクションに所蔵されている『在京朝鮮人労働者の現状』(東京府学務部社会課、1929年http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445292 には、大正12年の「在京朝鮮人労働者」は5,347人と記されており(警視庁調べ)、アジア歴史資料センター所蔵の『在京朝鮮人状況』(朝鮮総督府警務局東京出張員、1924年5月http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03041602800 によれば、「八月末震災直前の見込綜数は八千人を超へ」ていたという。

繰り返しになるが、とりあえずこのあたりで「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えないことをご理解いただけるだろうか?

ちなみに6,000という数字の具体的な出所は、震災直後に在京朝鮮人迫害事実調査会が独自調査を行い、上海大韓民国臨時政府機関誌独立新聞』に12月5日付けで発表された数字6,661人。この調査10月末までの中間報告では2,613人という数字が出ていて(当時東京で催された経過報告会でも発表された)、その後さら神奈川県遺体発見できなかったおよそ1,800人などが追加されている。シノドス山田名誉教授は「追加合計数根拠今日解明することはできない」としていて、その点ではたしかに6,000人という数字根拠は薄いのだが、同時に帝国政府がマトモな調査を行わなかったことにより、これをデタラメであると断ずる根拠もまた乏しい(はからずも、秦郁彦が『当時ロクに調査せず公文書終戦時に焼きまくった以上、30万人に代わる数字日本から出すのは無理』と嘆いた南京事件と似ている)。少なくとも犠牲者数のもっとも大きな数として採用せざるを得ないわけである

内閣府ホームページで公開されている、災害教訓の継承に関する専門調査会による報告書 http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf

殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。

という書き方になっているのは、そうした事情によるだろう。

追記

b:id:y-wood 8500人のうち6000人殺せるのか、すげー。『「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えない』

揶揄のたぐいだとは思うけど念のため。

「6000人」というのは虐殺犠牲者の総数である東京府朝鮮人人口比較するのは不当。ついでに、古賀議員が何故か東京神奈川千葉埼玉限定しているのもいささか不当で(たとえば群馬でも、自警団警察署を襲撃して朝鮮人17人を殺害した藤岡事件などが起きている)、山田名誉教授シノドス記事によれば茨城群馬栃木を加えた関東地方1府6県の大正12朝鮮人人口は14,144人となっている。

また、山田名誉教授の著書内容の、内閣府報告書コラム殺害事件検証http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/22_column8.pdf から孫引きになるが、例の「6,661人」のベースとなった在京朝鮮人側の調査では、東京府犠牲者数はおよそ1,000〜1,400人。最終的に『独立新聞』に掲載された数は1,781人となっている。

y-wood氏の言葉を借りるなら

「8500人のうち1800人殺せるのか、すげー」

となるが、現実味は如何?

b:id:fu-wa 戦争知らないんだろうなあ。戦車でダーってやっても6000人殺すのってものすごく大変なんだよ。

ルワンダではそれこそカマとか棍棒とかのたぐいで、およそ100日で50万〜100万人が殺害されている。こうした事態と「戦争」を比較するのは不当。まして、繰り返しになるが「6000人」は関東地方1府6県の総数である。「戦争」を持ち出すなら、せめて戦域や作戦継続期間が同程度に及んだ戦闘でなければならない(それでも戦闘員vs戦闘員では不当だが)。

2017-09-01

よく調べたら、都知事の追悼文お断りは当然の処置だった

東京新聞:関東大震災朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る:社会(TOKYO Web)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/CK2017082402000130.html

 追悼式が行われる横網町公園内には、七三年に民間団体が建立した朝鮮人犠牲者追悼碑があり、現在は都が所有している。

そこには「あやまった策動と流言蜚語(ひご)のため六千余名にのぼる朝鮮人尊い生命を奪われた」と刻まれている。




1.団体への古賀議員ツッコミ要求

追悼碑を巡っては、今年三月都議会一般質問で、古賀俊昭議員自民)が、

碑文にある六千余名という数を「根拠希薄」とした上で、

追悼式の案内状にも「六千余名、虐殺文言がある」と指摘。

知事歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、追悼の辞の発信を再考すべきだ」と求めた。

要するに、

この古賀俊昭という議員が当該事件について資料を調べて、

「この民間団体の主張・碑文には根拠がまったく無いゾ」

「そのような内容が含まれている限り、都知事は彼等にお墨付を与えるようなことをすべきではない」

要求したわけ。


普通要求じゃん。

古賀議員に反対したいなら、

「いやいや6000人は事実ですよ、根拠はこの資料ですよ」と説明するしかないよね。


2.小池知事対応

そこで小池知事はどう対応たかというと。

 これに対し、小池知事は「追悼文は毎年、慣例的に送付してきた。

「今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁」しており、

都側はこの質疑が「方針を見直すきっかけの一つになった」と認めた。

古賀議員の指摘に対し、

「従来の知事の追悼文送付は慣例的に送付して来た」と。

まりこれまでも相手団体の主張内容をきちんと精査してやってきたわけではないようだ(メクラ判だったと。ひどい)と。

指摘を受けた今後は、自分団体の主張をよく読んだうえで判断します」と約束した。


まともな対応じゃん。

超穏当。

何も考えずに追悼文送ってたこれまでの都知事(と、去年の小池自身)より仕事してる。



3.実際のところ、犠牲になった朝鮮人は何人だったの?

大事なのは事実関係。 

もちろんこの事件専門家であり当事者である式の主催者団体に聞くのがいい。

 式を主催する団体の赤石英夫・日朝協会連合会事務局長(76)は犠牲者数は碑文の人数を踏襲してきた。

…これは、答えになってませんよね。

ダウトに対して突きつけ返すような根拠が何もないということ。

「俺達は雰囲気で6000人虐殺事件と言っている」と。

ここでもう一旦ゲームセットだと思います

団体説明がこれならば、古賀議員の指摘と小池知事対応妥当です。

団体は主張の事実関係が怪しい部分は取下げたうえで改めて都知事に招待状を出すべきで、

その時は都知事も追悼文を出すべきだと個人的には考えます



4.傍証

ちなみに古賀議員平成28年11月8日文教委員会質問で述べたところによると

古賀委員 私が文献をいろいろ調べたが、当時の関東周辺、朝鮮人人口について当時から日本国勢調査をしていた。

3年前の大正9年国勢調査

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  2,485人、

埼玉県  78人、

千葉県  40人、

神奈川県 782人、

合計3,385人。

だそうな。

国勢調査東京朝鮮人人口は2500人弱。関東主要県で3400人弱。

把握されてなかった人達を含めても

そもそも6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きいのではないかと。


譲ってちょうど6000人ぐらいはいたとしましょう。

その人達が大震災火災で一切犠牲にならず生き延びたうえで

日本人によってほぼ一人も逃がさなレベルの皆殺しにされたというストーリー江戸っ子虐殺並みの設定だね しか

「6000人の朝鮮人犠牲者」は成り立たないわけです。


古賀議員の調べてきた前提に反論出来ない限り

この民間団体が主張し流布する「犠牲者6000人」というストーリーは、やはりです。



蛇足1】識者のブコメからにわかること 

ところで、調べ終えてから改めてブコメを眺めたら

どうもこのあたりの事情について私以上によく知っているっぽいコメントが混ざって居るのに気付いた。

sink_kanpf 公務云々を言い訳にするかと思ったら、

被害者数が不正確なので事件があったのかは怪しい」という南京事件と同じ、

学術研究無視しないと成立しない言い訳をしてくるとは思わなかったw 

これは流石にイカれてる。

2017/08/24 リンク Add Startaka3756478djsouchou

tikani_nemuru_M 「数がはっきりしない」を理由にしていいなら、

広島長崎東京大空襲シベリア抑留否定できるんだけどな。

2017/08/24 リンク Add Starmorimori_6855takuzo1213

ここまで読んでくださった人達ならこの2氏がどんな話逸らしを試みているかよくわかるだろう。

古賀議員は「事件自体否定する」ではなく「6000人と言う数字そもそも根拠が無いのでないか」と述べている。

であるのに、「数字が怪しいからって事件がなかったと言えるのかー!」と

古賀議員が言ってもいない論点に逸らしてから反撃している。


もっと重要なのは

この2氏が古賀議員本来論点を迂回していることだ。

もしこの古賀議員の指摘や前提自体瑕疵があれば、

私よりずっとこのような事件に詳しい2氏ならば「6000人にはこんなにしっかりとした根拠がありますー! バーカバーカ!」と

嬉々としてソースを突きつけ本筋の反論をするはず。

が、それをせずに迂回した。


私も今回これ以上調べる手段リソースがないけれども、

この2氏のこのリアクションは、どうも6000人はほんとに根拠がないっぽいなあという

強めの手応えの1つにはなった。



蛇足2】追悼文を出さないことの意義とは

igHopeClasic 出して何の損もしない文書を出さないというのは、

それ自体が凄まじい政治的メッセージなんだけど、わかってんのかね?/

学術研究に対する電波妄言存在理由に「何が正しいかわからん」ってやめません?

2017/08/24 リンク Add Starvabo-space24sophizm

「出して何の損も無い」だなんて、とんでもない!

都知事お墨付きを与えることの重大な意味を考えるべきです。

どうも事実に基づず雰囲気で主張をしている民間団体に、精査もせず同調する都知事が居たら、そっちのほうが大大大問題でしょう。


追悼文をやめて何を得るのか 小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/083100108/

日経ビジネスにこんなコラムもありました。

のものズバリ、「何を得るのか」と。


文中にこうあります

 わずか90数年前に、われわれは、6000人以上にのぼる無辜朝鮮人を殺しているのだ。

 6000人以上と言われている虐殺犠牲者は、民族差別による殺人犠牲者ではなくて、

一般災害関連死と同じ「様々な被害」として一緒くたにまとめあげることのできる死者だというのか?

ね。

この人もまさにあの6000人を信じて吹聴しているわけです。

デマ再生産が現在進行形で行われている。


事実に基づかない主張に異議を唱えるのは歴史に対する当然の態度ですが、

敢えて目先の「得るもの」を挙げよというなら、

筆者小田嶋氏のようにデマに騙される人、デマ再生産に加担する人がこれ以上増えないようにする、

デマ防止という効果がまず挙げられると思います

小田嶋のコラム似顔絵

ほんとにムカつく描き方してるよな

相手を悪く描いてやろうっていう悪意を感じる

2017-08-28

オタク文化盗用案件歴史

2001年 村上隆のSUPER FLAT展がアメリカで開催される。村上氏はこれ以前から活動している。2005年リトルボーイ展ではオタク文化きっかけはアメリカにあるという主張もしている。

2004年 中川翔子ブログを開始。オリジナル言葉に加え2ちゃんVIP板などで使われる表現を「しょこたん語」として広めたため反感を買う(これ自体は数年後の出来事?)。

2004年 電車男書籍化。翌年には映画&ドラマ化。これらのメディアミックス印税などはどこに行くのかが疑問視される。また2ちゃんねるにそれまでと違う層が流れ込み雰囲気を変えてしまったと言われる。

2005年 のまネコ問題エイベックスアスキーアートに「インスパイヤ」されたものとしてそっくりなデザインの「のまネコ」なるキャラクターのグッズを販売する。

2005年 とらぶる・うぃんどうず(OS娘)漫画問題ふたば☆ちゃんねる発祥キャラクター電撃大王で突如漫画化。しか編集上から目線の態度にふたば住民から非難殺到

2006年 アメトーークガンダム芸人回に品川祐が出演。黒い三連星を黒い三連戦などと言い間違って批判される。

2009年 矢口真里ファミ通コラム連載。他にもオタクキャラで売り出そうとして知ったかぶりを繰り返し、2ちゃんコピペ化される。

2011年 カオスラウンジ騒動ネット上のイラストなどを素材として作ったコラージュ作品などを発表し批難を集める。

2017年 真木よう子コミケ自身写真集を売るためクラウドファンディングを開始。コミケマナー違反だとして批難を集める←★NEW!


他にもあったら教えてください。

2017-08-06

phaさんのパクリ疑惑

移動時間が好きだっていうコラムの一節がかまだくんというtwitterアカウント過去ツイートにそっくりだった、っていう話題どうなったの?

phaさんのコラムの一節

http://www.gentosha.jp/articles/-/7941

>僕が旅行で一番好きな瞬間は、旅の終わりに家に帰る途中、バス電車の車窓からどこにでもあるような町の風景を見て、

「ここには何千何万の家庭があって、それぞれの人生があるけれど、みんな自分とは縁のないまま生きていくんだな。同じ日本に住んでるのに」

 という、少し寂しいような、すがすがしいような気持ちになるときかもしれない。

・かまだくんのツイート

https://twitter.com/onshanow/status/661550743334227968

かまだくん‏ @onshanow 2015年11月3日

夜行バスとかから知らない街を眺めた時の『ここに何千の家庭があって、全員それぞれの人生があって、全員俺とは縁ないまま生きていくんだよなぁ。同じ日本に住んでるのに。』と妙に悲しいゾワゾワした感情湧いてくるのが旅行の一番の楽しみかもしれない。

2017-07-31

https://anond.hatelabo.jp/20170731204644

あんたら中身が無いのに円の数多すぎ」

中身って何?

減税などの財政政策して消費促してインフレ起こしちゃダメってこと?

貧困層まだ多いし潜在的需要はありそうだし、中身がないって日本発展途上国になりつつあるけど人口減少を見て中身がないと言ってるの?

GDPギャップ(潜在GDPから実質GDPを引いた金額)についてはどう考えてる?

国の財政健全化してる論とかはどう思う?グロスじゃなくてネットで考えるってやつ。

正直これはいくつもコラム読んだけどさっぱりわからないんだよね。会計知識いからなんだけど。

国際金融市場からっていうのは海外証券銀行のこと?

IMFなら財務省職員が出向してるので財務省の省益にあったアナウンスをすると10年ぐらい前から言われていたけど今はどうなのか知らない。昔はそうだったのかもしれないけど今は陰謀論っぽいか

私は大学経済学やってないんで細かい計算とかわからないんで金融緩和の具体的な額が適当かどうかわからない。もっとしろって人もいる。

自分はわからない。

ただ金融引き締めはどうかと思う。

25年続いてるデフレ人口減少社会社会保障不安による消費意欲低下などの複合要因。

アベノミクス前はデフレスパイラルと言われていたけど、異次元緩和で金の量だけは増えてるから今はすでにスタグフレーション状態だと考える向きもある。

デフレなのにスタグフレーションってあり得るの?

インフレ景気後退っていうやつだから。今はそうなのかな。その気はなくもないよね。

それやると円の価値暴落してやばい

なぜ消費が増えると円の価値暴落するの?消費増=経済成長だけど。

ソ連崩壊後のロシアで何が起こったか知らないので知りたい。

通貨価値下落の経緯。

建築関係以外の労働者にもお金が回ってない。これは実は日本だけじゃなくて世界的にこの傾向になりつつある。

ここはちょっと話を分けたい。

国内建築関連の労働者賃金の話と、

世界的な労働者賃金が上昇しない理由とに。

前者は先程の問いに答えてくれるとありがたい。確固たる原因はわからないと思うけど。私が書いたのも放言しかない。

世界的な労働者賃金が上がらない理由

山ほどある金が、資本市場内の取引しか循環してないからというのがあると思ってる。これは異論色々あると思うけど。

から国が借金してでも財政政策必要でしょって話なのかと。これは世界的な流れ。

世界中リーマンショックの後に緊縮財政取ってきた。減税じゃなく増税した。

イギリスは先頃、付加価値税消費税)減税して経済成長したってニュースに出てる。

日本デフレが続きすぎたせいで、人件費は一番利ザヤの悪い投資だということが世界投資家コンセンサスになって久しい。

なるほどねー。

投資って企業利益出したところからリターンを貰う、企業利益出すには消費してもらわなければならない、消費してもらいたいけど人件費さない。

デフレ人口減少になりそうだ。

自分内需不安起こしてどうするんだと言いたくなるけど、投資家に言っても意味いか

公共事業が入札不成立になってる原因は色々。地方都市だと地方経済自体が死んじゃってるからというのは割とあると聞く。

図書館とか作りたくても業者提示する金額行政が払えないんだって

ひとり親方関係あるのかもしれないけど、隣の地域業者は入札参加しないのかな。

2017-07-29

うんこちんちんグレート

昔、テレビブロスで「うんこちんちんグレート」ってコラムなかった?あのコラムニストさんの名前、ずっーと思い出せなくて困ってるんだけど

2017-07-13

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1129321

 

このコラム自体ちょっと面白いと思った。クスッときた。

けど普段から安倍総理蛇蝎の如く嫌ってる人がこれを囃し立てるのはキモいと思った。

タモリがやるデタラメ韓国語それ自体面白くても、それを嫌韓の人が囃し立てたらドン引くのと同じ。

 

あと、斎藤氏は基本的左派安倍総理自民党批判的だけど

最近左派リベラル勢に対しても同等かそれ以上に厳しい意見をすることもある。

自分たちに向けられた意見スルーして筆が敵に向けられたときだけ乗っかるのはかっこ悪すぎだろ。

2017-07-12

システム脆弱性通報する様に教育すべき

ソーシャルで共有して発覚、炎上みたいな流れが多すぎる

まず、然るべき機関通報するように教育機関指導していくべき

関連して、システムによっては脆弱性報奨制度みたいのが存在する事もコラムとして明記すべき

海外ではそれで飯食ってる奴も居るってな

2017-06-25

感動するのがめんどくさい

ここ最近感受性がひどく衰えてきた気がする。

映画アニメドラマなんかの映像作品を見ようが、本を読もうが、曲を聴こうが、全く感想らしい感想が出てこない。

以前は、どんなクソ作品であろうと2日間くらいは、その作品を反芻し考察し、余韻に浸ったものなのに。

強く情感を揺さぶられることに躊躇いを感じている気がする。

昔のように、精神を掻き毟られるくらい作品に没頭したいのに。

気付けば、手軽なweb上のコラムYoutubeで見られる5分くらいの動画等々で時間を潰してしまう。

単に集中力が衰えただけなんだろうか。

2017-06-21

読み物として面白い新聞おしえて

もうニュースネットの方が速いし量も紙面サイズ制限されないし複数紙読み比べできるしで、紙の新聞ニュースを読もうという気はあまりない。

けどコラムとか読者投稿とかはネットにはほとんど出てきてないし、今あえて新聞を読むとしたらそういう読み物の部分を読みたい。

からニュース以外の読み物が面白い新聞を教えてほしい。

良いコラムがいっぱい載ってるとか、俳句短歌投稿が盛んだとか、4コマ漫画面白いとか。朝刊でも夕刊でも日曜版でもいいから。

2017-06-19

カイジ「一日一回二十分......!!あっという間にできやがった......!」進研ゼミ「ククク...」

カイジ「本当に必要解説だけをピックアップして、それでいてわかりやすい...それだけじゃない.....!

すべての箇所にコラムイラストを配置

子供が飽きないための工夫を施してやがるっ ...!

そうか...わかったぞ!! 8+250=258だ!!!! くっ...!鉛筆が止まらねぇ...!!

学力が...日本での己の価値を決める学力が... どんどん上がりやがる.....!!!!」

進研ゼミ「それだけじゃない...巻末を見たま え...!!」

カイジ赤ペン先生...?なんだっこれは.....! 新手のギャンブルか?!」

進研ゼミギャンブル?ククク...そうともいえるな

そのテスト貴様が出した点数に応じてシールがもらえるのだ...

この頑張ったシールがな!!!!!!

カイジ「なに?!キンキラに光ってやがる... 美しすぎる...!犯罪的だ!!!

どういうことだ?!テストを出したらこれがもらえるのと言ってるのか?!」

進研ゼミ「あぁ。毎回一枚もらえるのさ...!

そして満点ならば......8枚っ!!!!!

圧倒的シール!!!!!!

カイジ「そ、そんな馬鹿なっ.....!暴挙っ! 資本主義の上位層が遊び半分にけしかける暴挙!!!

こんなに美しいシールテスト一枚でそんなにもらえるだと....!!!

この破格条件では日本はおろか... 世界中の子供たちが入会してしまう!!」

進研ゼミ「ククク...おかげ様で全国の五人に 一人の小学生進研ゼミで一緒に学んでいる よ...!!」

https://anond.hatelabo.jp/20170616211934

J-ヒップホップフリースタイルバトルの面白さを初心者なりに解説したコラムがあるので読んでみて欲しい

これは俺が筆者のフォロワーから若干贔屓目に見ている部分はあるかもしれないが、参考にはなると思っている

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881149074

2017-06-14

有名なエンジニアコラムを信じられない

なんか有名なエンジニアの「技術に飛び込め」系のポジティブコラムとかインタビューってあるじゃん

あいうのって俺みたいなミスター平均にも言ってくれてるのかな…控えめに見ても対象外だよな…て気分になる

なんか俺みたいなのを前にしたらホリエモンとかまつもとゆきひろ氏とかラリー・ペイジとかウォズニアックとかも

「いやいや君は今の仕事永遠に底辺這いずり回ってなよwあれは東大生とかにハーバード生に言ってんのw」って言いそうな…気がする…

相手にされないのが普通なんだけど、なんていうかこの妙な疎外感というか…microUSBなのにminiUSBケーブルしかないあの残念な気分に近い感じ

分かるかな

2017-06-11

続・白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

http://anond.hatelabo.jp/20170611183038

これのつづき。今回も文字数制限にひっかかったので、分割します。

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

一方、インドの僧菩提、林邑(ベトナム中部)の仏哲、唐僧鑑真らの外国人も、遣唐使船に便乗して来朝し、インド西域東南アジア文化を伝えた。

遣唐使船は日本人が唐へ往来するためだけではなく、外国人日本に招くためにも使われていたのです。「遣唐使」「鑑真」というのは中学生レベル用語です。しかし、この2つを結びつけて説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?

ちなみに、山川の『日本史B用語集』によると、菩提僊那、仏哲という用語を載せている教科書は、唯一これだけみたいです。しか桐原書店は彼らの業績を説明するための註を設けている徹底ぶりです。入試問題になったら難問だと思いますが、大切なのはこういう人名を丸暗記することじゃなくて、東大寺大仏開眼供養会はインドベトナム出身僧侶たちも参加していた国際色のあるイベントだった、それは遣唐使船がもたらしてくれたものだということでしょう。

  

日本がしばしば新羅従属国として扱おうとしたため、両国関係はしばしば緊張した。しかし、日本遣唐使が唐において新羅人に助けられることもあった。」

これもこの教科書に独特の記述です。遣唐使新羅人に助けられたというのは、円仁著作『入唐求法巡礼行記』のことを念頭に置いているんでしょうか?

また、上掲の講談社日本の歴史シリーズから引用すると、次のような話もあります

遣唐使派遣が間遠になり、日本の船が唐まで行かないなか、それでも求法の念止みがたいとなれば、来航する新羅船を利用するしかない。そしてまた新羅商人たちは、概して好意的に彼らを助けたのであった(坂上早魚『九世紀の日唐交通新羅人』)。こうして入唐と研鑽を果たした天台真言の平安仏教旗手たちが、仏教の使命は鎮護国家にあるとする考えに則り、護国の修法による新羅調伏を担うことになったのは、実に皮肉なことであった。

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

このころ唐では、みずから世界の中心とみなす中華思想が強まり、周辺の国々を夷狄として見下す考えが生まれていた。この考え方は日本にも影響をあたえ、朝廷新羅や、朝廷に服属しない東北九州南部の人びとを蝦夷隼人とよんで夷狄として蔑視しはじめた。

朝廷東北地方九州南部進出した経緯を説明する際、そこには中華思想の影響があったことを説明しています。それに絡めて新羅との関係にもちょこっと触れているので、先にとりあげた東大入試問題を解くときのヒントになるでしょう。

もっとも、この点はやはり、山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)の方が優れています。私が先に引用した箇所のすぐうしろ([後略]とした部分)では、朝廷が「東北地方蝦夷九州南部隼人異民族夷狄)として服従させ」たことを説明し、「律令国家が蛮夷を服属させる帝国であることを内外に示した」と結んでいるのです。

それに比べると、三省堂教科書は、遣唐使中華思想という2つのものを関連付けて理解することが不可能です。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

遣唐使8世紀には6回、9世紀には2回派遣され

実教出版にも「奈良時代遣唐使は6度派遣され」たとありますが、東京出版9世紀のことも記述していてグッド。

遣唐使は894年、菅原道真の建議で廃止されました。ですから9世紀末まで遣唐使派遣する制度は残っていたはずなんですが、8世紀と比べるとその回数がめちゃくちゃ減っていることが分かるでしょう。

理由は、日本がもはや唐から学ぶべき必要・意欲がなくなってきたこと、唐が政治的混乱に陥って衰退したことによる国威の低下、商船の往来が活発になったことで日本が唐に朝貢をしなくても舶来品を入手できるようになったこと、などです。

これがさっき桐原書店のところで述べた話にもつながっています時代が9世紀(すでに平安時代)になっても、仏教では唐に確固たる先進性がありました。だから日本僧侶たちは唐に留学することを熱望したのです。しか朝廷遣唐使派遣積極的ではなく、彼らは新羅商人の助力を得なければ、渡航が困難という状況だったのです。

  

[引用者注:702年の遣唐使派遣の再開について] その目的なかには、「日本」という国号を認めさせることも含まれていたと考えられる。

東京書籍教科書にだけある、この一文。「日本」がはじめて国際社会に登場したのがこの時点だったと言っているんです。

これ、すごいことを言っていますよ? 「日本」が太古の昔から存在したという皇国史観に対する強烈な一撃です。

ちなみに、このとき天皇」は国際デビューしていません。倭国はなんとかして「日本」への国号変更を唐に認めさせることはできても、皇帝にあたる「天皇」という称号を用いて唐と対等外交をする力がなかったのです。唐では天皇のことを「日本国王主明楽美御徳」(日本国王メラミコト)と呼んでいたようです。もしかしたら当時の日本朝廷内では、「スメラミコトは唐の皇帝に臣従したが、天皇は臣従していないか日本国王ではなく、したがって日本は唐の朝貢国ではない」という回りくどい官僚的答弁があったかもしれませんが、その点は不明です。このような高度に政治的問題は、国史編纂ときに巧妙な隠蔽がおこなわれるからです。(上掲の講談社日本の歴史シリーズ青木和夫著の中央公論社日本の歴史3巻 奈良の都』を参照せよ)

  

さて、これは東京書籍にかぎらず、多くの教科書でそうなのですが、古代史において「天皇」「日本」という表記を用いるときには慎重になっている様子がうかがえます。例えば白村江の戦いでは、唐・新羅と戦った国が「日本」ではなく、「倭」倭国」「朝廷」等の表記になっています

なぜ教科書がこんな表記になっているかというと、「天皇」「日本」という称号国号は、ある時期の特定政治状況のもと、人為的に作られたものからです。具体的には天武朝(673年~686年)のころ、大王とその国を神格化する目的で、初めてこれらの称号国号使用が開始されました。ですから、もし神と同一であるところのその「天皇」、その神のおさめる国である日本」が、天武朝より遥か昔から存在していたかのように記述するならば、それは皇国史観に他なりません。

無論、教科書では便宜的に仁徳天皇推古天皇というような表記が使われていますけど、古代史における「天皇」「日本」という表記の取り扱いについては一応注記が設けられていたりします。例えば『詳説日本史』は壬申の乱ののち、天武天皇が「強力な権力を手にし」て、「中央集権国家体制形成を進」めていく過程で、そのころに「大王にかわって「天皇」という称号が用いられる」ようになったと書いています。同社の参考書『詳説日本史研究』はそこがもっとクリティカルです。「大王から天皇へ」というコラムで、「天皇」という称号が天武朝に始まることの歴史学的な検証を載せ、唐の皇帝が一時「天皇」と称していたのを知った日本側が模倣したという説を紹介しています

こういう細かな表記へのこだわりからも、各社の教科書がどんな史観に基づいているかを見ることができるはずです。

ほんとうにシェアしたい記事インターネットで見つからない

今日読売新聞コラムで、ベトナム歌姫が取り上げられていた。

日本と同じような法治国家にも関わらず、出すCD検閲があり、それでも歌姫自由恋愛女性の美しさを訴え続けた結果メディアから締め出された、というコラム

さいこうかよ、と思ったのが国から目を付けられちゃった彼女取材記者さんが「怖くないんですか?」って聞いたら「安全外国に身を置けば、私の歌は人々の心に届かない」と回答したとこ。すてきすぎる。

これこそはてブー!と思ったのに、インターネットも万能全知全能の神ではないのね、ざんねんながらネットでは該当記事は見当たりませんでした。せめて増田シェアします。

2017-06-07

就活ルールなんてあんまり気にしなくてよかった

と思う。

就活コラムサイト見ると、就活メイクはこうじゃないとだめだとか、就活ヘアーはこうしなきゃいけないとか、おじぎしたときに髪が崩れないようにしろとか、スーツには絶対ビジネスバッグを合わせなきゃいけないとか。あとはお辞儀は45度(だっけ)だとか座る前にはお辞儀して失礼しますと言わなきゃいけないとか。いろいろ書いてあってウワアめんどくせえなあと思っていた。

髪質の問題だか知らないけどどうあがいても就活ヘアーが上手くセットできなかったので前髪はそのままに髪を後ろにくくっただけで就活してた。化粧もよくわかんなかったか普段通りのやつにしてた。就活用のビジネスバッグはめちゃくちゃ使いづらかったのでindexで3000円くらいで買った黒い合皮のカバンを使っていた。

別にそう言ったところは全然見られていないように感じた。てか見られてなかったと思う。

服装髪型清潔感があればいいし、化粧だってド派手じゃなけりゃ好きなようにやってよかった。すっぴんNGとか煽られてるけど別にその辺も見られてない。服装髪型で取り繕った印象なんて話したら一瞬で崩れちゃうもんね。お辞儀だのなんだの細かいマナーなんていちいち見られてなくて、別に最低限の礼儀が伝わればいいのだ。

就活にこういうしょーーもないルールが追加されて本当にめんどくせえなと思った。そろそろ19卒の人たちが就活のこと考え始める時期だと思うんだけど就活ビジネス勝手に作ったクソルールなんてだいたい見られてないから気楽にやってね。

2017-06-06

noteコラムくそまら

まとめサイトタイトルのようなタイトルをつけ

どうでもいいことを評論家のように書いてるが典型的文体典型的な投げかけで、なにがコラムだ。

しかもドヤ感がすげぇ。

自分がオシャレでありたい。かっこいい感じでいたい。自己願望の表れ。

インスタのまた違った形を打ち出しているようにも思う。

その点、増田は凄いよな。

noteよりめちゃくちゃ拡散されたり国会に取り上げられたりするのに

どこまで言っても筆者増田だもん。

つかマジで増田のほうが面白い文章多いわ。

note増田より優れてる点はトラバブコメにクソコメントがつく可能性が下がるところかな。

2017-06-05

友人が不倫しているのだが

注意してもやめる気はなさそうだし、なんなら初めに聞いた頃よりも不倫相手が増えているし、しか不倫相手は私も知っている共通の友人というやつだし、今後を想像すると憂鬱だ。

友人の結婚相手の方も不倫しているらしく、どう見ても関係破綻しているのでさっさと離婚すればいいと思うのだがそうもいかないようだ。

友人とはい赤の他人である私が憂鬱になっているのに本人たちは楽しそうにしているのが不思議だ。親しい友人関係内で不倫しているだけでありえないが、そこから離婚再婚などがもし成立したとしたら他の友人達も流石に引くと思う。多くの友人を失うリスク世間体を考えれば、離婚せずに不倫しているだけの方が楽しいのかもしれないが、隠し方が下手なのでいつ私以外の人に知られてもおかしくないと思う。(一応、その交友関係の中では私しか不倫話を知らないことになっている)

不倫を聞かされて秘密にしていることも家庭不和に加担している気がして申し訳ない気持ちになるが、私がそのような責任を感じる謂れもないとも思って少し腹が立つ。なんなら共通の友人(不倫相手ではなく)に吹聴して回ったっていいと思うのだが、そこまで加害意欲もないので踏み切れない。

不倫話を聞かされる側の悩みというもの検索してみたのだが、不倫している側の「友人に話すと不倫を注意されるかもしれませんがそれは魅力的なあなた嫉妬しているのです!」などというどうでもいいコラムばかり出てきてしまったのでここに書いてみた。

2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

2017-05-29

公表」について

http://anond.hatelabo.jp/20170528113521

不特定多数,あるいは50人くらいの人数より多くの特定多数に公開することを公表といいます

このまとめ的には間違いとまでは言い切れないけど正確ともいえない。

著作権法4条1項によると、公表とは

著作物は、以下の場合において公表されたものとする。

なので、いずれの場合も「公衆」に対して、出版物であれば頒布、それ以外のものであれば提示されることが必要になる。

さあ、ここでJASRAC音楽教室でも話題になった「著作権法における公衆」の問題だ。

この「公衆」というのは、「特定少数の者」以外を言う。つまり不特定多数特定多数だけではなく、「不特定少数」も公衆に含まれる。いわゆるところの「一人でも公衆問題ってやつだ。

「一人でも公衆」ってのは、例えば、世間に対して所定の条件(ウェブで言えば会員になるとか、検索して探すとか、会費を払うとか)を満たせば、誰でもそれを見られる状態にしておける場合、たとえその著作物を見た人間が一人であっても(先着一名様に限ったとしても)、「誰でも見られた」ということをもって「不特定少数」になるってこと。

詳しくはhttps://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20170516-00071009/ こちらのコラムを。

ですのでここは

多数の人(数十人)または不特定の人(それが誰かわからなければ一人でも!)に公開することを公表といいます

としたほうがいいです。

http://anond.hatelabo.jp/20170529130423

批判監視憎悪侮蔑を分けられない感じだよね

なのに自分が逆にやられるとすげー怒ってる

アベがなんか相手おちょくるような答弁したことについて

小田コラムがすげー怒って人格非難してたけど

いやあんたのコラムが全方位にやってるのはなんなんだと

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