はてなキーワード: 共同浴場とは
となんとなく思った。議論できるほど深く考えてるわけではないのだけど。
イスラム教に対してハラル食や礼拝堂設置などを用意するのと同じで、メリットがあると思う場合や思想に共感できる場合は対応すればいいと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20211215104205 の続き
半年の間を置き、2021年3月9日、駅メモ!の新たなイベント「駅メモ!で巡ろう!観光大使温泉むすめの温泉街」がスタートする。アプリは死んでも温泉むすめは死なない。
小野川温泉、松島温泉、飯坂温泉、鳥羽温泉郷、南紀勝浦温泉、湯村温泉を巡るミッション。しかも今度は温泉地の最寄り駅だけでなく、温泉街まで足を運んでいくつかのポイントを踏破しなければならない。手に入るユニットは小野川小町、松島名月、飯坂真尋、鳥羽亜矢海、南紀勝浦樹紀、湯村千代。さらに8月6日、三朝温泉の三朝歌蓮、玉造温泉の玉造彗が追加になった。
この新イベントの温泉むすめは全員が温泉地の公認キャラになっており、温泉地では駅メモ!とのコラボキーホルダーも販売されている。こちらから探しにいかなくてもパネルもグッズも待っていてくれているのだ。前回の駅メモ!コラボ開催時は、有馬、道後、尖石(台湾)しかなかった温泉地公認を一年で6か所増やし、さらに次の一年で層雲峡、湯原、湯郷、奥津、三朝、塩原、玉造、松江しんじ湖と8か所増やしている。運営の機動力がやっぱりすごい。
だいたい騒動中に巷間で出回っていた「5年以上続くプロジェクト」「多くの温泉地から公認」「観光庁の後援」などのフレーズは相当な過大広告で、半数くらいの温泉むすめはここ一年くらいの間に温泉地に突如出現したキャラでしかない。
むしろ、世間に浸透していくのはこの先のことだろう。公認はまだまだ増える。
温泉むすめ巡りを続ける。まずは新温泉町の湯村温泉へ。温泉観光協会で湯村千代のパネルを撮影し、キーホルダーとタオルを購入。パネルには「湯村温泉観光大使」のたすきがかかっている。流石は公認キャラ、貫録を感じる。湯煙でけぶっている街を歩き足湯に浸かる。ここは吉永小百合の「夢千代日記」で有名な温泉地なので吉永小百合の銅像の写真も撮り、ドラマ資料館である夢千代館を見学。ドラマの風景を再現した展示場で、湯村が胎内被曝者である夢千代の街として新温泉町と広島市との友好の橋渡しとなり、吉永小百合の平和活動の大きなバックボーンとなっていることを学ぶ。最後に薬師湯で温泉を使い帰路につく。
次は南紀勝浦温泉。南紀勝浦樹紀のパネルは、レンタサイクルの並ぶウッドパネルのオシャレな観光案内所ではなく、古ぼけた温泉旅館組合の事務所内に設置されている。この温泉むすめにも「観光大使」のたすきがかかっている。パネルの横には驚くほど多種の南紀勝浦樹紀グッズが並んでいる。つい最近コラボが始まったばかりのはずだが本当に機動力がすごい。勝浦は冬のまぐろ祭りや太地町の落合記念館で落合専用ガンダムエクシアを見学するなど何度も訪れているので観光はあっさり済ませる。勝浦漁港のカフェでまぐろバーガーを食べて、年期の入った建物の天然温泉公衆浴場はまゆで温泉を楽しんで帰る。
鳥羽温泉の鳥羽亜矢海は、鳥羽駅そばのショッピングモール鳥羽一番街にいた。キーホルダーは隣接するレストラン兼農産物水産物の直売所である鳥羽マルシェで購入できた。一緒に伊勢茶と伊勢米とアジの干物とカキとサザエも買う。鳥羽の温泉にはあまりいい思い出がないので代わりに松阪で温泉に入って帰った。
鳥羽亜矢海のデザインはみんな大好きメリーちゃんの牛木義隆さんで、肌色成分多めなのにスポーティさが支配する健康的なデザイン、リボンやスカートの裾に入れた和柄紋、ダイビング由来の手の込んだ小物、結い上げた長い髪を下ろせば大きく印象を変えられそうな変身の余地も作って、本当に最高の仕事だった。海の街のご当地キャラデザインとして傑出した完成度がある。鳥羽はあまり好きな街ではないが鳥羽亜矢海だけは推せる。
松島温泉には車で訪問した。松島観光協会でタクシードライバー姿の松島名月のパネルを見て、福浦橋から福浦島に渡り松島の風景を楽しんだ。温泉は日帰りで利用できる芭蕉の湯という施設を選んだが、松島名月のパネルは主に海沿いの旅館に設置されていたようで結局出会えたのはタクシードライバーバージョンだけだった。
去年「凪待ち」の舞台探訪で石巻に行ったけど、松島の温泉はスルーして作並へ行っていた。松島名月のおかげで松島にも温泉があることを知られてよかった。
小野川温泉には米沢駅からバスで向かった。小野川温泉も以前は存在を知らなかったので、訪れる機会をくれた駅メモ!と温泉むすめには感謝しきりだ。この街は有馬温泉以来の街ぐるみで温泉むすめを活用している場所だった。至る所にポスターやポップがある。訪問スポットに指定されていた甲子大黒天には小野川小町の絵馬もあった。共同浴場滝の湯でクソ熱い湯に浸かり、キーホルダーを販売している名湯の宿 吾妻荘を訪れるとここにも当然小野川小町パネルが設置されている。もう嬉しくなってしまった。
いくつかの施設の人と話してみても、みな小野川小町に好感を持ってくれており、また温泉むすめが目的で訪れた私に対してもとても親切に対応してくれた。ただ、小野川小町よりもつい最近小野川温泉で大々的なロケを行った江頭2:50の方が遥かに街の人々に愛されているとも感じた。まあ、美少女もいいけど江頭と比べられたらやっぱり負けちゃうよな。
飯坂温泉では“最高の温泉むすめ”飯坂真尋に出会う。福島駅から飯坂線に乗ると列車が既に温泉のれんをかけた車両でテンション上がる。飯坂温泉には5年ぶりくらいの訪問になるが、駅を降りた瞬間から飯坂真尋の吊看板、観光案内所にも当然飯坂真尋。街中の旅館もロビーではなく玄関先に飯坂真尋のパネルを設置している。自販機には福島県の温泉むすめのラッピング。数えきれないほどのポップ。10を超えてからは数えるのを止めた。街が一変している。
飯坂真尋ほど地域の愛を一身に受ける温泉むすめを他に知らない。飯坂真尋は他の温泉むすめと比べて特徴的なルックスではないが、その分アレンジが利かせやすくどんな衣装でも着こなせてしまう。その特性を最大限に活かして、飯坂温泉の数えきれないほどのスポットに様々なコスプレをさせた飯坂真尋ポップが溢れている。
飯坂温泉は町出身のオリンピック選手か紅白歌手かのように飯坂真尋を訪問客に誇らしげに紹介している。アニメの聖地などではあまり見られない現象だが、飯坂真尋に限っては東京のオタクよりも飯坂温泉の住人の方が遥かに飯坂真尋を愛している。二年ほど前に借りてきただけのキャラのはずなのにどうしてこんなことが起きるのか。
宇奈月温泉がももクロに染まるのは理解できる。ももクロの熱には魅了されて当然。でも、同じくらいのテンションで飯坂真尋に熱狂する飯坂温泉はちょっと理解の外にある。
自分の好きなアニメキャラを普段アニメを見なさそうな人たちが同じように好きになってくれる様子を見るのが聖地巡礼の楽しみのひとつでもあるが、今日初めてその姿を見る飯坂真尋が多くの人に愛されていることを知って、同じように嬉しく思う。こんな経験は初めてだった。
芭蕉も浸かったという鯖湖湯の隣の鯖湖神社には飯坂真尋のイラスト絵馬がたくさんかかっている。小野川町の甲子大黒天を思い出す。超愛されてる飯坂真尋。でも、よく見るとイラスト絵馬の半分は塩原温泉観光協会プロジェクト88メンバーよりとか書かれてる。互助会だった。塩原温泉グリル三笠軒オーナーは飯坂真尋でなく自分の似顔絵を絵馬に描くナルシスト。鬼怒川温泉が近いせいで塩原温泉は行ったことなかったけど、近いうちに那須塩原の温泉むすめにも会いに行こうと思うよ。グリル三笠軒にも寄ろうと思うよ。
愛宕山の温泉神社前から飯坂温泉の街を眺め、旧堀切邸を見学、八幡神社を参拝、鯖湖湯のクソ熱い温泉に浸かってすぐまた波来湯のクソ熱い温泉をはしごし、ラヂウム最中とラヂウム玉子をお土産に買いこんで、地酒「摺上川」の4号瓶を購入して水郡線で水戸に着くまでに全部開けた。ここ飯坂温泉にはまた必ず来るだろう。
8月に三朝歌蓮、玉造彗が駅メモ!に実装されるとまた早速出かける。前日は皆生温泉で温泉を使い境港で海鮮丼を食べて松江のビジネスホテルに投宿。翌朝玉造温泉に向かい観光案内所で玉造彗のパネルを撮影、キーホルダーを購入する。駅メモ!勢が訪れる以前からも玉造彗ファンは相当数足を運んでいたようで、案内所の人も慣れた様子だ。その後、玉造温泉ゆ~ゆという洋式便器のような形状の施設で温泉を楽しみ、三朝温泉に向かう。
途中、琴浦町の道の駅で「琴浦さん」グッズが復活していないことを確認して、青山剛昌ふるさと館を見学、倉吉でお土産の梨を買ってから三朝温泉を少し通り過ぎて三佛寺投入堂を参拝、一人では崖の上のお堂まで行けない決まりなので行き会わせた年配のご婦人二人とチームで崖を登る。取って戻して三朝温泉、街には射的のある娯楽場、向かいには右翼の事務所、橋の方に向かうと大綱引資料館などという建物もある。小さな銭湯たまわりの湯で温泉に浸かり、観光案内所ほっとプラ座で「みささ温泉観光大使」のたすきをかけた声優サイン入り三朝歌蓮のパネルの写真を撮ってキーホルダーを購入する。
三朝歌蓮は儚げな美少女キャラで可愛いのだけれど、その隣に立つ「宇崎ちゃんは鳥取で遊びたい!×三朝温泉」の宇崎花と赤羽根健治のパネルの方が観光案内所の雰囲気にはマッチしていた。今更だけどやっぱり温泉に制服姿は似合わないわ。
しかし、観光案内所で最も強いインパクトを残したのは、三朝歌蓮でも宇崎花でもなく、三朝温泉マスコットキャラクター湯けむり怪獣ミササラドンだった。有袋類の怪獣らしくお腹のポケットに赤ちゃん怪獣も入っている。こいつが三朝温泉の温泉むすめでも良かったのに。ミササラドングッズはタオルとストラップとシールを買う。
ほっとプラ座には他の温泉地の温泉むすめの缶バッチも売られていて、ご婦人方が入れ替わり立ち代わり缶バッチを熱心に見ていた。本当はご当地キティを探していたのかもしれない。
その後、鳥取市のビジネスホテルに泊まり、翌朝すなば珈琲に寄って砂丘に寄って岩美町で「Free!」の聖地巡礼をして余部鉄橋見て帰路についた。
その後も、駅メモ!と関係なく修善寺透子、高山匠美、白浜帆南美、十津川飛香と出会ったり、別府や奥飛騨では温泉むすめパネルの存在は知っていたけれど設置場所まで足を伸ばすのが面倒でスルーしたりした。それが今年10月までの話だ。
つづく
[B! 性犯罪] 【独自】銭湯でわいせつ行為の男性2人を書類送検 被害相次ぎ貼り紙も|TBS NEWS
こういうのは一部の人、というには多すぎるんだよなあ。
何を言いたいのかわからない。
「一部というには多すぎる→全体もそうであるに違いない」といったミスリードでないのなら、どういう意図でもってこのコメントを残したのか説明していただきたい。
"かわいそうランキング"上位になれば好き放題できるようになる。本件に対する批判もすぐさま「差別」認定されるだろう。
当事者から見てもこれは明確な犯罪行為なのだから、このコメントは揶揄にしても筋が悪い。
この場合で言えば、本件の被疑者に対する批判とゲイ全体に対する非難とは、分けて考えなければいけない。
ハッテンしたきゃハッテン場行けや。
ハッテン場という単語には「ハッテンする場所」というぐらいの意味しかない。だから「彼ら」にとってはこの銭湯もハッテン場ということになってしまう。
「有料ハッテン場に行け」なら問題なく成立する言い分ではあるし、おそらくはそういう意味で言っている人も多いと思われるので、この指摘は揚げ足取りでしかないのだが。
ホテル行けよ・・
自分の家でやれ
これもよく見る反応だが、「それができれば苦労はしないんだよ」と言いたくなるゲイも少なくないのではなかろうか。
男同士での宿泊を断られるラブホテルは未だ多いし、かといって自宅に他者を招き入れるのは、「ゲイ」が被差別属性として機能している現状では(身バレ等)社会的な死に直結しうるハイリスクな行為である。
結局のところ、手っ取り早くそういう行為に及びたければ有料ハッテン場に行くしかないのである。(それさえも知人に目撃されればどうなることやら、という話ではあるのだが)
こうやって一部の心無いゲイが数百年の歴史をもつ共同浴場文化を潰すわけだ。本来であればゲイの団体から一番に批難声明が出てしかるべき。
「ゲイ」「共同浴場文化」の部分に他の単語を代入してみて、それでも問題ないと思うのであれば、俺から言えることは何もない。
個人的には、一部の心無い人物の行為によって彼らの属する集団が声明を出す必要にかられる、というのは健全な慣習と思えないが。
社会に対して価値観のアップデートを謳うと今まで自分たちがお目溢しされていたこともアップデートしなければいけなくなるんやで。
言わんとしているところはわかるのだが、同様のフレーズを目にする昨今のケースを鑑みれば「価値観のアップデートなど求めてない」という当事者もままいるだろうことは想像に難くない。
そもそも、今までだって「お目溢し」をされていたのかどうか。本件のような行為はもとより犯罪なのだし、数はともかく摘発もされていただろう。誰が、どのように、このような行為を「お目溢し」してきたというのだろう?
ネットで“同性愛者の出会いの場”と書かれている以上、同性愛者を指定した注意喚起は仕方がないんじゃないかな。迷惑行為をする人に伝わらなければ意味がない。
これに対しては「結局伝わりませんでしたね。残念です」としか言いようがない。本件に限らず、同様の被害に頭を悩ませる全国の公衆浴場の管理者に対しては気の毒に思うが。
ゲイ(もしくはバイ)のみならず性的少数者全般に対する印象操作として機能しうる注意書きに、いかほどの正当性があるのか。そもそも、社会の規範を逸脱するような人間に対して、貼り紙での注意喚起がどこまで有効なのだろうか。
そう考えると俺はこの注意書きを妥当とは思えないし、効果もそれほどなかったのではないかと訝っている。
ラブホでシャワー浣腸するやつが多いからゲイカップルお断りを掲げたらゲイ差別だって叩かれたのを思い出した
数年前にホッテントリ入りした
[B! 差別] 男性同士でラブホ、断られ 「あ、差別されたんだ」:朝日新聞デジタル
このニュース(および関連の増田)が念頭にあったのだろうが、妥当性を欠く偏見か、もしくは悪質な印象操作としか受け止められない。
俺個人としては「お断り」に憤ることもないが、それは実際に利害のあるホテル側の判断だからであって、第三者がネットを通じて偏見を助長することに対しては差別だと呼ぶ他ない。
なお、ゲイコミュニティではおよそ、男同士でも入れるラブホテルの情報が共有されている。
女性専用車両と同じだよな。誰が痴漢かわからないから男全体を排除せざるを得ないように、誰がハッテンするかわからないからゲイ全体を拒絶するしかない
俺はこの感性を悪だとは断じたくないが、どれだけヤバいことを言っているのかについては自覚的であって欲しいと思う。
はてな民はなぜ公然猥褻を擁護して、銭湯サイドを袋叩きにするのか?LGBTだから?
ここまで全てのブコメに目を通したが「公然猥褻を擁護」しているidは1人も見当たらなかった。こいつは一体何を見たんだろう。
・追記
犯罪行為を指摘したら差別、という論拠は流石に無理があると思うが。社会が悪い、それを正すべき、と話持っていくのはいいが、現状犯罪なものを批判するなというのは違うかと。
うっかりミスなのか悪意なのか判別つかないので真面目にお伺いしたい。どこに「犯罪行為を指摘したら差別」と書いてあった?
特定の犯罪を、行為者の持つ属性と分かち難いものとして結び付けるな。という話だったんだが、それが何故「現状犯罪なものを批判するな」に置き換えられてしまうのか不思議でならない。
女にとって意識していない相手に告白されるって結構怖いんだよ。
俺は女にはモテないけど何故か男にはモテて、過去2回怖い思いをした事があり、いまでも温泉や共同浴場が怖くて入れない。
大浴場のあるビジネスホテルで知らんおっさんにつきまとわれて逃げたけど部屋がバレて深夜まで部屋のドアをコンコンされてその時はフロントに助けを求めて警察呼んでもらってなんとかなったものの、翌日チェックアウトして空港行ったら何故か同じ飛行機のゲートにそのおっさんが待ってて頭真っ白。
実際のところ、「女風呂に堂々と入りたい手術してないトランス女性」っていうのがどれくらいいるのかわからないんだよね。
女子トイレに入りたいっていうのは外出時とか緊急の場合があるし、褒められたことではないけど男子トイレに堂々と入る女性もいたりするからある程度は致し方ないとしても。
ツリーで書かれてたような「男としての体を見られる」ということについてストレスを感じるのが共同浴場なんだし、そこまでして入りたいトランス女性っているのかねって感じ。
心は女だから女友達と一緒にお風呂に入ってキャッキャウフフしたいトランス女性はいるかもしれないけど、それって共同浴場ですることって思うし、もし何かの拍子に勃起したらどうすんのって問題もある。
そのあたりのこと、もっと当事者から発信してもらいたいんだよね。
コンパクトな予行演習
安さ優先の一人旅といえ、ユースホステルで眠れる自信がなかったので、予約サイトで一番安いビジネスホテルを取ったは良いものの、2泊7,000円のホテルは風呂トイレと洗面室は共用の上、冷蔵庫もなく、カーテンを開ければ階下に斎場というなかなかの感じで一瞬たじろいだ。
バス移動もコンパクトだったが、このコンパクトさも結構なものだ。
ともかく部屋に荷物を置いて、一旦2日後の新幹線の切符の購入と夕食の為に広島駅へ向かう。
日はすっかり暮れていた。
広島駅で切符を購入し、尾道ラーメンで腹を満たした後、ホテルに戻る為、煌びやかな夜の広島を歩く。
「ホテルに戻りたいっていう安心感は旅に結構重要なんだよな、高くてももう少しホテルを選べば良かったかな」と思いながら、夜風に当たっていると、長距離バスの疲れか眠気が襲ってきた。
一階に備えられた共同浴場は小ぶりの銭湯の様な感じで、「他に呼び名は無いといえ『大浴場』は盛りすぎなんじゃないか」と思った。
しかし、小さいながらもサウナも併設の浴場は、ユニットバスより余程つかれを癒すのにもってこいで、「サウナに個室の寝室がついていると思えばこれはこれで悪く無いかもな」と思い直した。
旅の最終日は大分の別府温泉だが、ここで一先ず先に湯治の予行演習だ。
安田理央さんの「大きな胸はどう呼ばれてきたか」という文章が素晴らしい。是非読んでいただきたい。
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous01
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous02
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous03
安田さんの文章でも前提とされているし、知っている人も多い話だと思うけど、江戸時代の銭湯は混浴だった。昔の人はハダカを恥ずかしく感じなかったのか? 異性のハダカに欲情しなかったのか? という疑問が浮かぶが、どうもそうらしい。昔の銭湯のお湯は熱く、湯冷ましのため男女とも服を着ずにハダカで家に帰ったというから相当なものだ。また夏は道にタライをだして行水の習慣もあった。
明治時代になって、西洋人から男女がハダカで混浴したり、公共の場所にハダカでいることが破廉恥だと非難されたため、政府により街場の銭湯の混浴は禁止される。しかし田舎の温泉宿などは、いきなり浴場をもう一つ増やす財力が無いので、ロビー活動をして混浴という状況を許してもらう。その後世情により徐々に男湯女湯の区別が作られては行く。しかしガチの混浴の習慣はいつまで残っていたのか?
1961(昭和三十六)年、押田氏が栃木県の鬼怒川温泉に投宿したときのことである。同氏は同僚と飲んだ後に二度目 の入浴のため大浴場に向かう。時間も遅かったので先客は誰もいず、一人湯船につかっていると、やがて脱衣場の方から声がする。そして二十代から五十代 の女性七、八名が、浴場に入ってきたというのである。いずれも仕事がはねた 仲居さんたちである。人数的にも圧倒され、湯船から出るに出られなかったと押田氏は当時を述懐する。
1960年代まで田舎では、特に裸は恥ずかしくなかった可能性がある。観光旅館ではなく、地域の共同浴場なども混浴が残っているケースは多く、70年代のドキュメンタリー番組で「若い人は気まずい」という解説とともに紹介されていた記憶が自分にもある。
ハダカはともかく、ムネはいつから恥ずかしいのだろうか? 昔の海女さんや炭鉱で働く女性は、男性のように上半身ハダカだったらしい。これもどうやら1960年代、女性の間にブラジャーが普及するのと平行して、恥ずかしいという意識も広まっていったようだ。
しかし女性が一旦胸部にブラジャーをつけると単に美しく見せるだけではなく、それとは別の副次効果が現れる。先の井上章一氏の言葉を応用すると「ブラジャーをつけだしたその後に、女性は胸部により強い羞恥心をいだくようになった」と言える。こうして、従来は羞恥心の対象外だった女性の胸部が質的に変化する。昭和三十年代には普通に見られた、街頭で母乳をやる女性たちも、授乳室の中に隠れるようになる。
いずれにしても上記のことから、女性のハダカを見て男性が興奮するのは、決して本能などではないことは容易に推理できる。欲情する気持ちは、文化により形作られた、女性が羞恥心を感じている様子に引き出されるもの、あるいは国家権力に規定された禁忌を破ることによる興奮なのだ。そもそも男性が女性に欲情することが自然なのかどうかもわからない。橋本治さんの受け売りだけど、森鴎外の時代、男子大学生は硬派と軟派に分かれていたが、硬派とは下級生男子に欲情するもの、軟派は女性に欲情するもので、鴎外は性暴力の被害を恐れナイフを携帯して通学していたという。
悪いことですよ。
ラーメン屋が賄いでラーメン食べさせたら販売益に計上して納税義務が発生するのに経費にしてるのは脱税。
賄いを申告するか昼食費を出すかしないといけないのでラーメン好きでラーメン店を開業しても店の商品には手を付けないか自費で購入する必要がある。
好きな仕事で好きなことしてるやつがいるかぎりそれは悪いことですよ。
好きなことをするためにストイックになってるのはラーメン食わないラーメン店主も休暇を目指して残業するサラリーマンも同じ。
自分が楽しみとして消費した分を還元したのだとしたらその分納税してる?
どんな汚い嫌な仕事でも「それを体験できるサービス」として有料でさせてあげてる業務もあるし、それも納税対象ですよ?
あなたがもし「延々と缶詰でプログラムを組み続けさせられる拷問プレイ」を他で所望したら料金払ってしないといけないんですよ。
同性でもセクハラがあるように好色的な目的で同性の共同浴場に入るのは悪いことですよ。
反省してください。
小学生男子を女湯に連れてこないでほしい話で、自分は元増田に感情的に共感しまくったんだけど、否定的なブコメにも人気があった。
それで、なんで自分はこんなに「小学生男子が女湯に入ってくるのが生理的に無理!」だと思ったのかを考えてて、先日プチ炎上していた朝日新聞の壇蜜の相談のやつを思い出した。
あれも、壇蜜の回答の何が気に入らないのか分からないとか、現実的ないなし方を教えてるだけだとかいう反応があって、それらを見た時に、
自分が子供の頃に学校の先生や母親にさんざん言われてきた「**くんはあなたのことが好きだからやっちゃうんだから、許してあげなさい」という呪いの言葉を思い出し、本当に嫌な気持ちになった。
こちらには、スカートめくりやかばんに青虫乗っけられることが「好意」だとは伝わってないし、大人たちは馬鹿ガキに対して伝え方の下手さを叱ることもせずに、私に対しては暴力を振るってくる人間を許せと言う理不尽。
そういう男児(クソガキ)からの、セクシャルなものを含む暴力は、自分についていえば、幼稚園に入る前ぐらいからすでにあって、小学生まで間断的に被害にあってきた。
なので、個人的には、温泉なんかで出会う男児については、幼稚園ぐらいからすでに頭の中にWARNING!という文字が浮かぶ。
だって過去、実際に幼稚園児の馬鹿ガキに性的にいじめられてきたんだから、本当に嫌で嫌でしょうがなくて登園拒否だってしたし
小学校では学級会の議題になって、トラウマにだってなったんだから。情けないなとは思うが、風呂に入ってくる男児を見るだけで、あの頃の嫌さと怖さが一瞬ふいに思い出されてしまう。
別に問題ない、気にしないようにと我慢はしますけどね、もう大人だから。温泉を楽しみたいしさ。
女風呂に入っている男児が、他の入浴客をどういう目で見ているのかは、周りの人たちには分からないでしょ。
何とも思ってないだろうけど、何とも思ってる子だっているかもしれない。どっちなのか誰にも分からない。
我が子がエロガキかどうかなんて、実際のところは連れてきている親にだって分からないだろう。
うっかり母親に報告など自ら大声でエロい目で見ている旨を大騒ぎし出す馬鹿は別だが(あの人おっぱい大きいね!とかね。まれではあるがこういうクソガキはいる)。
自分は、幼稚園の送迎バスの中でもスカートめくりされたりするようなクソガキに困らされた経験があるので、幼稚園児ならOK、というのも、恣意的よねとしか思えない。
もちろん、現実の共同浴場でそういう男児を見つけても、小さい子なんだからしょうがないよね、と思って気にしないようにしてるし、
入ってきた男児がどうにも我慢できないレベルのクソガキだったら、しょうがないからこちらがそそくさと逃げる。クソガキとクソガキの親に腹を立てたってこっちが損するだけだから。
でも、親の側が、当然の「子供を守る権利」とか、言っちゃうのは、ばっかじゃねーのお前の子供の権利のためにこっちの権利が侵害されてんだよ、と言いたくなる。
こっちにも権利があんだから譲り合ってよ、たまには引いて家族風呂入ってよ。
入浴中目を離せない子供だったら同性の保護者なしにパブリックな浴場に連れてくるの無理があるでしょ。
だって、あなたのかわいい息子が、私にとってはただのしつけの悪いエロクソガキじゃないことは、「まだ」証明されてないから信用できない。
おまけに、たまに見かける、このクソガキ…と思うような男児の親のほぼ100%、注意しないんだよ。だから逃げるんだけど。
女湯に連れてこられてる男児が悪いと言っているんじゃなくて、デリカシーがないというか周囲の配慮がない親の方に、問題があるんだよね。
もうちょっと大きくなって分別が付いて一人で風呂に入れるようになってからだって、温泉も共同浴場も逃げないよ。
話はちょっと変わるが、そのように性的にいじめられたのって、上に書いたように小学生のころぐらいまでなんだ。
中学入ってすぐに「ああ、もうああいうクソガキに怯えなくていいんだ」と気が付いた。
中学校に入ると、多くの男子がリアルに色気づいてくるからかもしれないが、女子に向かって気持ち悪い嫌がらせ
(スカートめくりや生理の日当てや物を取られたり隠されて見せびらかされたり)をしても、ひとつもモテないどころか蛇蝎のごとく嫌われることに、
気づく子は気付くんだろうと思う。
そうやって、クソガキからのエロ暴力は、奴らが色気づくころにはパタッとなくなった。まぁその頃にはすでにモテ非モテが分かれてるから、手遅れ。
そうやってパワーバランスが変わった瞬間はすごく鮮明に覚えている。
幼稚園の時からずっと付きまとわれてた近所のエロガキいじめっ子は、中学に入ってから不登校になった。
中学に入ってからも、私にしてたように同級生にエロいじめを仕掛けて総スカンを食らったらしい。あんなに嫌だって何万回も言ったのに、
担任教師や双方の親、周りの大人は誰も深刻には受け取ってくれなかった。自分の母親ですら。
エロガキクソガキが不登校になろうが、正直、ざまーみろばーか、としか思わないけれど、一方で、
「**君はあなたのこと好きなのよ」とか「元気でよろしい」とか無責任なこと言ってた大人が、クソガキにきちんと社会的な線引きを教えてたら
不登校にはならなかったんじゃないのかなとも、思ったりする。
週末、法事があって親戚が一同に会したのだが、大学中退ニート現39歳のいとこが顔を出していなかった。
大して筋の近い親戚の法事でもなく、参加してないこと自体には何の問題もない。親戚が集まる会なんてのは、子供や孫自慢大会になったり、もう何度もリピート放送済の昔の恥ずかしい話を聞かされたりで、うっとおしいものでもあるし。
自分は自慢大会はどうも気が乗らないから、昔の恥ずかしい話のリピート放送の方に参加してたのだが、その流れでニートのいとこの話になった。
まずいなと思って話を変えようとしたが無理で、そういえばあの子(ニート37歳)は今どうしてるの?と誰かがニート両親に聞いた。
母親は「先週まで1か月間、派遣の仕事してたんだけど、今はまた家にいるのよ。私の家事も手伝ってくれてありがたいわ」と答えた。私は、39歳ニートはむしろ家事をもっぱらに請け負うぐらいでちょうどいいのではとも思いながら聞いていたが、母親にとっては部屋にこもってネット三昧よりはずっと良いと考えているらしかった。
いとこはかれこれもう10年ぐらい、そうやって派遣をたまにやったり、紹介予定派遣で予定外だったり、資格の勉強をすると言っては学費を入れた学校に数回しか通わなかったりして、日々を暮らしている。いとこの家には家業があるが、両親はもう70を超える年齢で、いとこが継ぐ気配もないので店を畳んだ。
母親が「大阪とか博多とかってどうなのかしら」と私に聞いてきた。なぜ?と聞いたら、ニート39歳を行かせてみたいと言う。
生まれて育った街(首都圏)の自宅にずっといるよりも良いのではないか。空気も良いだろうしと。いや、大阪も博多も環境的にはこの辺と変わらない都会だよ、博多はちょっと前に仕事で行ったが黄砂が大変らしいし。それにそもそも伝手も知り合いもなく、その場所でやりたいことがあるわけでもないのに、突然ひとりで別の街にいったところでせいぜい物見遊山にしかならないだろう。どうせ空気のいいところで、と言うのなら、いっそのこと東北の被災地でまだ募集してるボランティアでもしてくればいいのに、と答えた。
すると母親は、「あの子、東北には行かないと思うわ。インターネットで色々調べていて、危ないからって…」「私はこの間、被災地を見てこなくてはと思って青森に行ったんだけどね…」と言う。
もちろん、青森の被害も深刻ではあったが、正直、震災から5年経つ時期に「被災地を見たい」という目的で行くにはそれほど相応しくはないのではと思った。青森は食べ物も酒も旨いし、今だとまだ寒いだろうが、私も一昨年の夏、念願の種差海岸の馬を見にいって、観光で訪れるには本当に良い場所だ。温泉共同浴場がいくつかあってそれを回ったのも楽しかった。単純に観光で行ったんなら、そうですか、楽しかったでしょう、良かったね、と言って終わる話だ。
自分は、先週は、ボランティアの関係で知り合った福島県のある町に住む友人のところに、仙台への出張の帰りに、会社にお願いして顔を出してきた。
3月11日には色んな行事があったりして落ち着かないからと、その前においでとご招待をいただいたのだ。ちょっとの時間しかなかったのだが、お邪魔して、地物の野菜で漬けたという旨い漬物山盛りでお茶っ子に混じらせてもらって、懐かしい話をして旧交を温めてきたところだった。
いとこは定職にはついていないが、たまに派遣の仕事をしたり時には定職につく努力を始めたりするが、何をやってもとにかく長続きがしない。大学も、資格試験の勉強もそうだったが、辞めてきてしまった仕事もいくつもある。
いとこは、父親が独善的な成り上がりで母親は過保護という、ある種典型的な両親の元で育っている。実家に金がないわけでもないので更に完全にスポイルされている状態のように、外から見た限りでは見える。
一方で、いとこの家庭には、ただ耐えるにはあまりにも辛い家庭内の事情もあり、外から見ただけで判断はできない、とも思うので、今までもこれからも特に、直接に話をしたり助言をしたりすることもないだろうと思っている。そもそも望まれてもいない大きなお世話のおせっかいだろう。
ただ、いとこは、いかにもニートらしいインターネット・ライフを送っているようなので、ひょっとしたらこの増田を見ることが、場合によってはあるかもしれない。
だから、ひょっとしたら目にすることもあるかもしれないという希望をもって記すが、とりあえずいったん実家を出ろ。別に飛行機の距離の街に行く必要なんてないし、どこか別の街で働きたいならそれだっていい。
残念ながら、お前の親は、父親も母親も、お前を一人前にするための能力を持たない。お前は豊かな才能と愛嬌のある如才なさがあり賢い頭脳も持っている。世間で十分通用する力も本当は持っている。それは私が請け負うし、私の家族もみな同意見だ。ずっと前から私たちはお前のことを気にかけて心配しているんだよ。
あの二人は、お前にとっては大切な親だが、他人から見たら、ただお前をスポイルするだけのモンスターだ。お前と兄を比べて配慮のない態度をとったり言ったかと思えば、成長したい子供を抑圧するような、モ世間知らずのモンスターになってしまっている。
彼らがお前のことを愛しているのは間違いないが、その愛情の示し方には問題がある。人はいつだって正しいことをするとは限らない。親であったとしても間違ってしまうことはある。
お前の親が、お前を一人前にするための方法を間違ってしまっていることはアンラッキーではあるが、今からでも取り返しのつかないことでもないし、そのぐらいのアンラッキーなんて誰だって持っている。現に私の家だってお前から見ればかなりアンラッキーに見えるだろう。何しろ両親ともに早死にした。
だから、一度自分の力と自分だけの責任と自由を持って、家を出て生活してみないか。1、2年やってみて、あまりに辛くてとか貧乏で生きていけそうもなくても大丈夫。その時は実家に戻ったっていいんだから。特にお前に甘い母親が両手をあげて歓迎してくれるはずだ。逆に言えば、親はもう年なんだから、うまくいかなかったら戻ればいいとカジュアルに独立するのはタイミング的にはラストチャンスだ。
ひょっとしたらお前は、気弱な暴君である父親と二人きりにされる母親を気にかけているのかもしれない。お前は優しい子だからありうる話だ。でも、お前の母親は、他人からみれば随分図太いところもある人だから、大丈夫だよ。心配なら、週に一度ぐらい電話してやるとか、月に一度ぐらいは実家に顔を見せればいい。母親の話を聞いてやる、母親に自分の近況を報告するだけでも、ずいぶん親孝行になるんだよ。
亡くなった私の父は、意識が薄れてきて息を引き取る2、3日前にも、お前のことを本当に気にかけていたんだよ。あの子は本当に可哀想な子や、よく気の付くいい子やし頭も良い、押し出しもある。なのに、がんばれない。兄のこともあの子が全て背負わされている。
無関心に分かったふりをしてただ甘やかすだけの母親が、あの子から色々な人と交わり闇や光や泥を見ることの楽しさをスポイルしている。知識が実体験に結びつき血肉となり成果が上げられた時の喜び、働くということの金以外の本当の実りを教えてあげられない父親が、あの子の未来に絶望を見せる。そう言っていたんだよ。