「暫定的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 暫定的とは

2021-05-18

anond:20210516225443

まさに「リテラシー」の話ですが「科学リテラシー」ってそもそも何でしょう。

増田の指摘はとても重要問題提起ですが、「科学リテラシー」と「権威主義」という言葉

指す内容がそもそも一体何なのかという所を整理する必要があります

権威主義的(?)自己紹介ですいませんが、私はこの辺を専門にしている人間です)

◆「科学リテラシー」は「真実判別する力」ではない

「著名でない人が提案した手法から」「偉い人が否定してるから」でしか判別できないよな?

大前提として、科学リテラシーがあるかどうかは、”真実判別できたか”で決まるものではありません。

「何が真実かを正しく判別できる人」が「科学リテラシーのある人」というわけではないのです。

科学リテラシーにも色々定義がありますが、とりあえずWikipediaを見ますと (科学リテラシー - Wikipedia)、

個人としての意思決定市民的・文化的問題への参与経済生産性向上に必要な、科学概念手法に対する知識理解

というややこしい説明が出てきます。(一応アメリカ国立教育統計センター定義です)

先に言い訳しますが、ネットリテラシーなど「リテラシー」と名の付く言葉って、

ことごとく定義が大変難しく、「大体こんなもの」的な定義しかできないことをご了承ください。

とりあえず、”真実判別できる力”のような単純なものではないという点だけおさえていただければまずはOKです。

科学リテラシーとは、若干雑に咀嚼すると「科学とは」というもの理解した上で、

個人的、社会的場面で思考判断・行動などを可能にする能力のまとまりです。

ですから、「エライ先生達が言ってるから正しい!」は、まったく「科学リテラシー」ではありません。

  ※ちなみに、これに「異論は認めない」がつくと「権威主義」になるのだと思います

   あと、そもそも本来の「権威主義」はかなり限定的意味言葉です。

一般的に、エライ先生達が言ってることはなぜ正しいとみなされるのか」という背景を理解していること、

科学世界におけるエライ人がなぜエライのかを理解し納得した上で、”正しい”かどうかを

自分なりに判断しようとする姿勢こそが、「科学リテラシー」のある姿です。

ブコメのように「専門の異なる複数専門家クロスチェックしてとりあえずは間違いなさそうだと思われる」という姿勢はまさにそうですよね。

ですから、そういう専門性に対する信頼を持つ一方で、それを100%妄信するのも誤りです。

エライ先生も万能ではないから、間違うこともある、このエライ先生発言も、当面信じる程度に留めよう。

そもそもこのエライ先生はどういう根拠でこう言ったのだろうか」ですとか、

エライ先生の中には、時には利益に踊らされて根拠のないことを言う人だっている、

研究業績が少なくとも”エライ”ともてはやされる人も時にはいる、ではこの「エライ先生」はどうだろうか?」

など、「エライ先生」の、そして科学科学業界限界ちゃんと踏まえた上で、

冷静に情報を受け取れること、こういう力も科学リテラシーの一部です。

また、例えば「エライ先生」の発言裏付けるような情報を探したり、あるいは発言を覆すような

情報が出た時にもちゃん咀嚼できる力、それも科学リテラシーの一部です。

ですから増田

権威主義を使わずに信用に値する専門家を見つけるの辛くない?

博士取ってれば誰でもいいってわけではないんでしょ?

健康食品宣伝だって複数大学先生コメント出てきたりするよ

などは、まさしく科学リテラシーを持った姿勢の一つだと思いますよ。どの世界もそうですが、

リテラシーを持てば持つほど、簡単には断定できない問題も多いことに気づくものです。

そしてその上で、皆で「何が正しいか、それに基づいて我々はどうすべきか」を

建設的に話し合うことができる力も科学リテラシーには含まれます

◆「専門家を信じる」は「権威への盲従」ではない

もう一点だけ、別の増田 (https://anond.hatelabo.jp/20210517174206)が、

彼らが専門の訓練を受けて、種々の精査を学会で受けてると信じてるから

でもこれってそういった権威基本的に盲従してるだけなので、自分権威主義者だと思ってる。

とおっしゃっています。とても謙虚姿勢だと思いますが、

これは「盲従」とみなさなくてもよいと思います。これは「理解に基づく信頼」です (他にも言及している人がいますが)。

ある事象に対する専門家コメントと、ド素人コメントがあった時、

専門家から絶対に正しい!」と言い張ったら、確かにそれは「盲従」です。

「最終的に素人の方が意見が正しかった」という可能だって全然ありますからね。

ですが、専門家素人意見を全く同列に扱うのも、また非効率です。

素人個人的な経験や思い付きから言った発言と(若干失礼な言い方ですいません)、

専門家が、様々な科学的知見・理解をもと発した発言とでは、”現時点では専門家の方が信頼度が高いだろう”と

暫定的判断することは、効率的かつ極めて妥当判断です。それを「盲従」とは呼ばないと思います

(そしてそれはあくまでも「現時点で信頼度が高い」というものであり「絶対正しい」ではありません)

で、話がややこしくなるのはこの「現時点で信頼度が高い」という言説が、外野には思いの外受け入れられにくいということ、

そして、「理解に基づく信頼」と「権威への盲従」の間には、判別しにくいグレーゾーンも確かにあるという2点だと思います

この辺のややこしさを踏まえずに、安易に「科学リテラシーが低い!」と他者批判してしまう人が多いので、

科学リテラシー尊重権威主義」という誤解や嫌悪感が生まれるのではないでしょうか。

こうした誤解や嫌悪感を生まないためには「科学リテラシー」という言葉肯定的に使おうとする人たちにも、

適切な言葉遣いが求められるところだと思います

 ◆

科学リテラシーという言葉には、専門家を適度に信頼しつつ (疑うことも忘れずに)、一人一人の市民良識をもって話し合い、

一つ一つ合意を得ながら社会を構築していける、そんな姿を思い描いている部分があるんですよね。

もちろんこれは理想論です。ですが、そういう理想まですから視野に入れた科学リテラシーという言葉が、

科学リテラシーがある・ない”で、分断をあおるような使い方をされるのはとても皮肉なことです。

長くなりましたが、「科学リテラシー」とは、「専門家意見に盲従して判断すること」ではありません。

権威主義的態度はむしろ科学リテラシーの対極のはずなんです、本来は。

2021-05-17

anond:20210517185319

ねえお兄ちゃん演繹って知ってる?

論理は?

空気感染かそれにものすごくちかい飛沫感染かがわかっていればそのどちらかを決定することまでは暫定的にもとめず、とりあえず実効性有る予防手段として初期にマスクと三密回避、中期にm-RNAワクチンができたことのほうが重要なんだよ。

2021-05-06

anond:20210505163154

んーーー詭弁でしょ。もともと是正すべき男女格差があってその暫定的な救済のための制度なんだから

元となる男女格差、すなわち離婚後の男女の平均賃金格差解決しないと、制度だけ論っても意味ない。

2021-04-08

anond:20210407191608

人権同士が衝突することも多いってのを勘案してくれ。

世の中はままならないので、増田のような、人権侵害は迷うことな拒否してよいしそれでうまくいく、って整理では片付けられないのだ。

たとえば要介護者の世話は、家族など周囲の人間が担わねばならんのだが、やりたくもない介護をさせられるってのは周囲の人間人権侵害している。

公的にも私的にも扶助はあるが、それでもきょうだい障害者を持って生まれた辛さ、親の介護の辛さ、みたいな記事がたまにバズるよな。

これは要介護者と健常者の人権がぶつかる中で、妥協点を探って暫定的に今の仕組みになってるわけだ。

万人の人権を万全に守ることは残念ながら不可能

なので、仕方ないけど周囲の健常者や国民の税を要介護者にあてがいましょうという仕組み、これが現時点での対処である

だが、増田のような考え方では、介護公共のためであっても、人権制限に繋がるあてがえ論はノータイム拒否してよい、となってしまう。

介護者の意見で聞く価値があるのは「私は障害があり要介護者だけど仕事や外出や人間関係を楽しみたいのが本音だ、でもそれには他人介護強要する人権侵害をせねばらなんので、おとなしく家にこもることを選ぶよ」という内容だけだ! なんてことを誰かが言ったら、現代社会では賛同されづらいだろう。

そして増田の、弱者男性意見で聞く価値があるのは「ぼくは女性とのコミュニケーションが欲しくて苦しいが、その苦しみの解消には女性人権侵害せざるをえないとわかってるから、おとなしく苦しみつづけることにします」ってタイプ弱者男性だけだ……という態度はこれに近いのだ。

それ自体もまずいが、もっとまずいのが、増田の主張の危うさに気づいていいはずのブコメ聴衆さえも、増田道徳的で素晴らしい考え方をしていると褒めまくってしまうことである

弱者男性の生きづらさが認めてもらえないというのは、誰か一人が偏った意見を言うってこと以上に、それを客観的に聴いているはずの大衆までもが無自覚弱者男性に辛さを押し付けてるってことだと思うぞ。



俺の論をもう少し詳しく説明しよう。

話を簡単にするため、シスヘテロ弱者男性を想定して論じる。

弱者男性論の中でも、異性恋愛部分で揉めやすいのは、わかりやす人権同士が衝突するからだ。

周囲の人間自由意志尊重することと、キモいとされる男性が異性とのコミュニケーションを得られず孤独に苦しむのをを救うこと、その両立が困難だと判明してきたからこじれているのだ。

(多くの人間または男性の心には、性的対象とのコミュニケーションによってしかまらない大きな飢えがあり、非恋愛の友人関係では満たせない、という仮定はとりあえず正しいとする。その真偽は心理学者などが長い時間をかけて研究せねばならないだろう)

箇条書きにすると、以下のようになる。

不快相手との交流を強いられることは人権侵害である

・だが、悪意がなくても他者不快感を抱かせがちな上に改善困難な人間存在し、その代表キモくてカネのないおっさんのような弱者男性である。(女にもそういう存在はいる)

・彼らと交流させられることは、人権侵害である

・よって、他者不快感を抱かせる弱者男性は、諦めて孤独に暮らすべきだ。

・いや、それで本当に倫理的にいいのだろうか?




繰り返すが、弱者男性人間関係についての話は、介護障害者支援と近いんだよ。特に支援が進まない精神障害問題

接触すると周囲の負担になりやす人間をどう扱うか、という問題だ。

介護者を厄介者みたいに言うのはかなり危ういんだが、実際のとこ、厄介者(とされちゃう人)をどう包括するかを真面目に考えることで社会福祉は成り立っている。

現在日本では、家族扶養義務とか、介護ビジネスへの補助金とか、福祉とか、障害者雇用義務とかで要介護者に対処している。

たまたま家族に要介護者がいるからってその世話をさせられるのは人権侵害ではないか、という論点は当然あるが、今のところ、その人権侵害一定程度許容してでも、要介護者を社会から切り捨てるのを防ぐべき、という風になっているわけだ。

その果てに介護疲れによる自殺などもあるんだけどな。

ここで増田の整理を抜粋する。

耳を傾ける意見:「正直異性(他人)とのコミュニケーションは欲しいが、現実女性意思人権制限するなんて酷いことは考えていない」

無視すべき意見弱者男性問題解決のために女性意思人権制限すべきという意見全般(女をあてがえ派を含む)

すなわち、周囲に不快感を抱かせてしま気持ち悪い弱者男性にもコミュニケーション欲求があるのは納得するが、その援助が周囲の人権制限しなければならないなら無視してよい、ということになるだろう。

自由意志制限するべきではないので、周囲が世話をしたがらないなら要介護者は介護される必要なし、弱者男性につきあってやる必要なし。

それで本当にいいのだろうか。



弱者男性を要介護者と並べるのは突飛に見えるかもしれない。

だが、弱者男性と言うカテゴリの中には、精神障害者やパーソナリティ障害発達障害さら障害と健常のボーダー位置する人間がおそらく結構割合で含まれる。

また、そのボーダー時代と共に変化し、歴史の傾向としては要支援障害者認定される範囲が広がっているのだからワガママで苦しいアピールする人間と正当な要介護者を現在基準で完全に分割して別物と扱うのは適切ではない。

これは弱者女性についてもそうだ。

そして、弱者男性問題を、介護障害と地続きの問題として見れば、精神障害者への支援の遅れと近いことに気づける。

対人能力人格情緒の安定にハンデを抱えている人間に対する扱いは、いまだに相当に厳しい。

障害者支援代表例は雇用義務だが、精神障害は本当に厳しくて、障害者雇用でも採用されるのはおもに身体障害者だ。

精神障害者の雇用義務ができたのは、驚くべきことに2018年というつ最近だ。(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000192051.html

精神病院についてのゴタゴタも頻繁に取りざたされる。

今も世の中には、「精神障害のある人たちも苦しいだろうけど、関わるの負担が大きいし、その負担を強いるのは人権侵害から、仕方ないだろ」なんて感覚があるのだ。

そして精神障害者と弱者男性の避けられ方は近い。



(このパラグラフだけ4/9の朝に追記

弱者男性支援する具体策については、深く踏み込みたくない。

政策知識のない俺が具体的なことを考えたってツッコミどころが多いだろうし、そこにツッコミが入りまくると、まるで総論としても弱者男性論が間違ってるような印象を持たれるからだ。

具体策として考えた内容に穴があるからって、総論としての方向が間違ってるとは限らないのにな。

……と思ってたが、「要は公的カウンセリング風俗か? それとも奴隷化か?」なんて人が多いので、それ以外の方法として、AC広告みたいなイメージ戦略なども考えられるよね、とトラバで書いた話を追記として挟んでおく。

弱者男性を「コミュニケーション介護者」と捉えた場合、その支援職員訪問しておしゃべり、みたいな直接的な支援に限らない。

たとえば、コミュニケーション介護者ともできるだけ親しく関係を持つのがよいことです、というプロモーションを明に暗に打ち続ける。

年寄り地域交流しましょうもたつきは温かく見守りましょう、白杖を持っている人が立ちすくんでいたら声を掛けましょう、みたいな感じでな。

仕事としておしゃべり介護してもらうより、プライベート友達恋人が作れたらもっと嬉しいんだし、プロモーションの影響で世間からキモくてカネのないおっさんおばさんに対するイメージがよくなり「自由意志」でイチャコラしてもらえる可能性が増すならよろこばしい。

これは弱者男性に限らず弱者女性コミュニケーション介護者に含むことができ、彼女たちの孤独を和らげることができるだろう。

男女問わずボダメンヘラや鬱や統合失調症アダルトチルドレン無職の人も友達恋人セフレができやすくなるってわけだ。(弱者女性はむしろセックス相手として求められすぎて困ってるみたいな話もあるが)

なにより、社会がお前たちを排除矯正していくつもりではないというメッセージを出すことで、彼ら彼女らに希望を持たせられるのがいいことだ。

弱者男性の中に反フェミニズムに熱心になる層がいるのは、フェミニズムの声が主に重視されて自分たち男性相対的にどんどん追い詰められる未来が予想されて不安鬱憤があるからだろう。

そこを変えて、フェミニズムで女の欲望肯定していくけど、同時に男の欲望は男の欲望社会として肯定していく意図があるよ、という雰囲気があればだいぶ状況が変わるのではないか

もちろんこれは「コミュニケーション介護者」の不快な振る舞いを、ある程度までは大目に見る風潮を醸成することも目的に含むわけで、不快な振る舞いをされたらハラスメントと指摘すべきという昨今の道徳とは衝突するので常にバランス綱引きが行われるだろう。

あとはアンドロイドセクサロイド代替とかってのもアリかもと思うが、それならそれで、真面目にその方向の技術振興をしましょうという政策議論に繋げるべきだ。

「50年後か100年後にできたらいいよね~科学の発展に期待だね~」じゃなくて、それを少しでも早められるよう本気で向き合い、技術や金を使うために協力してほしいんだよ。

追記ここまで)



まあダラダラ書いたけどさ、とにかくこういうことよ。

健康で文化的な最低限度の生活のためには周囲に負担を強いることが必要になる、広い意味での「要介護者」は世の中にけっこういる。税金を利用する全員がそうだとさえいえる。

人権侵害絶対拒絶すべきという考え方をすると、周囲の強制負担も認められないということになり、その「要介護者」たちは見捨てられることになってしま

現代では、人権同士が衝突する場面も多いとわかってきたのだから、その中でどう折衷していくかが大事だ。

そのためには、人権侵害議論余地なく即却下、という素朴で潔癖な姿勢は話が進まなくなるので良くない。




このさい、弱者男性論はさておいてもいいや。

現代では人権同士がぶつかりあってるので、「人権絶対守るべし。そしてみんなの人権を同時に守れる方法はある」とシンプルいかないことはわかってくれや。

2021-04-06

anond:20210406125626

つか、無人駅って鉄道会社的には無くしたい駅なわけじゃん。ほとんどが、地域との交渉がまとまらいか暫定的に残さざるを得ないだけのもの

そんなところに設備投資したいわけがないでしょ。

2021-03-17

anond:20210317152304

暫定的憲法違反だって裁判所が認めたわけだろ

勝ち誇っていいだろ、突きつけられるだろ

2021-03-01

夫婦別姓婚の当事者に聞く、子供の姓をどうするか(2032年3月

 早いもので、2020年代の初頭に選択夫婦別姓法律で認可されて以来もう数年が経とうとしています

 市役所調査によりますと、現在では別姓婚を選択した人は32%と、かなり社会に浸透しているように感じられます現在婚約をされている方の中にも、別姓婚を選択しようと考えている方も多いのではないでしょうか。

 さて、そこで見落としがちなのが子供の姓です。父親母親の姓は別、では子供の姓はどうするのか。意外とそこで夫婦間の意見に食い違いが起きる場合があるようです。

 予め子供の姓について話し合いがあっても、例えば一人目や二人目までは決めていても三人目をどうするかで揉めたり、あるいは経済的子供を作らない選択をしていた人が、昨今の好景気子供を作る方針に変えた結果、姓の方針議論が起きたりなど――。

 そこで今回は子供の姓に悩む皆様の参考になればと、夫婦別姓選択したうえで第三の選択を選んだ、譲さん真矢さんのご夫妻に話を伺いました。


 ―― 初めまして。譲さんと真矢さんはお子様に、お二人の姓とは別の、まったく新しい姓をつけたとお伺いしました。法律で認められているとはいえ夫婦どちらでもないまったく別の姓を付ける方は珍しいそうです。その新しい姓は、どなたがお決めになったのでしょう?

 真矢さん 分からないんです。

 ―― 分からない、とは?

 譲さん 最初は、私たちは全く新しい姓を付けるつもりはなかったんです。夫婦で話し合った結果、私の姓を子供に与えるつもりでした。ですが……。

 真矢さん この子が生まれときのことです。私たちは人工子宮による妊娠を選んだので、産科医の先生に呼ばれて二人で出産に立ち会いました。手術医をいただいて、子宮が切開されるところを見守っていたら、息子の顔が見えたところで――。

 譲さん 息子が、自分の姓を宣言したんです。

 ―― なんと。失礼ですが、それは聞き間違いや勘違いなどではなく?

 真矢さん はっきりとした発声でした。産科医の先生証言してくださったので、間違いはないと思います

 ―― なるほど、それで、今までの話し合いを捨て、赤ちゃん宣言した姓を選んだという事ですね。

 譲さん はい、息子の意思尊重しました。できれば名前の方も意思確認たかったのですが、それ以来まだ息子ははっきりとした言葉を喋っていないので夫婦暫定的つけました。

 ―― それにより、何か変わったことはありましたか

 真矢さん 目立ったことはないと思います。夫の両親も私の両親も、私達の選択尊重してくれました。ただ、時々自分の子供がほんとうに自分の子供なのか、分からなくなることがあるんです。

 ―― それは、夫婦どちらとも姓が異なるという理由ですか?

 譲さん いいえ。姓が異なるという事は問題ではありません。ただ、子供自分で姓を宣言したという事は、私達でなくほかの誰かから事前に姓を付けられていたのでは、と考えてしまうのです。そして私たちから与えられる姓を拒絶した、とも。

 真矢さん そうなると、この子には両親より大切な「自分に姓を与えた誰か」がいて、真の両親とはそちらの方なのではないか、と考えてしまうんです。

 ―― なるほど。名前とは親が最初に与える子供へのプレゼント、という考え方ですね。大変興味深いです。本日ありがとうございました。

 いかがでしたでしょうか。子供名前と姓、それらを取り巻く複雑な問題について読者の方の理解一助になれば幸いです。

 人生においては様々な選択と、それに伴う後悔が付きまとうものです。少なくとも姓の選択においては、両親だけでなく子供にも後悔のない選択が選ばれるように祈っております

 (了)

 (写真は穏やかな顔で眠る天上天下唯我独尊 仏陀ちゃん(1歳))

2021-01-20

日本唯一の丸まるである宣伝するには日本中をくまなく探して丸まると同一のものがないことを調べないといけないがそんな手間は現実的でないので丸まるを反証として挙げられていないことを根拠として暫定的にこれは唯一の丸まるである表現するのが限界であることを鑑みる日本唯一の丸まるという宣伝文句はいささか誇張を含んでいるのではないかと思う次第なのである

2021-01-12

新型コロナ新型インフルエンザ等に分類するというニュースが出た

https://this.kiji.is/721673423781806080

「去年新コロを新型インフルに入れるかどうかでもめてたけど、あれとどう違うの?」

と思っている諸兄もいるだろうから解説する。

去年もめてたのは、新型インフルエンザ対策特別措置法を改正せずに新型コロナ適応できるかどうか。

野党は「新型インフルエンザ"等"とついているのだから適応するのに法改正必要ない」と主張。

政府は「新型インフルエンザ等とは新型インフルエンザと再興型インフルエンザと新感染症の事で、新型コロナ指定感染症に分類されるから適応させるためには法改正必要」と主張。

結局新型インフルエンザ対策特別措置法は改正されて決着した。

今回のニュースは去年もめた新型インフルエンザ対策特別措置法ではなく、感染症法の話。

感染症法では感染症を一類〜五類と新型インフルエンザ等と指定感染症と新感染症に分類している。

新型コロナ指定感染症に分類されてるんだけど、指定感染症は最大2年までしか使えない暫定的分類。だから2年以内に一類〜五類、新型インフルエンザ等のどれかに分類し直さなければいけない。

なので政府は新型コロナを現状と同等の対策が取れる新型インフルエンザ等に分類しなおす法改正を考えているというのが今回のニュース。(一類〜五類のどれを選んでも今よりも取れる対策は狭まってしまう)

じゃあはじめから新型インフルエンザ等に分類しろよと思うだろうが、はじめのうちはどれくらいの対策必要か分からなかったか暫定的指定感染症に分類した。

どれくらいの対策必要かある程度分かってきたので分類しなおすというわけ。(個人的には現状の対策では全然足らないとは思う)

2021-01-11

悼む、に近い、適当言葉がない感情を捧げる話

何年か前の話、たまたま目に入ったブログ文章が好きで更新されるたびに読んでいた。

それを書いていた人はまだ若く、自らについて十代の後半ぐらいと語っていた。そして、俺は自分自身偏見さらすのを承知で言うんだけども、その人は高校もまともに卒業していないらしく、誰かの文学に触れた様子もうかがえず、ただただ、日々流れるように遊び暮らしている生活しかブログに記録されていない…にも関わらず、おそろしく情感のこもった、美しく、それでいて痛快な文章を書いた。

ブログによって世間に向かって書いている以上、読んでいる側を面白がらせよう、関心を持たせよう、という気持ちは当然あっただろうけど、表面ではまったくそれを感じさせない文章だった。その人は、言葉がそう並べられるべき順番で、美しく、愉快なセンテンスを、平然と書くことができた(というように見えた。少なくとも)。

俺は、まぎれもなくこれは才能だと思った。シンプルに文才というやつだ。

俺と同じように感じていた人間も多かったようで、その人のブログ購読者数はあっという間にどんどん増えた。しかし、あるとき特に予告もなく、その人はブログ更新を止めてしまったのだった。

数年が経って、その人は、止めたときと同じように突然に更新を再開した。

俺は喜んだが、その人の文章が昔と変わってしまっていることに気がついた。

ブログには、実生活で色々と大変なことがあった、と赤裸々に報告されていた。そういう経緯が影響を及ぼしたものかわからないが、かつてそうだった、奇跡のようなその人の文章は決定的に失われていた。新しい文章は過剰に説明的になり、どこか言い訳くさく、言葉の隙間から読む側をじっとうかがうような息苦しさがあった。

いつか時間が経てば、その人の文章は元に戻るのだろうか? 例えば、病から人間回復するように。あるいは、もう戻らないのかな? 誰も加齢で失っていくものは取り戻せないのと同じように。

増田で聞いても「知らんがな」だろうし、これが俺の想定となれば猶更「知らんがな!」だろうが、俺は、たぶん戻らないだろうな、という気がする。

そういうわけで、おそらくあの才能は永遠にこの世から失われてしまった。

当たり前だが、ブログを書いている本人はまだ生きているし、その中の才能が消えて去ることを「死んだ」と形容するのが適当かどうかわからないのだが、俺の中に惜しいとか悲しいとかを超えた大きな寂寞があって、暫定的に悼むという表現を使うことにします。

2020-12-20

Discordトラブル観測した話

とある対人型のネットゲームを3年ぐらい遊んでいたのだが、途中で日本サーバーが新設されて日本人が増えたので

Discordを使って他の日本人と一緒にゲームをやってみたいと思った。そしていろんなコミュニティに参加した話

ゲームの内容は5人で1チームの、赤チームと青チームに分かれて戦うチームワークが重視されるゲームMOBA系で分かる人は分かる

FPSと同じぐらい戦況を細かく把握する必要があるジャンルで、ライトに遊ぶ人と同じぐらいガチ勢が多いゲーム



・CASE1 『男性 VS 女性

募集をかけたらやってきた男性3人と女性1人。自分を含めて全員で5人だったのだが意気投合したので、またやりましょうと言って解散をした

そうしたら後日ケンカになったらしいお話

ケンカ内容は「女が悪い」VS「男が一方的悪口を言ってきた」という、すごいどうでもいい内容だったのだが

男側の意見は「女は前から甘ったれてて嫌だった」と言っていた。自分はそう見えなかったが、他の男性からすると甘ったれて見えてたらしい

女側の意見は「そういうつもりはなかった。これが自分の実力」と言っていた。まあ当然の言い分である

自分はちょうどログインしていない日で、男3女1の計4人で遊んだらしいので実際どうだったのかは知らない

女性の味方になれば、自分は唯一の味方だしもっと仲良くなれたかもしれない

男性の味方になれば、男同士でもっと楽しく遊べたかもしれない

結論としては、そのサーバー管理者を務めてた自分は、サーバーを爆破して事なきを得た

もちろん全員をブロック設定にしてゲーム内のフレンドも切った。要するにどっちの味方をするのも面倒だったのだ

率直な意見で言えば、上手い下手で暴言を吐くのはおかしいと思うから女性側を擁護たかった

しかしそうすると男性陣は文句が出るだろうし、仲裁に入りたくないと思う程度にはコミュ障なので、第三の選択肢を選んだ





・CASE2 『お気に入りしか遊ばない古参 VS 募集を見てやってきた新参たち』

自分コミュニティを作ると管理運営が面倒だなと思ったので、他所コミュニティ(40人規模)に入ってみたのだが

新参者が募集をかけると反応が鈍いのだが、古参募集をかけるとすぐに参加してくれるというサーバーだった

この時点でいろいろと察したが新しく探すのも面倒だったので普通に遊んでたら事件は起きた

とある日、サーバー管理者から全体に向けてメッセージがあった。「女性暴言を吐いた人間が居たのでBAN(サーバーから追放)をした」という内容だった

前述の通り40人規模のサーバーなので誰がBANされたのか分からなかったし、まあいいやと思ってたら、一緒に何度か遊んだから自分宛にメッセージが飛んできた。「今お話しできませんか?」

話を要約すると「いつの間にかBANされていた。何か聞いてないか?」ということだった


包み隠さずに事実を伝えたら以下のように反応が返ってきた

「たしか女性に向かって窘めるようなことは言った。しかしそれでBANされるのはおかしい。暴言を吐いたつもりはない

女性側が明らかに話を盛っている。その話を信用しないでほしい」

と、言われたが自分そもそも無関係なので「そうですか」としか返せなかった。どっちが正しいのかは判断つかなかったが

女性サーバー管理者お気に入りの1人だったので、まあ女性側の言葉が信用されるだろうなとは思った

この事件をキッカケに古参新参の溝は決定的なものとなって、古参古参で固まり新参新参で固まって遊ぶようになった

ここも潮時だなと考えていた時に新参同士で新しいコミュニティを発足しないかという誘いを受けたのがCASE3



・CASE3 『他人 VS 自分

何の間違いか、懲りずにまたコミュニティを作ったお話。今回は自分当事者なので、かなり主観が混じる

CASE2の新参者たちでコミュニティを作ろうという話になったのだが、創設メンバーはA、B、C、D、自分だった

しかしDの性格があまりきじゃない自分としては、そこまで乗り気じゃなかったが嫌なら抜ければいいやと思ってコミュニティを作った

コミュニティを作るからにはCASE2のような古参新参で溝を作るようなコミュニティにはしたくない。誰でも気軽に遊べる場所を作ろうというコンセプトで始動したのだが

ハッキリ言ってそこまでやる気があったのはAと自分だけだった。この時点で既にズレを感じてたが、自分我慢すればいい話なので我慢した。土台作りも自分が9割を引き受けた

土台を作り始めた時点で、一応言い出しっぺのAだけには「Dのことあんまりきじゃないから抜けたら察してね」と言っておいた

自分のせいでコミュニティ空気が悪くなるのは後味が悪いからだ

案の定、土台を作って募集をかけて、新しい人たちがコミュニティにやってきた辺りで我慢限界だった

Dの性格は分かりやすく言えば、実力史上主義でそれをネタにイジってくるし他人に指示を出すタイプだった

自分はどちらかといえば自分の好きにやりたい人間で、チームプレイ大事ゲームとはいえ自分判断して自分で考えたい人間だった

とはいえ自分我慢すればいい話なので、これも我慢した。というかこれだけならまだ我慢できた


決定的な一打は、とある日のことだった

ゲームの途中でAから「助けに来て欲しい」とヘルプを出されていたが、他のメンバーフォローで手一杯だったので

おちゃらけた感じで「そっちは頑張ってくれ」とやんわり断った。Aは奮闘したようだが、多勢に無勢で負けてしまったらしい

助けに行かなかったことについてイジられたが、良い感じに攻防を繰り広げてるタイミングだったので自分はクソマジメに

「あの状態でAを助けに行っても共倒れするから、それなら他所フォローして他を攻めた方がいいと思ったからそうやって動いた」とマジレスしてしまった

そうしたら自分の機嫌を損ねたと思ってしまったAは、勝敗が決まった瞬間にすぐログアウトしてしまった

後日、そのことについて謝ろうとしたのだが、Aは「いいよいいよ、だって機嫌が悪かったんでしょ。大丈夫だって」と取り付く島もなく

それ以降は自分が何を言ってもまともに取り合ってくれることはなかった。この時点で、このコミュニティで遊ぶ気力が完全に無くなった

暫定的にまとめ役と雑用係とリーダー兼任していたが、とりあえずAに全てを押し付け自分コミュニティから縁を切った


その後、偶然にもBと遭遇した自分は、自分が抜けた後のコミュニティはどうなってるのか尋ねてみたところ

自分が縁を切った後にどうやら崩壊してしまったらしい。何が原因なのかは知らないが、自分が原因ではないかと考えて少し罪悪感を覚えた。おわり

2020-11-22

大上段の原理原則現場では使えない!と思うかもしれないが

大上段の原理原則を忘れたら、それはもうリベラルじゃないんじゃないかなとも思う。

今ある何かのやり方が大上段の原理原則で見て、うーんあんまり良くないねってんなら、それはいつか発展的に解消されるべき暫定的対応しかないんだ。

現場としては、君たちの今のやり方は完璧じゃないねって言われてるも同然だから気に食わないだろうし

日々を乗り越えるためには暫定的対応をこれでいいんだ、そして明日は昨日はこれで乗り切れたからこのままでいいんだと思考停止したほうが苦は少なくはあるんだけれども。

そこに固執し、原理原則を忘れ、ここまでこれでやれてきたんだからと変化を厭うと、頑迷保守の完成って寸法よ、おお怖い怖い。

2020-11-09

anond:20201109002537

着地点だとは一度も表現されてない。本人にも向上心はあるし、リナちゃんボードが最終的な理想形だとは言われていない。

ただ、苦手があってもいい、かすみんが言ってたように「ダメなところも武器に変えるのが一人前のアイドル」を、事前に作ってたキャラクターをなぞった見た目にすることで見事その通り強みに変えて、暫定的ではあるがパフォーマンス昇華したのが6話の演出

ラブライブシリーズはずっと、拙くても良い、動き出そう的ないわゆる寛容がひとつテーマになっていて、今回もそれに沿うものだった。

一般的感覚に引きずられると、やはりアイドルとして一人だけ顔を隠しているというのは異質に映るかもしれないが、あのボードは隠すためではなく見せるための一種ソリューション、ということが一話通して伝わったと思うので、そこまでネガティブに捉えるべきものでもないと分かるはず。

それでも(他アイドルと並んで立つ場を想像すれば)一人だけともすれば浮いて見えることには変わらないが、それも許容される、優しい世界がそこにあることは、俺は感動的に捉えるべきだと思うね。

2020-10-26

anond:20201026085408

実写映画とか興味ない俺だが、今期の「神様になった日」を最新話まで見た感想もそれと同じだな。

声優演技力と顔芸に頼るばかりで、特に見どころが見当たらない。まあこれは完結していないので暫定的感想にすぎないが。

2020-10-14

オタケド=オタクだったもの

オタクはもう現在進行系でない。オタク過去形のような言葉必要だろう。暫定的にオタケドとしよう。

2020-10-04

オタク時代遅れ

オタクが正しいとか間違ってるとか、正義とか悪とか、有益とか有害とか、全部的外れ

オタク時代遅れなんだ。

近頃ではオタク話題になるのは炎上するときばかり。

それも所謂ラッキースケベ」に代表される時代遅れ感性が発端となることがとても多い。

仮に、いいニュースと悪いニュースで半々であれば「活気がある」と表現できただろう。

最近オタク関連でいいニュースを耳にしたことは?

世間も「こいつらいつも炎上してるな」と思っているのではないか

度重なる炎上ネット論客祭り好きな人喧嘩屋、活動家を引き寄せるという負のスパイラルだ。

かつてはオタクという言葉さながらゴールドラッシュのように未開拓フロンティアだったから人々は熱中してきたんだ。

今じゃあ夢見る若者ツルハシを売りつけるような山師跋扈する現状だ。

一目置かれることを夢見るワナビ声優志望、漫画家志望自称ゲームクリエイターアニメーター地下アイドルコスプレイヤー

オタク界隈は、どこもそんな調子だ。

オタクのろくでもない実態世間に知れ渡ってしまったのだ。

落ちて割れた卵のように、もう元には戻らない。

もはやオタク活動とやらに価値を見出すような時代じゃないんだ。

特に令和に入って以降、オタク時代遅れ感は急速に加速した。

イキリオタクキモオタなどの古い言葉は今となっては現状を表してはいない。

新たにオタク時代遅れ感を一目瞭然に知らしめるための言葉必要だ。

時代遅れオタク、老化したオタク村社会化するオタク風習に従うオタク盲目的なオタク、腐ったオタク、錆びたオタク情熱を失ったオタク昭和オタク平成オタク絶滅寸前のオタク

暫定的にナマクラオタク(※ナマクラ=鈍ら)としよう。

いやオタクとつける必要もないな。

やつらは、ナマクラ

まりはナマクラであるということなんだ。

わたしからは以上だ。

2020-09-29

ネギトロ」は「ねぎ取る」に由来するのか?

anond:20200929031443

RRD 皮や骨についた身は物理的に刺身に出来ず、貝殻や匙で剥ぎ取ったものがすきみ。剥ぎ取ることを古語で「ねぎ取る」と言ったところからネギトロという。

これは巷間まことしやかに囁かれる雑学だが本当なのだろうか。

ネギトロ - Wikipedia

ネギトロ発祥東京浅草の金太楼鮨とされる。

ところが、その肝心の金太楼鮨では「ねぎ取る」説が採用されていない。

偶然にできた寿司ネタ「ネギトロ」その由来の秘密(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社

ねぎとろ発祥の店と言われているのが、東京浅草に店を構える大正13年創業の金太楼鮨。昭和39年、当時の会長だった間根山貞雄氏が考案したという。その開発の経緯はこうだ。

同店ではまぐろ毎日大量に仕入れていたが、筋の部分は食感が悪く、刺身寿司に使えず、余っていた。叩いてペースト状にして食べれば、脂がのってトロトロで美味いが、今度は歯応えが皆無。

そこで仕方なく、巻きに使おうとしたところ、昼食用に茹でていたそばうどんに使うネギワサビなどの薬味を筋の部分にぶちまけてしまう。やむを得ず、ご飯にのせて醤油をかけて食したところ、これが美味い。そこで、大当たり間違いなしと、店で出すことに決めたという。

思いがけず生まれた新しい寿司ネタ。その命名について、間根山氏はこう語っている。

浅草には『麦とろ』という名前とろろ飯を売る店が戦前からあり、専門店としては珍しいので土地では一応知られていた。よし、これだと、麦とろ→ねぎとろと語呂を合わせて決定した」

というわけで、この説明によれば「葱」+「(麦)とろ」である

例の「チコちゃんに叱られる!」でもこの説が採用されたらしい。

ただし、この説明が本当に正しいかは分からない。

牽強付会な印象も無いではないし、「銀ブラ銀座ブラジルコーヒー」のように店が積極的デマを流している可能性もある。

この場合は、昭和39年1964年)以前に「ねぎとろ」という用例があれば、金太楼鮨の説明は疑わしいということになるはずだ。

が、そう都合よく見つかるはずもない。誰か探してくれ。

別の方向から考えてみよう。

RRD氏は「剥ぎ取ることを古語で『ねぎ取る』と言った」と書いている。

しか古語辞典にはその用法は載っていない。

https://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%AD%E3%81%90

ね・ぐ 【労ぐ】

ねぎらう。いたわる。

ね・ぐ 【祈ぐ】

祈る。祈願する。

「ねぐ」は、神社の「禰宜ねぎ)」や、「労う(ねぎらう)」「願う(ねがう)」といった言葉語源である

ヤマトタケル伝説で、

景行天皇が、息子の大碓命が会食に出てこないことを懸念し、

その弟の小碓命(=ヤマトタケル)に「ねぎ教へ覚せ」と命じた、

という話がある。

この「ねぎ教へ覚せ」の「ねぎ」は、まさに「ねぎらう・いたわる」で、

「(会食に出るよう)優しく教え諭せ」といった意味になる。

ところがヤマトタケルはこの命令を取り違え、兄の手足を引きちぎって殺してしまった。

このときヤマトタケルがどう取り違えたかからない。

「根切る」や「ねじ切る」といった説があるようだが、

さすがに「剥ぎ取る」は拡大解釈ではないかという気がする。

というわけで「剥ぎ取ることを古語で『ねぎ取る』と言った」という説はかなり怪しい。

しか古語ではなくとも「ねぎ取る」という言葉があった可能性はある。

別の記事では「ねぎ取るは建築用語だ」とする説が紹介されている。

元の語源建築用語で、地下構造物を作る時、地面より下の土を掘ることを「根切り」と呼んでおり、それが寿司業界にも広まりネギトロ」が誕生

建築用語としての「根切り」は確かにある。

根切り - Wikipedia

そもそも「根切り葉切り」という言葉もあるように、

「根切り」には「根こそぎ」という意味があり、

から肉をこそぎ落とすようなイメージは分からないでもない。

しかし、それが「ねぎ取る」に変化するだろうか?

「根切り取る」ならまだありそうだが。

ねぎ取る」で検索しても「ネギトロ」以外の文脈ではほとんど引っかからない。

寿司屋の隠語なので表には出なかったのだろうか?

こちらは「俺は寿司屋をやって数十年の者だが『ねぎ取る』という言葉は確かにあるぜ」という人が出てきてくれれば確かめられるはずだ。

というわけで、1964年以前の「ねぎとろ」用例や、

古くから寿司屋で「ねぎ取る」を使っていたという人が出てこないかぎり、

暫定的に「葱」+「(麦)とろ」説を採用したい。

何をして生きるのが一番楽しいと思う?

これには人それぞれの答えがあるだろう。貴様の答えはなんだ?ただちに答えを出せるか?

そうだな、俺様暫定的にだが、オンラインゲームに浸って生きるのが一番楽しいだろうな。

ただしそれには、旧き良きオンラインゲームで良いコミュニティに恵まれて、という但し書きがつく。

おそらく現代オンラインゲームに俺の席はない。

ソロでは満ち足りることがないから、増田にいるわけだ。さてどうするか。

2020-09-05

anond:20200904235343

ダメじゃないかもしれないこともないであろうケースが存在することもない可能性が僅かないし微妙存在する蓋然性が高いと言うべきかむしろ微粒子レベル存在することは確定的に明らかくらいのレベル感で推移しつつあり暫定的にこれは見切り発車で「確からしい」と結論付けてもよかろうということにしておこうと思う

2020-09-03

石破さんだけはやめてほしいなあ

約1年間の暫定的政権なのは皆分かっているけど、来年オリンピック開会式で新首相が全世界に対して挨拶するわけだよね。

その新首相の顔がチーズ牛丼なのはちょっと・・・

いや、チー牛の期待の星としての石破さんなのはいいけど、オリンピックが終わってからにして欲しい。

2020-08-30

anond:20200830184337

からないなりに自分でも考えて暫定的な答えを出してみることに価値があるとは思わない?

まず自分はどう認識しているのか。

そういう魂の叫びアウトプットすることで自分認識のクセを残酷なまでに自覚する効果があると思うわけだよ。

そのプロセスを横着して省略し、他人に委ねるということは、自分認識を明らかにすることよりも恐ろしい結果につながる可能性がなきにしもあらず。

そういう危惧を込めているわけだよ。

お分かりになりましたか

2020-08-18

思い出を共有したことがない人生だった(消しました)

ここまでのトラバ

🔥🐉💩

              

あっそ

              

遺書』でデビューでもすんのかよ?

                

うんちがつきましたね。あまりお気持ちは書いてなかったけど、長かったからでしょうか…。

         

 あっそ、とは攻撃力高いです。

何を言われたら人が傷つくかよくわかってる。

読まずに長さもしくはタイトルにあっそなのか…もしかして読んであっそならば、あっそしか感想のないものを読んでしまって…わざわざあっそと書きたくなるほどに…。

              

デビューでもするのか、と、こんな文章で決してデビューなど出来はしないのを承知で書くのは煽るのが好きだからでしょうか…。遺書は当たらずとも遠からず。人生終盤に入りかけ、色々縮小しているので…自分用の暫定的遺書かもしれない。

2020-07-31

コロッケには何をつけるべきなのか?

あるいは何もつけないべきなのか?

そしてどのタイミングで食べるべきなのか?

あるいは食べるべきではないのか?

俺は謎を抱えたまま――とりあえず3時のおやつ白だしを垂らしてチンしたコロッケを食べる――これが暫定的ベストコロッケイクスピアリアンスだと思っている。

2020-07-11

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/rita0222/status/1281386228118466560

初期はWebアプリケーションブラウザは不可分だったかHTMLの出力=ブラウザへのレンダリングと考えて差し支えなかったのだろう

その後ステップが分かれてHTMLの出力とブラウザレンダリング間には直接的な関係性が無くなった(というよりはクローラのような各種サービススクレイピングのような二次的なデータの利用方法が生まれた)が, 語が再定義されることはなかったため、Server Side Renderingと(In browserの)レンダリング暫定的区別をつけられて今に至る

のかな?

個人想像です

2020-06-29

エガオノダイカを見終わったので微弱に擁護する

増田で糞アニメとして名高いので一体どんなもんかなと思って視聴終了。

概要

このアニメを簡潔に述べると、まず政治・経済的な前提なしで帝国とソレイ王国の開戦状態からまります。片方の国ソレイユの姫様ユウキ最初戦争状態にあるとは知らされていません。しか彼女は幼馴染の死から真実を知らされ、なんとか両国人間が死なないように軍を指揮しようとします。その作戦手法とは主に両国兵士たちが最小限の犠牲で済むというものでした。いろいろ省略して最終的には両軍の兵器エネルギー源を止める方法が見つかり、両軍の兵器沈黙して終了、仕方ないか両国の国交が暫定的回復するという話です。

背景

で、そこそこ背景があります。まずソレイユ国。これは新型兵器クラルス(作中であまり触れられないが、動力源。動いてるロボの名称別にある)を擁していて、この動力源はもともとベル公国仲介して帝国とソレイユが共同開発していたものでした。そして12年前にテロ事件が起こるのですが、ソレイユの幹部が「帝国のせいにしちまって新兵器動力源はうちに牽引しようぜ」、と画策します。このやり口が帝国逆鱗に触れて戦争状態となります

感想

まあ政治的背景を真面目に考えりゃソレイユが資源独占して相手帝国主義だったのは、なんかかみ合わせ悪かったねとしか思えまえん。というよりソレイユが資源を独占しようとしたという背景が姫側近のレイから伏線で話されるのですけど、帝国からしたら王国資源独占した挙げ句攻め込んだら全部破棄にされた話でしかなく、そういう側面から考えるとちょっと身も蓋もない感じがしました。ソレイユって国家としては悪じゃんと。背景には明らかに利益綱引きがあったと思うんですけど、冷戦構造みたいなものは全く無い描かれ方をしている。だけど途中で第二次世界大戦モデルにしたような描写は出てくるので、多分作品としてやりたいことが違うんでしょう。あと、共同開発していた新動力へのテロリズム一方的に強大な敵国のせいだ、としてしまえる外交手腕って何なんでしょうか。素人目に日本アメリカモデルにして考えても、まずありえない行動です。

心理ドラマ

ただこれ、いわゆる戦略戦術政治の面から見るもんではなく、全体の逼迫した状況下で個人の思いが殺されてゆく話だと思うわけです。かつてのアニメでいえばヤマトガンダム銀英伝のような敵の事情もはっきりわかった上でどっちも死んでほしくない、という感情を想起させてゆく作りではあります(必ずそうなるとはいってませんけど)。ヤマト場合好敵手、ガンダム銀英伝場合主義思想の違いで殺し合うわけですが、エガオノダイカにはなぜ殺し合うかというテーマ希薄です。実際に武人生き様のために死ぬ、という描写は控えめですし、そういった時代錯誤的な意志の強さはあまり重視されません。それはテーマが "生きる" ことに集約されているからです。

テーマ

ステラは常に生き方を探します。ユウキ戦時でも生かすことを見出しゲイル孤児を引き取りながらメンバーを活かすことを考えて行動します。イザナの子戦争の途中で父の死と引き換えに生まれてきます。このように戦争状態という皆が嫌々参加している状態からキャラクターたちは生きることを見出します。このため前項における全体的な利益のために死ぬ武人、という自己犠牲的な生き方は重視されていません。そんな意味ユウキというキャラクターは最も自己犠牲であるにも関わらず、最後まで両軍を生かすために我を通した、という意味でコンセプトは一貫していました(戦争中にあん指揮官いたら嫌ですけど)。反面帝国は死を利用してプロパガンダを行い、分隊隊長の死など気にもとめません。このへんの対比はやりたいことが出来てるとは思います

ただ、視聴者的に言えばハロルドゲイルという二大キャラがなぜ衝突しなかったのか、と思うことしきりだったでしょう、参謀的なイザナがモブに撃ち殺される、というあっけなさもよくありません。

タイトルのエガオノダイカは自明で、沢山の笑顔犠牲になって平和が訪れた、あるいはたくさんの犠牲により笑顔がもたらされた、という意味です。

科学の扱い

戦争をやめる=科学否定する、という流れになりがちなのは、多分脚本家アレルギーなのではなく、おそらくそう見せたほうが演出として開放的からでしょう。実際にそうなってしまえば作中でステラ疑問視したように文明自体が後退してゆきますし。

最後

独断偏見で選ぶ2010年代クソアニメ10作』

というエントリにあったような読み方は流石にまずいかなと。一応コンセプトと設定とキャラクターの持つテーマはしっかりつくっていってるのでそこは読んだ上でケチつけたほうがいいかなと思いました。

あと、我ながら暇人かなと思います

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん