「ワーホリ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ワーホリとは

2020-05-06

海外移住 つわものどもが夢の跡

知り合いにAという、アメリカ人と付き合っている人間がいる

学生時代、俺とAはどちらもアメリカで働くという夢を一緒に追う友人だった

しかしAがアメリカ人と付き合ってからというものの、彼女はいわゆる出羽守というやつに変貌してしまった

口を開けば「アメリカでは〜」「日本のここがダメなのよね」みたいな

彼女就職活動をしなかった 曰く、労働環境が最悪な日本で働くのはCrazyだという

その代わり数年ワーキングホリデー欧米圏で働き、ある程度環境が整ったら結婚して米国移住

コスパの良い人生設計を立てていた

正直、うらやましかった

俺はSNSに流れてくるA(とアメリカ人彼氏)のアメリカでの写真を尻目に、いそいそと就活卒論に励んでいた

あれから1年 コロナがやってきた。

時期が悪かった ワーホリに出発するはずの今、コロナはやってきた

もちろんワーホリは中止 Aは新卒無職になってしまった

もっと悪いことに、彼氏も現地で就職できそうにないという

今後どうなるかは知らない

だが、少なくとも社会からはこういった努力をしなかった夢追い人を受け入れる余裕はしばらくなくなるだろう

海外移住 つわものどもが夢の跡

2020-04-01

コロナだしもう新卒制度やめろよ

おそらくここ数年くらいはコロナ不況氷河期来るんだろうけど

去年までの売り手市場と落差がありすぎて

から見ててもしんどい

 

実は自分第一氷河期世代なんだけど

周り見回すと徐々にひどくなっていったって感じで

去年は売り手市場で楽勝だったのに…みたいなことはなかった

ほんと去年までの新卒見てると超楽勝で就活してて

まれた年が違うだけでこんな不公平ねーよと内心思ってた

これがたった1年の差で来るんだからたまったもんじゃなさそうだ

 

まあおそらく見捨てられてるロスジェネと違って

コロナ氷河期にはそれなりの保証はされるだろう

でもたぶん去年までに新卒になれたやつほどいい人生歩めるとは思わない

企業新卒採用して育てた人材けがかわいくて

中途採用第二新卒他所の子扱いだ

 

そういうこと考えるともうほんと新卒制度やめてほしい

まれた歳で人生決まるとかおかし

コロナなら数年くらい通信大学リモート資格取ったっていいし

二十代のうちにワーホリ行ったりバイトして金貯めてから奨学金借りずに大学行ったっていいじゃないか

ほんとうなら六十でも八十でもいつだっていいってことにしたい

人生多様性が欲しいよ

2020-03-23

理想生活

ジムに行って運動を定期的にする

お金をたくさん稼ぐ

仕事ばかりに集中して自分本来やりたいことを後回しにしない

予算費用が低い案件は断る

成果物の成果をあげていく

いつか2dkの家に住む。(片方はcill部屋もう片方は作業部屋)

英語勉強

貯金

my猫とmyトカゲのグッズつくる。クッション、マウスパットカレンダー

デザイン勉強作成する。グラフィックと絵をやる(一番大事

ワーホリの準備を進める。

 費用、期間、my猫とmyトカゲ飼育をいない間誰に頼むか。

-------

毎日英語勉強を進める

たまに海外友達電話する

アウトプットを続ける

2020-03-04

ロンドンアジア人ってだけで朝の9時に繁華街ボコられるとかやばすぎる

はてブ民はこのたびの欧州におけるアジア人差別について「quick_past これが酷いと思えるなら、まず日本国内ヘイトをなんとかしようよ。まじで。」「differential あと半歩前に進めば、日本人がやってる差別も同様に他国他国の人々の尊厳を傷つけていると気付くはずなのだが」「bogus-simotukare 日本も「中国人入国させるな」とか「差別言動が横行してる」上にマスコミがろくに非難もしないので「良く言うよ、これだからマスゴミは」としか思わない」とか言ってたけど、さすがに繁華街中国人ってだけで暴行してないからね。はてブ民やばすぎる

2020-02-19

anond:20200218191355

ノルウェーに住んでるけど、まあ概ね合ってるよ。

他の人が書いてるように日照時間短いのはそうだけど、基本15時半頃退社がデフォだし意外と気にならない。

飯も日本人の口に合うのが多い(合わないのも多いけど)。

もしワーホリ来るのなら歓迎するよ。TOEIC600前後英語力あれば問題なく生活できるし英語力も上がるよ。

コロナとも無縁だし俺は今日本帰りたくない。

2019-12-05

エンジニア職に就いたあと辞めたポエム

補足→ https://anond.hatelabo.jp/20191205212350


これは退職アドベントカレンダー2019 (https://adventar.org/calendars/4051) 5日目の記事です。最初自分ブログに書くつもりでしたが、書いてるうちにどこまで筆が滑っているのかわからなくなったので増田に投げることしました。そしたら余計にタガが外れたのはご愛嬌

What's this

よく見かける「未経験からエンジニアへ!」ストーリーの、あまりなさそうなルートです。よくあるルートのほうはなぜかTwitterで報告して「○○系エンジニア」的な命名をしてから入社その後の動向が闇に葬られているのをかなりの確度で見かけますが、まあ、なんか、いろいろあるんでしょう。逆にそういう成功(?)体験生存バイアスを強化する情報ばかりあふれていると情報として健全でないように感じます

ということで、今年あった自分体験談を残すことにします。

といいつつ後日しれっと消えてたらInternetArchivesか魚拓で会いましょう。

この話はここから先はフィクションです。剣も魔法労基法も出てこないファンタジーです。

who are you

地方に潜むフリーターです。好きなvirtual beingsはロボ子さんと東雲めぐさんれいきらさんです。

これまでは自分のためのプログラムを書き散らすだけで、ITとは無関係バイトをしてきました。玉掛フォークリフトなら任せろーバリバリ

入社の経緯

会社にもぐりこんだいきさつはやや特殊なのでぼやかします。とあるきっかけで知り合った人から誘われました。リファラルです。なお、とあるきっかけはなにかと炎上しがちないわゆるプログラミングスクールなどではないことを防火剤がわりに書いておきます。そんなもんに使う金など無い。

その人のことはあんまりよく知らなかったのですが、CTOとして手伝っている会社システム部門で人手を探しているとのことでした。会社ホームページにはリクルートページなど無く、何をやっているかいまいち要領が掴めなかったのですが、ざっくりと自社製のWebアプリ開発をやる感じらしく、内容も聞いた限りでは(自分スキルと照らし合わせて)そんなにどえらいわけでもない印象でした。ちょうど金もないし無職だし、少し経験でも積んでみるかという気になったので、この際ホームページDreamWeaverサンプルを流用したまんまといった細かいところは観なかったことにしました。

面接にいくと社長から「いつからこれるの?」と言われたので「あっこれは」となりましたが、金がなかったので是非もなくそのまま入社の運びとなりました。この頃はプログラム書いて金もらえるなんてサイコーとか思ってました。ちなみにgithubatcoderアカウントを書いた職務経歴書は一顧だにされませんでした。

やったこ

地方製造業システム部門を切り出して別会社にした形態の、創立数年ほどの会社です。自分のほかにもうひとり、社内情シスのようなことをしている方がいましたが、基本的にはサポートが専門な感じでした(ただし肩書自分と同じでしたが)。紹介してくれたCTOは週に一度のMTGに顔を出すだけということで、実質的に常駐している人間プログラムが分かるのは業界経験自分だけというチャレンジングな環境からスタートしました。なお入社して社内の平均年齢を大幅に下げることになりました。

レスポンシブ化

ちょうど入ったタイミング情シスの方が抱えている仕事があり、とくにやることもなかったので手伝いました。グループ会社サイトスマホ対応させるもので、事情はわかりませんがそれまで他社に制作委託していたものを自社で運用することにしたとのことです。みてみるとWordPress4でPHP5が動き、Bootstrap3を使ったオリジナルカスタムテーマ運用してきた様でした。もちろん仕様書ローカル環境もあるはずがないのですが、どうせ自分Webデザインなど知らんのでとりあえず直にheader.phpにviewportを書いてmain.cssメディアクエリを設定して、ザ・web制作初歩みたいなレスポンシブ対応しましたが、デザインについて当事者との意見のすり合わせの機会なんかの開発手順はなかったので良しとしました。

新規Webサービス

入社して2周間ほどのち、社長についてこいと言われた打ち合わせの後日、MTGで「昨日のアレの進捗はどんな感じなの?」と聞かれたこから、いつのまにか新規案件自分に一任されていることに気づきました。仕様は前日の打ち合わせがすべてだった模様です。要件定義技術選定・検証のような工程など決まってないので好みで揃えました。趣味と関心からExpress+Mongo+Reactのセットか、触ったことのあるDjango/Railsでざっくりやるか、どうせならDockerも使い時か、こんなとき相談できる同僚やメンターが欲しいなぁなどと考えていたら、CTOがそれまで作っていたやつをみるとPHP+ES5+MySQLだったのでなんだかんだでそうすることになりました。PHPを初めて触り、「これがペラ1のphpjscssもなにもかも書いていくといういにしえのスタイルか…!」と新鮮な感じでやってました。

既存システムの移行

Windows Server 2012で動いていたサービスLinuxに移行しました。これは自分が入る前から情シスの方が任されていたのですが、マニュアルに沿ってコマンドを打ちこんではどこかで転け、エラーは読まずにあきらめてCentOSインストールからやり直すということを繰り返していたのを見るに見かねて手伝いました。SSHPowerShellからマニュアルコマンドコピペして実行する方法を教えてあげると目を丸くされました。shellファイルを書いてあげると魔法をみるのような顔で驚かれました。自分が入ってなければどうなっていたんだろうか...

自分ツール作成

毎日出退時間規定EXCELフォーマットに記帳する必要があり、これが非常にめんどくさく無駄に思えたので、自動記述するpython/Goスクリプトを書きました。これは入社して2日目とかだった気がします。しかしここを自動化しても「印刷して人事に提出し、それをもとに人事の方がまたEXCELに書き込む」と知り虚無になったりしました。

FE取得

これはやったことというか思うところあってプライベートで取り組んだことです。自分想像していた開発現場との乖離を感じたので、こういうのはFE勉強すればわかるのかもしれないと思って1ヶ月くらいやって取りましたが、得られた知識会社に活かせそうなものは何一つありませんでした。

チーム開発などという概念存在せず、「1案件を1人で上流から実装運用保守サポートまですべてやる」という進め方でびっくりしました。手持ちの技術スタックでできる範囲ギリギリなんとかやった感じです。よく転職サイト上で見かける文言で「お任せします」がありますが、これとかも要するに「丸投げ」の換言なんでしょうか。わたし気になります

とりくめなかったこ

自分のように途中からジョインした人に対しての業務移行のシステムがないことから感じていましたが、案の定「誰かが抜けたあとの引き継ぎの機能」も整備されてないことに気づきました。もともとオンボーディングや研修概念などありません。えらいひとは「そのへんは現場で協力してうまくやって」と丸投げし、すべての作業を自宅でやっているCTOは社内のこうした事情については放任で、いちおう情シスの方がいつのまにかメンター代わりになっていたものの、不明点を尋ねても頓珍漢な返答が多くもどかしかったです。どのサーバでどんなサービスが動いているのかやSSH情報を聞き出すのに苦労しました。こうした不幸と無駄時間をなくすためにドキュメントを整備しようとしたのですが、頓挫しました。これから物理フォルダーと社内サーバ散逸した各種の情報混沌を深めていくのでしょう。gitも無いし。

サーバオンプレでした。自分クレカをもっていないためパブリッククラウドを試す機会がなく、ぜひとも触ってみたかったのですが、承認を得るための説明がうまくいかず、結局VBoxでやることになりました。唯一、それまで使われていたVBoxではなくVagrantを導入したのは少しだけ救いでした。どうせ自分しかいじらないのですが。

余談ですがオンプレ面白かったのはHDD増設のために初めてデータセンターなるものに入ったことです。インフラ/ネットワークはまったく分からんしなかなか個人で試せない領域だし縁がないかなと思っていたのですがやはりそこに見える物理層が存在するというのはテンションがあがりますね(断層みたいに言うな)

イキってカイゼンジャーニー情熱プログラマーを買って読んだりもしました。目につくように共同図書のつもりで「ご自由にどうぞ」を添えて自分ロッカーに置いておいたら「私物は持ち帰れ」と言われてしまったので持ち帰りました。

退職経緯

さてお待ちかねメインディッシュですね。

もともと技術コンテンツ会社ではなく、技術畑の人間がまったくいないことのインプレッションが次第に違和感として強く響いてきました。ITエンジニアとしてやっていくつもりの観点でみると、学習や成長の土壌は無いように思えました。協調関係や信頼がうまく築けず、自分のすべき道筋不明瞭のままやっていけるほどタフなYATTEIKI精神ではなかったのです。

これは地方の、それもIT気質のあるわけではない、ワンマン経営中小製造業ならばどこにでもあることかと思われますが、随所に感じるレガシーさに疲れてしまいました。一例を挙げると、毎朝30分に亘り行われる全社清掃(もちろん業務時間外)、社是の復唱、『感謝言葉をみんなで味わうポエム』の輪読、その感想大会、頻繁に行われる中身のない会議日報エクセルで書いてメールで送ったり、出退勤表を毎日エクセルに書いて印刷して事務方に持っていくなどのルーティンがけっこう苦痛でした。

社内のコミュニケーションツールLINEだったので使い勝手も悪く、会議chatworkslackを使いましょうと提案しても誰一人としてそれらの存在を知らず、「勝手にやってくれ」と言われてしまったり。LINE WARKすら知らんやんけ。説明しても「skypeじゃ駄目なの?」と言われたので諦めました。

えらい人の思いつきのたびに方向性が変わり、当人発言したらそれで全て完了した気になってしまったのか、会議終了後の10分後に「さっき言ったやつまだ出来てないの?」などと言われた時はギャグかと思いました。会議議事録も誰も見返さないので果たして意味があったのか疑問です。誰かひとりでもmarkdownが書けたり、少なくとも書く気があれば勉強会を開催してHackMDなどを推せたのですが。議事録機能していないエピソードとしてひとつ思い出しました。開発中に機能追加を下された際に、その挙動は完全にプラットフォームネイティブであり今の技術選定だと作り直しになり、結果納期に間に合わない(し、自分技術スタックからも遠く外れていたので学習コストも加算)と発言したらその場は収まったのですが、会議終了後に個人メールで「やはり機能マストだ」と伝えられました。当然それは議事録に反映されることなく、なんかしらんけどそういうことになっているという感じになりました。

初めてのエンジニア職でしたが、社内に開発をる人やマネージャー職は不在で、いわゆる開発現場での流れを学ぶことはできませんでした。少なくとも技術を知らないえらいひとが「俺がスケジュールを立てたからこれに沿ってやれ」と、”開発”と”広告作成しか書かれていない2週間の計画表をもってくるような現場システム開発として正しいのか、 と本能が警告を発していました。

もともと会社製造業から始まったため、えらい人たちとの見解齟齬があったのは体感としてあります。同じものづくりといえど設備マンパワー時間線形的に結果に結びつく工場業務と異なり、システムエンジニアリングはかける時間見積もりも容易でなく、かかった時間が必ずしも結果に結びつかないものである、と言う事実は受け入れられ難く、知識ドメインマインドセットが異なれば説明も困難です。しかしながらえらいひとは一様に「経営視点を」の号令で、経営誌を配り、その感想文の提出を義務付けるなど、現場視点を欠いた行動で現場(というか私)を疲弊してました。気づいたらSEO対策や別部署MTGのためのプロジェクター設定、全PCwindows updateに伴うドライバ更新の役も同一の職掌として役付けられそうになっていたり(一部は実際に情シスの人がやってた)、It’s not my workなシーンがみられるようになっていました。

そして、よくあることですが、理念実態乖離していたことです。世界をよりよくと言いつつ、目先の掛け算を考えてばかりのように思えました。グロースする中で発生しそうなあれこれをすっ飛ばし利益だけを皮算用するのはいいとして、データ量やトラフィックを指摘すると「そこは現場努力でしょう」となるので、世界を良くする前に精神を悪くしてしま人生で初めて心療内科にいったりもしました。一応グローバル展開を目指しているとしながらサーバからMailerDaemonが飛んできたら「ギャっ英語っ!」と言って読まず捨ててたり、急にサービスが止まった時には激怒して責任所在の追求を求められたため、草創期にえらい人の個人アドレスで取得してほったらかしにしていたドメインが失効したことが原因と伝えたら「あれはもう読んでいないアドレスだし仕方ない。こういうピンチときこそチャンスにしようぜ」という謎理論を出されたこともありました。

違和感が確かなものになったのは、外部に提出する資料で社内の数字が異なっているとを指摘すると「こういうのは見栄が大事なんだ」と暗に公文書偽造をほのめかされたことですが、これ以上は闇っぽいので書きません(たぶんどこもやってて罷り通ってる範囲だと思うけど)

総じて、心理的安全性の低さ、そこからくる身動きのとれなさ、ロールモデルの不在、前時代的な風潮、社内文化へのミスマッチと不理解、成長の実感が沸かない不安と不満、それらに伴う摂取アルコール量の異常な増大と過食、といった要因の積み重ねが、ネガティヴな形での退職へと駆り立てることになったのだと思います。まあ、よく知らんうちにリファラルしてるところからして「採用教育コストを考えてないのでは?」の念はあったのですが。中身がまったく不透明状態で飛び込んだらそうなるよなぁ、の好例かもしれません。誘われた時はわりと藁にも縋る思いだったのでしかたないね

これから

現在スキー場住み込みバイトしてます。無考えに退職すると年を越せないことに気づきました。

可処分所得可処分時間いずれも今の方が上なのはちょっとウケます賃金ふつうに生きていければいいので前職程度でも気にしなかった程度なんですが。いまは映画をみたり積ん読を消費したり、在職時は深いところまで触れなかったPHPをいじったり、生PHPしかやってないことに気づいたのでcakeやったり、あとはweb周辺も久しぶりにキャッチアップしたりしてます。nodeネイティブおじさんなのでFWはangularしか知らないんですよね。vue/nest面白そうな感じです。あと寮のwifi談話室限定で窒息しそうだったので、持ち込んでいたラズパイルータにして部屋まで飛ばしたら隣室の同僚から感謝されたりと活動は多岐に渡ります

先のことはなにも決まってませんが、ちゃんエンジニアリングしている組織で開発してみたいなという気持ちがありますレビュースクラムアジャイルなんてのはひとりだと不可能ですし。ですが、やはりそういった会社日本では都市部にばかり集中しているのでしょう。自分空気の悪いところには住めないし、案外また辺鄙なところでtechとは無関係のことをしているのかもしれません。ワーホリでも使って海外大麻栽培でも始めようかなぁ。

いかがでしたか

巷説に流布する「未経験からエンジニアへ」の言説のたぐいは、どちらかというと技術力よりもコミュ力が偏って高いタイプ生存しがちな雰囲気を感じます。たまにTLに流れてきたのを見かけますが、ああいった立ち回りは自分にはできないしやりたくないなぁと思ってきました。社会要請ならばそれまでですが。

自分は体系的な情報教育を受けていないどこにでもいる地方高卒で、下手の横好きで趣味プログラムを書いてきたし、続けてるってことはそれなりに好きなんだと思います。得意じゃないけど。んで、こんなのがITエンジニアをしたサンプルというのは見かけないかもなぁと思って投稿しました。光あるところに闇あり。

といいつつ、やっぱり好きなことの結果がおかねになるのはいいよなぁと思った次第です。プログラムを書くのは楽しいけどエンジニアリングは超絶むずい、が雑な総括ですが、今回のことを顛末次第にはする気はないので、どこかに拾ってもらえるよう精進するきもちになりました。

ぼくのポエムはこれでおしまい。じゃあね。

2019-07-31

anond:20190731154603

自分に期待しすぎ。根拠のない全能感か無限可能性みたいなもんを信じすぎ。

でも東大に通ってるなら諸々の手札は悪くない。極上の手札が配られていなければゲームを楽しめないなんてことはない。

自分の手札が何なのか、それを活かせることは何なのか。思い切ってキャンパスから離れてインターンなりワーホリなりして来たら気分転換にもなるし、向いてそうなことも見つかるんでは。

2019-07-10

ここではないどこか遠くに行きたい

人よりは恵まれ生活をしていると思うけれど、実際それは貰ってるお金が同世代より若干多いとか、残業があまり無いというだけで根本的に社畜であることは否定できない。会社に入って四年、仕事にも慣れてきて手の抜き方も覚えた。ただ、人生これでいいのかという思いが日増しに高まってきた。

愛嬌のある女性結婚し、可愛い息子もいる。借家ではあるけれど外車に乗れるくらいは稼いでいる。出張も多く自由時間も多い。このくらいのゆるさでこれくらい稼げる会社はあまり無いだろう。

けれど、学生時代の友人達を見ていると「これでよかったのか」という思いは強まるばかり。ある人は大道芸世界を周り、またある人はキーエンスバリバリ稼いで、またある人は今だに世界放浪している。数多くの選択肢を捨てて選んだのは安定した道だった。あそこで就職をせずにワーホリに行っていたとしたらとか、もっとハード仕事に就いていたらとか考える。

まだぼくは20代だけど、何もせず30代、やがて40代になることが怖すぎる。けれど所帯を持ってしまったのでもう挑戦はできない。先輩方は人生にどう折り合いをつけてきたんですか?

追記

映画旅行読書・食べ歩き・美術鑑賞・なにかテーマパークイベントに週末でかける

・部屋の模様替え・買い物・習い事コンサート観劇スポーツサークル活動、などはいかがでしょう。

新しいことに挑戦するのはいいですよね!

先日ギターを買いまして、一生懸命練習しています。昨日までできなかったことができるようになるのは久しぶりの体験幸せでした。

今後は家族で楽しめるような趣味に手を出すことも考えてみます

電車か、車でちょっと通出してみるのもいいかも?

はい家族とは出来る限りあちこちに行きたいと思ってます。せっかく足があるのでたまの週末には遠くへ行って、ちょっとした連休には泊りがけで行くような旅行もいいですよね!夏にはキャンプなんかに行ってみようかと!

2019-06-09

日本ってほんとに労働力が安いんだな、と

オーストラリアワーホリ、週四、一日7時間仕事内容は苺の収穫のみで日本円換算で月18万〜22万貰える。これで低い方。慣れてる人ならもっと貰える。同じ条件で日本短期バイト募集したら10万くらいじゃね。しかも他のこともやらされるでしょ。日本ってマジで労働力が安くてお買い得なんだなと思った。

2019-06-04

金持ちとか高スペックと上手く友達やってる自称底辺の人いたら教えて

元は割と同じ位置スタートだったイギリス人の友人が転職結構成功して外資の偉いポジションになった。子育て中で共働きなので、家に住み込みワーホリヨーロッパ人を雇って語学教育家事その他をやらせている。その妻も自己実現バッチリで夢だった職業に就いてる。

そんな人たちが、夫婦でなぜか私に好感を持ってくれていて、やたらメッセージイベントのお誘いが来る。

自分はといえば、大学卒業して就職スタートラインでつまづいて(自分のせい)、転職もつまづいて(自分のせい)、病んで引きこもって病欠3年くらいして(自分のせい)、低収入で病がちな配偶者結婚して子供も生まれたけど、その夫婦からメッセージが来るたびに正直鬱になる。

自分の家庭にはまったく不満はない。本当に愛してるし。

でも、家で皿洗ったり洗濯したり子供迎えに行ったりしてる時にふとその友だちからメッセージが来ると、ああ、皿とか洗わなくていい人なんだなあとか、この洗濯物たたまなくていい人なんだなあとか、子供は労せずバイリンガルになるんだなあとか、自分らにないものに恵まれていることに嫉妬してしまい、返信が滞る。そして返信してないこと自体に対して、「自分嫉妬から友人とのコンタクト拒否するような卑しい人間だ」と、更に鬱になる。

実家都内子供預け放題、記念日には夫婦デート、泊まる宿は5万から出張の延長でのイギリス帰省旅行普段都内タクシー会社持ち。金のかかるプリスクールインター子供は通い、教育環境バッチリ

からクタクタになって帰宅して、散らかった家を見て、ああ、住み込みヨーロッパ人がいたらこれ片付けてくれるのかな、って思うんだろうな、自分

まりにも嫉妬気持ちが強いから友だちを辞めて自分の心に平和を取り戻したいのに、友だちを辞めるにも自分が最低過ぎて理由が言えないし、無言で消えて今までの信頼を裏切るのも申し訳ない。そんなことで悩んでしまい余計苦しい。

2019-05-01

anond:20190425182402

あなたけが弱いわけじゃないですよ。

ワーホリボスだって、働き続ければ文句を言われないからそうしているのかも知れない。

取引だってあなたプレッシャーをかけるのは、他の誰かが怖いからかも知れない。

本当の本当にミスできない仕事なら、本番と同じ環境をもう一つ作り、専門家外注すれば解決します。その時間コストをかけず、3年目の子やらせるのなら、『ミスしない』の要件は、コストより優先度が低いのです。

それを、あなたプレッシャーをかけて、取引先さんは『仕事しているフリ』をしたのです。

大人たちの欺瞞に、弱さに、あなたはいつか気づくでしょう。

カッコいい企業戦士を演じながら、みんな後ろ手に、自分可愛さを隠しているのです。

今すぐ産業医面談を依頼しなさい。

自分で言いにくければ、ご両親から言ってもらいなさい。

日本IT産業は、周回遅れと言われて久しいですが、その犯人は、僕達とその上の世代です。あなたボス取引先、同僚のエンジニアさんもそのひとりです。

これは、ボス取引先さんのためでもあります

適切に人を配置しないと無理が来る事を考えてもらうきっかけにもなります

結果的プロジェクトはうまく行ったね」がハッピーエンドではないのです。長い目で見ると。

2019-04-25

長い話

今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。

私は小学校中学校、合計で五年間ぐらい不登校保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。

面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネット動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。

両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。

結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立チャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制

そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。

学校は楽しかった。

でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。

結局私は担任先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。

でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍しました。おめでとう。

大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思いますバイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。

次に私が応募したのは、カードゲームショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーン一部の人しかやってないし、MTGオンライン全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。

仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。

その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たち関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。

そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活しました。

弊社は、確か私の学校に来ていたうちの一つだったと思います

私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。

受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います

そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味お金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。

もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分アピールしたりすることが怖かったのかもしれない。

私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。

入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分マメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。

それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。

今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。

私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリック上司の下で仕事しました。

上司イエスマンから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分ワーホリからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会かにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間かいってるワーホリでした。いまでもそうです。

それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。

なんだか身体おかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。

から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。

私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。

プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。

ある日、一度、風呂場で痙攣のような現象を起こしました。

視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。

母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。

その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。

でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。

のしびれの正体も知りたかたからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸引き起こしたのでは」ということでした。

医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。

休憩スペースで面談しました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。

受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春から仕事の話をされて終わりました。

その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社休みました。

もう一度産業医面談の話をしました。

私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識プライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車ストレスなのか、わからなかったからです。

翌週、私のところにやってきたのは課長でした。

別に産業医面談拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」

課長は私が部署を移動することになってしまった場合人間リソースの低下を懸念していたのです。

「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。

しかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。

薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。

私は抗不安剤睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。

そうしたら、電車で倒れてしまいました。

咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。

母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社休みました。

体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。

それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。

私はわからないなりに、以前の経験知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクト上長は先日面談をした課長でした。

参画してから一週間ほどした日、私は唐突課長仕事の依頼を受けました。

曰く、新しく仕事必要ものを一から作るのだと。

この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。

どうやら課長のその認識根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。

どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対ミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。

私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります練習ができません。経験もありません。

しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテラン技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。

彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。

元請けからはことあるごとに「絶対ミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。

手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社中途半端撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。

けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。

上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。

ベテランはしきりに「ポテンシャルを見込んで」と言いました。

ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。

私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテラン上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。

産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。

新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。

このころからホーム電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。

転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。

今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対ミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまます解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。

少し、辛いな、と思いました。

別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。

部長課長主任ワーホリですが、きちんとしてはいると思います中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。

から、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。

それは悪いことだと思っていますだって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。

どうしてこうなったんでしょう。生まれときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。

薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。

優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。

仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブル解決できた時はとっても楽しいです。

ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います自分にとって、「絶対ミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。

会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。

お母さんのごはんもっと食べたいです。

お父さんともっとお酒を飲みたいです。

生きたいです。オタク楽しいし、ちゃん毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまます

私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。

なんで生きてるのか、わからないのです。

それを吐き出したかっただけなのです。

2019-04-15

母の命日だった

4年前のことを思い出しながらわたしは母のお墓参りにきていた。

お墓の場所は他の人に言うと珍しがられるがとある島にある。

そのため、お墓参りをするとなると船に乗らなければならないし、

リゾート地とはかけ離れた島であるため、店などひとつもない。

船は3時間に一本でているが、お墓参りはせいぜい20分もすればすんでしまう。

残りの2時間半どうしようかと思いながら島を散歩しながら海岸を目指していた。

そこに目を飛び込んだのはとある国とこの島がこのような関係性があるんですよ~っていう

石碑を見つけた。その国とは私が片思いしている人の出身国である

南アメリカ位置するため、日本のほぼ裏側といってよい。

それなのにこんな小さな島と関係性があるのか?

と思い、うれしくなってSNS投稿したら彼からコメントをもらった。

それだけで私の胸は満たされた。

彼とは私が某英語圏の国にワーホリに行っていた際に知り合った現地の人である

帰国してからも彼のことが忘れられないくらい好きだ。

なんだかんだ定期的に連絡くれるのでやりとりをしていると満たされてしまう。

私は何歳までこんなピュア片思い乙女をしているのだろうかと

母のことを思い出しながら彼を思うのである

2019-03-29

20代後半、仕事から離れて一息つきたい

仕事疲れた

休みはない、給料は低い(裁量労働制と言う名の定額働かせ放題)、ボーナスは出ない、仕事ラインが鳴り止まなくて24時間働けます状態

楽しいこともあるけど、それ以上に過酷労働環境

3年ほど続けてきたけど流石に限界かな、と思うことが増えた。

一時期やめようかな、と思ってた時に、これから売れるぞ、というプロジェクト担当になってしまい、なかなか辞めづらい状況に。

全然プライベートに割く時間がないし、旅行にも行けない。

彼女にも、いつになったら旅行行けるの?と愛想つかされてしまった。

転職するにしても、転職活動に割く時間が取れないしどうしたらいいんだろう。

いっそのこと仕事辞めてワーホリにでも行くか…?

それとも地元(ど田舎地方都市)に戻るか…

修士卒(文系)なので博士課程進んでアカデミア(修羅)の道を進むか…

2019-03-21

生活のために婚活してるタイプの女

無職、経歴はチグハグバイトとか派遣とかワーホリとかで食いつなぐ)、離婚歴あったりなかったり、子なしだったり子ありだったり、軽度の発達障害があったりなかったり、量産型女子大生みたいな容姿婚活女子の中ではまあまあ小綺麗にしてる方。

そういうタイプ女性が、結婚に夢見て、結婚人生逆転させたんねん生活を立て直したんねん専業主婦就職して子ども生んで人生やっていきたいねんとしている女。モーションかけられて、スルーするのに謎の罪悪感がある。飢えたホームレスを見捨てるような感覚に近い……ごめんな……

2019-03-11

NOと言えない日本人外国人搾取される

ワーホリに来てるんだが、まじでNOと言えない奴隷根性が染み付いてる日本人搾取する白人のいいカモやだわ。女はレイプまがいのセックス、男はパワハラ被害白人同僚に比べて仕事が多くサビ残強要低賃金。パねーわ。自己主張しないと死ぬ

2018-12-19

技能実習生の闇みたいなのは先進国ならどこにでもあるぞ

その温床がワーホリ

特に作業系に多い。最低賃金以下でも時給制ならラッキー。多くは歩合制で、一日重労働で働いてたった3000円とかザラ。さらにそっから寮と農場への送迎費、寮費などが引かれる。まだシーズンじゃないといって待機させたり週一回しか働かせなかったりして、送迎費とか家賃収入をメインに搾り取るところも少なくない。

アジア人向けの寿司屋などもブラックなとこ多いかな。都市であれ農場であれ、日本人含むアジア人文句を言わないがヨーロピアン文句をいうので、アジア人は貴重な奴隷として歓迎されている。

2018-12-13

オーストラリア駐在時の男女の違い

あくま自分が見たもの

女性は現地の白人アジア人ミックスいろんな人と仲良くなれて、ワンナイト恋人とかも人種多様

一方男は、なんかルールでもあんのかというくらいワーホリとか留学に来てる日本人女性しか懇意になれず、その日本人女とワンナイトすらできてなかった

留学で来てる男は現地に溶け込もうとするんだけどね。駐在はやっぱ日本で固めるぽ

女が逆に現地に溶け込んでエンジョイしてんのあれはいったい何

2018-11-16

ワーホリに行ったあの子

自分でも認める恋愛依存症彼女ワーホリ行って彼氏のいない環境大丈夫なのかと皆心配していたがワーホリ開始3日目で無事現地彼氏を作る。強い。恋愛依存症でもこうやって自分に足りないものガンガン補給できるなら病まないな。

2018-08-31

anond:20180831112534

25歳頃にワーホリオーストラリアに行きました。

それまでは技術職でしたが、

帰ってきてからはしばらくサービス業

その後は転職してまた技術職、

さら転職してサービス技術仕事

転職はいずれも30オーバーです。

まあ一人で暮らしていくには仕事なんてなんとでもなるかな、と...

別に出世したいわけじゃないですからね。

anond:20180831111925

ワーホリですか?何歳ごろ行きましたか

行く前と帰ってきてからの業種は変わりましたか

ワーホリに行くと、また社会人を一からスタートしなきゃならないような気がするんです

結婚はもう半ばあきらめてるのですが、仕事のことが心配です

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん