はてなキーワード: フライとは
そろそろ朝ごはんか。そーえーば、昨晩のアジフライはおいしかった。べつに干物にしなくてもフライでいいような。日持ちするかしないかってのがあるんだろな。干物の食べにくさは・・なんなんだろう。なんてことだ・・・なんてことだ・・・。そーえーば、ドワンゴがオンライン大学創設するらしい。カワンゴってひと、社長やめて理事長やってたんだ?はじめて声を耳にした。なんかかわいらしいというか甲高い人なんだね。カワウソさんって大学の先輩だ。いくつなんだろか。むかしむかし、”いくつになってもあまえんぼう”っていうギャグあったけど・・工学部ってことだけどやっぱり情報工学科なのか。ウィキペディアには”CADがどうのこうの…”ってあるので、建築系かな。数年前は数学の自主勉強会を組織して論文執筆までどうたらこうたらって主張してたので、情報工学科とか数理工か。むかしむかし数理工所属の先生が教えてに来てて、なんだかきびしかったよな。わからんちんのとっちめちん。
箱根にそばがないわけではないが、箱根固有のそばというものはない。東京のかけそばを箱根と称して売ってるだけのそば。コロッケがカレー味なのは意味不明。だが神奈川県民はそばに思い入れがないため問題になっていない。
家系ラーメンは北関東系のラーメンショップのパクリ。横浜発祥のサンマーメンや中華街のラーメンと明らかに系譜が違う。だが神奈川県民はラーメンに思い入れがないため問題になっていない。
江ノ島丼は伊豆などで採れたサザエの玉子とじを載せたどんぶり。神奈川県民はサザエに思い入れがないため問題になっていない。
鎌倉はバナメイエビなどのフライを玉子とじにしたものを載せたどんぶり。神奈川県民はエビに思い入れがないため問題になっていない。
横浜港のお土産と知られているありあけのハーバー。製造している工場は湘南地方にある(一時期は町田に工場があった)。神奈川県民は横浜に思い入れがないため問題になっていない。
野球観戦が趣味でたまに球場に行くんだけど、ぶっちゃけボールがどこに飛んでるのか全然わかんないからノリで盛り上がるしかないのが辛い。
特にフライの打球は、ボールがどこに飛んでるのかなんて全く見えない。
内野フライですら野手の動きを見て「あー、たぶんフライがあがったんだろうな」って感じでしかわからない。
だから、バッターがフライっぽい打球を打つと、周りの人が盛り上がっているのが不思議でしょーがないんだよね。みんなどこらへんに飛んでるのかわかってて、しかもそれがヒットやホームランになりそうだってわかるわけじゃん。
あんな小さいボールが結構な速度で飛んでるのに、それを見て判断できるのってどういう訓練をしたらそうなるんだろう。
打球を見るコツとかあるのかなー
「2019年に突如、米米CLUBに沼った二次元オタクが米米のライブに行くまでの話」というTwitterマンガがある。
内容は商業BLの服装の参考にするために米米CLUBを見ているうちにドはまりしたというよくある推し紹介ものなのだが、
問題はとあるライブ限定曲をご丁寧に歌詞まで書いて紹介しているところだ。
著作権に口うるさく言いたいのではない。その曲というのが傍目に見てもアカンとわかるぐらいホモを馬鹿にした曲なのだ。
正直、LGBTが注目されている今、いつ炎上してしまってもおかしくない。
米米CLUBも歴史あるグループだから、作曲しているうちに時代のセーフラインが移り変わることもある。
今の基準で考えるとアウトな曲を演じてしまったことは責めるに値しない。
そもそも本人たちもこの曲の危険性をわかっていたからこそ当時からライブ限定にしていたのだろう。
だからこそファンを名乗りながら彼らの配慮を踏みにじったスターダスト東雲にドン引きするし、許せない。
という愚痴。
特に画像生成についてアホみたいな曲解とかあからさまなミスリード記事が出回っているので、文化庁が実際に出している見解を置いておく
https://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=54604&media_type=
要約すると、
・AIモデルから生成されたデータについては通常の著作物と同様に著作権侵害の判断がなされる。
・まずこの著作権制度の基本を理解してもらえるよう周知に務める。
以上
以下私見
「通常の著作物と同様に著作権侵害の判断がなされる」というのが非常に重要。
というか、その点が異なるという謎解釈を繰り出してくるのが「AI通したって言えばパクり放題だぜヒャッハー!」する加害側じゃなくて「AI通せば何でもセーフにされてしまう!」と叫ぶ被害側というのは想定外だったんじゃないか?
そりゃあ、意味が分からないだろう。「権利者が本気で権利侵害だと思うなら、個別具体的に訴え出ればいい」という基準で著作権侵害の親告罪化を拒否した本邦の創作界隈が、突如として真逆のことを言い出しているのだから。
が、細かく見ていくと何が起きているかは分かる。
まず前提が食い違っていて、反AI絵師が「権利」と称していたのは法で定められた著作権者の権利やその運用実態ベースの話ではなく、お絵かき因習ムラ独自の基準を守らせることだ。
食い違いが問題になった点を具体的に挙げると、例えば「権利」の侵害になるかどうかについて、最終出力物そのものの類似性ではなく「トレス等の手抜きパクリ行為を行ったかどうか」を非常に重要視している。
言い方を変えると「最終出力物が類似していてもトレスしていないのでセーフ。類似性は同程度でも手抜きのトレスなのでアウト」という基準である。他にも「愛」「オマージュ」等のジャーゴンによって、おおむね絵がお上手な方ほどセーフ範囲が広がる運用がされている。
権利侵害を行う側がコピー機一発で終わらせようが苦労を重ねて超絶技巧を駆使しようが、権利を侵害しているという点で何一つ差がない。そんな当たり前のことを全く理解できなくなっている。
こんな訳の分からない基準がまかり通っていたせいで、真っ当に遵法意識のある業界がロビーしてがっちり法整備した上で繰り出される画像生成AIという新しい道具にぶつかってパニックとヒステリーに陥っている。
「トレスではないから」という実際の著作権とはかけ離れた独自のセーフラインを何故か法的な権利だと思い込んでいたせいで「類似はしているが事実としてトレスではない」i2i粘着なども対処不可能だと勝手に思い込んでしまっている。
「どんな手順と道具を使っていようが最終的に出してきたものの類似性だけで判断される」というごく当たり前の基準でいれば、i2i粘着など粛々と訴えれば済む話だったのだ。
不味い料理を不味いと口にするのは許されると思う。
だけどそれを「こんなの出してる味覚障害に金払う必要があるとか飲食業って本当簡単だよなぁ?」と言いながら会計して出ていったらカスハラになるかも知れない。
どうなんだろうまだ大丈夫かな?
たとえば店の前で「この店は超まずいですよ~~~」と大声で叫んだら流石に業務妨害も通るんじゃないのか?
いわゆる「ハラスメント」ってのは窃盗罪を万引きに言い換えるようなものなのでは?
つまり、「お前はそれがヤンチャで済むと思ってるのか?そろそろ弁護士呼んで蹴りつけるから震えて眠れ」を意味しているのでは?
じゃあ俺たちがやってきたクソゲー叩きってどうだったんだろう。
多分きっと間違いなく恐らく絶対メイビーで「この会社の作品がこれ以上世に出回らないように、売上を下げなければ」という使命感があったはずだ。
それはクソゲーを掴まされたことに対しての正義の怒りであり、言うなれば詐欺にあった被害者の訴えとして存在していたんだと思う。
つまりそこには業務妨害をしようという明確な意志があり、それが詐欺被害者という立場から来る特例によって許されると信じていたんだ。
食べログに騙されて不味い料理を食わされた客が、それを詐欺だと感じて相手が詐欺師ならこっちもある程度は強気に出てもいいだろうと暴言を吐いて回るのと同じ思考回路で。
でもそれは単に今まで訴えられてなかっただけで、いつ訴えられてもおかしくなかったこと、要するに「ハラスメント」だったんじゃねーのかと。
インターネットを通じて気軽にレビューが出来るようになった直後、気に食わないものをコテンパンに叩くのを当たり前だと人類が考えた時代があった。
それが一段落したあとに今度はそうやって自分の趣味嗜好で人様の作ったものをボロカスに言う事の是非が問われるようになった。
トドのつまり、どっちも流行りに乗っかって手当たり次第に言葉の暴力を合法的に振り回したかった人達による叩いていい認定ブームだった気はしないでもないのだが。
そして今、「クズに対してクズというのは正当なレビュー」という人類が長年守ってきた文化に対して「ハラスメント」という概念からの疑問符が投げかけられている。
ツイッターにおける誹謗中傷に対して弁護士が出てくることも増えた。
この時代の価値観で振り返ってみると、クソゲーだから何を言ってもいいし晒し上げにしてお祭り化してもいいという考えはかなりアウトに思える。
上辺で「愛がなければ出来ない」というくだらん言い訳をした所で、それは学校のイジメにおける「弄りを通してクラスに馴染んで欲しかった」と同じようなもんじゃないのかと。
もしもあと5年も続けていれば、いよいよどこかの会社がブチ切れて殴り込んできたんじゃないだろうか?
2000年頃のインターネットの価値観、世間一般の価値観においてはまだそういった行為は単なるお遊びで済んでいた。
でも今の時代の価値観で見るとそれはかなり危険な行為になっている。
昭和の時代は他人をぶん殴るというのは割りと一般的なことで、ちょっとした口論から派生して手が出るのはそんなに珍しいことではなかった。
それは「殴る」という行為が持つ意味、重さが今とは違ったからだ。
今の時代において「殴る」というのは最終手段としての面が強い。
論理を飛び越えて物理的に相手の言動を排除しようと試みることは、社会における通常の枠組みの外に位置しているのだ。
たとえばこれが原始時代であれば、暴力によって気に食わないものを排除するのは一般的だった。
気に食わないものを排除してから死人に口がないのを良いことに好き放題に自分に都合がいい理論を暴力を振るったあとに語るのは通常の営みであった。
それは実際に「決闘」というシステムとして社会に組み込まれていた。
だがいつしか決闘は禁止され、現代においても決闘を挑んだ時点で6か月以上2年以下の懲役が課せられるように法律で決まっている。
暴力を通して自分の意見を通すことは、原始社会においては許されていたが、現代社会においては禁じ手なのだ。
同じように現代においては「相手に罵声を浴びせる」ということにより相手を心理的に追い詰めることも禁止されつつある。
現代社会において人類は論理的に振る舞うことを目指している部分が強く、都合の悪い他者を社会から葬り去ろうにもそこには論理的な手段が求められる。
たとえばそれは権力構造であったり金銭の流れであったり法律であったりだ。
そういったものを通すことなく「相手に精神的な負荷をかける」ことによって自分の都合を通すことは、現代的でないものとして次々に禁止されてきている。
気に食わない商品に対してマイナスイメージを広めることで市場から追放することは、果たして論理的に正当な手段を用いているのだろうか?
「クソゲーを掴まされた時に辛辣なレビューを通して次に購入しようとした人に警鐘を鳴らすのはセーフなのか」を命題とする。
この場合、「一個人のレビューの範疇に収まるか」によってその是非決定されると私は考えている。
④脅迫を伴わない
それぞれの反例をあげてみる
①’販売店舗にて「クソゲー!絶対買ってはいけません!」と言うテロップを勝手に貼る
②’複数のアカウントを作成してレビューサイトに何度も批判を書き込む
③’製作者の人格や経歴についての批判をゲームのレビューに持ち込む
⑤’「本当にクソゲーですよね。皆さんの意見を集めて投書したいと思います」
こういったことをね、本当にやっていた人がいたんですよね……インターネットの歴史の中では……マジで……
このレベルのことをしていないなら、今の価値観でも大丈夫だと思う。
反例として挙げたのは明確にアウトな行為だと思うが、そこより下のラインでどこからアウトになっているのかがよく見えない。
「このクソゲー酷すぎwww」と書き込んだ時点でそこには「皆も一緒に叩こうぜ!」という意思はあるんじゃないだろうか?
だったらそれはレビューサイトにてあらゆる批判をすること自体がある意味で扇動の意思があることになってしまう。
まあ実際にそれは事実で、あと50年もしたらレビューなんてものが完全に禁止されるのかも知れないわけだが。
でもそれは会社によっても、製作者によっても、その時の空気によっても、そして刻一刻と変わっていってるわけで。
そこが見えないんだよな。
怖いね。
公式発表がないままストライクゾーンが変わっていくようなもんだよ。
アプデ告知のないオンラインゲームみたいなもんだ。
おい運営どうなってんだよ。
皆さんどう思います?
😷空の向こうに飛んで行ったんやろなあ(フライだけに)