はてなキーワード: 兄弟喧嘩とは
5つ年の離れた弟で、実家で両親と一緒に暮らしています。一人で生活することはできません。
両親からは何かあったときは施設にお願いするから、気にしなくていいよと言われています。裕福ではないものの弟のために蓄えはあるようです。
いつもなら帰省しているのですが、今年は出来そうもないので彼について少し考えてみました。
私たちは二人兄弟で、高校を卒業して家を出るまで部屋も一緒でした。その間、弟が私に嫌な気持ちにさせることはただの一度もありませんでした。
私も弟に酷いことをしたことは無かったと記憶しています。兄弟喧嘩を一度もしていないので、やはり特殊な関係性なのかもしれません。
子どもの頃は障害をもつ弟に対して何か後ろめたい気持ちがあったことは確かで、障害について友人や知り合いに話したことはこれまでありません。
今でもそういった感情があるのかもしれませんが、結論は出ないので深く考えるのはやめました。
結婚についてです。同じような境遇の人が結婚について悩んでいるのをよくネットで見かけます。
私は結婚しないと思います。結婚するには弟について、また将来起こるかもしれない苦労について説明する必要があります。
数か月もしくは数年交際した後に打ち明けるのは彼女にとってフェアではないと考えているので、付き合う前に説明しなければなりません。普通に付き合うのも大変なのに、ハードルが高すぎますね。
結婚しないことは弟のせいでは全くありません。私のせいでもありません。結婚しなくても楽しく生きてはいけます。
ただ将来、親がいなくなった後に弟と暮らすことはないと思います。薄情だと思われるかもしれませんが、たくさん貯金して支援するのでいいですよね。
たまに海外に移住しようかとふと考えてしまうことがあります。実際にはしませんが、弟のことを何か足かせのように思っているんですかね、ひどいですね。
私は都内の理系大学に通う4年生だ。大学へは1時間半かかり、一人暮らしすべきか悩むラインなのだが、この距離なら実家から通う方が格段に経済的なので、実家暮らしのまま大学も4年目に突入した。
実家暮らしは快適だ。衣食住は保証されているし、幸いなことに両親の仲も良い。金銭的にも、一人暮らしだと毎月数万の家賃+光熱費+食費がかかるのに対し、実家暮らしなら毎月せいぜい1万円の定期代しかかからない。一人暮らしだとバイト代からある程度の生活費を補填する場合が多いが、それもしなくて良い。
実家暮らしは最高!と信じ続けていたのだが、去年あたりからそれのほころびに気がつき始め、このコロナ禍でいつにもまして自宅にいることが増えた今、確信するようになった。これは、茹でガエルになって腐っていくやつだ、と。
タイトルは、自分の状況を見て「理系男子+実家+一人っ子」という組み合わせにしてみたが、実家に住んでいればある程度は誰にも起こりうる話だとは思う。しかし、この組み合わせは特にたちが悪い。
一人っ子だときょうだいがいる場合よりも家族から寵愛を受けて育つ、というような話は私には検証しようがないので分からないが、家庭内で近い世代の人がいないことで、家の外で同級生などとコミュニケーションを取りづらくなる、というのは実際起きることだと思う。親との接し方は、きょうだいとの接し方とは異なるわけで、一緒に遊んだり、時には争ったり揉めたり。一人っ子だとその経験が皆無だ。小学生の頃も、友達の家に遊びに行って兄弟喧嘩を目撃すると、これはマズいことになったな…と本気で心配したりしていた。そのような「雑な」コミュニケーションの取り方を覚えられずに成長してきてしまったのだと思う。例えば、友達に連絡する時もダル絡みのように、用件もなくLINEを送る、なんてことはまず考えられない。何かちゃんとした用件がないと連絡しても煙たがれるよな、と想像してしまう。(それでも、ありがたいことに何もない時でも比較的気軽に連絡できる友人が何人かはいる。本当にラッキーなことだ)その結果何が起きるか?LINEをほとんどしないのである。現代においてそれは、交友関係の狭さに直結する。
また、一人っ子で実家暮らしの際のもう一つの実際的な問題として、両親に行動をほぼ完璧に把握されてしまう、ということがある。例えば夕飯にしても、きょうだいがいれば毎晩ある程度の余裕を持って夕飯を作るだろうが、一人っ子だと毎日、今日は夕飯は家で食べるのかと確認される。そして現代の東京では、「遊ぶ」は多くの場合「食べにいく」「飲みにいく」ことを意味する。これだと突発的に友達と食べにいくこともなかなかしづらい。また、私はほぼ下戸である。「衆人皆酔えるに、我独り醒めたり」だ。テンションについていけない場合が多く、周りが酒の勢いで盛り上がっていても特段楽しくもない。
また、休日の行動も、友達と出かける場合は家にいないわけだから、どこかに行っていること自体は筒抜けだ。また、母親がやけに勘が鋭いのと人間関係の記憶力が良く、私がいくつか的確な質問に答えてしまうと、自分の周りの人間関係を如実に把握されてしまう。相手の性格やステータスなどについての評価を下されることも多く、居心地悪いことこの上ない。これも、きょうだいがいて親の関心が分散されていれば、実家暮らしだとしてもこれほどではないのだろうと思う。神経質な私は、交遊は無難な範囲に納めておこう、と無意識のうちに決めていたようだ。
そしてこのような状況は、恋愛関係の問題になってくると致命的となりかねない。
結局この4年間で、女性と正式に付き合うことはできなかった。まず、デートするための口実づくりのための心労が半端ではない。休日に出かけるとなると、大抵の場合、誰と会うの?などと親に聞かれる。そこで、「おんなのこと二人で遊びにいく!」なんて言おうもんなら、相手はどんな人か、どんな家庭か、写真見せてくれ、などと質問責めに合うことだろう。(実際に言ったことはないので分からないが。さすがに少しは気を利かせてくれるとは期待したいが、わざわざ確かめたくはない。)なので、デートの約束が取れた時は、親には適当な友達の名前を出しつつ、あまりにお洒落すると突っ込まれそうなので、友達と会う時にも着そうだしデートでも通用しそうな組み合わせの服を頑張って揃え、親に言うアリバイはどうしようかな、と考えながら家を出る。ストレスがすごい。そこまでしてもなお、勘の鋭い親にはデートに行っていることを見抜かれているのだろう。だったら自分から言えばいいのだろうが、この微妙なバランスを崩したくがないために、デートのたびにこういう流れになるのだ。
ところで、あまり口達者ではなくても、イケメンというわけではなくても頼れるテクニックとはなんだろう。そう、酒の勢いだ。酔いが回ってくれば、ちょっと恥ずかしい話だってできるし、そのまま話し続けて夜遅くなれば、じゃあこれからどうしよっか…ともなるだろう。しかし自分は下戸なのだ!そして、「今日は泊まってくる」なんて家に連絡できるわけがない。付き合えたところで、そういった困難がデートのたびに起きるのが予想できてしまうと、こちらも消極的になるわけだ。
単純接触効果というか、男女同士で定期的に会っているだけで好感が生まれ、好意に発展することもあるだろう。ところがどっこい、理系の学部はほぼ男子校なのだ。あいにく私は異性愛者なので、キャンパスライフを楽しんだところで恋愛的な出会いはほとんどない。いわゆるインカレ的なサークル活動もしてこなかったので、そもそも同年代の女性と会うことがほとんどないのだ。
そして今、問題は新たな局面に入った。感染症の蔓延により、自宅待機を余儀なくされているのだ。なに、「どうせみんな自宅待機なんだから、実家でも一人暮らしでも変わらなくない?」だと?甘い。世の一般的な一人暮らし大学生は、既に夜な夜な飲み会に出歩き、コロナなんて気にせず外出しまくっているのだ(私見)。コロナを広めにいくような行動はやめろよ、とは思うが、納得できるところはある。若者は統計的には重症化率が低く、感染しても軽症で済む場合がほとんどと知られている以上、一人暮らしで親と接する機会がなければ、普通に出歩くのもうなずけるのだ(大局的に見ると、重症化のリスクが高い人にまでウイルスの蔓延を広めているので、大いに賛成はできないが)。しかも、コロナで客足が減った飲食店や施設は空いているし、割引をしていることが多い。このチャンスを逃すのはもったいない、と思うのがむしろ自然だろう。しかし実家暮らしで生真面目な私は、自分から親にウイルスをうつすなど考えたくもない。そうなると、感染状況が落ち着くまでは、友達とカラオケや密な飲食店に行くこともしたくない。また、実家だと電話するにも家族に気を使わないといけない。深夜には話せないし、自室で話していても声が漏れるので、軽い雑談はできても、ぶっちゃけ話やゲスい話など、本当に盛り上がるような話は決してできない。
…………………分かっている。こう書いても、「結局はあなたの社交的な性格の問題でしょ?」と思われることは。性格がもっと外向的だったら、もっと要領がよければ、同じ環境でも全然違う状況になれるのかもしれない。しかし、環境が人を作るとも言う。この状況でどうしたら穏便に暮らせるか無意識に最適化した結果が今の性格、今の状況なのかもしれない。一人暮らしを始めれば、このような足かせから解き放たれるのかもしれない。
しかし、もう遅い。大学生活は終盤に差し掛かり、どうせコロナは年をまたぐであろう。実家引きこもり生活は卒業するまで続き、修士に進学するのでそのまま2年間続くかもしれない。今からでも、少し無理してでも一人暮らしをしてみた方がいいのかもしれない。環境が人を作るのだとしても、人が環境を作ることもできるはずだ。
もしタイトルに書いた条件があなたにも当てはまるなら、ぜひ私よりもマシな大学生活を送ってほしい。実家が近くても、一人暮らしができそうなら、ちょっと背伸びしてでもそうした方がいい。実家暮らしになるのであれば、自由度を増やせるように、早いうちから終電での帰宅などを繰り返して、自分が外出していても親に気にされない状態を作りだそう。そしてそして、女子と会える場をなんとかして見つけてほしい。
ちょっと本気でしらべればわかることだがADHDには根本対処できる可能性のある薬がいくつか出てる。
こういう根性論でどうにかしようって思うやつはそれこそADHDっぽいぞ
ADHDで薬のみながら子育てしている主婦エッセイも実際いくつかでてる(ブログでタダで読めるのもある)。
そうやって「うっかり殺したら刑務所にいかなければいけないほど絶滅しやすい生き物」を命がけで育ててきた人(おまえの親含めて)に感謝するべきだし
恩返しするためにおまえらもなんとかして必死で子育てするべきだとおもう
5才児が8階から落ちたり
浴槽どころか洗濯機や洗面器で溺れ死んだり
知らないおじちゃんについてってみたり
ADHDくらい自分で対処できるようになれ(無理だとおもうくらい酷い症状なら人に手伝ってもらっていいから障害者手帳と福祉年金で暮らせ)
昔ははてブでidコールしてかなり過激な言葉をぶつけたし、ぶつけられた。
非表示もしたし、煽ること言ったし、お前らの中にも私の事非表示にしてる奴もいるかもしれない。
イライラギスギスなブコメがマイページに並んでた時期もあった。
でも最近歳を取ってきて、ブコメもそんなにたくさん書く体力もなくなって(仕事も忙しいし)、
一歩引いて見る側になってきたんだよね。
それで、思ったんだよ。
ブコメでたくさんやり合った喧嘩は、子供の頃の兄弟げんかと似てたなあって。
私、実生活で兄弟多いほうでさ、実家で暮らしてた時は考えの合わない歳の近い兄弟と喧嘩ばっかりしてた。
「マジこいつ合わねーわイライラする」って思ってた。
でも大人になって適度に距離を置くようになったら、別に兄弟の事嫌いじゃないなと思えるようになった。
きっと今でも、近くで暮らしたら喧嘩ばっかりしちゃうんだろうけど。でも憎んじゃいないし嫌いじゃない。
はてブのお前らのことも、たぶんそう。
twitterでRTされてくるアカウントに比べたら何か見たことある馴染みのid多いし、お前らは多分私にとって仲良くないけど昔から一緒にいる兄弟みたいなのだと思う。
こんばんは、ホールケーキです。兄弟喧嘩の最たる原因が私であることについては、ついぞ心苦しく思っております。たとえ土台を同じくらいに分割できても、いちごの数、チョコプレートの取り分、ろうそくの穴の有無など、協議点が湧き上がりやがて喧嘩になりますね。ケーキを前に叱られる子どもたちほど悲しい存在はありません。
かつて、私を前に緊張感を漂わせる兄弟に、諭すように「切る人と選ぶ人は別な!」と命じた親御さんがいました。なるほど、大小をつけてカットしても、自分が後攻になってしまうと大きものが先に取られてしまう…。すわ休戦となり、私は穏やかに切られましたが、賢いあなたならお気づきでしょう。一瞬平等に思えるこのルール、選ぶ役のほうが常に優位なのです。ケーキの前では誰もが頭が狂う。私は罪を帯びた存在であると自負しております。
仮に私が長方形であれば、それなりに上手く分割できるでしょう。けれど等分を求めるプレッシャーは却って強くなりませんか?隣の芝、もとい隣のケーキは大きい…と湧き上がる嫉妬とそれを恥じる気持ちで食べるケーキが甘いはずがありません。その点、私が丸いと、その等しさの見えかたは有耶無耶になりがちです。ぼんやりと角度を見積もるしか術がありませんからね。
つまりホールケーキが丸いのは、美味しく食べていただきたいからです。冷たく甘やかに香るクリーム、断面も輝くフルーツ、フォークを誘うように弾むスポンジ、そんな魅惑的な私の前で緻密な等分を求めてどうするというのでしょう。相応しいのは、まるごとみんなの幸せを願うような優しい気持ちです。争いのない世界の実現は難しいとて、それを願う心があらずして生きる意味がありやなしや。そうやって切り分けられた私だから甘い記憶になるのです。こんな話のことをa peace of cakeと言うのでしょう?
親がキレると手が上がるタイプで(父も母も
一度、なんだったか小学生の頃に親と口論をしていた時に髪を掴まれて階段まで引きずられた
「このまま引きずり落としてやる」的なことを言っていた気がする
本気で殺されるんじゃないかと怖がったのをよく覚えている
死にはしなかったが背中の皮がむけ、痣ができた
幼稚園児のころ、お菓子屋食べる食べないで手を挙げられ、コンクリ作りの壁に叩きつけられてたんこぶができたのが一番古い体罰の記憶だ
叱るときは普通でしおらしくしていれば許されたのだが、こちらが小生意気に口答えを続けるとキレるのが親のパターンだった
社会階層としては上の家庭で、大学も在学中の生活費も全額援助してもらった
毒親には程遠い親だったと思う
キレると手が出ることは散々に学び、中学校に上がる頃にはキレさせるようなこともほとんどなくなり
しかし怒ってもけして手を出さないのが普通だと言う主張を友人から聞き、キレると手が出るのは人としておかしいのではないかと思い始めた
この手の話を親にすると途端に不機嫌なり、烈火のごとくキレる
思えば自分も子供の頃は兄弟喧嘩でも手が出るタイプであった(兄に言われもなく蹴られていたのでその反撃ではあったのだが)
つい先週のことだ。妹をいじめていた主犯格がようやく自殺した。
苦節7年、長かった。
私と妹は一回り以上年が離れている。兄弟喧嘩が起こる年の差でもないので私は溺愛している。そんな妹が学内でレイプ未遂にあったのは中学の頃だ。
何とか最後の一線を超えられる前に助けが入ったようだが、そんなことは関係ない。快活だった見る影はなくなり、家族以外の異性は見ることどころか声が聞こえることさえ怖がるようになってしまった。きっかけは、他の女子が片思いしていた子が妹に告白したとかそんな話だった。それで嫌がらせが始まり、次第にクラス全体が悪ノリし、下半身しかない糞が調子に乗って犯そうとした。そんな次第だ。
許せなかった。そんな人未満共もそうだが、離れて住んでいるとはいえ2ヶ月近く気づいてやれなかった自分や同居していたはずの両親がだ。
正直な話、私自身もいじめられたことがある。帰国子女として小学5年のとき日本の公立校に編入したときのことだ。編入初日から、なぜか無視され水筒のお茶を顔にぶちまけられた。女の担任教師は目の前で水をぶちまけられ、牛乳を浸した雑巾を投げつけられている私を見て見ぬ振りした。許せなかった。まあ、そんなことはいい。
妹の件を受け、私は決心した、必ず復讐してやると。妹はそんなことを望んでいなかったが関係ない。私はわたし自身のために、必ず奴らを地獄に叩き込んでやると誓った。
私も父も働くしか能のないような人間なので金だけはあった。外資に務めていた私はボスに相談し、半年の休暇をとることになった。彼への恩義を忘れることはないだろう。
私は手始めに弁護士と探偵を雇った。民事刑事、それに学校への圧力も含め法務のエキスパートと情報収集は欠かせないと思ったからだ。
まずは、被害届を出そうとした。だが、ここでもう躓いてしまう。被害から数週間経ち証拠に欠けるだとかでまともに取り合おうともしないのだ。弁護士を連れて行っても、ろくに重い腰を上げようとしなかった。だが、ここは身内の機転でうまくいった。県道を嗜む叔父が警察剣道の稽古で知り合った現職の警察幹部を紹介してくれたのだ。彼は親身になって相談に乗ってくれ、そのおかげで週明けには被害届が受理された。数日前とは打って変わって愛想よく対応してきた糞のような警官共の名前は一生忘れない。
学校も手強かった。謝罪はもちろん、ろくに事実確認すらしようとしない。だが、ここは札束の力で解決した。学校関係者の身辺調査の結果を使ったのだ。校長には現在進行系の不倫が、学年主任の息子には傷害での逮捕歴があったのだ。どちらも教職者の信用を失うには十分だ。仄めかすだけで、ホイホイ言うことに従うようになった。
あとはレイプの実行犯の男3人といじめの主犯格の女だ。ありとあらゆる手段を使った。家族もろとも社会的に殺してやろうと思っていた。父親の勤め先には息子娘が性犯罪を犯して警察が捜査中であることを郵便で送りつけ、自宅周辺や母親のパート先にはホームレスを使って誹謗中傷のビラをまかせた。ホームレス経由で地元のヤンキー共に金を渡し、糞どもに暴行を加えるようにも指示した。自宅への落書きや騒音もやらせた。引っ越すものがいれば探偵を使って転居先を調べ上げ、同じことを繰り返した。街宣車まで金で呼んだ。数年の間に4家族すべてが離婚し、親兄弟はある程度離散した。それでも、本人たちの居場所に対しては嫌がらせを徹底して続けた。バイトを始めれば勤務先に犯罪者である旨を伝える電話やFAXを繰り返し、専門学校に行き始めれば学生に金を積んで、学内にもビラを撒かせた。もちろんネットでも誹謗中傷の限りを尽くした。顔写真や家族構成、真っ当でない人間に撮らせた入浴中の盗撮写真に至るまで全てを晒した。
最初の2年の間に、男3人は体に障害が残った。ヤンキーだかヤクザ崩れだかにサンドバッグにさせた甲斐あって片端ものになったのだ。もうまともな人生など歩めない。一人に至っては玉が片方潰れたとかで年に片手で数えるほどしか外に出なくなった。殺してやろうとも思ったが、さすがに放火は思いとどまった。いくらなんでも、捜査が始まってしまうからだ。
だが、女は許せなかった。レイプを指示し、あまつさえ見ていたというのだから許せるはずがない。この手で絞め殺せたらどんなにかいいだろう。だが、それはできない。そんなことをすれば妹は悲しむからだ。あの子のそばにいてやらなくてはならない。その気持ちだけが私を押し留めた。
幸いなことに、そのアマは徐々に精神を病みつつあると報告を受けていた。4年も経つ頃には立派な統合失調症だった。私は歓喜した。これでもう、あの女はまともな精神、真っ当な人生に戻ることはない。死んだも同然だ。その時点で自宅近辺での嫌がらせはやめさせた。これ以上せずとも良いからだ。無用な出費が無くなり、ささやかな祝いに妹の好きなティラミスを買ってきたのを覚えている。何も知らない妹は、誕生日でもないのにどうして?なんて言って笑っていた。その頃には妹はメンタルケアの甲斐もあって家族と一緒になら旅行に行けるくらいには回復していた。
それから3年、定期的に報告は受けていたのだが、先週の頭に自殺したようだと電話を受けた。本当に長かった。妹は4月から大学に通い出した。人より遅いが楽しんでいるようだ。そのうち彼氏も欲しいななんて笑えるくらいになった。本当に良かった。けれど、彼女は知らない。一言も口にしたこともないが兄が加害者たちを執拗に追い回し自殺にまで追い込んだことを。私も決して伝えるつもりはない。
父は感づいているかもしれないが、母は知らない。知らせる気もない。ただ、誰かに知ってほしいのだ。本懐を成し遂げた者がここにいるのだと。祝杯をあげられないのだから、この溢れんばかりの喜びをせめて匿名でさらけ出したいのだ
○朝食:にゅうめん
○昼食:レバニラ炒め定食(ご飯、たまごスープ、餃子、漬物、レバニラ炒め)
○調子
むきゅー。
今日は、久々に頓服薬を飲まなくても大丈夫な程度の辛さだった。
けど、耐え切れない頓服飲む! とまではならなかったので、かなり治ってきているのかもしれない。
それがあまりにも嬉しくて、たらふく飯を食べた。
ご飯をたくさん食べると元気が湧くし、生きることに前向きになれる……
明日から一週間はじまります、とりあえず水曜日は通院の予定でおやすみするけど、ぼちぼちお仕事も頑張れるよう、むっきゅりするぞいや!
それで、今日は久々にご本を読む日にしてみた。
ワンシチュエーションものの短編連作と短編集の間みたいな作品。
謎解きのギリギリまで「そもそもこれは何を問うているミステリなのか?」がさっぱりわからないのだけど、
謎解きが始まった瞬間にその辺りがビシッとハマりだす、ある意味ホワットダニットものの一種なのかしら。
ネタを割ってしまえばxxxダニットなのだけど、謎を提示する段でそもそもこれがxxxダニットものだと気付かせない構成ってのは、面白かった。(前例的には倒叙と気付かせない倒叙というか信頼できない語り手の方向でありそうな気がするけども)
全体的に良い意味褒め言葉として「ミステリのお手本」のような、教科書的な楽しみができて、作者の地力の高さを強く感じた。
僕は、飛び道具よりも地に足をつけた格闘戦の方が好きなので、こういう作風は大歓迎。
この作者のノンシリーズものを読んだのは初めてだけど、確実にミステリ作家として今後も信頼できそうな出来なので、追いかけていこうと思う。
AI探偵ということで、フレーム問題やシンボルグラウンディング問題や不気味の谷や中国語の部屋など、ミステリでは後期クイーン問題を通じて馴染み深いものもある哲学的(数学的)な課題と絡めての謎解きが繰り広げられる。
僕は割と、というかかなり名探偵に対して甘い読者なので、かなり読み進めるまで、違和感に気づけなかった。
(だから僕、名探偵自身がトリックに絡む系の謎滅多に先読みできないんだよねえ。作者に麻耶雄嵩って書いといてくれれば、心構えの一つもするんだけどさあ)
なので思わず、すぐに読み返して逆転感を堪能できて楽しかった。
全体を通じて、ミステリのパロディ要素も強く、AIの技術的な部分も程よくわかりやすく噛み砕いてくれてるため、正誤はわかりもしないけど、この本を読むにあたっては苦労なく楽しめた。
SFはそもそも話の主題がどこにあるのか? から読み解く必要があるから、技術的な部分をどこまで読みとかなければいかないのか? がとても難しく、読み手が止まることが多いのだけど。
ミステリは今回何を推理すればいいか、は割と早い段階で明示されるから、そこに向けて技術的な話も理解しておけばいいので、スムーズに読めて楽しめた。
続編も出せそうな終わり方なので続きもきになる。
本格ミステリベスト10の近況報告によると書く予定はあるみたいなので、楽しみにしておこう。
○グラブル
ゼノウォフの武器は二つとも作った。
水の方は毎日コツコツやってくか……
銃やミサイルって筋力補正がかかんねーじゃん。身体鍛える必要ないじゃん。
先日モスクを襲撃した白人のおっさんなんてさ、あれ銃がなくて剣や斧だったら二桁殺傷出来るかどうかもわかんなかっただろうな。
雑魚が銃を持つことで容易に大量殺人が可能になった近現代はマジで終わってる。
何のために筋肉鍛えてんだよ。剣や斧を振るうためだろ。核廃絶とか生易しすぎるんだよ。
核の前にまず銃器を廃絶する条約を締結させろよ。日本が国連に提起しろよ。刀剣で戦う時代になったら日本に有利なんだからよ。侍魂だろ。
08:00 アレクサが、昨晩抽選が行われたサマージャンボ宝くじの1等前後賞の当選を告げてくれた。5年連続12回目の当選だ やれやれ
08:30 社長車が出迎え 社長「君との会話は、私の精神の土壌を潤してくれる。毎日、一緒に通勤してくれないか。次期社長」 やれやれ
09:00 業務開始 同じ部署の同僚たちのノルマも含め、再来季までのノルマを達成してしまっているので、やることがない。増田にカキコ。あっという間に人気エントリに やれやれ
12:00 昼休憩 フロアの廊下ですきやばし次郎とすきやばし太郎が、私に最高級のランチを食べさせようと兄弟喧嘩している やれやれ
13:00 会議 全員が私の発言を待っている。「では、Googleとはてなを買収することにしましょう」万雷の拍手の中、胴上げが始まる。落とされた
18:00 専務の計らいで五反田の「ナース・女医治療院」に緊急入院。粋なサービスを受ける。領収書の宛先を「株式会社はてな」にしてもらう。買収後、経理に請求しよう
08:00 アレクサが、昨晩抽選が行われたサマージャンボ宝くじの1等前後賞の当選を告げてくれた。5年連続12回目の当選だ やれやれ
08:30 社長車が出迎え 社長「君との会話は、私の精神の土壌を潤してくれる。毎日、一緒に通勤してくれないか。次期社長」 やれやれ
09:00 業務開始 同じ部署の同僚たちのノルマも含め、再来季までのノルマを達成してしまっているので、やることがない。益田にカキコ。あっという間に人気エントリに やれやれ
12:00 昼休憩 フロアの廊下ですきやばし次郎とすきやばし太郎が、私に最高級のランチを食べさせようと兄弟喧嘩している やれやれ
13:00 会議 全員が私の発言を待っている。「では、Googleとはてなを買収することにしましょう」万雷の拍手の中、胴上げが始まる。落とされた
18:00 専務の計らいで五反田の「ナース・女医治療院」に緊急入院。粋なサービスを受ける。領収書の宛先を「株式会社はてな」にしてもらう。買収後、経理に請求しよう
私は今まで、自分自身のことを冷静な人間であると思っていた。大学は理系学部を修士まで出たし、論理学も好きで趣味として教科書を読んだりしてきた。幼い頃の兄弟喧嘩を除いて、喧嘩なんてしたことなかったし、周囲の人間からの評価も「大人しそう」「キレたら怖いタイプ」といったところだった。キレたことがないのでキレたら怖いのかどうかは分からない。
しかしアラサーになり、自分は冷静な人間ではないのではないかと思い始めた。
最近転職をしたのだけれど、転職先で毎日のように上司から叱咤されている。
もちろん原因は私にあるので、叱咤された内容については反省し次に生かそうと思うのだが、偶に、「それは私に言ってもしようがないのでは」といったことや、「そもそも叱咤されるようなことではないのでは」といったことでも一方的に注意を受ける。例えば、別の上司の方にアドバイスをいただいた後に「あの上司は出来が悪いから、話を聞かないように」と言われたり、要領が悪いと指摘していただいた後に「女なんだから、業務時間内に仕事を終わらせて(ここまでは分かる)、家で料理とかして旦那さんを喜ばせたらどうか(そこまで言われるのはおかしいのでは?)」と言われたり、特に関係のない第三者の批判を聞かされたり(自分のことではないのは分かっていても、何故か私は、他人への批判も自分のことのように感じてしまい冷静に聞くことができない)。
そんな時、心の中ではそれは違う、と思っても、口から出るのは「申し訳ありません、はい、すみませんでした、気をつけます、仰る通りです」といった言葉ばかり。それどころか叱責が続くうちに、無意識のうちに涙が出そうになって、堪えるのに必死になって、余計何も言えなくなる。
落ち着いて冷静にと必死に自分に言い聞かせるが、そのうちにある定点を越えると、パニックに陥ったかのように自責の感情が溢れてどうしようもなくなってしまう。
表面上は神妙な顔なり、相手に合わせるための笑顔なりを作りつつ、その場をやりすごすが、そのあとは変な疲労感でぐったりしてしまう。
早く仕事に慣れたい。
そして、冷静に叱責を受け止め、言うべきことはしっかりと言えるようになりたい。
我が家と似てるなあ。
ずっと成績が良かった。
でも、コミュ障。
弟は、勉強はイマイチだけど家族に好かれ、そして友達にも恵まれるタイプ。
弟は、もともとはバカだと思うけど(原付の免許に落ちるようなやつだ)俺に負けるのが悔しくて、あらゆることで挑んできた。
勉強もそこそこできるようになった。
例えば、ある年の1学期の数学の試験が俺が85点、弟は90点、引き分け。
「やった!お兄ちゃんに勝った!」
弟は喜んだ。
両親も弟をよく褒めた。
俺からしたら、普通の公立中学の数学の試験と、高校でしかも進学校の数学の試験とじゃ、難易度が違うのだから、俺のほうがむしろ褒められるべき、と思ったりしていた。
その一方で、やっぱり弟が好きだった。
兄弟喧嘩をしても体格差でコテンパン、学力でもコテンパン、それでも突っかかってくる弟が愛おしかった。
勉強は出来ても要領が悪く失敗したり叱られたりばかり俺は、社会人に出てからは損してる。
その点、弟のほうが、うまくやれている。
弟は結婚もしてる。
でも、弟は、昔も今も、俺の才能を信じてくれている。
毎日が日曜日の無職、誰にも咎められない一人暮らし、なまじある貯金、腐る要因のなかで、腐らずに資格の勉強ができたのは、誇れる兄でいたいという想いがあったからだと思う。
弟が好きだ。
土岐市美濃陶磁歴史館で開催中の「お茶と美濃焼」展に行って参りましたわ。
お茶と一緒に発展してきた焼き物の歴史が時系列順にまとめられていて、
わかりやすかったですわ。
最初は禅僧の修行用の眠気覚ましだったお茶が、だんだんと娯楽になってきて、
夢窓疎石という偉いお坊様が「最近の若い者は」と闘茶の風習を、
それより兄弟喧嘩を注意したほうがいいですわ。
越前朝倉氏の一乗谷で出土した陶磁器に、国外品を尊びながら国産品にも
注目する当時の姿勢が現れていましたわ。
余談ですが、館内で閲覧できた一乗谷の展示会の本が興味深かったです。
あと展示されている四耳壷のひとつが、きちんと耳を通したワイヤーで
固定されていました。