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2024-10-03

桃太郎、ただ運が良かっただけなんじゃないか

たまに思うのだけど、もし桃太郎のお供(猿 犬

雉)が全て発情していたとして、桃太郎性別

女であった場合きびだんごでどうにかなるのか

と。そもそも幾ら畜生とはいえきびだんごひとつ、ふたつで未知の生物特攻してこいというのが無理な話なのだが。発情してる相手ならきびだんごより下着の一つでも見せた方がよっぽど効果はあるだろう、果たしてその後桃太郎処女が守られるかはともかく。1番の問題は鬼が発情していたと仮定した場合である発情してる雄、しか

自分たちよりふた周りも体格がいい相手

ともなれば女である桃太郎が勝てるのだろうか

人には抗えない性欲というのがある、戦いの中で何度も鬼の立派なあの部分を目にして桃太郎は欲に打ち勝つのかという話である

例え、鬼に勝ったとしても帰りの船で果たしてお供が忠義心、道徳心を持ったままでいられるのか

桃太郎の初めては帰りの船でお供に…」などと

いった事はまさか書けないし話せないだろうが

そう考えると桃太郎が男であったことはかなり

幸運なことであるのかもしれない

かくいう私も犬か猿になって武器ひとつ腰に携えた女を見かけたらきびだんごでは着いていかないと思う。ていうか武器より先に見るのは…

2024-06-08

国会図書館デジタルコレクションで見る明治時代新撰組の扱い

明治時代新撰組庶民からどのように思われていたのかを調べるために、庶民の目に触れていそうな(?)雑誌記事だとか読み物だとかを抜粋していく。

明治10年『昔今豪雄見競鑑』

こちらは明治10年頃の「番付表」を集めた書籍のようだ。

『昔今豪雄見競鑑』は歴史上の英雄明治期の英雄を対比したものだが「都ノ猛勇 悪源太義平」と並んで「脱走ノ勇士 近藤勇とある

近藤勇ってどっかから脱走したっけ?と思ったが、幕府瓦解後の旧幕府軍のことを「脱走方」と言ったらしいのでそのことだろう。

同じく「古今英雄競」「本朝今昔英雄鑑」「古今英雄三幅対」などにも近藤勇の名が挙がっている。

このような番付でよく名前が挙がる程度には知られていたらしい。

明治16年『徳川義臣伝』岡田霞船

まずは近藤勇について。

近藤勇武勇衆に秀で当時其英名尤も人に知られり新徴組の隊長となりて始め京師に在り又大坂に退き伏見の戦ひ幕兵乱るる中より取て返し迫る官兵を追捲り銃丸足に当ると雖も屈せず大ひに勇名を現し江戸に返りてより諸士を煽動して甲府に至り勝沼駅にて寄手を破りしが遂に衆寡せずして敗軍なし残兵を率いて走りたるが官軍厳重に探索を遂流山に於て勇(いさみ)を捕へんとす勇(いさみ)力戦して縛に就き板橋駅にて斬せらる

新徴組と間違えられとるやんけ!

新撰組時代よりもその後の甲陽鎮撫隊時代のほうに力点が置かれた説明のような気もする。

土方歳三も紹介されている。

土方歳三幕府の旗下にして始め京師にあり伏見鳥羽戦争破れしより江戸に返り諸士を募り主家を再興せんと謀り軍議を決して榎本永井の人々と共に品海を脱し函館に趣き尚ほ奥羽の士を募り官軍の来るを待受屡々寄手を脳す然れ共官兵は新手を入替無二無三に攻立たるに脱兵防戦に尤も苦む歳三毎も真先に進み敵を切る数十人に及ぶ後乱弾にあたりて死すといふ。

新撰組について何も触れられてねえ!

とはいえ「義臣」と銘打っているだけあって悪いようには書かれていない。

明治18年『汗血千里駒』坂崎紫瀾

『汗血千里駒』は坂本龍馬主人公として、その名を一躍有名にしたという小説。その龍馬暗殺犯として近藤勇が登場する。

縦令ひ其不意を打ちたるにもせよ鬼神と呼ばれし海援陸援の両隊長をば斯く容易く一挙に斃し負せる其の手練と謂ひ肝気と謂ひ天晴れ日本一の剛の者と思はるるも実に理りなり彼の刺客は当時徳川将軍の御内に其人ありと聞えたる新選組の旗頭近藤勇等にてありしと

近藤勇とその腹心の土方歳三が、二人で近江屋に討ち入り、坂本龍馬中岡慎太郎を斬って、「そのとき義経少しも騒がず…」と高らかに謡いながら出ていき、今際の際にそれを聴いた龍馬が「あの刺客は只者ではない、彼らのような豪胆さがあってこそ大事を成せるのだろう」と慎太郎に語る、という描写があり、これがのちの様々な作品踏襲されていったようだ。

当時幕府の亡びなんとするは天の命なり民の望なり社会自然の気運なれば今は百の勇(いさみ)ありとも亦之を如何ともすることなきをば思はずして健気にも唯忠を己が仕ふる所にのみ尽さんとしたるは愚かにも又哀れとや謂わん

時代の流れに逆らって忠を尽くした健気だが哀れな武人…といった感じで「敵役でありつつ悪役ではない」という扱いに思える。

明治22年『女侠松竹梅』奥村玄次郎

偖は其方が近藤なるか。其方幕府を笠に着て国を憂ふる正義の士を多く害せし大罪人。此処で遇しぞ僥倖なれこれまで其方の手にかかり不幸にも寃に死したる正義の志士の忠魂を弔ふための復讐せん

お松・お竹・お梅という三人の娘が勤王の志士を助けて新撰組と戦う、といった話らしい。

こうしたいかにも勧善懲悪な読み物では「典型的な悪役」として描かれていたようだ。

明治26年『活文字』鈴木力・佃信夫

近藤勇の話

江川太郎左衛門が琴の譚に比らべて、劣る事なきは、近藤勇の謡なりけり、以て幕臣中の双美とこそは為す可けれ、左に説かむ。

武勇と剛胆とは、麾下九万の士人中、勇(いさみ)ぞ其第一位を占めたりける、さればまだうら若き身を以て、新撰組の頭領として、海内動揺の中心たりし京城鎮護の命を稟げ、一時其独力をもて、鷙悍狂躁の浮浪はらを打鎮め、幕廷擁護干将莫耶とは成りたりけり。

めっちゃ褒めるやん。

土方歳三は、豪邁不屈、肝気非常の男なれども常に勇(いさみ)を相輔けて、死生を共にせむ事を約し、巴港戦死の時に至る迄、其生前の交義を追想し、風吹く日雨降る夜ども、寒窓の下に俛泣し、時世は既に望なし、片時も早く、泉下に亡友を尋ねましとぞ歎ちけるとぞ、其人をしらまく欲せば、先づ其の友を見るべかる、この一斑の譚を見ても、勇(いさみ)が全豹をぞ推すに足る。

国粋主義系の雑誌らしいんだけど朝敵をこんなに褒めていいのか。忠義を尽くして死ぬ話がやはり好きなのか。

コラムの後半では坂本龍馬暗殺の話が書かれていて、この頃はやはり「龍馬を殺した男」という印象が強かったようだ。

明治29年『近藤勇の少年時代』中野三鷹子

『家庭雑誌』という婦人向け雑誌掲載されたコラムらしい。

著者本人が古老に取材したもので、幼少期の勇が近藤周助の養子に迎えられて「近藤勇」と名乗るまでを紹介している。

是より後のことは明治維新の史にくはしく、今更いふべき要もなし、唯其妻の事継嗣のことおよび処刑後の事并びに近藤勇と尤も関係ふかき土方歳三ことなどは、世に知られざるふし多しそは又時をかへて語らん。

として次号に「近藤勇の妻及子」、また別の号に「土方歳三少年時代」が掲載されている。

婦人雑誌でも「今更いふべき要もなし」と言うほど近藤勇知名度は高かったのだろうか。

花を浮べし徳川の流れの末荒浪立ち騒ぎて、二百六十余年は名残の夢となりける時、武士道の意気地を立て貫きて、板橋の草に赤きこころの血を染めたる近藤勇の名を知る人は、函館の浦吹く風に露と消えたる土方歳三の名を忘れざるべし。

かっこいい。

明治30年『幕府名士近藤勇』松林伯知

松林伯知は、永倉新八から『浪士文久報国記事』を借りパクした疑惑があることで知られる講談師で、新撰組講談主人公とした最初期の人物だったという。

巻末に「夢物語」と題した短編が収録されていて、それは函館に入った土方歳三が「公武合体成功した新政府のもとで陸軍を率いる近藤勇海軍を率いる坂本龍馬が仲良く会話する」という夢を見る、というifルート的な内容のようだ。胸熱

本編では、坂本龍馬暗殺したのは近藤勇ということになっているし、新撰組結成前に江戸近藤勇坂本龍馬が手合わせをしていた、というような場面も描かれている。

明治30年『坂本龍馬(名士伝)』竹林巌

少年世界』という、その名のとおりの少年向け雑誌掲載された坂本龍馬の伝記で、そこに近藤勇が登場する。

人と為り魁夷、斗酒を嗜なみ、勇悍独歩肝臼の如し。幕の末路に当り新選組の長となりて徳川氏の為め新日本の活舞台上に仇すること実に巨多なりとす。彼は常に歩百歩の外に潜行して西郷大久保坂本等を暗殺せんと睨むこと茲に年ありき。就中龍馬が大勇は向に新選組百有余人をして全く色なからしめ、以て其長たる勇(いさむ)の面目を天下に唾し去り。(中略)勇(いさむ)は今や血燃え、涙滾りて自から禁ずる能わず。すなわち刎頸の友、土方歳三を招きて何をか耳語すること久し。忽ち相頷きつつ頗る決色ありき。

として近藤勇土方歳三は、二人して坂本龍馬暗殺に向かうのだった、という筋立てになっている。暗殺の場面は『汗血千里駒』を踏襲している。

明治31年『新撰組十勇士伝』松林伯知

こちらも松林伯知の講談を筆記したもの

前述の『幕府名士近藤勇』には沖田総司永倉新八は出てこないが、こちらの『新撰組勇士伝』には登場する。

ただし、沖田が天才剣士だとか、そういうキャラクター付けはまだ無く、せいぜい「名前のある脇役」くらいの立ち位置のようだ。

芹沢鴨暗殺山南敬助切腹伊東甲子太郎との敵対池田屋事件などのエピソードはある。

また、こちらでは龍馬暗殺近藤本人ではなく「近藤勇の命を受けた佐々木只三郎」によるものということになっている。

京都見廻組佐々木只三郎らが龍馬暗殺したという説は明治2年には出ていたようなのでそれを取り入れたものか。

明治41年『二十世紀之京都』

京都観光ガイドブックらしいが、壬生寺についての紹介で新撰組言及がある。

節分には疫除祈祷の為め参詣者群れを為せり、去れば維新前後天誅組と称し近藤勇土方歳三など当寺に立籠り壬生浪士といへば婦人子供の戦慄せし当時を思へば御代太平を喜こばぬ者はない

当時の京都人の認識がうかがえるものの、「天誅組」といえば倒幕派武装集団なので新撰組とは正反対存在である

単なる勘違いなのか、それとも庶民あいだでは混同されていたのか。

明治44年『幕府名士近藤勇』『怪勇後の近藤』玉田玉秀斎

松林伯知のものと同じタイトルだが別の講談師によるものらしい。

こちらには沖田総司永倉新八斎藤一らも登場するが、池田屋事件の場面において、

中にも沖田惣司の働きに至っては実に目ざましい、此処彼処と戦ふて居りまする中に、最う最後と思ふ、折りしも何処からか一人の敵が、惣司の袖の下を潜って逃げんとする 沖田「己れッ………」と云ひながら躍りかかつて、エイッ……只だ一刀に斬って落とした、其の時に急に持病の肺患が起つて其の場に気絶をした

とあり、喀血ではないが、沖田総司の発病の描写があるのが興味深い。

同じ明治44年に刊行された鹿島淑男『新選組実戦史』(デジタルコレクションには1975年の復刊版しかない)にも同様の記述があり、そちらは新聞連載をまとめたものだというので、講談師が紙面で読んで取り入れたものか。

ちなみに『新選組実戦史』は吉島力『新選組顛末記』の元ネタで、『新選組顛末記』は子母澤寛新選組始末記』の元ネタらしい。

まとめ

明治の始めにはまず「近藤勇個人が知られ、「新撰組」はそれに従属する情報にすぎなかった。

・『汗血千里駒』によって坂本龍馬の人気が高まるにつれて、「坂本龍馬暗殺した男」として近藤知名度を上げた。

近藤の腹心として土方歳三が登場することは多かったが、それ以外の隊士たちはほとんど取り上げられなかった。

近藤は概ね「維新志士の敵ではあったが立派な剣士だった」と捉えられていた。

しかエンタメ寄りの勧善懲悪ものでは典型的な悪役を演じることもあった。

・やがて永倉新八の『浪士文久報国記事』などをもとに、近藤勇主人公とした講談が演じられるようになった。

明治末にはさまざまな証言資料が揃ってきてディテールが深まり近藤土方以外の隊士が取り上げられることも増えていった。

・やっぱり京都からの評判は悪かったらしい。

2024-02-27

Dishonored、1も2もゲームとして面白いんだけど2はシナリオ面でちょっと萎え

1は女王暗殺され、跡継ぎである王女拉致され、女王護衛官の主人公王女を救出し陰謀に立ち向かう話

女王には王配はおらず、父親を明かさないまま未婚で王女を産んだ

父を知らない幼い王女主人公を父のように慕い、擬似的な親子関係がある

ところが2では、冒頭の会話の中でさらっと二人が実の親子であると明かされる

血の繋がりはなくとも絆で結ばれた擬似親子ってのが良かったのでショック

女王への思いも、純粋忠義じゃなくて男女の関係だったのかよ

未婚の母である女王について「相手って護衛官じゃね」と噂してるモブとかそういえばいたけど

主人公武力を認められて取り立てられたが辺境出身血筋が卑しく、王配としてふさわしくないので結婚はできなかったようだ

他の男との結婚はできないと操を立てつつ、跡継ぎつくるのも為政者義務からシンママになったのかな

擬似親子や忠義萌え燃えを感じていたからなんかなあ

1の時点でカンのいい人は気づいてたようだから、にぶいだけかもしれないが

2023-10-21

平安時代貴方タイムスリップしました。

まず何をしますか?

この質問に答えるのは難しいです。平安時代日本の歴史の中で非常に重要時代ですが、現代人にとっては馴染みのない文化や習慣が多くあります

私は平安時代タイムスリップしたら、まず以下のことを考えると思います

平安時代貴族僧侶武士などの階層社会でした。

自分がどの階層に属しているかによって、生活や行動の制約が大きく変わります

例えば、貴族であれば宮中邸宅優雅生活を送ることができますが、一方で朝廷政治恋愛駆け引きに巻き込まれ危険もあります

僧侶であれば仏教の教えに従って清らかな生活を送ることができますが、一方で寺院間の争いや国家権力との関係に悩むこともあります

武士であれば武芸忠義に生きることができますが、一方で戦闘や反乱に巻き込まれ可能性もあります

また、身分が低い者であれば、農民奴隷などとして苦しい生活を強いられることもあります

しかし、その方法簡単に見つかるとは限りません。

タイムスリップの原因や仕組みを解明する必要があります

また、現代技術知識を使って時代を変えてしまわないように注意する必要もあります

例えば、現代医学科学を使って人々を助けたり、平和を促進したりすることは善意行為ですが、それが歴史の流れに影響を与えてしま可能性もあります

その場合自分時代に戻ったとしても、元の世界とは違う世界になってしまうかもしれません。

平安時代タイムスリップしたら、現代に戻る方法を探すだけでなく、その時代文化歴史を学ぶことも有意義だと思います

平安時代日本文化の発展や多様化寄与した時代です。

和歌物語絵画建築などの芸術作品が数多く生み出されました。

また、中国朝鮮半島などの外国との交流も盛んでした。

平安時代タイムスリップしたら、これらの文化的な側面を直接体験することができます

それは現代では得られない貴重な経験だと思います

以上が私が平安時代タイムスリップしたらまず考えることです。

もちろん、実際にはもっと様々なことに直面するでしょう。

平安時代タイムスリップすることは想像以上に困難で危険なことですが、同時に魅力的で興味深いことでもあります

2023-10-14

anond:20231014093808

その昔、日本はおろか東アジア大手フェミニストASD男性批判していた。

彼女に恩義忠義ある言論人はその流れに従うだろう。

また、近年のカサンドラ症候群ブームヤングケアラーブームきょうだいブーム、強度行動障害ブームも、理想主義者ASDの厳しい現実を知らしめた形だ。

2023-10-13

anond:20231013101415

逆になんで必要ない人間を雇っとく必要とか義務とかあるんだよ

日本っていまだに幕藩体制なんだよな

忠義を誓ってきた侍を切るなんてって感覚

ただの仕事やろ

金にならなかったら関係を解消するのは当たり前だとおもうが

どっちのサイドも

2023-10-10

anond:20231010164546

この情勢でジャニーズに残るって保身どころか忠義だよなあ

最近(?)の石田三成関ヶ原の戦い周りの説



こういうのを読むと何となく石田三成忠義の人というより、超可哀想中間管理職って感じがする

もし家康が重家を大阪に送らず自分の手元に置いていたら東軍についてたifもあったりしたのかな

上の説もどこまで本当がわからないけど

ただ、どうする家康はこのルートで行きそうな気がしなくもない

どうする家康の三成は秀吉のこと慕ってはいるけど、違うかもって感じてそうだし

2023-09-12

ジャニオタジャニへの想いは意外と弱いのかも

最近騒動ジャニオタジャニーズ所属アイドルへのロイヤリティー(忠義)が大したことないことを知った

ジャニーズの中でも勢いが下がったり事務所のプッシュが終わったら平気で推し変するのが普通、なんならその次に推すのはEXILE系やKPOP、なんなら羽生結弦でも良い

推してる間は確かに忠誠心は高いが、一度冷めたらさようなら

女性恋愛観のステレオタイプと同じっぽい

今は騒動最中からジャニオタジャニーズ擁護で騒いではい

ただ、このままジャニーズ外しが続いたら「EXILE系に流れよう」とか「やっぱ時代はKPOP」と簡単に他に流れるだろう

そして、数年ジャニーズ外しが続いたらこ騒動が嘘のように誰もジャニーズを見なくなるのではなかろうかと思っている

多分ジャニオタや他男性アイドルオタの多くは推しのかっこよさや演技力などのスキル面ではなく、テレビにたくさん出る力を持つ人=権力に憧れているのだと思う

まり多くのジャニオタジャニーズからその権力がなくなったらジャニーズを推す理由がなくなる

からジャニーズという権力既得権益を捨てられず名前を残すしかなかったんだろうな

ジャニオタたちが所属アイドルではなく権力に惚れていることを1番よく知ってるのがジャニーズ自身から

2023-08-02

anond:20230801214058

ワイは会津藩リスペクトしとるで

地元太閤はんのお膝元やったか徳川幕府は嫌いやけど、容保さまの忠義あっぱれやわ

2023-06-18

ローズマリー・サトクリフローマンブリテンシリーズ本一覧

※ほぼメモ書きです。

 ローズマリー・サトクリフ(Rosemary Sutcliff, 1920-1992)といえば、『第九軍団のワシ』をはじめとするローマンブリテンシリーズで有名な作家である。このシリーズは、一般ローマンブリテン三部作(『第九軍団のワシ』、『銀の枝』、『ともしびをかかげて』)ないし四部作(『辺境オオカミ』も加える)と呼ばれている。岩波書店でもそう書いている。

https://www.iwanami.co.jp/book/b269788.html

 一方、英語版Wikipediaのサトクリフの項目を見ると、『第九軍団のワシ』シリーズは他にもある。要は、4部作で終わっているというわけではないのだ。ファンサイトSutcliff Wikiでは、正式名称ではないとしつつ、"Dolphin Ring"と呼称している(一方、第九軍団のワシ、銀の枝、ともしびをかかげてを指してRoman Britain Trilogyという言葉遣いもされている。実際、1980年にThree Legionsというタイトルでセット本が出ている)。その作品群について整理しておく。

(1)作中時系列

2世紀:第九軍団のワシ(The Eagle of the Ninth)

3世紀:銀の枝(The Silver Branch)

4世紀辺境オオカミ(The Flontier Wolf

5世紀ともしびをかかげて(The Lantern Bearers)

5世紀:落日の剣(The Sword at Sunset)

6世紀夜明けの風(Dawn Wind)

9世紀:剣の歌(Sword Song)

11世紀:盾の輪(The Shield Ring

(2)出版順(訳者無記名は猪熊葉子

1954年:第九軍団のワシ(Oxford University Press)→岩波書店1972年

1956年:盾の輪(同)→山本史郎訳『シールドリング ヴァイキングの心の砦』原書房2003年

1957年:銀の枝(同)→岩波書店1994年

1959年ともしびをかかげて(同)→岩波書店1969年

1961年夜明けの風(同)→灰島かり訳『夜明けの風』ぽるぷ出版2004年

1963年:落日の剣(Hodder and Stoughton)→山本史郎山本泰子訳『落日の剣 : 真実アーサー王物語原書房2002年(2巻本)

1980年辺境オオカミ(Oxford University Press)→岩波書店2002年

1997年:剣の歌(The Bodley Head)→山本史郎訳『剣の歌 ヴァイキング物語原書房2002年

 これらの作品群がファンWikiDolphin Ringと呼ばれているのは、言うまでもなくアクイラ一家のあのイルカ指輪(=古代ローマ人のハンコ)が共通して登場するからで、時代の流れとしても共通した設定を持っているかである。ただ、『三銃士シリーズのような一貫した主人公陣営を描いているわけではない。第九軍団のワシの主人公マルクス・フラーウィウス・アクィラ(訳書には従っていない)は、元々属州ブリタンニア駐屯するローマ軍団に属していて、家のルーツエトルリアにあるから、もとはといえばイタリア半島人間なわけだ。ところが、彼が色々あってブリタンニア定住を決め込んだことが指輪運命を決めている。『銀の枝』の主人公ティベリウス・ルキウス・ユスティニアヌスジャスティン)とマルケルス・フラーウィウス・アクィラ、『辺境オオカミ』のアレクシオス・フラーウィウス・アクィラ、『ともしびをかかげて』の主人公アクィラ(上の名前は不詳)は、いずれもマルクスの子孫にあたる。

 もっとも、ローマ軍団が描かれているのは『辺境オオカミ』までであり、『ともしびをかかげて』はローマ軍団がいなくなったあとのブリタンニアを描いている。基本、サクソン人とブリトン人との戦争が描かれる。『落日の剣』はその後日譚にあたるが、主人公アンブロシウス・アウレリアヌス(この人は実在人物で、サクソン人と戦っていたブリトン人指導者)の甥アルトス(アルトリウス)となっている(もちろんアクィラも登場するが)。つまり本書はアーサー王伝説の翻案なわけであるしかも『ともしびをかかげて』よりも長い。『ともしびをかかげて』は、20年ほどを描くが、後者は40年ほどのスパンがある。本書は明らかに大人向けであり(ファンWikiにもFor Adult Readersとある)、児童書である他書と毛色がかなり異なる。

 『夜明けの風』はアルトスよりも100年ほどあとの時代で、デオルハムの戦いで壊滅したブリトン人王族の生き残りオウェインが指輪を持っている。『剣の歌』では主人公ヴァイキング少年ビャルニ(指輪は、ウェールズで暮らす少女アンガラドが持っている)になっている。そして時代的にはもっと最後にあたる『盾の輪』の主人公もまたヴァイキング少女フライサと孤児ビョルン(後者指輪を持っている)で、湖水地方に立てこもってノルマン人抵抗する様が描かれる。

 見ての通り、厳しい立場に立たされた者を主人公にするというプロットはほぼ一貫している。『第九軍団のワシ』は父親不名誉(ちなみに時代はあのハドリアヌス帝の治世にあたる)、『銀の枝』はカラウシウス帝に忠義を尽くした故に叛逆者となってしまった二人(なおこの頃の皇帝といえばディオクレティアヌスだ)、『辺境オオカミ』は軍人としての失態だが、同時にローマ帝国辺境民族ピクト人)との戦いが背景にある。『ともしびをかかげて』は撤退するローマから脱走して敢えてブリタンニアに残った主人公の苦労が描かれるが、彼の立場を厳しくしているのは、サクソン人のブリタンニア侵入である。サクソン人と戦う側が主人公になっているのは『夜明けの風』が最後で、『剣の歌』以降はヴァイキング主人公になっている。アングロ・サクソン人ブリテン征服が一段落して平和になったと思ったらデーン人がやってきたわけだ。さらにそのデーン人ノルマン・コンクエストで痛めつけられる(ノルマン・コンクエストは、思いっきり誇張すればデーン人(+アングロ・サクソン人)対ノルマン人の戦いであり、こいつら全員元をただせば海賊である)。ローマ人、ピクト人ブリトン人、サクソン人、デーン人ノルマン人イギリス史に登場する諸民族の融和がシリーズのコンセプトとなっている(それは第一作の時点から明らかで、イルカ指輪は父を殺害したピクト人長老マルクスに返却している)。

 出版年代を見ると、最初の『第九軍団のワシ』とシリーズ最終作となる『盾の輪』がもっとも早く出ていることが分かる。そして63年の『落日の剣』まではほとんど2年おきに出している。それから間が空いて80年の『辺境オオカミ』と遺作の『剣の歌』がある。特に『剣の歌』は推敲が十分でないように思われる箇所もある(作業途中で亡くなってしまったのだろう)。日本語訳では『ともしびをかかげて』が一番早い(おそらく、内容的に最も評価されているのではないかと思う。カーネギー賞もとっているし)。明らかに児童文学ではない『落日の剣』はともかく、児童文学作品でも猪熊訳と山本訳(と灰島訳)とに分かれる。版権取得の問題かもしれないが、あるいは猪熊作業量の限界だったのだろうか(1928年まれだし)。そもそも夜明けの風』は『ともしびをかかげて』の割と直接的な続編といって良いだろう。なお、自分の親は子どもの頃に『第九軍団のワシ』と『ともしびをかかげて』を読んでいたようだ(サトクリフ名前を出したら「あの小説か」と反応があった。結局「三部作」を貸している)。年齢が結構高い人でも、その二つは知っているのではなかろうか。

 英語圏では多分されていない「四部作」(第九軍団のワシ~ともしびをかかげて)という言い方も理由がないではない。この四つはシンメトリカルな構成をしている。『第九軍団のワシ』『辺境オオカミ』と『銀の枝』『ともしびをかかげて』(つまり13・24)と並べられる。前者では、主人公は百人隊長として失敗したあと、北方辺境名誉回復を遂げる。後者では、大陸への渡海という選択肢を捨て、ブリテン南部で戦う。「四部作」はアクィラ家のアイデンティティローマからローマンブリテンへと移り変わっていく物語なわけである(既に『銀の枝』でカラウシウス帝の口からローマ帝国亡き後にどうローマを残すのかというテーマが語られる)。そしてもはや「アクィラ」という名前が語られなくなった世でも、困難に立ち向かうアクィラ家の精神は、イルカ指輪象徴されてあとからきた民族へと受け渡されていく。そして現代イギリス人にも・・・というのがサトクリフの言いたいことなのだろう。

2023-05-08

結婚して子供を産むのが正しいの、生まないのが正しいのでケンカしてる光景インターネットでザラだ。

そんなもの正しいと思ってる人には正しいし、そうでない人にはそうでないだけの話で。意味があると思ってる人にはあるし、無いと思ってる人には無いだけ。

当然の話で、人が生きるのも、社会に参加するのも、生物が種を残すのも、理詰めで言えば何の意味もない。存在の話ではなく当為のそれなんだから

大人義務責任?どこから湧いた?生産性?何の為の?社会の維持?何の為に?人権思想?何の為に?生きるため?なぜ?

子供を作る事に限らず、人の営みはリンゴが上から下に落ちていくのと本質的には何も変わらない。

現実的議論としては、人権思想公理であり土台となっていて、そこで一旦は打ち切られる訳だけど。それにこれはあくまで「お気持ち」や「主観から離れた場合理屈だ。

まあ人権という公理から導き出される規範一義的ものではなくて、それぞれの解釈が対等だからまた言い合いになるんだけど。

その対等な言い争いは民主主義と呼ばれて割と尊重される。しか人権を認めるのであれば、人に結婚出産をするな、しろ強要できる道理はどこにもない。

そもそも社会を生き長らえさせる意義を感じていない人間に対して、子供を持つ事がいか社会の持続に必要かを説いても無駄

人生に先立った苦しみなどなく、行い次第で如何様にも幸せになれる。と信じている人間に対して、辛く苦しいだけの生を生み出す残酷さを熱弁するのも然り。

前提が揃っていない段階で話をしてもボタンの掛け違いになっている。

共通認識を揃え、対等な異なる意見を持ち寄って考えを深める事はあっても、最終的にどちらに転ぶかは自分の納得の問題だ。

全ては無意味、と言うとすぐ冷笑と抜かす人間がいる。無意味開き直りさら他人を巻き込もうとすればそうかもしれない

しか規範において、理詰めで言えば無意味である事実は変わらない。

それを歪めるのは不誠実な物の考え方ではなかろうか。いくら生活の為にはある程度の忘却思考停止必要と言ったって。

ともかく、無意味はいっても自分の中で実感や確信に基づいて意義を見出す事は可能だし、多くの人がそうしてきて、今もそうしてる。

そもそも意味などを問う以前に、まず生きる事そのもの価値のある、というよりあまりにも当たり前のものだと思っている人も少なくないんだろう。

しろその方が多いかもしれない。もっともそれにしたって、意識的であれ無意識であれ生を肯定する規範信仰、納得を持っている訳だけど。

世界に元々用意された意義なくて、そこに「正解」を用意したらそれは宗教だ。

別に宗教が悪いとは1ミリも思わないけれど、それを押し付けるのがいかグロテスクかは歴史を見れば明らかで。

他者生き方に口出しをしてかくあるべしというのは、自分選択に腹の底から納得できていないじゃなかろうか。これは理屈の話と言うよりは邪推だけれど。

一度きりの人生自分選択が、価値観が「間違い」だなんて思いたくはない。そんな疑問が浮かびもしないほどの実感と納得がある生き方をしたいもんだ。

でもそう強い人ばかりでもない。自分選択に自信がないが、自分の中に納得の源泉がない。だから外部にそれを求める。他人肯定してもらいたい。

同じ意見を持つ人間と集まって、互いに肯定し合う。あるいは単純化した二項対立の上、自分の対岸にいる者を「間違い」だと断罪し、そして自分は正しいんだと思う。

そうした正当化健全か不健全かは知る由も無い。が、考えの異なる者同士、互いに説教罵倒を受ける道理は無い。

視野狭窄知識が足りていないように見える人間に対して「こういう見方もあるよ」と助言する事はあるかもしれない。教育とは、学びとはそういうものだ。

しかしそれが強く押しつけがましく攻撃的で否定的、あるいは過剰に肯定的なものですらも、そこには自分と同じでない他人への苛立ちがあるのかもしれない。

多数決安心したい、人と一緒でいたい、と。

社会の利害調整を問うなら互いに言い分もあるだろうけれど、生き方問題に口を出すのはナン ノブ マイ ビジネス(夜に影を探すようなもの)だ。

その点、受け売り胡散臭い政治思想アイデンティティ価値観が悪魔合体している人は非常に厄介という事になる。

まあ上から目線説教する道理もなかろうけど、なかった所で誹謗中傷やらにならない範疇批判をするのも勝手だ。

よしんば中傷じみた人格攻撃でも、そんなもんネットに溢れてるし、それで捕まるのも稀だ。という事を踏まえて平気でやる人間がいるのも事実としてある。

悲しいね

等しく無意味人生価値を見出せるのは自分だけだ。上手い飯を食うでも、芸術を愛でるでも、ギャンブルに狂うでも、何だっていい。

愛に囲まれ他者から存在肯定してもらうのも、神様を信じてみるのもいい。それは一見外部の他者価値を与えてくれるように見える。

しかし結局それによって得た納得が湧き出るのは自分の心の中だ。

「敵」を罵り「仲間」と慰め合って拵えた後ろ向きの納得よりも、内から発される声に対して真摯に耳を傾け、それに従った方が良い、ような気がする。私は。

まあ私だってきっと自分の考えに腹の底から納得できていないから、こんなサイトに長々と文章を書いているのかもしれない。

勿論意味など最初から問わない、忘却するという選択だって大いにあり得る。今際の際に蓋していたものが頭を過るのが怖くて私は出来ないが。

人をブチ殺して回りたい、それが私の納得する生き甲斐だ。こう思うのだって非難される、というか過剰に誹られる謂れはない。

なんなら思うだけではなく、法だの人権だのがいくら殺人ダメと言った所で、別に実行する事は可能なのだ。現に殺人事件は一定的に発生している。

出来るからやって良いなどとは言っておらず、可能事実があると言っているだけですからね。

当然我々が恩恵を受ける司法人権思想のもと、社会によってしばかれるだけだが。バレなきゃしばかれないけど。

茨の道が待っていると知った上で尚もその納得、価値観を手放さないというのなら、私は敬意すら覚える。当然自分が殺されるのは御免で、それはまた別の話だが。

個人主義民主主義社会範疇における多様性とはそういう事なんだろう。

お気持ちがどうとか主観がどうとかいった言葉を使って何か言った気になってる人がいるけど、事実でなく規範を語るなら感情論で当然なんだよね。

絶対的な真理、善、正義を信じる本質主義者なんで、と言われたらそれまでだけど。

金持ちネオリベかぶれるのも貧乏人がその逆になるのも当然だろうし、いくら事実論理を積んだ所で最終的には感情論

勿論ノブレスブリージュを語る金持ちも、支配者への忠義大事だと思う貧乏だっているかもしれない。

それもまた価値観や納得に基づいたものであって、どちらに転ぶか、必然性はない。

それに人を説得しようという時に必要なのは論理だけじゃない。

ブーメラン」はロジカルを自負するインターネットマンの口癖だけど、言行不一致は理屈ではなく感情問題だ。

殺人犯が「人殺しダメ」と言ったらどの口が言うかって話だけど、言ってる事は間違ってない。

でもやっぱりコミュニケーションにおいて心象というもの無視できないので、お気持ちのない、ポジショントークでない意見など神様しか言えない。

あいくら社会性に則った無難な話をした所で、「こういうヤツ、バカですw」みたいな強い言葉を使った話にばかり注目が集まるのも悲しい事ですね。

2023-05-03

年寄りとZ世代対立する理由

最近上の世代(40~50代)と下の世代20代)が仲たがいして20代が辞めるケースが増えてて思うんだけど、

原因は以下のような差異にあると感じた。

つまるところ、年寄りサイドは仕事を生涯大事にし、若者サイドは嫌なら辞める

(がまんして熟年離婚するより、無理だと思ったら即相手を見捨ててより良い環境に行く)ものだあと思う。

年寄りサイド

仕事は辞めないものとはなから決めつけている

仕事にかこつけてキレるのは当然の権利と考えている(良くも悪くも)

仕事がつらくても我慢する

仕事がつらければプライベートはおろそかにする(独身なら自由時間が減る、所帯持ちなら嫁さんにしわ寄せがいく)

会社には忠義を尽くす

若者サイド

仕事はいやだったら辞めるものとはなから予見している

仕事感情的になることはない(良くも悪くも)

仕事がつらければ愚痴を吐く

仕事がつらくてもプライベート大事にする

職場環境が嫌になれば会社は辞める

2023-03-09

惜しみて余りある忠義の者共なれど、あの日の雪の如き純白の忠誠心世俗の垢に汚したくはない

今ここで法に従い、生命を捨ててこそ、彼らの忠誠心未来永劫絶えることなく、

永遠にこの国の人々に語り継がれてゆくことでございましょう。

2022-12-15

anond:20221215140409

時の将軍が「赤穂浪士カッケー忠義切腹していいよ!吉良も悪い!喧嘩両成敗!」ってしちゃったからこんなことになったんだっけ?

2022-12-14

[] そのごひゃくじゅういち

メリィキリヒミテーッス

 

本日人類が初めて南極点に到達した日だから南極の日、そして日本では忠臣蔵で有名な吉良邸討ち入りの日ですね。

 

集団心理って怖いですよね、たった四十七人が団結して人一人ぶっ倒しに行くだけでも今では判断が分かれますものね。

ただ刀ぶん回した奴が悪いんだからそれで解散させられたのの腹いせに始末しに行くアイツら意味わからんくない?みたいな最近の言説とか

いんや忠義忠義忠義天晴れ天晴れ天晴れ!!で押し通してきたこれまでとか

冷静に「いやまずいっすよ、恥かかされたとかも意味わかんないっすよ」って指摘してくれる人が居たらまだ彼等も踏み止まれたのか、それとも「上司がやられることあったらマジ、やったりますよマジ」だったのか。

時代によって判断が分けられるぐらい物語として出来がいいのかもしれませんね。

今やったら悪いのは四十七士側ですもん。テロリストです。ゴリゴリ反社

でも一揆とかも発生することがあった時代の話だし、現代でも暴動は発生するし、だからこそ「これはこれ、それはそれ」を判断できることが大事になるのかもしれませんね。

まぁそういうのを裁判所とかが上手くやってくれるから現代ってすごいねって話かもしれません。

 

ということで本日は【適切な判断いか】でいきたいと思います

適切な判断いか!適切な判断ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

戦争放棄赤穂浪士討ち入りの矛盾について

本日12月14日は赤穂浪士達が討ち入りを果たした忠臣蔵の日である

今年8月の終戦の日には戦争放棄と不戦の誓いの思いを強くしたのに、そのわずか4ヶ月後には赤穂浪士達が忠義武士道を貫いたことが賞賛されている。

私が終戦の日忠臣蔵もどちらも信用できない最大の理由がここにある。

日本人として本気で不戦の誓いを新たにするのであれば、忠臣蔵を美化するわけにはいかないのではないか

忠義武士道に殉じた赤穂浪士を美化するのではなく、一人の老人を私刑にしたテロリスト達として扱わなければ整合性が取れない。

日本人は誰も戦争放棄する気なんか全くないのではないか

あるいは戦争放棄するのは太平洋戦争だけで、忠臣蔵明治維新日清日露戦争第一次世界大戦戦争放棄しない、ということにしているのではないか

いや、不戦の誓いを持つならば、全ての戦争放棄しろよ、赤穂浪士テロ集団指定しろよ。

2022-11-22

モーセ十戒』と『7つの大罪』が無能排除実用的すぎてヤバイ

十戒

主が唯一の神であること

基本中の基本。一つの集団形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。

また、無能な味方を排除する際にも、一言背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である

偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止

これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。

神の名を徒らに取り上げてはならないこと

ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。

恐ろしいことにユダヤ人祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。

安息日を守ること

休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。

父母を敬うこと

家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。

殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)

当たり前。でも、別に生存競争否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在集団内にいていいわけがない。

姦淫をしてはいけないこと

昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。

盗んではいけないこと

これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。

偽証してはいけないこと(嘘を言ってはならない)

同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである

隣人の家をむさぼってはいけないこと

宗教集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である

七つの大罪

やけに生活観のあふれるユダヤ十戒と比べて、キリスト教七つの大罪は、完璧戦時中、もしくは争乱に特化したつくりになっており、飢饉や疫病、戦争といった中世暗黒時代かほりあふれる、無能な味方の割り出し方法となっている。

傲慢

主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位自分世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。

嫉妬

これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。

憤怒

喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実

怠惰

これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。

強欲

これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉場合集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。

暴食

これは、完璧飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。

色欲

十戒姦淫の部分と同じである

七つの美徳

上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須技術となる。

忠義希望勇気純潔、慈愛、純愛友情、誠実、知識正義分別節制貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品

・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望純潔上品といった要素が含まれるのも仕方がない。

もし、ネガティブ好色下品な仲間がいたら、あなたのいる集団にどんな未来がありますか?

2022-09-20

anond:20220920000624

給料を上げず、退職届を出したらそれをビリビリにして、自分の大切な人にひどいことをすると恫喝してきた人間にもう忠義もクソもない

anond:20220920000322

雇い主に死ねばいいとは世も末だ

忠義の心がないのか

2022-08-30

日本でも滅ぼした国の女を奴隷にすることはあった

徳川鳥居元忠という忠義武将がいるが、

馬場信春の娘を探すように家康からお触れが出ていたところ、黙ってかくまって嫁にしたらしい。

「嫁のようにしていた」という表現日本ならではだが、ていのいい奴隷ともいえる。

なぜなら武田の名門の娘が理由もなく徳川副将の嫁になることはないかである

このように戦国時代女性は非常に弱い立場にあった。

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