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はてなキーワード: 明治以降とは

2024-11-07

anond:20241106225838

賛成派も反対派もお気持ちベースから議論にならんのよ。

個がどう思うこう感じるって話ならそいつ勝手にすりゃいいだろって結論しかならんもの

ではなくて、日本明治以降続けてきた姓にまつわる制度を変えたら未来にどんな意識社会の変化が起きるのか。その視点がまるっきり欠けてる。

これは日本人のありようを変えるのか変えないのか。変えるならどう変えるのか。

そういう話だと思う。

歴史学とか社会学ってこういう時のためにあるんじゃないの?

2024-11-02

anond:20241101141826

あれっ? 日本て昔から伝統的に夫婦同姓だったの? 明治以降欧米の真似をして夫婦同姓にしたんじゃなかったっけ??

2024-11-01

anond:20241101154537

姓 天皇からもらう称号

苗字名字 所属を表す。◯◯村の、××殿様の領民のって意味 公的な場では武士しか名乗っちゃダメ


明治以降

姓と苗字名字悪魔合体して現代の姓に

称号でも所属でもなく家を表すものに変わる







よしこれにて一件落着!!!

2024-10-25

anond:20241025112126

明治時代言文一致運動文語口語区別しているから、

それまでの  〜で候 とかがカッコ悪いってんで文語だって話になって

小説家が改めようってなって、〜だ 〜である を使い出した

から、 〜である は口語のうちだよ

侍なんかが、手紙ならず公式の場で 〜で候 を会話に使ったとして

それがおそらく明治以降軍人なんかが 〜である に使い始めたと考えるとしっくりくる

ようは、口語口語だといいながら、実態文語だよということだね

https://www.trannet.co.jp/pre_up/new_column/2008/1113/kosei_7.html

2024-10-15

福島県民は現在薩長を嫌っているのか?

 「地域による」が正確な答えだが、これではどういう事なのかわからない、となる人が多いと思うので、表で示してみる事とした。

薩長嫌い度地域
大嫌い会津若松市
嫌い会津その他
やや嫌い二本松市白河市
関係ない福島市浜通り全域
好き郡山市

 「戊辰戦争被害が大きかったから」というのが薩長を嫌う理由で、それは間違いではないのだが単純にそれだけではない。

  1. 新政府敵対した藩の出身者は「賊軍」とされ新政府出世し難かった(できなかった、わけではないので注意)
  2. 会津地方の開発は、他と比べてかなり後回しになった(山が険しく雪が多い、という表向きの理由があるとはいえ新政府会津が嫌いだからが強く影響していると薩長嫌いの地元民は感じている)

 こちらはかなり後まで((2)はあえて言えば現在まで)続いており、「百五十年前の事をいつまで言ってるんだよ」という声には「そうではない」と言いたい。

会津若松★★★

 会津藩の中心都市戊辰戦争では被害甚大だったし、その後の不利益も長く続いた。

会津その他★★

 会津若松以外の地域戊辰戦争で直接そこまでの被害を受けたわけではないが、長年の会津地方冷遇の影響は強く受けてきたわけで……

二本松市白河市

 会津若松に次いで戊辰戦争被害が大きかった。ただし、中通り地方鉄道道路の整備が早く、そちらの被害はさほど続かなかった。純粋戊辰戦争の恨みだけなら、まあこんなもんだろう。

福島市

 福島県における都市の格を江戸時代基準に見れば会津若松の方が上だった、すなわち県庁所在地会津若松になって然るべきだったのが、あちらが戊辰戦争ボロボロになったため漁夫の利的に福島市県庁が置かれる事になった(養蚕が盛んだったため、当時から豊かな街ではあった) そういう意味では、新政府感謝している……かも?

いわき市ほか浜通り

 会津浜通りはかなり遠く(奥羽山脈阿武隈山地と2つも山を越さないと行けない)、戊辰戦争の話もまあ関係ないと感じる人が多い。

郡山市

 郡山市江戸時代までは荒れ地ばかりの田舎だったのが、明治以降

 という事で、現在福島県もっと人口が多い都市である。安積疎水事業を進めたのは大久保利通を始めとする新政府なので、郡山市民としては新政府感謝する方が自然である。市の南には大久保利通を祀る「大久保神社」があるほどだ。ただ、郡山市でなら誰でも薩長と仲良く……かというと、会津から郡山市に移ってきた人も少なからずいて、そういう人は「薩長のせいで故郷を離れる事を余儀なくされた」と思っている場合もあるので安心はできない。

その他

 戊辰戦争のほか、福島県には三島通庸薩摩)vs自由民権運動、という話もある。これも込みで考えるとさらに複雑になるのでこちらは略。

2024-09-26

江戸時代は藩ごとの司法制度があったが、明治以降は、薩摩長洲司法外国法を少々追加したような司法が導入されたはずだ(保険法分野では鍋島藩長崎藩もありうる)

そして当時の裁判制度がすでに、気狂い的な証拠捏造フリーダムで成立していたはず(だから大審院以降は予審制度もあった)

一方、皇族司法族の懲戒事案の個別案文書は全て「非公開」だから警察検察が、保険金事件ウマーで捏造やらかそうが、まず罰せられんよね

良く知らんけど、袴田事件裏金が動いてなかったら嘘だよなあ

2024-09-16

100年後の歴史的建造物作らなくていいの?

昔の日本人エモい建物たくさん立ててたのに

明治以降微妙だよね

2024-09-03

共同体の変遷と推し

日本社会における共同体形態は、時代とともに大きく変化してきた。かつての故郷を中心とした共同体から会社中心の社会、そして現代の「推し活」に至るまで、その変遷は日本人生活価値観の変化を如実に表している。本稿では、これらの変化を考察し、各時代共同体が持つ特徴と、その基盤となるものの変化について探る。

まず、最も古い形態共同体として、「故郷」に焦点を当てよう。故郷という共同体の最大の特徴は、その「大地」に根ざした不変性にある。人々は同じ土地で生まれ育ち、その土地文化伝統を共有することで強い絆を形成していた。この共同体は、地縁血縁に基づく強固な結びつきを持ち、相互扶助精神根付いていた。自然災害飢饉などの危機に際しても、互いに助け合い、乗り越えていく力を持っていたのである

しかし、明治以降近代化と、特に戦後高度経済成長期において、日本社会は大きな変容を遂げる。地方から都市部への大規模な人口移動が起こり、故郷が担っていた共同体としての機能は徐々に失われていった。その代わりに台頭してきたのが、「会社」という新たな共同体である

会社は、故郷が担っていた共同体機能代替し、終身雇用家族経営など、日本独自の特徴を持つ相互扶助を実現する場となった。ここでの結束の軸は「生産である社員会社生産活動従事することで、安定した収入社会的地位を得ると同時に、会社を通じて新たな人間関係を構築した。会社という共同体は、個人生活を支える基盤となり、そこでの人間関係は時に家族以上に親密なものとなった。

しかし、バブル崩壊後の経済停滞と新自由主義の台頭により、会社という共同体の力は徐々に弱まっていく。終身雇用制度崩壊成果主義の導入により、会社個人関係性は大きく変化し、かつてのような強固な絆は失われていった。日本人は再び連帯を失いかけたのである

そんな中で台頭してきたのが、「推し活」を中心とした新たな共同体である推し活とは、特定アイドルアーティストキャラクターなどを熱心に応援する活動を指す。この新しい形態共同体は、80年代オタクカルチャーとは異なり、より「共同体的」な性質を持っている。

オタクカルチャー個人趣味や嗜好を強調し、それが結果的既存共同体からの逃避や代替の場として機能していたのに対し、推し活はむしろ個人を再び共同体的な枠組みに引き戻す役割果たしている。推し活を通じて人々は、共通の関心を持つ他者との連帯感を感じ、コミュニティ形成している。このコミュニティは、かつての故郷会社が持っていた連帯感に似た役割果たしているのである

しかし、ここで注目すべきは、これらの共同体がそれぞれ何に根ざしているかという点である故郷は「大地」に、会社は「生産」に、そして推し活は「消費」に根ざしている。この変遷は、共同体としての強度が徐々に弱くなっていることを示唆している。

大地に根ざした故郷は、よほどのことがない限りなくならない。生産に根ざした会社も、人が生きている限り必要不可欠なものであり、個々の会社栄枯盛衰はあれど、会社という制度自体はなくならない。会社を移動することで共同体を失うリスクは最低限担保される。

しかし、消費に根ざしている推し活は、消費するための財がなければその共同体に参加することはできない。財とは個人的なものであり、財を失ったときに補完してくれる基盤はほぼない。生活保護などのセーフティネット存在するが、それを受給することは推し活に回す余剰がほぼない状態意味する。

したがって、推し活による共同体は極めて脆弱な基盤の上に成り立っているため、その財を得るために無茶な行為を働きかねないというリスクにつながる。これを読んでいる皆さんの周辺でもそのような現象枚挙にいとまがないであろう。

このように、日本共同体の変遷は、社会近代化個人主義化の過程を反映している。大地から生産、そして消費へと基盤が変化する中で、共同体の強度は弱まり個人が抱えるリスクは増大している。

推し活という新しい共同体の形は、現代人のニーズに応える一方で、社会の安定性という観点から課題を抱えている。今後の社会は、この新たな形の共同体がもたらす利点を活かしつつ、その脆弱性にどう対処していくかが課題となるだろう。

私たちは、これらの課題に対して、どのような社会システム価値観の変革が必要となるのか、真剣に考える必要がある。消費に基づく共同体脆弱性を補完する新たな社会セーフティネットの構築や、消費以外の要素で人々を結びつける新たな共同体の形の模索など、様々な角度からアプローチが求められている。

日本社会が直面するこの構造的変化は、単なる社会現象ではなく、私たち生き方幸福のあり方に深く関わる問題である共同体の変遷を通じて私たちが失ってきたものと、新たに獲得したものを冷静に見極め、より強固で持続可能社会の構築に向けて、一人一人が考え、行動していくことが重要だ。そうすることで初めて、推し活に代表される新しい形の共同体と、伝統的な共同体の良さを両立させた、真に豊かな社会を実現できるのではないだろうか。

2024-07-12

この人18、19歳なのかなと思って

それなら昔はまだ成人扱いじゃなかったし仕方ないかな…?と思ってbioを見たら20歳以上。

いやその年齢なら昔でも大人じゃん

いつまで子供のつもりでいるんだ

まともな政治教育がされた時代なんて明治以降、いや江戸時代以前なんてなかったし

そんなの言い訳にならない

今は昔と違ってネットが普及し自分で調べるのが大分楽になったのに

いつまで他人のせいにするつもりだ

@Nappanonajanai8

私はまともな政治教育がされず、テレビ政権批判を全くせず、大人タブーだなんだと言って政治の話をしてこなかった世界で育ってきたうちら世代批判されるの、結構辛いというか、なんだかな……みたいな気持ちにはなります

https://x.com/Nappanonajanai8/status/1810579401891000421

2024-07-02

anond:20240702080519

どんな時代やねん

非国民」ってことは明治以降だろうけど、投票しなかったことによる迫害なんてないだろ

2024-06-23

anond:20240623134146

日野富子にしても北条政子にしても夫の姓は名乗ってないしね

今の戸籍制度自体明治以降のものなので、そこまで伝統的とも言えない

2024-06-05

anond:20240605170222

財務省紙幣に描かれる人物の選定基準を一部公開してる

https://www.mof.go.jp/faq/currency/07an.htm

これによると、この選定基準により

明治以降人物から採用しています

とのこと

 

これは最近基準だよね

だって昔は聖徳太子かいたからね

さらに非公開の選定基準もあると見られている

たとえば樋口一葉以前は年配の男性が多かった、理由は「シワやヒゲがあるから

絵の細密性、情報度が増し、偽造が難しくなるからヒゲやシワがあるほうが好ましかった

若くして亡くなった樋口一葉がお札の顔に選ばれたのは技術進歩があったからとのこと

 

さら最近紙幣に関しては政治家紙幣の顔にはなれないあるいはなりづらいと聞く

(後世でその業績の評価がひっくり返る可能性があるから

これからすると、血筋天皇地位についていて象徴という位置づけ、政治利用NG、「紙幣に使う」とややこしい活動家が出てきそうな天皇は無理なんじゃない

2024-05-21

「割」っていつから使うようになったんだろう。

あれね。打率とかの割合単位のことね。

ちょっと調べたら、これは「歩合」の単位とされていて、その方面で調べれば過去使用例がわかるらしい。小学生教育方面だと「最初借金の利率で使われた」って説明があったけど、その初出までは書かれてなかった。まあ小学生がそこまで興味持たないだろうからしょうがいか

正直、興味を持ったのは「分」との歴史的前後関係なのだ勘違いしがちだが、「1割1分」の時の「1分」は1%で0.01だが、「五分五分」のときの「五分」は50%でこれはつまり0.5,つまりこの場合の1分は0.1になる。数字の扱いが違うだろうと思ったかもしれないが、「割」はもともと十分率の単位で、十分率を単位とすればその1分は0.1で正しいのだ(このへんはWikipediaにも書いてある)。これを無理やり百分率で例えると、1.1%を「1%1分」と書くようなものだ(実際には今はこういう書き方はしない、例示として書いた)。

とはいえ借金の利率なら最初から「分」で表してもそれほど困るような気がしない。実際前述にもあるようにことわざでは「割」使う場面少ないしね。「割」だけが先に使われていて、その大雑把な率が使いにくくなったから分をあとから付け足したのか、まえは「分」で示していたのが何らかの都合(借金特別扱いしたいとか)で「割」を使うようになってそっちが当たり前になったのか、たぶんどっちかなのだ

税率を割合で示すようなことは租庸調の時代からやってたみたいだから、たぶん文献は豊富にあるはずなんだが、こんな簡単なことがネット検索でわからない。調べるキーワードが足りないだけかもしれないけれど。

 


(追記: ついでにまとめ)

みなさん反応ありがとうございます結果的人力検索になってしまいましたが、もともとこれはそれを目的として投稿したものじゃなくて、自分が「ここまで調べた」のまとめとして書いたものでした。いずれ調べが捗って本当に感謝しています

とりあえず、

ようで、「割」だけが先に使われていて、その大雑把な率が使いにくくなったから分をあとから付け足した、の予想がそこそこ近かったようだ。

 

調べているうちに出てきた新たな疑問としては、

あたり。このへんは今回の疑問から少し外れるので、まあそのうち。

 


ひとつ追記

リファレンス使えば」。これね、時々思う。実際使ったこともある。とある地名表記ブレを、行政機関があまり一般的じゃない方統一した、って時に、それが単なる自治体PR(統一したほうにはそのPR要素があった)なのか、それともまあそうするだけの根拠があったのか、疑問に思って、「その地名の2つの表記古文書での使用頻度」を調べてもらった。ちなみに結果としては30件くらい見つけてもらって、見事に半々っぽい結果だったのでまあ納得することになった。

今回は今回で調べてもらってもいいのだけど、前に頼んだ図書館にはおそらくこれ関連の古文書少ないのよ。そうすると一般書籍記述のあるもの探してもらうことになる。それだったらネットで同じような疑問を持ってそれ調べた人の成果を探したほうが早いの。リファレンス使うとその図書館調査には2,3週間かかることもあるのね。だったら自分で調べてたどり着けなくなってから頼んだほうがいいと思った。そうね、「分」の1/4 1/10 1/60問題についてはそのうち聞くかもしれない。

2024-05-10

なんで「日本人は昔からあらゆるものに神が宿っていると信じていた」みたいな与太話が信じられてるんだ?

いや、そんな神話いたことある

山岳信仰とか巨岩・巨木信仰なんかの自然崇拝はあっても、別にすべての石ころを崇めてるわけじゃないし。

自然現象を擬人化した神とか、自然現象を司っている神みたいなのはいても、人間が作ったもの一つ一つに神が宿るなんて聞かんでしょ。

付喪神

あれは「長年使った道具に宿る妖怪」じゃん。

祟られないようにちゃんと供養しようという話であって、道具を大事しろということではない。

しか付喪神って近世以降はかなりのマイナー概念になってたらしいし。

日本人の心にずっと根ざしてきた大切な教え…みたいなものでは全然ないよな。

他にはなんだ、お米に七人の神様が宿ってるとか?

あれってめちゃくちゃ新しい概念でしょ。

たぶん明治以降に作られた教訓話みたいなものじゃないかな。

何の神なのかも曖昧だし、少なくとも明確に出典があるような話じゃないよ。

道具を大切にしてほしいという気持ちはわかるけどさ、それを正当化するために変な理屈を持ち出してこないでほしいな。

2024-03-14

anond:20240313172419

なんでその時反対したんですか?と聞いたら「そんな風になると思っていなかったから」と答えたジジイ、ばかじゃねーの。

 ← ほんこれ。こんな話は少なくとも明治以降いくらでも繰り返し起こって繰り返し語り継がれてきているというのに、全然知らなかったってことなんかねぇ。無知とは恐ろしいものだ。 

それにしても、こういう馬鹿反対運動で自滅していくメンタリティって一体全体何なんだろうね。 外からよそ者がやってくる事への拒否反応? 変化自体を嫌う心性? なんか閉鎖的で内向きで自滅的で、自殺願望でもあるのかよって感じだけど

2024-02-01

anond:20240201173618

浜松が栄えてるのは、東海道の大きな宿場町だった、ってことも結構大きそうに思うわ

岡崎三河だと大きな街だけど、あれは完全に宿場町の名残と思う

気になったので、豊田刈谷についても調べてみたんだけど、この二つは大きな宿場町はないことが判明した

一方、厚木はどうだったか調べたら、交通の要所で大きな宿場だったらしい

答えは、古くから栄えた街がそのまま現代でも栄えたってことだったっぽいね

なるほど。古くから栄えてる街が現代でもそのままというのは知ってたけど、厚木浜松もそうだったのは知らなかった。

西日本も栄えてるのはだいたい元城下町なんだよな。

そりゃ明治以降近代化していく際に、どこに道路を通したり駅作ったりするかって考えたらその時栄えてるところにするに決まってるから、当然の結果でそうなったんだろうな。

逆に言えば、近代になって新しく要所として確立することに成功した街は全然無いということなのかもなあ。残念ながら…。

千葉の人が郊外型というのは同意

本来駅前商店街が栄えるポテンシャルはあるんだけどね

なぜかというと道路がクソすぎて渋滞がひどいか

俺はあまりの酷さに耐えられず車手放した

かに千葉道路はクソすぎる。

というか千葉、全体的にやる気が感じられないんだよな。

成田空港総武線沿線の一部があるからそれで十分ですわ。あとは千葉ニュータウンとか幕張とか流山とかを東京ベッドタウンにしてやっていきますわ。

くらいで満足してる感じがビンビンする。最初から諦めてるので試合終了ですって感じ。

2024-01-26

島聡容疑者ってこれもう半分はてな民だろ

反日亡国論

反日亡国論(はんにちぼうこくろん)は、日本新左翼1970年代に主張した思想

単に「明治以降日本帝国主義が為した悪行」を批判するのでもなく、

歴史はるかに遡って日本国の建国日本民族による歴史のもの否定し、

反日」の立場から、「日本を滅亡させる」べきと主張し、その絶滅を主張した。

いわゆる「日本人」は、

己が「抑圧者・犯罪民族」たる日帝本国人であることを充分自覚し、

自己否定していかなくてはならない。

日本は償いきれない犯罪を積み重ねてきた反革命国家であり、

醜悪な恥晒し国家民族であるので、

日本を「祖国」と思うこと自体が最大の反革命思想であり、

積極的民族意識・国民意識を捨て去って「非国民」になれと説く。

そして反日亡国論全面的に受け入れて反日闘争の闘士となることで、

初めて「抑圧者・犯罪民族」という「原罪から解放されるとする。

2024-01-20

自民党の党是って憲法改正なんでしょ?

それって戦前というか明治以降

富国強兵開発独裁が一番!」

という価値観ってこと?

それって

汎用機COBOLが一番!」

みたいのと一体何が違うの?っていう。

てか、なんでそんなに

大日本帝国ごっこ

をしたいのか、意味わからん

一体それで、国民になんの得があるんだか。

2024-01-16

歴史ある軍艦島が」っていっても

せいぜい明治以降なんだよなあ

あんまり長くないよね

2024-01-09

anond:20240109033332

から

東京が増えたのは江戸時代からだしもっと言えば集中が始まったのは明治以降

明治に入った時期は人口1位は加賀あたりだぞ

明治に入るまではいい感じに人口分散していた。病的な集中ではなかった

https://diamond.jp/articles/-/273081

しろ関東はだいぶ辺鄙土地だったんだよ

そもそもあそこは江戸時代以降に埋め立てた土地で元々は沼や川だらけで洲みたいになってた

https://suido-ishizue.jp/daichi/part2/03/05.html

2024-01-03

anond:20240103142033

そもそも天皇が死んでいないのに改元たからこんなことになってんじゃね?

当の天皇はナルちゃん憲法でやりたい放題で育ってんだから

っても一世一元の制明治以降だけどな

2023-12-29

anond:20231229091408

札幌でもう十分でしょ

明治以降信じられないほど発展した

2023-11-30

anond:20231130150239

付け加えるとしたら「明治以降に全国レベルで普及した菓子である」ということかな。

まり「○○饅頭」とか「〇〇餅」みたいなのよりも「チュロス」が「チュロ」「チュリトス」「チュロッキー」などの商品名で売られているのに近い。

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