はてなキーワード: 工業とは
1, トラクターで耕す
2, 水をそこそこ居れる
3, 再度トラクターで耕す。代掻きという。こうして田んぼをとろとろの状態にする
4, 水を追加
6, 水を追加
例えば代掻きから田植えが一週間以内というのは、代掻きは雑草のリセットの意味がある。つまりは一週間以上経過すると田植えの前に雑草がしっかり根を張ってしまう。なので雑草が育ち始めるのが先か、その前に苗が根を張るのが先かという勝負でもある。
そして代掻きから田植えというのも、間がなさすぎてもいけない。だいたい2〜3日は開けないといけない。
そして土に負担をかけることもあり、何度も代掻きをしてもいけない。
水があるかどうかではなく、自由に使えるかどうかが大事なのである。
そして苗だ。
苗は自分たちで育てている農家もあれば、農協からかっている農家もいる。
苗は水を大量に食う。っていうか水につけながら育てるし。
ちなみに水なしで太陽の下に放置すると、24時間後には枯れ始める。
農協から農家に届けられた場合、その水はどこから確保するのか。
そして当たり前だが、今できなければ今年は終わりということだ。
仮にもう田植えをしないという判断になれば、雑草が生い茂り、来年田植えをするための準備というのは途方もなく増える。
いや本当に大変なんすよ。
いやわかるよ。
工場もいろんな地域で連動してくるから、一箇所動かないだけで全体が止まるとかありえるんでしょう。
でもさ、此度の戦争を見て、そして小麦が主食の国が大変な目にあっているのをみて、
日本は食料自給率こそ低くても、自国の主食が自国で生産できて本当に良かったなと思ったのだよ。
流石にどうよって思う。
来月なら全然いい。
今月はダメだ。
恋愛だってそうだろ?どうしても会いたいとき、会わなきゃいけなかったときに会えなかったから別れたなんて例はいくらでもある。
支払い期日は月末なのに、来月中旬に融資してもらえたって意味ねーんだわ。
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襟川陽一氏が慶應義塾大学商学部の学生だった頃、下宿先の大家の娘が襟川恵子氏だった。
多摩美術大学のグラフィックデザイン科卒の恵子氏はテレビ局で作画の仕事をしており、
スタジオで紙芝居のようなものをめくるバイトとして陽一氏を雇い、時給4000円を支払っていた。
バイトがきっかけなのか何なのか陽一氏と恵子氏は結婚し、陽一氏は家業の染料販売会社に入る。しかし直後に倒産。
1978年7月25日、家業の再起を期して足利市に染料および工業薬品問屋・株式会社光栄を創業する。
足利は古くからの繊維産業の街であったが、この時代にはすでに斜陽産業となっていて、当初より経営は不振であった。
恵子氏は、1980年10月26日、陽一氏30歳の誕生日にシャープ製パソコン・MZ-80Cを陽一氏にプレゼントする。
陽一氏は仕事の合間にプログラミングを覚え、ソフト開発に取り組んでいった。
社内に「光栄マイコンシステム」というソフト開発部門を設けて、同年12月よりパソコン販売および業務用特注ソフトの開発を開始。
当初より経営は恵子氏との二人三脚であり、店舗は恵子氏の実家の軒先を借りていた。
1981年10月、第1作『シミュレーションウォーゲーム 川中島の合戦』を発売し、染料だけの年商よりも3倍の年商を上げる。
同時発売の『投資ゲーム』のほか、翌年には『地底探検』『コンバット』『ノルマンディー上陸作戦』の各作品が発売され、
これらのソフトはすべて襟川陽一氏自らがプログラミングを手掛けた。恵子氏はソフトのパッケージを描いた。