はてなキーワード: ギャラリーとは
当初こそ面白いけどキッツ…な面があったが段々ちゃんと面白くなっていった意外な枠。
関係者の人が同窓会か文化祭みたいな作品と言っていたが正にそんな感じ。
終盤の超展開も00年代エロゲによくあったトンデモ展開のオマージュと考えればむしろ余程マトモに見えるという。後で見返すと例の手紙が途中でしっかり出てきてたりしてああこれはトゥルーエンドルートだけをアニメ化したんだねえっていう。
あとはメイドさんロックンロールを鼻歌とはいえ令和に聞くとは思わなかったというかよく歌わせたなとか。
エロゲパケを実名のまま出すとか久々っぽい気がするけど実物の画像取り込みにするとそこだけ文字通りの解像度が高くなり、画面全体として違和感が出るというよくある絵になるのはどうしたものか。これを違和感なくやろうとすると新海作品みたく背景まで超精細に書くしかないのだろうけど。
ひたすら暗くて重いやつ。
…だったようなという前シーズンの記憶で視聴。したらやっぱりめっちゃ暗いし重いし良いそうな奴から死んでいくやつだった。
円盤を売りたい勢や金出してる勢は美少女動物園に絶対したがるだろうに全部撥ね除け、ゲームの販促になるかも怪しいぐらいの暗い重い展開で完走。いくらドシリアス寄りの作風でもギャグ回とかお風呂回とか温泉回とかみたいな息抜きイベント皆無で貫き通すのはある意味凄い。
何処かの監督インタビュー記事で「息抜きシーンは入れてみました(^^」みたいなのを読んだ記憶があるがそんな明るいシーンあったっけ…。
自動車メーカーとのコラボとかスポンサーとか欲しいけど法律無視して公道レースする走り屋コンテンツなんてコンプラ的にアウト過ぎる→でも公道レースは譲れない→せや、色々あって公道がサーキットになった世界にすれば解決!!という理屈付けかは知らんがそういう感じの都合の良い設定によるレースもの(と理解した)。
レースものなので登場人物も多くてシーンが小間切れになってしまうので頭文字Dのと比べると迫力的にちょっと惜しい感じ。
「すげぇあのハチロク!完璧なブレーキングドリフト!啓介が突っ込みで負けてる!」
というのを見たいのだよな。
モータースポーツなのにヘルメットはしないんかとか超人気であるはずなのに全世界視聴者数3,000万人って0の数足りてないやろとかはさておき、女性キャラに対する描写が一番キツい。湯気だとか肌色だとかそういうのではなく、女性キャラに向ける視線がひたすらおっさん臭いというか昭和とか平成初期過ぎて気持ちわるっってなったので新しい発見ではあった。同じエロとかお色気描写としても爽やかさ?みたいなのが無いというか、ねちょぉ…っとした粘着さを感じるんよな。
派手さは全く無いものの、ライバル側含めて良い感じに綺麗に纏まった感。
青が好きですが紫も好きです(結論)。
二股してる時点でクズなんだけど三股以上のドクズにはならないこの絶妙なラインで面白い。
取り敢えず原作全巻買ってみた。
突っ込んだら負けなのでこういうのでいいんだよこういうので。
転生ループもの。
ただのはめフラでは?と思ったけど周りの人間が勝手に良い感じに勘違いして良い感じに進んでいくというところが面白いポイントか。
取り敢えずコミック全巻買ってみた。
1話だけ見るとやべー枠だと思ってしまったけど毎回見てると癖になって面白くなってくるギャグ枠。
毎回こういう枠はあって欲しい。
何故これを見続けてしまったんだ枠その1。
ちょっと死にすぎだろっていうハードモードの始まりのくせに、アイドルライブシーンを入れたりするギャグとの落差で風邪を引きそうな枠。
一応原作は全巻買ってみた。
ラップバトルとは…?な前シーズンと同じく、ターン制の違法マイクバトル。
新キャラが一気に登場してきたけどツッコミながら見る分には面白い。
どうして現実世界みたいな会社の嫌な話をアニメで見させられてるんだ…となる枠。
何故これを見続けてしまったんだ枠その2。abemaでコメ蘭を見ながらでないとなかなかキッツい。
主人公的には自由気ままなゆるふわスローライフが目標?みたいだけどやること成すこと全てが諍い事を振りまいてるし、わざとらしくやってる癖に「なんでぇ?」となるのが露悪的な性格の悪さも相まって見ててふぇぇ…ってなってしまう。
比較されがちな、ろうきん(老後に備えて異世界で8万枚の金貨を貯めます)は一応ちゃんと?してたんだなあ…。
一期丸ごと使ってプロローグみたいな内容なので二期で本番か。で、プラムは女の子じゃないんですか。
あーまたよくあるハーレムラブコメものかーって感じで見てたが、そんなチャチなものじゃなかった。
ギャグ寄りの作風だとは思ったが終盤の展開は流石に予想外過ぎたしあのEDは反則過ぎる。というかこれやるためにCDも円盤も発売日を遅くしたのでは。無駄に本気すぎる。
あとアップの作画が大変に良く、やはりキャラデザ総作監:矢野茜は強すぎるのだなと。
やはり原作全巻買ってみた。
タイトルロゴ、OP/ED、出てくる文字まできちんとローカライズされてるのは凄い。
主人公の喋り方とか雰囲気に物凄い既視感があったけど百合ものとして好き。原作も勢いで購入済み。
EDのバージョン違いが多数(各ソロと2番?)あったのも良き。
絵は可愛いけど重いよー。
だったけど最後には良い感じになったので良かった。
これ正体隠す意味あったんか?と終始思ってた。
史上初?のeスポーツアニメ。ゲーム画面がPS2とかPS3っぽい。
病んだ妹でダークホースと目されたが、なんか無理矢理良い感じにまとめてしまった。
ゲーム画面はずっと3DCGだったのにあのシーンでアニメになるのは有りなの…?
似非中国もの。名前は全部漢字があるのだろうけど、音だけ聞くと想像しにくいので名前が全く覚えられん…。
やや癖のあるキャラと悠木碧の演技の上手さで普通に楽しんで見てたのに、「猫猫は女性版キリトさん」という言説を見て以来「猫猫かなーやっぱりww自分は思わないんだけど周りに猫猫に似てるってよく言われるwww」という幻聴が聞こえるようになったのでインターネットは罪深い。
一応コミカライズは全巻買ってみたけど2種あるってどういうこと。
あ、こういうのめっちゃ好きなんでもっと早く教えて欲しかったんですけど?と言いたくなる作品。
原作は多分表紙ぐらいは見たことあるはずだけど、フリーレンが少年に見えたのか何なのかピンと来なかったっぽい。
正直初回の拡大枠とか優遇されてるのを見ると、あーへーふーんと逆に警戒してしまうのだけど優遇されるだけのことはあるのだなと。
当然原作全巻買ってみた。
俺たちの戦いはこれからだ!なところで終わってしまった…。
決して悪くはないのだけど前シーズンが物凄く良かっただけに難しい。
キャラが多い…。
アイドルっぽいアイドルアニメではなく、少年漫画っぽいのを作ろうとした感じはする。
一応全話見たのだけピックアップしたので途中までのは端折っちゃった。というか端折っても23秋は十分多いよ… 基本リアルタイム派なので一度見逃したり枠が被ってると積み録画行きなりがち。
4話ぐらいまで。シリアスギャグな感じで面白いけど一度見逃してしまったので配信で見ようと思ってそれっきりに。舞台が神戸とかマジなんか…
3話ぐらいまで。なんか1話が話題だったので急遽。返信すると若返るんかーいというところを確認して満足してしまった。
ジャンプ大好きそうな癖に講談社なんかよと突っ込んだ記憶。謎の外国人忍者の正体は…なあたりの記憶はあるのでこれも3話ぐらいまでか。面白かったけど見逃してしまった。
そういえばこれもあった。特に可もなく不可もなく…だけど見続けるほどの吸引力は足りず。3話ぐらい?まで。時間帯的に、ポーションやおっさんみたいに他のついでに見るという感じでもなかったのでお流れに。
豚レバーは最果てと被ってしまってたので積み録。陰実は1期見逃し、盾は1期面白かったけど2期で見逃し、SPY×FAMILYも1期途中で見逃しでこれらまとめて積み録。シーズン丸ごと見逃すと消化が追いつかない…。
婚約破棄された令嬢を拾った俺が、イケナイことを教え込むは1話見たはずだけど、上手く言えないけど自分向きじゃなかったっぽい感じでお流れ。
シャンフロは評判良かったっぽいので後で見ておきたいところ。
女神聖女叡智聡明!なハッピーエンドプリンセスは名曲だけど、すみぺ曲枠としては今日のエンディングは私が買い取ったから好きにしていいわよねで上書きされてしまったので…申し訳ない。
MFゴースト見てる人多いのが意外というか揃っておっさん臭いと思われるぐらいにはやっぱりアレなんか、小綺麗な現代的CGとのギャップで余計に悪目立ちしてる気がする。
そして逆に僕雨見てる人はやっぱりいないか、まあ少ないよね。abemaのコメ蘭では「遅れて来た今期ダークホース!」「お兄ちゃんどいて!そいつ○せない!」と(局地的に妹が)大好評だったのだが。やはりeスポーツものなのにeスポーツ要素が無い時が一番面白いというのが課題だった。
100カノは十分すぎるほど楽しんでしまったというか「幾ら美少女動物園ものでもそれは無いやろ」と無意識に可能性を否定していた自分の浅さに気付かせてくれた(ラスボスは本当に予想外で完敗)良い作品だったので冬コミで設定資料集セット(10,000円)買いました。
なお完全な余談として、冬コミで見かけたアークナイツのアーミヤとドクターのコスプレが完成度高くて良かった。アーミヤのウサギ耳可愛い。あんなに可愛いのにどうしてアニメはドシリアスなの…。そしてドクターはアニメに寄せると完全に不審者の出で立ちだった。
アニメ終わって面白かった続き気になるな?ってなっても次のシーズンのアニメ見始めると忘れてしまう(おっさんの記憶はFIFO)ことが多いことに気付いたので、好み的に面白いかなと思ったら忘れる前に買うようにした。まとめ買いは基本Bookwalkerの50%還元とか全巻セット20%オフとかのタイミングで買ってるので、1シーズンに数作程度ならそう多くはならないし。
世界的なバイオリン奏者がバイオリン演奏していても、なんのアピもしていないと路上だと誰も足を止めないそうだ
これは、かなりの人数の人が演奏そのものではなく権威付けされたものを有り難がっている、演奏を楽しむのに知識がいると考えていることを意味する
知らない人の演奏を権威や知識を意識せず、純粋に音を楽しんでいるわけだから、割とうんうんってなる
なお、ワイは美術館行くとか知らんアーティストや個人の個展行くの好きやで。好みにさえ合えば理屈抜きに やるじゃん? ってなる
ブクマカ兼ねてそうな増田は素養が無いと楽しめないってドヤってましたね(権威しか意識していない)
https://anond.hatelabo.jp/20190130151145#
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190130151145
哀れな人たち
「SEX AND THE CITY」というドラマをご存じだろうか?
セックスに関する鋭い考察で人気の女性コラムニスト・キャリー、弁護士のミランダ、アートギャラリーのディーラー・シャーロット、PR会社の重役・サマンサ。固い友情で結ばれた彼女たちはN.Y.の街で傷つきながらもそれぞれの幸せや理想を追い求める話である。
今では続編のドラマもでている、ファンが多い作品だろう。私はこの作品が好きである。このドラマは1998年、増田が生まれる前から始まっているが、今観ても楽しめる。
ニューヨークの華やかな生活と登場人物の生き様が観ていて楽しいし、コメディ要素もあって話のテンポが良いのでさくっと観れるのも魅力の一つだと思う。
「プラダを着た悪魔」や「ゴシップガール」などが刺さった女子には是非おすすめしたい。
私の母親は子供を3人育て、子育てが落ち着くと自分でビジネスを始めた。
父親は古風な人なので母が外に出ることを少し嫌に思っているようだが、家事育児に手を抜いているわけではないので許容している。
理由を聞くと、「あんなの痛いじゃない、イライラするわ」とのこと。
確かに自由奔放に生きる主人公や友人の生き方は賛否両論だと思う。でも私は、むしろ母親はあのドラマの登場人物のような人だと思っていたのだ。
仕事も育児も大忙し、趣味もたくさんあって、お金もある。自分の考えを持っていて友達も多くいる。
年齢的にも、生き方的にも共感し、ファンになりそうなのに、と。
あの作品が嫌なの?それとも、あんな感じのジャンルの作品が嫌なの?と聞くと、あのドラマだけが嫌だという。見るのをやめなさいとまで言われた。
ドラマや映画はどの国のものでもとりあえずは見てみようかな、のスタンスの母親が。作品の地雷が少なく、基本どれも面白かったと言っている母親が。
内容が嫌いなのか、なにかひっかかる表現(差別発言とか?)があるのか、役者がいやなのか、詳しく聞いたが
とにかく全てが苛つかせるらしい。この話をするのも不快というので、ここで話は終わった。
母の妹に最近会ったので、何気なく、あのドラマをみたことあるかと聞いた。全部見ていて続編も追っているとのことだった。
そこで興味深いことを聞いた。母親と一緒に観たことがあるという。
何話とかはわからないが、暇だったので母を誘って一緒に観たとのこと。話が始まって20分ほどで、母は大号泣していたそうだ。
「別にシリアスなシーンなかったのに、あれは不思議だったよねえ!」と叔母は言う。
理由を聞いても答えてくれず、とりあえず1話終わった後は違うテレビを見ることになったらしい。
不思議で仕方ない。
でも、大号泣したのは嫌だったからなのかな。なにが嫌だったんだろう。
イライラする主人公や登場人物が出てくる作品にはもちろん出会うことはある。でも大号泣するまでイライラしたことがない。
みなさんはありますか?また、「SEX AND THE CITY」を見たことある人で、母と同じ感情になったことがある人は教えていただけたら嬉しいです。
妹が一人で小さい洋菓子店をやってる。儲ける気もそんなにないみたいで、贔屓目抜きで美味いケーキをかなりのお値打ち価格で出してる。わりかし評判も良く客足も途絶えていないみたい。
そんな中で、時折ウザ絡みしてくる客がいるみたい。もっと価格や販売方法を工夫した方が良いとか、宣伝を手伝うとか、◯◯さんを紹介するとか、頼んでもいない経営論議を決まって30-50代の男性がしてくるらしい。
店外に待っているお客さんがいるにもかかわらず、長々と講釈を垂れるもんだから、妹も気が気でないと話していた。
こういうオッサンって、店員が男性でも同じように話しているんだろうか。あるいは年配の女性だったらどうなんだろうか。ギャラリーストーカー問題でもそうだけど、若い女性ってだけで仕事がしづらくなることをつくづく気の毒に思う。
4人部署で1人産休からの時短、1人が夏の間に退職で実質稼働人員が2.3人になった。
当然ながら仕事量は変わらない、そして新規で人が入るのは年度が変わってから。
そんで働く女性応援ってことで何故か時短してマネジメントもなんもできてない時短ママが昇進&昇給。
問題はその時短ママがなんでか知らんがなんのマネジメントもできない、しない上に今までやってた仕事を管理業務が増えたからしない、できないと言って新人教育も俺等に投げてきた事。
そんで時短ママは発熱でしょっちゅう帰るしslackにも応答ない事が増えた。
勘違いしないでほしいが別に時短ママが帰る事も昇進した事にも文句はない。
3人の中で一番勤務年数も長いしね。
ただ困ったのが俺とAさんで実質4人分の仕事と新人教育を2人でやることになった事だ。
このAさんは漫画が物凄く好きで毎週ジャンプマガジンサンデースペリオールを買ってくる。
今一番おもしろい漫画は呪術廻戦と劇光仮面とトリリオンゲームだそう。
当然、回らん。
といっても上も分かってたからかなりトーンを下げてくれてたがそれでも叱責は叱責。
新人なんて最初は付きっきりというか帯同させないと無理だから仕事量減るのは半年後ぐらいだし。
んでまあ秋にAさんが結構デカ目のミスをして今度は流石にバチクソに怒られた。
このミスの要因は圧倒的なマンパワー不足に大きく起因するものであって普段なら絶対にないものだということは俺が保証する。
怒られたAさんはもう臨界寸前でフロアに戻ってきてこう言った。
流石に辞めるのかな、でもまあしゃあないかなって思ってたら辞めた職員さんが忘れていった孫の手を持ってあれよあれよという間にフロアを出ていった。
しかも行き先が外ではなく偉い人がいるフロアだ、流石にやばいぞとなって遅れてついていくが遅かった。
Aさん、怒った上司の更に上の人に孫の手持ってバチギレしてた。
もう信じられんぐらいキレてた。
机バンバン殴ってたもん。
キレられた上司もあっけに取られてあわあわしてたので俺が間に入って止める、だがAさんは止まらない。
「お前らが管理せんからさんざたいぎー思いをさせちょるんじゃボケ!」
という言葉が強烈に印象に残っている。
「このまま改善されないようであれば彼も俺と一緒に辞める覚悟ができています!」
と言ってきた。
なんで?
と思ったがその頃にはもうギャラリーもできててAさんは信じられんぐらい怖い顔でこっちを見て目が完全にラリってた上に超パワーで肩を掴まれてたおり
その後関係者全員のヒアリングを行った所で俺とAさんの負担の多さが改めて判明した、のだが。
現実は甘くなく人が増える事なかった。
その変わりに給料が額面で1.4倍になりました。
このまま俺とAさんに逃げられると終わってしまう上に時短勤務ママが今の状態ではどうにもならないからせめて給料面だけでも、という事らしい。
ある作家のポストを引用するがこの作家に対して何かしらの感情があるわけではなく、絵師と言われる人間に見られる言動への疑問に対する例とさせていただく。
コレは全然違う話だけど、イベントで良く言われるのが「とっても可愛いですね!大好きだから私も真似して描いてみます!」
こう言われて嬉しい人いるのかな?といつも謎に思う
キャラクターイラストを描く作家に多く見られるが、他者の作品が自身の作品に似る、他者が自身の作品に影響を受ける、自身の作品が誰かの作品に似ているという反応をされることに対する強い拒否反応を示す人が多い。
そもそも例外なく作家は幼少期に絵を描き始めてから絵の上達を経て作家活動を行うようになるまで他者の影響の元にスタイルを生み出しているはずだ。
言ってしまえば作家のスタイル、オリジナルというものは他者のコピーの積み重ねに手癖による変化が起こった程度のものであり、絵柄は他者からの借り物と言ってもいいものである。
借り物は言い方としてキツいかと思うが、その作家のスタイルは美術史という連綿と続く歴史の大河の一滴に過ぎない。
他者に影響を受ける事に対してこのように拒否反応を示すのは次世代の文化の発展を邪魔する行為であり、自身が影響を受けた作家に対する冒涜ではないだろうか。
例えばこの作家の絵柄を見ると目を上瞼と下瞼のみ描写し目の左右、つまり目尻目頭を描写していない。
この描き方は日本においては東映動画が「太陽の王子 ホルスの大冒険」で導入してからアニメや漫画に広まったものだ。
東映動画もこの描き方は旧ソ連の「雪の女王」で行っているものを真似たものである。(これは「雪の女王」のDVDに収録されている特典映像で宮崎駿氏が語っている)
ソ連の「雪の女王」を制作したソユーズムリトフィルムの他の作品にもこの描き方を見られるが、一節にはこの描き方は銅版画でインクの付着する面積を減らして印刷時の事故を防ぐ目的で自然発生的に生まれたと言われている。
また、この作家は影や髪の毛質感表現に輪郭線に沿ったハッチングを行う手法を用いている。
この描写方法はヨーロッパの本の挿絵において広く用いられている。
パッと見ただけで描写方法に他者からの借り物の表現を行っている。
自身がそれをしながらこのように他者が自身の作品から学ぼうとする事を拒否するのはいささか傲慢に思える。
このような発言はどういうわけかデザインフェスタのようなイベントに出展していたり小規模なギャラリーでの個展やグループ展でキャラクターイラストを発表する作家によく見られる。
一方、アニメーターや漫画家にはこのような言動はあまり見られない。
漫画家は自身や他の作家の歴史的系譜について研究している人も多いし、評論家がそのような研究を行うことへの拒否感はあまり見られない。
評論家に関しては「私の作風の源流はそこにない」という異論が作家の側から出ることはあるが。
増田は現職に就く前は動画マンをやっていたが、アニメーターにおいても漫画家同様に絵柄やアニメートのスタイルがどこからの影響かを語っている人も多い。
金田伊功氏の影響を受けたアニメーターたちが金田系と呼ばれたりするのがそれだ。
実際、増田がいたスタジオの諸先輩方は自身に影響を与えた先人について語る場面を随分見てきた。
Wikipediaなどはテンプレートに「影響を受けたもの」「影響を与えたもの」という項目があるくらいだ。
絵柄パクなどという言葉があったり、自分に絵柄の似ている作品を他人に取り下げるように求めたりイラスト界隈は不穏な事が随分見られる。
このような態度は後進が成長するのを阻害するし、文化として研究する上で障害になる。
何より作家間にいらない諍いを生み出す原因になるため、考え直すべきだと増田を考えている。
今回Xからポストを引用した作家は美大を出ているが、美術史を学んだであろう人ですらこのように系譜を途絶えさせるような言動を行う。
専門学校卒や完全に独学のイラストレーターや同人作家ではよりこのような言い方は悪いが勘違いが酷い。
こういうのも典型的なやつで、
「基本的には絵を買ってくれる(可能性含む)人だから相手をする」とか
そういう当たり前の暗黙の了解が皆目わからない昆虫みたいな人間が社会には一定数いて、
「わあお得、無料でキャバクラみたいに若い女の子と交流できるぞ!大発見!」と考えてうろつくようになり
ついこのあいだ、撮り鉄の高校生が「いい写真を撮りたいから」つって停止ボタン押しちゃった事件もあったじゃん。
ボタン押したら他の人がどれほど迷惑するか、社会的にどうなんだ、
みたいなことが全く判断付かない。
発達の問題に見えるのは俺だけか?
最終的に激昂して刺しまくって逮捕されて懲役15年くらいついた男も、
そんなもん本当にただのモンスターって言うか虫じゃん?
多くの問題について
我々は社会的な原因や社会的なソリューションを考えてしまうけど、
他の人間が感じることを一切感じない察知しない昆虫みたいな人間であった
という方がよほど事実に近いことは多いんじゃないのか?
ギャラストの話を見ても全く自分のことだとわからないギャラストが実在する。
人間の振りしてるけどほとんど人間の感性や思考じゃない昆虫人間がいるんだ。実在するんだ。
ギャラスト対策にマナー周知が含まれてたらもうおかしいんだよ。
虫の対策は「餌の除去」「通り道の閉鎖」「嫌がる物質の散布」だろ?
そういうことなんだよ。
芸術家をどう定義するかによるけど、作品を売ってそれだけで食べてる人だけでなく、仕事は別にあるけど作品を売っている人、教室で教えて生計を立てて作品も売る人、教室などで教えて作品はほとんんど売っていない人、まで広げると女性の方が多い印象
ただし音楽は全く知らない
仕事は別にあるけどコマーシャルギャラリーなどで作品を売っている人は女性ばっかりのイメージがある
男性は就職しなかったり脱サラして芸術で食っていくぞ!って感じで夢見るけど脱落する
それはエロ目線もあるけど、コミュニケーション能力に長けた芸術家は圧倒的に女性の方が多いことの結果かもしれない
東京にいわゆるサブカルチャー的な(本屋が多いだのライブが、コンサートが多いだの美術館やギャラリーがうんぬん)リソースの集積があるのは、まぁそう。
でも、東京には歴史があんまりないし、色んなお国から集まってきている人の集まりの街なので「東京のくらし」という共通認識もあんまりない。
増田は東京生まれ・育ちなのだが、東京には割と潤沢にあると言われがちなサブカルチャーやサブカルチャー的な”文化”よりも、人の生活に根差した文化がある地域が素敵だと思うのだ。この間はTVを見ていて、青森には「普段は別の仕事をしている市井のねぷた絵師」がいる、というのを知って、何だよそれめちゃステキじゃないか。と思った。
東京は、色んなお国から人が集まってきていて、そういう暮らしに根差した市井の文化は割と薄まってしまいやすい。まぁ薄まっているところも「東京らしさ」でもあるのだけれど、市井のねぷた絵師のような存在は文化だなーうらやましいな、カッコいいな、と思う。
ところで、サブカルチャー的な文化ではない、市井の文化も、薄まってしまっているとはいえ東京にも残っていたりする。
下町生まれ育ちの増田が感じる、東京の下町の、もうすぐなくなってしまうもしれないな…と思ったりもする、東京の市井の文化を紹介させてください。
そりゃ歴史のある他の街ほど立派なものではないが、東京はいわゆるお祭りが結構かなり多い。
下町は特に、もう数百年のあいだ狭い長屋に人がひしめき合って暮らしてきたところでもあって、人の数だけ「祈り」も必要とされてきたんだろうと思う、街ごとに小さいお社がある。小さいお社は普段は町内会で掃除とかの面倒を見ているが、このお社がお祭りに参加する。大きな祭りの氏子だったり(例えば神田祭だと100個ぐらい神輿が出るらしい)、自分たちだけの祭りがあったり色々である。
下町では、各町内ごとに「自分の町内は〇〇祭の神輿」がある。氏子という言い方なんだろうと思うんだが、かなり割とキッチリと、祭りの割り当て?範囲?みたいなものが決まっていて、町内ごとに神輿を持っている。まぁ他の街でも祭りってそういう感じだと思うので珍しくもないと思うけども。
下町の祭りは基本的には神輿がメイン、山王祭(日枝神社の祭り)は山車がメインのようだが、まぁあの辺は山の手だな。下町は神輿。わっしょい、わっしょい。
隅田川より西側の下町の祭りは、春~初夏ににやるところが多い気がする。そして隅田川より東側の祭りは夏にやるところが多い。夏にやる祭りは「水かけ祭り」といって、町内を練り歩く神輿に、宮入する神輿に近所の人たちが水をわっしゃーわっしゃーとぶっかける。手にバケツを持つおじいさん、ホースを持ち出すお母さん、金だらいにビールを浮かせながらひしゃくで水をかけるお父さんなど。担ぎ手もびしょびしょ、道路もびしょびしょになる。
神輿が出る日は一日中、町内が法被と脚絆、なんならふんどしの人がウロウロする。非日常ですごく楽しい。普段ダラシナイ自分の親父殿が祭りの衣装になると5割増しに格好よく見える。近所の、普段は古いビルの1階のすすけた喫茶店のマスターをやってるおじさんが、祭り半纏をめっちゃ粋に格好よく着こなしたり、新しいマンションの住人の若いお父さんの装束をきゅきゅっと直してあげてたりね。女も神輿担いでも全然オッケー。ただめちゃ肩が痛くなるので私はまぁ、雰囲気だけ味わって担ぎ手はあんまりやらない。子供神輿を持ってる町内もあるし、うちの町内は子どもは山車が出る。
下町の祭りは毎年はやらない、2年に1度とか3年に1度とか。本当のところは知らんけど「江戸っ子は祭りにお金を使いすぎるから毎年だと無理」だかららしい。馬鹿だな江戸っ子ときたら。
増田が子供の頃は近所に「木遣りをうなる爺さん」というのが居た。「木遣り」と書くので、木にまつわる仕事をする人たち、材木関連、とび職さん、火消し(火消し≒鳶)の労働歌がルーツなんだろうと思う。よく知らないのだが笑。Youtubeなどを見るとうなってる爺さんの動画があると思う。
結婚式の時とか葬式の時に「木遣りを歌うじいちゃん」が何人かで来てくれて、家の前にずらっと並んで木遣り歌を歌ってくれるのだ。平成の半ばに亡くなった祖父の出棺の時にずらっと「木遣り爺さん」が並んで歌ってくれたのが良い思い出。ちなみにおじいちゃんはとび職ではなかったので木遣りは歌えなかった。
まぁでも、もうこういうのは無くなっていくんだろうなーと思う。数年前に祖母が亡くなった時は少し離れた町の老人ホームだったので葬式もその町でやったから、それ以来木遣りうちには来てない。マンションも多いしなぁ。
今は、正月とか区の祭りとかに出くわすと「ずらっと並ぶ木遣り爺さん」が見られる。保存会が伝承しなくては、とかそういう感じみたい。
ちなみに祖父母の家には、私が子供の頃(昭和後半)まで、年末になると上記の「木遣りのじいさん」が門松を立てに来てくれていた。その木遣りのじいさんのことを祖父母は「親分さん」と呼んでいた。今思うとあれは銭形平次的な何かの名残なんだろうな。昭和の頃まで、うっすら「江戸」が残っていたんだろうなと思う。バブルで全部洗い流されたけどね…。
東京には寄席がある。上野の鈴本、浅草演芸ホール、新宿末廣亭、池袋演芸場。あといくつかの落語や演芸の団体がある。落語家が多い街、東京。
下町には落語家さんが結構たくさん住んでいたりする。私が初めて一人暮らしをしたマンションにも偶然かなり有名な落語家が住んでいて、すれ違うと気さくに挨拶してくれるおじいさんだった。
落語は、上記の定席小屋で毎日やっているし、〇〇市民会館、○○ホールみたいなところで独演会なんかたくさんやっているが、もっと小さい、近所の落語好きの蕎麦屋のお父さんが自分の店で若手を集めて落語会をする、みたいなことが、結構あちこちで見かける。
覚えている人もいるかもしれないが10数年前のNHKの朝ドラ「ちりとてちん」で(まぁあれは上方落語の話なんだけどさ)、アル中から立ち直った師匠を中心に一門の小さい落語会を近所の居酒屋で開くようになるのだが、その「寝床寄席」みたいなのが、蕎麦屋やら居酒屋やら和菓子屋やら、結構あちこちで見かける。神保町のらくごカフェとか日暮里のひぐらし亭とか、ミニ寄席が最近ブームだったりするが、それよりももっと「地元の落語好きの人が場所を貸す」みたいなのがあるんですよ。
これは良い文化ではないのだが、下町には、下町名物の、何て言うか「飛び地の庭」というか…歩道の植え込みを不法占拠して勝手に花壇を作っちゃう爺さん婆さんが生息している。下町の家は狭い。元々長屋だったところなのでとにかく家が狭いし庭なんてない。玄関を開けると2、3歩で歩道なのが下町建築。
なので、下町の園芸好きは、軒下などに細ーくプランターを並べて園芸を楽しむのだが、それが段々エスカレートし過激になってくると、歩道を飛び越えて飛び地的に、街路樹が植わっている土や植え込みにも鉢植えやらを置きだす。通行の邪魔になりかねないのでなぁ…とは思うが、庭の無い下町生まれなのに園芸を楽しみたいぐらいなので結構、きちんと管理されていてきれいな花が咲いたりする。逆ビッグモーターである。
そういえば下町は庭がないからかもしれないが、結構園芸趣味がある。朝顔祭りなんてのは典型だし、少し大きい神社の境内で植木屋台が出ていたり。庭がない家が多いからね…せめて緑を。でも良くないんですよ。
これは、すべてがそういうわけではないと思うのだが、下町に暮らすために必要なものとして「踏み込みすぎない、ちょうどいい親しさを表す距離」を作るスキルがあると思う。
増田は4代前までさかのぼれる東京者だが、その前の先祖は京都出身、新潟出身。しょせんはよそ者同士。色んな理由で集まってきたよそ者が大きくしてきた街が東京である。
例えば真逆の存在として地方の農業地域なら、農業という生計を近所で共に協力して行っていくという、関係を良くするための必然的な理由があるが、東京にはその理由が希薄である。だからこそ、隣近所とはそれなりに良い関係を継続しておく必要があり、かつお互い踏み込みすぎない適切な距離を保つ必要もある。この辺は、下町育ち同士だとすごく「そう!」となるのだが、下町育ちじゃない人(山の手育ちの人や郊外や地方の人)には、イマイチぴんと来てもらえないことが多い。都会に暮らすって、住み着いて何十年も経っても、少し緊張感のある交友関係が必要になるんだろうなと思ったりしている。
手前味噌で恐縮だが、増田は、ご近所さんや、よく行く店の店員さんとかと、適切な距離を取るのが上手いと思う。近所の人におすそ分けをもらったり、差し上げたり、常連の店でひっそりこっそりオマケをしてもらったり。そういうのを目立たないように、踏み込みすぎないように、負担にならないように。数か月に1回程度なんだけどね。何かがあったら協力できる程度、でもプライバシーを保った距離というか。
これは下町に限らないのだが、東京の文化的な特徴だと思う。墓が広い。というか「古い広い墓」がある。
前の項にも繋がる話だが、やはり東京に暮らす人は少し根無し草なのだ。先祖代々の寺や墓がない。ある人ももちろん結構いるんだけど。
特に明治期以降は、仕事の都合で東京に出てきている人が山ほどいるわけで、そういう人に向けた公園墓地がたくさんある。古くは谷中墓地、現代でも八王子とかちょっと郊外に「誰でも入れるでかい墓」がある。
やたらと広い墓には有名人の墓があったりするから墓趣味の人用の案内があったりするね。
このぐらい。
https://anond.hatelabo.jp/20230731103637
電鉄会社は始発駅にデパートを持っているが、この二社はちょっと特別で文化をブランド化している。
両社ともデパートの一部に美術館を持ち、古典よりも現代美術などを扱う傾向が強かった。
また西武はレコード店WAVEや巨大書店LIBROなども併設して文化/流行の発信者的立場であった。更にこれら文化/流行事業がブランドとなってルイヴィトンなどのハイブランドの出店の寄せ水ともなっていた。
現在ヨドバシ西武出店で豊島区がクレーム出しているのはこういう背景があるから。
2.本屋
巨大書店が何棟かあるが、神保町三省堂、池袋LIBRO、池袋ジュンク堂、六本木青山ブックセンター、新宿紀伊国屋などは毛色が違って、売れ線の本を並べるのではなくて「推し」を優先して陳列するという特徴があった。「話題の本」が話題になる前にそこにあるという感じだ。売っているのは本じゃなくて文化文脈という感じか。ヘイト本陳列などで紛糾しているのはこの辺の事を知っていないと理解が出来なかったかと思われる。池袋ジュンク堂以外は退潮傾向。
3.レコード屋
渋谷その他のタワーレコード、西武系列のWAVE各店、CISCO、新宿/下北沢のディスクユニオン、秋葉原の石丸CD館など特徴的なレコード店があり、これらでは売れ線のJPOPなどは余り売っていない。これも流行のアンテナショップ的な感じでマイナーシーンでこれから流行るもの、ここでしか買えないものを揃えていた。
CDの退潮によりこれらも退潮傾向(石丸は大火災)だが、CDにかわりビニール盤(レコード)が復活してきたのでタワレコなどは盛り返しつつある。
広尾、六本木の欧米系、新大久保の韓国人、西川口、池袋の中国人、など外国人が集中して居住する地域があり、彼ら向けの商店など外国の風が吹いてるかの如くの雰囲気がある。またその地域では国内で見かけない外国製品が売られているなどエキゾチック。文化的な対立などの問題も起きるが都会や資本主義というのは異物に包容力があるのでなんとかやっている。外国人との対立問題で刑事事件などが根拠にされる場合があるが根本原因ではない。文化間の接触域では「文化を浴びる」感が日常で起こり、それが浸食されるという不安を産んでいることを忘れている。
東京とその近郊は戦前は軍都でもありそれらが全部占領されたのでその基地や居住地付近は米軍の文化に染まった。
占領解除と基地返還でこれらは忘れられつつあるが、近郊には所沢、横須賀などアメリカテイストが残り、それを維持しようとする住民がおり、ニューイングランド様式の家+アメ車などの組み合わせを見る事がある。東京郊外だが埼玉の入間市には米軍住宅をそのまま残したジョンソンタウンという街がある。
6.裏原宿
原宿は西から原宿駅\竹下通り\明治通り-渋谷川暗渠地域/青山(線の傾きは高低差)となっているが、この渋谷川暗渠に沿って民家改造した古着屋、インポートショップが乱立した。両方とも若い経営者が米国や西欧に行って古着市場や日本に入っていない若手ブランド服を買い付けて一般民家を簡易な改造した店舗で売るというモデル。全国展開しているBEAMSなども裏原出身。今では地方都市やショッピングモール、観光地周辺でも見られる業態だが、わざと「簡易な内装」を作るのは裏原の文脈があるから。若者のスモールビジネスからセレクトショップやアンテナショップ業態に移行しつつある。なお、渋谷川暗渠に密集したのは、暗渠沿いには高いビルが建てられず地下が低かったから。
7.お祭り
地方より東京の方が中間共同体が残っている事が多く、お祭りが維持できているケースが多い。
道路上での演奏は禁止なのだが路上演奏者は多く居て、警察が来るとダッシュで逃げるというのを繰り返している。特に外国人が民族衣装を着て民族音楽を演奏するものなどは人気がある。
単にオタクが好きなアニメの服着てるだけに留まらないレベルの人が結構いる。そういう人は総じて相当な美人/美男であり服の装飾や裁縫レベルも高くて高級感もある。文化文脈の摂取に貪欲で外国に出かけて実際の文化を見て吸収しようとするし写真のレベルも高く、サブカルなのにハイカルチャーの趣きがある。SNSの過去ログを手繰ると、昔から美人だったのではなくて文化の吸収や意識の向上に従って外見が変化している。だとするとそれを生ぜしめたコスプレという行為も文化現象として上等と結論づけるしかない。
クラブ遊びもちゃんとやろうとすると音楽の知識、海外の文化現象の理解などが必要になる。カッコだけの真似だとダサイ、浅いという評価になる。
環状八号線の世田谷地区には外車ディーラーが並ぶ。外車は単に高級品というだけではなく、その国の文化というものを纏っているもので、特に米国、イタリア、フランスがその傾向が強い。故に環八の外車ディーラーが並ぶ風景は車好きには外国の風が吹いているように見えるものである。
「ビルの内装はがして壁も天井も配管も白いペンキ塗っただけ」みたいな小さいギャラリーが多くあり、マイナー作家やマニアックな展覧会が催されている。その辺の敷居の低い部分があるのを利用してお上りさんやオタクつかまえてサブカル絵やラッセンの絵を高額ローン組ませて売りつける商法をしていた連中は万死に値するな。
13.商店街
地方ではすっかり衰退してしまった商店街が東京では幾つか健在で、若者文化を取り込んで混在する下北沢とか吉祥寺とか買い物以外でも面白いところがある。増田のおススメは赤羽で、昭和のマーケット形式の商店、カゴに小銭入れてゴムで吊るしている八百屋とかも健在で、新しい飲食店も沢山あって混在している。更に飲食店にやたらとテラスがあるのが特徴で日本じゃないみたいな感じになっている。小奇麗なカフェから昭和の立ち飲み焼き鳥屋にはしごとか出来る。
14.モグリ
人気講師がいる大学には偽学生のモグリが発生する。在籍していないのに勝手に講義を聴きに来るやつだ。大学によってはそれを止めるつもりもない。更に学外者が立ち入るのが当然のように大学内で展覧会を開催したりする。
15.TV局
テレビ局は働く人が多いので企業城下町的なものを形成していたりする。いけ好かないギョーカイ風でもあるがTVの地位低下とオフィス街と一体になった再開発などによりオフィス街と混じる形になって衰退傾向(例:TBS@赤坂、TV朝日@谷町、六本木)
16.建築
近代建築も多く残り、有名建築家の作品も多い。中に入って素材の質感、施工の程度などを触って確認できる。隈研吾のなんか食傷気味でもういらねぇとか思ったりする。但しザハ・ハディッドのは無い…。
今までも歩行者天国は色々なサブカルチャーを生み出してきた。だが加熱しすぎて警察に禁止されたり通り魔が起きたりと都度潰されるという道を辿ってきた。今ではフェアなどで自治体が大道芸を支援するような動きがある。
18.大学
身も蓋も無いが地方の大学と東京の大学では学生生活の質が違うというのはある。東京で大事なのは同質性の低さで、地方から出てきた者、エスカレータ組、留学生、帰国子女が混在している。特に帰国子女は「似た外見を持った異人」であって同質的な学校空間で育った学生に異化作用を齎す。概ね彼らはその異文化経験によって判断基準を「みんながそう言うから」に置かず、成熟して大人びていている。帰国子女とも留学生とも邂逅しない大学というのは大学と呼べるのか。
ホームレスに日常的に遭遇し、自殺の現場に居合わせるなどの経験(鉄道など)により、落伍への強烈な強迫観念が刷り込まれる。当然これはいいことではない。だが影響を強く受ける文化現象として外せないと思われる。